黄河流域で彩陶文化(黄河文明)黄河 Yellow River は、中国北部を西から東へ流れ、黄海にそそいでいる。 モンゴルや中央アジアの砂漠地帯から黄土(黄色い土)が風で運ばれ、黄河に流されて、中国の黄土層を形作った。黄河の中流・下流域の黄土地帯に農耕文化がおこった。 黄河文明は、土器の特色から彩陶文化(仰韶文化)と黒陶文化とに区別される。 【彩陶文化(仰韶文化)】 BC3500年ころ( 注: MSN Encarta(UK) China History(Page 9 of 14)では、BC3950年ころからとしている。)からBC2000年ころ、原始的な氏族共同体による村落をつくり、竪穴に住み、農耕と牧畜を行った。土器や織物の製作も行っていた。 磨製石器(新石器)を用いて、あわ・きび・稲などの穀物を栽培し、豚・犬などを飼育した。灰陶とよばれる土器で三足土器(三つの足を持つ土器)を作り、穀物を蒸したり煮たりするのに用いた。また、彩陶とよばれる美しい彩文土器を使用しており、これにより彩陶文化と呼ばれる。発見地の名から仰韶(ヤンシャオ)文化とも呼ばれる。 住居は、竪穴式・平地式・高床式が確認されている。竪穴式住居は円形と方形があり、中央に炉を備えている。平地式住居は、全体を浅く掘りくぼめ、中央に炉があり、柱を立てている。高床式は確認例が少なく、長江(揚子江)下流域でみつかっている。 集落は環濠を持つものがあり、中央に広場を持ち住居の出入口が広場を向いている場合や、住居の周囲に貯蔵穴が分布している場合がある。家畜の囲いと推定される遺構もみつかっている。環濠の外に墓地を持ち、土器を焼いた窯がみつかる場合もある。周囲との交流はあるが、完結的・自給的であり、階級的な差はまだ小さかった。 墓葬は、土坑墓と甕棺墓がある。土坑墓は、華北・華中の広い地域で確認されており、棺を用いない単人墓が基本である。副葬品は、日常使われる土器が中心である。甕棺墓は、幼児のものは華北各地で確認されているが、成人のものは、華北平原西部のみに分布している。甕は彩陶である例が多い。 この文化は、中国の河南・山西・陝西省に散在し、その住民は体質的にも文化的にも現在の中国人と深い関係がある。 【黒陶文化】 黄河下流域で黒陶文化 【参考ページ】 農耕と牧畜の開始(文明への始り) メソポタミア文明 エジプト文明 インダス文明 【LINK】 The British Museum 大英博物館(英語) ≫ Chinaによる検索結果 國立故宮博物院(台湾、中国語) 國立故宮博物院(台湾、英語) 國立故宮博物院(台湾、日本語(日本語版は基本部分のみ)) KAKEN - 科学研究費助成事業データベース ≫ 科学研究費補助金研究成果報告書 研究課題名:古代中国人類集団の遺伝的多様性とその変遷ならびに生活史の解明 (PDFファイル) 参考文献 「新訂版チャート式シリーズ 新世界史」堀米庸三・前川貞次郎共著、数研出版、1973年 「世界の考古学7 中国の考古学」小澤正人・谷豊信・西江清高著、同成社、1999年 MSN Encarta(UK) ≫ Reference ≫ China(Page 9 of 14) 更新 2013/11/13 |