長野オリンピック観戦記 (その四)

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2月18日(水)




 仕事なので、五輪観戦の予定はなし。
 フィギュア女子シングルのショート・プログラムをやっていたんですね。
 

☆ 長野オリンピック公式新聞の記事より
 ダーリ7個目。40キロリレー雪辱ノルウェー 英雄は最多の金メダル。
  Korean short-track skaters take golds

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2月19日(木)




 仕事は非番でした。
 女子1,000mを見に行けなくもなかったのですが、一人で見に行くはつまらないものですから、やめました。
 でも、これで私の五輪も終わってしまうのか・・・。
 

☆ 長野オリンピック公式新聞の記事より
 快走再演ティメル2冠。「長野に来たら いい氷・・・最高の滑り」。親友ウィッティは「銀」。
  Dutch skaters continue to dominate

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2月20日(金)




 この日も仕事でした。
 女子5,,000mがありました。これでM-Waveでの五輪は全て終わってしまいました。
 あぁあ・・・、と思っていたら・・・。
 

☆ 長野オリンピック公式新聞の記事より
 世界新ペヒシュタイン連覇。女子五千「7分の壁」破った。0秒04差ニーマン無念。
  Pechstein takes away Gunda's thunder
  Perreault takes gold

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 2月21日(土) 19:00〜 ショートトラック女子1,000m他 於ホワイトリング

席:Sエリア、W列89番
同行者:松津、小林、新井、宮沢




 前日、私の五輪もこれまで・・・と思っていたら、もう一つありました!!

 私は、J-PhoneのSky Walkerを利用して、自分のプロバイダーからのメールを携帯電話へ転送しているのですが、新潟市在住のA君から、チケットはない、宿もないが、とりあえず長野に行く、とのメールがありました。
 非番で電車に乗っているときに、彼から電話があったものの、車内が非常に混んでいたため、電話に出ることが出来ず、とりあえず寮に帰って連絡を待とう・・・と思って長野駅を歩いていたところ、彼から電話が何とか会えました。
 とりあえず市内在住M君を駅に呼びだして、毎度おなじみ金龍飯店で昼食です。
 で、更埴市在住K君と浦和市在住Mさんに電話をして、チケットがとれたら来れるか確認をしたところ、二人ともOK!!
 あとは「ちけと〜」との交渉次第です。

 ショート・トラックを4枚という条件がなかなか合わず(ボブスレーならあった)、「ちけと〜」屋さんとの交渉に苦しみましたが、ショートが3枚ある、というフランス語訛のある英語をしゃべる女性に会い、「4枚そろえば買う」、と強気で攻めたところ、どっからともかく1枚持ってきて、4枚ゲットすることができました。ただし、席はバラバラでしたけど。
 向こうは4枚でいくら、というのにだいぶ渋ったようでしたが、こちらは強気一辺倒でやりこめました。何でそうだったかは、現地に行って、着席してわかりました。

 さて、更埴からK君、そして浦和から新幹線に乗ってMさんが来たところで、いざWhite Ringへ。
 シャトルバスは往復券を買おうとしたのですが、Mさんが帰りはM交通があるから良いだろう、などとおっしゃったので、片道券を購入しました。

 バラバラの席についてびっくりです。
 Mさんの席は、前から数列目というすごい良い席です。これじゃ、「ちけと〜」の女性も売るのを渋るわけです。
 K君は寺尾選手応援団のまっただ中でした。
 そして私は、右を見ても左を見てもカナダ人のまっただ中です。特に左隣の二人は、顔にカナダ国旗をペイントして、Let's go Canada !!!!!と国旗を持って叫び、ウィスキーを飲んでいる、危険な白人のアンちゃん・・・うかつに日本人選手を応援できない、という不安を持ちました。

 さて、レースの方ですが、西谷選手の金メダル、植松選手の銅メダル、良かったですね。
 まさか、最後の最後に日の丸が目の前であがるとは、夢にも思っていませんでした。
 彼ら二人は、予選の時から積極的なレースをしていたので、ひょっとしたら、と思っていたのですが、その通りになりました。

 カナダのアンちゃんは、思ったよりも良い奴で、イギリスの選手を指して、あいつは俺の友達なんだよ〜、なんて言っていたし、西谷選手が勝ったと時は、おめでとう、と言ってくれた、実にスポーツマン精神のある奴でした。
 会場を立ち去る前に奴らと一緒に写真を撮って、別れ際に"See you in Solt Lake City"と私の方から言って、握手しました。
 私も、席の周りの状況が状況なので、カナダも応援していたのですが、カナダの一団が、お前はカナダも応援してくれたから、と言ってピンバッチを三個くれたときはうれしかったです。

 五輪最後の観戦を終えて、まずしたことは、Mさんの呼び出しです。White Ringにいるから来てくれ・・・ってアッシーを頼むという非道な事をして、向かったのは長野駅東口の「居酒屋八ちゃん」です。
 そこで再会しました。先日の韓国のおじさん達に!!
 よくよく話を聞いたところ、何と、ショートの監督、リレハンメルのメダリストであるキム選手のお父さん、とか、要はみなさん、ショートの関係者だったそうです。
 スケート関係者で共通の知人の名前もどんどん出てきました。たとえば、河合さんなどは「あー名古屋の河合さんね。子供が仲がいいね」なんていうことで、びっくりしたの何の。
 スケートの世界の、広いようで狭いのを感じました。
 韓国のおじさん達とも、再会を祈って乾杯して、別れました。
 

☆ 長野オリンピック公式新聞の記事より
 ショートトラック 西谷「金」 植松「銅」
 タラの賛歌、涙のクワン

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2月22日(日)




 素晴らしい快晴のこの日、長野五輪の閉会式の日です。

 昨夜Mさんの家に泊まった、浦和のMさんと、新潟のA君を迎えに行きましたが、そのまま帰ったのでは面白くない、ということで、南長野運動公園をR18から眺めてきました。
 午前11時頃だったこともあって、入場者はおらず、会場の周りの道路も、ごく普通に通ることが出来ました。聖火の火も燃えていました。

 二人と昼食を共にとって、駅まで見送って、部屋でアイスホッケー決勝をBSで見ていると、電話が…。「しなの鉄道で架線事故があったらすぐ来い!!」という呼び出しの電話でした。
 多分着く頃には復旧しているよなあ、と思いながら、あさま522号で上田に行くと案の定でした。
 すぐに、今度はしなの鉄道に乗って戻ったのですが、ゲロ混み…一本見逃していったら、ガラガラで拍子抜けしてしまいました。

 早めの夕飯を取って、閉会式のTV観戦ら備えました。
 閉会式、良かったですね。特に、あの花火!!私の部屋からも、はっきり見えました。あんなにすごい花火は、生まれてこの方見たことがありません。あんなものを見た後では、いくら諏訪湖の花火でも満足できません。
 

☆ 長野オリンピック公式新聞の記事より
 チェコ一丸初制覇。
  Unbeatable Hasek brings Czechs gold

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五輪終了後に思う



 盛り上がり、という点では非常にスロー・スタートでしたが、日本人選手の活躍とともに、徐々に盛り上がった五輪でした。
 パラリンピックがあるので、壊されたりしたものは少ないのですが、ピンバッチを売る姿が減ってきたり、外国のお客さまが次第に帰っていく様を見ると、五輪が終わったことを実感します。

 施設の後利用の問題はあるにせよ、長野には色々な財産が残りました。特に、五輪を開催したこと、ボランティア活動といった無形の財産は日本の他の都市にはないことです。

 五輪は終わりましたが、まだパラリンピックがあります。両方が成功して、初めて、五輪/パラリンピックが成功したと言えます。
 さあ、気を抜かないで、頑張りましょう。私もアイススレッジの競技役員があるし。

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