三高歌集

ヂンヂロゲ踊の歌

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ヂンヂロゲ ヤ ヂンヂロゲ
ドーレドンガラガッタ
ホエツ ラッパノ ツエツ
マーヂン マーヂンガラ ヂョイヂョイ
シッカリカマタケ ワイワイ
ピラミナパミナ
ヂョイナラリイヤヂョイナラリイヤ
アングラカッチ カングラカッチ
ナッパッパルチルカーナ
オップルセット ナップルセット
ナッパッパルチルカーナ



この歌も創立95周年記念の三高歌集では、「附録 以下は本歌集の歌にあらず 便宜上収録す」と書かれた歌の一つ。前にも書いたように、この本歌集というのは海堀昶氏の御教示によると、「この歌集」という意味ではなくて、大正13年発行27曲を収録した漫画入りの”三高漫画歌集”に対して”本来の三高歌集”の意味。ヂンヂロゲ踊の歌は”三高漫画歌集”に収録された歌である。

同窓会報21(1962)所載の戸塚武彦(大正7・三部卒)の記事から推定すると、大正7年頃には南洋の歌とかタゴールの歌と称して広くこの手の歌が世間で唱われていたようである。歌詞は三高で歌われていたものとは異なるが、いづれも「ヒラミルパニア」に「ヂンヂロゲ」云々の歌詞が結合して出来たものと思われる。戸塚が初めて東京か京都かで耳にして覚えた歌は次の通りであった。

ジンジロゲヤジンジロゲ
ドーレードンガラカッタ
ホーレツラッパノツエツ
マージョリジョーヤ
シッカリカマタリワイワイワイ
シノミヤパリヤ
ジョーリナンナジーヤ
ウップルメットメップルカ
ラバブルジルカーナ

真ん中から後ろシノミヤ以下は正しい「ヒラミルパニア」の崩れた言葉だと書いてある。


「月見草」と「ヂンヂロゲ踊り」は寮では特別の意味を持つものとなったことは『自由寮素描 藤安義勝』の記述からも推測できる。私は寮生活をしていないので、「ヂンヂロゲ踊り」を得意げに歌いこそすれ、特別な意味があったとは全く知らずに歌っていた。三高滅亡後50年を経て、いま公にされる秘儀というところか。三高同窓会関東支部会報『神陵』第61号(1999年6月30日発行)が海堀昶理事から送られてきた。これをそのまま転載させていただく。

三高の寄宿舎「自由寮」では毎年新入生歓迎コンパで<秘祭>「ヂンヂロゲ踊り」を執り行った。
<秘祭>は、中寮の東端の室長が『この部屋の住人だった三高生とりーべ(編者注:恋人)の悲恋の死を悼み、その霊を慰めるため南洋のゲロヂンヂ島に伝わる結婚式を行う』と述べると、十数人の室員は全身に懐炉灰や煤・墨汁を塗り、男役は腰簑、女役は応援旗の腰巻姿で舞台に駆け上り、新郎新婦が酋長の立ち会いで三々九度の杯事を演じ、次いでご両人を中心に「ヂンヂロゲ踊りの歌」を合唱しながら喜びの大乱舞で終わるという、女人禁制の悲劇を弔うものであった。

歌詞の後半は、明治の末に来洛したインドの大公の従者から三高生に伝えられた『雨季礼賛の歌』でボーイスカウトの歌集にも「ヒラミルパニア」の題で収録されているが、「ヂンヂロゲヤヂンヂロゲ」に始まる前半部分の由来、意味は不明である。

大正の中期から始まったが、年に一度だけ、門外不出で寮生以外は見ることのない<秘祭>であった。前説も次第に潤色が進み、死霊による怪談部分を詳細に創作、途中で消灯、蝋燭一本で声色混じりで語り、やがてはそれも消し、暗黒の中で語り終わると同時に、全身黒塗りの室員達が奇声を挙げて飛び出すという演出で、新入生は度肝を抜かれた。

現在なら『人権問題』の声も出そうな<秘祭>だが、当時は稚気溢れる『通過儀式』と考えられていたのである。


最近会報95に三輪佳之氏が「私説・自由寮ヂンヂロゲ」を発表された。論考には歴史的な経緯も詳細に記されている。私の理解の誤りを恐れながら、この論考から知ったことを記しておく。

ヂンヂロゲの歌は、久留島秀三郎(明治44年二部甲)が明治41年にインド人から聴かされた歌『ヒラミルパニア』が、元歌で久留島の実兄がボーイスカウトに持ち込みボーイスカウトで『マイソールの歌』後に『ヒラミルパニア』と改称されて歌い続けられている。三高で歌われるようになったのは大正5,6年頃であるが、戸塚武彦(大正7三部医)によると大正7年頃には「ジンジロゲヤジンジロゲ、ドーレードンガラカッタ、ホーレツラッパノツエツ、マージョリジョーヤ、シッカリカマタリワイワイワイ」の部分もついて『ヂンヂロゲの歌』として歌われていたという。この部分の意味も起源も不明である。この時期『ヒラミル派』と『ヂンヂロゲ派』が混在し次第に『ヂンヂロゲ』に収斂した。

ヂンヂロゲ踊りは起源としては大正5年頃紀念祭の仮装行列で裸にサロン代わりの毛布を腰に巻き身体を絵の具で黒く塗って『ヒラミルパニア』を歌って盆踊りのまねをした(周東英雄(大正7一部丙))のが見られる。『ヂンヂロゲ』が踊りのテーマになったのは大正10年頃で、紀念祭の仮装行列で文科の生徒が裸のまま真っ黒に塗って『印度人尻振りの歌』を歌いながら踊ったという記録(筒井嘉隆(大正13理甲))が残されている。当時紀念祭は一般市民も観覧する評判の催しだっただけに市中に流出し、東京漫才や吉本興業の高座などでもインドの歌として演じられた。大正12年から昭和初期にかけては寮でも新入生歓迎コンパの余興として『ヂンヂロゲ』が群舞された。寮でのヂンヂロゲ踊りは次第に定着して「伝統行事」化していったが、大正8年に作られた『月見草』の物語がヂンヂロゲ踊り前説として合体、潤色され上記の「秘祭」となったのである。戦後昭和23年秋の第80回紀念祭は三高最期の紀念祭となったが、新徳館での前夜祭で有志による「秘祭」の開放公演が行われた。

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その後テレビ番組「探偵ナイトスクープ」にリクエストがあり、平成5年1月京大体育会新年会の席上演じられ、テレビでも放映されたのが最期である。この最期の“ヂンヂロゲ”のビデオは同窓会本部で入手できる(¥600+送料¥500)。このビデオから画像を再生した。左側は西山卯三著「ああ楼台の花に酔う」から。「新入生歓迎の全寮コンパは四月の終わりにあった。・・・余興のジンジロゲには驚いた。芝居好きの「三人吉三」、尺八があり猥歌もでる。・・・」

「寮歌は生きて居る」(昭和38年11月1日初版発行、昭和40年11月1日改訂増補、発行所:旧制高校寮歌保存会)の序文に久留島秀三郎氏が寄稿しておられる。著作権の問題があることは承知の上でここに部分的に引用しておきたいと思う。異議を受ければ抹消する。

(前略)『三高歌集』の中にジンジロゲと題しているのが、ヒラミルパニアの曲であるが、曲の初めに歌われる『ジンジロゲ・・・・』という部分は、誰が作詞したのか、どういう意味なのか、そしていつから歌われたのか、私は全く知らない。

明治四十一年(1908年)私は三高に入学して、ガウスの対数表を買って帰り途に、京都ホテルのそばにある親類、小売りもしている造酒屋に立ち寄った。そこに二人のインド人が入ってきて、酒を飲みたいという。まだ、キャバレエは勿論、バーもカフェーなども京都には無い時代のこと、店先で飲まれても困るので、横の八畳間に上げて飲ませると、ご機嫌が良くなって歌い出したのが、ヒラミルパニアである。居合わせたのが主人の松井(故人)中野忠八(実兄、関西ボーイスカウト創始者、故人)松宮実(現在青龍社々人、号は左京、当時栖鳳の愛弟子)と私の四人。この歌を聞き覚えて、その後、折に触れて歌ったことがある。歌の意味を聞いたようだが、忘れてしまった。ただパニが水で、ガーナが食物とだけはよく覚えこんだ。(中略)

一九五〇年、インド・オリッサ州の大鉄山バラジャムダを訪ねた。或る夜、クラブの客となり、夕食のあと、ヒラミルパニアを思い出して歌ったのであるが、誰も知らなかった。それ故、その歌をABCで、発音通りにつづって、その意味を尋ねたところ、英人二人とインド人2,3人が疑議鳩首の結果、次のように翻訳してくれた。注参照

ヒラミルパニア ジョリナナディーナ

ジョリナナディーナ ジョリナナディーナ

ヒラミルパニア ジョリナナディーナ

アングラナチエ バングラナチエ

ナチエブテルカーナ ウール(ウペル?)シトメンブカリ

ラウババルチカーナ

雨が降ってきた たちまち川と流れる

(繰り返し)イギリス人も踊る

ベンガル人も踊る 踊れよ瓶には酒が

机の上には黒い長い皿にご馳走が

(パニは水または雨、カーナは食べ物、酒にも通じる)

まさに、.これはインドの乾期、一滴の雨も降らぬ乾期、それが九ヶ月も続くので、万物も枯れる思いである。日本ならば三、四月となれば新芽の出る頃、インドでは四十度から四十二度の暑さ。雨一滴も降らねば、木々の葉は枯れ落ちる。木の方からいえば、葉を落として蒸発を少なくせねば、死んでしまうというわけ。全く日本では想像もつかぬ暑さである。(中略)

ところが六月に入ると雨がざっと降る。万人は生き返った思い。 その喜びがこの歌になっていることが判った。

『三高歌集』に出ているのは、大分原曲と違っている。ボーイスカウトの歌集には、早くから正調の音譜が掲載されている。今さら版権を云々するのではないが、この『寮歌は生きている』の歌集には正調のものが載せられているので、私は大変に喜んでいる。

歌詞にしてもパニがパミになりカーナがリーヤに、ナッチェ(踊り)がカッチとなっては、全く意味がない。またこの歌は色っぽい歌だとか申されているが、大間違いであることを強調して置く。

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