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#3300 
アール・ケイ 2002/10/13 02:02
匂い松茸、味シメジ、とはいえ 

>松茸300箱はいずこへ拉致されていったのでしょうか?

篠山産の高級な松茸を食べ慣れている外務省の役人たちが、北朝鮮のキノコなど
口にするとは思えません。
たぶん業者に引き取らしたんじゃないかなあ。
そうすると、小泉訪朝の数日あと、私がデパチカでつまみ食いした
あの松茸ごはんに入っていたのはもしや…(笑)。

>星・天体などが消滅・爆発時に放射される超・微粒子がニュ−トリノ
超新星が大爆発を起こしたり、銀河系同士が衝突したりするときに
様々な波長の光(光には波であると同時に粒子でもあるという性格があります)
を出すと云われています。その中にニュートリノもあるそうで。
星の大爆発時に大量のニュートリノが放出され、ニュートリノには質量がなく
全ての物質を通り抜けてしまうというのが定説でしたが、
いやごくわずかに質量があるはず、質量があるなら地球を通り抜ける間に
観測できるのでは、と推論し設置されたのがカミオカンデだというわけです。
ニュートリノに質量があるかどうかは宇宙の成り立ちを考えるうえで
とても大事なことであります。
以上、付け焼刃の説明で恐縮です。

>週刊文春の林真理子さんのエッセイ
「これって朝日新聞の論調みたい」と自ら揶揄ってますよね(笑)。

小泉純一郎というひとには、遠謀深慮ってないような気がします、
いい意味でも悪い意味でも。
頑固で直情的。そこが国民受けしてるんでしょうか?

http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#3299 
なな 2002/10/13 00:53
気になる

松茸300箱はいずこへ拉致されていったのでしょうか?
今回の松茸といい、真紀子さんの指輪騒動といい、こうした話題で役所の会議が紛糾する国って、他にあるんでしょうか?
タマちゃんとウタちゃんの消息もちょっぴり気になります。



#3298 
ホリ−・ハンタ− 2002/10/12 01:50
滅んだもの の 放射物?

ニュ−トリノ が理論的に、そうゆうものがあるだろう〜と言われたのは
1930年代だそうだから、先年の其れの実物をゲットしようとした
挑戦者たちには、Dr小柴の存在は大きいのかな?
星・天体などが消滅・爆発時に放射される超・微粒子がニュ−トリノだと
聞いたのですが、この表現あってますか?サイエンスに詳しい人おられたら
、訂正ねがえれば。

そういえば、エジソンもニュ−トリノのゲットに挑戦したとか聞いたのですが。
ニュ−トリノは万物を透過するので、幽霊の構成物がニュ−トリノではないかとゆう
彼のトンデモ説(冷や汗)




#3297 
ホリ−・ハンタ− 2002/10/12 01:28
神岡鉱山

Dr小柴の秘密兵器・カミオカンデは、ご承知の通り、かつて神岡鉱山であった
頃の、山をくり貫いた空間に作られていて、そこへ行くにはトロッコで
闇の中を目指し黄泉の地の〜ようなトコロだと、行った人は感想を述べてた、
ニュ−トリノとゆうのが、超微粒子で、それを確認するのに余計な光があっては
邪魔で、かの地のような闇の世界がピッタシだったそうな。
ただ、我々富山の人間には神岡鉱山といえばイタイイタイ病がイヤでも思い出される、
その発信地が、ノ−ベル物理学賞とゆう大それたモノの舞台となったとは
時の流れを感じさせ、また神岡鉱山から神通川を下った富山市の出身の
田中氏がまた化学賞とは、また、何とも。



#3296 
徹夜城(今日は良く書き込んでいる管理人) 2002/10/11 23:47
受賞者一覧

ふとその気になってネット検索をかけてみたところ、ノーベル平和賞の受賞者一覧がみつかりました。↓コピペしてご覧ください。
http://www.kahaku.go.jp/special/past/nobel/plus/peace/
これによると、ホリー・ハンターさんの疑問への回答が出てました。「受賞者なし」の年は初期においては結構あったのです。第二次大戦中などはもろに数年間受賞者無しが続いています(まぁそりゃそうか)。
いろいろと面白かったんでこれも史点ネタだな。



#3295 
2002/10/11 23:38
おお!エライことになってる

科学話はあまり歓迎されないようで(^_^;)、しかし日本人のダブル受賞のさなか、平和賞ネタでアツくなっている版も珍しい(笑)。

>平和賞
そもそも、同時代の政治指導者を受賞対象にすることに無理があるのでは?歴史的にその人の行動が世界平和に貢献したか、なんて問題は50年100年経たないと分からないんじゃないでしょうかね?NGOとか直接平和活動をしている人(団体)の方が無難なんじゃないでしょうかね。ホリー・ハンターさん(はじめまして)のおっしゃる通り骨太に該当者を決めないと賞自体の権威が失墜してしまいますよ。そんでもカーターさんがどのくらい平和活動をしてたのかは知らないんですけどね…その辺は管理人さんが「史点」で調べてくださることでしょう(^_^)





#3294 
徹夜城(仕事を終えて帰ってきた管理人) 2002/10/11 23:12
カーターが夜なべ〜をして、手袋編んでくれた〜♪

下の方の書き込みは仕事に出かける直前に速報を聞いて「一番乗り!」のつもりでスパッと書き込んだものだったのですが、足利高義MARK-IIさんに一歩先を越されておりました(笑)。

帰宅してみていろいろ見聞きしたところによると、ブッシュへのあてつけ、と明白に言っているようですねぇ。まぁそれでイラク攻撃を阻止できるものでもないでしょうけど、ヨーロッパからアメリカへの嫌味の一つも言ってみて気分がいい、というところなのかも。
ただ、実のところ「今年は該当者なし」があってもいいと思うんですよね。さもなきゃホントに「迷惑賞」「平和破壊賞」を設けるとか。

佐藤栄作が平和賞をとったことについては「あれは間違っていた」という関係者の声が最近になって出るなど(史点ネタにしてました)ノーベル賞史上の謎(汚点?)の一つですが、いちおう「非核三原則」が彼の在任中に決まったこと、沖縄を平和的(???)に奪還したことなどが理由ではあるようです。

話が飛ぶようですが、今週号の週刊文春の林真理子さんのエッセイ(日朝首脳会談関係)が妙に私の感性とマッチしてしまいました。そのマッチぶりには実のところ僕も意外に思ってます。ただ掲載している雑誌がまさに林さんの言うところの「煽る男性週刊誌」であるところが面白いところで。文春って雑誌記事と連載コラム陣とでかなりギャップがある週刊誌ですよねぇ。



#3293 
アール・ケイ 2002/10/11 22:04
そして、地には平和を

選定した委員長の発言を聞くと、ほとんどブッシュ政権批判だし、カーター氏への授賞によりイラク攻撃を遠のかせたいという意図があると明言してますね。
平和賞の授賞の歴史はこれまでも政治要素と無縁ではなかったでしょうが、ここまで政治的意図が明確な、“ために与える”ケースというのも珍しいのはないでしょうか。

http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#3292 
ホリ−・ハンタ− 2002/10/11 19:29
ノ−ベル平和賞の権威

あぁ〜あカ−タ−さん に決まったの?該当者無しと言い切って
ノ−ベル委員会には骨太いトコを見せて欲しかった。(しつこい?)
該当者無しの年は、あったんですか?平和賞。

たしか、ロボトミ−手術(前頭葉の一部を切って狂暴な奴を大人しい人に
変えちゃうってオペ)を発明した博士は其れでノ−ベル医学賞を獲ったとか。
発明技術の弊害が見える前に画期的とゆうことで受賞されちゃうんは
仕方のないことなのでしょうか?



#3291 
アール・ケイ 2002/10/11 18:43
ノーベル戦争賞の創設を!(笑)

…ノーベル財団じゃなくて米ライフル協会あたりがスポンサーでね。
もちろん第1回は小ブッシュとシャロンのW受賞です(大笑)。

しかし、消去法で選ぶの止めなよ、ノーベル平和賞。
賞を与えることによってジミー・カーターの発言力を大きくし、
イラク、北朝鮮、そしてパレスチナでの紛争を収めよう抑えようとする、
ノーベル委員会の政治的意図があまりも透けて見え過ぎですな。

ま、佐藤栄作が間違って受賞してからこのかた、この賞になんの権威も意義も感じませんね。

http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#3290 
徹夜城(自分で修正?速報を入れる管理人) 2002/10/11 18:12
おっとそうきたか

つい先ほどの速報。
ノーベル平和賞はカーター元大統領に決まりました。
ブッシュさんに対する強烈な嫌味ととったのは僕だけでしょうか(笑)。



#3289 
足利高義MK−II 2002/10/11 18:11
今年のノーベル平和賞は・・・

カーター元大統領です。
理由は何でしょうか?



#3288 
徹夜城(お風邪など召してしまった管理人) 2002/10/11 15:01
まさかとは思いますけど

ノーベル賞の話ですが、ふと思ったこと。
小泉さんに平和賞がいっちゃって日本がトリプル達成…なんてことは、まさかねぇ。
いや、平和賞は過去にも大疑問のものがいくつかありますから何が起こるかわかりませんよ(笑)。このところは当たり障りの無いように選ぶ方も気を使っている節はありますけどね。
ちなみに昨年は国連とアナン事務総長に贈られたのですが、「アフガンで戦う米英軍に贈っては」と妄言をのたまったのは例の産経抄でした。あなおそろしや(笑)。

>アール・ケイさん
ほうほう、別に「初」でもなかったのですね(ま、私もまだ直接的には描いていないけど)。「草燃える」は実は未見でして。
調べてみると義満さんの周囲には数々の美童が侍っていたということで名前もかなり分かっています。実のところ世阿弥と義満が本当にそういう関係だったかは分からないと思うんですよ。あくまで状況的なものですし…世阿弥については義満だけでなく二条良基なんかもしょっちゅう呼び出して大騒ぎしてたようですからね。
義満周辺の女性関係はこれから複雑化の一途をたどります(笑)。もう「手当たりしだい」という言葉が見事にあてはまる展開になりまして、僕も交通整理に大変なんです。「ここでこの女性が子供を産んでるから、逆算すると…」などと妙な計算を何回もやらされてます(笑)。
系図の件ですが、女性関係だけでなく以前から必要は感じていました。ただ、HTMLでどう表現しようかと迷ってまして。画像データにしてポンと載せときゃいいでしょうかね。

>鵺さん
佐藤進一の「南北朝の動乱」は中公文庫に入ってますよ。「日本の歴史」という分厚い文庫本のシリーズの一冊です。たぶん絶版と言うことはないと思います。

映画「華麗なる激情」をご覧になりましたか。チャールトン=ヘストンはほんと、歴史モノには欠かせない俳優ですね。しかし吹き替えを担当した納谷悟郎さんが「シネマスペクタクル」のインタビューで答えてましたが、「あまり器用な俳優さんではない」んでしょうね。
「華麗なる激情」は三谷幸喜さんの近作「みんなのいえ」の中でも引用されてますよ。僕はあっちを見た後で「華麗なる激情」を見て気がつきました。あの映画、ブラマンテとかラファエロとか教科書でもおなじみの有名人がゲスト出演してて楽しいですよね。
ルネサンスものの映画というと、確かにハリウッド製では少ないみたいですね。本場イタリアでは結構あるんじゃないかと睨んでるんですが。



#3287 
2002/10/11 14:17
十分ありえますね

世間はまさに開戦前夜みたいな雰囲気ですからね…。去年のテロ一連の騒動の反動もあると思うんですけど世界的に今年ははじめから割と静かだったように思います(ここにきて急にバタバタしているけど)、管理人さんも今年は史点のネタがないっておっしゃってましたよね。

ノーベル賞の基礎理念に世界平和を願うってところがあるんでしょうけど、核兵器開発につながる原子核物理関連や懸念されているクローン人間・一連のバイオ技術にかんする分子生物学などの研究に関する賞も結構出されていますよね。昨今の「科学=悪」というちょっと偏見に満ちた考え方からすればそのうち批判が出るかも…

世間じゃ小柴さんより一企業研究者で賞をとってしまった田中さんの方がもてはやされていますね。ノーベル賞の特別報酬が一万円なんて話が出てますけど研究者ってそんなに冷遇されているんですかねぇ?ちょっと前に何かの特許に関する企業側との裁判のニュースも聞きましたし。



#3286 
ホリ−・ハンタ− 2002/10/11 06:20
ノ−ベル平和賞

本年〜のノ−ベル平和賞は〜該当者無し!!
〜な〜んて事もあるんじゃないですか?(寒



#3285 
アール・ケイ(北陸は早や冬支度だった) 2002/10/11 00:12
ムロタイ太平記

>大河史上初の「やおい」的展開が待っていたりするんでしょうか

本家大河では『草燃える』にその手のシーンがあったりします。
確か源頼家の遺児・公暁と三浦の駒若丸が、「そういう仲」になっちゃうのです。
(何せ、シナリオが中島丈博ですから。
 何故“何せ”なのか、は書かずにおきます(笑))
それ自体はどうも伝説、俗説としてあるようなのですが、
『草燃える』ではこれも実朝もろとも北条を滅ぼそうとする三浦義村の陰謀の
一環であった、というひねりが加えられていました。

えー、登場人物(特に女性関係)がフクザツになってきましたので、
ひとつ系図をお願いします、元美少年の世阿弥さま(笑)。

http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#3284 
鵺(風邪をこじらせてマーロンブランドの物真似みたいな声に…) 2002/10/10 23:13
ノーベル賞はわしのもんじゃあ!!

みなさんの真似して肩書きを付けてみました。

 さて日本人のノーベル賞、物理・化学同時受賞ということでえらい騒ぎになってます。ここの話題になる平和賞の発表はまだですけど。ボクは歴史好きだけどサイエンスもずっと好きだったんですね、素粒子関連は高校時代にブルーバックス等で良く読みました、高校物理は苦手だったけど(笑)。で、先ほどETVでカミオカンデ特集やってたんで観ていました。受賞前から取材はしてたって言ってましたが、カミオカンデはちょっと前まで壊れてたから、修理中で水槽内部を取材出来たっていってたんでこれは本当。内容に文句はかったけどやっぱりNHKのキャスターでは今ひとつ、いろいろ批判は受けている人だけ素けどやっぱり立花隆にもう一度取材をしてもらうしか…サイエンス関連でまともにレポートできるのはあの人ぐらいしかいないし。ところで今回の小柴教授ってカミオカンデ創設者らしいけど、ボクは後継者でTVにもメインで出ていた戸塚洋二さんの方は名前を知ってましたけど、小柴さんの方は名を知らなかったなあ。

これだけでは門外漢のかき込みなんで(汗)

>太平記関連
 ようやく義満君メインの話になったんですね、ってボクの方はまだ清氏くん戦死の回まで読みんだとこです。太平記もとりあえずは吉川英治の原作は読みましたが、佐藤進一「南北朝の動乱」が手に入らず(絶版なのかな?)途方に暮れています…。図書館に新潮古典全集の「太平記」は5巻全部あるんですけど、まだあれに手を付けるのは…もうワンステップくらいおきたいな。
>歴史映像街道邁進中
 衛星で録っておいてすっかり忘れてた「華麗なる激情」を観ましたチャールストンさん、お元気そうでした……ルネサンス劇ってあんまり無いのかなぁ?前に話題にでた「シネマスペクタクル」にも載ってなかったし。ダビンチなんかも映画になっていそうなんだけど…。えー、それと映画版の黒澤関連の濃ゆいかき込みも拝見させて頂いてます。




#3283 
徹夜城(これから出勤するスローペースな管理人) 2002/10/09 15:07
「ムロタイ」ようやく更新

…してます。今回からトップタイトル交代。こういう話は書きづらいんだよなぁ…と思いつつ書いたのが今回の内容です(^^;)。

という事務連絡だけというのも味気ないですので。新聞ネタなぞ。
朝日新聞の記事で「170年前のタマちゃん騒動」の話題が出ていました。江戸時代にやはりアザラシが名古屋近辺に上陸しちゃったそうで、見世物にしようとする漁師と海に帰そうとする農民とで訴訟沙汰にまでなったそうで(アザラシくんはその間に早死にしたそうです)。いやはや、人間のやることはさして変わるものではないようです。
とか言っていたらしばらくぶりにタマちゃん出現したらしいですな。



#3282 
ホリ−・ハンタ− 2002/10/08 06:36
新聞

新聞といえば、読売新聞は、この間、北朝鮮との国交交渉開始を
記念?して、かつて北との折衝にかんでいた複数の政治家にインタビュ−
特集をやっていたんですが、

同じ質問で、下記の二人の応えが興味深かったです。

質問『小泉総理は、過去の政府の北へのコメ援助はムダだった〜と発言
してるが、どう思われるか?』

森・前首相『小泉クンは、先輩らに対して失礼だ。』

野中・前官房長官『それに関しては率直にお詫びしたい。
しかし人道的判断で行ったことで、その行為の是非は
後世の歴史的判断に委ねたい。』





#3281 
徹夜城(なぜか数学と理科を教えて帰宅した管理人) 2002/10/07 23:24
web版ならではのチョンボ

>アール・ケイさん
小泉支持率上昇はマスコミ人の大半にとって「意外」だったみたいですね。産経ですが、「平和ボケ」の語は出てこなかったように思います。「情と理を分けた国民の判断」だとか書いていた覚えはあります。まぁ一応「愛国」を唱える彼らとしては国民を悪く言うわけにはいかないという屈折したところもあるようで(笑)。
その産経ですが、今朝web版で非常に面白いミスをしていました。例のビンラディンがアメリカへのテロを予告したとか言う録音が出たという記事で、ビンラディンの写真の下のキャプションになぜか「上海・黄浦江でクルージングを楽しむカップル」という文が表示されていました(爆笑。もう一人はどこやねん)。残念ながら昼ごろには修正されてしまっていたようです。保存しておけばよかったかな。

都知事のことですが、僕などは彼自身は総理になろうなんてこれっぽっちも思ってないんじゃないかと思ってます。本気なら国会議員辞めなかったでしょうし。周りでかつごうとあれこれ動いている連中がいるのは確かですけど、先日どっかのインタビューで「下心のあるやつばっかり集まってきてやだ」という趣旨の発言をしていたこともあります。ええかっこしいの彼は首相になるなんてカッコ悪いことをできる性格じゃないんじゃないかと思うところも。



#3280 
アール・ケイ 2002/10/07 01:27
ニュースの無い日は無い

「スイス国連加盟」という話題は他の時期時代だったらもっと大きく取り上げられたことでしょう。「USA国連脱退」なんていうこともあり得るなあ(そこまで国連当局が度胸が据わっているとも思いませんが)とも思える昨今であります。

「北朝鮮訪問で小泉首相支持率アップ、国民の大多数は正常化交渉開始に賛成」という事態に産経あたりはどう反応しているのでしょうか?「やはり日本人は平和ボケしてる」とでも書きたいんでしょうな。

パンドラの箱が地球上のあちこちで開けられようとしている感じがします。「地獄の釜」と言い換えてもいいかもしれませんが。日本経済はカタストロフに向けて一歩一歩進んでいるようですが、これで誰も小泉首相を降ろせなくなりました(また経済と外交、この難局をあえて引き受けたがるまともな政治家もいないでしょう。あっ石原がいたけど、まともじゃなかった(笑))。

http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#3279 
徹夜城(ようやく更新作業をした怠け者の管理人) 2002/10/06 23:16
やっとこさ「史点」更新。

なぜかアップ直後にトップページだけ更新反映が遅れることがあるのですけど、二ヶ月近くぶり(!)に「ニュースな史点」を更新しています。一部記事はかなり書き上げていて二週間ばかり中断(というよりほったらかし)状態になっていたため、今読むとやや時期ズレ、ネタ古の観が否めないものもありますが、まぁ面倒なんでそのまんまにしました(^^;)。
他にもいろいろ捨てがたいネタがありまして、それは次回更新時(できれば今週中)にまとめておきたいと思います。特に歴史ばなしではかなり良いネタがありましたんで。

ついでに「男子の本懐」を名画座に入れてあります。まだまだ知らないものがいろいろあるなぁ…と思うのでした。幕末ものの時代劇映画でもまだまだ見てないものが多いですしね。

ところで「ムロタイ」ですが、書いてはいます。現時点で完成度70%(汗)。構想やり直しもかなりありまして…もうトップタイトルは義満にした方がいいんじゃないかという展開になってきております(康暦の政変で交代予定だったんだけど)。早くも新参女優陣が火花(?)を散らす展開となっているのですが、もうちょっとお待ちください。



#3278 
阿祥 2002/09/30 01:23
ロシアの外交資料についての雑感

奥野様、レスしていただきありがとうございます。

個人的に思うのに、中国の歴史書だけによる中国史の理解というだけでは、特に外交のような問題については客観的には見えてこないのでしょうね。中露外交についての資料が中国よりもロシアによく保存されているというのは、想像するに中国における外交の意味と、ロシアにおけるそれとが大きく異なっていたと言うことではないしょうか。中華帝国に於ける中国と外国との関係は、もしかすると、国内の省や藩属国ほどの重要さを持っては認識されてはいなかったのかもしれません。お互い独立した対等の国としての外交と、中華帝国という自己中心的な世界観を持つ国としての外交とでは物事に対処する基本的態度が異なっていたのだと思います。

台湾の研究にオランダ人の記録が重要な意味を持っているのは、これらの記録が近代資本主義に近い商人の目で定量、相対的に観察が為されているからです。日本史においても平戸や長崎のオランダ商館日記など、その重要さを見いだされ基礎的資料として翻訳されています。台湾の学者も日本の歴史研究の伝統を受け継いでこれらの西洋の歴史資料に取り組んでいます。(そもそも、日本のこういった歴史研究の態度も明治時代のお抱え外国人教師から受け継いだものらしいですが。)オランダ以外にも、日本戦国史の研究における南蛮資料の重要性については松田毅一氏の著作などで紹介されています。

これに比べて中国の歴史資料は、中国にとってかなり主観的にかかれ、また、数量的把握については西洋の資料に対して大きく遅れを取っていると聞きます。黄仁宇氏は明代の税務を研究して、政府の経済観念の薄さを述べていたと思います。(直接資料に当たっているわけではなくあくまでも聞きかじりですが)もちろん、人間個人に対する関心や、地方から中央における膨大な資料の存在など、中国の歴史資料としての重要性には疑いは無いと思うのですが、それを補完するような他者の異なった価値観から見た記録も大事だと思うのです。

と言うわけで現代ですが、中国歴史学界ではどういった取り組みがなされているのでしょう。杉山氏の業績についての話がありましたが、これは日本人のものですよね。中国にもこのようにモンゴル語、モンゴルの立場から歴史研究をするというような人たちはいるのでしょうか。その他の民族についてはどうなんでしょう。中国に行ったらそういった本もあるに違いないと思うのですが、残念ながらまだ一度も行ったことがないのです。




#3277 
ホリ−・ハンタ− 2002/09/29 10:59
原田芳雄さんスイマセン

原田芳夫サンじゃなくて原田芳雄サンでしたねスイマセン。

ってコレだけじゃ寂しいので。

>高杉晋作 氏の写真
初めて見たときの感想、長ぇぇぇぇ〜顔だなぁ〜と。アントニオ猪木サンと
元バレ−全日本の川合サンとイイ勝負だなと。彼は、しかし、チョンマゲ姿より
やはりザンギリ頭が似合うな〜と。とゆうか晋作サンのチョンマゲ姿の写真って
あるのでしょうかね?日本でマゲがスタれたのは晋作サンにとって
良かったのでは?と個人的には思います、それと晋作サンはスキンヘッドに
してた時期もあったそうですよ、長州藩が保守反動派に掌握された時期に。





#3276 
エリス 2002/09/29 09:07
大陸文化と日本人

>管理人様

 どうもレスありがとうございます。
 どうも、いささか感情的になりまして申し訳ありません。
 遣唐使のことはまさにそうですね。今手元にある右派系の雑誌にも、投書欄に「遣唐使廃止を英断した菅原道真のような人物が政界に現れないものか」といった意味のことを書いて、中国へのODAをやめるよう提案していました。ODAについてはともかく、何でそれが遣唐使とかぶるかな〜とは思いますね。その投書では菅原道真のことを妙に持ち上げていましたが。当時の唐の国力が衰えていたのは事実ですし、渡海の危険のわりに得られるものがない、大陸文化は半島から充分入ってくる、ということで遣唐使をやめたのですが、その後も大陸文化が日本で大きな位置を占めていたのも事実です。
 遣唐使のほかにも南宋がモンゴルに滅ぼされたが、日本はモンゴルに勝った、ということも言いたがる人多いですよね。ある本によれば日本人は南宋滅亡によって中国への敬意を失った、もはや学ぶべきものがなくなったと考えるようになった、というのですが、その後の明王朝建国からの日本人の活動をみていると、大陸文化の影響とそれへの憧れはまだまだ大きかったと思います。



#3275 
徹夜城(相変わらずいろいろ抱えて苦戦中の管理人) 2002/09/29 01:07
明日こそ何か更新を(汗)

ふえ〜なんだかんだでこの一週間、なんも更新できなかったです(涙)。

>手塚漫画と野球漫画
原田さん、まぁ手塚漫画だって「歴史」の範疇ですよ(笑)。そういう拡大解釈がまかり通るところがここのいいところですし。
アール・ケイさん、さすがは(^^)。呼んでみた甲斐がありました。
確かに手塚ワールドではスポ根ものは無理がありましたかねぇ…現実的に考えるからというより「熱血」になりえないということだったんでしょうね。
野球漫画としては僕は実は水島新司ワールドの熱狂的ファンだった時期もありまして、水島漫画における野球と漫画の議論なら僕も一冊本が書けそうです(笑)。
水島さんは「巨人の星」なんかについては「野球を知らんやつが書いてる」と最初っから喝破されていたそうですね。水島さんの作品だって相当非現実的な無茶をしているのですが、その「嘘」のつき方にしっかりとした根拠があるというのがこの人の作品の魅力ですね。白土三平の忍者劇画に通ずるところがあるなと思うときがあります。
野球を知らなかったと言えば、ちばてつやさんが「ちかいの魔球」でピッチャーマウンドの存在を知らず全く描いてなかったというのは有名な話ですね。その後全集版では書き加えているそうですが、よけいなことを…(^^;)

>エリスさん
うーん、いささかお怒りがこもった書き込みですね。
 ところで岡田氏はさすがに言いませんが、日本の右翼思想における歴史観で中国とのからみでよく出てくるのが「唐までは確かに日本は中国に学んだが、唐帝国崩壊過程にあたって“もう学ぶべきものは無い”と判断して遣唐使をやめ、以後は文化的には学んでない」という妄説です。西尾幹二氏の「国民の歴史」なんかにその典型を見ることが出来ますね。この手の人たちは遣唐使廃止を妙にエポックとして取り上げたがる傾向があります。
 これが余りにも事実無視の妄想であることは鎌倉・室町の外交史・海外交流史を見れば明白なこと。少なくとも鎌倉以後は連綿と日本の知識人が中国にわたり、中国の知識人も日本に渡って中国文化をジャンジャン輸入していました。「ムロタイ」でも出てくる話ですが、当時の高名な禅僧には中国にわたったことで箔がついた人も多く、禅僧達は外交官のような役割をも担ってました。禅宗だけでなく朱子学だの陽明学だのもみんな中国から来てるんですけど、あっち方面の方々は無知なのか意図的なのかそれを無視して語るんですよね。経済面でも鎌倉・室町・戦国を通して日本で流通していた貨幣がみんな中国からの輸入銭でしたし。
 最近も某週刊誌の最終ページコラムがやっぱりこの手の妄説を書いていたもんで、ついつい長く書いてしまいました(笑)。つくづく思うんですが、これまでの日本の歴史教育って特に外交史が弱かったんだよなぁ…それがこうした見方の出る一因かと。今はそれなりに改善されつつありますけど。

>ホリー・ハンターさん
『奇兵隊』は日本テレビ製作です。DVDも出ていますから、お探しになってみては?
「竜馬暗殺」、僕は見てますが「名画座」に入れてなかった…そう、竜馬役は原田芳雄です。司馬遼太郎のような青春さわやか好男子、ではなくドロドロと汗臭く結構遊び人そうな奴です(笑)。中岡慎太郎は石橋蓮司でした。濃いです、この映画は(笑)。
松田優作の役どころは案外地味でして…フィクションキャラで竜馬が隠れている家の、女の弟じゃなかったかな?竜馬を狙ったりもするけどうまくいかない、ちょっとコミカルな役どころだったように記憶してます。
竜馬ものだと「竜馬を斬った男」ってのもありますねぇ。僕は未見ですが。



#3274 
ホリ−・ハンタ− 2002/09/29 00:19
ドラマ『奇兵隊』は

私、見てないんで、TBSドラマ『奇兵隊』
そうですか、暴れん坊将軍が高杉 役で中村まさとしサンが桂 役
だったんですか。わたしの個人的には、故・松田優作さん が
高杉 晋作を演じたらどうだったろうな?というのはあります。
優作さん は長州(下関)出身だし、そうゆう企画が振られれば
けっこう乗り気になられたんじゃないかな?優作さん は確か
映画『竜馬暗殺』で出てたんじゃなかったですか、当映画は
見てなくて誰を演じたか知らないのですが。
竜馬 役は原田芳夫さん じゃなかったですか?



#3273 
秦太 2002/09/28 20:32
昭君出塞

 博多に「福岡アジア美術館」という、アジアの近現代美術だけを扱ったユニークな美術館があります。その収蔵品に、あいさんがフフホトでご覧になった銅像とおそらく同じ視点で描かれた『昭君出塞』があります(常設展示ではない様)。現代中国の画家張洪賛の作品です。
 この絵の王昭君は、背筋を伸ばし凛とした姿勢でラクダにまたがり、表情には自信と誇りを備え、古典的な悲劇のヒロイン像とは正反対です。先導する単于らしき人物はものすごく優しそうな顔で昭君に笑顔を向けています。呼韓邪単于にしては若すぎるのはまあいいとしても、ターバン巻いたアラブ人みたいな服装に描かれているのは何のつもりでしょう?画面全体から民族融和のおめでたい雰囲気が伝わってきます。ラクダまで嬉しそう(笑)現代中国の王昭君への評価がとても良くわかる一作です。

 また話題に便乗させてもらって(笑)、岡田英弘氏の著作『世界史の誕生』を以前読んで仰天した記述がありまして、それは、「王昭君は元帝の皇后王氏の一族で、すなわちこれから二十五年後に漢の帝位を乗っ取る王莽の一族ということになる。」という一文です。王莽と王昭君のイメージのギャップに混乱したのを覚えています。王昭君が外戚王氏の出身だという記述はこの本以外で見たことがないのですが、裏付けのある話なんでしょうか?
 計算してみると、王昭君降嫁のBC.33年に王莽は13才。一族だったら二人は顔見知りだったかもしれないな、なんて空想してしまいます。思えば王昭君の努力ないし犠牲は、数十年後この親戚(?)の小僧によって台無しにされてしまうわけで、うまく膨らませれば歴史小説が書けそうなネタですね。



#3272 
エリス 2002/09/28 19:58
唐王朝は中華の王朝です!

 唐はトルコ系遊牧民の王朝で、漢民族の王朝ではない、したがって中華の王朝でも文化でもない、などという輩がいるそうですが、そんな奴らは死んでしまえ、です(いや、そこまで言わなくていい)確かに遊牧系の文化と血は入っていたとは思うけれど・・・。
 日本は島国で、長らく文化文明の辺境の地でした。だから外からどんどん他民族が入ってきて、自分たちと同じ文化に同化してゆく、そして同じ文化を持つようになれば人種外見が異なろうとも同じ仲間としてみなす、というのは理解しがたいでしょうが(といっても私だって日本人なのですが)



#3271 
ホリ−・ハンタ− 2002/09/28 01:08
高杉の上海日記は

>徹夜城さん
高杉晋作の上海の紀行文は、彼の伝記には定番で出てくるもので、
まぁ、本によって解釈は若干違いますが、大筋は似ているようです。
僕が読んだのは、中公新書の『高杉晋作』奈良本 辰也 氏 著作で
だいぶん前に読んだので、当の本は絶版してるかもしれませんし、
手元にその本が無いため、私のウロ憶え です、すいません。

高杉 氏が上海行き後、まっさきに行った事件といえば、
英国公使館焼き打ち事件ですね、もっとも死人の出ない程度に
放火せよって主旨のテロだったようです。



#3270 
2002/09/27 20:32






#3269 
アール・ケイ 2002/09/27 12:24
呼ばれて飛び出て…手塚ばなし(笑)

手塚治虫とスポーツマンガですか。

はい、私、このテーマで本1冊分ぐらい書けます(笑)。
手塚マンガ論、手塚治虫という人間の本質、手塚的マンガ世界の流れと非手塚的マンガの変遷…。
早い話が、手塚さん、スポーツに対しては野次馬的な興味しか持っていなかったんですよね。
球技音痴だったみたいだし(子供の頃スポーツで得意だったのはマラソンだけ)。
あと、手塚マンガのカラーって(“科学者”手塚治虫自身の性格を反映して)
どこかクールであり達観していて、スポ根ものは向いていません。
スポーツ、格闘技の世界って、それはそれで完結してますよね、現実の世界や社会と切り離された形で。
それが手塚治虫の描く世界(個人−家族・友人−それを取り巻く社会−地球−宇宙、という広がり)と
相いれないわけであります。

手塚マンガにネタとしてスポーツが登場することは珍しくはありませんが、主題ではないですね。
タイガースという名のアマチュア野球チームが登場したり(どうも阪神ファンだったみたい)、
四谷怪談のお岩さんに救われた戦災孤児の少年がスワローズで活躍したり、
野球のゲーム中の殺人事件をミステリーとして描いたり、
あと、本筋とはあまり関係なしにやたらと柔道や剣道シーンが登場したり…
(これは人気取りだったと述懐してます。でも手塚さん、そういう格闘シーンのことを
云うに事欠いて「ぬかみそサービス」(笑)と呼んで嫌ってました)

えー、『海のトリトン』は連載時(なにせサンケイ新聞連載でしたから)『青いトリトン』という
タイトルでありましたが、アニメ化時に変更されました。
当初スポ根ものだった、というのは手塚さん一流の表現であり、やはり海を舞台にした人間の
少年たちの冒険活劇を構想していたようです。ところが、脇役だった筈のトリトンが自然と
ドラマの前面に出ていき、人間以外の種族同士の争いを描いた海洋SFと変化していったのですよ。

http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#3268 
2002/09/27 08:06






#3267 
原田 実 2002/09/27 01:11
手塚治虫先生のスポーツ漫画

『海のトリトン』は最初,水泳部を舞台にするスポーツ根性物にする予定だったのですが、主人公が「人魚のように」泳ぐ描写に力を入れるうちにぜんぜんちがう方向に話が進んでしまった、と手塚先生ご自身が書いておられたことがあります。スポーツ物を描こうとすると、根気が続かない、その点ははっきりしておられたようですね。
ちなみに梶原一騎先生は、格闘技は自分でもやっておられたのですが、野球にはまったく知識がなく、だからこそルール無視やセオリー破りの魔球がいくつも生み出せたと聞いております。梶原先生の野球物には主人公がいきなり空手を始めて何漫画だかわからなくなる、というパターンもありましたね。
何だか最近、歴史とは言いがたいテーマの書き込みばかりやっているような・・・


http://www8.ocn.ne.jp/~douji/


#3266 
徹夜城(自分もお久しぶりみたいな管理人) 2002/09/27 00:09
管理人しばらくぶり書き込み

どうも〜。管理人の徹夜城です。一応毎日覗いて書き込みは拝読しておりましたが、書き込みをするだけの気力が残ってなくて、しばらくレスを怠っておりました。
この時期、某予備校系学習塾の全国テストがありまして、その採点作業で数日つぶれておりました。ここまで書くと関係者が万一見ていた場合わかっちゃうのですが、まぁ別に問題作成者でもないし…
今回頭を悩ませたのが、問題の中に「室町時代の土一揆で、なぜ酒屋・土倉・寺院が襲われたのか、“酒屋・土倉・寺院が………から”という形で答えよ」という問題。しかも採点基準では徳政の意味をちゃんと理解していないと駄目、という条件付。模範正解では「土民(民衆)に高利貸しをしていたから」というものでしたが、回答はそれこそさまざまで、かなり判断が難しかったです。なお、単に「金を貸していた」ではペケ。「高利」ということが重要であったようです。
多い間違いが「米を買い占めたから」「売り惜しみをしたから」というもの。それは米騒動では…などと思ってしまいましたが、でも実際のところはわからないんだよなぁ。バツにしましたけど、「彼らが金を持っていたから」というのもあながち間違いではないような気もするし(笑)。
歴史の定番問題ってアカデミックな立場から見れば「そうとも言い切れないんじゃない?」ということが正解であることが少なくありません。僕がよく挙げる例が「勘合」の使用理由を書けという定番問題で、正解は「倭寇と正式の貿易船を区別するため」となっているのですが(受験体験者は分かりますね?)、これは学術的にみるとかなり問題があります。その辺は「俺たちゃ海賊」コーナーでも見ていただくとして…

さて、枕はそんなところで(高校時代、ちょこっと落研にいた過去がこうさせるのかも)怒涛のレスです。

>ホリー・ハンターさん
高杉晋作の上海紀行、面白そうですね。確かに物見遊山ばかりの旅ではなかったようですが…尾鳩さんが書かれているドラマ「奇兵隊」でも冒頭でこの上海旅行が描かれていて、晋作の行動の大きな動機になるという形になっていました。
清人とシナ人の区別ですが、やはり役人と庶民の違いをそう表現しているんじゃないかなぁ。欧米人にこき使われる苦力なんかが「シナ人」なのかもしれないし。僕も読んでみようかな。何という本になってるでしょう?

>あいさん
おお、あの銅像を実際にごらんになっているんですね。まぁ現在における王昭君の公式的位置を象徴するものといえるでしょうね。
王昭君を「悲劇」と見る見かたに、彼女が夫の死後、その息子とも結婚したことが儒教的倫理観にそぐわないからということもあるんじゃないかなぁ。これはどうもモンゴルなど遊牧民世界ではよくあったことのようで、僕が愛好してやまずこれについて語りだすと正気を失う映画(笑)「マンドハイ」の主人公も、先代ハーンの后でありながら次のハーンの后(っつっても親子ぐらい違う)になるんですよね。

>貧乏神さん
「談志の本かい?」…僕もまったく同じ駄洒落を考えていたのですが、書き込みの先を越されました(涙)。
「男子の本懐」、ようやく時間が取れて今日見ました。いやー、こんなドラマあったんだってなもんで、近日中に「歴史映像名画座」に加えておきます。
実はひそかに僕も浜口雄幸狙撃を絡めたドラマを書く企画があるのですけど、東京駅のシーンがすでに映像化されていたとは、ちょっと悔しい思いをしました。なお、僕の企画と言うのはあくまでフィクションのエンターテイメントでして、歴史ドラマではありません。
「男子の本懐」、つくづく見ていて小泉内閣の立場を連想させるところは多々ありましたね。お祖父さんも出てくるし(笑)。別にタイアップしたわけではなく、ドラマ自体は20年も前に制作されたものですけど、今見ると恐ろしく符合するところもあります。猪瀬直樹氏ではありませんが、「むかし軍部、いま道路族」みたいなところもあります。
 あのドラマでうまいなあと思ったのが、勝野洋(太平記ファンには赤橋守時!)演じるテロに走る青年の存在。ドラマ自体は浜口雄幸と井上準之助を主軸に彼らをいわば「正義」として組み立ててますが、彼らを葬り去るテロリズムがどうして生まれるのか、その過程にドラマとして踏み込んでいるところがこのシナリオの秀逸なところですね。日本って貧しかったんだなぁ…と。
 それにしても当時の北大路欣也さんは老け役にさすがに無理があるような(^^;)。若いころも出てくるからあのキャストなんでしょうけどね。

>尾鳩さん
お久しぶりです。「極秘情報」についてはうかがう日を楽しみにしております(笑)。その日まで某国特殊情報部員などに消されないようにご注意ください(半分マジだぞ)。どうせ教えてくれるなら、「史点」書く前の方がいいんだが(笑)。
 お話に出てきた松平健主演の「奇兵隊」。一時期連打された日本テレビ系年末時代劇の中では最高峰と呼んで差し支えないでしょうね。松平健の高杉晋作、中村雅俊の桂小五郎(確かに大河ドラマ「花神」では晋作なのでややこしい)、片岡鶴太郎の村田蔵六…とまぁそれぞれ強烈な印象を残してくれました。萩原流行は井上聞多(馨)でしたね。「僕はロンドンを見てきた!」というセリフが印象的。急遽帰国して英語通訳をしなければならずオロオロする伊藤博文もよかった(笑)。アーネスト=サトウ役でデーブ=スペクターも出てますね。

>奥野さん
知識人はともかく民衆レベルではモンゴル支配をどう考えていたか?これは資料的になかなか出てこないことなので難しいんですよね。ただ、過去の歴史からすると、中国の人たちって異民族の侵入、支配を案外あっさりと受け入れてしまうところもありますね。それでいていつの間にか支配者をしっかり中国化していたりする(笑)。モンゴルはそうでもない、との意見もありますが…
 洪武帝が明を興し、元を北方に追いやると、華北方面ではモンゴル風の風俗になっちゃった漢民族がかなりいたようで、彼らに風俗を改めさせています。このあたりがちょっと参考になるかも。
 「滅満興漢」と「扶清滅洋」の問題は僕も以前から気になってまして…このあたり、どなたか言及されている方、いないかな?

>ひでさん
 ひでさんと、奥野さんへのレスになるのですが、岡田英弘氏の最近の著作・発言などは学術的に言っていることが利用されているところと、本人が意識してそういう方面に受けるように言っている所と、両方あるように思えます。後者では僕が「ヘンテコ歴史本」コーナーに挙げている「中国4000年の真実」の推薦文を、あの渡辺昇一氏と共に岡田氏が書いているという例が挙げられます。あんなの中身読んだら「学者」の肩書きを持つ人が推薦書けるとは思えませんので、読んでもいないで推薦している気がします。
 岡田氏が右派系に妙に受けている理由は一つ、「中国ウン千年の歴史なんて大嘘だ!」という主張に尽きるでしょう。とかく中国史に対してコンプレックスを持ちがちな日本崇拝論者にはこれが受けるんです。その根拠はと言えば漢民族ではない王朝がしばしば入るからって程度の話ですけどね(そこにおける漢民族の定義って?)。唐を「トルコ王朝」などと断言されてしまうとこちらもさすがに引きます。

野球漫画の件ですが、手塚治虫に関してはアール・ケイさんのコメントを待ったほうがいいかなぁ(笑)。
 そういやあ11月3日文化の日を「漫画の日」にするとか、やなせたかしさんら漫画家が先日ブチあげておられましたが、公式コメントはなかったものの、これって手塚治虫の誕生日ってこともあるんでしょうね?明治節でもあるわけだけど(だから「治」なんですよね…黒澤明とあわせると「明治」ってだからどうした)。
優勝を決めちまった西武ライオンズはご存知「レオ」のマスコットですが、これを依頼されてデザインする際のことを、当時アシスタントだった石坂啓さんが書かれているのを読んだことがあります。グローブの持ちかたやら何やら結構いい加減で、「野球には余りお詳しくないな」と思ったとか書かれていました。
連想ですけど、映画「ミスター・ベースボール」で王貞治氏をモデルにした中日ドラゴンズの監督を演じた高倉健さん、演じるまで(演じても?)まるっきり野球について知らず、打った場合どっち側に走るかすら知らなかったとかコメントしてましたっけ。



#3265 
ひで 2002/09/26 23:18
おひさしぶりです

夏の終わりにパソコンがついに壊れて、新型に買い換えてから、
ようやくまともに使える環境が整ってきました。ふぅ、新型G4
で何やって遊ぼうか(笑)。それはさておき、

>杉山正明氏関係
モンゴル史で数々の業績を上げていることは素晴らしいことですが、
とりあえず今後は岩波の世界歴史でアジテートしたり、翻訳書の訳文のなかに
個人の見解をわざわざ書き加えたり、といったことはして欲しくないです。

>岡田英弘氏関係
今は絶版の「康煕帝の手紙」は復刊して欲しいですね。あれは結構おもしろい
本でしたし。でも、ここのところの氏の本はちょっと・・・。

最近本屋で「戦後野球マンガ史 手塚治虫のいない風景(平凡社新書)」という
本を見かけました。ぱらぱらと斜め読みした程度なのですが、戦後間もない頃から、
最近までの野球マンガを扱った本でした。で、そのなかに手塚治虫は野球マンガは
1本しか書いていないし、しかもそれも野球マンガというものとはかなり違うSF
のようなものだということがかかれていました。いろんなジャンルの漫画に手を出
した手塚治虫氏がなぜ野球漫画を書かなかったんでしょう?そもそも、野球に限ら
ず、手塚治虫のスポーツ漫画というものを読んだ記憶が全くないのですが・・・。




#3264 
ホリ−・ハンタ− 2002/09/25 23:18
観光でも無さそう

くどくてスイマセンが高杉晋作・上海紀行文を読んで。
彼はこの旅行では、飲んで遊んでただけではないようです、
清軍の練兵を見学したり、上海が当時、長髪族に包囲されてた
ようで、その防衛陣地へ見物に行ったりとウロウロしたようです。
彼の観察では、
『清の軍隊は、大井貞広の兵法と似た感じがするが、
銃隊の合図には金鼓を使うのが変わってる、ただ、
銃は、シナ式銃が大半で、清の守備隊長が言うには
全軍に西洋式銃が普及すれば長髪族は駆逐できるのに
との談』
彼は、思うところあってか、この旅行でピストル1丁と
米製7連発銃を1丁買った〜と記述してました。



#3263 
奥野 2002/09/25 16:03
太平天国と義和団

>徹夜城様、エリス様

洪武帝に関する詳しいご説明、ありがとうございました。洪武帝の立場は、民族主義(徹夜城さんが書かれているように、近代的なそれとは違うのでしょうが)と革命説の混ざり合ったようなものだったのでしょうかね。考えてみれば、中国の民族主義というのはなかなかに面白い存在だと思います。一方で漢族という存在があり、他方で文化中心的な「中華」という概念があり、ヨーロッパ的な民族主義では割り切れないようなものを持っているような。
そういえば、僕が高校の頃(もうずいぶん昔です)に習った世界史の先生がこんなことを言っていました。「滅満興漢」をスローガンとした太平天国の乱は、民族意識の覚醒という世界史的な流れに沿っているが、「扶清滅洋」を唱えた義和団は、ナショナリズムの観点からすれば却って後退したことになる、と。そのときはそんなもんかなと思って聞いていたのですが、今にして思えば、あまりにヨーロッパ的な近代ナショナリズム運動を絶対視しすぎているような…まあ、いい先生でしたけどね。評価の基準はおくとしても、歴史を単なる事件の羅列ではなく、1つの流れとして理解させようとしていました。おかげで、世界史への興味がより大きくなったと思います。

ところで、支配エリート層ではなく一般の民衆が元朝の支配をどう受け止めていたか?これはなかなか難しい問題だと思います。例えばやはり多民族国家であったオスマン帝国でも、支配下にあったバルカン諸民族(セルビアやブルガリアなど)に対する収奪・民族的弾圧などが激しくなるのは、帝国そのものにガタがきていた末期の話で、最盛期には比較的よく収まっていたと言えるそうです。従ってモンゴル帝国などでも、支配システムがうまく機能していた時期をとるか、それとも体制全体が老朽化していた時期をとるかで、評価はまったく違ってきます。この辺りの時間軸をすっ飛ばして、「いい王朝だった」「悪い王朝だった」とやっても無意味な気はします。もちろんこれは異民族支配に限らず、全ての体制について言えることなのでしょうが。

岡田英弘さんですが、伝統的な中国研究に対してかなり異なった見方をされているようなので、その辺りが右系に喜ばれているのではないでしょうか。「悪の帝国」ソ連なき今、ナショナルな方々にとっては中国叩きがトレンドとも言えますからね。中国という仮想敵国がなければ、アメリカと結びつく根拠も薄れてしまいます。今の保守知識人にとって、アメリカをどう評価するかは大きな問題だと思うのですが、中国が脅威であり続けている間はそこから逃避することができるわけだし。
しかし問題は、そういう流れを岡田さんご本人がどう受け止めているかですが…

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/6218/


#3262 
尾鳩 2002/09/25 11:41
徒然なるままに

お久しぶりです。

ホリーハンター様
晋作さんは、諸葛亮がお好きだったんですか。それは、ちょっと以外でした。
まあ、当時においては、三国志の中の英雄といえば、諸葛亮だったのかな、やっぱり。
最近の風潮からすると、諸葛亮の功績の再検討と曹操の再評価が主流のような気がするので、今の若い創業者とか政治家に同じ質問をすれば、曹操と答える人間が多いのではないかと思います。
晋作と言えば、奇兵隊、実は最近になって初めて松平健主演の「奇兵隊」を見ました。
松平健の晋作、うーん、ちょっと違うだろ、という程度で見たんですけど、けっこうはまっていたような。というより、健さん、けっこう楽しんでいるなあ、って感じがしました。
14代将軍が加茂神社を訪れた際、「いよー、征夷大将軍」と健さん晋作が叫んだ辺り、爆笑してしまいました。将軍はあんただろうって。どうも、暴れん坊将軍のイメージが強くて。
また中村雅俊さんが桂小五郎を演じてましたが、大河ファンからすれば、中村さんの方が晋作のイメージが強いんでしょうね。
はまり役は、萩原(荻原?)流さんの井上馨でしょうね。見事でした。
あと、竜馬の武田てつやさん、これは明らかに楽しんでいるだけじゃなく、本人になりきっている観が強かったです。よほど、嬉しかったんだろうな。「浪人1985」っていう映画でも坂本竜馬を演じてましたけどね(ちなみに高杉晋作役は、なんと吉田拓郎でした。壊れすぎてましたけど)。

異民族の結婚
あいさんと同じく、私も異民族に嫁いだ漢族女性って、けっこう幸せだったと思います。
王昭君の話しは、悲劇としてちまたに伝わっていて、本人も最後に自殺したことになってますけど、実際は、子供を2人も儲けて、最初に嫁いだゼンウが死んだ後は、その子に嫁いで、これも子供を儲けて天寿をまっとうしていますからね。私も1週間くらい、遊牧民と暮らしたことがあり、大変な生活であることを実感しましたけど、窮屈な宮廷暮らしと比べれば、案外心地よい場所だったのかもしれないですからね。

北朝鮮関連
小泉さんの支持率がまた急増したらしいですね。北朝鮮訪問がどの程度影響を与えたのかは、よく判らないですけど。実際、死亡確認もとれていない事例も多いらしく、北朝鮮もどの程度本気なのかは、まだまだ判らない部分が多いと思いますが、予想以上の成果と捉えられている向きが強いのでしょうか。
この訪問をどこが画策し、というか誰が画策し、実行させたのか。
どういう裏工作があり、どの程度の準備があったのか。
かなり、知られていない部分も多いと思うのですが・・・実は私、(声をひそめて)仕事柄有力情報、を握っているんです。
この場で公表できないのが残念なんですけど、管理人さん、冬に日本で会えたらそのお話でもしましょうか。



#3261 
ホリ−・ハンタ− 2002/09/25 07:01
清人とシナ人

高杉晋作 氏の上海・紀行日誌では、
彼は、気の合った清人らと会食、街を練り歩き、筆談した〜とゆう記述が。
筆談〜とゆうので、紙に字を書き合って会話をしてた?
晋作サンは三国志では誰が好きか?とゆう問いでお互い
諸葛孔明と答えた清人とは特に意気投合した〜などと記述。

晋作サン自身、裕福な家の出身だし、彼は予備知識も無く
上海へ来たわけで、彼のつもりでは、清人とシナ人の違いは
単に裕福か否か〜の違いかもしれない。



#3260 
Etusho 2002/09/25 01:40
弁髪?

滅多に書き込みませんが、こういうアプローチもありってことで書き込みしてみました。

> 「清人」と「シナ人」
この「シナ人」は「インドシナ人」の略では?
当時、阮朝大南国はフランスの直轄地となりかかっていた時代です。しかも南中国沿海部はマージナルな地域で19世紀まで、漢越入り交じった海賊が横行していました。南中国の上海にヴェトナム人がいてもおかしくはないと思います。ついでに言うと、阮朝大南国は弁髪ではなく結髪でした。

また、いちおう華僑の線も考えました。しかし、18世紀末の東南アジア大陸部だと明からの亡命者が入植していたので長髪は確実でしたが、19世紀末サイゴンの華僑・華人達は弁髪でしたので、ちょっと微妙です。他の地域の華僑・華人達も清朝の風俗だったようですね。

お目汚しですが、こういう意見もある、ということで。
それでは。



#3259 
なな 2002/09/24 23:43
時間を体感

>貧乏神さん
「よど号」は愛称でしたか。積年の疑問がとけました。ありがとうございます。
この呼び方のせいで、子どものころは「船の事件」だと漠然と思っていました。

先々週あたりからテレビがぶっこわれそうで、音声は大丈夫なんですが、画面はしましま&ゆらゆら状態なのです。副機長が「ハムの人」だと最後まで分からなかったくらい。なぜか釈由美子が映る時だけ画面が比較的まともに戻る…。
というわけで、私は音声に頼って理解していたせいか、演出その他の部分はよく分からなかったですね…。
内容については、テロップで「事実に基づいて再現してます」らしきことが出ていたので、頭から信じて見ていましたが(汗。
まあ、もっと知りたければ自分で本を読むなり、ネットで探すなりすればいいので。
ドラマで得られた収穫は、「拘束された時間の長さ」を何とな〜く想像できたことでしょうか。これまでは解決までに何時間・何日を要したと言われても実感がわかなかったから…。
それにしてもmyテレビよ、お財布に余裕ができるまで死んではならぬぞ。



#3258 
貧乏神 2002/09/24 20:55
談志の本かい?

「そのとき」で浜口雄幸暗殺をやったと思ったら、その後の「アーカイブズ」
で「男子の本懐」の再放送をやってましたね。かなり懐かしい映像でした。
本放送当時は確かまだ未成年だったので、話の内容に把握しきれない部分も
あったんですが、今になって見てみるとなかなか新鮮でした。そういえば、
浜口内閣の最後だか、次の若槻内閣のときだかに、小作法、組合法、婦人参政権
法なんかが衆議院を通ってるんですね(当然の如く貴族院で廃案)。これは知らな
かったのでかなり意表をつかれました。

>満州人と漢人と弁髪

満州人と漢人とで、着てるものなんかが違う、とかいうのがあったような気も
しますが、記憶違いかな。あと、満州人の女性は纏足しないとかいう話もあり
ましたが、清末にはかなり満州人の生活が漢化して、あまり区別がつかなく
なってたようでもありますけど。
そういえば、漢人にも弁髪を強制ということは、やはり蒙古人とか他の少数民族
なんかも弁髪にしなきゃいけないわけですよね。一時滞在の外国人は別なんで
しょうけど。
ちなみに、弁髪を逃れる抜け道は出家して僧侶になることだったようです。
まあ有名な話だとは思いますが。しかし、髪が薄くて、弁髪したくてもできない
人はどうしたんでしょうね。

>「よど号」

便名じゃなくて、一機一機の機体に愛称をつけていたはずです。よど号事件を機に
愛称をつけなくなってしまったようです。なんか、最近また一部で愛称をつけてる
みたいですが。




#3257 
ホリ−・ハンタ− 2002/09/24 19:47
よど号ハイジャック・ドラマ

見ました、感想ですか?まぁ、私が物心ついた時、よど号事件は
すでに過去の事件になってましたし、犯人らの殆どが未だ逃亡中とゆう
ことで、今までは、よど号事件を題材にするのはタブ−視されてた
ような感じはしましたね?捜査は現在も続行中とゆう未解決事件とゆう
のは、やはり当局から待った〜がかかるのかな?と今まで思ってました。
そんな訳でTVで、其れをやっちゃう〜とゆうのは興味を持って見たわけ
なんですが、事件そのもの をほとんど知らない私のような人間が見ると
へぇ〜韓国金甫空港へ降りたのは韓国のハッタリだったのか?と
素直に驚きました。ただ、あのドラマは殆ど狭い機内でのセリフの
やたら多いドラマで視覚的には見づらいドラマでしたね?疲れました
見てて。



#3256 
アール・ケイ、ただいま胃痛中 2002/09/24 16:32
「ドキュ・ドラマ」という造語もあったり…

なな様には申し訳ありませんが、「よど号事件」のドラマは最低の部類でしたね。
日本テレビは、「よど号」であろうが「9・11NY消防士ドキュメンタリー」であろうが、お得意のバラエティの手法で“汚して”編集、放送するもんだから、せっかくの素材だというのに悲惨な出来映えになってしまっていました。これだから、「ドキュメンタリーものはNHKには勝てないなあ」というふうに云われてしまうんですよねえ。日テレでも深夜枠では上質なドキュメンタリーを放送しつづけているというのに(「日テレの良心」と呼ばれているそうです)、この差は何なんでしょう。やはり数字(視聴率)を稼がねばならないとなると、“良心”を捨てざるを得ないのでしょうねえ。
鶴見辰吾氏が演じた「男・山村」こと山村新治郎氏はのちに娘さんに殺され(ドラマでは不慮の事故という表現になってました)、長門裕之氏演じる橋本登美三郎氏はロッキード事件に連座して逮捕、起訴されるんですが、そういうてん末まで描いて欲しかったです。

http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#3255 
あい 2002/09/24 00:07
異民族間の結婚

管理人様
王昭君の銅像、昨年フフホトに旅行した時に見ました。フフホトの郊外に王昭君の墓というのがあって(実際には違うらしい)馬に乗った王昭君と匈奴王が仲睦ましそうにしていたのが印象的でした。昔は異民族蔑視から匈奴なんかに嫁がされてかわいそうというので悲劇伝説が生まれたようですが、仲睦ましそうにしているのは多民族国家を宣伝する中国政府の意図なんでしょうか。私は漢の王宮で大勢いる側室の一人として暮らすより匈奴王の妃になった方が案外彼女も幸せだったのではと思いました。彼女はその後どうなったんでしょうね。チベットのソンツェン・ガンポに嫁いだ唐の公主はチベットに文化を伝えたということでチベット人の間で尊敬されているとききました。中国の皇室は王女を嫁がせて懐柔するということをよくやったのでしょうか。確か「北条時宗」にも元の王女で高麗に嫁いだ女性がチラリと出てきたように思うのですが。清なども王女を蒙古の藩王などに嫁がせて縁戚関係を結んでいます。日本の皇室では異民族と結婚するといった話はほとんどありませんね。李王家に嫁いだ梨本宮方子、皇族ではないですが華族で愛新覚羅溥傑と結婚した嵯峨浩、エチオピヤ王子と婚約発表して結局破談になった黒田雅子などが思い浮かびますが。もっとも桓武天皇の母に見られるように古代においてはたくさんあったのかもしれませんが。

ホリー・ハンター様
弁髪は庶民はしなくてもよかったか?ということですが、たしか庶民も弁髪しなくてはいけなかったと思います。「頭を留めるものは髪を失い、髪を留める者は頭を失う」という言葉があったと思うのですが、これは弁髪に反対するやつは容赦なく殺すという意味です。映画「アヘン戦争」だったかな、海外に密渡航して弁髪を切ってしまった中国人がこれでは国に帰れないというので帽子に偽の弁髪をくっつけたものをかぶっていました。丸い帽子に偽弁髪というものは現在では中国おみやげショップでみかけます。しかしそうすると清人、シナ人の区別はどこでつけていたんでしょうね。清人というのは満洲人に限定しているんでしょうか?それとも清朝に使えている臣下、官吏などをさしているのでしょうか?

清朝では漢化を防ぐために漢人と満洲人は結婚してはいけないという満漢不婚の原則があったそうですが、漢人でも旗人になっている八旗漢人とは結婚してもいいことになっています。つまり旗人か旗人でないかが重要な区別で、旗人同士であれば満洲人、漢人、蒙古人は民族など気にせずつきあっていたらしいです。




#3254 
なな 2002/09/23 23:33
大事件だったんですね

>スーパーテレビ よど号ハイジャック事件の再現ドラマ
後年のテレビ番組などで事件のアウトラインは知っていましたが、細部は存じませんでした。
犯人の要求、日韓両政府が主張する「解決法の違い」、「超法規的措置」がとられた経緯などが順序よくきちんと描かれていて、見応えのあるドラマでした。
平壌に行かせるか否かより、一緒に連れていった乗客が「その後に帰ってこれるか」の方が懸案だったと…。
その割に、事件解決後(平壌到着後)の機長たちの帰還についてははしょりましたね。

日・韓・日航に内緒で、犯人と機長をだまして、「ソウル金浦空港に降ろしちゃった」とは…すごいですね。しかし「平壌に着いた」という演出がもっと徹底していたら、あの時点で解決したかも。
逆に、よど号機長に粗末な朝鮮半島の地図を渡した日本側(日航と日本政府?)の本音は、「日本を飛び立った以上は、後は領空侵犯して、事件を知らない北朝鮮側に撃墜されてもしかたがない」だったりして…。

実行犯が歳をとって帰国を求めているのは前々から知っていましたが、これだけのことをしておいて何を今さら。若気の至りもおそろしい。
念願の帰国を前に、「拉致事件に関与していた」とは口が裂けても言えないでしょうね…。
それにしても当時は機内に持ち込みほーだいだったんですね。
それと、当時はすべての便名に「名前」がついていたのでしょうか?
「よど号」以外では「会社名○○○便」という機械的な呼び方しか聞いたことがないので。



#3253 
ホリ−・ハンタ− 2002/09/23 06:40
高杉 晋作の上海紀行

高杉サンの上海日記では、いろいろな清人、シナ人が描かれてます、
上海の水夫や人夫、奴隷といった底辺の人々から
清軍の将校や貿易商といった裕福な人々まで様々でした。
ところが、彼の描写では、上海の住人を
清人は〜とかシナ人は〜とか、区別しているのです、
初めて中国へ来た彼に見た目で清人とシナ人の区別が
ついたのか?と思いましたが、どうやら弁髪しているか?いないか?で
区別してたのではないかと思います、つまり、弁髪を強制されたのは
役人、高級官僚か裕福な中国人で、それ以外は弁髪はしなくても
お咎め無しだったのか?と思われるのですが。



#3252 
徹夜城(またまた更新を遅らせる管理人) 2002/09/22 23:38
明日は一日中出勤状態

えー、そういうわけで今日一日いろいろぐわんばってみたのですが、「史点」あがってません(^^;)。今回ばかりは「史点」を優先したので「ムロタイ」なんぞ一文字も書いていません。更新あるかと期待していらした方々、すいませんです。明日はそれこそ進みそうに無い…
「史点」もネタを一か月分ためてるともう大変で(汗)。いまごろ終戦関連ネタをまとめ書きしていたら大変な文量になってしまった。「9.11一周年」とか「日朝のいちばん長い日」とか書くのが別の意味で大変なネタもありますしねぇ。
そうかと思えばイスラエル軍がまたぞろアラファト議長の退去を求めて官邸の破壊も辞さずとか現在リアルタイムでやっております。

>原田実さん
おお、そうでしたかぁ、「サムライトルーパー」にそんな事件が。アニメファンには余り深入りしてないので全然知りませんでした。放送事故とはちょっと違いますが、アニメ映画ですと「ガンドレス事件」ってのもありましたね。あれはさすがにマスコミで話題にされましたが。

>あいさん
「毒殺」=「屠殺」ですか。僕は詳しくは知らないんですけど、中国人ってよくこの手の発音類似を使った駄洒落をして、外国人にはさっぱり分からない(まぁ日本人も「掛詞」ってのがありましたが)ということがよくあるようです。
 以前週刊誌で読んだ話ですが毛沢東が晩年にスメドレー(たぶん?)に「私は雨の中を傘をさしていく和尚のようなものだ」と語り、これをスメドレーが「直訳」して世界に伝え、「独裁者の孤独な晩年の心境」などと言われたそうなんですが、これも実は同音を使った洒落で、原文忘れたんですが「ムチャクチャやってる」ぐらいのニュアンスの引っ掛け言葉になるんだとか。

>エリスさん
 現代中国において過去の歴史の民族紛争を描くときは確かにかなり気を使っていて、それがかえって不自然さを招いているケースってありますね。僕が見た映画だとチベットのソンツェン=ガンポを描いた「西蔵之王」ってのがそうだったな。
 かつては漢代に匈奴へ嫁にいかされた「悲劇のヒロイン」だった王昭君も、現在では民族融和・平和交流のシンボルみたいにされているらしく、そういう趣旨の銅像の写真を見たことがあります。

>ホリー・ハンターさん
 弁髪といえば確かに満州族のそれが有名ですが、モンゴルでも似たような三つ編み状の髪型はあるようで、北方民族に共有されるものでもあるみたい。満州族は清を建てて中国全土をわりあいスムーズに征服し、中華帝国としての体裁を整えましたが、この弁髪だけは全国民に徹底して強要したというのが面白いところです。香港で作った鄭成功の映画見てたら、鄭成功に味方のふりして変装して接近する清兵が、かぶとをとったら弁髪が出て正体がばれるというシーンがあったりしました。
 そんなわけで清朝に抵抗する勢力はそのシンボルとして弁髪を斬ったわけですね。

>秦太さん
 杉山さんがあの大河について触れてるんですか。それは楽しみ、覗いてみよっと(笑)。
 まぁドラマの監修なんてのは余りにも根本的に変なところに修正コメントをつける程度のもののようです。すでに出来ちゃってる話の展開にまでは踏み込めないようで。でも「北条時宗」中のモンゴル側の描写やセリフなんかは、かなーり「杉山節」が入っているなと東洋史関係者は思ったようです(笑)。杉山さんはドラマ以外でも「大モンゴル」の監修もされてましたしね。



#3251 
秦太 2002/09/22 18:35
「三国志街道」その後

 今日の新聞を何気なく眺めていたら、「新・三国志街道」という文字が目に飛び込んできました。日通旅行の広告です。いやぁ、ホンマにツアー組んじゃったんですね。浙江省観光局の案内文つきで、NHKで放送されたこともしっかり紹介されていました。
 こんなに早く日本からのツアーを誘致するとは、浙江省観光局、商魂たくましいですね。5日間福岡発着オフシーズンで64,800円と、なかなかお手ごろな料金設定。これなら行ってみる気になる三国志ファンは結構いそうです。
 なお、ツアースケジュールに「劉備村」の文字はありませんでした。番組で取材されたように落選した模様・・・・。

 話題の杉山正明さんの、どっかで聞いたような題名の近著『逆説のユーラシア史』を立ち読み。ご自身が時代考証に参加したNHK大河ドラマ『北条時宗』について1節を割いていたからです。杉山先生的にあの作品はどうだったのかという点に興味津々だったのですが、この点に限っては物足りない内容でした。むしろこの節だけ杉山先生らしくもない歯切れの悪さが感じられ、深読みすれば読者に「察してちょうだい」と言ってるようで、何やら同情してしまいました。



#3250 
ホリ−・ハンタ− 2002/09/22 09:29
長髪族?

高杉晋作とゆう人は、日記を小マメに付けていたようで、
彼が藩命で上海へ行った時つけていた、上海日記とゆうのを
読んだことがありますが、その描写とゆうのは、いろいろと
興味深いものがあります。その日記では、

上海は当時、長髪族の襲撃に備え西洋列強の軍隊の戒厳下にあった
〜とゆう記述がありましたが、長髪族とは何だろな?と思ってたんですが
一説には、時期的には、太平天国の乱で、乱の参加者らは
弁髪を拒み、長髪だったとゆうのを聞きました。



#3249 
エリス 2002/09/22 01:54
元朝と明朝

 奥野さま
 
 もう、管理人様が洪武帝について書いてくださったので、あまり付け加えることも無いのですが・・・洪武帝は南京に明朝を開くと、配下の将軍、徐達に命じて北伐を開始します。その際、敵であるモンゴル人たちを寛大に扱うよう声明文を発表し、皆その寛容さに心打たれ、真の聖徳ある中華の天子の誕生だと、洪武帝の声望は高まっていきました。元朝に仕えた異民族の臣下たちをも寛大に受け入れます。だから、敵に対する寛容さで持って、かえって正統な中華皇帝のイメージ作りに成功したわけです。
 まあ、元朝の評価はその世界帝国的な多民族国家と、交流が盛んになって商業が発達したことが大きいですかね。でも特に元の末期は、農民たちへの苛斂誅求は激しく、酷税に苦しむ農民による反乱があちこちで勃発します。洪武帝は自分が政権を握ると、商業を抑制して農業を薦めます。裕福な大商人や大地主には過大な税をかけたり、弾圧を加えたりします。しかし人民の圧倒的多数である農民始め一般庶民には善政を行います。だから、視点をどこに置くかで評価が全く異なるのは仕方ないのですが、本来的には中国は農業国で、儒教では農耕を重要視していて、商業は軽視されてきた、ということからすると洪武帝は伝統回帰的な政策を行ったとはいえると思います。ただこの行過ぎた農本主義が、倭寇の跋扈や東南アジアへの架橋脱出、中華帝国の閉鎖性につながっていくのですから、まあ、いろいろ問題はあったわけですね・・・。それでも彼の時代はまずまず、一般庶民レベルで見れば、善政を布いたといえるでしょう。明はひとつにはどういうわけか名君に恵まれず、暗愚な皇帝が多かったのです。それで暗い時代のイメージを抱く人が多いのですね。
 それにしても洪武帝があの多大な粛清工作さえしなければ!明に名君の治世長ければ!モンゴルびいきの誰かさんにああまでみそくそに言われなくて済んだろうと思うと、中華びいきの私は悔しいですね(笑)その誰かさんは、朱元璋がモンゴル人を寛大に扱ったことに言及していましたっけ?どうもいいことは書いていないような・・・。
 しかし今日の中国では、国内にモンゴル自治区はじめ、多くの少数民族を抱える関係上、多民族国家を形成したモンゴル支配をむしろ積極的に評価しようとするのが大方の意見のようです。しかし、中国の歴史教科書とか見ていると、ちょっと物事を美化しすぎかなあ、とも思います。戦争とか、民族間の軋轢のことは一切触れず、ひたすら仲の良かった黄金時代みたいに書いてあったり・・・これもどうかなあ、と。



#3248 
2002/09/22 01:54






#3247 
ホリ−・ハンタ− 2002/09/21 19:32
弁髪

清を建国したのは、満州人だとゆうのは世界史でならいました、
ですが、満州人と中国人がどう違うか?とゆうのは
歴史の教諭に半農半牧が満州人、農耕民が中国人だ、と言われても
ピンときませんでしたが、魯迅の短編に
弁髪は大嫌いだ、あんなヘアにするくらいなら死んだ方がマシだ〜
と独白する〜私小説みたいなのがあるそうです。
なるほど、弁髪とゆうのは、満州人が中国人に強制したのか?
こうゆう視覚的なことで、明と清の違いを認識したことがありました。
でも弁髪とゆうのも、実物ズバリそのものは見たことがないのですが。



#3246 
あい 2002/09/21 18:15
中国ブラックジョーク

先頃起きた南京の毒物混入事件ですが、ネットニュースなどでは南京大毒殺というネーミングがあてられています。これって毒殺(du2声sha1声)と屠殺(tu2声sha1声)をかけていて、つまり南京大屠殺(南京大虐殺)のことですね。ジョークにしてはブラックすぎると思うのですが(汗)



#3245 
原田 実 2002/09/21 16:37
放送順を間違えたといえば

徹夜城さま、
もう十年以上前に、アニメ『サムライ・トルーパー』で、間違って同じ回を二度放送したことがありました。そのときはアニメ雑誌で笑い話にされたくらいで、新聞ダネにはならなかったはず。連続テレビ小説と違って、アニメでは見ている子供がバタバタ倒れるくらいの事故ではないとニュースにはならないようです。
しかし、我ながら場違いな書き込みだなあ・・・
イランもしくはアフガニスタンに本拠があると思しきミイラ偽造「産業」について、日本でもよく神社、寺院にあるカッパや、人魚のミイラでよくできたものについては、原料に人間が使われた可能性があります。人命が安い時代、あるいは地域では遺体そのものの商品価値を前提とした「産業」が生じてしまうようです。「東日流外三郡誌」事件や旧石器遺跡の「神の手」問題ではその種の「材料」が出てこなかっただけ、まだ良かったようにも思われます。

http://www8.ocn.ne.jp/~douji/


#3244 
徹夜城(今年の大河は一回ぐらい飛ばして放送してもバレないんじゃないかと思う管理人) 2002/09/21 11:56
洪武帝の元朝観

肩書きのところのネタ、分からない方はNHK関係をあたってください。
僕の知る限りではTVドラマ史上でもかなり珍しい(初か?)事件ですよねぇ。
話が飛ぶようですが、そのむかしTVドラマといえば全て生放送(舞台劇に近いな)だったというころのこと、私の母(当然子供時代)がさる時代劇を見ていたら、二人の武士が道端で話しこんでいるシーンで、背景セットの松が突然ドドドッと倒れたのに、武士たちは平然と話し続けていたそうであります。

>奥野さん
 朱元璋・洪武帝が「中華の回復」「胡虜の駆逐」をスローガンにかかげて北伐をし、元朝を北方に追いやったのは事実です。このとき出したスローガン詔勅を読んでみますと、かなり強烈に民族主義(現代感覚とはちょっと違うでしょうけど)を鼓舞しているのは確かですね。「中国の皇帝には中国人がなるのが当然だ」という趣旨の部分もありますし。夷狄であるモンゴルが中華の皇帝になったのはけしからんともとれる部分もありますね。
 ただ、元朝そのものを否定してはいないともとれます。「中国を征服したその当時にあってはその君主も聡明で臣下も優秀だったから天下を治めえた」という表現もあり、「しかしその後、政治が悪くなり国が乱れたから天命により倒されるべき」という論理につながっていきます。これは中国の伝統的な革命説による説明ですね。自らが興す明帝国が天命を受けていると正統性を主張するために、元朝もまた天命を受けた存在であったと認める形でもあるわけです。

 岡田英弘氏のことをお書きでしたが(この人も面白いことも言うんだけど、最近妙に右派系にもてはやされているのが気になりますな)、遊牧民族研究をされているかたって遊牧民族の意義を持ち上げるためにロシアや中国など定住農耕世界を低く評価してしまう傾向も否めないように思えます。僕がいちばん感じたのはモンゴル史といえばこの人、の観もある杉山正明氏です。去年の大河ドラマ「北条時宗」のモンゴル側監修にもあたっておられましたね。

 もちろん杉山氏の研究の意義や成果は大きなものでして、中国系の漢文世界からばかり見ていたモンゴル帝国観に新たな光を当て、従来の不当な悪評をしりぞけたことは高く評価できます。ただ、そのモンゴルを持ち上げる余り「ひいきの引き倒し現象」を起こしているように思えちゃうことも多いんです。
 その最たるものの一つが杉山氏の明朝に対する評価、「モンゴル帝国の出来の悪い後継者」というものですね。「モンゴルは商業を発達させ、文化を発達させたのに、明は国内にとじこもり弾圧を行い、文化的にもみるべきものがない」という見方です。少なくとも文化的な件については偏見としか思えなかったものです。どーも、杉山氏が明を語るとき、そこには「モンゴルを追い払った明」に対するモンゴルファンの恨み節のようなものすら僕は感じます(関係者も見ているかもしれんから少しおっかなびっくり書いてます(笑))。

 最近は杉山さんの影響もあって日本の中国史業界でも「元」を中華帝国としてよりもモンゴル帝国としての性格をより重視するようになっているように感じます。「大元ウルス」なんて用語もごく普通に使われるようになってますしね。
 このあたり、中国ではどうなのかな〜と僕も興味のあるところでしてね。確かにロシアにおけるモンゴル評価とよく似たシチュエーションであるとは言えます。ただ、現在の中華人民共和国は建前かつ現実に多民族国家であり、チンギスハーンだってヌルハチだって「中国の歴史英雄」ではあり続けたのですね。ま、もともと「中国」って概念が民族的なものではなくて文化的なものなので、昔から中国=漢民族という意識は希薄だったようにも感じます。洪武帝も「自分に服従すれば胡虜だろうがなんだろうが我が臣民である」みたいなこと言ってますし。

>あいさん
金大中さんの歴史的評価も、まぁ今後延々と議論されていくのでしょうな。しかしすでにこの時点で「韓国史上の重要人物」の座は確定しちゃったと言っていいでしょうけど。
北朝鮮の拉致の話も身の毛がよだつものですが、金大中さん自身も「拉致」の経験者ですからねぇ(そういえば時期的にもそうずれてないな)。南北ともにかなり異常な時代を経てきているということでもあります。それから考えりゃずいぶん平和になって話がオープンになってきたなと思うところですね。

>ななさん
 うっ!あのミイラって贋作だったんだ!そのネタ、「史点」で書いてますよ(^^;)。



#3243 
奥野 2002/09/21 02:50
遊牧民支配について

すいません、この前はこちらの回線がおかしくて中途半端な書き込みになってしまいました。管理人様には心からお詫び申し上げます。今回は大丈夫だと思うのですが…

>エリス様

早速ご覧頂きまして、ありがとうございました。と言っても、あの文章を書いたのは僕ではなくサイトの共同管理者なのですが。しかし現代の目で見ると、明治日本というのは改めて面白い時代だったのだと思いますね。

それから、前に書いておられた洪武帝の評価について。僕は中国史に疎いのでこの機会にお聞きしたいのですが、明の成立時にはやはり「異民族支配からの解放」がスローガンとして有効だったのでしょうか?僕は中国と同時期にモンゴル支配を経験したロシア古代・中世史を専攻したので、この辺り非常に興味があるのです。
かつてはロシア史でも、モンゴル支配は異民族による抑圧の時代と受け取られ(「タタールのくびき」という表現は象徴的です)、それに対してロシア民族が英雄的な解放闘争を行う…という図式が一般的でした。しかし実情はもっと複雑なもので、キプチャク汗国側とロシアの関係も単に「圧制と抵抗」ではなかったことがだんだんと明らかになっています。特に、モスクワ大公国によるロシア統一は、モンゴルの力を借りて成し遂げられたものだとも言えます。
岡田英弘さんなど遊牧史研究者の中には、「ロシアはモンゴル帝国の継承国家である」と断定している人もいるようです。それはやはり言いすぎで、ロシア側の事情をあまりにも単純化して考えているように思います。それでもやはり、これまでのロシア史研究で遊牧民のファクターが軽視されすぎていたことは確かでしょう。現在はソ連時代に比べて研究の幅も広がり、様々な見解が出てきているようですが。
中国史もやはり、伝統的に遊牧よりも定住民側の視点が重視されてきた分野だと思います。例えば元朝による支配などが現在はどう受けとめられているのか、興味のあるところです。

>管理人様

昇一先生、そんなことを言っているのですか。やれやれという感じですね。それにしてもこの人、本来は英語学の研究者であるはずなのですが、すでに何が本職だか分からない人になっています。
しかし、有名人でありさえすればどれほど阿呆なことを言っても活字になる(そして少なからぬ権威を有する)というのは本当に困ったものです。有名になった者勝ち状態。マスコミも、安易に「識者」のコメントを求めるのは止めてもらいたい。特に歴史学の場合、有名人による軽はずみな発言から被害を受けることが多いように思うのです。まあ、昇一先生の場合は使う側も分かってやってるのでしょうが…

>阿祥様

日本人の中国研究者で、清朝時代の中露外交史をやっておられる方にモスクワでお会いしたことがあります。当時の外交文書などは、中国よりもむしろロシアの方によく保存されているようなのです。なので、わざわざロシア外務省の文書館まで史料を探しに来たのだとか。そういう話を聞くと、本当に研究者はタフでないと務まらないという気がします。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/6218/


#3242 
なな 2002/09/20 22:52
恐っ!

今、テレビで見てたんですが…。
「贋作で大儲けしよう」という企ては古くからありますが、そのためには手の込んだ装飾品はもちろんのこと、「現代人でミイラ作っちゃえー」という発想は…いやはや(汗。

後10・00〜10・45 ドキュメント地球時間 「ミイラの謎」第2回 − 仮面の下の真実 −

 2年前、パキスタンで2500年前のものと思われる黄金をまとったミイラが発見された。ミイラは石棺におさめられ、エジプト式の高度なミイラ化の技術が施されていた。パキスタンで発見された初めてのミイラであり、しかもその棺にはその遺体がペルシャ王室の王女であると書かれていたことなどから、歴史的な大発見とされ、ニュースは瞬く間に世界をかけめぐった。しかし、詳細な検証の結果、このミイラはブラックマーケットで売るためにごく最近作り上げられた全くの偽モノであることが発覚する。
 だれが、このようなミイラをつくりあげたのか。遺体の主は一体だれであるのか。
 番組では遺体を科学的に検証し、その背後にある犯罪をつきとめてゆく。

[原 題] The Mystery of the Persian Mummy
[制 作] BBC (イギリス 2001年)

もう少しくわしい内容を知りたい方はコチラ↓
http://www.ne.jp/asahi/yasunao/picard/time/0104/mummy.htm
>アフガニスタンのタリバン政権もまたその所有権を主張している。
発見は2000年、番組は2001年ですから…。バーミヤン大仏を破壊する前でしょうか?
時の流れを感じますね。

結局ミイラにされた遺体は埋葬後に盗掘された物なのか、拉致されてきて殺されたのか、結論は出ませんでした。
しかしさらに二体の偽物ミイラが売りに出されているのが発覚し、中東のどこかの国(イラン?)に闇の「ミイラ製造工場」があるかもしれないと、番組では締めくくっていました。



#3241 
阿祥 2002/09/20 22:18
中国の漢文以外の史料について

この間買った中国の本に康煕帝時代の台湾統一に関する物がありました。中央政府に対し各地方から上げられた報告を集めたものです。読み進めていくうちに、ふと各文章の終わりに“満州語資料からの翻訳”とあるのに気が付きました。よくよく見てみると、全部の文章の約2/3ほどが同じ様に満州語からの翻訳とありました。
以前、陳舜臣さんがモンゴル時代の歴史を調べるのは大変だと書いていたのを読んだ覚えがあります。氏はモンゴル時代の文献は中国語のものはあるにせよ、それと同じかそれ以上にモンゴルや中央アジア、イラン、ヨーロッパなどの国々に貴重な資料が散在しており、それらを網羅して一つのストーリーをつむぎ上げる困難さを述べていたと思います。元朝でなくとも清の時代でさえ、満州語、漢語、チベット語、モンゴル語、ウイグル語が順公用語として用いられていたと聞いています。

僕も台湾の歴史を勉強するに当って、オランダやスペインに同時代の貴重な資料があるのを知りました。幸いにもそれらの資料は断片的にでも日本語や中国語、英語などに翻訳されており、ある程度の概略をつかむことができます。しかし、中国ではこのような中国語以外の歴史資料はどのように取り扱われているのでしょう。四周を外国に取り囲まれており、なおかつ国内に多くの民族を抱え込む中国では、このような資料はほとんど際限もなくあると思うのです。例えば先に述べた満州語による資料などは、当時の政治にかんする第一級の資料に違いありませんが、現在読みこなせる人間はごく一部だと聞いています。これを網羅的、系統的に翻訳するというようなことは行われているのでしょうか。

寡聞にしてそのような資料に対する中国での取り組みについては何も聞いたことがありません。きっと何らかの形で行われているとは思うのですが、何しろ事件も関連する民族も余りに多いですからね。大変なことには違いないでしょう。それとも自国の漢文の資料の解読が第一で(それだけでも大変でしょう)、外国語によるものなどは見向きもされていないのでしょうか。

>管理人様>中根東竜さま
明史についての詳細な解説有難うございます。僕も勉強になりました。これからも、これらの資料とは付き合いがありそうですので、参考になります。ありがとうございました。





#3240 
あい 2002/09/20 21:06
韓国政府の拉致問題への対応に批判続出

今回初めて知りましたが、韓国では拉致作戦によって連れさらわれた人は400人以上もいたんですね。日本が最初の首脳会談で拉致の謝罪と安否情報を引き出したのに対して、今まで何の成果もあげられなかった韓国政府に批判が続出しています。特に金大中の太陽政策では北に配慮して拉致被害者問題を棚上げにしてきたとして、現政権への批判が高まっています。これは今年末の大統領選挙に決定的な影響を与えそうです。普段は日本に対して好意的な記事を書かない韓国の新聞もめずらしく韓国政府は日本政府を見習って反省すべきだと書いてありました。
私以前は金大中のこと好きだったんですけどね。民主主義のために闘った不屈の闘士、初の全羅道出身の大統領、韓国初のノーベル賞受賞者として。でも最近の息子たちの汚職とか見ているとやっぱり金大中さんも政治家だなーと思うところです。金大中に批判的な韓国人の友人は前から金大中の対北政策が甘いと批判していました。彼によると金大中はノーベル平和賞欲しさに北の非転向工作員を北に送り返してしまったそうです。その中には日本人拉致疑惑で日本政府が引渡しを要求していた工作員もいました。
金大中がらみでもう一つ。拉致された韓国人の中には中国国内で連れさらわれた人もいるそうですが、そうなると自国内で主権侵犯されたことに中国は何もいわないんでしょうか。中国国内で北朝鮮工作員が活動するのは中国側のお墨付き?!そういえば脱北者問題で、中国公安だけでなく北朝鮮工作員が直接脱北者を連れ戻しに来るって話もあったような。不審船基地が中国にあるっていううわさもありますし。日本でだったら金大中事件みたいに外交問題になるのにと疑問に思うところでした。



#3239 
ホリ−・ハンタ− 2002/09/20 20:17
工作員の浸透度

個人的には、すなおに恐ろしい〜と思います、かの国の拉致作戦。
被拉致者のなかには、東京のド真ん中で拉致された人もいるようで、
工作員は、かなり調査をして拉致する対象を選別していたようだし、
また、日本海を横断して人間を拉致してくること自体、
被拉致者の身体に危険が及んだことは容易に考えられます。
だいたい、日本の海上の保安を突破して日本へ侵入してくること自体
危険な行為で、二重の危険を被拉致者は背負わされたワケで、
このことの悪質さは、考えると胸が悪くなります。
やる方もやらされた方もやられた方も悲惨な拉致。
こういう行為の指令系統の頂点へいきつける事は
やはり相当、困難なのでしょうか?



#3238 
エリス 2002/09/20 19:43
アメリカ大統領と中華皇帝

 奥野さま
 どうもありがとうございます。いや、なかなか笑えました(笑)「三国志演義」みたいなのりでアメリカの大統領のことが書いてあるよ〜〜
 「中国の皇帝のことを書いてあるかのようだ」とホームページにも書いてありましたが、確かにあの当時の日本人にとっては、かつての中華皇帝に対するような気持ちで、アメリカの大統領のことを考えていた可能性はありますね。巨大な大陸国家、先進の文化文明、憧れの海の向こうの国、というわけで。
 できれば、国産の成り上がりヒーローを持ちたいな、と思う私です。やはり人間生まれや血筋でなく、実際に成し遂げたことで判断されるべきでしょう、と思うわけです。



#3237 
奥野 2002/09/20 15:50
再送

すいません、なぜか途中で千切れた状態のまま書き込まれてしまいました。もう一度やり直します。

>エリス様

リンカーンに関しては、かつての日本でも立身出世のお手本として受けとめる向きがあったようです。これに関して、弊サイトの書評コーナーでは、僕の友人が明治23年に出たリンカーン伝の書評を載せています。下にリンクをはっておきますので、よろしければご一読下さい。明治時代の文章だけあり、「嗟呼来てアブラハム、リンコルンを観よ眞の英雄豪傑とは即ち彼れの如きを謂ふ也。…富嶽の如きものなり。霊獅の如きものなり



#3236 
奥野 2002/09/20 15:48
リンカーン伝

北朝鮮による拉致問題について。例えばかつてのソ連だったら、フルシチョフがスターリンを批判して見せたように「全て前任者のせい」ということでごまかしが利いたわけです。しかし今の北朝鮮の場合、金正日が「あれはぜんぶ親父が悪いので…」とは口が裂けても言えないでしょう(今の天皇が、昭和天皇の戦争責任について云々するより難しいかも)。この辺りの柔軟性のなさは、世襲による弊害の1つと言えるかもしれません。
もちろん、ことは北朝鮮側の面子ですまされるような問題ではないので、徹底的な真相究明と責任の追及がなされるべきでしょう。中途半端な妥協では国交正常化どころかますます日本との関係が悪くなるばかりだろうし、北朝鮮側にはどの程度の覚悟があるのかよく分かりません。

>エリス様

リンカーンに関しては、かつての日本でも立身出世のお手本として受けとめる向きがあったようです。これに関して、弊サイトの書評コーナーでは、僕の友人が明治23年に出たリンカーン伝の書評を載せています。下にリンクをはっておきますので、よろしければご一読下さい。明治時代の文章だけあり、「嗟呼来てアブラハム、リンコルンを観よ眞の英雄豪傑とは即ち彼れの如きを謂ふ也。…富嶽の如きものなり。霊獅の如きものなり

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/6218/Abraham.html


#3235 
徹夜城(ハングル習って途中で投げ出した管理人) 2002/09/20 10:59
「朝鮮」と「韓国」

>ホリー・ハンターさん
あの半島の国・民族・地域をなんと呼ぶかというのは実にややこしいところでして…
まず手始めに「日韓併合・韓国併合」の話からさせていただきますと、1910年のあの段階ではあの国は「大韓帝国」と名乗っていたためこの名称なのです。

歴史的な経緯を振り返りますと…
まず伝説的段階ですけど、古代に箕氏朝鮮、衛氏朝鮮というのがあったと言われています。その後、漢の支配を経て高句麗・新羅・百済といった国が興ってくるのですが、この時期の半島南部は「馬韓・弁韓・辰韓」のいわゆる「三韓」と呼ばれる地域でした。これが「韓」の名の由来で、もともとは半島の南部を指す言葉であり、偶然ながら現在の「大韓民国」の領域(いや、これも公式には半島全土ってことになってるはずですけどね)と見事にマッチしているとも言えるのです。
 新羅のあと「高麗」が出てきまして、これが英語名の「コリア」の由来になります。だから南北統一後に「高麗」にしようとかいう話もあったわけです。
 この高麗と交代して李成桂が王位につき、明から冊封され「朝鮮」の国号を贈られました。このことについては現在の民族主義的な史観から特に韓国で「朝鮮」という名前を忌む傾向もないわけではありません(でも韓国の新聞に「朝鮮日報」ってのがありますね)。ところで正式国号は朝鮮になったものの、一般レベルでは相変わらず「高麗」と呼ぶのが一般的であったようで、日本側の文書や、あの王直の上疏文にも「高麗」という表現が使われています。「水滸伝」の続編である「水滸後伝」でも「高麗」が登場し、国王は「李」だったりしました。
 で、近代に入り日清戦争の結果、朝鮮が清との宗属関係を切ることになりまして、中国から与えられた「朝鮮」国号を捨てて「大韓」とし、国王も自立した皇帝となって「大韓帝国」が出現するわけです。しかしこれを併合した日本はまた「朝鮮」に名称を戻すわけですね。このあたり、やはりどこか意図的なものがあったような気がします。
 そして第二次大戦後の分断で「朝鮮」「韓国」が並び立つ形になり、よけいややこしいことになっちゃったわけです。



#3234 
ホリ−・ハンタ− 2002/09/20 05:54
韓国と朝鮮

日本は、あの半島を朝鮮半島と読んでますが
植民地支配は、『韓国併合』と呼ぶ方が多く、『朝鮮併合』とは
あまり呼ばないんじゃないかな?そして日本敗戦から数年、
つまり、大韓民国が建国される前まで、北は北朝鮮、南は南朝鮮と
総称されてたようです、南朝鮮が何故、『韓』の字を掲げたのかは
よく分かりません。ちがうかもしれませんが、ラ−メンのドンブリで
典型的なものには、かならず『韓』の字が入ってませんか?アレ
じぶん的に長年、疑問に思ってました、つまらんコトですが、
ラ−メンって中国のモノなのに、何で『韓』なのか?
ただ、春秋戦国時代の中国には韓って名の国はありましたが。



#3233 
2002/09/20 00:40
正史要注意、と。

>管理人さま

重ね重ね、「明史」についてご説明いただき、ありがとうございます。
とてもわかりやすく解説いただいて、ひとつひとつになるほどと思いました。
地方志まで豊富に編纂されているとは、すごい資料数なのですね、明の歴史。
調べがいがあって嬉しいやら、ひきつりそうやら、「体力の〜」とは言いえて妙な表現ですね(笑)。

日本側にもそういう現地密着な資料があったら、さらに海上史事情が見えたでしょうに!

「明史」の例の記述の「洪武十四年」。
文章見て浮かれていたもので、年号視界の外にふっとんでいました。
日本でいうなら弘和元年ぐらい・・・それはもう、懐良親王って想定するのも厳しいですね。
八女山中に引っ込んでから出したとは考えにくいし。島津もやるな・・・・。
でも博多陥落後何年もたって事情はたぶん伝わっていてもなお、「良懐」しか相手しない、というのもおもしろい対応ですね。明。

>中根東竜さま

はじめまして、桧と申します。
中国史超初心者でお恥ずかしいばかりな奴に、レス、どうもありがとうございます!
翻訳図書のご紹介もありがとうございます。早速図書館にあたってみることにします。

しかし・・・「正史」のレベルが軍記物と大差ないとは・・・!
もうびっくりです。つまりは「平家物語」のようなもの!?
そういうものなんですか〜。

>「乃天下之天下、非一人之天下也」は、兵
>法書『六韜』(りくとう)
>に前後を入れ替えただけで同じ文章が出ています。

ああ・・・・そんな歴史の古い言葉だったんですか!!
「正」だから、と鵜呑みにしちゃいけないんですね。

でも、そういう古くから知られた言葉が引用されているのもまた、興味ひかれます。
もともと「良懐」(島津氏)の返書にあったのか、正史の筆者の創作なのかにしろ、
その言葉を使うきっかけになる、何かあったのか?なんて・・・。
想像の域をでない、それこそ軍記物世界になってしまいますが。

どうもありがとうございました!



#3232 
エリス 2002/09/19 21:29
朝鮮

 管理人さまどうもありがとうございます。
 朝鮮はそういうことだったのですか。しかし、渡部昇一氏にも困ったものですね。私は基本的に、愛国心というか、自国への誇りや責任を持つことには賛成ですが、それが他国への蔑視や敵意につながるのは大問題だと思っております。なんでそうまでして他国を貶めたいかな〜



#3231 
あい 2002/09/19 19:37
民族名あれこれ

朝鮮という国号は洪武帝が選んだものだったとは、初めて知りました。もう一つの候補の和寧いったいどこからきたのでしょうか。もしこっちが選ばれていたら「和食」「和服」は日本のことじゃなくなっていたかもしれませんね。朝鮮の本当の由来ってなんなんでしょうか。それから日本の大和というのはどうしてこの字があてられるようになったのでしょうか。中国では民族名を明白にしなければいけないので、日本人で中国に永住した人は大和族と称するそうです。

中国の東北には朝鮮族がたくさんいますが、私は民族名として朝鮮が定着しているのかと思っていたら、韓国人は民族名としても朝鮮という言葉は使わないそうです。自分たちは韓民族だというそうです。それだけでなく朝鮮半島は韓半島、朝鮮戦争は韓国戦争または韓国動乱、北朝鮮は北韓と徹底しています。日本では学術用語として朝鮮語というふうに使われていましたが、最近東京大学などでは韓国朝鮮語と称するようになりました。私が習っていた韓国人の先生によると、教科書などで教えているのは韓国で使われている言葉を基準にしてしるので韓国語とよんでもさしつかえはないだろう。なぜかというと北と南ではこの半世紀の間に言葉の使い方が相当違ってきてしまったからで、北の人と話せばすぐにわかってしまうそうです。特に外来語の使い方が異なって、韓国は英語経由、北朝鮮はロシア語経由の言葉が多いので韓国人が聞いてもよくわからないそうです。



#3230 
ホリ−・ハンタ− 2002/09/19 07:01
波紋

恐れられたことが徐々に起こりつつあるよう、
〜在日朝鮮系の団体・学校へイヤガラセの電話や落書きが。
当分、休校にする学校もあるそうで、嘆かわしいことです。
さらには、脅迫電話の声から、若者とみられる場合が多いそうで
まず、こうゆうのを無くさないとね。

かの国の首領閣下の発言に〜拉致作戦の関与者は処罰した(あるいは
処罰するつもりだ?) 〜ですが、彼が〜私は全く知らされていなかった
〜を鵜呑みにした場合、処罰対象者は、大人しく、自分らの首を
大人しく捧げるということなのでしょうか?其れに抵抗する者は
皆無なのでしょうか?そこのところで、また一悶着ありそうに
感じられ、どう転んでも金氏・発言は波乱がありそうですね。




#3229 
徹夜城(次の史点はすごく書くのがしんどいなと思う管理人) 2002/09/19 00:44
明史周辺と「朝鮮」国号

昨日の今日ので北朝鮮関係は大騒ぎですが…内心どっかでこういう結末が明かされるような恐れは抱いていました。今日の夕刊のしりあがり寿さんの漫画の表現ですが「知りたくない事実」というのもあるんだな、と。
この件については落ち着いてから「史点」でまとめてみたいと思ってます。やはり自分のいる国の話だけにとりあげるのが辛い。

>明史関係。
 おお、中根さん。お久しぶりです。正史関連のコメント、また本の情報などありがとうございます。

 おもに桧さん向けに「明史」周辺の話を追加説明させていただきますと。
 「明史」が資料的価値を余り認められていない理由ですが、元ネタの「実録」がそのまんまあるということと、その「実録」より詳しい地方レベルの史料がゴッソリあって、「明史」の記述があてにならない、あるいは大幅ダイジェストであることが分かってしまうから、というのもあります。明・清は時代も近いし体制的にもほぼそのまんまシフトしたようなもんですから、各種史料がかなり保存されているのです。日本で言うと江戸時代研究をするのと似たような状況ですね。
 特に僕などは倭寇の研究ですから、中央よりも地方の資料を見るほうが生々しい情報に接することが出来ます。このあたりは中央集権帝国のすごいところで、州・府・県といった各レベルでその地方ごとの百科全書ともいうべき「地方志」が編纂されており(しかも何十年かごとに改訂版が出る)、その地方の情報をまさに網羅して記録しているのですね。倭寇との戦いだって「明史」なんかでは見えてこない生々しい状況がそこから浮かび上がってきます。そうした地方志ばかりでなく、各種の刊行物がやたら出ているのも明代の特徴で、倭寇と戦った本人たちも著書を残しています。

 とまぁ、資料的にやたらめぐまれた環境にある明清史なんですが(その代わり膨大な資料と格闘しなきゃならず、中国史業界では「体力の明清」と呼ばれる)、そんな状況の中にいると「ひょっとして歴代正史ってのも同じことなのでは…」と思っちゃうこともあるんです。正史だから保存がいいだけで他の資料が無いために珍重されているだけなのかも、とか思っちゃうこともあります。「三国志」マニアの方なんかは、この辺の話お分かりになるような気もしますが。

>エリスさん
 明の洪武帝が「朝鮮」国号をつけた、との話ですが、正確に言うと李成桂が「朝鮮か和寧から選んでくれ」と申し出て、「朝鮮」が選ばれたという経緯です。それに「朝鮮」という国名自体はいわゆる「古朝鮮」の前例があり、たぶん最初から「朝鮮」となることが決まっていて手続きを踏んだだけじゃないかと思われます。
 最近あの渡辺昇一氏が「あれは朝貢が鮮(すくな)いという意味をかけているのだ」とトンデモ説を言い出してまして、これを信じてしまう(あるいはある程度わかっていてわざと引用する)人たちを見かけて頭が痛くなっていたりします。こうして妄説が広がっていくのだなぁと…



#3228 
なな 2002/09/18 22:56
複雑

「李恩恵」だけは絶対入っていないだろうと思っていたので、驚いてます。
金大中大統領の太陽政策のために話題に上りませんが、韓国政府が認めた拉北者は500人
もいるそうで、金大統領の任期が終わって、太陽政策が転換されたら、これらの人について
どうしていくのか気になりますね…。
日本人拉致被害者の生死については、案外と生存してるんじゃないかと思っていますが…。
ニュースを見てると「処刑説」ばかり出ていますが、「強制収容所に収容orそこで死亡」も
あると思うので、もし生きていても「そりゃ(日本側に)言えんわなぁ」という感じがします。

金日成が亡くなった時、あと四・五年で崩壊するだろうと言われましたが、今後の経済協力で
現政権の命脈が保たれると思うと複雑ですね〜。次代の権力者はあのマサオさんだし…。
崩壊や戦争がいいとは思わないし、過去の清算はお高くついても、相手がどんなでもやるべきなので異論はありませんが。

>三河湾のアザラシ
地元民ながら全然知らなかったのですが(汗、写真週刊誌には撮られていたそうです。
タマちゃんと比べて長さは2倍、重さは8倍(?)、寝ている姿はKONISIKI…。
とても「三河湾のミカちゃん」なんて呼びたくなるヤツではなかったそうで。



#3227 
エリス 2002/09/18 22:27
皆様、レスありがとうございます

 皆様、どうもレスありがとうございます。
管理人様
 なるほど、日本はやはり内にこもりやすい傾向を持っていたのですかね。一つにはお上の言うことに従順に従いやすいということもありますよね。もし、「どんどん海外と商売しろ〜!」と命令されていたら、わっとそちらへ流れたような気もします(笑)
 朱元璋ははじめから後の永楽帝を後継者にしていたら、あんな大量粛清はしなくて良かったかもしれません。じっさいにそばにはいて欲しくない人ですが(笑)私が明初の一農民かなにかだったら、モンゴル支配のくびきから救い、善政を施してくれたとして、彼を英雄視したのかもしれません。上の人たちが何人殺されようと下々には関係ありませんから。まあ、上に厳しく下に寛大、農業重視の商業軽視、異文化排除の国粋的中華指向も基本的には間違ってないとは思うのですが、(征服王朝を倒した後の漢族王朝復活ということで前王朝とは180度違う政策を施さなくてはならないという事情もあるでしょうし)彼の場合、何事もやりすぎているような気が・・・。
 しかし、ムロタイに書かれていた日本からの使者への対応は、筋が通っていてしかも寛大な心配り、まずは名君といってよい感じだと思えるのですが・・・。朝鮮という名をつけたのも洪武帝ですよね。朝のように鮮やか、て割といいネーミングセンスだな、と思ったり。
ホリー・ハンターさま
 レスありがとうございます。まあ、私も洪武帝が好きかといわれると、好きとは言いがたいのです。なんと言ったらいいのでしょうか、とても気になる人物、ですかね。貧困の中からのし上がり、異民族支配から中華を救い、下層の民に善政を、というのは私にとってポイント高いです。多少のことには目をつむり、英雄視したいのはやまやまなのですが、5万人粛清はいくらなんでもやり過ぎだろ!とは思うわけですよ。まあ、中華文明でなく、遊牧文化びいきの人には嫌いな人物かもしれませんね(笑)それだけに私としては、彼が申し分のない名君だったら、モンゴルびいきの誰かさんなんかにああまでみそくそに言われなくてすんだのに〜と悔しいわけです。まあ、民の大半には善政を施して農業振興に成功し、無駄な外征などしなかった分、毛沢東よりは上だと思っております(笑)
 皇帝ランキングはですねえ、まあ、遊び半分ですから。どんな時代に生まれ合わせたかという運もあるでしょうが、やはり人間結果がすべてです(笑)私は唐太宗の李世民という人が一番好きですね。やはり北方騎馬民族をボコボコにやっつけた人です(笑)それだけが好きの理由ではありませんが。
奥野さま
 どうもありがとうございます。
 光武帝は、そういうことだったのですね。しかし洪武帝VS光武帝というのはなかなか怖い想像をさせてくださいました(笑)二人ともなかなかの名将でもありましたが、実際どちらが勝つでしょうね(笑)
 君主の評価というのは実際難しいです。結局、民主主義の今の世ではありえないことなのですから、公平な評価は大変難しいと思います。時代背景もありますし。
 それにしてもリンカーンのような成り上がりヒーローを持てているアメリカ人がうらやましいな、と思います(笑)国を象徴するヒーローて必要な気がしますね。天皇が国家の象徴といわれても何かピンとこない私・・・。




#3226 
erisu 2002/09/18 21:23






#3225 
ホリ−・ハンタ− 2002/09/18 20:10
韓国は、どう受け止めるか?金・発言

新聞で、韓国の報道人がこう書いてたのを読みました。

『北が日本人拉致を認める事は、ありえない〜と思っていた、
其れを認めれば大韓航空機爆破テロをも間接的に認めた事に
なるから。むろん今回の悲報、日本の拉致犠牲者にはお悔やみの意いがい
ないのは韓国人の大勢の意見だろうが、別の意味でも韓国では
驚きを感じるだろう。』

私の知人で在日朝鮮の友人がいます、今年のアリラン祭りへ
行って無事帰ってこれた奴ですが、やはり驚いてました昨日は。
これで、オレらが日本で立場悪くなんのかな?と。
私は、右翼っぽい奴は日本人じゃないから〜と
慰めにもならんような事を言えただけでしたが。



#3224 
中根東竜 2002/09/18 11:38
中国正史はねぇ・・

お久しぶりです。中国正史の話とあらば黙っちゃ居られない(^^;)

>桧さん

はじめまして。中国の漢文史料大好き人間の中根と申します。管理人さんのように
がちっと専門でやっている人間じゃなくて、本業が別にあって片手間にやっているんですけど・・(^^;)

>「明史」の評価が、文学的はまだしも史料的にもイマイチとは、初めて知りました。
”正史”だし、歴代王朝続けて書いているんだから、それに当たるのが一番だろうと、単純に考えておりました。

これなんですけどねぇ、中国唐代以降の正史はまともな史料として扱われる方が少ない
くらいのものなんですよね・・低評価は『明史』だけではなく、『宋史』『元史』の評価は
べらぼうに低いです。仔細に見ていくと、価値がある箇所もあるようですが、
大部分は日本で言うなら軍記物とそう大差ないレベルのようです。

>物語ちっくにつくられちゃったか?な感じも・・・・(苦笑)。

とりあえず、中国戦国時代の古典と殆ど同じ表現がありますねぇ。
「乃天下之天下、非一人之天下也」は、戦国時代成立といわれる兵法書『六韜』(りくとう)
に前後を入れ替えただけで同じ文章が出ています。

>管理人さん

ご無沙汰しております。

>以前大学の図書館で「漢書」から「明史」までの倭国伝・日本伝を現代語訳して一冊にまとめたものを目撃したことがありますが…すぐには確認できません。

この本は、学習研究社から過去に竹田晃氏の翻訳で出ています。
タイトルは『中国の古典 倭国伝』で、藤堂明保先生が監修した中国の古典シリーズの一冊でした。東京都立日比谷図書館には蔵書されていますね。現在は絶版のようですが、古本屋には時折出るようです。

http://ueno.cool.ne.jp/souryuu/


#3223 
徹夜城(史点をぽつぽつ書き始めた管理人) 2002/09/17 22:40
日朝のながい一日

今日は一日自宅にいたもので、リアルタイムでいろいろ見ていました。
思うところはいろいろありすぎるぐらいですが、一つ書かせてもらうと、マスコミの事前情報ってまるでアテにならんな、ということでした。

>ホリー・ハンターさん
今日はそういうわけで現実の「拉致」の話はちと絡めにくいんですが…
明初期において「日本は人さらい国家」と見られていたも何も、実際に何百人(たぶん何千人?)もの明人が倭寇に連れ去られて九州を中心に存在していました。明が懐良親王はじめ日本側と外交接触したのも、明側には彼らの送還問題という現実的な背景があったのです。そして懐良親王、島津氏、幕府と九州探題もそろって倭寇被虜者を一度に何十人、何百人と送還し、それを手土産に外交・貿易を行うわけです。
 事情は朝鮮でもおんなじでして、今川了俊や大内義弘は倭寇被虜者を朝鮮に送還したり倭寇そのものを討伐したりして朝鮮側から高い評価を受けていました。

 話は明初期に限りませんで、明代を通じて倭寇活発化の時期には必ずこうした被虜者が多数発生しました。後期倭寇の時期でも大隅に倭寇にさらわれてきた明人たちが奴隷として売りさばかれていたことが資料に出てきます。そして、どうも特に九州という地は労働力不足の傾向があったらしく、人をさらい、売り買いして奴隷にして働かせるということが中世を通じて濃厚に行われていたようなのです。豊臣秀吉の朝鮮侵略の際にも膨大な数の朝鮮人が戦利品として日本に連れてこられ、その送還に江戸幕府があたることになります。帰れなかった人が圧倒的多数みたいですが…

 瀬戸内海賊が倭寇に関わっていたか、という話ですが、僕は以前はかなり懐疑的でした(理由を述べると長くなるので省略)。今は「少しは入っていたかも」という程度に見解を変えています。しかしかなり少数派だったろうとは思います。
 お話になっていた歴史小説ですが、タイトルなんでしょう?

>桧さん
 「明史・日本伝」の話ですが、僕も今回ネット上のを読み返してみて最初のほうはあんまりよく読んでなかったなと思いました。「天下」うんぬんの話はここだったのか、などと思ったりもしたぐらいで。
 ただ、この洪武十四年の「良懐」は懐良本人ではない可能性大です。というのも、この時期「日本国王・良懐」でないと明が相手してくれないので、島津氏とか義満とか北朝の送る使節までが「良懐」名義で使者送ってくるんです。この時のは実際には島津氏が送ったものじゃなかったかなぁ…後で調べておきます。

>奥野さん
 僕などは以前アンリ=トロワイヤの小説「大帝ピョートル」読んで、「こんな君主がいる時代のロシアには生まれたくなかった」と心底思いました(笑)。トロワイヤ自身もそういうノリで書いているせいもありますけどね。はたから見ているぶんには面白いが、そばにはいてほしくない。以前にも書いた表現ですが、ほんとそういう人。まぁ織田信長なんかもそうですからね。またそのぐらい強烈でないと時代を動かせないのかもしれない…とも思えます。



#3222 
2002/09/17 21:46
ありがとうございました

>管理人さま
「明史」についてとても詳しく教えてくださって、ありがとうございます。
「明史」の評価が、文学的はまだしも史料的にもイマイチとは、初めて知りました。
”正史”だし、歴代王朝続けて書いているんだから、それに当たるのが一番だろうと、単純に考えておりました。
また、倭寇関係の本でよく名を見かける「実録」も「明史」の一部だと思い込んでいました(^^;)。原資料だったんですね。ひゃあ(汗)。
ちゃんと勉強するには「実録」なんですね・・・・ますます道が遠くなりそうです(涙)。
 とはいえ、今回の場合、「明史」にのっている、という言葉の前後および漢文原文に興味がありますので、
まずはダイジェストな「明史」から入門することにします。
でも本文の文章については、お教えいただいた点を頭において、鵜呑みにせずとっかかりたいと思います。、

 阿祥さんにご紹介いただいた台湾のサイトにさっそく行きまして、明史日本伝を見てきました。
目当ての文章「蓋天下者、乃天下之天下、非一人之天下也」発見。
これを懐良親王が言った(返した)とどこかで見かけて、返書の内容が「明史」で読めるのか!と思った次第です。
でも、原資料の「実録」にも載っていないのであれば・・・・少し苦しいですね。
ざっと文字だけ拾ったら、確かに良懐曰「〜云々」や、良懐上言「〜云々」とかあります。
これが懐良親王側からの記述なら、とてもおいしいことではあります。
が、正式な文書にしては・・・な引用ですし、文書もダイジェストされちゃったのか?と思いたくもあるけれど
物語ちっくにつくられちゃったか?な感じも・・・・(苦笑)。
とりあえず、真偽はおいといて、外国書にみえる貴重な一文、こちらの「珍文漢文」と辞書とで格闘してみます(^^;)。

「俺たちゃ海賊!」の海上史資料集、ぜひ!明史・日本伝取り上げていただきたいものです。
王直に手をやいてる、明側からの描写をいつか拝見したいです。
個人的には、いつか私が五島を制覇する前に、管理人さんにお時間できて気が向かれて拝見できたら、最高なんですが♪
(ってようやく壱岐の地踏んだばかりで、五島はいつ行けるやら・・・・です)

「ムロタイ」34回目、拝見しました。なんだか前回と打ってかわってほのぼのでいいですね〜。
義満がとてもかわいらしく(笑)。最後の棟梁の台詞は、かわいらしくも怖うございましたが。
南北朝を見始めたころは義満や頼之さんは苦手も苦手だったのですが、「ムロタイ」拝見するようになって面白くなってきました。
これまた勉強させていただいております。
次回、水島かもなんですね。菊池と征西府はほっといて、がんがん武家方事情描いてくださいませ。
了俊さん、なんであんな暴挙やっちゃったんでしょうねぇ。焼酎の酔いのせい???(笑)
そのへんをどう描かれるかや島津さんのご登場、楽しみにお待ちしております。

どうもいろいろとありがとうございました!

>阿祥さま

こんにちは、初めまして。桧と申します。
便利サイトのご紹介、どうもありがとうございます。サイトで中国の原典に当たれるとは考えもしておりませんでした。
しかも懐良親王で検索までかけてくださって・・・・。感謝申し上げます。

早速ご紹介いただいた台湾のサイトを見てきました。
「明史」だけでなく、資料満載のすごいサイトですね!
教えていただいた「懐良」検索アドレスで直に入ろうとしたところ、手順を踏め、とブロックされてしまったのですが。
書いていただきました、巻数を頼りになんとなく文字面で追って、おっかなびっくり「執行」ボタンを押したりして、
なんとか「明史日本伝」画面に到達。
おかげさまで、読んでみたかった前後の記事を探し当てることができました!!
漢文原文はチンプンカンプンなのですが、辞書ひきひき、なんとか読んでいきたいと思います。
どうも、ありがとうございましたm(_)m。




http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/3814/


#3221 
ホリ−・ハンタ− 2002/09/17 20:02
かどわかし

ところで、かどわかし、とゆう古い言葉がありましたっけ
拉致とよく似た言葉らしいですが、語源の方は知りませんが。

>徹夜城 様
へぇ、明の初期、日本は、人さらい国家のように見られてたのですか?
倭寇って瀬戸内海賊も参加してたんですか?ある歴史小説で
瀬戸内海賊の運営してた遊郭の描写があったのですが、
娼婦に、中国へ売り飛ばされちゃう者は多いが、
中国人の娼婦は殆どいなかった〜のような感じの話しを読んだことが。




#3220 
奥野 2002/09/17 16:14
洪武帝vs光武帝

>エリス様

すいません、前の書き込みで2回目に出てくる「光武帝」も「洪武帝」の間違いです。後漢の光武帝について言及したつもりではなかったのです。
実を言いますと、ATOKでは「こうぶてい」が「光武帝」にしか変換されないのです。で、最初の方は間違いに気がついて直したのですが、2つ目を見落としておりました。誤解を与えてしまって申し訳ないです。しかしATOKでは「光武帝」しか認知していないのでしょうか?僕は何となく、洪武帝の方が知られているように思い込んでいました。

確かに「暴君」と言っても、誰の観点から評価するかで違ってくるでしょうね。で、どの評価が人口に膾炙するかでイメージがまるで違ってしまう。例えば有名なローマ皇帝ネロなんかも、同時代には必ずしも悪評ばかりじゃなかったようですが、キリスト教徒の間で作られた「信仰の迫害者」像のおかげで必要以上に暴君イメージが強調されています。逆にロシアのピョートル1世なんか、伝統は破壊するし税金は引き上げるしで同時代人の目から見れば暴君そのものだったはずですが、こちらは改革者として歴史的に高い評価を得ています。
もちろん、歴史上の人物に様々な側面があるのは言うまでもありません。しかし暴君とか名君とか言われる人々の場合、ある一点からしか評価されない傾向が特に強いように思われます。それだけ大きな業績を残していると言うことで、極端な評価が残ってしまうのは仕方ないのかもしれませんが。

>徹夜城様

そう言えば、ドラマ「ピョートル大帝」は大人になってから2人の俳優を使うという珍しい演出でした。我が子との確執などを経てピョートル自身が変わっていく…という表現だったのかもしれません。悪くはない試みだったと思います。ただ、残された肖像画などと比べると、ちょっと繊細に過ぎたような気も。

それから、リンカーンについて。実はリンカーンの家はそれほど貧しかったわけでなく、父親も腕のいい大工として近所では名の知れたような存在だったことが最近知られているそうです。つまり、丸太小屋から大統領官邸へという絵に描いたようなサクセスストーリーは、完全なフィクションではないにしても多少は粉飾が働いていることになります。その際、主人公の「成り上がり性」を強調するような方向に粉飾がなされているのは、いかにもアメリカ人好みという印象を受けます。
しかしヨーロッパ諸国ではどうでしょうか。ロビンフッドのようにアウトローな英雄はいますが、そこから天下を取るような人物というとあまり思い浮かばないのですが。さらにアラブ世界ではどうかとか、「成り上がり巻」を各地域で比較していくと面白いのでかもしれません。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/6218/


#3219 
徹夜城(結局小泉首相訪朝前に史点を書けなかった管理人) 2002/09/17 00:22
明史・日本伝

>桧さん
「ムロタイ」お楽しみいただき、ありがたい限りです。
まぁ歴史ものってなんでもそうなんでしょうけど、南北朝は足利・新田・楠木・北条・赤松・佐々木・南朝・懐良などなど多方面に固定サポーターがおりまして、お話を書く上でもそれぞれの方面にある程度気を使っていたりもします(笑)。懐良も思ったほど活躍させられないうちに事実上退場扱いになってしまうので、桧さんあたりには申し訳ないなぁと内心思っているんですが(^^;)。

 さて、「明史」の日本伝の話ですが、原文は阿祥さんもご紹介のような台湾のサイトなどで一応読めます。こうした古典以外でもネット上をさまようとかなり中国原典が読めちゃったりするんですが、中にはちと著作権上の問題を感じてしまうものもあったりして…
 しかし漢文原文はやはり辛いところでしょう。僕の手元にかなり古びた岩波文庫の歴代中国正史の倭国伝・日本伝を集めた本がありますが、「元史」どまりで「明史」が入ってないんです(涙)。以前大学の図書館で「漢書」から「明史」までの倭国伝・日本伝を現代語訳して一冊にまとめたものを目撃したことがありますが…すぐには確認できません。

「明史・日本伝」も「魏志倭人伝」なみに面白いので一度当サイトの「珍文漢文」コーナーでその一部を掲載していたことがあります。信長と秀吉の出会いや本能寺の変のくだりでしたね。妙に正確でかつ不正確という内容で(笑)。
しかし実のところ「明史」という正史は文学的にも史料的にもあまり高い評価を得てはいません。歴史研究にはその「明史」の原資料となっている「実録」を使用するのが普通です。しかしこれはそれこそ一般向けではないからなぁ…大学の漢籍コーナーにいきますとお目にかかることが出来ますが(出来ない大学ももちろんありますが)、「明実録」なんて百科事典3セット分以上の規模はありまして圧倒されることうけあいです。こうした「実録」をもとに、いわばダイジェストの形で「明史」は編まれているわけで、入門には「明史」がちょうどいいというところもあります。
 「俺たちゃ海賊!」コーナーで資料閲覧コーナー作ることになってるんですが、そこで「明史・日本伝」もやってみたいなぁとは思ってます。いつのことやら…乗っちゃえば案外パパッとやるかもしれませんが。

 ところで「明史」にせよ「実録」にせよ懐良側が出した書状の内容までは記録されていなかったはずです。義満の出した国書だって確かその内容までは「実録」には記録されていないはず(日本側にはあります)。基本的に明の皇帝が出す詔勅の内容がそのまま書かれていて、それに付随する記述で外交のやりとりがわかるという感じです。34回の「ムロタイ」の外交場面は「太祖実録」(洪武帝の時代の実録)を元ネタに使っています。「懐良と持明が争っていた」というアレです。

 なお、今川了俊さんですが、最終回まで出ますんでご安心ください(笑)。次回、たぶん例の「水島の陣」をやらかします。この人、確かに優れた戦略家なんですけど、時々こういう思い切った「暴挙」をやらかしたりもするんですよね。それでいて一流の文化人としての活動も同時にやっていたりして、佐々木道誉なんかと並び称してあげたい気もします。
 そのうち「ムロタイ」でも書く気ですけど、この人、韓国焼酎を最初に飲んだ日本人だったかもしれません(水戸黄門がラーメン食った最初の日本人、みたいな話ですが)。

>ホリー・ハンターさん
 洪武帝が起こした「胡惟庸の獄」はそのうち「ムロタイ」でもチラッと触れるかもしれません。かなりデッチ上げの可能性が高い謀反疑惑事件なんですけど、そこに日本がからめられたあたり、当時の日本が「不審船を送り込んで人を拉致していく謀略国家」というイメージでとらえられていたことの証左だったりもします(^^;)。



#3218 
阿祥 2002/09/16 21:11
/新校本明史/列傳/卷三百二十二 列傳第二百十 外國三/日本

桧さんへ

僕も一時期“清史稿”が手に入らないかと、中国語の書店を回ったものですが、1セットで買えと言われて、そりゃ無理だとあきらめた記憶があります。
今はネットにいろいろな情報が流れており、中国語の歴史データに関しては、台湾の中央研究院漢籍電子文獻「瀚典 資料庫選單」が便利です。

http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3

懷良親王で検索したら(旧字体です)、中国語の資料では日本王良懷と言っているらしく、下のページその他をヒットしました。

http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3?ukey=-1798782939&path=/25.4.210.2.2.8342p

忙しい管理人さんになり変わって紹介しておきます。





#3217 
2002/09/16 13:37
明史

管理人さま、こんにちは。リンクでお世話になっております、桧です。ご無沙汰しております。
掲示板にお集まりのみなさん、初めまして。初めて書き込みさせていただきます桧と申します。
いつもこちらでは、いろんな話を拝見させていただいておりますが、
こちらで展開される明の歴史や倭寇関係のお話、とても勉強になっておりますm(_)m。

最近「明史」の一部を活字で見てみたいなぁ、と思うようになったのですが、
(とくに懐良親王が明の太祖にあてた返書の文章)もよりのちょっと大きな図書館でも見かけません。
これって日本の活字本として、存在するのでしょうか?
ネットや本でみかけても、出版社もわからず、もしかして皆さん、中国書を読みこなしておられるのかなぁ、とも(--;)。
専門外の、一般市民でも見られるものか、教えていただけませんでしょうか?
明史にお詳しい皆さんに、おききするのも恥ずかしいことなのですが、なかなかわからず、どうぞよろしくお願いします。

「ムロタイ」楽しませていただいております。
今回は!征西府がやられちゃったので、つらいとこでもありましたが、頼之さんのためにはよろこばねばならないのでしょうねぇ(苦笑)。
今川了俊、この九州攻めやその後の治め方みていると、智謀の人だなぁと感じます。
一回限りの主役といわず、あとしばらく、ぜひ見せ場をvv・・・ないですか?
永楽帝の登場も楽しみです。永楽帝の「簒奪」をみて、義満がどう、自分の立場に置き換えるか・・・
ムロタイの義満で拝見する日を楽しみにしております。

それでは。長々と失礼致しました。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/3814/


#3216 
ホリ−・ハンタ− 2002/09/16 07:20
中国歴代皇帝の人気

エリス様、明の洪武帝への解釈、見事でございます。
中国の歴代皇帝への評価って、よくランキングされますよね。
でも、ああゆう長い歴史の中でイロイロな多くの皇帝がいて
各人、時代背景も違いますから、それを共通的に評価するのは
困難だと思います、とゆうか見る側の好み で、皇帝への評価も
決まっちゃうのかもね。だから、私も結局、自分の好みでしか
見れないでしょう。

洪武帝は農政に優れたそうで、老いてから粛清に走った
のは周知で、言論の統制も凄まじいものがあったそうで、
自分のキライな字の使用を禁止したとか。特に『光』と『禿』
あと彼の粛清の大きなもので重臣・胡一族への粛清
胡の獄がありましたが、胡への罪状には、
モンゴルと日本に連絡をとり謀反を計画〜とあったとか。



#3215 
徹夜城(珍しく日曜中にムロタイ更新した管理人) 2002/09/16 01:31
ふう…怒涛のレス

「ムロタイ」アップしてから掲示板みたら大変なことになっている。レスを書き出したらもうこんな時間(汗)。「史点」はまだ書けません〜明日は仕事ですし(涙)。
それにしても遊牧民と農耕民、朱元璋から近代中国、さらにはハンバーグの話題まで出ているとはなんとまぁ幅の広い展開でございましょうか(^^)。

>リリス改めエリスさん
あらら、突然改名されましたね。
 さて「鎖国」と日本の島国根性の話ですが、明の海禁政策がかなり早い段階から守られなくなり私貿易の跳梁につながっていったのに対して、江戸日本ではそうした現象はほとんど見られなかった、という点も気をつけなくてはなりません。鎖国政策直前まではあれだけ海外雄飛をしていた日本商人たちがパタッと姿を消してしまうというあたり、日本ならではの事情があるようにも思えます。

 このところ「ムロタイ」でも毎回出演の朱元璋の話ですが、中国でもいろいろと評価の分かれる人です。評価が分かれるというより複雑な状態をそのまま捉えるしかないと言いますか。清代に「彼は一人で聖賢と豪傑と盗賊の性格を兼ね備えていた」と評した史家がおり、これが今なお朱元璋をもっとも正確に表現した評だと言われたりします。
 前にも書いた話ですが順治・康熙・乾隆といった清代の名君皇帝たちも洪武帝を中国最高の名君と高く評価していました。それは一つに清代のシステムのルーツが明にあるからだとも思えますが、その異様なまでの秩序志向が好まれたのかもしれませんね。
 共産党が天下をとりますと、毛沢東らは歴史上の農民反乱を全て「起義」として正義の革命闘争と定義するわけですが、朱元璋はその農民反乱(紅巾の乱)の中から出てきたのに支配者側に鞍替えした、いわば「裏切り者」的な扱いを受けることになります。今はどういう位置づけなのか僕も確かめてはいないんですが、割合高い評価を受けてもいるような印象があります。
 それと確かにいちいち毛沢東とダブってくるんですよね、朱元璋って。文革も真っ青の粛清騒動何度も起こしていて、それもモウロクしたとかではなく明確な意思を持って邪魔者を抹殺している辺りが恐ろしい。まぁあの中国で天下を取ってしまうような人は良い方にも悪い方にも巨大なベクトルが働いてしまうようではあります。

 日本人は成り上がり者が好きかどうかということですが、僕はこれについては余り世界的に差が無いように感じています。アメリカだって急激にのし上がってきた人を評価する一方でクソミソにけなすこともよくありますから。ちなみにアメリカでは日本の「太閤様」のような位置にあるのがリンカーンだという話を聞いたことがあります。

>中国の南と北
 阿祥さん、あいさん(はじめまして!)お二人のお話、興味深く読ませていただきました。確かに北から入ってきた大陸浪人連中については満州征服など目に見える形での侵略に関与しているせいもあってか、おおむね悪印象で語られますよね。そしてその一方で南側で活躍した日本人たちだって決して善意ばかりとは言えないところもある。
 幕末から大陸進出論があったというのは事実でして、幕末直前(変な言い方ですが)に活躍する憂国論者たちもかなり早い段階で大陸進出論をとなえ、「秀吉の壮挙が失敗したのは無念」などと書いています。話が飛ぶようですが、僕は漫画「風雲児たち」の大ファンなのではありますが、実はあそこに出てくる魅力的な主人公の多くがこうした大陸進出論、露骨に言えば侵略論を唱えてるという事実にぶつかるといささか複雑な心境になってしまったものです。

>奥野さん
 いま日本の狂言界は昨年の大河ドラマで主役を張ったお方をめぐってひと騒動でして…しかし「狂言騒動」という見出しは使えないんですな(笑)。
 そういえば先日書き忘れましたが、イワン雷帝が貴族たちが言うことを聞かないのに腹を立てて出奔騒動を起こすって話はエイゼンシュテインの映画「イワン雷帝」の第一部ラストでやってましたね。
 大河ドラマの主役交代に絡めてですが、アメリカNBC製作の「ピョートル大帝」は最初の部分で子役を使った上で前半の若いころをジャン=ニコラス、後半をマクシミリアン=シェルが演じるという形になってました。大人役でわざわざ交代して演じるというのも珍しいと思いましたが、あまり違和感はなかったです。
 子役からの交代がまさに絶妙だと思ったのは映画「ラストエンペラー」の溥儀ですね。

>ホリー・ハンターさん
 遊牧民と農耕民の抗争の歴史はイブン=ハルドゥーンも歴史法則の説明に使ってたりしますね(って直接読んだことは無いんだけど)。彼は自分の理論をティムールという実例を目の当たりにすることで「証明」できたとも思えます。
 そういやぁ「ムロタイ」のちょうど今頃ティムールが大征服を開始しているころなんだけど、さすがにあっちまでは手が伸ばせません(笑)。よく「ティムールvs永楽帝」の戦いが実現したらどうだっただろう?ってのは仮想歴史ファンがネタにするとこですね。

>原田実さん
 書き込みを拝読して「プルガサリ」のDVD引っ張り出しちゃいましたよ(笑)。なるほど、気がつかなかったなぁ。確かに馬をバラして食ってるシーンがありますね。あとは木の根っこを食うという定番演出でしたが。
 「太平記」でも越前金ヶ崎城に籠もった新田軍が軍馬を食べるまで追い詰められたという凄惨な描写がありますね。もっともあのころは肉じたいを余り食わなかったんじゃなかろうかと思うところも。



#3213 
ホリ−・ハンタ− 2002/09/16 01:01
馬刺し ですか(冷や汗

>原田 様
すんごい お詳しいですね。勉強になりました。
タルタル〜の名前の由来は、中世ロシアが恐れたタタ−ル人の
ことなんですか?とゆうことは、ロシアでもハンバ−グは
流行ったんですかね?

話しは、変わりますが、製鉄とゆうか〜鉄武具の最初の使用は
アッシリアだったと〜高校の世界史では習いましたが、
司馬さん の本では、それよりも古いのはシベリアの遊牧民で
古代の製鉄跡も発見され、その方面の研究はロシアが詳しいのだとか。
やはり馬のヒズメに鉄を打つ関係上なのかな?




#3212 
原田 実 2002/09/15 21:43
タルタルステーキとハンバーグステーキ

ホリー・ハンター様
遊牧民が鞍の下に入れた馬の生肉を食べた習慣は、現在、タルタルステーキと呼ばれる料理になっています(「タルタル」は突厥=ツルク人に対する中世ヨーロッパでの蔑称に由来。西欧ではツルクをモンゴルやフンと混同し、さらにギリシャ神話の地獄・タルタロスと結びつけて、遊牧民を地獄の使者とみなした)。タルタルステーキは馬肉が定番ですが、これはその料理の歴史的由来だけではなく、牛肉にはたまにいるサナダムシやジストマが、馬にはまったくつかないため、生食での寄生虫感染を防ぐ意味もあります。ハンブルグの地名は古代ローマ帝国時代のフン族進入に由来するもので、遊牧民風の料理法がそのころこの地に伝えられ、さらに生肉食に抵抗のある現地人がそれを焼いて食べたところからヘンバーグステーキの調理法が始まったようです。
なお、現代日本でポピュラーな生肉食は馬刺しと韓国風ユッケですが、後者では必ず牛肉を使います。これは朝鮮半島では馬肉食がタブー視されているからです(だから北朝鮮映画『プルカザリ』で反皇帝ゲリラが馬をつぶして食べる場面は本当に彼らが餓えきっていることを端的にあらわしていることになる)。
戦後の一時期まで、韓国人は日本人の馬肉食を忌み、日本人は韓国人の犬肉食を嫌ってお互いに野蛮視するという悲しい状況もありました。ちなみに私自身は馬刺しは好物ですし、犬肉は中国で食したことがあります。

http://www8.ocn.ne.jp/~douji/


#3209 
エリス 2002/09/15 21:00
日本人は成り上がり者が好き?

 どうも、奥野さま、はじめまして。エリスと申します。
 成り上がり者が好きなのは日本人特有の心性なのでしょうか。アメリカ人などもそうしたサクセスストーリーが好きですよね。太平洋戦争のときアメリカは敵国日本の文化や国民性を詳しく調べ上げました。「菊と刀」というアメリカの女性文化学者が書いた
本にその内容が書かれていますがその中には、「私たちアメリカ人は社会の底辺から成功して這い登ってきた人間を尊敬するが、日本ではそのような人物は成金といって軽蔑される」という意味のことがあります。
 洪武帝は人口の圧倒的多数を占める一般庶民に対しては寛容で善政を布いていたのです。しかし社会の上層部の官僚や知識人階層(これは政務に携わる官僚を輩出する社会層です)に対しては冷酷非情だった。これは彼が自分の貧しい出自からこうした人々を憎み、かつはコンプレックスを抱いていたことが原因だといわれています。それに己の覇業を助けた建国の功臣たちも一族もろとも粛清していまいました。
 どんなすごい成り上がり方をしていても、彼が帝位についてからは全くの暴君でしかない男なら私もこうまで入れ込まないのですが(笑)非常にいい面もあるので惜しいなあと思うわけです。
 それから洪武帝と光武帝は違いますよね。光武帝劉秀は一時簒奪されていた漢王朝を再興させた人物です。彼は皇室の流れを汲む地方豪族の出ですが若いころは農作業や商売をやっていたこともあって庶民の暮らしにも親しんでいたようです。彼は功臣粛清などの冷酷なことを一切やらず、中国史上でも有数の名君として高く評価する声は多くあります。個人的には、彼と唐太宗の李世民、宋太祖の趙匡胤が中国三大名君だと思っております。長期王朝建国とその後の治世も良かったという点で。



#3208 
ホリ−・ハンタ− 2002/09/15 20:51
ハンバ−グ

話しが変な方向に行くのですが、私は、今まで
『ハンバ−グ』とゆうのは、ハンブルグで流行はじめた
料理だから、そうゆう名前なんだと思ってました。

ところが、ひき肉を固めて焼く料理じたい の起源は
もっと古いのだ〜とゆう話しを聞きました、つまり
ユ−ラシア大陸北西部の遊牧騎馬民族の料理だったのだと。
で、そもそも、こうゆう料理が出来たのは、偶然とゆうか
騎馬の鞍に肉を防水袋で携帯してたのが、騎馬の走る振動や
乗ってる人間に押しつぶされグシャグシャでツブれた肉に
ツナギを入れ固めて焼いて食ったら中々イケたので、
流行ったのだとか。
私は料理はせん人間ですが、料理趣味の知人によると
ハンバ−グは、ミンチミキサ−にかけるより、
手動〜包丁で叩き手で潰して作った方が
肉の繊維が損なわれず弾力のあって歯ごたえ
があり美味しいのだそうで。



#3207 
奥野 2002/09/15 18:05
歴史上の人物をいかに老いさせるか

明の洪武帝。僕はよく知らないのですが、社会下層から皇帝にまで成り上がるのは確かに尋常一様の人物ではないでしょう。しかし豊臣秀吉とか田中の角さんとか、「成り上がり者」は意外と人気を集めるところがあるのですが、光武帝はそうでもなかったんですかね。あるいは、このタイプの人物像を英雄視するのは日本独自の心性なのか。
ビザンツ帝国にも平民から身を起こして皇帝になったバシレイオス1世という人がいますが、その過程ではやっぱり相当悪どいことをやっています。考えてみれば、身分などのバックボーンがない人物がそれだけの上昇を遂げるにあたって手段など選んでいられないだろうし、人間的にはヒーローになり得ない方がむしろ自然かもしれません。下積みの苦労を知る叩き上げが謙虚とは限らない、という点では、最近では鈴木宗男氏がいいお手本になっていますね。

>徹夜城様

そういえば、作り事・お芝居という意味での「狂言」の用法はいつ成立したんですかね。古そうな用法なのに、いまだに死語化していないところは面白いと思います。「狂言強盗」という言葉などはすっかり定着してしまって、他の言葉には置き換えられないほどです。誰も「太郎冠者みたいな人が強盗として押し入ったのか」とは思わないでしょう。

子役からの切り替えとしては、僕も「吉宗」の演出には度肝を抜かれました。あまりにも大胆というか、トリッキーに過ぎたような…「信長」では緒方直人自身が子役のような貫禄のなさでした。「武田信玄」では、そう言われてみれば子役も出ていたような気がします(あまり憶えていない)。
大河は基本的にある人物の一生を追いかけていくパターンが多いから、「年をとらせる」という作業が必要なわけで、この辺りは大変ですね。あと、「独眼竜政宗」では最終回でいきなり老け込んだ政宗主従が印象的でした。それまで月代を剃っていなかったのに、最終回でだけ剃っていたり。演出の苦労は分かりますが、これもちょっとやりすぎな印象は受けました。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/6218/


#3206 
ホリ−・ハンタ− 2002/09/14 23:12
中華北西部の遊牧民

歴代の中華王朝を脅かした北西部の遊牧民、
彼ら は、ただ、我々が放牧とゆうと、想像するカウボ−イでは無く
牛は飼わなかったそうで、(現在のモンゴルは牛を飼ってるか分からんが)
何故かとゆうと諸説あり、牛はノロクて、移動のスピ−ドが生命線の
騎馬民族のスタイルには向かない、牛はヤギや羊にくらべ牧草を
やたらと食い、牧草地のコストとゆうか、牧草地のロ−テ−ションが
難しい、など〜を聞きました。
古代から中世にかけ徐々に西部へ移民していった中華歴代王朝は
騎馬民族から見れば、自分たちの生活圏を脅かす存在であったのは
とは思います。



#3205 
エリス 2002/09/14 21:50
ヒーローになり損ねた男

 明太祖の朱元璋は天下統一の戦いのとき、軍の規律を正しくして中華の民の支持を得る一方、敵であるモンゴル人にも寛容でした。捕らえたり、降伏してきたり支配下に入ったりしたモンゴル人に危害を加えないよう、命令を出しています。この敵に対する寛容さを臣下である官僚や知識人階級の人々にも発揮できていれば、彼は中国の長い歴史の中でも最高のヒーローだったでしょう。彼は二重人格的だとはよく言われますね。日本の豊臣秀吉なんかとは比べ物にならない、いい意味でも悪い意味でも大陸的でスケールの大きな人なのだと思います。後の永楽帝の派手な外征や、鄭和の大航海が可能だったのも、朱元璋統治時代の蓄積があったから出来たことです。戦乱の時代を切り抜け、荒れ果てた田畑を整え、離散した農民を帰農させ民心を安定させて、そこまで国庫を豊かにしたのだからやはり統治者としては有能な人間だったのです。極貧の貧農の出自で、ろくな教育も受けてはいなかったけれど本来の才覚と後天的努力でかなりの知性と教養を備えていました。政治にも軍事にも彼自身がかなりの才能を持っていて、その点、同じ農民出身の皇帝である漢の高祖劉邦とは大きく異なるところです。帝位についても贅沢せず、終生質素倹約に努めていました。
 ・・・いや、本当に彼には非常にいいところもあるんですよ。ただ、悪い部分も大きすぎるんですよ〜、という話でした(泣)



#3204 
あい 2002/09/14 21:13
中国革命に暗躍する日本人

こんにちは。こちらのページを最近のぞかせてもらっています。面白そうなのでちょくちょく遊びに来るかもしれません。よろしくおねがいします。

さて、日本は辛亥革命の時南の政権に肩入れして北側を支援したのはいなかったというお話がありましたが、実は両方いるんですね。南の孫文を支援した宮崎滔天は有名ですが、彼が南方派大陸浪人の代表だとすると、それに対して清朝を支援して清朝王族を担ぎ上げようとしていたのが北方派大陸浪人の川島浪速を中心とするグループです。実際に彼らは当時大陸に駐屯していた日本軍(この当時はまだ関東軍とはいわなかったはず)の支援を受けて軍事行動を起こそうとしていたのですが、それを知った日本政府がまったをかけて計画は中止されました。(このころはまだ政府のいうことを聞いたんですね)満蒙独立運動とよばれる一連の動きは、その後の満洲国建国につながるものといわれています。清朝一族を担ぎ上げて満洲に独立政権を建てようというものでした。ちなみにこのとき担ぎ上げられた肅親王善耆という清朝の高位の皇族は娘を川島浪速の養女に出していまして、それが満洲事変のころに軍部で暗躍する川島芳子です。

南方派大陸浪人と北方派大陸浪人はお互いに交流があったようで、はじめ辛亥革命で南方を援助して、それから満洲事変のころにはまた北方を支援している人なんかもいるみたいです。どうも彼らの関心というのは日本の国益だったらしく、南方派を支援した人もそれが日本の国益につながると思ったからのようです。(孫文ははじめ満洲を日本に譲ってもいいようなことをにおわせていた)つまり、南方派も北方派も本質においてはたいした違いはないのですが、どうゆうわけか日本でも中国でも南方を支援した日本人は美談として取り上げられ、北方派を支援した日本人は軍国主義者、反動分子として糾弾される傾向にあるようです。この話は愛新覚羅ウラヒチュン著『最後の公爵愛新覚羅恒ク』にでてきます。

日本人は幕末のころから大陸に出たいという欲求があったみたいですね。吉田松陰なんかもそう主張していたように思います。彼の弟子たちが日本の指導者になっていくのですから、その後日本が大陸にむかって突っ走っていくのも無理からぬことだったのでしょうか。



#3203 
阿祥 2002/09/14 15:33
南中国に肩入れする日本人

>朱元璋軍=共産党軍(軍の規律は正しく、ゆえに衆望を得ている。社会の下層からの出自が多い)、張士誠軍=国民党軍(軍の規律がなってないので民心を失っている。比較的裕福な層が軍の中心である)、モンゴル(元)軍=旧日本軍(外部からの侵略軍)と考えると実に良く当てはまってます。

エリスさんの比喩で、僕も思い当たることがあります。今世紀の共産革命で人民中国が成立した際、多くの日本人が台湾やら東南アジアやらで軍事支援をしています。台湾で有名なのは“白団”と呼ばれた人々で国民党の軍事顧問などをしています。またそれだけではなく、中華民国の革命から、蒋介石の台湾移転まで、日本と中華民国の関係は侵略戦争だけでなく、亡命の受け入れや、留学生の教育など評価すべき活動も数多く行われています。
僕には、この一連の流れと明末の南明支援に傾く日本人の心情とは、つながる所が多くあるように思えてなりません。それに対し、北側の政権が傾く場合に、それに対し日本人が動くというのはあまり聞きません。もっとも蒙古が草原に帰ったりするのに、日本人の立場からでは、その場に立ち会うことさえ困難でしょう。清朝が倒れるときに日本は中華民国の革命を支援していたように思えます。

そこで思いつくのは“国民党軍が比較的裕福な層が軍の中心である”ことと南明の人々が日本、東南アジアの交易にその経済基盤を置いていたという事実です。海を介して南中国と、日本は昔からつながりをもってきました。古くは米の栽培技術から経済、文化交流など枚挙に暇がないと言えます。もしかすると、その量と質は朝鮮経由の北からの交流と比べるとそれを上回るものじゃなかったか。とくに宋朝以降、海での交流が発展してくるとそうなったのではないか。そして、その太く強いつながりが、こういった心情的な偏向をもたらしているのかなと思うのです。



#3202 
ホリ−・ハンタ− 2002/09/14 13:54
遊牧民と農耕民

司馬遼太郎さん の説では、ユ−ラシアで長きに渡った
農耕民族VS遊牧民族の戦争の歴史は、お互いに
日常生活にかかわる問題がからみ、つまり、農耕民族の
言い分は、騎馬民が田畑を荒らす〜と怒り、
また、遊牧民の言い分は、貴重な放牧地を田畑に変えやがって
〜と怒り、とゆうような感じだったと書いておられたのを
読んだ記憶があります。歴史が進と複雑な政略や戦略も
変わったことでしょうが、根本は変わらない〜とゆうことで、
中華思想では、農民が善で遊牧民は悪とゆう構造が顕著では
ないか?と司馬さん は書いておられました。
『北虜南倭』とゆう言葉も、何やら長年の遊牧民への憎しみが
こもってますし、万里の長城とゆうのは、それへの物理的な
象徴でしょう。



#3201 
リリス あらため エリス 2002/09/14 13:12
鎖国と明太祖

 管理人様、どうもありがとうございます。
 いえ、鎖国体制っていかにも日本の島国根性的な、日本独自の体制のようにいわれがちなので、それが大陸国家中国の真似だったら面白いなあと思いました。
 それから朱元璋て単に暴君とだけいっては不公平な気がする・・・。人口の圧倒的多数を占める一般の農民たちには彼の治世はそれなりに過ごしやすかったはずだ。今だ強大な力を誇るモンゴルを中華の地から駆逐し、北の守りも彼の時代は万全だったはず。奴隷や乞食同然の身分から天下統一の皇帝にまでなったのだから、本来なら英雄視してしかるべき人物なのですが、いかんせん、大量粛清や官僚への恐怖政治、皇帝直属警察の行き過ぎなど、マイナス点が大きすぎて、中華の誇るヒーロー、とは言いがたいのが残念です。毛沢東に似ているというのは確かですね。朱元璋軍=共産党軍(軍の規律は正しく、ゆえに衆望を得ている。社会の下層からの出自が多い)、張士誠軍=国民党軍(軍の規律がなってないので民心を失っている。比較的裕福な層が軍の中心である)、モンゴル(元)軍=旧日本軍(外部からの侵略軍)と考えると実に良く当てはまってます。



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