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#3500 
なな 2002/12/06 22:05
これ?

他サイトで見つけたコピペで恐縮です。朴瑞生(パクソセン)の帰国報告の部分だそうです。
>世宗実録11・12乙亥
「倭賊嘗て我が国を侵略し我が人民を虜し、以て奴婢と為し、或いは遠国に転売し、永く還らざらしむ。其の父兄子弟、痛心切歯するも、未だ讐に報いることを得ざる者、幾何人か。臣等の行くや、船を泊する処毎に、被虜の人争いて逃げ来たらんと欲すれども、其の主の枷鎖堅囚するを以て未だ果たせず。誠に愍れむべきなり。日本は人多く食少なく、多く奴婢を売り、或いは人の子弟を竊みて之を売る。滔々として皆是なり」



#3499 
やえ 2002/12/06 21:02
世宗実録の記事について教えて下さい。

はじめまして。やえと申します。

突然ですが教えて頂きたい事があります。
『世宗実録』に朴瑞生の日本の風俗の報告が書かれているそうなのですが、
どこにあるのか見つけられません。もしご存知の方がいらしたら教えて下さい。
よろしくお願いします。




#3498 
ホリ−・ハンタ− 2002/12/06 12:45
探偵不要論

本当なのかどうかは分かりませんが、松本清張 氏は
『サスペンスに探偵は不要です。』とまで言い切った〜と聞いたことが。
たぶん、スタンドプレイばかりやる英雄志願の探偵を登場させなくても
サスペンスを創り上げられる〜とゆうあの先生の自信と自負を示したもの
かもしれません、しかし、横溝 さん には、どう感じたのでしょうか?
営業妨害と感じてたりして。(苦笑
ただ、警察&私立探偵の肩ばかり持つ作品が多いと読者にも飽きられるとゆう
のもあるかもしれません、サスペンスは何といっても読者のカタルシスを
満足させるのが使命ですからね(苦笑
最近のサスペンス・ドラマは、往年の、刑事&探偵VS犯罪者とゆう図式を
手軽に引くことが困難な環境にあるようには感じます。
ところで最近のTVドラマって医者が主人公の物がヤケに多いのではないですか?
たしかに織田ユ−ジや高島礼子のような医者に診察、治療してもらうのは
スリルとサスペンスがあるかもしれません。(爆死



#3497 
アール・ケイ 2002/12/06 10:34
公私混同

カーク・ダグラスの代表作の1本、『探偵物語』(原題DETECTIVE STORY)は
明智や金田一のような私立探偵ではなくて、
ニューヨーク市警の刑事の話だったりします。
いわゆる私立探偵の場合は“私立”探偵と表するわけで、市警だったら“市立”探偵になるわけですな(笑)。


http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#3496 
徹夜城(時折推理小説にハマる管理人) 2002/12/05 23:52
じっちゃんの名にかけて…(笑)

>原田さん
僕も「じっちゃんの名にかけて」とか言い出す少年が出てきたときはぶったまげました(笑)。金田一さん、いつの間にお孫さん、いやそれ以前にお子さんが?(爆)。
「ルパン三世」みたいなもんだ、という意見もありましょうが、少なくともアルセーヌ=ルパンは実の子が最低二人は確認できますからね。あの調子じゃもう5、6人はいそうな気がする(笑)。

まぁコロンボと金田一のつながりはなんともいえませんが(外観的に共通項があってもコロンボってあれで実はかなりのやり手刑事ですよね)、金田一耕介のキャラも実のところ明智小五郎の初期段階の影響を受けているのではないかと思うんですよね。明智はその後ダンディ系にイメチェンしていったのに対して金田一がそれを引き継いだんじゃないかと。
 初期の明智小五郎のモッサリぶりはシャーロック=ホームズのぐうたらさ(あんまりそういうイメージ持ってない人が多いんですけど、よく読むとひどいものです)にルーツがあるんじゃないか、とそう思いますね。

 以上、これも「推理小説史」という歴史の一ジャンルであります(笑)。



#3495 
原田 実 2002/12/05 15:43
もちろん冗談ですが

その昔、金田一氏がアメリカを放浪していたころ、ロスアンジェルスのイタリア人街で隠し子を残していたという説を唱えたことがあります。その子は父親から、すぐれた推理力と、もじゃもじゃの頭をかきむしる癖と、よれよれの服を愛好する趣味を受け継ぎ、長じては警察でルテナントまで出世した、と。
『病院坂の首括りの木』事件の後にアメリカに「帰った」金田一氏はその息子の家に転がり込んで、かの有名なるカミさんを困らせているのでは、などと空想したのですが、その時分には、まさか後に金田一氏の孫を僭称する少年探偵が現れるとは夢にも思いませんでした。

http://www8.ocn.ne.jp/~douji/


#3494 
ホリ−・ハンタ− 2002/12/05 12:55
ディティクティブ=アウトロ−?

確かに、コロンボが金田一に似てるのですね。(冷や汗
アラ探しもなんですが、コロンボ、金田一、両氏は完璧なアウトロ−
ではありません、金田一耕助は警視庁捜査課の等々力警部が親友で
警察とは関係が割合良好とゆう設定だし、コロンボにおいては本当に
刑事です。大沢在昌サンが自嘲気味に書いておられましたが
サスペンスで主人公にディティクティブを振る場合、
アウトロ−であるのと、ないのとではウケが違うと。(苦笑
最初に新宿鮫を起稿するにあたり鮫島を刑事にするか、しないかで
相当、悩んだ〜とゆうのを読んだ事が。
その点で言えば、松田優作サンが演じた次元大介みたいな服装の
探偵ドラマは、アウトロ−のセオリ−をかなり踏んでいたと
思います、毎回、依頼人にハメられ濡れ衣を着せられ警察にイジメられ
情報屋にタカられ、それでも彼は出来るだけ独力でドツボから
這い上がっていきます。
このドラマは一応、原作があるようで(小鷹信光 氏?)
原作者の証言では、優作サンがアドリブで作り上げたオリジナル
であると、原作者は、自分はそれまでハ−ドボイルドとは
人間のヤセ我慢の物語であると思っていたが、
優作サン演じる人間味あふれる探偵・工藤俊作を見て、
目からウロコを落とした〜と。



#3493 
徹夜城(やっと仕事から帰ってきた管理人) 2002/12/05 00:33
金田一

>ホリー・ハンターさん
「コロンボみたいなディティクティブ」とか言われると、「コロンボが金田一に似てるんじゃ!」とツッコミを入れてしまいそうな、ひところ横溝ファンだった私です(笑)。
歴史ばなしとそれほど絡みませんけど、金田一論ってのもやりだすと止まれなくなるんですよ、僕は。その一方で「刑事コロンボ完全版」DVDをちびちびと集めたりもしております。金田一の方もTVドラマ版(ほとんど古谷一行)が続々とDVDになってますけど、こっちはキリが無いんで集めません。やっぱり石坂浩二の映画5作だなぁ、と。
 地方の観光名所で殺人事件、ってのはサスペンスドラマが同時に旅行番組となっているということでしょうねぇ。まぁ思い返せば松本清張の「ゼロの焦点」あたりからその傾向はあったような気がしますが。
 横溝正史の有名どころはほとんど岡山県ですね。岡山県って僕もまるっきり縁がないところでして、どんな感じなんだかイメージがないもんで…。瀬戸内海の島も「獄門島」のイメージが強かったんですが(笑)、今年初めて実際に行けて面白かったですね。ああ、その旅行記もまだ書いてない(^^;)。

>七海さん
 ホリー・ハンターさんへのレスも含むんですけど、僕は井沢氏に関しては「大」はつかないものの嫌いなのは確かですね。ただ、その読み物を書く実力は認めますし、斜め読みするぶんには面白いです。「逆説の日本史」だって「井沢元彦自身を名探偵とする歴史推理小説」だと割り切ってしまえば面白く読めますよ。以前「井沢氏=ホームズ論」ってのをこの掲示板で書いたことがありますんで、ご興味があれば過去ログを探してみてください。
 ただ七海さん、井沢氏の場合むしろ「細かく」見ていくとアラが見えてくるタイプ、という方が正確ですね(笑)。「逆説の日本史」を入り口にして、あれこれ読んでみるとまた違った見方が出来ると思いますよ。

>ひろぼんさん
エンタシスの件、なるほど、フェノロサという線はかなりありえますね。どこまで意図的なものだったかは分かりませんが、確かに明治日本って自国の伝統文化を卑下することはなはだしい側面もあったと聞きますので、その再発見・再評価をしたフェノロサが言説としてブチ上げたかも、とは思えます。

「グレート・ブリトン」、結局終わってみればチャーチルでしたねぇ。ロンドンのウェストミンスター寺院の「特等席」に彼は葬られてるんですよ。2位が中間結果で1位だったブルネルでしたが、僕は全然知らなかったです。イギリスでは相当ビッグな人なんですねぇ。日本だと…うーん、似たような人がいるかな?
 3位にダイアナさんが入っちゃってましたねぇ(^^;)。これ、毎年やってたらどんどん変化していくような気がしますが…4位がダーウィン。改めてダイアナ人気の意外な根強さを感じちゃいますね。



#3492 
七海 2002/12/04 21:05
「逆説の日本史」がどういうものかは知っていました(笑)

 管理人様、レスありがとうございます。

 井沢元彦氏にしても確かに問題のある小説家ではあるとは思いますが、「細かく」見ていけば同情の余地くらいは出てくるものです。・・・東条英機のように(爆)



#3491 
ホリ−・ハンタ− 2002/12/03 19:13
地方名所案内歴史サスペンス

>徹夜城サマ
私は、物分かりが悪い方でして、井沢氏に関する
貴方の長文を読んで、だいぶんたってから察するに、

ようするに井沢サンが大キライだとおっしゃりたかった
わけですか?(爆死

わたし自身は逆説シリ−ズは読んだ事無いので何とも
言えず、井沢作品は、えぇっと『義経はココにいる。』
ってのを読んだ覚えが、地方で連続殺人事件が起こり
その原因に歴史がカラまっている〜とかゆうパタ−ンで
でもこうゆうのって火曜サスペンスや土曜ワイド劇場等で
この手のモノが氾濫しまくってて感覚がマヒしてる私には
井沢サスペンスは別段、グっとくるものは無かったですね。
井沢サンってもともと歴史推理サスペンス物で鳴らした人
じゃなかったかな〜最近はサスペンスはやっておられないのですか?
あぁ、逆説シリ−ズじたい がサスペンスなのか?(爆死

地方名所案内サスペンス・ドラマとゆうのは外国人には奇特に
映るとゆうか〜私が前、勤めていた会社に長期研修に来てた米国人が
私に『地方の観光名所で殺人が起きるドラマが多いな〜日本は
都会より田舎の方が物騒なのかい?』と聞き、返事に困りました。(爆死
ただ、その彼と私の一致した意見では、
地方の案内とサスペンスを同時進行させるタイプの作家で
横溝正史ほど読者を怖がらせるモノを書く作家はいなかったろうな〜と。
その米国人の彼は金田一耕助シリ−ズを気に入っていて
『ジャパンにもコロンボみたいディティクティブがいるね。』と言い
なるほど、それは思いもしなかったなと。
ディティクティブとゆう言葉の意味は、刑事であり探偵でも
あるそうですね、アタマにオフィシャル〜やプライベ−ト〜を
付け区別するのでしたっけ?



#3490 
ひろぼん 2002/12/03 17:11
まいど長文ですみません。

>ななさん
そうですか、エンタシスの柱が教科書に載っていたということは・・・想像・・。(失礼)
じゃあ「じぇんこくの女子高校生のみなしゃーん。」もわかりますね?(笑)

補足しておくと、本当のエンタシスの柱というものは、柱が地面から上に向って徐々に細くなるか、一定の太さであがっていって途中から細くなるものであり、法隆寺やそのほかの伽藍にみられる、柱の真ん中あたりが一番太いという特徴は、実はエンタシスとは似て異なるものなのです。
では、なぜ明治時代の日本の識者がこれをエンタシスだと言い切ったのかということでこれは私見ですが、西洋コンプレックスということ以外に、明治初頭に吹荒れた廃仏毀(はいぶつきしゃく)釈の影響があったのではないかと思うんです。
この廃仏毀釈によって全国の仏教寺院は相当なダメージ(東大寺なんかは大砲で攻撃されそうになった。)を受け、多くの伽藍や仏像が破壊もしくは傷つけられるのですが、このような出来事を当時の研究者は苦々しく思っていたのではないでしょうか。そんなところへアメリカの哲学者のアーネスト=フェノロサ(東京芸術大学創設者の一人)が来日し、彼が日本の伽藍建築や仏教美術にヘレニズムの東漸(エンタシスやアルカイックスマイルなど)を読み取るわけです。それで、日本の研究者たちはこの説に追従していくわけですが、本心はどうだったか怪しいと思うんです。私が思うには、ヘレニズムの東漸説を認めそして広めることで、実は仏教建築や美術品を守ろうとしたのではないかと思うのです。ひょっとしたらフェノロサ自身にもその思惑があったのかもしれません。

>GREAT BRITON(BBC偉大なイギリス人ベスト100)
中間結果を徹夜城さんが史点でお書きになっていましたが、最終結果が先週発表されましたね。
1位はチャーチルでした。まぁそうなんだろうなぁって感想です。それでこの結果とは直接関係ないとは思うのですが、ブッシュ大統領がやたらとチャールズを持ち上げ、それだけだったらまだ良いのですが、自分と重ね合わせる発言をして、イギリスのマスコミから「いっしょにすんな!」と大ひんしゅくというか嘲笑を買っているそうです。(笑)
2位のブルネルは、建築家(イギリスの建築家ということで建築史やデザイン史の範疇でまず浮かぶのはウィリアム=モリスなんですが、100位以内には入っていませんでした。)というよりは、技術者(エンジニア)なんですが、まぁイギリス人特有の思い入れがあるのでしょぅね。フランス人だったらエッフェルというところでしょうか。
意外だったのは、フレディ=マーキュリーの58位。いや順位自体は妥当か上等なものだと思うのですが、ジョン=レノン(8位)やポール=マッカートニー(19位)は仕方がないとして、デビット=ボウイ(29位)などと比べると、ちょっと低いんじゃないのと思いました。これは彼がイギリス生まれじゃないからでしょうか?
あと印象に残ったのは、ハリーポッターのJ・K=ローリング女史(83位)やWWW(ワールドワイドウェブ)の発明者であるティモシイ=バーナーズリー博士が99位でギリギリトップ100入りなど。個人的にバーナーズリー博士は、(おかげでこうやって簡単にインターネットや掲示板などを利用できると思えば、)もう少し上げてやってくれと思うところ。(笑)

>ハリーポッターと炎のゴブレット
これが書きたくて上記にJ・K=ローリング女史の名前を入れました。(笑)
昨日読み終わりまして・・・私、不覚にも涙ぐんでしまいました。
私はこれまで出版された全作を読みましたが、一番良かったですね。というよりも、『賢者の石』と『秘密の部屋』は、単なる序章にすぎないということを改めて感じました。この二作では、「結局ハリーが偉いんかい!」という感じがしたのですが、第3巻『アズカバンの囚人』以降、前二巻で用意された伏線が見事に生かされていくようになるのです。
のこり3作(3年)で完結ですが、少し心配なのがローリング女史の環境が劇的に変化しているということですね。これまでは、自身のきびしい境遇をバネにして書いていたというところが作品の中でも伺えるのですが・・・。(このあたりは、翻訳者である松岡佑子さんも、あとがきでチラッと不安をのぞかせている。)
どうかティム=バートンのようにはならないで。(笑)
それから映像化は、全編完結してからにしておくれ。(笑)



#3489 
徹夜城(体調不良が続いている管理人) 2002/12/02 22:55
「逆説」にはご注意を

えー、風邪気味のあと体調不良が続いていまして、各種更新をするエネルギーが出てきません。その他いろいろと事情がございまして…すいませんです。「史点」ぐらいはなんとかしないとネタがたまって言っちゃうんですけどね。日本政界も何やら面白いことになってきてるし(笑)。

>七海さん
うーーーん(^^;)井沢氏ですかぁ。僕はこのお方にはかなり辛いんですけど…(^^;)
まぁ最近のあたりは読んでないんですけどね。しかし戦国マニアからはかなり批判をくらっているようです。ここまではあまりディープなファンがいないあたりを書いていたからこれからかなり突っ込まれるだろうな、とは思っておりましたが。
 「逆説の日本史」を読む上での注意点は七海さんもお気づきにはなっているようなのであまり指摘する必要はないのかもしれませんが、「面白い話にはご注意」とは言っておきましょう。
 古代史部分で井沢さんがどういう「情報操作」をしたかはここからリンクで飛べる「スズメの古代妄想館」様の方をご参照くださいませ。井沢氏の言い方ってかなり気をつけたほうがいいのがかなりお分かりになると思います。
 初期ほどではないようですが、「逆説」を出そうとするあまり都合のよい話だけ引っ張ってきて都合の悪い史料は無視、悪くすると情報操作をする、とまぁ実のところ歴史専攻の学生たちには評判は良くありません。それでいてアカデミズム批判だけはしっかりするんですから、まぁ司馬遼太郎ほど相手にされていないのも無理は無いでしょう。
ついでに申し上げればかつてはノストラダムスにはまり、最近ではグラハム・ハンコックをヨイショするなど、トンデモ系に免疫がないお方でもあります。読み物としては面白いものを書く人だな、とは思いますけどね。
「逆説」の倭寇編をうちの「ヘンテコ歴史本」でやってくれとの話もありましたが、まぁ大間違いというレベルではなかったし大笑いするほどでもなかったので放っておきました。単行本も出たことだしちょこっとやってみようかという気は無いでもないですが…少なくとも「中華思想と海禁政策」の説明は完璧に間違えてましたけどね。それとタネ本が少なすぎる(専門論文は一本も読んでない)のが気になりましたが、まぁお忙しい人ですからね。

 後醍醐天皇に朱子学の影響が見られるというのはまぁ言われていることなんですが、そればかりでもないでしょう。このあたりは網野善彦さんなんかの本を読んでみた方がいいかもしれません。井沢さん、最新研究に目を通さない癖もあるようなんで(「逆説」が切り出せなくなる恐れがあるからかもしれませんが)。

>ドリトル先生さん
「太平記大全」お読みいただけたようで、どうもありがとうございます(^^)。
司馬遼太郎の「一瞬」のお話、僕も大変面白く読ませていただきました。その「一瞬」のことだったかどうか忘れましたが、司馬自身が小説作法について書いた文章で、ある場面を隅々まで思い描くというくだりでそれに近いことを書いていたかもしれません。
南北朝についてなんですが、司馬遼太郎が言った言葉で僕も「なるほど」と思ったのは二つありまして、一つは「楠木は河内の気のいいおっさん」というもので(アール・ケイさんのとおんなじですかね…ひょっとして関西人の共通認識?)、もう一つは「後醍醐は天皇ではなく皇帝になろうとした」というもの。これはうまい言い方だと思います。
 ただ、司馬遼太郎の南北朝嫌いをにおわせる発言に「南北朝はイデオロギーの時代」という認識を示したものがあります(七海さんがお書きになっていた井沢氏の表現もこの延長上にあります)。宋学の影響が見受けられる後醍醐天皇、そして独自の秩序論をぶち上げた北畠親房の「神皇正統記」なんかが念頭にあると思われるんですが、僕みたいな南北朝マニアに言わせると「それって全体の一部でしょ」ということになっちゃうんでして。これらのイデオロギーがどれほど当時の動乱に影響があったかは、結局これらが序盤で敗れ去っていることで否定的に見ることもできるのではないかと思うのですね。もちろん一部には影響が強くあった部分も否定できませんが。
 これは推測なんですけど、司馬遼太郎は戦前の南北朝史観のアレルギーをかなりひきずっていたんじゃなかろうか、と。足利ぎらいの傾向はむしろ戦前型とも思えますけどね。

>奥野さん
横山光輝の三国志は確かに同じ顔が多すぎる(^^;)。区別がつかない人がかなりいますよね。それと、張飛のデザインは違和感ありありで…恐らく書き出した当時の段階では張飛の中国におけるイメージをご存じなかったのではないかと思われます。基本的に横山さん、吉川英治の「三国志」しか読まないで漫画化を始めたフシがありますから。序盤の吉川英治の創作部分をそのまんまやっちゃってるところなんか、著作権上問題にならなかったんだろうか、と素朴に思ってるんですけどね。
 ただ僕もあの横山版のスローペースは「三国志」の雰囲気にあっていたなと思ってます。一時期かなりハマって読んでましたし。
 北方謙三さんの「三国志」も「水滸伝」も未読なんですけど、南北朝シリーズという不毛の地に分け入った方なのに、このところメジャーに走っているのが個人的には残念で(^^;)。まだまだ南北朝にも小説にできる素材はころがっていると思うんだけどなぁ。

 コサックの話が出ておりますが、日本の新聞に出ていたイタル・タス通信の報道で、「サハリン・コサック」の一部が国後島や千島列島に入植するとの話題が出ておりました。この「サハリン・コサック」ってなんなんでしょうか?トップは「サプルイキン首長」となっておりましたが…

>ななさん
 まぁ神武天皇のモデルが加羅地方から来た可能性はないとも言いきれないですけどね、結局のところ神話伝説のあてこすりなんていくらでも出来るので、想像の域を出ないでしょう。
 韓国ではむやみに日本の古代史、ひいては天皇家の出自を半島に求める発想が盛んにもてはやされているようですが…僕も邦訳された歴史小説「消えた王国」読んで正直なところウンザリした覚えがあります。いえ、僕もそのつながりの可能性については否定しませんけどね、なんでもかんでも半島由来にしてしまう傾向がありまして(ついでに好太王碑文や七支刀の日本人による「捏造」を事実として執拗に書く)、どうもその心理の背景には日本に対するコンプレックスが働いているとしか思えず悲しくなっちゃうところがあったんです。
 先ごろの天皇の「ゆかり発言」(桓武天皇の母が百済系)で向こうで妙にフィーバーして日本ではほとんど関心をもたれなかった、という辺りにも両者間のギャップが見られましたよね。



#3488 
ホリ−・ハンタ− 2002/12/02 21:53
手強そうですね

>ア−ルケイ様
早速、調べていただき有り難うございました、そうですか
中々、探るのが難しそうな漫画ですね、でも、『何か読んだ記憶が〜』
とお書きになっておられるから、私の思い違いでは無くて
本当に、そうゆう漫画があったようだ〜とゆうツカミを得られて幸いでした。
ちなみに、私がその古漫画本を発見した納屋の家は、今も昔も
浄土真宗・本願寺派の地元の寺の檀家をやってる家で、仏教関係の
古い本が多くあって、くだんの地獄旅行の漫画も、何やら宗教ガラミの
感じがしそうでした。で、コレまた、ウロ覚えなんですが、
地獄行きを閻魔に宣告された主人公、巻のラストは、閻魔が
オマエへの判決は間違っていた、スマン、天国へ行くがよい〜と
主人公に言い、メデタシメデタシって結末だったと思うのですが、
まぁ昔の事なので記憶に自信がありません。(爆死



#3487 
七海 2002/12/02 19:59
「逆説の日本史」

 下の方の書き込みで、井沢元彦氏と著書「逆説の日本史」をけなすかのような、書き方をしましたが、私はこの本の大ファンです。今は、最新刊10巻が出たばかりで、著者お気に入りの織田信長を持ち上げまくっています。おそらく客観的で公平な、学者・研究者的なものの見方はしていないのでしょう(笑)
 個人的な楽しみは、やはり次の秀吉編、なんといっても朝鮮出兵ですね。
「昔は侵略は悪いことではなかったのだ!」と強弁する一方、敵将李舜臣を「奇跡の名将」と褒めています。
 井沢氏のことだから、きっとすごく李舜臣を持ち上げるのではないかな、と思います。だから楽しみなのですけどね(笑)負け戦の場合には、敵将を褒め称えないと、負けたほうが馬鹿になってしまう、というのもあるでしょう(笑)
 この「逆説の日本史」も英雄史観的ですね。特に戦国時代編を見ているとそう思います。南北朝時代の後醍醐天皇については「朱子学という外来のとんでもない教えにかぶれて、日本を戦乱の巷に巻き込んだとんでもない天皇。朱子学において、君主に必要とされる「徳」もない、部下を思いやる心のない不徳の君のくせに」という意味のことを書いていて、みそくそにけなしていますが(笑)楠木正成以外の南朝側の人物には概ね点が辛いようです。



#3486 
奥野 2002/12/02 17:55
横山光輝

>ホリー・ハンター様

細かいことですが、イヴァン雷帝のロシアはまだリューリク朝という王朝でして、ロマノフ朝ではありません。
それから、コサック(カザーク)というのは確かになかなか面白い存在だと思います。辺境に独自の社会を形成していたコサックたちは、社会の秩序を乱す者として、当初は政府からの弾圧の対象にもなっていました。しかしそのうち、政府は辺境の防衛や領土拡張の尖兵にコサックを利用するようになり、彼らを権力の側に取り込んでいきました。つまり、コサックはアウトローでありながら皇帝と直接結びついた特権的グループでもあるという、矛盾した存在となっていきます。おそらくコサックだけで編成された近衛部隊もいたのでしょうが、コサックにとってより重要だったのは、やはり辺境での任務でした。今でもコサックの子孫と称する人々は、南方の国境付近に多く住んでいるようです。

>新田義貞の部屋管理人様

こちらこそお久しぶりです。突っ込みありがとうございました。横山「三国志」、60巻まで出てましたか。やはり、家の中に置く場所がなくなって買うのを止めてしまったのが敗因か…しかし、キャラクターの顔パターンが少ない横山光輝が、よく「三国志」のように膨大な人物が出てくる物語を手がけられたものだと感心してしまいます。まあ、かなり顔は重なってますけどね。初期の劉備玄徳なんか、バビル2世にそっくりだし。
北方氏の歴史物はまだ読んだことがありません。というか、ハードボイルドでさえ読んだことがないのですが。北方氏のように、他の分野で実績を残した人が歴史小説へ「参入する」例って他にもあると思いますが、歴史一筋でやってきた人に比べて評価はどうなんでしょうかね?

>ドリトル先生様

初めまして。司馬さんが「ある一瞬」に動かされることが多かったという話、なるほどと思いました。歴史小説の手法として有効な切り口だし、実際それで大きな成功を収めていることも確かです。そうした劇的な瞬間に対する鋭い嗅覚、そして描写の際の筆致の巧みさが、司馬遼太郎の作家としての力量なのでしょう。
ただ、例えば南北朝や室町時代の人々にもそうした「一瞬」がなかったわけはないと思うのですが、その辺りに目を向けてくれなかったことは残念です。まあ、ここまで来ると「どうして俺の好きな人物(時代)を取り上げてくれなかったんだ!」という恨み節にしかならないですね(笑)。好みが司馬遼と合っているかどうかで。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/6218/


#3485 
なな 2002/12/02 01:21
百済分国 倭国

>ひろぼんさん
こちらこそ、レスが遅れて申し訳ありません。
私の教科書にも法隆寺の柱とパルテノン神殿の写真が並んで載っていたと思います。
でもって、つい先日までガッコで教えられたこのことをまんま信じていた浦島太郎です(涙。
時の流れに思わず言葉を失い、レスできませんでした。(^^;)
「草原から来た天皇」を見てきました。ウェブマスター氏は意外と冷静な方でしたね?
私も小林女史の本は実際に見ていないのですが、先に紹介した著書のあとがきの一部がウェブ上にアップされているのを見ました。ご本人は「いっちゃってる」感じがしましたね〜…。

このぐらいスケールが大きいと腹も立たないというか、作者や読者が楽しければいいんじゃないのと思うくらいなのですが、これが韓国のトンデモ歴史サイトとなると笑えなくなるっちゅーのは、私の中にも偏見とナショナリズムがあるかな?
>「百済分国 倭国」
…というサイトがあるんです。
サイトの名前から察せられる通り、卑弥呼〜宣化天皇までの歴代天皇を、一々半島の古代国家(主に百済)の国王と同一人物だったとしてそれぞれ大まかに解説を加えています。
卑弥呼が新羅に使者を送ったという西暦173年(三国史記)から、年代がはっきりする欽明天皇あたりまでの数世紀間に神武以下の歴代天皇をギュッと圧縮して押し込めている(笑。
解説の部分は、歴史用語と古代人名が多いので一部を日本語訳してみたけど意味不明でした。
原文を少し読んだ限りで言うと、「神武天皇はカヤ国の王子でその王妃が邪馬台国の台与」といった調子。(^^;)
昔の日本で言われていた「古代の日本は朝鮮半島を支配していた」という妄説の逆バージョンなのでしょうが、読んで気持ちのいいものではないですね〜。
神宮皇后も欽明も推古も聖徳太子も、すべて百済人だったと主張する説も韓国にはあるそうですが、ずっと後の子孫に攻め込まれるという歴史の皮肉についてはどう思っているのでしょう?



#3484 
アール・ケイ 2002/12/01 17:46
一応探してみました

>フルカラ−の漫画は、のらくろ、だけじゃなくて、作者が分からない漫画で
>主人公が親より先立ったため、閻魔に地獄へ落とされ
>地獄をイロイロ見て回って最後は天国へ脱出するとゆう
>漫画がありました。

たぶん、ですが、中村書店というところから出ていた「ナカムラマンガ・ライブラリー」の
なかの1冊じゃないかなあ、と思います(或いは講談社の漫画かなあ)。
しかし、資料(『OH!漫画』、『誕生!手塚治虫』など)を見ても
タイトルは載っているのですが、粗筋まではなく、
そこで行き詰まってしまいました。
そのストーリー、どこかで読んだような記憶があるんだけどなあ…。

http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#3483 
ホリ−・ハンタ− 2002/12/01 07:29
地獄への旅行

のらくろ ですが、ずいぶん昔に読んだので記憶もアイマイ
でして。全編カラ−の漫画だったのは、当時の自分も
驚きました、昔の漫画は高かったんだろうな〜って。
実は、親戚の、その 納屋から出てきた、古い戦前の
フルカラ−の漫画は、のらくろ、だけじゃなくて、作者が分からない漫画で
主人公が親より先立ったため、閻魔に地獄へ落とされ
地獄をイロイロ見て回って最後は天国へ脱出するとゆう
漫画がありました。コレ、知っておられるかた、
おられますか?誰が描いたのか未だに私は
分かりません、その本も紛失したようなので。




#3482 
貧乏神 2002/12/01 01:40
世界三大○○○

数日前の深夜の教育テレビでやっていた円仁の番組に阿南元大使の奥様が出演
されてました。アメリカ人の歴史家で、中国語ペラペラでした。やるなぁ、阿南Jr.
私自身、円仁のことはほとんど知らなかったんですが、もう少し評価されてもいい
人なんですねぇ。

>のらくろ
いつもながら細かいツッコミで恐縮ですが、連隊長がブルドッグだったりしますし、
ブルドッグとは戦ってないですよね。




#3481 
七海 2002/11/30 23:33
付け加え

 しかし、おじいさんの世代で、楠木正成の神格化された姿を信じないならともかく、名前さえ知らない方がいらっしゃっるとは(しかも、少なからず)初めて知りました・・・。政府の宣伝効果ってそんなものなのですね・・・。



#3480 
七海 2002/11/30 23:31
楠木ファンのかた、すいません(笑)

 どうも、管理人様、皆様、レスありがとうございます。

 正直、ここまで大きな反響を巻き起こすとは思っていませんでした(苦笑)誤解されているといけないので言っておきますが、楠木正成を貶めるつもりはないのです。気を悪くされたファンの方、ご容赦ください。

 そうですか、「太平記」人気というのがあるのですね・・・。

 う〜ん、確かに私は井沢元彦氏が「逆説の日本史」のなかで、多くの戦国武将、とりわけ織田信長を(私は彼も好きです。彼が本能寺で劇的な最後を遂げなくてもきっと好きだったと思います)持ち上げているのと多分同じ程度には、李舜臣を持ち上げたでしょうね。その小説家とも、韓国の軍事政権とも違うのは私にはなんの権力も、影響力もない、一個人に過ぎないということですが。
 東条英機と東郷元帥について書いたことは、半分は冗談です。だから文末に(笑)がついているのですが。それにここでは善玉・悪玉で分けたわけではありません。ただ単に勝ったか負けたか、です。
 確かに李舜臣は、職務に忠実で家族を愛する、極めて良心的な人物であったと思います。王家への忠義や国民を守るということはあくまでその「職務に忠実」のなかに含まれるのでしょう。その点では、私には現代との時代の違いよりも、むしろ共通性のほうを強く感じました。



#3479 
ひろぼん 2002/11/30 20:08
あぁ止まらない・・。

徹夜城さん二重投稿を削除していただきありがとうございます。
書かないときはずっと音沙汰なしで、書きだしたら板の流れを無視して長文書きまくる。ほんと困った奴ですが、許してください(笑)

>日本における塔の存在意義とは
塔というものは、洋の東西を問わず、だいたい場の中心に置かれるものなのです。でも何故か日本では、中心から外れて配置されるんですね。何度も書いている法隆寺や百済大寺からなんですが、それまでは日本でも塔(卒塔婆)を場の中心または中心線上に置いていたのですが、百済大寺では金堂と並んで置かれ、それ以降だんだん中心から遠ざかっていく。例えば、奈良の興福寺(東大寺じゃないのよん。)に現存する五重塔なんかは、なんでこんな所に?という場所にあり、東大寺の大仏殿と並び有名な建造物なのに、訪れた人が、その場所を忘れてしまうような位置にあったりするのです。
石田茂作氏の言葉を借りれば、これを「塔の頽落(たいらく)」というのですが、ただどうして一番大切なはずのものが頽落するのかということが説明されないのです。
それで私なりに考えたのですが、これは日本特有の「奥」の思想が影響しているのではないか。つまりキリスト教では、場の中心から天に向って延びる方向に神秘性を求めるのに対して、日本の場合は神社の鳥居が幾重にも重なって配置されることにあらわされる、つまり奥に神秘性を求めるという特徴があるのではと思うのです。(奥の概念については、建築家の槙文彦氏が論じている。)
それで、伽藍においても塔を中心より前面、さらには外に置くことで伽藍全体の奥行感を強調する意味合いがあったのではないかと。

(日本では、現在でも中心の概念がないと言われます。一時期、市民広場という名称でヨーロッパの広場を模倣したものが多く作られましたが、だいたいがうまく機能していません。それは、その広場自体が中心として認知されていないからで、精神的な拠り所とされないからでありましょう。)

もっとも精神的な要素ばかりではなく、実害的な要素も多分に影響したと思われます。前の書き込みで例にあげた官寺(相国寺の場合、もとは足利氏の氏寺ですが、義満は日本国王といってはばからなかったわけですから、事実上官寺なのでしょう。)の場合、高さがだいたい100m前後ですから当然雷に狙われる、すなわちよく燃える訳で、万一火災が起こった場合、他の重要施設に延焼させないよう離れた場所にする必要があったのでしょう。

うーん、なんか投稿論文の板のようになってきた。(笑)

>のらくろ
私は、『二等兵』と『伍長』持ってました。(多分今でもあるはず。)
プロパガンダ的な要素は特に感じません。のらくろが人間だったら別ですけど、犬だしね。それとは別に、高度経済成長期に育ち、いい大学に入っていい会社に勤めて出世することが幸せと教えられた者にとっては、のらくろが昇進していくさまは、一種のサクセスストーリーのような興奮がありました。

>昔習った(見た)のとは違うぞ!シリーズ(謎)第二弾!!
日清シスコの「エースコイン」
なんじゃとお思いの方、ほら古銭の形を模したビスケットです。(SINCE1955、らしい。)
ひさしぶりに食べたら、ちゃんと富本(ふほん)銭が入ってました。(笑)



#3478 
ホリ−・ハンタ− 2002/11/30 19:17
軍隊ごっこ ですか。

>のらくろ
そうなんですか、レスありがとうございます。作者に他意は
なかったんですか。他意がない割には作中で
のらくろ は、ブタに手榴弾を投げたりブルドックを撃ったりしてた
ような記憶が。また、あの絵柄、作風ですから、登場人物はヤラれても
爆風にあってもドリフみたいな被害で済む世界でした。(爆死

それにしても、こんなもん、イチイチ発禁するよな帝国日本軍部
って、やはり玉砕して当然か。




#3477 
ドリトル先生 2002/11/30 19:09
ちょっとだけ司馬さんのこと

えー、通りすがりになんとなく太平記大全を読み始めて、湊川合戦でつい涙してしまった
おじさんです。
やや以前に司馬さんの小説についての話題があがっていたようですので、文芸サイドの人間
としてちょっとだけ書かせてください。

司馬さん自身が書かれていることですが、司馬さんが作家になった最大の動機は、少年時代
に読んだシュテファン・ツワイクの小説に出てくる「運命の一瞬(瞬間だったかも)」だっ
たそうです。
まあ、どこまで本当なのかは当人以外にわかろうはずもないんですが、彼の小説を読んでい
ると、多分それが正直なところなんだろうなという気がします。むろん全部ではないのです
けど、司馬さんの小説にはそれらしき特別な瞬間が描かれている場合が多いようです。
薩長同盟を仲介した時の竜馬。比叡山焼き討ちの際の信長。函館の土方。
韓信から軍を奪った時の劉邦。西郷に対峙する益次郎。
こうしたシーンはそれはそれは神々しく描かれています。この辺については、敗者も勝者
も関係ないですし、有名無名も関係ありません。まさに書きたいから書いている感触があり
ます。

逆にいえば、そういう瞬間のない(と思われる)人物については司馬さんはあまり興味なか
ったようです。三好長慶について一定の評価をしながらも、主人公になる人物ではないと切
捨てているのもそういう意味だろうと思います。後北条や公方さまの誰彼に対して極端に辛
らつなのも然り。

・・・。
英雄なんていません。でも、ある瞬間に英雄的な行動をすることはできるし、その瞬間があれ
ば物語の主人公になることはできる。そんなところじゃないでしょうか。
それが歴史的事実かどうか、歴史の見方として妥当かどうか、それはまた別だと思います。



#3476 
アール・ケイ 2002/11/30 18:41
いちおう氏子みたいなものですから…

えー、神戸生まれであり、「楠公(なんこう)さん」として市民に親しまれている湊川神社とは
何かと縁が深い私ですので、クスノキマサシゲという人物には変な先入観のなかった子供の頃から
馴染んできました。
長じて、正成を巡るいろんな歴史的な展開を知っても、
「所詮、河内のオッサンやん(笑)」という思いは変わりませんでしたし、今もだいたい同じだったりします。

管理人さまもお書きのように、忘れかけられていた楠木正成が江戸初中期に再評価されるように
なったのは、「水戸黄門が頑張った」だけでなく、当時の内外の情勢が関係していたと思います。
大陸で明が衰退し清が勃興していったとき、「蒙古がまた漢民族の国を征服した」と周辺国に緊張が走った
そうですね。かつてモンゴル帝国(元)によって制圧された朝鮮、そして当時危うく侵略されそうに
なった日本も、大陸の情報に耳をそばだてたとか。実際には満州民族と蒙古とは違っていたのですが。
鎖国している国なりに幕府としても神経質になったでしょうし、学者・知識層にある種
温故知新ナショナリズム(笑)を呼び覚ますという流れに繋がったのでしょうねえ。

『のらくろ』については、朝ドラ『マー姉ちゃん』でも描かれたように、
作者としてはあくまでも「軍隊ごっこ」を描いてるつもりだったのです。
軍人を馬鹿にするつもりも賞賛するつもりもなく。
漫画のなかの敵方を動物に擬しているのは、漫画の手法以上でも以下でもないですよね。

http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#3475 
新田義貞の部屋 2002/11/30 16:22
カキコしまくりですが

南朝系神社の整備、贈位(追贈)から見ると、明治期を通して
南朝顕彰の気運はそれなりに強かったような気もします。
が、このへんは、どの政治勢力が後押ししていたかを
具体的に検証しないといけないのでしょうね。

それから、水戸学における儒教、国学の混合という問題が出ましたが、
戦前の右翼って、頭山満、平沼騏一郎をはじめ、儒教を信奉する傾向も強いんですよ。
国粋の立場なのに儒教を重視する理由を、水戸学に配慮したからと考えれば
辻褄が合うのですが、どんなもんでしょう?



#3474 
徹夜城(PCのある部屋の寒さに震える管理人) 2002/11/30 11:53
マサシゲに書ける虚事(そらごと)かな

>楠公談義。
南北朝ネタで盛り上がってくるのもまた嬉しいですね(^^)。
楠木正成の人気に関してですが、やはりまず同時代的にも結構人気があったようだとは同時代のルポ文学でである「太平記」からもうかがえますよね。登場からして神秘的、大軍を相手に神出鬼没、そして負けと分かっている戦いに臨んで散華。人気が出ないほうが不思議でもあります。当時の庶民の間で彼がどう言われたかうかがう術はないのですが、「太平記」に出てくる各種の逸話、またこのカキコのタイトルに掲げたような落首が出回ったことなどからも、結構庶民人気はあったように思えます。敵方である足利側からも彼が高く評価されていたらしいことは足利側の軍記「梅松論」にもうかがえるところ(詳しくは「太平記大全」で)。
 もちろん楠木氏は南朝方であり続け(正儀は例外として)、南朝吸収後も何かと楠木氏の影がちらついていきますから、室町幕府としては「楠木」の名は正直煙たかったでしょうね。いつごろのことか忘れましたが、室町末期に楠木氏の子孫が「逆賊の汚名を解除してくれ」と申し出たこともあったようです。

 「太平記」は戦国ごろまでは武士教養の大きな素材になっていたようですが、庶民レベルで楽しまれたのは江戸時代の「太平記読み」を待たねばならないかも。小耳に挟んだ話では、天下泰平となって失業した武士なんかが「太平記読み」で生活し、それが後の講談につながっていったらしい、なんてこともあるようで。
 実のところ水戸光圀が正成を「忠臣」として絶賛しまくったのも、そういう「太平記」人気に由来するところが大きかったとも思ってるんですよ。光圀の場合、恐らくそこに中国史の屈原だの岳飛だのといった「悲劇の忠臣」への憧れも手伝って「我が国にもそういうのがいるじゃないか!」ってな感じで正成を持ち上げていったんじゃないかと。水戸史観のルーツを理解する上では、「中国史の日本史化」という側面を見逃すことは出来ないでしょう。さらに深読みすると明の滅亡と満州族の清成立が日本の「中華思想」になにがしか大きな影響を与えていたということもできます(朝鮮でも似たようなところがありまして)。ちょっと脱線かな(^^;)

 江戸時代を通じて次第にこの正成忠臣・南朝正統説は国粋主義とあいまってその「業界」では常識化していくんですが、その業界以外ではどれほど浸透していたか怪しいかもしれません。「南朝正統」としてしまうと北朝の子孫である現天皇家はどうなるんだという矛盾もはらんでましたしね。「三種の神器」を持っていたほうが正統という論理も「じゃあ神器持ってれば誰でも天皇になるのか」というツッコミを招く恐れがありました(実際、ツッコミを入れた人はいた)。
 歴史の教科書が「南朝と北朝」と併記して記していることが問題とされ、執筆した学者達が激しい攻撃を受け、明治天皇自ら「南朝が正統」と表明しなければならない事態に追い込まれたのって、意外にも明治44年(つまりほとんど末年)とかなり後のことなんですよね。「足利尊氏は優れた人物」と発言して大臣が首になったのも昭和に入ってからですし、尊氏逆賊、正成大忠臣っていう史観も案外一部の人間達が熱狂的に主張していた程度で、時代によってそれに全体がひきずりまわされていた、ということも出来るんじゃないかと。

>のらくろ。
そういう流れを見返してみるとホリー・ハンターさんのお書きのように「正成知らない」って人も実は結構多かったとも思えるんですね。
 「のらくろ」の影響についてもこれまであれこれ研究が出ていたと思いますが、中国をブタ、イギリスをブルドッグに描いたというのは軍事的・政治的な意識操作というより、当時の日本人がすでに抱いていたイメージを率直に出していたというべきでしょう。田河水泡自身もそう意識して描いていたわけではないようです。そこがまた怖いとも言えるんですけどね。彼自身はあくまで子供向けに軍隊ドタバタ喜劇を描こうとしていたようですが、やはりその当時の「時代の空気」を率直に漫画で表現していたということになるのかな。結局「のらくろ」も「軍人をバカにしている」と軍人達から攻撃され、中止に追い込まれることになるんですけどね。

>大川周明
東京裁判で大川周明が東条英機の頭をポンと叩いて、精神異常ということで結局免罪されちゃってるのは有名ですね。その後どういうわけか正気に戻って本を書いたりしているようですが(汗)。映画「プライド」では石橋蓮司が周明を演じて、この「頭ポン」のシーンをやっておりました。映画全体の中では意味不明のシーンでしたけどね。



#3473 
ホリ−・ハンタ− 2002/11/30 08:48
楠木ドノより、のらくろ

みなさん、楠木サン及び彼を奉り上げ利用した連中の悪影響を
すごく深刻にとらえておられるようですが、私じしん は初めて
聞くことばかりで、ウチの中国戦線へ出兵したジイちゃんがたは
楠木のクの字も知りませんでしたね(自爆
軍部、識者がどれほど歪めて奉ろうと実際、下々に、どれほど
影響があったかは、よくわかりません。
わたし は漫画のらくろ って結構、国民の昂揚操作に利用
されたように思います、なぜ、そう思うかとゆうと
昔、親戚の家の大掃除を手伝ったとき、納屋から
戦前中期の頃のと思われる『のらくろ』のコミックを見つけて内容を
読んで驚きました、のらくろ が出兵してブタの国だったか
ブルドックの国だったか、とにかく異種動物の支配する外国
へ、のらくろ の国が侵略するのですが、のらくろ達に
攻められる国は万里の長城みたいのがあったり住人はチャイナ服
を着てたりしてて、ようするに漫画のらくろ で出てくる悪役らは
みな、旧日本軍が攻撃した対象を暗示していて、
(暗示どころか、そのまんま〜な作風を読んでて感じました。)
しかも描写がシンプルな絵であるだけに逆にあからさまに
誘導性を感じました、子供に対する影響は、如何なものだったか。
あぁ、そうだ、そのコミック、紛失してしまったらしいのです、
大事に保管してれば、TVお宝鑑定団に持っていったのに。(爆死



#3472 
新田義貞の部屋管理人 2002/11/30 03:13
クスノキさん

楠木正成は、室町期にはブキミな反逆者だったのが、
江戸の中盤頃にはそれなりの人気者にはなっていたんでしょうね。
ただ、人気者といっても、幾多のヒーローのうちの1人ということで、
武家方の連中の人気も侮れなかったみたいです。
(と、偉そうに書きましたが海津某氏の受け売りです)

それに、江戸の後半は結構な「郷土史ブーム」だったわけですが、
そこで顕彰される対象は、かなりの多様性を持っていたと。
しかし明治以後は、「官許の歴史学」(その基底にあるのは水戸学)に合わせた
取捨選択が行われ、画一化が進められた・・というところでしょう。

もちろん、画一化しきれなかった部分もあるわけですが。



#3470 
ひろぼん 2002/11/30 01:46
百済様式?

前回、法隆寺様式の歴史的解釈の変遷について長々と書きましたが、少々不親切だったかなと思っています。この掲示板は、「じぇーんこくの女子高校生のみなしゃーん!」(ふっ古すぎる・・)をはじめ、小中学生もROMしているようなのでなるべく丁寧に書きたいと思います。

法隆寺西院伽藍(【がらん】寺の建物のこと)の左右非対称な配置は、日本独特の様式で、中国や朝鮮に類似するものは確認されていないのですが、サイトを巡回していてこの配置のことを、「百済様式」と書かれてあるサイトを発見しました。思わず「なんじゃそりゃ!」と叫んでしまいました。(笑)
まぁ個人のサイトだったので間違っているだけだと思うのですが、建築士がらみのサイトだったので、ちょっと引っかかりました。
それで、この根拠はなんなんだと自分なりに考えて、これは百済大寺(くだらのおおてら)の遺構発見の影響かな?などと思いました。

この百済大寺は、舒明天皇(おきながたらしひひろぬか)が発願した日本で最初の官寺(大王がはじめて造営した寺院)で、永年その所在地については論争があった訳ですが、現在では奈良県桜井市の吉備池廃寺にあったというのが有力です。今年の5月に南門の遺構も発見され、ほぼ確定的とされています。それでこの遺構から推定する百済大寺の伽藍配置が、発掘当初法隆寺と同じとされたのです。それでこの様式をもつ一番古い伽藍が百済大寺であるため(法隆寺の聖徳太子が建立したとされる伽藍(若草伽藍)は別様式。)元来「法隆寺様式」と呼ばれていたものが「百済(大寺)様式」と変わったのか?などといろいろ考えてしまいました。

しかしこの百済大寺。記録にある九重塔は、高さが90m以上(一辺が30mという塔の基壇跡から。)と推定されているんですよね。7世紀中頃なのに舒明天皇もとんでもないことをするものです。(笑)
ちなみに、東大寺にあった東塔・西塔は101m。相国寺(京都)にあった七重大塔は109m。避雷針もない時代で平地にこんなものを建てたら、そりゃぁもう高木ブー、じゃなくて(笑)雷様の餌食になるのは必至で・・・。
しかし、ちょっと考えられない高さです。今じゃ現実不可能、まず木がない。


>七海さん
こんにちわ
楠木正成は、お上の権力によって無理やり象徴的ヒーローに仕立て上げられたというのは幕末以降はそうかもしれませんが、元禄の頃なんかは、江戸庶民のヒーローだったみたいで、太平記読みなんかで客の入りが悪いと、「今日より正成出づ」なんて張り紙を出すとわぁーっと客が集まったらしいですよ。
・・と、ああ・・書いている間に、ななさんがいろいろ書いてらっしゃる。(笑)

>ということで、ななさん(笑)
おひさしぶりです。(^^)
小林 恵子さんって方の本は読んだことないのですが、なんかすごく影響されたんだろうなという方のサイトがあります。全部読んでいない(いやとても読めない。)のですが結構笑えます。(嫌味じゃなく面白いという意味。)
個人のサイトなので、直リンクはやめますが、興味があれば「草原から来た天皇」で検索してみてください。



#3469 
なな 2002/11/30 01:13
民衆に残る記憶

確かに、南北朝時代の庶民にとってこの争乱がどれほどの意味をもっていたかは…謎ですね。
しかし民衆の中に受け継がれていく記憶とは、その土地に代々伝えられてきた口伝や民謡や民話といったたぐいだけではないでしょう。
長らく無名だった歴史上の人物が一冊の小説によってにわかに有名人となる。今日の日本でふつうに見られる現象ですよね。
同じことは江戸時代にも当てはまると思います。
他サイトで見つけてきたコピペですが、
>江戸〜幕末期の識字率は、武士階級はほぼ100%読み書きできたようだ。町人・一般民で見ても男子50%、女子で20%という推定値が出ている。江戸に限定してみると70〜80%の人が読み書きできたという。同じ頃、先進国イギリスでは庶民層で首都ロンドンと限定しても15%を下回っている。

楠正成とその神格化についてはよく存じていないのですが、徹夜城さんが前にお書きになった、
>江戸時代の水戸学からですが、日本では結局みつからない「民族英雄」の代替として持ち上げられたのが、後醍醐天皇に忠誠を尽くした楠木正成だったわけですね。これが幕末になって異様なまでに盛り上がってゆき、戦時中にもモロに利用されていくわけです。
…これからすると、楠正成とても明治以降の日本政府が知名度ゼロの状態からにわかに引っぱり出してきたわけではないことが分かります。
戦国時代までの庶民の間に太平記や楠正成の物語がどれほど浸透していたのかは存じません。
しかしここで肝心なのは、明治までの時代における一般国民に浸透した予備知識のていどなのだと思います。仮に楠正成についてよく知らなくても、太平記のあらすじをしばしば耳にしたことがあるというなら、その後の政府による「再教育」は容易になります。

では江戸時代における太平記の知名度はどうだったか。先の識字率と併せてお読み下さい。
>講談本の源流
 講談という言葉が使われ出したのは明治になってからで、江戸期には講釈、太平記読み、軍書の講談、軍談の講釈、舌講、辻講釈などと様々の呼称があって、これを演じた者は主として僧や神主又は浪人者が多かったようである。
 講釈の意味について、野村無明庵が『本朝話人伝』の中で「軍談や読物、記録の類を、講義読釈、分りいいやうにといて聞かせるといふ意味でございましょう。そもそもの始めは慶長の頃、赤松法印といふ人が、徳川家康公の御前で、源平盛衰記、太平記等の類を度々進講し、続いて諸侯にも召されて軍書を講じたのが濫觴であるとしてあります」と説明しているように、「読物、記録」を講釈の題材として、野天の大道や社寺の門前で聴衆を集め面白、おかしく演じた話芸なのである。
 扨、講談の題材が『太平記』を原典とすることに倦き始めた聴衆に応えるため、講釈師は西鶴や馬琴の勧善懲悪を骨子とする読本に注目したほか、中国小説の翻訳物、例えば漢楚軍談、三国志、西遊記、水滸伝などを日本的性格のものに造り上げた。更に仇討物の流行が講談の世界を拡大したのである。
 しかし、講釈や読本は初期においてはレベルが高く教養人向きであったので、庶民向きに小冊子の草草紙が大量に版本となって現われた。その中には大人向きのものや婦女子、子供向きの物など様々であった。
 江戸文化の思想的特徴は神・儒・仏の三大潮流が支配的で、どの家庭でも神棚もあれば仏壇も据えられ、寺子屋では儒教が盛んという状況で、出版文化にも当然その影響が色濃く浸み込んでいる。その上、幕府の武士道励行に伴って、講釈師や読本製作者の行った大衆への啓蒙活動も文化史的に無視し得ないものがあったと考えられる。 (以下略)

…ここまで書いてふと思ったんですが、国民にまったくなじみのない、政府の手によって新たに作り出された象徴に、国民はそう簡単になびくでしょうか?
自国民のすべてに納得させ、熱狂させるのがいかにエネルギーを使うことかは、金日成・正日が自らの功績を日々繰り返して華々しく宣伝し、全国民に幼少期から徹底した教育で叩き込んでることにうかがえる気がします。
明治新政府が皇室を担ぎ出してきたのは、一般民衆に「よくは知らないがなんとなく尊い存在」という共通認識が定着していたこともあるでしょう。徳川を廃すまではいいとして、新しい統治者を立ててそれを浸透させるのは大変ですよね。
同じく楠正成にもすでに何らかの共通理解があって、それを利用したのではないでしょうか。



#3468 
新田義貞の部屋管理人 2002/11/30 00:39
なぜか大川周明に詳しいワタシ

約1年ぶりのカキコです。
あまり掲示板に顔を出さない習慣が付いてしまい、
なかなかタイミングが掴めないままこんなことになってしまいました。
というか、あんた誰?という感じでしょうか(笑)

楠木正成の「民族英雄」としての資格ですが、
天皇家と日本とを同一視するイデオロギーに立つ限り、
まさに日本の興亡を担う「英雄」になり得たということではないですかね。

余談ですが、大川って本当は東条を嫌っていた筈ですよ。
彼は水戸学的な皇国史観とも距離を置いており、
なぜか佐藤信淵や織田信長を高く評価していたという(笑)
なかなかユニークな存在です。

>奥野さん
お久しぶりです。いきなりの突っ込みですが、横山三国志は全60巻です(笑)
北方三国志が張飛を見事に描写した今、日本でも彼の人気があがることを期待しましょう。



#3467 
徹夜城(ちょいと風邪気味の管理人) 2002/11/30 00:20
「水滸伝」やら民族英雄論やら

>奥野さん
「水滸伝」の横山光輝版はほんの一部しか見たことはないんですが、宋江が原作よりややカッコ良く描かれたりしていたような覚えがあります。
同じ作者の漫画「三国志」との巻数比較ですが、もとの原作の文量にはそれほど差が無いにしても、片や大河歴史ドラマ、片やヤクザ者たちの大暴れ、となると「絵」にした場合大きな差が出ちゃうんでしょうね。
今でこそ「三国志」圧勝の日本ですが、江戸時代ではむしろ「水滸伝」の方が影響力が大きかったと言う話もありますね。「八犬伝」はモロに翻案ですが、その他にもいろいろと「水滸伝」ルーツのものは多いようです。

>七海さん
 七海さんの投稿を拝見していると、李舜臣が大変お好きだということはようく感じられるんですけど、僕らのように歴史学専攻であれこれ学んできた人間としては「そうことは単純でもないですよ」と斜めにツッコミを入れてしまうんですよ。まぁそういうものだと思ってお読みください。
 僕はやっぱり李舜臣と正成の、後世における歴史的評価、またその利用のされ方にかなりの共通点があると見なさざるを得ません。前の書き込みについてもよく読んでいただきたいんですが、そう見ることと実際の両者が似ているということとはまるっきり違う問題です。正成は「民族英雄」ではなくあくまでその代替物であるという違いはありますけどね。
 それと、「民族」や「国家」の概念じたいが近代と前近代ではかなり異なるということを考慮していただきたいと思います。どうも七海さんのご投稿を見ていると、その辺に混乱があるように僕には感じられるのです。前にも書いたように思いますが、「民族のために戦った」「民衆のために戦った」ということで李舜臣をむやみに持ち上げるのって、まさに軍事政権が彼を神格化して利用したパターンとつながってくるように思うのですが。客観的に見ると李舜臣って「職務に忠実で優秀なまじめな軍人さん」ということに落ち着くと思うんです。それ自体が実は稀有なことであるわけで、そう見たからと言って決して彼を貶めるものではないはずです。
 七海さん個人が李舜臣がとにかくお好きである、尊敬する、というのは一向に構わないんですが(僕もそういう人物が歴史上いっぱいいます)、その評価の仕方に僕はやはり、大変失礼ながら単純さを感じてしまうんです。また東郷平八郎が李舜臣に関してそういうことを言ったのは事実ですが、韓国人を前にしてのリップサービスの可能性にも思いをいたしていただきたいと思います。残念ながら「謙虚」ということでは、僕の知る限り東郷は乃木に劣ったと思いますし、東郷自身生きているうちに「軍神」にされてしまってその後の海軍に多大な害悪を残したとも言われてるんですから。東条英機にしても確かに問題のある軍人・政治家であったとは思いますが、細かく見ていけば同情の余地ぐらいは出てくるものです(僕なんかは東条はむしろ「生贄」にされた犠牲者と思ってますから)。とかく、人間というものはそう単純に善玉・悪玉には分けられないということで。

 前にも書いた事ですが、僕は「民族英雄」がむやみに持ち上げられるとロクなことにならないという歴史の教訓を感じているので、絶対的な高評価、またはあまりにも現代的観点からの高評価からは距離を置きます。それだとやはり冷静な判断ができなくなる恐れがあると思うんです。
 僕が専攻にしている後期倭寇の話に持ち込みますと、僕はその中心人物である王直という頭目が大変好きなのでありますが、この王直、実は中国・日本の学界で「反封建闘争・反海禁闘争を行った民衆の英雄」ってな高評価をうけちまったこともある人なんですね。王直大好き、倭寇大好きの僕などには飛びつきたくなっちゃう見方なんですよ(笑)。実際これに飛びついて小説書いた人もいたっけな。
 その一つ一つはまったく根拠のないことではないんですが、やっぱりそれは余りにも現代的な、しかもかなりイデオロギーの入った見方であって、その時代の中で生きたその人物の実態から遠ざかってしまうのです。恐ろしいのはそういう一面的な評価が一人歩きしだすと、それに都合の悪い事実や史料が無視、悪くすると抹殺されてしまうということです。

 その意味でも七海さんが「乱中日記」という一次資料に踏み込まれたのはいいことだと思っています。もちろん李舜臣本人が書いているもの、ということを考慮したうえで読まなきゃいけないんですが、まずは虚心坦懐に内容を眺めていただきたいと思います。良く見ていけば、現代人の感覚とはまた違った価値観や実態がそこに見えてくると思いますよ。



#3466 
ホリ−・ハンタ− 2002/11/29 23:39
コサック

>奥野サマ
レスありがとうございます。そうですかイェルマ−クの民謡が
あるのですか、コサック・ダンスの曲ですか?
コサックは、イワン雷帝の時代からロマノフ朝の軍に編入
されるようになり歴代の皇帝親衛隊には
コサックだけで編成された部隊があり、
日露戦争にもコサック部隊は投入された〜とか聞いたことが
あります。
そしてロシア革命〜赤軍に抵抗した勢力は白軍と呼ばれて
いたそうですが、白軍の精鋭、旧ロシア帝国軍の
コサック親衛隊が赤軍を結構、悩ませた〜とか聞きました。
赤と白って、まるで源平合戦みたいですね。



#3465 
七海 2002/11/29 21:37
民族英雄とは?

 もっと早く、これを書き込むべきだったのでしょうが、話を蒸し返すようですが、ご容赦を。

 戦前日本の楠木正成と、軍事政権時代から現在にかけての李舜臣が同じような神格化をされているということで、比較されてきましたが、私はこの両者には大きな違いがあると思います。
 楠木正成の南北朝時代は、同じ民族同士の単なる内乱戦で、北朝南朝どちらが勝っても、ほとんどの民衆には大差ないことだったのではないでしょうか。
 しかし、李舜臣が戦ったのは、異民族同士の存亡をかけた戦いで、当時の日本軍は対多数の朝鮮民衆に憎まれ恐れられていたと思います。現に加藤清正などは血に飢えた殺人鬼のように思われていた様子。朝鮮王国各地で民衆が決起し、日本軍と戦いました。敵の日本の武将に対する怖れや怒りの気持ちは残るのに、同じ民族の名将のことは忘れるなんて考えられません。
 つまり、日本の楠木正成は、お上の権力によって無理やり象徴的ヒーローに仕立て上げられた要素が大きく、李舜臣はそうではない、と思えるのです。

 それにしても東条英機が民族英雄なんてごめんこうむりたいです(笑)
 それなら、東郷平八郎元帥の方がまだいいです(笑)「私は李舜臣の足元にも及ばない」といえる謙虚さこそが日本人の美徳です(笑)



#3464 
奥野 2002/11/29 14:09
アレクサンドル・ネフスキー

>民衆文化と『水滸伝』

『水滸伝』の持つ民衆的性格については、我々のサイトでも共同経営者の1人がコラムページの素材としていました。『水滸伝』の邦訳ではどのような部分が削除されているか…というお話でしたが、やはり価値観が今とはまったく違う時代のもので、ストレートに訳出するとまずい部分も出てくるようですね。
それが原因かどうか分かりませんが、日本では『三国志』に比べて『水滸伝』の方は今一つ知名度が低いように思います。横山光輝のマンガでも『水滸伝』はわずか8冊くらいで終わってませんでしたっけ。しかも終わりの方では、梁山泊の豪傑が1コマあたり2人ずつくらいのペースで死んでいくという有様。『三国志』が50何巻もあるのに引き比べると、かわいそうなくらい扱いが悪いですね。

しかし、『水滸伝』の粗暴とも言える英雄たちが中世の民衆的メンタリティーの一端を表しているとすると、同じく粗暴な主人公が文弱な主人によって懲戒されるという『西遊記』なんかは、一体どういう背景があるのでしょうか。興味あるところです。

>ロシアの英雄

エルマークのシベリア遠征は民謡にも歌われたということで、かつては一種の民衆的英雄であったと言えるでしょう。しかし、今のロシアではそれほど有名な人物でもないように思います。これはロシアに限った話でもないのでしょうが、やはり「国土の防衛者」に人気が集まりやすく、エルマークのような「征服者」はあまりアピールしないみたいですね。何人か思いつくだけでも、アレクサンドル・ネフスキーやドミトリー・ドンスコイ、ミーニンとポジャルスキー公、ナポレオンと戦った将軍たち、そして独ソ戦の軍人と、「抵抗者」「解放者」というイメージを与える人物がロシアの英雄の主流と言えそうです。
それから、ソ連政府が作り上げた英雄は今では人気を失ったようなことを書きましたが、軍人やパルチザンについてはそうでもありません。独ソ戦では本当に大きな損害を出しているし、例え官製の英雄であってもいまだに受けいられている人が多いようです。まあ、当局が作り上げた伝説と現実との間に大きな差があったことは確かだと思いますが。

あと、前に徹夜城さんが書き込まれたエイゼンシュテインの「アレクサンドル・ネフスキー」について一言。ネフスキーという人物、もともとはロシア正教会が熱心な顕彰を始めたという側面があります。ネフスキーが戦ったスウェーデンもドイツ騎士団もカトリックの勢力で、正教会としてはこれを打ち破ったネフスキーを誉め称える充分な理由がありました。ネフスキーは列聖されているし、その戦いについては教会の編纂した聖者伝の中で詳しく語られています(エイゼンシュテインも、この聖者伝を参考にしたはずです)。
しかし、当然と言うべきか、エイゼンシュテインの映画の中では、宗教的なモチーフが完全に欠落しています。ロシア軍側に1人の聖職者も出てこないのは象徴的です。ソ連当局の手前、宗教の役割を強調することはできない相談だっただろうし、それにネフスキーの戦いを「ドイツの侵略に対するロシアの抵抗」という形で描くなら、「正教対カトリック」の図式は邪魔になるだけだったからです。
言うまでもないことですが、このような歴史を素材とした作品の場合、1つの図式だけを採用して他の要素を全て無視することがあるから、注意が必要ですね。「アレクサンドル・ネフスキー」も、映画作品としての価値はともかく、その歴史認識にはかなり問題があります。そもそもこの戦い自体それほど大規模なものではなかったという説があり、あの映画でイメージを作ってしまうのは問題…と言っても、日本ではほとんど無名な分野なのでしょうが。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/6218/


#3463 
ホリ−・ハンタ− 2002/11/28 23:35
日本一マズイ、ラ−メン屋は富山にある。

椎名 誠が富山を訪れた際、とあるラ−メン屋へ寄り、
そこのラ−メンの味がよほどハラにスエかねたらしく
帰京してすぐにコラムにて『日本一マズイらうめん は富山の
ラ−メンだ!』と書いてしまったらしく、以後、椎名誠と
富山ラ−メン共同組合連合(そんなモンはないか)とが
和睦したかは定かではない。

ところで、椎名 氏は、くだんのコラムでラ−メン屋の名前を
伏せていたため、実のところ、何処のラ−メン屋の事か、
当地の富山の人間も特定できない、いや、マズイら−めん屋の
数軒は私もココロ当たりはある、私が、たぶんコレだろう〜と
思うのは、
富山なのに『本場・熊本チャンポン』と看板を出してる店。
その看板で引っかかってノレンをくぐってヒドイ目に遭った(爆死
店を出てから気づいた、チャンポンって長崎だったぁぁ!と
熊本がチャンポンの本場なわけあるかい〜と思っても後の祭りであった。

しかし、徹夜城サンの熊本ラ−メン発祥説を初めて聞き
まんざら、熊本チャンポンってのもアリかもしれん〜と思った。(苦笑



#3462 
徹夜城(ついつい書き込んでしまう管理人) 2002/11/28 01:08
ラーメンと水戸黄門

>ななさん
僕が長文書き込み執筆しているうちに入れ違いになりました。
はい、そのネタですとやはり語ってしまわざるを得ません。明日は早いんでなるべく短く(^^;)
 朱舜水というのは実はかなりの有名人でして(試しに日本史用語集みたら載ってました)、清が中国を席巻していくなかで明復興のために活動した文人です。だから鄭成功なんかと同志だった…とも言えるんですけど、あんまりそりはあわなかったみたいですけどね。結局日本へ亡命して光圀に招かれ、水戸で朱子学を教えたのです。魯迅が自伝的小説「藤野先生」の中で常磐線使って仙台に行く途中「水戸」を通り過ぎて「ここは朱舜水先生が客死されたところだ」と書いてますよ。
 ラーメンうんぬんの話も全く事実無根ではないようで、朱舜水が明風の麺類を伝えたことがあるにはあるらしい。それをラーメンと言っていいのかどうか知りませんが。
 しかし聞くところに拠れば朱舜水は水戸へ来る途中佐賀(熊本だったかもしれない)でも講義をしており、それに強引にかこつけて「こっちがラーメン元祖の地」と宣伝しているところもあるそうです。まぁ水戸のラーメン元祖説だって相当強引ですけどね。水戸は納豆で十分じゃないか(笑)。



#3461 
徹夜城(深夜帰宅の管理人) 2002/11/28 01:00
レスはためたくない(^^;)

夜遅くに帰ってきて明日も一日出てなきゃいけないし、で書き込みはいつもは控えるんですけど(笑)、レスためたくないんで、なるべく短く書き込んでおきます。

>七海さん
「乱中日記」の一部紹介、ありがとうございます。なるほど、思いのほかあっさりしたものですね。倭賊じゃないと分かって「胸をなでおろす」というのも面白い。自国民ならいいんかいな、と(笑)。
 直接的に史料を見たわけではないですが、「倭乱」の混乱に乗じて騒動を起こしたり戸籍を焼き払うなどした賤民たちがいたのは事実のようですね。李舜臣もそういうのに対しては一般の「民」とまた違った観点を持っていたかもしれませんね。

 あくまで僕のイメージの話なんですけど、李舜臣って「職務に忠実な軍人さん」だったと思うのですよ。七海さんもお書きのように足を引っ張る同僚たちへの恨み節にもそういうものを感じますし。戦いはうまいけど功を焦るような性格でもなかったみたいですしね。
 以前、韓国で製作したTVドラマ「壬辰倭乱」の総集編バージョンをNHK衛星で放映したのを見てるんですが、それに先立って放送されたガイド番組で李舜臣役の俳優さんは「彼はむしろ文官的性格だったと思う」と語り、ドラマでもその雰囲気で演じてました。ラストの露梁海戦は涙無しでは見られない名シーンでございました。

>ななさん
前回で書きわすれたレスですいません。
継体天皇のその本は面白そうですねぇ、いろいろと(笑)。ちょうど書き遅れている史点のネタにその継体天皇の話題を書いてることもありまして…。まぁとにかく何かと話題の多い天ちゃんではあります。

>奥野さん
これも前回書き忘れたレスなんですが。
先日新聞を見ておりましたら、その井波律子さんが「三国志演義」の個人全訳を完成されたとの記事が出てました。「三国演義」邦訳はすでに小川環樹(僕はこの訳が最初だったもんでいまだに影響濃厚)、立間祥介(人形劇三国志はこれを原作としたので言い回しそのままが多かった)などの先達がおられますが、正史も訳されている井波版がどんなものなのか、興味がわきますね。ご本人いわく訳すのはしんどかったが、面白くてしょうがなかったそうで。
 「三国志演義」にいたる変遷はそれこそいろんな人が論じてますので、僕はとりあえずパス(笑)。代わりと言ってはなんですが、奥野さんがお書きになっていたような張飛の民衆的性格は、『水滸伝』の豪傑たちにはもう露骨に残されております。『水滸伝』における張飛的ポジションにいるのが李逵というキャラクターですが、もう知る人ぞ知るのとんでもない奴でして(笑)、乱暴で馬鹿で殺人を趣味にしているとしか思えないんだけど、実に愛すべきキャラなんですな(^^;)。梁山泊の他の連中も相当にひどいんだけど、李逵の前にはみんな霞んでしまうという(汗)。
 僕はもちろん『三国演義』を愛読する者ですが、中国的世界、それも民衆世界やアウトローを理解するにはやはり『水滸伝』は必読でしょう。僕も倭寇世界をイメージする際に『水滸伝』はずいぶん参考になったと思っています。

 それと、正成の関連で。
 そもそも水戸光圀がそうだったと思うんですけど、正成絶賛者の見解では正成を死に追いやった責任は「太平記」で正成の作戦計画をつぶす意見を放った公家の坊門清忠一人に押し付けることで、後醍醐天皇の責任はあいまいにしているというところのようです。
 大河ドラマ「太平記」でもこの坊門清忠がいい味(もちろんワルの)出してましてねぇ(笑)。湊川決戦直前の正成参内シーンは凄かったですよぉ。語りだすときりがないんで、「太平記大全」を参照(^^;)。

>ひろぼんさん
WSの情報、どうもです。うん、ウズウズしますね(笑)。まぁ今のところ間に合っているといえば間に合っているので、カネに余裕が出てきたら…ということで。
画質の件ですけど、やはりPC上で見るものとTVで見るものとの違いもあるかと。それとプレイヤーによっても違いがあることも多いようです。僕自身はうまくいっているのか、それとも画質にこだわってないのか、あまり違和感を感じたことはないですけど。

 エンタシスの柱、僕も習いましたしテストでも解答に書いた記憶があります。最近はかなりトーンダウンしてるんじゃないかな、この話。
 僕もこの話を聞いたころから「そうかいな?」と思ったりしたもんで。その後大学に入るぐらいになると「明治以後の西洋コンプレックスの所産じゃないのか?」と疑うようになっていました。それだけにそのお話はかなり面白かったです。

>読書。
「室町時代の一皇族の生涯」、大変面白く読んでます。いやぁ、「ムロタイ」を上げる前でよかった。直接的に関わることでないにせよ、かなり参考になりました。「ムロタイ」が遅れているのは残り10回でどうやって終わらすか再構想してるのとお面で悩んでるからなんですけどね(^^;)。
 そういえば買わなかったけど、「二度も地獄を見た天皇(上皇?)」とかいうタイトル(うろ覚え)の本も出てました。なんと「ムロタイ」でもおなじみの(?)光厳上皇の伝記本です。うーむ、この人まで伝記本が出てしまうとは。この人、後醍醐天皇という異常な天皇と同時代に生まれたことが最大の悲劇だったと思えちゃう人ですね。



#3460 
なな 2002/11/28 00:21
朱舜水

ふだんラーメン党ではないのですが、ふいに「ラーメン食べたい」と思い、ついでに昔「日清らうめん」なる名前の「日本のラーメンの元祖」をうたったインスタントラーメンがあったことを思い出しました。今でもあるのかな?
以前から私は「ラーメン日本起源説」には懐疑的でして。ちょっくらネットで検索したところ、李舜臣ならぬ朱舜水という、舜臣とほぼ同時代の中国人がヒットしました。
なんでも水戸光圀にラーメンを作って食べさせた人だとか。
無知とは恐ろしいもので、「なーんだ。ラーメン屋のおっちゃんかぁ〜」などと失礼極まりないことを言ってたら(笑、じつはものすごく偉い人だったんですね。(^^;)

あ、「文献から復元した茨城ラーメン」なる商品が出てます。↓
http://www.ibaraki-meisan.gr.jp/servlet/meisan.DispDetail3?P_ID=109

茨城・水戸光圀・朱舜水・宋学・南朝……とくりゃ、徹夜城さんは熱く語り出すのかな?(^^)



#3459 
ひろぼん 2002/11/27 23:44
こんどは歴史的な変遷について(苦笑)

まいど、板違いな話が多く、恐縮しております。

李舜臣関連の皆様の書き込み、勉強になります。歴史的人物の評価が時代やイデオロギーとともにどう変わって行くのかは大変興味深いところであります。

評価の変遷ということで、ふと思い出したのですが・・・(少々無理やりな展開(笑))

私が小学校(中学校かも)の頃の歴史の教科書には、「法隆寺の柱の膨らみは、エンタシスであり、これは当時、シルクロードを通じてギリシャの様式が日本に伝わった・・。」というような内容が、柱の写真を交えて説明してあったように思います。当時の私は、「そんな昔から西洋との交流があったなんてーすごいなぁ。」と素直に思ったものです。その後、建築史などを学ぶようになって、法隆寺の建築様式の源とされるものは、イデオロギーの変遷とともに面白いくらいコロコロと変化しているということを知りました。

明治初期(脱亜論旺盛な頃)〜 エンタシス・ヘレニズムの東漸
日露戦争後(不平等条約改正後)〜 インド・ガンダーラ美術の影響
大正・昭和初期(国際連盟加盟、常任理事国入り)〜 (左右非対称の伽藍配置から)日本のオリジナル様式
戦後(ギブミーチョコレートの時代)〜 エンタシス・ヘレニズムの東漸

と、かなり乱暴な書き方ですが、こんな感じだったと思います。
そして、現在はと言うと、高度経済成長辺りから徐々に中国・朝鮮からの影響(伽藍
配置など別に確証があるわけではないが、)ということでエンタシスには触れない(教えない)ということになっていると思います。(実際教科書を見た訳ではないので・・、間違っていたらご訂正ください。)私は丁度その変わり目だったのかもしれません。
また、こうして建築学会の代表的な見解が時代とともに移り変わるのに対して、一般の人々の認識がこれと同調していったかというとこれが違って、かなりずれがあるというのが面白いです。戦前、日本のオリジナル様式であるという見解が学会で優勢だった頃に、一般の人々は、結構ギリシャと日本のつながりを信じ、ロマンチックな思いに慕っていたりしたそうです。

以上、建築協会主催の井上章一氏の講演会(7年前)を思い出しながら書きました。
井上氏は建築史のほかに、女性の容姿の美しさの基準に対する時代の変遷についても書かれており(『美人論』リブロポート)、これによると明治時代の修身(道徳)の教科書には、「美人は勉強ができない。」というような旨の内容がはっきりと書かれているらしく、今だったらえらいことになるだろうなと思いました。(笑)


>百年戦争と南北朝時代
ドラマ『ジャンヌ・ダルク』を観ていて、なんか似てるなぁーと思いました。ジャンヌがシャンパーニュ地方へ進軍中、ブルゴーニュ公にさらわれるのですが、それは単にイギリスに売り渡すためではなく、自らがフランス国王となるための道具として利用するためと描かれていました。まるでジャンヌが、「錦の御旗」か「三種の神器」のようです。



#3458 
ホリ−・ハンタ− 2002/11/27 23:38
ダ−ティ・ヒ−ロ−

この掲示板には、ロシアに住んでおられるお方もおられるから
ロシアの英雄といえばイワン雷帝〜とゆうのは、ありきたり か、
当時のロマノフ帝国軍に追いつめられイワン雷帝に命と引き換えの
取り引きをし、シベリア遠征を数百の兵力でやって、
さんざん、イワン雷帝の役に立った、コサックの元・船頭にして
元・盗賊頭にして、雷帝公認のシベリア遠征軍の司令官・イェルマ−ク、
彼についての、ロシアでの評価は、どんなものなんですか?奥野サマ。
まぁ彼も最期は、シベリア騎馬民族に逆襲され、河へ逃れたが
雷帝から賜った豪華な鎧を着てたので、重くて溺れてしまった〜
とゆう英雄に付き物の悲惨な最期とゆう条件はクリアしてますかね
合掌。




#3457 
七海 2002/11/27 21:06
「乱中日記」を読んで その二

 管理人様、皆様、レスおよび李舜臣の話題で引っ張っていただいて(笑)ありがとうございます。

 確かに英雄とされるには悲劇的な要素が大きいと思います。ただ個人的には、中国史の方ですが、李舜臣よりもずっと幸運に恵まれた(そして彼よりもっと欠点が多く、けちの付け所の大きい・・・爆)英雄たちにも、私にとっては大好きな人たちがいます。

 確かに李舜臣とてその時代・文化的背景からまったく自由ではなく、現代的価値観からすればどうかといわれる事は多々あると思います。今のように一夫一妻の時代ではないので公然と妾も囲っていましたし、奴婢と呼ばれる奴隷階級的な人を使役してもいました。
 ただ一ついえるのは、当時の朝鮮王国の特に身分ある人々には、彼が行ったレベルでさえも、民衆を救えず、また救おうという意志にも能力にも欠けている人々が大半であったらしいということです。私個人としては、それだけでも李舜臣を素晴らしい人物と称揚するに充分だと思えます。もちろん、彼が軍国主義や反日教育に利用されるのはうれしいことではないと思います。でも韓国民が彼を自国の英雄として讃えるのは構わないと思います。彼の像が日本の方を睨んでいても一向に気にしません(笑)
 それに「歴史を傾向づけよう」とか、難しいことは考えられません(笑)ただ英雄話が好きなだけです(爆)


 管理人様がお尋ねの「倭賊に成りすまして略奪をする朝鮮民衆」ですが・・・。

 P171「九日辛酉、晴。」には、
「この出来事(光陽と順天が倭賊により焼き尽くされたこと)の痛憤、骨髄に達し、言葉を失う」
と、最初はかなり激越な調子なのですが、同日の記録に、
P172「賊は倭賊でなく、慶尚道の避難民が倭賊に変装して光陽に突入し、村里を焼きつくしたと云うので、胸をなでおろす」
と、結構あっさりした様子なのですね。焼き討ちをされた事実に変わりはないのですが。それに自国の民が敵を装っていたことにも怒りや嘆きを感じた様子がないのが不思議に思えるほどです。
P173「十一日癸亥、晴。」になると、
「「豆恥渡の倭賊の事件は虚報であるが、光陽のものが倭服に変装したのは自ら混乱を起こしたものだ」
「順天・楽天はすでにこくごとく焼きつくされた」と云う。痛憤にたえず」
と、さすがに害の広がりに心痛を覚えたようですが。この後も下層民の略奪行為とその害に関する記述は続くのですが、長くなりますので、とりあえずはここまでということで。

 大体、「乱中日記」を読んでいると敵である倭賊に対しても、あからさまで激しい敵意と言うのは書かれていません。批判の対象はむしろ、元均はじめ同じ武官に対するものが多いですね。いい加減で、無責任な仕事をされると我慢ならなかったようです。今まで読んだ範囲では、略奪を働くのは下層民だったようですが、彼らに対しても、特に怒りや批判めいた気持ちというのは、(実際には感じていたかもしれませんが)書かれていません。上記の記述を呼んだ範囲でも、倭賊が襲撃したと思っていたときと、朝鮮の民が略奪・焼き討ちをしたと知ったときではかなり反応が違いますよね。
 やはり、民に対して寛容な気持ちを持っていた人だと私には思えますよ。この時代に望みうる出来る範囲で、ね。



#3456 
奥野 2002/11/27 18:03
あまりにも初歩的なミスを…

前の書き込み、投稿者名と書き込みタイトルを逆にするという恥ずかしい間違いをしてしまいました。すいません。決して「珍解答」という者ではありませんので。

この機会を借りて、柱国大将軍さんへのレス。

確かに、「民衆のため」的なスローガンにはいろいろ吟味が必要だと思います。現代の民主主義社会に生きる我々と、王朝時代の価値観を身につけた李舜臣とでは、「民」という概念も違っていたことでしょう。「民衆」「民」「人民」等々の言葉で表されるカテゴリーは、様々な意味を持ち得るだけに、恣意的に解釈される危険性もありますね。全てを近代的な「国民」として読みとったり、あるいは「被抑圧階級」と解釈したり…歴史に何らかの傾向を持たせたい人々にとっては便利な概念かもしれませんが。



#3455 
珍解答 2002/11/27 15:38
奥野

>徹夜城様

僕も昔、地理の模擬試験を採点するバイトで、「変節風」という珍解答に出会ったことがあります。正解は「偏西風」だったか「季節風」だったか忘れましたが、おそらくこの2つがごっちゃになってしまったんでしょうな。何だかものすごく無節操な風のような。
それから、高校の頃、日本史のテスト前に友人の間で問題を出し合っていたときの話。ある人が「将軍直参の家臣で石高一万石以上の者は大名、では一万石以下の者を何というか?」という問いに対して「水飲み大名」と答えていました。これなども、えらく貧乏な大名の姿が思い浮かべられて愉快なものでした。

李舜臣と楠正成については、悲劇的な最期以外に、「味方の無能や無理解、時には妨害に苦しめられる」という点が共通しているような気がします。これなんかも、史上人気のある「英雄」に共通の要素かもしれません。前に取り上げられたジャンヌ・ダルクも、結局味方に売られるような形で最期を迎えることになるし。他には、真田幸村と淀殿・大野治長の関係もこれに当てはまりますかね(司馬遼「城塞」からのイメージですが)。味方であるべき人々の助けがあてにできず、孤立無援の中で奮闘する…という姿が悲劇性を高め、共感を集めるのでしょう。
してみると、身内の「抵抗勢力」を主な敵として名指しする小泉さんのやり方は、宣伝としては巧みな方法のように思われます。小泉さんは孤軍奮闘的イメージで売り出したようなものですからね。実態のほどはどうだか分かりませんが。

しかし、戦前日本の場合は、後醍醐天皇を「無理解な主君」として貶めることなどできない相談だっただろうから、正成の顕彰にもある程度の苦労があったのではと思います。湊川の合戦前に後醍醐天皇が正成の献策を却下する話なんか、一体どうやって処理されたんでしょうか。やっぱり、間に入った公家が悪いことにされたのかな。
小学生の頃に読んだ子供向け太平記は、かなり露骨に南朝びいきな姿勢で書かれていましたが、この場面だけ妙に歯切れが悪かった印象があります。後醍醐帝は一貫して果断で行動力のある人物として描かれていただけに、公家に流されて正成の忠言を却下するというのが、何とも奇妙に感じられたものです。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/6218/


#3454 
柱国大将軍 2002/11/27 15:20
李舜臣の人物像

 李舜臣の人物像についての私の書き込みは、訂正の必要がありますね。李舜臣は朝鮮王朝の忠臣であって、「民衆」を救った英雄とは考えられないというのは、言い過ぎでした。秀吉の侵略によって朝鮮の人々が災厄を被っていたわけだから、その秀吉軍に勝利した李舜臣は「民衆」を救ったということになるはずです。
 ただ、李舜臣が「民衆」のために戦ったのか、いまだ疑問に思っています。というのも、私は、「民衆のために戦う」という表現は、単に人々を戦乱や飢饉等の災厄から解放するというだけでなく、もっと積極的な意味、それは、「民衆」的立場から「民衆の利益や権利」を守る・獲得するという意味を含んでいると考えているからです。そうすると李舜臣はそんなことまで考えていたのかなと疑問に思うわけです。さらに、王朝の枠組みを越えて天下万民のために戦うという立場でも無いのではないか、李舜臣は朝鮮王朝の枠組みの中で考え行動していたのではないか、と思うわけです。つまり、李舜臣は「民衆のために戦った」とした場合、それはいかなる立場から、どのような民衆観をもって戦われたのかという点で、引っかかりをおぼえてしまったということです。



#3453 
ひろぼん 2002/11/27 00:12
コンピューターソフトの変遷ということでご容赦を・・(笑)

>DVDのはなし(興味のない方すみません。)
とんでもない勘違いをしておりました。徹夜城さんのおっしゃるとおりDVDMovieWriter(以下MW)でも再エンコードはしません。なんでこんな勘違いをしたかというと、最近、BSチューナーから直接キャプチャーしていて(そうするとすばらしく綺麗にキャプチャーできる分、物凄く画質に拘るようになってしまったんですが)、オーサリングする前の元データ(MPEG2)とMWでDVD化したものとで画質を見比べると、明らかにDVD化した方が画質が悪いのです。それでオーサリングの過程で何らかの処理が行われているのではと勝手に思い込んでいました。オーサリング時間から考えて、再エンコードしていないのは明白で・・・。うーん、そうなると原因は再生機(プレステ2)ですかねぇ。

というわけで、作業時間に関してはあまり差が無いようですが、書き込みの際Workshop(以下WS)では、作業用フォルダにオーサリングデータの倍の容量を確保する必要がないので、ハードディスクの残り容量が少ない場合にとても助かります。
また、VIDEO_TSフォルダからの書き込みが出来るので、infoファイルをいじって、例えばメニュー画面を飛ばして自動再生させたり、アスペクト比を変更したりしてからでも別のライティングソフトを使うことなく書き込みが出来るのが良いです。

そして、WSの最大の利点は、メニュー画面が自由にレイアウト出来るというところでしょう。MWでは例えば『太平記』の各回タイトルをメニュー画面に打とうと思っても全部入りきらなかったり、変に2〜3行になったりすると思います。でもWSでは思いのままです。それと貼り付けられるオブジェクト(テキストを含む)には、全てリンクをつけることが出来ます。徹夜城さんでしたらご自身で書かれたイラストにリンク(タイトル××を再生、など)をつけることも可能でしょう。
どうですか、CGIも自作される(恐らくwebページもタグから書きたい派の)徹夜城さん!ウズウズしてきましたか?(笑)


>NHK-BS ジャンヌ・ダルク
観ましたと書きましたが、実はコンピューターをいじりながらの所謂「ながら見」で、結構いい加減な感想です。でも結構良いできの作品ではなかったかなと思っています。(DVDを買う程ではないと思いますが。)
1/2(木)と3(金)の二日に分けて、今度はNHK総合の方で放送するそうなので、DVDに焼いてもいいかなと思っています。(そういえば1/3は大河ドラマ『信長』の総集編再放送の日でもありました。)



#3452 
徹夜城(また採点バイト中の管理人) 2002/11/26 00:02
レスためこみ(^^;)

またまた某予備校系テストの採点バイトで各種更新が遅れております。
うーん、今回のテストは珍答が少なくてつまらんな(笑)。江戸時代に米屋が襲われている絵で「これは何か五文字で答えよ」との問いに「ぶちこわし」と書いていたのが現時点の最高傑作。
あと、公民で中国からの輸入品に対して行った措置をカタカナ六文字で答えよ、との問いに「ホゴボウエキ」と答えていた苦し紛れクンがいましたな。

>李舜臣関係。
レスが遅れて議論百出、まとめられなくなってしまいましたが(^^;)
この掲示板には史学科学生、あるいは出身者が多いので、歴史英雄論、人物論では特にその評価の歴史的な変遷を気にするところが見受けられますね。
少なくとも近代以後の李舜臣評価については僕もだいたい柱国大将軍さんと同じ見方でして、それ以前からあった民間レベルでの素朴な李舜臣人気(知識人レベルでは実のところ怪しかったと思う。戦死の直後こそ絶賛されたけど、儒教社会って伝統的に軍人に冷たい傾向があるので )に、日本に支配された時代の民族英雄としての増幅が加わり、独立後の軍事政権で政治的意図から教育・宣伝事業が行われ、さらに無謬の存在に強められた、という経緯が考えられます。まぁさすがに近ごろの韓国は政治的にもさばけてきましたから、今後はまた当初の素朴な人気の形に戻っていくんじゃないかと。
七海さん、「乱中日記」にとうとう手を着けられたようですね。僕はまだ買ってはいませんで…他にいろいろ手を出してるものがあるので、手が空いたら読んでみたいと思ってます。面白い話があったらご紹介ください。個人的には引用されていた北島さんのまえがきにある「倭賊のふりをして略奪をはたらく連中」に興味を覚えました。こういうの、僕の専門の明での嘉靖大倭寇にも見受けられるので…李舜臣の民衆観をさぐる上でも面白いところかと思います。

「民族英雄」の話題は以前にもしたことがありますが、日本ってこれがいないんですよ。それは長い目で見れば幸福だったとも言えますが。やはり外国からの侵略を受けた経験があまりないからだろうなぁ。
北条時宗が民族英雄、ってことはさすがにありませんしね。昨年の大河ドラマでもそれが…(笑)。あとは太平洋戦争時の東条英機もどうがんばってもそうは言えないでしょ。そうしたい向きの方々で製作した「プライド」があれですから(汗)。そういえば昔新東宝が製作した同趣旨の映画はまだ見てないです。
太平洋戦争勃発時に大川周明が「敵、北より来たれば北条、敵、東より来たれば東条」とかぬかしておりましてねぇ(笑)。南から敵が来たのがいけなかったんでしょうか(南条ナントカって人もいたような気がしたが)。

 江戸時代の水戸学からですが、日本では結局みつからない「民族英雄」の代替として持ち上げられたのが、後醍醐天皇に忠誠を尽くした楠木正成だったわけですね。これが幕末になって異様なまでに盛り上がってゆき、戦時中にもモロに利用されていくわけです。まさに「玉砕」の元祖でもありますしねぇ。

 こういうことを書いていると改めて思い当たるのですが、李舜臣にせよ、楠木正成にせよ、洋の東西「英雄」と持ち上げられる人ってかなりの確率で「悲劇的な最期」を遂げてるんですね。みなさんそれぞれ良く知る歴史の範疇で「人気のある歴史英雄」を振り返ってみれば、ほとんど当てはまることにお気づきになるんじゃないかと。前にも書いたことですが、信長にしたってああいう死に方じゃなかったらずいぶん違う人気になっていた気がします。
実は「英雄」に持ち上げられる要素ってご本人の生前の活躍、人柄もさることながら「最期をカッコ良く(?)決めている」ということも大きいようでして。本人にしてみればかなり不本意なことかもしれんなー、などと僕は思うのですけどね(笑)。

>ひろぼんさん
かなーり、お久しぶりです(^^)。登場されて何やらホッとしたりもしてます。
DVD焼きのことですが、僕は相変わらず「MovieWriter」でやっております。2時間ぐらい収録した一枚焼くのにやはり1時間半ぐらいかかりますかね。確かDVD規格にあうようにMPEG2キャプチャーすれば、再エンコードの必要はなかったように思うんですけど。とりあえず「太平記」は鎌倉幕府滅亡まで自作DVD化しました。チャプターからDVD面レーベルやケースカードまでデザインして勝手に悦に入っております(笑)。
WorkShopもどんなもんだか気にはなってるんですよね。出来ますれば、ご連絡ください(^^)。
NHK−BSの「ジャンヌ・ダルク」は見過ごし(録画しそこね)ました。確かDVDも出ていたような…

>おはけんさん
おお、そうでした。新田次郎氏のそれがありましたっけね。そういう内容だとは知ってるんだけど、まだ手近なところで見つかんなくって読んでないんです。
司馬遼太郎の「私が書いた蔵六しか信じない」という発言ですが、僕が読んだ限りでは「自分でとにかくそう思い込んで書く」という、作家としての心構えみたいなものに受け取りまして、あまり傲慢という印象はありませんでした。本人もそれが「思い込み」である可能性は分かってはいるようで、仮に蔵六本人が自分のイメージと違う形で目の前に現れたとしても、自分の作品中ではあくまで自分の思い込んだものを「本物」として書くんだ、とそういうことみたいです。

>某大型書店で。
今日仕事の合間に神田のさる大書店の中世史コーナーをのぞいて「ムロタイ」取材がてらお買い物を。
○横井清「室町時代の一皇族の生涯・『看聞御記』の世界」
「ムロタイ」でも出てきました崇光天皇の、孫にあたる貞成親王が書いた日記の解説本。これがまたなかなか面白いです。崇光と後光厳兄弟の皇位継承争いは「ムロタイ」にも書きましたけど、後小松即位で一度はあきらめかけた崇光系はこの貞成の子が後花園として即位することで皇統を「奪還」するんですね。この劇的な展開もさることながら、この親王からみた義満、義持、義教の治世が読める辺りが非常に面白い。
○今谷明「天皇と天下人」
少々前の本ですけど、中世天皇制の研究者・今谷氏と松本清張の対談が読めたもんで、ついでに買って見ました。最初のほうしか見てないですが、司馬遼太郎が義満の明への朝貢を「金がほしくてやった」と古典的な見方をしている、と今谷さんが批判している箇所がありましたね。司馬遼太郎って結構いろいろ物知りだし考察もしてるんだけど、どうも南北朝に関して発言したものってしっくりこないのばっかりなのはなんでだろ?



#3451 
おはけん@過労状態 2002/11/25 22:59
超超超超亀レスabout司馬氏

 超おひさしぶりに、超超超亀レスの上、いきなり管理人様引用で始まってすいませんが・・・

>書く言う僕も歴史もののフィクションをやってるので、人物造形
>ということではかなり司馬遼太郎をお手本にしたところはありま
>す。ただその危うさも知ってるんで明白な「ウソ」がつけず
>(笑)、「ここはフィクションだよん」とバラしてしまうんです
>な。「ムロタイ」の解説モードはそのためにあるようなもんです。
> 以前王直らを主人公に大河倭寇小説に挑んだことがありますが
>(中断中)、詳細に注釈と元ネタとなる史料をつけた論文もどき
>の形式にしたもんです。お話だけ楽しみたい人は本文だけ読んで
>、どこまで史実なのか知りたい人は注釈見て、という形で。これ
>、今でもこういう形式の歴史小説があってもいいんじゃないかと
>思ってまして
      ↑
 これ、既に先駆者がおられますよね?
 そう、おはけんが去年くらいに、さんざんレスしていた、新田義貞贔屓の聖典(?)、新田次郎作『新田義貞』ですよね。
 各章末ごとに取材ノートを付し、歴外現代とを照応させていますが、これは「現地調査でつかんだイメージを読者に伝えるとともに、作中の空想部分を明記し、読者の判断をあおごうとする」誠実な態度の現れでは?(解説・尾崎秀樹氏)と評価されていました。

 本当は、新田氏よりも何よりも、目下極めて危険な読み方・使われ方を一部の人間にされている司馬作品こそ、こういう取材ノートが必要であり、後から誰か別人でも、是非「注釈ノート」を作って挿入したバージョンを試作して欲しいですねぇ・・・(著作権法上無理?)。
 なお、今日のとある新聞記事を見ていると、昔は司馬氏も「歴史学者でもない自分が“龍馬”と書くのはおこがましい」として、あの小説の題を謙虚かつ「自分の“竜馬”を書くんだ」としていたそうです。
 ただ、やはり「私の蔵六以外信じない」というのは、作家として司馬氏の方が後には、新田氏より少々ゴーマンというか自信過剰になっていったということなのでしょうかねぇ・・・




#3450 
七海 2002/11/25 22:31
「乱中日記」を読んで

 どうも、皆様、李舜臣についてのご意見ご説明ありがとうございます。

 ¥3000もする東洋文庫の「乱中日記 1」李舜臣 著 北島万次 訳注 を買ってしまいました。
 まだぱらぱらと読んでみただけですが、確かに「民のため」とそれだけで頭をいっぱいにしていたわけではないでしょうが、やはりある程度気にかけていたと思われるのですが。朝廷への忠義というのは、むしろ直接的には表現されていません。感じられるのは家族への愛情と、武官としての義務・責任感というところでしょうか。
 訳文ではありますが、簡潔で品のある文章だと思います。
 敵である倭賊(日本軍のこと)より、同じ武官の元均への怒りや軽侮がはっきりと表れているのが面白いですね。
 訳者の北島万次氏の「はじめに」によれば、「(「乱中日記」には)倭乱のあおりを受けて逃げまどったり、李舜臣の戦果に小躍りする民衆、戦乱による生活難により、倭賊に変装して略奪行為に走った民衆(中略)など、さまざまな人々の動きを生き生きと語っているのである。その意味で、この「日記」はたんなる戦争史料ではない」とのこと。
 P229、「甲午 1594年 九日戊午 晴。」のところには、
「そこで唐項浦に往来する倭船の様子を問う。また人が飢えて殺し合い、食い合う惨状、どのようにして民の生命を守るかについて問う」
ちゃんと民のことも気にかけてはいたようですよ。



#3449 
なな 2002/11/25 20:27
李舜臣の記憶

朴正熙は自分の親日イメージ払拭のためにもとから反日イメージのあった李舜臣を利用したと、私は解釈していました。
李舜臣の墓や関連遺跡にしても、新たに発掘調査して公開したわけではないようですから、整備はされていないにせよ存在自体は前から知られていたのでしょう。
ゴーグルの検索では、「戦前に朝鮮人によって書かれた李舜臣が登場する書籍」というものもヒットしましたよ。

朝鮮が開国する前の李舜臣の痕跡を追って「李舜臣 民謡 口伝」のキーワードで韓国のサイトを検索したところ、有名なのが一つだけ(ヒット件数は多いが)だけどありました。(^^)
地道に探せばもっとほかに見つかるのかも。
>李舜臣にまつわる口伝民謡
全羅道一帯に現存する「カンガンスウォルレ」には壬辰倭乱の時、李舜臣将軍が戦術の一環で演出した歌という説が伝わっている。
すなわち、壬辰倭乱当時、李舜臣将軍が全羅南道海南の右水営に陣を張っている時、倭軍に比べて我軍の数がめっきり少なかったという。
ここに将軍が村の婦女子たちを集めて男装をさせて玉埋山の中腹をくるむようにぐるぐる回った。
この時、海で李舜臣将軍の陣営を眺めた倭敵たちは朝鮮の軍仕たちが果てしなく行軍することで勘違いして前もって怖がって逃げたと言う。
「カンガンスウォルレ」は地方にしたがって歌詞の内容と音楽的な構成は勿論、遊びを行う方式で少しずつの差がある。
題目も「カンガンスルレ」、「カンガンスウォルレ」などで地方ごとに差があって、漢文の表記においても「江江水月来」、「強羌水月来」、「強羌巡来」などの多くの種で書かれる。
由来においても李舜臣将軍が壬辰倭乱の時に作ったという説と、鬼遊びから始まったという説で分けられている。
しかし一般的には李舜臣将軍と係わる説が説得力あるように受け入れられている。
用語は「カンガンスルレ」が通用している。

それと、李舜臣の民話も載っているかもしれない本。今も入手可能です。
>あじあブックス『朝鮮の物語』野崎充彦著(大修館書店)
近代以前の朝鮮文学史。伝説、伝承、民話などの歴史をまとめたもの。(中略)特に『壬辰録』の話は興味深い。小西行長が朝鮮半島でたたり殺されたり、加藤清正が一騎打ちで関羽の亡霊の不意打ちにあって落命したり…(以下略)。
清正や行長が伝わっているなら李舜臣も何か残っていそうです。関羽vs清正ってねぇ…。

検索のついでにトンデモ歴史本も発見してうれしい♪
>二つの顔の大王―倭国・謎の継体王朝と韓三国の英雄たち/文春文庫/小林 恵子 (著)
内容(「BOOK」データベースより)
越の国から忽然とあらわれた謎の天皇・継体は、驚くへきことに新羅王でもあった。古代史を彩る大王たちは、倭国、高句麗、新羅、百済を縦横に駆け巡っていたのである。前著『聖徳太子の正体』では、倭国を複雑な国際関係の中でとらえ、意外な太子像を描き出して衝撃をあたえた小林古代史、待望の第二弾。(以上、アマゾンホームページより転載)

これだけ読むとフツーなんですが、読了した方のネタばらしを読むと…(大爆!
>継体天皇は新羅の智証王で、中央アジアのタクラマカン砂漠南のオアシス都市コータン西方のタバナという小国の出身。ただし人種的にはエフタル人。宣化天皇は新羅の真興王で、天武天皇は高句麗の淵蓋蘇文。聖徳太子は突厥の英雄…。(一部を抜粋して要約)
…面白そうでしょ?(したり顔) アマゾンブックスでは現在取り扱っていないそうです。



#3448 
奥野 2002/11/25 07:37
求められる英雄像

李舜臣についてはこれまであまり知らなかったこともあり、皆さんの書き込みで勉強させてもらっています。前にも書いたように、僕はどちらかというと英雄そのものよりも英雄が出来上がるプロセスに関心があるというひねくれたところがあるので、朴政権下での顕彰などは興味深く読ませていただきました。
やはり、英雄そのものの事績ばかりでなく、彼を顕彰しようとする時代の背景についても考える必要があるのでしょうね。例えば戦前の日本では楠正成が絶対的な忠臣として賞賛されたし、ソ連時代には様々な反乱のリーダーが「階級闘争」の指導者として顕彰された、という具合です。現代の民主主義的な価値観が(一応)定着した社会では、当然のことながら「民衆や弱者のために戦う」英雄がポピュラーになってくるのでしょう。大河ドラマなんかでも、戦国武将がやたら「民の苦しみを救うため」天下統一をすることになっているし。こうした英雄像がどれだけ実像を反映しているか、注意が必要なところではあります。

もちろん、李舜臣にしてもその他の英雄にしても、民衆の中で語り継がれた記憶というようものはあっただろうし、全てが権力の操作によってイメージが作られたわけではないでしょう。ただ、柱国大将軍さんも書かれているように、「民衆」のメンタリティを同時代の史料から知るのは本当に難しいことだと思います。「民衆」と呼ばれるような多数の人々が自分の考えを史料として残せるような時代って、ほんの一握りですから。
それから、昔の民衆と今の民衆が同じメンタリティを保っているわけではないということも事実です。例えば中世の民衆世界は、現代人の目からは異様に見えるほど残酷で暴力的な側面があった、と言われています。その意味で、井波律子『三国志演義』(岩波新書)は面白いです。この本によれば、かつて民衆に愛された講談の中で、一番の人気を誇った三国志の英雄は張飛だったとのこと。「バーバラスで純粋暴力の結晶のような」張飛像が、当時の民衆によってもっとも愛されていたようなのです。しかし知識人の手が入った「三国志演義」では、どちらかというと教養のある関羽の方にスポットライトが当たり、より「民衆的」な張飛は後景に退いたという話でした。やはり、時代ごとのメンタリティの変化によって受け入れられる英雄像も変わってくるのでしょうね。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/6218/


#3447 
ひろぼん 2002/11/24 04:03
おひさしぶりです

ほぼ1年ぶりにおじゃまします。
徹夜城さんからこの掲示板にて、DVDオーサリングの楽しさを教えていただき、しばらくそっちの世界にのめりこんでいました。ちょっと間が空くと書き込むのに気合がいるというか・・・ここ1年ROM専門でありました。
巷では『利家とまつ』の全編がDVDビデオで発売されることに喜怒怒哀哀楽の反応があるようですね。私としてはそんなものを発売するより、『太平記』の全編再放送を実現してほしいのですが・・・。
今週DVDWorkshopを買いました。これまでは徹夜城さんからご紹介いただいた、DVDMovieWriterをつかっていて値段の割にはいい仕事をしていたのですが、さらなる作業時間の短縮を考えて乗り換えました。やっぱり再エンコードなしは良いですね。

こんな話だけだと場違いなので・・・

>ジャンヌダルク
この間NHKBSで海外ドラマ『ジャンヌ・ダルク』(前・後編)JOAN OF ARCを観ました。そのなかで、イギリス国王ヘンリー5世とフランス国王シャルル7世とブルゴーニュ公フィリップの三人が集まって、原っぱで立ったまま休戦協議をするシーンがあり、なんかのどかだなぁと思ってしまいました。実際そんなことがあり得たかどうかは知りませんが、当時の勢力の構図が単に英・仏の二極では無いことがよく解かるシーンでした。

>大久保長安
カメレスで申し訳ありませんが、どなたのツッコミもなかったもので・・・。
ホリー・ハンターさんがお書きの、大久保長安が佐渡島で獄死したという書き込みですが、これは間違いではないでしょうか。大久保長安は、駿府で病死したはずで、公金横領や謀反の疑惑が明るみになったのは、彼の死後のはずです。
それと、アマルガムなんとかかんとか法というのは、アマルガム法で良いと思いますが、これは金鉱脈の採掘方法ではなく、水銀を使った金の製錬技術のことをこう呼びます。




#3446 
ホリ−・ハンタ− 2002/11/23 20:35
親日派

日本が、朝鮮人を全員、敵に回し武力で占領した〜とゆうのは
物理的に不可能だと思いますので、親日派朝鮮人なる階層があった〜
この場合、親日とゆうより自分ら側の利権のため日本軍を歓迎した
朝鮮の軍の一部や朝鮮人民族主義者、政商・資本家といった権力側の一部。
問題は、日本軍が朝鮮から撤退したあとの真空地帯で、
親日派の旧日本軍管理下で治安を担当した朝鮮人部隊とかは戦犯とならず、
そのまま、軍政下で、また治安部隊として機能したことでしょう。
朴 氏がその部隊に関係したかは不明ですが
終戦直後の南朝鮮の、民族主義者や労働者組織と治安側の地下闘争は、
米軍進駐〜大韓民国の成立まで、野放し状態で壮絶であったそうで、
右翼民族主義者は治安部隊の尖兵となり左翼民族主義者を弾圧、
一方、左翼でも中国の支援を受けた北朝鮮寄りの派もいて
右と左と治安側、入り乱れたテロが南朝鮮に横行、
民族主義や労働闘争の指導者が次々に暗殺され
治安側に拉致され帰って来なかった人々が多数、
(北朝鮮が拉致した韓国人数に匹敵するかも)
韓国政府は当然、政府が出来るまでの空白期には責任は持たない
でしょうし関与は認めないでしょう。
旧日本の朝鮮総督府に利権を認められていた朝鮮人政商集団・財閥は
特に日本のような財閥解体を韓国は経験せず、在続、韓国の経済成長に
この財閥は大きな推進力になったのでしょうが
日本が韓国に行ったと思っている、韓国政府への戦後補償・経済支援の
かなりの割合が財閥に流れたとゆう指摘もあり、
それが韓国大衆世論には反日感情に作用するのは避けられず
朴政権が李舜臣を持ち上げたぐらいでは、到底、消せないような
旧日本軍に加担したり戦後から大韓民国成立までの混乱期の
立役者たちの暗黒の痕跡でしょう。



#3445 
柱国大将軍 2002/11/23 14:40
李舜臣人気

 李舜臣がいつから英雄視されるようになったのか、時期を確定するのは結構難しい作業です。一般に歴史においては、〜がないと言うことを証明することはとても難しいのです。つまり、李舜臣の人気が〜以前には無いとはとても言い切れない。しかも、前近代において「民衆」の意識を探ることは、「民衆」自身がなかなか史料を残さないこともあって、不明の点がとても多いのです。これは、李舜臣についても当てはまるでしょう。
 李舜臣はあれだけの功績を残した人物です。当然国家による顕彰事業だ行われたはずですから、そうした事業の記憶を「民衆」が持ち続けていた可能性は高いと思います。問題はその「民衆の記憶」をどう扱うかというところにあります。結局これを定量化するのは無理なのではないでしょうか。芝居や小説、民謡の類に李舜臣がどのように登場していたか調べれば、或い程度判るかも知れませんが。
 李舜臣人気が解放後の軍事政権下において盛んに顕彰事業がされた結果であるか否かは、私には判断がつきませんが、あり得ることだとは思います。もちろん、ゼロから作り上げたわけではないでしょう。特に韓国近代の歴史を考えれば、近代日本の朝鮮侵略が豊臣秀吉の侵略を思い起こさせたでしょうし、その中で名将李舜臣は外敵を駆逐した英雄として「民衆」の心の中に確かな位置を占めることになったと言えるかも知れません。私自身は、植民地期における反日のシンボルの一つとしてあった李舜臣を、解放後に朴軍事政権がすくい上げる形で、今の李舜臣像が作られたのではないかと思います。
 もう一点、李舜臣の英雄像について。私は、李舜臣を朝鮮王朝の危機を救った忠臣であったとは思いますが、「民衆」を救った英雄だとは思っていません。これは、何も李舜臣が「民」のことはどうでもいいと考えていたと言うことではありません。第一義的に李舜臣の関心の的は朝鮮王朝にあったと言うことです。「民」もそこに含まれますが、「民」は主では無かったということです。
 以上は、証拠があって言ってることではないので、反論は大歓迎です。

最後に余計なお説教かも知れませんが、自分の出自について言及する必要はありませんよ。そのような行為は、かえって自己の主張の正当性を損ねることになると思います。七海さんが、何者であるかということと、歴史上の英雄をどう見るかの議論は別の事ですから。もちろん、自分の発話の位置を自覚することは必要ですが。



#3444 
七海 2002/11/22 22:37
李舜臣人気は政府の喧伝によるものか?

 中国からの半島への侵略ということでは、隋の大軍と戦ってこれを撃破した高句麗の、乙支文徳という人も半島では評価の高い人のようです。モンゴルや遼といった北方異民族と戦った名将・英雄もいるようですね。
 軍事政権が李舜臣を利用していたのは確かでしょう。しかし、それ以前には民衆人気がなかったというのは本当でしょうか?
 秀吉朝鮮出兵当時、日本軍と戦ったのは官軍でなく、一般の農民などが主体の義勇軍が主だったようです。官軍の中でまともに戦っていたのは李舜臣の水軍くらいだったようですね。一度讒言を受けて失脚した後、李舜臣が復活すると、志願兵が激増したとか。志願兵とは、当然一般民からということですよね。李将軍の声望はかなり高かったようですね。はっきり言って、当時の日本軍は一般民衆もかなり苦しめたようですから、あれほど日本水軍相手に華々しい軍功を上げた李舜臣の名が、庶民に知れ渡っていない方がおかしいような気がするのですが。
 島津藩に関するサイトの、日本水軍の戦いぶりを書いた文を読みました。当然、日本寄りの記述になっているわけですが、その中でも李舜臣は傑出した名将として賞賛のみ、という書かれ方です。
 大抵の日本人から見ても、敵ながら天晴れ、としか言いようのない人だったようですね。
 彼の韓国での名声が、政府の喧伝によるものだけなんて信じられません。もとから名声があったからそれを利用したのではないでしょうか?
 確かに数多くいる英雄の中で彼だけがとても持ち上げられている感じはしますが。
 戦乱に苦しむ朝鮮の民衆のため戦った彼は立派だと思います。

 強いもの優れたもの、英雄が讃えられるのは、弱い者のために力を尽くしたという一面があるからだと思いますよ。少なくとも、李舜臣の場合はそうです。

 念のためいっておきますが、私は生粋の日本人です(笑)韓国や朝鮮の国籍の知り合いさえいません(笑)



#3443 
七海 2002/11/22 20:30
李舜臣はかっこいいだけの英雄ではないよ(笑)

 管理人さま、皆様、英雄や李舜臣、ジャンヌ・ダルクについてレス及びご説明ありがとうございます。

 韓国では、人間が死後、神として信仰されることはないのですか。それは初めて知りました。中国のなんとか廟や日本の誰某神社みたいなものは韓国にはないのですね。それは意外・・・。

 反日教育でもかまいません(おいおい・・・笑)
 李舜臣かっこいいから許します(爆)



#3442 
ホリ−・ハンタ− 2002/11/22 12:53
太陽政策

韓国の元・対北工作員らが太陽政策で自分らが社会的に抹殺されている〜
国家の為に命がけで働いたのに冷遇されていると、デモを起こしたとゆう
ニュ−スの映像を見ました。元・工作員の一人は、記者に対しテコンド−
の技やコンクリ割りを披露するなどしてサ−ビス精神が旺盛でしたが

『私は国に人間凶器のように育成された、首になって社会復帰が困難だ。』

彼はかなり頑強な肉体だったが、一体どんな転職がしたいのだろうか?

逆に、北から逃れてきた治安当局・軍関係者の証言とゆうのも最近、TVで
よく見かけます、特に夕方のフジTVは、元・金正日 氏の
護衛をやってたとゆう人物が。
彼は、亡命に失敗して収容所にブチ込まれたそうですが、
彼は折れた4本の前歯と体中にある痣や傷を此見よがしに
見せ、さかんに収容所での惨状を訴えておりました。
『収容所は食い物が無く牛の糞の中からトウモロコシを寄り分けて
飢えをしのいだ。』の類の彼の証言は、夕飯の時間帯に
こうゆうのをやるのは、ちょっと〜って気もしたけど。




#3441 
なな 2002/11/22 01:13
ちょいと補足

「李舜臣」だけで検索すると何千件とヒットするのですが、「神格化」とセットで出たのはわずかに21件でした。リストアップされた中の上から二番目の記事で早くもお目当てだった内容が見つかり、助かりました。
上の検索エンジンはゴーグルでしたが、前にヤフーコリアで「李舜臣」専門サイトの登録状況を調べてみた折りには、わずかに一件登録されていたのみでした。世宗大王で四件。
下で紹介した朴元大統領の文化政策を読むと、韓国民はすごく洗脳されてるように思えますが、現代のネットの状況で見た限りは「李舜臣崇拝」はないように感じました。もしあれば、熱烈応援サイトがぞろぞろ登録されてるはずと思うからです。
現在の韓国人、特に若い世代が李舜臣をどれだけ敬愛しているかは分からないですね。

韓国政府が李舜臣を取り上げてどう利用しようと、外国人が口出しすることではないのでしょう。しかしそこに反日思想や反日教育がセットになってるから厄介なのだと思います。ならば日本よりはるかに侵略回数の多かった中国やモンゴルに対してはどうなんよ?…と問いたいです。
開国前の朝鮮王朝時代、一般庶民の間で李舜臣はどれほどの知名度があったのでしょうか。

>朴正熙が親日
私も意外でした。かといって彼の経歴も知らなかったです。日本語ペラペラだったのかな〜。とうてい親日というイメージではないんですが…(汗。
それにしても、これまで見てきた韓国サイトは口語体か歴史用語が多く使われていて、いつも爆笑ものの珍訳をしてくれるオンライン翻訳サービスなのですが、今回の朴正熙は手直しがほとんど必要ないほどの見事な翻訳ぶりで…ちょっと複雑な気分でした。



#3440 
徹夜城(ぼちぼち久々の映画日記を上げる予定の管理人) 2002/11/21 23:49
高円宮憲仁さん急逝

…47歳。人間、元気そうな人が唐突に亡くなるってことがあるもんですね。最近僕のアルバイト先のお向かいの方も元気な人だったらしいですが、まさに急逝されてました。
今年のW杯で戦後韓国に初めて入った皇室の人だったりしたんですがねぇ。

>奥野さん
ご投稿に出てくる少年の話、僕は良く知らないんですがこれってエイゼンシュテインが「ベージン草原」というタイトルで映画化してたはずですね。それこそ国策に沿っての製作だった…はずなのですが、田舎における父親と少年の葛藤という普遍性のある物語になっちゃっているとか聞いています。まだ見てないんですけどね(^^;)。
 思えばエイゼンシュテインという映画作家も、スターリンにふりまわされてあれこれ「歴史映画」を作っては確執を続けてましたね。「アレクサンドル・ネフスキー」なんか明白にナチスを敵対視する映画なんですけど、独ソ不可侵条約締結で上映中止になり、「イワン雷帝」では第一部でスターリンに媚びておいて第二部でバッチリやり返すと言う凄まじいことをやっておりました。

>ななさん
こりゃーもう、凄いフォローで。恐れ入りますです。いやはや、韓国サイトも探せば転がっているようですな。
読んでいて面白かったのが、朴正熙が「親日」というイメージを払拭するために李舜臣を利用したというくだり。朴正熙って確か日本の陸軍士官学校首席卒業じゃなかったかな?その辺も影響しているかもしれませんね。



#3439 
なな 2002/11/21 22:14
李舜臣 神格化の背景と実態

「李舜臣」「神格化」をキーワードに韓国のサイトを検索したところ、「朴正熙の民族主義は歴史をどのように利用したか?」という興味深いページがヒットしました。
一部を抜粋し、オンライン翻訳サービスを通した後、原文と見比べつつ少し手直ししました。
長文ですが、下で徹夜城さんがお書きになってることの具体的なフォローです。

>2.英雄史観の復元-李舜臣と世宗大王
1)李舜臣に対する神格化
 李舜臣に対する朴正煕個人の関心は彼が18年の間の集権期間の中でこの忠武公誕辰である行事にヨルネボンでも参加したし、燎忠祠聖域化工事関係官会議に参加して工事現場を幾度も訪問した事実で端的に現われる。
またこの忠武公に対する尊敬心を現わすために忠武公関連遺跡の懸板を直接使ったし、李慇相の≪忠武公足跡よって太陽が映る道に≫という著書に親書まで書いてくれた。
朴政権の李舜臣神格化政策の代表的な事例は李舜臣関連遺跡の補修と拡張事業だった。
燎忠祠は1966年から1975年までおおよそ四回にわたった事業を通じて霊廟を重建して記念館を新築したし李舜臣の生家を補修して墓地と周辺環境を浄化したし各種便宜施設を取り揃えるようになった。
また文化財保護法によって1967年に史蹟第155号に指定された。
二番目の事例は李舜臣関連建築物の建立で、代表的なものがソウルの世宗路中央に立てられた李舜臣の銅像だ。
三番目の事例は李舜臣を称える祭礼または儀式で、朴政権ができた直後である1962年から忠武公誕辰記念祭が地方文化祭を兼ねて大規模で開かれ始めたが朴正煕は殆ど毎年参加した。
四番目の事例は教育を通じた李舜臣の広報作業だ。
朴政権は乱中日記、忠武公伝記など関連書籍の出版を奨励したし、小中高校学生たちの必読書で決めたし、「忠武公の歌」を従って歌うようにした.
朴政権がこんなに李舜臣を神格化して得ようとした效果はさまざまだった。
第一、李舜臣が持っている反日イメージを通じて自分の親日的イメージを希薄させようと思った。
第二、李舜臣の救国英雄的なイメージを通じて軍人出身大統領の統治を合理化しようと思った。
第三、朴正煕は李舜臣と自分を同一視する論理で野党勢力を批判した。
彼は忠武公誕辰記念辞で「奸悪な朝臣ら」と李舜臣の関係を当時の野党勢力と政権の関係で切り替えた。
ここで朴政権は李舜臣と同じく民族と国家を救おうとする善人(とする)反面、野党は朝臣と同じく分裂と党争に明け暮れる悪に描写された。

2)世宗大王に対する讃揚
世宗大王神格化と係わって朴政権が先に主導した事業は世宗大王と係わる遺跡の整備だった。
朴政権は1976〜77年世宗大王の幽宅である葛州英陵を整備したが、丁字閣帝室、修復部屋など建物を補修して、記念館を新築したし、境域を拡張して周辺を整理した。
第二、世宗大王の業績をほめたたえる政策を広げたが、独創的民族文化であるハングル創製を記念するために1970年ハングルの日を祝日に決めたし、1975年建立した民族文化の殿堂を世宗文化会館で名付けたし、子供会館の前に世宗大王の銅像を立てた。
そして世宗大王を代表することができるハングル専用政策を強力に推進した。
また世宗大王記念事業会は1956年に発足した以来たゆまぬ活動を展開したが朴政権の支援に負ってもっと多い事業を広げることができた。
朴政権が世宗大王を神格化した理由は世宗文化会館の建立で見られるように朴政権は自分らの経済発展の成功を韓民族の新しい「黄金時代」で格上げさせようとする意図を持っていたと見える。
ハングル創製が「国民主体との努力」や、我が民族は"立派な私の国の字を持った文化民族....優秀な民族"でありなさいと指摘したことに現われるように、朴政権は世宗大王及びハングル強調を通じて自分が「民族主体性」を立てた政権なのを誇示しようと思った。
それにこれを通じて「民族文化の定数」のハングルの専用化を決めた朴政権こそ真正な民族文化の継承者という論理を伝えようとする意図も持っていた。
またここには軍事政権の硬いイメージを世宗大王の文化イメージで悉歯させようとする意図も介入されていた。(以上)

もひとつ、同じキーワードで日本のサイトを検索してみたところ、なんとこの伝言板の"大昔の"過去ログが出ましたよ(笑?
記事ナンバー、♯67と♯68にて徹夜城さんと中西さんが当時話題にしておられました。(^^)
こちらも深い内容でした。

当時の朝鮮王朝の統治体制や軍備や外交姿勢に問題がなかったかと言えば、そうではないだろうと思います…。一軍人である李舜臣を前面に出して美化する一方で、当時や現在の政権担当者のまずい面が意図的に隠されてしまう、そうした指摘をすることさえはばかられる世間の雰囲気が形作られるのは問題でしょう。
北朝鮮の場合、亡命した元高官・黄長Y(ファンジャンヨプ)氏の本によると、60年代までは歴史の教科書に李舜臣やその他民族的英雄がふつうに載っていたそうですが、金正日が台頭してくる70年代からそれらの歴史人物も姿を消したらしいです。
どちらの国も、国家の主導で全国民に初等教育から徹底した刷り込みを施すのはよくないと思いますね…。



#3438 
柱国大将軍 2002/11/21 21:06
イギリス国教会

イギリス国教会は、ヘンリー八世が作ったものだから、百年戦争の後ですね。うろ覚えですが、ヘンリー八世と同世代の君主といえば、カール五世(神聖ローマ皇帝)やフランソワ一世(フランス国王)であったと思います。この二人は喧嘩ばかりしてますが、これはもうお祖父さん代からの伝統ある喧嘩です。カール五世のお祖父さんがマクシミリアン一世、その喧嘩相手がシャルル八世で、嫁の取り合いとかすさまじいものがあります。事の起こりは、ハプスブルグ家のマクシミリアンがブルゴーニュ家の婿入りしたことですが、このブルゴーニュ家が百年戦争の時、フランス王家と対立したあのブルゴーニュ家です。フランソワ一世はそのシャルル八世の甥っ子かなんかだったと思います。それで、シャルル八世のお祖父さんがシャルル七世、つまりジャンヌの王太子様という関係になっています。



#3437 
ホリ−・ハンタ− 2002/11/21 19:10
神を神とも思わぬ人々

英仏の百年戦争の頃、ロ−マ法王は仲裁しようとしたか、しなかった
かは知りませんが、フランスは南下して教皇領土を掠めとってた
ので、フランスが疲労する様は、法王には北からの脅威が少し減った
〜ぐらいに考えてたかもしれません、かといって敵の敵・イギリスも
法王側には、味方といえるかどうか、イギリス国教会という存在は
法王には、とうてい認められなかった宗派であったのだし。
百年戦争の頃、イギリス国教会はあったのですか?
ジャンヌへの宗教裁判とゆうのは、裁く方も裁かれる
方も法王の手に及ばぬところであったのでしょうね。

私のような一応・仏教徒には、法王の持っていた『破門』とゆう
レッドカ−ドは、一体どんな効果があるのか、よく分からないのですが
塩野七生サンの所見によれば、例えば、ある君主が破門を言い渡されると
その君主に従っていた騎士や領民は、その君主の命令に従ってはならん〜
という事になるそうで、破門をハネのけられる君主というのは
かなり強力な主導権や影響力を下々に対し持ってなければならぬ
〜こうゆう解釈でした。





#3436 
奥野 2002/11/21 17:54
毛沢東廟

百年戦争当時は、いわゆる国民国家の枠組みがまだ完全には出来上がっていなかったから、英仏に限らず国家の枠を越えた合従連衡は珍しくなかったようです。その後、国民国家が成立する中で「ナショナルヒーロー」が必要とされ始めた、という事情はあるでしょう。その辺り、いかに英雄が作られたかというプロセスは興味深いですね。権力の側の思惑、あるいは民衆の間で自然発生的に生まれた英雄イメージの採用など、様々なパターンがあると思います。
それから、一度成立した英雄像にも紆余曲折はあります。例えばジャンヌ・ダルクにしても、第一次世界大戦中はあまり大きく取り上げられなかった時期があるようです。これはつまり、ジャンヌが対英戦の英雄だったため、イギリスと連合してドイツに当たっていた当時のフランスにとっては使い勝手が悪かったからです。その代わり、ブーヴィーヌの戦い(フィリップ2世がドイツ諸侯を打ち破った戦い)が盛んに称揚されたということで、一口に英雄崇拝といっても時期によって色合いが異なることがあるようで。

しかし何といっても、英雄の栄枯盛衰ということではロシアは極端ですね。ソ連時代には、まさしく権力によって「作られた」という表現がぴったりな英雄が輩出されたものですが、当然ながらその多くは今や忘れ去られています。例えば、スターリン時代には反革命的な父親を密告し、そのため親族に殺害された少年がヒーローとして祭り上げられています。我々の目から見ると恐ろしい話ですが、この少年が実際にソ連の子供たちの憧れの的だった時代があるわけです。
最近の調査ではいろいろなことが分かっていて、実は家庭内での紛争が密告の動機だったとも言われています。いずれにせよ、これなどは本当に時代に翻弄された英雄の例と言えるでしょう。

それから、文字通りの「神格化」について。中国の地方に行くと、各地に「毛沢東廟」が祀られているそうです。大学の授業で聞いた話で、現地で撮影したビデオなども見せてもらいましたが、道祖神のような祠に毛沢東の写真などが掲げられていました。周恩来を共に祀ったものもあって、何となく関帝廟における周倉のような感じでした。これなどは歴史というよりも民俗学の領域なのでしょうが、面白い話ではあります。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/6218/


#3435 
徹夜城(タネ本の「室町の王権」が自宅で見当たらず困ってる管理人) 2002/11/21 10:43
とんでもねぇ、あたしゃ神さまだよ

「志村、うしろーっ」の世代としては神様ネタだとすぐこれ書いちゃうんですわ(爆)

>七海さん
ちょっと間が空いてしまいましたが、「神格化」ということについて。
李舜臣の「神格化」のことですが、僕が「神格化」と表現したのは実際に神様として祭るということではなく(だいたいあの国は朱子学→カトリックと流れているので人物を神様化する趣味はなさそう)「民族の英雄」として人格を通り越した無謬の存在に祭り上げることを意味してます。
 李舜臣が実際大変な名将で、かつ清廉な人物であり、しかも完璧とも思える劇的な人生(そのまんまお話みたいな)を送っているのは確かです(個人としては幸福とはあんまり思えん人生ですが)。でも、それを絶対的存在として、まったく誤りのない正義の存在として祭り上げ始めると、それは先述したような危険性を伴うわけなんですよ。客観的な評価がしにくくなりますしね。
 それと、李舜臣をやたらに持ち上げ、全国に銅像を作りまくったのは軍人政権時代だったという政治的側面も忘れちゃいけません。それは楠木正成が戦時中にまさに無謬の忠臣・名将とされ神格化された(こっちは実際神様化しましたが)ことともかなり似通っています。こうした歴史人物を絶対化する裏には、たいていそのことによって現在の体制に都合がいいように利用するということが歴史上少なくないわけです。さらに言えば、「国土防衛戦の英雄だからいい」というのも単純化した見方だと思いますよ。今のアメリカもそうですけど、たいていの戦争は「国土防衛」の名の下に行われますんで。

>百年戦争
僕はこの辺の話は映画のジャンヌ・ダルクと、あとはすでに名前が出ている佐藤賢一氏の「双頭の鷲」読んで知識を得ている程度でして。「双頭の鷲」なんかみてると、けっこう王侯貴族レベルではイングランドとフランスなんて民族的対決じゃなくて同階級同士の馴れ合い戦争みたいにも感じちゃいましたね。フランス国王がイングランドに捕虜にされても身代金払って帰してもらえるから、ずいぶんお気楽な戦争という側面も描かれてました。



#3434 
ホリ−・ハンタ− 2002/11/20 23:36
百年戦争

百年戦争といっても、百年ぶっ続けで戦争をやれるワケは
ないと思いますので、かなり間が伸びてた戦争であったとゆう
説もあります、おやかたサマのご指摘の通り、親イギリス派の
貴族がフランスにもいて、フランス国王は、統一に欠いていた
というのは高校の世界史で習いました。高校の世界史の教科書で
百年戦争時の勢力範囲・地図ってのがあったのですが、
モザイク状に色分けしてあって、ノルマンディ以外にも
親イギリス派は仏南部にもあったような気がします。
イギリス軍といっても、アイルランドや選定候諸国から
傭兵を雇い、戦費が少なくなったら傭兵を解雇したようで、
(それはフランス軍も似たり寄ったりだったようで)
百年戦争中、あるいは戦後、失業したヨ−ロッパ諸国の
傭兵たちは、職場を求めて諸国に分裂して戦乱絶えない
イタリア半島へ行った連中も多く、マキャベリが
君主論を書いてしまった程、戦乱、謀略が渦巻く
イタリアのルネサンス期には、ホ−クウッドとゆう
百年戦争でクビになったイギリス人の傭兵隊長がイタリアを
荒らし回ったそうです、ただ、この隊長は、ようするに
敵に回せば怖いが、金銭しだいで味方になる人物で
あったそうでイタリアの裕福な諸国は、こぞって
ホ−クウッドに安全保障を求めたようです。



#3433 
おやかた 2002/11/20 22:42
ジャンヌダルクの話

七海様
そういう民間伝承みたいのあるんですね。「傭兵ピエール」という佐藤賢一氏の小説は、ジャンヌダルクと傭兵の話でそれに近いストーリー展開です。ジルドレは、悪役で出てきます。作者は、そういう下地を知った上で、書いたのかななんて思いました。
その小説ですが、当時フランスがかなりイギリスに侵食されていたことなど、フランスの中にも親イギリス派がかなりいたことなども描かれていて勉強になりました。私のように浅学な者は、フランス挙国一致でイギリスと戦ってたと思ってましたので。




#3432 
七海 2002/11/20 19:51
英雄、信仰、民間伝説

 ホリー・ハンターさま、ジル・ドレとジャンヌ・ダルクについて、お教えありがとうございます。

 ジル・ドレ、かっこいいですね。なんであんなになってしまったのでしょう(ため息)
 ところで、ジャンヌ・ダルクは実は出自を隠した貴族の娘で、裁判や火刑は見せかけのやらせに過ぎず、ジャンヌはその後、貴族の青年と結婚して幸せに暮らしました。という民間伝説?あるいは俗説?のようなものがあるという話を読みました。民衆の願いが込められているようですね。これも近代になってから流布したものでしょうか?
 ジャンヌ、それならジル・ドレのこともなんとかしてやってくれよ、と言いたくなってしまいました(笑)


 下の方の書き込みで、関羽が軍神として中国人に信仰されているかのような書き方をしましたが、商売繁盛の神様でしたね。失礼いたしました。でも実際、中国では、名将、猛将が軍神や守護神に、というのはかなり例があるようです。
 安重根悪く言う日本人はいても、李舜臣悪く言うのはいないですねえ。(井沢元彦氏いわく、「奇跡の名将」とか)それはそうですよね、ちょっと文句つけようないですものね(笑)



#3431 
ホリ−・ハンタ− 2002/11/20 05:17
シンデレラ伝説

>ジル・ドレとジャンヌ・ダルク
この二人の身分を越えた関係は、殆どシンデレラの話しの
王子様と貧しい出のシンデレラに近いものがあると思います。
ジルは、単にフランス有数の大貴族の出の御曹司であっただけでなく
若くして、国王から元帥に任命されるほど戦争に長け、また、
自ら本を出して、その挿し絵を手掛ける〜といったソフトな趣味も
あるなど武術一辺倒であったわけでも無い〜文武両道の武将であった
とも言われます。
このような彼が、例え、国王に命じられたからとはいえ、
田舎の神がかり の少女の元へ馳せ参じる〜とゆう事は、
当時の人々の目にもにも奇特に映った
と思います。あとジルがジャンヌに敬服したのは神、
特にカトリックが絡んでいるかどうかですが、
フランスが国教をカトリックにするのは、その未だずっと後のはずで、
フランスはルタ−の影響の余波を受け
新教と旧教の血みどろの争いは、百年戦争の後、ではなかったですか。
ジルが熱狂的なカトリック信者かどうかは定かでは無いですが
ジャンヌ自体を敬服していたのは〜言えるかもしれません。
それに愛や恋は入っていたかは微妙で、ジルは幼くして
両親を亡くし祖父に育てられたそうですが、この祖父とゆうのが
陰謀、戦争に長けた、かなりアクの強い人物であったようで、
この祖父に戦争や策謀を叩き込まれたジルであったようです。
ジルの妻は、広大な領地を持った大貴族の未亡人の娘であったそうで、
ジルの祖父はジルの妻の母を誘拐して脅迫し領土を併合、ジルは人生唯一の
政略結婚をしたそうです。




#3430 
なな 2002/11/20 00:10
冬だけど怪談

>怪談百物語(フジテレビ 火曜夜八時〜)
久々にはまっている時代劇です。途中「耳なし芳一」の回から見始めたのですが、とにかく毎回のキャスティングの妙には感嘆するばかりで、今まであまり好きでなかった俳優を見直す機会になりました。

>フジ公式サイトの番組紹介から抜粋
『怪談百物語』は、新旧作家による名作をモチーフに、斬新に“怪談”を描く一話完結のオリジナルストーリー。“時代劇版・世にも奇妙な物語”といえるスーパー時代劇第2弾です。
唯一のレギュラー、竹中直人さんは陰陽師の末裔役。若手人気俳優演じるところの各回の怪談の主役を紹介する形でストーリーは展開していきます。

つまり江戸時代に生きる安倍清明の末裔・竹中直人の前に毎回不可思議な人物が立ち現れ、彼らが背負った恐ろしい因縁話を話し始め、それが劇中劇で紹介されると。
回ごとに出来映えに多少の落差があるようで、同じ江戸時代どうしの回(雨月物語・ゴースト)の方がまとまりがいいと感じました。
劇中劇が平安時代に飛ぶ回(かぐや姫・耳なし芳一)だと、衣装やセットの時代考証がやはり「民放の時代劇」していて、そちらに気を取られてしまいました。(^^;)
雨月物語では富田靖子の熱演に思わず「恐っ!」を連発していました。
当初十回予定だったのが、好評につき全十一話に伸びたようで、そのうちビデオも出るでしょうし再放送されたらご覧になってみて損はないですよ。シリーズ化されるかもしれませんし。



#3429 
貧乏神 2002/11/19 22:30
アンチ武家

英雄史観の話の延長になるかどうか、微妙ですが、日本史の通俗的解釈だと、
武家至上主義みたいなのもありますよね。少し前に読んだ本でも(中公新書の
「武家の棟梁の条件」だったかな)そういう点を批判してましたが、確かに日本人の
90%くらいは武家の子孫じゃないわけだし、歴史小説にありがちな、武家の価値観に
シンパシイをもついわれはないのですよね。まあ、公家や僧侶もロクなもんじゃない
のが多いとは思いますけど。

>ホリー・ハンターさん
天下統一シリーズは、まあ、ありがちですが、信長、秀吉、家康と続くラインが
メインのゲーム、というとこですね。武田とか島津とかの根強いファンも
多いので、そっちも考慮してるようですが。
この手のゲームの常として、「政治力」は鉱山掘りにも耕作にも外交にも同じ
ように使えてしまうので、長安君は増田長盛や前田玄以と変わらないキャラに
なってしまってましたが。

>田沼意次
この人もなんか必要以上に悪役にされてる感がありますね。というか、悪人扱い
するのが適切かどうかも疑問だと思うんですが。やっぱり、こういう経済官僚が
嫌われるのも、根底には農本主義的な武家の価値観があるんじゃないでしょうか。

>みきちゅん☆さん
管理人さんが書かれてる通り、全然かまわないと思います。いや、既にあげつらう
ようなことを書いた上でこう書くのもアレですけど、たまたま質問が続いたので、
ちょっとネタにしてみたくなったわけでして、他意はありません。
僭越ながら補足すると、
・ただ「答えを教えて」では答えにくいし、教育的にもよくない
(この点はみきちゅん☆さんの質問はクリアしてたと思います)
・多くの疑問は質問しないで検索するだけでかなりの情報が得られる
・ネットで得られた解答は正しいとは限らない
ということは言えると思います。




#3428 
七海 2002/11/19 19:19
聖女の騎士、その後

 司馬遼太郎氏と野茂「ヒーロー」英雄(笑)に関するフォローのレス,ありがとうございます。

 大久保長安のお話、面白かったです。田沼意次は結構見直されてきているような気がいたします。江戸時代当時から「もとの濁りの田沼恋しき」なんてうたわれていたくらいですからね。

 ジル・ドレは数奇な人生を歩んだ人ですね。私は、彼と聖女ジャンヌの関係が結構好きです。純愛とも忠義ともつかない微妙な関係ですよね。
 個人的には、彼はジャンヌが火刑にされたのを神に裏切られたと感じ、神を恨んで、一気に反キリスト教的な、悪魔的な行為に走ったのではないか、と考えております。確か、少年愛に走る前は、錬金術に凝ってかなり財産をつぎ込んだとか。どちらにしても、キリスト教ではタブーとされていることなのですよね。



#3427 
奥野 2002/11/19 16:16
「城塞」と「箱根の坂」

僕がおそらく初めて読んで、子供心に大きな印象を与えられたのは「城塞」ですね(司馬遼の戦国ものの中でも、「関ヶ原」などに比べると言及されることが少ないように思いますが)。今でも、僕の中の大坂の陣イメージというとこの作品から来るところが大きいかも。特に城方諸将の人物像に魅力を感じました。籠城という閉鎖的な条件の中で、それぞれの個性や人間関係が綿密に描き込まれていたように思います。その他にも、司馬作品は主に戦国時代物を中心に読みましたね。
ただ、最近は関東戦国史に興味が移ったせいもあり、司馬遼からは少し遠ざかっていました。前にも書いたように、司馬作品の中では後北条氏がちょっと気の毒な扱われ方をしていますので。確かに早雲メインの「箱根の坂」はありますが、司馬さんの他の戦国作品に比べてちょっと精彩を欠くように思います(もちろん、あくまで僕の主観です)。ライバルの関東管領などが「無能な旧勢力」として一律に切り捨てられていて、その人物像をあまり掘り下げていないという憾みがあります。「関ヶ原」や「項羽と劉邦」などでは、勝者と敗者の双方に豊かな肉付けがされていて、より深みがあったように思います。

そういえば、最近になって書かれた北条早雲の小説を読みました。早雲の出自などについて新しい研究の成果を盛り込んであり、「箱根の坂」よりも史実には近いと言えるかもしれません。しかし、これが読んでいてまるで面白くない。「箱根の坂」に比べると雲泥の差があります。当たり前のことですが、歴史小説は事実に忠実であればいいってものじゃないですね。司馬遼は歴史という限定された材料を使いながら、それを読み物としてレベルの高いものに仕上げていたわけで、作家としての力量はやはりすばらしいと思います。
あと、この作品では後書きで「北条氏を称したのは実は氏綱の代になってからである」と書いてあるのに、副題はしっかり「小説・北条早雲」となっていました。おそらくこれは、編集側が勝手につけたのでしょう。「小説・伊勢宗瑞」では「誰それ?」ってことになりかねないし。この辺りがやはり早雲ものの弱みかもしれません。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/6218/


#3426 
ホリ−・ハンタ− 2002/11/19 12:56
ジル・ドレ将軍

リュック・ベンソンの映画ジャンヌ・ダルクは見ました。
ジャンヌを盛り立てた猛将ジル・ドレ役はフランスのトップ・スタ−の
ウァンサン・カッセルが演じていて、ワイルドな伊達男といった感じでした。
ジャンヌを担ぎ上げたフランスの時の国王役はジョン・マルコビッチじゃなかった
かな?国王は、英軍に追いつめられ、また、フランスの諸侯らも統一されてなく
ジャンヌが国王に利用された側面を描いた点では、数多くあるジャンヌ映画では
出色ではないかと思います、イングリット・バ−グマンがジャンヌを演じた
映画も見たことはありますが、こちらは聖女伝説まんま の映画だった記憶が。

ジル・ドレ将軍は、実在の人物で、勇猛過ぎて敵にも残虐であったといわれる
将軍だったそうで、国王はジル以外にもジルとは性格の正反対の名将を数名、
ジャンヌに付かせたそうで、このことをみても、国王が、このエキセントリック
な娘に、かなり期待していたことと思います。国王は、この娘に
自分には無い要素、カリスマとゆうのを自分の都合のよい側に利用したのではないかと。
猛将ジルも、また、ジャンヌに対し理屈抜きの崇拝にも似た感じで付き従って
いたそうで、一説には、国王は、ジャンヌとジルが結託し過ぎるのは危険で
ジャンヌからジルを引き離し別々の戦線へ行かせ、それが為に、ジャンヌは
英軍の捕虜となってしまったとゆうのもあります。

ジルはジャンヌが処刑された後、元帥を解任され、老いたわけでもないのに
自分の広大な領地で悠々自適の身となったそうです。彼のその後の
半生はフランスの伝説『青ヒゲ男爵』そのままで
(とゆうか彼の晩年の半生があの伝説のモデルでもあるとゆうのも)
猟期的大量虐殺事件を起こし、処断されました。彼が手にかけた、
暴行して殺害に及んだ人々は、みな美少年で、
彼は女に興味を示さない人物であったそうです。彼のこの嗜好が
ジャンヌとともに戦った日々の頃の後そうゆう性格になったのか
先天的なものだったのか、定かでは、ありませんが、
ジルがジャンヌに馳せ参じていたころが、もっとも
生き生きとしていた頃であろう〜というのが、適当ではないかと。





#3425 
七海 2002/11/18 23:55
「神」となるのは大変なこと?

 管理人様、レスありがとうございます。

 早く寝なくてはいけないのに、まだ起きているし(苦笑)

 >李舜臣とジャンヌ・ダルク

ジャンヌ・ダルクの聖女となった経緯は大体知っていました。しかし結果的にであれ、フランス救国の英雄?女傑?がカソリック全体の聖女となったことに変わりはないのでは、と。確か、イギリス側に裁判のとき、「フランスを救えと神に告げられたというが、それでは神はイギリスが嫌いなのか」とか、ねちねちといやみをいわれたとか、何かで読みましたが。確かに彼女が見なおされるのは近代に入ってからなのですよね。それまではフランスの人民にも忘れられていたようなもので・・・。その点からしても、彼女は悲劇のひとなのですよね。
 ようするに、英雄崇拝は前近代的なものではないという例にあげたかったのですが。

 え〜、それで、本題の李舜臣、私はひょっとして「神格化」ということを簡単に考えすぎてますか?(苦笑)韓国の英雄神崇拝ってそんなに大変なものですか?つまり信仰される方が気の毒になるくらいに?(笑)
 中国人が関羽を神様にしたこと、日本人が菅原道真を信仰するのとそんなに違いますか?中国では他にも軍神的神様ているみたいですね。対日でいうなら戚継光なんかがそうでしたか?(倭寇と戦ったから)
 李舜臣が朝鮮民族の英雄である以上、彼らが決めることだとは思うのですが・・・。
 なんといっても、軍神といっても国土防衛戦なのですし。

 司馬遼太郎氏には「項羽と劉邦」以外にも中国ものを書いて欲しかった気がします。



#3424 
ホリ−・ハンタ− 2002/11/18 23:30
挑戦者

>七海サマ
私の書き方がマズかったです、私は野茂選手を敬服しております、
私は以前、近鉄ファンでしたが、野茂を石持って追うごとき真似を
した球団と当時の監督を見苦しいと思い近鉄ファンを封印したくらい
の野茂マニア(もう死語?)です。(苦笑
以来、私は球団びいきをせず選手個人のひいきで
プロ野球を見ております。(自爆

>大久保 長安
シュミレ−ション・ゲ−ムにまでヒ−ルとしてのキャラを
提供しているとは驚き。(爆笑
天下統一とゆうゲ−ムですから家康サイトのゲ−ムなんですか?
家康にとって、長安は、引き抜いて関東を開発してた間は、
開発資金を潤してくれたから『使える男』であったでしょうが、
黄金だけ掘っててくれれば、家康も大目にみたかもしれませんが
ようは黄金で政治的権力まで望んだところが、家康もしくは
三河譜代衆に睨まれたのだと思います。長安を抹殺せよ〜と
家康が直接指令したとゆうより、譜代衆が先を読み動いたのでしょう、
そうゆう意味で、ゲ−ムの設定で、戦闘=0、智略=0、政治力=18
は的を得てるような〜。家康の機嫌を損ねたのですから
彼が後世、浮かばれぬ評価であったのは、なんとも。
類例といえば田沼意次のような〜違うか。



#3423 
徹夜城(ドマイナー志向を突っ走る管理人) 2002/11/18 23:17
長文傾向が続いてるかな?(笑)

いやいや、掲示板が盛り上がると言うのは嬉しいものでございまして(^^)
やっぱ司馬遼太郎とか大河ドラマとか共通して語れる題材があると盛り上がりますなー。これで日本南北朝(中国南北朝は三国志の延長で意外にファンは多い)、さらには倭寇ばっかり専門の掲示板になっていたら濃いけど閑古鳥だったでしょう。

ってなわけなので、みきちゅんさん、話題は別になんでもいいんですよ、下手すると歴史に関係なくても(笑)。宿題うんぬんのことはみきちゅんさんに対して言ってるわけじゃなくて、最近明らかに宿題・課題処理のためにネットをまわって唐突に質問だけ放り込んでいく人を最近よくネットで見かけるな、という話なんです。少なくともみきちゅんさんはこのサイトの管理人が16世紀東アジア海上史を専門に扱っているということを見極めたうえでご質問を発したわけで、これは十分OKなのでございます。
発表、がんばってくださいね。

>個人的司馬ばなし。
まぁメジャーな話も多少はせんと、と個人的な司馬作品ばなしを。
僕が司馬作品で最初に読んだのは中学の時で、それは「項羽と劉邦」でした。ちょうど三国志にハマったあとだったので、もう夢中で読んでましたね。
あの作品にも典型的に表れてますが、司馬作品ってのはまず登場人物の造形・描写が見事です。実在した歴史人物達が、いかにもそういう人だったようにピタッとハマった造形をされ、実に魅力的に描かれます。「項羽と劉邦」はもともと人物論・英雄論の題材として古来ネタにされてきたものですが、司馬はそこに現代人の感覚から新たな光をあてて人物造形をしている、といえますかね。この小説で特に印象的なのは韓信じゃないかなぁ。
 後年になって「項羽と劉邦」の元ネタを自分で調べられるようになると、司馬がどこをどう創作したのかわかって興味深かったですね。この小説、けっこー勝手に話作っているところがあるんですよ。ただそれは小説としての必然性がありまして、「○○はこういう人物だ」と司馬はキャラ造形をし(それはある程度「単純化」の作業でもあります)、そういうキャラを立たせるためにフィクションエピソードを補足して行くのですね。「項羽と劉邦」ではどこまでが元ネタのある話か、司馬が勝手に作った話か境目がありませんので「史実」を追いかける人は注意が必要です。これは他の小説にも通じて言えることだと思います。
 僕の知る先生がうまいことを言っておりまして、「講釈師 見てきたような ウソをつき」ということわざ(?)が司馬作品には実によく当てはまるところがあります。これは批判ではありませんで、むしろ小説家としては褒められるべき言葉でしょう。
 司馬遼太郎が代表作の一つ「花神」の主人公・村田蔵六(大村益次郎)について「私は自分が『花神』で書いた蔵六以外は信じない」とか発言していた覚えがありまして、裏返せばそれだけ徹底して人物造形に取り組んでいることが分かります。歴史小説は数多いですが、司馬ほど実在の人物に対し徹底した造形を施したの作家はいないんじゃないかと思います。だからこそ司馬作品は小説でありながら「いかにも事実」みたいで面白くなってくるのですね。ただその辺に、「物語り」と「歴史」の混同、彼を歴史の権威みたいに持ち上げて利用されてしまうような危険性がはらまれていた、とも思ってます。
 書く言う僕も歴史もののフィクションをやってるので、人物造形ということではかなり司馬遼太郎をお手本にしたところはあります。ただその危うさも知ってるんで明白な「ウソ」がつけず(笑)、「ここはフィクションだよん」とバラしてしまうんですな。「ムロタイ」の解説モードはそのためにあるようなもんです。
 以前王直らを主人公に大河倭寇小説に挑んだことがありますが(中断中)、詳細に注釈と元ネタとなる史料をつけた論文もどきの形式にしたもんです。お話だけ楽しみたい人は本文だけ読んで、どこまで史実なのか知りたい人は注釈見て、という形で。これ、今でもこういう形式の歴史小説があってもいいんじゃないかと思ってまして、「ムロタイ」後の企画でやってみたいと企画中です。

 司馬遼太郎に話を戻しますと、僕も代表作と言われるものはたいがい読んでいるかな?大作では「翔ぶが如く」にはまだ手をつけていませんが(大河ドラマは全編見たけど)。「人斬り以蔵」に代表される短編作品もなかなか味があっていいですよ。

>阿祥さん
「中華民族」というフレーズは近代に入ってから、それも現在の中華人民共和国になってから定着したものだと思います。というか、多民族国家である中国を古来から統一した状態に錯覚させるための政治的なフレーズという側面が強いんです。

>七海さん
 ジャンヌ=ダルクがカトリックの聖女になった経緯ですが、フランスのために戦ったうんぬんよりも「神の声を聞いた」という奇跡の方が重視されてるんじゃないでしょうか。カトリックって最近でもそういう奇跡話にお墨付き与えて聖人に列したりしますから。ジャンヌ=ダルクの列聖じたいもかなり後世になってからだったような覚えが。
 ちなみにジャンヌによると「神の声」は確か右側から聞こえたそうで、脳の一部に障害を起こしていたんじゃないかとの見解もあります。最近作られたリュック=ベッソン監督の映画「ジャンヌ・ダルク」もどうもそういう解釈に描いているように見受けました。

 僕も李舜臣が大変な人であることに異存はないんですけど、「神格化」の領域に達すると彼の本来の人間的魅力が薄れてきちゃうと思うんですね。戦前「軍神」にされた楠木正成なんかにも言えることですが、あんまり無闇に持ち上げるのはご本人も迷惑だろうと(笑)。安重根にも同じことが言えまして、僕などはガチガチに理想化された「民族英雄」である彼よりも懊悩する一青年としての安重根の方に魅力を感じますね。



#3422 
みきちゅん☆ 2002/11/18 22:17


宿題の質問をしない方がよかったですか?
ここの掲示板は「歴史についてだっらなんでもあり」ってことだったんでカキコしたんですけど。悪気はありませんよ。
えっとぉ、私は結構真面目に取り組んでますし(笑)徹夜城さんに頂いたアドバイスも参考にして頑張って発表しますね。





#3421 
阿祥 2002/11/18 22:08
玉ねぎの皮むきのような・・・

>徹夜城さんへ

いつもながら詳しくレスいただいてありがとうございます。漢民族についての見方が妥当であると言っていただいてほっとしております。中国には中華民族という言い方もあって、これが多民族を含む集合的な表現だとかんがえていたもので、漢民族はその中の部分集合であり、独立した民族と考えるべきものと思い込んでいました。それで、こんな大袈裟な表現をしてしまったのですけど・・・。そうすると、漢民族の中にもまた部分集合があると考えて良いんでしょうか?それとも、民族という概念自体が近代のものだから、そこまで解きほぐす意味はあまり無いのでしょうか?どう取り扱っていい問題なのやら・・(ここは、独り言です。)

>七海さま

徹夜城さんの述べられていたとおりに、僕も司馬さんのファンです。大体2/3ぐらいの氏の著作を読んでいると思います。僕の疑問に思ったことは、同じぐらいの世代で、しかもこれまた魅力的な歴史小説家である吉村昭氏が、なぜ司馬遼太郎賞を辞退したということです。その点について作風の違い等、手がかりになる視点を、ここにおいでの皆さんから得られないかと思って、質問したのが始まりです。そのため、その違いに特に注目したような書き方をしたきらいがあります。
それと、司馬氏の著作がバイブルのように読まれる傾向に対して、氏の亡くなった後あちこちで見直しが唱えられているような気もします。その点についてもいろいろ話が伺え、参考になりました。
でも、氏の小説や読み物が魅力的であり、またその興味の範囲の広さが、他の作家の追随を許さないであろうことは決して否定しません。今も。自分の興味にしたがって、随時“街道をゆく”を読んでいます。






#3420 
七海 2002/11/18 20:12
皆様、レスありがとうございます

 どうも、皆様、レス、お答えありがとうございます。
 これだけ多くの、そして多様なご意見が来るとは思っていませんでした。感謝します。

>野茂英雄
 実は彼が結構好きだったりします。いいじゃないですか、名前だけの活躍は充分してくれたと思いますよ?それに欧米と日本では基本的に名前に対する感覚が違うのではないか、と。例えば、マイケルは天使長ミカエルから来た名前ですよね。日本だったら、帝釈天とか毘沙門天とか名づけるようなものなのでしょうか?

>李舜臣
 ジャンヌ・ダルクは確かカソリックの聖女に列せられていたと思いましたが。フランス一国のみならず、カソリック信徒全ての信仰の対象になってしまったわけですよね。韓国人が彼を神として崇拝していてもかまわないと思えるのですが。軍神といっても国土防衛の戦いですし。

>英雄に憧れる社長(の卵)(笑)
 歴史上の人物に憧れたり、自己を仮託するというのは、情熱や上昇志向の表れだと思います。確かにそれ「だけ」では成功できないでしょう。もちろん、情熱や上昇志向の表れ方は人それぞれですが、それが成功の重要な要素の「ひとつ」ではあると思います。
 
 ただ分からないことがあります。

 大久保長安がしていたことは、あの当時の基準で考えても、悪人とされるほどのことだったのでしょうか?
 この場合、虐げられていた流刑人や遊郭の女性たちの側に視線を置くか、あくまで、大久保長安中心のダーティヒーローピカレスクロマン風にするかで、描かれ方や作品全体の雰囲気が変わってきそうですね。(ホリー・ハンターさまの詳しい知識には敬服いたします。いろいろ教えてくださってありがとうございます)



#3419 
ホリ−・ハンタ− 2002/11/18 19:32
司馬サンが手掛けたフィクションキャラ

えぇと記憶に間違いが無ければ、司馬サンは
フィクションキャラを手掛けたことがあるはずです『風神の門』
霧隠才蔵を主人公にしたもので、NHKのドラマにもなったはずです。
忍者モノの時代劇は猿飛佐助が主人公のものが多く、才蔵が
主人公のものはあまり聞いたことが無かったので、変わってるな
と思い見てたわけなんですが、中々、小気味良いドラマであったような
気がします。ドラマ中の才蔵は、徳川がた と 豊臣がた にスカウトされ
結構日和見したりしてますが、どっちにつくかの決断はアウトロ−的で
しかも惚れたくの一の為に真田に加担するとゆうのじゃなかったかな?
真田幸村が玉砕しても、才蔵は落ち延び、それでも
その惚れたくの一をゲット。豪傑、女を取るか志をとるか?
とゆう永遠のお題について、司馬サンはガキの頃の私に
一つの例を見せてくれたわけで。(汗







#3418 
奥野 2002/11/18 17:14
英雄について

別段、英雄に憧れたり賞賛したりするのが「いけないこと」なんて言うつもりはありませんし、そういう文脈で書き込んでいる人もいないと思うのですが。
歴史に対する興味関心にもいろいろな形があって、例えて言うならスポーツを観戦するのにも似ているような気がします。誰もが認める天才プレイヤーに自己を投影してカタルシスを得る人もいるし、「いぶし銀」と呼ばれるような渋いベテランや努力型の選手を好むファンもいる。あるいは(集団競技の場合ですが)監督の戦術に興味を持つ人、そのチームの伝統的なプレースタイルに惹かれるという人、単にご当地のチームやファンだからというので応援する人、弱いチームや選手を好んで応援する判官びいき型の人。様々な接し方があっていいと思うし、それに文句をつけることなんかできません。歴史だとて同じことではないでしょうか。

ただ、やはり英雄「だけ」で歴史がとらえられるのはどうかと思います。この辺りは徹夜城さんの書かれたこととほとんど重なるのですが、偉大な人物の個性だけで時代が動くということはありません。社会全体の動向や経済的な成長等々、様々な要素をひっくるめたのが歴史であるし、弱者や敗者だって決して無視していいものではないはずです。英雄だけに焦点を絞りすぎることは、結局のところ、歴史の多様な面白さを減殺することにつながると思うのですがどんなものでしょうか。
それと、もう一つ気になるのは、「英雄」がいない時代や勢力が過度に低く評価される傾向があることですね。例えば司馬遼は、氏政時代の後北条氏について「当主も宿老も凡才ぞろいで、この家が長く保ったのはただ僥倖でしかない」というような書き方をしていました。確かに北条氏ってあまり目立つ人材はいないような印象を与え(ゲームなんかでも能力値は低く設定されることが常です)、特に氏政・氏直時代となるとなおさらです。しかし実際のところ、北条氏の領国支配システムはレベルの高いものだったと思うし、むしろ氏政時代が最盛期だったと言ってもいいと思います。司馬さんのように「優れた(というよりは目立つ)個人」を中心にとらえると、北条氏の魅力は完全に切り捨てられてしまうようで、その辺りには不満が残りますね。ついでに言うなら、司馬作品で室町幕府はほとんど無視されることが多いように思いますが、これも同じ傾向の延長線上にあるのかもしれません。

…また司馬遼について批判的なことを書いてしまいましたが、僕は決してこの人の作品がすべて問題だ言っているわけではありません。僕自身、子供のころは司馬作品の虜だったし、今だって読めば面白いと思います。歴史小説で、司馬遼を越えるレベルのものにはあまりお目にかかっていないと言ってもいいでしょう。ただ、歴史そのものに親しむのであればいろいろなもの(創作から研究書から)を読んだ方がいいし、その中で司馬さんとは異なる歴史への視点に触れることも大切だと思います。そんなところですかね。

蛇足ながら。
七海さんは「勝ちたい、成功したい、何か大きなことをしたい」というのが人間の根源的な欲求とお書きでしたが…世の中、必ずしもそういう価値観だけでもないと思います。だからこそ、弱かったり目立たなかった人物を主人公にした作品にもそれなりの需要があるわけで。もしもこれが「根源的」欲求であれば、僕なぞは人間失格ということになってしまいます(笑)。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/6218/


#3417 
ホリ−・ハンタ− 2002/11/18 12:48
英雄?

>英雄とゆう名前
野茂英雄がメジャ−リ−グで新人王をとった頃、それでも
アメリカ人の中では、彼のヒデオとゆう名が英雄
という意味の漢字の日本語だということを知っていた米人は
少ないとは思います。たぶん、英語圏では産まれた男の子に
臆面なく『ヒ−ロ−』と名付ける親は、かなり少ないと
思います。私の知る限り親からヒ−ロ−と名付けられた米英人は
いなかったし、今後もいることはないと思います。(苦笑
英雄とゆう言葉が、日本人の間では、それほど手軽な
名前であり、英雄とゆう言葉の意味の諸刃の効用については
無頓着であるのかもしれませんね?



#3416 
徹夜城(「お面」に悩む管理人) 2002/11/17 23:31
歴史=英雄物語か?

>七海さん
うーん、ご投稿を拝読して感じたんですけど、少なくともこの掲示板の常連者に七海さんがご指摘のようなことを「英雄史観」に対して考えていると感じる人っていないように僕は思ってるんですが。七海さんがそう感じられたとしたら、ちょいと思い込みが過ぎておいでのような気がします。
 司馬遼太郎に関しても明確に「嫌い」と言っている方はいなかったように思いますしむしろ好きな方が多いんじゃないでしょうか。かく言う僕も司馬ファンですよ。もちろん批判的な部分も持ってますが、歴史小説家としてはやはり高く評価しますし、日本の作家では一番冊数読んでいると思います。
 僕が司馬遼太郎を「嫌い」に見えたとすれば、いわゆる「司馬史観」なるものへの批判があることでしょう。念を押しておきますと、司馬自身は「司馬史観」なるものを自分で唱えたことはないはずです。これは司馬を持ち上げる人たちの間で醸成されてしまったものでして、そこにいわゆる「英雄史観」的な見方が含まれます。

「勝者や偉人をかっこよく、時代の中心にすえてはいけないのか」とのご質問でしたけど、僕も決して「いけない」とは思っておりません。というか、物語として、作品として歴史ものを書く場合、それはどうやったってそうなります。僕の「ムロタイ」が現にそうですし(笑)。あ、すいません、本日は更新できません。「お面」の新調にまだ手間取ってまして(^^;)

 それと、勝者でなくても偉人・英雄という人はおりますね。司馬遼太郎にしても決して勝者ばかり書いていたわけではありません。坂本竜馬にしても土方歳三にしても決して勝者じゃありませんで、むしろ判官びいき的な人選をしているところもあるようでして。

 「英雄史観」のことですが、普通この語を使う場合、それは「英雄を賞賛する史観」ではありません。「少数の英雄によって歴史が動かされていく史観」とでも言うべきでしょうか。これ自体は別に否定するものでもないんですが、「それだけ」を軸に歴史を語ろうとすると、それは講談とまるっきり変わらなくなります。一言で言うなら、「歴史はそう単純にはできてません」っていうことですかね。

「英雄を好むような人物だったから、社長になれた、続けられたのでは」とお書きでしたけど、これにはかなり異論があります。もちろんそういう人もいるでしょうけど、戦国やら三国志やらの英雄譚、それも結構いい加減な講談的知識をつめこんで社長など経営者になり、会社をつぶした人だっているわけです(笑)。少なくとも僕は歴史人物に自分を仮託するミーハーな社長って僕は信用しませんね(笑)。織田信長を気取っているうちに明智光秀に謀反されてはシャレになりません。
 もちろんそうした英雄ばなし大好きの平サラリーマンだって大勢いるでしょう。七海さんもお書きの通りでそういう「需要」があるからこそ歴史ものってのは英雄物語ばかりなわけで。ただ、戦国幕末三国志と傾向が偏りがちなのひねくれ者の僕には気になりますけどね。

 「英雄史観」の話に戻りますと、これって行き過ぎると危険性を伴うのは事実なんですよ。超絶した英雄が歴史を「全部」動かすととらえて、その英雄を賞賛しまくる社会って、歴史的に例をみますとおおむねロクなことになりません。現在の北朝鮮における金日成、ひところのソ連のスターリン(これは現役中の話ですが)、戦前日本の楠木正成とか。韓国にしても李舜臣・安重根を神格的にまで崇めている状態はあまり感心しません。まぁこれもそろそろ多少余裕が出てくるとは思ってるんですけど。



#3415 
貧乏神 2002/11/17 18:21
英雄 by KDDI

>司馬史観(英雄史観)
私自身は司馬氏の小説は、歴史小説のスタンダードとして十分魅力的だと思って
ますが、問題になるのは、奥野さんが書かれてる

>影響力のある創作物によって誤った歴史知識や歴史観が定着しつつあると感じる

という点じゃないでしょうか。
英雄が好きなのは一向に構わないし(私だって好きですし)、英雄に自分を重ねた
人がえらくなるのもいいんですが、社会的地位を得た人が、英雄物語的には常識
だけど、史実とは違うようなことをしたり顔で言ったりするのが横行すると、
「そりゃ違うだろ」と突っ込まずにはおれない、とか。

>TVKと池田先生
UHF局って、おそらくどこも経営火の車なんだと思います。そのせいかTVKでは、
夕方の天気予報なんかが学会の一社提供だったりしますから、その流れなんじゃ
ないでしょうか。さすがにニュースの提供はしてないと思いますが。

>たった1億
この手のネタは、東欧のアネクドートでもちょいちょい使われてるようですね。
毛沢東がフルシチョフに向かって
「あんたが2億人の犠牲を出す覚悟をすれば、私も2億人の犠牲を厭わない。
そうすれば、この戦争は勝ちだ」
とか。

>大久保長安
むかーし、「天下統一2」というゲームをプレイしたとき、この人が現れましたが、
能力値(各 0〜18 20まで成長可)で
戦闘 0 智謀 0 政治 18
とかいうキャラクタで、「なんだこいつわ」と思ったのを覚えてます。

>史点
>イラク
前回の投票で信任票を投じなかった 0.04% っていうのが、とっても気になったん
ですが。(^^;

>イザムバード・キングダム・ブルネル
この人、実は Railroad Tycoon II というゲームに経営者の一人として登場して
います。チュートリアルシナリオの主人公をやってるので、プレイ経験のある人
なら、名前を目にしたことがあると思います。

ちなみに、このゲームには2人の日本人が登場します。明治天皇と児玉源太郎ですが、
なかなかに微妙な人選ですね。あとはビスマルクとかナポレオン3世とかがいますが、
アングロサクソン系は聞いたことない人が多いです。手下になる人物だと、
カーネギーとかスタンフォードとかがいるんですけど。




#3414 
なな 2002/11/17 16:38
時代の流れ

司馬遼太郎氏が「燃えよ剣」で土方歳三をクローズアップする以前…。
明治時代から現在までに出版された、「新選組」を題材にした小説の一覧表を見たことがあります。
「燃えよ剣」が登場するまでは近藤勇が中心で、土方や他の隊士を主人公にした本はほぼありませんでした。
司馬氏が土方を世に広め、今では新選組も世間に浸透して、その他の隊士のファンも多くなりましたね。

日本の歴史時代小説の流れと時代ごとの主な作家を解説した何かの本で、以下のことを読んだことがあります。
>歴史小説と時代小説の区切り方には二つある。
一つは時代小説=江戸時代の市井を物語の舞台にしたもの。対して歴史小説=その他の時代や地域を扱ったもの。
もう一つは時系列で、時代小説(=時代劇)=歴史に題材を取りながらもフィクションが多い娯楽物と、歴史小説=時代小説より史実やリアリティを重視したもの。
つまり戦後になって歴史を様々な角度から見ることが可能となり、それまで主流だった時代小説では読者の知識欲を満足させられなくなって、よりリアルな歴史小説が登場してきた。
司馬氏はちょうどその過渡期に現れた作家で、初期の作品「梟の城」はまだ時代小説の方に含まれる。

戦前までの歴史観から開放され、昭和30〜40年代当時の作家がまずは日本史上に輝くメジャーな人物から取り上げていったのは普通の流れだと思います。
折りしも高度経済成長時代であり、とりわけ英雄の物語が好まれた・望まれたという時代の後押しもあったのでしょう。
今現在、社長職にある方々はこの時代をくぐってきた世代ではないでしょうか。

ひととおりメジャーな人物が書き尽くされ、世間にも認識が定着すれば、今度は読み手も作り手側も、歴史的有名人を違った側面で描いてみたり、それまでマイナーだった人物に焦点を当てたり、歴史if小説が出てきたりと、さらに裾野が広がっていきますよね。
大河ドラマのネタが出尽くして、地方史やマイナーな人物が取り上げられてきたのと同じです。
高度経済成長を終え、バブルもはじけちゃって経済は長らく低迷…。
90年代は堺屋太一氏のように「かつての英雄を経営者の側面から見た場合」の小説やハウツー本をよく見かけた気がします。
歴史系文学賞の受賞傾向で言いますと、歴史物の読者層は熟年世代以降に多いので、彼らが感情移入しやすい主人公や、人生の参考にできる作品を描ける作者が選ばれやすかったそうです。
即戦力の新人作家を求めているわけで、人生経験を積んだ世代の受賞ばかりになるわけです。
しかもここで求められているのは司馬氏のような英雄豪傑をスケール大きく描ける作者ではなくて、読者のうちで多数を占める一般庶民が共感を持ちやすい、もっと小人物を描ける作者みたいです。過去の受賞作を見た限り。
この受賞傾向も今世紀に入って変わってきたそうで、かつて中国史を題材にした小説が日本に根づいたように、今後はこれまでにない新しい題材に挑戦した作品が評価される時が来るだろうという見方が出ています。
それだけメジャーな歴史人物にはもう手垢がつきすぎていて、新しい史料が発見されないかぎりは書きづらいということもありますね。
経済が悪くなると秀吉が出てくるらしいですが(笑、若い世代の起業家が秀吉の出世物語に憧れるかといえば…それもどうでしょう。

ここの皆様は歴史にお詳しいから、司馬氏の創作姿勢と後世に残した功罪についてご自身が知ってることをごく客観的に述べられていると思います。
吉村vs司馬論争は両作家のスタンスの違いを話し合っており、たまたま参加者に吉村ファンが多く、(無名な人物や歴史の敗者を好んで取り上げる)同氏の題材選びによりシンパシーを感じると言ってるだけだと思いますが…。
もともとここは「南北朝」と「倭寇」を扱うマイナー趣味のサイトなので^^;、ここに集う人々もマイナーなネタの方により興味と共感を持ちやすいのではないかしら〜?



#3413 
ホリ−・ハンタ− 2002/11/17 12:49
ヒ−ルで上等

昔の金山での採掘って仕事がキツイもんだと知りたいかたは
佐渡へ行ってみてはと思います、今もあそこの山々には
金山で働いてて亡くなった流刑者・無縁仏の墓が沢山たってます。
金山跡地の資料館は、山がくり貫かれた空間にあり
当時のキツイ仕事ぶりを蝋人形が静止して沈黙して語ってます。(自爆

大久保 長安が佐渡で流刑者を低賃金でコキ使った〜とゆうのは
そうかも知れません、手段を選ばんタイプの人物でしたそうで。
手段を選ばん〜といえば、金山労働者の仕事をはかどらせるため、
金山に賭場・遊郭を形成して労働者のウサ晴らしもやった〜
とゆう話しも聞きますし(遊郭等も彼の傘下、それで金を回収?)
まぁ、モラルはともかく辣腕・金山技術者&経営者であったのは
間違い無さそう。(苦笑



#3412 
七海 2002/11/17 10:50
英雄が好きでなぜいけないのか?(謎)

 こちらでの皆様の書き込みを見る限り、なんとなく司馬遼太郎は好感を持たれていないようですが。確かに彼はその影響力を使って、日本近現代史の暗部をも書いたほうがよかったとは私も思います。
 しかし、要するに勝者や偉人というべき人物をかっこよく、かつ時代の中心に据えて書いたことがなんでそんなにいけないのかと思います。これは皆様を批判しているのでなく、純粋な疑問です。
 会社の社長、一国一城の主などという言い方もしますが、そうした人物が英雄を好むというよりは、英雄を好むような人物だったから、社長になれた、社長を続けられた、というほうが正しいような気がします。それだけのバイタリティがあった、「勝ちたい、成功したい、何か大きなことをしたい」という人間の根源的ともいえる欲求に忠実に生きているということではないでしょうか。どうも、こちらではそうしたことは何かいけないことでもあるかのように思われているのでしょうか。
 日清戦争については、つまり、司馬史観を鵜呑みにすると、日本人が朝鮮半島の人々や文化への敬意を失うことがいけないというわけなのですよね。
 だったら他のところで半島への尊敬を持たせるようなことをすればいいと思います。実際私は、秀吉朝鮮出兵の時代の半島の文化の高さや、名将李舜臣の存在を知ってかなり見方が変わりました。
 英雄、というか強いもの優れた者に純粋に憧れ、賞賛する気持ちがなぜいけないのでしょうか。

 大久保長安は英雄とはいえないかもしれませんが、ユニークな、そして彼なりの実力や行動力のある人物のように思えます。(ホリー・ハンター様、お教えいただきありがとうございます)こうした人物にスポットを当てるならば賛成です。ただ弱く目立たなかったものにこそ目を向けよう!といわれても正直言って食指が動きません。こうした私の考えを傲慢と思われるかもしれませんが、現に司馬遼太郎氏がこれだけの有名人となったのは本音としてそうした考えがあるからと思えます。



#3411 
ホリ−・ハンタ− 2002/11/17 09:34
大久保 長安の逆襲

家康って、関東へ領地替えを命じられたわけですが
すごい短期間で江戸の開発を成していると思うんです。
家康が関東経営を始めた時と大久保長安を抜擢した時は
時期的にもダブるようです、関東は伊豆などが昔から砂金が
出ると言われてましたが、たぶん、それまでの日本では
黄金の採掘量は、貨幣として流通するには量が少なく
宝石のような扱いであったのではないかと思います、
大判小判なんて感覚は徳川幕府から普及し始めたのでは?
そんな関東再興期の家康のために長安は、西洋から
導入したとされる金鉱脈の採掘方法(アマルガム何とか
かんとか法って名前でしたっけ?)で金の供給を急速に
上げたわけで、おそらく、日本に黄金=カネとゆう
感覚を定着させた最大の功労者は大久保長安では
ないのかと思います。



#3410 
奥野 2002/11/17 05:40
李鴻章小話

>司馬遼について(続き)

司馬作品はよく「英雄史観」だと批判されますが、しかし社会背景などがまったく無視されているわけではないし、個人の役割を大きくとらえるのは他の歴史作家にもよく見られる傾向だと思います。ただ、司馬さんの場合はやはり影響力が大きいから論争の中心にもなるのでしょうね。言うなれば有名税なのかも。歴史大好き(というより、英雄大好き)な世の社長さん方に愛読されることが多く、そういう傾向を気にくわない人々から叩かれることも多いようです。
歴史研究者サイドから司馬作品に対して注文がつけられることに対し、「歴史家は文学にまで口を出すな」「アカデミズム傲慢なり」と反発する人もいます。ただ、僕自身の意見としては、こういう論争も歴史家の仕事のうちなんじゃないかなという気はします。もしも、影響力のある創作物によって誤った歴史知識や歴史観が定着しつつあると感じるのなら、それに対して反駁を加えるのは研究者としての良心でしょう。「所詮はフィクション、研究者のあずかり知るところではない」として超然主義を貫くのは、その方がよっぽど傲慢です。逆に、作家の側が新たな歴史研究の成果を採り入れることもあるのだし、もうちょっと「研究界」と「歴史業界」との交流を活発にしてもいいのでは?と思いますね。

>大作先生

情報ありがとうございました。やはり、自分たちですでに作ってしまっている、というのはあるみたいですね。しかし神奈川テレビ、何か因縁があるのだろうか…
創価大学はロシアと関係が深く、モスクワ大学にも多く留学生が来ている由。モスクワに仏壇を持ってきたという豪傑もいるそうで、驚くより他ありません。多分、ロシア人の中には「日本で最もメジャーな宗教」と思っている人も多いはず。

>李鴻章

僕の祖父(大正生まれ)が子供のころ、近所に何か詐欺事件を起こして有名になった人物がいました。自分の家に火をつけて見舞金をかすめ取ったとかそんな話でしたが。で、その人は「李鴻章」というあだ名をつけられたのだそうです。つまり、「狡猾な人物」の代名詞が「李鴻章」だったんですね。これが祖父の住んでいた地域(三重県伊勢市)だけのイメージなのか、あるいは全国的なものだったのかはよく分かりませんが、いかにも時代を感じさせる話ではあります。

しかし李鴻章が海峡を大河と間違えたというエピソード、「大陸的なスケールの大きさ」と解釈するか、あるいは「交渉相手のこともろくに調べてこない尊大さの現れ」と解釈するかでまったく違う李鴻章イメージができてきそうですね。歴史の世界に、何通りにも(そして恣意的に)解釈されるエピソードなんてのは珍しくもないですが。

>漢民族について

徹夜城さんの言われるとおり、民族という概念において最も中心的な役割を果たしているのは「帰属意識」だと思います。「血」とか「文化」をたどっていくと、実は世界の多くの民族が不透明な部分を抱えています。特に中国やロシアのように大きく、そして様々な集団がその領域内を移動したような国だと、どうしてもそうなるでしょうね。
ただ、必ずしも「中国文化に一体感を感じる人」ばかりが中国史を構成してきたわけではないと思いますが、その辺りの評価は難しいでしょうね。例えばチベットとか北方の遊牧民族とか、独自の文化・伝統を長く保ってきた地域をどの程度まで「中国史」として扱い得るか。現代でも政治的独立の要求というアクチュアルな問題につながりかねないだけに、当の中国では歴史的アイデンティティをどのように教えているか興味があります。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/6218/


#3409 
徹夜城(なんか最近よく書き忘れや訂正で直後に書き込む管理人) 2002/11/17 00:51
思わず笑った外国記事

CNNの日本語サイトに「700年前のミッキーマウス発見」との話題が出ておりまして、下記のサイトにその画像があるのを見つけました。
「史点」では画像をそのまま使えないと意味がないんで、ここで紹介させていただきます。

http://www.ananova.com/news/story/sm_709660.html


#3408 
徹夜城(なんとか今日中に史点をあげた管理人) 2002/11/16 23:49
民族の定義

>阿祥さん
いろいろお調べになってらっしゃいますねぇ。客家関連は一時僕も首を突っ込んだことがありますし、福建は「後期倭寇」の多くが福建人だったこともあって、ご投稿についても面白く拝読しました。言語的なことは全然知らないと言ってもいいぐらいなんですけどね。

ただ、一言申し上げるなら「漢民族の正体」というほど、ことは大げさではありません。阿祥さんがお考えになったことは、僕の知る限りでは中国史を扱ううえで常識的な見解になっていると思われます。中国本土でどうであるかは知りませんが、ちゃんと調べれば必然的にそういう結論が出てくるはず。
「中国」と呼ばれる範囲は古代から調べていくと次第に拡大してくるんですよね。現在の長江以南が「中国」の範疇に入ってきたのなんて、かなり後になってからだと言われます。福建省・広東省なんかかなりあとの時代まで異民族地域という感覚だったように思います。特に福建・広東は言語的にも大きく異なる(といってもあの国はデカいから他の地域でもまるっきり言語が違うように思えるほどでして)こともあって独自性の強い地域であることは間違いないでしょう。倭寇に福建人が多かった、っていうのもそんな背景がある程度考慮されていいかと思います。

しかし「民族」っていうのを決定するのは実は言語でも遺伝子でもないんですよ。「本人が何に帰属していると思うか」実はこれだけです。その帰属意識の根拠に血筋やら言語やら文化やらが使われているに過ぎない、と僕はそう考えますね。
「漢民族」というのが歴史的に雑多である、という論議は日本純粋論を奉じたがる人たちがよく持ち出すことですが、世界史を見渡せば実は全然珍しいことではありません。さらに、僕などに言わせれば「漢民族」という定義は「ヨーロッパ人」という定義と限りなく良く似ていると思うのです。その上で地域ごとの対抗意識やら同郷人意識やらが出てくるわけで、それがヨーロッパにおけるやたら細かい民族意識に近い、とも思えます。孫文が「漢民族は砂だ」と結束の弱さを嘆いたそうですが、考えてみりゃ「漢民族」って近代的定義に無理があるのだとも思えます。その定義の無理さは今の中国の民族問題にもつながってくると思います。
歴史的に見れば「漢人」という範疇に入れられる人たちってのはいわゆる「中国文化」に一体感を持った人たちと考えればよいのではないでしょうか。

聞くところによりますと、今だって中国では所属民族は「申告制」に近いようです。漢族と少数民族が雑多に住む地域では「血統的」には漢族のはずなのに少数民族扱いの方が何かと有利と(少数民族に対しては各種優遇策があるため)、少数民族枠で申告している人も少なくないとか。また、旧満州地域には実際には数多くの満州族がいることになっているんですが、彼らの生活はすっかり漢化し、満州語を話せる人はほんのわずかしかいないという実情もあります。

というあたりが回答コメントなんですが、よろしいですか?
ところですいません、誤字ツッコミを一つ。
>当時の移民は男性ばかりで、台湾に来た男性は原住民の男性と
>結婚せざるを得なかったのです。
という箇所があります(^^;)。いえ、実際そういうようなことがあったかもしれませんけど、子孫は残せないはずなので…

>アール・ケイさん
「一億人しかいない国」ですか(笑)。まぁ、戸籍に載ってない人間だけで日本国民ぐらいいたりする国ですから。共産党員だけで6400万人とかねぇ…(汗)。
「ムルデカ」については感想をそのうち書きますが、現時点で一言書くなら、「作り手に躊躇があったな」ということになりますかねぇ。インドネシアからなんか言われないかとビクビクして作っているような印象を僕は受けちゃいました、ハイ。
あ、あとやたら日本刀(軍刀)振り回す「サムライ」丸出しの主人公はいけません(爆)。



#3407 
七海 2002/11/16 22:59
大久保長安いいです!  大和民族の正体とは?

 >ホリー・ハンターさま

 やはり、大久保長安いい感じですね(笑)大河は無理でも、短い期間のものならば出来そうではないでしょうか?きっと面白いと思います。カネによって栄え、カネによって滅びる、なんてところも現代劇に通じることろがあって良いと思えます。


 漢民族の正体?

 では、大和民族の正体とは何なのでしょうか。いうまでもなく大陸系の血は多く入ってきているはずですが。天皇家からして、朝鮮半島から渡ってきたという説があるくらいですね。確か石原慎太郎都知事も、ニューズウィークのインタヴューに答えて、「ある程度、移民を受け入れることには賛成だ。私自身の血の中にも、モンゴルや中国や諸々の血が入っているはずだ」とか明言していました。(あの、都知事が、です(笑) 個人的には私はあの方は嫌いではありません)
 だいたい純粋に、純潔種の民族なんてものは存在するのですか?私は無知なので、その点はよく分かりませんが。



#3406 
阿祥 2002/11/16 14:49
漢民族の正体

最近、客家の本を読んでいておもしろい記事を見つけました。それは客家の由来を遊牧民族に求めるというものです。いくつか論拠のある中で、なるほどと思ったのは、客家の土地にこだわらない性向と、客家語に残るVOSではないVSO式の文法の名残だということです。(“漢”という言葉が“カーン(汗)”に関係するという指摘もありましたが、どうもこれはおもしろいけど、要検討です。)これまで聞いたこともない指摘だったので驚きましたが、説得力のある考え方ではあると思います。

台湾に縁のあることもあって、福建語やその他の中国方言の歴史というようなことについても調べたことがあるのですが、中原で発達した漢語は(あえて中国語とは言いません)南方に移るに従い、当時の原住民の言葉と交じり合い、さまざまな変化を伴い現在の方言のような形になった。北のほうでは、逆にモンゴル人や満州人の統治を受けることなり、彼らの言語の影響を受け、現在の普通語のような形になった、という風に理解しております。今の福建語にもVSO式の文法の名残があるという風に聞いています。福建語については、春秋戦国の呉越の国にいた越族の言葉が影響しているのではないかと言われています。東南アジアの人々の中に、この越の地から漢民族に圧迫されて南下した人々がいるという風に考えられます。具体的には、現在の民族で言うとタイの人々の言葉に福建語とよく似た語彙が見られると言われ、この人々がそうなのか、越南と呼ばれるベトナムがそうなのか僕の中ではまだ結論は出ていません。

だいたい、現在の中国で漢民族が90%ほどもの比率を占めるといっても、この民族の中にどれだけ以前の異民族の血が混じっているかわかりません。
また台湾の例でいくと、明朝末期に中国から台湾への移民が始まるわけですが、当時の移民は男性ばかりで、台湾に来た男性は原住民の男性と結婚せざるを得なかったのです。その場合男性の姓を残していくので、その子供たちはみな漢民族という形になるのですが、実際には半分は原住民の血が残っているわけです。最近になって台湾の中央研究院が遺伝子の検査を行い、台湾人の遺伝子の半分以上は原住民のものを残していると発表し話題になりましたが、考えてみるともっともなことです。外省人と内省人と原住民3つの集団が台湾にはいると言われますが、このうち内省人にも原住民の血が少なからず入っているということです。
そうすると、同じようなことが、漢民族が南方に発展していった過程でも言えるのではないでしょうか。広東や福建に漢民族が入っていくときに現地の異民族と同化、対立しながらだんだんと現在のような形になっていったのでしょうが、実は多くの原住民の血が残されていると考えられます。雲南には今もさまざまな少数民族が、漢民族に同化されずに残っていますが、たとえば魏晋南北朝や唐の時代では南方中国も同じような状態だったと考えるのは不自然ではありません。そうすると今は漢民族といわれている人たちそれ自体の中に、さまざまな異民族の血が入っているにもかかわらず、男性優位の社会規範の中で便宜上漢民族と呼ばれているに過ぎないということになります。

客家についての指摘についてはまだ検証の必要があると思いますが、少数民族問題というのは、実は中国の歴史の経過の中で、非常にダイナミックな過程を経てきているのではないか、というのが今思っていることです。また一方的に質問しちゃって申し訳ありませんが、近くに中国史の専門家がいないものですいません。徹夜城さん、こんな考えは妥当でしょうか。




#3405 
ホリ−・ハンタ− 2002/11/16 07:21
一攫千金

大久保 長安が家康に見出される前は、武田に雇われていた〜というのは
仮説の主流のようですね。ただ、結果論ですが、長安を研究する傾向が
あまり無いのは、徳川幕府が成立する前後に長安は失脚、幽閉され
黄金で権力に食い込んだ大久保 長安および、その一族・一党は粛清された
そうで、長安は、皮肉にも自分が発見した有数の金山が多い佐渡で獄死したそうです。
とにかく最期が悲惨で家康や長安の出世を妬んだ譜代らの策謀の疑いが濃くて
大久保 長安は、NHK大河ドラマ向きではないかもしれません。
しかし、彼は成り上がり者ですが、秀吉とは又違う出世物語が出来そうですね?
ドラマ脚本は漫画・ナニワ金融道・原作の青木氏がハマりそう?(自爆



#3404 
アール・ケイ(大河ドラマの番人(笑)) 2002/11/16 02:44
1億なんて誤差範囲(笑)

(ずっと前に書いた記憶があるのですが)私が中国に行った際、
向こうの人間に、「日本人なんて1億しかいないでしょ」と云われて
少々ショックを感じたことがありました。ま、確かに1億なんて誤差範囲でしょう、あの国では。
そのあの国でもいよいよ若返りですな。戦争を直接知らない世代がトップに座ったわけで、
また時代が一回りした感慨を覚えます。

>『ムルデカ』
見たくないんですが、見る義理がある映画なんですよねえ(シナリオのI先生にはお世話になっているもので)。

>大久保 長安
武田信玄が遺した有形無形の“遺産”を最大限に利用して天下を取ったのが家康でしょうが、
長安はその象徴のような人物ではないでしょうか。確かに謎が多いようで。

>近現代大河
『山河燃ゆ』『春の波濤』『いのち』の3部作を指します。
それぞれの内容は…、検索して調べてください(笑)。

>池田大作
「自分とこ」で金出して作るに決まってます(というかもう作ってたりして)。
わざわざ公共放送が作るまでもないですな。どうぞご勝手に。

>『火の鳥』謝罪事件
はい、どの書物だったか忘れましたが、手塚さん、「市川崑さんに謝っていただいた」と
書いちゃってるんですよね。そこまでヒドい作品ではない(かといって名作でもないけど)
と思っているのですがね。

>近代史の描き方
朝鮮・韓国に触れない日本の近代史というのは書き得ないわけで、
その辺のことをさらっと流して書こうとしてもそれなりにちゃんとしたものに
したいのであれば避けられないし、触れて書く以上ぞんざいな描き方は出来ません。
朝鮮側が何故あれほど明治新政府を嫌ったのか、その理由を遡って描かないと。
で、真摯に解説していこうとするとどんどん長くなります。
竹添進一郎というひとについて調べざるを得なくなり、考えさせられております。

http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#3403 
なな 2002/11/16 02:20
レスいろいろ

>アニメの骨壺
見てきました。トップページの文言にびびりました(笑。
アニメーターの待遇改善なんてずいぶん長いこと言われているのに…。
>原画と原画の間の動きを埋めるソフト
ああ、これこれ。「ガイアの夜明け」で紹介されていたと思います。「制作現場に革命をもたらした」とまで言っていたような(汗。
それで「じゃあ、動画を描く行程はもうなくなったのか?」と思ったわけです。

>るろ剣
アニメ放送が開始した頃に見ましたが…ジュディマリのOPと涼風マヨの声に違和感がぬぐえず、すぐ忘れてしまいました。原作はどこまで読んだっけなあ…。
ということで、幕末編がアニメ化されてることすら存じませんでした。
剣心の声はやはり涼風嬢のままなのですか?
そうそう。「新選組!」より「るろ剣」を大河ドラマにした方が面白そう。昨今の大河の脚色ぶりを聞くと、「るろ剣」大河で御庭番が忍者になったり、幕末に斬馬刀が出てきても大丈夫よ。(^^;)

>お歯黒
「忠臣蔵外伝・四谷怪談」で渡辺えり子がやっていたような。
能舞台のように、暗めの照明の下で喜怒哀楽を最小限にして演ずるなら、能面の小面ように妖艶な女性になると思いますが…。美人女優が大口あけて笑ったらお歯黒が…ってのは嫌だなあ。

>吉村司馬論争
まあ、私も南北朝ものを書いてるんですが(汗、「室町太平記」と違って登場人物が「どこぞ馬の骨」ばっかなんですよねー。「雑兵物語・南北朝編」といったおもむき。
吉村さんの「弱者への暖かい眼差し」は私もおおいに目指したいところなのですが、登場人物の下っ端野郎どもに視点を合わせつつ、どうやってこの変転著しい時代を読者に分からせていくか。この点で苦心しているところです。作者本人も掴み切れていないのに(笑。
吉村・司馬両氏の話題にレスしたのも、書きながら自分の中で方法論を確認していました。
今のところ解決策は、「こちらを読む前か読んだ後に、室町太平記も併せて読んでおいてね♪」と注意書きしておこうかと思っていますが…。ヾ(ーー;)<おいおい。



#3402 
エリス 改め 七海 2002/11/16 00:45
日本には河がない?

 ホリー・ハンターさま、レスありがとうございます。

 「カネ」にうるさいといえば、関西人のイメージがありますが、関東方面でそういう人物を描くのも一興ではないかと思えますね(笑)

 管理人様

 「日本には河がない」といっていた人は、李鴻章だったのですね。昔日本に着た中国人が、瀬戸内海を見て初めて「おお、日本にも河があったのか」といったという話、小学校のとき、担任の先生から聞きました。そして、TVで黄河や揚子江を見るたび、「中国って大きい国だなあ」と素直に感心していたものです。
 今でもなお、大陸的、といいうるスケールの大きさを、私はかの国に求めていると思います。私の今は亡き祖父も、中国が大好きでした。



#3401 
徹夜城(ささいな間違いをした管理人) 2002/11/15 23:39
訂正

下の書き込みで「ムルデカ」のタイトルが間違ってました。無理してサブタイトルつけなきゃ良かったのにね(笑)。
「17802」ではなく「17805」です。この数字の意味、知らない方は各自調べましょう。

ちなみにこの映画は刑事ものではありません(爆)



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