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#3900 
徹夜城(音楽関係はかなり疎い管理人) 2003/03/30 13:49
謎は深まる…

>足塚玉虫さん
その後僕もどうも気になるんでネット検索かけて(台湾方面サイト含む)あれこれ調べてみてるんですが、足塚さんのおっしゃっていたものと同じ内容を含むTV等のインタビュー記事を見つけました。やっぱり本人の口から「台湾の皇太子妃の名前と同じ」という表現が出てきているようです。
「台湾」単独で王朝が存在したことは少なくとも漢民族が入って以来はないはずなので、何か伝説上のものなんじゃないのか…って気がするんですが。いえね、実は僕がこのサイトにおける次の連載企画に台湾の伝説、それもヒロインがらみのやつをストーリーにからめる予定でして、その観点からも気になるんですよ、この話は。




#3899 
足塚玉虫 2003/03/30 01:35
あいやぁ訂正しまあす

>台湾王朝
わたし も王朝ってご大層なものとカン違いしてたかな?
台湾の姫サマの名と同じ〜とゆうのは一青さん自身が
TV番組で言っていて、台湾人のお父さん が
娘に何か台湾の伝説上の王国の姫さんと
(たぶん台湾が中華化した以前の時代かな?)
同じ名を付けたとか何とか、でも、漢字ですから
その時代に、台湾は漢字を使ってたのかなぁ?
台湾が漢字を使いはじめたのは、いつからなんですかね〜
一青の姓は日本人の母親の姓だそうで、
石川県の一青とゆう地名の出身で、この地区には
今は、一青とゆう姓の人は住んでないそうです。




#3898 
徹夜城(いよいよムロタイ最終回にとりかかる管理人) 2003/03/30 00:20
「窈」みたいですね。

>足塚玉虫さん
ハンドルネーム拝見した瞬間「まんが道」を思い出してしまった(^^;)。こんにちは。
美声うんぬんと自分で書いてましたが(^^;)、まあ声がでかくて多少張りがあってよく響くというだけのことでございます(笑)。この点に関しては塾産業向きであったとは思えます。むかし生徒に「声優になったら」と言われたことも一度だけながら(笑)あるんですが、まぁ単にでかくて響く声ってだけじゃなぁ。

 さて僕はまるっきり音楽関係には無知なのですが(いやホント)、「もらい泣き」は各所で流れているのを耳にはしています。歌っている人が日台ハーフということは聞いていましたけど、名前がそんなに難しいものとは思いませんでした。
 投稿を拝見して検索で調べたんですが、「一青窈」と書くんですね。ちゃんとPCでも仕える文字で入ってました。「窈」は字書で引きますと本来は「奥深い」という意味だそうで、「窈糾」で「女のすがたののびのびとしてしとやかなさま」、「窈窕」で「女のしとやかで美しいさま」という意味になるそうです。
 「台湾王朝時代のお姫様」…というお話を書いてらっしゃいましたが、台湾に王朝時代があるはずはないので、中国史史上に出てくるお姫様の名前に同じ文字が入っているものがあった、ということではないでしょうか(「窈」の使用例から察しても女性名に使うことはありそう)。

>「ムロタイ」。
ついに第49回。今回は解説が長かった(^^;)。一応「今月中」と言ってしまった以上、明後日までに最終回を仕上げねばならない。それにしても遠い道のりを来たものだなぁ…と思うことしきり。

>で、「史点」は?
すいません、まだ書けてないんです。「ムロタイ」優先になりそう。
当初「開戦と更新とどっちが早いか」と言ってましたが開戦してしまい、「ケリがつくのと更新とどっちが早いか」などと焦っていたら、思ったより米英軍の苦戦が始まって間に合ってしまいそう。おまけについ数日前に「一両日中に大規模決戦か」などと言っていたのに今や「補給が切れてるから四、五日動きません」ってな話になってきてしまった。
 うーん、こういろいろと状況が変転すると「史点」もどうやって書いたらいいのかわからないんですよねぇ。それに変な意地もあって通り一遍な解説記事なんて書きたくないし(笑)。誰も書いてないような切り口で書けないかなぁとも思うんですけどね、「9.11」テロの時の「映画的史点」みたいに。
 一時考えて却下したのが「イラクを見守る会」と「イラクを想う会」の対立なんてネタで(^^;)。
 そういえば思い出しましたが、旧正田邸、また解体業者を変えて解体作業再開してるそうですね。



#3897 
足塚玉虫 2003/03/29 12:37
ひととよう

はじめましてでございます。たまにココを読んでます、
ココに書かれてるカキコ、すごい詳しいもので。
そうなのですか、ココの管理人さん は美声なのですか、
一度聞いてみたいものです。わたし的には、美声っていえば
最近、人気上昇中の台湾人&日本人のハ−フ・ソンガ−
(台湾と日本の混血っても見た目は殆ど日本人で)
一青ヨウさん かな?ヨウってのも漢字なんですが日本の
常用漢字じゃ無さそうなくらい難しい字で、何でも
台湾王朝時代の姫サマの名前と同じ字だとか、
『一青』と書いて『ひとと』と読むのも変わってて
インパクトある歌手名なんですけど、昨日TVでやってた
番組で石川県に『一青』と書き『ひとと』と読む部落が
今もあるとかってやってました。
歴史と全然関係無い話で恐縮ですが
台湾の姫の字と日本の変わった地名で、無理やり歴史地理ガラミ?
(笑
一青さんの歌『もらい泣き』は一度聴いたらハマっちゃいました。




#3896 
徹夜城(史点のアイデアひねりだしにうなっている管理人) 2003/03/28 22:18
まぁ日本も他人事って空気が多いですがね。

>奥野さん
おかげさまで、声のほうもかなり回復してきました。風邪は速攻で治ったんですけど、やっぱりしゃべり続ける仕事を連日やっていたのがいけなかったみたい。特に僕は生徒にも「マシンガントーク」と言われてる男でして(笑)。こうやってぶっ壊してみると日ごろいかに喉を酷使しているかが良くわかりますね。

このところ各種報道でも「イラク戦争」という表現が板につきつつあるような気がします。ひところ「第二次湾岸戦争」って言い方もありましたが、「湾岸」以外の戦場が多いからかあまり聞かなくなりました。
「ベトナム戦争」の例も考えればまぁアリかとも思えますけど、ベトナムやイラクにしてみれば「アメリカ戦争」に他ならなかったりするんでしょうね。「ペルシャ戦争」って呼び名が定着している世界史教科書を連想したりもして。

 ロシアのイラク戦争報道について話をされていましたが、日本でも実のところけっこう他人事な雰囲気があると思ってます。少なくとも北朝鮮問題ほどの切迫感はないんじゃないかな。もっともその北朝鮮関係の報道だってかなり下世話なものにくだけてきちゃった、あるいはサブカル的に面白がっているといったものになってきてますしね。
 週刊誌の見出しで笑ったのは「アサヒ芸能」の「フセインもブッシュも親分の器じゃねぇ」と暴力団幹部が語ったと言うもの(爆笑)。この雑誌ならではの切り口といいますか…

 「週刊新潮」でみかけたネタですが、あの大川隆法氏が「フセインは足利尊氏の生まれ変わり」と「認定」してるそうな。その根拠となる共通項ってのがいろいろと上がってましたが、尊氏ファンとしては激怒ものの内容でしたね。単に例の騎馬武者像のヒゲヅラから連想したんじゃなかろうか…と思ったりもするのですが。



#3895 
ホリ−・ハンタ− 2003/03/27 19:39
クルドの星?

思い出しました、そんな漫画ありました、
クルド人の母と遺伝子学だか何だかの日本人博士の父
との間に生まれた少年が主人公って話しでしょ?
当時も面白く読んでた記憶があります、少年は行方不明
になった父母を探してトルコへ行くうちに
トルコのクルド紛争に巻き込まれ、知らぬうちに
少年はクルド・ゲリラになってトルコ軍兵士を機関銃で
撃つ日々を過ごし〜と段々エスカレ−トしてくとこが
何とも。(苦笑
終盤にはトルコ軍VSクルドゲリラの対峙にソ連軍が
茶々を入れてくるとゆう、今にして思えば、
当時、冷戦真っ只中のとこに国際問題の患部を
あえて引っ掻き回すような漫画をよくやれたもんだなぁ
と。



#3894 
奥野 2003/03/27 16:52
文化相危機一髪

こんにちは、お久しぶりです。先日は日本に一時帰国した際、管理人様ご自慢の美声を堪能してきました。風邪はもう治りましたでしょうか。
モスクワでは、もちろんイラク戦争(ほんと、正式名称はどうなるのでしょう)について連日マスコミが大きく取り上げています。が、思ったほど戦争一色でもないというのが印象ですね。テレビではちゃんと通常の娯楽番組や映画もやっているし、新聞一面の大見出しにはロシア国内のニュースが戻ってくるようになったし。イラクに利権があると言っても一部の石油企業の話だし、兵隊を送っているわけでもないから、所詮は「他人事」なのでしょうか。

あと、僕にとって「ウイグル」といえば、やはり北斗の拳の獄長ですね。蒙古覇極道。

折角なので、現下国際情勢と全く関係のない話でも。
ロシアのミハイル・シヴィトコイ文化相が、同じロシアの検察局から警告を受けたそうです。現在文化省は、第二次世界大戦でソ連がドイツから持ち去った文化財の返還手続きを進めようとしているのですが、この作業は違法だということで。おそらく、「国有財産の不法な持ち出しにあたる」という論拠によるものでしょう。さらにロシア下院でも、これらの文化財を代償なしに返還しないようプーチン大統領に求めているとか。
下院の「戦利品」論法はあまりにも古くさいもので、こういうことを言ってるようじゃロシアもまだまだだとは思います。ロシアはドイツとの関係を大切にしたがっているし(政治・経済など様々な面から見て、ロシアと一番関係の濃い国がドイツだそうです)、プーチンとしても本音では返却した方が得策だと思っているんじゃないでしょうか。今回、文化省が返還の手続きを始めたというのも、プーチンの意向なしでは考えられないですから。いずれにせよ、戦争の負の遺産はまだまだ清算されずに残っているものだと思い知らされます。

アドレス


#3893 
徹夜城(実は白土三平ファンの管理人) 2003/03/27 00:44
クルド、クルド、クルド、クルド、手ごわいぞ〜♪(←クルド独立国国歌候補)

ネタ的にレスを分けました。

>クルド人関係。
そうそう、ありましたねぇ。安彦良和の「クルドの星」。連載時、ちょろっと見てました。読み通したことは全然無いけど。そういえば確かにずいぶん早く目をつけていたものです。
トルコがクルド人独立国家に神経質になるのは心理的には理解できないでもないですね(あくまで為政者の心理として)。中国が東トルキスタン(ウイグル)独立運動に神経質になって中央アジアに注意を払っているのとかとも似ているかと。日本でかなり強引な想定で例えたら、北海道にアイヌ人が一千万人ぐらいいて、千島や樺太アイヌがおなじぐらいいて、ロシア極東においてアイヌ人独立運動でも起こったら…って感覚かな。もちろん各地のアイヌはクルド人ほど一体感はないんだろうけど。
 とりあえずトルコは英米EUに強烈にプレッシャーをかけられたか、かなり控えめな動きになってきてはいるようですが…(国是であるEU加盟に響いたら元も子もない)。

 そういえば(といつもこの調子の連想で文量を増やしちゃう)ウイグルといえば。
 漫画文庫本で横山光輝の『ウイグル無頼』なる一冊が出ていたので「へぇ」と買って読んでみました。1970年代に「ビッグ・コミック」誌連載、なんと初の単行本化、なんだそうで。
 「初の単行本化」という時点で分かりますが、要するにつまらない打ち切り作品。ラスト一回の投げやりな完結ぶりがそれを見事に物語ってました。まぁ興味のある方はお読みください。どんな巨匠でもこういうのが何本かあるもんなんですよね。あえて言うと横山光輝って「大人向け」を書くと意識しすぎちゃってダメなのかもしれない。
 ただ企画自体はかなり異例、というかそれなりに意欲的。まぁノリは西部劇の一匹狼ものを古代ウイグルでやってみせた、という点。時代考証ムチャクチャだけど(三国志とぜんぜん変わらん)。

>ムロタイ関係。
>タロイモさん
「ムロタイ」の感想どうもです。あと一息で完結でございます。三月中には終わりますね。四月からは新番組を…と言いたいところですが、「仮想大河ドラマ」はこれで打ち止めとさせていただきます。新企画は小説の予定なので(こちらも序盤はだいたい構想が出来ちゃいました)。
 義満の「着長」や「フスベ皮の腹巻」は確かに「明徳記」に出てくる描写なんですけど、その深い意味までは僕も分かりません。「主人として家僕を撃つ」という姿勢はこのあとの「応永の乱」でも出てきますけどね…。あくまで本人は戦闘に直接身をさらすわけではないし、単に「軽装」ってことなのかもしれません。



#3892 
徹夜城(講習で風邪ひいて授業やって喉をつぶした管理人) 2003/03/27 00:24
史点がナカナカ書けないなぁ…

春期講習というやつに入りまして、一日に六時間ぐらいしゃべるということをしておるわけでございます。
その最中に風邪をひき、速攻で発熱、速攻で治って授業に穴はあけなかったものの、それでしゃべって喉をつぶして声が変になっております。けっこう丈夫な喉で我ながら結構美声自慢だったりするんですがね、こうなっちゃうともう自分でも情けない(笑)。
その授業でまさに「チグリス・ユーフラテス川」の話が出てくるわけです。フセイン政権のイラク軍には「ハムラビ師団」とかいう部隊もあるそうで、フセイン氏、やっぱり「メソポタミアの栄光」を意識して使っているようではあります。同様のことは愛国心を利用する政権はどこもやるようで…日本では戦中の「神武皇紀」であり、昨今の一部で主張される「縄文文明は世界最古!」というフレーズ(もう流行らなくなりましたが)にも受け継がれていたりしますな。

>久保田さん
僕もその読売の世論調査+社説は読みました。いやはや、ようやるわ、ってレベルのものですな。世論調査データの方はよく読めば分かることなんですが、それを元に「国民世論」なるものを手前で作り上げちゃうという辺りが凄い。
ま、あれですね。現時点でも日本の戦費負担は勤労者一人当たり三万円とか言われておりましたから、それがどうも上乗せされそうだ、って話を流布して世論操作(笑)すれば一気に反対が多くなると見ました。
いや、実際のところブッシュ政権が「敗北」する面があるとしたら「ハイテク戦争」を掲げるがゆえの「軍資金切れ」ぐらいはありうるんです。実際一発撃つと1億円もする高性能ミサイル(その割にはユーゴ以来よく誤爆してるが)を2000発ほど撃っちゃってるらしく…補正予算を議会に要求してましたけどね。なんか金銭的コストはやたらに高い戦争ではあるようです。

 国際世論でもイギリスとオーストラリアの参戦国では賛成反対が逆転、賛成が過半数になっちゃいました。あのロンドンでの大デモはなんだったんだい、と言いたくもなりますが、実際に自国兵士が戦っているとなると賛成しないまでも反対しにくくなる、ということはあるでしょうね。それと「早期終結」を望んで一方的楽勝を求めるようになる、というところもあるかと。意地悪く言えば勝負は目に見えてますから(はっきり言ってアメリカが突然中止でもせんかぎりアメリカの勝ちで終わります、戦闘自体は)「勝ち馬に乗らなくちゃ」って心理も無いとはいえないでしょうね。

 それにしても開戦以来、特にアメリカ側の情報操作作戦の物凄いこと…つい先日TVで「エネミー・オブ・アメリカ」を思い出しましたよ(タイトルも含めて)。見たま、あんまり効果が出てないですけど。
 気になるのがCNNサイトに出ていた話で、ペルシャ湾の機雷除去作業にイルカを使ってるって言うんですけど…これマジ?しかも機雷は今のところ発見されていないってのもひっかかる。

 この時期見返したい映画として「スリー・キングス」がありますね。湾岸戦争ネタの映画で、失礼ながら意外な掘り出し物です。こういう映画が作れるうちは(もちろんこれだってほとぼりが冷めてから作ったんだけど)あの国はまだ大丈夫。
 そういや予想はしてたけど、マイケル=ムーア、すごかったですねぇ(笑)。



#3891 
ホリ−・ハンタ− 2003/03/26 12:55
タングステンか放射性廃棄物か

タングステン〜普通は、金属の切削加工・旋盤の刃物
の材料として知られていますが、ようするに硬くて
強靭なメタルなので、対戦車・砲弾〜撤甲弾頭の
材にも用いられているようです、旋盤の刃物は
消耗品で、タングステンは安価では
無いようですが、言い方が乱暴ですが、
対戦車砲弾は爆薬が仕込まれた旋盤の刃物が
飛んできて装甲を貫通するって感じ?(苦笑
ウラン劣化弾〜ウランのゴミを弾頭に用いるため
タングステン製より半分以下のコストで砲弾が
作れ貫通能力もタングステン弾と遜色がないため
西欧諸国の軍隊で普及したようです、
最近では、放射能汚染が開発側の予想を上回った
ため、各国、ウラン劣化弾を廃絶する流れがあるようですが
米軍は、どうでしょう?自衛隊はタングステン弾
1本やり、だそうです。



#3890 
久保田七衛 2003/03/26 01:39
イラク戦争について;主要3紙の世論調査(開戦後)

1、読売新聞 内閣・政党支持率調査(3月25日朝刊掲載)
 実施日;3月22・23日
 対象者;全国有権者3000人(250地点、層化二段無作為抽出)
 方法;個別訪問面接調査法
 有効回収;1846人(61.5%)
「あなたは、日本政府がイラク問題でアメリカを支持していることについて、当然だと思いますか、やむをえないと思いますか、それとも、納得できないと思いますか。」
当然だ 12.1% やむを得ない 63.8% 納得できない 22.3% 答えない 1.8%
(参考;内閣支持 49.0% 不支持 39.6%) 
2、毎日新聞 緊急世論調査(3月22日朝刊掲載)
 実施日;3月20・21日
 対象者;全国有権者1098人(ランダムデジットサンプリング法、1000人目標)
 方法;電話調査
「今回のイラクへの武力攻撃を支持しますか、支持しませんか。」
支持する 28% 支持しない 65%
「今回のイラク攻撃に対する日本政府の姿勢をどう思いますか。」
評価する 33% 評価しない 58%
(内閣支持43% 不支持39%)
3、朝日新聞 緊急世論調査(3月23日掲載)
 実施日;3月20・21日
 対象者;全国有権者978人(無作為3段抽出法)
 方法;電話調査
 有効回答;57%
「イラク戦争について、うかがいます。アメリカなどは、イラクへの攻撃に踏み切りました。今回のアメリカの行動を支持しますか。支持しませんか。」
支持する 31% 支持しない 59%
「小泉首相は、アメリカの武力行使への支持を表明しました。首相の支持表明に賛成ですか、反対ですか。」
賛成 39% 反対 50%
(内閣支持 42% 不支持 45%) 
一見すると読売と他の2紙で、戦争に対する態度がかなり異なる印象を受けます(内閣の支持率をみる限り、母集団に大きな差を見出しがたいわけですが)。読売は25日の社説で以下のような議論を展開させています。
「理を尽くして説明すれば、国民の理解も得られる、ということではないか。(中略)米支持という首相の決断は、日本の国益を踏まえた当然の選択だった。そうした首相の判断は間違っていなかったと、多くの国民が受け止めていることを、調査は示していると見ていい。」
 設問を比較してみると、読売の設問は「ためにする」質問であることがよくわかります(読売は開戦のだいぶ前から米国支持の立場を貫いていた、という知識が前提です;今回のは回答を誘導するような設問になってしまっていますね)。アンケート調査はどうしても各社ごとに長短があって、相互の比較が必要になってくる場合がありますね(残念ながら現時点において日本のマスメディアの世論調査は、読者の側からの積極的なtext critiqueが必要ですね)。もっとも、開戦後微妙に世論が戦争容認傾向に傾いてきているのも、見落とせない事実でしょう。(徹夜城様、もしよろしければ次回はその辺の考察を掲載させてください)



#3889 
おやかた 2003/03/25 23:44
素敵なお父さん

 何の話かとお思いでしょうが・・。
 私の職場(子供向け施設)に今日来館した、アラブ系の男性のことです。
 またまた職場話で恐縮ですが。

 最近、子どもを叱らない、しつけができない親が増えているなあと、私共のような職場にいると痛感します。親同士はおしゃべりに夢中だったり、携帯に一心不乱に向かっていて、子どもそっちのけの母親。
 ビデオで子どもを撮影するばかりで一緒に遊んだり注意はしない父親。
 何かあったら、「職員の不注意」ということになります。
 (子どもに奉仕活動強制とか、生きる力云々言ってる方々は、この辺の家庭教育に問題があることをご存知なのかしら?)

 そういう中で、今日、とても優しく、子どもの目線で一緒に遊ぶお父さんがいまして、その人がアラブ系でした。子どもがちょっと無茶な遊び方をしようとすると、優しく指導したり、子どもと一緒に楽しんでいる様子が伝わってきました。
 その人は、ビデオもカメラも持っていないけれど、子どもにとって一番必要な親の姿じゃないかなあと思います。とても幸せそうな家族で、当たり前のことですけど、人の心の有り様、親子の姿に民族の違いなんて無いと思いました。
 
 母親は日本人女性で、おそらく結婚に際して、また、9.11以降も大変なこともあったかもしれないなどお節介なことを考えていました。
  
 
 



#3888 
タロイモ 2003/03/24 22:59
主として家僕を討つ

管理人さま>
室町太平記、怒涛の更新ご苦労様です。
とうとう頼之さんが亡くなられてしまって感慨無量です。
小学館の歴史マンガでの義満と頼之の漫才は
私も子供の頃読んだ記憶がありますが、インパクトがありましたね〜
鄭和さんはドラマの中で来日するんじゃないか?と少し期待していただけに
ちょっと残念です。
ところで明徳の乱の時に、義満が着けていた着長を脱ぎ捨て、
フスベ皮の腹巻きを身につけて武者姿となり、直属の三千騎を率いて出陣の場面
がありましたが、フスベ皮の腹巻きというのはなにか由来があるのでしょうか?
主として家僕を討ち果たすという意味があるようではありますが・・・
実は別の掲示板で少し話題が出たものでして。

今回のイラク攻撃、早期に終結してくれることをただただ希うのみです。
ただ「イラク」という枠組みをこれからも維持しようと思ったら、
アメリカがサダム=フセインという独裁者を作り出したように
再び新しい独裁者を作り出さなければやって行けない気がしています。
クルド人は今までどうりの自治政府の維持を望むのでしょう。
下手に独立国家が誕生すればトルコとの戦争は必至ですし・・・




#3887 
相良義陽 2003/03/23 21:33
いま、

珍しくNHKがニュースやってません。ひょっとして開戦以来初めてでしょうか(笑。
そういえば今回の戦争、なんて名前になるんでしょうね。「イラク攻撃」としか呼んでないみたいですが。

>アメリカはイラク戦争後、トルコからイラク北部の
>領土の割譲を要求されるのでは?
>あるいは、クルド人の統一国家が発生する
>かもしれません、
どちらもないと思います。トルコがイラク北部を得て何か得するんでしょうか。
クルド人という不満を持つ少数派の割合を増やすだけなのでは。
トルコのイラク北部侵攻は、むしろクルドの独立運動を鎮火するためのものでしょう。
アメリカはクルドを支援してますから。
北部の手薄な戦線を補うことで恩を売ろうという魂胆もあるのかも知れませんが。
どちらにせよ、トルコは難しい立場に立たされてますねえ。

>『イラン』とゆう国名が、どうも『イラク』と
>一括統治をした植民地支配側の趣向で付けられた感じ
>がする
イランという国号は1935年につけられたもので、植民地とは全く関係ないのですが。
実は時の王リザー・シャー・パフレビーが自分たちを「アーリア人」と称したことによるものだそうで、「アーリア人の国」という意味です。
パフレビー王朝はイラン革命でぶっつぶれますが、その後も国名は残ったわけですね。

http://www.h3.dion.ne.jp/~jtpage/cy/


#3886 
ホリ−・ハンタ− 2003/03/23 12:21
爆発

>徹夜城さん
TV報道のイラク戦争の映像は、確かに私もショウアップ
されてるように感じました、何よりあのバクダットの空爆
の連続爆発の映像、画像がスゴク鮮明で、
湾岸戦争の時の空爆映像は、サ−モグラフ映像が殆どで
爆発の映像の鮮明さは、一昨年のアメリカ同時・大テロに
匹敵すると思われます。しかし、いくら、こうゆう映像を
見たからといって戦争の悲惨さは伝わるとゆうか、
TV映像で見てたって爆発の破片や火の粉が視聴者に
飛んできたり、爆風、被害の痛みが体感に伝わるわけでは無く、
これは、はっきり言ってSの気がある人が、こうゆう
映像ばかり見てると精神衛生上良くないかな〜と
ふと思ったりして。(自爆
アフガンで注目された不肖・宮嶋サン、やはりとゆうかバクダット
におられるようです、この人、自分で、私は写真よりも
書くほう、戦場体験記ばかり注目されてしまうが、私は
いちカメラマンです、と言い続けてますねぇ。(苦笑
宮嶋サン、どこぞの民放の中継で登場、
スタジオの気の利かない若いアナからのボソボソとした
聞き取りにくい質問に、『はぁ?もっと大きい声で』
を連発、顔はイイ加減キレそうな顔を。



#3885 
ブッチャ−3世 2003/03/23 08:31
イラク周辺各国

>トルコ、イラク北部に進駐
対米支援の是非で同国・国会が大モメしましたが
方針が決まったらトルコ軍は、サクっと、
やっちまいそうですね、世界で一番、クルド人を
多く攻撃したのはイラク軍で二番はトルコ軍
だと思います。
安彦良和さん の漫画『クルドの星』は未だ米ソ冷戦の
さなかで、当時はクルド人の情勢が世界的に知名度が
少なく、ちょっとやった時期が早すぎたかな?とゆう
気がして、今やってれば注目度といい
取材の材料にも事欠かず、結構話題に
なってたりしたかな?と思います。
アメリカはイラク戦争後、トルコからイラク北部の
領土の割譲を要求されるのでは?
あるいは、クルド人の統一国家が発生する
かもしれません、クルド人が国を持つ事じたいは
賛成です、これまでイラクやトルコに
された仕打ちに対し憎悪・報復を抑制して
もらわねばならない〜とゆう難しいお題は
立ちはだかってはいるのですが。
しかし多分にアメリカが制御
しやすい国として建国されそうな気はします。

>イラン
イラク中部はシ−ア派の多い地域だそうですね、
イランが西の同胞を支援するとゆう名目で
動き出したら、アメリカはどう思うか?
ところで、イランとゆう国は、世界史・中近東で
お馴染みの大国・ペルシアでしたね?
『イラン』とゆう国名が、どうも『イラク』と
一括統治をした植民地支配側の趣向で付けられた感じ
がするから、ペルシアとゆう国名を復活させても
いいような感じもするがイランが定着してますね。

>シリア
カリスマの塊のようなアサド大統領の没後
息子さんが世襲したシリア、だいぶん穏健に
なったような気がするのは気のせい?
今度のイラク軍事攻撃にそうとう影響を
与えるような示威を見せるはずだと思って
たんですが、意外に平穏ですねシリア。

>ヨルダン
経済制裁下で、それでもイラクの石油の
対外での最大のお得意は、この国、
イラクからの石油輸入が完全に止まると
この国の産業は致命的なので、
経済制裁の監視側もヨルダンは大目に
みていたようだとの話しを聞きました。
ブッシュの最後通告・脅迫ビデオレタ−
で要求したフセイン国外退去の
亡命先・候補地にはヨルダンが有力かな?
と思ってましたが、あるいは
ヨルダン政府が拒否したのでしょうか?
イラクからの出稼ぎ労働者が多いのも
ヨルダン。



#3884 
徹夜城(昨日は一日中春期講習だった管理人) 2003/03/23 01:28
敵、北より来たれば北条

>りんさん
なるほど〜確かにアッバース朝のことを言ってるとすると変ですが、「スターリングラード」同様に歴史的なたとえとして使うのであればマムルーク朝のことを引き合いにしてもいいわけですね。「世界帝国」が攻めてきたのを阻止する、と。

>久保田さん
日本でも太平洋戦争の時にやはり「蒙古襲来」が想起されてましたね。あの大川周明が「敵、北より来たれば北条、東より来たれば東条」って言ったってネタは前にも書きましたが。
戦争も末期になりますとやっぱり蒙古襲来をテーマにした「神風映画」が作られてますね。もうそれしかない、って感じで。いろんな点で今のフセイン政権の状況って大戦末期の日本とダブる点が多いです。戦後の「民主化」のこともね(苦笑)。

>おやかたさん
実際こういう状況では子供達にもあれこれと影響はあるでしょうね。まぁまずフセイン大統領っていかにも「悪の親玉」って感じだからなぁ…ただ刀や銃を突き上げる場面ばかりTVで流れるのには、どーもイメージ操作のにおいも感じます。
 ここ数日のTVに流れる、特に欧米系メディアからの映像のかなりの部分、僕は演出と意図的な繰り返し操作を感じますね。戦死者情報だって米英軍の一人、二人、事故の十数人でわざわざ情報が出る一方でイラク兵の話は投降の話ばかり(すでに英米の何十倍もの数の戦死者が出ているのは従軍記者記事なんかでちょこっと出ていました…戦場で袋詰めにしていたとかなんとか)。
「クリーンな戦争」をしているんだというイメージ作りがそこかしこに感じられます。湾岸戦争でもアフガンでもそうでしたが、気をつけておきたいものです。



#3883 
久保田七衛 2003/03/23 00:40
アインジャールート

 バアス党自体が汎アラブ主義を標榜し、フセインの「手本」」としてよく挙げられるのがナセルであることを考えれば、たしかにアインジャールートの戦いが引き合いに出されている可能性があるのでしょうね?「バグダッドの手前」はこれとはあわないでしょうが。

 日本の「元冦」、韓国の「三別抄」、ベトナムの「バクダン江の戦い」、エジプトの「アインジャールートの戦い」(エジプトでは「アインッガールー」と発音するはずですが)などなど、アジア周辺の諸国家で対モンゴル戦は民族/宗教/国家意識の発揚に重要な使われ方をしますね。興味深いテーマだと思います。



#3882 
おやかた 2003/03/22 22:30
子供の反応

 子供が遊びに来る施設で働いています。科学実験ショーなるものをやっているのですが、今日のネタは「燃えろ燃えろ爆発実験」
 数人の子どもが「爆弾、爆弾」と口にしたり、ミニロケットを飛ばす実験では「フセインのところに当てればー」などと言います。
 遠い、TVの中の出来事と思ってしまうのはやむを得ないことと思います。ただ、人の本質って変わらないのだと思ったのです。言われるとおり、アメリカ人の顔をつけたわら人形に竹槍訓練をしている国民学校生の姿とダブってしまって。
 本質が変わらないから、戦争が絶えない。そういうむなしさを感じるのでした。





#3881 
ホリ−・ハンタ− 2003/03/21 18:57
反戦を叫ぶのは結構だけど

今日は外が騒がしかった、社会民主党(元・社会党)の
街宣車が『我が党は米英のイラク軍事攻撃と小泉政権が
其れを支持するのに断固、抗議する!!』と叫ぶ
そこまではイイとして、その後に
『我が党は北朝鮮の日本人拉致問題の解決には長年、積極的に取り組んで
おり、今後も、その姿勢は変わりません〜』
おいおい、ドサクサにまぎれて、よく言うよ(核爆

>フセインは軍人出身?
聞いた限りでは、バ−ス党に入り、党の治安情報部門で
頭角を表わしていった〜とゆうから厳密には軍人出身
では無い〜と思っていたのですが。
党の治安情報部門から国のトップになった権力者といえば
スタ−リンも似たところがあるし、
フセイン氏はスタ−リンにあやかっているのなら
ごく自然に感じます。(爆死




#3880 
りん 2003/03/21 16:21
おそらくですが

フセインが考えているのは、アッバース朝ではなく、バイバルスではないでしょうか
いくらなんでも、敗者に自分をなぞらえるという事はしないでしょう
モンゴル軍からイスラム世界を守護した英雄といえば、あちらではまずバイバルスがあがるといいます(対十字軍ならサラディンですね)
バイバルスは奴隷出身で、フセインも貧しい家の出身です。どちらも軍人として頭角をあらわし、政権を手にしたという点も類似しています。
実際はバイバルスのマムルーク朝はエジプトが政権の中心だったんですが、イスラム世界の守護者という意味で考えれば(フセインも意図的に、アメリカをイスラムの敵としたがってるようですし)なるほどフセインが自分になぞらえるのも無理はないかと



#3879 
ホリ−・ハンタ− 2003/03/21 08:29
アブラカダブラ

>民本主義サマ
フセイン氏がアメリカ軍をモンゴル軍に例え
なるほどアッバ−ス朝がモンゴル連合軍に滅亡
させられた〜というのは何か記憶にありますねぇ
でもアッバ−ス朝って今のイラクの地から興ったのかどうか
よく解からないのですが、どうなんでしょうか?
モンゴル軍は、手始めに隣のペルシアを制して
イル汗国を建国して蒙古の中東進出の拠点としたとか何とか
は聞いた事があります、そこらはパ−レビィ王政を支援した
アメリカと似ているかなぁ?
イラン・イラク戦争の終盤、イラクはイランの大攻勢で
バクダットを包囲された事がありましたね。
結局イランはバクダットを陥落させられなかったわけですが
そういった地勢的に手強い拠点バクダットであるようですね。

>イラク戦争後に当地に吉田茂、鳩山某のような政治家は出るか?
まぁイラク人の中に、そんな人間は出ないと一刀両断するのは
イラク人にケンカ売るみたいで、そこまでは言いませんが
鳩山某のような人間がイラクに出て、その後の家系に
鳩山ユキオ氏みたいな政治家がイラクに出るのを想像すると
ちょっと寒くなりますね。




#3878 
民本主義者 2003/03/21 06:20
「現代のモンゴル軍」

http://www.nikkei.co.jp/sp1/nt54/20030117AS2M1701M17012003.html
元ネタは多分これです。以下、日本経済新聞社NIKKEI NETから引用。
「(1/17)イラク大統領、米政府を挑発「自殺行為を犯す」
バグダッド=松尾博文】「現代のモンゴル軍(米国)はイラクの門前で自殺行為を犯すことに
なるだろう」――フセイン・イラク大統領は17日、湾岸戦争から12年を記念したテレビ演説
で一段と強い口調で米政府を挑発した。米国を、中世にイスラム世界を攻撃したモンゴル帝国
に例えた。」

過去にアッバース朝の首都バグダードを陥落した「勝者」に敵をたとえてどうする?!
かつての日本の「神風が吹く」の逆ですな。これで士気が揚がるのでしょうか?
それともヤケクソかな・・・。




#3877 
ブッチャ−3世 2003/03/21 02:22
メソポタミアの地

>徹夜城さん
フセイン氏は、よく歴史を引き合いに出しますね
そういえば、自分とこの国がメソポタミアの地
の大部分とゆうこともあって、発掘事業も自前で
やってたりと、もっとも自分の政策のハク付け
ってのが大部分なんでしょうが。
彼の持論で、よく出てくるのが自分の過激戦略は
スンニ派イスラム教の為を思って〜等がよく出て
きますが、クウェ−トを占領した時点で、其れは
もう効力が無いといっていいんではないですかねぇ。
彼は、イランと戦争し、それがアメリカの対イラン革命
の代理戦争で、クウェ−トは代償として貰えて当然と
思って侵略したのだろうと思います。
そんな数々の彼の無茶政策に付き合わされたイラクの
国民の皆さんの今までの疲労も大変なものです、
フセインの圧政の例を挙げたらキリが無いんですけど
フセイン体制を批判した政治犯は銃殺刑となった際
銃弾の代金の請求書が被銃殺者の遺族に回されるとか、
彼の国内での大粛清の風評はスタ−リンと似た面も
あり彼がスタ−リングラ−ドの戦いを引き合いに
出したのなら、自分で言ってりゃ世話ない〜
と感じます。ところで徹夜城さん、
フセインがイラクを攻めるアメリカ軍をジンギスカンの軍と
模してたのを間違っていると指摘されたのは
どういったところが?
蒙古連合軍が中東を攻めたのはペルシアまで〜といった意味で?
あるいは蒙古連合軍は中東戦略では同じ回教勢力を味方にし
対イスラム戦では、イスラム兵の多い軍で攻めてた〜とゆう
点でですか?




#3876 
徹夜城(ついさっきネタをみつけた管理人) 2003/03/21 01:06
作戦名追加。

さっきの書きこみ後、新聞サイトなどまわってましたら見つけました。

米軍がアフガン南部でアルカイダ残党などに対する作戦を開始したらしいんですが、こちらの作戦名は、

「勇敢なる攻撃」

…だそうであります。
なんか、勝手にやってろ、と言いたくもなってきますな。



#3875 
徹夜城(まだ史点が書き進まない管理人) 2003/03/21 00:48
「室町“太平”記」48回アップ。

もう三十分ほど過ぎましたが、いちおう二十日付けで更新しました。あと二回だ!
戦乱ばっかりの内容のくせになぜか『太平記』という謎のタイトルをそのまま引き継いで僕も書いているわけですが(「太平記」のせいで日本では「○○太平記」とつくと全部戦乱とか大騒動のお話になってしまった)、実際にどうやら「太平」らしい時代に到達して(このあと応永の乱があるけど)、『太平記』の作者が「太平」というタイトルにこめた思いを何となく共有したような…って気もしてます。相変わらず戦火が勃発してる昨今、なおさら。

>ホリー・ハンターさん
「スターリングラードの戦い」については単純にアメリカをナチスドイツになぞらえて「逆転勝利」とぶち上げたんでしょうね。ま、無理だと思いますが。
 フセイン大統領の歴史知識はいささか怪しいのではなかろうか、と思ったのは前にも書いたネタだと思いますけど、一ヶ月ほど前ですが、アメリカ軍を「20世紀のモンゴル軍」と呼んで「バグダッドの前で滅びる」とかなんとか言っていたような覚えがあるんですが、13世紀のモンゴルの話をしているんであれば大いなる事実誤認のような気も…あれはあくまで例えなのかな?
 それにしてもチグリス・ユーフラテス川の話も出てきますし、文明発祥以来人間自体はなかなか進歩しませんなぁ。

>民本主義者さん
まぁ牟田口中将の「ジンギスカン作戦」は気分で個人的につけたものなので堂々と公表していたものではなかったのではないかと。ジンギスカンが出てくるのはこの戦争当時の「アジアが白人を圧倒してやる」という意識の中で彼の存在が思い起こされたからでもあるでしょうね。歴史映画でもこの時期に「阿片戦争」(これは負けた例だけど)だの「成吉思汗」だの「鄭成功」だのが製作されていたようですから。
 んで、このジンギスカン作戦がどうなったかはご存知の通り。どうも僕の祖父もインパール作戦に参加していたらしく(ビルマ戦線って事は確かなんだけど確証無し)、壮絶な体験をして九死に一生で復員してまして、僕にとってもそれほど縁遠くないところにあるんですよね。
 それにしてもブッシュ政権は実際にイラク占領後の「民主化政策」を日本占領時を参考に構想していると言われますよね。この日本占領期の憲法やら各種民主化政策を「アメリカに押し付けられた」と目の敵にしている日本の保守・右派系の方々の多くがこぞって今回のブッシュ政権のイラク攻撃に「自由と民主主義のため」と称して陶酔したように賛成している(一部気にしている人はいるにはいたが)という現象はかなり興味深いものであります(笑)。

>ブッチャー3世さん
いつも見ておられるそうで、どうもです(^^)。
まぁ戦中の日本もそうでしたが、軍事支配がいやになっている、というところはイラクでもあるとは思うんです。しかし問題なのはアメリカやイギリスなどにそういう政権を勝手に倒す権利がいつ認められたんだ、ってことですね。まさに「俺が法律だ」状態で。それでもさすがに太平洋戦争の時にみたいに東京大空襲とか原爆投下みたいな戦意喪失ねらいの意図的大殺戮を行わなくなっただけ多少は進歩しているのか…と思いたいんだけど。
 実際気になるのは「その後どうすんだ」ってことなんですよね。なんとなく最近イランの原発建設にからんで核疑惑がどうのとアメリカで騒ぎ出しているのが気になるんですけど…「イラクを足がかりに中東全域を民主化する」とかなんとか言ってましたしねぇ。



#3874 
ホリ−・ハンタ− 2003/03/20 22:11
リメンバ−・スタ−リングラ−ド

『米軍は、スタ−リングラ−ドでナチ独軍がソ連軍に
敗北したようなザマをさらすであろう』
とフセイン氏はのたもうたとか。
あの都市は現在はボルゴグラ−ドに改名してたんでしたね
スタ−リンにあやかろうとゆうわけでしょうか?
フセイン氏(自爆
スタ−リングラ−ドの戦いは、ソ連軍、冬をドイツ軍の
包囲に耐えしのぎ、春、雪解けで戦線一帯がヌカルミ
戦線が文字通りドロ沼化・湿地帯と化し、
ドイツ機甲師団の機動力が損なわれたのも敗因として
少なくないとゆうような話しを聞いたことが。
フセイン氏、ヤケクソでチグリス・ユ−フラテス上流の
ダムを決壊させ流域のイラク南部に洪水を起こし
米英・南部方面軍の戦線をドロ沼化にする危険も
あるかな?(恐





#3873 
民本主義者 2003/03/20 14:18
ジンギスカン作戦

ジンギスカン作戦ってなんじゃ?と思って検索したら、インパール攻撃の際に
日本軍が採用した作戦で、牛に荷物を背負わせて、目的地に着いたら屠殺して
食うことだそうです。命名者は牟田口中将。なんだかなあ。
ジンギスカンなら馬や羊だろ!ってそういう話じゃない。

現代アメリカの軍事作戦の名前は、変なのを付けるとすぐに反戦活動家の宣伝に
使われてしまうので、思いっきりミもフタもない名前しか付けられなくなったと
「軍学者」兵頭二十八氏が著書に書いていました。

もうこうなったら、短期に戦争が終わって、マジに「自由」で「民主主義」な政権が
樹立されることを願うばかりです。
敗戦後の日本における吉田茂や鳩山一郎のような人はイラクにいるのでしょうか?
(いや、いなさそうだなあ・・・。



#3872 
ブッチャ−3世 2003/03/20 06:47
緩やかな死と急激な死

『もう我慢できない、おい、そこの記者さん、
ブッシュの電話番号を知らないか?知ってたらこう伝えてくれ
早く攻撃しろ〜と、オレ達は十年以上もフセインに我慢してきて
もう耐えられん、アンタ死ぬのなら不慮の事故で即死すんのと
ガンで長い期間苦しみ続けて死ぬのと、どっちがイイと
思う?』
これは、バクダットのホテルマンが、西側の記者に
言ったセリフだそうで。むろんイラク国民すべての
意見ではないでしょうが、
ドイツがフランスを占領してた時、仏住民が
米英の空爆を望んだ時期もあったし、
太平洋戦争で米の日本空爆の現場で、ドンドン爆弾、落とせ
と叫びラリっていた自虐的日本人が複数いたことも
あったそうです。



#3871 
ブッチャ−3世 2003/03/20 01:11
イスラム原理主義

よく読ませてもらってます、で、ちょっと気になる
事が、イラクにフセイン政権が無くなった後
イスラム原理主義・政権ができる
うんぬん〜を心配されてた文があったが、とゆう事は
イスラム原理主義とはイスラム教の中でも異端で良からぬ
主義と認識しての事だと思うが、私個人の知るかぎり、
イスラム原理主義とゆう呼び名は、西洋の識者が、
イスラム教を利用した過激勢力の世界中での横の繋がりを
揶揄して適当に命名しただけで、普通のイスラム教徒の前で
イスラム原理主義とゆう言葉を持ち出すのは
彼らにとって精神衛生上、良くないとゆうか
結構ムカつくのではないかと思う。



#3870 
徹夜城(明日史点が書くことになるかなと思う管理人) 2003/03/19 23:24
開戦前夜かも知れぬ夜に

ちょいと各種レスが遅れました。すいません。

>まずはムロタイ関係。
現実逃避するかのようにこちらの話から(笑)。
若水さん、アール・ケイさん、ご感想どうもでした。頼之さんの最期の場面はこの企画の構想以来あれこれ考えていたんですけど、結局アップの前日、執筆中に決定しました。けっこういい加減な構想姿勢でありますな(笑)。
まぁ言い訳がましくというか、作者の立場で言わせてもらいますと、所詮は書いているときの気分と雰囲気で(どっかの首相みたいだ)決めるんですね。ドラマの演出なんかでもそうですけど、その現場に立ってみて初めて見えてくるものがありますし。頼之さん臨終のセリフは記録があるもの以外は、その場面の頼之さんの気分になって書いてみました。あんまり劇的なセリフ言ってガクッと死ぬというのは僕はあんまり好きじゃないんで、あんな感じになったんですね。

二月に放映されたNHKの大河名場面集では「男の死に様」と題して死ぬ名シーンをやってましたね。弁慶や信長みたいに戦死・自害というのはおいといて、「新平家」の平清盛(仲代達矢)みたいに病死でも急に立ち上がってあれこれしゃべってガクッとやたらハデに死ぬ場面って結構ありますよね。TBS製作の正月ドラマ「源義経」なんかでは清盛がなぜか突然空中一回転ジャンプを決めて死ぬと言うのがありましたが…(笑)。

「太平記大全」でも書いたことですが、大河ドラマ「太平記」の脚本の池端俊作さんって病死の場合絶対に臨終シーン描かないんですよね。不自然になるからという思いがあるんじゃないかな。足利貞氏(緒形拳)の場合は部屋に入ってみたらもう死んでいた、後醍醐天皇(片岡孝夫)の場合は遺言言って倒れるけどまだ息があってナレーションで翌日死んだことが語られる、だいいち主人公の尊氏自身死ぬ場面は描かれませんでした。ホントに徹底してますね。

>+αさん
ご投稿の文章、じっくりと、かつ深い共感を持って読ませていただきました。
僕もここ数日あれこれといろんなことを考えていて、「史点」書き始めてもなかなかまとまらないんですが、とにかくおっそろしくアホらしいことがおっぱじまるということに虚しさと言いますか、今後歴史はどうなっていくんだろうと不安感が募ってますね。
 それにしてもアフガン攻撃あたりから見えていたことではありますが、アメリカの作戦指導部(大統領以下含む)は何かとてつもない勘違いと自己陶酔に陥っているんじゃなかろうかという気がしてきます。「イラクの自由」っちゅう作戦名には「フリーダムフライ」以上にあきれ返って笑うと言うより背筋が寒くなりましたね。
 もちろん政治的な宣伝ということはあるでしょうし本気度はある程度割り引けるでしょう。でも、ここしばらく続くこの手の作戦名とブッシュ政権閣僚、さらには能天気に政府の言うことを信じるアメリカ国民の一部(いや大部分?)を見ていると、「本気度」は存外高いような気がします。「大東亜共栄圏」だの「ジンギスカン作戦」だのやっていたどこぞの軍人たちを思い起こしてしまうんですな、わたしゃ。



#3869 
ホリ−・ハンタ− 2003/03/19 07:00
残り24時間?

>貧乏神サマ
ストイックと書いたのは、ちょっと語弊があったです。
貴方の言われる、タヒチ等の悠々自適にフセイン氏ご一行
をフランスが、ご招待でも、結構ストイックな案かも。
ようするにフセイン氏一行に政治的野心を抜いてもらう
ということで。しかし、ムルロア核実験が尾を引いて
いそうで、フランスは、かの地を選択するのは困難かも。
南米の仏領なら中東から遠いし、南米には、あまり
イスラム原理主義の影響が無さそうだし、
フセイン氏が政治家として復活できず、
大人しく普通の人間をヤレそうな気がします。



#3866 
+α 2003/03/19 02:16
フセインは直ぐには亡命せんでしょう

 戦争に負けそうになれば逃げるでしょうけれど。

 しかし、小ブッシュは、イラクを潰した後に発生する混乱を、どうする積もりなのだろう。私はどうしてもそれが判らない。

 独裁者を追放すれば、自然に民主的な親米政権が出来るとでも思っているのだろうが、現実には、むしろ、イスラム原理主義的な反米政権が誕生する可能性が非常に高い。
 まがりなりにも、政教分離の進んだ、イスラム原理主義の影響の薄いフセイン政権の代わりに、イスラム原理主義的な反米政権が誕生したので、状況は現状よりも悪化する。
 それを防ぐために、占領を長期化すれば、駐留アメリカ軍は、反米グループのテロ攻撃にさらされることになる。米軍の誇るハイテク兵器も、テロ攻撃を防ぐにはさして役に立たない。イラクを占領したアメリカ軍は泥沼の消耗戦に陥ることになる。
 しかも、他の中東のイスラム諸国は、同じイスラム圏のイラクが潰されれば、国民感情からも、反米的といかないまでも、アメリカに距離をおかざるを得なくなり、アメリカの中東における影響力は減少することになる。
 その上、イラク北部のクルド人が独立したりすれば、トルコ領内のクルド人の独立運動を刺激することになるから、混乱はトルコにも波及する可能性がある。
 もし、トルコ領内のクルド人が独立闘争を開始し、それを、イラク北部のクルド人が支援し始めたら、アメリカはどうするつもりなのだろうか。
 アメリカは、NATO加盟国として、トルコの安全を確保し、その混乱を回復するためには、北部のクルド人勢力を押さえる義務を負うが、そんなことをすれば、中東諸国の反米感情はますます高まる上、フセインを攻撃した大義名分を失ってしまう。
 こういう事態が起こった場合、小ブッシュはどうするのだろうか。

 何度考えても、アメリカが、この戦争をするメリットがどこにあるのか、私にはさっぱりわからない。
 アメリカ軍は、イラク軍を勝つことはできる。それは、間違いない。
 しかし、その後、どうするのか、どうする積もりなのか、どうしたいのか、最も大事なことが全く判らない。 
 アメリカがイラクを攻撃することが決まった以上、こんなことを幾ら言ったところで、何の意味もないのことは重々承知している。
 しかし、予測していたとはいえ、馬鹿馬鹿しく、何の意味もない、としか言いようのない戦争のため、人命が失われることを考えると、気が滅入ってくる。
 しかも、ネットを見れば、お利口ぶった馬鹿が、戦争はやむを得ないとかなんとか言っているのをみると、更にやり切れない気持ちになる。

 というわけで、誠に申し訳ありませんが、胸にたまったものをはき出させて頂きました。お見苦しい点は、深くお詫び致します。

http://homepage1.nifty.com/SENSHI/


#3865 
貧乏神 2003/03/19 00:49
亡命先

別にストイックな余生を送らなきゃならん理由はないわけで、タヒチやニューカレドニア
あたりで悠悠自適というのは悪くない話だと思うんですが、どうでしょう。私なら
ふたつ返事でOKしますが、って、そういう話じゃないか。




#3864 
ホリ−・ハンタ− 2003/03/18 20:49
リミット48時間も結構過ぎました

戦争回避の最後の悪あがき〜とゆうか、
ここは、常任理事国のロシアとフランスがフセイン氏の
退陣と亡命を説得するより他は。
亡命先を決めるのも難渋しそうですが、
フランスは世界中に手放してない仏領を点在させてますし
ここは1発、ナポレオンの島流しみたく
独裁者が頭を冷やしてストイックな余生を送れる地を
提示して、亡命説得に成功してほしいもんです。
何より、フセイン体制が退陣して一味が人畜無害な
国外退去&亡命をすれば軍事攻撃は無い〜と
公言してんのは当のアメリカ政府ですからねぇ。



#3863 
ホリ−・ハンタ− 2003/03/17 00:05
イラク

>世界第二位の石油埋蔵量
イラクに関しては、こうゆうデ−タ−を聞いた事があります。
フセイン氏が政権を取ってから軍備増強を追求しなかった場合
も、結構、普通の国で栄えそうな気がするんですが
彼の体制の過激性には必然性があるんでしょうか?
イラン・イラク戦争で、アメリカがイランの反米革命の
防波堤にイラクを支援したのは、皆さんもよくご存知でしょう
この間、アメリカの報道番組の日本語訳(字幕)番組で
イラン・イラク戦争中、米使節とフセイン大統領との会見の
映像が。米使節はフセイン閣下にアメリカはイラクに支援
する旨を伝え、両者、熱い握手を。その米使節、どこかで
見たような顔なんですが、誰あろう現在の米国防長官
ラムズフェルト氏(核爆
その映像を流した番組では、ゲストにラム君当人がいて
キャスタ−が当人に、この映像を見てどう思いますか?
と聞くと、ラム君の返事の字幕は
『誰だ?!(怒)今頃こんなVTRを持って来る奴は!(激怒』




#3862 
若水 2003/03/16 23:17
「明徳の合戦」を楽しんでも「イラク攻撃に絶対反対」な若水です。

> 徹夜城 さま
ムロタイ更新ご苦労様です。
そして、奉公衆について教えてくださり、ありがとうございます。(遅くてすみません。)

奉公宗は将軍直属の独立した軍事組織だったのですね。
3千騎ということは従兵を入れると総勢は万を超えるんじゃないでしょうか。
構成員も足利家と縁が深そうで、信頼できる軍隊ですね。
しかし、なぜ室町幕府はこの強力な武力を維持・発展できなかったのでしょう?
この後の将軍さんたちは、軍事行動といえば各地の守護に御教書を発して、対象を討伐させていて、奉公衆の活躍が少ない…(私が知らないだけかもしれません。)
もし教えて頂けるのでしたら、いつでもかまいません。ムロタイの更新最優先でよろしくお願いします。

さて、皆さん歴史マンガの話題で盛り上がってらっしゃいます。
私も件の小学館の学習マンガは大好きです。
学校の図書室で繰り返し何度も読みました。
それに、学習マンガは決まった小遣いをもらっていなかった私にとって、親や祖父が進んで買ってくれる貴重な楽しみでした。
特に祖父が歴史好きで、歴史関係の学習マンガをたくさん買ってくれました。
私の歴史好きのきっかけは、間違いなくこの祖父の影響です。

しかし小学館の歴史マンガは、まだ低学年の私にはちょっとレベルが高くて、最初にはまったのは学研の「人物日本史シリーズ」でした。
今でも大事に持っているこのシリーズの中に、ありましたよ「足利義満」が!
独特で味のある絵とギャグの広岡ゆうえいさんが書いてらっしゃいました。
ムロタイでの名場面もいくつか出ています。
義満が琵琶塚の景色を担いで持って帰れと命じたエピソード。義詮が死の間際、頼之に義満を託すシーン。
そして細川頼元が頼之の死を義満に報告するとき、「兄・頼之は念願だった、大勢力の山名氏を討ち、思い残すことはないと申しておりました。」といっておりますが、これも明徳記の「本懐至極」が反映されているのかなあ?
それからこのマンガでも義満さんは、途中まではさわやかな青年将軍だったのですが、出家した以降は腹黒そうな狸親父になっていました。(笑)
でもこのマンガの特徴は、義満の人生観に独特の「美を追い求めるこころ」を持たせたことで、朝廷についてあまり触れずに義満が「日本国王」を目指した心理を表現したことです。
マイナーな話ですが、読んだことのある方いらっしゃいます?

PS なぜ「天兵」は年をとらない!?




#3861 
アール・ケイ 2003/03/16 23:01
男子の本懐

有言実行、本当に急ピッチでエピローグに突入ですな、ムロタイは。
頼之臨終のシーンは、「声を出して読みたい日本語」させていただきました(笑)。
いえね、これは名シーン、と思うような場面は昔から(あんな本が出る前から)
音読するのが私の習慣でして、それで標準語も身についたんですけどね。
(呂律が回るのなら、アナウンサーや声優に、という夢もちょっとだけありましたっけ)

しかし、いよいよ、愚者たちの戦争が始まるのでしょうか。
自分や自分の肉親が兵隊として第一線に参加する気構えもないのに
戦争に賛成するのはバカですが、
さりとて国連がその機能を停止するさまも見たくはありません。
(たとえ国連平和主義が幻影であるとしても)

http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#3860 
徹夜城(長いつきあいのキャラクターを抹殺するのはいつも物悲しいと思う管理人) 2003/03/16 17:02
「ムロタイ」47回やっとこさアップ。

予告より一日遅れましたが、47回を先ほどアップしました。やれやれ、長かった…ってまだ終わってはいないですけど、この場面を目指して書いて来た、という回でしたので、アップしてかなーり肩の荷が抜けた思いがします。あとはもうつけたしだよなぁ。

>マンガ「日本の歴史」関係。
おやかたさんもお書きでしたが、あの小学館版の内容はハッキリ言って高校以上。もちろん読むぶんには小学生でも読めるのですが、高校で日本史習って改めてこの漫画の内容の高度さが分かったものです。けっこう専門的なことまで突っこんで書いているところもありましたしね。
最近仕事先で全巻の新バージョンがそろっているのでちょっと手に取ったのですが、僕が買っていた当時のものと第一巻だけ全面的に描き直されてますね。弥生・縄文のイメージの変化という大きな背景があったからだと思いますが。そういや旧石器捏造騒動に関してはなんかあったんだろうか。そこまではよく読んでなかった。

アニメ「まんが日本史」ですが、2ちゃんねるの日本史板でスレッドがありましたよ。まぁそれほど情報が出ていたわけではないですが…
日本史をやりながらも最後の一分ほど同時期の世界史状況まで説明してくれていた、なかなか本格的なものでした。僕は飛び飛びにしか見てなかったのですが、古代や戦国あたりはちょっと覚えています。「原作」との大きな違いが心に残ったのは奈良の大仏をつくるくだりで行基に心酔する庶民キャラが、行基の大仏建設への協力に疑問を呈する捨て台詞をはく、という場面でした(かなり記憶があいまいですが)。



#3859 
ひで 2003/03/16 13:04
典拠

>3月15日
スエトニウス「ローマ皇帝伝」のカエサル伝にその話は出てきます。ローマもこのときには太陽暦に移行してます。ちなみに太陽暦以降の前年はそれまでの調整と閏月で3ヶ月増えて、1年が15ヶ月もあったそうな。



#3858 
りんたろう 2003/03/15 22:30


 徹夜城さん、早速のご返信ありがとうございます。こちらこそ大河『太平記』を取り上げて下さり、嬉しいかぎりです。
 小学館『漫画日本の歴史』は、やはり傑作だったのですね。私もこの漫画で歴史にはまり、大河『太平記』でのめり込みました。それにしても、漫画日本の歴史ブームがあったとは、存じませんでした。残念ながらアニメも観ていません。是非観てみたいものです。
 これからも宜しくお願い致します。



#3857 
おやかた 2003/03/15 21:51
小学館漫画「日本の歴史」

以前話題が出たときもお邪魔しました。
私も全巻持ってまして(毎月楽しみに買っていました)
このシリーズには本当に助けられました。
センター入試の日本史は、この漫画で得た知識で乗り切りました。

この漫画、いろいろすごいところがあると思うのですが、小さなシーンや
ちょっとした描写も、ほとんど裏づけがあるのですよね。
例えば、信長が朝倉攻めの最中に浅井に裏切られるとき、「袋に入ったネズミ」のカットが入ります。これって、お市が袋に入れた小豆を兄に送って窮地を救ったという事実に基づいてます。子供向けに分かりやすい絵で表現してると見せかけ、事実に基づいているという細かさ、正確さ。随所に見られると思います。





#3856 
ホリ−・ハンタ− 2003/03/15 20:41
今日は何の日?

土曜日〜
ってボケたいのでは無いですが
ある筋からの話しでは、今日、3月15日は
ジュリアス・シ−ザ−がブル−タスに暗殺された日だとか。
裏は、ちょっと取りようないですね、なにぶん
千数百年以上も前の話しですしね〜
いや、もっと前か?(自爆

>えた・ひにん
今のホ−ムレスの人々の中には、前身が大学教授の
人もいたりと、自ら世捨て人になった人もいるようですが
江戸時代の、えた・ひにん は固定された階層だった〜
と学校の日本史の授業で習い、ちょっと寒くなった記憶が。
ジョン万次郎は、晩年、日本に帰国したとゆう話しを
聞いたことが、万次郎は何を思ったか、東京の
えた・ひにん の人々に施しを惜しみなくして
その階層の間では大恩人として慕われていたそうで。
まぁ、洋行に成功して帰国した者の気まぐれの厚意と
言ってしまえばそれまでですが、
当人も漂流して、えた・ひにん のような有様で
死に掛けてたのをアメリカの捕鯨船に救出された過去が
あったから、江戸から東京になっても、えた・ひにん の
生存環境が変わり映えしなかったのを見て、
他人事とは思え無かったのでしょうか?



#3855 
徹夜城(歴史にのめりこんだキッカケはやはりマンガだったと思う管理人) 2003/03/15 11:30
小学館『学習漫画・日本の歴史』は名作でした。

>りんたろうさん。
「太平記大全」「室町太平記」お読みいただきありがとうございます。「太平記」ファンが新たに姿を現してくださると、いつもながらとても嬉しいです(マイナージャンルってこともあって)。
「ムロタイ」はホントにスパートかけてますので、一気に終わらせたいと思っています。

さて、小学館学習漫画『日本の歴史』ですが。
ずいぶん以前にもこれについては書いたように思うのですが、紛れも無く傑作であったと言っていいでしょう。初版発行からかれこれ20年近く経つんじゃないかと思うんですが、今なお読み継がれるまさに「歴史的」作品と言っていいと思ってます。
この当時、各社で競って漫画「日本の歴史」を発行してましたが(確か他では集英社と学研のがありました)、この小学館のものは完成度がまるで違ってました。監修・シナリオなどスタッフの数が半端ではなく、それでいて執筆する漫画家は「あおむら純」氏ただ一人(もちろん相当数のアシスタントがついたでしょうが)という異例の一大事業です。聞くところではあおむら氏、この仕事のために一時目を悪くされたとか…。
発行当時、この漫画日本の歴史ブームは新聞でも取り上げられ、当時の朝日新聞に「政権奪取へ向けガッツポーズをとる後醍醐天皇」なんてキャプションつきの写真(もちろん小学館版漫画からのもの)が出てなんとも愉快な気分になったこともありました(笑)。サラエボ事件のシーンでオーストリア皇太子が乗っていたのが馬車だったのか車だったのかつきとめてスタッフが車をじかに取材していたなんてエピソードも紹介されてましたね。

全体の監修にあたっていた児玉幸多氏(ご本人は確か元禄時代がご専門なので実際どういうお仕事をされたのか分かりませんが)は学習院の先生ということもあって、現在の天皇が即位した直後に行われた、天皇と皇太子に歴代天皇の事跡を講義する儀式でも教授役をつとめていたりしました。まさか漫画は読ませなかったと思いますが…(笑)。もっとも皇太子は史学科なんで教えられなくても基本線は知っていたと思いますけどね。

この小学館版「日本の歴史」は全巻発行直後にアニメ化されてましたね。「まんが日本史」ってやつ。これ飛び飛びに見てました。そのため南北朝や義満あたりがどう描かれていたのか全然知らないんですけど…ご存知の方、おられません?

 漫画の「日本の歴史」じたいは集英社の旧版のものが最初なのかな?昭和40年代ぐらいに出たと思われるやつで、小学校の図書館に入っていたものを読みふけった記憶があります。いま見ると結構「皇国史観」的な傾向が否めないものですが…例えば神武天皇やヤマトタケルも堂々と描かれてましたし(神武のほうは一応「伝説」として扱ってましたが)、南北朝時代の巻でもそれまで割とカッコ良く描かれていた尊氏がもう一人天皇を立てようと言った途端に悪人ヅラになったりしてました。
 ただ全体のノリはむかしの講談本的歴史ばなしといいましょうか…なかなか面白く読んで僕が歴史にハマるキッカケになったのは明らかなんですね。今はあの内容のままで出すのは無理だろうな、いろいろと。



#3852 
りんたろう 2003/03/14 22:21
小学館『漫画日本の歴史』

 はじめまして。りんたろうと申します。こちらのサイトには、以前からお邪魔しておりましたが、今回初めて書き込みさせていただきました。私は大河ドラマ『太平記』の大ファンでして、徹夜城さんの『太平記』大全を本当に楽しく拝読させていただきました。もちろん、『室町太平記』も毎回楽しみに致しております。あともう少しで完結とのこと、今からどんな「エンディング」になるのかワクワクしながら待っています。徹夜城さんもご多忙でしょうに、最近の連続更新には、ただただ頭が下がります。ラストスパート頑張って下さい。
 さて、小学館『漫画日本の歴史』での義満と頼之の密談シーンですが、確かにあれはなかなかにインパクトのあるカットですね(笑)。あの漫画は、なにげない場面の時代考証にもかなりこだわっていて、後で読み返してみても作り手のこだわりを感じることができる漫画で、何度も読み返しました。おかげで、細川頼之というと、どうしても「あの顔」が頭に浮かんできてしまいます(笑)。



#3851 
ホリ−・ハンタ− 2003/03/14 14:38
大学生ブッシュ

>現アメリカ大統領 殿は、かつて〜

どっかのTV番組で、今の米大統領が、かつて通っていた
大学の日本人教授、つまりブッシュ閣下の恩師に日本人の
人がいたとか。興味本位炸裂の聞き手が、その日本人教授に
ブッシュ閣下は、どんな生徒でしたか?と聞くと教授曰く
『頭は悪く無かったが、思いやりの無い子だったねぇ
誉めると舞い上がりやすい青年、
周りがチヤホヤする環境だったとゆうか
まぁお父様も大統領になったくらいの実家だから仕方も
ないかもしれんが』
教授の口に衣着せぬ物言いに拍手(自爆
もっとも、この映像は
アメリカでは放映しないのでしょうが。






#3850 
徹夜城(誤字には気をつけたい管理人) 2003/03/14 01:12
文字訂正とつけたし

下の書き込みで「後馬廻」はもちろん「御馬廻」が正しいです。どうやって打ち込んだか良く分かる誤字でございますね(^^;)ドラマ本文中では面倒なんで「奉公衆」で統一させていただいております。

これだけというのも何なので。
石ノ森章太郎の「マンガ日本の歴史」(これも中公文庫だ)の第20巻がまるまる義満時代がテーマとなっているのですが、明徳の乱のくだりはかなり佐藤進一氏の著書を参考にしたようで、セリフまわしなどにそれが表れてますね。山名と和平を結ぶべきとの意見に対し(そういう意見が出るだけ結構きわどい勝負だったということはいえる)「足利家と山名家どちらに運があるか天にまかせようではないか…!!」と大見得を切り、「奉公衆を出動させるのだ!」とアップで命令を下しております。氏清はなぜか矢に当たって戦死してますな。頼之さんの出番は全く無し。このマンガでは頼之さんの出番は康暦の政変で実質的に終わっちゃってまして政界復帰のことは文章で片付けられてしまいました。

むかし愛読していた小学館「学習漫画・日本の歴史」の明徳の乱のくだりは、山名を叩き潰す陰謀をめぐらす義満と頼之のシーンが凄い(笑)。今出てるバージョンでもこの巻はほとんど変化がないはずなので興味のある方は御覧ください。義満と頼之がまるで悪代官と悪徳商人の相談みたいに下品に笑いながら密談しております(笑)。義満が大笑いして頼之のはげ頭をブッ叩いたりしています。



#3849 
徹夜城(夜のお仕事から帰宅した管理人) 2003/03/14 00:57
「奉公衆」について

>若水さん
「ムロタイ」第46回、お読みいただきありがとうございます。思えば「ムロタイ」としては久々の合戦スペクタクルでございました。
あの回を書くにあたって『明徳記』を大学の図書館で全文コピーしてここ数週間読み漁っていたんですが、意外なほど義満の登場シーンが多かったです。自ら太刀をふるったり(さすがに直接人を斬ったりはしてないが)、「兵に紛れて氏満・満幸をみかけたら自ら斬って落とそう」なんてなかなか勇ましい発言もしてますね。数え年三十四歳、まだまだ血気さかんなお年頃でもございましょう。『明徳記』は義満の側近が書いたといわれているので多少その美化ぶりを割り引いて読む必要がありましょうが、やはり「王者の風格」というものを感じますね。

「奉公衆」のことですが『明徳記』には「後馬廻三千騎」として出てきます。この直轄軍については佐藤進一『南北朝の動乱』(中公文庫・日本の歴史9)が詳しく書いてました。「ムロタイ」の世阿弥クン解説では長文が鬱陶しいのでカットした分をここに書いて補足しておきましょう。
 それによりますと当時の在京の管領クラスの大名が平時京においている兵は二、三百騎ていどだったので三千騎というのはかなり強大な直轄軍といえるそうで。奉公衆は五部隊に分かれていて「奉公方一番」から「奉公方五番」と呼ばれていました(だから「ムロタイ」でいつも入れている「室町幕府直轄軍第12師団」なんてのはやっぱりギャグでしかないんだよな)。各部隊の隊長は「番頭(ばんとう)」と呼ばれたそうで。
 奉公衆の構成員は鎌倉以来の関東有力御家人や足利一門・譜代の有力者の中から選出され、その中でも家格の高く将軍の信頼の厚い者が番頭になったそうです。新田一族で早い段階で幕府に帰順していたらしい大館氏の持房という人物が1399年に五番の番頭だったという記録があるとのこと。五人の番頭は管領からも侍所からも独立して将軍の統帥のみを仰ぐシステムだったようで、少し後の時代の格式では彼らは守護の次のランクでした。
 この本では奉公衆軍団を維持する経済的裏づけにも言及していまして…少々専門的で難しい文章かも…。要するに京周辺、山城国に領地を与えるようにする、山城国に半済令を下して寺社領の年貢の半分を奉公衆の給与とする、奉公衆たちを将軍の直轄領の代官に任じる(預け置く)といった方法がとられたようです。佐藤進一氏はこの代官制度が織田・豊臣政権、江戸幕府の代官制度のルーツになったという見解をされてますね。



#3848 
景虎 2003/03/14 00:36
また暗殺・・・

暗殺されてしまったジンジッチ首相にお悔やみ申し上げます。
それにしても、暗殺が多いですねえ。

>目明し
『小松藩会所日記』を読んでみると、他にも目明し関係の話が書いてありました。
夫を捨てて駆け落ちした妻の捜索では、藩外に出張していますね。大三島に逃げた可能性を考慮して、藩船で瀬戸内海の大三島まで探索しています。このとき相撲取りと山伏が同行していますが、相撲取りは抵抗された場合に備えてのことなのでしょうか?山伏は、大三島の大山祇神社と関係があったのか、独自の情報網をもっていたのか・・・。そういえば、忍者の起源は山伏という説がありましたね。

>ホリ−・ハンタ−さん
時効については分かりませんが、『会所日記』ではこの後、松山藩領の道後温泉にも行っていますが結局発見できず、帰還しています。十日間探索した結果、打つ手もないので、沙汰やみということで、捜査を中止しています。ただ大坂蔵屋敷に、何らかの情報があれば伝えるように、と命令してはいるようですが。
この後、参勤交代から妻に逃げられた夫が帰ってきていますが、夫は妻敵討ちの旅に出たそうです。何でも妻敵討ちとは、不倫相手を討つことだそうで、その後の夫に関する記録はないそうです。旅をつづけたのか、諦めたのか、返り討ちにあったのか・・・。江戸の浪人の中にはこういう人もいたんでしょうねえ。
因みに、この夫の父は不憫ということで、一人扶持のところを二人扶持に増やされています。



#3847 
若水 2003/03/13 23:37
明徳の合戦の戦勝をお祝い申し上げます

>徹夜城 様
ムロタイ連続更新ご苦労様です。
「明徳の乱」楽しく読ませていただきました。
幕府直轄軍団「奉公衆」の大活躍でしたね。
室町幕府って鎌倉幕府や江戸幕府と比べて、権威で者大名を従えて、直接の武力に乏しいようなイメージだったんですが、なかなか強い!!
将軍への忠誠の源はやっぱり土地だったんですね。では、いったいどういう身分のものたちが、奉公衆に編成されたのですか。
よろしかったら教えてください。

>+α さま
どうぞ、よろしくお願いします。
や、町方同心が「大番組」や「先手組」の(これらいわゆる武官を「番方」というんだったかな?)鉄砲同心とは違うことはわかってましたが、幕府創立以前は鉄砲を持った戦闘部隊だったという意味で・・・。少し舌足らずでした。
ちなみに寛政の打ち壊しの時、「手に余れば切り捨て御免」の権限を与えられて(!)、先手組が出動し江戸市民を威圧したんですが、町奉行所も負けじと(?)鉄砲をかついで巡回したと、何かの本で読みました。どなたか確認できますか?

>パスカルの法則の伝説 様
どうも、はじめまして。
堀田暗殺事件で「危険だから」と老中の執務室が将軍の部屋から文字通り遠ざけられましたね。(笑)
おかげで将軍と老中の間に取次役が必要になり、やがて柳沢吉保が登場し「側用人」の時代が訪れます。




#3846 
曲学の徒 2003/03/13 16:07
私の説にご批判を

神武東征は一世紀末。
神功の新羅侵攻は363年4月。
後漢書倭伝は魏志倭人伝より正しい情報を伝える。
ホケノ山古墳の築造は二世紀半ば。
などの怪しげな説を展開しております。
この掲示板と私の掲示板に書き込んでいただければ幸いです。


http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-kat/nihon/


#3845 
徹夜城(史点になかなかかかれない管理人) 2003/03/13 01:31
史点登場人物が暗殺さる

さっき書きこみ時に書こうかなと思っていたのですけど、もう少し情報が入ってから…と考えて今頃書きこんでます。

先ごろ「ユーゴスラヴィア連邦」がついに消滅し「セルビア・モンテネグロ連邦」になったわけですが、そのセルビア共和国のジンジッチ首相が暗殺されてしまいました。ミロシェビッチ時代以後あれこれ謎な暗殺事件が多発していたこの国ですが、とうとう首相まで殺されてしまいました。
ジンジッチ氏は「史点」では過去2回、2001年7月2日と2003年3月17日に登場していました。

>足利高義Mk−IIさん
「フレンチ」がいやだからと代わりに「フリーダム」っちゅうセンスがねぇ。エスプリじゃなくてマジらしいから困ったモンです。その昔太平洋戦争直前に日本との関係が悪化した際にポトマック川の桜を「日本の桜」と呼ばず「東洋の桜」と呼んだなんて故事を連想したりもして。自由の女神像(あれはリバティーだけど)もフランスに返還かな。
「フリーダム」っていえば映画「ブレイブハート」でメル=ギブソン演じるウィリアム=ウォレスが処刑直前に「フリーダァァム!」と叫ぶベタベタな演出がありましたっけ。



#3844 
足利高義MK−II 2003/03/12 23:39
フレンチをフリーダムにしましょう。

アメリカのフランス嫌悪は、ヒステリーの域に入ったように思われます。

フレンチトーストも「フリーダムトースト」となってしまったようです。

ということは、
フリーダムドレッシング、
フリーダムカンカン、
フリーダムホルン、
とかいう風に変えられてしまうでしょうか?

でも、フリーダムキスはちょっとイヤ。

で、フランス革命を「French Revolution」という代わりに、
「Freedom Revolution」とアメリカでは教えることになるのでしょうか?
それはないと思いますが、
アメリカの共和党議員の馬鹿さっぷりには呆れてしまいます。



#3843 
ホリ−・ハンタ− 2003/03/12 23:09
下尾張の織田家

>パスカル法則の伝説サマ
はじめまして、織田信長の塁系ですが、
織田氏は斯波氏が尾張を支配する際、越前から呼び寄せ
られ重臣衆となったのは定説となってますが、
斯波氏の衰退とともに織田氏は尾張の隅々に実効支配を
広げていったそうですが、その織田氏も2つに割れ
一方は尾張上4郡・本拠を岩倉とした織田氏、
一方は斯波氏を擁した尾張下4郡・本拠が清洲の織田氏。
で、信長の家は、清洲の3奉行のうちの1つの家系
であったとか聞きます、信長の父・信秀も頑張りましたが
信秀は死の直前までの勢力版図は下尾張、上尾張は以前
信長にとっては敵国だったようで、
尾張の両織田氏の反目と敵対は、信長が美濃を制圧する
まで続いたそうで、信長が、義元を桶狭間で迎え撃つ
ちょっと前に将軍・義輝に拝謁した時も信長は
尾張国の半分の支配者といっていいかもしれません、
信長が、その時点では尾張丸々支配してなかったのは
間違い無いようです。
信長が美濃の制圧に手こずったのは上尾張の織田が
美濃・斉藤氏に同調してたのもあったかもしれません。
上尾張の織田氏は斯波氏に反旗を翻したのに対し
下尾張の信長の家は斯波氏の面倒を最後までみていたようで、
信長が尾張の斯波氏を滅ぼした〜とゆう説はどうなんだろ?
斯波の最後の当主を暗殺したのは表面上は信長の配下
では無い人間だったようです。
で、信長の祖父・信定の時代、1533年公家の山科言継が
尾張を訪問、津島と勝幡の織田の館で接待を受けた〜と
記録にあるとか。




#3842 
徹夜城(歴史好きでも年号覚えるのが弱かった管理人) 2003/03/12 23:06
数字間違い大連発

すいません、下の書き込みで「47回」とか書いてますな。「46回」が正しいです…あー恥ずかしい(^^;)。
次の47回がまさに大きな節目ですので作者も頭の中で引っ張られてしまっていたみたいです。
もう一つ間違いがありまして、秀吉関係の話題は史劇的伝言板過去ログの「2001年」の7月ごろが正しく、その1650〜1700あたりの発言にありますね。

それにしても大統領だけでなく国防長官も「危険なバカ」なんだなと改めて実感する今日この頃。スペインの首相が「あいつを黙らせろ」と言ったらしいですが、ホントにそうだった(笑)。
も一つ言えば、「フレンチフライ」を「フリーダムフライ」にして悦に入ってる能天気さんは田舎のハンバーガーショップのオジサンだけでなく国会議員にもいるんだということも良く分かりましたな。



#3841 
徹夜城(このところはムロタイに集中している管理人) 2003/03/12 16:23
ムロタイ第47回アップアップアップ…

はい、三日にして第47回を上げました。「明徳の乱」は元資料がちゃんとあるから創作の余地が無く楽でした(笑)。次回からはとうとう「終章」に突入することになりますね。
もう頭の中は次の企画で6割がた占められていたりするんですが(笑)。

>目明し・岡っ引き
これも朝日百科の「日本の歴史」に文章が出てたんでざっと読んでみました。
こうした与力・同心らの手先として捜査や探索にあたる連中のほとんどがヤクザそのもの、あるいは犯罪者あがりというのは知っていたんですが、それは江戸など関東地方のことで、関西では同じような捜査の手先に使われるのはいわゆる「えた・ひにん」層であったという話が出ていて「へーっ」などと言っておりました。
目明し・岡っ引きもいろいろと変遷はあるようですが、幕末の方の記録なんかによれば、もう庶民にゆすりたかりして稼ぐ公認ヤクザ(?)みたいな存在だったみたい。給料があるにはあったみたいだけどわずかなもので、そういう「たかり」で食っていたということのようですね。なまじ公権力の手先であるだけによけい始末が悪い(汗)。

>パスカル法則の伝説さん
…すごいハンドルネームですなぁ…
稲葉正休をその場で斬ったのは老中だったんですか。それで解任、その後許されてると言うことはまあある意味「正当防衛」とみなされたということなのかな?にしてもこの堀田暗殺事件はうさんくさいことこの上ないのは確かですね。忠臣蔵の松の廊下ほど話題にしてもらえないですけど。

 秀吉の先祖うんぬんの話、どこにあったっけ…と検索サイト経由で自分のサイトの過去ログあたったら見つかりました(だいたいその法師の名前で検索するとここの過去ログともう一箇所ぐらいしかヒットしなかった)。2000年7月なんて時期なんだなぁ…。これだけ膨大に過去ログあってしかも話題が多岐にわたってるから、どこからどう検索で飛んでこられるか分かったものじゃありません(^^;)。
 とりあえずこの辺の話はご存知の方が書いてくださりませ。



#3840 
パスカル法則の伝説 2003/03/12 05:17
稲葉正休なます斬り

 どうも。はじめてお便りします。
 早速ですが堀田大老事件について私の情報を。堀田大老暗殺事件の犯人・稲葉正休を惨殺したのは時の老中たちであり、処罰は当初老中解任だったとか。結局許されましたが。またこの一件もあって将軍綱吉は老中たちを遠ざけたといいます。

 ところで、以前この掲示板でも書かれていましたが、豊臣秀吉の先祖って分かっているのは昌盛法師からだそうですね。
 この人物は一体どのような人物だったのでしょうか。近江浅井氏の一族であるという説を耳にしたのですが、確認が取れません。あと織田信長の祖父信定・孫秀信について両親とか係累とか家臣とか、分かっているだけでいいですから教えてください。では、また情報が入りましたら。



#3839 
ホリ−・ハンタ− 2003/03/11 21:19
アンダ−グラウンド大江戸

>岡っ引き・目明かし等は犯罪者上りが多く小遣い稼ぎに
ユスリタカリに精を出し〜犯罪取締側で拷問をバンバン
やってウタわせ大目付けにまで昇進した者、在り?

それは知らなかったです、江戸って結構、物騒だったんですねぇ
案外、必殺仕事人も存在したかもしれませんねぇ(爆死
よく時代劇に江戸が舞台ので、向島は、カタギが行ったら
五体満足で帰ってこれないとかバクチ&アヘン天国とか
同心も手が出ない等、向島が治外法権の暗黒街であるような
イメ−ジを掻き立てた物がよく見受けられますが、
実際、そうだったんですかねぇ?
いつだったか、某議員が向島の料亭で密会等〜なんて記事が
週刊誌に載ったのを見た記憶が、結構、最近だったと思いますが
向島は今だに『そちもワルよのう〜』ってヤッテる場所?(自爆
ところで、江戸時代の刑法では、事件の時効は何年だったんですかねぇ
迷宮入りの恨みは、お金を積んで仕事人を呼ぶ?(自爆




#3838 
景虎 2003/03/11 20:01
お役人様

竹内流に、特に接骨師が多いという事はないのではないかと思います。少なくとも、私が知っている人の中にはそういう人はいないです。
整体師は何人か知っていますが、竹内流経験者というだけで、竹内流とは関係ない技術を使っています。竹内流を使って接骨をやっている人もいるとは思いますが、戦前や数十年前は知りませんが、21世紀の現在では少ないのではないでしょうか。

武道家で捕り物研究家の先生が書いた本を読んだことがありますが、それによると、やぼな十手は使わず、手取(素手で捕まえる)にする事を誇りにしていたという話が書いてありました。

同心や目明しについては、本を読んでみても大部分は江戸、稀に大坂のことが書いてあるだけで、地方のことが殆ど書かれていないのが残念ですが、集英社新書の『伊予小松藩会所日記』に1万石の小藩である小松藩の目明しについて書いてありました。
小松藩では同心を廻り方と呼ぶようですが、廻り方の下で働く目明しの半平という人の記録があります。半平は盗品売買のルートに詳しかったようで、四、五日のうちに盗品を探し出したりしています。隣の松山藩では、隠密仕事や盗賊探索を行う藩士を、くらがり方と呼び、小松藩の目明しが松山藩のくらがり方や、その部下の目明しに協力することもあったようです。



#3837 
Ree 2003/03/11 03:10
電子情報

>ホリ−・ハンタ−さん

Web上を飛び交っている情報の多くは、一部の価値あるモノを除いては、散逸し後世どころか一年先まで残っているものは少ないでしょう。
ただ、こうした消費され消え去ってゆく情報にこそ、時代の空気というものがこめられているように思います。
もしかしたら、遠い将来の考古学は、地面を掘って歴史の痕跡を求めるだけでなく、ネットの深いところに忘れ去られた情報の残滓を探ることも重要な側面を有するようになっているかもしれません。
こうした行為を”マイニング”、そして、そうした技能を持つ者を”マイナー”と呼ぶ、ようになっていたりして。

って、それは”ヴァレリア・ファイル”やがな!



#3836 
徹夜城(夜のお仕事が多い管理人) 2003/03/11 01:27
いつの世にも、悪は絶えない…

「鬼平」といえばこのナレーションでございますね(^^)。
火付けと申さば、最近僕の住む市内各地で放火事件が多発しているそうで(ゴミとか自転車とか)、近所でも夜間パトロールが行われるなど物騒な情勢となっております。

>+αさん
お久しぶりです〜お忙しいようですねぇ。それでも結構覗いてくださっていたようで(^^)。ひところ良く書き込んだ常連さんで最近は見かけないけど「良く見ている」という方、案外多いようです。
「火付盗賊改」ですが、僕もちょこっと調べてみました。週刊朝日百科「日本の歴史」の旧バージョンなので最新の研究成果とは言えないかもしれませんが…
それの欄外注「火付盗賊改」によれば17世紀後半に「火付改」と「盗賊改」が設置され、1709年に統合されたもの、とありました。+αさんもお書きのように強引な連行、拷問、処刑などで江戸市民の評判はかなり悪かったらしい…とありました。
 小説「鬼平犯科帳」でも拷問の件のことなどは書いてありますけどね。長谷川平蔵のエピソードとして、その辺で見かけた男が「怪しい」としょっぴいて、拷問で罪を白状させたという話があったような…(汗)。ここでは「平蔵って凄いですね」というエピソードなんだろうけど、時代性を考慮してもかなりムチャなのでは(^^;)。
 その平蔵の意見で作られた「石川島人足寄場」についてもその「日本の歴史」で小さく解説がありました。1790年の設置で、「江戸市中を徘徊する無宿人の強制収容施設」だそうで、当初収容人員は390人、以後平均200人前後だったとか。収容された人々は施設内で藁細工や炭団・石灰製造・紙漉きなど職業教育を受け、品行が修まれば貯金(今の刑務所と同じシステムなのか?)を与えられ釈放されたそうです。



#3835 
+α 2003/03/10 23:49
今日はちょっと早い

 掲示板の皆様、+αです。
 今日は、ちょっと早く帰れましたので、また書き込ませて頂きます。
 
>同心と火付盗賊改
 町奉行配下の同心は町(方)同心といい、鉄砲同心とは別のものです。
 町同心は三十俵二人扶持高の抱席(かかえせき)の下級御家人です。抱席というのは、譜代席と異なり、身分は一代限りが原則なのですが、現実には父子相継いで採用されました。
 三十俵二人扶という俸給は安いのですが、町同心は、八丁堀に与えられた100坪余の屋敷地の一部を町人に貸すことが許されていましたので、別途地代収入があった上、役目柄、各方面からの付け届け(簡単に言えば賄賂)を貰うことが出来ましたので、一般の御家人よりは楽な暮らしができました。
 町奉行所には、南北各100人(幕末は140人に増員)計200人(幕末は計280人)の町同心がおり、このうち、警察業務を担当していた同心は、隠密廻り4人、定廻り12人、臨時廻り12人の計28人です。
 これだけの人数で、治安が維持できたかといえば、当然のことながら無理で、人手不足を解消するため、同心は、ポケットマネーで目明しを雇って、犯罪捜査に従事させていました。
 しかし、この目明かしは、犯罪者上がり多い上、殆どが無給だったことから、強請、脅迫を行う等の弊害が多く、幕府から何度も禁止されているのですが、警察業務に従事する正規の要員だけでは人員が不足して犯罪捜査ができなかったことから、岡っ引き、手先と名前を変えて、幕府が瓦解するまで使われ続けました。
 多大な弊害を伴う目明しを使ったにも係わらず、治安は必ずしも改善されず、特に火付け泥棒が横行した(江戸では、多い日には、一日八、九件もの放火があったそうです)したため、1665年に、火付や盗賊の捜査専門の火付盗賊改が誕生します。
 火付盗賊改の配下には与力が5〜10騎、同心が30〜50人いましたから、警察業務に従事する正規の人員は2〜3倍に増加したことになります。 
 火付盗賊改のやり方は相当荒っぽかったらしく、1683年に火付盗賊改に任命された中山勘解由は、風体のおかしいものを次々と捕縛、拷問にかけて自白させ、処刑するという随分無茶なやり方を取っていますが、別に咎められもせず、逆にその功績を認められて大目付に出世しています。
  出典
 日本大百科全書(小学館)
 世界大百科事典(日立デジタル平凡社)
 マイペディア97(日立デジタル平凡社)
 三田村鳶魚「捕物の話し」鳶魚江戸文庫1、「江戸の白波・お医者様の話」鳶魚江戸文庫22 中公文庫 

http://homepage1.nifty.com/SENSHI/


#3834 
+α 2003/03/10 03:57
大変ご無沙汰をしております

 掲示板の皆様、お久しぶりです、2002年以降のいらした皆様、はじめまして、+αです。
 相変わらず忙しくて(去年の12月には1週間の残業時間が80時間以上などという2度としたくない経験もしました)こちらも時々読ませて頂いているのですが、なかなか書き込めません。
 とりあえず、どなたも質問にお答えになっていないようなので、書き込ませて頂きます。

>フォン・トラップ
 フォン・トラップはオーストリア海軍の潜水艦乗りです。
 第1世界大戦中は、潜水艦U14の艦長を勤め、連合国の船舶を3万トン以上沈めたエースとして、オーストリア海軍のヒーローとなりました。
 オーストリアがドイツに併合されると、ドイツ海軍から、潜水艦艦長としての復職を打診されますが、フォン・トラップはこれを拒否して、亡命します。この辺は、映画「サウンド・オブ・ミュージック」でよく知られていますが、高校か大学の英語の教材で読んだ、フォン・トラップ夫人の手記では、亡命当時、マリアは既にフォン・トラップと結婚していたようです。(明確には書いていなかったが、医学学校を卒業した長男のことを、私たち〜と書いました。)


 



http://homepage1.nifty.com/SENSHI/


#3833 
ホリ−・ハンタ− 2003/03/09 12:48
悪代官

『あくだいかん』とキ−ボ−ドで打ち変換すると
いの一番に『悪代官』と出るのは何故なんでしょうか?(苦笑
歴史物ゲ−ムといえば、悪代官とゆう名のロ−ルプレインゲ−ム
が最近出たそうで、ゲ−ムプレイヤ−が代官になり
悪の限りを尽くし善玉をハメて私腹を肥やしていくとポイントが
増すゲ−ムだそうで、カタルシス炸裂のゲ−ムでしょうねぇ、
プレイしたこと無いんですけど。

代官と悪がくっ付いてしまう先入観は、娯楽系時代劇が
どれも代官が悪役に回る傾向に影響があるのは明らかでしょうねぇ
しかし、ふと考えると、代官とゆう役職は一体どうゆう役人なのか
要領を得てない自分に気付きました。(自爆
名前は代と官が合体してるから役人の代行者か?と漠然と
思ってる程度ですねぇ。

代官とゆう役職が娯楽時代劇の大半の時代設定である
江戸時代の特有のものか?とゆうと安土桃山時代にも
代官とゆう職はチラホラ出てきたような気はします。
学校の日本史・教科書で『泣く子と地頭には勝てぬ』
とゆうセリフがよく引用され鎌倉武家体制での地頭が
紹介されますが、地頭がいつ頃無くなっていったのかは
よく分からないですねぇ、室町で地頭に代わって代官が
出始めたんでしょうか?
仮に、時代設定を鎌倉時代にした民衆の英雄の娯楽時代劇
を作るとしたら、地頭が悪役回りって事に?(苦笑
読売新聞で連載中の宇田川心中とゆう歴史小説があり
最初から読んでるわけでも無いんですが、時代設定が
どうも源平合戦以後で元寇以前らしく、あまり誰も
歴史大河で手を染めて無さそうな領域だなぁ〜と思ってて
読売も又何でこうゆう歴史物を?って首をかしげながらも
タマに読んでます、同じ鎌倉モノを扱ってた日経新聞の
歴史連載小説よりは押し付けがましくない文体です
宇田川心中は。





#3832 
徹夜城(これから飲み会に出かける管理人) 2003/03/09 11:45
「ムロタイ」怒涛の更新。第45回アップアップ。

なぜかトップページは更新後すぐに反応してくれない現象がありまして更新情報が現時点ではまだ出ていませんが、「ムロタイ」45回はすでに読めるようになっています。
45回ですよ…我ながらよくここまで来たもんだ、と。次回はいよいよ明徳の乱。そしてその次は…

>阿祥さん
ご紹介のサイト見てきました。パラパラとですけど、画像で表示してくれているだけにかえって読みやすくて助かりました。
あくまで十七世紀の話に絞っているみたいなんで、それ以前の台湾関係の海商・海賊たちについてはあんまり記述がなかったですね。実は「ムロタイ」片付けたら四月からそのあたりのネタを連載でやる予定でして…ただいま史料収集・整理作業中だったりします。

>杉本さん
南北朝カードゲームですか。カードゲームって全然やったことなくってどういう感じになるのか興味があります。
思えば南北朝ってゲームになかなかならないからなぁ。あのコーエーからして作ってくれないし(涙)。大河ドラマの時にすら便乗しませんでしたしねぇ。あのときもメガドライブとPCエンジンで出ただけでスーパーファミコンでは発売はなかったように思います。この辺にもマイナーぶりが発揮されちまうなぁ…。



#3831 
阿祥 2003/03/08 14:54
「福爾摩沙:十七世紀的臺灣,荷蘭與東亞」

前回紹介した台湾の故宮博物院の特別展覧会のパンフレットが、60Pに渡ってアップされています。参考に紹介しておきます。

http://formosa.elearn.hinet.net/doc/index.html





#3830 
ホリ−・ハンタ− 2003/03/08 09:24
戦闘集団の転職

>奉行所・同心=鉄砲同心
一説によれば、鈴木孫市は、西軍に付き、伏見城攻略の際
東軍・篭城側の首領・鳥居を斬ったとか。この説が事実なら
家康は鈴木に含むトコロが大ありだったハズですが
また一説によれば家康は幕府立ち上げの際、鈴木を
召し抱え、ただし紀州では無く関東方面に呼び寄せた
そうです。鈴木孫市は雑賀鉄砲隊の全てを掌握していた
わけでは無かったらしいですが、孫市ひとり召し抱えた
とゆうより孫市一党を関東へ移したと考える説も。
これら諸説も鉄砲同心=江戸町奉行同心と関係あるのかな?
ただ江戸の同心の一部=雑賀鉄砲同心の子孫、と、とれる
はっきりとした確証は聞きません。

隠密同心(苦笑)は服部ガラミですかねぇ?(爆死
幕府の隠密を よくお庭番とか呼びますが、
江戸時代で戦闘が少なくなってくると影の軍団も
ヒマになって、江戸城の造園を担当する者も
いたとかで、ホンマに、お庭番ですね。(苦笑




#3829 
杉本伊予守佳尋 2003/03/07 01:41
鬼平とか色々

>若水様
高野長英に関しては、あの遠山景元(金四郎)が死体に向かって
生きていても死罪は免れないだろうと言ったそうです。
また鬼平こと長谷川平蔵宣似の子孫は新聞記者になったとの話もあり
この辺は二見書房の「鬼平の謎99」(だったと思いますが、違ってたら
訂正します。)に書いてあります。
長谷川平蔵と松平定信の二人に関しては、正反対の性格でもあり
何かと衝突しやすい関係だったと思います。
実際、定信は平蔵の事を山師と言ってますし・・・。
>近況
 最近、古屋三日月さんのサイトの掲示板に書き込みましたが
南北朝カードゲームを作っています。
現在データ作成中です、まだ時間がかかると思いますが、期待して
ください。




#3828 
若水 2003/03/07 00:51
しつこく鬼平がらみ

「火付盗賊改」は特別警察といってもまったく特殊な性格だったようです。
町奉行所の与力・同心たちは先祖代々役職を引き継ぎ、将来町方役人になるのが決まっていた人々です。子供のころから親に仕事を習い、家督を継ぐころにはすっかり事務に精通し、町奉行に任命された旗本の指揮下でてきぱきと業務をこなします。

それに対し火盗改は「先手組」という幕府軍事組織に属する旗本たちの中から、兼務として命ぜられるものです。先手頭である鬼平が火盗改に任命されると、長谷川組に編成されている先手与力・同心ごと兼務を勤めます。
もっとも事務には手馴れていないがその分機動性はあったようで、たとえば奉行所では容疑者を拷問にかけるには老中の許可が必要で、また拷問に頼るのは吟味が下手な証拠という観念があったが、そういったものからは火盗改は自由だったようです。
とはいえ町奉行所の同心も、もともとは「鉄砲同心」で戦闘部隊ですが(爆)

それから皆さんご心配の通り(?)十手は大変な凶器で、捕り物で重度の障害を負う人がたくさんいたとか・・・
あの大岡越前守が見かねて、「よほどのことがない限り十手を使うな」と奉行所内に注意しています。
有名な話では、蛮社の獄で逮捕され、後脱獄した高野長英が捕らえられるとき、十手でしたたかに打ち据えられそのまま絶命したそうです。




#3827 
ホリ−・ハンタ− 2003/03/06 23:53
十手の名手といえば

十手の鉄人といえば銭形平次サンでしょうが
平次サン、よく軽快に刃物を持つ犯罪者らの小手先に
金属製・十手を叩き付けてますねぇ、でも
実際、太い鋼製の十手を手首に叩き付けられたら
打撲はもちろんのこと最悪、粉砕骨折でしょうねぇ
そう考えてみると十手とゆうのも、かなり危ない
殴器と言えるかもしれません、これで、日本刀の
一閃を受け止められるかは、ちょっと疑問かもしれませんが
相手がちょっとでも刀のツカに手をかけようとしたら
手首に叩き付ける〜出鼻をくじく武具といえるのかな?

殴器と刃物、どちらが凶悪な凶器か?と比較するのは
単純には出来ませんが、インカ帝国が西洋の
少数の兵力に滅亡させられてしまったのは、
インカが銃器や馬を使って無かったから等イロイロ言われてますが、
インカの戦闘武具が、剣などの刃物系武器より
殴器系の武器が主流だったから〜
とゆう説も最近、浮上してるとか。その傍証として
インカでよく発掘される、脳外科手術跡がある人骨は
戦闘で頭部を強打される事が多かった為ではないか
〜とゆうことで。インカの脳外科手術の道具とゆうのも
発掘されたそうで、これらの手術道具を復元した物を
使い、オペを成功させた医師が最近いたそうで。





#3826 
徹夜城(ムロタイ完結に向けて疾走している管理人) 2003/03/06 23:53
鯉口三寸抜けば切腹

十手って確かに警棒のことを考えれば使い勝手はいい道具なのかもしれません。ただあれって殴る道具としてはかなりの凶器ですからねぇ。現代の警察が使ってはちと問題になるでしょうね。
十手と共に江戸時代捕り物に欠かせないのが「さすまた」。こちらは今なお現役なんですよね。刃物持ったりして暴れる人間を取り押さえるのには確かにかなり有効そう。

江戸城の「殿中」で刀を抜けば切腹、ってのはどの段階で決まったんでしょうかねぇ。もっとも刀を抜いた「だけ」で切腹になったケースがあるのか、僕は知らないんですが。このへん、詳しい方は書きこんでください。
浅野が吉良に切りつけた事件の前に綱吉時代には老中の堀田なんとか(名前忘れた)が殿中で切り殺されてますよね。切り殺した犯人もその場で斬られたと思いましたが(なんだかケネディ暗殺とかアキノ暗殺を思わせる話ですな)この場合この犯人を斬った人はどうなったんだろうとずっと思ってまして。
あとは田沼意次の息子・意知が斬られた事件がありますね。



#3825 
橘樹 2003/03/06 12:34
十手

昭和初期まで、刑事が私服のときは、護身用に十手を懐に入れていたという話を聞いたことがあります。現在の警棒のようなものと考えると、心得のある人が使えばやはりある程度は有効なのではないでしょうか。
後、昔の学研の科学の特集で、十手でどうやって刀を制圧するかということが取り上げられ、その刀と十手の立会いの写真が載っていたのを見たことがあります。十手術の心得のある人に型をやってもらったのでしょうか?不確かな話ばかりですみません。



#3824 
原田 実 2003/03/05 23:40
十手は実用品

岡山の古武道・竹内流は柔術として有名ですが、十手取縄の技もつたわっています。
江戸時代、帯刀を禁じられた身分の者が刀を持った相手を取り押さえる必要から発達した面のある武術ですから、十手は刀に対抗できる道具として、実用的な使い方がなされています。
取縄も人間の骨格や筋肉の構造に基づき、確実に相手が動けなくなるように関節をきめるもので、現在、竹内流を学んでいる人の中にはその知識を生かして接骨師になっておられる方が多いそうです。
あと、現代の作家では団鬼六先生が竹内流の取縄術を研究されたと聞いております。

http://www8.ocn.ne.jp/~douji/


#3823 
ホリ−・ハンタ− 2003/03/05 21:28
十っ手も立派な凶器?

浅野匠守どのが吉良上野祐どのに切り付けた事件
私は、この事件の本質をよく知りませんが知人の
話しによれば、例え、上野祐どの が怪我一つしなくても
公の場で抜刀した時点で切腹ものなんだとか、当時は。
それくらい隅々まで武装解除の理念が浸透していたようで
例え奉行所の同心が犯罪阻止や下手人捕捉の為とはいえ
抜刀するのは、今の日本でいう警官の現行犯を前にしての
発砲の是非と同じくらい裁かれかねなかったそうです。
十手とゆう器具を奉行所の捕捉人が使ったのも
刀を抜くよりは危なくないからって発想なんでしょうかねぇ?
私は何故か十手を持ってます、昔、誰かが刃物の産地へ行って
土産に買ってきてくれたのを持ってるんですが、コレ中々
持ち重りがする、殆ど凶器ですよねぇ、
かれこれ10年以上は経ってる代物ですが傷もサビも
あまり無く頑丈な物です。



#3822 
徹夜城(書き出すと案外ハイペースな管理人) 2003/03/05 17:08
「ムロタイ」44回上がりました。

予告では昨日のはずでしたが、間に合わず…今日アップとなりました。
いよいよ物語は「明徳の乱」めがけて忙しく回り始めました。これが終わると完結が見えてくることになります…いちおう一つを除き残りの回のタイトルは決定済みです。問題はこれまで各回内容の構成予定がまるっきり計算違いになってきていることですが…

>相良さん
その後小松の宮女が出先で妊娠しちゃった一件は貞成親王の『看聞日記』に出てくるやつでしたね。それにしてもちょこっと調べてみたんですけど、この時期宮中の女性と武家の間の密通事件が結構あるんですよねぇ…義満どころかその子の義持にもその手の話があったようで。

>ホリー・ハンターさん
僕もこうやってデジタル関連であれこれ記録作業している身としては、後世こうしたデジタル資料ってどう伝わっていくのだろう?と思いを馳せるときもありますね。過去の時代が残した史料と取っ組み合う立場としても今自分の身の回りにあるデジタル記録がひょっとしたら後世大変な史料になっちゃうのかもしれないと思ったりもして。

>鬼平。
「鬼平」の時代って、ちょうど浅間山が大噴火し、天明の大飢饉が起こった直後の時期で、地方で食い詰めた人々が江戸に流れ込んできて治安が悪化していたみたいですね。そういう背景で「特別警察」である「火付盗賊改方」が設置されたということみたいで。小説とかドラマだと「特別警察」の割にはあまり有能そうでない職員もおりますが(笑)。

>若水さん
「大江戸弁護人」ですか…まぁその気になれば現代に通じるものを江戸時代に見つけ出して現代風時代劇(?)としてドラマ化しちゃうというのはいくらでもできそうな気がしますね。時代劇の方が「遊び」が出来て面白いところが多々ありますし。



#3820 
若水 2003/03/05 00:16


>相良義陽 様
はじめまして、よろしくお願いします。

いや私も賄賂はともかく縁故を全否定している訳では・・・
過去において縁故はそれなりに有効な社会保障制度であり、人材登用制度だったと思います。
ただ日本では江戸期あたりから、統治の理想として人治から法治へ移行しようとしていた感を受けますね。
江戸期で名奉行、名官吏と言われた人の多くは清廉であることを誇り、周りの金に汚い風潮を嘆いています。

ただホリー・ハンターさんのご指摘のように、幕府の官僚体制は腐敗という面では致命的でなかったのかも・・・
当時の政官界の改易や刑罰を受けた事件で、贈収賄が(名目的にも)理由となったのはほとんどなかったような・・・
腐敗があっても、ほうっておけば幕府が崩壊するという危機感を抱くほどではなかったのでしょう。

>ホリー・ハンター様
契約社会の話は難しそうなので・・・(汗)
昔の弁護人ですか・・・
そういえば時代劇で(またかよ!)『大江戸弁護人、走る!』ってのがありました。
弁護士に当たる職業として「公事宿」というのがあって、奉行所への訴状を訴人に代わって作成していたそうです。(文献で確認してません。)
大体幕府の法令集は一般に公開されていないのだから、弁護士的な職業は発生しにくかったでしょうね。




#3819 
ホリ−・ハンタ− 2003/03/04 23:35
紙とFD

会社の同僚がフロッピ−ディスクと携帯電話を
近くに置いていて、FDのデ−タ−がオシャカに
なったって事件が最近あり、ふと、前に見た、
日テレ系の科学特捜200Xって番組でやってたパソコン普及
の今の時代に対する問題提起みたいな回を
思い出しました、電磁波があたると運が悪ければ
音楽CDさえもデ−タ−が変質、バケちゃうそうで、
大事な半永久保存と思ってるデ−タ−は
迂闊な場所に保管すると、ある日、忽然と消えてる
場合があるそうで。
ちょっと気の長い話しなんですが、数百年後ぐらいの
未来に我々の文明の記録を残し伝える手段で、
FDやCD等の電子ファイルと紙に書いた物とでは
どっちが持ちがイイだろうか?とゆうのも当番組で
やってましたが、ディスクのメ−カ−のオフレコの
談では、数百年も保存の品質を保証は出来ません
ねぇ〜と苦笑い、仮に今の人類が死滅して
新たに別の人類が勃興したとして、新人類は
前の人類の文明の痕跡を知れるのは、紙等のアナログ記録
でしかない〜とゆうのを想像してた番組でした。(寒

話しが脱線しましたが、西洋の契約社会思想が
近世までの日本の縁故・袖の下・構造と相反するものか?は
微妙なところですねぇ。借金の証文なんかも大分前から
紙の文書で作成してたから、紙の普及からみても
日本は、だいぶん前から契約社会なような気もしますが。
口約束でなく紙に書いたもので保証する〜とゆう事だけでも
立派に契約関係が成立しそうな気もしますが。
あぁ、でも確かに、江戸期には、西洋でいう弁護士
にあたる職種って、あったのでしょうか?
司法書士にあたるのが、右筆なのかな?違うか。
TVお宝鑑定団で出てくるブツも古文書の類が多いですよねぇ。
昔から文書を大切に保管するんだなぁ日本人は〜って
勝手に感じてます。




#3818 
相良義陽 2003/03/04 13:31
縁故縁故

縁故社会が良くないというのは西洋的な契約社会からの観点なのかも知れません。
私は江戸時代のことは知りませんが、室町期には、幕府や朝廷に話を持ちかける前に、
つてや縁故を使って当事者同士で話をし、それから公的な場に出すというのが一般的だったようです。

例えば後小松天皇の時、伏見の方に里帰りをしていた宮廷の女房が、そこで子供を孕むという事件がありました。
伏見には貞成親王たちがいて、件の女房がその邸宅での宴会に招かれたという嫌疑がかかります。
このとき親王側がとったのは、宮廷にコネのある女性を京に派遣し、宮廷と内々に話させるということでした。

この話を聞いた時には、ああ、汚職とか賄賂とか癒着とか根回しって言うと悪いイメージだけど、契約社会じゃないのだからこういうのが普通だったんだなあ、と思った次第。
むしろいきなり直談判したら大事&修復不能に陥るわけです。

http://www.h3.dion.ne.jp/~jtpage/cy/


#3817 
ホリ−・ハンタ− 2003/03/04 00:17
ちょっと語弊があったかな?

>若水 様
江戸期、汚職は諸外国と比べると少なかった〜と書いたのは
ちょっと迂闊だったかな?と思ってます、そう単純には
考えられないかもしれません。
しかしですね、
日本人は袖の下を通すのは、良い事では無い〜とゆう認識は
一般的に昔からあり、袖の下が皆無では無かったろうが、
袖の下を通さねば役人は何一つ動かない〜ような事態には
江戸幕府官僚体制は陥る事が少なかった〜ってとこでしょうか?
東南アジアの政情不安な地域ではマジ、役人に袖の下通さねば
にっちもさっちもゆかないところがありますよね。
これは別に冷戦があった頃からとか、冷戦消滅後の混乱から
って最近の理由ででもなく、昔から、袖の下は社会の潤滑剤みたい
になってて中々、抜けないもんだ〜とゆう説を聞いた事があります。




#3816 
若水 2003/03/03 23:17
つまらないといいつつ時代劇を見ている僕・・・

>徹夜城 様
早速の削除、ありがとうございます。お手数をおかけしました。

そうそう、『翔んでる!平賀源内』です。
詳細には覚えていませんが、ほぼ全話見ていました。
基本は勧善懲悪の人情話ですが、なかなか面白いコメディーでした。
源内がモーターを手回ししているエレキテルからものすごい勢いで青い電気がほとばしっているのに、それを腰にあてられた田沼意次が気持ちよさそうに目を細めているという(^_^;)、愉快なシーンをよく覚えています。
三田村邦彦の家光は『将軍家光!しのび旅。』(うろ覚え・・・)じゃないでしょうか。
そんなに好きじゃなっかたけど、家光の影武者役をコロッケが演じており、声まねで諸大名の謁見を受ける定番のギャグシーンがありました。

>鬼平話
私もそのNHKの番組をみて、平蔵の見識にすがすがしい思いをしました。
ただ「現代の価値観」で言うと(注 ←右には注意しなければならないのはわかっています。)人足寄場は犯罪者予備軍の予防拘禁という面もあるんだよねえ・・・
でも、評価すべき面も多々あったことは認めています。

>ホリー・ハンター 様
「汚職が少なかった政府」だったんですか。縁故と賄賂の世界のようなイメージだったんで意外ですね。やはり当時の「付け届け」は賄賂とは別の性質のものと捕らえるべきなのですかね。




#3815 
たみお 2003/03/03 02:30
西前頭:浦瑠山☆東十両:東覇皇

まずは祝ムロタイ43回放映!!

私は歴史系の話題はROMしかできませんのでロシアネタで:日本のアニメが世界的にポピュラーなのは有名ですが、ロシア語のポータルサイトでも時々アニメのバナーが出てきます。メガネっ娘の(それもアダルト系)バナーにはちょっとびっくりしましたが。そういやmail.ruやlycos.ruあたりのオンラインカードにもアニメ系のデザインも増えてきているし…ちなみにタイトルは史点過去記事での管理人様の相撲ネタから。後者は一応ウラジオストックから取ったつもりですけど。



#3814 
徹夜城(そういえば史点も書かなきゃいけない管理人) 2003/03/03 01:42
どっちが早いか…

変なことを言うようですが、英米の対イラク戦が始まるのと史点を更新するのとどっちが早くなるのでしょうか…って早く史点書かないとネタがたまっちゃいますね。
しかし一ヶ月書かなかったにしてもニュース的話題はイラクとブッシュと北朝鮮ばっかりでネタ数としてはあんまりストックがなかったりします。

>アール・ケイさん
>細川頼之の失脚からずいぶん経つ…

わっはっは、これも「時間の流れ」を感じさせる演出の一種とお受け止めください(爆)。
実際には十年の時間が経っていたわけで、基本的に一年一回のペースで進んできたこのドラマの中ではこの十年は回数はあんまりありません。裏返せばそれだけ平和になっちゃって事件らしい事件があまりないんですよ。
架空キャラの件は前にも書きましたがいろいろと失敗やら構想倒れがございまして…(^^;)。ここに来て慌しく処理してるんです。ホントは李成桂の「威化島回軍」の場面に架空キャラの一人が居合わせる計画だったのですけど、さすがに無理を感じてやめました。そこへ行く途中北京でのちの永楽帝に会っておく、という暴挙も考えていたのですが…(「琉球の風」「北条時宗」あたりだとこのクラスの暴挙をかなりやってましたが)。

>史上実在の人物でフィクションキャラ化しちゃった人
「鬼平」について「一番最近」と書いちゃいましたが、もっと最近では夢枕獏さんあたりから始まった陰陽師・安倍清明がおりましたね。見渡すと似たような小説がワラワラと…

>若水さん
西田敏行の源内は「翔んでる!平賀源内」とかいうタイトルではなかったかなぁ…。からくり長屋に住んで、あれこれ発明品使って事件を解決するとか、そういうのじゃなかったっけ。第一回だか二回かだけ見てます。
ちなみに失敗した例に挙げた「家光」ってのは三田村那彦主演でやったやつ。タイトルも忘れた…(^^;)要するに水戸黄門の家光バージョンみたいなやつでしたが。

>「鬼平」。
ドラマも小説も一時ハマりまして、その後周期的にマイブームになります(笑)。
史実の方はあんまり調べてないんですが、少なくとも世界初?の犯罪者更生・職業訓練施設「人足寄場」はこの人の発案でしたよね。以前NHKの歴史番組でこれやってて、平蔵自身の文章が紹介されていていたく感心した覚えがあります。
池波正太郎の小説に出てくる盗賊の何人かは実在していて、えーと、名前をど忘れしましたが実際に平蔵が捕まえた有名盗賊も小説中に出てくるようです。
しかし「盗人三箇条」だの「急ぎばたらき」だの「盗人宿」なるものが本当に存在していたとは思えませんが…



#3813 
アール・ケイ 2003/03/03 01:11
話題についていけなくて…ご無沙汰

細川頼之が失脚してずいぶん経つなあ、と思ったらドラマの回数ではそうでもなくて、
単にムロタイの更新が(ここは小声で)遅れていただけなのでありました(笑)。
次回のタイトルは「復活」ではなくて、やはり「政界復帰」でしょう。
そういえば、現代の細川さんはこれからももう風流の道に過ごすのかしら。
あとここにきて、架空人物が活躍しだしましたねえ…。


http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#3812 
ホリ−・ハンタ− 2003/03/02 22:40
江戸ブ−ム?

東京では、温泉を掘ってリゾ−ト施設を造って
とゆうのが流行ってるそうですね、しかも建築様式を
江戸風にして、とゆうのが。コミュニティ銭湯形式の温泉
鉱泉は全国で新しいのがチラホラと。つまり、日帰りで
行ける近場の温泉みたいな憩いの銭湯ってのが。
さく井業者さんの話しですと、日本は、だいたい
1500mほど掘れば、結構どこでも温泉出るみたい。
もっとも露天掘りが一番低コストは当たり前なんですが
日本は露天掘りの温泉は少ないが深井の温泉大国のようですね。
江戸風といえば、安野モヨコ?さん の花魁の漫画も
結構、絵柄が本人の自流を維持しつつも時代劇にマッチ
してるな〜と思って読んでます。

>若水 様
はじめまして、鬼平の研究本とゆうのがあるとは
知りませんで、イイ事を教えてもらいました
見つけたら読んでみたいと思います。
江戸期、旗本の階層は無役の人が多かったみたいで、
職といえば、役人〜奉行所に勤める〜のは安定した職であり、
なれるものならなりたかったって風潮だったようです。
役人一般の勤務状況も穏やかな環境だったらしく
一説には役人は3日に1度出勤すればよかった〜とか。
もっとも同じ役に複人数を配置し交替勤と相互監視の
構造だったようで、江戸幕府の官僚制は、うまく機能していた
時代には、同時期の世界と比べても汚職が少なかった政府
だったそうで。もっとも田沼さん の時代は幕府のシステムが
上手くいかなかった時代であろうし、田沼さん体制の
アンチテ−ゼが次期の松平定信・体制であったのだろうし、
田沼・松定の両体制で仕えた長谷川平蔵も中々、
世渡りが大変そうだったような感じはしますね。
平蔵は53歳で病死したそうで、当時は50まで
生きれば長生きな方かどうかは分かりませんが。




#3811 
若水 2003/03/02 19:48
お久しぶりです。

いや、むしろはじめましてから仕切りなおします。若水(ジャクスイ)と申します。
間抜けな書き込みをしてから、○ヶ月。気恥ずかしくて見てるだけの日々でした。
「ムロタイ」更新ご苦労様です。完結まであとわずか。お名残惜しいですが、楽しみにしています。

>ホリー・ハンター様
はじめまして、若水と申します。
面白そうな話題ですのでちょっと口を挟ませてください。
長谷川平蔵は小説で有名になったキャラですが、実際のエピソードも面白いものがあります。
平蔵はまず田沼意次に取り立てられ続いて松平忠信に用いられた人物ですが、個性的でパフォーマンスをよくする人で庶民に人気があったそうです。
その代わり幕閣に受けが悪く、本人が望んでいた町奉行には最後までなれませんでしたが。
この辺が小説になりやすいキャラだったのかもしれませんね。

ちなみにタネ本は(山本博文著 『鬼平と出世』 講談社現代新書)だったりします。
平易な文章とエッセイ的な構成で面白かったです。
でも、半分以上が平蔵外の人について語っていますが(汗)

あ、それから徹夜城さんが例に出された「平賀源内」。
昔西田敏行さん主演でドラマ化されましたね。
私はアレ好きでした。
西田さんは大河的なドラマや映画ですばらしい仕事をされていますが、コメディー的なものもすごいと思います。

PS 間違えて下(3810)に変な書き込みをしてしまいました。
お手数ですが削除していただけますか。m(__)m



#3809 
徹夜城(久々に更新作業をした管理人) 2003/03/02 16:40
ムロタイ43回アップしました。

やれやれ、ようやく更新…はやひな祭りシーズンになっちゃっております(^^;)
あとはもう急ぎますね〜数日中に次回を更新する予定。3月前半までに「ムロタイ」を完結させたい意向でございますので、あとはイッキイッキで行きたいと思います。
そういえば土曜日の朝日新聞夕刊で歴史上の有名人の死因と現在の治療法、そしてもし治っていたら歴史はどう変わったかという企画が載ってました。この中に義満もあがってましえ、死因は風邪をこじらせた肺炎、今だったら抗生物質投与で簡単に治る、もしもっと生きたら足利院政を築いて戦国時代はこなかった?などの推理が載っておりました。

本家大河のほうは来年のキャストが発表になりましたね〜香取慎吾の近藤勇、というのは最初ショックでしたが(笑)だんだん頭の中でメーキャップさせたらだんだんそう不自然でもなくなってきたから不思議。あとは脚本がどうなるかですね。
SMAPの他の誰かがゲスト的に出るってな噂がありますが…さて誰が誰をやるのやら。

>ホリー・ハンターさん
「鬼平」こと長谷川平蔵は実在人物がほとんどフィクションキャラとして立った、一番最近のものではないかと思えますね。いま大河でやってる宮本武蔵もかなりそれに近いと思えますけど。
TV時代劇のエンドレスシリーズ(笑)化できた主人公も、中村主水を別にすればかなりの率で実在人物ばかりですね。徳川光圀(水戸黄門)、徳川吉宗(暴れん坊将軍)、大岡忠相(大岡越前)、遠山金四郎(遠山の金さん)なんかがそれで、清水の次郎長をはじめとする幕末ヤクザ連中なんかもこれに入れていいかも。
TV時代劇では徳川家光とか平賀源内なんかもシリーズ化を狙って製作したことがありますが定着しなかったなぁ。



#3808 
ホリ−・ハンタ− 2003/03/01 12:53
長谷川 平蔵

北町奉行・遠山金四郎は実在の人物だとゆうのは前々から知ってましたが
火付け盗賊改め方の長官・長谷川平蔵も実在の人物だとゆうのは
最近、知りました、教えてくれた人の話しでは、平蔵が特に
目をひいたのは火付け盗賊改め方を8年もやっていたので、
それで、よほど防火防犯に務めたのであろうと推測されるのだと。
元々、平蔵は先手弓隊組頭だか何だかが本職で、火付盗賊改め方は
兼任だったとか。火付け〜とは放火を指し、大江戸は大火事が
絶えなかったようで、江戸時代初期は消防は、各大名の当番制
だったとかで、後に町民による自治消防も組織されたそうですが
大名消防隊と町衆消防隊は仲が悪く、燃え続ける火災現場を前に
して両消防隊がナワバリ争いで大喧嘩を始めるなんて事もあったとか、
江戸の華は火事とケンカとゆうのが一緒に来た事例でしょうな、
ってドッチでもイイからケンカする間に火を消せよって感じ?(笑
平蔵の組織が大名消防や町衆消防と、どう違うかは分かりませんが
名前に火付け〜と付くところから放火の捜査もやったのでしょうか?
当時、放火の罪は重く、放火犯は火炙りの刑だったとか(恐
火付け〜改め長官を8年もやった平蔵だそうですが、
松平定信に何やら嫌われ、それで火付け〜改め長官とゆうハ−ドな
仕事を長く押し付けられてた〜とゆう説があるそうです。
ちなみに平蔵は遠山金四郎の前の時代の人だそうで
平蔵は度々、屋敷を変えたそうですが、金四郎の屋敷が
平蔵が前に住んでた家屋だったとか何とか。
類は類を呼ぶんですかねぇ?



#3807 
民本主義者 2003/02/28 11:50
遊牧民のコスプレ

漢民族に対する牧畜民の文化の影響と言えば連想するのは、趙の武霊王の「胡服騎射」制の
採用です。戦国時代に生き残りのために儒教の定めた服装を捨てて遊牧民の服を着用し、
馬に乗って弓を射る攻撃方法を軍に取り入れました。大室幹雄著『滑稽』(岩波現代文庫)
によると、武霊王自身が朝見の儀式の際に「胡服」を着て、貝で装飾を施したベルトを締めて、
頭には鳥の羽根を立てていた(!)そうです。武霊王自身が異装好きなカブキモノ
(「滑稽」)だったというのが大室氏の説です。
いきなり話が近代に飛びますが、例の溥儀が満洲国執政の就任式に清朝皇帝の式服である
龍包(ロンパオ)の着用にこだわり、日本側が反対した際、側近が「西洋式の服でも
よろしいではありませんか」と説得したとき、この趙の武霊王の「胡服騎射」を
持ち出したそうです(児島襄著『満州帝国』文春文庫)。しかし溥儀って漢族じゃなくて
満洲族なんだよな〜。これは漢族が周辺民族に与えた影響の例、と言えるでしょう。
歴史観まであたえるんだから、あらためて漢文化の影響力の強さを思い知らされます。



#3806 
ホリ−・ハンタ− 2003/02/28 00:04
中村主水は本当に木っ端役人なのか?

最近、何を血迷ったか、必殺仕事人にハマっております。(自爆
何といっても、表は窓際同心、裏は非情の剣客・中村主水が
シブイ!何か今の世相に合ってるような気がします、
リストラに怯えて元気の無い中高年の期待の星って感じ?
んなわけないか。このシリ−ズは出世とは縁の無い同心で
しかも婿養子であり嫁と姑にイビラれる
主水の表の顔の、これでもか〜とゆうくらい情けなくて
哀愁が漂ってるわけなんですが、
思い出したんですが、ある江戸時代研究家のかたの文章で
中村主水のダメ同心ぶりを受けて、では、同心とゆう職務は
侍の中では、そんなに待遇がヒドイ階層なのか?とゆうと
南町奉行所とゆうのは、江戸の半分が管轄と単純に考えれば
南町奉行は、単に今でいう警視庁のトップとゆうだけでなく
奉行所は警察の他に裁判や一部行政の権限もあったりと
守備範囲が広く、江戸に知事が二人いて、そのうちの
1人が南町奉行ということで、そこで働く同心は平でも
お家断絶や廃藩がよくあった世相の中の不安定な藩士より
南町同心は収入が安定していて手当ても色々付いて
無難にこなせばオイシイ役人だったとか。
で、一般的にみて、男子の無い武家の長女が
同心と旗本と、どっちを婿養子にとるか?と単純な選択で
考えると、同心をもらう方が手堅く現実的ではないか?
とゆうことだそうで。
もっとも同心じたい旗本出身の人間が多かったようで、
身も蓋も無いか?(自爆
ところで、明治政府が発足して警視庁が出来たわけなんですが
江戸の奉行所の同心たちは、警察官になったりした事例も
あったんでしょうかねぇ?やはり薩長の人材が警察でも優遇
されたんでしょうか?




#3805 
徹夜城(自分の専門の地域・時代はどこだか定義しにくい管理人) 2003/02/27 21:28
名探偵湖南

先日書いていた「近世」がらみの話ですが。
いちおう一般化するなら「近世」というのは「近代」を準備する時代ということになるようで、相良さんの書いていた「初期近代」って言い方の方がすっきりするところはあります。
日本史ではおおむね江戸時代、もそっと細かく言えば織田信長の入京からを「近世」とする見方が強かったみたいです。これも最近ではどう言われているかわかりませんけどね。
「ムロタイ」ネタの取材もあって最近中世天皇制の研究者・今谷明さんの本を数冊読んだのですが、そのなかで興味深かったのが戦後歴史学界の「信長びいき」の傾向の指摘でした。今谷さん自身は信長に対してかなり辛辣、というかあまり高くは評価しないんですよね。足利義満の「皇位簒奪計画」を論じて学界からも高い評価を受けた今谷さんですが、信長のことをけなしたらかなり批判されちゃったとか書いてました。意外にも?歴史学の世界の「信長びいき」は戦後の「進歩的」な姿勢と連動していて、「信長=革命的」というイメージを強めたところがあるのかもしれません。少なくとも今谷さんはそうとっているようですが…

中国史の「近世」の論争ですが、京大系のルーツ的存在である内藤湖南が辛亥革命直後の1914年に「明代以降を近世とするのは“素人の考え”であり宋代以後が近世である」という趣旨の主張をしたあたりが最初のようです。その根拠は「君主独裁政治」「庶民の台頭」「新文化の勃興」という西洋史におけるルネサンス時代に通ずるものがあるからというものでした(例の岸本美緒『東アジアの「近世」』の受け売りですが)。
しかし戦後の、特に東大系のマルクス史観的歴史研究では「時代区分」というやつは「階級間の生産関係」に基づくという発想がありまして、そこでは宋代ってのは地主-佃戸制度が西洋の農奴制にあたるから「封建社会」であり「中世」だ、という定義がなされ、激しい「時代区分論争」がおこなわれたわけなんですね。
もっとも論争自体もなかなか単純に区分けできないところがありまして、例えば僕の教わった先生(故人)などは明代に「奴隷制」に匹敵するものを発掘してましたしねぇ…

日本史の話になりますが、同じ内藤湖南は日本史を「応仁の乱」の前後で真っ二つにぶった切って「まったく別の国と言ってもいいぐらい違う」という趣旨のことも言っております。もちろんいろいろと疑問点もある切り方ではありますが、日本史にせよ中国史にせよ目の付け所はかなり鋭いところがあります。
つくづく昔(特に戦前)の歴史学者ってのはジャンルを超えて物凄く幅広い研究をやっていてビックリさせられることがありますね。



#3804 
徹夜城(どうにか一仕事をほぼ終えた管理人) 2003/02/27 21:08
とりあえず一つ肩の荷が

…降りました。ここ一ヶ月ばかり格闘していたものがとりあえず完成体になってくれまして…成果につきましては「俺たちゃ海賊!」コーナーにて近日航海、もとい公開予定。
とりあえず「ムロタイ」の完結を急ぐことにいたします。そのあと「海賊」コーナー整備後に次回連載企画…ということになる予定。

>原田さん
ご紹介の記事、読ませていただきました。
そうですか、和田邸はその後そういうことになっていたのですねぇ。「東日流外三郡誌」の問題にはあまり首を突っこんだことは無いんですが、もっとも最近の「現象」という点では傍から見ていても注目されるところですね。
そういや「武功夜話」偽書説の件はその後議論はどうなったのかな?

>たみおさん
HP公開5ヵ年計画…ですか。遠大なことでありますけど、その前に息切れしないように頑張ってくださいね。そういえば僕のこの「多趣味の城」もなんだかんだで5年以上やってますねぇ。
日本のオタク文化ですが、これも案外日本発の文化としてけっこう海外にも拡大の気配を見せてますね。まぁ一部マスコミで報じられるほどでもないとも聞きますが…
ロンドン行ったとき、漫画店にも2軒ほど足を運びました。大英博物館の前にもなかなか立派なのがありましてね、日本でも売ってる「マンガの書き方」英語版だの「安彦ガンダム」の英語版、「バカボンド」英語版が早くも売られていたりしました。欧米の作家のマンガでもかなり日本アニメ調のものが目立つようになって来てます。

>阿祥さん
宦官という発想が遊牧民の去勢習慣から来ているというのはよく言われているところで、日本に関しては例の「騎馬民族王朝説」否定の大きな根拠にもなっています。
漢民族じたいが遊牧民的、というよりは長い接触のうちに融合していった、ってあたりが正確じゃないでしょうか。それを言い出すと中国国内および周辺の遊牧民族や非農耕民にも「農耕文化的特徴」が絶対見つかりますしね。



#3803 
阿祥 2003/02/27 20:16
宦官の遊牧民由来説

漢民族のことを調べていたときに、この民族の遊牧民由来説が同じ根拠で語られていました。宦官の風習が、遊牧民族の去勢に従ったものなら、漢民族は遊牧民族的な部分を持っていたと言うことになります。陳舜臣さんの本にも“牛耳をとる”風習が遊牧民の中に残っており、漢民族の文化に影響を与えたと言うことが語られていました。(客人に最初に牛の耳をご馳走すると言う風習だったようです)
また、言語的に漢語はチベット語と同系統の言葉とされており、チベットは遊牧民族といっていいでしょうから、この面からも漢民族の遊牧民起源説をとなえることは可能です。

漢民族は周辺の遊牧民族に対して自身のアイデンティティーを区別していますが、本当は自身も遊牧民族の末裔的な面が多く残っているのじゃないか。こんなことを言うと、中国人に怒られそうですが・・・。



#3802 
2003/02/27 13:34
宦官と馬賊で中国ネタということで。

家畜を去勢する技術は日本に伝わっていなかったハズ。
この技術は牧畜民族に由来するもので、これを人間に応用してできるのが宦官。
日本には去勢家畜もいなかったし、宮廷や大奥に宦官もいなかった。
得失はプラスとマイナスとどっちだろ?

馬賊になった日本人といえば「小日向白郎(こひなた・はくろう)」が有名ですね。
朽木寒三『馬賊戦記』(徳間文庫)の主人公です。
http://homepage2.nifty.com/tanizoko/kohinata_hakurou.html
↑のような紹介サイトもあります。




#3801 
貧乏神 2003/02/26 23:10
Doll's Festival

ちと早いですが、ひなまつりのことを英語でこういうんだそうです。三人官女が three
court ladies で、五人囃子が five court musicians 、御所車は ox carriage だとか。
なんか、微妙にアレな気もしないではないですが。しかし、牛車の牛は去勢してたん
だろうか。

>倭寇
「倭寇があれだけやったんだから、秀吉の出兵も誇大妄想というわけではなかった」
とかいう話もありましたね。

>相良義陽さん
恨みはなくても、卒論って、発表するもんでは… (^^)

>「近世」
以前、2chの日本史板に「古代と中世の境界は?」というスレがあったのにでくわした
のを思い出しました。院政の開始からが中世という説が有力みたいですが、結構議論が
分かれるみたいですね。
古代の地層から多く発見される公家の化石が中世以降の地層からは発見されず、かわり
に武士の化石が多く発見され、地層の境界にイリジウムが濃集してる、とかだと
わかりやすいんですが。(^^;

>坂の上の朝鮮半島
「坂の上の雲」の中で、「半島国家というのは維持が難しい」という記述があったん
ですが、思わず、「ローマやスペインはどーなる」と突っ込みを入れたくなったことが
ありました。司馬氏の癖として、割と適当な仮説や一般化を断定口調で書いてしまう、
というのがあるようで。

>エロマンガ
巷ではバヌアツ共和国のエロマンガ島が有名ですが、オーストラリアのクヰンズランド
にもエロマンガという名の地があるようです。って、何の話だ。




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