☆歴史のトップページに戻る
<<<過去ログ5201〜5300
過去ログ5001〜5100>>>

#5200 
夜なべ紳士 2004/10/10 02:21
ヨーロッパのアジアアプローチ

16世紀のヨーロッパ諸国が日本全土を征服することはできません
当時の覇権国家スペインは近場のイギリスへの上陸作戦に失敗し国を傾けている始末。
日本を征服しようとすると、万単位の軍隊が必要であり、長大な航路、補給、疫病、反乱、といった障壁だけでなく財政的な裏づけも必要となってくると征服そのものは限りなく不可能に近い代物であったと思われます。
但し、インドや東南アジアのように稜堡を備えた確固とした交易拠点を日本近海の島嶼部に築くことはできたかもしれませんが・・・
鄭成功がマニラに朝貢を求めたとき、マニラの防衛兵力は600人程度。時の総督が台湾の次はフィリピンだと思わせるぐらいの兵力しか、スペイン帝国のアジア支店にはいなかったということ。

スペイン、ポルトガルやロシアのコサックが征服した土地におおかた共通しているのが領土の観念が薄い住民の居住地であり城壁もなく、戦争は土地を得るものではなく奴隷をはじめとした財産を略奪するという文化の国といったところ。アメリカにしろ、東南アジアの島嶼部にしろ数百単位の少数の部隊で征服してしまったわけで、仮にヨーロッパや中国・インドにあるような大規模な城壁がそれらの国の都市に備えてあったなら征服し得なかっただろう。逆に、それらの土地の住民がヨーロッパ人の籠もる城壁をめぐらした拠点に攻め込んでも、攻城戦の経験がすくないだけに落としえなかったわけで、アチェやマラタムのスルタンがマラッカ(ポルトガル)やバタヴィア(オランダ)を万余の軍隊で攻めても失敗してしまうのもやはり城壁というものに不慣れな上に、火砲で撃退されるという図式があるからじゃないかな

http://home.owari.ne.jp/~ouka/


#5199 
是流陀 2004/10/09 12:55
熊の手

熊の肉というものを食したことがあります、硬くて
あまり味がしない、何だかゴムを噛んでるような食感(笑
熊肉を持ってきた人の話しでは熊は体が筋肉質で脂身が
あまり無く、まぁ食うとヘルシ−かもしんないが味が
せず、だしが取れない食材で、高級食材の熊の手、
薬になる熊の胃?肝いがいの部位は処理に困るとか。
人間でも言える事ですが、同じ体積でも筋肉質の人と
脂肪多めの人とでは、筋肉質の人の方が体重が
重くなります、月の輪熊も、成年の熊は大体、身長1m
をちょっと越える程度の大きさが普通なんですが、
それで体重は100sほどになり、目方だけみても
この野獣が繰り出す打撃は結構、痛そうでしょう。
熊は人を殴る、とよく言われますが、人がパンチを
するような動作では無く、手首のしょうていを上から
振り下ろすような感じが当てはまるかも。
射殺された熊の手の平を見たことがあるのですが
大きな爪が付いた筋肉の塊のグロ−ブのようなもので、
これで打撃されると、たまったもんじゃないなと思い
ました。
人間でもボクシング以外では、拳よりも、手首の
しょうてい で叩く方がダメ−ジが大きいそうです。
私は、振り向き様に、しょうてい を食らって
前歯が数本折れた事があります。




#5198 
尾鳩 2004/10/09 12:19
台風で飛行機が欠航にならないように祈って下さい

ちょっとした用事で実家に戻らないといけないもんで。

>地震とガス
地震の前でしたっけ、それとも山津波の前かな、地中のガスが地上に出てくるため、ガスくさい匂いが漂うという話。いやね、ちょっと臭い話なんですが、寝床で体内ガスを漏らしてしまったんですわ、へへ。
隣で本読んでたかみさんが、その匂いに感ずいて、ちょっと小言を言われてしまい、「いや、これは俺じゃないよ、これ地中のガスが出てきてるんじゃないの、地震が近いかもよ」なんてこと言いながら、かみさんの小言をはぐらかしていたその瞬間、本当に地震が来ました(w。
大自然から突っ込みをくらったのかもしれませんが、さすがに規模が違いますなあ(笑。

>熊殺し
高校時代の友人で、熊殺しの技を極めると言い出し、合格した大学を蹴り、本当に九州の山奥に消えてしまった奴がいたなあ・・・。
大分で温泉につかり、牧場で働きながら独自で「空手」もどきのものを練習していたらしいが。ユニークな男でしたが、今何してんのかなあ。
山篭りなどせず、普通に極真等のフルコンタクト系の空手を習っていたほうが、もっと強くなったように思うんだけどなあ。
香港にいたとき、あちらで極真(極真会の方)を教えてらっしゃる方と交流があり、一緒に飲んだり、手合わせをさせてもらったりしていたんですが、やはり強かったですねえ。前かがみの異様な姿勢で、独特のフットワークと共にパンチ、蹴り、肘のリズムでいつの間にか間合いに入られている。間合いにくると頭を抑えられ、肘蹴りの連続・・・極真の強さを身でもって感じた瞬間でした。
まあ、BBQの場所で余興でやったんですけど、本気だったらぼこぼこにされていただろうなあ・・・極真はやはり怖い。

>熊よりも怖いもの
熊と言えば、小学校時代、田舎では秋になり熊が出る時期になると、集団下校で空き缶や声を張り上げて帰宅してましたよ。ツキノワグマは、子供がいると凶暴になりますが、本来は臆病な動物ですから。大きさも結構小さいですからねえ。
一番恐ろしかったのは、何といってもスズメバチ。田舎の山でこれに出くわしたら、とにかく服を脱いで、やたらに振り回し注意を引きながら逃げるしかなかったですから。
なんせ、山スズメバチ等、体長4センチから5センチになりますからねえ。
家に入ってきたときの「ブーーン」という異様な音、親指を刺されたときなど、本当に2倍以上に膨れ上がりましたからねえ、1週間ぐらい、耐え切れないかゆみを伴った鈍痛に悩まされたもんです。

東京等で問題になっている黄色スズメバチとは、共存の関係にありましたね。
実家には毎年、勇壮な黄色スズメバチの巣が作られてましたし。夏休みの終わりから秋の初めにかけて、自分も含め必ず一人は犠牲者が出てましたが。そのたび、小便を掛け合ってましたねえ(笑。
実際、小便ってあまり効果が無いとか聞きますが、本当のところどうなんでしょうねえ。



#5197 
くれど 2004/10/09 10:19
地震はぜんぜん 気が付きませんでした。

足柄山の 金太郎 熊にまたがり お馬の稽古?でしたっけ?

サイカにしても 雑賀にしても スペインのハポン?にしても、山田長政にしても
奴隷売買、被差別という問題が すっぽっり抜けて 言説が語られがちですな。






#5196 
景虎 2004/10/09 03:34
どうぶつさん

大山倍達の牛殺しについては、色々な説があるようですが、殺したという確実な証拠はないようですね。私が観た映像では、牛の突進をよけたり、角を掴んでひねり倒していましたから、いい勝負をしたのは事実だと思いますが。
それよりも私が驚いたのは、牛の体重ですね。スペインの闘牛では300キロ程度の牛が多く、大きくても500キロくらいだそうですが、牛同士が戦う日本の闘牛用の牛はもっと大きくて、1トンくらいのやつがいるようです。大山倍達が戦った牛の中には、700キロを超えるやつがいたとか。
この700キロ牛と大山倍達が戦っている写真を見ると、牛の頭が大山の頭の高さとあまり変わりません。スペインの闘牛は、闘牛士の腹〜胸くらいの高さである事と比較すると、700キロ以上というのは誇張ではないでしょうね。

>ウィリー・ウィリアムズ
ウィリーの熊殺しについても色々言われていますが、大部分はガゼネタですね。

・熊は口枷をはめられていた説。
映像を見るとそんな物はありません。

・ツメを抜かれていた説
普通に見ると分かりませんが、スローでみるとはっきりツメが見える場面があります。

・熊は牙を使ってない説
これもスローで見ると、組み合った時に、ウィリーの首〜肩のあたりを数回噛もうとしているのがはっきり分かります。そのたびに、熊の頭を掴んで引き離してますが。
離れた後、もう一度組み合う場面がありましたが、今度は最初から両手を熊の首に当てて熊の顔を接近させないようにしてます。最初は何でこんな事をしているのか分かりませんでしたが、スローでもう一度確認して、「ああ、噛まれないようにしてるんだ」とやっと分かりました。

・熊はツメを使ってない説
ツメで殴るような動きは確かにしてません。ツメでズボンを引っ掛けて固定する場面はありましたが。

・熊は麻酔を打たれていた、又は食事をぬかれていた為、衰弱していた説
映像からは分かりません。
ただ、熊は空腹で弱っていると、殴らずに噛もうとするらしいので、空腹だったことは考えられそうです。

この映像だと、最後に倒れた熊に馬乗りになり、熊の咽のあたりを連打すると、熊が苦しそうに鳴いて、転がってウィリーから逃げようとしている場面で終わっているので、実際には殺していない可能性が高そうです。
ウィリーは身長2メートルですが、ブルース・リーの様に細いので、体重は100キロしかありません。それに対してこの熊は、体重300キロを超えているので、200キロくらいの熊(北海道のヒグマの雄の平均がこれくらい)なら、もっと確実に倒せたかも?知れないですね。

>プロレスラー対熊
その番組かどうか分かりませんが、学者が熊とプロレスラーの戦いを観て、熊の体当たりの衝撃力を計算したという話があります。
それによると、そのプロレスラーは緊張のためか動きが鈍く、熊の体当たりを数回食らってふっとんだそうですが、その衝撃力が3トン〜5トンだとか。ただ、ふっとぶことで、衝撃力は四分の一になるので、実際に受けた衝撃力は大型力士の体当たり程度になるようですが。
結局、プロレスラーのボロ負けではありますが、そんな体当たりを数回受けても、大きな怪我をする事もなかったそうですから、普通の人間からみると、それだけで十分脅威的なことです。
因みに、以前テレビで見たのですが、プロの野球選手が木製バットでフルスイングした時の衝撃力が600キロ(うろ覚えですが松井だったような)でした。それに対して、K−1の選手くらいになると、中段や下段の蹴りの衝撃力は1トン以上あります。衝撃の持続時間もバットより蹴りの方が長いので、あの人たちは、プロ野球の選手がバットで殴りあうよりも強い衝撃に耐えている訳で、とんでもない人達ではあります。

さて、この熊の体重は、ウィリーが戦った熊よりやや軽くて、300キロ。プロレスラーはウィリーと同じ100キロだとか。この二つの例から判断すると、重量級の格闘家の場合、体重差3倍では、勝てる可能性はかなり低そうですが、2倍くらいなら勝てなくてもいい勝負になるかも?という気がしますね。まあ、実際にやるには危険すぎますが。

しかし、戦闘能力について考察してみると、誇張と思いがちな昔の豪傑のエピソードの中にも、以外と事実が含まれているかも知れないなあ・・・と考えてしまいます。



#5195 
船頭の孫 2004/10/08 07:25
スペイン・ポルトガルの「世界征服」

スペインやポルトガルといったイベリア勢力による「世界征服」は日本では過大に評価されているような気がしますね。実態としてはそれまでの在来勢力による海上交易網に武力で部分的に強引に食い込んだというものだとしか思えません。

内陸に確固とした征服地を確立できたのは軍事技術に大きな開きがあった新大陸だけで、同系統の軍事技術を持つアフロ・ユーラシア諸地域に対してはせいぜい海岸の交易拠点を奪取、占拠したに留まり、内陸の「国家」や「王朝」に対してはほとんど歯が立っていないというのが実態ではないでしょうか。

海上と海岸の「点=港湾都市」と「線=航路」は確保できたけど、内陸の「点=拠点都市」と「線=都市ネットワーク」、さらにはその間を遊弋する遊牧系軍団を主体とする軍事集団の制圧にはほとんど成功していないと言って良いと思います。

こうしたアフロ・ユーラシアの内陸部の征服に早期から成功したのは出自から言ってその内部にモンゴル・チュルク系遊牧勢力(実はコサック集団もチュルク系遊牧集団と深いかかわりがあるらしいし、ロシア貴族の中にはモンゴル帝国ジョチ・ウルスの貴族家系がかなり見られる)を大量に抱え込んでいたロシア帝国ぐらいでしょうし、本当の意味でヨーロッパ勢力が内陸勢力を軍事制圧するようになるのはイングランド、フランスの台頭を待たなければならないのではないでしょうか。

私には当時のイベリア勢力が(意志は別にしても)日本を軍事制圧する能力があったとはとても思えません。



#5194 
船頭の孫 2004/10/08 07:03
クマさんの来る事情

どうも、今年は台風の直撃が多すぎてツキノワグマが越冬のために大量に食べなくてはならない山のどんぐり類がほとんど叩き落されてしまい、餓えて里に降りざるをえない状態になっているようですね。夏の異常高温で行動が撹乱されている可能性を指摘する声もあるようです。

ブナの実、どんぐり、クリの実といったブナ科の果実の生理的リズムによる豊凶の年変動によって起こるクマの降山現象は以前から知られていましたが、今回の台風による影響はそれよりも激しそうですね。

ただでさえ絶滅が危惧されている日本のツキノワグマですので、餓えた個体がごっそり降山してみんな駆除されてしまうという事態は好ましくないのですが・・・



#5193 
ひで 2004/10/07 23:31
熊殺し

>空手バカ一代
あれは大山倍達なので、熊ではなくて牛殺しですよ。
熊殺しのニックネームをつけられたのは、その大山倍達がはじめた極真空手のウィリー・ウィリアムズです。ただ、戦ったことがあると言うだけで実際に殺してはいなかったような記憶もありますが。なお熊とウィリーが実際に戦っている映像もあるのですが、その時、相手の熊は餌をたくさんもらって満足しきっていたとか薬で弱らせていたとか色々言われています。

http://pezetairoi.hp.infoseek.co.jp/


#5192 
ブッチャ−3世 2004/10/07 23:15
熊(笑

>熊
ドイツでは熊は昔から神聖視されていて、ベルリンという都市の
語源も熊の街って話しだったかな。ってかドイツでは熊は絶滅
しちゃってませんか、確か。
熊は身体の構造上、引っ張る力は物凄く強いが、押しのける力は
あまり出ない、熊は懐に入られると戸惑うらしく、
熊を投げ飛ばした人たちの伝説は、熊のそういう生態からなのかな。
熊は爪で人を引っかくような感じで殴りかかってきますが
ボクシングでいうストレ−トやアッパ−は出来ず、
フックが出来る程度なんじゃないかな、と、そのフックにしたって
かなりの破壊力だとは思いますが。
空手バカ一代のモデルは熊を倒したって本当なんですか?
私は昔、藤原という名のプロレス選手がアラスカヒグマの居る檻に
入り戦うという無謀な企画がTVでやってるのを見ました、
結果は当たり前というか藤原選手まったく歯が立たず熊にネジ伏せられ
むしろアラスカヒグマの居る檻に入って死なずに出て来れただけでも
すんごいな、とは思いましたが。



#5191 
景虎 2004/10/07 17:39
てっぽうパンパン

>「これが大量に配備され、野戦でも使われたら対抗しようがない」
誰だったか忘れましたが、野戦で使った人がいましたね。朝鮮の人も驚いたでしょうねえ。まあ、絶対的な戦力差にはならなかったようなので、対抗しようがないというのは大げさな気がしますが、それだけ衝撃的だったということでしょうね。

>くまくま
最近、あばれてますね。
これも環境の変化?によるものなんでしょうか。

>やはり力が強い、パンチはマイクタイソン並と思って間違い無さそう(汗
真面目に考えると、ツキノワだとよほど大きいヤツ以外は、マイクタイソンとまではいかないでしょうねえ。ヘビー級ボクサーのパンチの衝撃力は、大体700キロ前後ですから、体重100キロを超えるものが滅多にいないツキノワグマだと(体重50〜60キロが多いようです)、もう少し弱いかと思われます。
まあ、クマは爪があるので、爪の部分があたれば殺傷能力も大きくなりますが、パンチの技術がないので、爪と牙の攻撃を受けないことが重要でしょうね。

余談ですが、去年だったか、一昨年だったか、60代の元自衛官(柔道経験者)がツキノワグマを投げたという話がありましたが、この人は体重が重く、あだ名はクマさんだそうで、クマさんがクマさんを投げるというダジャレになっていたので、感心してしまいました(笑)。



#5190 
徹夜城(また書き忘れをした管理人) 2004/10/07 12:11
書き忘れ

 下の書き込みのクマさんに関して、ネタを一つ書き忘れました。
 一昨日でしたか、鳥取県の梨園でお爺さんがクマと出くわして襲われ大怪我を負うという事件がありました。お爺さんいわく「(家内かと思って)声を掛けたら家内じゃなくてクマだった」そうで(笑)。



#5189 
徹夜城(XPSP2にしたら面倒もいろいろ起きた管理人) 2004/10/07 12:09
ある日森の中クマさんに出会った♪

>足塚さん
 全国的に多発してますねぇ、「クマとの遭遇」が。いきなり射殺してるケースもありますが、なるべく麻酔銃で森へ帰らせるという穏便な方法でいってもらいたいもんです。それ、麻酔銃だ〜♪ネット砲だ〜♪って、これが分かる世代はこの板にどれほどいるのか(笑)。
 伊達政宗の支倉使節団の件ですが、大河ドラマ「独眼竜政宗」ではスペインの無敵艦隊を呼ぶとかいろいろ政宗が謀略をめぐらした…というよりは「考えなくもなかった」って感じに描かれてましたね。それで帰国した支倉常長を幽閉しちゃうというオチで(キリシタンになっていたということもあったけど)。


>鵺さん
 手塚漫画に出てくる「謎の生物」は超有名な「ヒョウタンツギ」ほか結構たくさんいるのですが、その蜘蛛?かアメーバー?みたいな「ホーサヨカ」というキャラは「ロロールル」というのだそうです。さっき「ブラックジャック」に出てきた手塚キャラ名鑑で確認しました。



#5188 
2004/10/07 00:52
連想ですけど

手塚漫画に「ホーサヨカ」って居ませんでしたっけf(^^;)、蜘蛛みたいなので。



#5187 
足塚玉虫 2004/10/07 00:43
地震もあったが、熊も多いですよ最近

地震はありました、昨日、福井が震源の奴で。
熊も近所で、出ました(汗
本州の月の輪熊は熊としては世界的には小さい方なんですが
やはり力が強い、パンチはマイクタイソン並と思って
間違い無さそう(汗
皆さん、最近の熊は死んだ真似してもダメらしいですから、
ご注意を。我が県のあるお婆さんは庭を掃除中に熊に遭遇し
ほうき で熊を叩いて撃退したとか、とにかく背中を見せたら
やられるみたいで、ゴルゴ13みたいに俺の背中に回るんじゃ
ねぇ、って気合いで、かからんといけんみたい。(汗

>西洋が中世後期、近世初期に日本侵略の可能性
ルイス・フロイスの几帳面な日記とかって日本を誉めてる
ところもありますが、だいたい、結構、日本が物産が地味で
黄金のジパングでも何でもない渋い国だよって正直に
書いてた感じがあり、あれを西洋の支配者たちが額面通り
受け取れば、侵略する気にはならなかったと思いますね。
ザビエルなどは、特に、あからさまに、日本は西洋が
欲するような金銀宝石、香辛料は無い侘びさびな国だ
とスペインポルトガル王へ書き送り日本への侵略意欲を
削いでいたって話しも。
むしろ、伊達政宗あたりが乗り乗りで旧教国を呼ぼうとしてた
のじゃないですか?支倉氏が帰国後幽閉されたのは
スペイン・ポルトガルを抱き込んで徳川転覆しようと
企てたけど失敗したから、陰謀の滅却を図ったのじゃないんですか?




#5186 
中西豪(そうか、徹夜城さんはあのあたりにお住まいだったな) 2004/10/07 00:31
かぶっちゃいましたね

オフで書き置いて、書き込みの現状を確認せずに送信したもんだから(苦笑)。

2350頃でしたか、地震。速報が出て、ああ、吃驚されるくらいの規模だな、大丈夫か知らん、と思っていましたが、まずはお見舞い申し上げます。



#5185 
中西豪(兵站崩壊、でも東征するんだ鎮西大将軍) 2004/10/07 00:25
まあ、正体不明でも

人名表記は史料に即して正確にしておきましょうや。

後孫が編んだ金忠善の文集『慕夏堂集』所収の年譜には「沙也可」。
「姓は沙、名は也可」、と書かれているんですが、そのまま受け取る研究者はほとんどいなかった、はず。平戸に「沙(いさご)」という姓があるから、それではないか、という指摘はあって、それに取材した小説もありました。

『朝鮮王朝実録』宣祖30年(1597)11月22日条では「沙也加」。

いや、しかし、より古い記録である「沙也加」の当時の正確な発音を再現するというのは盲点でしたな<ななさん。おひさしぶりです。
東京から戻ったら、久しぶりにQ大朝鮮史研究室に行って、『李朝語辞典』をひいてみるか。最近はもっといい辞典が出ているかもしれない。

>沙也加はサヤカ
柴田錬三郎賞を取った宮本徳蔵の小説『虎砲記』では、その主人公沙也加の正体は『宇都宮高麗陣日記』に触れられている、加藤清正の部将で朝鮮に投降した(らしい)阿蘇宮越後守とし、「彩香(だったと思う、二字目が香であったことは確か)」という、そのまんま「さやか」と読ませる名を設定しています。なんだかなあ、戦国時代の男性名として不自然じゃない? と思ったものです。
他の降倭が皆、「沙古汝武(さくえもん)」「要叱其(よしち)」のような通称であるのに、ひとり字(あざな)を名乗るというのも不自然、いや、ひとり「将倭」として偉ぶっていたのか? まて、通称といえば、自称受領(○○守とか勘解由とか兵庫とか)を申告して音写された可能性もあり? 「沙也加」の音に近い官職名を探してみようか知らん。
「『沙也加』は『サヤカちゃん』で女性名」である、という究極の仮説は、トンデモ系歴史小説のネタとして良いと思うのだが、元ネタ、降倭将沙也加の史実がまだまだ知られていないから、パロディとして受け入れられる下地はないか。

是流陀さん>
こんばんは(書き込み時間準拠)。

>信長の鉄板巨船の艦砲
耶蘇会関係文書では「三門の大砲」を搭載していることを特記していますね。
「この手の大砲は豊後の王(大友宗麟)の小型砲しか日本には無いはずだが」といぶかしんでいます。そのことから、薬室分離式後装砲、いわゆる仏狼器(フランキ)形式の大砲ではなかったか、と思われます。大田牛一『信長公記』の異本には、この大砲について「薬量16斤(9600グラム)」とあるそうです。当時の弾丸重量は装薬(発射用火薬)の二倍程度が普通でしたから、鉛玉換算なら口径15センチ弱の巨砲になります。ポンド換算で42ポンド砲、同時期の西洋大帆船の最大級艦載砲に、単純な口径・弾丸重量ならばひけはとりません。
それよりも耶蘇会関係者が目を見張ったのが、「無数の精巧な大銃」でしょう。おそらくは火縄銃をそのまま巨大化したようなもので、百匁筒、銃身長2メートル、口径45ミリ程度のものですが、実は、同様の火器を壬辰戦争で朝鮮側は非常に恐れます。貫通力が強く、李舜臣の片腕、鹿島万戸鄭運は釜山浦突入戦を指揮中、あの亀船の最奥部に居た(負傷して船室に収容されていた)のに、この大銃の弾丸が飛び込んできて即死した、といいます。宣祖王の御前会議で議題にされたことです。鹵獲した現物が引き出され、「これが大量に配備され、野戦でも使われたら対抗しようがない」とまで言わせています。
張り立てて作る(鉄板を鍛接して円筒にし、リボン条の鉄板を蛭巻にして補強)日本式の鉄炮は強力な装薬の爆発に耐え、それだけ弾丸威力も強かったわけです。壬辰戦争時の明や朝鮮の鳥銃は、形こそ日本の鉄炮に似ていても銃身は鋳造が多かったようです。
朝鮮の大砲は「天字銃筒(口径10センチ前後)」「地字銃筒(口径8センチ前後)」あたりが、主力大口径砲で、海戦や攻城戦で威力を発揮しています。日本側に鹵獲されたものも多く、「砲術家大名」と綽名してもいい毛利高政は自身多数持ち帰って大坂役でも使いました。大坂役で豊臣方が用いた「太郎筒」「次郎筒」といった大砲もこれであろう、という推定があります。

徹夜城さん>

>今週の劇画「沙也可」
見事に通説的(「唐入り」の失敗・豊臣政権の失墜を予見し、巧みに日本残留を許される)な家康が出てきたのが、片腹痛し、いと可笑し。
雑賀衆の鉄炮技能の高さを見せ付ける演出も、なんだかなあ。九州戦国時代、鉄炮武者の技量のほどを伝える逸話もいろいろあって、おそらくは鉄炮受容も早かった宗氏(1400年代には銅銃の生産をしていることが朝鮮側に察知されているほど。下地は十分にあったはず)の一族が、ああも驚くものか……、いや、いちゃもんをつけているだけです。お気を悪くなさらず、って勝手な言い草ですね。

>ジオン独立戦争について熱く語る
まあ、今年も例によってIFCON(http://www.ifcon.jp/)の分科会で、大山元帥閣下とともに「南極条約史観」に毒された戦後史学を罵倒し、ジオンの正義を鼓吹する……、のですが、ふたりとも基本はオリジナルテレビ版43話ですね。「ジ・オリジン」は立ち読み・単行本刊行待ちで、まああれは「安彦ガンダム」であるな、と。素晴らしく素敵な「再話」ですね。ならば、われらも「俺たちの好きなガンダム」、もとい「俺たちの好きなジオン公国」を勝手に紡いでよかろう、というわけで10年、楽しんでおります。

ななさん>
>沙也加在日説
まあ、西北九州の海民にとって、大陸半島はきわめて身近・密接なものであったわけで。鍋島直茂が半島か大陸に移封を願ったのも、おべっかではなくて、「親類縁者が多く向こうで稼業に就いていて羽振りがいいので、移住したいんですけど」という領民の声を聞いて、家中一致のうえ願い出た、というのが事実なんですから。
「沙也加の正体」有力新説の原田信種、かれはかつての伊都国一帯を支配していた豪族で、漢の高祖劉邦の末裔を自称(あっ、だから「高祖」山城城主なのか)していますが、渡来系氏族で劉邦の末裔を名乗る連中は『三国志』魏志東夷伝あたりの半島の辰王の血統、という蓋然性が高いそうで、つまり、半島起源ということですね。



#5184 
徹夜城(地震多発地帯で生活する管理人) 2004/10/07 00:05
ズズズズ、ドドーン…!と。

 ホントに上記のような感じ。これは直下だ…!と思った。まさに真下から地響きと共に突き上げてくるような揺れ。ヒヤリとしましたが早めにおさまり、「震度4!」と勝手に観測してTVを見たら、震度5。しかも震源地がまさに茨城県南部で我が家とさして違いがない。
 僕の地元、茨城県南部・南西部というのは地震の巣でしてねー。とにかくしょっちゅう地震を起こしてる。そのぶん大地震はないんですけどね。震度3ぐらいじゃあビビらないですよ、この辺の住民は。震度4で「おお、今のは気合が入っていたな〜」などと(笑)。震度5はこれまでに二度ほど経験してますね。


>くれどさん
 地震で中断したレスを(笑)。
 増加したキリシタンを利用してスペインあたりが日本を侵略する可能性…ですか。可能性だけなら十分ありますし、文書などでも少なくともその意図があるにはあったことは事実として確認できるかと。日本近辺ではフィリピンがスペイン領になってましたし、キリスト教宣教師などの中には中国よりは征服可能と思ったんじゃないかな、という感触があります。ただ現実にやるとなると…結局できませんでしたしね。
 鎖国に関してですが、自分から引いていった部分もないではないと思います。イギリスの場合は完全に商業的な理由で撤退してますし、スペイン本国の力が傾いていたことも実際あるでしょう。その入れ代わりにスペインから独立したオランダが東洋に進出し、台湾を拠点にしたり鎖国中でも日本と交易を続けたりしてるわけで。そのオランダから台湾を奪取するのが倭寇の生き残りみたいな存在である日中ハーフの鄭成功だった、というあたりもこの時代の状況を象徴しているかもな、と思います。
 「鎖国」の原因についてもまだまだあれこれ議論が出ているところでして、これからもホットな研究対象であり続けると思いますよ。



#5183 
徹夜城(サーバー移転も無事に済んでホッとしている管理人) 2004/10/06 23:43
中国・朝鮮史料にみる日本人名

>サヤカちゃん関係
 「沙弥可」とお書きの方がいますが、資料では「沙也可」あるいは「沙也加」ですよ、念のため。
 「さやか」という読みはあくまで日本語の音読みを便宜上使っているだけでして、朝鮮語では「サイェカ」ぐらいになるんじゃないかと思われます。だから「雑賀(さいか)」説が出てきたわけなんですが…
 僕が「沙也可は佐衛門=沙也問の誤記」説に自然さを感じた理由は、朝鮮側で日本人の名前を音で記録した場合、「佐衛門」を「沙也文」と表記しているケースを知っていたからです。村井章介さんの「中世倭人伝」には朝鮮王朝実録に登場した様々な「倭人」(おおむね対馬出身)の名前が紹介されていますが、「耳沙也文」「沙豆沙也文」といった表現が同一資料にあり、それぞれ「仁佐衛門」「佐渡佐衛門」ではないかと推測されています。「沙也○」という音の表現が「サエ○」であることの傍証になるかとは思います。
 「佐衛門」がからんだ名前では「沙弥時羅」(佐衛門四郎)「沙伊文仇羅」(佐衛門九郎」といった表現が見られますね。
 「佐衛門」関係以外でとにかく目に付くのが「而羅三甫羅」(次郎三郎)「而羅多羅」(次郎太郎)「而羅時羅」(次郎四郎)といった、「○郎○郎」の重ね名前。「佐衛門」「右衛門」と組み合わせてのものも多く、なんだか当時の日本人は欧米人以上にファーストネームのバリエーションが少ないような気もしてきます。あ、「要時知」(与七)ってのもいますね。

 中国・明の記録に出てくる、倭寇中の数少ない日本人名をあたっていきますと、「辛五郎(新五郎)」「新四郎」「烏魯美他郎」「助才門(助佐衛門?)」「五郎」「如郎(次郎?)」「健如郎(健次郎?)」「通三&#22217;(通三郎?)」「彦太郎」といったものが見つかります。
 今度小説「鳳」でも出てくる、林鳳の副将をつとめていた日本人は「シオコ(SIOCO)」とスペイン側に記録されていますが、これは何だろう?と考えてとりあえず予告編では「正五郎」にしておきましたが、阿祥さんから中国語の「小哥(二番目の兄貴)」ではないかと指摘され「なるほど」と思った経緯があります。


>ブッチャー3世さん
 モスクワで殉教した日本人宣教師…!これ、大学2年のときかな、ロシア史の授業とってて課題のレポートで書いたんですよ!完璧に忘れちゃってましたけど(笑)。どこで元ネタみたんだったかなぁ…「えー、こんな人が!」と当時は驚いてネタにしたんですけど、それっきり触れてなかったんでわすれちゃった。


>くれどさん
 まぁ「沙也可」については九州人であれば何世代も前から済んでいた朝鮮系って可能性までは否定しませんけどね。だけどもしそうだったら、何らかの形でそのことに触れてると思うんですよ、子孫達の作った伝記などで。
 小西行長についても同様で、もし彼が朝鮮人(二世か三世かにせよ)そのものであったなら、それはそれで何らかの形で痕跡が残ると思うんですよ。吉良鄭に討ち入った赤穂浪士に中国系三世がいたことがわかるぐらいですから。小西行長が家の仕事柄、朝鮮との関わりもあり海外情報通であったことは考えられると思うんですが。

…うおっ!地震だ!久々にけっこう揺れたなぁ〜というところでひとます書き込み。



#5182 
くれど 2004/10/06 21:47
管理人さまと 中西さまに質問?

ホントに 切支丹の日本侵略って できたと思います?

ポルトガルやスペイン、イギリスの当時の日本来航はかなり 戦線を延ばしすぎという印象

があり、だから鎖国というよりも 向こうからの撤退という見方もありかなと思っています。

だから 立花さんの見解は少し 可笑しいと思っていますが。



#5181 
くれど 2004/10/06 21:32
在日という表現は ホントは良くないですが

小西行長 韓国人説というのを 隠れ念仏のごとく 信仰しているもので、こういう表現になりましたが。

また 岡田英弘先生の 日本は 華僑が作ったという説も 信仰しているので、古代どころか
鎖国の時代まで 大陸から 日本に人が流れてきていたと思っています。

その逆流がサヤカではないかと思うのですが。





#5180 
ブッチャ−3世 2004/10/05 12:55
さよか

>沙弥可
そんなに注目の人物?とは知りませんでした、でも、ですね、
日本に一番近い外国へ、まぁ当時は敵対国だった国へ加担した
わけですから奇特な人物でしょうが、個人的には
だいたい同時期に密使・支倉殿に同行して、そのまんま西洋へ
永住しちまって子孫は今もスペインに存在する侍たちとか、
キリシタンになりロシアまで布教に行ってモスクワの支配者に
弾圧され殉教してしまった謎の日本人宣教師とかが
すげぇ、何で、そんな時代に日本人が、そんな所にいるんだ?
と思ってしまいますね。
あと山田長政なんて人は、沙弥可と似た種の人物でしょうね。

>伊達の一斉射撃で味方の神保勢全滅
伊達政宗が家康の晩年に、色々、陰謀をしていた逸話は
いろいろな時代劇に出てきますけど、この大阪の陣の
神保事件もそれに含まれるんですかね、神保勢が先陣で
モタモタしてたから後ろの伊達にヤラれてしまったんだとか
神保勢が逃げ出したので敵前逃亡の阻止に撃ったんだとか、
神保勢がちょっと可哀想な見方もありますが。
伊達の鉄砲で全滅した神保勢に生き残りがいて彼らは
抗議に伊達の屋敷に押し掛けたが、彼らも伊達に密殺
されたという話しを聞きます。






#5179 
モーグリ 2004/10/05 12:07
そうですか

レスが遅れてすみません。

徹夜城さんへ
そうですか。すでにネット上で指摘されていましたか。なら別に新たに書き込むこともないです。
それと前回の書き込みは削除しておいて下さい。別に保存しておくほどの内容ではないので。



#5178 
なな 2004/10/04 23:24
沙也加在日説

いや〜…思うに私、くれどさんと話が合いそう。視点が似ているというか。(^^)
くれどさんの先日の一行書き込みを見て、「あ、それってスルドイかも」と思ったんです。

沙也加の先祖は前期倭寇に連行されてきた高麗人だったかもしれないし、まぁ、いつの時代にどういう事情で日本に渡ってきたかはわからないけど、ともかく、すすんで日本に帰化した渡来人とは違って、ご先祖は不承不承故郷を離れざるを得なかった……日本に根を下ろした後もかたくなにアイデンティティを保ち続け、子孫にも受け継がれたんじゃないかと。

日本で数代を経るうちに沙也加自身は母国の言葉を話せなくなってしまったけれども、代々の名前に祖国の響きを残してきたのかもしれない。
まぁね、日系人の例を見ても、ふつうは名字の方を守って、ファーストネームの方が先に現地になじんだものに変わりやすいですけどね。(アルベルト・ケンヤ・フジモリとか)
庶民に姓氏が行き渡るのは朝鮮半島でも朝鮮王朝中期くらいだそうで、沙也加の先祖が姓氏を持っていなかったというのはあり得ると思う。で、沙也加の家系がその名前に祖国のアイデンティティをひそかに込めてきたとしても、中世日本の社会はそんな「変わった名前を持つ家(あるいは集落)」が近所にあってもさして気にとめない大らかさがあったんじゃないか…?
どうせ庶民の大半は文字が読めなかったんだし。

とはいえ、沙也加が単に義憤を感じて朝鮮側に寝返ったとも思わないですねぇ。
「自分の持ってる技術を売って、父祖の国で一旗あげてやる〜!」…と思ったとか。
これから出世しようと思ってるのに、「私の先祖はかつてこの国の賤民階級でして」とは告白しないんじゃないかと。


沙也加の発音が「サヤカ」というのは、この時代の朝鮮語から割り出した、確かなことなんでしょうか?(←アキバツくんの例で懲りている。^^;)
韓国語は日本語より音の数が多いですから(中期朝鮮語は現代韓国語よりも多いんじゃないか?)、音の違いを聞き分けられる耳をあちらの人はもっているわけです。韓国語を習ってる者の実感としても、「さいか(さひか) さいが」を「サ "ヤ" カ(ガ)」と表すことはないんじゃないかと思うですよ。

沙也加に相当しそうな日本人の名前が見当たらないなら、中世朝鮮半島の庶民の名前でそれっぽいものがあちらの文献で見つけられないでしょうか?

>くれどさん
先月お返事下さった時、スペインのハポン姓のことが出てきたので思ったんですが、
もしかして城山三郎の「望郷のとき 侍インメキシコ」をお読みになってます?
でもって、日本人の末裔かもしれないインディアンを捜しに、メキシコの奥地まで探検に行こうと思ったことはありませんか!? (←すみません、いつもの病気です)



#5177 
徹夜城(また大事なことを書き忘れた管理人) 2004/10/04 13:16
明後日はほとんど丸一日アクセス不能になります

管理人のくせに、大切な連絡を忘れておりました…

このサイトの借りているBIGLOBEのホームページサーバーが変更になるそうで、その作業のために、

10月6日(水) 1:30〜20:00

に、当HPへのアクセスが一切停止されます。
ということなのでご注意くださいませ。



#5176 
徹夜城(ドラマ「三国演義」の二ヶ国語DVDを自作してる管理人) 2004/10/04 12:48
目にはサヤカに見えねども

>中西さん
 いよ〜待ってましたっ!(^^)。ここは専門家にご登場願わねば、と思ってたとこで。
 「沙也可」について詳しい解説をありがとうございます。まぁあの漫画サンデーの連載につきましては、とにかく企画が良く通ったものだと思うばかりで、連載の今後の展開には注目・期待しております。確かに沙也可本人は「狂言回し」にしたほうがいいのかもしれませんねぇ…李舜臣の海戦とか漫画で読んでみたい、とは思います。
 なお、僕が先日参考に読んだ「関連本」というのは中村栄孝大先生の論文なんて大仰なものではなく、学研・歴史群像シリーズの「文禄・慶長の役」だったりします(笑)。このジャンルに関してはあんまり専門書を持っていないもので…秀吉の「朝鮮の役」を扱った専門書だと台湾の研究者の「明代倭寇史料」とか「明日関係の研究」とか明側からのものばっかりしか持ってません。中国方面の研究者だと秀吉の戦争も「倭寇」の延長線上で扱うことが多いみたいで。ま、確かに字義どおりの「倭寇」であるわけですし、王直の残党が秀吉をそそのかしたという話が「明史日本伝」に載ってたりしますからねぇ。

 「沙也可」のことですが、「沙也加」という表記が残っているとなると、やっぱり「サヤカ」という発音を転記したもの、という見方が強くなりますよね。しかしそれに該当する日本名はなんなのか…僕もこれは彼個人の名前を音訳したものであろうと思っているんですが…まさかホントに「サヤカちゃん」だったのか(爆)。

 えーと、話は飛びますが鎮西大将軍さまがジオン独立戦争について熱く語るご予定とのことですが、やっぱりネタは安彦良和「ジ・オリジン」の最新の展開なんでございましょうか(笑)。
 これまで明確に語られることのなかったシャア・セイラ兄妹の過去を語るという新章に突入、と聞いて「脱線するなよ」と危惧を抱いていた僕なんですが、実際にその第一回を読んでいたら結構喜んで読んじゃいまして(笑)。なんか「ガンダム世界」も歴史研究の対象レベルに達してきているような(笑)。


>是流陀さん
 後期倭寇との戦闘においても明軍は倭寇たちのもつ「鳥銃」(鉄砲のこと)の威力に悩まされてました。倭寇たちのほうがポルトガル人との接触が早いですから当然彼らのほうが鉄砲を先に扱っていたわけで。そもそも倭寇の首領である王直自身が種子島の鉄砲伝来に関わったという説も有力ですからねぇ。僕自身はあまりに出来すぎた話なんで研究者としてはこの説は慎重に扱いつつ、小説等では堂々と採用してます(笑)。
 明軍が鉄砲技術を入手したのも倭寇の捕虜(どうやら日本人らしい)に鉄砲技術者がいたことがキッカケだったようなんですね。「俺たちゃ海賊!」コーナー内の「海上史事件簿」にもコピーを載せてますが、倭寇対策書『籌海図編』には「鳥銃」の分解図までが載せられています。
 大砲に関してはあまり詳しくないんですが、これは明のほうが先に技術があったみたい。火器類についてはモンゴル時代に触れていたはずですし、ポルトガル経由で伝わった「仏郎機(フランキ)砲」というのも割と早く導入されてました。フランキってのは「フランク」のことでイスラム教徒がヨーロッパ人をそう呼んでいたのが中国にもそのまんま使われたものでして、明ではポルトガル人のことはもっぱら「仏郎機」と呼んでいます。それが砲の名前にもなっている、ということのようで(逆の説明をしている小説がありましたが)。
 王直の養子になった毛海峰が砲術を得意とした、という話もあるので倭寇側にも大砲は導入されていたとは思うんですが、海戦などで使用していたかは史料を見る限りではよくわかりません。



#5175 
是流陀 2004/10/04 00:05
雑賀=沙弥可?

豊臣の朝鮮戦役の頃には、雑賀衆は、相対的に
鉄砲のプロとして他の追随を許さないほどではなくなったとか
聞きますね、雑賀衆とは報酬しだいで、どっちの大名にでも
味方する傭兵だったわけですけど、各大名が自前自領で鉄砲隊を
創設するようになってきて雑賀衆はもはや用は無くなった、
ある資料では、関ヶ原の頃の伊達の軍勢は全軍の3割が
鉄砲衆って感じだったとか、大阪の夏の陣で伊達の一斉射撃で
味方の神保勢が全滅してしまったって逸話は本当かもしれませんね。
豊臣の時代は雑賀には寒い時期だったんではないですかね。
沙弥可が雑賀とは確証は無いですけど、どことなく日本では
食い詰めな部類の階層で、朝鮮になびいていった、という感じは
しますね。
朝鮮・明軍は鉄砲では日本には及びませんでしたが大砲では
日本を凌いでいたらしいですよ、信長の鉄板巨船の艦砲や家康の大阪攻め
大砲は中国人の砲技術者の関与が大きかったとか、何かの本で
出てました。



#5174 
中西豪(今度の連休、陸軍元帥・公爵の曾孫と共にジオン独立戦争を熱く語る予定の鎮西大将軍) 2004/10/03 21:52
乃公いでずんば←自意識過剰だってば(苦笑)

>劇画「沙也可」
「雑賀衆は滅ぼされたりしておらん」「肥前名護屋城の天守閣が屏風絵図と違っているし、前期層塔型で時代に合わない」「小西行長の軍に参加させるのは司馬遼太郎説に加担するのか? ならば雑賀イコール沙也可は不自然」「むさくるしい男を描くと、伊藤耐の絵柄に似ていて不愉快」、おっと最後のは本質とずれるか、第二話まで立ち読みしたところで、こんな不満・疑問を持ちましたが、期待七分危惧三分、といったところでしょうか。順調に連載が続いて、沙也可を狂言回しにこの戦争の全体像が描かれるといいなあ、と今は思っています。

>「沙也可」の正体
劇画「沙也可」の連載が始まって、ここにも書込みがなされたのを見て、久しぶりに降倭関係の最重要論文を読み返してみました。中村栄孝大先生(おおせんせい。私の師匠の師匠でありますから)の「朝鮮役の投降倭将金忠善−その文集と伝記の成立−」(『日鮮関係史の研究−中−』吉川弘文館に所収、徹夜城さんが読まれたのもこれかな?)で、その梗概をまとめて書き込もうかな、と思ったのですが、この問題の研究史・近年の人物比定・丸山擁成九大名誉教授の新説を手際よくまとめた(第三点の紹介が眼目ですが)サイトを見つけましたので、紹介しておきます。

こだわり歴史考−九州発−
http://kyushu.yomiuri.co.jp/series04/rekishikou/rkmain.htm

讀賣新聞西部本社版に毎週土曜日掲載されている、九州・山口を舞台とした歴史問題の、最新の研究・発掘の成果を紹介するコラムのウエブ化です。沙也可については、今年の4月から5月にかけて5回連載されました。途中で気がついて、いずれ図書館で記事をコピーしようと思って忘れていたものでした(苦笑)。
詳しくは上記サイトを読んでいただくとして、私としては、金忠善の姓名を賜ったであろう降倭中の最上級者が、筑前国高祖城主で後に加藤清正の与力として渡海した原田五郎右衛門信種であった蓋然性が高いとするところは丸山説に賛成(国史畑の専門家が丹念に史料・古文書を追って行けば、見つかるものだなと感嘆)ですが、なぜ彼が「沙也可」なのかは依然不明のまま、丸山先生の御説は『実録』『承政院日記』の記述が「サヤカ」という音に当て字したことに間違いないとすれば、魅力的な仮説だけれどちょっとロマンチックに過ぎやしないか? 十全の説得力は持ち得ない、というところです。彼の通称が「五郎左衛門」なら、さらに信憑性があったのに、惜しい、ってそんな問題じゃないか。

>「沙也可」は「雑賀」か?
この説が先代沈寿官氏によって唱えられ、神坂次郎氏が『海の伽耶琴』で小説化して、徐々に市民権を得ていく観があるこの仮説にたいする反論を、ずいぶん前からコミケで頒布する個人誌、あるいはウエブサイト上で公開しようと思っているのですが、怠慢でまだ実現しておりません。
確実な当時の記録に見える降倭の名は、おそらくは配属された先の朝鮮軍指揮官に口頭で申告したであろう名を、音写したものと思われます。「沙也可」と同音違訳と思われる「沙也加」が見える、『実録』宣祖30年(1597)11月22日条には、他に「孫時老(まごしろう)」「沙古汝武(さくえもん)」「要叱其(よしち)」などが見え、みないわゆる「姓名」の「名」を記されているのです。その中で、「沙也加(可)」のみ「雑賀」の姓を名乗っていた、あるいは朝鮮側当事者が、彼の名だけ降倭の仲間内で呼ばれているのを伝聞して記録した、というのは不自然ではないか、というのがまず一点。
降倭が鉄炮の製法・射撃術に優れていた、ということから戦国時代有数の鉄炮集団であった雑賀衆と結びつけるの傍証とするのはいささか短絡ではないか、というのが二点。参戦諸大名、特に九州の将士は鉄炮に習熟していたものが多く、必ずしも雑賀衆でなければ鉄炮を使いこなせなかったわけではありますまい。
しかし、俗耳に入りやすい説であり、韓国にまでも浸透しつつあるようで少々心配です。歴史雑誌『歴史街道』に載ったものだったか、近年神坂氏が金忠善の後裔が住む慶尚北道の友鹿洞を訪問した際のことを記したエッセイで、氏は金忠善を祀る祭壇の台座が「鈴」の形をしていることに驚きます。雑賀衆の本姓「鈴木」が代々伝えられてきたことの証拠、と喜ぶのですが、写真で見る限りごく新しく作られたもの、日本での「沙也可イコール雑賀」説を取り入れてデザインしたものじゃないか、と疑ってしまうのですが。

>ご先祖自慢
私の中西姓は母方のもので、本貫は京都府舞鶴なのですが、最近ひょんなことからこの辺りの中西氏は800年前に竜造寺氏と分かれた家系、ということを知りました。戦国時代前期に京都にあった中西氏のひとりが竜造寺中興の祖、家兼に請われて肥前佐賀に下向し、その家系が後に多久竜造寺氏(竜造寺隆信の弟長信が祖)の家老になったりしています。物心ついた頃より竜造寺・鍋島氏に執着していたのは、DNAのお導きだったのか(笑)。



#5173 
徹夜城(時空警察は見逃した管理人) 2004/10/02 23:12
まぁ歴史バラエティーの一つの形として

>足塚玉虫さん
 「時空警察」、話題にはなりつつも一回も見たこと無いんですが(別に拒否反応を起こしてるわけではなく、ビデオにとってまで見る気はなかったということで)、なんだかんだで第4回まで続いているというのは視聴率的にはいいってことなんでしょうね。まぁ巷の歴史談義ネタのジャンルの一つ、「歴史ミステリ」というのは古今東西を問わず多くの愛好者がいるもんですし…推理小説のように解答が出るわけじゃないので基本的にはナンとでも推理はできるもんですから、間口が広いという面もありますね。
 
 歴史に関心をもつ入り口としてはいいかな〜などと社会の先生としては思ってます。というか、実は実際に生徒がけっこう見ていたりしまして。「安重根」について先週授業で触れておいたら「こないだの時空警察で出てた〜!」とか先日言われまして(笑)。まぁ全部真に受けないように、と忠告しつつも、そういうのをキッカケに伊藤博文だの安重根だのについて頭に入るわけだからこれ自体は歓迎です。

 先日の「時空警察」のネタはタネ本に思い当たるものがありますね。本能寺の黒幕にイエズス会を持ってきた立花京子さんの本が出たのは最近のことだったはず。また、伊藤博文暗殺についての「JFK」ばりのミステリー話は割と前から本で目にしています。


>モーグリさん
 うーん、そうですねぇ。あちらには掲示板はないわけですけど…
 ただ「ドレスデン大空襲」でグーグル検索してみると、この件については1999年、2001年あたりにネット上で詳しい指摘がすでになされていたようです。だから今あらためてここに書き込まれても意味が薄いんじゃないかな?という気もするんですが。
 モーグリさん個人の持ち込み情報として、そのドイツ史の先生の話に絞って書かれた方がよいのではないかと思うのですが、どうでしょう?



#5172 
モーグリ 2004/10/02 21:59
唐突な話ですみません

内容が全然違いますが。
ここに書こうかどうか悩んだんですが、書き込みます。

実は以前ここの掲示板に書き込んだことがある+αさんが運営しているサイト「戦史研究所」には、ドレスデン大空襲で13万5千人の死者が出たと書かれてあります。ところが最近ドイツ史をやっている先生に質問したところ「その説は間違いで欧米の歴史学会ではとっくに否定されている」と言われました。
サイトが違いますが、もしよろしければその詳しい内容についてここに書き込んでもいいでしょうか?

この話は山本弘氏が「戦史研究所」の同人誌からの孫引きという形で、『トンデモ本の世界R』で「ドレスデン大空襲は東京大空襲以上の死者を出した」と書いています。しかもそれを信じている人が大勢いるようなので、反論しなくてはならないと思いました。

もしまずいのならばこの文章を削除して結構です。



#5171 
足塚玉虫 2004/10/02 13:36
八墓大明神

この前、時空警察なるものの第4弾がやっておりました、
今まで見た事は無かったですが、4回も続けられるとは
よほど意欲作なのか?と思い、ちょっとだけ見ましたが
脱力感満載のドラマですね(爆
見たのは、本能寺の変の黒幕の新事実というやつ。
ふたを開けると黒幕はキリスト旧教側の陰謀だった、という奴。
ま、歴史を茶化す企画なんだよ、と開き直ったものなのなら
いいんですけど、これドラマとしても話しが破綻していて
時空刑事らが、いきなり明智光秀に会って、貴方は
キリシタンの援護を受けて謀反を企ててますね、
お止しなさい、と切り出すんだもの、ずっこけましたわ。

昨日は八墓村がやっておりましたね、これ、尼子義久が
伝説として出てくる、意外なところが歴史的伝奇な話し
ですねぇ。稲垣吾郎が結構、金田一を熱演してたと思います。





#5170 
徹夜城(昨日「アイ、ロボット」を見てきた管理人) 2004/10/02 13:06
調べてみたら出てきました。

>船頭の孫さん
 それはそれは…(笑)。あ、でもあくまで母方の先祖の話でありまして、名字も「渡辺」ではない僕ですから、鬼に対して僕の本名はインパクトなさそうです。
 前から母親に聞かされていた話では渡辺家本家では鬼を逃がさないために家に「煙出し」を作らない…というものがあったのですが、話題が出たついでに「渡辺綱 煙出し」で検索をかけてみたところ、出てくるんですねぇ、これが。例えばここ。
http://www.sendai-c.ed.jp/~tsubosyo/5gatu.htm
 村田町というのは宮城県南部の町で、僕の母方の先祖の地である福島県ではないのですけれど…どうやら無縁ではなさそうだな、と思って読んでました。もしかするといくつかの土地で類似した話が伝わってるのかも…子供の時から聞かされていた話ではあったのですが、こうしてネット上で実際にそうした話があるのだと知り、ちょっと感激。


>原田さん
 与謝野鉄幹の「怪奇なる光芒を放って雄飛するの士」なる木村鷹太郎評、なんというか誉めてるようで暗に、いやかなり明白に皮肉ってるようにもとれますねぇ(笑)。そのぐらいのツッコミは許容できる人だったんでしょうか。


>くれどさん
 いやー、「沙也可」が「在日」ってことはございますまい。というか、16世紀の当時で「在日」って言葉自体がかなり変ですけど。
 僕が劇画「沙也可」で危惧するというのは話を単純化して沙也可をあまりにスッキリと正義の人みたいにして、物語を安っぽくしてしまわないかということなんですよね。この劇画は原作は日本人、絵は韓国人という組み合わせなのですが、どうなるかなぁ、と。以前在日の方(「蒼天航路」の原作者でもある)が原作をした「三夢伝」という秀吉の朝鮮侵略ものの漫画がありましたが、これも狙いは悪くないんだけど主人公等が妙に善人過ぎ、安っぽくなってた嫌いがありまして。歴史はそう甘いもんじゃないよ〜などと僕は思ってますので。
 「沙也可」をとりあげる上で重要なのは、なぜ彼が加藤清正の配下にありながら朝鮮側に降伏して日本側と戦ったのか、その動機を説得力をもって描けるかということですね。沙也可こと金善忠の子孫達が書いた彼の伝記だと1592年に加藤軍上陸直後に22歳でいきなり朝鮮側に投降したってことになってるようですが、これが事実だとするとそれ以前からある程度朝鮮と関わりを持った人物だった可能性はあるでしょう。でも、この子孫達の書いたものというのが史料としては残念ながらあまりアテにならないものでして、実際の投降はもっとあと、日本軍が苦戦に陥ってからと考えた方がいいんじゃないかと思います。さっきチラッと関連本見た限りでは公式史料の『李朝実録』には1597年に沙也可の名前が出てくるそうなので、彼の実在自体は確認できるけれど事実関係の大半は不明、というしかないみたいです。
 沙也可=雑賀鉄砲衆説が唱えられる根拠にはその名前の類似のほかに、彼が日本軍優勢の原動力であった鉄砲の技術を朝鮮側に伝えたから、というのがあります。彼が鉄砲関係の人間だった可能性は高いとは思うのですけど、だからといって自分の名前を「雑賀」と名乗るというのは不自然じゃないかと僕は思ってるわけでして。前期倭寇のころからそうなんですけど、基本的に朝鮮側が記録する倭人・日本人の名前はその人個人の名前の音訳ですからね(沙也可と同時期に要時羅=与四郎というのもいる。韓国ドラマ「壬辰倭乱」にも出てきました)。
 沙也可こと金善忠のその後ですが、子孫達の編纂した伝記によるとその後進入してきた女真族の軍勢とも鉄砲を駆使して戦ったということになってるそうで、これなんかは朝鮮移住後のことですから確実性は高いのかも。想像してみるに面白い構図ですよね。



#5169 
くれど 2004/10/02 00:07
在日の人が 故郷のために働いた。

サヤカは それじゃまずいのでしょうか?



#5168 
船頭の孫 2004/10/01 06:17
渡辺綱

えっと、私は実は私の誕生日は2月3日でして、つまり節分の日の「鬼は外」の掛け声とともに母胎の外に追い出された鬼っ子でございます。

徹夜城様にお会いするときには腕を切り落とされないよう、気をつけなければ・・・。



#5167 
原田 実 2004/10/01 00:37
木村鷹太郎と与謝野夫妻

晶子・寛の結婚が明治34年(1901)年、木村の新史学に関する論文第1号「日本語は希臘羅典系なり」の読売新聞掲載が明治43年ですから、媒酌人を勤めたのは「あの木村鷹太郎」になる前のことですね。
木村は、日本へのバイロンの紹介者で、その侠気に傾倒していましたから、当時、四面楚歌にあった晶子・寛を応援していたようです。
 二人にバイロンの親友、シェリー夫妻の姿を重ねていたのかも知れません。ちなみにまだ不倫関係のままだった後のシェリー夫妻とバイロンの交友から、シェリー夫人の『フランケンシュタイン』とバイロンの「吸血鬼」発端(後にバイロンの主治医ポリドリが小説として完成させます)が生まれたのはケン・ラッセル『ゴシック』に描かれたところ・・・と、これは板違いですね。
与謝野夫妻と木村の交友は昭和5年の木村の死去まで続いたようです。大正10年、木村の著書に与謝野寛が寄せた文では、木村のことを「怪奇なる光芒を放って雄飛するの士」と評しています。また、その同じ本に晶子は「語りつぐこの君によりバイロンも源氏も同じ夜の夢に見ぬ」と木村によるバイロンの『ドン・ジュアン』と『源氏物語』の比較研究を踏まえた歌を寄せています。

http://www8.ocn.ne.jp/~douji/


#5166 
徹夜城(先日元首相の子孫と朝まで飲んでた管理人) 2004/09/30 13:46
与謝野家系図

 「ご先祖自慢」の話題になると僕などは「母方の先祖が渡辺綱ってことになっている」という持ちネタがあるのですが、「渡辺綱」なんてほとんど誰も知らないんですよねぇ(汗)。「あの金太郎さん、坂田金時の同僚です!」と説明補足しておかなきゃならない(笑)。まぁ平安時代の話ですからこの時点ですでにかなり怪しい話なわけですけど。


>与謝野家の人々 
 これはやはり与謝野馨氏ご本人のサイトを見るのが早い、と。
http://www.yosano.gr.jp/index.html
 政治家のHPなんてつまんないもんなんで日頃は全く見ないんですけどねー。ここに「与謝野家の人々」なる家系図が載っております。原田さんがご紹介になった晶子の伝記本を書いたというのは長男の「光」氏なんですね。「馨」氏は次男「秀」氏のお子さんということのようで。この家は男子はみんな一文字名という縛りがあるみたい。
 この系図を見ると鉄幹・晶子夫妻の子ども達の中に「アウギュスト」「エレンヌ」というお名前が見つかります。そういえば森鴎外も子ども達に「於莵(オト)」「茉莉(マリ)」「杏奴(アンヌ)」なんてつけてましたが(ついでに孫も「真章(マクス)」)、もしかして洋風命名は流行だったのか?日本国憲法制定過程でかかわりのあった松本丞治も「ジョージ・ワシントン」からとったとか聞きましたが…。

>原田さん
 晶子・鉄幹の媒酌人が木村鷹太郎だった…というのは、これまた思わぬつながりですねぇ。その頃の木村鷹太郎はまだ「本領発揮」前だったのでしょうか?


>劇画「沙也可」
 「漫画サンデー」、先ほど見てきました。新連載第2回の「沙也可」…ああ、やっぱり「雑賀」鉄砲隊説ですね。絵の雰囲気はいい感じですけど、危惧していた部分がすでにチラホラと見えてきてますなぁ。まぁ冒険的な企画としては評価したいと思います。



#5165 
原田 実 2004/09/30 12:23
すみません、訂正です。

とんでもない人違いでした。
木村鷹太郎への言及があるのは下記の書籍です。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/478420668X/qid=1096514504/br=1-4/ref=br_lf_b_3/t/249-4970677-4328310



#5164 
原田 実 2004/09/29 14:40
与謝野氏といえば

>政調会長になった与謝野馨氏、TVで紹介してましたが、やっぱり与謝野晶子・鉄幹夫妻のお孫さんなんですね。<
与謝野馨氏がまだ政治家というよりは学者にイメージだったころに書かれた晶子の伝記の中で、木村鷹太郎のことを「えらい国学者」と書いていたことが印象に残っています。まあ、祖父祖母の結婚で媒酌人を務めた人のことを、「古事記ギリシャ神話説や邪馬台国エジプト説を唱えて学界から黙殺された人」とは書けなかったでしょうから・・・

http://www8.ocn.ne.jp/~douji/


#5163 
徹夜城(久しぶりに完全休日がとれた管理人) 2004/09/28 19:44
なんとサヤカちゃんまでが(笑)

>ひでさん
 ほほう、「漫画サンデー」で「沙也可」を…日韓合作、ってあたりはなにげに昨今の「韓流」に乗っちまおうという狙いなんでしょうか(笑)。
 素材としてはすごく面白いと思いますし、いっぺん日韓合作で秀吉の「朝鮮戦争」を描いてみちゃどうだと言ってる僕などには「やられたっ」って気も少し、します(笑)。ただそこは漫画サンデーだけに底の浅いものになりそうな予感もするなぁ。この手のテーマは妙に「日韓友好」っぽくやろうとして安っぽいものになりがちですから。
 ところでこの「沙也可」についてはどういう解釈で臨むんでしょうかねぇ。以前NHKの歴史番組で沈寿官氏の「雑賀(さいか)」説が流れて以来(それ以前に説があるのかもしれませんけど)すっかり「定説化」の空気もあるんですけど、僕は司馬遼太郎も「街道をゆく」の韓国編で紹介しているような「佐衛門(さえもん」を「沙也問」と書いたものが誤記されたという説の方が自然なように思います。


 小泉首相が内閣改造と同時に自民党の人事を行いましたが、政調会長になった与謝野馨氏、TVで紹介してましたが、やっぱり与謝野晶子・鉄幹夫妻のお孫さんなんですね。



#5162 
是流陀 2004/09/24 19:07
統一戦争

>三国志
語学は、よく分からないですが、現在でも中国は
広東語と北京語は英語とフランス語ぐらい違うってそうで、
南北の隔たりは三国時代は、もっと深かったんでは、と
思うと、華北勢力の魏や、四川の山国の蜀よりも
稲作が盛んな揚子江流域の海岸部に広い領土があった呉は
稲作が大陸から伝わった頃の日本に結構、近しい関係の国
なんじゃないかなって気もします、邪馬台国の痕跡は
魏史からしか追えないのかよく知りませんが、呉の側から
辿ったりは出来ないのでしょうか?やはり魏晋に滅ぼされた
呉には倭の資料も接収か滅却されたのかもしれませんが。
国土が、とてつもなくデカいだけに、中国の内戦は
どの時代でも熾烈ですよね、三国志の最終勝利者は司馬氏、
ということで良いのではないかと私も思いますが、晋は、
長く続かず、すぐに中華は五胡十六国〜南北朝時代という
長い戦乱が続くので、しかも、五胡異民族の蹂躙を許した
感じがあり中国では司馬の体制はぱっとしないな、思われて
るのでしょうかね、宋代の三国志平話は、五胡時代に
漢の復興を目指した劉氏の活躍を最終章にしているそうですね。



#5161 
ひで 2004/09/24 16:07
三国志だけではなく・・・

最近では三国志だけではなく、「沙也可」を扱った漫画まで連載され始めました。日韓合作ということで、初回は巻頭カラー37Pというかなりの力の入れようでした。連載媒体が「大人の欲求のすべてが、この1冊に。進化し続ける男の劇画誌!!」こと「漫画サンデー」なので、少々手に取りにくいかもしれませんが、どなたか読まれた方はいらっしゃるでしょうか?しかし、「アフタヌーン」などのマニア寄り路線を進む月刊漫画雑誌や、突然妙な漫画をやることのある「コミックバンチ」などではなく、「漫画サンデー」で「沙也可」を連載するとは・・・・。実業之日本社もなかなか思いきったことをしたものです。

http://pezetairoi.hp.infoseek.co.jp/


#5160 
徹夜城(海洋歴史小説家の逝去を悼む管理人) 2004/09/24 13:59
白石一郎氏、逝去。

 先ほど新聞サイトに訃報が出ておりました。享年72歳。「早死に」のうちに入っちゃうかなぁ。
 僕自身はちゃんと読んだ小説としては、王直や徐海もチラリとではありますが登場する歴史小説で直木賞受賞作でもある「海狼伝」、その続編の「海王伝」ぐらいしかないんですが、他にも「海」の視点からの歴史小説や評論を数多く書かれており、僕の好みの世界観とよく通ずるものを持っておられた作家さんでした。合掌。

>ブッチャー3世さん
 「横山三国志」ですが、実は僕も読破したことはありません。ところどころ部分的に読んでいるだけで、恐らく全体の3分の2ぐらいしか読んでいないんじゃないかと。
 呉を中心とした三国志ものは、りんさんもご紹介のように日本には結構あるようなんですけど、中国ではどうなのかなぁ。
 最終的に天下をとる司馬一族については中国の大河TVドラマ「三国演義」の第四部(最終部)ではほとんど主役の扱いになっていて、司馬懿父子が天下とりへの野心を示す原作にないシーンなんかも入ってました。統一を達成する司馬炎はラスト5分程度に出ていただけでしたが…(笑)。呉攻略戦はカットされ、魏から晋に禅譲する場面で終わってました。
 三国志ものも相変わらず次々と作られてますが(とりあえずハズシがないってことのようですな)、今度は武論尊+池上遼一でコミックの連載が始まりましたね。広告だけしか見てないけど、宣伝攻勢がかなり強いのは雑誌的に「期待作」なんでしょうね。邪馬台国の日本人が絡んでくる?ようなんですが、同時代ということもあって邪馬台国ネタと三国志のリンクも過去にもいくつかあったように思います。

>りんさん
 日本において「魏→強すぎて嫌い、蜀→判官贔屓すぎて嫌い」という流れは結構あるように思います。といって呉に全部流れるかというとそうでもなくて、呂布とか袁紹とかに走ったりするのもいますが(笑)。
 魏が巨人…というのは例えはイヤなんですけど、結構あってますな(笑)。他チームにいるエースや4番を手段を選ばず集めてくるあたりとか(笑)。しかし蜀が阪神、というのはどないなもんでしょうか(笑)。


>KIどの
 鑑賞記、見ていただいたようで、どうもです(^^)。
 あのイラストですが、今回初めて下書きからトーン貼りまで全部PC上でやってみたんです。当初カラーのつもりだったんだけど、折角ソフトもあるんだし、とデジタルトーン貼りをやってみた次第。あー、やっぱりデジタル化は便利でいいなぁと思いましたね。



#5159 
りん 2004/09/23 23:54
私は魏好き

>ブッチャ−3世さん
呉が主役の三国志小説、その名もずばり「呉・三国志」というのがあります。著者は確か、伴野朗さんだったかな?他にも、呉をメインにした小説は何本かあったような気がします。
あと狩野あざみさんも書いてました「赤壁の宴」とか。ちょっと孫策と周喩の関係が「あやしい」小説だったように記憶しています。(笑)
私見ですが、日本では呉好きが結構多いような気がします。私の周囲の友人では、魏→強すぎて嫌い、蜀→判官贔屓すぎて嫌い、という流れで呉好きに流れる人が多いようです。
野球に例えると、魏が巨人、蜀が阪神、呉は近鉄かカープにあたるのでしょうか。



#5158 
K.I 2004/09/23 23:27
また倭寇伝見たくなっちゃったよ

舞台「倭寇伝」のレポ拝読しました。
またあの舞台がよみがえってくるようでした。
ところで王直らのイラスト、よく似てますね。さすが漫画家?



#5157 
ブッチャ−3世 2004/09/23 18:50
横山三国志いまだ完読に至らず(汗

この間、初めて漫画喫茶なるものへ行き半日ほどもいてしまいました(汗
そこには、横山光輝さん の三国志が、50巻ほどあったので、思わず、
よっしゃ、これを機会に全巻読み切ったれ、と挑戦したのですが、
全部は読めませんでした。(冷や汗
思ったのですが、三国志演義、だいたいが、蜀の側が主人公、
魏史系三国志の、曹一門が主人公のものも最近はありますけど、
孫呉の側が主人公の三国志創作ってあるのですかね、中国には。
日本では例えば、戦乱期の創作は信長は無論、秀吉びいきの創作も
家康びいきの創作もあるわけですけど、孫呉びいき の三国志もの
って聞いた事ないですね、あるんでしょうかね探せば。
まぁ、関羽も張飛も呉にヤラれちまったような感じなので主役側に
持っていきにくいかもしれませんね、あ、張飛は部下の謀反で殺されたけど
下手人は呉に匿われたんでしたね?
孫堅も孫策も志半ばで無念死してて、孫権は3代目リベンジャ−って感じで
創作もありかなって気もするんですけどね。
あ、三国志で最後に笑うのは司馬ですけど、司馬が主人公の三国志もの
ってのもあまり聞きませんね、魏を簒奪したのが良い印象じゃないからですか?




#5156 
徹夜城(久々に更新作業をした管理人) 2004/09/21 22:42
「倭寇伝」鑑賞記アップしました。

 一緒に見に行った一ノ風さんなんかは即日でアップされたんですけどね〜。僕は一週間以上経った、今ごろになってアップしております。「俺たちゃ海賊!」コーナー入り口の中ほどにございます。
 絵についてはもっとつけようかとも思ったのですが、このままズルズル遅れるのも旬を逃してマズイと思い、とりあえずこれで、とアップしました。
 劇の内容紹介、製作途中でちょっと関わらせていただいた立場からの暴露話(ってほどでもないか)、また倭寇研究者というか倭寇マニアの立場からのツッコミなど満載でお送りしております(笑)。
 僕もはやいとこ「海上史事件簿」「海上史人名録」の更新・充実、さらに「鳳」の執筆など倭寇関係を急がなきゃなりませんねぇ。「史点」もあるけど(^^;)



#5155 
モーグリ 2004/09/19 23:54
ストは

プロ野球のストは私も賛成です。選手会側が球団側にああいう態度で扱われたら、もうストをする以外仕方がないんじゃないかと思います。少なくとも金曜日の交渉で一度は両者の間でスト回避で妥協しかかった以上、それをまとめきれなかった球団サイドの責任大ではないかと思います。
ただ、このストで何が変わるかというと・・・球団側が来シーズンから新規球団参入を認可するかといったら疑問では。選手会側もそう簡単に相手が折れるとは思っていないようですし、今回のストはかなり長期化するように感じました。

>「米中戦争」
これって軍事マニアの間では良く聞かれる話ですよ。
以前も戦争漫画家の小林源文先生が「これから未来は米中対立、対中国戦になっていくだろう」という話を(確か)自分のホームページに書き込んでいました。



#5154 
徹夜城(「倭寇伝」鑑賞記を猛スピードで書く管理人) 2004/09/19 23:38
「革命本部」のこと

>練馬さん
 おお、「草の乱」ご覧になってきたんですね。それにしても僕などはこのタイトル、もうちょっと工夫が欲しかった気もするんですが(^^;)。
 僕もちょこっと気になってた劇中の「革命本部」の看板の件ですが、看板をかけたかどうかはともかく文書では「革命本部」と書いたものが存在しているようです。先ほど「週刊朝日百科・日本の歴史」(旧バージョン)の自由民権運動の巻で秩父事件の項目をあたっておりましたら、事件に参加した民権運動家・井出為吉が書いたという軍資金の借用書(映画でもこのくだりはありましたね)の写真に、デカデカと借りる当事者として「革命本部」の文字が書かれていたのです。解説も読んでみたんですが、民権家の連中は高利貸しに対する「打ちこわし」の性格が強いこの運動に参加を嫌気した空気もありましたが結局はそのパワーに賭けてみようと参加し、そこに自由民権思想流の「革命」の文句を持ち込んだみたいですね。割と早期に解体しちゃったとはいえ、一時は「世直し」「世ならし」と称して東京への進撃、政府転覆も企図した段階はあるようです。ですから「革命」うんぬんの部分は秩父地元の人間ではなくよそから来たインテリ層が持ち込んだものでしょう。
 
 その「朝日百科」のページをペラペラとめくっておりましたら、大河ドラマ「獅子の時代」の秩父事件のスナップが掲載されてました。椋神社に集結した場面で平沼銑二役の菅原文太さんもバッチリ写っておりました。
 ほかにも埼玉県が近代史ドキュメントとして製作した映画の秩父事件の場面の写真もありました。実際に地元の人たちが再現に協力したとかで。


>古田の涙
 古田選手会長の涙については、大魔神佐々木投手が言及してましたね。「アメリカではかなりビジネスライクにやってお互いカラッとしてるんだけど」ということでしたが、古田の涙そのものについては「どれだけ苦労してるか、あの顔見てわかるでしょ」という表現でした。
 このプロ野球ストライキが「久々に国民的な注目を集めたスト」ということでそのGHQに止められたゼネストだのスト権ストだのを想起するといった文章はいくつか見かけましたね。その伊井弥四郎の涙、も東京新聞の「筆洗」だったかな、それで言及してました。
 古田自身は金曜日で精も根も尽き果てたか、土曜は夕方まで寝ていたそうで…試合がなくてちょうどよかった、じゃなくて(笑)、実際大変だと思いますよ。
 なお、今日の読売の社説はまたも飛ばしておりましたが、微妙に悪役を「弁護士と一部の選手」に絞り込もうという意図が見えますね。変なところで発言を引き合いに出された横浜の選手が迷惑しているような。


 なお、肩書きのところに書きましたように先週見た劇「倭寇伝」の鑑賞記兼解説文を執筆中。本文は書きあがりまして、これからちょこちょこ図版を入れます。完成しましたら「俺たちゃ海賊!」コーナーに掲載します。



#5153 
足塚玉虫 2004/09/19 18:04
玉磁

>ウイグル
ウイグルといえば、今日、朝日TVでやってた中国歴史紀行の
番組で、中国歴代王朝の権力の象徴とされる鉱物、玉の石の事をやってて
玉の中国最大の産地は、今も昔もウイグル、と言ってました。
玉の埋葬品が金銀の貴金属と比べ盗掘されにくいのは、玉を盗むと
故買換金が困難で(中国古来の価値的には金や銀よりも玉は格が上だそうですが)
昔から、玉を盗んで闇市場に流すと中国王朝の捜索に引っかかり盗賊どもは
一斉に挙げられて処刑されてしまうので盗掘団も玉は盗むのを遠慮する
傾向にあったようで、徐州の獅子山で発見された立派な玉の衣の棺は
そういう関係で盗掘を免れた、という興味深い事を番組でやっていました。
七千年前から我が中国は玉磁に親しんできたのであ〜る、と例によって
中国の大袈裟表現、炸裂の番組でしたが(七千年って何時代よ?)




#5152 
練馬 2004/09/19 17:38
草の乱

『草の乱』
見ました。ちょっと気になったのが、困民党が蜂起する。と、その駐屯地というのか、看板が掲げられていて、
「革命本部」とあった。これ、史実なんでしょうか。
 さすがにマルクス主義はまだ入ってなかっただろうけど、ルソーなどは翻訳されていたわけだから、市民革命の概念は当時日本に入ってただろうけど…易姓革命ならともかく、いわゆる西欧風の革命概念が秩父にまで至っていたかどうか、微妙なところだと思うのですが。
 もう一点、大河『獅子の時代』だと、困民党が「自由自治元年」という幟を立てているシーンがありました。ドラマの中では、薩摩出身の正義派の官僚・苅谷(加藤剛)が大久保利通に渡そうとしてかなわず死を遂げた建白書の中にあった文言を、会津出身で苅谷の親友、困民党に加勢した銑次(菅原文太)が伝えたということになってました。
 もちろんこれはフィクションですが、「自由自治元年」という語句じたいは、実際に秩父事件のあいだで出てきたのではなかったでしたっけ。そんなわけで『草の乱』でも探したんだけど、それらしきものは目に付きませんでした。
 映画じたいは、なんというんだろう、事件の流れを追うのに精一杯で、フツーのシーンがなかった。つまり百姓が守ろうとした生活が描かれていないのが残念でした。いまや養蚕なんてほとんどの日本人には分からないわけだから、あんな申し訳程度でなく、最初に農民の日常描写の一環としてていねいに描いてくれればなあと思いました。この時代にあの題材、その心意気やよし、しかし…という出来でした。

 ところで、プロ野球のスト、ありゃなんでしょうねえ、戦う前に泣いちまうというのは。
 あれを見て思い出したのが、終戦直後の話。労働運動が一気に燃えさかり、ついには2・1ゼネストを企てるものの、前日ににGHQから禁止令が出る。で、指導者の伊井弥四郎がラジオで中止命令を伝えるとき、感極まって泣いてしまったというのを思い出しました。これを聞いていた朝日新聞の非共産党系労働組合の指導者になった森恭三さんは、その情緒的な反応にあきれ、絶望したそうですが、ひるがえってプロ野球はどうよ、という。
 ストを一回打っただけでアレルギー反応を起こすほうも起こすほうだけど、ストする側も、なんつうか戦いなれてないなあ。こんなんでやってけるのだろうか。テキは海千山千、狡猾なのよ、もっと粘り強くやらなきゃだめだと思うんだけど。




#5151 
尾鳩 2004/09/19 16:48
イグノラント、ミスアンダースタンディング

>徹夜城どの
大陸浪人、悪くはないかも(笑。しかし、「国家」を背景にせず、大海に野望を馳せた倭寇の連中のほうに好意を感じますけどね(笑。

それにしても、数々の仰天発言、確かに真意が知れないところですが、補足説明をしておいた方がいいですね。特に、「韓国占領」依頼発言など、仰天を通り越してなんとも穏やかでない発言ですから。

まず、私が雇ったドライバーですが、極めてごく「普通」の人間であり、悪意あふれる感じの人間でないことをイメージしてください。友好的な感じの人間なのです。
ただ、「韓国占領」発言が飛び出したあたり、過去が過去ですからこれはただごとではなく、何か歴史を皮肉った日本人に対する悪意があるのでは、と勘ぐったことは事実ですが、この発言は単純に日本人の旦那を喜ばせようとしていることからの発言だろうと判断したのは、以下の私個人の体験があったことによります。

先年、かみさんと中国大陸を旅していたときのこと、最近は韓国人のツアーグループも増えているので、日本人グループに劣らずお会いする機会は多かったんですね。その時に、その中国人ガイドが韓国の旦那達(結構若い人達)に向かって、今のケースと全く逆のことを言っている場面に出くわしたんですな、これが。歴史的には逆の立場にある彼らには、ガイドの発言が痛快に聞こえたのか、彼らは喜んでいましたが。
また、別のケースでは、私のことを韓国人だと思ったタクシードライバーが、ずーーっと韓国を誉め、日本をけなし続けてくれました。雰囲気的に、とても日本人だと言えなくなってしまったのでした(韓国の皆さん、ごめんなさい)。
韓国人には日本人の悪口を言えば喜ぶ、日本人には韓国人の悪口を言えば喜ぶ、そう思っている中国人は、案外多いのかもしれません。

今回の場合は、さすがに過去のこともあるので、また間違った認識を持ってもらっても困るので、日本人はそんな風に発言されても喜ばない旨を強く伝えておきましたが。
まあ、とにかく日中間だけなく、国際社会において難関の一つはこの認識の違い、無知、誤認だということを強く感じている次第です。
喜ばせたいとやったことが仇となってしまうことは、日常的にも発生することですが、お国が違うとその頻度は多くなりますから。外国人の妻を持つ私は、本当につよーーーーーくそのことを感じているのであります、はい。

補足として、私が雇ったドライバー以外のごく「常識的」なタクシードライバー達の意見も載せておきましょう。「常識的」なとカッコつきで書いたのは、この発言が中国政府、新聞、ニュースなどで目にする意見とほぼ同一だからです。

>小泉さん靖国参拝
「許せないことだ。中国人を馬鹿にしている。ただ、小泉は嫌いだが、日本人一般は好きだ。いつでも中国に来て欲しい。歓迎する」
>アジア杯での反日気運
「あれは、一部。サッカー場の雰囲気のせい。一般の中国人は、日本人観光客を歓迎している。北京オリンピックの際には、たくさんの日本人が来て欲しい。俺達の商売も繁盛するから」
>日本に対して
「同じアジア人、仲良くやっていきたい」

この最後の同じアジア人だから仲良く、というのは、本当にたくさんの中国人が言うことなんですが、ちょっとくせもので注意する必要があるかも。というのは、ここから、日米安保批判、そして北東アジア共栄圏(!)構想を提唱し始める中国人が結構多いのも事実なもんですから。



#5150 
徹夜城(連休は常に仕事がある管理人) 2004/09/18 21:56
日本プロ野球、史上初のストに突入!

 というわけで、本日と明日の二日、世間的には三連休の二日にストライキ決行となりまして、今日はプロ野球が一試合もありません。国内的にはやっぱり大ニュースで朝からTV・ラジオであれこれと議論が行われています。流れとしては大多数は選手会を支持してオーナー連中を批判しているという感じで、僕もここに至るまでの経緯からも選手会をやっぱり支持しています。
 予想はしましたけど、今朝の読売の社説なんでひどいもんですがね(タイトルからして「億万長者のスト」だもん)。あと、プロ野球機構側が発表した公式見解っちゅうのもこれがまたかなりひどい。あれらを見ている限り、プロ野球界は一回ぶっ壊してやり直した方がいいんじゃなかろうか、などと本サイトスポーツコーナー担当の弟とも話しておりました。
 報じられるところによれば折り合いがつかなかったのは新球団参入を来年からにするかそれ以降にするかという文言の一箇所だけなんですよね。それで巨人以外のセリーグ球団と日ハムは選手会と同意したけどそれ以外が絶対に譲らなかったため時間切れ決裂、とも伝えられます。これは明らかに1リーグか2リーグかの色分けそのまんまでして、どうも1リーグ制を推進した人たちの「メンツ」だけが問題になってるように見えちゃうんですよね。ライブドアだの楽天だのについて「審議に時間がかかる」と言ってるようなんですが、何に一年以上かかるのか?「球団つぶす決定はえらく早かったのになんで新規参入はやたら遅いんだ?」と大魔神・佐々木がコメントしてるのをさっきラジオで聴きました。
 各選手会は今日・明日と独自主催のサイン会やファン交流イベントなどをやるそうで、どっかのサイン会は球団管理のサイン会とは異なりかなり自由でファンといい雰囲気の交流ができたとか。そういう形で新しいプロ野球ってのが姿を現してくる機会になればいいんだが、と僕は思ってます。
 …史点でも書きたいんだけど、書く暇がない(汗)。


>ひのきさん
 鄭一嫂映画、さらに詳しい情報をどうもです。
 そうですか、地中海で日本人使って撮ったイタリアの中国海賊映画ですか(^^;。イタリアらしいなぁ…などとつぶやいてしまいますが(笑)。日本人たちが中国海賊を演じたのなら、チャン=ツィイーやコン=リーがゲイシャを演るってのも少しは許せる気がしてきました(笑)。


>尾鳩さん
 ふた昔前の大陸浪人みたいなご活動ぶりですなぁ(笑)。
 その仰天発言の数々もなんとも真意が知れないところですね。中国人が「共産党は嫌い」って発言するのは実は全然珍しいこっちゃないそうですけど(もちろん公の場では言いませんが)、それって日本人が「自民党は嫌い」と言うのと結構似ている気もしてます。お互い一党独裁国家どうし分かるところもあるな、と(笑)。台湾の件で国民党の名前が出てくるのは現状を良く知らないんじゃないのか、って気もしますが。
 「米中戦争」発言はそれこそ日本のウヨッキーさんたちが大期待しているそれなんですが、アメリカでも庶民レベルの感覚ではソ連なき今「イスラム」「中国」が仮想敵なところはありますね(トム=クランシーの小説なんか見てると分かる)。もっとも米中関係の歴史はそれこそ一筋縄ではいかない、妙に底流でつながりあってきたところがあるよなぁとボブ=ウッドワードの「米中奔流(邦題)」なんか読んでて思ったもんです。

 ウイグルの件は一歩間違えるとロシアにおけるチェチェン問題みたいになるところもありまして…「多民族国家」はあくまで建前で漢民族が支配民族になってることは明らかなんですけど、泥沼の民族紛争なんて見たくないのも本音。じゃあどうすりゃいいんだ、となると尾鳩さんも書いてますが最良の選択というのはなかなか思いつきません。
 先日の学校占拠テロをきっかけにロシアのプーチン政権も「対テロ戦争」みたいなことを言い出して中央集権化を進めるとかやってますし、現在における「三大帝国」である米・露・中で「対テロ」を錦の御旗にした連動ができちゃってるようにも思えます。



#5149 
素人筋 2004/09/18 14:26
中国西域の少数民族

昨年9月にトルファン、ウルムチへ行きました。我々は漢民族のガイドを連れて行きましたが、現地ではウィグル族のガイドを雇いました。二人のガイドの遣り取りは至って事務的で必要なこと意外は一切話はしていません。自由時間はもちろん全く別々です。
現地のガイドの話を聞くと、公には中央政府の言うことをそのまま事務的に受け付けるそうですが、現地人は現地の都合がいいように修正して行動しています。例えば、中国標準時は北京時間です。従って公的機関はすべて北京時間で表示されますが、一歩外へ出てプライベートな時間はすべて現地時間で進みます。(2時間の誤差があります)また、教育は小学校の4年くらいまではウィグル語を教えますが、それ以降は中国語となっています。従って、ウィグル語は段々廃れてしまい、将来は使われなくなる可能性があります。ホテル、道路標識、駅、など多くの人に接する場所の表示は、中国語、ウィグル語、英語の表示がありました。自治体の職員など公の機関の幹部職員は全て漢民族が取り仕切っているということです。幸いガイドの国家資格は、ウィグル族にも開放され試験に受かれば漢民族と同等に扱われます。但し、ガイドの収入については、西安、上海、北京と比較すると低いといっていました。(ガイドの試験は100人に3人程度の合格率だそうです)ウルムチは人口200万人を越す大都会になっていますが、実権を握っているのが漢民族ということで、本当に民族が融合しているといえるかどうか疑問があります。表面的には融合していると見えるかもしれませんが、ウィグル族から見ると以外に溝が深いように思いました。



#5148 
尾鳩 2004/09/18 14:22
>少数民族

北京に戻ってきました。
13年前、1年半ほど住んでいたことがあるんですが、その当時の面影はほぼ残っていないですね。その時にマクドナルドの第1号店が開店、おのぼりさんがドナルドと写真をとり、マクドナルドでアルバイトするのが当時の学生の憧れだったのが、今や市内に160以上の店舗が存在。時代の波を感じます。

>是流陀さん
尾鳩と申します。よろしくお願いします。

現在のウイグルに関しては、今年の5月から1ヶ月ほど訪れておりまして、そのときのことを「香港似非と学会」なる掲示板に書き込んでいるので、一度訪れてみてください。似非と学会、本家と学会には到底及ばないものの、30人近くの会員を擁し、香港と日本をまたにかけて活動をしております。忙しい方達ばかりですので、なかなか一同に会すことはありませんが。

まあ、端的に言えば、新疆ウイグル自治区の東側、トルファンなどの地域では、かなり漢族との融合は進んでいるように感じましたが、西の端、カシュガルでは火種は決して消えていないことを痛感しました。
西側メディアや人権団体の活発な活動を無視できなくなった結果、中国政府は一部の「分離派」リーダーを釈放しておるのですが、一定の監視下においています。一部西側メディアは、その監視下のすきをついて接触に成功しており、時々現状などが発表されています。私も何人かの主要人物に会うことに成功しましたが、現状に対する不満は強く、特に中国による反テロを名目とした弾圧が再開することを非常に懸念していました。
チベットでもそうなんですが、日本人を「大和民族」という少数民族と位置づけ、非常に友好的に接触してくるんです。ウイグルでも同じでした。

少数民族の分離独立の動きを富裕層と貧困層の格差の拡大という経済問題を根底に捉えるか、アイデンティティー喪失に対する文化的危機感をその根底に捉えるか、分析には注意を要しますし、またそれにより対応策は変わってくると思いますが、「分離独立」を最も危険視する中国政府としては、分離派少数民族への対応と国際的な対テロ世論の盛り上がりを結びつけ、少数民族抑圧に対する国際的な非難をかわそうとしているのが現状であるといえます。

分離派のウイグルにとっての懸念は、チベットと比べるとダライラマのような圧倒的な存在感を要するリーダーが不在であること、米国に擬似政権が存在するものの、イスラムに対する一般的なイメージが米国ではよくないため、支援者が少ないことだと言えるでしょう。

民族が国家を持つことに対する是非はともかく、この問題の背景には「怨恨の連鎖」とも言うべきものが存在しているのは事実であり、また、現在の中国では、「ウイグルの歴史」というウイグル語で書かれた歴史本を徹底的に回収没収し、同様の本を出版禁止扱いにしている以上、解決には時間がかかざるを得ないと思っています。

それにしても、「怨恨の連鎖」、これを断ち切るのは時間に頼るしかないのか、はたまた一方的かつ徹底的な抑圧しか方法が無いのか、出来れば次の世代に課題を残すことなく、解決できないもんでしょうか。



http://8029.teacup.com/hktogakkai/bbs


#5147 
是流陀 2004/09/18 12:59
少数民族

最近、家を大掃除していたら、古い漫画を発見し、こんなん誰が
買ったのかな、え?私しかいないかって、自分でボケて自分で突っ込んで
ました、その漫画は大友克洋 氏の「気分はもう戦争」ってもの。
時代設定が1980年、王選手が引退し、ジョンレノンが殺害された頃、
ソ連軍が中国に侵攻、主人公の日本人傭兵が反ソ連ゲリラに参加する、って
ものすごい話しです、ソ連がばりばりに世界帝国だった頃に描かれた作品
みたいで、大友氏もそんな頃によくもまぁ、こんな作品を描いてたんだなぁ
と思いました。作中、ソ連は中国を侵攻する際、ウイグルの分離独立派を
支援します、まぁ、これは漫画の話しだけなんですけど、実際の
現在の中国の西域って、少数民族といっても、漢族との融合は進んで
ちゃってるんですかね、ウイグル人の分離独立派が武力闘争を続けてる、
という小さい国際記事を見た事がありましたもので。



#5146 
尾鳩 2004/09/17 15:34
大草原の小さな家・・・

じゃなくて、徹夜城でしたね。
草原で疲れた時は、バター茶を一杯やりながらの「徹夜城」。なかなか乙なもので。

ところで、ここ青海省では、漢方で重宝される「冬虫夏草」や各種の鉱物が産物で、開発区を設けて地域振興を図っているものの、所詮インフラ状態がよろしくなく、あまりうまくいってないご様子。それで、ここはやはり観光だということで、国際機関やJICA等の国際協力機関を頼り観光業で地域振興を計画したというのが、そもそも私がここにいる背景。関連機関を訪れ意見交換するだけでなく、観光地を実際に訪れるのも重要な「仕事」なんですが、この出張中に会った様々な中国の人たちの仰天発言を紹介します。

まず、チャーターした車のドライバー。
「小泉が靖国に参拝しようと自分には関係ない。」といきなり直球発言。政治の話は面倒なので、避けたいところ、しかし息をつく間もなく、彼は続ける。
「昔よりも今が大事だ。古い話を持ち出して日本をひがんでいてもしょうがない」。
こいつは、スパイなのか。私の政治思想度をチェックしようとしているのだろうか・・・そんな思惑を無視するかのように彼は続ける。
「中国は土地ばかりが広く、人がやたらに多いだけで他には何もない。日本は資源が無いのに豊かで皆頭がいい。・・・いずれ中国がアジアと世界の経済をリードするかもしれないが、今は日本にリードしてもらうしかない」
なんなんだ、こいつは。日本の旦那を喜ばせようとしているのか。しかし、こんなんで喜ぶ人がいるのだろうか。私の困惑をよそに、彼はさらに暴走を続ける。
「韓国よりも日本だ。日本には是非韓国を占領してもらいたいよ。」
がーーん、こんな落ちが来るとは。また、なぜに韓国?
私の結論は、スパイなどでは到底無く、お調子者のお馬鹿さんなのだろうということで一応決着が付きました。韓国人には、反対のことを言っているはずだし。まあ、所詮私は巨額を落とす旦那さん、国家の誇りよりも、「お金持ちの」旦那さんが大事、と言ったところなんでしょうね。

次、タクシーの運ちゃん。
今度は、台湾政策で共産党政権にいちゃもんをつけました。
「台湾統一には反対だよ。」
今回は、政治の話をする奴が多い。私の顔は政治の話が好きそうな顔なんだろうか。「元々は高山族の土地なんだし、それからスペインやオランダ、日本が占領した土地なんだろ。共産党は一度も占領してないんだから。」
うん、まあ歴史的には正しいかな。少なくとも中国の公式見解よりは、と思っていると、「とにかく俺は共産党は嫌いだ。むしろ国民党に入党したいくらいだよ」
あーー、なるほど、そういうことね。つまりは、共産党が嫌いなんですね。江沢民が題字を書いたホテルがあるんですが、「奴と同じでひねくれた字だよ」とおっしゃった時には、こいつも実は自分の政治思想をチェックしようとしているのか、という疑念がまた出てきたりしましたが。

あと、考えされたのは、米中戦争を予想(期待?)している人間が多かったこと。軍関係者が、しれっと、
「まあ、いずれ必ず中国と米国は戦争するね」と言ったときには、本当に唐突だったので言葉を失いました。本当にコメントに困る発言をする人が多いんだよなあ、全く。
いや、待てよ、ひょっとしてこいつも俺の政治思想を・・・。

いやあ、それにしても右翼の皆さんが喜びそうな発言がずらり。日本人は基本的に右翼だと思っているのかな。それは、それで現在の大陸中国人の日本人観を表していると分析できないこともない。
それにしても、どこまでが本音なのか、いまいち見えにくい。「韓国占領」発言など、本音であるわけないでしょうが、本音では無いのなら顧客を喜ばせようとの「打算」でそういうことを言える「根性」がまず怖い。また、このような話をして、日本人が喜ぶと思っているのが不気味ですね。ビジネスが絡むほど付き合いが表面上のものになっていくのは、仕方のないことなのかもしれませんが。利益を共有できれば、また関係も変わってくるのでしょうが。




#5145 
ひのき 2004/09/16 20:42
中国海賊だけれど

>海賊映画の出演者
キャスティング見ると、何人か中国系の方の名前もあるんですが、メインが日本人です。
主演の鄭一嫂は市川純さん、というローマ在住の建築学生。監督がオーディションでほれ込んだそうで、この人が映画祭に出てニュースになっとったのですが…。で、ダンナの鄭一もコバヤシマコト(makoto)さんという、どうもベネツィアの日本人アーティスト(作家活動?関係のサイト有)。

>ロケ
ソース元によればモンテネグロで10週間ロケしたあと、ローマのスタジオで作ったとあります。
http://www.cineuropa.org/video.asp?documentID=18385&lang=ing
オルネ監督のインタビューが読めます。こちらは英語のサイトです。

あちら在住の東洋系動員しての地中海海賊のようですね。国籍を超えた歴史映画がまたひとつ誕生…(笑)

この記事の概要を紹介していた日本のサイト(海外ボツ!NEWS)さんによれば、
あちらの批評家間での評判も上々だそうで。日本人女優海外映画主演ってことで評判になって、日本でも上映…なんてなりませんかねぇ。イタリアつながりでメディチに続いて、とか。

歴史からずれて映画の話になってしまいました。すいません。



#5144 
徹夜城(もう寒くなったかと感じる管理人) 2004/09/15 23:00
海賊映画は、僕も見たい(^^)

>ひのきさん
 感想&映画の公式サイトのご紹介、どうもです。なるほどぉ、これは見たいですねぇ。画像や動画でかなり雰囲気は分かります。しかしイタリア語なんでまるっきりワカラン…(汗)。だけど出演しているのは当然中国系(?)の人ですよね。ロケなんかも中国でやらなきゃならない気もしますが…
 ただイタリアって、昔から西部劇(いわゆるマカロニ・スパゲッティ・ウェスタン)とか国籍を超えた歴史劇(「戦争と平和」「ワーテルロー」「ラストエンペラー」等)とか作ってきた「映画制作大国」の実績がありますよね。まぁB級なのが多いのも事実だけど(笑)。
 今度のベネチア映画祭にあわせてB級イタリア映画祭みたいのをやったそうで、「B級映画オタクの帝王」タランティーノが大喜びで仕切り役を務めたとか(笑)。


>明彦さん
 これはどうも。時々見ていてくださったそうで、ありがとうございます。
 映画「草の乱」ですが、少なくとも僕はかなり良い印象で見終えました。ただ「郡上一揆」とテーマ、監督、役者がかぶりすぎてる面もあるんで、新鮮味にはやや欠けるかもしれません。それとこれは好みの問題ですけど、神山監督作品ってどれをとっても割と爽やかと言いますか、テーマの割に息苦しい「重み」がそれほどない作風なんで、それが物足りなく思う人もいるかも。生き残った特攻隊員をテーマにした「月光の夏」なんかもそうでした(そういえば田中実さんはこれでも主役級だった)。
 「獅子の時代」は僕はまるっきり見ていない世代でして…最近完全版DVDが出てますが、手をつけたものかどうか、と迷っているところでもあります。しかしその講演での山田太一さんの「体制に徹底的に反抗する主人公は今じゃ登場させられない」というコメントはちと気になるところでもあります。
 「草の乱」における山本圭、原田大二郎のお二人の役どころですが、限りなく「特別出演」でありまして、正直なところ出てこなくてもよさそうな場面しかありません。もちろん国民に貧窮を強いる一方で軍備拡張、条約改正のための鹿鳴館舞踏会に明け暮れている、という面を見せるという意味はあるんですが。もちろん映画の主旨に賛同して「悪役」を担ったという形でありましょう。お年もとってくると正義の闘士役とばかりはいきませんし(笑)。
 山本圭さんなんかは確かに若い頃は「左翼闘士」役が定番でしたからねー。叔父さんが山本薩夫ってこともありますが。「戦争と人間」とか「皇帝のいない八月」とかまさにそうで、山本監督作品以外でも「新幹線大爆破」なんかでおんなじような役どころ(左翼運動家くずれ)なのが面白い。もっとも山本薩夫監督作品はなぜか佐分利信とか高橋悦史とか悪役のほうが輝いてるところが不思議で、山本圭さんなんかは真面目すぎちゃってつまんない、って気も。なんか現在の緒形直人さんのポジションがこれになりつつあるような…(^^;)

>阿祥さん
 漢籍のデータベースは僕も時々利用してます。正史や実録のレベルならかなり検索して探せるのでいい時代になったもんだなぁと思います。さすがに四庫全書全てというわけにはいかないかもしれませんが、いずれは完成させちゃいそう。
 この点に関しては日本の方が電子化が遅れているようにも感じますね。関連話ですが、国会の参議院がぼちぼち議事速記(特殊記号を使った記録)をやめてパソコンで直接入力にしようという改革話がようやく進むそうだというニュースを今日読みました。



#5143 
阿祥 2004/09/15 02:34
明清実録


一ころ、ここの掲示板で話題になった明清史の実録が、台湾中央研究院の漢籍電子文献HPにUPされています。僕は本物の書籍を見たことがないので断言はできませんが、おそらく、その膨大な資料を本格的にデータベース化したのじゃないかと思われます。これまで徹夜城さんのような専門家だけが目にすることができた貴重な原資料が誰でも即座に見ることができ、自在に検索できるというのはすごいことだと思います。

http://www.sinica.edu.tw/~tdbproj/handy1/

上のURLですが、別のところでは清実録にアクセスできませんが家ではできます。
明実録は漢籍全文資料庫/史書のコーナーにあります。

日本の歴史資料もこんな風にデータ化されればおもしろいのに。

P.S.徹歴HPに徹夜城さんが出現していましたね。(しかもイラスト付で)



#5142 
明彦 2004/09/15 01:06
「獅子の時代」から「草の乱」へ

初めてお邪魔します(なのに書き込みをしくじってしまいました・・・)。
少し前から、ちょいちょい覗いてはおりました。
「草の乱」某雑誌では叩かれていただけに、徹夜城さんの御意見をうかがって安心しました。
実はどんな出来だろうと、これだけは見逃すまいと思っていたのです。
(但し九州の果てに住んでいるので、公開はずっと先ですが)
昭和末期と言われる遠い昔、大学祭で山田太一の講演を聞いたことがありました。
(年齢がバレバレですね・・・)
山田氏は80年の自作大河ドラマ「獅子の時代」のラスト、
秩父事件で会津出身の主人公(菅原文太)が政府軍に突っ込んでいく場面を上映させながら、
「こういう体制に徹底的に反抗する主人公は、今じゃ登場させられないでしょうね」
「軍隊は国民に銃を向ける。このことを映像化して見せたかった」
と熱っぽく語っていました。
この時のことが忘れられないだけに、こんな時代に秩父事件を映画化する、
それだけで観逃したら罰かぶる、と思ったのです。
と言いながらそれ以来秩父事件について調べたことは無く、
手元にある西野辰吉「秩父困民党」も目を通さないままなのですが・・・。
お勧めの本があれば教えて下さい。

それにしても、6〜70年代は小林多喜二役を初めとして左翼闘士専門?だった山本圭が伊藤博文、
永山則夫役で名高い原田大二郎が山形有朋ですか・・・。
人間年を取ると、本当にスタンスが変わるものですね?



#5140 
ひのき 2004/09/14 23:59
連載御礼

嘉慶年間広東海賊物語、完結お疲れさまでした。
前回に日を置かず更新してくださっていたのに、拝見するのが遅れてしまって失礼しました。

黒紅両旗に比べると、他の色船団は随分扱いがちがったんですね。
先の郭婆帯や鄭一嫂&張保の処遇が寛大なもので、対照的に思えます。他にない規律統制が最後まで彼らの力にもなった感じでしょうか。同じ城内の元海賊、気になりますねぇ。郭婆帯、本に埋もれるばかりで自分で著作は残してくれなかったのか(笑)

次々と繰り広げられるドラマな展開&魅力的なキャラいや歴史上の人々と、いつもながらの見事な管理人さまの軽妙な語り口のおかげで、めいっぱい楽しませていただきました。15-6世紀で止まっていた東洋の海上世界への興味も一気に広がりまして。

福建の人々の面白いお話も、いつかまたこちらでとか海上史事件簿番外編などで拝見できたらなぁ、と勝手に星に願いつつ。ありがとうございました!

>イタリア映画
サイトを見つけました、「Cantando dietro iparaventi」
http://www.mikado.it/cantandodietroiparaventi/
結構画像で紹介されているので、見ものです。鄭一嫂の壁紙もDLできます(笑)
あちら語でメンドクサイですが、絵だけでも映画みたくなりました…。



#5139 
徹夜城(本日は有楽町に出かけていた管理人) 2004/09/14 21:47
そういや、僕、ホントに「マスター」でした。

 ゆうべ、寝る前にふと気がついたんですけど、僕の現時点の学位は「修士(マスター)」だったんですよ(笑)。「ヘイ、マスター!」と気軽に呼んで下さい(笑)。

 では本日のオススメなど(笑)。

 本日、有楽町スバル座へ出かけて神山征二郎監督作品「草の乱」を鑑賞してきました。「郡上一揆」に続く“一揆映画”第二弾ってところでしょうか、あの「秩父事件」の映画化です。独立製作の映画としては破格の4億円をかけた大作で、前作「郡上一揆」同様に秩父のみなさんが手弁当参加して大掛かりな群衆シーンなどが撮影されています。
 主役も前作に続き緒形直人(井上伝蔵役)。一揆のリーダーとか、こう「ピュアなインテリ」をやらせるとハマりますね、この人は。百姓一揆映画に立て続けに出たのでそういう「色」がついちゃった気配もありますが…。他に林隆三(田代栄助役)も「郡上一揆」からのシフトですね。杉本哲太、益岡徹と揃ってくると大河マニア的には「翔ぶが如く」布陣だったりしますが(笑)。田中実さんは失礼ながら映画での大きい役では久々に見たような…。
 歴史上の有名人としては山県有朋を原田大二郎、伊藤博文を山本圭さんが演じておられました。他にもいろんな方が出ていて、「渋い豪華キャスト」だったりするあたりは「郡上一揆」とおんなじですね。
 物語は事件から30数年後、北海道で偽名で暮らしていた井上伝蔵が死に際して家族に自分の正体を明かし、秩父事件の真相を語っていく…という構造。結末は悲惨な敗北であるのは分かっているだけに、映画はそこは後味悪くなく、一気に、爽やかに駆け抜けていく、といった印象の語り口でした。
 「秩父事件」は自由民権運動とのかかわりもあって伝統的な百姓一揆の性格に加え、東京まで進撃して政府打倒を目指す「革命運動」を企図した部分もあり(劇中でも「革命本部」の看板を置くシーンが出てくる)、また指導者層に博徒や侠客が参加しているなどいろいろと面白い特徴があります。この映画でもその辺がうまく描かれていたかと。

 ところでこの映画の本編前の予告編で「モーターサイクル・ダイアリーズ」なる映画の予告をやってました。ロバート=レッドフォード製作総指揮のチェ=ゲバラの青春時代を描いた映画。バイクで南米一周旅行に出た若き日のゲバラがやがて革命に身を投じるきっかけとなる体験を描いたという異色作ですね。レッドフォードはキューバのカストロ首相にも見せにいったそうですが(笑)。これもひそかに楽しみにしてます。「歴史映像名画座」の中南米を一本増やせるぞ〜と(笑)。


>尾鳩さん
 どうも〜大陸、しかも青海省からもちゃんと書き込みできるんですねぇ。まさにIT革命な世の中でありますな。青海省へ出かけられることについてはそちらの掲示板で知ったところでした。帰国後、山と話を聞かせていただきやしょう。
 最近ちょっとトンデモ関係でもいいネタを仕入れてますから(意味深笑)。


>ひでさん
 歴史映画だけでなく、アシモフファンサイトもやってる僕としてはさっさと見に行かなきゃならんのですよね、「アイ、ロボット」は(^^;)。先を越されたか。
 その「ジョヴァンニ」というのも興味津々。メディチ家の人ってことですよね?よくまぁそんな映画が日本公開になるもんだ…と思っちゃうところで。これは見逃せませんな。



#5138 
くれど 2004/09/14 20:10
でも 光秀は意外にいい人だったらしいから

光秀の逸話としては 今に残る話では、けっこういい人だったんじゃないかという逸話もあります。

確かに きついセリフだけど、これは 映画にするとすれば 脚本家の腕の見せ所じゃないかとは思います。

それにしても 当時の黒人奴隷が 日本で逃げて、土着して 時任三郎とか 東幹久のご先祖さまになったとか?

スペインのハボンとかいう一族も、支倉常長の一行が土着してというよりも、日本人奴隷の生き残りとみるのが正しいのかなという妄想を抱いてしまいましたが。

ソフィ マルソーも、昔 ラ ブーム(古いな)という映画の中で 顔が東洋系というのがネタにされていましたが、ある意味 そんなご先祖さまがいたのかも?



#5137 
ひで(酔客1号) 2004/09/14 00:59
タイムスリップ物になりそう

>ななさま
ハリウッドで作ると、なんとなく、中世ヨーロッパ風テーマパークでバイトしていた黒人の兄ちゃんがタイムスリップして中世に行ってしまった「ブラックナイト」のような感じになりそうな予感がしますが、どうでしょうか。
(ブラック・ナイト)
http://www.foxjapan.com/movies/blackknight/

http://pezetairoi.hp.infoseek.co.jp/


#5136 
ひで 2004/09/14 00:49
今夜、いつものバーで

日本国某所にあるBar「徹夜城」、そこは古今東西ありとあらゆるネタに精通したマスターと、そのマスターをしたってやってくる大勢の客と若干1名の酔客が集う場所・・・。

一昨日、「アイ、ロボット」の先行上映を見に行ったときのこと、劇場内に貼ってあった有楽町周辺の映画館の上映予定作品の中に「ジョヴァンニ」という作品がありました。ちなみに日比谷シャンテ・シネにて秋に上演されるとのこと。

で、これはどうも神聖ローマ皇帝軍とローマ教皇軍が戦っていた16世紀ヨーロッパを舞台に、教皇軍の指揮官だったジョヴァンニ・ディ・メディチが戦場で死ぬまでの6日間を描いた歴史物の映画のようです。この人が死んだ後に、カール5世の傭兵軍による「サッコ・ディ・ローマ(ローマの掠奪)」が起こることになります。こんな渋い映画がいつの間にか公開されることになっているとは思いませんでした。しかし時代背景知らないと結構辛そうな映画だなあ・・・・。とりあえずカール5世とかメディチ家関連の本でもあさって予習しておいた方が良さそうです。

以上、酔客1名の戯言でした。

http://pezetairoi.hp.infoseek.co.jp/


#5135 
なな 2004/09/14 00:32
アフリカの王子 戦国ニッポンを行く

私が弥介を最初に見たのは…緒方直人の大河「信長」じゃなかったかなぁ?

弥介の後日談について、唯一詳しく書いてあったサイトです。↓
http://www5d.biglobe.ne.jp/~DD2/yasuke.htm

↑ここの、弥介の処遇を決める折のセリフを見て、こりゃ〜今の時代に映像化はできんわ…と思いました。この通りやろうとすればね。
弥介が本能寺で死亡したとか、どこかへ逃亡したというしめ方が多いのはそのせいじゃない?

弥介を追ってみようかと、ちょっと思い、あらためて時代背景の重苦しさに引きました。
日本での「いい体験」だけを描けばいいわけじゃないからねぇ。
日本人が興味本位に手を出すべき題材じゃないのかも。

たとえばエディ・マーフィみたいな親しみやすくて体格のいい、米国の黒人俳優を起用して、ハリウッド(つまり日本・アフリカ・ヨーロッパ以外)でコメディ映画として作ったらどうかなーなんて。全編英語でも。多少ニホンジンの描写がヘンでも。(^^;
一見にぎやかでユーモアいっぱいで楽しいんだけど、時折シビアな場面が入っててハッとさせられる。痛快な主人公なんだけど、背負っているものは深くて重い…。なんちゃってね。イメージよイメージ。

あ、そういえば南蛮屏風にも黒人の従者が描かれている物がありますよね。
黒人伝承は…「だいだらぼうし」がもしかしてそれじゃないかと思ったこともあるんです。
が、辞書で簡単に調べたら、富士山を背負っただの利根川をせき止めて足を洗っただの…。
中世の発祥で、生身の人間を題材にしたものとはちょっと思えないのでこれは却下ですね。
ほんと、どこかの土地に残っていたら面白いね。



#5134 
景虎 2004/09/13 23:10
パパ

>マスター
マスター、いつもの頼むよ・・・いつものって何だ?ニュースな史点とかになるのでしょうか?どうでもいい事ですが、ご主人様と訳すと、別のものをイメージしてしまいますね。

>弥助
確か大河の秀吉では、本能寺の変で明智軍と戦って、『パパ〜』と叫んで死んでたような・・・。



#5133 
尾鳩 2004/09/13 19:58
大陸より:再び

>徹夜城どの、及び皆さん
大変、ご無沙汰しておりました。
ぶらっと、飲み屋に入る感覚でやってきました(w。

現在、仕事で青海省に来ています。青海省、あんまり馴染みが無いですよね、ここは。
南へ下ればチベット、北へ上れば敦煌へと続くという結構重要な交通要所だったりします。
実は、昔昔、まだ駆け出しのバックパッカーだった頃、ここに来たことがあるんですよ。この省に存在するという黄河の源を訪ねるために。遊牧民とともに馬に乗って1週間かけて遂に到達したときのことは、今でも鮮明に覚えています。
感動と言うよりも、ようやく到着したという「脱力感」が大きかったように思います。

仕事で再び来るとは、思ってもいませんでした。
黄河、長江、そしてメコン河の源が存在し、青海湖の青さに雪山の白が映える大草原が広がる大自然のみならず、トヨクコン・隋、トパン・唐、トパン・西夏といった国々の係争の地であり、チベットの覇者、ソンチェン・ガンポに嫁いだ文成公主にちなんだ峠等、結構歴史的ポイントも存在する青海省。もし、機会があったら一度訪ねてみませんか。

>徹夜城どの
1週間ほどしたら、帰国します。
その時に、またご一緒しましょう。




#5132 
くれど 2004/09/13 15:04
黒坊主伝承

酒呑童子も、ドイツ人のシュテンさん?なんて 説もあるくらいですから、当時 黒人奴隷は
何人も 日本に来ていたので、黒坊主の伝承が残っても 不思議ではないんですが あるかな?



#5131 
徹夜城(こんな真昼間に書き込みしている管理人) 2004/09/13 13:57
昨日は楽しかったです。

 下に参加者お三方がそろって書かれておりますが、昨日大塚で歴史再検団のみなさんによる舞台劇「倭寇伝」を鑑賞してまいりました。参加者のみなさん、いずれも好評で歴史アドバイザーとしてのみの関わりながら、嬉しい限りです。僕自身はもちろん楽しんでましたよ、史実の元ネタ知ってるだけにちょっと意地悪なツッコミを心の中で入れつつ見たりもしておりましたが(笑)、自分が長年つきあってる数々の魅力的なキャラクターたちが実際に動いてしゃべる場面には感動。特に思いいれの強いキャラクターである王直や徐海たちの名シーンにはホロリとしたものです。

>KIさん
 倭寇世界について詳しくない方でも楽しんでいただけたことについては、僕も実のところ一番の不安点だったこともあり、ホッとしました。それだけ脚本の方がエッセンスをうまくまとめてくださったと思っています。大河ドラマ級の話を2時間でまとめるというのでどうなることやら…と思っていたのですが、舞台劇には舞台劇のやり方というものがあるんだな、と認識させられました。

>阿祥さん
 殺陣はこのお芝居の見所でしたね。劇中、青竜刀の刃の部分が外れて客席に飛んでしまうというハプニングがありましたが(もちろん作り物ですけど)、これも熱演のなせるわざかと。客席まで殺陣に使っちゃってましたしねぇ。それでいて舞台のセット自体は船の甲板をイメージしたシンプルなもので、あれで全てのシーンを説明できちゃってるんだから、凄いものです。
 「海上史事件簿」は急がせていただきます〜と言い続けて何年やってるんだ(汗)。先日の広東海賊の連載もそうですけど、乗っちゃえば一気にやっちゃいますんで、「乗っちゃう」ときをお待ちくださいませ。「鳳」もね(^^;)


>一ノ風さん
 この史劇的伝言板では初めて…の書き込みでしたよね?昨日は長時間のおしゃべりにお付き合いいただき、どうもありがとうございました。いやそれにしても一ノ風さんも次から次へとネタが飛び出してくるのでこちらも恐れ入りました(笑)。倭寇からヤクザ世界、なぜかアルセーヌ=ルパンとホームズ、宮崎アニメ論やら特撮怪獣映画までえらいディープな話が延々と脈略もなく続いておりましたが、隣の席の人は不気味に思ったんじゃなかろうか(笑)。
 なんでも一ノ風さん管理の「徹歴」では「徹夜城は五人いる」説というのがささやかれていたそうで(笑)、それが「誤認」であることを明白にさせていただきました。うん、でも実際影武者が四人ほど欲しい(爆)。


>ななさん
 ほー、ふらりと寄る飲み屋、いい響きですねぇ。僕はさしずめ「マスター」なんでしょうな。いちおう「夜の職業」ではあったりするんですが(笑)。
 信長に仕えた「弥助」ですが、本能寺以後のことは全然知らなかったですねぇ。前にも書いた話ですが、大人向け劇画の「織田信長」ではなんと本能寺でその弥助が信長の首をはね、その首が弥助の首に食らいつくというとんでもないラストになってました。
 この弥助、NHK「おしゃべり人物伝」で信長を取り上げた回では語り役でして、司会の小林克也さんが顔を真っ黒に塗って演じておられました(笑)。



#5130 
一ノ風 2004/09/13 07:39
お疲れ様でした

帰ったらそのまま爆睡してしまい朝に書き込みです(笑)。
昨日はどうもありがとうございました。憧れの徹夜城さんにお会いできてまずそれがうれしかったです。
お芝居の方は、テーマとして倭寇を取り上げた面白さもあり、迫力のある殺陣あり、で大変見ごたえがあり本当に見れて良かったです。次回作にもこれは期待したいですね。

その後の席での徹夜城さんの解説も聞けて大変面白かったです。その後の飲みでは、何であんなに変な話までしてたんでしょうね(笑)。とにかく大変楽しい一日でした。何かあったらぜひまた誘って下さいm(__)m


http://www.tetsureki.com/


#5129 
阿祥 2004/09/12 20:51
倭寇伝、観劇しました

こういう演劇を見たのは二回目なのですが、前回の劇と比べてもおもしろく見ることができました。三日間、数回の公演で終わりになっちゃうのはもったいないですね。こういう出し物は、ものの良し悪しよりも、集客できるかどうかがポイントですから、難しいとは思いますが。

徹夜城さんの語る倭寇世界のことも、文章だけではなく、今回のお話を中心にして見ていくと分かりやすくなると感じました。色々な人物も映像として思い浮かべることができ、それに対する徹夜城さんの思いいれも劇の後で聞くことができて、理解しやすくなりました。
お話は、倭寇側が主人公なのかと思っていたら、官軍側に思いいれのあるような作りかたで、ちょっと考えていたものとは違っており、その点はちょっと期待と異なりました。それでも2時間の間に観客をひきつけるストーリー作りができていたように思います。殺陣も最初から最後まで結構派手にやっていて、それだけでも見応えがありました。

楽しい時間をおくることができました。ありがとうございます。
できますことなら、このお話を解説する海上史事件簿の続きをお願いします。ちょうど、今までの連載の後のお話でしたね。




#5128 
K.I(徹夜城氏の過去を知る男) 2004/09/12 20:25
倭寇伝、大変楽しかったです

徹夜城様、お久しぶりです(笑)
本日は「倭寇伝」を観劇させていただきありがとうございました。
期待以上に面白く、特に倭寇の知識がない私にも十分楽しめました。
今後もこのような機会があれば是非お誘い下さい。
(何て殊勝な文章だ…)



#5127 
なな 2004/09/12 02:20
弥介

こんばんは。ふだんROMはしてるんですけど、時たまふらっと立ち寄りたくなる、飲み屋みたいな場所ですか、ここは。(^^;

ずいぶん前からなんですけど、ときおり思い出したように織田信長の黒人の家臣「弥介」の「その後」をぼけら〜っと想像することがあります。
本能寺の変の後、彼は逃走して行方知れず…と、弥介について本かテレビかで知った時にそう聞いていたので、「黒人さんがたった一人で、中世日本のどこかで暮らしていったんだろうか」とね。
江戸時代中期の平賀源内が、鉱山の開発か何かで一度だけ訪れた村(地名ど忘れ)では、昭和の初めまで、源内の身体的特徴やら滞在中の様子やらが昨日のことのように生き生きと言い伝えられていたとか。
そうなると、弥介が余生を送った土地にも何らかの言い伝えや伝説が残っていてもよさそうなもんだけどなぁ…と思って。

で、さっきふいに思い立ってネットで調べてみたんですね。
信長の死後、ふたたび奴隷としてインドに送られちゃったのね。その後の消息は不明と。アフリカは現モザンビーク地域の王子だったとか。

モザンビークと聞いて、私はむかし落合信彦の本にあった「内戦」のイメージのまま時間がストップしていたことに気づきました。だいたいモザンビークってアフリカのどこよ?(^^;

外務省のサイトで即席のお勉強。
日本との要人の往来は日本からの「往」のみで、年表を見ると………鈴木宗男、鈴木宗男、鈴木宗男。アントニオ猪木や管直人が一回ずつあるくらいで、ダントツ回数が多いのがあのムネオさんだった。^^; あ、ムネオさんが開発援助したのはこの国だったのかと…今さら地理的に確認するな。

弥介は当時の日本では大男だったそうで、となると、絵としては小柄な鈴木氏が信長で、弥介は秘書のムルアカ氏がどんぴしゃなんじゃないかと…。(((^^;
ムルアカ氏はコンゴ(ザイール)出身で、もちろん彼は元々お国ではエリートで、空手のタイトルもあるし、インテリなんでしょうね。amazonで彼の著作を見て思いました。どれも面白そうでしたよ。



#5126 
徹夜城(明日は芝居を見に行く管理人) 2004/09/11 23:14
いよいよ明日に行きます

 毎度毎度繰り返しておりますが、歴史再検団のみなさんによる劇「倭寇伝」の鑑賞会オフを明日行います。
 現時点で「一ノ風」さん、「阿祥」さんがご参加される予定です。あともう一人、未確認の方がおられます。それで合計4人とあいなりまして、実は手持ちの招待チケットはそれで「売り切れ」となります。
 それでもこれからこの「観劇オフ会」に参加されるという方はギリギリまでお待ちしております(メールで連絡を下さい)。JR大塚駅南口に正午に集合、南大塚ホールの13:00公演を見る、見終わってからはお食事なり飲み会なり、というスケジュールです。なお、当日券は2500円となっております。
 こう書いていて思ったのですが、昨日から公演してるはずですので、この伝言板を見ている方の中にはすでに御覧になった方もおられるのではないでしょうか?


>Кискаさん
 ようこそいらっしゃいませ。えーと、すいませんが、このお名前の読み方をカタカナで書いてくださいませ。当方、キリル文字はまるっきりわかりませんので(^^;)。ああ、それと「歴史に関係ない」なんてことはまるっきりないですよ。ここじゃあ半分ぐらいは映画ばなしです(笑)。
 ジャンヌ=ダルク映画ですが、こうして並べてみるとホントにいろいろありますねぇ…本場フランスもいくつか作ってるようですが、外国でしばしば製作されているというのが面白いところ。まぁそれだけ絵になる、映画向きの素材なんでしょうね。「三銃士」ともども繰り返し繰り返し作っているフランス史素材ですもんね。そういえば、また「マリー・アントワネット」の製作ばなしが聞こえてきます…
 リー・リー・ソビエスキーはフランス出身ではあるんですね(もとがポーランドにせよ)。僕はこのドラマが初見でした。すでに色々出てたんですねぇ。


>ひでさん
 「日テレ三国志」の専門サイト?と思ったら「于禁をメジャーにする」という主旨のサイトなんですか(笑)。うーむ、そういや確かに于禁がいちばん印象的な作品ですよね、これは(笑)。
 プロ野球のストの件ですが、僕の商売的には「労働基本権」を中学三年の公民で教えるのに好都合な事態であります(笑)。


>景虎さん
 はい、アニメ作品としての出来については僕もさして異論はありません。問題なのはこれが「横山光輝原作の三国志」として大々的に放送されたことでして。横山先生、ご覧になったんだろうかと長年疑問に思っていたんですが…続編も作られたところをみると、興行的には成功したんでしょうねぇ。
 劉備や曹操が若い年齢に設定され、ひたすら直接一騎打ちをしちゃうことについては特に問題とは思わないんですが(それを言ったらNHK「人形劇三国志」もそうですし)、孫権の妹が空飛ぶ忍者で孔明を誘惑したり、孫権ならともかく曹操が金髪(しかも異民族の血を受けたとかなんとか言っていたような…)だったりとか「原作の改変」を通り越していたところが当時もずいぶん謎でした。どうしてそこまでせにゃならんのか…と。アニメ製作側が「アニメならこうしなきゃ!」的な思い込みに走ったということなのかな?
 良く覚えてるんですが、この「日テレ三国志」放映から数日後、朝日新聞のTV面の読者投稿欄にこの番組についての二つの投書が載せられてました。一つは恐らく中年以上ぐらいのお年の女性だったと思うのですが、「昔から面白いから読んでみろと言われつつ読んでいなかったが、このアニメを見て本当に面白いと実感した」という感想が書かれていたのです。これは正直「恐ろしい」と思ったもんです(笑)。もう一つの投書はこれとはまるっきり反対に「こんな内容で、れっきとした歴史書である『三国志』のタイトルを名乗るとは!」と烈火のごとく怒った内容でした。じゃあ『三国演義』ならいいのかということではないんでしょうけど(笑)。
 僕はといえば、杓子定規な批判はしませんでしたし、「まぁこういう色モノがたまにあってもいいだろう」というノリで楽しんでました。ツッコミを入れて楽しむ、というまさに「トンデモ本」のそれですな(笑)。しかし中には本気にする人もいる、ということをその投書見て知ったわけで。



#5125 
景虎 2004/09/11 21:44
なつかしいなあ

>日テレ三国志
これって、三国志と三国志2の前編、後編に分かれてましたが、三国志と考えなければ中々面白かったです。特に三国志2は、三国志としてはともかく、アニメとしてはよく出来ていたと記憶しています。

最近のテレビアニメは、絵は派手になりましたが、場面によってキャラクターの顔が変わったり、絵があまり動かなかったりしますが、これは驚くほどよく動いていました。
雑誌で読んだのですが、この作品に参加されたアニメーターの方曰く、最近の若いアニメーターは音楽聴きながら仕事しているが、私たちの若い頃は、「お前は絵が下手だ!!」と言って仕事中に喧嘩する人がいたとか。この日テレ三国志で一緒に仕事した人の中には、電車の中で殴り合いの喧嘩をしている人がいたそうですが、その人は関羽の絵を描いていたので、きっと豪傑なんだろう・・・と語っていたのを覚えています。

この日テレ三国志では、故人となってしまった富山敬氏が孔明をやっていましたが、後にヤン・ウェンリーを富山氏が演じたのは、もしかしてこの作品の影響か?と勘ぐってしまいました。そういえば、悪来典韋の声がジャイアンだったり(笑)、張松が八奈見乗児氏(タイムボカンシリーズに出てきた悪役の痩せてる方)でしたが、声優陣は今では考えられないくらい豪華でした・・・って、何で私はこんなに語ってるんでしょうか?それだけ衝撃的な作品だったということでしょうかねえ。



#5124 
足塚玉虫 2004/09/11 12:51
少年少女十字軍

ジャンヌ・ダルクはフランスではどうだか知りませんが、
アメリカ人は、ちょっと誤解してるのではないかな?と思ったのは
ハリウッドものの古い映画で、イングリット・バ−グマンが扮する
ジャンヌ・ダルクのものを見た時ですね。彼女は気高いめなキャラ
で演じて、また正統派美人に振る舞うもので、ジャンヌは田舎の
身分もはっきりしない出の人間であったことを考えれば、
伝説の名優バ−グマンもミスキャストな映画かな?と。
ジャンヌ・ダルクから宗教色を丸っきり抜くと
美人で腕っぷしが強いヒロインが出てくる2流冒険活劇を作る
ようなものかな?(笑
実際のジャンヌは合戦には1回だけしか勝利してなかった事を
考えれば、彼女はさほど豪傑では無さそうだし、また当時は十字軍の
遠征がまだあった時期で、少年少女十字軍なるものまで出て、
十字軍の意気が王侯貴族だけでなく、もっと低い身分の階層にも
浸透していてジャンヌは、それを祖国防衛という環境で体現した
という見方もありますね、祖国防衛といっても当時は
フランスは統一国家でなかったし、ジャンヌが祖国というもの
の概念をどういう風に考えていたかは分かりませんが。



#5123 
ひで 2004/09/10 23:34
問題先送り

結局今週末のストはないようです。しかし会見終了後、隣に座っていたロッテの球団関係者(代表だったかな?)から握手を求められたときの古田の表情と対応をみているとまだまだ大変だなあという感じですね。

>日テレ三国志
そういえばそんなものもありましたね・・・。たしか于禁か張遼が女だったような、とおもって、ネットで検索をかけたら于禁でした。しかもこんなページを作ってしまったサイトもあるようで・・・・。
http://www.remus.dti.ne.jp/~sokabe/special1.htm

ここのサイトをみていると、なんかジョン・ウーの赤壁の戦いのストーリー展開が日テレ三国志みたいな展開になりそうでちょっと怖いですね。日テレ三国志は劉備が正義のヒーローになっていて、しかもやたらと曹操に一騎打ちを挑むって展開だそうですし・・・・。チョウ・ユンファが劉備をやるとなると、まさか情けないキャラに書くわけにもいかないでしょうし、二刀流でワイヤーアクションとかあるでしょうし、どうも日テレ三国志に近い感じになりそうな気がします^^;

>その他のジャンヌ・ダルク映画
モノクロのサイレント映画でカール・ドライヤー監督による「裁かれるジャンヌ」というジャンヌ・ダルクの裁判と処刑までをかいた映画を見たことがあります。

http://pezetairoi.hp.infoseek.co.jp/


#5121 
Киска 2004/09/10 22:53
フランスのジャンヌ・ダルク映画

ごめんくださいませ。本日はこちらにお邪魔させていただきます。別サイトでは、アイルランドや韓国のことなどを教えていただいていまして、どうもありがとうございます。

フランスのジャンヌ・ダルク映画、1900年にメリエスが、その後セシル・B・デミル、ロベール・プレッソンが撮っているそうです。
私が知っているのはジャック・リヴェット監督の「ジャンヌ・ダルク」(第一部「戦闘」2時間40分、第2部「牢獄」2時間58分、合計5時間38分という大作)及びそのショートヴァージョンである「ジャンヌ/愛と自由の天使」(1時間57分)「ジャンヌ/薔薇の十字架」(2時間1分)←これでも十分長いですが・・・。主演はサンドリーヌ・ボネールで、ストーリーはやはり正統路線でした。私が観たのはロングヴァージョンで、長いけれどちゃんと最後まで眠らずに観られました。が、とりたてて印象深いというわけではありませんでした。確か招待券をもらったのです。でなければ自分からはこんな長い映画は観に行かない。
フランスの作品ではなくて、ソヴィエトの「デビュー」という映画もジャンヌ・ダルク物ですけれど、ご覧になったことがありますか?ジャンヌ・ダルクの劇中劇+現実のメロドラマという、ちょっと異色で、素敵な作品でした。時間も1時間30分とまともだし。

リー・リー・ソビエスキー(本名はリリアンヌ)は最近日本で公開された作品では「アドルフの画集」に出演していました。フランス出身、とはいえ元々を辿るとポーランドなのでしょうね。「アドルフの画集」や「アップライジング」ではユダヤ人役を演じています。

「Z」はフランス映画でしたか。それはそうですよね、ギリシャの独裁政権批判の作品ですもの、ギリシャ映画のはずがなかった。「イワン・デニソヴィチの一日」がソヴィエト映画ではなくて、デンマークかなんかの映画なのと同じで。かなり前にNHK教育テレビで放映していて、「録画すべきだった!」と大後悔しましたが、フランス語だったという記憶すらなくなっていました。

歴史にはあまり関係がありませんでしたね。



#5120 
徹夜城(相変わらず更新が進まない管理人) 2004/09/10 12:33
まだまだ募集しております(笑)

 えー、「歴史再検団」のみなさんによる舞台劇「倭寇伝」公演がいよいよ本日から始まっています。ここを見てらしたら、再検団のみなさん、頑張ってくださいね!
 それで、僕自身は12日13:00の回に見に行くわけで、それにご同行くださる方をまだまだ募集しております。現時点で僕以外にもうお一人参加が確定しています。あまりこちらに書き込まれたことはないんですが、当サイトでは以前たいへんお世話になりました「知られざる常連」のような方で(笑)。
 劇団の方からいただきました招待チケットもまだ数枚ありますので、ぜひぜひふるってご参加を。
 公演直前までお待ちしますが、一応12日の正午ごろにJR山手線大塚駅南口に集合、公演場である南大塚ホールへ移動する(徒歩五分で着くそうですが)、という予定であります。お問い合わせは僕のメールアドレスまで。


>ブッチャー3世さん
 そりゃまぁプーチンさんご自身がKGBの出身ですから(笑)。今度のテロ事件以前からKGB復活への動きは現れてましたよ。
 それにしてもその後もサンクトペテルブルグで映画館に爆弾が仕掛けられていたとか、ジャカルタのオーストラリア大使館前で爆弾テロがあったりとか、キナ臭い動きはあちこちで見られますね。日本も実際他人事ではないでしょうし。
 それにしてもここにきてアメリカ大統領選、どうもブッシュ優勢という流れのようで(共和党大会後ということはあるにせよ)…正直頭が痛いです(--;)。アメリカ以外での世界各国での支持率調査をやるとケリー圧勝になるんですが、いかんせん「世界の王」たるアメリカ大統領はアメリカ国民しか選べない。世界からどう思われようと自国内さえ良けりゃ構わない、って層が支持母体だけに厄介この上ない。民主党のケリー候補も中途半端でハッキリしないのは事実なんでしょうけどねぇ(だから実際のところ「ブッシュ対ケリー」じゃなくて「ブッシュ対反ブッシュ」という構図になってる)。
 「9.11」三年目ということでまたぞろブッシュ陣営が大いに利用しそうな雰囲気ですが、11月までに流れが変わって欲しいところではあります。あと四年もやられると何が起こるかわかったもんじゃない…(汗)



#5119 
ブッチャ−3世 2004/09/08 13:18
今は無きKGB

ロシア北オセチア共和国で起きた大惨劇の報道の過熱も一段落
した感がありますが、読売新聞だったかな?気になる記事が、
今回の占拠事件を追い風にロシアは強硬治安対策を打ち出して
いくのは必至なんですが、具体策としてKGBを復活させよう
という案が浮上してるとか。KGBって無くなっていたのですねぇ
まだ存在するものだとばかり思ってました。もちろんロシアは
冷戦後KGBを廃したからといってロシアに諜報機関が無くなって
しまったわけではなく、KGBを連邦警察にあたる部門と
公安・防諜部門の2つの独立した機関に分離したようです。
平たくいうと巨大な秘密警察組織を真っ二つに分けて
FBIとCIAのような機関となった感じ?
今のプ−チンさん自体元KGBのヒトでロシアの現体制は
旧KGB関係者が多いらしく、大ロシアの復活を目指すのは
結構ですがKGBまで復活してくれちゃうのは何だかねぇ(汗






#5117 
徹夜城(「MUSA」のDVD買ってきちゃった管理人) 2004/09/07 21:21
うわ、ホントだ…

>ひでさん
 ご紹介の記事、見てきました〜。なるほど、チョウ=ユンファは明らかに劉備役なんですね。しかし「赤壁の戦い」というタイトルでどの辺を映像化する気なのか…
 なんか長江の上で燃える船の上で劉備が剣を二本振り回して曹操を追い回すシーンが頭に浮かぶ…ってそりゃー「日テレ三国志」そのまんまやないか!(^^;)
 日本や韓国の俳優も入れて…という話ですが、セリフは英語?

 国際協力映画といえば、と韓国アクション時代劇「MUSA(武士)」のDVDを本日購入しちゃいました。で、結局メイキングを見て楽しんでいたりしますが(笑)。撮影現場ではチャン=ツィイーがかなりお茶目です。
 改めて名シーンを飛ばし見してみますと、この映画、鷺巣詩郎氏の音楽が相当に効果的ですねぇ。



#5116 
ひで 2004/09/07 18:34
噂ではチョウ・ユンファは劉備らしい。

>ジョン・ウー版赤壁
http://news.xinhuanet.com/english/2004-08/10/content_1754138.htmの記事によると、チョウ・ユンファがやる人物はthe King of Shu, Liu Beiとのことですので、多分劉備ではないかと思われます。二丁拳銃ならぬ二刀流ってことでしょうか・・・。


http://pezetairoi.hp.infoseek.co.jp/


#5115 
徹夜城(舞台の稽古を見てきた管理人) 2004/09/07 13:56
「倭寇伝」稽古を見てきました。

 去る日曜日(5日)の夕方、中野で行われていた歴史再検団のみなさんの劇「倭寇伝」の稽古模様を見学してまいりました。舞台劇についてはまるっきり素人の僕ですから、見るもの聞くもの全て新鮮で、たいへん楽しみ、かつ勉強になりました。3時間ほどただただ見させていただいたんですが、ぜんぜん退屈しませんでしたね。そもそも「ものづくり」をしている現場というのは凄く好きなんですよ。映画なんかでもメイキング見るのが好きだ、って男ですから(笑)。
 劇全体のほんの一部の場面の稽古しか見られなかったのですが、主人公の兪太猷ら官軍諸将が出てくる場面をいくつか拝見しました(当然ながら同じ場面を繰り返し)。シナリオはチェック時にいただいていたんですが、実際に動いてしゃべっているのを見るまでは全然わからんもんだなぁ…と再確認。実際の舞台で衣装をつけるとさらに違うんでしょうけどね。
 おそらく日本最強の倭寇マニア(自称だけど自信あり)の僕などには、もう兪太猷やら湯克寛やら劉顕やら胡宗賢やらが目の前で動いて話すだけで大感激(笑)。王直や徐海らのシーンが見られなかったのは残念ですが(王直も混じった乱戦場面は見ましたが)、こりゃあ少なくとも僕にはかなりの見ものです、はい(笑)。特に胡宗賢初登場場面で彼のイメージがぴったりだったんで心中ひそかにウケておりました(笑)。
 もちろん膨大な登場人物がいて複雑な史実を舞台劇という形にまとめるにはかなりの創作や物語・登場人物の編集が必要でして、史実どおりの劇というわけにはいかないのですが…まぁ「歴史アドバイザー」としましては、「三国志演義」がアリならこれもアリだろうと受け止めております(笑)。
 …てことで、招待チケットも数枚いただいておりますので、9月12日の13:00の回に見たいという方はお気軽にメールください。僕と一緒に行きますと監修者自身による裏話も聞けます(爆)。


>ひのきさん
「アヴァロンの霧」ですが、ビデオを確認したところ、やはりブラッドレーの同名小説が原作としてクレジットされてました。


>是流陀さん
 ジョン=ウー監督、チョウ=ユンファ主演の「赤壁の戦い」ですが、なにやら「三国志〜男たちの挽歌」になりそうで怖い(笑)。日テレでむかし作った「金曜ロードショー横山光輝三国志」を思い起こしてしまいまして。ジョン=ウー監督もいろんなの撮ってますから先入観をもっちゃいかんのでしょうが、ナバホ族通信兵ネタの戦争映画「ウィンドトーカーズ」も戦闘場面が「英雄本色」調で脱力した覚えがあるので。
 それはそれとしてチョウ=ユンファは誰を演じるのか。「赤壁」となると案外曹操主役にして作ってくるかもしれませんし(東映動画「三国志」じゃ渡哲也の曹操がトップタイトルでしたから)。「ヨン様」にもお声がかかってるってのはどうなんでしょう…日本国内でのネタっぽい気がしますが(笑)。
 でも最近の映画制作は国際的な連携、ってのが多くなってますし(今やってる「LOVERS」もそうですね)、アジア史ものでアジア各国のスターが結集するってのも流れではあるでしょう。チャン=ツィイー主演の「ゲイシャ」にはちと抵抗があるんだけど、そんなもんかと。そういや桃井かおりさんがその映画の女将役確定だそうですな。



#5114 
徹夜城(更新作業もサボって伝言板連載を続けた管理人) 2004/09/07 13:31
嘉慶年間広東海賊物語(6)

さて、いよいよ連載も最終回。

★最終章〜広東海賊最盛期の終焉〜

 さて「黒旗」率いる郭婆帯が投降、引退し、官軍による圧迫(具体的には沿海住民による海賊への物資補給へ止めたりする)もあって広東海上の情勢はしだいに海賊達には苦しいものとなりつつありました。そんな時代の趨勢も感じ取り、また年をとって(年齢は不明ですが)海賊稼業を続けていくのに無理も感じていた鄭一嫂自身も、官軍への投降を考え始めます。彼女は交流のあったマカオの医師・周飛熊を仲介者として両広総督・百齢に投降の意思を打診します。
 嘉慶15年(1810)2月、打診を受けた百齢は部下や現地の知県を派遣して鄭一嫂と接触させようとしましたが、鄭一嫂は「投降はするが屈するのではない」とのプライドと依然盛んな「紅旗」軍団を誇示し、部下達などは眼中にないと追い返して「総督自ら海上に来て対面せよ」と伝えさせます。百齢は要求に応じてわずかな従者だけを連れ、単舟で鄭一嫂船団が停泊する「虎門」に赴きました。
 鄭一嫂は大船数百艘を並べ、張保・鄭邦昌・梁皮保・蕭歩鰲ら諸将に命令を下し、武装した部下たちにずらりと船を整列させ、旗を掲げ大砲を鳴らして、威風堂々と百齢を迎え入れました。百齢はこの威容にかなりビビりましたが鄭一嫂は彼を船上に招き入れて礼をもってこれに待します。おかげで会談はスムーズに進み、おおむね意見の一致を見たのですが、ここでイギリス軍艦が虎門に進入してくるというハプニングが発生、鄭一嫂は官軍がイギリス軍艦と示し合わせて攻め込んだきたものと疑い(誤解だったんですが)、会談を中止して即座に撤収してしまいました。百齢は特になにもされなかったようで、そのまま広東省城に帰っています。
 その後鄭一嫂は自らの誤解であったことを知り、今度は自ら広東省城に赴いて百齢と二度目の会談を行います。ここで話が完全にまとまり、「紅旗」船団は香山県の芙蓉沙に集結して官軍に投降しました。海船270〜280隻が官軍に接収され、構成員2万余(!)は解散させられ、大砲400余その他の器械・物資も押収されましたが、鄭一嫂はこれまた広州城内に住まいを与えられ、4000余人の元部下と家族たちが彼女によって陸上での生活を保障されました。残りの部下達は官軍に吸収され、張保がそれを率いる将官に任じられています。鄭一嫂は女性なので官軍の職につけるわけにはいかなかったという事情もあったみたい。

 しかし張保らの官軍就職は条件つきでもありました。なんせ元大物海賊なんですから。他の海賊を討伐する代わりに官軍に雇ってやる、という話になるんですね。
 さて「黒」「紅」の話ばっかりしてきましたが、他の色―「藍旗」「黄旗」「青旗」「白旗」の海賊達も盛んに活動していたんです。嘉慶15年4月、百齢はついにこれら海賊達の撲滅に乗り出し(ベトナム国王にも協力を要請してます)、張保もその指揮下ではたらくことになります。
 4月、「黄旗」軍と「青旗」軍が官軍の攻撃を受け、「青旗」はほぼ全滅します。ついで5月に百齢自ら陣頭指揮をとって強力な集団であった烏石二の「藍旗」掃討が開始されます。烏石二、本名は麦有金でベトナム武将の出身で構成員にもベトナム人が多く、異国人ということもあってか「藍旗」集団は「紅旗」「黒旗」に比べると軍規は乱れて凶暴であったとの話もあります。
 官軍と「藍旗」軍は海上で激闘となり、この戦いの中で張保は烏石二の乗る船を見定めて突入、直接相手の船に乗り込んで烏石二を生け捕りにする大殊勲を挙げています。大将ら主力を失った「藍旗」軍は3000余人がみな降参してしまいます。「藍旗」軍が壊滅したことを知った「黄旗」の呉知青は部下3400余人を率いて官軍に投降。「白旗」の李尚青はルソン島(フィリピンですね)へと逃亡してしまいました。
 この戦いのあと、烏石二・黄鶴らは処刑され、降参した呉知青は軟禁処分、その部下達十余名は遠く黒竜江の地(つまり満州北部ですね)へと流刑になっています。総督の百齢は最大の功労者として厚く恩賞を受け、張保もまた戦功を認められて正式に官軍の将官として出世しました。

 その後張保はそれなりに出世もし福建に転任して澎湖諸島に駐留したりもしたそうですが、やはり政府から警戒の目で見られていたのも事実で、嘉慶19年(1815)に朝廷からひそかに身辺調査を受けてもいたそうです。結局なにもなかったようですけど。
 鄭一嫂についてもその後のことは僕が持っている本には一切書いてありませんでした。何も書いてないということはそれなりに平穏に人生を全うしたのではないかと。張保のその後も現時点では全然わかりません。あと、気になるのが鄭一嫂も郭婆帯も同じ広州城内に住んでいたみたいで交流はあったのかどうか…という点なんですけど。

 ともあれ、これで19世紀初頭の広東海賊物語は終わります。実はこの時期に、先にチラッとふれた福建方面の海賊・蔡牽や朱潰といった連中もいてこちらもなかなか面白いんですけど(こちらも浙江からベトナムまで活動している)、あくまで鄭一嫂の話題から始まった企画でもあり、カットさせていただいています。
 長々とした連載でしたが、原資料にあたってないので書いてる側としてはちと歯がゆかったです(^^;)。このへんのことを記した最大の資料は『靖海氛記』というものだそうで、なんと1831年に「History of the Pirates」英訳されているのです。そのためヨーロッパでも有名で研究者も多いみたい。僕が今回ほとんどタネ本にした中国の鄭広南著『中国海盗史』にもドイツの研究者の論文が参考にされてました。
 …そのイタリアの映画ってのも、見てみたいですねぇ。



#5113 
くれど 2004/09/07 11:55
油をまいて マッチをいれたのは 誰か?


ロシアの学校での人質事件の影響で パイプラインの安全性の問題がクローズアップされて、石油の値段が この直前から うなぎ上りで 上がっています。
こういう場合は 投機筋の買いが入って、さらに火がつくというパターンのようですが、よく歴史的経緯があった 紛争があると申します。正しい面もありますが、でも 平和に暮らしていけるのも 人間だと思います。憎悪だけでは生きていけないのですから。
問題は 油をまいて 火種をつくり、マッチをいれた人間たちがいるということです。
痛ましい事件のあったあとに、ロンドンあたりの先物で 大儲けした方がいたという事実を記憶しておくべきと思います。




#5112 
是流陀 2004/09/05 16:34
歴史映画といえば

ジョン・ウ−&チョウ・ユンファが赤壁の戦い、なる映画を
作ろうとしてるそうですが、キャストは中国人にとどまらず
日本や韓国の俳優の起用も模索しているとかで、うわさ では
周癒(字が違うかも、孔明に出し抜かれてばかりいて神経衰弱して
死んだ呉の将軍)の役に、「冬のソナタ」のヨン様を計画して
いるとか。悲劇の将軍・周にヨン様は何かマッチしてる
ような気がしますね。




#5111 
ひのき 2004/09/05 14:37
紅vs黒とは…

連載、わくわくしつつ拝見しております(^^)

>内河の戦い
なるほど、これで彼女が欧州に名を知られるようになった訳ですか。
拠点には船を少なくみせて、なめてかかった所を反撃した…って感じでしょうか。

>「賊をもって賊を制す」懐柔策
今個人的に平安時代の藤原純友(北方謙三さんの純友小説、面白すぎ)を見ているんですが、あれも似たような策といいますか…。純友の右腕を投降させたのが、大きかったようで。古今東西陸海とわず、結局強すぎる「賊」にはこの策なんでしょうかね(^^;

>郭婆帯の投降
陸地で学問に没頭したかった欲求を抑えがたくて投降…?(笑)生涯全うされたという事は、清側もしっかり約束を守ったわけですね。

投降によって、部下たちの定職と身分を保証し、資産のムダもなく、かつ自身はかつての仲間を直接には倒さない。なんだかインテリらしい身の処し方に感じてしまいました。自らの学を朝に生かす道には見切りをつけてしまったんでしょうか。

最終回、楽しみにしております。
そういえば他の黄色青色藍色白色メンバーはどうなったんでしょう?皆投降しちゃったのかな(^^;

>『アヴァロンの霧』
ブラッドリーの同名ファンタジー小説のあれでしょうか。モーガン(モーゲン)・ル・フェイが主人公なら多分これが原作だと…。普通に円卓の騎士や白馬の王子なイメージのアーサー王伝説への興味から読みましたが、衝撃でした(笑)。ドラマになっていたとは知らず。見てみたいですね。



#5110 
徹夜城(またコツコツと伝言板連載を続ける管理人) 2004/09/04 21:11
嘉慶年間広東海賊物語(5)

さて、連載もはや第五回。ぼちぼち「起承転結」の「転」あたりかな。

★第五章〜西洋艦船との戦いと「旗」船団の内紛〜

 これまでの経緯のとおりで、この嘉慶14年(1809)が広東海賊の絶頂期といえます。その中でも有力だったのは活字中毒の郭婆帯率いる「黒旗」と鄭一嫂・張保が率いる「紅旗」でした。実際に両者は並び称せられ、協力・連携して活動することも多かったのです。
 しかしこの年の7月、「黒旗」「紅旗」はそれぞれ別の地点を襲撃し、それぞれ現地の郷勇(地元有力者などが組織する義勇軍)の強い抵抗を受けて苦戦します。黒旗の郭婆帯はかろうじて勝利したのですが紅旗のほうは結局得るところなく撤退しました。このとき張保が何度か郭婆帯に救援を求めたのですが、自身も大変だったためか郭婆帯は応じず、以後両者の間には怨恨が残り、両者間で衝突も発生するようになります。

 そんななか、この年の10月に「紅旗」の鄭一嫂軍団はイギリスの商船(恐らくは武装もしている)を襲撃しています。彼らはイギリス船一隻を拿捕して数十人のイギリス人を殺害、かろうじて逃れたもう一隻は香山県の知県(知事)の率いる船団と合流し、他のイギリス船6隻も加えて鄭一嫂らの掃討に乗り出します。
 鄭一嫂は珠江の「内河」の中の拠点に停泊しており、彼女の船が少ないと見て取った官軍とイギリス船はこれを包囲しようと押し寄せます。これに対し彼女は「旗を偃(ふ)せ鼓を息(や)め」てひそかに船を内河に入れ(このあたり、原文もちょっと意味不明…)、張保に港からの出撃を命じます。結局はこの一戦も鄭一嫂側の勝利に終わっちゃうわけで、現代中国の『中国海盗史』という本では「アヘン戦争の30年も前に英国侵略者を打ち破った!」とまぁ大変な鼻息で語っております(笑)。

 しかしこの年の暮れ、「紅旗」船団と対立を深めていた郭婆帯はついに官軍に投降してしまいます。広東海賊の跳梁に業を煮やした朝廷がその掃討に本腰をいれるべく任じた両広総督・百齢が「賊をもって賊を制す」懐柔策に乗り出したことも一因でした。
 官軍に投降した郭婆帯の船団は「その部衆5000人、大小の船70余隻、大小の砲400余」をまるごと官軍に献じてしまいます。総督・百齢は朝廷に対し郭婆帯に「把総」の兵職を授けるよう要請し、また郭婆帯には官軍となった部下達を率いて「紅旗」船団を討つよう命じました。
 しかし…なぜか郭婆帯はこの美味しい授職の話を蹴ってしまい、他の海賊を討てとの命令も拒否しました。そして自身は海から離れて広州の城内に居を構え、名を「学顕」と改めて盗賊から足を洗って学問に没頭し(前からこれがやりたかったんと違うか?)、悠々自適の平民生活を送って生涯を全うしたそうであります。なんか不思議なキャラですなぁ。

 さて、一応次回で連載も最終回の予定です。



#5109 
徹夜城(ただいま雷がゴロゴロ鳴っているのを聞いてる管理人) 2004/09/04 20:31
緊急提案

 大げさなタイトルですが、一週間後の話ですので、一応緊急です。

 以前にもここで話題になりましたが、「歴史再検団」のみなさんによる舞台劇「倭寇伝」が9月10、11、12日に南大塚ホールで公演となります。詳しくは公式サイトで。
 http://www.geocities.jp/aoiworld5/rekisi

 で、わたくし徹夜城も「歴史アドバイザー」ということで関わらせていただいてまして(あくまで歴史関係のチェック、といういわば簡単な「監修」なのかなぁ)、明日もちょこっと稽古現場を訪問しようと思っていたりします。で、関わった役得(?)として公演の招待チケットが数枚いただけるようなんです。
 僕自身の予定は相変わらず余裕がなくて(泣)、見にいけるのは9月12日(日)のみとなります。そこで数枚もらえるんなら、どなたか他に一緒に行く方います〜?と声をかけさせていただいた次第です。
 倭寇に関心のある方、または歴史のお芝居に関心のある方など、動機はなんでも結構です。また、ある程度人数が集まるなら久々にオフ会みたいにしちゃうのも手だな、と。

 まぁ急な話なので予定を入れられる方も少ないかな、と思うのですが、一応僕は9月12日の午後1時からの回を見に行く予定。ご同行される方がおられましたら、終わってから飲み会なり夕食会なりにしちゃおうという考えもあります。
 参加ご希望の方はメール(この伝言板の名前のところにあります)で僕に御連絡くださいませ。直前まで受付中。


 打って変わって、イヤな話になりますが。
>ロシアの学校占拠事件
 モスクワの劇場事件もありましたが、今回は学校ということもあり、後味の悪さが数倍になったような。とにかく悲惨な結果になってしまいました、そういうイヤな結果の予想はしてはいたのですが…むろんロシア軍がチェチェン紛争で相当にひどいことをしたことが背景にはありましょうが、どうもアメリカの同時多発テロ同様に双方で手段の「たが」が外れてきちゃってるという感があります。戦争っちゅうのはそういうもんだとわかってはいつつも。

>くれどさん
 まだ四ヶ月もあるんですから、今年の回顧ネタはまだまだ早いってものでは(^^;)。少なくともニュースネタに関してはこれから年末にかけて大ヤマがありますからねぇ。
 といいつつ、きっかけ自体は去年のことですけど、歴史研究関係では「弥生時代の始まりは500年早い?」論争が今年の動きの中では行方が気になるところではありました。



#5108 
くれど 2004/09/04 09:16
今年 印象に残った歴史系物 ニュースなどは

そろそろ涼しくなったということで

私的には 谷沢(学者としていうことと 論壇でいってきたことがちがうじゃないか)永一センセイの 聖徳(何あたりまえのこと いっているんだ)太子はいなかった。

ニュースとしては 朝鮮半島の動乱を予感させる 高句麗は どちらの国の歴史か

でしょうか?

さて 貴兄たちは?



#5107 
船頭の孫 2004/09/04 00:33
ジャンヌ・ダルク

「ジャンヌ・ダルク」はドラマの映像をNHKの「その時歴史が動いた」でジャンヌ・ダルクを扱ったときにに例のごとく資料映像として引っ張りまくっていたのですが、どうしてもドラマの本編を地上波で放送したときに見た覚えのない映像がいっぱい混じっていたんですよ。NHKは海外ドラマを放送するときに時間枠にあわせるためにかなり削りまくるらしいんですが、このドラマでもそれがかなり行われていたようでした。



#5105 
徹夜城(自分の住む市内でも以前ヤクザの親分が射殺されてる管理人) 2004/09/03 00:21
ヒマなうちに映画三昧

一週間ばかりヒマが出来たので、このうちにと録りだめしていた映画・ドラマを一挙に見てます(ついでに自家製DVDにする)。その大半がやっぱり歴史ものだったりするのですが…

★「ジャンヌ・ダルク」(アメリカのTVドラマ)
 昨年NHKで放映されていて、それっきりすっかり見るのを忘れていたやつ。比較的最近作られたものだと思うんですが、アメリカじゃ最近この手の大作歴史ドラマをずいぶん作ってるような気がします。下手すると映画級の出来で。
 この「ジャンヌ・ダルク」(Joan of Ark)は主演がリー・リー・ソビエスキー。って全然知らない女優さんなんだけど(田舎娘風に可愛いのは確か)、名前から察するとロシアか東欧系?リュック=ベッソン監督の映画で演じたミラ=ジョヴォビッチはウクライナ出身だそうですが。ふと思ったんですけど、フランス本国では映画にしたことあるんだろうか?「三銃士」も自国では作ったことがないとか聞きますし。
 ストーリー自体はごくごく正統派。リュック=ベッソン作品みたいに「精神異常」はにおわせない感じになってましたね。最期もなにやら自らそうなることを予感しつつ運命として受け入れた感じになってましたし。セットや戦闘シーンの重厚さはCGなんかも使ってますが、なかなか映画級に本格的で見ごたえがありました。
 先ごろ「トロイ」にも出ていたピーター=オトゥールが悪役のコーション大司教役で出演し、なかなかの貫禄です。以前「ピョートル大帝」で主演したマクシミリアン=シェルも出てました。

★「アヴァロンの霧」(アメリカ製TVドラマ)
 これは先日放送していたアーサー王伝説もの。主人公がたいていは悪役になるアーサーの父親違いの姉で魔女のモーゲインにされてるところがミソ。また話のメインはどっちかというとアヴァロンの魔女たちの方で、その女神信仰とキリスト教信仰がせめぎあう様子が描かれているのもポイントでした。映画「キング・アーサー」とは違い、こちらは魔法もバリバリに使われます。
 しかしまぁ、これ、アメリカじゃこのままお茶の間に流せたのか?というシーンがいくつか。元ネタのある話とはいえ姉弟相姦がありますし、元ネタでも三角関係が出てくるお三方がなんと一緒にベッドを共にするシーンまであるし(汗)。最後のサクソン人との大激戦はさすがに力が入ってました。
 オチをばらしてしまって申し訳ないんですが、面白かったんで書きますと…ラスト、アヴァロンの消滅とともに女神信仰は消えたと思っていたら、実はキリスト教の中で「聖母信仰」に姿を変えて生き残っていた、という結末になるんですよ。うすうすその手で来るんじゃないかと思って見ていてそのまんまだったので、ちょっとウケてました(笑)。

★「Z」(1969、フランス映画)
 NHK衛星映画劇場で先日放送していまして以前にも見たことがあったからこれが再見。知る人ぞ知る、らしいのですが社会派監督コスタ=カブラスによる政治サスペンス三部作の一作。イブ=モンタンが主演で軍事政権である某王国で謀略により暗殺される反体制政治家を演じています。
 セリフは全てフランス語でフランス人俳優ばかり、そしてこの某王国は実名は一切出てきませんが、分かる人が見ればこれが1960年代後半期のギリシャであることがわかります。この映画は実際にギリシャで起こった野党政治家暗殺事件をモデルに、いやほとんど事実に沿って映画化したもので当時のギリシャ軍事政権をリアルタイムで痛烈に批判したという大変な映画なんですね。ギリシャではもちろん上映禁止措置になったとか。
 見ていて思ったのが、やはり東西冷戦の最前線の国として特にアメリカの肩入れにより反共・右派の軍事政権が生まれ、そのもとで野党有力政治家の政治的暗殺が図られる…というパターンは韓国の金大中事件を連想させました。それに気が付いたらいろいろと似た点を発見できまして…そういえば今度のアテネ五輪で反米デモが起こって閉会式に来る予定だったパウエル国務長官が逃げ出しちゃった、という一幕なんかも歴史的経緯で相通ずるところが背景にあるような。

 こないだTSUTAYAを覗いてみたら、「ローマン・エンパイア」というビデオがレンタルに出てました。どうもピーター=オトゥールがアウグストゥス帝を演じてるらしいのですが、まだ確認してません。やはりTVムービーと思われますが、結構こういうの作ってるんだなぁ…



#5104 
新参右衛門 2004/09/02 12:50
女親分

最近のヤァさん は派手に看板出したりしない向きも増えていて
近所の街金系のヤァさん親分の家も事件があって初めて、そこのお宅ヤァさん
だというのが分かりました、事件というのは、そこの親分宅に強盗が入り
親分夫婦が射殺されてしまったのです、事件後、そこのお宅の全容が
明らかになっていったんですが、一応旦那が組長なんですが資産の名義は
大半が奥さん名義になってるとかで、資金の詳細を外部からは分かりにくく
するのに奥さん名義らしいですね。ここのお宅の奥さんは豪気なかたで
組員に号令を掛けられるくらいだったとかで、俗に言う姐御さん とは
こういうかたを言うのでしょう、 事件は、その後、強盗を装った
組員と元組員の謀反らしく、公判は、主犯をなすり合って長期化の
様相で、親分夫婦もこれでは浮かばれないかな。



#5103 
くれど 2004/09/02 12:25
女親分といえば

山口組が 3代目から 4代目に代替わりするさいに

田岡組長の姐サンが、代理を務めたことがあります。

女性天皇も、あくまでも 代理的な要素があったようですが

中国の女親分たち、ある意味 メガワテイさんも そういう位置で

親分についているんでしょうか?



#5102 
徹夜城(桜島の噴煙はチラッと見た管理人) 2004/09/02 00:23
浅間山が噴火だそうで。

 噴火自体は1年ちょっとぶり。しかし噴火の規模としては21年ぶりぐらいのものだそうですね。
 気象庁が「山全体が膨らむといった現象は見られない」とちょっと怖い事にわざわざ言及しているように、この山は江戸時代にとてつもない大噴火をやらかしたことがありますもんねぇ…江戸の町に煙と灰が届いて、昼間でも夜のように暗くなったというからまさに想像を絶するものがあります。
 先日鹿児島に旅行したんですが、桜島はまるっきり噴煙を上げておらず(二日目にそれっぽいのが見えはしましたが…雲かもしれない)ちょっとガッカリ(?)したんですが、市内のゴミ捨て場には「降灰置き場」なんかがあったりしましたし、鹿児島中央駅に最近出来た地下道についても「雨・風・灰を避けられる」といった文句が躍っていたりしまして、やはり鹿児島と言えば桜島の灰、ではあるようです。


>くれどさん
 その後仕事先へ行く途中NHKのラジオニュースで韓国の政府機関が金正日夫人・高英姫さんが4〜5月にパリで死亡したことを6月に確認、と報じていました(公式発表なのか「消息筋」の話なのかわかんないけど)。だけどまだいろいろと不透明なようで…亡くなったこと自体は確からしいのですが。北朝鮮側がフランス側に「極秘」を頼んだとかいう話もついてましたが、だとするとフランス政府も韓国より先に知っていたというなるようで…どーも良く分からん。北朝鮮側が妙に極秘にするのは後継者が確定していないからなのか(後継者確定していれば「国母」みたいなもんですしね)…とも思えますが。そうかと思えば最近金正日総書記が論文で「20代は大切な時期」などと書いたことがあれこれ憶測を読んでるとかなんとか。

 高英姫さんって在日朝鮮人の出身なんですよね。それも北側があんまりこの人を前面に出さなかった理由かもしれませんねえ。
 いまちょうど在日三世のジャーナリストによる『もう一人の力道山』という本を読み終えたところで、日本の戦後史における「在日」たちの様々なジャンルにわたる知られざる存在感の大きさが面白かったです。日本プロレスの創始者である力道山と極真空手の創始者である大山倍達が「サムライ日本世界を駆ける」なんてテーマに対談していたという事実なんざ物凄い皮肉なのでありました(笑)。
 もう撮影は終わったらしいですが、韓国で「力道山」と「大山倍達」の映画がそれぞれ製作されてます。それに先駆けて大山を主人公にした漫画「空手バカ一代」が翻訳されたそうですが、力道山同様に彼も出自を隠していたため漫画中で「在日」の件には全く触れてないことに抗議の声があるとか。…つってもこの漫画自体ずいぶん前のものですしねぇ。


>ブッチャー3世さん
 アメリカ大統領選、まだまだ分かりませんけどね、僕なんかにはそもそも「接戦」になってる時点で「アメリカ」がイヤになってきちゃうんですが。またギリギリの状態になったとき変な事態がおこりゃしないかと心配ですね。「華氏911」なんか見てくると、かえってブッシュ陣営は手段を選ばず勝ちに来る…ってよりも結果すら操作しちゃうような気すらしてきます。ケリーが勝った途端にクーデターが起こるとか(汗)。
 ネガティブキャンペーンですが、少なくともアメリカほど露骨なものは日本には根付かないんじゃないかと思いたいですね。



#5101 
くれど 2004/09/01 21:14
確かに 極論は自分のページでやりましょう。

北朝鮮の後継者は、正男くんの方が インパクトはあると思います。

私も そっくりな人 知ってますから(笑) 特に 秋葉原あたりで(いまさらですが)



☆歴史のトップページに戻る
<<<過去ログ5201〜5300
過去ログ5001〜5100>>>