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#5500 
徹夜城(さっそく「鳳」第二章へ突入している管理人) 2005/02/05 22:06
暗い話題のときは明るい(?)話題に(笑)

 昨日のどっかの新聞記事で見たんですけどね、フランスでとうとう「ルパン」なる映画を製作してしまい、今年の秋にも日本で公開だとか。なぜ今?かと言いますれば…「誕生百周年」なんでありますよ、アルセーヌ=ルパンさんも(笑)。
 1905年、友人の編集者に頼まれて、純文学畑のつもりだったモーリス=ルブランがなんとなく書いてしまったどんでん返しの短編、「ルパン逮捕される」が発表されてから100年になるのであります。アルセーヌ=ルパンが登場した時、まだ日露戦争とかやってたわけですよ。フランスにとっては第一次大戦前の「ベル・エポック」といういい時代だったのですな。
 詳しい情報はまだつかんでませんが、映画中でルパンが狙う「女王の首飾り」が銀座だかどこかで展示された…という記事だったので、原作に忠実かオリジナルかはまだ微妙。原作では「女王の首飾り」をルパンがくすねたのは御年6歳のときなので(笑)。この首飾りについての逸話は最近「マリー・アントワネットの首飾り」の邦題で映画も公開されてましたね。カリオストロ伯爵も出てくるし、ルパンファンにはちょっと嬉しい歴史映画でした。
 世界史に首を突っ込んでから「ルパン」シリーズを読み返すと、いろいろと歴史がらみで面白いエピソードが多いんですよね。「奇岩城」なんてカエサルからフランス革命まで話が絡んでますし、「813」ではナポレオンが謎にからむ…いやそれどころかドイツ皇帝ウィルヘルム2世(実名はさすがに出ない)本人が登場します。「カリオストロ伯爵夫人」は言うまでも無く…「カリ城」がらみで言うと湖の下からローマの遺跡が出てくるってのは「緑の目の令嬢」が元ネタでしたね。一方で「虎の牙」には当時のフランス人が一般的に抱いていたのであろう露骨な人種偏見と帝国主義傾向も垣間見えます。

 映画がどういうものになるかは分かりませんが、一応ルパンコーナーも経営している僕としては、公開までに開店休業状態のあそこをなんとか整備したいなぁ、と思うのでした。アシモフコーナーについても「バイセンテニアルマン」「アイ、ロボット」公開時にそんなことを言っていて結局何もしなかった覚えがありますが…(^^;)。


>不肖δさん
 ええと…「ミャオ族」は広東にもいるようですが「広東以南」と言ってしまうのは間違いでは?中国国内での最大人口は貴州省にいるようですし、湖南省、雲南省などかなり広い範囲におります。
 このミャオ族、僕の専門の明代後期でもしばしば蜂起を起こし、倭寇鎮圧にあたっていた武将がそっちに転戦したりもしております。香港映画「忠烈図」では兪大猷の部下にミャオ族の女兵士がいて大活躍しており、これは史料に出てくる「狼族」を元ネタにしていると思われますが、実際には広西のチワン族部隊だったようですね。
 「ミャオ」の語源についてはいろいろと諸説あるようで伝説的古代にすでに「三苗」など「苗」族の名前が出てくるようですから相当に古いもののようです。猫の鳴き声の線は薄いんじゃないかなぁ…と個人的には思うのですが。


>ななさん
 ほほ〜韓国のペット事情は知らなかった。犬が人気なのかもしかして…とか言っちゃうとエスニックジョークですが(笑)。
 朝鮮半島における猫、というのもそういえばあまりイメージできないですね。虎はいる国ですけど、猫ってなじみがない動物だったかな?


>かかしさん
 お読みになられたようですが、朝日新聞が今朝の朝刊の国際面で「王直墓碑事件」を割と大きく取り上げてましたね。ネット版では載せてないようで、一般紙が書いたにも関わらず今日は王直コーナーへのアクセスがおとなしかったです。一昨日短いベタ記事(産経サイトには共同記事のまま載った)でやたらアクセスがあったのですが、ネット利用者って本物の新聞はあまり読まないのか…?などと思ったりもしました。
 確かに嫌な話題なのですが、騒ぎの発端のその新聞記事があまりにも典型的なイエロージャーナルだったのが最大の問題なんですよね(夕刊○ジみたいだ、と僕などは感じました(笑))。その記事に対しては「ちょっと待てよ」と批判論評も出たようですし、原典史料の引用や専門家の意見も出して多角的に検証する記事もあったようですから、多少は救いがあるかと。僕も何冊か中国研究者の著作を持ってますがつい最近のものでも王直や「倭寇」に関しては割と正確なところをつかんでいると思います。ただ最近はやや「揺れ返し」もあるようで、「日本の学者の意見に引っ張られてる」とか「じゃあ民族英雄・戚継光は中国民衆を弾圧したというのか」といった意見が記事中に見られるのはやっぱ気になる。
 学術レベルは別として一般大衆レベルでは大半が「倭寇」って字面どおりに日本人集団と思ってるんでしょうね。倭寇戦で活躍した武将たちが民族英雄と持ち上げられてることもそれを助長するでしょうし(もっとも僕が持ってる中国の戚継光の伝記本はちゃんと実情を説明していましたが)。王直らがその「倭寇」の指導側であって少数の日本人はその指揮下にあったに過ぎないというのもイメージがわきにくいのかもしれない。

 ひるがえって、実のところ日本国内でも「倭寇」って日本人集団と思ってる向きが今なお少なくないのでややこしい(笑)。どっちかというと右寄りなタイプの人が割とそうでしてね、これも戦前に倭寇が「日本人の海外雄飛」みたいに喧伝されたことと根っこで通じているようです。ネット上で倭寇ネタをあさってると、「日本人が主導的立場にあってそこに日本人のふりをした中国人が群がってきて…」などとアベコベなことを言ってる人はたまに見かけます。



#5499 
かかし 2005/02/05 13:38
民族敗類

徹夜城様

王直の件、今朝の朝刊で知りました。
王直が「民族敗類」ですか…。

騒ぎの発端は新民晩報という新聞だそうですね。
同紙の記事によると、南炳文のような著名な
明史研究者までが「倭寇=日本の侵略者」説に
賛同しているとか。悲しむべき事です。

暗い話題で申し訳ありません。



#5498 
なな 2005/02/05 01:17
猫殿

>タレント動物
初対面の俳優さんに抱かれて、大勢の見知らぬ人々と機材に取り囲まれ、眩しいライティング、張りつめた緊張感…。こんな中で平然としているなんて、タレント動物はすごいと思います…。

地方在住なので本気ではないですが、うちの飼い猫がタレント猫になっ(て稼いでくれ)たらいいなぁ…と、たま〜に思います。(^^; しかしまぁ、飼い主にそんな素質が欠片もないのに、ペットに求めるのはムリなんだとわかりましたわ。赤ちゃんの時に拾って、ママ代わりになってせっせと育てた生後一年の我が家のにゃんこは…今や無愛想で、短気で、頑固で、へそ曲がりのひねくれた雄猫に。母が言うには、「…あんたにそっくり」なのだそうで。

>尻尾の長い猫は不吉
日本猫について、このサイトが面白かったです。↓
http://www.ne.jp/asahi/conago/nimravus/vus10/kotoba.html
↑ここでは、この迷信が生まれたのは江戸時代だと書いていますね。

こんな迷信があるなんて初めて知りました。が、…ちょっとあることを思い出しまして。
ウン十年前に初めて三毛猫の赤ちゃんを拾ってきて飼い始めた頃…。その猫は長い尻尾を持っていたんですが、親や祖母が「赤ちゃんのうちに尻尾に糸をきつく巻いておくと、血が通わなくなって腐って落ちるんだよ〜」とか言って、ちょっと子どもを怖がらせてからかうんですよ。
そんな残酷なことをする人は現実にはいないだろうと聞き流しましたが、もしかして上記の迷信のために昔は実際に行われていたことかもしれませんね…!?

>で、そのシャム猫が来た経路は?
「義経」のシャムちゃんに戻りますが…。
日宋貿易の交易範囲を存じないんですが、麗宋貿易によって東南アジアの品物が高麗に舶来し、さらに日本に渡ったというルートもあり得るんじゃ?

…と思ったんですけど、現代の韓国(たぶん北朝鮮も)では、猫は毛嫌いされていますね。ペットと言えば犬というくらいに、猫の人気は低いです。それでも最近ようやく猫の人気が上がってきたそうで。いつだったか、ソウルに「お店の猫たちに触れる喫茶店」がオープンしたというニュースを日本の報道で見ました。お店には、家族が猫嫌いだったり猫を飼えない住環境の猫好きの人が来ていました。そんなことが外国まで報道されるくらいに目新しい話題だったらしいです。
半島の「猫嫌い」…そういえば起源はいつ頃なのだろう?



#5497 
不肖δ 2005/02/04 11:41
ミャオ族と呼ぶわけは?

日本人は猫の鳴き声をニャーと表現しますが、漢民族や西洋は
ミャオ、か、ミャウですね。中国の広東以南の山岳部の少数民族を
ミャオ族と呼ぶのは方言がかなり広東語とも隔たりがあり、
かの少数民族が喋る声の響きが猫の鳴き声のようだと漢民族が感じて
付けた俗称のようです。まぁ他にも諸説あるようですが。

>三毛猫のオス
私は生物、化学系の学校を出てはい無く、メンデルの遺伝子の諸法則は
詳しくないですが、聞いたところでは、家猫の毛は、白、黒、茶が
3原色で、これ以外の色は無いそうです、青い猫や緑の猫がいたら
それはたぶん人間のイタズラでしょう(笑
この白黒茶の組み合わせで、白猫か黒猫か茶虎猫かキジ猫か、と全部
掛け合わせなんだそうで、今、もっとも新しい猫の模様は豹モンらしい
ですね、豹モンだけは、どうしても今まで品種改良でも出来なかった
みたいですが、最近の其の分野での発達によってか養殖が開始されてる
そうだと。三毛猫は白黒茶の3つの色要素をイズレも持つ型と
いうことで遺伝子の仕組み上、オスの三毛猫は存在し無いハズだそうで
オスの三毛猫は、ほぼ全部が突然変異で非常に希少な割合でしか
誕生しない、ということらしいです。
日本猫に、尻尾が短いのと、長いのが居るのは、鎖国前までは
日本では尻尾の長い猫は不吉という迷信があって尾長猫は好まれない
風潮もあったからなようですね、尻尾の短い猫は品種改良の末の
ことなのかは分かりませんが。





#5496 
徹夜城(なぜか中学生向けに沖縄県の問題を作らねばならない管理人) 2005/02/03 23:40
倭寇のいちばん長い日(笑)

 今日一日の当サイトのアクセス状況は波乱万丈でしたね〜。つい先ほどまでアクセストップが「王直」のページだったんですが、これは例の「王直墓碑事件」が三日近く遅れて共同通信で流れ一部ニュースサイトが掲載したため。しかし一般紙の大半がスルーしたので午後にはアクセスが収束、先ほど「物見櫓」トップページに抜かれておりました。
 正直なところこの手のニュースは騒ぎが大きくなるのはイヤなんですけどね、「王直」の話題が日本の一般レベルではまるっきり注目されなかったということでもあり、研究してる立場としては少々複雑(笑)。ここ数日、中国の新聞なんかじゃ時ならぬ「王直論争」になっちゃって(新華社も報じたらしい)、僕が日ごろ見ている史料とか研究史、研究者の意見が記事中に散見されなにやら新鮮でございました。


>中西さん
 ほほう、霹靂火秦明最強説でございますか(笑)。ところでその秦明ですが、中国が最近作った大型ドラマ「水滸伝」(「始皇帝暗殺」で始皇帝を演じた人が宋江やってるやつ)では、秦明を仲間に加えるくだりがあまりと言えばあまりなので、あっさりとスルーされており、秦明も存在感が薄いです。総じてこの中国ドラマ「水滸伝」は感覚が現代的で、安心して見ていられる(?)一方で、原作のハチャメチャさが失われている嫌いもありますね。


>練馬さん
 大河「太平記」は確かに庶民の絡め方が歴代大河中でもうまかったんじゃないかな…と思うことがあります。柳葉敏郎の「石」がフェードアウトしてしまったのは残念ですが…不知哉丸、のちの直冬とその母・藤夜叉という格好のキャラがいたから描きこみやすかったという部分もあるかも。


>ななさん
 どーも、お久しぶりです。
 ご紹介の猫出演の話題、見てきました。なるほどねぇ、どういう縁で探してくるかは知りませんが、「役者猫」として選んでいるわけですね。聞いた話ではハリウッド映画でも専門の「役者犬」がいて有名作品を何本か掛け持ちしてたりするそうで。
 そういや源平時代で「猫」といえば「猫間中納言」のエピソードがありましたが…


>原田さん
 さらなる「水滸伝」情報、ありがとうございます。うーん、エノケンで李逵(^^;)しかもこの映画、1942年って、戦時中なんですねぇ。なんだかんだ言われつつ日本人は「水滸伝」好きなのかな。
 連想しましたがやはり戦中の映画で「阿片戦争」だの(これはもちろん「鬼畜英国」ということで)、「成吉思汗」だの(これは「西洋を圧倒したアジアの英雄」だからか)といった日本人が演じちゃう東洋史映画が製作されていたと聞いてます。ソフト化はされてないのでしょうか…


>Etushoさん
 例のワークショップと言うのはこれのお話ですよね?
http://homepage2.nifty.com/PHASU/mah-mirror/
 不覚にもお書き込みをみるまで情報を全く知りませんでした(^^;)。
 うーん、ぜひ聞いてみたいものですが、大阪…しかもその日じゃあ塾の授業の真っ最中ですねぇ。しかも受験直前の(汗)。


>更新情報
 「歴史映像名画座」に「白虎隊」と「酔画仙」を追加しておきました。
 それと、実は仕事に出かける前にこっそり「鳳」第一回をアップして置いたんですが、気が付かれた方がさすがに少なかったようなんで、ここで告知させていただきます(笑)。ホントはコミック風に挿絵もつける気なんですが、いつ上がるかわかんないからとりあえず。
 「注」が少々読みにくいんですが、なんかうまい方法があったら御提案くださいませ。



#5495 
Etusho 2005/02/03 21:37
モン族

こんにちは。
前回の書き込みはやっぱり熱くなりすぎていたようなので、
頭を冷やしてきました。
少し自分の書き込みを修正したい部分もありまして‥‥。

>ベトナム戦争とミャオ族
ミャオ族はベトナム、ラオスではモン族とも呼ばれており、確かにアメリカ軍に協力していました。で、かなり南方の最前線まで部隊が投入されたとのことです。「ミャオ族=モン族」は、私は「モン族」ではなく「ザオ族」と取り違えしていたため誤解させるような書き込みとなってしまいました。すいません。
この問題については竹内正右『モンの悲劇』(毎日新聞社)が詳しいです。

ところで、管理人様は今度開催される例のワークショップにいかれますか(笑)。
面白そうだとは思うのですけれど、なにぶん平日なのがネックで。



#5494 
 原田 実 2005/02/03 17:43
日本産『水滸伝』

 管理人様
戦時中にはこのような映画がつくられていました。
http://www.jmdb.ne.jp/1942/br000660.htm
黒旋風李逵がエノケン・・・・
体格がどうこうというより、李逵が「いい人」として描かれていて
まったくイメージにあいませんでした。
類似品にはこのようなのもあります。
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=134303
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=134304

http://www8.ocn.ne.jp/~douji/


#5493 
なな 2005/02/02 23:56
今年も残すところあとわずか

…11ヶ月。(^^;ゞ

正月を過ぎてしまうと、今年になって初めて書き込むのになんだか適当なあいさつが見当たらず…。ずるずると書き込みしそびれていました。皆さま今年も熱いですね。

>そのシャム猫は「ミミ」ちゃん
まぁ、ここのサイトを見て下さい。
http://plaza.rakuten.co.jp/sawasawa2747/diary/200501230000/

わざわざ古いタイプのシャム猫を探してきて出演させたのだから、製作陣の単なる思いつきやお遊びではないんでしょうね?
ちょいとシャム猫の起源を調べてきたんですが、タイの14世紀の書物にはすでにシャム猫らしき猫が登場しているそうです。なので義経の時代に古いタイプのなら、シャムちゃんがいてもおかしくはなさそう…。

ふだんそこいらじゅうで見かける日本猫(雑種)の場合でも、系統は2つあるんですよ。
東日本に多くいる、しっぽが長くまっすぐな猫が古い時代からいる日本在来種。
その「猫の尻尾の形態調査」を西にむかって順にやっていくと、西に行くほど尻尾がボキボキに折れ曲がった猫が多くなり、九州長崎ではほとんどの猫が折れてるか曲がってるか短いかで。そういうボキボキ尻尾の猫は南蛮貿易の時代に東南アジアからやってきた猫の子孫なのだそうです。



#5492 
新参右衛門 2005/02/02 22:34


>源平時代、日本にシャム猫?
日本は西表島や対馬いがいでは山猫はいませんし
家猫は全て、外から来た種でしょうね。最初に猫が
日本に入ってきたのは仏教伝来の頃で、仏教の教典を
船で運ぶ際、ネズミに教典をカジられないように
猫を一緒に乗せて来たのが日本に定着したようですね。
家猫と山猫との境は結構、深い溝があるようで、山猫は
飼い慣らして家畜化する事が困難な動物で、人類が
ペット化出来た山猫はリビアヤマネコ唯一種なんだ
そうです、つまり、家猫の先祖はリビアヤマネコの
唯一種で、世界各地・各種の家猫の伝播の経路は
意外と絞り込みやすいかもしれません、リビアヤマネコを
最初に飼い慣らしたのがエジプト人で家畜化が広がり
西洋に最初に家猫を持ちこんだのはカルタゴの
商人らしいです、家猫の伝播は西から東へ順次の
ようで、タイは恐らく、日本より家猫の伝播が
早く昔から猫を大切にする民族性があり品種改良も
さかんだったようです。ただタイランドと日本が
平安にかけて交流があったかは不明ですし、ただ
長い航海をする大きな船にはネズミが繁殖するのは
大きな問題で昔から猫を乗せていたようですね、
猫は十二支にも無いし、日本人はエジプト人やタイ人
のように猫を神格化しませんでしたが、それでも
日本の一部の地域、漁師さんは猫を豊漁や航海安全の
神の使いとして崇めている部分もあり、
オスの三毛猫などは網元に高値で買われご神体のように
扱われるみたいですね。三毛猫は全てメスで
三毛猫のオスは突然変異種〜たしかにレアな存在です。
源平時代にシャム猫が日本にいた確率はゼロではないかも。
けどペルシア猫がいた確率のほうが高いかもしれません。



#5491 
練馬大根役者 2005/02/02 20:31
六波羅のシャム猫

 おひさしぶりです。といってもこちらを読んではおりまして、『信長』で消耗して、当初は見る予定はなかった『太平記』も、みなさんの熱い書き込みに触発されて二回目から見始めました。

 本放送当時はやはり幕府瓦解あたりまで見て、その後11月ぐらいから高嶋弟のあのミョーなキャラを毎回楽しみに見ておりました。改めてみると、作り手の熱意や緊張感が惻々と伝わって来ますね。こんなにおもしろかったかなーとちょっと驚いております。

 それに比べると、いまの『義経』は一般庶民があまり描けてないですね。『太平記』は背景を見ているだけでも楽しかったんですけど、こっちは残念ながらそういう喜びは味わえない。

 ところでその『義経』ですが、先週の回で、時子(松坂慶子)だったかがずっと胸に猫を抱いて出ていたんですが、どうもシャム猫らしかった。仮にシャム猫として、これ、史実なんでしょうか。

 仮に史実として(仮定が多いな)、どういうルートで入ってきたんでしょう。タイと直で交易をしていたのか、宋を経由したのか。なんかいろいろ考えてます。



#5490 
不肖デルタ 2005/02/02 18:46
台湾史を どうもです。

>阿祥 様
貴重な歴史資料を複製して郵送いただいて、どうも
ありがとうございます。大事に有効に使用するよう
努力いたしますが、その前に中国語を少し読める
ようにしなきゃなんないかな?(笑
どういう漫画の参考にしたいかというと、今、描いている
漫画、原田左之助が上野彰義隊の戦いで死を偽装して
「竜馬を斬った男」という濡れ衣を晴らすべく遁走し、
近江屋で斬られた竜馬が替え玉で本物は国外を出て
南亜州あたりにいるという情報で原田は南洋へと向う、
とまぁ、トンでも系・時代劇を計画しておりまして。(笑
南洋への高飛び、という事で、明治の女衒の伝説的
総元締め村岡伊平次の事も少し調べなきゃならんかな
とは思っているのですが。



#5489 
中西豪(霹靂火秦明最強説を標榜する鎮西大将軍) 2005/02/02 15:53
人生は知れたものさ うまく行っても♪

一片の雲のように 流れさるだけ♪
泣くな友……、いかん、ジャスラックに通報されてしまいますな(笑)。

日本テレビ版『水滸伝』、昨年TVQ(福岡のテレビ東京系列局)で深夜放送されました。気が付くのが遅れ、DVD録画の手配も遅れて、十回近く録画し損ねましたが、まずまず満足しています。その後、CSでも放送されたらしいけれど、それはハナから手が届かなかった…。

托塔天王・晁蓋が山形勲、玉麒麟・盧俊義が山村聡(実質二代目頭領に納まるんですよね、違和感全然なかった〈笑〉)といった重厚な盟主もよかった。笑えたキャスティングは、阮三兄弟が上から品川隆二・常田富士雄・高橋篤史。悲しかったのは、大年増の派手派手肉感的美女傑をイメージしていた母大虫・顧大嫂が「顧小母さん」として丹下清子が演じていたこと。

原田先生ではありませんが、このドラマ、語りだしたら止まりませんね(笑)。



#5488 
徹夜城(水滸伝では戴宗が好きな管理人) 2005/02/02 14:23
なるほど確かに豪華(笑)

 稿を改めまして、レスです。

>原田さん
 御教示どうもです。さすがに林冲の妻は死なせてましたか。扈三娘って水滸伝ではやはり目立つヒロインなので、無理やり出しちゃうケースが多いみたいですね。先日見た丹波哲郎主演の「水滸伝」でもそうでした(さすがに王英の妻でしたが)。
 それにしてもホントにわけのわからないほど豪華な配役ですねぇ(笑)。武松がハナ肇って…とか言ってしまいますが(笑)。丹波哲郎は呼延勺でしたか、香港映画では盧俊義で、水滸伝では二役も演じていた事になりますね。
 日中国交回復記念作品…なるほど、妙に力が入っていたわけだ。「水滸伝」は江戸時代には「三国志」以上の人気があり影響力も強かったと言われるのですが、近代以後の日本で自前で作ったものがあったとは少々意外でした。
 このドラマについては話が止まらない…ということでしたら、ネタはどんどん書いちゃってくださいな(笑)。

 そういや加藤剛主演の大作ドラマ「蒼き狼」、いつの間にやらDVD化され発売されていました。話のタネにはなるので、興味のある方は入手されるとよろしいかと。けっこう本格的な作りですし日本人好みの苦労話(本場モンゴル映画だとこの辺はあっさりカットした)も多いですから楽しめますよ。モンゴル人が見りゃ、そりゃー変なんでしょうけど、チンギスハーン映画は世界中で珍品をたくさん作ってますからねぇ…まだマシな一本なのではないかと。


>阿祥さん
 林鳳も林道乾も台湾にやって来てますし、それを追いかけて明軍の武将達も来ちゃいますから、「鳳」では台湾もところどころで舞台にすることになるかと思います。台湾どころかフィリピンやカンボジア、シャムまで絡んでくる話なので大変なことになっちゃうんですが…
 ちょっと参考にしようかな、などと思って、いま電車の中で白石一郎「風雲児」を読み始めました。山田長政が主人公の歴史小説です。白石さんの小説は「海狼伝」はじめ僕の興味対象とよくかぶるんですよねぇ。



#5487 
徹夜城(アクセス解析から思わぬ事件を知る事になった管理人) 2005/02/02 14:04
気分の悪い事件もある

 今日、妙に海賊コーナーの王直の項目にアクセスがあるな…と思ってチョコチョコ調べていましたら、中国の新聞サイトで「事件」を知ることになりました。1月31日に、安徽省歙県の「王直の墓」が破壊されるという事件が起きてたんですね。
 発生にいたる経緯もだいたい分かりました。1月22日ごろにある地方紙が歙県に「王直の墓」があり、これに日本人(友好都市関係をもつ福江島の方たち)が関与して石碑を建てられている、と報じたことがきっかけのようで。この記事が記者の不勉強からえらくセンセーショナルで、「倭寇と結託し我が国を侵略した“漢奸”の墓とそれを称える碑を日本人が建てた!問題だ!」ってな感じで煽ったわけですよ。その記事も見ましたが確かに王直を売国奴の極悪人と決め付けちゃってました。
 で、これがネット上で騒ぎに発展したらしく…日本の某巨大掲示板にも言えることですが、この手の煽りはネットで過熱しやすい。この記事自体はすぐに他の新聞の論評で冷静に批判され、くだんの記事を書いた記者も取材経緯の説明と中国の歴史学者の「王直と倭寇の評価はそんなに単純なもんじゃありません」という至極まっとうな解説を添えた記事を書くことで自己批判したようなんですが、ネット論議は過熱してしまい、とうとう教師二名が深夜に王直の墓破壊を実行、石碑の日本人名を削るという暴挙に及んだ…ということのようです。どこにでもいるんですな、こういうそそっかしい単純愛国バカは。
 彼らはまだ逮捕などはされてないようですが(記者の取材は受けてました)地元政府は当然ながら「行動は軽率に過ぎ不合法である」として調査中のよし。

 で、僕はこの件で「王直の墓」なるものが実在することを初めて知ったわけです。もっとも記事読んでみると実際に王直の墓かどうかは怪しいらしく、福江市と地元の交流の過程で最近作ってみた、というもののようですね。記事中には福江にある「明人堂」や王直のお祭りなども紹介されてました。
 何人かの中国の歴史研究者の方のコメントも読めて面白かったですが、さすがに研究者の皆さんは倭寇の実態を知ってらっしゃるから王直についても冷静な評価をしてますね。ホント、単純には割り切れないんですよ、この人は。そもそも彼が倭寇とどう関わったのかすら確実なところはよく分からない。海禁政策の下で活躍した私貿易商人として高く評価する声もある、ということもちゃんと書かれておりました。さすがに一昔前の「反海禁・反封建闘争の英雄」といった階級闘争史観はなりをひそめてるようですが、一方で大衆レベルで妙に盛り上がる「愛国史観」から言うと王直ってのは確かに扱いづらいんでしょうね。

 こういう歴史ネタの変な事件を見るにつけ、民族史観とか愛国史観はロクなもんじゃない、と思うばかりで…そういう近代の産物をとっぱらって、ボーダーレス・グローバルな歴史物語を描いていくことはやはり倭寇研究者としての義務ではないか…などとカッコいいことをつぶやきつつ、「鳳」の執筆を急ぎます(^^;)



#5486 
阿祥 2005/02/02 12:58
台湾にもあらわれた兪大猷

>徹夜城さん

台湾の歴史年表をみていたら、“兪大猷、林道乾を追って台湾に行く”という記事が出ていました。1560年代です。「鳳」の時代はこの間見た「倭寇伝」の舞台の時代と直接つながっているんだなという気がしました。ほかにも重なる登場人物はいるんでしょうか。

>太平記

去年古本屋で新田次郎氏の「新田義貞」を見つけて読んだところから、いま吉川英治さんの「私本太平記」を読み進めています。実家が群馬の東の端で、高校は足利に通っていたもので、「新田義貞」は物語の舞台が近く、非常に親近感がわきますね。そういえばドラマ制作時には、渡良瀬川沿いにロケセットが作られていたような記憶があります。
「私本太平記」はとうとう8巻目で、もうすぐ湊川の合戦です。楠正成を悲劇の主人公として丁寧に描いていますね。
遅ればせながら、この時代についての認識が深まりました。
あわせて、「太平記大全」も楽しませてもらっております。

多謝

>不肖デルタさま

昨日、この間報告した資料を一式郵送しました。週末までには届くと思います。図版が多いのでそれなりに楽しめると思います。



#5485 
 原田 実 2005/02/02 09:50
日本テレビ版『水滸伝』

扈三娘は林沖の妻ではなく、亡き妻を忘れられない林沖を影ながら慕う役どころ。
日本テレビが日中国交回復記念大作として製作したため、
呼延勺が丹波哲郎、関勝が若林豪、魯智深が長門勇、武松がハナ肇、史進があおい輝彦とわけがわからないような豪華キャストでした。
ただし、キャストが豪華すぎて英雄たちが一同にそろう場面はありませんでした(最終回でそれらしい場面はありますが、オープニングの使いまわし)
ちなみに私の好きな朱貴はたこ八郎、その妻にあき竹城(原作の朱貴はなかなかいい男なにに・・・)。鉄牛(原作の李逵)は大前均(悪役が多い巨漢の俳優さんです)。
それなりの面白いのですが、ツッコミどころは多く、
70年代当時の日本人の中国文化への認識がうかがえて、
ある意味、史料価値もあります。
なんだかこの作品の話を始めると止まらなくなりそうなのでこの辺で。


http://www8.ocn.ne.jp/~douji/


#5484 
徹夜城(世の中知らない作品がまだまだあるもんだと驚いた管理人) 2005/02/02 00:55
あら♪こんなところに水滸伝♪

 そろそろ元ネタが分からなくなる人も出そうなフレーズで連続投稿です。

 一昨日の昼間、なんとなくTVのチャンネルを回していたところ、千葉テレビで妙に中国風の衣装と風景のドラマをやってるのが目に入ってきました。台詞は明らかに吹き替えではない日本語で、「ん?西遊記かな?」と思って見入ったのですがどうも様子がおかしい。よく台詞を聞けば黄文炳とか宋江とか…って、おいおい、「水滸伝」かいっ!?
 さっそく番組表を見てみれば確かに「水滸伝」と書いてあり、主演は中村敦夫らしい。そんなのがあったのか、と驚いてネット検索かけたら出てきました、出てきました。1973年に全26回で製作され日本テレビ系列で放映されたものとか…知ってる方には何をいまさらなのでしょうが、僕は「へぇ」ボタン連打でしたよ(笑)。

 中村敦夫が演じてる主役は林冲なんですね…土田早苗が扈三娘で、どうも林冲の妻という設定らしい。ほかにあおい輝彦が史進、寺田農が公孫勝…高キュウが毎度悪役で登場するらしいですが見たところ佐藤慶かな?
 ちょうど目撃した回は宋江が江州で処刑されかかるところを梁山泊の連中が押しかけていって奪回するという原作でも見せ場のエピソード。ただしかなり話はいじっていて、このエピソードに関係のないキャラも出てる一方で原作で大暴れする二丁斧の名物男・李逵は出てない。しかしセットやロケ撮影など民放ドラマとしてはかなり手間と金をかけたように見える映像となっておりました。
 見ていてどうもテレビ朝日の「蒼き狼」に雰囲気が似てるなぁと思ったのですが、日本人が異国ドラマをやっているというだけではなく製作元が国際放映でおんなじだったんですね。それと検索かけてたら「原案・横山光輝」ということになってるらしい。

 うーむ、まだまだ知らない映像作品があるものだなぁ、と思った次第でした。先日も丹波哲郎主演の香港映画「水滸伝」を見たんですが、「水滸伝」って意外にたくさん映像化されてるみたいですね。



#5483 
徹夜城(懺悔する管理人) 2005/02/02 00:11
公約果たせず…(汗)

 一月中にとかなんとか言っておりましたが、すでに2月突入(笑)。「鳳」第一回がなかなか上がりません。明日にはなんとかあげたいな…というところまでは出来てるんですが。受験シーズンということで忙しいのもあったんですが、なんと言っても今後の展開に関わる問題でずいぶん悩みもしまして…歴史小説はなまじ史料があるとそれと突合せをするのが大変で(汗)。適当に書き始めて後で辻褄あわせに苦労するのもいやなのであれこれ考えていたことがありまして、どうにか決着してスパートかけてます。しばしお待ちを。


>不詳δさん
 大久保利通の暗殺事件ですが、これはアピール性の強いテロということもあり下手人集団が自首して全部しゃべっちゃってますからね。謎めいた部分がほとんどないから話題にされないんだと思いますよ。まぁあと大久保というのがいまいち人から好かれない(当時からそうだったらしい)人だったということもあるんでしょうね。
 僕は今のところ「翔ぶが如く」でしかこの件について読んでないので、この小説における加賀藩の描かれ方が正当か不当かは判断しかねます。ただ大藩にありがちな傍観者的立場を貫いたのは事実なんじゃないでしょうか。殿様が開明的であったかどうかは知りませんが…福井藩の殿様の話は聞きますけど。
 先日亡くなった高松宮妃喜久子さんは母方が有栖川宮家でしたが、祖母は加賀藩主前田家のご息女だったりしましたね。


>中西さん
 いやはや、読んでいて血わき肉おどる、ですね。いろいろと知らんネタがあるもんだなぁと思いつつ拝読しておりました。いろいろ思わせぶりに伏せてあるところがなかなかニクい(笑)。早くなんか形にしてくださいませ。
 僕自身も壬辰戦役(これが一番ぴったり来るかな)もので「戦争と平和」級の大河小説なんぞ書きたいなぁと思ったことあるんですが、構想も調査もろくすっぽしてません。唯一の決定事項で明側の主人公を沈惟敬にしてるあたりはアウトローごのみの僕らしいところですが(笑)。
 ただ倭寇研究書をいろいろ集めておりますと、特に中国・台湾の研究者は「日明関係」という観点からなのか、はたまた秀吉の行動こそが字義どおりの「倭寇」だからなのか、「倭寇研究」の延長で秀吉の壬辰戦役も「万暦倭寇」として一冊の中に収録しちゃうんですよね。それでいろいろと手元に素材が集まってるところもあります。
 あと原点史料でも「後期倭寇」と「万暦倭寇」をまとめて書いているものもありますね。それとまだちゃんとチェックはしてませんが、『万暦武功録』にもこの辺の情報がかなり書かれてるんじゃないかな、と。ヌルハチの伝記も早くも出てきますし…僕自身は現在「鳳」の元ネタをかなりこの史料から引っ張ってきてます。ほんとに詳細にいろんなことが書かれているもので。
 その陳寅の「兪・戚には間に合わなかったが劉顕とは一緒に戦った」という話ですが、僕も気になりますねぇ。実際、この三人はほとんど同時期に対倭寇戦に従事していたはずなので…時期的なことじゃなくて単に配置の問題だったのではないかな?ともあれこの三人も「鳳」に当然出てくるので必然的に行動の整理をすることになりますので、その際にちゃんと調べてみたいと思います。
 ところで劉テイ、そんな派手な死に方してたんですねぇ…「明史」だと単に戦死、としか書かれてなかったもので、まったく知りませんでした。


>孟きょうさん
 足利高氏と佐々木高氏(道誉)の件ですが、吉川英治の『私本太平記』では二人の出会いで「高氏ちがい」がきっかけになるという創作を加えてるんですよね。確かにこの不思議な関係の二人が同じ「高氏」という名前であるというのは小説家としては味付けに使いたくなるところでしょう。
 しかし大河「太平記」は初対面の際に道誉が「近江の佐々木高氏でござる」というだけでそれ以上何も言いませんでした。脚本の池端さんも意識してそうしてると思われるんですよね…どちらも北条高時の「高」の字をもらっているわけで、「高氏」という名前は特に珍しくなかったかも…と考えたのかもしれません。
 なお、どちらも確かに「源」ですが、清和源氏と宇多源氏ですから特に意識することはなかったんじゃないかと。


>鵺さん
 「太平記」の主人公に尊氏を持ってくると、実際なかなか歴史に主体的に関わってこない人なんですよねぇ…古典「太平記」でもキャラクターとしてハッキリ出てくるのはいよいよ鎌倉幕府を裏切る直前になってからですし。
 一応「太平記」に足利家の名前が最初に出てくるのは後醍醐天皇の二度目の倒幕計画が失敗した後、忠円という僧侶が鎌倉に送られてきて「足利讃岐守」つまり貞氏の屋敷に預けられた、というところだったかと思います。エピソードはなんにもないですけどね。その後、後醍醐天皇が挙兵して鎌倉から大軍が送られた際、列挙される武将の中に足利治部大輔高氏の名前があり、これが「太平記」における足利高氏の初登場となります。これまたエピソードはいっさいございません。
 大河「太平記」はその折に高氏は合戦には一切参加することなく伊賀を経由して正成と顔を合わせたりしてましたが、学研の人物漫画(伊東章夫著)では赤坂城攻めに参加して正成の戦いぶりを目撃することになってました。
 当然ながら高氏が正中の変に関わっていたなんて史実は全くなく、大河のあの展開はかなり無理してるところもあるんですよね。後醍醐や楠木正季とも直接会っちゃいますしねぇ…以前読んだ子供向けの尊氏小説では山伏に化けた日野俊基が足利荘までやって来て高氏と会ったりしておりました。



#5482 
2005/02/01 05:34
第三回

後醍醐登場、見ました。なんと主体性の無い主人公(笑)。

大河は天皇自体は出てくるものの、メインキャストでメインストーリーに関わってくるのは後醍醐と今年の後白河くらいでしょうかね。去年は孝明天皇が容保を前に新撰組に言及する、ってシーンがあったような。「葵」は江戸初期の朝幕抗争を濃くやってましたっけ(あれ出来るなら義満もアリなのでは)。道誉の登場シーンがド派手なのは、やはり義貞や正成に比べると教科書にも載らない名前だし、ファーストインパクトで印象付けようって所でしょうか、本当は法体の筈なんですよね。問題の一夜を過ごして朝起きたら焼酎・・じゃない正中の変ってこの辺りはフィクションの展開なのですね、そもそも尊氏さんの史料上の初見って何時なのかしら。前に調べていたら足利家は尊氏の上に早世した「高義」という嫡男が居たそうですけど。解説にも貞氏さんもほとんど名前くらいしかわからないとありますが、思えば歴史ドラマも完全にオリジナルの人物を創作するよりは、仔細が良く分からない人物を肉付けしていく方が成功する例が多いような。



#5481 
孟きょう 2005/02/01 01:30
是非とも実現して下さい

>中西様
 そうでしたか。私の駱将軍の記憶は多分記憶違いだったと思います。素晴らしいですね。「壬辰来援明将銘々伝」まさに夢のような構想ですね。壬辰戦争関連で一般人が目にする事ができる書籍は李舜臣や権慄、郭再祐らは別格として基本的に戦国武将らの武勇伝が戦役の勝敗を度外視する形で圧倒的に多く。明側の記述に対しては「李如松がその他大勢の兵を連れてやって来ました。以上。」的なおおざっぱなムードが強く、あまり興味の対象としてえがかれておらずずっと不満を感じてきました。
日本の大名の史料、書籍は藩が自分達の先祖の歴史を語るためにまとめられ明治以降にまで残るわけですが大陸の場合、軍制のもとにある武人の記録を探すのに手間がかかるんですよね。日本人側からはにっくき敵という事もあり、また興味をもたれる事も無かった明軍とその将達ですが私は長らく気になっていたのです。日本側からはだいたいこんな情報だけど海の向こうの大陸からの視点はいったいどんな感じだろう、明軍の人達は一体何者だったのだろうと。「大軍」という言葉にまどわされない細かい情報を渇望しいたわけでして・・。明軍は蒙古騎兵らしいのから華北の騎兵、歩兵、砲兵、遼東の私兵、水軍、浙江の兵、苗族兵などバリエーションが多くとても興味深いですね。へタレで粗暴で狼藉をした将兵も随分いた反面、典型的名将タイプの人もいるわけで。だから一筋縄ではいかない対象ですね。ありのままの姿の壬辰戦争期の明軍の全容を自分が生きてるうちに知りたいものです。ですから中西様、このテーマは日本でもほとんど興味をもたれていない反面、ひょっとしたら大粒のダイヤモンドの原石かもしれないので今後も大事に暖めてください。日本側からはいろいろ評価低くいわれている壬辰戦争期の明軍ですが、王朝誕生とピークから二百年以上もたち軍事力が弱体化しまくりながらも尚、新鋭の日本軍に善戦してしのぎ押し返した姿(もちろん李朝軍の奮戦あってのことですが)に私は明朝、明軍の底力を感じます。
>徹夜城様
 「太平記」いよいよ佐々木道誉が登場しましたね。気になった事があるのです。徹夜城様が指摘されたように佐々木高氏、と主人公と同名であるのですが一方は近江源氏。もう片方は源氏の嫡流のプリンス。佐々木流の高氏、足利流の足利尊氏。この二人は本来の姓は「源」なのでそうなるとこの二人は真実の名前も正に同姓同名、「源高氏」同士になってしまうのです。南北朝を通じて強烈な個性で時代をリードした男と足利のプリンス。この、タイプがはた目からは大分ちがう二人はなにげにウマが合い共に時代を駆けたわけですが。この二人の源高氏が意識し、近づきあった理由の1つにやはり同時代に同姓同名だったという心情が何割かはあったのでしょうか?
 



#5480 
中西豪(病院で日直しながらリハビリ中の鎮西大将軍) 2005/01/30 13:16
『壬辰戦争来援明将銘々伝』

といったものを、いつか物してみたいと思って、これも十年以上たってしまいましたか(苦笑)。
朝鮮側史料にアンチョコがありましてね、詳しくは「企業秘密」なので明らかにしませんが(爆。戦役関係の主要論文をいくつか読めば、すぐに当たりが付くものです)、光海君代に大臣にまで昇った人物が少壮官僚だった頃、来援明軍の接待に奔走していて、おそらくは几帳面に記録もとっていたのでしょう、個人文集に戦役の経過や網羅的な来援将官の小伝、さまざまな逸話や人物評を収めています。この小伝部分だけでも訳出したらかなりのものになりますが、なまじ東洋史畑の研究水準を知ってしまったもので、明側史料の裏づけもとっていかないと、侮られてしまうなあと小心翼翼戦々恐々、ああまた実現が遠ざかる(苦笑)。

来援した明将、総兵・副総兵・参将・遊撃将軍といった肩書(令外の官で本来は官階の上下はないはずですが、左に行くほど偉かったようです)の連中がだいたい独立部隊(営)を指揮し、その兵力は500〜4000くらいとまちまち(戚継光の編制だと一営の人数は2500人前後、しかし継光本人が臨機応変、増減してかまわないとも言ってます)ですが、この人数って日本の大名に当てはめると知行1万〜10万石の大名の動員兵力に相当します。もちろん、軍制がぜんぜん違うわけですから安易に比較できませんし、日本の大名は封建領主であることが第一義の存在であるのに対し明将は単なる大隊長〜旅団長クラスの軍人ということで、名前も事績も残りにくいわけですね。まあ、細かに見ていったら個人文集とかにけっこう記録が残っていそうですが(劉[糸廷]も実はその伝で後半生の詳細が跡付けられたようです)、門外漢には探すのが大変だ。『四庫全書』のウェブ上での検索・閲覧方法、まじめに勉強しなきゃ。

孟きょうさん>

>駱尚志
駱参将は、1592年8月に義州まで蒙塵した宣祖王の安在を護衛するために1000人前後の部下を率いて鴨緑江を渡り、平壌奪回戦で含毬門方面で一番乗りするも負傷、その後南部最前線に展開、1593年閏11月に慶州付近での戦闘で駐屯明軍が大損害を蒙ったのを契機に召還命令が出て1594年1月に帰国します。駱尚志の部隊も400人程度まで消耗していました。
そういった履歴ですから、朝鮮側高官とも親しく、また非常に真摯に朝鮮のために尽力してくれた人物で、中西としては好感を持たないわけには行かない人物です。また、キャラがすごく立っているのですよ。渡河以前から「88斤の大刀を振るい『駱千斤』と綽名されている猛将がやってくる」と噂され、実際に大兵肥満の老将(65歳という朝鮮側記事あり)で、八人がかりで運ぶ大将軍箭(大砲から打ち出す巨大火矢)の束を小脇に抱えて運んだ、という逸話もあります。長々しい肩書(ちょっと手元に史料がないので詳細は勘弁)から見て、北京駐屯の砲兵隊指揮官であったようですが、部下は小火器(明の銅製手銃ですから威力に乏しいものですが)・刀槍術のエキスパートも多く、固有の重火器は置いてきて、半島では朝鮮軍の火砲を借用して戦っていたようです。また、これはちょっと眉唾なんですが、駱尚志は膨大な蔵書も持参し、接待を担当して意気投合した李時言に帰国時にこれを贈り、ために李時言は朝鮮でも有数の蔵書家となった、という話もあります。
駱尚志が朝鮮騎兵の展示演習を見て、というのは私も史料では見たことがありませんね。時期的に、朝鮮側にそのようなことをする余裕はなかったように思われます。漢城も回復し、どっと疲れが出て病み伏した首相兼国防相兼参謀総長の柳成竜(痔病、なんですよね、御可哀想に。それまで輿にのっていたようなひとが、甲冑を着て馬で走り回ったのですから発症もしようもの)を、平壌での傷が癒えた駱尚志が見舞い、そのときに明式訓練装備の新軍隊の創設を建言します。「私の部隊から教官を出しますから、一人が十人を教え、十人が百人を教え、百人が…、とやると良いですよ」というわけです。そして、それが結実したのが「訓練都監」であるのです。
とにかく、朝鮮側に非常に好感を持たれた明将です。日明講和交渉で往来する明使節団の中に駱尚志の一族の者がいて、朝鮮政府は特別に駱尚志の消息を聞いたりもします。「いま呉松の総兵を勤めています。来年には水軍を率いて進駐するはず」という話に朝鮮側は大喜びするのですが、実現はしませんでした。いったい何があったのか、相当の高齢だったからもしかして、とも思いますが、こういったことこそ、きちんと明側史料と突き合せないといけないのですよね。しかし、実際やってきた明水軍のヘタレぶりを見ると、李舜臣と駱尚志が組んでいたら、日本軍はもっと苦労しただろうな、と思います。
いけない、ついついネタの蔵出しをやってしまう(苦笑)。駱尚志は平壌となぜか碧蹄県で祀られて、二百年後にはとんでもない伝説も出来てしまうのですが、もったいないのでナイショナイショ(笑)。

徹夜城さん>

すいません、現実逃避気味に長文を書いてしまって。

>劉父子
漢城で負傷加療中の陳寅が、宣祖の見舞いを受けて自分の履歴も話しているのですが、そこで「戚継光や兪大猷とは時期が合わなかったけれど、劉[糸廷]の親父とは肩を並べて倭寇討伐に明け暮れたものです」といったことを述べています。年齢はたしか58歳だと言っています。劉・戚・兪の三人の活躍時期に、そんなに顕著な差はなかったと思うのですが、これはどのように解釈できるものなのでしょう? 「戚・兪には間に合わなかった」といったニュアンスであったと記憶しています。
まだ未読(汗)なのですが、久芳論文によれば陳寅の部隊は帰国後すぐに西南少数民族の叛乱鎮圧に投入され、その後も駐留したのでしょう、明の西南地方への鍛造小銃の伝播・普及に大きく力があったとされます。
明の軍制(衛所制でしたっけ)も崩壊し、募兵制が一般化(戚家軍だってそうですね)、また有力な将官は「家丁」「親兵」といった私兵集団を有して世襲化します。で、地方軍閥にまでのし上がるのが遼東の李成梁父子(息子の如松・如梅・如柏は朝鮮に来援、っていうか李如松は前役の総司令官として有名ですね)ですが、劉父子の私兵集団もそれに近い有力な存在になっていたのでしょう。
朝鮮ではとことん評判の悪い劉[糸廷]、学会発表(久芳)レジュメの史料を見ていると、それほどひどい人物でもないのかなあ、と(笑)。軍事知識もある文人官僚が晩年懇意にしていて、同情的な「劉将軍伝」を著述してくれたという「僥倖」もありますが。なんでも、劉家軍(勝手に名付けてしまった)の駐屯地近くの地方長官が妙に絡んできて、劉[糸廷]はこれを殴ってしまったそうで、免職・蟄居すること数年、サルフの戦いにあたって急遽再起用されるのですが、とにかく動員を急がされて、往年の実力を発揮することなく終わってしまったようです。
そういえば、劉[糸廷]の最期は、火薬樽の上に座って導火線に火をつけ、爆死してしまうんだったなあ。そこから、彼の部隊の砲兵(火力主体)的性格を見抜いておかねばならなかったのだなあ、いかんいかん。



#5479 
不肖δ 2005/01/30 08:45
大久保卿への襲撃

大久保利通の暗殺は確かに、竜馬の暗殺ほど話題になったり小説の
本題になったりしてませんね、司馬さんの翔ぶが如くは未だ読んで
ませんが読んだ人の話しでは結構、じっくりとこの事件にページを
さいているみたいですね、下手人集団は5人の元・加賀藩士と
1人の島根県の士族だそうで、司馬さんは結構、首謀者の
加賀藩士に同情するような文体だそうですが。
この小説で、幕末の加賀藩の閉鎖的な体質を かなり
批判されてるそうですが、そうなんですか?徹夜城さん。
加賀藩は幕末期、結構、革新的な考えの殿様だったのですが
家臣らに危険視され蟄居状態にされてしまったようですね。



#5478 
徹夜城(「鳳」の注づくりに忙しい管理人) 2005/01/29 23:31
劉父子

>中西さん
 壬辰朝鮮戦争で登場した、その評判の悪い(笑)劉テイ[糸廷]ですが、実はそのお父さんの劉顕は僕の専門の範囲内なんですよ。いわゆる「後期倭寇」連中と戦っているのです。彼については「俺たちゃ海賊!」コーナーの「人名録」に書いておきましたので、興味のある方はご覧下さい。ま、あれは「明史・劉顕伝」をダイジェストで書いてみただけなんですが…(^^;)。考えてみると「明史」列伝で父子そろって伝が立てられてるいうケースはかなり珍しいんじゃなかろうか…

 劉顕は「二刀流」を使った事になっておりまして、倭寇集団と出くわしたらそこへ軽装で突入し首領をいきなり切り倒すなんてことをしていたそうで。「敵はその剣を見るも顕を見ず」なんて書かれてますね。兪大猷、戚継光の次ぐらいの活躍をした人なんですけど、知名度はもう一つかな。昨年僕もちょこっと関わりました舞台劇「倭寇伝」でも登場してましてね(だいぶ設定は変わってましたが)、コミックリリーフ的な役どころになっておりました。


>ブッチャー3世さん
 NHK前会長が辞任にあたって「国定忠治」を引用すると言うセンスの悪いことをしておりましたが、その日と次の日の衛星放送で二本の国定忠治映画をやってたんですよねぇ。しっかり宣伝してたんと違うか、と。
 で、その翌日に顧問に就任…って忠治が殴りこみに来そうなことをやっとりましたな(笑)。「今宵限り」って見栄を切ったのはなんだったんだ、と。
 このネタ、ワイドショーでもとりあげてましたが、元ネタの新国劇がつぶれた時には「赤字の山も今宵限り…」とかやって大ウケしたらしい(笑)。


>太平記
 本日のファミリー劇場「太平記」は後醍醐天皇(片岡孝夫)、文観(麿赤児)、楠木正季(赤井英和)、佐々木道誉(陣内孝則)といった大物レギュラーがそろって初登場し、高氏と藤夜叉(宮沢りえ)が問題の一夜を過ごしてしまう(長い目で見ると「たそがれ清兵衛」まで続く因縁(笑))というえらい豪華な回なんですが、当サイトのアクセスが今日はあんまり伸びてませんなー(^^;)。



#5477 
孟きょう 2005/01/29 22:38
ありがとうございます

中西様>得難い貴重な情報有難く、感激、興奮しております。 失礼しました。確かに陳寅の存在は中西様の紹介で初めて知る事になったのですが他の解生、楊登山の諸将は他の書籍で記憶に残っていたものだと思い返しました。ハイサイの事まで本当にありがとうございます。解、楊、ハイサイの三人の武人については黒田長政、毛利軍と稷山で激戦を繰り広げ、その後も蔚山を包囲する転戦ぶりを知ってから気になっていた武人だったのですが。そうでしたか、解生はモンゴル人だったのですか。タダ者じゃないとは思っていたのですが・・。すごい特ダネです。
陳寅、呉惟忠と、浙江、戚継光関連の人材は本当に優秀な人物が多いですね。あっぱれというか・・本来朝鮮半島の戦いは寒さとの戦いだと思うのですが彼ら浙江の軍は精強な日本軍を相手に素晴らしい善戦をしてるからスゴイです。たしか平壌を奪回する時に活躍したのも浙江の兵だったような・・。陳寅、惹きつけるものがあります。
 駱尚志。何かの本で読んだいい加減な記憶なのですが、彼の前で李朝が自慢の騎射をする軽装騎兵の練兵を披露した所「素晴らしい騎兵であるがこれだけでは白兵戦に心もとないです。槍等を使った明の歩兵戦術をおすすめします」というアドバイスをしたシーンがあったような気がするのですがどうなのでしょうか? あいまいな記憶ですみません。朝鮮の騎兵・・ワクワクするほどロマンがありますね。劉将軍は大刃を持つというビジュアルから典型的中華武人のイメージが昔見た絵本から感じたのですがなかなか奥が深いようですね。大陸各地を転戦し、日本軍とも戦いその中で攻守ともに鉄砲を強烈に意識した部隊を作る。これまた凄いですね。。
 李舜臣はやはり韓国で人気みたいですね。私も李舜臣は大好き(節操がありませんね)なのですが、うーむ、彼は韓国の英雄ですからねえ。韓国の人の李舜臣への愛がこぼれおちそうですね。多少の史実など飛躍してしまう立ちのぼる蒸気の如き人気が韓国ではあるのでしょう。本のあおり文句にての判官贔屓のような記述にもやや苦笑いしてしまいますが。日本でも源義経を世界史レベルの騎兵の天才や騎兵戦術のさきがけにまでしたてあげてしまうトンデモ贔屓ぶりがありますように英雄人気とは独特のものがありますね。
 雄略天皇。服装考証や鎧考証、武将の設定などいろいろおもしろそうですね。
 長文で大変しました。お体の方、お大事に。
 
  
 



#5476 
中西豪(寝たきり片手打ちはもどかしい鎮西大将軍) 2005/01/29 12:16
陳寅? 解生?? 楊登山???

先日、東大大学院R助教授(朝鮮史)と電話で話をしていて、韓国の今の歴史大河ドラマが『李舜臣』であることを教示されました。昨今の韓流ブームに辟易して半島からの情報をあらかたカットしていて気が付かなかった…。韓国出版界も、ちょっとした李舜臣・壬辰戦争ブームだそうです。海軍士官学校出の研究者の学位請求論文が手直しされて本になり、フェアの目玉として平積みになっているとか。その本のあおり文句に「壬辰倭乱の個別海戦研究が初めてなされた! 李舜臣将軍の偉業もこれで真に輝きを増すのである」といったものがあるそうで、研究史的にも?ですが、ほんとに精緻に分析していったら、李舜臣と朝鮮水軍の限界も明らかになってしまって、かえって切なくなるのですが(涙)。

孟きょうさん>
拙著拙稿をお読みいただいているそうで、まことにありがとうございます。
しかし、陳寅・解生・楊登山とか、商業出版で紹介記事を書いたことがあったかな。
根が朝鮮史者なもので、来援明軍将領たちも、まじめに朝鮮のために戦っているひとを贔屓にしてしまいます。明式編制訓練の新軍「訓錬都監」創設の大恩人駱尚志、壬辰丁酉両次来援し常に力戦した呉惟忠、このふたりは別格ですな。どうも、戚継光の下でも戦っていそう。呉惟忠なんて、義烏県の出身だし。
陳寅、蔚山城攻撃の先頭にたった勇姿は、画面で見たいですね。陳寅指揮下の歩兵部隊の活躍で外郭を破ったものの、後続の部隊は日本軍の露営地での略奪に忙しく、その間に日本軍は城内に退却。陳寅は総司令官楊鎬に体勢を立て直し攻城器械を準備しての再攻を意見具申するが、楊鎬鷹揚に「君の部隊の勇猛さは全軍に冠する。さあ、征きたまえ」とかぬかす。陳寅、憤激して部隊の先頭に立って蔚山城二の丸北側斜面を駆け上る。雨のごとく降り注ぐ銃弾、跳弾が前歯を吹っ飛ばし、文字通り血を吐きながら部下を叱咤するも、今度は太腿に被弾、ついに後送される。漢城で療養中に宣祖王の見舞いを受け、軍神関羽を朝鮮でも祀ることを勧めています。
明の騎兵、北方系の部隊・指揮官連中はたいていろくでもないのですが、丁酉役の解生・楊登山・ハイサイ(字が出ない)らは、朝鮮側でも評判は良いです。解生は宣祖王に宴席に招かれ「蛮族出身(蒙古族)の身で千乗の君と同席するのは畏れ多い」と謙譲したり、ハイサイは楊鎬が蔚山攻囲を中止して退却しようとしたとき、馬を倒して楊鎬の怯懦を諷する即興詩を詠んだり(それを怨まれて毒殺されたらしい)と、いろいろ絵になりますね。
さて、「明軍」くくりですと、ここ数年、九大東洋史の久芳崇氏が明代末期が世界史的な軍事革命期であるという視点で精力的に論文を発表しています。壬辰戦争での日本軍との交戦が、やはり明にとっても大きな画期となったようですね。そこで、朝鮮史者としての不明。『明史』に列伝もある劉[糸廷]という将軍、壬辰戦争では停戦期間にやってきて残留明軍の司令官におさまります。で、何をしたかというと、朝鮮高官を呼びつけての自分の部隊の自慢話(四川・雲南方面の少数民族兵の特殊能力やらRPGに出てきそうなおどろおどろしい武器やら)。そのくせ慶州方面で生じた戦闘には援軍を出さず駱尚志・呉惟忠の部隊に多大な出血を強い、それを批判されると「呉惟忠の奴、平壌で鉄砲に当たったとか言ってるが、本当のところはどうだかw」とか吹聴して呉惟忠を悔し涙にくれさせる。丁酉役では軍司令官のひとりとして再来、順天城の小西行長を攻囲するけれどもはかばかしくなく、賄賂を受け取って退路を開けたりもする。最後は、サルフの戦いで赴援朝鮮軍と直接提携するのがこの劉[糸廷]だったのですが、予定の半分も兵がいないし武器も足りない。「楊鎬が意地悪するんじゃあ(サルフ戦の明軍総司令官は楊鎬。丁酉役蔚山敗戦の責任を追及されて更迭されたとき、劉[糸廷」は批判側の急先鋒で、そのときの意趣返しがされたということ)」と泣き言をいうばかりでなすすべもなく壊滅。
なんだ、このヘタレ将軍は、と二十年来呆れていたのですが、明側史料を精査して軍事史的に研究していくと、この劉[糸廷]とその部隊(私兵集団)は、非常に重要なのですね。朝鮮半島において鹵獲鉄砲を収集、多くの降倭も伴って帰還し、火器の操作運用、戦術を習得して明軍を代表する特科部隊的存在になりおおせていたのです。サルフでの敗戦も、とにかく期日までの部隊の前線到達を厳命され、重火器を後方に置いて来るしかなかったらしい。いや、劉将軍閣下、いままで侮蔑してきてゴメンナサイ。

>東アジア三国史
隋唐と高句麗の抗争など、陸上のスペクタクルも期待できますが、日本(倭)サイドの人物がちょっと見劣りしそうな予感(苦笑)。中華帝国の冊封体制内での地位向上に見切りをつけ、自身のあらたなる権威(大王=オオキミ)で半島経略にあたらんとする雄略天皇の頃も面白いと思うのですが、もっとマイナーだしなあ。



#5475 
孟きょう 2005/01/29 01:44
恐縮です

>徹夜城様
 いえいえ恐れいります。海上史の系列は戚継光のファンなものでいつも楽しみにしております。幼き頃、私が明という外国の存在を初めて知ったのも倭寇が導入になったんですよ。学習漫画で室町時代の足利義満の箇所でどうしても倭寇は出てくるし、漁民の会話のくだりで[貿易してくれない国]というイメージではじめて明朝が紹介されました。その時は「不思議な国だなあ」とおもいましたがともあれそれで室町と明を同時に知るきっかけになった次第です。
 東アジア三国史、そうですね。どうしても互いの国に対する記述に独特のクセは出がちになってしまう壁はありますね。お互いが強がらずに互いの国の歴史の面白さを率直に楽しめる時代が近づけば嬉しいのですが・・
 足利義満。やはりそこまで登場率が低いのですか。なんでだろう。日本人って基本的に貴種が好きで無条件に源氏が大好きといった印象はあるのですが。不思議な事にあれほど日本人が好いている源氏が本格的に政権の中枢を担った室町時代が日本史ではマイナーですよね。本当の姓である源をつけて「源義満」とかにして好感度アップするとか。細川頼之も本当の姓名である「源頼之(おお、カッコいい)」にすれば印象変わるとか。
 「白虎隊」。私も子供の頃見てました。2部から本編見たのですが近藤マッチ似の若手俳優が隊の主役をしてて両親がTV見て「あ、マッチだ。」と勘違いしてたのが印象に残っています。大人になり再度見てみると新撰組が出る京都動乱編があるのを初めて知り、発見が多かったですね。キャスト陣だと森繁、竹脇、里見ら、「大久保彦左衛門シリーズ」メンバー(もしくは、江戸を斬る)もいたし。あと、2部の初頭に鎮撫として登場し殺された世良修三(字が間違っててすみません)を演じた泉谷しげるの悪辣な印象が強く。面白かったですね。劇中の修三の姿は長州ファンにはどう映ったのか心配ですが(笑)。



#5474 
景虎 2005/01/29 01:32
黄金の日日

>皇室典範改正問題
今までやらなかったのが、不思議な話ではありますね。
ただ、私は現在の皇族の幸福云々・・・という話になると、難しいのでは?と思いますね。皇族が幸せか不幸かは、本人達にしか分からないでしょうし、意外と現状に満足している皇族の方が多いという事も考えられますからねえ。
リストラなど、世間の荒波に揉まれて競争社会を嫌っている人達の中にも、皇族の身分を羨んでいる人達がいるような気もします。だからと言って、リストラされたサラリーマンの中から天皇を選ぶわけにもいきませんが(笑)。
現実的には、幸福問題よりも人権問題くらいが、議論の対象としては、適当な気がしますね。

天皇制については、日本の伝統文化は基本的に、天皇制の模倣だという主張があるようですね。分かりやすい例としては、歌舞伎などで代々同じ名前を受け継いでいくという家元制度などが、天皇制の模倣なんだとか。この説が正しいのであれば、天皇は国の象徴でなくても、日本文化の象徴くらいでいいのかもしれないなあ・・・と考えたりもしてしまいます。宮内庁のサイトにも、歌会などの伝統文化コーナーがありますし。



#5473 
ブッチャ−3世 2005/01/29 00:31
治安

>明治警察
日本の時代劇は硬軟すべて見渡すと大体、江戸時代のものが
多いうえに娯楽系のが、これでもか〜というくらい悪役を
極悪人に描きますので、その印象の先入観ゆえ実際の
江戸時代は結構、治安は良かった、というのは今では
定着してますね。あ、国定忠次は史実は義賊では無く
マジ非情な盗賊だったみたいですね、海老沢・元会長は
知ってて、いつも引用してんでしょうか?(笑
江戸時代で一番、治安が悪かったのは幕末って事に
なるのかな、ただ、その幕末より治安が悪かったのは
明治警察が、しっくりと機能し出すまでの期間だったって
のを聞いた事があります、士族の反乱が多発したり、
警視庁の密偵が暗躍したりと、大久保が暗殺されてしまった
ことじたい、悽愴な世相を感じますね。
竜馬の暗殺は結構、資料が沢山出回っていますが、
大久保の暗殺の詳細は、どうなっていたのでしょうか?



#5472 
徹夜城(今ごろ図説世界史なんか買って面白がってる管理人) 2005/01/27 23:16
いやぁ、驚くほど同好の士ですなぁ

>孟きょうさん
 書き込みを拝見していて、つくづく興味の対象がよく似ているなぁと驚いてしまっております。もっとも僕自身は「明史」そのものにはあんまり強くは無いんですよ。海の上のアウトローどもが対象なもので…(笑)。ただ中国史ファンは世に多けれど、明清史に入られる歴史ファンって決して多くないですよね。日本の南北朝史のような…ってやっぱり共通項があるのかな、これって。
 白村江の戦いのあたりの「東アジア三国史」は僕も見てみたいですねぇ。金ユ信、金春秋、そして中大兄皇子などがゾロゾロと絡み合うドラマっていっぺん見てみたいです。構想的に近い小説として韓国の「消えた王国」というのがあるんですが…以前にも書きましたけど、これ、ちょっと日本部分の描写で韓国的イヤミが出ているところもあるにはあるんですよね。それを抜きにすれば高句麗・新羅・百済・日本・唐の歴史人物たちが同時進行で絡み合うという雄大な構想でかなり面白かったです。

 来年の大河ドラマは明白に「としまつ」路線ですねぇ…仲間由紀恵で「山内一豊の妻」だもんなぁ。さすがの僕も来年は見る気がしてません。
 なお、「足利義満」ですが、リンク先の「配役宝典」様のデータで調べたところ、ホントに映像関係では「一休さん」がらみ以外で登場したことがなかったようですね。


>アール・ケイさん
 「ラルフ一世はアメリカン」は見よう見ようと思いつつ見てなくって…確かイギリス王室一同が記念写真を取るために集まっていて全員感電死しちゃうんですよ(笑)。さすがにこれには英王室から正式な抗議の一つもあったと記憶してます。
 皇室典範改正問題はいずれ通らねばならぬこととは誰もが思っていたわけなんですが、切実な問題としてもし仮に天皇がいま急にお亡くなるようなことがおこった場合、皇太子が即天皇になって、秋篠宮を皇太子にしなきゃいけなくなるんですよ。そうするとその次の後継者の問題がかなり微妙になってきちゃうわけです。愛子ちゃんにすべきか真子さんにすべきか…という。女系OKにしてもそういうことはさっさと決めておかなきゃならんとゴーサインが出たんでしょうね。
 もし将来の天皇に愛子ちゃんがなるとして、その夫君を旧宮家の男性から選ぶ…ということは恐らく明記などはしないでしょうけど、将来実行する可能性は残すと思うんですよね。継体天皇の先例なんかを引っ張り出して、一応「男系の万世一系」を維持しようと考える人たちが絶対いますから。「神武天皇のY染色体」なんてことを真面目に言い出す人もいる世界なんですから。
 なお、神武の父方の先祖をたどっていきますと、曽祖父が天孫降臨のニニギ。その父はアメノオシホミミ。で、その親が誰かというのがいささか問題でありまして、このアメノオシホミミって古事記によるとアマテラスとスサノオの姉弟がお互いの心を確かめ合うために「子作り」をした際(そういえばこの話も近親相姦的ではある)、アマテラスの髪飾りをスサノオが噛んで産み出したことになっています。だから一応「アマテラスの子供」ということになってるんですが、スサノオの子に見えなくも無い…というかここでアマテラスの子であれば「女系」になっちゃうんですがね、ってここまでさかのぼっちゃえばもう関係ないですか(笑)。
 そういや中公文庫から例の出雲井晶さんの日本神話本が出てます…例の絵本と基本的に変わりは無く、相変わらず絶対神「天御中主神」がやたらに出てくる「出雲井神話」となっております。講談社に続いて中公まで…

 「白虎隊」見てて気がついたんですが、会津藩士でのちに西南戦争で警視庁抜刀隊に参加し「戊辰の仇」と戦った佐川官兵衛を本田博太郎さんが演じてましたね。続く「田原坂」でもこの人が官兵衛を演じており、この部分だけしっかり「続編」になっていたことには驚き(笑)。


>mozawaさん
 例の歴史新聞シリーズ、「三国志新聞」と「世界史新聞」「日本史新聞」は読んだことありますよ。「三国志新聞」では中国大型ドラマ「三国演義」の画面写真をバリバリ使ってたんで、結構「新聞」のサマになってました。「世界史新聞」はちとスケールがでかすぎて失敗しちゃってる感もありましたが…
 なお、似たような発想は洋の東西でするようで、イギリスに行った折、大英博物館とかロンドン搭のお土産店で、子供向けと思われる西洋史ものの新聞(というより雑誌かな?)が売られてましたね。英語ですけど「ローマ帝国滅亡!」とか「アレクサンダー遠征開始!」とかの見出しがあったような(笑)。

 そうそう、オリバー=ストーン監督の問題作(笑)、「アレクサンダー」がとうとう日本に上陸しますねぇ。事前の悪評に配給会社も宣伝に気合が入ってないのがわかるなぁ(笑)。すでにラズベリー賞にもノミネートされております。



#5471 
不肖δ 2005/01/27 22:27
町方から警察が出来るまでの移行期は

今、ちょっと時代もの創作のための時代設定の資料に
幕末から明治にかけてのことを調べているのですが、
そこで、ちょっと気になることを思ったのですが、
日本の初代警視総監は川路さん という薩摩の人
らしいんですが、川路さんが西洋へ研修に行って
向こうの警察を視察し、近代警察機構の青写真を
出して正式に日本に警察が発足したのは明治5年
らしいです、ということは幕府が無くなってから
明治5年に警察が出来るまでの間は、警察の
代わりの機関があったのでしょうか?町方が
代理を務めていたのでしょうか?また、警察が
出来たら、旧幕府の同心や岡引きが、そのまま
警官になった事もあったのでしょうか?



#5470 
mozawa 2005/01/27 15:18
陸奥宗光の毒舌

アスペクト社から出ている「幕末新聞」という本があります。
歴史の流れを新聞形式で解説する面白い本なのですが、そこに、陸奥が新政府の施策を紙上で解説する、という連載コーナー?があります。 そこでも口調も「毒舌」なのですが、笑えるのがその連載のタイトル、「宗光だぁ」というのです。元都知事のあの方のパロディっぽくて。

このシリーズは、他にも戦国史、三国志、歴史のシリーズがあり、史実に基づいた徹底したパロディぶりの芸が細かく、歴史好きが読むと楽しいです。お読みになった方、いらっしゃいますか?



#5469 
孟きょう 2005/01/27 14:59
失礼しました

>徹夜城様
 こちらこそ交差してしまい申しわけございません。
 そうですね。『室町太平記』で朱元璋が出てくるだけでもううれしくて。李成桂の登場で完全KOでした。豪華すぎます。
 東アジア三国同時進行の歴史ドラマはとてもいいですよね。障害も大きいけど私は好きです。[秀吉の壬辰戦争]がつくられるなら明の武将を多目に出してほしいですね。もちろん明からの視点もですが。明軍、と聞くだけで嬉しくなっちゃうタチなので中西様の著書はいつも配見させていただいております。陳寅、解生、楊登山たちの姿を映像で見たいです。 他の題材になりそうなのは・・白村江の戦いの時代などはどうでしょうか。日本を含め新羅、高句麗、唐、百済の英雄達が同時代にそろい踏みですし。金春秋を韓国か日本の超イケメン俳優に演じさせたり金ユ信、善徳、真徳女王の他唐では白村江の名将である劉仁軌を主役級で出したり中国でも一流の女優が武則天を演じる姿を見たいですね。
 [足利義満]は何がなんでも大河で見たいですね。今は色々と外交が不穏なので作りにくいのでしょうが・・。ここの所大河が毎年[利家とまつ]状態になってきてるので(来年も確か・・)いい加減に本命を出してほしいのですが。義満、南北朝、室町自体が近代以降の日本人の情緒に合わないのでしょうか?



#5468 
アール・ケイ 2005/01/27 12:50
いつまで経っても勝てば官軍

未見ですが『ラルフ一世はアメリカン』でしたっけ、
英国王室が事故(確か落雷電撃死(笑))で全滅してしまったために、
遠い遠い親戚筋のアメリカ人の男が探し出され
王位を継ぐが、これが軽〜くいい加減なヤンキーだったからさあ大変…
てな映画がありましたが、
なんかその映画を地でいくような展開になってきましたな(笑)。
私自身は現憲法下での天皇制を一応支持している人間ですが、
この際、天皇制の撤廃も含めて考えるべきだと思うんですがね。
ほんとうに皇族の人々の人権、というか幸福を考えれば議論の行き先は明らかでしょうに。
ですので、産経なんて尊皇派でもなんでもないですよ。否、そういうのが尊皇派というべきか
(なんか皇道派と統制派みたいな話ですな(笑))。


『白虎隊』はタイトルに偽りあり、でしたな(いい意味で)。
前半登場する露口茂氏が演じた家老(薩長同盟を見抜けず失脚する)が印象的でした。




#5467 
徹夜城(映像世界に現実逃避する管理人) 2005/01/26 23:27
今度は「白虎隊」

 よく見てるなぁと自分でも思うんですが、今度は日テレ年末大型時代劇シリーズの一本、「白虎隊」を借りて来て本日で見終えました。これも放映当時見てなかったんですが、なかなかよくできてるなぁと思いつつ見ておりました。
 放映当時「白虎隊」という名の響きに玉砕美化の空気を勝手に感じて見る気が起きなかった覚えがあるんですが、食わず嫌いはよくないな、と改めて思いましたね。実のところ「白虎隊」はタイトルに使っただけで内容は「会津士魂」と題するべきものでした…といっても早乙女貢さんの小説を使ってるわけではなく、一応杉山義法さんのオリジナル脚本となっております。
 ドラマは幕末史全体を徹底して会津藩の立場から描き、それでいて藩主の松平容保は割と批判的に描かれていますし、もちろんラストには痛烈に「薩長政権は本当に正しかったのか?」という疑問が提示されます。とにかく救いようもなく悲劇的なお話なんですが、5時間一気に見せられてしまいました。

 時代劇というのは得てしてそういうもんですが、この日テレ時代劇シリーズは出演者の大半がおんなじで…先日「田原坂」(「白虎隊」の二年後放映だったかな)を見ていたもんですから、「あれ、今度はこの人がこの役か」と同じ面子の配置換えを見せられているようなところがあります。風間杜夫が松平容保、近藤正臣が土方歳三、夏八木勲が近藤勇、あおい輝彦が板垣退助(チョイ役ですが)、ほかに丹波哲郎、佐藤慶、竜雷太といったおなじみの面々がそろって会津藩に集結しちゃってるのは壮観(笑)。高杉晋作も桂小五郎も演ってる中村雅俊が今度は坂本竜馬で幕末青春スターを総なめしてます。そういやこのドラマでも佐々木只三郎が竜馬を斬ってましたな。
 毎度主演の里見浩太郎は家老の西郷頼母役で、この人としてはかなり地味な役。「田原坂」を先に見てると「西郷つながり」で面白かったりして(笑)。軍事奉行で最期に「薩長の国づくりをしかと見届けてやる!」と壮烈に切腹する軍事奉行・萱野長修を西田敏行が演じてましたが、やせてたなぁ、このころは…(笑)。


>アール・ケイさん
 僕も気が滅入るニュースが続くと「史点」書く気も失せてきて映画やら創作活動に逃避しちゃうんですよ(笑)。それはそうと「パッチギ!」、いいらしいですねぇ。先週の週刊文春で小林信彦さんがえらいほめようで、「今年はいきなり最初にこんな傑作が出て、どうすりゃいいんだ」ということまで書いてました。井筒監督、ただの毒舌芸能人ではないところを見せてくれたとなれば結構なことでございますね。

 「酔画仙」にその竹添進一郎はさすがに出てきませんでしたね…甲申政変もあくまで「時代背景」として描かれてるだけですし。
 ただこの映画、一人だけ日本人キャラが登場します。日本の新聞記者の「カイワラ」という人で、張承業の絵に非常に感心して絵を注文したり、全ホウ準が捕らえられていくのを見て「朝鮮王朝は燃え尽きようとしているが、先生の絵がある限り朝鮮の命の灯が燃え尽きることはない」などとカッコいい台詞を吐きます(もちろん日本語で。ただし口パクがあってないので吹き替えとわかる)。つまりかなり「良心的日本人」として登場するわけで朝鮮近代史ではどうしても負い目がある日本人としては心やすらぐものがあったのですが、こんな人が実在していたかどうかは知りません。のちの柳宗悦なんかのことを考えると芸術面で理解のある人がいた可能性は否定しませんが。
 朝鮮人たちが進駐してきた日本軍と清軍を見て「清の兵士はだらしないが、日本兵は規律正しくしっかりしている」なんて言う台詞もありましたね。もちろん日本軍の東学鎮圧の模様も描かれてますけど。あと名前が言及されるのみですが袁世凱への贈り物にするために主人公が絵を描かされるという場面もありました。

 さて皇室典範改正論議もついに始まったわけですが、「女帝」はいいとしてその夫をどうするかという問題なんでしょうね。だからなのか、先日産経新聞では旧宮家を養子に…というのも検討、と報じられましたが、となると、「男系」を維持するために愛子さんに将来その系統から夫を迎えることを「義務」にするということにもなってくるのでは…つくづく非人間的な世界ではありますね。
 



#5466 
新参右衛門 2005/01/26 22:45
陸奥は紀州生まれだったんですか。

>紀州藩、竜馬を的に掛け説
陸奥は紀州の出身だったんですか、知らなかったです。
海援隊といえば土佐者ばかりの集団と思ってましたんで
それで、陸奥は海援隊で周りにイジメられていて
唯、竜馬だけは陸奥を認めていて、よく庇っていて
陸奥は竜馬の恩を終生忘れなかった〜という逸話も納得です。
陸奥は海援隊出身者では一番出世した男と言われていますが
また非常に毒舌な男で彼の舌では西郷隆盛も散々の評だった
そうですが、人を絶対ホメ無い男と言われた陸奥宗光が
唯一、無条件で諸手を挙げホメちぎったのは坂本竜馬だとか。
紀州藩と海援隊の紛争は、確か天満屋事件というので武闘に
まで発展してたとか聞きます、詳しくは知りませんが
お互いの拠点を襲撃して放火したとか何とか。
去年のNHK大河は、あんまり見て無かったんですが
佐久間象山、肖像画に、かなり似てるように見えました
配役の石坂浩二。佐久間の息子さん は新撰組にいた
とかいう話を聞きました、佐久間のセガレさんは、沖田
総司によく稽古の相手をさせられボコボコにされてたとか、
もっとも沖田は稽古で手加減をせぬ男だったみたいで、
新撰組では沖田の稽古相手をして半殺しの目に遭った者が
多くいたみたいで、天才剣士は、ちょっとSがかっていた
のかな?佐久間のセガレさんは何が原因かは知りませんが
沖田の機嫌を損ねて沖田に殺されそうになり尻尾を巻いて
組から逃亡したようです、新見や山南など、新撰組の
凶悪な諸法度で切腹した者は多いですが、佐久間の息子さんは
その虎の穴みたいな所から逃げ延びた稀有な例だそうです。
この間、TV何でも鑑定団を見ていたら、俳優の小沢真珠、
昼のドロドロ・ドラマ「牡丹と薔薇」で「アンタは牡丹じゃ
無くてブタよ」と叫んで金属バットを振り上げて欄間に
引っかかる怪演の姉さん、あの人は土方歳三の子孫
だそうだ、と言ってました。なんか納得です(笑



#5465 
アール・ケイ 2005/01/26 12:47
あれやこれやと

不愉快なニュースばっかりで健康に悪いですが、
『パッチギ!』を観てちょっと元気を取り戻しました。

しかし、125代男系で途切れずに続いてるなんて云うほうも云うほうだし、
それをそのまま放送するほうもするだぜ、TBSよ。

『酔画仙』という映画をやってることは知ってましたが、そういう歴史背景が
描かれているとは知りませんでした。
私の研究対象(笑)・嘉納治五郎の岳父・竹添進一郎も登場してるのでしょうか?


《COM》版「望郷編」も確か見た覚えがあります。
《マンガ少年》で『火の鳥』を再開するに当たって、対象読者年齢層を下げたんですよね、手塚さん。
《マン少》版は(青年向けマンガではなく)少年マンガとして描かれたわけで。
「血の繋がらない?」と書きましたが、血が繋がった兄妹という描き方でしたね、たぶん。
「兄ィと私は兄妹なのよ」「そんなことはどうでもいいんだ」と云いながら抱き合うシーンが
あったように思います。《マン少》版の弁太がひょうきんなのに対して、《COM》版はもう少し男前だったかなあ…。




#5464 
徹夜城(入れ違いになったのでまたレスを書く管理人) 2005/01/26 00:00
どうもどうも(^^;)

>孟きょうさん
 僕が長文書いてる間にお書き込みになられたようで、入れ違いになっちゃってすいません。
 勝手に大河ドラマ「室町太平記」、お楽しみいただけてるようで嬉しい限りです。特に日本史の南北朝だけでなく当時の明帝国の成立にもからめてみたところに注目していただけたのは幸いです。
 大河ドラマ内で外国史を採り入れてみたのは事実上「北条時宗」しかないと思うんですが(しいて言えば「琉球の風」)、結局あんまり効果的ではなかったですし…いっぺん東アジア三国同時進行の歴史ドラマというのを見たいなぁ、という想いがあれにはあるんですよね。その場合、一番の素材は「秀吉の壬辰戦争」になるんでしょうけど、実現は遠いかなぁ…韓国の大河ドラマではやったことがあるんですけどね、日本部分の時代考証がメチャクチャでした(笑)。

 大河ドラマになってない(古代を除いた)最後の大物が足利義満だな、という声は僕だけでなくネット上でちらほらとは聞こえてきます。教科書でおなじみの有名人でまったくドラマになったことがないというのは義満ぐらいでしょう、実際。アニメ「一休さん」で出てきたと言う程度で(笑)。
 ただ一年やるのはしんどいだろうな、と僕も思います。だから僕は細川頼之をセットにしてみたんですが…。

 「鳳」は構想だけはずーーっとしてたんですけど、実際に書き始めてみるとあれこれと悩んじゃうんですよね。日本史ならともかく今度は完全な外国史。いちおう専攻した研究分野ではあるんですけど、小説となるとまた勝手が違う…(汗)。
 ま、とにかくホントに近日公開の予定です。



#5463 
徹夜城(暇があるうちに映画を見に行く管理人) 2005/01/25 23:32
「酔画仙」

 岩波ホールで上映中の韓国歴史映画、今日思い立って見てまいりました〜公式サイトは
http://www.espace-sarou.co.jp/suigasen/main.htm
 主人公は19世紀末に活躍した天才的水墨画家・張承業(チャン=スンオプ)。彼の人生を、李朝が傾き外国勢力が侵入してくる激動の時代を背景に淡々とエピソードを連ねつつ描いていく…というところですか。どうも史実関係はほとんど分からない人のようですが、卑賤の身から天才的画才で宮廷画家にまでのしあがっておいて「酒と女がないと絵がかけない」とか言って放浪を繰り返す、まさに「天才とキ○ガイは紙一重」を水墨画で描いたような破天荒なキャラクターになっておりました。
 物語はとくに盛り上がるところがあるわけではなく、実に淡々と進行していきます。この手の映画の見せ所は実際に描かれる数々の水墨画(カラーもある)なのですが、これが現在のプロたちがボランティア参加で代わりに書いているそうで、見ごたえがありました。

 主役は「シュリ」で北朝鮮工作員を演じて完全に主役を食い、「オールドボーイ」の主演でカンヌグランプリに輝いてしまったチェ=ミンシク(本作は「オールドボーイ」より前らしいですが)。「ヨン様」やら「四天王」やらばかりが韓国俳優ではないのですぞ、という渋〜〜いオジサンです(笑)。
 他にはまた出てきたかのアン=ソンギ(笑)。なんか僕が見た韓国歴史ものの大半にこの人が出てるんですけど。「永遠なる帝国」の正祖、「MUSA」の副隊長、「シルミド」の軍人…とまぁ韓国史のどこにも顔を出してくる、フランスのジェラール=ドパルデューみたいなお方ですな。

 当初画家が主人公ということで歴史事実とは離れた伝記映画なんだろうな、と思っていたのですが、予想以上に歴史的事件、有名人物が登場してました。もちろんそんな史実は無いのでしょうけど、張承業がしばしば歴史的事件の現場にいたりするんですね。
 朝鮮の開化派が日本の後援を受けて起こしたクーデター「甲申政変」とその首謀者・金玉均も登場しますし、後半では東学党の乱(最近では「甲午農民戦争」という歴史用語になってますが)が描かれ、その指導者である全&#29739;準も登場して彼が逮捕される場面もあったりします。当然日清戦争へ向かって日本軍・清軍も進駐してくるシーンもあります。主人公の張承業はそれらと直接的に関わることはなく、あくまで時代背景として描かれるのですが、以前朝鮮近代史ゼミをとっていた僕などには「懐かしい」場面の連続でした。だから朝鮮近代史の予備知識が多少必要かもなぁ…という感想です(字幕でフォローはしてますけど)。


>mozawaさん
 「坂本竜馬はそんなに大物じゃない説」というのも一部で根強く唱えられているようで、その根拠が薩摩藩関係者の記録に彼についての記述が少ないから…だったような気がします。それもNHKの歴史番組でやったものだと思いますけど。
 彼がどの程度「大物」だったか、というのは観点によるので難しいところです。とりあえず貿易会社「海援隊」を作り、薩長同盟の仲介役となり(もちろん彼だけがやったわけじゃないようですが)、「船中八策」で未来構想を語り、どうやら大政奉還のアイデアを出したらしい…というところですか、業績は。師匠の勝海舟が回想談で彼を持ち上げることで自分を持ち上げてるフシもなくはないようで(西郷についても言われてる)、注意すべきところはあるかと。
 ただこれは確定だろうと僕が思うのは、あの血なまぐさい時代にあってえらく「余裕派」で非常に面白い人であったことでしょうねぇ。「中江の兄さん、煙草買うてきておーせ」と声をかけられたことしかない中江兆民がその接触だけで「なんとなくエラキ人なり」と思ったそうですから、どうも不思議な魅力を漂わしていた人だったんでしょう。
 そういう魅力を唱えるのはいいんですが、どーも一部に竜馬を「神格化」して持ち上げる人たちがいるんで、僕はヤなんですよね。「平成の竜馬」とか言い出すやつにロクなのいませんし(笑)。
 

>阿祥さん
 「鳳」、酉年を期していいかげん始めないと…と自分でハッパかけております。期待されちゃうとかなりプレッシャーではありますが…


>アール・ケイさん
 「マンガ少年」版「乱世編」も一応弁太とおぶうは親同士が再婚した「血の繋がらない兄妹」という関係にはなってましたね。そのアダルティーな絵、というのは見てみないと想像がつかないんですが…ただ指摘されてることですけど、虫プロ倒産前後の手塚治虫の絵って精神状態を反映してか暗くグロテスクなのが目に付くところがあるようですね。



#5462 
孟きょう 2005/01/25 23:08
はじめまして

こんにちは。>徹夜城さま 『室町太平記』いつも読ませて頂いております。本当におもしろいですね!。子供の頃、東洋史で明代が好きでいつも徐達や傳友徳たちの活躍に胸躍らせ、学校では明初の初歩レベルの概説を聴いていました。日本史では一番南北朝が好きで人物でも義満が好きだったため『室町太平記』が自分の好みのツボにモロに入ってしまった次第です。ありがとうございます。
 [太平記]、慌ててチャンネルを合わせると本当に始まってしまいましたね。ビックリです。本放送当時の記憶もおぼろげだったところに・・感無量です。 
  『鳳』、楽しみにしてます。



#5461 
アール・ケイ 2005/01/25 08:51
手塚ネタなので(笑)

ちょっと出てきました。

《COM》版『火の鳥・乱世編』は《マンガ少年》に一度掲載(転載)されたことがあります。手塚さんが多忙のため原稿を落とされた(描けなかった)際のいわば埋め草として…。おそらく単行本にも《手塚治虫マガジン》にも掲載されてないと思いますので「幻」の作品に近いといっていいでしょうか。
内容は《マンガ少年》版とほぼ同じですが、絵柄等ややアダルティでして、主人公・弁太と恋人・おぶうは血の繋がらない?兄妹という設定で少々近親相姦っぽかったですね。




#5460 
阿祥 2005/01/24 00:52
メールアドレス

>不肖デルタさま

こちらのメールアドレスは、名前のところをクリックすれば表示されるようですので、そちらをご覧下さい。あれから他にも「台湾海彊史」なる書籍でも清仏戦争についての記述を見つけましたので、合わせてお送りします。

なお、前回“台湾共和国”としたのは、“台湾民主国”の間違いでした。失礼しました。

>徹夜城さま

とうとう、「鳳」の連載が始まるのですね。楽しみにしてます。




#5459 
mozawa 2005/01/23 22:51
竜馬暗殺の黒幕

つい、首を突っ込みたくなってしまいました・・・。
いろは丸の賠償問題説、私も読んだことがあります。ただ、海援隊bQといってもいい陸奥宗光が、脱藩とはいえ紀州藩出身なんですよね。とすると、紀州藩が暗殺に走るかなあ??という気が私個人的にします。皆様のご意見を聞きたいです。

あと、竜馬の功績ですが、いわゆる「司馬史観」に惑わされて、過大評価されている、との話を聞いたことがあります。新しい資料などは出てこないものでしょうか?時代を経れば、新資料が出てくるのでしょうかね?



#5458 
徹夜城(なんとか今月中には「鳳」第一回をアップしたい管理人) 2005/01/23 22:05
すべての道は竜馬に通ず。

 あと「竜馬は一日にしてならず」ということわざもありますな(笑)。
それにしても幕末ネタ、ことに竜馬暗殺ネタは皆様くいつきがよろしいようで(笑)。まぁ本能寺の変と竜馬暗殺、そして邪馬台国の位置は歴史推理の三大巨頭というところでしょうか…いや、もっと他にもいっぱい謎があるんですけど、「人気度」と言う点ではこの三つが抜きん出ちゃいますね。まぁいずれも新資料でも出てこないと決着のつけようがないでしょうけど。

 昨年の大河ドラマ「新選組!」は竜馬暗殺犯を佐々木只三郎とし、なんとなく薩摩が背後で手を回していたと匂わせる…という形にしてましたね。原田左之介が犯人と疑われた「こなくそ!」という伊予弁を中岡が聞いていた、というのも近藤勇が竜馬を助けようと原田らをさしむけ(ホントは自分で行こうとするんですが、土方に「近藤勇が坂本竜馬を助けちゃマズイだろ」という作者の自己ツッコミのようなセリフを言われて止められた)たが間に合わなかった…という形で「処理」してました。
 状況的に薩摩藩がよく疑われるのですが、先日読み終えた司馬遼太郎「翔ぶが如く」でも中村半次郎=桐野利秋が大政奉還に怒って竜馬を斬りかねない状況はあった、ということは書いてました(同じ土佐の後藤象二郎が実際危なかったらしい)。


>不肖デルタさん
 原田左之介が大陸へ行って馬賊になったた?…というネタは昨年の「新選組!」でもチラリとにおわす程度に織り込まれてましたね。
 西南戦争で熊本城籠城をした谷干城は小説「翔ぶが如く」にも当然重要人物の一人として登場してました。ついでながらこの熊本城には若き日の児玉源太郎もたてこもっており、城の外では乃木希典が軍旗を失う失態を演じていたりして、司馬世界では「坂の上の雲」の「エピソード1」的な位置づけもできたりします。


>Кискаさん
 「太陽」、見たいですねぇ。イッセー尾形の昭和天皇に桃井かおりの皇后だそうで?日本では公開するのだろうか…


>galleryさん
 「乱世編」について手塚治虫本人の前書きで「『COM』が成人向けみたいな変な雑誌になってたのを切り替えて再出発しようとした際に始めたもの」と書いてあたのを見ていて「COM版」があるのかな〜と思っていたのですが、公式サイトで調べてみたら第一回だけ載せてから虫プロ倒産で流れちゃってたんだそうですね。
 確かに言われてみれば「火の鳥」は名作といわれつつ掲載誌が次々つぶれますね〜もともと雑誌連載形態では不可能な作品という見方も出来るんですが。
 「COM」がつぶれたあと「鳳凰編」に仏教思想をみた創価学会が「希望の友(のちコミックトム)」への連載を誘いましたが、手塚さん自身の意向で「ブッダ」になったという話もありましたね。


>鵺さん
 ほほう、こんな人がいたんだなぁ…と「細川潤次郎」の項目、読んでました。「細川頼之補伝」を書いてるようですが、あの細川家とは関係ないですよねぇ?


>太平記コーナーをお読みのみなさま
 すいません、ひとまとめで(^^;)。
 実はアクセス解析は時間分析もできるようになってまして、それで調べるとファミリー劇場での放映時間中、ドドーンとアクセスが跳ね上がるのですな(笑)。もっともせいぜい数十人ぐらいというものですけど…ともかくTVで見ながらあのコーナーを御覧になってる方がいるというのは嬉しいものです。
 昨日放送された第二回では榎木孝明演じる日野俊基が山伏姿で登場。そしていよいよ来週放送の第三回では後醍醐天皇、文観、楠木正季、佐々木道誉とレギュラー陣が怒涛のように初登場、今見返してもワクワクする回となっております。



#5457 
不肖デルタ 2005/01/23 20:57
竜馬&慎太郎・殺人事件?

竜馬を斬ったのは新撰組の原田左之助だ〜と最も世間に触れ
回ったのは土佐藩士の谷 千城らしいですね。現在、竜馬の
殺害に一番近いだろうと言われるのは今井信郎の証言なんですけど
この今井は老いてから何を思ったか、坂本龍馬の殺害の模様を
ほうぼうに演説して回り当時、ちょっとした時の人だったみたいで
これに反発したのが土佐の谷、谷は下手人は原田、黒幕は
新撰組・説を唱え今井に噛みついたそうです。谷は
中岡慎太郎の臨終を看取ったのだし、中岡の最期の言葉の番人
のような気概だったのかもしれません、谷は油小路の襲撃事件
直後に薩摩の中村半次郎と組んで薩摩藩邸に逃げ込んだ御陵衛士の
生き残り数名から事情聴取をしていて、そこで谷、中村は
坂本中岡事件で何か知っている事はないか?と御陵衛士らに
尋ね、近江屋に落ちていた賊の太刀鞘が原田の物だ、という事に
なったらしいですね。
谷 千城という変わった名前のこの土佐の人、私も最近、存在を
知ったんですけど、谷は近藤勇が官軍に拘束された時、最も
処刑を強く訴えた人物のようですね。この谷は、どういう
運命か、西南戦争では、政府軍の熊本鎮台として熊本城に篭もり
薩摩軍の猛攻を凌いだとか、薩摩軍には中村半次郎こと桐野利秋が
いたそうですね。桐野利秋は銃弾を受けて亡くなったそうです。
熊本城からは中折れ式の回転式拳銃が発掘され、西南戦争時の
司令官・谷 千城の護身用だったと言われていますが、この
拳銃は、坂本龍馬が護身用に持っていた拳銃とほぼ同型のものの
ようですね。



#5456 
2005/01/23 08:21


何やら幕末話が・・で思い出しましたけど、明治期に細川潤次郎さんという方が細川頼之の評伝を書いてますけど、前に何気に検索してみたらこの人って幕末土佐に生まれ、勝、ジョン万次郎、高嶋秋帆、吉田東洋と幕末有名人と多少の関わりが有るひとで、面白い発見でした。

http://www.nichibei.tv/tosakko/ryomarelated.htm#_ほそかわじゅんじろう



#5455 
新参右衛門 2005/01/23 07:57
竜馬、怨恨殺害説もありますね

>竜馬、暗殺・諸説
土佐藩は内部抗争が凄まじく同志討ちが多かったし、竜馬の
馴染みの藩士は多く藩の謀略で殺されていて、殺害前後の竜馬は、
近江屋に変名で潜伏してた、結構、本人の出来る限りの用心は
していたように思えます、武知半平太が処刑されてから竜馬は
初対面の四国者が接近してくると、まず警戒した、という話しが
ありますので、近江屋に顔の知らない四国者が訪問してきたら
まず警戒したんじゃないか?そういうところから私は
伊予生まれの原田左之助が刺客集団に選抜されるのは
考えにくいかな、と思ってます。むしろ、薩摩者が訪問しても
竜馬は、そんなに怪しまない気がします。中岡慎太郎などは
薩摩と逐一連絡を取り合っていましたので、むしろ中岡は
所在を把握されていました、薩長同盟は今でこそ坂本龍馬、
1人の手柄のように紹介されていますが、中岡の尽力が
無ければ達成されなかった、という話しらしいですね。
竜馬の功績は殺害後、だいぶん経ってから、竜馬の舎弟の
陸奥宗光が、明治の政界の薩長土佐ものら、あまりに竜馬の
事を完全に忘れてる風潮を憤り、竜馬の復権運動をして
竜馬の諸功績が世間に知られるようになった、とか、です。
陸奥の圧力が無かったら、日本史の教科書に竜馬の事が
載る事は無かったかもしれません。
でして暗殺当世は竜馬より中岡のほうが刺客が首を狙う
価値が高かったような気が〜竜馬は中岡襲撃の巻き添え
だったのじゃないかな?と思うのですが。
今でこそ可能性が低い、と判断されてる説に、怨恨説があります。
いろは号事件とかいう名前で紹介されている、紀州藩の艦と
海援隊の船が海上で衝突して海援隊船が沈没した事。
海難審判で海援隊は勝ち、紀州藩に巨額の賠償金の支払が命じられ
ました、紀州藩は、この関係で、藩の関係者を責任を取らせ
何人か切腹させたという事で、これを恨みに持つ紀州藩士が多く
いたそうで、海援隊と紀州藩士の襲撃の応酬が何度となくあり
紀州藩士が海援隊の長の竜馬をマトに掛けるのは可能性ゼロ
では無い、と当時は思われていたとか。
紀州藩士との衝突を見て思うのは海援隊というのは竜馬じしん
は、もっと違う組織を考えていたのかもしれませんが
血の気の多い者もいて、他の攘夷過激・愚連隊と変わらない
過激行動を海援隊が取った事もあり、竜馬が殺害された直後も
海援隊は新撰組が怪しい、と、壬生を襲撃しようと真剣に
考えていた、という話しもあります、これが実現してたら
それこそ飛んで火にいる夏の虫、壬生狼たちの思う壺か?(笑
とまれ、竜馬殺害事件は、いろんな伏線が予想されて、
やはり日本史で屈指のミステリ−ではないでしょうか?



#5454 
景虎 2005/01/23 03:30
中村半次郎

>ブッチャー3世さん
半次郎の日記というのは、『京在日記 利秋』ですね。
昭和45年に非売品として発行されたため、一部の研究者にしか知られていなかったそうですが、九年ほど前に、『歴史群像』に現代語訳が連載された事があります。
今の『歴史群像』は、軍事雑誌のようになっているので、ほとんど買っていませんが、この頃のやつは結構もっています。『在京日記 利秋』が連載された時のやつは全部もっているので、ちょっと確認してみました。

>赤松小三郎暗殺
これは結構詳しく書いていますね。
引用してみると、「段々と探索に及んだところ、いよいよ佐幕派奸賊であることが明らかになる」とあります。
さらに、「小野、中島、片岡の三氏は、烏丸四条南角にまんじゅう屋があり、ここに待たせておき、田代と僕は赤松の後を追う」と書かれているので、やむなく、ではなく殺すつもりで追跡していますね。
暗殺の瞬間も書かれていて、「赤松は我が前に立ちふさがり、僕が刀を抜いたところ、短筒に手を掛けた。けれども、左の肩より右の腹へ斬り下げ、すぐに倒れるところを、田代氏が後ろよりはらい、一歩余り歩み倒れる。すぐに留めを僕が打つ」。

>11月15日
特に詳しいという訳でもないようです。
短い文章ですし、時刻については、他の日でも書いている場合があります。
例えば、十一月十三日は「ここより夜十時に帰邸する」、十一月七日「備前藩士青木太郎左ェ衛門の所へ行き、四時すぎまでここにいて帰る」など。
問題の十一月十五日は、最後が「夜八時前に帰邸する」で終わっています。

十一月十七日は「右の仕業は壬生浪士と見込み入る」と、竜馬暗殺犯を推測して書いていますし、十七日まで事件を知らなかったようなので、恐らく竜馬暗殺にはかかわっていないんじゃないでしょうか。赤松暗殺をあれだけ詳しく書いておいて、竜馬暗殺は書かないというのも変ですし。



#5453 
gallery 2005/01/23 01:29
『竜馬が逝く』

>坂本龍馬・中岡慎太郎・殺害事件
黒幕=大久保利通、下手人=伊藤甲子太郎 という説もありますな。
今、大騒ぎのNHKの歴史番組(タイトル不明)で、
確か、さいとうたかを氏がこの説紹介してました。
他にも『修羅の刻(川原正敏・月刊マガジン)』がそう。
『お〜い、竜馬(作・武田鉄也、画・小山ゆう ヤングサンデー)』も、
下手人は描いておりませんが、大久保の関与を匂わせてました。
つまり、伊予なまりとか新撰組贔屓の「京都先斗町・瓢亭の焼印入の下駄」などは、
伊藤が新撰組に罪をなすりつけるための…だそうで。
ここまでくると、ちと穿ち過ぎのような気がしますが。
この説、どうも漫画家に人気があるのは、やはり派手だからでしょうかねぇ。

>手塚治虫『火の鳥』 かなり遅いレスで申し訳ありません。
「『火の鳥』の掲載される雑誌は潰れる」…というジンクス(?)ありまして、
事実、黎明編(初期版)で『少年』が潰れ
ギリシア・ローマ編の掲載4年後に『少女クラブ』が潰れ
黎明編〜復活編、羽衣編で『COM』が潰れ
望郷編〜異形編で『マンガ少年』が潰れ
手塚のライフワークでありながら、もはや誰も手を出す雑誌がなくなっていた所、
アチラの世界に興味あった(半分逝っておられた?)角川社長に拾われて、
太陽編を『野性時代』に掲載。(でも、これも潰れましたけどね)
つまり、「乱世編」にCOM版はないですよ…と、それだけなんですが(笑)

http://www.chukai.ne.jp/~gallery/baka-manga.html


#5452 
ブッチャ−3世 2005/01/22 18:52
人斬り半次郎

>坂本龍馬・中岡慎太郎・殺害事件
黒幕=薩摩藩、下手人=人斬り半次郎と御陵衛士の一派という
説も聞きますね、人斬り半次郎とは箱根八里の半次郎では
ありません(笑)中村半次郎です、後に改名し桐野利秋とし
日本陸軍初の少将となった人らしいですね。
「人斬り〜」という物騒な通称を世間より受けていたものの
実際には中村氏は記録にある市中で人を斬った事例は一件
だけで上田藩士・赤松小三郎を斬ったのだそうで、それに
しても赤松氏が斬りかかってきたのでやむなくと記録されて
いるそうです、新撰組の近藤勇が隊士たちに度々
中村半次郎と斬り合ってはいけない〜と言っていたそうで
そういう逸話が膨れ上がった結果なのでしょうね。
聞いた話しでは半次郎の日記というものがあるそうで
その日記の1867年、11月15日の竜馬が殺された日
にも半次郎は日記を書いていて、その日は京都の何処ぞへ
いた、と克明に書かれて、それも何時にどこへ、何時に
どこへ、というくらい、詳しく、むろん午後9時30分ごろ
(竜馬・襲撃の時間帯)近江屋に、などとは書かれて無く
近江屋へは絶対に行けそうもない、といった感じの日記の
記述だそうです、ただ、半次郎のアリバイは証人がいない
自己申告のもので、しかも日記が11月15日だけ
やたらと詳しく書いていたってのも何だかねぇ(笑
竜馬は暗殺の直前、非常に神経質になっていて近江屋にも
変名で滞在していて竜馬の所在を知っていたのは
土佐を脱藩した者とか海援隊関係とか限られていました、
実は中岡の方で所在がばれたのではないか?と思える
ところは、中岡は当日、11月15日の昼に薩摩藩邸に
手紙を出し、自分は今、近江屋にいる〜のような事を
書いたそうで、少なくとも薩摩藩は中岡慎太郎が
近江屋に11月15日は居る事を知っていたようです。



#5451 
田中およよNo2 2005/01/22 15:37


ドラマ、太平記の感想を書くに当たり、大変さんこうにさせていただきました。
リンクフリーということですので、日記に貴殿のアドレスを付け加えさせていただきました。
よかったら、遊びにきてください。

ありがとうございます。

http://plaza.rakuten.co.jp/oyotama05/diary/200501210000/

http://plaza.rakuten.co.jp/oyotama05/


#5450 
Киска 2005/01/22 13:18
ソクーロフの「太陽」、完成

2/8に初試写、その後スーズダリ映画祭とベルリン映画祭に出品されるとのことです。

>中国版「プロジェクトX」
本家の「プロジェクトX」を観ていないので、どうなのでしょう・・・。
NHKの方は妙に「男たち」を強調することで女性を排除しているように感じられて不快だという話をしばしば聞きますが、「CEO」では有能な幹部には女性が多く(頑張れば誰でも登用しますよっていうわけ)、そんなふうには感じませんでした。
単純なサクセス・ストーリーとしては楽しめるのですが、急成長の陰にはきっと環境破壊とか労働災害とか過労死とかいった問題も山積しているのは?それと、彼らは完全に欧米に向いていて、日本は(他のアジア諸国もですが)まるきり眼中にないみたいでした。

>短命なロシア人男性
徹夜城さまが指摘されているように、第二次世界大戦時に若年男性層の多くを失ったことは旧ソ連諸国にとって大打撃だったでしょう。そういう「過去の多死」に加えて、「現在の多死」〜近年においても男性の平均余命が(他の国々とは逆に)縮んでいる〜がより深刻で異常な事態になっているのですね(既に人口が減少していて、下げ止まる気配もない)。
奥野様のおっしゃるとおり、年配の方というと女性の方がよく見かける、というのは、日本もそうだとは言え、ロシアではより顕著に感じられますね。公園で犬猫を抱いてぼおーっとして過ごしているおばあさま方。結構話し好きで猫自慢をされたり。
日本でも自殺率は中高年男性が断然多いのですが、それが世界的に共通の傾向というわけではなくて、例えば中国では女性、特に農村の女性の比率が多いとのこと。自殺率や平均余命の男女差というのは生物的な差だけではなく、やはり何らかの社会的な背景がありそうに思えます。




#5449 
不肖デルタ 2005/01/22 08:48
たびたび、すいません

>阿祥さま
はじめまして、ご紹介ありがとうございます、なかなか
素晴らしい資料ですね、ご厚意を戴こうかと思い、
たびたび、すいませんが、メ−ルアドレスをお教え願えたら。

私が計画してる時代劇マンガは、原田左之助を登場させよう
かと思っているのでして、きっかけは、日清戦争の頃に
或る老人が「俺は元・新撰組の原田左之助だ」と告白して
当時の奇特事件となった、と知った事。彼の告白では
原田は上野彰義隊の戦いで死を偽装し大陸に渡り馬賊に
なり老いて引退し、ほとぼり冷めた日本へ帰ってきた
という、超トンでも説。(笑
原田は坂本龍馬の暗殺の下手人として長い間、疑われて
きました、根拠は現場に落ちていた下手人の物と
思われる鞘を元・新撰組で御陵衛士・伊東甲子太郎が
原田の物と証言した事と、中岡慎太郎は竜馬と一緒に
斬られましたが直ぐ死なず最期の言葉の中で竜馬を
斬った刺客が「こなくそ」という伊予なまりを叫んだ
と言い、これが伊予生まれの原田と符号したからです。
原田への嫌疑が直ぐに晴れなかった理由は、物証の鞘を
原田の物と主張した伊東が竜馬暗殺の程なく新撰組に
襲撃され殺害されてしまったから。この伊東、襲撃では
御陵衛士の生き残りは薩摩藩邸へ逃げ込んでおり、
竜馬暗殺の黒幕は薩摩だという説の根拠の一つのようです。
あと、坂本殺害を知った大久保利通は岩倉具視に宛てた
手紙の中で「竜馬と中岡の暗殺は新撰組の策謀」と
書いており、冷静な大久保が根拠も無く、こんな事を
書くのは不自然だという説。

現在、坂本・中岡の暗殺の真相で一番、有力説は、
1869年に函館戦争で投降した元・京都見廻組の
今井信郎が自分は坂本を襲撃した集団の見張りをした
と証言したもので、京都見廻組が坂本と中岡を拘束
して奉行所で取り調べようとして抵抗されたので
2人は斬られた〜計画的殺害ではない、というもの。
彼の証言では襲撃犯は7名で、

1.佐々木 唯三郎
2.今井 信郎
3.渡辺 吉太郎
4.高橋 安次郎
5.桂 隼之助
6.土肥 仲蔵
7.桜井 大三郎

ただ、渡辺、高橋、桂、桜井の4人は鳥羽・伏見の戦いで戦死、
佐々木と土肥は同戦で負傷、紀州へ逃れ佐々木は戦傷死、
土肥は佐々木の死、直後、自害となっており、今井が官軍に
対し投降して証言した時は7人のうち今井いがいは全員、死んで
いた、という事になっています。
官軍の捕虜の今井を意外な人物が助命嘆願しています、
西郷吉之介で、西郷の嘆願が効いたのか今井は明治3年、禁固刑を
判決されますが恩赦で刑は執行されず今井は娑婆を出ました。
西郷と今井に、どんな関係があったかは不明、当時の情勢として
函館戦争の投降兵士は榎本のような例外を除いては極刑が一般的
だったので、今井が官軍と何らかの取引があったのでは?と
いう説もあるようです。

今井の説と対立したのは、大正4年に元・京都見廻組の
渡辺 篤が「俺は竜馬を斬った男だ」と告白し出した事。
渡辺の主張では、暗殺集団は6人。

1.佐々木 唯三郎
2.渡辺 篤
3.今井 信郎
4.世良 敏郎
他の2名は渡辺も今井も名前を知らない男ら

渡辺 篤は、長い間、原田左之助の所有物と言われた
竜馬殺害現場で落ちていた鞘を 世良 敏郎の物と
主張し、これで、ようやく原田は濡れ衣が晴れたようです。




#5448 
たじま 2005/01/21 13:14
こんにちは。またお邪魔します。

>CS放映にも関わらず結構見てる方はいるようで、アクセスにも明白に効果が現れております。

放送当時、「視聴率が悪い」と評判だったドラマなので、見てる人がそんなにいっぱいいるのかというのは大変嬉しいことです。何せ当時から『もしかして見ているのは私だけなのでは?』と思う程見てる人が少なかったので…。ですので、下の自分の書き込みでは「太平記の事が沢山書いてあって、大変感激いたしました。」なーんて書いてますが、この書き込みでは私の嬉しさを到底あらわしきれておりません。「たのみこむ」で『太平記全話DVDボックス』なんて商品提案をした事もあったな…案の定賛同者はほとんどいなかったです。(遠い目)(というかたのみこむから「サイトのリニューアルをしたので案件を更新して下さい」とメールがあった時もすっかり諦めてて放置しちゃったんですけど。あれは今はどうなったのかな…)

>大河「太平記」は鎌倉幕府滅亡までは見ていたが…という声がけっこうあるんですね。

私も友だちもそんなことを言ってました。私にはその後も変わらず面白いドラマだったのにな〜。(さすがに最後の方は私もわけが分からんと思いながら見てましたけど)

別の人は「第一回だったのでとりあえず見てみたけど、そんなに面白いとは思わなかった」と言ってました。
私のようにその後の話を知っている者からすると、第一回の段階で色々と見所が見つかるんですけど(半裸の巫女さんとか)、そうでもない人にとってはそんな物なんですかね。導入部って。

>小田茜

彼女の、あの年令にしては大人びた顔だちと、かむろの格好と、古めかしい格好なのになぜか化粧だけ現代っぽいというメイクが合ってなくて、ちっとも可愛く見えないのを当時非常に惜しく感じておりました。せっかく美少女の役を美少女がやってるのに嬉しさが少なくてもったいなあ、と。
他の人(男の人とか)はそうは思わなかったんでしょうか。
役的には私も徹夜城さんの言う通り、なかなか効果的な演出だったなと思います。

>第一回と最終回にアクセスが集中してるってところが面白い(笑)。

私は第一回と第三十九回を拝見しましたよ。当時うっかり見逃してむっちゃ悔しかった回なので。よりによってゴクミ戦死の回を見逃すとは…楽しみにしてたのに。それで、『第一回より解説が詳細になってる!』と思いました。確かにこういう仕事は、進めば進む程長くなりがちなのかもしれませんね。長い文章も読み甲斐があるので読む側としては嬉しいです。

私はケーブルテレビはスタートレック目当てに視聴してるので、ファミリー劇場は普段全くノーチェックでした。
今回はたまたまザッピングしてる時に太平記の番宣が目に入ったので放送前に何とか知る事が出来て幸運だったなと思います。
これでもし第一回放送後に知ってたら、今頃暴れてたと思います(笑)
他にもそんな人がいたら可哀想だなと思って、参加してるメーリングリストとかにも流しておいたんですが、反応はイマイチでしたね。やっぱり人気ないのかこの番組…。私には大好評なのになあ。それともスタートレックのメーリングリストだったのが敗因なのだろうか…。

これからも放送があるたびにこちらの解説を拝見して放送を反芻しに来ようと思います。



#5447 
阿祥 2005/01/21 01:36
「風中之葉」

>不肖デルタさま

続けてレスします。
名前書くの忘れていました。阿祥といいます。以降お見知りおきを。

清仏戦争時期の台湾の話についてはいい資料がありますので、御入用ならコピーを送ります。メールで連絡ください。
著者はLambert van der Aalsvoort、オランダの骨董商だそうです。書名は「風中之葉」中国繁体字の書籍です。この著者が集めた台湾に関するさまざまな図版を編集し歴史的な解説を添えて出版したものの中国語版になります。
オランダ人がヨーロッパで集めた図版を中心にしているところから、清仏戦争の記事は非常に豊富です。20ページに渡り図版と文章から説明しています。漫画のための資料としてもいいように思います。

この本ではフランスの基隆占領の動機を、清朝から賠償金を得るためだとしています。そのための手段として最もリスクが少なく、かつ安価な対象として台湾の基隆が選ばれたということです。台湾の占領はそもそも目的ではなかったようです。
当時の基隆の戦略的な重要性は、石炭の採掘基地があったことでしょう。“非情城市”で有名な九イ分の町がその炭鉱のあったところです。
この時期の直前に清とロシアの間に争いがあり、その影響が東シナ海にも波及したため、清朝は4つの砲台を設け沿岸の警備を図ったとあります。
この清仏戦争の時期は1884年から5年で、台湾共和国の成立は10年後の日清戦争後の1895年ですからこの二つの事件には直接的な関係はありませんね。

ところで、明朝末期の海賊たちの行動は、政府の海禁政策により、生活の糧を奪われた海商たちがやむにやまれず行った非合法行為だったと思います。清朝の対外政策は、おおむね外国との貿易を認めており、ことさらに海賊行為に走る必要はなかったんじゃないかと考えていますが、徹夜城さんどうでしょう。



#5446 
不肖デルタ 2005/01/20 18:57
台湾共和国ですか

>台湾共和国 様
えぇとハンドル名が書かれていないので、とりあえず
台湾共和国 様、略して台様と呼ばせていただきます。(笑
返答ありがとうございます、ご指摘の書物は今のところ捕捉
できませんが、台湾共和国なるものが清〜日本台湾総督の
間の空白に存在したとは知りませんでした、勉強になりました。
で、さらに細かくいうと、私が知りたいのは清仏戦争の前後の
台湾です、フランス軍は海戦では清軍を破って台湾を一時的に
占領しているのですが、清仏戦争の終戦協定で撤退しています。
たぶん、ベトナムを保護国化できそうだったから台湾まで欲が
無かったというか、そんな国力がフランスに無かったからだ
とは思いますが、あと反フランス抵抗運動が台湾に
あったのか?それと鄭成功の末裔の海賊達って、この清末の
頃は英仏の近代艦隊で手も足も出なかったのか、あるいは
結構がんばっていたのか?という事を ちょっと知りたかった
のですが。






#5445 
2005/01/20 13:00
台湾共和国

>不肖デルタさま

“台湾が清から日本の占領下になるまでの間の台湾の勢力の空白時期”のことが知りたいとのこと。ぼくの手元の資料をちょっと調べてみました。

王育徳氏の著作に「台湾―苦悶するその歴史」という本があります。その中にその空白期の事を書いた1章があります。大きな図書館には置いてあるんじゃないでしょうか。特筆すべきは、台湾共和国という台湾人民による政府が成立したことでしょう。現在の台湾独立派の歴史的根拠のひとつに、この短命政権のことがあげられることは多いです。

また、日本軍が台湾に乗り込んで来た時に、抵抗よりも日本人との交渉を必要だと感じて、日本軍に協力し、後に台湾議会の議員になった辜顕栄という人物がいます。この人物をキーワードにしてもいくつかの関連記事が出てきました。多くは占領後の話ですけど、丁寧に見ていけば、占領前の時期の記事もあるかもしれません。



#5444 
徹夜城(いまは小説執筆に専念中の管理人) 2005/01/19 22:51
また「太平記」あれこれ

>ごまぞうさん
 僕のところに来た感想メールとかネット上の感想をあたってみると大河「太平記」は鎌倉幕府滅亡までは見ていたが…という声がけっこうあるんですね。建武の新政後は対立軸がややこしくなるせいか、見るのやめちゃった人が多いようです。まして最終盤の観応の擾乱に至っては…もう、知らない人には何が何やらでしょう(笑)。
 ただし僕もそうなんですが南北朝史マニアからすると建武の新政とその崩壊、観応の擾乱の過程はうまくドラマに消化できてるほうだと思ってます。というか作り手の苦労と工夫が忍ばれる…

 白状しますと、僕なんかは長崎高資なんて大河「太平記」で初めて意識しました(笑)。高校では世界史をとったんで日本史はちゃんとやりませんでしたから…あとで小学館「漫画日本の歴史」を読み返してみたらちゃんと高資が出てくるんで「不覚」と思ったもんです。というか、一応小中学生対象なのにこの漫画はレベルが異様に高いんだよな。
 大河ドラマでは高資(西岡徳馬)はサブで父親の円喜(フランキー堺)がメインなんですよね。「私本太平記」でも円喜の存在はそれほど大きくなかったので、ドラマはなぜああしたのかは興味深いところです。むろん、ドラマとしてはこの力関係と配役は大いに成功していたわけですが。幕府滅亡時には円喜が一番最後に腹を切って「トメ」をつとめてましたしねー古典「太平記」だと真っ先に孫に刺されて死んでるんですが(笑)。
 あー、それにしてもあのドラマの鎌倉幕府首脳の面々は凄かった…

 途中からいきなり出てきた小田茜の「顕子」ですが、どうも事務所がプロデューサーに押し込ませた…ってな感が強かったような。セリフも短いのが二つしかない(「顕子の父も」「皆様お先に」)というのも急ごしらえのための苦肉の策だったんじゃないかなぁ…と思ったりもするのですが、確証はありません。ただ、それはそれでうまくドラマにもぐりこませ、高時の心象風景、北条氏の退廃的・耽美的な滅びの様を表現する「小道具」としての利用は成功していたかと。

 監修の永原慶二さんは昨年お亡くなりになってましたね。その直前に網野善彦氏が亡くなり、その追悼文を書いているのを見かけましたが、御本人も後を追うように。大河「太平記」は網野史観の影響も強く感じるところがあるのですが、網野さんに監修たのむって話はなかったのかな〜と放映当時ちょっと思ったりもしました。
 以前雑誌「日本歴史」でドラマ監修に関わった歴史研究者が座談会してるのがありまして、いろいろと興味深い話がありましたね。かく言う僕も昨年例の劇のアドバイザーなんかしておりましたが(^^;)。どっか倭寇ものの映画かドラマでも作りませんかねぇ。

 「花の乱」は貴重な室町ドラマなのでありますが…僕もちっとも見てませんでした。その前の「炎立つ」は見てたんですけどね。「花の乱」は確か一昨年ぐらいに総集編をレンタルビデオで鑑賞しました。総集編ぐらいだと割と面白い…かな?


>奥野さん
 ロシアでお爺さん比率が低いとのお話ですが、戦争世代とぶつかってることも一因ではないでしょうか?第二次大戦期に男性人口がかなり減ったとかいう話も聞きますので…今年で終戦60周年でだいたい80以上の方が該当するような気もするんですが、どうでしょう?

 それとは別にレスが遅れた話など。歴史映画・ドラマにおける弓の話です。
確かに鉄砲に当たる演技より矢で射られる演技の再現の方が難しかったりするんですよね。ドラマでよくあるのが半分折れた矢を自分で体に立てて「うっ!」とか言ってるショット(笑)。大河「太平記」でも乱発されてまして、「なんでみんな矢を握ってるんだ!」と分かっていつつツッコミを入れてしまうぐらいです。この頃から飛ぶ矢の雨なんかはCG処理することも始まっていたみたいです。
 黒澤明監督の名作「七人の侍」では騎馬武者が弓で騎射し、その矢が飛んで俳優に命中し突き立つ、というワンショットがあります。これは黒澤監督がなんとしてもワンショットで取れ、と命じて小道具係が苦労の末に実現したシーンで…えーと、説明が難しいんですよね(^^;)。テグスの糸を張ってそこを矢が通るようにして小道具係がタイミングよく引っ張って服の下に板を仕込んだ俳優のところへ飛ばす…んだったかな。
 同じ黒澤監督の「蜘蛛巣城」なんかはクライマックスで三船敏郎の周囲めがけて弓の名手にホントにたくさんの矢を射させてますからねぇ…(汗)。最後にグサッと首に刺さる「特撮」は語り草ですが三船敏郎自身はインタビューで「あーぶない、あぶない」と言っていたそうで(笑)。



#5443 
パパゲーノ川崎 2005/01/19 19:43
ナチス時代の映画

珊様>
レス有難うございます。
なるほど、戦場のピアニストですか。話題作でしたが観てませんでしたね。
行進のシーンが出てくるといいのですが、、、

チェツクしてみます。



#5440 
ごまぞう 2005/01/19 16:12
太平記の再放送か

でも我が家は見られない (T_T)ミタイヨ〜
当時は鎌倉幕府滅亡までは見ていたが、それ以降は。。
今いろいろなデータを拝見すると、永原慶二さんや鈴木敬三さんが手がけていたんですね!
顕子=小田茜 よーーく覚えています!
第2のゴクミとして事務所が相当気合い入れて売り出していましたね〜
その後、予定通りブレーク。でも今は???
劇中では「ちょっと足りなそうな」役でしたよね(ニガ笑)

あと教科書的には長崎高資の方が内管領として有名なのに、
なぜか父の赤かぶ検事の方が目立っているんですよね(笑)

自分的には「花の乱」全話がみたい。DVD化しないかな・・・
大河ドラマでまともに見たの政宗くらいだもんな〜。。

http://fehd.view21.net/~junhe/index.htm


#5439 
不肖デルタ 2005/01/19 12:29
台湾19世紀末

今、ちょっと19世紀末の設定の時代劇漫画を創作しようと
思い、舞台がアジア南洋でして、ちょっと台湾の近代史を
調べているのですが、ネットでは全然ありませんねぇ。
中国は、台湾を領土だと主張している割には、台湾史は
中国史には、殆ど載ってませんねぇ、せいぜい、あるのは
鄭成功と清仏戦争の からみがある程度で。
私が、ちょっと調べたいのは、台湾が清から日本の占領下に
なるまでの間の台湾の勢力の空白時期のことなんですけど。



#5438 
奥野 2005/01/19 06:09
ロシアの過去と現在

阪神大震災から10年。本当に早いものだと思います。当時の僕は京都に住んでいて、あの大きな揺れで目を覚ましました。直後につけたテレビのニュースでは、神戸の方の情報は全く入っておらず、却って「京都の近くが震源なのかなあ」と思ったことを憶えています。住んでいたのは古いアパートで、もしも本当に京都の辺りが震源だったらひとたまりもなく、今頃は生きてはおられなかったかもしれません。木造の家屋ばかりだったから、火の回りも速かっただろうし。

>電気羊様

現代の中国に関するご指摘、ロシアにもよくあてはまると思いました。表面的な発展と一部の層の富裕化に対し、自分が「切り捨てられた」と感じている人は本当にたくさんいます。で、そういう人々のやり切れない感情が、ソ連時代へのノスタルジーにつながっていくと。もちろん、彼らの記憶の中での過去は著しく美化されていて、到底「客観的な」歴史観とは言えないものですが、これしか心のよりどころがない人がたくさんいることも事実だと思います。
一方、政権の側もソ連時代の記憶を全て排除しているわけではなく、例えば「戦勝」とか「文化・科学での達成」とか、愛国心を掻き立てるアイテムはどんどん利用しようとしています(今年は戦勝60周年を盛大に祝う由)。これらもまた、ロシア人の歴史意識に大きな影響を与えていることでしょう。
「過去」を見る目が「現代」の情勢に大きく影響される、なんてのは常識でしょうが、ロシアを見ていると本当にそう思います。少なくともしばらくの間は、いろんな勢力の間で歴史認識の綱引きが激しくなりそうな雲行き。こういう時、真面目に研究している人は辛いんだろうなとも思います。

>景虎様、Киска様

実際、モスクワを歩いていると、お爺さんよりもお婆さんを見かけることの方がはるかに多いですね。平均年齢云々のデータを知らずとも、かなりの程度まで男女の格差を実感できます。Кискаさんが書かれている通り、女性がストレスを感じないわけはないだろうし、職場での仕事と家事労働の両方を強いられるから男性より大変…という話も聞きます。どうしてここまでの差になるのか、は確かに不思議なことだと思います。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/6218/


#5437 
徹夜城(やっと「ハウル」を見てきた管理人) 2005/01/18 22:27
「太平記」効果

やっぱり「太平記」効果ですねぇ…CS放映にも関わらず結構見てる方はいるようで、アクセスにも明白に効果が現れております。ここ数日「太平記大全」がらみは盛況でして、第一回と最終回にアクセスが集中してるってところが面白い(笑)。

>たじまさん
 はじめまして〜「太平記」関係のコーナー、楽しんでいただければ幸いです。
 僕もこの数日自分で読み返していたんですが、「あれ、こんなこと書いてたっけ」という発見があって我ながら面白いです(笑)。回が進むにつれ長文化していく傾向があり、第一回から第五回(あれの執筆当時は五回ずつ更新していました)は特に文章が簡潔でドラマの描写をなるべく簡単に済まそうとしてますね。
 セリフも全部入れるわけにもいかず、あれこれ選択しながらやってたのを思い出します…

>鵺さん
 おお、ご覧になってるんですね。
 90年代風味…なにしろオープニングが「ベルリンの壁崩壊」ですからねぇ。南北朝の激動と現代の激動を重ね合わせて「南北朝」になじみの薄い視聴者に入りやすくしようという狙いだったんでしょうね。それにしても「まだ10年早い」と言ったという作家って誰なんだろ…
 確かに大河ドラマって序盤でロケをバンバンやって、終盤はシーン使いまわしやスタジオ撮影が多くなりダイナミックさに欠けてくるという傾向があるのですよね。特に「太平記」は最終盤まで合戦の連続なのでやたらに使いまわしが多く、「観応の擾乱」の直義軍の中になぜか新田の旗があったり、といったシーンもあります。さらには次回作「信長」から拝借してきたとしか思えないカットもあるんですよね。
 なお、上半身裸の巫女さんは「鎌倉炎上」の回でもバッチリ見られます。お見逃し無(笑)。


>ひでさん
 危ないとは噂されてましたが、趙紫陽(おお、一発変換するんだ!)さん亡くなりましたねぇ…なかなか書けないんですけど「史点」ネタにするつもりでいます。天安門事件は平成元年でもあり、ベルリンの壁は崩壊し、手塚治虫と田河水泡は亡くなり…ととにかく世界史的な年でありました。
 阪神大震災から10年、ということは今年3月は地下鉄サリン事件から10年ということにもなります。もう10年経ったか…と思わされるばかり。



#5435 
2005/01/18 20:54
お久しぶりで御座います・・・

えー、お久しぶりで御座います。 以前、「エフタル人とは何ぞや?」と、浅ましくも皆様に聞いてしまった若輩者です。
其の節では、皆様のご深長なアドバイスにより、とても良い資料を頂けました。
有難う御座いました。
また、何かと皆様にとって稚拙ともいえる質問をしてしまうかもしれませんが、その時はまた宜しくお願い致します。
 それでわ・・・。 

>パパゲーノ川崎さま
  ナチス時代を題材にしている映画・・・・・・例えば「キャバレー」とかはどうでしょうか?音楽と同時にそちらの事もあるのではないでしょうか?あとは「意志の勝利」という監督を呪った映画もありますし、最近(?)のでは「戦場のピアニスト」・・・とかも有ります。 
大した情報ではありませんが・・・  



#5434 
たじま 2005/01/18 01:12
はじめまして

こんにちは。太平記で検索してやってきました。
昔放映してたNHKの大河ドラマが大好きでたまらなかったため、最近になって総集編DVDを買ってみたりしていたのですが、それのパッケージも開けないうちにファミリー劇場で放送されるのを知り、嬉しいけど買ったDVDが無駄になってしまって悲しいやら。でもこの番組のためにわざわざHDDレコーダーまで買ってしまいました。

こちらのサイトには初めて伺ったのですが、太平記の事が沢山書いてあって、大変感激いたしました。ブックマークしましたのでこれからもたびたび伺おうと思います。よろしくお願いします。

http://www.tajimashowroom.com/


#5433 
ひで 2005/01/17 22:37
時がたつのは早いもので・・。

本日1月17日は阪神大震災から10年になります。そんな日に1980年代に中国で経済の改革開放路線を進めながら、1989年の天安門事件で失脚した趙紫陽が死去したというニュースが入ってきました。一週間前にもそういう報道が一部ででて、そのときは否定されたようですが、今回は新華社通信も伝えているとのことで今回の死去報道は本当のことだろうと思います。阪神大震災から10年、天安門事件から15年以上、時がたつ中で変わったものは色々とあります。神戸の町並みは震災の傷跡からだいぶ復興したように見えますし、メディアを通じて伝わってくる中国社会の様子も大きく変わってきているようです。一方で神戸の町並みが戻っても物質的・精神的に生活が元に戻らない人が多数いたり、中国におけるここのところの経済発展の一方で社会の格差の拡大、政治の腐敗などの問題が目立つなど、年月がたつ間に様々な問題も生じていることも明らかになっています。果たしてこれから先に何が変わり、何が変わらないのか・・・。

それと全く関係ないのですが、「中国の歴史」第4巻が発売されており、それを購入してきました。いしいひさいちの4コマ漫画は諸葛孔明の「三顧の礼」がネタになっていました。本編よりそっちをみているというのもなんか本末転倒ではありますが。



http://pezetairoi.hp.infoseek.co.jp/


#5432 
パパゲーノ川崎 2005/01/17 20:49
最近の大疑問

やはりここに書くべきなんでしょうか。
某音楽の先生が言われていたのですが、
”ナチスの軍隊は6拍子で行進しているのです。”とのこと。
1,2,3,4,5,6の2と5で足を高く振り上げているのだ
そうです。うーん、映像資料を見てないのでなんとも。
ちなみに、1は左足とのこと。やってみよう。^^

何か参考になるものは、映画とか、無いでしょうか?



#5431 
2005/01/17 17:04
生誕700周年記念番組?

第一回、萩原義貞、及び半裸の巫女さん見ました(笑)。確かに尊氏誕生の妙に呪術的な描写は奇異ですよね。池端さんも「聖徳太子」でも古代の呪術描写を冒頭でやってましたし、あっちも緒方拳が関わりますね。14年前との事ですが、鎌倉時代後期から南北朝時代のお話でありながら、なんとなく90年代的な雰囲気が漂うような。「義経」もそうですが、大河の前半ってちょっとしたシーンでもロケしてたりして豪華なんだけど、主人公青春編で史実再現シーンは少ないのが悲しい、後半は予算欠乏で尻すぼみになる傾向が強いですしね。




#5430 
徹夜城(大長編小説をようやく読み終えた管理人) 2005/01/17 00:27
「翔ぶが如く」読み終えて。

 いやホント、終盤に来たら「翔ぶが如く」、要するに飛ばし飛ばし(笑)で読み終えてしまいました。全十巻、いやはや長い長い。
 要するに西南戦争の話なんですけど、大河ドラマでは見事にカットされた台湾出兵やその事後処理で大久保利通が清に乗り込んでの交渉にもかなりページが割かれてますし、そのほか明治6年ごろから10年までに起こる事件が予想以上にあれこれとぶち込まれておりました。新聞連載(毎日新聞)だったこともあるんでしょうが、歴史論評部分で繰り返しが多くくどい、という点は文庫版の解説にも書かれてしまっております。

 まとめてしまうとメインキャラは西郷、大久保、そして意外に川路利良ということになるようで。川路のフランス留学から話が始まり(列車の中でウ×コしたりするんですよね、これが)、最後は川路の死で締めくくられ、実はしっかり主人公していたりしました。
 それと味付けといったところかもしれませんが自由民権運動の先駆者・宮崎八郎。中江兆民を「しりとり」コーナーで取り上げた際に出てきたので知ってはいましたが、なかなかハチャメチャなキャラで面白かった(ま、師匠の兆民のほうがハチャメチャかもしれませんが)。生まれるのが遅れた幕末志士、って感じですな。この弟が宮崎滔天で孫文と一緒に革命野郎になったりするわけで、かなり熱血一家であったみたい。

 で、大河ドラマではこの宮崎八郎はなぜか「矢崎八郎太」と名を変えられた事実上フィクションキャラになっておりました。これがなぜだったのか事情は知りませんが、確かドラマではこの八郎太の恋人が「千絵」で、八郎太の子を身ごもるラストだったはず。で、ややこしいことに小説「翔ぶが如く」ではこの「千絵」が登場し前半では思わせぶりに出番が多いものの(八郎や桐野利秋と会う)、どうも中盤で作者が存在を忘れてしまったらしく(笑)、西南戦争が勃発すると全く出てこなくなってしまいます。もしかするとドラマのあの展開は司馬遼太郎が当初考えてた筋書きなのかなぁ…?
 なお宮崎八郎の恋人で戦場までついてきてしまい、八郎の戦死を知って発狂してしまった「お浪」という女性は実在したみたいですね。先日見た「田原坂」でもしっかり出てきてましたが、どのみち「伝説」に近い存在みたいで。


>Кискаさん
 その「CEO」という映画、噂だけは聞いていたんですが、どうも「プロジェクトX・中国版」ってことになるんでしょうか(笑)。それも今現在進行中の話をやるような感じで、ってあたりが過去の栄光をほじくり返している感のある日本のそれと対照的なのかも。
 連想した笑い話を一つ。そのむかし中国から日本企業の工場を視察に来た中国の人たちが日本の工場に掲げられていたあるスローガンを見てビックリ仰天、「さすがは」と感心して帰ったと言います。そのスローガンとは「油断一秒、怪我一生」。中国語で読み解きますと「油を一秒でも断ったら、我を一生責めよ(怪しめ)」という具合になるのですな(笑)。
 これ、以前ある中国史研究者から聞かされた小噺で、他にも「御婦人用便所」を見てビックリ、というネタもありました(こっちは各自考えてね)。


>日本の騎馬武者
 モンゴル歴史映画なんか見てますと、騎馬戦をやるにはああいう小型な馬のほうが向いてるんじゃない?って気がします。「マンドハイ」の一騎打ちシーンもかなり躍動的でしたし、「チンギスハーン」では走りながらの馬の乗り換え、そして振り返りざまの騎射を見事に見せてくれます。さすがモンゴル人、エキストラもスタントが物凄く上手い。
 大河「太平記」で真田尊氏と根津義貞が京都に見立てたオープンセットでスタントなしで一騎打ちをする名(迷?)場面がありましたが、サラブレッドで一騎打ちするのは無理だ、とかえって思わされたシーンでした。



#5429 
電気羊 2005/01/16 22:11
アイシン・グルン 金国など

>ブッチャ−3世さま
たしかに、後金(清)はその国名のとおり、金を自らのルーツとして位置づけています。
しかし、これは女真(満洲)族を糾合するスローガン的な面が強いですね。

最近の言語学的研究によれば、金の母体「生女真」の末裔は明代の海西女真で、言語も基本的に金代女真語と同一方言とされています。
これに対し、清(後金)の母体となった建州女真の言語(後の満洲語)は、語彙や発音の面で海西女真や金代女真語と異なる点が多く、しかもそれは時代による変化ではなく、方言系統による差異であることがあきらかになっています。
したがって、清(後金)は、同じ女真族ではありますが、別の部族であって、金の直系とは言えないようです。

>中西様
風雨に左右されず確実に発砲できる金属薬莢式施条銃、否、全自動火器が普及するまで、天候・戦術(含人海戦術)によっては、弓箭側にもまだ勝ち目はあったと思います。

そうですね、火器が騎射や騎兵突撃に対し、完全に優位に立ったのは19世紀後半以後で、、南北戦争・第一次世界大戦、はなはだしい例では第二次大戦でも騎兵突撃が行われていますね(ドイツ機甲師団へのポーランド騎兵の突撃など)。

サルフの戦いの朝鮮軍の戦闘経過ですが、後金側の史料『満文老档』にもほぼ同様の記述が見られますね。
あと、風についてですが、この戦いが行われた春先の満洲では、よく突風や黄砂が吹き荒れ、ひどいときには50メートル先の視界もないほどです。
例えば、日露戦争の奉天会戦でもこの突風によって、両軍の火砲の威力が大きく減殺されています(奉天南部、渾河方面のロシア軍部隊が突風で目潰しを食らい、その結果黒木第1軍は渡河に成功。逆に乃木第3軍は、退却するロシア軍に効果的な砲撃が加えられず)
サルフ戦当時の火器の水準ではなおさらでしょう。
この戦い以外でも、清(後金)はしばしばこの突風に助けられていますね。



#5428 
ブッチャ−3世 2005/01/16 18:46
多弾頭と多連装を間違ってました。

>中西さま
そうです、私が書こうとしたのは多連装のほうでした、
多弾頭つうのは、成形弾頭で発射時は一つの弾頭が標的に
命中する前に空中で散って多くの弾頭になって破壊範囲を
広げる武器でしたね。
長篠の合戦の謎は多連装の銃を使ったという形跡は全くない
のでしょうか?三段撃ちが無かったようなので。
一向一揆側の武器で、大筒型で敵陣の頭上に向け発射し
空中で拡散し散弾を広範囲に降らせる弾頭があったとかいう
のは聞いた事があります。
家康は結構、大砲好きで、大坂の陣で攻城に大きな大砲を
使って天守に損害を与えたのは臼砲〜硬めの弾頭みたいですね。



#5427 
中西豪(恒例の両舷推進器故障で速力半減の鎮西大将軍) 2005/01/16 15:30
源平合戦その他もろもろ

治承寿永内乱期の戦略・戦術・戦技等々についての近年の学界研究成果は、

1.川合康『源平合戦の虚像を剥ぐ』(講談社選書メチエ72)
2.近藤好和『弓矢と刀剣』(吉川弘文館歴史ライブラリー20)
3.近藤好和『騎兵と歩兵の中世史』(吉川弘文館歴史ライブラリー184)

あたりで、まず把握できると思われます。
保元の乱での鎮西八郎為朝の「騎射」戦について、1の所説を2が批判的に考証した議論に、

4.藤本正行『鎧をまとう人びと』(吉川弘文館)

でも一章を割いて参加していたような記憶、これはうろおぼえですが。

>義経のジンギスカン戦法
「多くの乗り換え馬を用意して、戦略機動を行ったのは、日本戦史上義経だけ」って称揚したのは司馬遼太郎でしたっけ? 情報量が少ない頃の、非常に効き目のあったハッタリ、という気がします。

>武蔵坊弁慶実在説
『吾妻鏡』の文治5年11月3日・9日条に義経郎党としてその名が見えているそうですが、『吾妻鏡』とて所詮は編纂史料、この記事も、後世判官贔屓から軍記物の情報が紛れ込んでしまっただけ、という批判も根強いようです。

>火器対弓箭
サルフの戦いに参戦した朝鮮軍、一矢一石も発することなく、明からつけられた軍監を谷底に突き落とし、事前の計画通り全軍後金に降伏した……と中公文庫『世界の歴史』には書かれていた(同時に参戦した南方少数民族部隊が玉砕したことの引き合いに)ものですが、最近の版では訂正されているのでしょうか(苦笑)。
左右中軍の3梯団で進撃する朝鮮軍15000(内、砲手〈火縄銃手〉5000)は、明軍と連携がとれずに左右軍を各個撃破され、進退窮まった中軍は後金側と交渉を重ねた末に降伏します(降伏は既定の方針との説には、私は反対です)。
このとき、奇襲を免れて一応抗戦できた一軍は、戚家軍譲りの火力戦術で後金軍の突撃を何度か撃退しますが、突然捲き起こった、火皿の点火薬も吹き飛ばしてしまうような向かい風によって発砲できなくなり、反面、後金軍は追い風を受けて矢を乱発、一気に朝鮮軍を蹂躙してしまいます(その朝鮮軍指揮官金応河〈だったか?〉の顕彰本『忠烈録』の記述に従う)。
追い風を受けた弓箭が非常な威力を発揮する、といった描写は軍記物でもよく見ます。平将門の最期も、まさにそれでしたね。
風雨に左右されず確実に発砲できる金属薬莢式施条銃、否、全自動火器が普及するまで、天候・戦術(含人海戦術)によっては、弓箭側にもまだ勝ち目はあったと思います。

>多弾頭(多連装?)
金の海陵王の南征を南宋が阻んだ采石の戦い(1161年)で南宋軍が使用した火器は「紙砲」であるという記録があり、これはそのまんま爆竹みたいなものだったようです。
金がモンゴル軍の侵入に対して長城線での防戦に「震天雷」を用いたとあり、「磁砲」という記述もあるので、これは陶磁器に火薬を封入した爆弾を投擲したものでしょう。
いわゆる「元寇」の「てつはう(鉄砲)」は、その字面・『蒙古襲来絵詞』の描写から鉄製弾殻であろう、で、あるなら原始的な臼砲から火薬(装薬)の爆発力で発射していたかもしれない、と思っていましたが、先年、鷹島沖から引き上げられたものは、陶製弾殻であったようです。発見時にここに書き込みましたね。黒い釉薬をかけた外見が「鉄」を思わせ「てつはう」の呼称が定着したのではないでしょうか。
自走式火箭(火薬ロケットの推進力で飛んでいく矢)の出現は、13世紀を遡らないようです。1044年成立の『武経総要』に「突火槍」など、火薬を封入した筒を付けた武器が出てきますが、これは火花を前方に噴出させる、一種の火炎放射器のようなものであったようです。
現代でも無誘導型ロケット弾は命中精度が悪く、とにかく短時間に大量に発射して面制圧を狙おうとするものであるわけで、それは発明当時から考えられていて、明代の『武備志』にも、大小各種の「多連装ロケットランチャー」の挿図と解説が載っています。朝鮮史者としては、壬辰戦争の幸州山城の攻防戦で、朝鮮軍が大八車のような台車に128連装(だったか?)ロケットランチャーを搭載(火箭車)して使用したとされることが忘れられません。

>日本在来馬での騎射の安定性
厳密には馬上停止状態で射るのが「騎射」、馬を走らせて射るのを「馳射」というらしいです。
和式馬術は馬を側対歩、同じ側の前後肢を同時に出す走らせ方をします。これは縦揺れが少ないもので、「馳射」にはかえって好都合でしょう。モンゴル馬術もそうですね。



#5426 
Киска 2005/01/16 15:19
レトロスペクチヴァ・クラシコフ

1/25からアテネ・フランセで「特集 ロシア・ソビエト映画クラッシックス」があります。上映される作品のリストを眺めると(概ね地味な佳作が選ばれていると思う)、「昔のソ連映画はよかったなあ」という気がしてしまうのも事実。旧ソ連映画は皆よかった、今のロシアは駄目になった、というよりも、かつて日本で紹介された作品は国外に出しても恥ずかしくないようなよいものが選ばれていたということが大きいのでしょう。日本での公開本数が格段に増えたことで玉石混交になったと感じるのは、中国や韓国の映画も同じなので。

>ケ小平生誕100周年
先週、映画「CEO〜最高経営責任者」を観ました。中国初の国際ブランド、ハイアール社がおんぼろ冷蔵庫工場から急成長していくドラマ。ハイアール社のCEOが超人的に仕事に精を出し、部下達にも「とにかく働け!!」と命じ、顧客の無理そうな注文にも即座に対応し、根性主義で業績を伸ばしていく、そういうお話。ストーリーはかなり単純で、ラストで「私は中国人、中国人は偉い!」と朗々と歌い上げるのには参ってしまうけれど、正直言って「恰好いい」です。主人公がケ小平の演説を聞いて感動し、部下達にも教訓を垂れるシーンがあり、これもケ小平礼讃キャンペーンの一環だったのか。映画館のロビーに展示されていたハイアール製冷蔵庫がとってもおしゃれなのには心底驚きました。

>○○時代を懐かしむ
「昔はよかった」とは、イラン人からもよく聞かされる言葉です。「昔」って、イスラーム革命前のパーレビの頃のこと。そんな、子どもだったり、まだ生まれていなかったりして、記憶には殆どないでしょうに、彼らは結構本気なのですね。私だって「今となっては小泉さんより○○さんの方がまだましだった」と思うことはよくあるけれど。

>ロシア人男性の寿命
昨年10/2付毎日新聞の記事によれば、自殺率上位10カ国には1位リトアニア、2位ロシアを筆頭に旧ソ連圏が6位までを独占・・・旧ソ連圏以外の国はハンガリー、スロヴェニア、日本のみ。
ロシア・リトアニアいずれも男性の自殺者は女性の約6倍!飲酒は極めて深刻な問題となっているようです。ソ連崩壊後の社会混乱によるストレス増大でアルコールにおぼれる男性が自殺や殺人に走る結果、厭世観を更に募らせる悪循環をもたらしているという人口学者の指摘も。
でも、この男女間の落差(平均寿命が13歳も違う)は何?「ソ連崩壊後の社会混乱によるストレス」は女性だって受けているでしょうが。




#5425 
景虎 2005/01/16 02:19
大ロシアン

>奥野さん
NHKの番組で、ロシア人男性の平均寿命が短くなっているという話をしていました。
ソ連崩壊くらいからそういう傾向があるそうですが、原因としては、失業問題が大きいとか。経済発展していても、失業者達が生きがいを失ったこと、それにより飲酒が増えた事などが指摘されていました。

>弁慶
そういえば、私の母方の先祖は、熊野別当田辺湛増だという話を聞いたことがあります。弁慶は湛増の子という説があるようですが、本当に湛増の子なのか?それ以前に、うちの母方の先祖は本当に湛増なのか?何となく眉唾な話ではあります(笑)
ただ、母方の本家は備前児島で、近所に新熊野があり、承久の乱の時に、上皇方の皇族が流されてきたりしているので、上皇方について滅亡した湛増が、児島で帰農したというのは、あり得ることかもしれませんね。



#5424 
貧乏神 2005/01/16 00:11
弁慶がな、ぎなたを持って…

義経が成功したのは戦術能力云々よりも、都育ちで、摂津源氏あたりにコネを
つけやすかったから、とかいう話もありますが、じゃあ同母兄二人がイマイチ
っぽいのは何なんだ、というのもちょっと気になりますね。

番組的には、影の薄いキャラが気になる私としては、小松重盛と三位頼政が気
になります。重盛は初回登場してましたが、やはり泣きたくなるほどの影の
薄さでした。
あと、どうしても昔の水曜ドラマ「武蔵坊弁慶」と比較してしまう…

>騎射
現在の神事などで行われる流鏑馬ではサラブレッドが使われるようですが、
当時の馬って、かついで歩けるくらい…かどうかは知りませんが、かなり小型
の日本在来種ですよね。かなり安定性が悪そうで、弓を射るのは相当大変
だったんじゃないかと思いますが、どうなんでしょうね。




#5423 
徹夜城(「太平記」マニアの管理人) 2005/01/15 23:19
大河「太平記」放送!

実に14年ぶりということですか。もうそんなに時間が経ったんだなぁ…
「ファミリー劇場」において本日の18:00から大河ドラマ「太平記」の第一回が放映されたようですが、ここにおいでの方でどれほど見てらっしゃいますかね?
今日の18時台から19時台は「太平記大全」のページアクセスがまさに急増しておりました。どうもあれをお読みになりながらご覧になった方も何十人かはいそうですね。

僕自身は放映当時のVTRを持っているということもあり(画質は劣悪ですが)わざわざ加入してまで見る気はなかったのでこのファミリー劇場の再放送は見てなかったのですが、自作DVDで第一回から第四回あたりを飛ばし飛ばし見ておりました。
「太平記」の第一回はいきなり冒頭に「霜月騒動」の合戦シーンがあり、さらに足利館での合戦シーンが続き、子役達一同と大地康雄の一色右馬介初登場の騎馬ロケシーン、そして真田高氏が鶴太郎高時に辱められる闘犬シーンと、まさに見所満載の内容ですね。1時間15分ありますが、とにかく密度が濃い。総集編しか見ていない方には萩原健一の演じる独特の凄みある新田義貞が見られるだけでも大変貴重な回です。
 ネットで調べたところでは番組最後の紀行コーナー「太平記のふるさと」はカットされてたみたいですね。



#5422 
ブッチャ−3世 2005/01/15 09:10
多弾頭戦術

>電気羊さま
清は前身の国名を「後金」と名乗ってましたよね。
だからといって後金が、かつて宋を脅かした東北部の
強国・金の末裔かは知らないのですが、金は宋を攻めた
ときに多弾頭一斉発射式のロケット弾を戦術に使用した
という逸話を聞いた事があります、もっとも火薬が
発明されて間もない時代なので、たぶん、ロケット花火が
一斉に発射される程度の仕掛けだったんじゃ
ないかなとは思います。元寇で日本の攻撃に使われた
火薬兵器は手榴弾ではないか?と言われてますが、
もし金を征した元が金の多弾頭ロケットを日本戦で使って
いたら、もっと日本は損害が多かったかもしれませんね。
もっともロケット花火を敵の建造物の火災破壊で使う場合は
それと同じ効用が大昔からあった火矢にありましたので、
金の多弾頭ロケットは、その後、すたれたのかもしれません。
ランボ−2で爆薬入り弾頭の矢を弓で発射してましたが、
これ案外、侮れない武器ですね、どこかの軍隊で使ってそう(笑




#5421 
電気羊 2005/01/15 01:45
胡服騎射

>不肖δ様
たしかに、騎兵(騎射)は、現代の戦車や火砲と同じで、当たらない矢も無駄弾ではありません。
例えば、清のヌルハチが明を破ったサルフの戦いでも、八旗兵は、火器(火縄銃、銅砲など)に勝る明・朝鮮軍に対し、次弾装填のひまを与えず、恐慌状態に陥れています。特に朝鮮側の記録には「夕陽下にただ矢を射ること雨のごとく、鉄馬の進退するを見るのみであり、恍惚としてなんと形容してよいかわからなかった」(李民&#23503;『建州聞見録』)と、ただただ呆然とした様子がしるされています。
スピードのある騎兵に、矢玉を雨あられと浴びせかけられれば、兵士たちの心に「次は自分に当たるかも」という恐怖感が芽生えて当然でしょう。

>奥野様
ソ連時代を懐かしむ人は決して少なくない。
そうですね。うちの大学にも多くのロシア人および旧ソ連諸国からの留学生がいますが、その多くがソ連を懐かしんでいますね。
知り合いのある学生などは熱烈なスターリンファンで、肖像画入りのシャツを着て歩いていました。

それで思い出しましたが、最近の中国(瀋陽)でも、毛沢東時代を懐かしむ声をよく聞きます。
政府・共産党は、昨年のケ小平生誕100周年にあたり、ケ小平礼賛一大キャンペーンを張っていましたが、40代以上の「文革世代」ですらいまだに毛沢東を支持するひとが多いですね。
彼らもまた、異口同音に「貧富の差がなかった、福祉と教育が平等に保障され、政治や社会もいまよりはるかに清潔、みんなが理想に燃えていた」という類の話をします。
現在の中国は、表面上は順調に発展しているように見えながらも、貧富の差や腐敗問題、失業などあちこちで社会的な矛盾が噴出している状態ですから、そういう声が出てくるのも無理がないのかもしれないですね。



#5420 
不肖δ 2005/01/14 18:08
騎射ですか?

>騎射
それでしたら私の住むところの近くのある町で、神社に奉納の関係で
毎年、流鏑馬を披露していますね、こういう祭りは日本各地でまだ
やってますねぇ。むろん止まってる物体を標的に、してやってます
から、それを見ても、実際、合戦における武者を狙って
駆けてきて矢を射るのを実感できるわけでは無いのですが、
こういう戦闘は矢が例え命中しなくても騎射をされた側って心理的に
圧迫されるんでは無いでしょうか?とくに不意に騎馬で襲撃され矢を
発射され射手は騎馬で去っていく〜なかなかヒットエンドランって
結構な戦術ではないですかね。



#5419 
奥野 2005/01/14 16:14
弓矢の道

源平時代の合戦を映像化するんだったら、騎射というものを是非見てみたいですね。軍記物には華々しく描写されているらしいのですが、いま一つ具体的にイメージし辛い戦闘スタイルなので。もちろん、これを再現するのは技術的に難しいのだろうとは思います。
そういえば以前、テレビで歴史ドラマを見ていて感じたのですが、鉄砲隊をメインにした戦国の合戦の方が源平時代よりも簡単に再現できるような気がしました。撃たれた側は倒れるだけでOKですから。しかし弓矢となると、射る側も矢に当たる側もそれなりの演技が必要だし、飛んでいく矢を映す必要があります(鉄砲玉は再現が不要)。そう考えると、源平合戦の映像化にはいろんな制約があるのでしょう。
映画「ジャンヌ・ダルク」などを見ると、風をきって飛んでいく矢音は恐ろしい印象を与えるもので、この辺りに力を入れたら迫力ある戦闘シーンができそうなんですけどね。やっぱり予算の関係で難しいのかな。

>徹夜城様

スターリン生誕125年に関しては、もちろん公式な行事が行われたわけではありませんが、左派勢力がクレムリン壁の脇にあるスターリン廟に花を捧げるという話は聞きました。一般人もこれに参加したのかもしれません。前にも書いたように、ソ連時代を懐かしむ人は決して少なくないし、お年寄りだとはっきり「スターリン時代の方がよかった」と言う人もいます。もちろん、当時の記憶が聖化されている部分はあるのでしょう。それだけ、ソ連崩壊後の変化による打撃が大きかったということで。今のロシアでは貧富の差が開く一方で、社会的な弱者は万事につけ切り捨てられるような方向に向かいつつあるような気がします。

歴史教科書の見直しについては、実はプーチンは数年前からそんなことを言っています。ソ連がなくなった後、ロシアでは今までの「公式な」歴史解釈が一挙に崩壊した結果、歴史観に関してはタガが外れたような状況になっています。今でも書店で歴史のコーナーを見ると、かなりトンデモなものが出回っております。アイデンティティの危機がいまだ克服されていない、と言うべきか。で、歴史教科書も数え切れないほど種類が増えています。
様々な分野での引き締めを指向するプーチンにとっては、歴史においても統制が必要だと考えているのでしょう。しかし一方で、すでに数年前から大統領の指示が出ているにも拘わらず、今だ目立った成果が現れていないという事実自体が、ロシアにおける歴史解釈の難しさを物語っているような気がします。日本ではソ連時代ばかりが取り上げられがちだけど、例えばウクライナとの関係とか帝政時代の中央アジア征服とか、問題はいろいろあるわけです。

こういう数多くのニュアンスをすっ飛ばして「スターリン復権」だけを取り上げる読売には困ったものだと思いますが、こっちから見ていると、日本でのロシア報道では珍しくもないようですね。経過を無視して結果だけ、あるいは最も極端なポイントだけを取り上げて記事を組み立ててしまう。おそらくロシアだけでなく、他の国に対しても同じことは行われていると思うのですが。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/6218/


#5418 
徹夜城(今日は夜のお仕事の管理人) 2005/01/14 14:21
義経ばなしで意外に盛り上がっております(^^)

>NFさん
 義経の戦争史上における位置づけなどを論じだしますと、トンデモ説になりますけど、「義経の戦法がジンギスカンの騎馬戦法と似てる」と言い出す人もおります(笑)。いや実際、僕がよく覗いてる(少なくとも当人達は)真面目なサイトで堂々とこの話を持ち出して義経=成吉思汗説を唱えてる人を見た事がつい最近ありましたので。


>景虎さん
 そういえば最近源平合戦の実態を研究した本が出てましたね。まだ手にとってはいないのですが…歴史にはまだまだひっくり返せる既成イメージがいろいろとあるということでもあるんでしょうね。
 これまで歴史研究者の多くが武器や軍事的なものについて深く突っ込んでこなかったのは事実ですね。歴史研究者の「王道」は政治・経済問題、生産関係といったものを追及する傾向が強かったですし、軍事面は「軍事史」という別ジャンルとしてむしろ政治学者や軍事研究者、技術史研究者がやってるもの、というところがあったかと思います。
 僕自身も「倭寇」を研究する、というより小説や漫画のネタにするために調べていくとどうしても航海技術や軍事技術面について知らなければならないことが多くなり、この方面については倭寇史の先行研究はまだまだ深く突っ込んでないなぁと思ったものです。少なくとも僕が参照した研究書ではこの点中国側の研究の方が強いような印象があります。

 ってなわけで懸案の小説「鳳」も「トリ年」を期して近日航海(誤変換だけどそのまま)を目指してただいまピッチを上げております、と宣伝(笑)。


>新参右衛門さん
 武蔵坊弁慶についてですが、以前なんかの本の解説を読んだ限りでは、義経の部下にそういう名前の僧兵が実在はしていたようで、「平家物語」でもチラッと登場はしているようで。ただしほとんど目立った活躍はしていないとのことです。弁慶が大幅にクローズアップされるのは室町期に成立する「義経記」で、「義経記じゃなくて弁慶記だ」などと言われるほどのキャラに成長しております。



#5417 
新参右衛門 2005/01/14 11:21
判官びいき と アンチ義経

思うに判官ビイキの人とアンチ義経の人は数が、そんなに変わらない
気がしますね。で、アンチ義経の人は何が嫌いかというと大体よく
聞くのが、今、ここで盛り上がっている、義経の戦術が卑怯だ、という
感じですね。もっとも、じゃぁ、アンチ義経の人は北条方に好意を持つ
かというと、暗に源氏に引導わたした感じがし謀略くさくて好かない、
という話しを よく聞き、判官びいき もアンチ義経も心情では
表裏一体かも、しれませんね。
ところで、義経って、木曽義仲も、そうなんですけど、自領の家臣団は
少なかったんですよね、少ない家臣の中で目立つ弁慶を はじめとする
義経の側近の武将たちって、どれほど実在が確認できてるのでしょうか?
弁慶じたいがフィクションキャラクターっぽい感じがしますが
武蔵坊弁慶は記録で実在が確認できてるのでしょうか?



#5416 
景虎 2005/01/14 01:53
合戦のルール

源平時代の合戦については、新説が色々とあるようですね。
平家物語を改めて分析すると、騎射による一騎打ちは一つも書かれていないとか、義経の先祖である義家の時代に、後世の楠正成のような戦法がすでに行われていたとか。
また、公合戦と私合戦ではルールが違うという考え方もあるようです。富士川の合戦の時に、平家が源氏の使者を斬ったのは、それが公合戦だからであり、使者の安全の保障は私合戦のルールにすぎないという平家の言い訳があるとか。
一騎打ちは、武士の時代であればいつでも発生したが、集団戦やだまし討ちも、いつの時代でもありえたのではないか?などと色々と新しい意見があるようです。

ただ、歴史家は歴史の専門家であって、戦争や武術や武器の専門家ではないので、歴史家の戦争論には明らかな間違いもみられます。特に、日本刀などは刀剣学という学問がありますが、歴史家が書いた本を読んでみると、刀剣学用語を誤解して使用している事が多いです。まあ、多いと言っても、武器や戦法について詳しく書こうとする人そのものが、歴史家としては少数派のような気がしますが。



#5415 
NF 2005/01/14 01:40
さまざまな義経像

>徹夜城様
「火の鳥」の義経のキャラは、確かに結構衝撃的でした。色々な人が様々に描いている義経ですが、前述の横山氏も屋島では義経に肩を持つ描写をしてましたが必ずしも一辺倒ではなく、頼朝に義経が追われるという点では「義経が悪い」という書き方をしていた気がします。後、悪役というわけではないですが「一谷フタバ(字が出ませんでした)軍記」では熊谷直実の悲劇を描く関係上で義経が「部下に酷い要求をするひどい上司」になってました。しかし大体において義経は善玉でえがかれますね。面白いのはスーパーヒーローというより主人公に守られる存在としてでてくることが圧倒的なこと。悲劇の英雄を守りたいという願望の現われなんでしょうかね。
義経の強さは確かに「ルール破り」、つまり敵の意表をつくことにありそうです。ただ、閃きや無茶とも言える冒険によって勝ってきており他の世界史的な名将(アレクサンドロスやハンニバルなど)のように戦術的な新地平を開いたというわけではないので他の名将と比較しての評価は難しいところ。友人が、義経の戦の天才性を証明しようとしてはっきりした結論が出せなかったことがありました。



#5414 
徹夜城(「火の鳥」はソノラマ版も角川版も持っている管理人) 2005/01/14 01:03
「火の鳥」乱世編の義経

>「義経ばなし」、続き。(司馬遼風(笑))
 これまで数々の「義経像」が描かれて来ているわけですが、おおむね人気者の義経をほとんどワルに描いたという点では手塚治虫の「火の鳥・乱世編」はけっこう挑戦的であったと思うんですよね。一方で一見悪役的権力者に見せておいて平清盛が根はいい人っぽく描かれていますし、弁慶のモデルとなる弁太という庶民キャラクターから源平合戦を描くことでこの時代の既成イメージをいろいろとひっくり返してみせたところはあるかと。まぁ何と言ってもこの作品における最大の「発明」は後白河法皇と源頼朝が取次ぎを間に挟んで「電話会談」する場面でしょうが(笑)。

 ネタばれ…というほどでもないかと思うので書いちゃいますけど(ここの常連さんはたいてい既読だと思うし)、ラストの衣川、武士の論理を勝手にふりまわし冷血な義経に対し弁太は積もり積もった怒りを爆発させて「反乱」を起こします。ソノラマ版では弁太は自らの怪力で義経の顔を一気にグシャッとつぶしてしまい、その怒りが強烈に伝わってくるスプラッタなカットになってるんですが(COM版はさすがに読んでない)、角川版ではこれが変更され、弁太に追われた義経が戸外に逃げ、そこを矢で射殺されるという展開になっており、「怒り」のボルテージがかなり下がってしまって残念に思ったものです。角川版はとくに「乱世編」で改変が目立ち(章立てをつけ、構成も変わっている)最初にソノラマ版を読んだ者としては「なんで変えたかな〜」と思うことしきりなんですよね。
 僕が持ってる「角川版」は最初に出た豪華上製本シリーズなんですが、文庫版でも同様なんでしょうか。逆に「未来編」「鳳凰編」なんかは一切改変されておらず、「黎明編」「ヤマト編」では流行語やギャグのたぐいが発売当時の流行ものに変更されていたりしましたね。

 ところで大河「義経」のオープニングシーンの一ノ谷合戦ですが、協力先として「茨城県フィルムコミッション」そして「茨城県高萩市」があったので、もしかして高萩の海岸で撮影したんでしょうか…?「太平記」の新田義貞の稲村ガ崎のシーンも高萩で撮ったらしいという話も聞いたんで、もしかして同じところなのか…情報求む。
 僕の自宅から近い伊奈町の「ワープステーション江戸」は江戸時代もののセットなので「新選組!」でもしばしば使っておりましたが、今年は江刺が中心でこっちは用無しですね。なおやはり「新選組!」でロケ先に入っていた「房総のむら」(大型の復元農家なんかを使ったみたい)というのも自宅から同じぐらいの距離のところにあったりします。


>鵺さん
そういやそうでした。今年は尊氏公生誕700周年なんですなぁ…どっかイベントやるのでしょうか?どうも尊氏関係は戦前の影響もあってか祖先の地・足利も含めて今ひとつ盛り上がらないところがありますし…ん?もしかして、今週からのファミリー劇場での再放送は700周年イベントだったのか!?(笑)。
 

>NFさん
 故・横山光輝氏(昨年亡くなった大物の一人でしたなぁ)の「平家物語」は中公の古典文学漫画シリーズの一冊でしたね。チラッと立ち読みしただけで屋島のシーンは読んでませんでした。あの「三国志」にも通じるスローペースの横山調が「平家」にマッチしていた記憶はありますね。
 このシリーズではさいとう・たかを氏の「太平記」、矢口高雄氏の「奥の細道」は読んでいます。安彦良和氏の「三河物語」もチラッと見たかな。
 さいとう版「太平記」は全三巻の大作で、これまた上手く南北朝時代のドロドロぐあいとマッチしていたと思いますね(笑)。矢口版「奥の細道」は東北人・矢口氏ならではの感性がよく出ていましたが、「芭蕉と曽良がほぼ同年齢というのがどうしてもイメージできなくて」とあえて曽良を「若者」に描いちゃったところが思い切りの良さ。また「夏草や」の句の箇所を絵にするために「夏草って何だ?」と徹底追及したあたりも漫画家ならではの観点でした。



#5413 
NF 2005/01/13 23:04
屋島での射殺の件

確か、故横山光輝氏の「平家物語」では、平家方の武者が与一を称えた後で「確かに源氏の武者は武芸は達者だ、だが雅の心をお持ちかな、このように舞が舞えますかな」とか言って舞いだし、義経が「我等を山猿扱いいたすか」と激怒して射殺を命じたという形にして義経の肩を持つ描写にしていたような。まあ、義経がそういった解釈をして(教養という面でコンプレックスがあっても不思議ではない)という可能性はないでもないかなとは思います。今回の大河でどういう描写をするのかは気になるところです。
当時の戦争のルールは、どこまで守られてたのかというのも疑問ではあります。命をかけてのたたかいな訳だし、破られたときのことも平家側も考えていそうで、ルールが破られたからといってあっさり敗退というのもすんなり納得の行かない気はします。そういえば、倶利伽羅峠も義仲がルールに付け込んで奇襲をかけた(矢合戦の間に伏兵を背後に忍び込ませて夜襲)という話だった気も。



#5412 
2005/01/13 03:08
1月は歴史映像追加の季節

「大化改新」はドラマ的には不評ですね・・歴史好きor歴史映像好きという属性が無いと楽しめないかしら。義経は五条大橋のシーンを第一回の「つかみ」に使うかと思いきや一の谷でしたね、思えば画面も暗くて地味なのかも。今週から始まる太平記では「霜月騒動」なんですよね。今年は尊氏くん生誕700年、中公文庫「南北朝の動乱」も再刊されますね。そういえば『義経記』の成立は義満さんの時代らしいですね。



#5411 
徹夜城(歴史映像「田原坂」のデータで俳優と配役を一部逆に書いてた管理人) 2005/01/12 23:42
大河、歴史映画などにおける時間軸

>ブッチャー3世さん
 「義経」の一ノ谷からのオープニングの手法自体は大河史上特に珍しいわけでもありません。一代記物をやる場合、どうしても主役の登場が遅れることが多いので第一回冒頭に物語の中盤ぐらいのシーンを先に出してしまうというパターンはあるんです。「八代将軍吉宗」も冒頭は吉宗に将軍就任が打診される場面でしたし、昨年の「新選組!」も新選組最盛期のある日の「御用改め」(池田屋ではない)をする場面から始まっていました(もっとも三谷さんはうまくいかなかったと後悔されてましたが)。
 ついでに言いますと僕の「室町太平記」もこの手を使っております(笑)。

 それはともかく「義経」も以後は時間軸のとおりに進んでいくんでしょう。で、気になるのは滝沢秀明は何回から出てくるのか、そしていない場合出演者のトップはどうするのか、ってことなんですが…
 時間軸がいったりきたり、というパターンは時間が制約されている映画の歴史物・伝記物に多いですね。冒頭に主人公の死もしくは老後が語られてその人生の回想に入る、というパターンは実に多いです。回想と現実の進行が複雑に行き来しながら見事に効果を挙げている脚本としては「ラストエンペラー」が歴史物では最高かもしれません。

 なお「一ノ谷合戦」にも見られますが、義経の合戦手法というのは当時の武士たちの「かぶら矢を射て、名乗りを上げて一騎打ち」というルールから常にはみ出しているわけです。一ノ谷の場合も和平交渉が一応あった時に裏手からの奇襲攻撃ですし、屋島の戦いも海上を強行軍してやっぱり裏手から攻めてます。彼の戦上手ってのはたぶんに「ルール無視」なところがあったとは言えるんですよね。戦争にルールがある、ってのもどうかという問題はありますが。
 屋島の戦いといえば有名なのは那須与一の扇の的を射るのがありますが、あのあと与一を称えて平家側で舞を躍った武士を義経は与一に命じて射殺してたりしますよね。この名場面は国語の教科書にも載ってますが射殺の件に触れていない…と思っていたのですが、先日中学生の国語の教科書を見てみたら、ちゃんと射殺の件も書いてあったりしました。さて、今年の大河はこの件はどうするのかな〜(笑)。


>奥野さん
 ソ連時代の再評価という事では先日、日本の読売新聞でしたか、ロシアで12月にスターリン生誕125周年を祝う大きなイベントがあったとか、プーチン政権がソ連時代、スターリン時代を否定するような歴史教科書を採択させなかったとか、何やら「歴史教科書をつくる会」を連想するような記事を載せてました。その辺、ロシア国内ではどんな雰囲気なのかうかがえるとありがたいのですが。読売のその記事はやや紋きり調な印象を感じるところもありまして。
 暦のお話、「天地創造暦」というのも凄いですが、実際今でも聖書原理主義者みたいな方々は世界が創造されてから5000年程度しか経っていない、と強く信じてたりするようですね。



#5410 
ひで 2005/01/12 23:42
言われてみると確かに少なめかも。

>「義経」第1回
一ノ谷の時に義経と一緒に鵯越を駆け下りたのは総勢70騎だったそうですが、そういわれると、確かに合戦シーンのときの軍の数は少なかったかなあという気がしないでも・・・。

http://pezetairoi.hp.infoseek.co.jp/


#5409 
ブッチャ−3世 2005/01/12 12:41
時間軸に拘らないでやるのかな、大河「義経」

>NHK大河「義経」
NHK大河を最初から見たのは何年ぶりかな?と思うほど
久しぶりでした、で、いきなり、谷下りの合戦から始まった
のはなかなかなんじゃないですか?時間軸に拘らずにやって
みるのもいいかもしれませんね、合戦が多い人数に見えない
というのは、まぁ後から指摘されれば確かにそうですね、
にしても細かいところまでチェックしてますね、さすがだ
徹夜城さん。ま、源平合戦の時代は「我こそは〜」と名乗りを
上げてから一騎討ちに及ぶ戦闘スタイルがあったから別に
大勢で騒ぐ合戦じゃなくても良いのじゃないかな。
加藤雅也という俳優は最初の1回しか登場しないのに
たしかに熱演だったですね、まるで太陽に吠えろの刑事の
殉職場面みたいでしたな。源義朝は寝込みを襲われて
寝間着姿で首を切られている絵巻を見た事があって大体
そういう場面を予想してたんですけど。



#5408 
奥野 2005/01/12 06:04
ロシアの宗教と暦

大河、もう新シリーズ開始ですか。ネット上で見る限り、「新撰組!」の評判はそんなに悪くもないようなので、滅多なものを作ると批判が大きいかもしれません。僕は何年間もモスクワ暮しで、大河ドラマとほとんど縁のない生活を送っているので、久しぶりに見てみたいという気もありますが、なかなか。

>宗教

銀河帝国よりはずんとスケールが落ちますが、ソ連と宗教について。
ロシア語にも「神よ!」とか「主よ!」などという感嘆詞は存在しており、実際に広く使われています。宗教が勢いを取り戻している現在の世代ならともかく、人生の大半をソ連時代に過ごしてきたお年寄りでさえ咄嗟にこういう言葉を口に出しています。昔はタブーではなかったのか?と不思議に思うこともあります。
もう1つ。僕の親しいロシア人のグループ(30から40代くらい)はソ連時代へのノスタルジーが強く、よく「昔は今より暮らしやすかった」「みんな理想を持って生きていた」などと力説しています。一度、飲み会の時に「ソ連のために乾杯」さえしたほど。しかしこの同じ人々が、何かの折にはすぐ教会に行くし、部屋にはイコンがかかっているし、個人の話をする時には「天国にやすらわせたまえ」と昔ながらのお祈りを口にする。要するに、熱心なキリスト教徒なのです。
この人たちは、ロシア南部のクラスノダールという地方出身で、モスクワ人などのメンタリティとはまた違っているかもしれません。いずれにせよ、「ソヴィエト人意識」と信仰心とが矛盾なく同居しているところに、何とも不思議な感じを受けます。ソヴィエト70有余年の支配も既存の宗教を根こそぎにするには短すぎたのか、それともソ連の「無神論」政策自体が存外に上辺だけのものだったのか。つくづく、ソ連については知っているようでいて知らない部分が多いなあと思います。

>暦

ロシアでもユリウス暦を使っているのは教会だけで、一般社会はグレゴリオ暦に移行していますが、この改暦が行われたのが1918年、つまり革命政府による指示を受けてのこと。また、その前にロシアの暦を大変動させたのがご存知ピョートル大帝で、それ以前は天地創造暦(西暦に5508年をプラスする)を使い、しかも9月1日を一年の始まりとしていたのが、1700年1月1日をもって西暦に移行すべきという勅令を出したのです。おそらく当時の人々にとっては晴天の霹靂だったことでしょう。これじゃ国民に嫌われるのも無理はないような。
しかしどこの国でも、暦を変えるというのはものすごい変革だと思うのですが、ロシアの場合はまさにそうですね。歴史に残る大転換の時代に実現しています。教会だけは頑固にユリウス暦を堅持し、しかも9月1日を一年の始まりにしているのですが。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/6218/


#5407 
徹夜城(なぜか西郷尽くしの日々を送る管理人) 2005/01/11 14:22
「義経」「田原坂」

>「義経」
 さて正月といえば新大河ドラマの始まりの季節。なんだかんだで一年の始まりをこれで実感してしまうものです。
 先日の「義経」第一回ですが、さすがに主役タッキーの登場が遅いということもあり冒頭に「一ノ谷の戦い」を派手にもってきて、それから平治の乱の回想に入るという形になりました。一ノ谷、さすがに大掛かりなシーンとなっており見ごたえがありましたが、残念だったのは駆け下りてくる源氏騎馬軍があからさまに少なく見えちゃった点でしょうか。馬が5,6騎程度しかいないというのは大河の合戦シーンでは別に珍しいことではなくあれこれとテクニックを使って大軍に見せかけごまかしてしまうわけなんですが、そういった工夫は見られませんでしたねぇ…黛演出ということで凝ってるのは確かなんですけどね。
 そのあとは拍子抜けするほど(?)正攻法な歴史ドラマになっておりました。史実だから仕方ないんだけど加藤雅也の源義朝、一回で死なせるにはもったいなかった(笑)。あと、牛若役の赤ちゃんが「名演」だったことは大河BBSでも話題になってましたね。
 この「義経」、第一回のラストに示されたように幼い牛若が母・常葉の「愛人」である清盛を「父」と認識し清盛の子供たちと兄弟のように過ごしていた、というところがポイントになるようで。清盛と常葉の間に生まれる子供はゴマキちゃんなんだそうですな。

>「田原坂」
 先日書きましたように小説「翔ぶが如く」を読んでることもあって日本テレビが以前年末に連打していた時代劇大作の一本、「田原坂(たばるざか)」をレンタルし、ようやく先ほど見終えました。太目の里見浩太郎、さすがは貫禄の西郷になっちゃっております。似てるという点では大河の西田敏行に軍配が上がりそうですが、里見西郷はいかにも「大人物」って感じでして結構ハマっておりました。ほかに近藤正臣の大久保、勝野洋の桐野、風間杜夫の木戸、佐藤慶の岩倉などそれぞれハマり役。主なキャストは先ほど「歴史映像名画座」にアップしてますんでそちらを参照。
 「田原坂」というタイトルから西南戦争中心と思ったんですが、前半のほとんどは幕末編になっておりましてこの点でも大河「翔ぶが如く」と何かと比較できちゃうドラマですね(日テレ時代劇と大河では他に「奇兵隊」と「花神」、「樅の木は残った」がかぶってますな)。それでもやはり後半の西南戦争はかなり詳細に描かれており、若き日の乃木希典(国広冨之)が軍旗を奪われる失態をしちゃうところとか細かいエピソードがずいぶん描かれてました。
 城山の戦いでの西郷の最期は去年夏にじかに見て歩いてきたところだけに「ロケ場所、似たところを探したもんだなぁ」などと言っておりました。鹿児島の西郷終焉の地に立つ解説版には「晋どん、ここらでよか」とタイトルが打ってありましたがその「晋どん」の英訳が「Shin,My friend,」となっていたのには「そうかぁ?」と思った覚えがございますが(笑)。
 ドラマのラストは上野の西郷銅像の除幕式、未亡人のイトが「こげん人じゃなか…」とつぶやく場面で、なかなか印象的な締めくくりになっておりました。


>原田さん、モーグリさん
 お二人ともご教示どうも。「13人目の弟子が…」という「伝説」が書かれてるのは「銀英伝」だったかアシモフの「ファウンデーション」だったか迷っていたんですが、「銀英伝」のほうでしたか。ただ未確認ですが、アシモフのSFにも似たような表現があったような気もまだしていて…(^^;)。
 そういやアシモフの数学エッセイだったか「黒後家蜘蛛の会」だったか忘れたのですが(ファンのクセに結構記憶がいい加減で)、「13」という数字が不吉とされた原因がよく「キリストの13番目の弟子が裏切ったから」とされるがそうではなく、「13」という数字が2でも3でも割り切れないことから商人が嫌がるようになったのが起源、ってな説明があった記憶があるんですが、これ「定説」はあるんでしょうかね?


>不肖デルタさん
 気になるんですけど、不肖デルタさんが参考にされたという清仏戦争の説明が載った「中国の観光サイト」ってどこなのか教えていただけませんか?
 いくらなんでも当時のヴェトナムの王朝を「漢人王朝」と堂々と書いちゃうような粗雑なことはしないと思うんですが…韓国ともめた「高句麗問題」どこの騒ぎじゃありませんので。人名が漢字表記だったので「漢人」と誤解したということはないでしょうか?ヴェトナムは半世紀も前なら漢文が通用した漢字文化圏でしたので、念のため。ホー・チ・ミンもちゃんと漢詩書いたりしておりますよ。



#5406 
不肖デルタ 2005/01/11 07:48
他意はありません、すいません

>Ethshoさん
私が書いた清仏戦争に関連の事は中国の観光サイトに載っていた
事の受け売りで、後から考えれば何か中華びいき な内容で
歴史考証が正確で無いみたいですね、私自身は中国は好きでは無いし
ベトナムが漢人王朝と書いてしまったのは迂闊でした、そんな風に
書くから中国が調子ついて東南アジアの覇権なんぞを叫ぶのですよね。
ミャオ族と仏軍が連動と書いていたのも迂闊で、ただ単に時期的に
重なっただけですね、あの頃はミャオ族だけでなく他の少数民族も
各地で反乱をしてましたから。



#5405 
Etusho 2005/01/11 01:32


こんにちは。
ちょっと気になった発言が有ったので久々に書き込ませて頂きます。

不肖デルタ様
> 漢人王朝
清仏戦争について随分お調べになっているようですので、戦争の起きた時代のヴェトナムは阮朝越南國(自称では大南國)というのはご存じかと思います。
さて、阮朝の創始者は広南阮氏と呼ばれる一族の出身です。広南阮氏は更にさかのぼると、15世紀頃にヴェトナム・ラオス国境に近いタインホア(清化)と呼ばれる山岳地方からでた氏族ですから、漢人=漢族という意味で「漢人王朝」と言うには、ちょっと語弊があるように思われるのです(中国式中央集権体制という言葉ならばOK)。多少中国系の血は混じった可能性は否定できませんが、少なくとも阮朝の皇族は自分たちのことを漢人と思っておりません。
プラス、阮朝治下のヴェトナムでは中国系の人々は、ヴェトナムに帰化しない中国商人と帰化した明郷とに区別されており、確か明郷出身者しか科挙に応じることができませんでした。明郷出身者の政権参画の度合いも時代によって変わりますが、清仏戦争期には決してその割合は大きくなかったようです。
> ミャオ族
えーと‥‥南部で蜂起してフランスと結びついていたのはミャオ族ではなくキリスト教徒が主だったはずでは? 大規模な少数民族の蜂起で有名なのは北部の儂文雲(姓からしてタイ系?チワン族かも)の反乱ですが、これも南部のキリスト教徒の反乱と呼応したものでした。ちなみにヴェトナム北部では自称黎王朝後継者や文紳と呼ばれる知識人の反乱が相次いでいます。

それと、仏領インドシナの成立までの40年強という期間が短いと思うか長いと思うかは、不肖デルタ様の判断に任せたいと思います。

> 不肖デルタ様と閲覧してくださっている皆様
とげとげしい書き方ですいません。最近、日本の「ヴェトナム=亜中国」という思いこみがあまりに多くて苛立っていまして‥‥。
では。




#5404 
モーグリ 2005/01/10 22:59
追記ですが

原田実さんも書いてますが。

>この未来世界ではキリスト教やイスラム教はどうなったんでしょうかねぇ
6巻に「銀河英雄伝説」世界で宗教が衰退した理由が出てます。
21世紀に全面核戦争「13日間戦争」が行われ、その後90年間戦乱が続いてようやく地球統一政府が誕生。その戦乱によって宗教は著しく支配力を落としたとあります。本編でも既存の宗教(キリスト教やイスラム教や仏教など)が登場する場面は全然ないので、そのまま衰退を続けて滅亡していったのでしょう。



#5403 
不肖デルタ 2005/01/10 07:59
フランス嫌いの漢人?

>劉永福
清軍がフランス陸軍を破った戦いで、結構、奮闘した人ですね、
この戦いではフランス軍の将軍が戦死するほどの大打撃だった
みたいで、日露戦争の前にアジアの西洋に対する大金星があった
感じですね、ただ、永福さん、今も昔も林則徐ほど英雄視されて
無いみたいですね、林は阿片戦争後は西域に流されロシア対策の
第一人者になったそうですが、劉は、ひで様が、お書きのように
没するまでベトナムで反フランス武装勢力の指導者みたい感じ
だったようです、劉は清当局の命で反フランス活動をやっていた
ので無くて全く個人の考えと自力で過激工作をやってたみたいで、
良くも悪くもアウトロ−で日本でいったら急進・過激・攘夷派と
いった感じで、林ほどクリアな人物では無かったのが中国での
低知名度だったみたいです、あと、ベトナムは清仏戦争後は
ガッチリ、フランスに保護国化されてしまうのですが
ミャオ族のような、外部列強勢力の支援を受けでもベトナムの
漢人体制を打倒しようとする派が多くあった事もあり、
劉のベトナムでの反フランス活動は段々と鎮圧されていった
みたいですね、この頃のベトナム国内での漢人影響から
フランス影響への移行の度合いは速度が速かったみたいで
英国などはインドを英領化するのは巨大な国でもあり
時間が沢山かかったのですが、仏領インドシナは
フランス化が短期間で、なされたみたいですね。
私はフランス植民地政策を誉める気などは毛頭無いのですが
ライバルだった広大な英国植民地が第二次大戦後は
短期間、速く手放されたのに対しフランス植民地はインドシナ
にしてもアルジェリアにしても影響力が無力化するのに
時間が掛かったし、何より未だにアフリカや南米、太平洋に
複数の国家規模に相当する仏領が存在する事は、
フランスの植民政策はイギリスの其れとは、ひと味、違った
ものなのかな〜と漠然と思います。



#5402 
ひで 2005/01/10 01:18
そういえばありましたね。

>清仏戦争
確かにアヘン戦争とか日清戦争に比べると歴史の授業なんかでは扱いが軽いですよね、清仏戦争って。太平天国の残党からなる黒旗軍を組織してヴェトナムでフランス相手にゲリラ戦を展開し、清仏戦争では清の正規軍と一緒になって陸戦でフランスを苦しめた劉永福なんかはなかなかおもしろい人物だとは思いますがどうも扱いが地味ですし。劉永福は中国拳法で有名な黄飛鴻が主人公の映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ」にも登場し、映画の冒頭で彼に「不平等条約」ってかいた扇子を託したりもしますが、実際に黄飛鴻と劉永福は接点があり、清仏戦争終了後に南澳総兵となった劉永福に招かれて武術を教えています。また一説には台湾に送られた劉永福について行ったとも言われてますがこちらはどうだかわかりません。

http://pezetairoi.hp.infoseek.co.jp/


#5401 
不肖デルタ 2005/01/09 09:16
清仏戦争

いま、ちょっと、19世紀末の南亜州(アジアね)を舞台にした
時代劇マンガを製作してるんですけど、その参考資料を収集する
過程で知った戦争〜清仏戦争、清は列強や日本と色々と戦争をして
阿片戦争や日清戦争は有名どころなんですけど、清仏戦争って
あんまり知名度が無いですね、私も最近まで詳しく知りませんでした、
戦端の きっかけ は、フランスがベトナムを保護国化しようとして
ベトナムの宗主を自認していた清国が其れに抗議したのが要因
らしいですが、私も最初は、これはフランスの楽勝だろう、と
思ったんですが、この戦争は陸の部と海の部が、ありまして、
海の部は清の海軍がフランス海軍にボコボコにヤラれてフランスは
台湾を速攻で占領。
ところが陸の部は、ベトナムを進発して雲南を経て
ミャオ族の反乱と連動して清国へ侵攻したフランス陸軍でしたが、
意外に善戦した清軍により仏軍は撃退されて
しまったそうです。
当時、ベトナムは漢人系の王朝が支配してましたが南部では
ミャオ族が武装蜂起してましてフランスは少数民族を手なずけて
ベトナムを南から植民化していったようですが、このミャオ族は
中華の雲南、広東にも居住分布があり当時の分離独立の動きが
激しかったみたいですね。(ちなみにミャオ族は米国のベトナム戦争
では南ベトナム・親米派であって密林のゲリラ戦で米軍に協力し
非常に戦果を上げてしまったのでベトナム南北統一後は
相当、ベトナム当局の弾圧粛清に遭ったみたいです。)

19世紀末の清仏戦争は短期で終わり講和内容はフランスが
有利なものだったそうですが、フランスは台湾から撤退をする条項が
あり、清は台湾を奪回できたようです。もっとも、すぐ後の日清戦争
日露戦争の過程で台湾は日本に取られちゃいますが。
清国は、鄭氏から台湾を奪取しましたが、あんまり台湾を重要視して
無くて、もともと陸軍大国の清国でしたが海軍のほうは、あんまり
ぱっとしなかったみたいですね、徹夜城さんが去年、連載されてた
清海軍 対 鄭氏海賊 の対決を読んでいたら、清の海軍の程度が
知れますものね。




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