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#5900 
NF 2005/07/29 01:46


>徹夜城さま
ありがとうございました、お手数おかけしました。

後味悪い話題を長々としてしまったので、口直し代わりに(?)骨皮道賢について。
食い詰めた人間からなる歩兵中心の部隊を率い金で雇われて戦う、戦闘よりも放火・略奪
を日常的に行う…となると三十年戦争初期に悪名を轟かせたマンスフェルトい代表されるヨーロッパ中期の傭兵隊長を連想するのはお約束でしょう。彼らも出自不明なものより支配階級の庶子や小諸侯から身を起こしてなりあがったものが多いといいます。ヨーロッパが三十年戦争以降に傭兵隊長の時代から商工業の発展を背景に経済力をつけた君主による常備軍へと切り替わったように、日本も商工業を利用し経済力をつけた戦国大名による以前と比べ強力な政権が誕生。道賢のように常時、兵士を雇い続けることで存在価値を持たせる傭兵隊長は安定した集権体制が誕生する前の過渡期を象徴する存在なのかもしれません。



#5899 
なな 2005/07/29 01:19
IRAが武装闘争終結宣言

もう寝る。寝る前にニュース速報を書いとく。
ほんまですかい?…って感じ。
アルカイダとは組まないのか…。



#5896 
NF 2005/07/29 00:49
「バカめ!勝てばいいんだ、なに使おうが勝ちのこりゃあ!!」(外交の要点を一言で表すとこうなる…(ため息))

>「嫌韓流」
嫌中ものもそうでしょうけど、かつての歴史が外交のカードとして繰り返し使われる事からきた反発・反動が根底にあるでしょうね。外交というのは、結局は自国に有利に物事を運んでナンボの分野なので、そこで歴史が扱われるときはどうしてもそれぞれに都合のよい主張がされることになる。たとえ謝罪が行われるにせよ、国益につながるよう計算された上でなされるわけで。だから現代史は「歴史」にはなりにくいわけです。…話が逸れましたが、外交カードとしてもちだされた「歴史」に対し日本の言い分を返せるように、という狙いがあると思われます。そういう意味では全くの無意味でもないとは思うのですが…。やっぱり何かがズレてる気はしますね。
個人的には、外交カードとしての「歴史」に対しては(外交戦の常として捏造による反日プロバガンダも中には含まれているでしょうから)明らかに事実と異なる点は訂正した上で、「日本のこの件に関する意見は『村山談話』で発表済み。これと変わらないし、同じ事を繰り返す気はない」で終わらせるしかないかと思います。
人肉食・犬肉食を引き合いに出して非難するのは論外かと。鯨肉食を非難された国民としては(人道的見地からだけでなく国益的見地からも)やってはならんことです。
特定の民族の優劣を云々するのは感心しないかと。
在日に関しては、北朝鮮・韓国の政府と結びついてその結果として「日本国」に敵対的行動をとる政治的団体の存在が(元々は)問題となっているようで。これは確かに由々しき問題ではあると思います。ただ、団体の問題と個人の問題は別ということですね。これで在日の人が個人単位で攻撃されることは当然あってはならないわけです。国益の問題から見ても、わざわざ敵に追いやることはあるまいという訳で。ただ、時々覗く嫌韓系のサイトでは「日本国に永住し日本国の法の保護にあるわけだから『大韓民国』『朝鮮民主主義人民共和国』の国益と『日本国』のそれが相反したときには『日本国』の国益を優先して欲しい」(日本に住む限りその方が自身にとってもいいはずなのですが)→「その一応の目安として日本国籍を取得して欲しい。別に名前を変えろとか民族文化を捨てろとか言うわけではない、国籍だけ移してくれればよいのだ」というところが一応の落とし所になっていたような。実際問題そこに落ち着くのが一番現実的と思います(いろいろ問題は前に立ちふさがっているでしょうが)。事実、年に万単位の人が国籍を日本に移しているといいます。日本で生まれ日本で育ったため感覚が日本人と変わらなくなり「数代前が朝鮮半島出身」「国籍が韓国・北朝鮮になってた」というだけで本人の与り知らない原因で迫害を受けることがあってはならんわけです。個人的には前述のように朝鮮民族としての文化とか誇りとかを捨てる必要はないけど、「大韓民国」「朝鮮民主主義人民共和国」といった国家と「日本国」が反目した場合は「日本国」の国益になるようにという視点でいておくれ、というところですね(政府の方針に反対するのも、その方が「日本国」の国益に適うとの理由でなら、少なくともことさら「日本国」の不利益をもくろんでいるのでなければ無問題)。
まあ、個人的には在日の人々にはスポーツや学問などの世界で活躍する人も多い(例えば、医者にも結構多い)ので人材として日本から逃したくないというスケベ心もあるんですけどね…。
あと、個人的にはこの手のプロバガンダ漫画には正直好感は持てません。主張の内容以前に漫画として面白くなさそう。主張が勝つあまりに娯楽としての側面を疎かにするのは漫画に対する冒涜と思うのですが…(左右関係なく、例えば「日本人と天皇」にも同様な感想を持っています)。
僕個人は恐らく「親韓」か「反韓」かと言われれば現状では「反韓」に近いのだろうと思います(現状で「大韓民国」「朝鮮民主主義人民共和国」の国益より「日本国」の国益を優先すればそうなる)。ただ、この漫画に対しては「他にやりようなかったんかい」との思いを抱かざるを得ない、というところ。どうも余裕がなさ過ぎるなあ、と思います。
まあ、韓国や北朝鮮そのものがこうした本で非難されるのはお互いさん、と思っています(向こうでも同様な本がそれこそ沢山出てるでしょうし、隣国同士が悪意を持って応酬するのは割りに普遍的)。ただ、やるにしても国家間にとどめ個人個人が巻き込まれることがあってはならんでしょうね。個人的には直接損害を受けるケースを別にすれば距離を置く、というのが最善と思っています。極端な話をすれば、最悪の場合は「付き合わない」というのも選択肢な訳で(経済的交流は必要ならば民間単位で続くでしょうし)。
「右」に近い立場の人間の意見として書いてみた次第です(左よりの人からは偏見があるように見えるだろうし、右からは奇麗事に見えるんだろうなあ…)。
長くなりましたが、乱文長文はご容赦。



#5895 
徹夜城(昨日も地震に見舞われた管理人) 2005/07/29 00:31
蒙古襲来絵詞に後世の改竄?

 タイトルのような話が先日新聞に出てました。そういう説じたいは以前からあったようで、このたびそれをより実証するような論文が出たようです。
 有名な蒙古襲来絵詞、しかも教科書に必ず載ってるまさに「あの場面」に19世紀の改竄というか書き足しがあるらしい…という説なんですね。
 以前から絵の一部に江戸時代ごろのものらしき服装が描かれてるとの指摘はあったようで、疑惑はあったらしい。で、例の有名な場面でも「弓を射ている元兵」「てつはうの爆発」に「詞」部分との不自然さがあって、江戸時代末の書き加えと断定する説のようです。書き加えは「改竄」といっても当時なりに「こうであったのだろう」という「実証的態度」でやったものだというのですが…
 まだ確定ではないのでしょうがホントだとするとこれは、「源頼朝像」もメじゃない大衝撃だなぁと思ったりするわけですよ。あの絵巻のあの場面を見せて「日本軍と元軍の戦い方の違いを述べよ」とか問題が出ていたわけですから。

 で、不肖デルタさんの「下克上」の質問に関するお答えにもつながるんですが、実のところ歴史において「これが正解」などとはっきりさせちゃうのが学校における歴史授業のつまらなさなんですな。僕はあくまで塾・予備校での講師ですがそうした「公式見解」からはずれた余談を混ぜて興味のある生徒には興味を持たせつつ、「テスト解答はこう書けよ」という答えをするわけです。
 例えば僕が以前から不満なのが勘合貿易と倭寇の中学校教科書的説明。「なぜ勘合を使ったのか答えなさい」という問題の定番の答えが「倭寇と正式な貿易船を区別するため」となっていて頻出問題なのですが、僕にいわせれば間違いです。ちょっと正確を期すなら「勘合を持ってないと倭寇と同列の扱いになる」というところですかね。他にもこの手のことはいっぱいありまして、本当の歴史の面白さにはこういうところからは目覚めないだろうな、とは思うんですよね。


>マンガ「嫌韓・反中」
 正直なところ気分の悪くなる話題なんで、無視したいというか「ほっとけ」と言いたいところですが…四月以来の騒ぎでこの手の本が売れると思って続々出るとは思ってましたけどね。それにしてもジョージ秋山も黄文雄の監修を受けるとは堕ちたものだ(笑)。
 妙に浮ついた「両国友好」「冬ソナ的韓流」は僕も大嫌いで、そういう動きが反動としてくすぶるのはワカランではないのですがね。しかしどちらも品が悪すぎて、先日の中国でのデモ連中と同じじゃんかと思うわけ。実はこの手の人たち、似た者同士だということなんですな。



#5894 
なな 2005/07/29 00:20
宇宙には行かないの。

>NHKその時歴史は動いた
>昨日の放送
>第50回 戦艦大和沈没 〜大艦巨砲主義の悲劇〜
>放送日 2001年5月2日(水)

インタビューで出ていた元乗組員の何人かが故人となっていたので、不思議に思ったら。
シリーズ終戦60年とやらで、2001年のを再放送したんですね。

小さい頃にテレビアニメの宇宙戦艦ヤマトを見ていて、後年になって戦艦大和という本物の船があったと知って驚いたという……世代の一人です。はい。(ーー;
宇宙戦艦ヤマト…内容はほとんど覚えてないんですが、あの形のまま宇宙に向けて飛び立ったり、反対に大気圏に突入して帰還したりしたんですか?
なんで地球の命運を背負って行くのに、乗組員は日本人ばかりなの?

そりゃまぁねぇ、信長の鉄船に沈められた相手方の兵だって気の毒だけどさー。
戦国時代と60年前の海戦とでは、同じ気持ちで見られないよね…。
米軍側の資料映像なんてフルカラーだし。
番組を見ながら、何度「あ〜あ〜…」とつぶやいたかしれません。
とりわけ日露海戦のあった明治39年から、戦艦大和が造られた昭和9年に画面がボンッと切り替わった時は、思わず「う´っ」とうめきましたね。
あーこれが、「明治の頭で昭和の軍備を考える」という言葉の意味か〜、と。

>番組のホームページより
>番組の内容について
>大和の最期を採り上げたことについて
●基本的には、帝国海軍の滅亡を象徴する歴史的な瞬間として採り上げました。
●過去の歴史的事実に真摯に学ぶというのが制作の基本姿勢であり、戦争や軍部を美化したり、逆に海軍および大和関係者をおとしめる様な意図は全くありません。

↑NHKの製作陣も大変…。
実際、松平アナウンサーのコメントも、生還した元乗組員のコメントも、平均台の上を注意深く歩くような感じでしたもん。右にも左にも傾かないように。

>島津重豪
ええ、違うんですけど(笑)、この人についてもざっと調べてはありますよ。
11代将軍徳川家斉。実父が徳川治済で、義父(正室の父)が島津重豪でしたっけ?
強烈なキャラの親父さん2人に何十年も頭を押さえつけられて、それでもこの人ってけっこう英明な将軍だったのではないかと…。
この時点で島津家が、かつての藤原氏が皇室の内部に食い込んでいったように、静かに静かに徳川家に食い込んでいっていたら。
幕末の様相もまったく違っていたでしょうか。
あ、平安時代の後宮ように、娘を何人も大奥に入れる(保険をかける)ことはできないか。



#5892 
gallery 2005/07/28 23:27
『自虐とは違うのだよ、自虐とは!』 (←もぉええわw)

>『マンガ嫌韓流』
嫌中漫画も出ております。原作は黄文雄(笑)。作画は何とジョージ秋山氏。氏の思想信条に関しては、最近の『浮浪雲』も読んでないし、今ひとつ分かりかねます。ただこの方、二宮尊徳を描いた『博愛の人』とか『弘法大師空海』とかの作品もありますので、もしかしたら日本を愛するがあまり、アチラの世界にイッちゃったのかもしれない。

原作が原作ですから、こりゃバカ漫画候補ですな(笑)。反響が鬱陶しいですが。
宗三姉妹はもちろん、孫文やら蒋介石やらもフリーメーソンだ!
…てなこと、相変わらず言っているのだろうか?(笑)
目次を見たら、例によって人肉を食うことで中国人を批判しておりますな。ちなみに、ジョージ秋山さん。飢えた子が母親の肉を食う話『アシュラ』を少年誌(マガジン)に掲載して話題になったんですが(笑)
南京の例の事件も、無きものにされております。ツッコミ所も多そうです(笑)

 しかしまぁ、ネットの方々ってのは「エロ」やら「ロリ」やら「ゲーム」やらが安易に批判されたり、宮崎君や小林君が逮捕されて、ワイドショーや評論家がそれらに差別的なレッテルを貼ったりすることには、猛然と反撃するのですがね。
曰く 「犯罪と(エロ・ロリ・ゲーム)の因果関係がない」
「犯罪まで行く奴は極少数であり、その極少数の特殊な事情を全体に当てはめるな」
 ↑いや、私もそう思いますよ。私もその手の規制には反対で。
でも、外国人やら在日やらに、どうして同様の視点を持てないんだろ?
自分に都合の良いケースにのみ、自分に都合が良い論理を使ってるだけじゃないか?
 仮に、犯罪発生率が日本人のそれより著しく高かったとしても、それが民族的差別を許容する要因にはならんと思うのだがな。特に在日への差別に関しては、なんかバーナード=ショウの黒人差別批判がそのまんま当てはまるような。
>「傲慢なアメリカ国民は…(中略)…二グロに自分の靴を磨かせ、次に彼が靴磨きだという事実によって二グロの劣等性を証明する」

>大正の教科書
 うちには、同じ時代の旧制中学地理の教科書がありまして、地名から特産物(海産物、果物、野菜、鉱物など)に到るまで全部「漢字」。カタカナほとんどなし。こりゃ当時の学生は大変だったろうな(笑)
 今手元にないので正確な引用ではないのですが、「わが日本国は、西欧を中心とする西洋文明と支那を中心とする東洋文明の接点にあたり、それら両者を統合し、新たな無窮の文明を築き上げるのだ」みたいな記述がありまして、おぉ、良いことを言っておるな、と(笑)



#5891 
ブッチャ−3世 2005/07/28 21:14
骨皮?

>骨皮道賢
えぇとこの人が初めて記録に登場したのは、たしか
官位をもらったときだったんじゃなかったですか?
「左衛門尉」って位でしたっけ、この人物が成り上がり
代名詞みたいに言われるところをみると、結構、高い
位なんですかね、で、骨皮左衛門尉どのは、記録に
登場して約6日後に朝倉敏景に討ち取られたそうで、
6日天下とは、まぁ明智殿よりは長いか(汗
骨皮左衛門尉どのは、前身は京目付の頭目だったって
話もあるから、いくら管領・細川勝元の後押しが
あったとはいえ、それほど、ひどく卑しい身分の出身
からの引き上げ成り上がりでも無かった
のではないですかね。




#5890 
アール・ケイ 2005/07/28 13:31
ネタを振っておきます(笑)

amazonで無理矢理売り上げ1位にされてしまった『マンガ嫌韓流』。

まあ、内容の真偽はともかく
こんなもんを描くようなヤツはマンガ家の風上にも風下にもおけませんな(笑)。
と云いますか、同級生や友達に在日の子とかいないんですかね、
こういうのを買うやつは皆んな。
いたら(韓国に対する批判そのものはそれ相応に正当な部分があるとしても)、
少なくとも発言をするときは考え考え慎重に行うと思うんですよね。
就職1つにしても彼らがどれだけ差別されているか、
その結果(コリア系の会社にしか入れない場合が多い)がどういう事態を引き起こしているか、
目をつぶっているんじゃなくて単に知らないだけなんでしょうね。
愚かだなあ。
我々は平和ボケしていただとか、そういうヤツらはネット上に書いてますが、
弱者への視点を持てなくなったなんて、もっと根本的にボケとるだろうがお前ら。

と昼間っから怒ってます(笑)。






#5889 
不肖デルタ 2005/07/28 13:00
下克上ですか

下克上といったら、室町時代の末期症状を指す代名詞みたい
に定着してしまってますから、それを平安時代まで遡らせて
しまうのはどうなんでしょうか、徹夜城さんは教職者だそうで
すが、下克上とは何ぞや?という問題を出して生徒さんが
平安時代末期の成り上がり者・武士等と書いても
正解になさりますか。
で、応仁の乱の話といえば、以前に、何げに調べ物で
百科事典サイトに掲載されていた「応仁の乱」のところに
興味深いことが書いてありました、当時、京都は人口が
だいたい22万人ぐらいだったろうということですが
東軍は16万、西軍は11万、応仁の乱で最激闘時に
兵力を京洛に集めていたと記録ではあるようで記録って
あまり鵜呑みにしてはいけませんが敢えて鵜呑みすると
人口22万の街に37万の戦闘関係者がいたという
非常に異常な事態だったんだな、と思いました。
あと、応仁の乱って西軍も東軍も真剣に戦っては
いなかった、という話はよく聞きますが、その
裏付けとして、畠山や斯波の仲違いした御曹司兄弟や
細川親子にしろ山名親子にしろ大内や一色、京極と
いった幕臣の主立った将で、応仁の乱で戦死したものは
いなかったようで、太平記戦争ほど壮絶な戦いでは
なかったみたいですね。どっちかというと、戦闘が
始まったら、すぐ建物に放火するのが東西両軍で横行し
応仁の乱での死傷者は大半が付け火での大火による
ものだった、ということです。



#5888 
アール・ケイ 2005/07/28 12:11
暑中お見舞い申し上げます

…って挨拶は梅雨明けしてからする挨拶だそうですが、
まだ梅雨明けしてない地方には暑中見舞い葉書は出さないほうがいいんでしょうか?(笑)

てなことはさておき、

>司馬大河

NHK大河ドラマで司馬遼太郎ものというと5作品もありますが、
そのうち4作(『竜馬がゆく』『花神』『翔ぶが如く』『徳川慶喜』)は幕末もので
(司馬氏の作品群から考えると当然といえば当然とも云える)、戦国ものは1作(『国盗り物語』)のみです。
幕末もの4作は主人公こそ違えど1つの世界を4回リメイクしてるようなもの
(但し『慶喜』は悪い意味で毛色がやや違います(笑))。
来年の『功名が辻』は大河では久々の司馬作品ということになりますが、これもまた
『国盗り物語』の(後半の)リメイクだったりします(ドラマ前半分)。
秀吉麾下の武将たちの家族ぐるみの出世合戦と並行して、信長、お濃、光秀(お濃の従兄という設定)、お市、
浅井長政らの間の葛藤劇が描かれるようであります
(但し、細川ガラシャの見せ場=関ヶ原が夏ごろとの情報もあり、とするとその辺は駆け足になってしまうかも)。
『功名が辻』のシナリオを担当する大石静さん(時代劇未経験)はわざわざ師匠の宮川一郎氏に頼み込んで、
今年の正月放送のテレビ東京版『国盗り物語』に参加させてもらってましたけど、
どこまでそこからパクってくるか楽しみです(笑)。


>江戸時代後期のある長命な人物に取り組んでいた

違うと思いますが、ひょっとしてそれは島津重豪ではないでしょうか?
このひと絡みだけで吉宗時代から幕末まで語れそうですよね。


>皇嗣問題

そこまで遡らないと(天皇候補の候補(笑)が)いないとは、もともと無理があったんでしょうね。
万世一系が聞いて呆れます(笑)。
御三家を作った家康や御三卿を創設した吉宗の用意周到さを、明治新政府は学べなかったんでしょうかね。
側室や「おめかけさん」という(女性を泣かせてはきたでしょうけど)性的にも大らかで、
血を絶やさないためには必要な習慣を、政府は国際的見地からかそれとも儒教的精神を徹底させるためか
(実際には戦後まで存在してましたが)表立っては強く否定してしまった処にも
問題はあったと思うんですよね。
女性の人権どうのこうの云い始めると、そもそも天皇や皇族の人権は…という問題になるわけで。
しかしまあ大奥の時代から、否、平安の世から進歩がないですなーこの国は。


明治帝に隠し子とか、いなかったんでしょうか?(笑)


以上、「大河ドラマの歴史」出張員よりのレポートでした(笑)。



http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#5887 
なな 2005/07/28 00:39
沈まない鉄の船を造れ

>NHKその時歴史は動いた
番組の予告を見るたびいつも、戦国か幕末か戦前のネタでローテーションしている印象で、これまであまり見ていなかったんですが、先週と今日の放送分は興味があったので見ました。

>先週分
>第228回 信長の巨大鉄船、戦国の海を制す
>〜織田水軍 VS 村上水軍、決戦大坂湾〜

以前、私の先祖のことで九鬼氏のことを話題に出した時、どなたかがちょろっと触れておられましたね。
まあねぇ…。信長に建造を命じられた九鬼嘉隆も思わず目がテンだったでしょうね。
重圧で胃に穴でもあいたんじゃないか?

私はかつて江戸時代後期のある長命な人物に取り組んでいた時期があって、その関係で田沼意次から勝海舟まで、つまり北方の海にロシア船が出没し始めた頃から近代的な海軍が創設されるまでの経過をも追いかけたことがあるんですよね。
「大砲を搭載した大型軍艦」に至るまでの長い道のりを思うと…。
あるいは幕末の徳川慶喜が信長のような気性だったら…。
大砲を装備した巨大鉄船のCGを見ながら、いろいろと感慨や空想にふけっていました。
戦艦大和についてはまた書きます。



#5886 
徹夜城(今日は猛暑にやられた管理人) 2005/07/27 22:53
共通の先祖は600年前

 例の皇室典範見直しに関する「有識者会議」の論点整理が出ておりました。まぁ予想通り男系を意地でも維持するか、女系もありの女性天皇を認めるかの両論併記な形になっていて、結論は持ち越しなのですが、「旧宮家復活で男系維持」の意見を載せつつ「旧皇族は、現在の天皇との共通の祖先が約600年前にさかのぼる。国民の理解を得るのは難しい」との一文がついているそうで。
 600年…といやぁ義満の時代じゃないか!と驚いて調べたんですが、迂闊にも南北朝ネタだったんですな、これ。知ってる範囲の話のはずだったのに、この点はちゃんと調べてなかったなぁ。

 戦後に臣籍に降下した親戚(笑)たち、いわゆる旧宮家はいろいろあるようで実はみんな「伏見宮家」から分家していったものなんですね。で、この伏見宮家というのが北朝の崇光天皇の皇子から始まるんですね。それで、この崇光天皇というのが北畠親房の指揮で南朝軍が京都を奪回した際に南朝軍に連れ去られてしまった人でして。
 室町幕府はやむなく出家寸前の弟さんを新天皇・後光巌に仕立てて北朝を復活させるのですが、この非常事態で建てられた系統が皇位を継承したことに崇光上皇側が激しく不満を抱き、持明院・大覚寺両統対立の再現みたいな事態になったりします。この辺は「ムロタイ」でも書いたんですが、その後、後光巌系統も称光天皇の早死にで断絶し、崇光系の彦仁王が後小松上皇の養子となり後花園天皇として即位し、皇統を「奪還」することになります。で、この後花園が抜けた後を弟が継いでそのまま「伏見宮家」として延々と続いていったわけで…なるほど、「共通の先祖は600年前」になるわけです。皇族であり続けたのが信じられないぐらいですが、もしかすると後南朝に対抗するために存続されたのかな?とも感じました。
 600年前に分かれた臣籍の親戚が皇族に復活できるなら、むしろ「正統」とされてる南朝の子孫が出てきて即位したほうが無理がないような…などと危険発言を(笑)。
 それにしても義詮が三上皇をほったらかしにして逃げたドジが現代にまで及んでるようで面白い(笑)。


>NFさん
 お書きになっていた「文部省は当初日本が文明発祥地とする方針だったが…」の話、実は僕も聞いたことがありまして前回の書き込みでそのことを書こうと思ったのですが、裏づけ資料が出てこなかったんで、パスしたんです。でもまぁ、確かに無理ありすぎますよねぇ…って、文部省もトンデモ歴史を推進したりしていた時代なわけです。


>理和さん
 杉浦日向子さんの急逝、僕も驚きました。僕にとっては「お江戸でござる」でしか知らなかった人と言っていいんですが…。訃報の記事で荒俣宏さんと半年だけ結婚していたという事実を初めて知りました。


>下剋上
 まぁ、出典を探していったらどうせ中国の古典にいきついちゃって「初出探し」の意味がなくなってしまうと思うんですけど、恐らく使用例が多くなるのは平安後期からなんでしょうね。
 「日本一鑑」訳文作業で改めて調べしたが、平安中期に「然(ちょうねん)という坊さんが宋に渡り、宋の皇帝の前で「我が国は天皇が62代も続き、それぞれの官職もずっと世襲で引き継いでいる」と語って皇帝を驚かせ羨ましがらせたという逸話があるんですね。よほど印象的だったのか明代の日本研究本にもこの「然の話はよく出てきます。そういう風に特定の官職を特定の家が世襲する、というのが常態という意識が続いているうち、それが乱れてくると「下剋上」呼ばわりするようになったのかも。
 「二条河原の落書」の「下剋上する成出者」は有名ですが、古典『太平記』においても「下剋上」という用語は出てきます。『太平記』の作者の保守的傾向を反映して完全に否定的な意味合いで使っておりますが…上の者を倒してその地位を奪っていく、とまでいかず単に身分の下の者が上の者に意見をし、プレッシャーをかけることも「下剋上」と表現してますね。



#5885 
なな 2005/07/27 21:08
下剋上

今たまたま読んでいる本に下剋上に関する記述がありました。

>11世紀の末から13世紀の貴族の日記に「下剋上」の言葉がしばしば見えるが、

11世紀末というと、この言葉の出現自体はかなり早いですね?
律令制の崩壊とか、武士階層の勃興とか、院政期の世相を表しているそうで。
もっと早い時期の使用例もあるのかな?



#5884 
2005/07/27 11:37
下克上の元祖。

……清盛?



#5883 
新参右衛門 2005/07/27 05:27
朝倉

>徹夜城さまNFさま
レスどうもです。南北朝にも下克上といふ言葉
出てくるとは知りませんでした、山名や赤松が其れに
あたるのですか。その2者と朝倉は、ちょっと似て否
なるものなんではないかな?と思います、山名にしろ
赤松にしろ中央の権力、政争に介入、巻き込まれ
それが元で没落していきますし、室町の権勢を重視
してましたが朝倉は中央の争いに初めは利用しつつ
細川の肩入れで守護に上りつめましたが
段々、その争いを絶縁しながら
地元での勢力の拡大に努めました、実力で若狭の
武田を押さえ越前と若狭を領する、というところは
京ではやされるところの「大悪人」ゆえんかも。
室町の討伐軍を何度も撃退した、という点では
南近江の六角もかなり「大悪人」でしょうか。
六角にしろ朝倉にしろ、その後世では織田にヤラれた
ので時代劇でのヒ−ルによくされますね、ただ、
織田も下克上の体現勢力には違いなかったのですが
中央の政争に介入しようとした点では山名や
赤松と似ていたのかな、と思います。



#5882 
理和 2005/07/27 04:37
杉浦日向子さんが・・

・・亡くなられてしまいました。まだ46歳。信じられない。
彼女のマンガは、リアルタイムでよく読んでて大好きだったので・・(年がバレますね・笑)
最初に読んだのが、確か上野戦争における彰義隊少年隊士たちの運命を描いた「合葬」で、今奥付を見たら85年第3版でした。初出が1982年となってるので、杉浦さんはこれをなんと、23〜4歳でお描きになってたんですねえ!
このなかで、斃れた隊士の介錯された首を、重いので髷を分けふたりで下げて走り去った、などという描写があって、なるほど首は重いもんなあ、そのへんリアルだよなあ、と妙に印象に残ってたのでしたが、最近朝日新聞夕刊に連載されてる吉村昭「彰義隊」でも同様の描写があり、このことはよく知られたことなのでしょうか。
杉浦さんは江戸風俗が専門だったせいか、生活の肌理というか、大文字の歴史からはこぼれてしまいそうなものの描写がすごく上手くて、ほんと江戸に旅行した気分にさせてくれたのだけど、いまパラパラっと読み返してみれば、なんか消えゆくもの、に対する偏愛、とでもいうのかな?明るいんだけど儚い、なんとも不思議なオーラが全編漂ってるのです。
十年くらい前になるのかなあ?もうマンガで描きたいことは皆描いてしまったので、あとは隠居して江戸風俗研究を続けたい、汚染物質まみれの現代人は寿命がせいぜい50年くらいしかないらしいので、余命あるうち読みたいものを読んでおきたい、と引退されたのですが、まさか「人生50年」をほんとに実行されるとは。
合掌。。。



#5881 
NF 2005/07/27 01:37
訂正とお詫び

すみません、また投稿ミスやってしまいました…。
あと、「下克上」と書きましたが「下剋上」が普通ですね。確認して投稿せんといかんなあ…。



#5880 
NF 2005/07/27 01:36






#5879 
NF(引用する台詞がだんだん苦しくなってきた) 2005/07/27 00:57
「力こそが正義!いい時代になったものだ」

>徹夜城さま
大河は、いずれにせよその時代の大体の全体像が見えていないと…。利家とか一豊とかが主役でも別にいいんですが、彼らから見た信長・秀吉・家康に重点を置くとかして、全体像が分かるようにしないと。夫婦の絆とかホームドラマならわざわざ大河にする必要ないんですから。というわけで、楠木氏三代(個人的にはやって欲しい気も)をやるにしても、彼らから見た時代の変遷や南北両陣営の首脳の思惑とかをしっかり軸にすえて欲しいものです。合戦シーンは楠木一家が存分に魅せてくれるでしょうから。
>戦時中の日本中心史観
日本が文明の発祥と言うことで書けないかと政府に言われた御用学者が、「流石にそれは無理だが、オリエントで発祥した文明がだんだんと広がり日本で頂点に達したという書き方ならできなくもない」と答え政府も了承したという話があります。戦中ならではと見るべきか、変な所が変に理性的と見るべきか…。
>マルクスの恋人さま
大正期は流石に何だかんだ言って割合穏当な教科書ですね。まあ、(その時代時代にとっての)現代史はどうしてもその国や政権の利害・正当性の由来が直接絡む関係もあって著者の政治的立場が露骨に出るのは避けられませんね。徹夜城さまも以前に「史点」でおっしゃってましたけど、「歴史になるには50年かかる」というのはそういうことなんでしょう。だから考えようによっては現代史は歴史学としては邪道といえなくもないと思います。現代史でも政治的立場に関係なく書けるのが文化史。ただしこちらは著者の趣味がまともに出る(笑)。
>新参右衛門さま
>(再び)徹夜城さま
>>下克上
そういえば、「二条河原落書」にも「下克上スル成出者」とあるのは有名ですね。「三木一草」あたりが有名な「下克上」の走りということになるんでしょうか。低い身分出身のものが実力で支配者に成り上がったのは戦国が最も多いですが、南北朝にすでに「悪党」が台頭してこうした風潮が始まっていたといえますね。



#5878 
ひで 2005/07/26 23:59
スペースシャトル

どうやら無事に打ち上げができたようですね。外部燃料タンク切り離しの瞬間を映した映像に、地球の丸いふちが映っていましたが、暗い宇宙に青い地球というのはなんというか、画的にも綺麗なものですね。地球に魂を惹かれるのも分かる気がします。

http://pezetairoi.hp.infoseek.co.jp/


#5877 
徹夜城(今度は台風に直撃された管理人) 2005/07/26 23:12
地震、台風ときて…

なにやら天災が続く夏期講習(笑)。

>NFさん
 「ガンダム語録」と「北斗語録」「民明語録」はある世代の「共通語」のようですな(笑)。
 大河「太平記」ですが、とりあえず初の南北朝をやるとなると尊氏を主役にせざるを得なかったろうなと思います。公式発表前に「週刊新潮」が放映中の大河『翔ぶが如く』をあげつらう記事で「来年は『太平記』らしいが、NHKも楠公の知恵でも借りたいところか」と書いていたもんですが、正成で一年ってのはやっぱり辛いですよ。もっとも尊氏で南北朝通史だと一年じゃ足りない情勢になりましたが。
 南北朝時代を無理なく一年描けるキャラとなると僕にはあと佐々木道誉ぐらいしか思い当たらないんですよね。しかし知名度ではきつい…ま、僕に言わせれば「山内一豊の妻」で一年やっちゃうという方が狂気の沙汰に思えますが。
 仮に楠木正成を大河でやる場合、正行、正儀まで三代をやる、って感じだと面白いかなぁ…と思いますが。


>マルクスの恋人さん
 大正時代の旧制中学ぐらいだとかなり自由度があったかもしれませんね。皇国史観な縛りは昭和に入ってから強くなっていったようですし。また世界史に関しては欧米の研究をそのまま輸入していたところがあったかも。東洋史については従来の漢学的な要素とフランス流東洋史研究の要素とが混ざってたんじゃないかな、と思うところが。ちなみに前者が京大、後者が東大という傾向があったりして。
 ひとむかし前の東洋史研究者はフランス語習得が必須だったと聞いてます。それほど東洋史といえばフランスが本場、という空気だったんです。僕はといえば大学の一般教養で第二外国語として一応フランス語の単位もとってるんですけど、まるっきり使いこなせません(汗)。

 以前大学のゼミでリンク先の長谷川@望夢楼さんに戦時中に文部省の肝いりで「大東亜史」なる「日本を中心史観の世界史本」の編集が行われていた…という話を紹介されたことがあります。面白かったんで、まだそのゼミで使った資料(1942年9月『現代』掲載の編集・執筆者の座談会記事)を保存してるんですが、改めて読み返すとなかなか面白い。
 「大東亜史」ブチ上げにあたって従来の「東洋史」「西洋史」の枠組みに対する批判が出てきます。そこでも「東洋史では支那の流れを見、西洋史ではヨーロッパの流れを見なければならぬ」ということが批判的に言及されてました。んで、

「我国からいへば、東洋も西洋もない筈だ。寧ろ東洋といつたらアメリカでなければならぬ。西洋といつたら支那から向うでなければならぬ。だから日本的世界観、世界史理論が確立されたならば、東洋史西洋史の区別は全然撤廃されなければならぬ」

…なんて話も出てまいります。まぁ東洋史・西洋史、さらには日本史とジャンル分けすることへの疑問は今日的テーマでもありますが。座談会では「日本神話を理解せず、作り事のようにした」として東洋史研究者が非難されたりしておりますな。

 さてこの座談会では「大東亜史」編纂にあたってどこまでを「大東亜史」の対象地域にするのかという議論も出てくるんですが、

「地域に就いは、先般文部省の会議で相当問題になつたが、我々が大東亜史に扱ふ地域は、分つて居るやうで分からないですね。分らないやうで、また分つて居る。実に漠然として居て、之をはつきりさせることは出来ぬと思ふ。結局東亜の歴史を述べる場合は、東亜に中心を置いて周囲の連関あるものに及んで行くことです。日本軍がアメリカへ上陸した場合アメリカも大東亜史に入れるのかといふ話を聞くことがあるが、大東亜戦争とにらみ合せれば、今後大いに発展性がある訳です」

…だそうな。1942年9月の段階でありました。
 他にもいろいろと面白い話題が出てくるのですが、雑誌のところどころに挟まる広告も面白くて…「歯磨の使命完遂・ライオン歯磨」なんてのはまさに「時局広告」です(笑)。その一方で「肩凝りに頭痛に神経痛に打ち身・挫きにサロメチール」(貼り薬の広告)ですとか「色鉛筆は書きにくいといつもお考へになつてゐる方々へ…三菱鉛筆」ですとか、いたって日常的な広告が戦争色満載の記事に挟み込まれてるとなんとも言えず味があります。


>新参右衛門さん
 放映当時ろくに見ていなかったのですが、骨皮道賢は応仁の乱を描いた大河ドラマ「花の乱」に登場してましたよ。演じたのは当時はバブル的に目立っていたルー大柴さん。
 初の下剋上…というのは定義が難しいですね。べつに戦国以前に南北朝時代にも「下剋上」という用語が人々の口にのぼっています。戦国期ほど露骨ではありませんが、「民百姓のような暮らし」から大大名にのしあがった山名時氏、悪党から室町幕府の重鎮にのしあがった赤松円心・則佑父子などは南北朝期の下剋上の代表と言っていいのでは。
 



#5876 
新参右衛門 2005/07/26 14:42
下克上の初めは誰

歴史教科書で盛り上がっていますが、ちょっと違うものを
振ります(笑
最近、また司馬遼太郎さんの「箱根の坂」という本を読む機会が
あったのですが、あの本に出てくる応仁の乱のキャラで異彩を
放つ「骨皮道賢」東軍の足軽頭領という設定でしたが、
私は今までこのキャラは架空人物かな、と思ってましたが、
西軍の朝倉孝景が骨皮を討ち取った、という記録があるのを
知り、一応、実在人物なのかな、と思っています。
で、この骨皮を討ち取った朝倉孝景という人物もなかなか
きれた武将だったようで、兵力では上回っていた東軍に対して
西軍は地方勢力からの派遣に依存したようですが、西軍の
地方勢力での飛車角のような存在が朝倉と大内だったようですね。
孝景は細川勝元に越前守護に成らせてやると持ちかけられ
西軍から東軍に寝返り守護代以下の人間が守護になった最初
だそうで、これは司馬さんの小説の主人公・伊勢長氏より時期的
に早く、また、大名の分国法の先駆けといわれる朝倉17箇条の
分国法は朝倉孝景がなしたものだそうですね。
孝景の守護への出世は京では、すごい評判だったそうで
まぁ裏切りの交換条件だった面もあり、好感ではなかった
みたいですね、孝景が亡くなったとき、京のある日記には
天下の大悪人、ついにクタばったか、みたいな事が
書かれていたそうです。
徹夜城さんは、生徒さん達に下克上のトップバッタ−は誰、
ってお題には、答えは早雲ですか朝倉孝景ですか(笑




#5875 
マルクスの恋人 2005/07/25 09:43
大正時代の教科書

大正時代の(旧制)中学校用の世界史教科書を読んだことがあります。

「西洋史」と「東洋史」に分けられていました。

文章が文語体なのはまだしも、「東洋史」にはいろいろ意外な点が多く、驚かされました。
まず、冒頭に「東洋史とは、主に支那を中心とした歴史なり」と宣言するような一文があったり
中国の歴史が、黄帝登場から始まってたり(で、名君が続いて、黄河の治水に成功したやつが世襲の夏王朝を開く、と)
その割りに年表のページは周代からだったり(殷の実在が当時は怪しかったんでしょう)
そこに平行して神武天皇以来の大和朝廷が書き込まれていたり(それでもあっちより遅いのは否定できない)
唐王朝の記述で、唐の律令制定に触れたページの欄外に日本の大宝律令との関係を指摘していたり
長安が平城京・平安京のもとになっているのも記述し、遣隋使遣唐使も記述してますから
日本が中華文明の風下であったことを否定するどころか堂々教えてました。

特に意外だったのは、元寇について神風のカの字もない(国史のほうでじっくりやれば充分?)
単に日本遠征を企てたが、失敗したという淡々とした書き方。
ただ、近代になると妙に主観的・正当化主義の記述が見られるようになります。
日本は日清戦争を「朝鮮の独立を守るため」に起こしたはずなのに、その後すぐ「保護国化」したことを堂々誇る行為に
当時誰も矛盾を感じなかったんでしょうか?

西洋史のほうを見ると、ボリシェビキを「多数派」でも「主流派」でもなく「過激派」と訳すなど
(エスエルや白衛軍も充分過激だろうに)近代部の政治解釈は今に始まったことではなさそうです。



#5874 
NF 2005/07/25 01:26
「オレには思い出が多すぎる…、戦い散っていった強敵(とも)たちがいる」

>大河「太平記」
主人公を尊氏にしたのも成功の一因なんでしょうね。一応この時代の勝者なわけだから、時代を通じて全体像をつかみやすくできるし、彼に絡めて多くのキャラの持ち味を出すこともでき、基本的に陣頭に立ってた人なので戦闘シーンも多く出せる…。もう一人のこの時代の主役である後醍醐は早めに退場してしまうしなあ。主人公を誰にするかで成功不成功がある程度決まる気はします。時代の主役と言うべき人物を持ってくるのが王道なんでしょうから、その見極めを間違わないことが大事ですね。

足利家棟梁の宿命に従って、互いに認め合った見事な漢たちとの非情な闘いを経験、それを通じて哀しみを知っていく尊氏。最後にその生涯を彩った素晴らしい強敵(とも)たちを回想し感慨にふける…。何だか尊氏が世紀末救世主みたいな物言いになってしまった(笑)。ま、尊氏の花押が年を経ていく毎に立派になって行くと中村直勝氏が指摘し、安穏と人生をわたらず苦労して生きることで成長している証と言っていました。
…しかし、だとすると世紀末覇者はやっぱりもう一人の主役のあの人?

…何ともズレた話題で申し訳ない。



#5873 
ひで 2005/07/25 00:34
「レグニツァの戦いのまぼろし」

>教科書問題
ガンダム台詞パロディがはやっているのをみて、「人は流れに乗ればいい」ともいうので、タイトルだけは「そんな教科書修正してやる!!」とか、「あの教科書(見本書)を教育委員会に届けてくれ!あれはいいものだぁ〜!」(ボンッ)とか、いくつか思いつくものの、肝心の内容が書けなかったので没に・・・・。

今回の教科書問題とは関係ないですが、高校世界史に関しては思想的にというわけではありませんが一社だけかなりとんがったところがあります。そこの執筆者に杉山正明・川北稔両氏がはいっているので、普通の物とは違う教科書になりそうな気はしますし、実際に手にとって見てみたところ近世以降の所はもろに近代世界システム論だったような記憶があります。しかし中には少々ぶっ飛びすぎている話題もあるみたいで、学界では学術論争の俎上にすらあがっていないタイトルのような事柄をさもそうであるかのように載せちゃうのはどうかと・・・。まあそのへんはネタとして教育現場で笑い飛ばしておいてくれればいいんですがほんとのこととして教えている人がいるとしたら怖いですね。



http://pezetairoi.hp.infoseek.co.jp/


#5872 
徹夜城(一昨日は屋外でグラリと揺られた管理人) 2005/07/25 00:33
東京湾岸はよく揺れました

 すでに遅ればせの話題ですが、一昨日は夏期講習先(けっこう震源に近い)で震度5の揺れに遭遇しました。屋外にいてあれだけ揺られたのは初めてですね。なんか前触れも無く(震源が近かったためもあるけど屋外だと初期微動を感じなかったんでしょう)一瞬、ズンッ!と下から突き上げを食うような揺れ。それからしばしユラユラと地面が揺れるのを感じておりました…
 むしろ大変だったのはそれからで。千葉県内のJRが軒並み止まっちゃいましたからねー。ようやく京成電鉄が動き出したのが地震発生から3時間半後。京葉線にいたっては7時間後のことだったとか。
 もちろんこれらの電車運行停止は事故ではなく点検のための「見合わせ」なのであって、復旧に時間がかかったのはその点検に手間を食った(路線が多いので人手不足もある)から。一部に怒って暴れた人がいたことも報じられてますが、あれだけの長時間ストップの割に騒ぎにならなかったという気もします。なんとなく福知山線の列車事故が心理的に影響してるかも…などと思ってました。


>孟きょうさん
 「太平記」ネタと明代初期ネタで同時に盛り上がれる方がいるというのが僕にも驚き(笑)。まぁ、考えてみりゃ「同時代」なわけで。「室町太平記」もその線を狙ってみたんですけどね、同時代史とか交渉史の面白さというのをもっと広げて生きたいものです。
 『日本一鑑』訳してみて改めて発見がありましたね。今までも読んでいたはずなのに…と思うところが多かったです。永楽帝が亡命者達に帰国を呼びかける詔勅なんかもなかなか面白いものでしたし、捕らえられた海寇の中に「一婦女」がおり、海賊達にさらわれてその妻となっていた、というちょっとした話にもいろいろとドラマを感じてしまいました。

 北畠顕家は僕も昔から好きでしたね。配役がゴクミ(人気的には当時がピーク…過ぎだったかな?)に決まった時は心中複雑でした(汗)。近藤正臣さんの北畠親房が強烈だったんで、その影で目立たなかったのが幸い(?)。
 見せ場のはずだった京都奪回戦がものの数十秒で終わっちゃった(絶対一分も無い)のは気の毒だったですね。ちゃんとオープンセットでロケして撮ってるんだけどなぁ。一応いろいろ収録しておいて、あとから時間とにらみつつ編集してカットされてっちゃったんじゃないかと思ってるんですが…赤松円心VS新田義貞の白旗城攻防戦もほんの十数秒のくせにロケ撮影されてるのと考え合わせると…
 ただ当時も思っていたことですが、多々良浜の戦いは予算的に無理だったんじゃないかなぁ。放送直前の高橋プロデューサーのインタビューでも「千早・赤坂」「鎌倉炎上」「湊川」の戦闘シーンに力を集中する、と言っていた覚えがあります。
 「ファミ劇」での放映は確か「公家か武家か」まででしたっけ。有力武士たちが一同に集まる会合シーンで鎌倉幕府の重臣で建武政権にも参画した二階堂道蘊(北九州男)がちゃんと出ているのが南北朝マニアとしては嬉しかったですね。「我らがいなければ行政もできないくせに」と言っちゃうあたりとか、うまくドラマに組み込んでる。でも彼が処刑されちゃうくだりはなかったんですよね。


>galleryさん
 中国・韓国は教科書が国定なので、とくに前回の採択騒動の折に「つくる会教科書」が日本の国定になったかのように受け止める(報道がすでにそうなんだろうけど)人が多く、よけいエキサイトしたところがあります。今回の様子を見ていると少なくとも韓国はそのへんの知識が広まったらしく、日本政府よりも、採択しそうな自治体に圧力をかけるという結構現実的な作戦(笑)をとってきてます。中国は一般レベルではその辺はまだよく分かってないようですが…だいたい中身も知らないで騒いでるのが大半でしょう。
 僕などは前から言ってますが、実は「つくる会」の方々の究極の理想像って、韓国や北朝鮮・中国の歴史教科書なんじゃなかろうか、と(笑)。あっちは檀君や黄帝から始まる歴史教科書ですもんね。僕などはああいう教科書を作りたくないから例の人たちの教科書には基本的に反対してるわけで(笑)。


>NFさん
 「日本を守る国民会議」はさすがに名前が古いと思ったか「日本会議」になっちゃってますが(笑)、以前高校の日本史教科書として騒ぎを呼んだ「新編日本史」は結局のところフツーに埋もれていってしまい、そっち系の方々にとっては思い出したくない失敗先例のようです。「つくる会」はその点より巧妙ではあるんですが、以前に比べると明白な嘘は書きにくくなってきてるようで、「新編日本史」の二の舞なんじゃないか…という気もしています。
 思えば最初の「歴史教科諸問題」は明治末の「南北朝正閏論」にあるんですよね。大逆事件の直後に読売新聞社説が「『南朝と北朝』などと両者を併記している教科書がある!そんなことだからこんな事件が起こるのだ!」とか書いたことが始まりだそうで。つまりそれ以前の明治時代は意外とチェックが入らなかったのですな。
 司馬遼太郎じゃありませんが、どうも日露戦争の後から日本は変になってたんじゃなかろうか…とこの話ひとつ見ても思うんです。



#5871 
NF 2005/07/24 23:55
どうしてこんなところに来てしまったんだろう、僕たちの教科書は…

↑ネタ切れのため、「種」から引っ張ってみる

「愛国心を育てる」教科書の試みは、昔も「日本を守る国民会議」とかがあったりして、そう新しいものではないようですね。原書房版の教科書?を図書館で見た記憶があるけど、あれは凄かった、本当に凄かった。南北朝が「吉野朝時代」になっていて足利尊氏を一貫して「高氏」と表記するというお約束。現代仮名遣いなだけに違和感バリバリでした。「つくる会」版を割合普通と感じたのはそれもあったのかも。しかし、家永版も今見ると別にどうと言うことのない代物ですし、扶桑社版の通過も多用性が進んだ結果と思いたいのですが…。しかし、扶桑社は裏でそんな事を…。僕も「愛国者」のつもりではいますが、何かズレてるよアンタ、と言う気分。
検定についてはgalleryさまがおっしゃったアカデミズム性の確保のため必要、と言う意見に同意。「たま出版」の歴史教科書、という喩えをこの手の話題のときに用いることにしています(個人的には「たま出版」版があれば見てみたい気はしますが)。
明治期に国定化された際には、芝居などでのエピソードと史実とを混同している教科書が結構存在していたため、国定化によって以前より史実に基づくものになったという話もあります。




#5870 
ブッチャ−3世 2005/07/24 23:47
フランス嫌い?

石原都知事が最近、あついですね、
新世紀研究所の代表に関係ありと名指しされたり
あとフランス冒涜発言と撤回はしないと、ごねて
また尾を引きそう(笑
フランスが第二次大戦初期でドイツに完敗したのは
機甲師団が、お粗末だったというのは定説みたいに
なってますが、第一次世界大戦で確かに戦車を
最初に開発したのは英国で、ドイツも真似して
イギリスに対抗して戦車を作りましたが
英も独も戦車は第一次大戦では固定砲の装備した
鈍重な戦車しか造れませんでした。
あまり知られていませんがフランスは英独とは
一線を画した、少々、軽戦車でも機動性を重視した
車体の、当時としては画期的な回転砲塔の戦車
ルノ−FT17を生産し戦争末期に実戦投入し
それなりに戦果をあげ、以後の戦車の設計思考は
だいたいこの仏戦車の流れを組んでいたとまで
いわれるくらい当時は仏は機甲分野では進んでいた
そうです、しかし、それが、どうして、第二次大戦
直前にはマジノ線要塞とかに頼った閉鎖的な
戦術の機甲軍になっていたのかは、定かではない
ですが、フランスはドイツの機甲師団の電撃戦に
遭遇するまで、戦車というものは歩兵の支援兵器
でしかないとの考えが長く続き戦車を騎兵師団の
所属にしていたくらいだったとか。



#5869 
gallery 2005/07/24 23:05
「見せてもらおうか、連合国の教科書の効能とやらを!」

↑ガンダムネタも、もはや品切れ(笑)
それに比べたら、先回のタイトルは最高傑作ですな。(←ネタ発表会ではない)
「諸君」は意識してなかったです。偶然ですが、上手いこと掛かったもんですね。笑いの神、降臨!(笑)でも、しくじったな。「諸君」の後に「!」を付けとくんだった。カギ括弧も間違えてたし。すみませんが前のタイトル、訂正できませんかね(笑)

>補足(蛇足)
 『ナチ占領下のフランス―沈黙・抵抗・協力―』(講談社選書メチエ・渡辺和行)
…を読んだんですが、ここで登場する親ナチのヴィシー政権。イギリス以外の国際社会には承認されており、フランス国内でも民衆の圧倒的支持を受けて成立。ファシズムを礼賛し、ユダヤ人を虐待する人々がいたりしたのですが、それを理由に当時のナチスのフランス占領を「正しかった」と言う人なんぞいないわけです(ネオナチくらいは言ってるかな)。好意的な見方をすれば、ドイツがその行為を深く反省しているからでしょうし、穿った見方すれば、んなこと主張しても何にもならんからでしょう。別に領地が今からドイツのモノになるわけでもなし。他のヨーロッパ諸国の反感を買いまくるだけで。
 占領・併合の様態・過程などに相違はあるでしょうが、やはりドイツと比べると「子供だなぁ…」と。自身の行動の原因や責任を他者に押し付けたり、何のメリットもない行動を感情の赴くままに発露させたりする、てのは。こちらはアジア諸国の反感買いまくり。だから、「…坊やだからさ」(笑) まぁ、中には今後のアジア外交を優位に進める戦略的意図を以て主張されている人もいなくはないんでしょうが、でも今のままじゃ外交そのものがストップしますがな。

 忘れてましたが、教科書に関しては中国や韓国も「国定」でありますので、こちらもトンデモにぶっ飛んでいかないように、「自由化、多様化、客観的記述にした方が将来的には望ましいよ」と、忠告あるいは批判するのも隣人としての務めでしょう。でも、今のままだと非常に言いにくいんですよね。「お前のところはどうなんだ!?」と返されると、一言もなくなっちゃう。こちとら、堂々と中国や韓国を批判したいんですけどねぇ……。



#5868 
孟きょう 2005/07/23 22:26


>徹夜城様
 文字化けしてしまって、どうもすみません。陳「王宣」ですね。前期倭寇関連ですが。ナハチュら五投下勢力から遼東を奪うため名将の馬雲らが必死の攻防を続けるんですが、そこに海路で呉禎あたりが海運で物資を運ぶ時、何隻かが結構倭寇に拿捕、沈められる事件が多発したそうですね。(旅順の地名がこれ関連から由来するというのはガセビアなのか本当なのか・・)



#5867 
孟きょう 2005/07/23 22:13
劉江と北畠顕家最高!

>徹夜城様
 ええと、このところ三週間ほどため録していた「太平記」を見ていたのですが。いや〜、面白いですね。自分がいかに昔は飛ばし飛ばし視聴していたのか痛感しました。その中でも楽しめて見れたのが、北畠顕家の出てくるシーンでして。別にゴクミがどうとかいうわけでは無くて(笑)、私自身が幼少期に南北朝物で熱烈に一番好きだった人物が北畠顕家だったんですよ(小学生とかの時期は感情移入したあまり本気で尊氏が嫌いだったりした記憶があります)。今は顕家よりも尊氏や佐々木道誉や高師直、赤松則祐のほうが断然好きなんですが、当時は顕家が参加する京都争奪のくだりがほんとに好きで、自分の中ではこの時代のクライマックスと、当時はうけとめてしまって白熱してました。それで、時代物の題材の偏りから、北畠顕家が出てくる番組って、極端に少ないのでますますドラマでの登場シーン一つ一つに歴史的稀少価値を感じてしまう次第でして・・・ 顕家のテーマなんでしょうかね? 時々バックに流れるBGMは。あれも切なくて効果的ですね。 で、やっぱり思うのは徹夜城様が指摘されているとうり、時間調節の話をなんとかしてほしかったなと・・なんとか時間調節の回を60分ほど潰して3話ほど造り、「王都争奪」「多々良浜の奇跡」「血戦!青野原」と豪華な回を是非とも創ってほしかったのに・・
>徹夜城様の海上資料翻訳
 うわあ、うれしいですね。やった!明初の武将が出てる!呉禎だ!遼東制圧の後方支援の英雄が・・。陳&#29764;も・・。そして劉江が出てる! 望海堝の戦いも出てるし・・いいなあ、最高です。劉江は永楽帝のモンゴル遠征にも遊撃将軍として参加しており、追激戦もしたような文が確かありましたね。モンゴル遠征にはこの人の名前がけっこう多く出てた記憶があります。他にも遼東の開原で女真人との馬市も担当してた時期もあって、この時代の遼東史ではやたら名前が多くでる人なんですよね。私事なんですが永楽時の明の人物で私が一番気にいっている人物がこの劉江って武人なんですよね。学生時代は、「自分が死ぬ前に、なんとかこの人を中心に置いた論文を書きたいなあ・・」なんて思っていた時期がありました。懐かしいなあ。



#5865 
徹夜城(夏期講習に突入した管理人) 2005/07/23 00:52
深夜にこっそり更新作業(笑)

 講習開始で忙しいくせに、合間を縫って作業。先日アップした「日本一鑑」の続きで「流逋」の条の現代日本語訳を載せました。ただし大部なのでその前半のみアップしてあります。続きは後日。
 例によって決して読みやすい文章ではないのですが…この章って「倭寇」を軸にした日明交渉史ダイジェストという面もありまして、懐良親王や足利義満・義持など「室町太平記」の面々も登場してまいります。なぜか超有名なあの人も出てきたりして(笑)。
 ま、ご関心がありましたらちょこっと覗いてみてくださいな。

>galleryさん
 なんか、言いたいところをほぼ完璧に全て言われてしまったような(笑)。
 ところでタイトルのところ、「諸君」ってまさかひっかけてません?(笑)。

>マルクスの恋人さん
 お怒りはごもっともで、僕も知るところの話も多いのですが、できますればそうエキサイトなさらずにお書きくださいませ。
 文部科学大臣が職権に失格にすべき…とお書きでしたが、僕の見るところどうも今の文部科学大臣はこの教科書検定・採択の時期を狙ってわざわざ選ばれた方のようにも感じるんですよねぇ。政務次官もそういう感じがしますね。



#5864 
gallery 2005/07/22 14:37
『諸君らの愛してくれた扶桑社の教科書は不採用だっだ!…何故だ!」「…坊やだからさ」

↑むむ、NFさんに負けてならじ(笑)

>教科書問題
 ちとヒートアップしがちになる話題ですので、あくまで冷静に。
 例の教科書そのものが与える影響については、個人的にはNFさん徹夜城さんと同様、それほどのモノではないと考えております。子供が影響されるのは、教科書よりもむしろ、それを教える教師の方だったりしますから。現に私もそうでしたし。
 ただ憂うべきなのは、あの史観の方々がこの国のトップにも多く、また教科書などを採用しうる地位にいるという現実。彼らの多くは、日本の現状を憂いており、その原因と責任を「自虐史観」やら「東京裁判」やら「日教組」やら「サヨク」やらに押し付けている訳で(責任が全くないとは申しませんが)、ノストラダムス研究家を引き合いに出すまでもなく、その手のトンデモを信じる方々は概して「反省」しませんので。
 仮にあの教科書が日本全国で採用されたとしても、彼らの憂う日本の現状が彼らの望み通り好転するとは到底思えず、その場合、彼らの行動は反省がない分むしろエスカレートするのではないかと。今度は「教師が悪いからだ」とか。…で、「バランスの取れた教師を採用する」てな理由で思想調査したりして。他にも、指導要領などで教師の行動は現状でもかなり規制されておるのを、更にガチガチに統制したりして。そうなれば、影響力はさすがに教科書どころの騒ぎではなく、本格的に将来が心配になってくるところ。

 ぶっちゃけ言ってしまうと、教科書に関しては私もNFさんと同様、「公正中立」よりも「多様性」を支持。結局、「公正中立」てのは「国」が判断しておりますから。いつ何時、あさっての方向にぶっ飛ぶか分からん。現に、公民教科書での日本領土の記述に対する検定意見なんぞ、かなり政治的方針入ってますし。
 更にぶっちゃけると、現在ある「検定制度」なんか無くしてしまえ、と。扶桑社のもアリだが、逆に家永三郎検定不合格教科書もアリだぞ、と。で、現場の教師が自由に教科書を選択できるようにするのがよろしかろう。これぞ多様性。ただし、学生が学ぶ教材であるからして「アカデミズム」という括りは必要ですね。トンデモを公教育で教えちゃなんないぞ、という「検定」ならアリかな。

 結局、個々人が自分自身で判断できるようにすべきだと。その過程で多様な史観が生まれ、例えヘンテコ史観が大流行しても、それは自由と民主主義が本質的に負った「リスク」なのであって、国民全体が責任を負うべきだと思うところです。そのリスクで潰れてしまうような民主主義なら、日本の民主主義なんぞその程度のモノなのだ、とも。ちと厭世的になってますかね(笑) 長々と失礼しました。



#5863 
マルクスの恋人 2005/07/22 08:44
扶桑社は重大な規則違反を執拗に繰り返した版元です

扶桑社は、検定中段階で教科書をこっそり売り込むという重大な非を犯してします。
これは、扶桑社自身が、反対運動への影響を恐れ、御用議員を使って「検定中の教科書の内容が流出しないよう管理を厳重にせよ」とわざわざ規則を強化させたことに真っ向から反した賎行です。

しかも、途中でそれに気付いた文部省から、中止勧告を最低3回も受けながら、それでもやめようとしなかったことが判明しています。

そして、その結果当然内容が反対派に知れることになりますが、そうなるや反対派が不正な工作で盗み出したかのような誹謗中傷記事をでっち上げ、デカデカと偉そうに書きたてた挙句謝罪訂正を全くしない犯罪紙(新聞の名に値しない!)や自称ジャーナリストどもの跳梁跋扈ぶりを見ても、連中の本性が現れています。

もし、他社がそんなことをしていたら、連中は鬼の首を取ったように得意げに騒ぎ立て、害賎車の大群を差し向けて暴力犯罪の限りを尽くすことでしょう。

自分で制定させた規則を自分で破り、執拗な中止勧告にも従わず、バレると他人の犯罪をでっち上げて知らん顔するような輩が、何を偉そうに青少年の教育を騙るのでしょう。
文部大臣は採択活動の重大違反行為を理由に、職権で扶桑社を失格にすべきなのです。
これだけ文部省を愚弄しながら処分も何もしないのは、立派な職権濫用に値します。




#5862 
ブッチャ−3世 2005/07/21 08:18
十字架

吸血鬼が杭をブチ込まれたらヤラれてしまう設定は
通称・串刺し公のワラキア(ル−マニア)の
ウラド・ツェペシュ公が最期は味方に敵兵と
間違えられて槍で刺し貫かれた話からきてる
のでしょうか(汗
吸血鬼が十字架に弱い、という設定は串刺し大公が
ハンガリ−王に幽閉され、カトリックに改宗したら
解放してやると言われてカトリックになった逸話から
かもしれませんね、中世、ル−マニアは
トランシルバニアはカトリック、ワラキアはギリシア
正教会で拮抗してたようですね。
ヤン・ジシュカとウラド・ツェペシュの没年は40年
以上は間があったみたいですから2人は直接、関係は
ないですかな。フス派・最強軍団の創設者は、確か
戦役中に伝染病にかかって死んだみたいですから
自分で首を斬った人ではないでしょうね。(笑
ただ、相当、神聖皇帝ジギムンストの軍に打撃を
与えた軍隊の将だったようですから、カトリックには
魔人のように恐れられ、いろいろ際物伝説を流されて
も不思議は無かったかも。



#5861 
NF 2005/07/20 23:39
教科書は飾りに過ぎんのです、偉い人にはそれが分からんのです。

>mozawaさま
僕自身は扶桑社の教科書の存在自体はあってもいいかと思ってます。いろいろな立場の人間が書いた方がバリエーションも出るだろうし、検定を通すのであまり変な事は書けないわけだし…。前回の採択の時には反対派が採用を考えている自治体に脅迫電話をかけたりテロまがいのことをしたという話も耳にしたことがあるので、事実とすれば反対派・賛成派ともどっちもどっちやなあ、という感じですね。教科書の内容自体は、僕の観点からすれば可もなく不可もなく。強硬に反対するようなものでもない代わり、積極的に進めるような内容でもないと考えてます。だから、もし署名を求められてもしないでしょうね、「絶対反対」ではないけど首突っ込む気はないので。徹夜城さまもおっしゃってますが、教科書の内容だけで子供たちがどうこうなってしまうことはないでしょうね。得られる情報・史観などの多様性が保たれている限り。現に、日本の戦争責任なども含めて学校であ習った僕は↑のような意見になっちゃってるわけですから。逆に、教科書の内容から出ない授業しかできない教師は二流以下でないかと思います、きつい言い方ですが。
因みに、僕は日本通史の本をざっと判断するときには南北朝を集中的に見ることにしています。旧来の秩序が崩壊し混沌とした状況をきちんと把握できているか、商業の勃興などで力をつけた民衆の動向が捉えられているかが描く際に問われる時代。この国の歴史を描く上で頭を痛める原因の一つである「天皇」から目を背ける事が許されない時代。この時代をきちんと描けているかどうかが著者の力量のリトマス紙になるのでないかなと思います。で、著者が右よりか左よりかが分かっていれば、右なら足利尊氏を、左なら後醍醐天皇をきちんと評価できているかもチェックポイント。

>ブッチャー3世さま
「フス派」「吸血鬼」…。調べては見たのですが、はっきりしたことは分かりませんでした。ただ、両者に関連する人物としては、フス派急進派として戦いフス派敗北後はハンガリー王の傭兵として働きヴラド公ツェペシュをハンガリー王の命令で捕らえたヤン・イスクラ・デ・ブランディスが存在したようで。しかし、彼が問題の「首を切られた後も自分の首を持ち」という人物かは分かりません。



#5860 
徹夜城(そういや「てこ歴」更新が止まってる管理人) 2005/07/20 23:38
安田氏のキケン性

>galleryさん
 安田喜憲さんについては「てこ歴」以外でも何度か書いてますが…この人、一見「環境に優しい平和主義」ないいことを言うもんだから、素直に感心しちゃう人も多いのですよ。あと、日本人にとってどうしても「聞こえのいい話」というところもあります。僕などは例の「ノストラダムスに惑わされるな!」の安田氏の文章を見て以来、いくつか彼の著作を読みましたが、どうもこの人、海外経験で強烈な欧米コンプレックスを持ってしまったパターンの方ではなかろうかという気がしたんですよね。
 えと、補足確認ですが、安田氏はあくまで「ノストラダムス」を信じてるわけではなく批判してるんですよね。ただしその「ノストラダムス」理解、さらには宗教関係の知識・理解に大きな誤り(および偏見)があるままにそれを論じるからおかしくなっちゃう。そのうえ自分の口からは天変地異の危険性を説いて人を脅すというヘンなところもあり。
 森の文明論、自然との共存うんぬんについては特に異論はありませんけどね(そういえば愛・地球博のテーマとかぶるような)。ただこの人はなぜか「本来の日本文明」がそれだとやたらに持ち上げ、欧米、イスラム、中国などの文明について「力と闘争の文明」と位置づけ、日本を含むそれ以外を「美と慈悲の文明」とあっさり二分断する(しかも明らかに後者を高く評価する)姿勢には首を傾げざるを得ないです。日本だってふりかえればモロに「力と闘争」やってた時代もあるわけで。
 「長江文明」にも首を突っ込んでいて、「世界最古の都市文明」と持ち上げてましたが、それをなんとかして「日本のルーツ」に持っていこうとするところにもなんかこの人のイビツさを感じてしまうんですよね。



#5859 
徹夜城(久々に倭寇研究者っぽいことをした管理人) 2005/07/20 22:54
「海上史史料室」オープンしました!

 先ほど「俺たちゃ海賊!」コーナー内に「海上史史料室」をオープンしました。とりあえず完成していた鄭舜功「日本一鑑・窮河話海」の「海市」の条の現代語訳を第一弾として掲載いたしました。
 我ながらかなり乱暴な訳をしてるところもあるので原文もアップしておきました。しかしいずれにしても難しい内容なので、興味のある方だけお読みくださいな、というものですね。今までアップした「事件簿」や「人名録」でちょっと倭寇史に興味を持った方がお読みくださると面白いかも…と思っております。
 今回アップした「海市」というのは日明間の交易の歴史をまとめた文章でして、明以前の時代、それこそ「漢書」の「夷州・亶州」の時代から書き起こしています。倭寇史にとどまらず日中交流史を考える上でも面白い史料だと思うんですよね。またポルトガル人の中国貿易への進出も描かれており、中にはなかなか興味深い…というか笑っちゃうような話も含まれています。

 今回の「海市」はあくまで交易関係の記事なので、「嘉靖大倭寇」じたいについては記述がありません。次にアップ予定の「流逋」の条がまさにこれを扱っており、「人名録」でも取り上げられた海賊・海商たちの劇的なエピソード(なぜか鄭舜功だけが記している)も出てきますので乞うご期待。「海市」と合わせて読めばあなたも倭寇博士(笑)。
 「ご案内」のところにも書きましたが、膨大な量の原典史料を全て紹介するわけにもいきませんので、短いもの、読みやすいものを中心にアップしていく予定です。以後のラインナップとしては実質的な「王直伝」ともいえる『籌海図編』の「擒獲王直」ですとか、王直全盛期を伝えるドキュメント「海寇議」なんかを予定しております。



#5858 
gallery 2005/07/20 22:44
認めたくないものだな。若さゆえの過ちというものを…

>環境考古学
…てゆーと、「てこ歴」の安田喜憲教授が真っ先に思い浮かぶのですが(笑)
ぶっちゃけ言うと、私、『NHK人間大学・森と文明』であの人の講義を聴いて
感動したんですわ。歴史に興味を持ったのも、それがきっかけの一つだったりして。
懺悔しますと、私も昔はノストラダムス信じてたりして(笑)
かろうじてハマらなかったのは、高木彬光のファンだったからで。

ある時「てこ歴」読んで…_| ̄|○  ノストラダムス信じてんのか、この人も。
そういうトンデモ視点から、も一度『森と文明』を見直してみると…あら、確かに。
安易な西洋的価値観至上主義に疑問を提示していることには、異論ないのですが
その反面、日本的価値観を過剰に評価している傾向は確実にありますな。
「花粉分析」など手法はまともだと思うので、調査結果を都合よく解釈してないか。
結論に至る因果関係に矛盾ないか。こちらで検証する必要があるのではないかと。

当時、この方の説、結構いろんなところに影響を与えていたようで。
『もののけ姫』も、明らかに『ギルガメッシュ叙事詩』下敷きにしてるし、
かわぐちかいじ『メデューサ』でも、安田氏の説そのまんま使われてましたし。



#5857 
mozawa 2005/07/20 09:56
大洗町で・・

管理人様
大洗でそんなことが起きてるのは知りませんでした。
水戸で署名活動をしていた背景はそれかもしれませんね。
反対のため署名しないのか、ただ面倒くさいのかは分かりませんが、中高生以外に足を止める人はほとんど見当たらず、ほっとした自分であります。

縄文VS弥生展
いってみたいとは思っております。チラシを見たら「考古学と科学の対決」みたいな展示もあるそうで。
昔からの考古学専門の人は、科学的な年代測定と対立するらしいですが、その辺がどれほど突っ込んで展示されてるか気になります。
最近は環境考古学という分野もあるそうで、歴史好きで理系に行った自分などは、こういう分野を専攻すれば良かったなあと、後悔する今日この頃であります。



#5856 
景虎 2005/07/20 02:03
弥生ちゃんの謎

時代は少し違いますが、歴史群像シリーズの『飛鳥王朝史』に、古墳時代末期の服装再現が載っていました。
それを観ると、男子は白い服ですが、女子の場合は上は赤、下(スカート)は、青、白、赤の三色の縦縞入りでした。埴輪からの再現だそうですが、女子は以外と派手で驚きましたね。
高松塚古墳の壁画からの再現という、天武、持統朝の服装だと、女子のスカートの縦縞が、白、緑、赤、青とさらに派手になってました。
弥生時代の『ちはや』が、日本の衣服の祖形だそうですが、当時の技法では、腰の幅以上に広い幅の布は織ることができず、その後も一般的には、30数センチ程度の物が作られ続けてきたので、後世でも着物は二幅仕立てだとか。
色の問題はともかく、当時の衣服の形状は、技術的な問題も影響しているのでしょうね。



#5855 
ひで 2005/07/20 00:01
呉と倭

たしか講談社の中国の歴史4巻でその辺のことも少し話題に上っていたような気がします。呉の工人が倭にやってきて三角縁神獣鏡を作ったという説も最近だされているようですが、これはどうだかわかりません。また、孫権は部下を夷洲と亶洲という場所の探検をさせていますが、亶洲というのがもしかしたら当時の倭国のどこかだった可能性があるようです。ただ、実際には沖縄諸島のどこかや種子島、フィリピン辺りを想定した方がよさそうですが。ちなみに中国東南部から朝鮮半島南部なでの直接航海そのものは非常に困難ではあるが可能なようです。古代の筏を復元してそれで中国から韓国まで行くという実験が実際に行われています。

http://pezetairoi.hp.infoseek.co.jp/


#5854 
徹夜城(ここ数日海賊コーナー整備作業中の管理人) 2005/07/19 23:31
更新作業はめぐりめぐって(笑)

 こうあちこちでいろんなことをやっていて、更新作業は気の向くままに進めておりますと、各種コーナーの更新は数ヶ月から数年(笑)ごとのローテーションになってしまうんですな。
 いまその気が向いて集中的に作業してるのが「海賊」コーナーだったりします。原点資料を翻訳のうえ載せるコーナーがいつまで経っても未公開になってましたが、近々アップできそうです。王直らが活躍した嘉靖倭寇時代の貴重な記録をいくつかアップする予定。
 しかしまぁいざ翻訳しようとすると難しいところがいっぱいありました。漢文で素で読んじゃって意味がわかったつもりになって気がつかなかった問題に気付かされたりもして、現代語訳というのはやはりやっておくべきなんだな、とも思いましたね。
 その過程で次々と海賊・海商たちの名前が出てきて…「ああ、こいつらを人名録に入れないと!」と思うことしきり。まだまだ面白キャラがとりこぼされていたのでありますな。これも近日中になんとかします。「事件簿」もぼちぼち再開しようかと。

 ところで今日になって知ったのですが、岡本喜八の名作「日本のいちばん長い日」がようやくDVDで発売になるそうで(22日とか)。待ってました!のタイトルでした。
 そういや先日TV東京でこれと同じネタの再現ドラマがあったのに見逃しました…


>弥生と縄文と
 ここでいろいろ話題が続いているなか、3000〜4000年前の縄文土器から種籾の「スタンプ痕」が見つかったという報道もありましたね。
 縄文時代とされる時期に地域により米作りがあったこと自体は事実なんでしょうけど、まだまだ分からないことだらけでもありますね。昨年に歴博が弥生時代の開始の300年前倒し説を出して話題になりましたが、こうなってくると縄文から弥生への変化って意外に劇的なスピードではなかったのかもしれません。
 
>刺青
 ななさんにレスですが、日本人は江戸時代ぐらいでも刺青にあまりマイナスイメージを持ってなかったんじゃないかという気もします。罪人に「入れ墨」をするというのはありますけど、「彫り物」のほうは特にヤクザでなくてもやってたみたいですし。現在の「タトゥー」みたいにファッション感覚ってのもありますしね。
 「魏志」の倭人伝に出てくる文身ファッションなどが南方系の風俗を思わせる…という指摘は以前からありますが、どうも後々まで中国では日本を南方の国と認識してるフシがあるんですよね。秀吉の朝鮮侵略への対抗策にシャム(タイ)に背後からの日本攻撃を要請しようとしたぐらいで。倭寇たちも福建・広東との結びつきが強いように感じますし、琉球列島を通るルートで意外に古くから結びつきが強く、それが「日本は南方」イメージを作ったのかもしれない…などと思うんですが。


>航路
ブッチャー3世さんへのレス。
上記の内容とかぶってきますが、確かに日本から東シナ海を突っ切って長江河口付近に狙いすまして到達するのは古代においてはかなり難しかったようです。遣唐使船がこのルートを使ってますがやはり事故が多かったみたい。でも不可能というわけではもちろんないですし、航海技術が発達した明代の倭寇時代には平気でひょいひょいと行き来している観があります。
 ただそれとは別に呉と倭の関係については以前から議論があったような…正確なことは忘れましたが、呉が倭人を連れて来たとかいう話が陳舜臣の『秘本三国志』に元資料つきで出てきたような…


>mozawaさん
 駅前で「つくる会教科書採択」を求める署名…という話には僕も驚きましたが、その後身近なところで聞いたら僕の地域の最寄り駅でもやってたそうです。そういう宗教団体っぽいところ(いや、実際に支持母体にそれがあるわけですが)が不気味でもあるんだけど。
 ただ実際に署名活動やったりもする僕の母に言わせると、話を聞いて署名したりしてくれるのってたいがい中高生なんだそうですよ(笑)。彼ら、文字通り「右も左もわかりません」から(笑)。某冤罪事件の署名活動してたら競輪場通いのオジサンたちが妙に熱心だったとか言ってましたが(笑)。
 報道されてますが大洗町の教育委員会が「つくる会教科書」採択を求めて他市町村を含む採択地区の決定に反対して揉めてるそうで。これ、以前の採択のとき栃木で起こったケースの逆パターンなんですよね。決定が変化せず意地を通す場合は有償で副読本として買う事になるそうですが…
 聞こえてくるところによると今回あまりに採択が少ないとさすがの扶桑社も慈善事業やってるわけじゃないから投げ出す可能性があるらしく、会としては危機感を持ってるらしいんですね。扶桑社が手を引いた場合はPHPか徳間か…
 ま、それにしても無駄な騒ぎを起こす人たちだなぁと思うばかりでしてね。内容も実のところ検定でかなり骨抜きにされちゃったし(検定前の内容ではまず無理だと読売社説も書いたぐらいで)以前に比べればトーンダウン。実際に中学生に社会を教えてる講師の立場から言って、あれ読んで中学生がどうのこうのなっちゃうとはとても思えん。だいたいみんな教科書の内容にそんなに感化されるぐらいなら学校も塾も苦労しませんって(笑)。



#5853 
ブッチャ−3世 2005/07/19 22:07
日本列島への片道切符の船旅

熊本の遺跡から縄文時代中期の土器で稲の もみ殻が
出たそうで、日本の稲作上陸時期は、また論議を呼び
そうですね。
魏志倭人伝で思いだしましたが、三国志の時代という
ことで、では三国のうちで倭と連絡していたのは魏
だけなのか?呉だって海を共有してるから呉が倭と
コンタクトした可能性は全くなかったのか?みたいな
ことを歴史マニアの人にぶつけたことがありました、
まぁ素人っぽい疑問ではあったのですが、そのマニア
さんは、せせら笑って、海流の関係で、当時の航海術では
揚子江圏の海岸から日本列島へ向け出航するのは
かなり危ないことだったそうで、それなら、まだ、
華北海岸から出航したほうがましだったみたい、もっとも
華北から行っても当時の航海事情では危険な大冒険だった
ということで。



#5852 
なな 2005/07/18 20:24
弥生人と一口には…

すでに縄文時代に稲作が行われていたというのは、私も以前にテレビで見たことがあります。
青森だったか、縄文時代の水田の跡が見つかって、しかしなぜかその地での水田耕作はすぐに途絶してしまうんです。
考古学の先生はその理由を、遺跡から発掘された人骨の多くに病変が見られたことから、稲作とともに新しい病気ももたらされて、それで稲作をやめてしまったか、続けられない状況になってしまったのではないかと…。

ただ、弥生人の服装のことに話を戻せば、なにも縄文時代までさかのぼらなくてもいいのでは、と思います。

現代の中国南部や東南アジアの少数民族がそれぞれに個性的な民族衣装を持っているのは、狭い地域に多民族がひしめいて暮らす中で、自分の所属やアイデンティティを明らかにするという意味があるそうです。
市場など、複数の民族が一同に会す場所で、一目でどの民族かわかるようになっている。
同じ民族どうしでも、村ごとに伝承されている模様があって、それを胸元や被り物など目立つ部分に刺繍する習俗があるんです。模様を見ればどこの村の者かがわかるの。

稲の伝来したルートも、中国南部からと朝鮮半島経由とあるので、両者の服装は違っていたかもしれないし。
中国南部から直接渡来した人々はもちろん南方の衣服だったかもしれない。
朝鮮半島から来た人たちは…。
思うに、祖先が中国の南部からやってきたのだとしても、一度でも華北や中国東北部の冬…マイナス20℃以下だっけ?…を体験したら、いやでも自前の服飾文化を変えざるを得ないんじゃないかなぁ…。(^^;

縄文人骨は時代や地域の差が小さいのに対し、弥生人骨は地域差が顕著なのだとか。
弥生式土器に九州・吉備・近畿・東海など地域ごとの特徴があるように、服飾文化の地域差も大きかったのでは。
魏志倭人伝ではクニによって刺青の模様が違うと記述しているようで。
想像すると、弥生時代の日本は、あちこちにリトルトーキョーやチャイナタウンやアラブ人街のような移民の集落が点在していたのかな。
長崎ハウステンボスとか志摩スペイン村とか…。(←それは違う)
まぁ極端な話、クニが違うだけでもかなり異なった服装をしていたのかもしれませんね。

で、弥生時代も何百年間とあるわけで。
卑弥呼の時代はその最末期。
朝鮮半島の衣服は当時最先端のファッションだったかも。



#5851 
mozawa 2005/07/18 15:53
扶桑社の歴史教科書

今日、茨城県の県庁所在地の駅前で、「作る会」教科書採用のための署名活動が行われており、びっくり。 勧められたら「絶対反対だ」とでも言ってやろうかと思ったのですが、私には声がかかりませんでした。(ちょっと残念だったりする)
署名する人が少ない中で、話を聞いたり書き込んでいるのは中高生ばかり。判断能力が無い若者をかどわかしおって!と憤りそうになりました。 でも、説明聞いて判断できない高校生もちょっと問題ありかなと思ったり。

他県の皆さんで、この署名活動見たことある方はいらっしゃいますか?
私は初めてだったのでちょっと驚きました。



#5850 
不肖デルタ 2005/07/18 09:20
片目の団長

>フス派
フス派の軍隊というとヤン=ジシュカが創設した軍団の
ことでしょうか、日本ではあまり馴染みのないこの人物、
チェコでは銅像も建っていたりと、英雄に分類される人
でしょうね、この傭兵隊長も全盛期はチェコ王を廃位し
臨時政権を立てたくらいだったそうで、神聖皇帝の軍を
何度も撃退したそうですね、このヒトは、かなり高齢に
なってから出世が始まったようで、日本でいえば
伊勢新九郎みたいな感じ?あと片目で眼帯をしていた
武将だったそうで、伊達政宗も少し入ってるかな(笑



#5849 
民本主義者 2005/07/18 02:25
ブッチャー3世さん!それは!

ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』第二編(新潮文庫版上巻82−83ページ)を引用します。
「おたずねというのは、こういうことでございます。『殉教者列伝』のどこかに、何とかいう奇蹟の聖者について書いたところがございまして、その聖者が信仰のために迫害を受け、最後に首をはねられたところ、立ちあがって、自分の首を拾いあげ、『やさしく接吻した』、それも、首を両手に抱えて永いこと歩きつづけ、『やさしく接吻した』と記してあるのですが、長老さま、あれは本当でございますか?本当なんでしょうか、どうでしょう、神父さま方?」

別の邦訳の訳注に、典拠が書かれていたやうな記憶がほのかにいたします。



#5848 
阿祥 2005/07/18 00:22
弥生時代の服装は北方系?

ななさんのレスに僕も思い当たる事があります。

うちのかみさんは台湾の人で、弥生時代とか縄文人とかにはあまり先入観がないんですが、その彼女に例の“縄文VS弥生”のコスプレのしおりを見せたら、白い弥生人の服装は北方系の感じがする、縄文人の服装は逆に台湾の原住民みたいだと言うのです。そうじゃなくて弥生人が稲作文化を持ってきた南方系で云々と説明しそうになったのですが、ふと彼女の言うことも一理あると思い返しました。

あの服装がある程度フィクションに近い物だと言うのは徹夜城さんもおっしゃっていましたが、大筋としては弥生人の服装ひいては聖徳太子のドラマで使われていたような、ああいう白い服装が弥生人のものだという共通認識はあるわけですよね。この服装感はどこら辺に根拠があるものなんでしょうか。イメージとしては沖縄や韓国の巫女のものに近いような気がするのですが、そのルーツはどこかもっと先にさかのぼれるものなのでしょうか。まったくの印象ですが、あれは言われて見ると南方の亜熱帯よりも空気の清浄な北方にふさわしい服装のような気もします。皆さんどう思われます?

稲の伝来については、どうも一般的に言われている弥生時代よりももっとさかのぼれるらしいという記事を読んだことがあります。縄文時代にすでに稲は日本に伝えられていたと。ただ、弥生時代になって種類がより大量生産に向いたものになり、そのおかげで農村社会化が進んだと。
そう言うことだと、稲を日本にもたらした、倭人と言うのは実のところ縄文人と呼ばれている人たちであり、その後、南韓国、沖縄を含んだシャーマニズムにあふれたあの白い服装をした人たち弥生人が日本に来て大和朝廷を開いたと、こういうシナリオも考えられないことはありません。



#5847 
なな 2005/07/17 00:46
刺青

自分の首を抱えて突っ走っていったんですか?
ラグビーの選手みたいに!?
うわ…、想像するとこわひ…。

弥生時代の服装の話が出たしばらく後で、不意に思い出したんですけど。
入れ墨かもしれない文様のある土偶、魏志倭人伝の記述、入れ墨をした人物埴輪、古事記にも入れ墨をしている登場人物が出てきますし…。
入れ墨という身体装飾の文化を持っていた弥生人が、無地、まして白一色の衣服だったとは…ちょっと思えないかなー、…なんてね。
まぁわからないけど。どこかから布地の断片でも発掘されないかしら?

こうしてみると、入れ墨はそうとうに長い文化的伝統を持っていたようですが、いつの時代からタブーなものになったんでしょう?
ちなみにアイヌ民族は近代まで入れ墨をする風俗がありましたね。



#5846 
ブッチャ−3世 2005/07/16 18:43
フス派?

えぇ最近、テレビの深夜映画で非常に安手のホラ−映画を
見てまして邦題は「バンパイア最後の聖戦」名前からして
3流映画っぽいでしょ?(笑
主人公は世界規模で活動する吸血鬼ハンタ−って筋で
話の筋もアクションも全く斬新なところはない、しょうも
ない映画なのですが、この映画の設定のうちで、非常に
歴史マニアックなところがあって何じゃそりゃ〜と思った
ことには、吸血鬼集団の首領というか、吸血鬼の開祖
みたいな人物が設定され、その人物は中世、東欧で
ボヘミアで反乱し神聖皇帝側を苦しめたフス派軍の親玉
だというのです、その歴史人物は自分で自分の首を切断
して自分の首を抱えて突っ立っていたという、日本の
弁慶よりも凄い際物伝説があるとか。で、誰のこと
なんでしょうか(笑




#5845 
孟きょう 2005/07/15 00:44
ロンドンは大変ですね

>徹夜城様
 そうでした。明清交代期の「華夷変態」がありましたね。それから来る「我々こそ中国だ」というコメントで有名どころだとたしか山鹿素行がいましたね(ブーブー言いながら日本、朝鮮ともども結局中華になりたいんだなあ。複雑な心理ですけど、それなしには日朝両国の歴史展開、文化もありえないんですけどね)。
 >NF様 
 アジア史における軍事史関連の資料的制約なんですが。そうなんですよね。北アジアとならんでアジアの軍事先進地域である中国史の漢文資料にしてからが「歩騎〜万。矢石、雨の如し。馬に〜を銜えさせ。〜千の首級をあげた。之を破る」等の記述は頻繁にでてくるんですが現場の全体像をうかびあがらすにはどうもわかったようで今イチわからない事が多いのが現実なんですよね。その戦時体制時における各エリアごとに任命される軍事関係の役職名等はざらに記述されてはいますが。担当史官の興味外だったのか。歴代王朝にとり軍機密だったのか。王朝交代の際、常に焼失するのか。軍忠状のようなものはどれくらい存在したのか。私には到底検討もつかないんですが。せいぜい「ここは確認できるが、このあたりは分からない」と穴だらけの現状を確認し、分別していくのが関の山なんですよね。漢文の癖もあるのでしょうが。日本史における軍事史の場合も、自明の理として分かったようでも、けっこう軍談とかで面白く脚色されてるとこもあるから楽観はできないんですが(近代以前、朝廷が中国式の軍事制を取り入れている以上、中国史の軍制、軍事史を徹底的に研究されることで、わりあい日本における軍事史のけっこうな部分が判明する事が可能なのでは、とふとおもってしまいます)。
 カエサルの『ガリア戦記』なんかをみてるとディティール細かく書いてくれているし、ビジュアル面でも想像しやすい親切な文ですよね(行軍中の日記だとアジアでは、ジュンガルのガルダン追討中の康熙帝が北京の皇太子にモンゴリアからあてた手紙があるにはあるが)。軍事ファンの人口に膾炙しているザマの戦い等も、まるで見てきたかのように(見てた人がいてきっちり記録してくれているんだろうが)陣形や戦況がことこまかに生き生きと多くの本で戦術史とともに描写されていますからね。ああいうのは正直羨ましいです。 ただ、かえすがえすも残念なのは軍事史において、世界の東西の情報のすり合せ、確認が不足している点なんですよね。だから西洋の軍事史で特筆されて、世界レベルの軍事的発見のようにさわがれている事が東アジア史を中心に見ている人から見ると違和感、温度差を感じる点が時々出てくるわけで・・。
西洋で各合戦で特筆されている長弓についても、弩の扱いについても、中国史や他のアジア史では使用するのは紀元前からの常識というか、革命的に驚愕するほどの事ではないというか・・。軍馬、騎兵の運営、使用についても西洋史、日本史では喧々諤々している事が中国史や北アジア史での騎兵の運用史(こういう箇所だと字面だけではわりあい豊富だったりする)での記述の多さを見ると常識が根本から覆ってしまう事とか・・。世界軍事史等でナポレオンとか、アレキサンダーとかモルトケとか、フリードリヒとかはよく出ますけど。どうも限定しすぎというか、一方的すぎるというか大雑把すぎるというか。紋切りすぎるというか。アジア史から見ても十分納得できる軍事史を見てみたいんですよね。(勝手な事ばかり言ってすみません) 



#5844 
NF 2005/07/14 22:15
「兄よりすぐれた弟なぞ存在しねえ!!」…失礼しました。

この表題の一発ネタのためのような投稿になりますが…。

>徹夜城さま
>兄弟げんか
権力者の兄弟の場合、自分の思惑だけでなく側近らの思惑も絡んで(彼らにとっても出世などがかかわる)争いを避けようにも避けられなくなるようですね。すると、ライバルにとって自分の思いとは関係なく自分の存在自体が脅威となる。権力欲を満たすためだけでなく、最低限自分が死にたくなければ戦って勝つしかない、そういう状態になります。権力者の家に生まれるのも良し悪しですなあ、とありきたりな感想を述べたところで。南北朝関連の兄弟喧嘩で忘れてはいけないのは後深草・亀山兄弟。「日本史上最も迷惑な兄弟喧嘩」の地位を尊氏・直義と争っているといえます。
>「電波」
御察しのとおり、あの記述はウィキペディアの説明をほぼそのまま引っ張ってきたものです。僕は、以前別の調べ物をした際に「雫」でこの言葉が出てきているのを知った(因みにこのゲームは未プレイ)関係や、実際に使われた例からどちらかと言えばオタク系統の用語というイメージを持ってました(僕も割と使ってましたが)。で、ああいう発言になったわけで、どうも失礼しました。
>生きてるうちから生霊になってとりつきそうな人
これは全く同感。古い話題を蒸し返しますと、フリーメイソンと喜んで結びそうなのは尊氏よりも寧ろ後醍醐じゃないかな、と思ったことも。

>理和さま
もしお役に立てたのであれば嬉しいです。
>ジャズには不幸な双児の弟がいた話
不幸な弟の残した夢を残された双子の兄が果たす、と言えば今年の映画つながりにも(笑)。…しょーもないネタは置いとくとして、
>後白河法皇が現代にタイムスリップしてきたら、絶対にジャズにハマる
確かに、あの人は何かミーハーそうですから。いや、あるいはポップスの方が好きかも…。因みに後醍醐天皇はクラシックもしっかり押さえた上でオタク的なアニメソングとか宗教ソングとかアブなそうなものを好みそう…。しかし、確かに音楽の歴史、特に流行歌のそれを追うのは難しそう。読んだことがある文献も歌詞の面からのみの追求になっていましたからね。それでも韻・テンポなどからある程度わかるとは思うのですが…。



#5843 
理和 2005/07/14 15:41
ディスコテークのあいまいな史源

こんにちわ。

ナチスドイツがらみでこんなトリビア(?)ありました。
→www.fe-mail.co.jp/trend/webseminar/50531.cfm
PAシステムの起源がナチス党大会にある、というのは有名な話なんでしょうか?
「歴史の始まり、オリジンってわからないんですよ。最初がわからないのが歴史の本質。」とか、ジャズには不幸な双児の弟がいた話(←偶然にも兄弟つながり!)とか、アーティストらしい面白い世界観だなあ、と思って読みました。
菊地成孔氏は、最近TVでドキュメンタリーが放映されるほど注目されてるジャズ・ミュージシャンなのですが、わたしがここに突っ込もう(笑)と思ったのは、(たまたま話のネタがあった、ということもあったのですが)この人が最近出した「東京大学のアルバート・アイラー〜東大ジャズ講義録・歴史編〜」がムチャクチャ面白くて、ここの人たちにもどうかな?と思ったからです。音楽という、捕らえるのが難しい、けれども人間の営みとして決して無視することの出来ないものの歴史をどう語るか。その切り口の面白さ+副次的に20世紀アメリカ史、&音楽好きだけどジャズにはどこから入っていいかわからない(それはわたしですが・笑)人へのビギナーズガイドとしても良さげ、という、ひと粒で3度美味しいお得な本だと思います。
なんだかアマゾンブックレビューみたいになってしまいましたが(^^;)、唯一の問題は、音楽に興味ない、といった方たちのこと。そういう人たちにはかなり辛いかもしれません。。(かなりゴリゴリに音楽そのものの話なので)

もし後白河法皇が現代にタイムスリップしてきたら、絶対にジャズにハマるだろうな・・
あるいは、一遍上人遊行・念仏を録音出来たら、すっごいグルーヴィだったりして。。
まどという妄想はさておき、実際音楽のような「消えもの」を歴史のなかにどうとらえて記述するのか、というのはけっこう面白い問題だと思うのですが。

アート絡みでもひとつ、最近東京国立近代美術館に明治〜昭和期の日本画家、小林古径展を見に行きました。その中に、「阿新丸」なる作品が。それは、軽々と青竹にぶら下がり、いまにも危地を脱出せんとする凛々しい美少年の絵姿でした。
あ、これは「太平記」絡みだったなあ、と思って色々調べてみたのですが、佐渡島における伝説は、確かにそうとう血生臭い。。
NHK的には、12〜3歳の子役が、仇討ちとはいえ人を殺すというのはやっぱりマズかったんでしょうかねえ・・
それにしても南朝方ジュニアの方々、北畠顕家(字に自信ありませ〜ん、でもいくらなんでも成人後もゴクミというのはちょい違う〜と、オンエア時思ってました)など、いくら成人年令が今よりずっと若かったとはいえ、異様な若さで総大将だったり、なんだか早くに修羅場に放り込まれ過ぎじゃあないでしょうか?

>NF様 
「萌え」定義について、丁寧なご教示ありがとうございました。なるほど、これに従えば私が「萌え」てるのは「ヒロヒト」でも「マッカーサー」でもなく、「ソクーロフの画面」なんだなあ、というのがよく分かります。

>徹夜城様 
岡田真澄さん危機一髪!(笑) でも、もし殿のお手付きになっていれば、今頃城のひとつくらい貰えてたかも(爆)

ではでは。



#5842 
徹夜城(兄弟仲は悪くないと思う管理人) 2005/07/14 01:02
ライバルとしての兄弟

 なにやら唐突な話題がまた発生しておりますが(笑)。
 まぁ人類の歴史は兄弟ゲンカの歴史ではなかろうかと冗談極論を言いたくなるほど事例は多いですね。そもそも「人類みな兄弟」って言葉もあったりするわけですが(笑)。
 そもそも家庭内でも兄弟というのはいろんな面でライバル関係でありますし、権力(あるいは財産)を握った兄弟が相争うのは無理からぬところではあるのでしょう。南北朝ネタですとなんといっても足利尊氏・直義の兄弟の例がありました。ある時点まで素晴らしいコンビの兄弟で、お互いに畏敬と愛情を抱いていたのも確かなんですが、最後にはああいう結末になってしまいました。そういえば以前NHKの歴史番組で「兄弟対決」をテーマに足利兄弟を取り上げ、鈴木清順・鈴木健二兄弟にそれぞれの立場を代弁させるという企画をやっておりました。
 ところで当サイトの管理人「徹夜城」と「K・E・N」も兄弟なのでありますが、少なくとも担当コーナー間のアクセスではライバルどころの騒ぎではなくて(^^;)。高校野球シーズンに入ってからは、この「史劇的な物見櫓」の16、7倍のアクセスがありますからね、あっちは。こちらも微増気味なんだけどてんで勝負にならない(汗)。


>角川兄弟
 これはまさに「角川家の一族」って映画を作ったら、というぐらいドロドロした話でしてねぇ…角川書店は一時内紛で凄まじいことになってたそうですから。角川家内のお家騒動がそのまま社内の派閥抗争になり、スパイ横行や分裂騒動が起こるという、戦国時代そのまんまの凄まじさだったそうです。PCエンジンユーザーは覚えがあるんですが、角川が出していたPCエンジン専門誌のスタッフがゴソッとメディアワークスの新雑誌に移るという騒動があったりしたんですよ。
 角川春樹氏については…これは映画の方で語るべきですかな。ある時点までは高く評価したいところもありますけど、次第にオカシクなっていったというのも確かで、今もお元気と見せつつ痛々しくもあるのですが。
 そうそう、このところ話題に出ていたヒトラーとのつながりを挙げておきますと、角川春樹氏の近著の自伝のタイトルが「我が闘争」(笑)。その中で自分の理想の死について「突然の死」とカエサルを気取っているそうな。


>NFさん
 ほほう、「電波系」って表現、僕はとくに何も感じず書いていたのですけど…何事にも歴史あり、ですね(僕も調べましたがウィキペディアの項目でそういう説明をしてるようですね)。僕のイメージではやはり「宇宙から電波を受けた」として妙な言動をすることを指してまして、「ゆきゆきて神軍」で映される、車体の隅々までビッシリと文字で埋め尽くされた奥崎氏の車にはまさに「電波」を感じちゃったんです。実際奥崎氏自身も「宇宙人の聖書」だの「神の真理」だのといったどっからか声を聞いてるような表現をするんですよね。
 後醍醐天皇の怨霊についてですが、生きてるうちから生霊になってとりつきそうな人でしたから(笑)、同時代人はマジで心配したんじゃなかろうかと思ってます。それで天竜寺を建てるわけですが、その費用捻出に元との貿易を画策してるあたりは意外に現実政治家的抜け目なさを感じちゃったりもします。もっともその後の室町幕府の苦闘を見ていると、後醍醐の怨霊かもしれんなぁ、と思っちゃうところはありますね。


 南北朝ネタにつながったところで。
 今ごろになって平岩弓枝さんの小説「獅子の座〜小説・足利義満」の文庫本を買って電車の中で読んでます。自分も「室町太平記」で書いたくだりがポンポンと出てくるので、興味深かったですね。連載時も存在は知ってたけど影響受けるのを恐れてあえて手を出さなかったんですが、まぁそれで正解だったかな、と。まだ最初の方しか読んでない…と思ったらあっという間に義満誕生から義詮死去、頼之の管領就任まで過ぎてしまいました。物凄いスピーディーな展開ですな。
 冒頭いきなり、赤子を死産した玉子(頼之夫人)の乳を頼之が吸ってあげているという夫婦睦み合いのシーンで…うーん、これはドラマじゃ表現できんじゃないか(汗)。でも「つかみ」としてはうまいよなぁ、と思う導入ですね。で、その乳を義満がとっちゃうわけで、序盤はなにやら少年義満と頼之の女の取り合いになってたりして(笑)。細川清氏も登場して玉子に好色そうな視線を向けるシーンがあったりしましたが、彼の没落、頼之との決戦での戦死はかなりアッサリで清氏ファンとしてはちと残念。



#5841 
ひで 2005/07/13 23:58
きょうだいなかよく?

神話・伝承のたぐいまで入れるなら、聖書の世界だと最初の殺人事件はカインとアベルの兄弟間でおきてますし、古代エジプト神話でもオシリスとセトの兄弟でもセトがオシリスを殺しています。他にも古代ローマ帝国のカラカラとゲタの兄弟の話やオスマン帝国の兄弟殺しの法などをみていると、兄弟は他人の始まりどころかもっとも身近なところにいるライバルのような感じすらしてしまいます。権力や富などを巡る争いもあるでしょうし、育ってくる家庭で強大で完全に公平にと言うわけにはいかないでしょうからその辺のところが絡んで兄弟同士で憎しみ会ったり対立したりするようになるのかもしれません。

http://pezetairoi.hp.infoseek.co.jp/


#5840 
不肖デルタ 2005/07/13 13:02
兄弟は他人の始まり

角川春樹氏と、いえば、角川映画で一世を風靡し角川文庫の
元・総帥、コカインで捕まり、その裁判は長きにわたり3審まで
いったんですか?忘れかけてましたが、最近まで服役してて
仮出所になったみたいで、この間、独占インタビュ−なるものを
TVでやってました、何か別人のような見かけの変わりようでしたが
喋りは絶好調で、このヒトは臭い飯を食っても変わりようないヒト
だなと思いました(笑
なんでも、今作ってる映画で「男たちの大和」は、春樹氏が
絡んでいるそうで、とても最近まで服役してたとは思えない
テンションの高さですね(笑
このヒトは角川文庫の経営からは全く手を引いてるそうですが
本人いわく「弟にハメられて角川文庫を取られちゃったのよ」
「親兄弟だからって信じちゃダメ、若貴だってモメてるでしょ」
ほんま元気そうでした(笑



#5839 
NF 2005/07/13 00:25


>松永さま
>ヒトラーの晩年
結構有名な話ですが、ヒトラーは第2次大戦勃発して暫くしてからパーキンソン病を発病。大戦末期にはかなり重症化していて、(戦局が絶望的なのも手伝って)かなり体がボロボロでしかも鬱状態だったそうです。で、経験的に覚醒剤を使用すると身体・精神状態が一時的に改善することに気づいてしばしば使用していたと言う話もあります。一説では怪医モレルを主治医としてそばに置き続けたのは彼を通じて覚醒剤を手に入れやすいからとも言われているそうで。晩年ヒステリックだったのはその辺も関係しているかも。
>徹夜城さま
「史点」拝見しました。
>「電波系」
失礼かもしれませんが(気を悪くされたならお詫びします)、徹夜城さまからこの言葉が出たのは正直意外な気が。で、少し調べてみたら、この言葉の普及と以前話に出た差別用語とはあながち無関係ではないようです。
1981年の深川通り魔事件の犯人が「電波に命令されて犯行に及んだ」といったのが元らしく、「サルでも描けるまんが教室」で使われ、(一部で傑作と評価される)18禁ゲーム「雫」で狂気を呼ぶ「毒電波」として扱われたのを切欠に広く知られるようになったようです。統合失調症の妄想について使われますが、「きちがい」という言葉が差別用語とみなされたことから代わりに広がったようです。つくづく、言葉は生き物だと思いました。
>「怨霊」と政治権力
「英霊」がもし存在すれば「怨霊」になるのではという意見は否定できないところ(ただ、「英霊」の対象が多人数なので一概に言えないのも難しい)。考えてみれば、政治権力が自らに「怨霊」として害を及ぼすであろう存在を逆に守り神としてしまおうとするのは珍しくないですね。有名なところでは藤原氏によって篤く祭られた天満宮がそうですし。「愚管抄」の道真の件は、露骨な摂関家擁護になっていて(何でも、天屋根命の子孫である藤原氏を守護するためわざと時平の罠に乗って流され神になったそうで)思わず笑ってしまった覚えがあります。天竜寺も後醍醐天皇の慰霊のため尊氏らが創建したものですが、これも同様な性格があったでしょうね(歴代将軍にとって後醍醐の慰霊は重要な行事であったそうです)。靖国はそうした伝統に乗っていると言えるのやら言えないのやら。



#5838 
徹夜城(「シスの復讐」を見てきた管理人) 2005/07/12 22:08
「ジベタリアン」って言葉が一時ありましたね(笑)

 ヒトラーの菜食主義の話から、みのもんた、バティスタ、リバー=フェニックス、コーラやハンバーガーまで凄いことになっておりますな(笑)。皆様、そろって引き出しが豊富だなぁと感嘆しております(^^)。
 ヒトラーの菜食主義の話、すっかり忘れていましたがそういえば「アドルフに告ぐ」でもヒトラーがアドルフ=カウフマンと会食するシーンで言ってましたよね。やたら量も少なく、カウフマンが「食べた気がしないなぁ」とボヤくという場面。


>garellyさん
 あ、矢口高雄さんのデビュー作「おとこ道」、復刊されていたんですか。雑誌掲載時どういう表現だったのか詳しくは知らないのですが、確か梶原一騎って在日朝鮮人の内縁の妻がいた時期があったような…その女性が梶原一騎に背中を日本刀で撫でられた?とかいう暴露話をしていたという話をなにかで読んだことがあります。
 矢口高雄さんといえば、最近「釣りキチ三平」を復活させておりますが、この方はデビュー当時から絵の変化が少ない人だなぁと思うばかりなんですよね(「ガロ」に掲載された処女短編からあんな感じでした)。そーいや復活にあたって「釣りキチ」の「キチ」が大丈夫なのか、という話が一部でささやかれましたっけ。

 復活…での連想ですが。「ビッグコミック」に広告記事が出てましたけど、白土三平「カムイ伝」の「全集」が発刊されるとか。「カムイ伝第一部」「第二部」「カムイ外伝」をまとめたもののようです。
 で、その記事でも「第三部まで構想がある」と紹介されているのですが…第二部もどうなったんだか分からない状況になってますが、第三部なんてホントに書けるのか?と思ってしまうばかり。いや、白土ファンであるこっちとしてはぜひ読みたいんですけどね。どうも大家漫画家たちはライフワークを未完に終わらせてしまう事態が続いておりますので、生きているうちにケリをつけてほしいな、と。


>孟きょうさん
 唐の滅亡が日本に与えた影響、というのは結構深刻だ、という点は僕も同意なのですが、同時代史ということでは実は明清交代が近世日本の中国観に大きな影響を与えたのでは、という見方もあるんです。つまり「華」である明が「夷」である女真族の清にとって代わられたこと(「華夷変態」)で「中華は失われた」という考えが日本・朝鮮ともに知識人の間で出てくるわけです。そしてそれぞれ「中華はウチに引き継がれた」とする発想からナショナリズム、国粋的な思想が台頭してくる…という筋書きです。
 鄭成功の話が近松の「国性爺合戦」になったり、抗清復明に失敗して日本に亡命した朱舜水にラーメンをご馳走された(笑)水戸黄門が中国史書スタイルの「大日本史」を編纂したりといったあたりにも「明清交代」ってのが意外と当時の日本に深い影響を与えた可能性を感じます。



#5837 
孟きょう 2005/07/12 11:43
明清

>徹夜城様 
日本における明清以降の中国史人気の不遇さの件ですが。明代史にまがりなりにも好感をもってしまった人間にとっては、たしかに重要な問題なんですよね(笑)。宋代なんか日本では歴史ファンからはマイナー気味な扱い受けてるし、近代以降の都合から岳飛への視線も冷ややかなので感情移入がしづらい(でも水滸伝がある分まだまし)。ただ尊皇攘夷の概念への敬慕や歴代宰相の知名度は幕末以前はかなりある。と微妙な人気がそこにはあるし、専門研究では経済史をはじめとしてガンガン論文が出される人気の高い時代ではあるので宋代の扱いはまだホットな面が存在するんですけど。明清史となると・・興味の熱気が全体的に少ないですね。 宋代以前の中国史は日本列島で王朝が創られ諸制度を導入する際に同時に取り入られ、血と骨のように教養として定着してたわけですけど。やはり、唐の滅亡により中国史が日本人にとって「遠い国の歴史」になってしまった可能性が少しあるんですかねえ。唐の滅亡が東アジア史に与えた影響ははかりしれないものがあるのでしょうけど日本にとって唐の崩壊というのは日本の朝廷が物心ついてから隋以来初めて体験する最大規模の王朝変革だったわけですから。ミニチュア唐、を目指した感のある日本の朝廷にとり、唐滅亡以降の大陸の歴史展開というものは近代以降まで心の奥でどこか想定外だったという事なのかもしれません。



#5836 
松永 2005/07/12 11:35
ヒトラーの菜食主義

 ヒトラーがヒステリックになったのは晩年からで、本当のところ、温厚とはいわぬまでも普通のタイプだったようです。

 それから、何か下のほうで自作自演説を唱えている人が居ますけど、ロンドンの事件は、和平に不満なIRAが今頃…とか僕は思いました。それから、はっきり言って遠隔操縦でぶつけるほうがムリ!旧式で鈍重な機体で訓練していれば、新型機で旋回するくらいラクなもんです。



#5835 
ひで 2005/07/11 21:25
昔自販機でホットの所にコーラがあった・・・。

怖い物飲みたさについついかってみたものの、単に表示部分が間違ってホットになっていただけだったような記憶が・・・。

それはさておき、無炭酸コーラについては、昔はマラソンランナーがスペシャルドリンクとして使っていたこともあるようです。ただし、糖分が多いとかえって吸収がおそくなるためレース中には適していないという話もあります。

ちなみに、無炭酸コーラと称する飲み物が現実に販売されていましたが、コーラとは言っていますが乳酸菌飲料にコーラの風味を付けたもののようで、コーラの風味のするヤクルトを想像すればよいようです。

http://pezetairoi.hp.infoseek.co.jp/


#5834 
中西豪(職場の雨漏りに苦慮中の鎮西大将軍) 2005/07/11 09:03
ちらりと宗教の影が(邪推)

 SBHのバティスタ選手、肉は食えないそうで博多ラーメンはスープを豚骨から取っていると聞いて一切口にしないとか。せっかく福岡の球団にいるのにもったいない、まあ魚は大丈夫のことなので、玄界灘の生きのいい魚介類には満足してるだろう、と外野で噂しています。しかし、ヒーローインタビューではくどいほど神への感謝を付け加えるバ選手、信仰に篤い人であるよなとなかば辟易しつつ感心していたのですが、ドミニカ共和国出身、カトリックからプロテスタントに転じたとあるけれど、それはどういう教義の宗派なりや、と邪推。大リーグ時代には日中断食の行などもやってるし。

>厳格な菜食主義
 故リバー・フェニックスが来日時、笊蕎麦の出汁を嗅いで見て「魚のスープが入っている」と手をつけず、麺だけもそもそと喰っていたという話はどこで読んだんだっけか。
 カール・ルイス、糖分の補給源として煮立てて炭酸を飛ばしたコーラを常用していた記憶があるのですが、健康に悪そうだなー、と思っていました。



#5833 
原田 実 2005/07/10 15:13
有名人(とゆかりの)ベーガニスト

歴史の話ではありませんが(かといって映画の話ともいいかねる)
この映画の監督モーガン・スパーロックの恋人アレックス嬢が
ベジタリアン・レストランのシェフでベーガニストです
(HPの「登場人物」一覧にも出ています)。

http://www.supersizeme.jp/

この映画の撮影で生死の境をさまよう羽目になった
監督が生還できたのは彼女特製の回復用レシピがあればこそだったとか。
もっともその大切な恋人と結婚に踏み切れない理由というのも
彼女がベーガニストだからなのだそうですが。

http://www8.ocn.ne.jp/~douji/


#5832 
ブッチャ−3世 2005/07/10 12:19
みのもんたの実際の食生活は健康的なんだろうか?

>独裁者は非美食?
食生活が健康的=善人なら世界は、もっと平和な気もするし
思いっきりTVは善人製造番組?(笑
フセイン元・大統領もさほど食に拘らないというか、美食家
ではないようです、この間、フセイン氏の獄の元・警備兵の
証言とかいうのを報道してましたが、獄で出される食事は
普通に平らげて不平も言わないとか。
警備兵がフセイン氏に、あんたも大統領の時は散々
旨い物を食っていただろ?と言ったらフセイン氏いわく
統治者が豪華な料理を出させるのは統治者の自分の体制が
いかに豊かなものかを外に知らしめるために過ぎない
旨いものを食べたいから食うのと違い大して旨く
感じないものだよ、と。



#5831 
ひで 2005/07/09 21:06
vegetarian

ベジタリアンの由来はその言葉の形から野菜の方だと思われがちですが、日本ベジタリアン協会のサイトによるとラテン語のvegetus(健全な、新鮮な、元気のある)だそうです。もっとも、vegetableも由来をたどると結局この言葉に行き着くのですが・・・。なお、1847年にイギリスでベジタリアン協会が結成されてベジタリアンという言葉が出現する前は、そのような食生活をしている人はピタゴリアンと呼ばれていたそうですが、これはピタゴラスがそう言う食事をしていたためだそうです。19世紀の前半になると食品をめぐる不正行為(混ぜ物や毒性のある添加物の問題)がそれまで以上に目立ってくるなかで安全性への疑いが高まってきますが、その辺は何か関係はあるのかどうか調べてみます。

ちなみに日本ベジタリアン協会のサイトにはベジタリアンの著名人の紹介もありましたが、ヒトラーは出ていませんでした(さすがに今のご時世では出せないと言うことか)。ちなみにカール・ルイスはベジタリアンのカテゴリーで言うと一番厳しい部類(肉・魚はもちろん、卵や乳製品もいっさいとらない)にはいると言うことは知りませんでした。あの贅肉のない体が野菜中心の食事で作られたとは・・・。

http://pezetairoi.hp.infoseek.co.jp/


#5830 
gallery 2005/07/09 17:07
放送禁止擁護…どっちやねん(笑)

>放送禁止用語
森達也氏の『放送禁止歌(解放出版社)』によれば、禁止される用語・表現を特定するマニュアルなど存在せず、そのほとんどが出版社・放送局の「自主規制」によるものだそうで。 よって、差別的表現があったとしても、作品そのものが差別を助長する目的でないことを証明できる下準備と、抗議を恐れない度胸と、何かあった場合に責任を取る覚悟さえあれば、堂々と放送できるようです。

 この放送禁止表現。著作権との関わりで少々ややこしいことになっておりまして。
@.亡くなった人の表現は、勝手に改変してはならない。
A.ご存命の場合、本人の許可があれば改変OK。
B.@の場合でも、著作権を保持している者(相続とかで)の許可あれば改変OK。

@音をカットしたり「ピー音」入れるのも「改変」じゃなかろかと思うのだが。
A最も大量修正ある作品の代表が、藤子A氏『魔太郎がくる』。秋田書店の旧版と新装版の1巻を読み比べれば一目瞭然。カットされた話は大量にあるわ、セリフ変えられてるわ、暴力表現が異様にマイルドになってるわ(鼻血が出なかったり、暴力シーンで白黒反転させたり)。
 逆に、藤子F氏の方は故人ですから勝手に改変できず。『オバQ』の『国際オバケ連合』なども復刻は難しいようです(アフリカのオバケを指差して「あいつは人間で言えば人食い人種だから気をつけろ」てのがNG)。話の中ではいいこと言ってんですけどね。「世界がおかしくなっているのは、悪い首相や大統領がいるせいだ」「そんなヤツは食べてしまえ!」とか(笑)
Bが、梶原一騎作品。K国人(韓国人)差別表現で、復刻は不可能と言われていた矢口高雄のデビュー作『おとこ道』も、その部分の表現を改変して復刻されてましたから。
 ちなみに、現在の著作権者は奥さんのようです(娘が台湾で殺害されたあの方)。生前、本人に無茶苦茶されてた(あの「ちゃぶ台返し」梶原一騎はよくやっていたらしい。星一徹は一回しかやってないのに)から、ある意味復讐じゃないかとか、妻の店の経営が苦しいからとか、色々言われております。

 なんじゃこりゃ??…なのが、ドラマ『大草原の小さな家』。
 放送禁止用語(多分「乞食」)の部分だけ、いきなり「声」が別人になってびっくり仰天。吹き替えの改変というのは初めて見た(聞いた)。昔の声優さんにやらせるのは無理なんで、別人に声をあてさせたんでしょうが、ものすごい違和感で「あんなのアリかい?」と思いました。

>歴史読本<マンガ>禁断の古代史書
歴史研究の大御所の方々を差し置いて、うちのサイトで取り上げたりなんかしたらバチ当たるのではないかと……でも書くつもりだったりして(笑)
ただ、まだ先の話ですね。現在は、あだち充御大のレビューに全精力を注いでおりますので。なんとか『タッチ』公開には間に合わせないと。
というわけで、その間この本、誰かに貸してもいいんですがね。



#5829 
原田 実 2005/07/09 12:54
ヒトラーの菜食主義

菜食主義者の歴史的著名人をあげるとなると、ヒトラーは避けては通れない人物です。
菜食主義は人を温厚にする、と主張する本を読むと、ヒトラーの扱いには苦慮していることがたびたびですね。もっとも彼が菜食主義者だったことを否定する本もない、ということは、彼がその世界での有名人でもあったことを示してもいるのでしょう。
 特に日本の場合、菜食主義の理論は戦前のものを継承していますから、当時の大先生方がヒトラーを「良いお手本」として宣伝したことの余波をも引きずっています。
 現在、ヒトラーと逆にその手の本で典型例として人気があるのがガンジー。
 しかし、家族や周囲の人への対応を調べると、ガンジーが本当に「温厚な人」だったか、には疑問があります。
 実際には厳格な菜食主義者は栄養の偏りから、かえって頑固になったり視野狭窄に陥りやすい体質になるのでは、と思えてきます(もっとも頑固で視野狭窄に陥りやすい人だから、厳格な菜食主義者になれる、という見方もできますが)。
 変わったところでは、50年代に活躍したプロレスラーのキラー・コワルスキー。もっとも彼については試合中に相手選手の耳をそぎ落として以来、肉片を思わせるものは口にできなくなり、菜食主義者となった、という「伝説」がありました。

http://www8.ocn.ne.jp/~douji/


#5828 
徹夜城(もしかすると次回「史点」は二つ分いっぺんに上げるかもしれない管理人) 2005/07/09 11:15
宋家の三姉妹

 フジTVの金曜(正確には土曜)深夜帯に二週にわたり映画「宋家の三姉妹」を放映していました。岩波ホールで見て以来、久々に鑑賞しました。ちとカットやCMがうざったいですが…
 もとの話がドラマチックであるだけに、三姉妹の目から見た中国革命史は脚色をとくにしなくても面白い。もちろん脚色は多々あるのですけれど(孫文と慶齢のラブストーリーなんかは特に)、あくまで姉妹の物語として語る上ではイヤミが少なく安心して見ていられます。
 映画は西安事件をクライマックスにして日中戦争のさなかで歴史を追うのはやめてしまい、あとは冒頭と末尾に慶齢の死を入れてまとめてます。この映画作った時は末妹の美齢はまだ健在だったんですよねぇ。その死は「史点」で扱ったぐらいで、歴史といっても「つい最近の話」なんでありますな。
 惜しむらくはこの映画、三姉妹の運命を決定付けた二度目の国共内戦→共産党政権の成立と国民党政府の台湾逃亡を完全にカットしてしまっていることですね。まぁ香港資本の映画だし、政治的に微妙なこの部分を描きにくかったであろうことは察しがつくんですが。


>NFさん
 いやはや、多岐にわたるネタ提供、どうもです(^^;)。
 『紅楼夢』ブームは、まさに現在の日本のオタク文化に合い通じるものがありますね。僕自身はこれは全く読んでないのですけど(ダイジェストのストーリー紹介ぐらいしか見てない)、どうしてそんなにみなさん熱狂したのか良くわからない。
 清代もそうですが、その前の明代も出版庶民文化が華やかかりし時代で、日本の江戸時代のそれと良く似ているように僕などは感じています。といって明代の出版事情については詳しく知らないのですけれど…。倭寇研究で扱う倭寇対策本などの諸資料はほぼ同時期に刊行されておりまして、その量の豊富さにあきれるところもあります。また、倭寇関連の史実自体が直後から小説化されてゆき、中には壮大な物語を形成していくことにもなるのが面白い。明の庶民も倭寇の被害におびえつつ、その周辺の物語を楽しんでたところもあるんじゃなかろうか、などと資料を読んでいて思うところがあります。王直とか徐海に妙に親近感・同情を抱いているような話もチラホラ出てきますしね。
 なかでも徐海とその妻となった妓女・王翠翹の物語(昨年の舞台「倭寇伝」でも部分的にとりこまれました)はどういうわけかベトナムに伝わってさらに大長編に発展し、『金雲翹』というベトナム古典文学を代表する作品になってしまうという不思議な展開をたどります。最近その『金雲翹』に関する論文をいろいろ紹介していただきまして、改めて面白いものだなぁと思ってるところでして。


>不肖デルタさん
 ヒトラーのその話、確たる真偽は僕も分かりませんが唐沢俊一さんの「トンデモ一行知識の世界」(「トリビアの泉」のルーツ)の中で「ヒトラーは菜食主義者で、動物実験にも反対していた」という「一行知識」が紹介されていました。この場合、事実なのかどうかよりその一行の文章の意外性と皮肉が優先されてる気もしますね。
 7〜8月に、ヒトラーの人間性を描いたことで議論も呼んだドイツ映画「ヒトラー最期の12日間」が日本でも公開されます。見てみたいんだけど、夏期講習で忙しいかも…



#5827 
豚ブッシュ 2005/07/09 09:34
アメリカの犬、イギリスも加担した茶番

英国サミット開催中の出来事で、この事件で
地球環境問題で好き勝手いって周囲に従わないアメリカの
ブッシュが、孤立していた状況が一転してサミットの議題が
テロ撲滅ぎゃあぎゃあにすり替わり、はしっこで小さくなってた
ダニが醜く前面に押し出てきてました。
今回もやはりアメリカ同時多発テロと同じく、
(ボーイング747の訓練受けただけでは新型機は操縦できない
 =新型機についてた遠隔操縦機能をつかってビルに衝突させた
 のが現実)
超大国アメリカの暗部、軍関係〜エネルギー企業関係が裏から
金銭面と行動面で支援して行った大量虐殺行為なんでしょう
ね・・・
意に沿わない状況になると必ず駄々をこねて好き勝手なこと
をして大量虐殺に及ぶ自身こそが救いようのないテロリスト
なんだから早く自害しろっていつも思います。
茶番といってはひどいですが・・・巻き込まれた方は
ただただ哀れで・・・






#5826 
不肖デルタ 2005/07/08 12:44
ヒトラ−は

ヒトラ−で意外ネタといえば、一番よく聞くのは
ヒトラ−は菜食主義者だった、肉を食わない人物だった
というもの、これ、トリビアの泉でやりました?
それともガセビア?(笑
ヒトラ−は南極探検に力を入れていたそうで
第三帝国時代のドイツは南極探検隊を沢山送っていたとか。
かの独裁者が南極に領土欲があったかどうかは定かじゃ
ないですが、南極に有機栽培農場を作ろうとしていたって
とんでも話を聞きますね。

>ロンドンテロ
おくやみ申し上げます、ロンドンといえば世界一、監視カメラの
設置されている密度が濃い都市なんだそうです、報道でも
監視・防犯カメラを全部、分析して犯人が映ってないか調べると
いっていましたが、カメラは事件が起こってから威力を発揮、
抑止力、防犯には、ならないものだなぁ、とあらためて思います。



#5825 
NF 2005/07/08 02:47
ネタをもう一発

しばらくは沈痛なニュースが続くと思われるので、元気の出そうな愉快な話を。↓
http://tokyo.txt-nifty.com/fukublog/2005/06/post_d7d7.html
「ヒトラーはダッチワイフの発明者?」
ナチスのアーリア人種第一主義・人種差別主義関連の話題で愉快(?)な気分になれる、そうそうない貴重な体験です(笑)。



#5824 
NF 2005/07/08 02:41
放送禁止用語など

ロンドンでは、やはり死者が次々出てる模様。改めて犠牲になった方々の冥福を祈ります。
>徹夜城さま
>放送禁止用語
放送禁止用語については、下のページが詳しいかと(具体的な用語・事例など)。↓
http://www.ahoaho.net/diary/tv/jiko/housoukinshi/index.html

この手の問題にデリケートな事や大家の作品については強気なのは漫画も同じようです。
http://tiyu.to/permalink.cgi?file=n_j_education&label=15_06_22
…平松先生とはいえ、よくぞOK出たものです。

>明清の不遇
あと、歴史本コーナーで不遇なのは南北朝もそうですね…。幾多の名著が絶版・品切の憂き目を見た事やら。
宋あたりまでは江戸の文人や倒幕の志士には結構人気あったようですが…(岳飛が賞賛されたり、文天祥になぞらえて「正気歌」作ったり)。明清になると、雪舟が「あの国には師とすべき人は少なかった」と言ったりしてるように日本側に中国から学ぶと言う姿勢が見られなくなってますね。そういえば日本の輸出品が金銀から扇・刀剣といった工業製品に変化しており、産業の発達等が日本の中国への劣等感を弱めたとの推測もできます。個人的には、中国文化史はある意味で清が一番面白いと思うのですが。都市民衆の生活が爛熟し「紅楼夢」人気が爆発した時代。愛読者はメインヒロインの悲運に耐えられず同人小説を書いたり、メインヒロインの位牌を祭ったり、彼女の悲運を共有するために病床に伏してみたり、彼女のいる天界に行くといって行方不明になったり…。ヒロインたちの人形やイラストが発売され、士大夫たちは登場人物たちのモデルについて論じ合ったり同様な恋愛小説のヒロインたちをタイプ別分類した。…やっていることが現代日本のオタクそのままです。さぞ多くの士大夫たちが「紅楼夢」や亜流の恋愛小説で道を踏み外したんだろうなあと思うと(笑っちゃいけないんだろうけど)笑ってしまいます。



#5823 
徹夜城(自分が行ったことのある町でテロがあるとやはり他人事には思えない管理人) 2005/07/07 23:25
ロンドン同時多発テロ

 オリンピック開催が劇的に決まった翌日にこれですからねぇ…ロンドンは天国から地獄へ、って感じでしょうか。規模の程度はまだ分からないですけれど…
 次回「史点」(今書いてるやつは間に合わないので)で毎年恒例の贋作サミットをやるんですが、かなり書きづらくなってしまいました。
 日本の交通機関でも明日の朝から警戒が厳しくなりそうですね。


>アール・ケイさん
 「百姓」抹消事件ですが(僕自身も直接見聞きしたわけではないので確証は無いんですけど)、この改竄を決定したのはNHK側なのかファミリー劇場側なのかは全く分からないんですが…映像を提供するNHK側がチェックを入れてるケースもあるらしいんですけどね。それにしてもあまりに過剰な自主規制でありますね。
 NHKの衛星映画劇場なんかは古い映画にちと問題視されそうな言葉があってもだいたいスルーするようなんですが…「隠し砦の三悪人」なんかストーリー上「唖(おし)」が連発されるので完璧にアウトになっちゃうと思いきや、そのまんま放送してましたしね。「黒澤映画」という権威がつくと強気になるってことなのかな。
 その黒澤映画でも以前「用心棒」が民放で放映されたとき、「きちげぇ」が消されて「お前は…だ!」というわけの分からないセリフになっていたのを目撃してます。「椿三十郎」で「めくら」が消されてたこともありましたね。


>孟きょうさん
 杉山正明氏を含む遊牧民史の方々にしばしば見られる妄執(?)とも思える過激な言動については以前何度かこの伝言板で書いてるのでもう繰り返しませんが…杉山さん、自分に批判的なことがわかってて明史部分に檀上さんを指名したと聞いてますので、それなりに冷静さもあるのかもしれません。

 日本史における「日本の中のヨーロッパ探し」は唯物史観的発展段階論も手伝って実は戦前戦後を問わず脈々と続いていたようにも思ってます。今の中学校の歴史でも「江戸時代には工場制手工業(マニュファクチュア)が…」と習いますが、あれもその一例かと。それ自体を全面的に否定は僕もしませんけど、どこか感じるんですよね、「どれだけヨーロッパに近づいていたか」というのを評価の基準にしてる感覚を。鎌倉時代の「御恩と奉公、封建制度」ってやつにもそれがあります。
 中国史研究においても似たような傾向が中国でも日本でも見られまして、最たるものが明中期〜末期にあったとされる「資本主義萌芽」説ではなかったかと。もっともこれも最近はそうはやってないみたいですし、日中ともに「どれだけヨーロッパに近かったか」を基準にする史観からは脱却しつつあるのかもしれません。一歩間違えると自国中心史観に陥る危うさもあるんですけどね。

 中国史の各時代の扱いについての話ですが、僕は倭寇研究が専攻ですから明代の歴史本を探す機会が多いので書店の一般向け中国史コーナーにおいて「明清の不遇」というのは実によく感じてます(笑。ただし研究動向はそうでもないんですけどね)。日本の一般歴史ファンの中国史の関心ってだいたい唐どまりになっているのは平安時代頃からの傾向なのかも…司馬遼太郎が書いていた覚えがありますが、それ以前の日本人は中国史に自国の古代史のように親しんでいたわけで、平安以後自国の歴史を積み重ねていくとそれと同時進行してきた中国史にはあまり関心をもてない(親しめない)のかも…などと思ってしまうことがあるんです。



#5822 
NF 2005/07/07 22:59
霧の都で…

>ロンドンテロ事件
喜びから一夜明けたとたんに、とんでもない悲劇。犠牲になった人々が気の毒なのはいうまでもなく、イギリスは今度のことで逆に「引くに引けなくなった」と考える公算が十分なのでイラクの悲劇がやむ訳でもない、イギリスのイスラム系住民は恐らく迫害に会うだろうし、イギリス政府は経済が大打撃…。結局誰一人として幸福にはならないですね。何とも憂鬱です。

>孟きょうさま
>杉山教授
あの人もスケールの大きさといい切れのよさといい、モンゴル偏愛でなければ希代の巨人なんでしょうけど…。
>歴史モデル
ということは、歴史をやる者は一度は通る道なんでしょうか、モデルつくりは。僕の場合、モデルを作ることでミッシングリンクに対しても他の文化圏の対応する時代から類例を引き出して類推が可能になった(で、ハッタリが効くようになった)という利点があります。あと、僕はどちらかといえばトリビアをひたすら集めて喜ぶ傾向があるので、幹がしっかりしていないと枝葉が雑然と茂るだけで目も当てられなくなるタイプなんで…。しかし、現在から逆算的に見ることは、近未来の類推がある程度可能となるので無意味とはいいませんが視野が狭くなるのは避けられませんね。虚心に見れば日本や西欧の封建制と隋唐中国やアッバース朝(僕のモデルで中世を中国や中東に当てはめるとここになります)ではどちらが社会的に先進的か明らかではあるのですが…。現在、西欧や日本が先進的になったのはかつて後進地域であったことが逆に幸いした「歴史の皮肉」のせいと考えてますが、(個人的には愉快な想像ではありませんが)後世に再び逆の立場で「歴史の皮肉」が起こらない保証はどこにもないわけです。だから歴史の一通過点に過ぎない現在の状況から全てを判断するのはどうかとは思いますね。



#5821 
孟きょう 2005/07/06 13:31


>NF様
 いやー、あの杉山教授の担当箇所は見てて心配でハラハラしちゃいましたね。モンゴルへの恋は盲目というか。鬼気せまるページでしたからねえ。最近の学者には珍しく一般書で文体に感情のほとばしりをストレートに走らせる人ですね、あの人は。まあ、あれでそれとない反論をのせた壇上教授ら他の研究陣とも合作で本出してるから大人としての自己コントロールは案外ギリギリのところでできているのかも(笑)。いや、でもあの呪いの藁人形みたいなページは凄かった(笑)。中国史研究者の先生とちがってモンゴル史研究系の方々は良くも悪くもクールさが無いというか、ぶっとんでますな。
  そうですね、私なんかはもう中世とか古代とかの区分を無理やり張りつけて法則を各世界史エリアにあてはめたり。「西欧史の近代成功モデルとくらべてこちらの歴史モデルはどうなんだ、似てるのか違うのか」という感じでの世界史のまなざしは、もう青春時代に飽きてしまいまして。アジア史の各時代ごとのおもしろい特色や各王朝の王朝としてのクオリティの比較(王朝史観というわけでもないんですけどね)、あとは後世を見通すための故事成語に興味が移ってしまいまして。「産業革命、近代への道」(漢学を脱皮し、世界基準の近代史学を導入した時点で、このテーマへの史学界の飽くなき執着は避けられなかったのかもしれませんが)をキーワードにした歴史への志向はあまりないんですよね。 80年代やそれ以前に出された一般人向けの世界史系列の本とかも、やっぱり近代オンリーな書き方がけっこう惨いのが前ありまして。図書館で「どれ、清王朝のページでも読んでみようか」とパラパラめくってみてみても、康熙帝や乾隆帝の事跡を記述した後「でも、すでにアヘン戦争が100年後にせまっていた。だからこの人たちはたいした事無い人で幸運な連中だ」のようなニュアンスのオチでまとめられてまして脱力した記憶があったんですよ。幼少期の頃の児童向け世界史漫画偉人伝(2ページ一人づつ)でも近代以前の欄で出てくる東アジアの偉人も始皇帝、劉邦、玄奘、北アジアでチンギスハーン、クビライ程度ですからね。近代以前の日本人にとり伝説的な英雄である李世民や光武帝が出てこなかったというのも今思えば信じ難いんですけど(朱元璋がいないんだもなあ)。まあ、こんな感じですごい本が昔は出ておりまして(それらを日本人が製作編集したというのも凄い)。
 西欧の一部の学者がアジア史の中で日本史の封建制を高く評価するのも、日本が近代化に成功したり、西欧の封建制との類似から親近感を感じてしまったからなんでしょうけど。それにつられて日本人が「日本史の中のヨーロッパ探し」をさかんにやりはじめてしまったのも何か無節操というかコンプレックス丸出しというか・・・発展から逆算する形の世界史の評価は何かなあ・・・ 幕府を開いた頼朝が高く評価される反面、王朝のクオリティを上げた趙匡胤、光儀兄弟の評価が今1つであり。文治や科挙体勢の弊害から日本では醒めた目で見られて知名度が低いのも片手落ちなんですよね。 いろいろ書いてしまいましたが。 21世紀に出版される今後の世界史のテキストは、どういうのが出るんでしょうね。読むまではワクワクするんですがね(笑)
 
 



#5820 
アール・ケイ 2005/07/06 09:43
聞き捨てならじ、捨て置かじ

そ、それはひどい…>「百姓」抹消事件

私はこれまでマスコミに抗議投書、メールしたことはないんですが、
これはさすがに考えますな。
ただ、いまNHKに抗議してもあまり意味はなさそうですねえ。
網野さんの亡霊が出るぞ、渋谷に(笑)。




#5819 
徹夜城(いつもあとから書くべきことを思い出す管理人) 2005/07/05 23:01
補足

 そういえば…と後から思い出した話を追加。
 南北朝時代に有名な武将の口から「百姓」って表現が出てくるんですよね。今川了俊が「難太平記」の中で山名時氏が「わしは元弘以前は上野(こうずけ)の山名というところで民百姓のような暮らしをしていた」と発言していたことを記しています。ここでは「一般庶民」ということでもありましょうが、やはり武士とはいえ農作業に従事してることが多かった、ってニュアンスなんじゃなかろうか。
 もちろんですが、この山名時氏の発言は拙著「室町太平記」でも出てまいります。ヒマな方は探してみてください(笑)。



#5818 
徹夜城(史点執筆中の管理人) 2005/07/05 22:52
「百姓」

>ぬえさん
 ファミリー劇場の再放送は見てませんが、2chの「太平記」関連スレッドは目を通しておりますので、その件については知ってはいました。第24回「新政」のビデオを見返してみたところ、石(柳葉敏郎)が藤夜叉(宮沢りえ)に「和泉へ行こう」としきりに誘う場面で「百姓やって暮らそう」「地道に百姓やって」と二度言う場面がありましたので、今回消されていたというのはこの部分なんでしょうね。
 NHKよりも民放のほうがこういうことに過剰に自己規制しがちだということなんでしょうねぇ…そこで「問題にされるかも」と思う心理がそもそも百姓=農家を見下してるってことなんじゃないかと。

 「百姓」をマスコミが忌避言語にしているのはいつからか知りませんが、その「百姓=農民」観に異議を唱えた網野善彦さんも「漁業や貿易に関わる“百姓”がいた」ことを発見して新聞の取材を受けた際、その記事の見出しが「漁業や貿易をする農家も」となっていたことに脱力した経験を書いてましたね。それじゃ全然意味が分かってないじゃないかと文句を言ったようですが、やはり新聞社としては「百姓」が使えなかったので…ということでした。
 「百姓」が忌避用語なら「七人の侍」なんて完璧にアウトですがね。以前TV東京で放送した「荒野の七人」のホルスト=ブッフホルツ(菊千代の役どころ)の吹き替えでも「百姓」って表現が否定的意味合いで出てきましたけど…

 言葉狩り問題から離れまして、大河「太平記」の石のセリフにおける「百姓」の使い方ですが、ここではやはり普通に農業を営む意味で使ってますね。
 ドラマでは石は楠木正季(赤井英和)の家人であり、建武新政期は武士の格好をしていて、日野俊基が約束してくれた土地に行く際には家来を二人も雇ってますから世間的にはやはり「武士」の範疇でしょう。でもその土地で自ら畑を耕すのが夢のようですから、その農作業自体を「百姓」と言わせているものと思います。脚本の方もここは網野史観にまでは深入りしないようにしたんじゃないかな?まぁこの時代、武士と農民は未分離ではあったわけで、石みたいな存在も実際にいたのでしょうけれど。
 ましらの石が唐突に物語から消えちゃうのは、やっぱりスケジュールの問題が大きかったみたいですね。当時柳葉さんも「走ってばかりでつらい。早く殺してくれと言ってるんだけどね」などと冗談とも本気ともつかないコメントをしてました。一応能面師となって花夜叉の子である観阿弥の周囲で再登場する計画も脚本家は考えていたようですが、プロデューサーから「無理」と言われちゃってたようです。


>理知さん
 エイゼンシュテインのゲイ疑惑(?)については、彼の伝記映画「エイゼンシュテイン」(カナダ製)の中で「メキシコ万歳!」撮影時のエピソードでチラッと描かれてはいましたね。実際にそうだったかどうかはともかく、ふざけて裸で室内をうろついているところをプロデューサーに見られて、あれこれ噂を立てられる、って感じに描いてた覚えがあります。
 ヴィスコンティは本物でしたからねぇ…「山猫」撮影時、岡田真澄にヴィスコンティ邸に住み込むことを条件に出演を認める話があって悩んだ…ってな逸話が某歴史映画本に出てましたが、確かなことは知りません(汗)。


>ブッチャー3世さん
 はい、確かに「シン・レッド・ライン」で描かれているのは太平洋戦争のガダルカナルの攻防戦です(トリビアの泉風回答)。ああやってアメリカ側から描くと日本軍兵士たちも結構強そうに見える、というのが日本人としては新鮮だったりします(笑)。あと妙に哲学的なセリフをはきますよね。
 「シン・レッド・ライン」はいささか難解ではあるものの、同じ年の「プライベート・ライアン」と並んで戦争映画の傑作として話題を呼びました。「シン・レッド・ライン」は実は同じ原作が以前映画化されており、そちらは原作を大幅に変えた単純な戦争アクション映画だったそうです。
 最近アメリカで作った太平洋戦争ものでは真珠湾を除くと、「ウィンドトーカーズ」で今度天皇も訪問したサイパンの攻防戦が描かれてました。聞くところによるとイーストウッドが硫黄島の戦いの映画を準備してるそうで。そういやスピルバーグ&クルーズで「バターン死の行進」の映画化の話があったけど、あれは流れたのかな?



#5817 
ぬえ 2005/07/05 17:09
太平記に不適切な表現?

先日放送の太平記24回「新政」ですが、2ちゃんスレで二箇所ほど石のセリフが消えていると聞きまして、何かと思ったらどうも、「百姓」が不適切な発言でNGだったようです。これって自主規制だったんでしょうかね。

何を未だに・・って思ったのですが、そもそも尊氏や後醍醐天皇など中央の政治史を描くキャラに対して、田楽一座の藤夜叉や石って網野さん的な日本の中世史観を映像的に表現するためのキャラクターですよね。それなのに「百姓」という単語をNGにしてしまうと何だか台無しのようにも思えてしまうのですけど・・。この2人はエスケープしちゃいますけど、何か裏事情があるんじゃないかなんて勘繰っちゃうのですけど。

まぁ「大全」にも収録されていない単語ですし(笑)、瑣末なことなのかもしれないですけど。石が「百姓でもやって暮らすか」と言った場合にしろ、おそらくは農業に関係した仕事をやるつもりでしょうけど、その土地で何か適当な職みつけて暮そうという程度の意味に取れるのでしょうかね?




#5816 
ブッチャ−3世 2005/07/05 12:50
シン・レッド・ラインにて

映画ネタなので映画専門伝言板にしようかと思ったのですが
一応、歴史が入ってて、何か神風とか物騒な太平洋戦争
関連の話題で盛り上がっているものですので。
この映画で、米軍が前線で、かなり荒っぽい突撃を敢行し
日本軍と悽愴な白兵戦を繰り広げ、映像的には
「地獄の黙示録」や「フルメタルジャケット」にも匹敵
する戦争の狂気を表現してるな、と感じました。
途中から見たので分からなかったのですが、あの映画は
ガナルカナル攻防戦の話なんですか?



#5815 
アール・ケイ 2005/07/04 23:55
その他もろもろ

しかし百花繚乱というか百家争鳴というか(笑)、いよいよもってエラい掲示板ですな。

>飛行機で突っ込む特攻野郎

神風特攻隊についてはさておき、確か小佐野賢治邸だかに突っ込んだヤツもいましたし、
あとショーン・ペン主演の映画でも描かれたように実行されずとも考えた人間はいるあわけだし、
別に9・11実行犯や狂ンシー(これでクランシーと読んじゃおう(笑))の専売特許でも
なんでもないんですけどね。


しかしまあ、何かというと未だに「9・11」を意識してしまうなんて、アメリカ人を除けば
日本人だけじゃないでしょうか。右も左もタカもハトも。
多重コンプレックスなんでしょうな。
母であり父であり保護者であり教師である…よくも悪くもこれが戦後日本にとってのアメリカ。





#5814 
NF 2005/07/04 23:09
「萌え」について少し

>理和さま
「萌え」は別に男性に用いても特に問題ないかと。↓
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%CB%A8%A4%A8
(はてなダイアリーの「萌え」解説)
一部引用すると、「既に多くのオタクは『萌え』というフレーズを解体して多義的な用い方を好むようになっている。キャラクターに限らず、身近な異性や同性の『ちょっとした可愛い言動』に対しても『萌え』と言うし、パソコンや車といった非生物や、概念にすら『萌える』ことも少なくない。『萌え』とは『愛』というプリミティブな感情をただ別の言葉で言い換えただけだ、という考え方もありうるだろう。」
女性キャラ化云々は少しボケてみたまでで、別に対象が女性でなくてはいけないというわけではないです(まあ、それでも対象の多くは女性なんでしょうが)。
…って、本題の映画の話をそっちのけで、歴史掲示板で何の話してるんでしょう、僕は(笑)。





#5813 
理和 2005/07/04 04:10


早速のレスありがとうございます。気になって寝る前に見に来てしまいました。

「萌え萌え」というのはですねえ、実はソクーロフにはゲイ疑惑というのがありまして。確かにこれまで観た映画に関していえば、男性の撮り方など一種独特なものがあるように思われました。以前どこかのインタビュ−記事で、「自分の画面の中では、男女でも男同士でも、向かい合う者の関係が敵意に満ちたものでなく、愛情あるものであってほしい」みたいな発言を読んだことがあり、だからどっちかといえば「やおい」な期待感があるんですけど・・ あ、いや、だからってマッカーサーとヒロヒトが、ってんじゃなくって(さすがにヤバすぎ)、そういうユニークで繊細な映画作家があれらの題材をどう画面化するのか、ぜひとも観たいと思ってるだけで・・こんなこと言うともしやヤブヘビでしょーか?

そういえば、エイゼンシュテインにもゲイ疑惑あったんですよねー。公式には認められてないようですが、大昔大学の図書館で読んだ伝記に、それらしき記述が。
エイゼンシュテインがメキシコで撮ってた歴史映画「メキシコ万歳!」が中断したのは、当時のスポンサーがエイゼンシュテインが描いたキリストと弟子たちがからむヤバいラクガキを見て激怒したせいだとか何とか。
そういうのは分かる人には分かるらしくて、ゲイを公言していたヴィスコンティの「ルードヴィヒ」には「イワン雷帝」からの引用が山のようにあったし。
そういやタルコフスキーにもそんな話が・・ って、キリないのでヤメます(笑)

なんかソクーロフ、際物のような書き方をしてしまったかもしれませんが(汗)、本当に大変な人なんですよお。ことに画面の美しさユニ−クさは他に比べられません。それだけでなく、カムバック直前のエリツィンにインタビューしたりタジキスタンでの戦争の6時間に及ぶドキュメンタリーを作ったり、そういう歴史にコミットする姿勢もなかなかリアルなものだと思いました。歴史に残る映画作家だと思います。

ちなみに、即位前のヒロヒト@イギリスで撮られた写真(歓迎パレードでのものだったかな?)は、まさしく「萌え萌え」ものな美少年ぶりだったと思ったことも・・
(男性にも使えるんでしょうか、この形容詞というか動詞というか〜)

あれこれ失礼しました。「史点」楽しみにしてます!

「萌え」、使い間違いかも。。


#5812 
NF 2005/07/04 01:52
ちょっと追加

>徹夜城さま
>「インディアン・コンメン・ジー」
あの人はインド思想などが本領だったらしいですし、思い入れのある「インド」でいいんじゃないでしょうか。因みに髄液・血液検査で梅毒が陽性所見だったりしたようなので裁判の時期に病気だったのは事実のようです。で、病院でも脳梅毒として治療されたようですが、使われた方法がマラリアに罹患させ熱で病原体を殺すという何とも過激なもの。入院中は朦朧となったり暴れたりしたようで、「ムハンマドに会った」というのはこの時期のようです。
>マッカーサーと昭和天皇が「萌え萌え」などと言われてしまうご時世
そのうち、オタク辺りによって美少女「萌え」キャラ化でもされるんでしょうか(笑)。見てみたいようななんか怖いような…(笑)。

>孟きょうさま
>数学の公式みたいに何か世界全体に通じる舵というか軸
まあ、各地域を見ていると、似ている点や異なる点が目に付くのは事実なので両者の見極めのためそういった「軸」を求めるのは無理もないところ、というか僕自身や友人も学生時代に一応の単純なモデルを作ったことがあります。基本モデルを作ったうえでさまざまな各地域の相違点が見えてきたのは事実ではあります。ま、肝心なのはモデルを使う人しだいでは。事実、前述のモデルで比較して見たところ、「いかに西欧近代化できたか」どころか中世・近世前期に関しては中国・中東の先進性や日本・西欧の後進性が浮き彫りになったものです。
>アジア史関連のページをもっとボリュームアップしてほしいなあという切なる願望
わかります、わかりますけど…。東洋史に通じた人が中心になって世界通史を書くとかするしかないですね。昔は宮崎市定先生などがおられたのですが…。各地域の専門家が寄り集って書くという方法もありますが、視点というか史観がある程度統一してないとシリーズとしての連続性に問題が出ますし…。以前、ある世界史シリーズでの話ですが、杉山教授がモンゴル帝国を担当、モンゴルへの思い入れが余ってモンゴルを追い出した明への憎悪が文面に表出、朱元璋を暗黒帝王扱い。次の明担当の著者が普通に描写していたため何とも違和感のぬぐえないシリーズになったことが。ま、今でも東洋史に関しては日本が割りに進んでいるようなので日本の東洋史専門家辺りに期待したいところですが。
あと、今手に入る資料の問題もありそう。友人が軍事史をやったときの話ですが、中国は「記録が多くある割りに情報が欲しい事(兵科の編成や軍の構成、会戦での戦術的展開など)に関する記録がない」、インドは「日本語の本がほとんどない、あと歴史記録がそもそもほとんどない」と嘆いていた気が。



#5811 
NF 2005/07/04 00:49
日本と西欧と

>徹夜城さま
日本と西欧との類似点は、考える範囲では
@ユーラシア大陸の辺縁に位置し、後進地域であった歴史が長かった
A中世においては分裂性の強い地方豪族の自給自足体制が作られ(いわゆる「封建制」)、政治的権威と宗教的権威の分裂が起こる。
B商業が盛んになり政治権力が再び集権・専制傾向を見せ始めてからも、社会の未成熟さのため(中央政府・商業勢力と比較して地方豪族の力がまだまだ強かった)安定した国家権力が形成されるまで時間がかかった。
Cその結果としてきめ細かく地方の開発・支配が進んだ体制が出来た。
という辺りかと。してみると「西欧近代化」はかつて後進地域であったことが逆に幸いした「歴史の皮肉」の産物ではとも思えます。
「日本=東洋のイギリス」は個人的には違うのでないかと思います。
@イギリスは分裂した大陸の情勢に巧みに介入し決定的な陸の覇者が生まれないよう図っていた(大陸が分裂していたほうが自国の防衛上有利だから)。ハプスブルク、次にブルボンそして革命フランス・ナポレオン、そしてドイツと時の大陸最強勢力を敵にしています。一方日本の場合、政治的に大陸に不干渉であった時期が多い。中国が統一された時期が結構長く、国力が隔絶していたのも理由の一つでしょう。
Aイギリスは大陸と緊密な関係があった関係上、海軍が歴史的に充実。日本は島国の中に政治的には閉じこもっていた関係もあり寧ろ陸上軍が重きを置かれました。少なくとも統一政権により水軍が重きを置かれたことは前近代では余りありません。
日本はイギリスというよりも、寧ろ古代地中海に喩えて中国=ペルシア、朝鮮=ギリシア、日本=ローマとする方がまだ妥当性があるのでないでしょうか。ただ、日本の場合はイタリア半島以外の後背地が存在しないため「ローマ帝国」にはなりませんでしたが。
>長嶋さん復活
お元気な様子でとりあえず何より(僕自身は阪神ファンですがあの人は割りに好きです)。「天覧試合」ではプレーする側だった人が「天覧」扱いとは面白い。しかし、巨人も必死ですな。「盟主」として全国区で人気を集める戦略をとっていたのに、野球がスポーツのone of themに過ぎなくなりメジャーが日本人にも人気となり、球界のパイそのものが縮小すると存在意義が小さくなるのは当然といえば当然。日本の球界でしか出来ないこと、つまり各地方を代表するという形でしか生き残る方法はないと思うのですが地域球団でないのでそれもできない。これまでとってきた方針が逆にあのチームのアイデンティティーを破壊しファン離れを加速させている気はします(阪神も大概同様な病理はあるのですが地域球団でもある分状況はかなりましでしょうね)。



#5810 
徹夜城(とりこぼした話題をあとから書き込む管理人) 2005/07/04 00:03
「天覧試合」

 長嶋さん、ついに登場。この報道のされ方に「天覧試合」を連想した人は少なくないかと(笑)。ここで誰かが疑惑のサヨナラホームランでも打てば盛り上がるのに、盛り上がることも無くあっさりと負けるあたり、今の巨人の実態を象徴してるような。
 「天覧」はともかく実際スポーツ紙で「御前試合」と書いているのはありました(笑)。アテネ五輪での「長嶋JAPAN」連呼にも呆れましたけど、現役時代を知らない僕には「長嶋信仰」ちゅうのは完全に理解の外のことなんですよねぇ。

 なお、戦時中に「御前会議」を、日本軍の通信を傍受していたアメリカ情報機関が「モーニング・ミーティング」とか訳していたことがあるらしい(笑)。

 つなげて天皇家の話題ですが。
 皇室典範有識者会議で先日「新宮家の創設」も検討対象に加えていましたね。女帝にくわえ旧皇族の宮家を復活させるのも選択肢のうち、と打ち出してきました。八木秀次氏などそういう意見を述べた学者がいたので(ついでに平沼議員や神社本庁も同様の意見を言っていた)それもくっつけてみたということのようではありますが、現実問題としては難しいところなんじゃないかなぁ…?



#5809 
徹夜城(久々にVHSビデオをレンタルした管理人) 2005/07/03 23:15
取材?で映画を見る

例によって週刊ペースから遅れている「史点」ですが、取り上げる記事の取材で映画を2本見ておかねばならなかったからです。いずれも80年代の映画でありまして、なんの映画であるかは勘のいいかたはお気づきになるかも。
さて、この伝言板らしく多岐にわたる(笑)話題にレスを。


>mozawaさん
 関連話なんですが、同じフジ系で「日本の歴史(仮)」という大型バラエティ特番をやるという発表が先日ありましたよね。クサナギくんが進行役で、邪馬台国から太平洋戦争まで、ドラマやクイズやお笑いや格闘(K1?)などフジの番組総動員体制でやるという企画らしいです。どんな感じになるのか、良くも悪くも気になる企画ではあります。


>民本主義者さん
 「インディアン・コンメン・ジー」ねぇ…なるほど、あの映画の「茶番だ!」ってのはここからとっていたわけですか。サイトのご紹介、どうもです。
 これ、もしかして「インド人」じゃなくて北米の「インディアン」のつもりだった…なんてことはないかな?


>Кискаさん
 「ソビエト映画」もソ連亡き今、まとめて「回顧」できるんだなぁ、と妙な感慨も沸きますね。
 思い返すと僕自身はそれほどソ連映画って見てないんですよ。本当に数えられる程度だと思います。古典でエイゼンシュテインを何本か、歴史・文芸大作で「アンドレイ・ルブリョフ」「戦争と平和」、戦争映画で「ヨーロッパの解放」「鬼戦車T-34」、SF映画で「惑星ソラリス」、アニメで「雪の女王」…とまぁこんな感じですか。
 ソクーロフ「太陽」もどうやら日本で見られそうなので、期待して待ちたいと思います。


>NFさん
 ほほ〜武論尊さんがそんな漫画を。「9.11」との酷似という例ではトム=クランシーのジャック・ライアンシリーズ「日米開戦」(邦訳題)で日航機がホワイトハウスにカミカゼ特攻をするというラストがあり(日本人っちゅうと「カミカゼ」なんですな、やっぱり)、「9.11」発生直後にクランシー自身が「アイデアを使われた」と怒っていたような記憶があります。
 日本が江戸時代段階で比較的西洋に似ていた…?という話に関連させますと、イギリス人であるロバーツは「世界の歴史」の日本史部分で「イギリス人の間で日本は東洋のイギリスなのか、と真剣に検証されたこともある」という記述がありました。詳しくは書いてなかったですが、今はあまりそういう考えは流行っていないようにもとれましたね。


>理和さん
 どうも、はじめまして。熱〜い書き込み、ありがとうございます(^^)これからもよろしくお願いします。
 それにしてもマッカーサーと昭和天皇も「萌え萌え」などと言われてしまうご時世になったのか(笑)。
 なお、「徹夜城」という私のHNは実名から作ったペンネームをさらにひっくり返して作ったもので、とくに「徹夜」の意味があったわけではないんですよ。しかしそういうご指摘はメールなどでもよくいただいてまして、もう今となっては「そういうことにしとこう」とも思っております(笑)。


 イタコ、という話が出ていたので思い出したことですが。
 産経で出してるオピニオン誌「正論」の今月号の見出しにやはり靖国問題が大きく出ておりまして…宮司のインタビュー記事があるようなんですが、そのタイトルが「靖国の言い分、英霊の声」となってるのを見て、「『英霊の声』ってイタコでも使って記事を書いたんかい?」とツッコミを入れてしまっておりました(笑)。



#5808 
理和 2005/07/03 18:36
「太陽」ホントに!

はじめまして。ソクーロフ「太陽」を検索した結果、ここに辿り着きました。
ほんとうは随分前に検索・発見してはいたのですが、皆様の濃厚なお話(笑)になかなか挨拶する機会を見失っておりましたが、どうやら話題がまわってきたようなので。
よろしくお願いします。

「太陽」、何ごともなく無事公開されるといいですね。検索結果分かってきた内容を知る限り基本的には、「昭和天皇の歴史的決断を素材にしたソクーロフの芸術映画」だと思うので、そんなに問題あると思えないのですけど。
天皇を撮影する若いアメリカ兵(カメラマン?)が、「チャップリン!」と囃し立てるなど、「史実ではない」には百も承知。でも、そういうシーンでイッセー尾形がどんな演技するのかどんな演出がされるのか、もう観たくてたまりません!侍従と通訳の双役で佐野史郎が出てるというのも楽しみだし、マッカーサーとヒロヒトが、タバコの火をやりとりするシーンなんぞ、もう萌え萌えです〜(←正しい使い方かどうかわかりませんが)
それにしても、この映画を、昭和天皇の正に同時代を生き、チャップリンを崇敬し、晩年ソクーロフをたいへん高く評価していた淀川長治ならどう観たか、あるいはソクーロフの師匠筋にあたるタルコフスキーをおおいにかっていた黒澤明ならどうだろう、とか色々考えてしまいました。歴史の当事者であり、映画人であった彼らならどう観るのだろうか、と。
あと、網野善彦が生きていたらどう観ただろうか、この辺中沢新一氏にもう一度イタコになってもらうしかあるまい、とかね。
もう、観る前から思いっきり盛り上がっております(笑) うっかり見のがしたヒットラー題材>「モレク神」、レーニン題材>「牡牛座」も観たくなってきたし、どこかでまとめて上映してくれると有り難いのだけれども。

三百人劇場「ソビエト映画回顧展05」、名前は知っててもけっこう見てないものがあるので、チェックしてみたいです。「金色の雲は宿った」は、ちょっと前に偶然ラジオドラマに仕立てたものを聴きまして、音だけでも子供達の過酷な運命が胸に迫り、ホントに泣いてしまいました。

はじめてなのに長々と失礼しました。ここは、内容もたっぷりぎっしりなので、ちょっとずつ見てる最中です。とても面白く、つい夜明かししてしまうこともたびたび(あ、だから徹夜城なんですか?)。




#5807 
孟きょう 2005/07/03 14:59


>徹夜城様
 ロバーツ氏ら西洋史の大家の出される世界史の書物を見てると、やっぱり本人達が幼少期より詰め込んだ情報量の内容に極端な偏りが否めないためか。どうしても東アジア関連のページになると???というか、意地悪な姑婆のような厳しい見方を私なんかはついついしてしまうんですよね(笑)。客観的でユニークな記述もあるのでしょうけど。
子供レベルのアジア史知識しかない私からみてもまだまだアジア史の全体像は中国をふくめてもまだまだ全然分からない事ばかりだと思うんですよ(軍事史も含めて)。そこへ西洋の方々が「これだ!」と大雑把なアジア史への概論をぶちあげられても、なんかなーとまだまだたじろいじゃいますね。大胆というか・・数学の公式みたいに何か世界全体に通じる舵というか軸をあちらの方々がついつい欲しがってしまう気持ちは分かるんですが・・・。近代に直接影響を与えたという史観でテーマを絞るとどうしても「どれだけ効率的に西欧近代化に邁進でき、近づけたか、西欧にどれだけ近いか」という見方でしか非西欧世界へのアプローチが世界史にできなくなってしまうと思うのですよ。他にも豊かな見方はあるだろうに、と物足りなさを感じてしまいますね。
 と、長い駄文を書いてしまいましたが、幼い本音を要点で言ってしまうと。世界史ものの記述でアジア史関連のページをもっとボリュームアップしてほしいなあという切なる願望ですね(笑) 東洋史ファンとしては、世界史の本で東アジア関連のページが少ないってのはもう悲しいというか、寂しいというか。



#5806 
不肖デルタ 2005/07/02 18:19
西洋模様

私事ですいませんが最近、CG立体モデリングに凝ってまして
使いこなせるようになったらコスチュ−ムスト−リ−(中世騎士劇)
っぽい漫画を3Dで出来ないものかと考えてます、私のよな
歴史ど素人はマジな時代考証は望めないのでSWみたいな感じの騎士劇を
目標に日々、パソコンと格闘。立体モデリングは、初期モデリングで
作った線形状に模様生地みたいな表面素材を貼り付けて仕上げに入る
感じでして、この着物の生地のような表面素材はネット上で流れている
ビットマップファイル等の画像ファイルでも取り込めるので
何か時代劇に使えそうな模様や生地素材は出来るだけピックアップして
います、画像検索で、ピタリと当たればよいのですが、なかなか
適切なものには未だ当たらないです、キルトって、西洋の中世の
紋様かな、と思って検索かけてみたらキルトが発展し出したのは
アメリカからだということで、そんなに超大昔でもないのですねぇ。
ア−ミッシュで普及が盛んになり、また、ネイティブ・アメリカンの
人々も元々、模様に造詣があったのでキルトを取り入れ西洋模様の
キルトとは、ひと味ちがった模様の
ネイティブアメリカンのキルトなようですね、ネイティブ・アメリカン
は古来から鳥の羽を紋様模様によく使っていて、ダイヤ状ひし形を
並べたタイプのキルトはネイティブアメリカンが元祖だということです。





#5805 
2005/07/02 12:30


>徹夜城さま、

>>どういう話題は回避しろとかそういうことは一切言っておりませんので、気になさらないで下さい。

ありがとうございます。
 
>>その、佐藤和男さんのコメントも良く見ると「“議論し得た限りの”全ての外国人学者」という部分もひっかかりますよね。

私も同じこと思いました。

>>まぁわかってて言ってると思いますがね、こういう人は。

私もそう思います。この佐藤さんのことはよく知らないのでなんとも言えませんが、そういう方はあちこちにいますね。ジェンダーフリーバッシングなんか典型でしょうか。

ところで、この「judgements」議論は西部邁さんもよくやってるんですが、なぜかこの人が嫌いになれません。考え方は全然違うんですが。というか、この人が好きです。この人にはアジア人蔑視があまり見られないからかなと。「反米右翼」的な人の特徴ですかね。「白人白人」とうるさいのはどうかと思いますが。

>はっは。さま、

いえいえ。お気持ちはすごいよくわかってました。私もネット上での惨劇をいろいろ目撃してますし。全然気にしてません。というより、はっは。さまの書き込みを見て「まったくそのとおり!慎重に丁寧に書かなきゃ」とあらためて思いました。




#5804 
NF 2005/07/02 01:58
「日の出づる国」

>徹夜城さま
>「太陽」
日本作の作品でも「太陽」を題に冠するものは多いようです。それで思い出したのですが、2001年に「ライジングサン」という漫画(武論尊原作)がサンデーに連載されていたそうです。21世紀が舞台となっており日本は指導者の失政により「世界のゴミ捨て場」という、かつての栄光が嘘のような惨めな位置にいるという設定。序盤で主人公の父親が(唯一残っていた)最先端戦闘機で怨念を込めてホワイトハウスに特攻をかけるという内容が描かれました。で、時は2001年、その直後に「あの事件」が発生し単行本発売が自粛・延期されたといういわくつきの作品だそうです(今は全3巻発売されたそうですが)。事実は小説より奇なりといいますが、見事なタイミングといいましょうか何といいましょうか。
>各地域の近代
確かに、例えば文化史の通史などをやると近代でも各地域ごとに西洋の思想や文化を受け入れながらも自らの文化伝統をそれに乗せて展開する形になります。日本ですらそれは例外でないと感じますね(例えば現代娯楽文化と江戸町人文化は科学技術の発展による要素を除外して考えるとどれほどの違いがあるやら)。革袋は新しくなっても中身の酒は変わらないといいましょうか。日本の場合、たまたま比較的西洋に類似性が強かったので良くも悪くも西洋の土俵に自らを合わせることになったということでしょうね。



#5803 
Киска 2005/07/01 21:14
歴史映画らしくはないみたい

こちらではお久しぶりでございます。
ソクーロフの「太陽」は今秋から冬にかけて公開されるらしいです。もうすぐ発表があるみたいです。
ロシア人の感想は「まあ・・・ソクーロフの映画だからねえ・・・」と微妙。日本人の感想は「やっぱりソクーロフの映画だと思って観ないと。イッセー尾形だとか桃井かおりだとかではなく。」でありました。

今夏三百人劇場で行われる「ソビエト映画回顧展05」では、「文芸映画」「初期の名作」「SF映画秀作選」と並んで「戦後60周年戦争映画特集」があります。さすがに第二次大戦で最大の犠牲者を出した国だけあって、戦争映画も名作揃い、圧巻です。
「戦火の大地」「誓いの休暇」「僕の村は戦場だった」「戦火を越えて」「鬼戦車T-34」「野獣たちのバラード」「小さな英雄の詩」「道中の点検」「スターリングラード大攻防戦」「戦争のない二十日間」「処刑の丘」「君たちのことは忘れない」「炎628」「翌日戦争が始まった」「金色の雲は宿った」(たぶんこの他にも上映されると思います)

「炎628」は初めて自分で観に行った(親に連れられて行ったアニメなどではなく)ロシア・ソヴィエト映画。これもそうだし、「処刑の丘」や「小さな英雄の詩」も、ベラルーシものはとにかく凄惨。
「金色の雲は宿った」は現在のチェチェン紛争の根源となったスターリンによる民族強制移住を告発したもので、それでも互いに復讐主義には陥らない子ども達に、今まで観た映画の中でも一番泣いた作品。少し前まで忘れ去られていたような佳作でしたが、この1,2年お声がかかることが少しずつ増えています。でもそれは<チェチェン問題を語る上で必見の映画>として注目されているということなので、情勢がますます悪くなっているのだと、悲しい気持ちの方が大きいです。




#5802 
民本主義者 2005/07/01 01:01
北一輝と大川周明

みすず書房刊『北一輝著作集 第一巻』に収録されている『国体論及び純正社会主義』の308ページには以下の文章があるそうです(コピペ元は秘密(笑))
「武士道は皇室を迫害せる者なり」「武士道はこの忠を良心の無上命令とする貴き自律的形式において行う、中世貴族国の一千年間が全く皇室に対する乱臣賊子をもって一貫せるもの論をなきことなり、すなわち、武士道の良心をもってする皇室の迫害なりしなり。実に、吾人が、日本民族は忠孝主義をもって忠孝を最高善とせるが故に皇室を打撃したりと云い、忠孝主義の民族なりしと云う前提はすべての民族の上古及び中世を通じて真なり、しかもその故に二千五百年間皇室を奉戴せりと云う日本歴史の結論は皆明らかに虚偽なり」

桶谷秀昭の『昭和精神史 戦後篇』(文春文庫)によると、大川周明は東条の禿げ頭を叩いた後に立ち上がり「インディアン、コンメン、ジー!」と叫んだそうで、英語とドイツ語のごた混ぜ言葉で「インド人よ、来たれ!」という意味だったらしい。その後に東京裁判に現れるのがインドのパル判事というわけで、映画「プライド」ではこのセリフを「イッツ ア コメディー!」(これは茶番だ!)と解釈しつつ、パル判事のことを指してもいたというダブル・ミーニングでしょうかね。以下のサイトがこの件に関する当時の新聞記事を引用しています。
http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/k980911.htm

こっそり書きますが、イスラム研究の筋で言えば、私、大川周明の曾孫弟子に当たりまして、親近感というとすごく変ですが、他人とは思えないのですよ。
さあ、君も一緒に叫ぼう!「インディアン コンメン ジー!」



#5801 
mozawa 2005/06/30 18:40
「はねるのとびら」で・・

フジ系でやってる若手お笑い芸人の番組「はねるのとびら」で、出演者が幕末、明治期の人物に扮して対戦するゲームコーナーをやってます。
先日は、「勝(海舟)組」と「西郷組」に分かれ、竜馬、高杉、大久保、板垣、桂、ジョン万次郎、樋口一葉、津田梅子(女性陣の人選は微妙ですが)が出ていました。負けると、そんなだめな日本にはペリーが攻めて来る、という罰ゲームがあるのですが・・。

ペリーは開国しに来ただけだろう、とか一葉は時代がずれすぎだろう、とか突っ込みつつ、扮装がかなり似てるのでついつい見てしまいます。
ドランクドラゴンの塚地が西郷役なのはお約束(太目だから)ですが、その相方扮する高杉がこれまたそっくりで笑えました。

以上、つまらないご報告でした。



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