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#6000 
孟きょう 2005/08/30 23:31


>NF様
 ファミコン版「ゲバラ」私も昔良く友人宅で遊びました。アクションゲームがあまり好きでなかったんですが相当プレイしやすく、ハマッた記憶があります。恥ずかしながらゲバラの存在、名前を初めて知ったのもこのゲームを通じてでして・・  最終ステージのバティスタはもうほとんど人間じゃなかったですね(笑)



#5999 
NF 2005/08/30 03:35
間違えた

>紺ティニュー
勿論、コンティニューの間違いです。



#5998 
NF 2005/08/30 03:34
ゲバラ

>徹夜城さま
映画ではないですが、ゲバラ関連の話題を。
かつて、学生たちにとってゲバラは憧れでした。学生運動に身を投じた学生たちは就職に苦しみ、その中のある者たちは当時社会的評価が低かった(今も高いといえるか疑問ですが)ゲーム会社に就職。そしてその中で自分達の夢を表現しようとしたのです。
ファミコン時代、SNKからそのものズバリ「ゲバラ」というゲームが発売されました。プレーヤー1がゲバラ、プレーヤー2がカストロを操りバチスタの軍隊と(一人で)戦っていくゲームです。政治的な問題もあってか一般にはあまり知られていませんが、無限紺ティニューが可能なので初心者でも根性さえあればクリアできますし、散弾銃やらミサイル砲?やら火炎放射器やらアイテムは盛りだくさんで、操作感も音楽も良い。隠れた名作でないかと個人的には思っています。最終面のバチスタがやたら強いのですよ。
革命とは戦士たちの無数の屍を踏み越えて成し遂げられるものだとこのゲームから学びましたね(笑)。捕虜を救出すれば1000点ですが間違って射殺してしまってもペナルティは500点引かれるだけというのが、何だかなあな気分に。民間人に犠牲を出しても成功すればチャラという妙なところがリアルです(苦笑)。
ファミコンが使えて、社会主義革命戦士気分を味わいたい方にはぜひお勧めです。ただ。手に入りにくいのが難点です。



#5997 
徹夜城(ゲバラ映画が貸し出し中でガックリした管理人) 2005/08/27 22:30
チェ!

 「モーターサイクルダイアリーズ」「ゲバラ&カストロ」のゲバラ映画二本を今日こそ見てやれと近所のTSUTAYAに出かけたら全て貸し出し中…(涙)。前者なんて地味そうな素材なんだけど結構借りる人が多いんですねぇ。次の候補にしていた「血と骨」も全部貸し出し中でした(^^;)。くそっ、夏休み最後の土日だからか。

>松風さん
 お久しぶりです。それにしてもアイデア募集に皆さんの反応がいいことで、管理人としても喜ばしいことです(^^)。
 「中国」「日本人女性」という縛りをかけると実在人物ではかなり限られてきちゃいますね…僕も李香蘭が真っ先に思い浮かびましたが、今、劇団四季のミュージカルでやってるわけですしメジャーすぎるか。
 もう一つがのよりんさんも挙げている鄭成功の母親。「田川マツ」とされてることが多いですが、実態はほとんど不明っぽいんですよね。中国側史料では「翁氏」とかされてますし。最近の香港映画「鄭成功」では島田楊子さんが演じてましたが、彼女を主人公にすると悲劇に終わるとはいえちょっと変わったドラマが展開できるかもしれません。

 そーそー、「日本人女性」といえばですねぇ(笑)。
 来ましたよ、中国女優ばっかりでやるゲイシャ映画の予告編が。
http://www.movies.co.jp/sayuri/
 セットや風景なんかはいかにも日本っぽいしそれなりによく出来てるようには見えるんだけど…肝心の「ゲイシャ」の格好がどうにかなんなかったか、特に髪型。これも「ラスト・サムライ」流の日本風ファンタジーだと開き直るべきか。
 ただ、チャン=ツィイー、ミシェル=ヨー、コン=リー、渡辺謙、役所広司、桃井かおり、工藤夕貴…といった面々は少なくとも東アジア的には豪華キャストって感じではありますね。ハリウッド映画のくせに出てくるのが東洋人ばかりの映画になりそう。



#5996 
のよりん 2005/08/27 12:30
ここで聞くなら

>松風さま
鄭成功の母親ですね。やっぱり。
最後は自殺しますが・・・

条件に合うおすすめは長谷川テルです。
http://www.netlaputa.ne.jp/~kitsch/ww2/jinbutu/hasegawt.htm
ここにいままで名前が出なかったのですからマイナーです(知ってる人は知ってる)
もっとも、舞台やテレビドラマにもなってますし御存知だとは思うのですが。

http://www.geocities.jp/haiyaku_houten/index.html


#5995 
ブッチャ−3世 2005/08/27 03:54
メジャ−ではない歴史女性?

>松風さま
微妙な お問い合わせですね、それに当てはまるか
分かりませんが、親日派だったといわれる海外の歴史人物の
奥さん 達とかは未だ創作されてない未開の人材が沢山かも
しれません、親日派歴史海外人で奥さんが日本人の場合が
結構あります、私の知っている限りでは、日本怪談を海外に
紹介した元米英国籍のギリシア人(名前忘れた)と
幕末、通訳で活躍したア−ネスト・サトゥ氏、2人とも
妻が日本人だったとか。ア−ネスト・サトゥ氏、名前が
何かハ−フっぽいですが、英字でこういう名前が
あるそうで、生粋の英国人だということです。





#5994 
なな 2005/08/27 01:26
あら、かぶっちゃった

>李香蘭と愛新覚羅浩
NFさんの投稿とかぶりましたね。
やはりメジャーと言えるお二方でしょうね。



#5993 
なな 2005/08/27 01:20
難しいですね

>あまりメジャーでない日本人
李香蘭や嵯峨浩、津田梅子やモルガンおゆきは違うんだろうなぁ…と思いまして。
実は私もね、人選の基準がよく分からなかったんですよ。(汗)
貞奴も有名すぎますか。
他にも洋行した芸人一座はあって、後に彫刻家ロダンのモデルとなった花子(大田ひさ)なんていう女性もいるんですけど、彼女は活動の期間が短いんですよ。

津田梅子ら女子留学生の派遣に関わった照憲皇太后や、来日したヘレン・ケラーと交流した中村久子女史など、外国と少し関わったくらいの人ならまだまだいそうですが…。
女性で、海外とのつながりがあって、なおかつ何らかの功績を残した人となるとね…。

杉原千畝氏夫人のように、本人は無名ながら、夫と家族を支えた妻の側に焦点を当てるのも方法かもしれません。

中国残留日本人婦人は、お芝居に取り上げるには深刻すぎる題材かと迷ったんですけど、描き方しだいという好例を教えていただけてホッとしました。(^^)
中国残留婦人の手記や聞き書きが何冊か出ています。特定の人物をモデルとせず、これらの本からオリジナルの脚本を練り上げてもいいかもしれません。



#5992 
Киска 2005/08/27 00:33
訂正

1.「職号」→「職業」
2.「故杉原千畝夫妻」→この書き方だとともに故人のようにも受け取られかねないですね。幸子夫人はご存命です。




#5991 
NF 2005/08/27 00:28


>松風さま
中国で女性…。
李香蘭辺りは何度か演劇化されてる気がしますし…。
これもマイナーとは言いがたいですが宣統帝溥儀の弟・溥傑の妻になった愛新覚羅浩さんとかでしょうか。



#5990 
Киска 2005/08/27 00:08
ついこの間観てきた舞台で

>中国残留日本人婦人
劇団銅鑼のお芝居「エイジアン・パラダイス」を観てきたばかりです。
「婦人」と言っても、終戦時に13歳未満であれば「残留孤児」、13歳以上であれば「残留婦人」と形式的に設けられたもので、中国に残らざるを得なかった状況は、「孤児」も「婦人」もそれほど違いはないそうです。中国で暮らしていた時の苦労は筆舌に尽くしがたいものであったでしょうが、日本に帰国して以降の苦境はそれ以上かもしれません。

この「エイジアン・パラダイス」は、なかなかおもしろかったです。「中国残留婦人」だった女性がやっている国籍・性別・職号不問の下宿屋にゲイバーのママの在日コリアン、フィリピンパブのホステス、東大留学生(実はタイの大富豪の娘)、中国残留孤児と中国人とのハーフが住んでいて、この他にフィリピン人の若者も登場します(←私の希望ではイラン人という設定にして欲しかった)。こういった題材を扱いながらもあまり深刻ぶらず明るい舞台になっていました(安易に日本人を悪者にしていないということにもほっとしたりします)。
劇団銅鑼は、「センポ・スギハァラ」(故杉原千畝夫妻の話)以来いくつか観ています。非常に問題意識が鮮明で、ちょっと真面目すぎるのではないかと感じる(演劇的エンターテイメントはもっと工夫して欲しい)舞台が多かったのですが、「エイジアン・パラダイス」は皆さん軽やかにそれぞれの役柄を演じていて、制作者・演技者のアジアの人々に対する愛を感じました。今回は短期のアトリエ公演ですけれど、「センポ・スギハァラ」のようにロングランになるといいな、と思います。

劇団FAN☆FAREさんについては、今まで拝見したことはありませんでした。北・葛飾あたりで活動していらっしゃるのでしょうか?
これまで取り上げられた人物は、実は知られている人が多いようで、どういう基準で選ばれているのか、よくわかりませんが、結構おもしろそうな感じ。ななさんのご意見なども参考にされて、素敵な舞台をつくってくださいね。ご成功をお祈りいたします。




#5989 
孟きょう 2005/08/26 23:06
豪商

>徹夜城様
 おお、沈万三ですか。川越泰博氏の研究によれば、沈万三の屋敷は成化年間になっても、まだ残っていたそうですね。 沈氏の家塾の教師をしていた王行という人物が、あの藍玉の家の家塾の教師を後につとめているそうで・・ すごい人脈ですね。



#5988 
なな 2005/08/26 21:37
思いつくだけ

●フジコ・ヘミング
歴史的人物ではありませんし、有名な方ですけど、ピアニストを志しつつも途中で聴力を失うという役柄は、役者さんにとっては演じる甲斐があるのでは?
物語の舞台も、ナチスが台頭する戦前のドイツ、戦時中と戦後まもなくの日本、ドイツへ留学して後にスイスで暮らし、久々に帰国してからの意外な大ブレイク…と、ドラマチックですよ。

●ペトロ岐部
女性ではないですが…。
大黒屋光太夫以上に波瀾万丈な、世界を駆けめぐった人ですね。
これで大河ドラマが作れますよ。

●じゃがたらお春
じゃがたらお春と比べると、シーボルトと滝、二人の娘のイネは、時代が変わった、時代が味方したんだと思わされます。
フジコ・ヘミングもそうなんですが、二つの国を背景に持つ混血児を主人公に据えると、「そもそも日本って何だろう?」という疑問が生じてきます。

●中国残留日本人婦人
顕著な業績を残した高名な人…ではないですが、もっと取り上げられてもいい題材だと思います。
戦前にどんな経緯で中国との関わりを持ち、なぜ戦後も中国に残ることにしたのか。
残留孤児の場合よりもより主体的に当時の中国と日本、そして日本人を描き出せると思うんです。
文化大革命の中で日本人として子育てをするというのも、歴史に残る業績ではありませんが、大変だったろうと想像するんですよ。

●故杉原千畝氏の奥さん
●早川雪洲
●川上貞奴
●イサム・ノグチ
●日本人女流画家で、戦前にヨーロッパに渡り、半世紀以上当地で暮らして、晩年になってようやく日本に帰国した人がいたと思うんです。名前忘れちゃったなぁ…。



#5987 
松風☆勇美子 2005/08/26 16:03
劇団FAN☆FAREの松風です!

劇団FAN☆FAREの松風です
ご無沙汰しております!
たまに顔ださせていただいて皆さんのご意見をいただいてお芝居つくりに活かさせていただいております!
そしてまたまた皆様のお知恵をお借りしたいのですが、
次回作の芝居の題材で取り上げるべき人のアイデアをいただけませんでしょうか??
・日本とどこかの国をつなぎその国(もしくは日本)で功績を残したあまりメジャーではない日本人
がテーマです。
これまでは以下のような人物をテーマにお芝居を作ってきました。

7回回・・ジョン万次郎(アメリカ)
6回目・・前田光世(ブラジル)
5回目・・大黒屋光太夫(ロシア)
4回目・・杉山龍丸(インド)
3回目・・グーテンホフ光子(オーストリア)
2回目・・梨本宮方子(韓国)
1回目・・お滝・シーボルト(オランダ)

今回は私的にはできれば「中国」をテーマで「女性」がいいなとおもってます。

それ以外でもなにかいい人いいネタがあれば教えていただけますか??

是非宜しくお願いします。

PSちなみに劇団のHPです
おひまがあればどうぞhttp://www8.plala.or.jp/fan_fare



http://www8.plala.or.jp/fan_fare


#5986 
NF 2005/08/26 00:37
479900

↑割りに切りがいい番号だったので。
甲子園が暴力に始まり暴力に終わるという何とも言えないこの頃(涙)。隠蔽しようとしたため余計ドツボに嵌った印象です。
>中世
中世が一時、反体制的なイメージだったのは縄文ともども国家権力が弱まっていた(またはまだなかった)時代で、権力から切り離された人々の姿を描けたからなんじゃないかな、と思ってみたりします。近年にまた注目されたのも、中央集権的な古代帝国が崩壊して各地が自足的な社会になった中世と、近代国家が行き詰まりを見せつつある現在とがダブって見えるからでしょうね。
因みに、80年代頃の成果を踏まえた上でもう一度「温故知新」じゃないけど中村直勝氏や松本新八郎氏など割と古い人の説を見てみると面白いかもと思うこの頃。14世紀日本は中世というよりも、貨幣経済・商工業勢力が勃興しそれと結びついた集権・専制志向の政権が誕生するという意味で近世の幕開けと見ることも可能だという結論が出そうで。

関係ないですが、わが国の国防は万全のようです。↓
http://jei-01.hp.infoseek.co.jp/jiei.html
…何考えてるんだ、自衛隊。



#5985 
徹夜城(台風進路が気になる管理人) 2005/08/24 22:31
タマはまだ残っとるがよ

 例の「刺客作戦」とやらで亀井静香さんとこに堀江さんが送り込まれ(「シズカちゃんとホリエモン」などとネタにされてるようですが)、選挙区が広島なもので(もっとも正確には尾道なんでしょうけど)「仁義なき戦い」などと言われておりましたら、今日亀井さんとこに菅原文太さんが応援に駆けつけたそうで(笑)。


>原田さん
 僕も歴史関係の雑誌なんかに目を通すようになったのは80年代以後ですから、それ以前の中世史観の大変革は身をもっては知らないんですよね。
 僕は専攻としては中国史に首を突っ込んでいたので日本史の研究動向よりもそっちのほうが分かるんですが、1980年前後というのは日本の歴史学界全体に大きな変動が起きた時期だったんじゃないでしょうか。少なくとも僕の知るところで明清史、そして倭寇研究史ではその時期に大きな変動があり、そのころ衝撃的な意見の多くが今や「定説化」している感もあります。


>不肖デルタさん
 僕はまだ読んでないけどアニメ監督の高畑勲さんが中世の絵巻物を「アニメの元祖」として研究した本をものされてましたよね。中世絵巻物を見ているとその後の日本のマンガ・アニメ表現に似通ったものは確かに見受けられ、新鮮な驚きを感じるものがあります。
 日本の絵巻物ではないですが先日も言及した中国の「倭寇図巻」もその全体を見渡すと絵物語…というより「映画的」と言いたくなるほど見事な構成になっています。あれって巻いてある状態でスルスルとスクロールさせて読むことを前提に書いてますから、その場面変換の方法はなかなか映画的なんです。「倭寇図巻」の巻頭、海の彼方に現れた小さな船の影が次第に接近して大きくなり、接岸して倭寇たちが上陸してくる…という展開はまさに「映画的手法」と思っちゃったものです。

 西洋の鎧の話でついつい思い出しちゃうのがイギリスのロンドン塔を見物したときのこと。歴代国王の甲冑が飾ってあるんですが(ジェームズ1世に秀忠が送った日本甲冑も飾ってあります)、確かヘンリー8世のものだと思った甲冑に股間を守るパーツがニョキっと突き出しているのを発見まして(笑)。まぁちゃんと守らなきゃいけないのは分かるんですが、異様に目立つサイズであり、ヘンリー8世といえば…などと連想が及んでしまったのでした(笑)。

>ひでさん
 ええ、例の騎馬武者像ですがもちろん義詮の花押が上方に書かれていることは高師直説の根拠の一つではあるはずです。義詮にとっても師直は「功臣」と言えましたからね。また馬具だったか武具だったかに高氏の家紋「輪違い」とおぼしきものが描かれていることも根拠の一つだったはず。しかし未だに決定打となっていない様子なので、異論もあるんでしょう。
 そういや有名な「源頼朝像」、先日仕事場で中学の歴史教科書を読んでおりましたら鎌倉時代のところでその画像が掲載はされているものの「源頼朝とされる肖像画」との説明が添えられていました。足利直義説もあるぐらいだからなぁ。


>読書。
 電車の中で中国の歴史ビジネス小説(?)「巨商・沈万三」を読了。元末明初の混乱期に実在した蘇州の豪商のビジネスサクセスストーリー風味な小説でした。大半はフィクションで、まだ貧乏僧時代の朱元璋と顔見知りになったり、江南地方に割拠した張士誠と知り合いだったり、南洋に渡って密貿易に手を染めるとか(この辺は僕の専門直撃という感じでした)、波乱万丈で面白かったんですが、実在の人物だけに終わり方が寂しい。終盤に出てくる朱元璋の命で南京の城壁を築くくだりは史実(伝説?)だそうで南京の城壁の三分の二は彼が費用を出して築いたんだとか。



#5984 
ひで 2005/08/24 21:47
あららら、そうでしたか

>義詮の花押
あれがあるというのはあの像に書かれた家紋とともに高帥直説の根拠の一つだと思ってましたが違いましたか。

>中世“ブーム”
ブームと言っていいのか分からないけれど7,8年くらい前にも「中世」と言う言葉が一つのキーワードのようにとらえられ、それでいくつか本も出されていたと思います。近代的なシステムが色々な分野で行き詰まっているような雰囲気であり、そのなかで近代以前の時代を見ながら近代の発展のなかで見落としたり取り損なった物が何かあるのではないかと言うことを探っていこうとする本もあれば、中世と当時の状況が表面上似ていると言うことで現代を「新しい中世」と規定して世界を把握しようとする本もあったり、まあいろいろありました。

http://pezetairoi.hp.infoseek.co.jp/


#5983 
不肖デルタ 2005/08/24 12:51
激闘の絵巻

>戦絵巻
絵の名前を覚えてないのですが、中世の日本の合戦を描いた
絵で、武者が一騎打ちに及んでいて刀を打ち合い、刀が折れて
取れた刃先が宙を舞う、まるでマトリックスのような
合戦絵を見たことがあります。こういう激しい戦闘の描写の
合戦絵を今まで見たことが無かったので目に焼き付いてます。

>大袖
あぁ日本の甲冑で肩に乗せている部位は、そんな名前で
そんな用途があるのですか、知らなかったです。
中世の甲冑は何処の国の物も装飾が細かくて豪華で、ちょっと
返り血を掛からせるのは勿体なくて飾って保存しておき
たくなる物が多いですよね。遠目で見ると西洋甲冑と
日本甲冑は、日本のものが一見、装飾が細かくてカラフル
ですけど、西洋鎧も近寄って見ると細かい透かし彫りが
あったりと豪奢なものですね。
中世日本で盾が流行らなかった理由は分かりませんが
西洋の盾は重厚で装飾が豪華なものが多く確かに実戦では
防御に使ったのでしょうが美術工芸品としても
存在感のあるものですね。
日本も西洋も共通してるのは、格上の武者が配下の者に
褒美に甲冑を贈ることがよくあったこと。
イワン雷帝の時代にコサックの頭目が帝から甲冑を
戴き、彼は終生その甲冑を戦場で着ていたそうですが
その彼は最期に川船に乗っていて敵襲を受け川に落ち
溺死したそうですが、彼は皇帝から贈られた甲冑を
脱がなかったので重くて沈んでしまったとか。



#5982 
パパゲーノ川崎 2005/08/23 20:43
新党ニッポン

その手があったか。でも党名って、限られた語句の順列組み合わせみたいな感じが。。。
それにしても、ヤッシー氏の考えていることが分からないです。

徹夜城様>
なるほど、民主党にはそういう経緯があるのですね。
それにしても、自由党と民主党が合体したら自民党てのは面白い。
(自由党はもう無いのだけれど。)




#5981 
原田 実 2005/08/22 12:32
中世ブーム

象徴的な一冊ということでは、別冊宝島38『タブーと常識に挑戦する!日本史読本』(1983)がありますね。その本のキーワードは「中世」と「縄文」です。
 ただし、この本を今読んでも少しもタブーや常識に挑戦しているようには見えません。なぜなら、そこに書いてあることは今では当たり前のことになってしまっているから。当時は「中世」とか「縄文」とか語るだけで反体制的な気分になれたわけです。
 70年代以降に生まれた人が今、その当時の本を読んでも、どこにブームが反映しているかわからないのは、むしろ自然なことでしょう。書かれていることは今では当たり前のことで、新鮮なことでも反体制的なことでもないからです(そもそも反体制を気取っていればウケるということがわからないですね)。
 ある程度の年配の編集者さんにはその時代の感覚が残っていて、企画の際にやたら「縄文」や「中世」にこだわったりします。

http://www8.ocn.ne.jp/~douji/


#5980 
徹夜城(なぜかハードボイルド小説読んでたりする管理人) 2005/08/21 21:58
国名も商標登録しておくべきだったか(笑)。

 新党「日本」って…「新党」の部分は名称ではないようだから単に「日本」なのか。「フォルツァ・イタリア」にならって「がんばれニッポン」案を出していた僕ですらストレートに「日本」と来ちゃうと、勝手に名乗っちゃっていいのか、ソレ、などと思っちゃいましたね。「日本代表田中康夫」なんて名乗られると「勝手にお前が代表するな」とツッコミが(笑)。ただ「国民新党」よりインパクトがあったのは確か。小林興起さんがいるからもしかして都知事が引っ張り出されるか?という予想もしたのですけど、乗らなかったんだろうな。
 しかし田中康夫まで乱入ですか…なんかもうなんでもありというか、ゴチャゴチャな総選挙になって来ましたな。面白いっちゃあ面白いけどさ。


>ひでさん
 例の「騎馬武者像」が尊氏像とされてきた大きな根拠が絵の騎馬武者の頭上に二大将軍・義詮の花押(サイン)が入っていることにあったはず。ただこれについても「父親の画像の上に息子がサインするか?」という疑問がささやかれていたんですよね。
 モデルが誰かはさておいて、あの騎馬武者像がかなり異例の肖像画であることは間違いないでしょう。ざんばらにした髪、太刀を方に背負い、背負った矢のうち一本が折れている。戦場で戦闘の最中の模様を描いた肖像画というのは他の例はあまりないんじゃないかと。ではなぜわざわざそういう肖像画が製作されたのか、ってところがポイントであるようです。
 矢が折れていることについてそのモデルの戦死を暗示しているととり、それが高師直説の根拠にもなっていた気がします。師直はいろいろとあったものの尊氏・義詮にとり功臣であったことも事実なのでその奮戦ぶりを絵にした…ということだったかと。ですが師直の死は「暗殺」といっていい状況で戦場での戦死ってわけでもないんですよね。
 何度か書いてることですが、僕などはひそかに「細川頼春」じゃなかろうか、なんてことを言ってるわけです。どなたか実際にこの説を言っている方もいたような気がするんですが未確認。頼春については「ムロタイ」を参照(笑)、ってことになるんですが、簡単に書きますと義満の父代わりをつとめた管領・細川頼之の父で「正平の一統」で南朝軍の京都突入の際に楠木正儀軍と戦い壮烈な戦死をした人物。彼ならばこういう肖像画が描かれるだけの条件をいろいろそろえているように思えるんですよね。

>椎茸さん
 う〜ん、僕も南北朝により深く首を突っ込んだ理由が網野さんの著作に触発されたというところもあるんですが、「網野ブーム」「中世史ブーム」というようなものはある一時期に目立ってあったわけというではないと思うんです。だいたい80年代から活動が目立った方で、いろいろとそれまでの「常識」をひっくり返して見せ、多くの一般向け著作を発行して学界のみならず一般歴史ファンにも影響を与えたことは確かですが、その逝去まで「ブーム」が続いていたと見てもいいんじゃないかと。



#5979 
椎茸 2005/08/21 18:53
ブーム・・・?

国民新党やら新党日本やら最近はやけに新党が設立されていますが・・・自らの地盤を信用しきっている老議員か、暗黙のタブーを破って「日本」を使用した比較的若い彼らか。どっちにしても早いうちに消え去るかもしれませんね・・・。
ブームに乗せて・・1978年に第1刷された網野善彦「無縁・公界・楽」がなにやら日本中世史ブームを巻き起こしていたのだとか。 僕はそのころ生まれてさえもいなかったのでどういうものだったのか知りません。誰かご存知の方が居りましたら、教えてください。中世史の無縁寺や公界僧の芸能とか、天皇の影が見えない部分が色々ととりざされたのでしょうか? 今ではその面影さえもないように見えるのですが・・・。
  
ご存知だったらお願いします☆                   (敬称略)



#5978 
ひで 2005/08/21 11:21
絵巻はどこまでリアルなのか

その辺のところが何となく引っかかる今日この頃・・・。

>蒙古襲来絵詞。
一部に江戸時代の加筆があるとか江戸時代に巻物にするときに順番が変えられた箇所があるとか言われておりますが、その説を唱えている佐藤氏自身は絵巻そのものは中世に描かれたもので、天皇や上皇に近侍する京の絵師の手による物という立場を取っているようです。理由としては竹崎季長奮戦の図は当時延暦寺に秘蔵されていた平治物語絵詞の中にそっくりな図がみられること、川や海の描き方が一遍上人絵伝とにていること、樹木の描き方が当時の大和絵の主流の描き方であることなどを挙げておられます。詳しいことは著書を見るしかないのでしょうけれど。
(参考 http://www.nakamura-u.ac.jp/~library/e-lib/sato/index.htm)

>ついでに伝尊氏像も
最近の書き込みで弓と刀の話が出ていたので、それに絡んで近藤好和「騎兵と歩兵の中世史」を読み返していたのですが、そこで伝足利尊氏像の話題も取り上げられていました。あれを尊氏とする説の根拠は描かれている武者の出で立ちのようです。南北朝時代でありながら古様の大鎧と太刀が描かれており、それは重代の品であることを示しており、南北朝期以降で最も著名な重代の大鎧と言えば太平記などに出てくる足利家重代の小袖鎧があり、小袖鎧に関しては文献によっては白糸威ととれなくもなく、それを以てあの絵で武者が来ているのは小袖鎧であり、故に足利尊氏だと戦前以来言われてきたそうです(像主尊氏説の言い出しっぺはどうやら松平定信らしいですが)。それに対して近藤氏はあの絵に関しては小袖鎧の威毛とあの絵の大鎧の威毛の関係を改めて検討する必要があるという立場を取っていました(小袖鎧の威である「卯花威」が実際はどんな感じだったのかは通説では白糸威ですが、史料の解釈が結構難しそうです)。

http://pezetairoi.hp.infoseek.co.jp/


#5977 
徹夜城(昨夜ようやくガンダム特集が見られた管理人) 2005/08/21 10:52
猛虎襲来絵詞

 さて、阪神はこのまま行っちゃうのか(笑)。
>民本主義者さん
 ご紹介どうもです。毎日の記事は見てませんでした。こうして見ると確かに良く引用される場面のモンゴル兵の三人が妙に浮いて見えるのは確かですねぇ。
 自宅にあった朝日百科「日本の歴史」の「蒙古襲来」の号(かれこれ20年近く前に発行されたもの)を読み返してみましたが、「蒙古襲来絵詞」から大量に画像を引用しつつ後世の加筆問題については全く触れていませんでした。ただ「一度水をくぐったことがあるらしい」とのこと。また伝来の過程で登場する武士の名前を途中の持ち主が書き加えた可能性については言及がありました。
 「絵詞」自体の同時代的史料価値はそうそう減じないのでしょうが、例の良く引用される有名な場面の半分以上が後世の加筆となると、あの場面が教科書や入試でしばしば使用されていることを考えると問題にはなるでしょうねぇ。ま、「源頼朝像」だって確定していたわけでもないのに入試で「これは誰?」って感じでそのまんま使われていたこともあります。
 この話題になると例の「足利尊氏像」とされた騎馬武者像の話にも及ぶわけですが、これはその朝日百科「日本の歴史」の段階ですでに「尊氏像」説は否定的に扱われ高師直の可能性があると書かれていました。大河ドラマ「太平記」放映時に数多く出た南北朝本・尊氏本も表紙イラストにあの絵をモチーフにしたものを多く見かけましたが、NHKじたいは番組内および書籍で一切この画像を「尊氏」とは扱ってなかった覚えがあります。ドラマの中盤、出家をひるがえして建武新政に対して挙兵するあたりでは真田広之さんが髪をざんばらにしてることもあって、ややあの絵に近いイメージになってはいましたが…

 なお、絵巻物がらみでは僕の専門である「倭寇」の世界でも有名なものがありますね。いわゆる「倭寇図巻」というやつです。倭寇を解説した本や雑誌で必ずと言っていいほどこの「図巻」内の明軍と倭寇の戦闘の場面が引用されています。
 数年前に東大史料編纂所がその所蔵史料を一挙公開した「時を超えて語るもの」という展示会があり、そこでこの「倭寇図巻」の本物が全巻広げて展示され「おお〜」と感動することしきりでした。発行していた図録にもこの図巻の全体の写真が掲載されていたので(しかも表紙がこの図巻からとっていた。最大の目玉であったことがわかる)高い金払って買っちゃったりしたわけです。
 しかし実はこの「図巻」、公式には倭寇を描いたものとはされていなかったのですね。正式タイトルは「明仇十洲台湾奏凱図」と言いまして、16世紀前半の有名な画家・仇英が明軍の台湾への遠征をテーマに描いた絵とされていたのです。しかし別人の作品を有名画家に仮託するのはよくあることですし、内容を見ていくとどうみても日本刀を持ち月代(さかやき)を剃った集団が描かれ、中には鉄砲とおぼしきものを持っている者もいることから「後期倭寇」と官軍の戦闘を描いた絵であろうということになり「倭寇図巻」という通称がついた、という経緯があります。
 ちょうど「蒙古襲来絵詞」と立場入れ替えになるわけですが、こちらもリアルと感じる部分と想像を交えて書いてるとしか思えない部分とがあります。「倭寇」たちが当時の明人が思い描く「日本人」の姿になってることも確かですが、船や旗などが中国風のそれに見えるあたりは僕などは「リアル」に感じてますね。

 ところでこの下の三つの書き込みは削除させていただきました。このところ人の書き込みの内容を読み違えて何やら揶揄でもするつもりらしい一行書き捨てをする方がおられまして、しかもそのたびに名前を変えているので(アクセス調べると検索キーワードかけてほとんど毎日来訪してらっしゃるようですが)まともに議論をする気がないと判断してそのレスも含めて削除しました。



#5973 
景虎 2005/08/21 02:33
夜は涼しくなってきました

>蒙古襲来絵詞
これって、以前から武術研究家の中に疑問視していた人がいたりします。
その理由は、蒙古兵が日本刀によく似た刀を腰にぶら下げているという事です。反りがなかったり、柄頭が曲がっていたりといった相違点もありますが、中には「これって日本刀?」と思ってしまうような物が含まれています。
もう一つ気になるのは、蒙古兵の中に数名ではありますが、日本の大鎧に少し似た鎧を着用した人物が描かれている事です。不思議なのは、蒙古兵の大部分は、兜くらいはかぶってますが、鎧を着てないんですよね。鎧を着た数名は指揮官かというと、そうでもなさそうですし。
『蒙古襲来絵詞』は、考証的な信憑性が高いという考え方は、歴史学的方面からの話であって、刀剣学、絵画等、他分野から観た信憑性はもともと低かったのでは?という気がしますね。

>盾
日本で盾があまり使われなかった理由は、色々と指摘することはできますが、どれも決定的ではないんですよね。例えば、大鎧の袖が盾代わりという説にしても、大鎧を着られない身分が低い者は何故盾を使わないのか?白兵戦が増えた時代に、何故白兵戦用の盾を使わないのか?盾がなくても戦えるといっても、諸外国で盾が使われるし、盾の存在を知らない訳でもないのに、何故日本では1000年以上使われないのか?・・・考えたらきりがありません。
結局、盾をほとんど使わないのは(地面に置いて使う盾を例外とすると)日本人の民族性・・・などという、曖昧なことしか言えないような気がします。



#5972 
りん 2005/08/20 19:52
矛盾という言葉をよく思い浮かべる今日この頃

>民本主義者さん
以前に朝日新聞でも取り上げていましたね。蒙古襲来絵詞は装束など考証がしっかりしているというので風俗考証の材料として頻繁にとりあげられているのですが、こうなると色々とチェックが必要になりそうですね。
ちなみに伝武田信玄像(禿頭に狩衣の坐像)に関しては現在ではほぼ否定されています。能登畠山氏の誰かが有力だとか。

>不肖デルタさん
日本で盾が発達しなかったのは、鎧に盾が取り込まれていったからです。いわゆる大袖(たんに袖とも)というやつがそれで、両肩からだらりと垂れ下がっているものです。基本的に、あれは紐で結わえてあるだけなので、かなり自由に動かせます。ですから、敵の矢を受けそうな時は大袖を顔の前に傾けて防ぐ、矢を撃つ時は後ろに跳ね除ける、という感じで用いたようです。
あとはおっしゃられているような木盾ですね。普通は地面に置いて使用しますが、後退する時に肩に担いで敵の追い矢を防ぐ、ということもあったようです。この種の置盾は木製だけでなく、竹製(調達が簡単)も多かったようですよ。



#5971 
不肖デルタ 2005/08/20 18:09


政治の話の中で「刺客」などという物騒な言葉が使われる
今日このごろ(笑
さて、ここの掲示板で最近、武術、武具形態等でもりあがって
いるようですけど、前から漠然と思ったのですが、日本って
西洋や中東ほど歴史上で「盾」が戦闘で使われたような感じが
少ない気がします、これは何故なのでしょうか?
何か木製の板みたい盾は日本史の時代劇で見た記憶はありますが。

>蒙古来襲の絵
なにげに聞いた話しですけどモンゴル帝国の兵装って方面軍に
よって全然違う感じだったそうですよ、まぁ、これは無理も
なく西洋へ攻めていったモンゴル軍と南宋を攻めたモンゴル軍
中東を攻めたモンゴル軍、どれも現地に合わせた戦術や用兵も
あったでしょうし、モンゴル軍は兵力不足を現地人の兵力で
補ったのが顕著だったみたいだから違って当然でしょうがね。

ところで、わたくしごと、ですが私のやってるHPでは漫画を
掲載してるんですけど、最近、歴史漫画というか、3Dソフトの
Shadeで画像素材を作ったものを掲載しております。
ロ−マ史でロ−マに脅威を与えた7つの強敵、というおだいで
進行する絵本みたい漫画なんですが、おひまなら寄られて
立ち読みなされていって下さい。アドレスは自前HPと同一です。


http://yh2004.fc2web.com/


#5970 
民本主義者 2005/08/20 15:19
平成17年7月19日の毎日新聞社西部本社版(夕刊)1面

「実はこの絵、改ざんだった!?」
「蒙古襲来絵詞」
「敵兵3人は後世加筆」
「中村学園大 佐藤教授」
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kinsei/0317.htm
こちらに記事の写真があります。

武田信玄の肖像画などに関して、描かれている人物が別人ではないか?という説は聞いたことがありましたが、場面を一部書き足していたというのは初めて見ました。しかも一番有名な場面。
確かに輪郭や姿勢が他の蒙古兵とはあきらかに違う。時代が経つにつれて、「主人公を強く見せるには、敵もある程度かっこよく描く必要がある」という原則に目覚めたのかもしれません。
戦時中にアメリカで作られた反日プロパガンダ映画に出てきた日本人よりも、時代をおいて作られた真珠湾もののハリウッド映画に出てくる山本提督はじめ日本人がかっこよく描かれているのと同じ原理が働いているように思えます。



#5969 
徹夜城(ガンダム特集を一部録画し損ねた管理人) 2005/08/19 22:13
政党名あれこれ

>パパゲーノ川崎さん
 いや、話をもっとさかのぼりますと、そもそも「自由民主党」というのは「自由党」と「民主党」が合体して出来た政党なんですよね。で、その「民主党」を作ったのが鳩山一郎であり、その孫の由紀夫氏が新党を作るに当たってその党名を「民主党」としたのは当人的にはむしろ自分が「元祖」「本家」のつもりだったんじゃないかと。結党当時も「新鮮味が無い」とは言われたものですがね。
 そこへ小沢一郎氏の「自由党」が合流した際には「自由民主党になるの?」と小泉さんにからかわれていたもんです(笑)。

 かつて90年代の「新党ブーム」では「日本新党」だの「新党さきがけ」だのがありましたね。その後に出てきた「新進党」っちゅうのも意味不明の名前でしたが。それが分裂した際には「太陽党」だの「新党友愛」だのヘンなのがゾロゾロ出てきたもんです(いずれもあっという間に消えていきましたが)。「保守党」なんてイギリスみたいのが一時あったりもしましたっけねぇ。


>NFさん
 まぁこの手の人達と言うのは目立つのが第一であって、当選することは二の次なんでしょう。特に秀吉氏については当人もわかってるんだと思う。しかしこの人が例の「ニセ有栖川宮」の結婚式に招待されていたと聞いた時にはなんかしっくりくる組み合わせで笑わしてもらいました(笑)。
 こうなるとドクター中松も登場するかもしれませんな(笑)。先ごろ亡くなった「神軍」の奥崎謙三さんも何度も立候補してましたし、こういういかがわしげな名物候補ってのは後を絶たないもんなんでしょう。



#5968 
パパゲーノ川崎 2005/08/19 00:24
そもそも

自民党は自由民主党の略ですよね。
そうなると、民主党は党の名前が自民党に含まれていることになってますね。
なんで、もっと新鮮な名前にしなかったのか。
あの丸こい赤いマークは好きだけどね。

国民新党、ネーミングは結構いいかも。
党のマークは、郵便のマークを上下さかさまにしたやつでどう?
(どこかのバラエティー番組に出てくるタレコミ情報のポストみたいですが。)



#5967 
NF 2005/08/18 22:54
殿、御出陣!神、御降臨!

秀吉氏が国政選挙に久々の登場。大阪市長選で「まっとうな」選挙活動で戦い、その後はご無沙汰していたもので何だか物足りない思いをしていたものです。兜姿で「大阪冬の陣」と言っていた時代が何となく懐かしいと申しましょうか。
しかし、太閤殿下が関東攻めをなさるということは天下一統が近いということであり、唯一神が来臨されることから裁きの日が迫っているということが分かる、やはり今回の選挙は大きな分かれ目であるようだ(笑)。
それにしても、羽柴秀吉氏は小泉首相と、又吉イエス氏は与謝野・海江田両氏と激突。何でこうした人々はわざわざ有力候補とぶつかりたがるんでしょうね、そうでなくとも当選確率は(以下略)。

政治のあるべき姿への熱い思い・現実を見つめようという姿勢を一番バランスよく兼ね備えている政党は下手すれば世界経済共同体党かもしれないという現状が何とも麗しい限り。「保守新党」「新党大地」は勿論、社民党などより余程好感を持ってしまうどうしようもない心境です。



#5966 
徹夜城(プリント作成にいそしむ合間に書き込んでる管理人) 2005/08/18 20:42
あら、やっぱりあの人も(笑)。

 なんか有名人立候補作戦が目に付くあたり、参院選をやってるみたいな気もしてきます。もしかして小泉さん、参議院を解散したつもりになってるわけでもないだろうに(笑)。
 選挙と言えばあの人、「羽柴秀吉」氏は今度も出る気みたいですね。なんと小泉さんの選挙区とか。堀江さんもこの人みたいになっていくのかもしれないなぁ(笑)。

>マルクスの恋人さん
 おお、あったんですね。よくお調べくださいました。僕も「もしかしてあるかな…」とは思ったんですが、この伝言板に書いておけば誰か調べてくれるだろうと思っていたことを白状しておきます(笑)。
 かの三木武夫がやってた政党も「国民党」だったのですね、これは盲点でありました。現在も「国民党」なる政治団体があるそうですが、名前から察するに「愛国党」あたりと似たような匂いを感じますが…
 もっとも「国民新党」は最初から「新党」を入れることは決まりだったと思うんですよ。どうせいずれ自民に戻るって気でいるんだから長く続く党名にはしたくないって気分もあるでしょうし。
 そういや鈴木宗男さんの北海道政党も名前が決まりましたね。松山千春命名で「新党大地」とか(笑)。北海道ネタで来るだろうなとは当然思いましたが…まぁ「国民新党
」よりはセンスを認めてあげていいかと。
 僕はひそかに「ほっかい党」なんてのを考えておりましたが…(笑)



#5965 
マルクスの恋人 2005/08/18 00:32
日本政界130年の真実! 明治大正昭和平成の我が国に、その名も高き「国民党」は実在した!!

ちょっと調べてみたら、日本に「国民党」は実在しましたよ。

まず大正時代に「立憲国民党」が。
あの犬養毅も所属していたそうで、もちろん衆議院に議席あり。
その後勢力が衰え、解党して革新倶楽部を新結成し、最後には政友会へ合流(反発して分かれていった分派あり)

大戦直後、昭和21年4月の総選挙で当選した議員たちの再編で「国民党」が結成。
翌年春には日本協同党と合併して国民協同党となり、書記長に三木武夫が就任。
片山・芦田内閣に閣僚を出すなど政権与党だった時期もありました。
その後、勢力が衰え、民主党野党派と合流して国民民主党・さらに他から合流して改進党・さらにあちこちからごちゃごちゃして日本民主党・最後には保守合同で自由民主党に。

また、現在も「国民党」を名乗る政治団体は実在するそうです。
都知事選挙や国政選挙に何度も候補者を出している(ただし当選例は未だなし)そうで。

綿貫氏らが「国民党」を名乗れなかったのは多分最後のこの団体の既得権でしょうね。



#5964 
NF 2005/08/17 23:54
友人の受け売りですが

何でも、各地の軍事史を追ってみたという友人に言わせると、「太平記」「明徳記」「応仁記」などから以下のことが想像できるそうです。
南北朝期には流民などを傭兵として組み入れ歩兵として活用。彼らは訓練も受けておらず秩序ある行動が期待できないため散開させ弓を持たせて地の利を得て遠矢を射る。それで敵が乱れたところに騎馬武者が集団となって突入し勝利をものにする、というパターンができつつあったそうです。そのため、鎌倉期には弓矢が中心であった騎馬武者の武装は白兵戦用に大刀・槍などに変化したとか。14世紀末〜15世紀には、騎馬隊の突撃に対し、やはり騎馬武者達が下馬して隊列を組み、刀や槍といった大型の武器で防御して食い止めるようになったそうです(歩兵達は軍事訓練を受けておらず、騎馬隊を防御できるだけの密集隊形をとれるのは軍事専門職である騎馬武者のみでした)。応仁の乱の頃には、以前より歩兵(足軽)の占める割合が増加し、騎馬武者は軍の統制のため分散し、隊をなして集団で突撃することはできなくなりました。そこで、騎馬武者たちも戦闘の時には下馬して歩兵とともに戦うようになった(戦闘時に騎乗することは、集団での突撃ができない以上、敵の射手の的になるリスクがあるだけでメリットはない)。この時には歩兵たちも槍などを持って白兵戦をするようになっていましたがまだ秩序だった戦闘はできていなかったとの事です。↓
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2000/001027.html
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021025b.html

>「国民新党」
「宗男新党」と同様にまず、政策とかよりも、自分達の集団に名前がいるというところから始まった一例ですね。まあ、「党」という字が元来派閥を意味するらしいのでこれが本来の形かもしれませんが(笑)。まあ、どこも「政党」は元をたどればこんなものな気がしないでもないが。しかし、役回りといい構成員の顔触れといい、魅力に欠けるのは否めませんなあ。



#5963 
ブッチャ−3世 2005/08/17 22:13
生剣法

>足利義輝
まぁ、この人は最期は壮絶な剣劇だったということで
本望だったのではないでしょうか(爆
剣の達人で権力者といえば、思い出すのはロ−マ帝国の
コンモドゥス帝でしょうか(爆
映画グラディエ−タ−は見てないから、どんな描き方
かは知らないんですが、この帝は自ら剣闘士として
コロシアムの剣闘技の試合に出て何人か相手を倒した
そうじゃないですか。いくら相手が皇帝だからとは
いえ相手が手加減するとは思えないし手加減したら
自分が殺されるわけだし、贔屓なしに剣は強かった
のでしょうかね、この皇帝。この皇帝は何回も命を
狙われてますが意外に切り抜けていますが最期は
剣で殺されたのではなく、眠っているところを
解放奴隷の青年に首を絞められて殺されたとか。



#5962 
徹夜城(夏期講習が再開しちまった管理人) 2005/08/17 20:50
「国民党」と出来ないあたりが

 今さら結成の新党の名前だけ注目してたんですが、「国民新党」ですか。予想以上になんも考えてない応急非難措置の名前そのまんまですな。国民に浸透しないうちに消えちゃうような予感が。
 えーと、確か日本に「国民党」って名前の政党は憲政史上なかったような。ここで国民党が出現すると世界によくある政党の「共和党」以外は一通り出揃うように思うんですけどね(笑)。
 大穴で「がんばれニッポン」とか名乗るかと思ったんですが(笑)、「新党」とつけたかったんでしょうね、やっぱり。


>景虎さん
 詳しい解説、ありがとうございました。なるほど、香取神道流ですか。ちょっとネット検索かけてみたら確かに「日本国剣法の元祖」などと紹介されてました…って、「日本国剣法」って(笑)。「大日本帝国剣法」とかも出てきそうな(笑)。
 僕のイメージなんですが、室町期に「剣法」が出現してくるのって、合戦の増加もさることながら以前より徒歩戦が中心になってきたことも背景にあるような気も。南北朝時代から現れてくる傾向ですが、騎馬武者がいて従者の雑兵たちが長刀持って…という合戦がだんだん徒歩斬撃戦をする機会が多くなったため、白兵総合技術としての「剣法」なるものが出てきたのかなぁ、とも感じますね。それにしてもこの時期から「香取」とか「鹿島」とかどこか神がかってる観もあります。
 そういや将軍・足利義輝も剣の使い手でしたっけね。


>不肖デルタさん
 洋の東西、実在の有名人に嘘か真かわからぬ伝説がつきまとうのはよくあることで、いつしかファンタジーや「おとぎばなし」のたぐいに実在人物が登場するようになっていく、ということでは。
 前にも何度か書いてるネタですが、渡辺綱は僕の母方の先祖ってことになってますから(笑)。だから金太郎さんも先祖の同僚ということでヘンな親近感があったりします(笑)。



#5961 
景虎 2005/08/16 00:51
武術史

>「剣法」なるものが登場してくるのはいつごろからなのか
これは、室町時代とされていますね。
『香取神道流』という流儀が、15世紀の中頃、応仁の乱の少し前に成立したのが、最初だとされています。その他に、『念流』というのがありますが、こちらは古い事は古くても、正確な年代確定ができませんし、その他のもっと古いという流儀は、仮託、伝説の類ですから、今のところ香取が最古と考えてよいでしょう。
ただ、完成された流儀武術ではなく、刀剣を使った闘争技術そのものは、弥生時代までさかのぼるのでしょうが、技術の連続性と流派としての成立という意味では、これが一番古いですね。

弓術の場合は事情が違っていて、もともとは平安時代に宮廷で行われていた儀礼の一環だったようです。それが武家に流れて鎌倉幕府などで採用されたようですが、流儀としての成立をいつの時代とするかは微妙でしょうね。一応、小笠原流などは、鎌倉時代からという事になっていますし、連続性という意味ではそれでよいのでしょうが、現在の形になったのはもっと後の時代と言いますね。
ただ、年代確定が困難という事は、それだけ古くからの連続性があるという事だと思います。

大切なのは、剣法といっても江戸時代以前の流儀は原則として、槍、刀、薙刀などを含む総合流儀だという事です。ただし、総合流儀といっても、白兵戦技術にほぼ限定されます。古くからある弓術、戦国時代に成立した砲術などは、専門流儀になっています。
白兵戦技術を総合流儀とし、遠戦技術を専門流儀とするのは、いくつかの理由があると考えられます。
白兵戦技術の場合、足軽のように密集して徹底した集団戦をやるならともかく、西洋の騎士のように、個人の技量に頼った戦いをするのであれば、剣しか使えません、槍しか出来ませんという事では、通用しなかったという事が考えられますね。
遠戦技術の場合は、分業化が進んだ時代になると、総合的な戦闘能力を得る必然性が低かった事、雑兵は、長期間に渡る専門的、総合的な戦闘訓練が不可能という事があるのでしょう。
それに加えて、武士が白兵戦部隊となってしまえば、武士が習得する弓術は、芸能的、技芸的、儀礼的な意味合いが強くなるとも考えられますね。『小笠原流』の場合は、正式には『弓馬術礼法小笠原流』、『小笠原流弓馬術礼法』などと言いますが、その名の通り礼法を重視しています。

流儀武術(古武道)の歴史について解説しましたが、私は、流儀武術は、当時の軍事訓練そのものではないと考えています。原則としては、流儀として完成されてしまうと、洗練されるかわりに習得が困難となってしまいますから、流儀武術の原型である、より原始的な家伝の武術の方が、武家の軍事訓練として採用される事が多かったのでは?と最近は考えています。と言っても、まったく関係ないという事でもないと思いますが。



#5960 
不肖デルタ 2005/08/15 18:29
滝夜叉

最近まで知らなかったんですが、神楽の物語に
「滝夜叉」というものがあるそうです。妖術が
出たり陰陽師が出てきたりと、だいたいお伽話
ではあるんですが、興味深いのは、滝夜叉と
名乗る賊徒団の女頭目は平将門の三女・五月姫
という設定になっていて、五月という人物は
実在したみたいで、もっとも父の仇討ち気分で
黒蜥蜴の姉御(笑)みたいなことは実際はせず
出家して静かに余生を送ったみたいですが。
「滝夜叉」は、いろんなバ−ジョンがあって
滝夜叉討伐をやる武士団の頭2人は
平貞光と藤原秀郷(平将門を討ったコンビ)の場合や
卜部と碓井(酒呑童子を討った源氏家臣)の場合
もあって、よく考えると、この時代のお伽話って
実在人物が登場する事がよくみられますね、
「酒呑童子」も鬼退治の頭領・源頼光は実在しますし
羅生門の鬼や茨木童子を斬った武士だという
渡辺綱は源頼光の家臣だったそうですし、
あの足柄山で熊と相撲を取ったという金太郎は
成人して坂田金時と称し源頼光の家臣になってたり
します。「子持ち山姥」ってお伽話には、
信州の妖怪・山姥を源頼光が退治しにいって
山姥が育てていた人間の子を頼光が奉公人として
召し抱え、その山姥の子が成人して坂田金時になった
という話も最近、知りました。
なんか、この時代のお伽話はキャラを使い回して
いて面白いですね。



#5959 
徹夜城(夏休みはすっかりだらけた生活を送った管理人) 2005/08/15 18:09
あ〜明日からは仕事再開ですよ(嘆息)。

 盆休みはあっという間に過ぎ去って…DVDと鉄道模型三昧で時間がつぶれてしまった(笑)。解散騒動とかネタは多いのに、史点がなかなか書けなくてすいません。
 やっぱ8月14日から15日は「日本のいちばん長い日」鑑賞で決まりですな(笑)。「あと二千万!日本男子の半分を特攻に出せば勝てます!」とか騒いでる海軍首脳が出てくる場面が空恐ろしい。

 さて思わぬ「弓」ばなしになってますが…
 念のためですが、話の発端の映画「ラスト・サムライ」ではサムライ軍は弓は使うんですよね。そして僕がツッコミを入れたのはあくまで「火器」を断固として使わないサムライ像が妙だという点につきます。まぁあれは欧米のサムライ映画ファンが思い描くファンタジーなんだととらえることにしてますが。戦国武者の外見的な考証ではかなり正確を期していて向こうの美術スタッフがなかなか優れていたのは認めざるを得ませんし(そもそもスタッフ自身も明治時代の考証としては間違ってることは百も承知でした)、村一つまるごとセットで作っちゃうという芸当は日本の時代劇に失われたものとして羨ましくもありました。
 しかしガトリング・ガンに騎馬武者軍団が突撃していく様は「戦国自衛隊」みたいだなぁとも思っちゃったんですよね(笑)。

 日本の武士では「弓取り」なんて言葉も戦国期にはあったようですから、「弓」が刀と並んで武士の武芸の象徴だったのは確かでしょう。だいたい流鏑馬だの笠懸だの犬追物だの、中世武士の武芸スポーツは弓が中心。「剣法」なるものが登場してくるのはいつごろからなのか…という話題は景虎さんがお強いでしょうか。

 騎射、ということではモンゴルの歴史映画「チンギスハーン」や「マンドハイ」でモンゴル人エキストラが実際に披露してくれるものが興味深かったですね。いったん違う方向に矢を向けてからサッと本来の目標に素早く狙いを変えて射たり、馬に乗って全力疾走で逃げながらクルっと振り向いて追ってくる敵を射たりと、いろいろ芸当を見せてくれます。別に現代モンゴル人がそういう訓練を受けてるわけはないと思うんですけどね。



#5958 
勇気りんりん 2005/08/15 15:34
日本刀さえあればなんでもできる、ですか。

勇気と根性さえあれば、何も出来ないことはない。
……こんなことを考えるのは、日本人だけだという事ですか?



#5957 
孟きょう 2005/08/15 12:58
呂布の弓


日本刀による白兵戦こそが武士の華、日本刀こそが日本人の華、日本刀さえあればなんでもできる、という思考、発想は現在に至るまで日本人に深く刻まれていますね。日本刀による白兵戦、遠距離戦、接近戦については色々な方々が考えを述べられていると思いますが。時代による主要武器の変遷、実用性の追求は一番大事な事として、もう一つ、日本史において実際に戦争をしてきた人達の中での憧れ、目標、志向も時代によって変遷があり、それも少しは関わっているのかなと私は思います。唐から中国式の軍制を採用して以降日本人の中での武器への憧れも、1、弓と馬の組み合わせ、2、槍、3、刀と変化しているわけなんですがこと室町時代まで見ると「将門記」「太平記」などの記述では弓馬の道、弓の使い手や中国の武人を最高にカッコ良い武人、さらに弓を軍事力の究極体、至高のもの、憧れ、目標としているむきが少し見られるのです。将門記では「武弓の術はすでに両朝を助け」「呂布の矢」などの単語がしばしば、「太平記」でも「養由基が矢先」等の言葉が出てきまして。あとは前漢の対匈奴戦の英雄、李広、李陵などが出てた記憶が・・。養由は楚の矢の名手、李広は「石に立つ矢」で有名な矢の名手、呂布は意外にも中世の日本では英雄だったみたいで「劉備を助けるため長物の武器の刃先に矢を命中させた件」が正史から引用され、弓の名手という雰囲気で引き合いに出されているんですよね。数々の伝説を作り出した「漢の男達」へのあこがれもあったんでしょうけど、馬に乗っても歩きでも、弓矢を使ってこそ実力の勝利、武人の誉れ、弓を使っても恥ではない、弓こそ戦の華。という考えが日本ではある一定の時代までは続き、戦国時代であっても今川や細川等の源平藤橘の由緒正しい家には案外残ってたんじゃないでしょうか。



#5956 
ひで 2005/08/14 16:50
いかん、肝心なことを忘れていた。

タイトルに「安息式射法(Parthian shot)」と書いておきながらそっちの説明を全くしてませんでした^^;
パルティアの騎兵が得意とした戦い方としてよく言及される物に、騎兵が後ろを振り向きざまに弓を射て敵をしとめるという戦い方があります。逃げながら(というか逃げるふりして)追いかけてくる敵を弓で射るという騎射の方法をのちにパルティアンショットと呼ぶようになったわけです。この戦い方は馬上で後ろに身をねじって弓を射ることだと通常は説明されますが、最近身をよじるのではなく後ろ向きに馬に乗ることだという説も出されています。いずれにせよ進行方向と逆方向に弓を射て敵を攻撃するのがパルティア騎兵の戦い方だったようです。

ただ、「逃げながら闘う」というスタイルがどうも印象が悪かったようで、英語でParthian shotというと「捨てぜりふ」という意味があるようです。カッラエの戦いについての史料であるプルタルコスにおいて、パルティアのこのような戦い方は「身の安全を図るために防戦しながらも、逃走の恥をかかないですむのは最も賢明なことである(ちくま学芸文庫版より)」と、馬鹿にしているともほめているともとれる記述がありますが、後の時代になるとこういうのは卑怯だと言うことになって、それで「捨てぜりふ」なんて意味があたえられたのでしょう。しかし、自分たちの都合で相手を卑怯呼ばわりするとは、まるで清原ですね・・・。

http://pezetairoi.hp.infoseek.co.jp/


#5955 
ひで 2005/08/14 16:27
安息式射法

パルティアの軍隊については、軽装騎兵と重装騎兵、その他歩兵もいたようですが主要戦力は騎兵、それも軽装騎兵の法が数は多かったと言われています。軽装騎兵が敵を包囲して弓で攻撃し、敵が乱れると重装騎兵を突撃させて攻撃したり、不利になるとあっさり退却したり、騎兵の機動力と騎射の技をフルに活かして闘うというのがその戦い方だったとか。なお、同じイランにあった王朝でもササン朝になると軽装騎兵が減り、重装騎兵や歩兵の弓兵の比率が増加していくそうです。
(参考  http://www.hum.u-tokai.ac.jp/~haruta/soturon/1996.html)

なお、パルティアとローマの力関係にかんしては、クラッススが大敗したカッラエの戦いの結果が強調されているせいか互角だったように見えますが、実際の所はパルティアについては少々過大評価されているようです。カッラエの戦いは軍事的才能の乏しいクラッススがパルティアの騎兵軍団にたいして平原で特に備えも何も無しに闘って負けたというだけなんで、あの戦い一回だけでもってローマと対峙したというのは無理がありますね。あとはアントニウスが遠征をして補給部隊を狙われて失敗したというのもありますが、あれも東方を属州化して半世紀もたっていない状況だったことなどを考慮した方が良いみたいです。ローマ人の残した資料ではパルティアがローマの脅威だったと言うことが詩の中でも歌われていたりしますが、クラッススにせよアントニウスにせよ武勲を挙げようとして一方的に攻め込んで失敗した戦いだと言うことはローマ人の間では全く慮外だったようです。ちなみにパルティアがローマ領内に攻め込んだことは1度あり、前40年にシリアの辺りまでパルティアが一時的に進出したことがありますが、現地の反乱に呼応して攻め込んだもののローマ軍に敗れ、パルティア軍は司令官戦死、軍勢は壊滅の憂き目にあっています。反対にローマによって都のクテシフォンは3度陥落させられており、単純に軍事力だけでまともにやり合ったらパルティアはローマの敵ではないと考えた方が良さそうです。もっとも軍事的に制圧しても、その後住民の抵抗とか疫病の流行によってローマは撤退を余儀なくされるわけですが・・・。

さらに付け加えるなら、パルティアはローマに対して人質を差し出したり、王位を巡る争いの時に一方は親ローマの立場を打ち出したりと、どう考えてもローマと対等に張り合っていたとは考えがたい行動を取っています。

http://pezetairoi.hp.infoseek.jp/


#5954 
不肖デルタ 2005/08/14 06:22
矢の民

弓矢の兵が軍隊で主力だった国が、かつてあったようですよ。
パルティア、今のイランあたりにあった古代ロ−マのライバル
国家。パルティアと戦闘になった頃のロ−マは当時、だいたい
重装歩兵が主力だったようですが、パルティアの戦術というのは
伏せ兵が弓矢でロ−マ軍を射て雲隠れ、てなヒット&ランを
繰り返して敵の消耗を引き出すというものだったそうです。
慣れぬうちはロ−マも苦戦したようで、カエサルのライバル
だった将軍がパルティア遠征で戦死したとか。



#5953 
景虎 2005/08/14 03:20
武士の華?

日本刀による白兵戦こそが武士の華という考え方は、固定観念ではありますが、一面の真実とも言えるでしょうね。

南北朝あたりで、弓が騎兵の武器から歩兵の武器に変わってきたようですが、戦国になると、分業化?が進んでますね。
武士の主武器が槍、足軽の主武器が、長柄(武士の槍とは別物)、鉄砲、弓に大別されています。
このような戦闘の分業化は、現代人が研究して分類した結果であり、当時の人達がどの程度分業を理論的に認識していたか疑問がありましたが、当時から相当理解が進んでいたのでは?と考えるようになりました。
その根拠としては、足軽専門の戦闘を意味する専門用語が存在している事があります。
足軽場(足軽戦、足軽合戦、足軽迫合ともいう)というのがその専門用語になるわけですが、身分が低い者同士の戦いを軽蔑して足軽場という言うこともあったようです。その他に、少人数の合戦という意味で使用される事もあるとか。
武士の場合、足軽場に相当する専門用語はないようですが(私が知らないだけかもしれませんが)、武功を評価する専門用語として、一番太刀打、一番槍などがありますね。
一番太刀打は、槍が普及する少し前に多く、戦国に入って槍が普及してからは、一番槍が増えるようです。重要なのは、飛び道具には一番がなく、討ち取った相手の身分で手柄が決まるだけだという事でしょうね。

「武士」=「飛び道具を使わない白兵戦武人」というのは極端ですが、飛び道具による手柄は評価が低かった事、武士(この場合は戦国)の主武器が槍であった事を考慮すると、完全な間違いともいえません。
白兵戦の誇張にしても、最近一部で流行っている?遠戦の誇張にしても、どちらも正確ではないでしょうね。



#5952 
民本主義者 2005/08/14 00:02
我ながらあきれ…

#5951にある「5956」を「#5950」に訂正します。無念。退散。




#5951 
民本主義者 2005/08/14 00:00
お久しぶりに冷や汗。誤魔化しに余談

5956の発言は私、民本主義者のものです。
ラストサムライのラスト近くのの騎馬突撃は、ナポレオンの三兵戦術にのっとった騎兵の運用で、刀を勝元が刃を上にしてサーベル風に持ち、オルグレンが刃を下に日本風に持っていたのは、勝元がオルグレンの騎兵隊魂に、オルグレンが日本の武士道に感化されていることを表現していたのではないかと思います。
そして、歩兵・砲兵・騎兵からなる戦術を破壊したのは機関銃であったと。



#5950 
2005/08/13 23:53
都内某巨大書店から『都市の論理』ついに返品

ポルトガル商人「サカ〜イノテッポウ、セカイイチ〜」
堺商人「ぐらしあす。ぐらしあす」
なんてやりとりが映画版「梟の城」にありましたな。あの路線を追求するとこれはこれで
「鎖国前の日本はこ〜んなにスゴかったのだぞ」的になってしまいますな。
タイトルと内容とは関係がないようにみえて、あります(笑



#5949 
船頭の孫 2005/08/13 19:21
戦国武者

>>だけど「ラスト・サムライ」の徹底して火器を使おうとしない戦国騎馬武者ってのが思いっきり絵空事で…最後が結局カミカゼ特攻というのも「日本人」に対するあちらの固定イメージを見せられたようでちと不快でもありました。

まぁ、日本人の映画とかドラマのスタッフが、徹底して「武士」=「飛び道具を使わない白兵戦武人」として描いてきた積み重ねが輸出され続けたこともちょっと日本人としては振り返って見なければならないんでしょうね。

初期の武士の武芸が「弓馬の道」だったり、武士の歴史を通じて合戦は弓矢、さらには後世になると鉄砲も加えての射撃戦が非常に大きな比重を占めていたことは、最近ようやく日本人自身が(一部で)自覚し始めたばかりですから、欧米人がそのことを知らないのもむべなるかな、といったところでしょうか。

キング・アーサーなんかで実際に迫力ある騎馬射撃戦(戦闘の中の一部ではありますが)を映画化している実例はありますし、プライベート・ライアンなんかを参考にすれば、日本の歴史映画、歴史ドラマでも、迫真の射撃戦戦闘シーンなんかを描けると思うんですが、日本刀による白兵戦こそが映画や歴史ドラマに不可欠な「武士の華」という固定概念を、日本人映画作家、ドラマ作家自身が打ち破っていかないといけないんじゃないでしょうか。



#5948 
ブッチャ−3世 2005/08/12 07:15
アルミニウス=アルミ−オ?

>アルミニウス
西洋中世には同名の哲学者がいますね、この哲学者は
鉱石学関係も手を染めていて、アルミニウムの名は
この哲学者から取ったんじゃないかという話を聞きます。
ガリア総督ヴァルスの軍を全滅させたほうのアルミニウスは
オペラで「アルミ−オ」という題の出し物で題と同名の
登場人物がアルミニウスを下敷きにしてたんではないかと
思えるふしが、その歌劇では、アルミ−オはゲルマン諸族の
頭目でアルミ−オはロ−マ軍と戦っている、という設定、
その歌劇はヴァルスも登場します。ただし歌劇は筋書きは
アルミ−オはロ−マ軍に捕まり、ヴァルスはアルミ−オの
妻に惚れる、というオペラ向きの設定にしてあるんですけど。




#5947 
徹夜城(DVDやら映画やら三昧の休みをおくる管理人) 2005/08/10 22:43
「戦争と人間」のサントラCDを聞きながら…

 先ほど栄耀映画の方にも書いてましたが今日は「亡国のイージス」を鑑賞、その後口直しに(笑)DVDを買いあさりに秋葉原へ進撃。戦後60周年記念ということで売り場が戦争映画特集していて邦画の有名無名の戦争映画がズラリと並んでおりました。
 その中で当初からのお目当てであった「日本のいちばん長い日」と、今日発売されたことを初めて知った「戦争と人間DVD−BOX」を思わず衝動買い(笑)。付録のサントラCDを聞きながら書き込みをしております。いや〜以前NHK衛星で連続で放映されたのを見たときにはこの映画の音楽(佐藤勝作曲)が脳内に鳴り響きっぱなしになったもんです(笑)。
 この映画は作品の評価以前に「よくこんな映画を作っちゃったね、日活は」と恐れ入ってしまうのですね。特に第一部オープニングにアイウエオ順(!)で延々と列挙されるまさにオールスター総出演状態には圧倒されちゃいますな。
 売り場では他にも「太平洋奇跡の作戦・キスカ」「太平洋の翼」「潜水艦イ-57降伏せず」とかそそられるタイトルが並んでましたが…「戦争と人間」BOXで予算が飛んじゃいまして(汗)。


>原田さん
 そうか、オマー=シャリフはインド人もありましたね。考えてみると「アラビアのロレンス」ではアンソニー=クインとかアレック=ギネスが堂々とアラブ人を演じたりしておりましたし、ひるがえってアラブ人はちょうどいい塩梅でいろんな人種を演じられるのかもしれません。
 しかし「ドクトル・ジバコ」にオマー=シャリフを配役したのは思い切ったことをしたもんです(あの金髪はカツラなんだろうなぁ)。その後「ピョートル大帝」や「女帝キャサリン」といったロシア史TVムービーでロシア人貴族を演じておりますが…


>不肖デルタさん
 大仁田議員の激ヤセは僕も気になってましてね。それにしても予想通り棄権した上に「こんなケンカを国民に見せて恥ずかしい」とかぬかして涙していたのには呆れた。
 それにしても反対派議員にはきっちり「ヒットマン」を送り込むことが決まったようで、「仁義なき戦い」のテーマ曲が聞こえてまいります(笑)。亀井さんとこにヒットマンが送られるとまさに「広島死闘編」(爆)。「代理戦争」や「頂上作戦」もありそうです(笑)。


>mozawaさん
 小泉さん、確かに「ぶっ潰す」って言ったことはありましたが、どうもその気はないみたい。まぁ見たところ反対派連中の方が自民党内の悪い部分を持ってる気もしますけどね、しかし選挙に強い連中が多いのも事実で終わってみると解散前と変わらぬ状況になって「なんのために解散したんだ?」ってなことになってたりしないかと思うところもあります。

 「ラスト・サムライ」ですが、あれはあれでまだマシな方なんでしょう(笑)。ロケ地はニュージーランドなんですが、その中ではそれなりに考証をちゃんとしてます。そのむかしジョン=ヒューストン監督、ジョン=ウェイン主演でハリスを描いた「黒船」という映画がありましたが、あれなんか奈良や京都でロケして江戸に見せかけてましたからね。東大寺南大門が江戸の町の入り口で、金剛力士像は江戸の守り神になってました(笑)。
 だけど「ラスト・サムライ」の徹底して火器を使おうとしない戦国騎馬武者ってのが思いっきり絵空事で…最後が結局カミカゼ特攻というのも「日本人」に対するあちらの固定イメージを見せられたようでちと不快でもありました。
 藤代高校、とりあえず一勝しましたね。底力結構あるじゃない、と素直に感心してます(^^)。



#5946 
mozawa 2005/08/10 17:11
選挙、「ラストサムライ」(いまさらですが)など

解散
ある意味、公約通りの小泉氏。
「自民党壊す」って言ってましたよね。
ただ、この選挙で郵政は論点になりにくいでしょうね。
分裂して旧態利権族が勝つのが一番怖いなあ。田舎は投票率高そうですし。

大変遅ればせながら、今頃「ラスト・サムライ」を観ました。
時代考証、「変なニッポン、サムライ」は歴史映像コーナーで管理人様が触れられている通りですね。
江戸城入り口が神社っぽかったり、江戸や横浜の街中で洋傘が大流行してるのが可笑しかったです。
あとは、戦闘をする森の植生、村の背景のロッキー山脈にしか見えない山並みなど、背景もおかしなシーンがありましたが。。。。 

 但し、(時代遅れの)戦国甲冑に身を包んだ渡辺謙氏が、海外の広大ロケで戦闘シーンを演じていると、カナダロケの「天と地と」を病気降板した彼の復活を象徴しているように思え、感慨を覚えるのでした。

管理人様へ私信
あ、藤代がんばりましたねえ。新監督でまず甲子園一勝。次も期待したいですね。




#5945 
不肖デルタ 2005/08/10 13:12
解散解党奇々怪々

>郵政解散
山たく先生は当選したと思ったら、また選挙ってこってすか
ご苦労なこってすね。宗男やら中村喜四郎やら松波健四郎やら
辻元女史やら、うじゃうじゃ復活を目指すそうで、何だかな(爆
大仁田議員は、えらい激ヤセしてるように見えました、この人と
貴の花親方でダイエット本を出したらなかなか説得力あるかも。
私は、こんなに痩せましたって感じで。

わたくしごとですが、ちょっと馴染みのない歴史人物を
調べてますが、全く資料がないので行き詰まってます、
名前はアルミニウス、ゲルマン諸族のケルスキ族の首長で
ロ−マのガリア総督ヴァルスの軍団を森林地帯で全滅させた
ゲルマン諸族軍の指揮者という、北方神話のキャラみたいな
人です。ヴァルス軍が全滅した戦いは、ロ−マ軍側に
生き残りが全くいなかったらしく、この戦いを伝えるものは
伝承いがいは殆ど無く記録はタキトゥスの記述のみだそうです。



#5944 
原田 実 2005/08/10 00:03
オマー・シャリフは

ベルヌ『神秘の島』の映画化作品でネモ船長を演じたことがありますね。
http://moviessearch.yahoo.co.jp/detail?ty=mv&id=22768
というわけでインド人の役もやっています。
しかし、考えてみるとネモ船長をきちんとインド人として描いた映画というのは
他にはこれくらいかも。
http://www.foxjapan.com/movies/league/

http://www8.ocn.ne.jp/~douji/


#5943 
徹夜城(配役をよく見ていなかった管理人) 2005/08/09 22:51
おっと、気づかなかったです(^^;

>ひでさん
 さっそくのお調べ&ご報告どうもです。
 そうか〜シャカ役は同じ人だったんだ(爆)こりゃ気がつかなかった。ヘンリー=セレ、シャカ役専門なのか(笑)。20年近い時を経て同じ人が演じてるとはなぁ…そういえば妙に老けたシャカ王だな、と脳内の記憶と比較しつつ見ていたのですが。
 この辺、全然詳しくないのですが、元ネタはどういう史実なんでしょうね?今回見た映画はずいぶん話を勝手に作っちゃってる観がありありでしたが。

 そうか、ゲバラ役も「モーターサイクル…」と同じ人なんですな。こちらも専業か(笑)。モーターサイクルのほうはまだ見てなかったもので、気づきませんでした。
 調べたところ、そのTVムービー「チェ・ゲバラ&カストロ」の方が「モーターサイクル」より製作年が早いみたいですね。同時期に撮っていたのか、それともTVムービーでゲバラ役にハマっていると見出されたのか…

 そうそう、下の書き込みで書いたオマー=シャリフですが、彼も以前ゲバラを演じております(爆)。ホントに何人(なにじん)なんだ、アンタは(笑)。



#5942 
ひで 2005/08/09 22:20
世界有数のシャカ俳優?

>シャカ・ズールー
どんな奴だろうと思って検索をかけたりして調べてみたところ、どうやらシャカ役は徹夜城様が以前御覧になられた1986年版と同じヘンリー・セレ氏のようですね。今やこの人以外にシャカ王を演じられる人はいないのでしょうか・・?それはさておき、徹夜城様のサイトにのっている1986年版テレビシリーズですが「闘神伝説シャカ・ズールー」というやつではないかと思われます。監督と年が同じなので多分そうではないかと。

それにしても、「闘神伝説シャカ・ズールー」なんてアニメや特撮ものみたいなタイトルが付けられてしまっていますが、一体誰が考えたのでしょう。受けねらいに走っているようにしか見えないのですが(笑)。

(参考:「闘神伝説シャカ・ズールー」)
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=15705

シャカを調べるついでにゲバラとカストロの映画の方も調べてみましたが、ゲバラ役がガエル・ガルシア・ベルナルって、まんま「モーターサイクル・ダイアリーズ」ですね。

http://pezetairoi.hp.infoseek.co.jp/


#5941 
徹夜城(休みが取れてとりあえずDVDを借り出してきた管理人) 2005/08/09 21:30
おシャカ様映画!?

 ちょっと時間が出来たので久々にTSUTAYAに映画を漁りに行ったのですが、目に入って借りてみたのが「ズールー大戦争」なるDVD。つい先日の8月5日からリリース開始だったようです。
 「歴史映像名画座」に「ズール戦争」および「シャカ・ズールー」を紹介してありますが、この「ズールー大戦争」、実は原題は「SHAKA ZULU」でありまして、以前ミニシリーズでも取り上げられた同じ主人公を素材にしたTV用映画みたい。
 まぁ話の種に、と借りて先ほど見終えたのですが、予想通りのB級映画(笑)。まぁ製作姿勢自体は真面目そのものでありまして、白人の黒人およびアフリカに対する贖罪意識がそれほどイヤミにならず打ち出されている印象でした。
 ただ、ドラマ部分があまりに自由奔放なのには困ってしまいましたね〜。強大なズールー族の王であるはずのシャカがポルトガルの奴隷商人にとっつかまって奴隷船に乗せられ、脱走騒動になるなんて展開はいくらなんでもやり過ぎだろうと(笑)。これにシャカに魅入られたイギリス軍人(以前のシリーズでも似たような人が出ていたな)とその娘(ヒロインの割に驚くほど地味)とその恋人になっちゃう奴隷商人などキャラクターが加わりますが、どれも薄っぺらいドラマを繰り広げております。クライマックスはズールー族の大軍が押し寄せて大合戦?と思いきや肩透かしを食らう形に。まぁこのご時世、「報復の連鎖を断ち切る和解の大切さ」を訴えるシナリオはそれなりに評価できますけどね。だけど僕が以前みたミニシリーズではシャカ王は殺されちゃうラストだったんですが、本作では和解に満ちたハッピーエンドなのがなんとも…

 ところで東アフリカ某国のスルタン役でオマー=シャリフが特別出演してました。ちゃんとアラブ人の役で出てるなんて珍しいんじゃなかろうかと思わず苦笑しちゃったりして。「アラビアのロレンス」のアリ役が有名ですが、その後はジンギスカンにはなるわ、ロシア人にはなるわ(しかも何度かある)、未見ながらナチス将校まで演じちゃったというとんでもない芸歴の俳優さんです(笑)。某三流日本映画にも唐突に特別出演していた記憶もあります。
 最近はこの手のTV用歴史スペクタクルの特別出演で作品の彩りをつけてる感じですね。この点、「アラビアのロレンス」の相棒であるピーター=オトゥールと似たような境遇って気もします。

 ところでこの「ズールー大戦争」のDVDに予告編CMが入っていたのですが、「チェ・ゲバラ&カストロ」ってDVDがリリースされてるんですよ。先日TSUTAYAで見かけて新作期間が過ぎたら借りようと思って今日行ったら貸し出し中でした(涙)。予告編だけ今日拝んだわけですが、少なくともゲバラを演じてる俳優さんはやたらにソックリでビックリ(笑)。



#5939 
NF 2005/08/09 00:37
「○○は腹を切って死ぬべきである」

↑いよいよ総選挙、最近の国政選挙といえば又吉イエス…。
何だかズレた選挙の楽しみ方をしておりますが、今回は資金が厳しいらしい。何とかして出て来れたら面白くなるんでしょうが…。

それはさておき、与党が分裂しての解散、ということで最近になく政権交代も現実味を帯びた選挙になりそうですね。自民党が政権を独占している状態がいつまでも続くのは良くないとは思うのですが、今の状況で民主党が政権をとったとして無事国政を運営していけるのか不安も拭いきれず、正直どこへ投票しようか迷っております。前回は「マニフェスト」で高速料金無料化など兎も角も独自の構想をぶち上げていたのですが、今回は主役を首相に取られて精細を欠く気がしますし。



#5938 
アール・ケイ 2005/08/09 00:17
武将やらに喩えるのは嫌いなんですが

あのトウヘンボクで超一本気なのは、いったい誰に喩えればいいんでしょうね(笑)。
少なくとも明治以後の政治家にはああいうひとはいないように思うのです。
原理主義者というのとも違いますしね。
信長でも吉宗でも定信でもない。

ああそうだ、やっぱり最後の総裁じゃなかった将軍・徳川慶喜(笑)。
何を考えてるか分からないところとへそ曲がりなところは似ています。
但し、慶喜は政権を投げ出した(?)わけですが、平成の純ちゃんは頑張ってます。




#5937 
徹夜城(甲子園で地元の高校が勝ったことも喜ぶ管理人) 2005/08/08 23:53
面白くなってきやがった(笑)

 さてと、参院での否決→衆院での解散と予想以上に激しい展開になってきて、ツボにはまって面白がってる管理人です(笑)。さぁ、やれーやれーってなもんで(笑)。ナァナァでまとまりがちな日本の政治風土から言えばそれなりに画期的な展開だとは思うんですよ。
 それにしても小泉サンの「ガリレイ発言」にはやや驚き(笑)。ここでそれが出てくるのか。なんか使い方が違うような気がするんだが…「それでも地球は回る」って台詞も少なくとも法廷で言ったはずはないんですけどね。
 「911自爆解散」などと不謹慎な表現もされてるようですが、なにやら意味深な日付ではあります。まさか選挙にあわせてテロが起こったりしないだろうなぁ…


>アール・ケイさん、のよりんさん
 さすがは〜情報提供&訂正どうもでした。そうでした、「信長」に宣教師連中が出てきたんでした。
 「琉球の風」も特に中盤ちゃんと見てなかったのがイケナイ(汗)。万暦帝、出てきてたんですね。中国でもこの皇帝がドラマなどで描かれたことがあるのかどうか怪しいぐらいですが。在位期間がやたらと長いんだけど、皇帝としてはあんまり評価されてないですしね。


>ひでさん
 福岡といえば、山ア拓さんも「つい先日選挙したばかりで解散が私が一番困る」と言っていたのに解散になっちゃいましたな(笑)。
 鳩山邦夫さんには「ブリヂストン」の石橋家の血も入っていたのですね。それにしても東京都知事選で自爆して以来、流浪の人ですね(笑)。



#5936 
のよりん 2005/08/08 20:00
大河補足2

『琉球の風』に出て来た皇帝は万暦帝ですね。



#5935 
ひで 2005/08/08 18:34
さまよえる鳩山邦夫

結局参議院にて郵政改革関連法案は否決され、その後閣議で衆議院解散が決定されたようです。
そうなると当然各党とも各選挙区に候補者を立てることになるわけですが、鳩山邦夫が今度の選挙は福岡から出るとのことです。今まで東京の文京区のあたりでずっとやっていた鳩山邦夫は自民党に出戻って望んだ前回の選挙でいきなり菅直人のいる選挙区に放り込まれて小選挙区では落選(その後比例で復活)という大変な目に遭っていますが、今度は母方の祖父の故郷である福岡から出るという話があるようです。何か鳩山邦夫は自民党の都合の良いように使われている感じがするのですがはたしてどうなることやら。

http://pezetairoi.hp.infoseek.co.jp/


#5934 
アール・ケイ 2005/08/08 10:42
「大河番」として

…出て参りました(笑)。
永田町のバンキシャたちに夏休みはなくなりそうですな(友人の地方記者も泣いているだろうなあ)。
このクソ暑いときの選挙なんてやめてくれーという声は野党方面にも多いんですけどね。

『信長』初回にローマ教皇グレゴリオ十三世が登場しております
(ルイス・フロイスとの謁見場面だったか、少年使節との謁見場面だったかは
 忘れましたが)。
続く『琉球の風』に、(確か)主人公が明の皇帝に謁見する場面があったように思います。





#5933 
徹夜城(明日は仕事先で情勢をうかがう管理人) 2005/08/07 23:39
どっちに転ぶかはわかりませんけどさ

 明日の日本の政治情勢、まさに「一寸先は闇」の状態で、どうなるか判断がつきかねるのですが…案外「大山鳴動して」ってこともありえますしね。「加藤の乱」みたいな前例もあるし。どうなるにせよ、明日は一日中仕事で出かけてて外界との連絡が途絶えてるから仕事中もおちつかなそう。

 「ムロタイ」の創作裏話でも洩らしておりますが、あれを書くに当たって参考にしたのが自民党抗争史だったりします(笑)。「小説吉田学校」なんかを念頭に室町政界の「政局」模様を描いていたわけで。「ムロタイ」のクライマックスの一つである細川頼之失脚の「康暦の政変」だって、自民党史に似たようなケースが見られます。今回だって一歩間違えれば似たパターンになるかも。
 江戸時代史にも言えることですが、日本の政治構造って今もあんまり変わらないのかもしれませんな。かつての守護大名や藩を現在の「選挙区」に置き換えるとかなり構造的に似てるという気もします。特に室町幕府史は政党ってよりも派閥抗争といった方がピッタリくるかと。
 そう考えていくと、NFさんもおっしゃるように佐々木道誉はまさに風見鶏、政界のフィクサー。でも中曽根って感じでもないような。角栄というのもどうかな、と思ったり。まぁ無理にあてはめなくたっていいんですけどね。


>ぬえさん
ローマ教皇が出てきた大河って…「黄金の日日」とかでしょうか?僕は知らないんです。
大河ドラマは基本的に日本のお話だから、中国の皇帝が登場する機会はないですよね。「北条時宗」でクビライが出てきたのが唯一の例ではないでしょうか。「琉球の風」で北京に朝貢使が来るシーンが撮影されてましたが、皇帝(出たなら万暦帝)が出てきたおぼえはないです。



#5932 
ぬえ 2005/08/06 15:45
ファミ劇「太平記」今週はお休み

太平記後半大河はジェームス三木に描けないかなぁとも思います。

「葵」では朝幕関係の微妙なところをドラマにしてましたし、「ムロタイ」もけっこう「葵」に似てるなぁと思いましたし。太平記後半ドラマを考えますと、足利尊氏の青春編をじっくり時間とって視聴者を馴染ませるみたいな手法は難しいですしね、「葵」みたくいきなり観応の擾乱で歴史の渦中からのスタートになるでしょうし。主役の選定も困りますけど、「葵」が実は全編に出ていたのは秀忠みたいな、義満が主役で大河と思わせておいて実は余り知名度の無い細川頼之さんが主役(笑)というのもアリなんじゃないでしょうか。

「ムロタイ」は国際的スケールが夢の企画ではありますよね。面白いのが、「太平記」はさすがに対外的なお話は盛り込めませんでしたね。九州落ちを省略しなければ、尊氏が大海の彼方を眺めて何か呟くなんてシーンを入れられたのかも。いま思いつきましたが、もし建武政権が少しは軌道に乗ってたら、対外関係はどんな路線を取っていたでしょうか?

以外にも大河って中華皇帝は出ていませんよね、クビライがはじめてに相当するのかしら。ローマ教皇なんかは出ていますけど。



#5931 
NF 2005/08/05 02:07
「太平記」

どうも、南北朝ばなしにつられて沸いて出てまいりました。
「太平記」は、初の南北朝もの大河ということで、(ドロドロした混沌という)本来の南北朝の雰囲気でなく、理想を追いながら認め合った漢たちと戦っていくという一種の青春もの路線をとることで大コケを防いだ面がある気はします。脚本の人が時代の根幹を抑えていたからできた事だとは思いますが。本来の人物のイメージよりそうした物語に沿って人物のキャラクターが作られたように思うのです。次に南北朝を大河でやるときには、2回目ということで時代の本来の性格や人物の実像をしっかり出して欲しいものです。個人的には北方謙三氏の作品(「道誉なり」など)を希望したいところ。
因みに、僕なりの主要人物のイメージといえば…
尊氏:おおらかで物に拘らない、豪快そうだが内弁慶(案外押しに弱い)、状況対応型、迷信深い、執着心がない(少しなさ過ぎる気が個人的にはします)、投遣り
直義:文武の役人として優秀だが指揮官としては落第なタイプ。上にカリスマをいただいて始めて力を発揮できる。生真面目で仕事が趣味といえる。
義貞:良くも悪くも普通に優秀な軍人。
正成:合理的思考と義理堅さを併せ持つが、どこか底知れない(というか胡散臭い)ものがある。
後醍醐:野望も能力もエネルギーも兎に角大きい。ただし与えられた基盤がそれに見合わないため、それを補うため手段を選ばず怪しげな者を多く引き入れている。
親房:博学で頭脳明晰な理論家だったのが世知辛い世間に直面し老獪な策略家に。ただし頑迷さは変わらず。
道誉:多趣味多芸な風流子。いわゆる「風見鶏」「政界のフィクサー」
可能な限り歴史からイメージを作っていますが、ひょっとすると「私本太平記」(個人的にはこれが南北朝へのはまり始め。因みに大河放映後でした、勿体無い事に。)などのイメージを引きずってるかもしれません。



#5930 
徹夜城(南北朝ゲームコーナー設置が遅れている管理人) 2005/08/04 11:06
大河「太平記」ばなし。

>いっちーさん
 どうも〜伝言板の方に感想書いていただき、ありがとうございます。
 子供向けの「太平記」を愛読されていたとのことですが、たぶん僕も同じものを読んでますね。確かに本来の「太平記」は倒幕までの過程で護良親王の大冒険にかなりのページを割いており、僕も面白く読み返したものです。経櫃に隠れて危機一髪の話とか、熊野方面で赤松則祐・村上義光らと共に一難さってまた一難の展開とか、吉野攻防戦で村上義光の身代わり自害とか…ほんとに名場面の数々です。
 大河「太平記」は尊氏主役ですし、他にも個性派がやたらに出てくるため護良親王は影が薄くなったきらいはありますね。倒幕部分では甲冑姿で僧兵達と一緒に戦ってるロケシーンとか正成らと一緒にいて光巌即位に激怒したりといったシーンぐらいしか印象が無い。ドラマ内での護良の本領発揮は建武新政期に尊氏と激しく対立する部分で、あくまでカタキ役という位置づけにもなってました。
 しかし堤大二郎さんの護良は実にハマっていたと思うんですよ。キレイな顔立ちで「高貴なご身分」光線を撒き散らしつつ、いっつも目をまん丸に見張って青筋立てて怒っている気性の激しさも強烈で…堤さんも気合入りまくりの熱演でした。
 実は「ファミリー劇場」次回放映分で「大塔宮逮捕」なんですよ。宮中で雪を手に取り、「いくさ、いくさの幾年月…」としみじみと回想してから急転直下大暴れの末逮捕に至る名場面は忘れがたいです。「帝の御叡慮でござる!」と冷たく言い放って護良を縛り上げる小松方正さんの名和長年もよかったなぁ…

 僕もいっちーさんと同じで以前から「太平記」には思い入れが深く、それぞれのキャラに対してイメージはかなり明確にあるんです。だから「ミスキャスト」と思ってしまう配役も残念ながら少なくない。でも大河なんて毎年そんなもんですし。
 尊氏に関しては(真田さんには失礼かもしれませんが)主役である限りは二枚目役者なた誰でもよかったんじゃないかと当時も思ってました。真田さんの尊氏は全体としてみると繊細型、神経が細い印象が強いんですよね。尊氏はもっと豪快な部分が多かったろうと個人的には思ってるんですが…歴史家の佐藤進一さんも書いてますが、尊氏は感情の起伏が激しく、豪放磊落でそこに人をひきつける人間的魅力があり、どうも後醍醐も尊氏を憎からず思う部分があったかも。そこらへん、ドラマでも小説でもうまく描き出せた作品はまだないと僕は思ってます。
 
 高嶋政伸演じる足利直義の「あ にうえ〜!」には抵抗を示す人が少なからずいるようで(笑)。僕も正直なところあの直義は違うだろ〜と思ってたクチです。リンク先に入っている「私見太平記」で直義ファンの方が執筆されている部分をお読みいただくと爆笑必至(笑)。
 思うんですけど、将来他の人物を主役にして南北朝を描く機会があったとしたら、そのときこそ尊氏・直義兄弟のもっとリアルな、より魅力的な人物像を描き出せるのではないかと。実は僕も「太平記」がらみでオリジナル企画の構想があるんですが、尊氏に関しては脇役に回したほうが面白そうだと考えているところです。

 北畠顕家に後藤久美子は話題づくり以外の何者でもなかったでしょう。ですが、なにせ知名度・関心度が低い初の南北朝ものですから、ある程度イロモノも混ぜて関心を引くという手段はアリだとは当時も思ってました。まぁ結局女性がやってるようにしか見えなかったわけですが。前にもちょっと書きましたが、一番美味しい場面が大幅カットになってしまったという不運もあるとは思いますけど。

 花夜叉一座、ことに柳葉敏郎演じる「ましらの石」は後半投げ出し状態になっちゃったのは残念でした。どうやら石についてはその後再登場させるつもりが脚本家にはあったようなんですが…。最終回手前で観阿弥と一緒に花夜叉が出てくるのはその代わりといったところなのかも。
 そういや最近某大豆飲料のCMで柳葉さんに児玉清さんが声をかけているのを見てると、「石と金沢貞顕が初顔合わせ!」などと勝手に喜んでいたりして(笑)。



#5929 
いっちー 2005/08/04 04:23
勘違いがありました

前の書き込みに勘違いがありました。
花夜叉、最終回のひとつ前の回で出ていましたね。
失礼しました。



#5928 
いっちー 2005/08/03 15:20
太平記について

徹夜城さま

メールのお返事ありがとうございました。
お言葉に甘えて掲示板の方に「太平記」の感想を書かせていただきます。
改めて「太平記大全」、素晴らしい記録ですね!夢中で読ませていただきました。
「太平記」は小学生の頃、
少年少女向け訳を図書カードがいっぱいになるほど読みました。
特に大塔宮が活躍するエピソードが大好きで、
初めて鎌倉に旅行した時は、大塔宮さまへのおくやみ状をしたため、碑のところに置いてきたくらいです。

そうなんです、だから不満なんです。
あのドラマでは、護良親王の扱いが少なすぎました。
尊氏中心だから仕方ない、と頭ではわかっていたのですが、
あれは?あの話は?という感じで観ているうちにお亡くなりになってしまって。

というような、子供の頃の思い入れの強さゆえの不満がこのドラマにはけっこうありました。
キャストのイメージの違いやら、この場面をじっくりやって欲しい、と思う部分に限って
説明調にはしょられてしまったことやら。
仕方ないんですが・・・(汗)

まず足利兄弟と新田義貞のキャスト。
新田義貞役に、なぜショーケンさんや根津甚八さんのような個性派俳優を持ってきたんでしょう。
はっきりいってこのお二人に新田義貞は役不足(本来の正しい意味で使っています)です。
特に忠孝に燃えて戦う後半を演じた根津さんは、彼らしい個性が殺されてしまって、
気の毒に思えました。演じていてもさぞやりにくかったのではないでしょうか。
私は尊氏の真田広之さんこそ、新田義貞のイメージなのにと思って観ていました。
真田さん、今でこそ陰影のある役柄をこなされていますが、
あのころはまだ2枚目・好青年の印象が強く、
ドラマの尊氏はそういう真田さんに合わせたいい子ちゃんなキャラクターに
設定されていたように思います。(徹夜城さんも触れておられましたよね)
だからちょっと違うんだよなあ・・・と違和感がありました
足利尊氏という人は、私の勝手なイメージでは、「天然の親分肌」な人なのです。
これといってビジョンや理想が高いわけではないし、実務能力などにも欠けるけれど、
情に厚くてまわりにかつがれるタイプ。
頼られると義理堅く「よっしゃ、やったるか」と腰をあげる。
気質的にヤクザの親分さんに近いかな。
その浮き世離れした面を弟・直義が補っていたわけで。
そういう冷静な実務家を演じるには、高嶋政伸さんは若すぎました。
大熱演でしたが観ていて毎回疲れました。
あの「あ」にやたらとイントネーションのかかった「あにうえ!」。
後年高嶋さんはやはり名補佐役として名高い秀吉の弟大納言秀長を演じていますが、
このときはマトモに落ち着いていて、この調子で直義もやって欲しかったなあと思ったものです。

それから、未だに何の意味があったのだろう?と謎なのが、
北畠顕家役の後藤久美子さんです。
美少年だったという記録はあるようですが、なぜ女優?
それなら実は女だった、という「ベルばら」的創作があるのかな?と期待?していたら
それもなくお亡くなりになってしまいました。
視聴率稼ぎだったのかしら?宮沢りえと美少女2枚看板で。
当時のポスターもそんな扱いでしたよね。

あと、もったいないなあと思ったのが、ましらの石や花夜叉一座の扱いです。
藤夜叉とともに、物語の都合のよい所に出てきては去り、
ついには 途中からいなくなってしまいましたよね。
ああいう人たちには最後まで登場して庶民の視点から足利政権と南北朝の行く末を
見つめて欲しかった、と思うのは欲張りでしょうか。
私のマイ・ナンバー1大河「風と雲と虹と」では、これも庶民や遊楽の一座が、
今思うと都合のよいところで出てきては去り、の繰り返しだったような気がしますが、
それでも最後までしっかり描かれていて、
すごく奥行きのある作品になっていたと思います。

「太平記」と並んで大河で取り上げて欲しいと長年熱望していたのが応仁の乱です。
「花の乱」で、やっとやってくれると喜んだんですが・・・・。
これはまた、「太平記」よりもっと失望が大きかった作品ですが、
さしつかえなければまた日を改めて・・・。


















#5927 
不肖デルタ 2005/08/02 12:38
ウラヌスの27人の子ら

太陽系天体は、だいたいがギリシア・ラテン世界からの
出典の名前のようですが、なぜか天王星の27個の衛星の
うちには、シェ−クスピアの登場人物の名前が使われています。
挙げてみますと

衛星コ−デリィア=リア王の3女と同名
衛星オフィ−リア=ハムレットのフィアンセと同名
衛星デスデモナ=オセロの奥さんと同名
衛星ジュリエット=ロミオの恋人と同名
衛星ボ−シャ=「ベニスの商人」で登場の富豪の娘と同名

天王星は色々と謎が多い惑星だそうですね、自転軸が
垂直に対し60度ほど傾いてるので、太陽光線は
赤道よりも極地方の方が多く受けている理屈だけど
実際に計ったら極地方より赤道の方が温度が高かった
そうで、何故かは不明とか。



#5926 
なな 2005/08/02 00:48
冥王星…氷の墓地

解説不要ですよね?(^^;

「冥王星から見た太陽」の想像図を見たことがあります。
今回の新惑星はもっとずっと遠いから、さしずめ地球から見た金星くらいの光量になってしまうんじゃ?
999の影響ではないんですが、昔から遁世願望があるので、冥王星に住めるなら住みたいです。人知れずひっそりと。
仏門に入ることじゃないですよ?
木星から海王星までのガス惑星じゃね、地に足の着いた生活はできそうにないから。



#5925 
徹夜城(弟と更新を競い合っている管理人) 2005/08/01 19:01
海上史史料室、更新。

 午後に一度更新したむねトップページに出てしまったようなんですが、あれはまだアップ準備段階で書いておいたものを、弟が高校野球観戦記を更新したために一緒に更新記録だけ掲載されてしまったものです(あーややこしい)。
 で、先ほど実際にアップしたのは先日公開しました「日本一鑑・流逋の条」の後半部分の現代日本語訳です。いやはや、前半より濃厚な内容であったため、翻訳と注釈で大変な量になっちゃいました。とくにこの後半部分は、「海上史人名録」「海上史事件簿」で書かれた海賊首領たち個々人のエピソードが多く含まれ、興味深い内容となっております…と思います。まぁ興味のある方はご覧くださいませ。
 次は「王直伝」の別名もある『籌海図編』擒獲王直あたりを考えております。

 なお、本日付で相互リンク先に「小説と歴史で楽しく過ごす!」を追加してあります。


>サウジ国王死去。
 サウジアラビアのファタハ国王が亡くなったそうです。享年82歳「前後とみられる」そうで。どうも誕生年が明確でないのかもしれませんね。
 で、皇太子が即位するわけですが、皇太子のアブドラさんというのが御年81歳!お子さんではなく異母弟さんなんですね。
 確かサウジアラビアの建国者ってやたら大勢お子さんがいらっしゃったような…これなら天皇家のような心配はない、というところなんでしょうけど、サウジは一歩間違えると王制打倒の革命が起こる可能性もあるますからねぇ。


>NFさん
 実際、女帝反対論者の結論は愛子さんを皇后とし、旧宮家の男性を天皇に立てる…ということを考えているようなんですね。
 以前にも書きましたが、どうも旧宮家の一部の方に本気で「皇統奪取」を考えてる人がいるような感触があるんですよねぇ。その人が登場した「週刊現代」が一時皇太子のことを「浩宮」ってしつこく見出しにつけてたことがあり、どうもうさんくさい。それこそ横溝正史の世界なんて目じゃないような「旧家の一族」の怨念があるような感じがしましてね(笑)。それだけに実は現天皇家の警戒してるんじゃなかろうか、ってな気も。


>戦国自民党1549
 …ってパロディネタを考えつつ今週の政治状況を見守ってたわけですが(解散までいきゃ面白いけど、ならないだろうなと思いつつ)いきなり「戦死者」が出たようで。
 自殺ってことらしいですが、亀井派で郵政法案に賛成票投じたっていうから何やら微妙に今後の展開に影響しそうな…



#5923 
NF 2005/08/01 01:43
補足。

↓の書き込みは、愛子様の夫君として迎え入れるという意味あいです。両論をすり合わせるとこうなるということで。ま、個人的には女帝は問題ないと思うし、夫君は必ずしも皇室や旧宮家でなくて良いと思うのですが。あと、皇位の正当性を勝手に臣下が云々するのって不敬の極みなんでは、と思わなくもないところ。



#5922 
NF 2005/08/01 01:35


>皇位継承問題
継体天皇の先例に則って考えるなら、あまり取り上げられませんが、彼は先代(一応そうなる)武烈天皇の姉を妃として前王家との血縁関係を作り自らの大王位の正当性を高めています。海外に目を向ければ本来王位継承権を認められていないヘンリー7世が、前王朝の女子と結婚することでその正当性を確立しています(テューダー朝)。ギリギリの妥協点としては旧宮家も含め外から血を入れることになるのが現実的かな…。どうせ600年前に遡るなら南朝系の子孫を迎え入れて歴史的和解というほうが面白いかも。



#5920 
徹夜城(冥王星というとどうしても「999」を連想する管理人) 2005/07/31 23:07
太陽系内別居(笑)

>ななさん
 入れ違いになってしまいましたので、改めてレス。
 冥王星(プルート)の妻の名前が「第10惑星」の名前につくかも…という話に、僕も「夫婦間の距離が遠いなぁ」などと考えておりました(笑)。
 しかしそもそも冥王星だって「あれは『惑星』とみなしていいのか」という議論が学者の間でも多いらしいんですよね。彗星のような小天体と同列に扱うべきではないかという声も多いそうで。


>皇室典範ネタ
 今日の産経新聞の社説が凄かったです。先日の皇室典範有識者会議の中間報告について女帝(女系)を認めるという意見と共に「旧宮家を復活させ男系を維持」という意見が同列に挙げられ、実質的な「二者択一」になってることをえらく評価していました。いや、実のところ産経的には「男系維持じゃなきゃヤダ」と明確に表明する内容でしたが。
 先日の「共通の祖先は600年前」という話には触れず、旧宮家が戦後60年ばかり皇族から離れていることについては「継体天皇の例がある!」と叫び、旧宮家の人々が今も一部から「宮様」と呼ばれている、とまで書いちゃって、もうそれ以外は眼中にないかのような書きぶりで。
 なんか将来「愛子女帝」が誕生したとき旧宮家の誰かを「正統の天皇」とか立てる人が出てきたりするんじゃないか、と半分マジで思わされるんだよなあ。神器奪取とか起こりそうな予感もあるし。「南北朝時代」は近づいてるのかもしれません(笑)。



#5919 
徹夜城(アシモフファンサイトもやっていたりする管理人) 2005/07/31 22:41
時ならぬSF談義?

 映画板のほうはルパン三世で盛り上がっていて、こっちは宇宙とSF談義ですか。まぁもともと話が多岐にわたる伝言板であるところがウリですが。

>ネメシス
 アール・ケイさんもお書きのように、「ロボット三原則」「ファウンデーション(銀河帝国衰亡史)」で知られるアイザック=アシモフ(アジモフ)の晩年の作品に「ネメシス」があります。これはNFさんがお書きになっている、地球に災厄をもたらす可能性のある「伴星」のアイデアをとりこんだ長編小説でして、アシモフとしては珍しいほどに軽く、スピード感ある小品という気がしました。最初に読んでいらい読んでないですけど。
 なお、当サイトのアシモフコーナー内の「未来史目録」をご覧になれば分かりますが、この「ネメシス」って当初は「未来史とは無関係」として発表されたのですけど、ラストに「銀河帝国」への展望がちらりと示されるためアシモフが自身の未来史に組み込む色気があるんじゃないか…と言われてたら、その後の小説で結局この「ネメシス」も銀河帝国時代に「過去の伝説」として触れられ未来史の中に公式に組み込まれることになってしまっています。

 これもそれこそアシモフ伝言板に書くべきでしょうけど、先日「SWエピソード3」を見た折にアシモフの「ファウンデーション」シリーズをやっぱり連想しちゃったんですよ。最後の一作で最初の一作につながる終わり方をし、円環が閉じられる…というのが気がついたら瓜二つで。
 ルーカスが「スターウォーズ」構想にあたってアシモフの「ファウンデーション」にかなり影響を受けているのは間違いないでしょうが(もちろんその他の要素もいっぱい詰まっているから凄いんですが)、偶然にも両者は「物語の途中」から語られ始め、ひとまずの結末に至り、それから長い冬眠の期間を経て再開して「物語の最初」を語りだし、最終作で第一作の冒頭に戻る…という芸当をしたという共通性があります。ルーカスが意識してそうしたとは思わないですけど、よく考えたらそっくりだな、と。

 最後に無理やり歴史話に戻しますが(笑)、歴史好きな方は一度は「ファウンデーション」シリーズに首を突っ込んでみてください。「銀河英雄伝説」みたいなもんは期待しないほうがいいですが(まぁあれも設定的には「ファウンデーション」の影響がたぶんにありますが)、ハマる人はかなりハマってしまうことを保証します。
 前にも書いてるんですけどね、こういうことは(笑)。



#5918 
なな 2005/07/31 22:32
いつかはネタ切れになるよね?

ローマ神話の神々の名前…の英語読みじゃないです?>星の名前
マーキュリー、ヴィーナス、マーズ、ジュピター、サターン、ウラヌス(天王星)、ネプチューン(海王星)、プルート(冥王星)。

ペルセポネはギリシャ神話もローマ神話も一緒の名前なんですか?
冥界の神…ギリシャ神話のハデス、ローマ神話のプルート…の妻、ということで。

新惑星の名前はペルセポネがいいなぁ。
春の女神か何かじゃなかった?
旦那さん(冥王星)とはだいぶ離れてるけどw

ギリシャ・ローマ神話の神々の名前だって、新発見の星に名付けていったらいつかはネタ切れを起こすよね。
その時にはどうするんでしょ?
その時にはキリスト教や仏教から引っ張ってくるんでしょうか。シャカとか?
…今度は聖闘士星矢の世界か。



#5917 
NF 2005/07/31 22:10
「ネメシス」といえば

新惑星の話題と(ついでに歴史の話題とも)関係ないのですが、かつて2600万年単位で大量絶滅が起こることが指摘され、それを説明すべく何人かの科学者が仮説を立てました。いわく、太陽にも伴星が存在し、それが一定周期で公転・接近してそれにより太陽系外縁の彗星群(オールト雲)が地球などに降り注ぎやすくなり、その天体衝突により大量絶滅が起こると。その説は一時もてはやされ、その伴星が絶滅をもたらす復讐の女神として「ネメシス」と名づけられたということです。今は「ネメシス」らしい天体が見つかってないこともありその説は過去のものになりつつあるようですが。



#5916 
不肖デルタ 2005/07/31 12:58
太陽系の星、ギリシアの神々の名前なんですか

知らなかったです、海王星はポセイドン?
天王星って、どう読むんですか?ウラノス?
ネメシスは、たしか戦艦の名前で使っていたと
思います、世界初の装甲完備の戦艦だったとか。
アフロデティとか、あるいは神が人間化していった
時代の名前でもよいかも、エレクトラとか
いっそのことトロイとか。(笑
ギリシア神々には、あんまり明るい印象のものは
少ないかもしれません(汗




#5915 
アール・ケイ 2005/07/31 12:42
ネメシスといえば…

別コーナーのネタになりますが、
アシモフ博士の非未来史ものSF小説ですよね
(あと、スタトレの映画でもありましたけど)。
こっちは第10惑星ではなくて、恒星なんですけど。
昔の子供の名前の付け方流でいけば、
留王星だとか、末王星でしょうか(笑)。




#5914 
NF 2005/07/31 02:14
ちょっと残念…。

バッカスも小惑星に使われてるみたいです。冥王星(プルートー)の外ということでペルセポネ(プルートーの妻)にするという話もあるようで。
因みに、セーラームーンでは第10惑星は「ネメシス」というようですね(笑)。



#5913 
NF 2005/07/31 00:47
「惑星直列!」(今度は超人レスリング)

>新惑星
オリンポスの神で天体名に使われてなさそうなのでは酒の神ディオニソス(ローマ名はバッカス)もおります(本来は竈の神ヘスティアが入っていてバッカスは外れていたそうですが)。酒の神、という辺りがなんか明るそうでいいと思うのですが。…ったく、小惑星の名に簡単に使うからこういうときに困る(笑)。
因みに惑星バルカンといえば、キン肉マンで悪魔騎士の一人として出てきたプラネットマンというのもあったなあ…。本来立派な惑星なのに地球の影になって見えないのを恨みに思って悪に身を染めたらしいけど、あの設定だと逆に地球から良く見えるんじゃ…と思ったのは僕だけではないはず、って何の話だか。



#5912 
徹夜城(引き算を間違えた管理人) 2005/07/31 00:08
一年ずれた(汗)

 映画板に書いてから自分の書き込みをよく読み返してみると…
すいません、2010年まではあと5年でした(^^;)
 ま、あの映画2010年にまだソ連があったりしますし、そのぐらいの誤差はいいじゃないですか(笑)、ってそういう問題か。

 これだけというのも何なので…
 「2010年」の監督、ピーター=ハイアムズは「火星探査捏造陰謀」ネタの映画「カプリコン1」の監督でもあるんですよね。先日TV東京の昼間にやってました。
 で、どうも昨今またブーム?のような「アポロ陰謀論」はこの「カプリコン1」がキッカケのひとつだったらしいとも言われるようです。もっとも「カプリコン1」は技術的には火星に行って帰ることが可能な状況下で、発射直前に問題が見つかったために宇宙飛行士たちを降ろし、政府の面子のために宇宙船だけ火星に行かせて飛行士達の着陸シーンだけスタジオ撮りするという話だったはずで、いわゆる「月着陸はなかったろう論」とは同列のものではないのですよね。

 よくある「宇宙の超生命体と交信した」と主張する教祖じみた人々も実は「2001年宇宙の旅」公開以後に初めて出現したという話も聞きますし、実は映画が先だった、というこの手の話は意外とあるようで。



#5911 
徹夜城(一応後世の歴史家の評価は気にする管理人) 2005/07/30 23:20
2005年宇宙の旅

 スペースシャトルも若干の不安を抱えつつ宇宙に飛んでおりますが、火星の氷の話から、はるかかなたの新惑星?の話まで飛び出してまいりましたね。それにしても冥王星までの距離のさらに3倍かい…
 とりあえず日本語訳では天王星・海王星・冥王星と来ておりますから「○王星」としたいものですが、「拳王星」とかダメでしょうか(笑)。
 ま、それにしても宇宙から地球を見下ろす視点にたつとたかがその地球の一角でつまらんことでいがみあってる連中がバカバカしく見えてくるのは確かですな。ここはひとつモノリスに木星を太陽化してもらって「平和に利用せよ」とかメッセージ送ってもらいますか(笑)。あの話まであと4年ですな。

>日本中央
http://www.actv.ne.jp/~yappi/mystery/003-nihonchuou.htm
galleryさんが書かれていたのは↑これの話ですよね。
まぁこの場合の「日本」ってのが東北地方をさしている、って考えるのが一番説得力があるような気がするんですが、その信憑性については僕もわからんです。


>エジプトの王子様
 昨日NHKの衛星でドリームワークスのアニメ「プリンス・オブ・エジプト」をやっておりました。旧約聖書のモーセの出エジプトのお話ですが、どっちかというと往年の名画「十戒」のミュージカルアニメ版というべき内容ですね。
 映画ではユル=ブリンナーが演じていたラムセス(日本語吹き替えは椎名桔平)のキャラクターがより深められているかな。しかしクライマックスの「紅海真っ二つ」は明らかに実写映画の方が迫力があったと思いますね。アニメも基本的にあの特撮描写をなぞっただけに見えましたし。
 映画の最後にユダヤ教、キリスト教、イスラム教それぞれの聖典からモーセに関する引用をしているあたりは現代アメリカ流の配慮、なのか。



#5910 
gallery@猿のように反省する人間 2005/07/30 22:44
第10番惑星にはヤハウェと…(飛鳥昭雄・談)

>嫌韓中朝
そですね。止めましょ。大変失礼しました。ヘンなの招き入れちゃったし。

というわけで、こちらも寝たふり、もとい、ネタ振り。
現在、例の『マンガ・古史古伝』を読んでおる所ですが、あおきてつお氏の描く東日流外三郡史の最後の最後のページに
>昭和24年、青森県東北町の畑の真ん中から千年以上も昔に刻まれた「日本(ひのもと)中央」という石碑が発見された。
>「日本中央」――なぜこの地が日本の中央なのか…誰が何を思ってそう刻ませたか
>正史ではこの問いかけに何一つ答えることができない

 ちょこちょこ調べてるんですが、あれって坂上田村麻呂の「壺の碑(いしぶみ)」説がメジャーなんでしょうか? なんか発掘経緯を見ると、地元住民が「日本中央と書いてあったりして」とか話し合ってたとか。これはこれで妙に作為的のような………疑い過ぎですかね(笑)
 実際、偽物説もあるようですが、この石碑の信憑性とかどうなんでしょ?

>第10番惑星
 とりあえず、オリンポスの12神(『リングにかけろ』にあらず)の中で残ってるのがへパイトス(鍛冶の神)。ローマ名ではウルカヌス。ラテン名ではヴァルカン。ホントは水星の内側に存在するはずの惑星に付けられるはずだったんですが、なかったんで今のトコ空位で。
 しかし、いちSFファンとしましては、やはりヴァルカンはスポックの故郷の星であって欲しいのだ!(笑)



#5909 
アール・ケイ 2005/07/30 22:36
ヤクザとイクサの好きな我々、或いは我々以外

なんか云われっぱなしだと口惜しいので(爆笑)。

まあ、人間というヤツは自分の探られると痛い腹のことは置いといて
他人の悪いところを突いてみせるもんでございますなー。
いつの時代でも、どこの国でもそれは変わらないようです、悲しいぐらい。
「相手の気持ちになって考える」
それが大事だと教わらなかったでしょうか、学校で、或いは親御さんに。
まあ「言うは易く行なうは非常に難し」なことではありますけど。
相手がそういうことが出来てない、礼儀も思慮も足らないからといって
自分の側も相手と同じレベルになってしまってどうするんですか。
情けなくって父ちゃん涙が出てくらぁ(笑)。

欧州諸国同士のような(心の奥底ではぜんぜん違うことを思ってる)大人の関係になるには
東アジア諸国はまだ互いどうしの戦争をし足りていないのかもしれませんな。

ただ、あれだけ長い間繰り返し戦争を続けてきたキリスト教側が
いまだにイスラムについての無知をさらけ出しているのを見ると
戦争をしたからといって相手のことが分かるわけでもないんでしょうけどね。




#5908 
なな 2005/07/30 22:35
水金地火木土天海冥&?

↑この並びを見ると…セーラームーンが思い浮かぶ私も、どんなもんかと思います。(^^;

>新発見の惑星
明るい名前をつけてほしいです。
土星から冥王星まで、「この世の果て」というか「異世界」というか、暗〜い感じがしません?

>扶桑社の歴史教科書
アイヌの団体からも抗議文が出されているそうですね。
写真の無断使用とか、アイヌ民族の記述の仕方に問題があったらしい。



#5907 
りん 2005/07/30 21:49
宇宙と書いて「そら」と読む(って何?

え〜、まあ、タイトルは気にしないでください。
ガンダムネタが思い浮かばなかっただけです(笑)

えっと、私管理人さんじゃありませんから、「余計なこと言うな」って言われそうですが、ちょっと気になったので一言だけ。
匿名希望さん、ご自分の意見を他人に聞いてほしいのでしたら、きちんと名前を書いたほうがよろしいかと思われます。
もちろん、HNでもかまいません。
匿名希望と名乗るだけで、無責任な書き捨て、あるいは最悪「荒らし」とみなされかねませんから。
まあ、言いたいのはそれだけです。

でまあ、こんな感じになってきたところで、韓流話はもうやめませんか?
私はROMがほとんどですけど、見てて面白いものじゃありませんし。

と言うわけで、仕切りなおしにネタ振り。
ブッチャー3世さんが書いてらっしゃるように、冥王星より大きい惑星が発見されたそうです。
場合によっては10番目の惑星になるのだとか。
「水金地火木土天界冥」と私などは教えられましたが、やはりこれも変わるんでしょうかね。
名前はやはりギリシア神話から命名されると思われますが、メジャーな神様でまだ使われてない方はいましたでしょうか?
詳しい方に教えてほしいところですが…。



#5906 
匿名希望 2005/07/30 21:00
嫌韓流 おおいに結構

金日成ばんざいより ずっとましですよ。

拉致事件と 一般の在日の人たちは関係ないといいますが
ほんとうにそうでしょうか?拉致事件の総責任者の肖像画を子供たちに
いまだ拝ませている ヒットラーユーゲントみたいな学校を支援しているのは
誰?その学校の体制を変えようとしないで 国立大学に入学させろというのは誰?
その男に 貢いでいるのは誰?拉致のサポート組織の支援したのは誰?その男に
人質を取られているのは誰?たかが誘拐を60年前の出来事と並べて 相対化を測る
のは 誰?

問題があると判って 批判せずに 拉致事件を見逃した 出版社社長は誰?



#5905 
ブッチャ−3世 2005/07/30 18:51
冥王星より大きい?

太陽系で10番目の惑星が見つかったという報道を
目にしました、冥王星より大きいかも、という話、
さて惑星と正式に認定されたら、どんな名前になる
のでしょうかねぇ。

>北アイルランド過激派・停戦
実は我々がおもに北アイルランド・テロ集団で爆弾テロを
よくやるという印象があるのはカトリック系住民の過激派
なんですけど、プロテスタントの過激派もあって
どっちもどっちの過激派なんですってね。

>山口組6代目?
え?名古屋の組長がドンに?山口組って阪神の人間しか
幹部になれないのかと思ってましたよ、
シチリア・マフィアがシチリア系しか構成員に成れない
掟があるみたいに(汗




#5904 
gallery 2005/07/30 18:25
推敲、てゆーか補足

●「相互理解」の前に「最低限の」を挿入。
民族間の完全なる相互理解などという無理は言いませんが、せめて「無理解ゆえの偏見」だけは避けないと。

●タイトル。(慎太郎・談)の方がおもしろかったな。

↓最低限の相互理解のために、ウェイン町山さんの日記を紹介(笑)

http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20050719


#5903 
gallery 2005/07/30 15:45
「悲しいけどコレ、扇動なのよねっ!」(扶桑社・談)

↑ガンダムネタは、これで(多分)最後。

 無理やりガンダムにつなげますと、結局、現実も一つの船に乗ってる者達がいがみ合いながら進むしかないのですから。ただ、人間と違って国家というものは、人類が存続する限り続くものですので、100年、200年先の関係までも考えた上で行動すべきだと。それこそ、後世の歴史家に今の行動がどう評されるか、それくらいの長期的視点で考えた方がよろしかろう、と思うのですが。
 まぁ、同じ船に乗って、この先人類滅亡まで付き合って行かねばならんのだから、いがみ合うより仲良くやって行ったほうが良いんじゃないかな。そのためには、長所も短所も含めた相互理解が不可欠で。ただし、もちろん(将来の)自国の利益も含め、言わねばならないことは毅然として言わないといかんでしょう。
 でも、今の日本(政府高官、官僚、都知事含む)って、言わねばならぬことを言わず、言わんでもいいことや、言っても仕方ないことや、言ってはならないことまで口にしておるような気がするんですがね。100年先どころか、1日先のことも考えておるのかこの人。お笑い芸人みたく、その場でウケることを言ってるだけじゃないかな、と。

>IRAが武装闘争終結宣言
こりゃ、驚きました。ホントにこれが元で解決に向かうなら正に「歴史的宣言」ですね。ただ、また将来紛争が再燃した日にゃ、教科書に「自虐的宣言だった」と書かれたりして(笑)
あのニュースを初見した時の感想は「見習え!アルカイダ!」ホントなら(笑)。
ただ、根本的な問題が解決してない上、お互い歩み寄ろうともせず、まして相互理解などとは程遠い大国の意向なんぞ見ていると、対テロ戦争って人類滅亡まで続きそうな気がひしひしと(笑…いごとではない)。



#5902 
徹夜城(ヤクザ史からちょっと離れていた管理人) 2005/07/29 23:58
山口組は六代目

昨日アクセス解析をしてみたら、2003年7月以来更新していない歴史本コーナーのアクセスが急増していて驚きました。検索キーワードを調べてみると、あそこの書評に載ってる山口組関連の本について調べる人が多かったようで。
 なんでかな、と思ったら昨日山口組で会合があり「代替わり」が決定していたんですね。五代目の渡辺組長は引退、ナンバー2(名古屋周辺の組だそうで)が六代目組長にスムーズに相続、ということに決まったそうです。
 そういや先日、この五代目渡辺組長と五分の盃を交わしていた稲川会の三代目が急死し四代目が世襲で継いだという話題がありましたが、その後何事も起きてないのかな?
 まぁそれにしてもアクセス解析してて逆にニュースを知ることになる、というケースが最近多いです。


>ななさん
 IRAも今度は本気なのか…ということを繰り返しているんですけどね。あのテロのあとだけにキッカケがつかめたというところもあるのかも。イギリスでは「歴史的宣言」という報じられ方をしてるみたいです。
 IRAはあくまでカトリック信仰を背景にしてますから、アルカイダとは気が合わないんじゃないでしょうか(笑)。


>NFさん
 いえいえ、大変面白く読ませていただきましたよ。
 品の良し悪しはともかくとして、「隣国同士で悪口を言い合うのは普遍的現象」というのは同意です。以前、大学で大変お世話になった先生も「有史以来、隣国同士が仲がよかったためしはない」という名言を吐いておりましたよ。ちなみにその方は在日韓国人でして、この手の話を歴史研究者としてうま〜く論じておられましたね。なお、映画化もされ話題となった「血と骨」の一家と瓜二つな少年時代を送っておられたと聞いてます。「それは何か作品にしましょうよ!」と聞いた僕らは言っていたもので、それほど面白く、哀しく、興味深い現代日本史の一面が凝縮されていたのです。
 朝鮮・韓国、そして在日に関しては日本国内では相変わらず偏見もあるけど、以前の無関心状態、無知状態に比べれば良くも悪くも知識・関心が広まってきていることは悪いことではないと思ってます。歴史分野でも中国史に比べると圧倒的に朝鮮史への関心は薄かったんですからねぇ…その方面でも全体としてみれば「改善」してると思ってますね、僕は。


>不肖デルタさん
 骨皮さんといえば「スネエモン」「スネ夫」ばかりが思い浮かぶのですが(笑)、そっちとその応仁の乱の人物との関係は何かあるんでしょうかね。



#5901 
不肖デルタ 2005/07/29 12:59
骨皮と名乗りしは

>骨皮
敵を骨皮だけにしてやるぞ、という脅しを込めた姓
なんだという説もありますが、彼は伏見・稲荷山に陣し
西軍の兵糧道を寸断していたそうで、東軍は西軍よりも
兵糧の供給先を京近郊に確保できていたため骨皮は
西軍の補給を阻害して戦いを有利にしようとした、
その戦術を姓に込めたって説も聞きますが
たぶん、本人が、ふざけて付けただけの姓なんでしょうか
ただ、管領という幕臣大幹部の細川勝元が、盗賊のような
素性が胡散臭い人物に軍勢を任せていたというのも解せなく
じつは細川家の末端の一族なんだけど「細川」と名乗るのは
あれなので「骨皮」とした、ってトンでも説が(笑
細川親子(勝元・政元)というのは変則の策士と評判ですね。




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