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#6400 
アール・ケイ 2006/02/12 23:14
「大河番」というか「大河の番頭」というか「丁稚」な私

>さすが、池端さんもちゃんと調べてますなぁ。

池端氏というより、ブォーダイな史料を揃えてライターに渡すスタッフが偉いわけです(笑)。

>『蒙古襲来』

(たまたま)読んでおります。
いっそ網野さんが『北条時宗』の監修をやればよかったのに
(でもそんなの彼の大切な余命の無駄遣いか(爆))。


横浜事件は、改めて日本の司法は型どおりからはみ出した判断を下さないように
なっているのだと思いましたね。裁かれているのは(元被告でも特高でも当時の裁判官でもなく)
現在の司法、法曹そのものなのに…。
そう、そういう意味であの免訴という判決は自分で自分の首を絞めたのです。
これで裁判員制度の導入が(多少は)楽しみになってきました(笑)。
不遜に思えるような(誤解を招くような)言い方になりますが、
「人を裁くことは面白い」という認識が広まらないと、かつて停止された陪審員制度の
二の舞になってしまうと思います。
「裁判官なんかに任せてはいられない」、そういう意識が必要かと。


>ムハンマド戯画問題

自分のサイトのコラム(もどき)でも書きましたが、
昔っから対立するにせよ戦争するにせよ和睦するにせよ、ヨーロッパ世界はイスラムの勢力と
長い折衝を繰り返してきたわりに、どうしてこんなザマになってしまうんでしょうか。
EU諸国の教科書ではイスラム教(とその歴史)のことは教えてないのか?
そんなことはないと思うんですけどねえ。







#6399 
パパゲーノ川崎 2006/02/12 00:24
歴史といってもいままさに起きていることで

僕からするとベストスリーは、
1.ライブドア関連の事件
2.デンマーク新聞漫画に対する抗議事件
3.ブッダガヤのお釈迦様生まれ変わり事件

3つとも今後の展開が注目されます。




#6398 
徹夜城(HDDレコーダーの残り容量がさすがに気になってきた管理人) 2006/02/11 23:29
世界の王族はみな親戚、といえば。

 ちょっと間が空いてしまいましたが、船頭の孫さんの「ユーラシア王統はみんな親戚?」ネタで。
 そもそも源義経が成吉思汗なら、そのつながりでみんな天皇家の…(爆)
 関連ですが、買わないうちに書店から消えたんですけど、最近(たぶん2004年)出た義経=チンギスハーン説を唱える本を見かけました。モンゴル語を専門とする方、らしいのですが…小説風味の内容なんで、とりあげるほどのネタでもないかと放置してました。


>Кискаさん
 ああ、「プラカード事件」は結局二審で不敬罪確定だったんですか。
 この事件、終戦直後の象徴的な1エピソードとしてずいぶん前に何かの本で読んで知ったのですが、こういうところで話がリンクしてくるのか、と記事を読んでいて驚いたりしていたものです。

>孟きょうさん
 鄭和の船のサイズについても例の番組でやってると思われますが…はやいとこ地上波か衛星でやってくれないものですかねぇ。
 ところで脱線するようですが、日本に来た中国人と「スケール」の話だと、どうしても連想しちゃうのが下関条約のときに来日した李鴻章が関門海峡だか瀬戸内海だかを見て「日本にもでかい河があるじゃないですか」と言ったとか言わなかったとかいう伝説です(笑)。

>原田さん
 これはどうも。ご紹介の文、ただいま楽しく拝読いたしました。それにしても梁啓超の名前が出てくるとは…。
 関連話で、出所がはっきりしない話なんですが、清末だか民国期だかの中国人で「中国人の先祖は西方から来た」とか「英語と中国語は共通のルーツをもつ」とかいろいろ言ってた人はいたようです。以前大学のゼミでチラッと話題が出て、それきり確認はしてないんですけど。



#6397 
原田 実 2006/02/11 13:07
中国の坊様がメキシコに行った話

少し留守している間にあっという間に現れて消えた話題の
ようですが、遅らばせながら―
「扶桑国メキシコ説」
http://www8.ocn.ne.jp/~douji/mex.htm
「古代中国人のアメリカ渡航説について」
http://www8.ocn.ne.jp/~douji/chinaamerika.htm

http://www8.ocn.ne.jp/~douji/


#6396 
孟きょう 2006/02/11 12:04


 >新参右衛門様
 そうなんですよね。日本の海岸線もそうですが中国大陸の沿岸でも鄭和艦隊が寄港できる箇所とできない箇所があった等の内容が書かれた本を昔読んだ記憶があります。
 鄭和艦隊のスケール(艦隊の規模というより旗艦のサイズというか)の実像については、私なんかはもう全然かいもくわからないですね。「仮に木造であんなに大きい船をつくってはインド洋で木っ端微塵だ。ちゃちく、もっと小さい」と言われれば、「そうかもなあ」と思うし、代表的な想像図のとうり巨大な船、もしくは二分の一のスケールであったとしたら「それはそれでやっぱ凄いな」と思ってしまいますね。



#6395 
Киска 2006/02/11 11:21
映画「白バラの祈り」のゾフィー・ショルらの名誉回復も死後40年以上経てでしたが

>免訴
再審の法廷で免訴判決を求めていたのは検察で、今回の判決は検察側の主張にほぼ沿った形(再審事件では異例)です。
管理人様が指摘されているとおり、自らの過ちについて何ら省みるところがないという点で、日本の司法はまたしても汚点を残したと、私は非常に残念に思いました。

>プラカード事件
一審では名誉毀損で有罪ですが、二審では不敬罪規定の存続を認めて不敬罪による有罪、だが大赦令での免訴という判決で、これに不服の被告人の上告が最高裁で棄却されて二審の免訴判決確定。なので、最終的には名誉毀損ではなく不敬罪適用です。




#6394 
徹夜城(今さら網野善彦を読みふける管理人) 2006/02/11 01:43
網野著「蒙古襲来」

 いま電車内読書の一冊がこれ。小学館文庫で出ているやつです。網野氏による鎌倉時代後半通史として書かれたものですが、「プレ南北朝史」として読める面白さがあります。このあたりの時代は知ってるようで知らないことが多かったもんで。
 竹崎季長の「蒙古襲来絵詞」の内容紹介がなかなか楽しい。この「国難」を機に明らかに「一旗挙げる」という動機から参加し、先駆けの功名を必死に訴えて恩賞にありつく鎌倉武士のリアルかつドライな姿には共感する部分もあるし理解しにくい部分もあるしで(笑)。
 また「国難」を予言した日蓮が元軍敗北にどうやらガッカリしてたらしいという話も面白い所です。「ちょっと敵の船が嵐で沈んだぐらいで大勝利と大騒ぎしおって」とか手紙で書いてるんですな(笑)。確かに彼の主張からすれば日本は蒙古に蹂躙されてなきゃいけないわけで。大映映画「日蓮と蒙古大襲来」では時宗と一緒に博多にかけつけて自分で嵐を起こしたりしておりましたがねぇ(笑)。

 この元寇と関連することですが、いま北方アジア史に関心が行っておりまして。ちょうど同じ頃にアムール河口から樺太でアイヌ人と思われる民族の活動が盛んになり、モンゴルの征討を受け(樺太にもモンゴル軍の基地がおかれた)、なんだかんだで40年ぐらいドタバタやっていたらしいんですね。14世紀初めにはこのアイヌらしき連中は元に朝貢するようになりますが、この辺のドタバタが同時期の東北(北海道ふくむ?)の「蝦夷大乱」「津軽大乱」の遠因となり、それがめぐりめぐって鎌倉幕府滅亡につながっていく…という壮大なスケールの将棋倒し(笑)が浮かび上がってきてえらく面白い。
 この津軽の乱は大河ドラマ「太平記」でもチラリと描かれていて、鎌倉の庶民たちが「エゾも加わって大乱になっているそうな」という台詞もありました。さすが、池端さんもちゃんと調べてますなぁ。

>映画ばなし
 下の書き込みの肩書きにも書いてますが、ようやくDVD借りて来て昨年の問題作(笑)「アレキサンダー」を見ました。ナレーションでガンガン飛ばすストーリー、なぜか父のフィリッポス暗殺が映画中盤に回想ではさみこまれる(いきなり「8年前」に飛んでビックリ)、などなど、オリバー=ストーンもヤキがまわったなぁと思わされる映画でありました。イッソスの戦いの描写は迫力はありましたけどね。あとアリストテレスとかプトレマイオスが出てくるところは世界史好きは楽しんじゃいますけどね。

 あと先日劇場で「男たちの大和」も見てきました。なるほど、というか一部で聞こえてきた悪からぬ評判に納得したというところ。うまくまとめたもんだという気がします。戦闘シーンの目を覆うばかりの凄惨さは「プライベートライアン」以来の世界中の戦争映画の流れに乗った形ですな。
 中村獅童は劇中で片目を失いますが、このあと「柳生十兵衛」を演ったんですな(笑)。仲代達矢は「月光の夏」でも「生き残った特攻隊員(大和の場合はちと違うけど)の老後」でした。
 で、ヒットに気を良くした東映が「さらば男たちの大和」「男たちの大和よ永遠に」「男たちの大和完結編」と続けると(嘘)。実は僕などは吉村昭の「戦艦武蔵」を映画化してみるというのも面白いんじゃないかと思ってます。


>横浜事件
 すでにКискаさんが書かれておりますが…この事件って戦時下におけるかなり露骨な言論弾圧事件で、特高警察の拷問で死者が何人も出ているのもさることながら、無条件降伏した直後の8〜9月に大急ぎで有罪判決を出し、裁判資料も隠蔽同然に破棄しているという「司法の責任」という論点もあるわけです。今度の判決についてはいろいろな見方が出来るんですが、責任ある判断から逃げた、ということは言っちゃえるでしょう。
 名誉回復については含みは残しつつ、再審によって判決を「無罪」にはひっくり返せない、で、容疑の根拠になった法律が消滅しており検察が訴える理由が無いから有罪無罪の判断をくだせないという理由で「免訴」としちゃったわけです…ということでいいのかな、いくつか読んでみた限りではそういう風にとれたんですが。
 この免訴の判例として出てくるのが「プラカード事件」である、というのも今度の報道で初めて知りました。事件そのものは知っていたのですが…1946年にデモのプラカードに「朕ハタラフク食ッテルゾナンヂ人民飢エテ死ネギョメイギョジ」って書いてあったのが天皇に対する「不敬罪」に問われたというやつ。間もなく不敬罪そのものが消滅したため名誉毀損に切り替わり、結局新憲法の大赦でウヤムヤになったんですが、当人が不服として控訴したけど、結局この「免訴」という判断になり、これが唯一の前例となっているようです。



#6393 
Киска 2006/02/10 19:56
補足その二(というより訂正)

何度も申し訳ありません。
治安維持法違反とされた方々について現行法ではカヴァーできない「最大の壁は時効」と書きましたが、国家賠償法附則6号で「この法律の施行前の行為に基づく損害については、なお従前の例による」となっており、新たに法律を制定しなければ国家無答責の法理がそのまま適用される点こそがそもそもの問題でした。




#6392 
Киска 2006/02/10 13:38
横浜事件について補足

昨日の横浜地裁判決は、治安維持法違反についての有罪判決(1945年9〜10月)についての再審であって、請求人の方たち(元被告人は全員既に故人で、その遺族の方たちです)金銭補償を求める訴訟ではなく、元被告人らの無罪判決が出ることを求めていたのです。

国家賠償法と刑事補償法についても説明すべきだったかもしれません。
刑事補償法に基づく補償は、無罪判決があれば警察・検察・裁判所の故意・過失の有無を問わず拘留期間に応じて金銭補償される制度であるのに対し、国家賠償法に基づく賠償は「故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたとき」にしか支払われません。言うまでもなくこれの立証が元被告人側にすれば大変なのです。




#6391 
Киска 2006/02/10 10:52
想定内での最悪の結果・・・

>ブッチャー3世様

横浜事件の件、歴史ネタであるとともに法律の問題でもあるので、解説します。(説明不足でわかりにくくなると思いますが、ごめんなさいね、自分でも整理しながら書きますので。あと、長文にならないよう気をつけます。)

まず、「特高に虐待された人々」と例に出された堀江氏から損害を被った人たちとの違いは、相手が私人ではなく、公権力だということです。違法な行政行動によって侵害された権利に対する救済方法を定めているのは国家賠償法です。
国家賠償法が制定されたのは1947年10月。それ以前は公権力の活動には文句がつけられない法制度でした。簡単に言うと、交通事故にあっても轢かれたのが消防車だったりすると被害者は泣き寝入り、というわけです(「国家無答責の法理」「公権力無責任の原則」などと言います。戦後補償訴訟でも争点になっている)。

「特高に虐待された人々」は、後に掲げる「治安維持法犠牲者国家賠償法(仮称)の制定に関する請願」によれば、逮捕された人は数十万人、送検者75,681人、拷問による虐殺死及び獄死者が約2,000人とのこと。横浜事件に限っても、今回判決のあった第3次の後には、第4次再審請求をしているグループが控えています。

治安維持法犠牲者の被害者については、実は国会には毎度「治安維持法犠牲者国家賠償法(仮称)の制定に関する請願」がされています(恐らく1960年代からではないかと思います)。現行の国家賠償法ではカヴァーしきれない大問題がいくつかあるからです。最大の壁は時効です。
では、なぜこの治安維持法犠牲者国家賠償法(仮称)は制定されないままなのか?それは、今回の横浜事件再審の横浜地裁判決が、「免訴」という、請求人の方々にとっては想定された中で最悪の結果だったことと同様の理由だと思います。




#6390 
船頭の孫 2006/02/10 08:49
あながち間違いでもないかも

>NF様

チンギス・ウルスという表現、チンギス・カン自身の直属の遊牧組織だけを表現する術語としては、案外ありかもしれませんよ。



#6389 
ブッチャ−3世 2006/02/10 06:05
横浜事件、免訴

これって結構、歴史ネタじゃないですか?
まぁ、でも他にも特高に虐待された人々は大勢いたはずで
その階層が全員、訴えに出たら、えらいことになりますが
例えば、経済事件で、今のホリ衛門事件も、損害を被った
人々が全員、ホリ衛門氏を訴えることは不可能だし現実的で
ないので、被害者団体を結成し、代表で弁護団を作って
まとめて1つの大きな訴訟に出ることは考えられるそうですね。
ホリ衛門事件といえば、元幹部の変死事件が急展開〜那覇空港の
監視カメラに野口氏が4人の男達に話しかけられ合流したのが
映っていた〜てのが報道されてますね。
思ったんですが、警察が一度、自殺と公表後、あとで他殺と
判明したことって、あんまり無いですね、警察の体面もあるし
自殺を他殺と立証するのは、名推理が要りそうですね。



#6388 
NF 2006/02/10 01:08
帝政、じゃなくて訂正

>チンギス・ウルス
「モンゴル・ウルス」が正しいですね、どうもこの手のボケが多くていけません。



#6387 
NF 2006/02/09 23:19
仕方ないです、伝統ですから(苦笑)

何がって?政治家先生やマスコミの皆様が瑣末な問題をさも重大事のように騒ぎ立てて政治的に利用するのがです。目的と手段が逆ですよねえ…。
あ、そういえば天皇制も「伝統」なのか。ここまで来ると、世界一古いってだけで存在価値はある気が僕などはしてしまう。考えようによっては無形文化財・人間国宝の最たるものではないでしょうか?

>船頭の孫様
ポイントはどうやらモンゴルのチンギス・ウルスのようで。遊牧文化圏が他の様々な農耕文化圏と接していて、モンゴル帝国の著しい拡張により様々な文化圏が一時的につながったという社会的事象とも相関しているようで面白いですね。

>mozawa様
どうでもいい、とは僕は思わないですが(古いというだけで価値があるし、権力を伴わない権威というのはそれなりに有用と思ってますから)、やっぱり優先順位というものがねえ…。大事なのは一般国民の間で認知されるかであって、皇位継承件に関する議員センセイの信念は確かにどうでもよろしいですね…。

>徹夜城様
自称南朝末裔が出現…。今でこそ筵織りに身を落としているが、元をたどれば後醍醐天皇の末裔と伝えられ先祖伝来の剣を持つ男が豪傑たちと兄弟の契りを結んで乱れた世に大志と野心を抱いて躍り出る…、って違う話が入ってしまいました(苦笑)。でも、「中山靖王劉勝の末裔」と「南朝末裔」の信憑性って余り変わらない気が個人的にはするので(ま、「天子様の御落胤(byひでよし)」よりはましですが)。ま、真面目な話、熊沢天皇などの場合でも一時的に話題になってもすぐに沈静化した辺り、血脈から見た正統性とかは本質的にはどうでもいい問題だということを国民が一番良く知っていたということでしょうね。では、メガドライブ版のレポート、お待ちしております。




#6386 
船頭の孫 2006/02/09 17:02
王統

一夫一婦制でよくもまぁここまでもったというのは、やっぱりユーグ・カペーの血脈でしょうね。カペー朝以降のフランス王家はすべて、カトリックの正式な婚姻に基づく男女の結びつき以外で生まれた子の祝福を認めない環境下で、ヨーロッパの相続法としては異例に男系しか認めないサリカ法典に基づき、完全に男系血脈で引き継いでいます。で、現在もその血脈はスペイン王家に引き継がれている。

そういえば、ユーラシア大陸の王族って、ほとんどすべて間接的な婚姻関係でリンクしちゃうんじゃないでしょうか。ヨーロッパ内の王族の婚姻ネットワークは有名ですが、その一郭のロシア王家は、確かジョチ・ウルス系のチンギス・カン家とも婚姻ネットワークでつながる可能性は高そうに思えます。なぜなら、ロシア貴族にはモンゴル貴族の家系がだいぶ入ってますから。さらに、チンギス・カン家はチムール朝→ムガル帝国を経てインドの王族ともつながってきますし、さらに清朝の皇族がモンゴル王族と深い婚姻ネットワークでつながっていた話は有名です。で、この清朝皇族は愛新覚羅溥傑と嵯峨浩との婚姻を通じて日本の藤原氏に、さらに藤原氏を通じて天皇家にもつながっています。そうすると、西の端のイギリス王家と、東の端の日本天皇家まで、見事に姻戚関係でつながってしまうんですよね。



#6385 
mozawa 2006/02/09 14:12
そう、どうでもいいことなんですよね

 もっと懸案事項はいくらでもあるわけで。年金とか、医療とか、もろもろ。。。
 それにしても、外国人でもいいじゃないか。 あ、北欧のどっかの国でオーストラリア人の皇太子妃が居ましたけど、西欧でも、「アジア人はちょっと・・・・」ってなるのかなあ?

さて、皆さんの昨日の書き込みを見て、「そのとき」を見ました。視聴理由は、再現映像がどうなってるか気になったからですけど。。
大きな合戦シーンは『聖徳太子」からの流用(宝田守屋が映ってた)
その他、吉野、即位シーンなどは撮り下ろしと思われました。

天武を「始めて天皇と名乗った」ということに拘って紹介してましたけど、天皇が「大王」なのに、後継者のことを「皇太子(こうたいし)」って言ってるのが可笑しかった。大王呼称に拘ったのは、「皇位継承の争い」を、「王位継承の争い」と言う為の屁理屈か?と、うがった見方をしてしまいました。



#6384 
徹夜城(いま「アレキサンダー」を見て呆れ三太の管理人) 2006/02/09 12:50
王妃が玉子を産んだ!

>アール・ケイさん
 手塚ネタなら「ブッダ」が(笑)。
「男の子か、するとこれは玉子ではないか!王妃が玉子を産んだ!」
「あなた、玉子ではありません。王子ですわ」
「気にするな。写植がまちがっとるんだ」

 まぁそれにしてもさすがは世界最古の王統というところでしょうか、連想する話題が古代や中世なんですからねぇ。世界でも結構注目されているようで、面白い国なんだなと思われてはいるでしょう。まぁイギリス王室だってさんざネタにされましたしね(そういや王子の次男坊はイラク出征らしいですな)。
 ここで一発、南朝子孫が登場してさらに大混乱になると(笑)。先日神田の三省堂で南北朝本をあさっておりましたら、後南朝や熊沢天皇ネタの本がまたありましたね。以前に似たようなのを見かけていましたが、どうも同じ方の新作らしい。で、ぱらぱらと見ると相変わらず「フリーメーソンがどうの」という話題が出ている(笑)。

>貧乏神さん
 映画ネタになりますが、問題の吹き替えといえば織田裕二&三宅裕二の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」ってのもありましたよ(笑)。
 「黄金の日日」にも出てきた永楽銭ですが、劇中の織田軍の旗指物にも「永楽通宝」が描かれているのがありますね。実は当時の東アジアから東南アジアに流通していた「共通通貨」だったりしたわけです。もちろんユーロとかとは同列には論じられませんが。
 その後、清の時代には長江河口デルタ地域で「寛永通宝」(もちろん日本の銭)が流通していたという事例があったりします。どうも丸くて真ん中に穴があって漢字が四文字書いてあればなんでもよかったんじゃなかろうか、などと大学のゼミで話題にしていたことがあります(笑)。

>NFさん
 リプレイ、お読みいただき、どうもです。SLGは得意とする弟には「あんたはヘタ」と言われてしまったぐらいで、もそっとうまくやれば「そして誰もいなくなった」にはならなかったかもしれません。でも死屍累々なのは間違いなさそう。
 鎌倉幕府滅亡のシナリオなら、メガドライブ版のほうがかなりマシなようです。これからプレイしてみる予定ですが、ネット上での評価を見る限り、そう悪くは無いようです。
 PC版「NHK大河ドラマ太平記」のシナリオ2はデータだけとってまだプレイはしていないのですが、意外にマニアックな登場人物が出てるんですね。とくに宗良親王・懐良親王といった皇族連中が意外にいるのが目を引きます。CD-ROM版ではさすがに親王は出てこなかったように思います。

>新参右衛門さん
 ウン、どうも小泉さん、今度の件以前から「よくわかってないんと違うか」という声は上がってましたね。「愛子さんのお子様が男子でも天皇と認めないというのか」と言ったときに「よくわかってない」ことは確信しました(笑)。この人、どうも他の懸案でもそうなんじゃないかと思うところはあります。
 一方の平沼さんも(フランス紙の報道として伝わったものですが)「愛子様が青い目の男性と恋に落ちて、そのお子様が天皇になられることは、断じてあってはならない」と言ったとか。まぁ彼らには本音のところなんでしょうけど、正直なところ「別にかまやしないじゃん」とこちらは思う。こういう話題を見てると韓国皇室は残しておくべきだったなぁとも(笑)。

>戯画問題その後
 なんか冷静を呼びかける一方で、双方で煽りが続いているようですな〜。報復のつもりらしいイラン紙の「ホロコースト戯画コンテスト」には、もうアホかと。



#6383 
新参右衛門 2006/02/09 11:56
そんなマジにならねばいけない問題?

どっちになるにせよ、過激な方向にいくのは何ですね。
小泉総理の反応が笑えた、男子が生まれたら何で改正議論で
影響でるんだ?と首相が安部官房長官に聞いたら安部氏は
長々と細かく説明したら、総理は「そうか」と言っただけ
だったってのが報道されてて、そんな問題どうでもいいと
内心、思っているのは総理かもしれませんね。(笑
一番わけわからんのは平沼という議員ですね「命がけで
改正・阻止する」と額に青筋たてて怖い顔で叫んでるし。
そういうことに命賭けるより、もっと大事なことに
命賭けてほしいですね議員さん。



#6382 
NF 2006/02/09 00:40


>紀子様御懐妊
ま、男女どちらにせよ無事お生まれになるのを祈るばかりです。しかしこれまた男女いずれにせよ継承ルールをきっちりさせるためにも皇室典範改正論議は進めるべきだと思いますね…。今回はたまたま直系に男子が誕生する可能性が出てきましたが、一夫一妻制の下で男系のみ、というのがそもそも無理が出てくるわけで。

>アール・ケイ様
僕はどっちかといえば「ベルサイユのばら」の冒頭を思い出したんですが…。敢えて男ということにして育てられるという(オスカルというのも男名ですし)。

>徹夜城様
PCエンジン版「太平記」拝見しました。しかし、前のCD-ROM版とは違って何ともはやな内容ですね、確かに…。「リプレイ」の、そして誰も居なくなった、という結末には苦笑するほかありませんでした。しかし、ゲーム化するとしたら尊氏謀反〜南北分裂前後辺りしか無理なようですね、やはり。鎌倉倒幕をゲーム化するとしたら…(またか)、短期間で情勢がコロコロ変わるので、各時期でミッション制度を導入して幕府方・宮方ともそれぞれミッション毎に主人公を決めて、一定の勝利条件を満たせばそのミッション達成というのを積み重ねた上で最終的な勝敗を決める形にするしかないかな…。
そういえば、倒幕が舞台でない限り護良は使えないんですね。この辺も南北朝ゲーム化の難しいところ。Ifシナリオを作って、建武政権成立後に護良が捕らえられることなく全国の悪党を蜂起させて尊氏に対抗するという設定にすればあるいは…。
って、また妄想に突っ走ってしまいました(苦笑)。われながら困ったもので。



#6381 
貧乏神 2006/02/08 22:27
時事ネタはおいといて…

>ひでさん
ジャン・レノ主演の映画は「おかしなおかしな訪問者」ですね。やって来たのはアメリカ
ではなくて、現代のフランスだったと思います。まあ、現代では、フランスの生活も相当
アメリカナイズされてることの現れでもあるわけですが…なんて書くと、フランス人が
怒り出しそうですが。
ちなみに、吹き替えは、ジャン・レノ演ずる騎士とその従者、あと現代のホテルの支配人
という主要三役をダチョウ倶楽部の三人が担当したという珍作でもあります。思いつきで
やっちゃったキャスティングなんでしょうが、意外に悪くなかった記憶があります。
ただ、こういうのって、後になって扱いに困ったりするものなんですよね。松崎しげるの
ルーク・スカイウォーカーとか。

>黄金の日々
私はリアルで観てましたですよ。助左が秀吉と再会するシーンで銭を投げて、受け取った
秀吉が「何だ、永楽銭じゃないか」と言ってたシーンは覚えてます。

室町時代に銅銭を輸入した前例があるのなら、現代においてスーパーKを輸入しても大丈夫
ですね。(違うか)



#6380 
アール・ケイ 2006/02/08 19:48
某所に書いたネタです(笑)

「もしも女児が生まれたら男児にすりかえる」
女系反対論者が宮内庁病院の産科に手を回し
旧宮家の血を引く懐妊中の婦人を待機させるわけです
『和宮様御留』+『とりかえばや物語』ですな(ぜんぜん違うけど(笑))。

というか、どうしても手塚バカな私としてはまた『リボンの騎士』を思い起こさざるを得ません。
何故か東北訛りの大臣「オオズさまが、オオズさまが生まれなすった〜」
広報担当「王子さまなの?それとも王女さまなの?分からないよう。ええい、王子さまにしとけ。王子さまがお生まれになったとおふれを」
このヒアリングミスのためにサファイア姫は王子=王位継承者として生きることになります(笑)。


南北朝だとか壬申の乱だとか熊沢天皇だとか(違うか(笑))…
しかし、21世紀になってもマンガレベルな日本っていったい…。





#6379 
マナ 2006/02/08 19:24
誰か仕組んでるの・・・

やっぱり、今の世で起こらないだろうけど、壬申の乱のこと考えちゃいますね。ところで今日のテレビ欄を見て絶句しちゃいました、やるなN○Kと思ったよ、そのとき歴史が動いたで壬申の乱を取り上げるなんて図ったような仕業・・・



#6378 
徹夜城(ノってると書くのが早い管理人) 2006/02/08 18:42
「南北朝」は遠ざかったかな?

 もちろん男子ならば、という話ですが。もっとも「南北朝」の危機が去ったら今度は「壬申の乱」だったりして(笑)。あるいは将来皇太子から今度の「男子」に皇位がひきつがれ、実父に対する「尊号問題」が起こったりするとか、って遊んじゃいけませんな。

>マナさん
 いやホント、「土壇場に強い」と思っちゃいましたよ、僕も。
 小泉首相も昨日の段階では姿勢を崩してなかったけど、今日の答弁ではやや柔軟対応、という空気が見えなくも無いですね。
 こういう事態だから性別を生まれる前の早い段階で確認することになるんじゃないかなぁ…もっとも愛子ちゃんが生まれたときもこの手の議論があって、生まれる7ヶ月ぐらい前にふっつりと消えてしまい「男子と判明したかな?」と言われていたことがあります。実際に生まれてみて僕も意外に感じたものです。

>mozawaさん
 いやホント、まさに狙いすましたようなタイミングでしたね。しかも出産予定が小泉さんが辞めるかどうかの時期というおまけつき(笑)。
 今度の件はどうも朝日新聞は早い段階からキャッチしてたみたいで(以前からここは妙に皇室ネタスクープに強い)、昨日も早々から準備してたとしか思えない記事をドドドッと出してましたね。「兆しあり」の段階でキャッチはしてたんでしょう。今日辺りの記事なんかじゃ皇太子側の同意の上で、ととれるような記事が出ておりますが。

 となると、気になるのが小泉首相はどの段階で知っていたのか、ということで…一応昨日初めて聞いたことになってるんですけどね。今まさに焦点のことでまさにこの一週間強気の姿勢を見せていただけに気になるところです。
 ただ皇室典範改正反対の政治家の中には郵政のとき同様にこれを政局化しようとする人たちがいたのも確かで(メンツが実際かなりかぶってる)、そういう人たちにも「拍子抜け」な展開だったかもしれません。旧宮家のどなたかも同様に。

 「ヒゲの殿下」ですが、以前から妙な言動のある人ではあるんです。ずいぶん昔には「どうせ天皇になれるわけじゃないから」と皇室離脱発言をしたこともあるそうですし、最近でも「三笠宮」と呼ばれることにいたくご立腹で文章を書いたりしてました。


>船頭の孫さん、民本主義者さん
 ちょっと遅れましたが、貴重な情報をありがとうございました。
 問題の戯画も見られましたし、なおかつ専門でやってないと分からない解説までついて、この伝言板も改めて多士済々だなぁと管理人ながら思うのでした。

>阿祥さん
 鄭和について、そういう説もあるんですねぇ。いろいろネタはあるものです。
 鄭和の航海ルートを見る限り、マラッカまでは華僑ルートに乗っかってると見ることもできると思うのです。「マラッカ王国」自体の建国に鄭和は関わってますが、このマラッカ王国も構成員に華僑がけっこういたわけで。のちにポルトガルがマラッカを攻略した際にはこの華僑連中がポルトガル側についたという見方もあるんですよね。
 そもそも鄭和自体も航海の神様として中国系の人々に崇められちゃっていたような…

>尾鳩さん
 お帰りなさい。それと、極力早く寝なさい(笑)。
 中国と南米の…ってネタは、我が家になぜか転がっていた大昔の本「ムー大陸の謎」にも出てきますよ。中国とペルーの出土品にデザインが似たものがある、って話が。それは実は共通の文化のルーツが…とムー大陸に話がいっちゃうわけですが。
 似たものでは縄文人が中米に渡っていた!?というやつもありますね。

>新参右衛門さん
 台湾系華僑といいましても、そもそも台湾にいる中国系住民は15〜6世紀に福建から来た「華僑」なのでありまして…後期倭寇に関わる連中も、台湾を基地にしていました氏、その流れを汲む鄭成功が台湾をオランダから奪取するのもその流れの中にあるのですね。
 フィリピンにも16世紀後半にはかなりの華僑が来ていて、スペイン人と軋轢を起こしています。僕が小説で書いてる(中断しちゃってますが)海賊「林鳳」がマニラを攻略したのはそういう背景がありますし、鄭成功も急死のために実行できなかったとはいえマニラ攻略を計画していたと言われます。
 というわけで、「黄金の日日」の続きを見なくては(笑)。よく考えたら「鳳」と時代がちょっとかぶるんですよね。


>更新情報。
 「ゲームで南北朝!」に一気に追加があります。PCエンジンHuCARD版「NHK大河ドラマ太平記」の概要・武将データ・リプレイ記事を一気にアップしました。
 リプレイ記事は南北朝史マニアには悶絶の展開かもしれません(笑)。



#6377 
不肖デルタ 2006/02/07 20:59
リメンバ−・バ−ミヤ−ン(爆

暴れておられるイスラム教徒の諸君、ムハマド挿し絵ぐらい
大目にみてあげなさいよ、君らなんか、ガンダ−ラ石仏を
ダイナマイトで吹っ飛ばしちゃったじゃないの〜それから
比べりゃ下手な風刺絵ぐらいほっとけ、と
一応、仏教徒なので突っ込んでみたりする(笑
ま、そういうけど日本じゃ法隆寺の仏像かっぱらって
壊して捕まった奴いるし信心なき者いっぱいってとこ
では変わらないか(笑
マッハっていうタイのムエタイアクション映画を見た
のだけど、主人公の格闘のバックグランドというのが
壊され首を盗まれた仏像の首を取り戻す、という
最近の東南アジア全般で問題となっている遺跡の仏像の
盗難や横流しを触れていて何かタイムリ−でした。
信仰の像を拝むのを汚して誹謗してほしくは無いですね。




#6376 
mozawa 2006/02/07 17:59
狙いすましたと思えるタイミングで・・

 懐妊しちゃうものなんですねえ。。 歌会始の歌を見て、狙ってるなあとは思ってたのですが。。。。。
 まあ、確立は二分の一ですけど、これでもし男の子だったら、雅子さんの気持ちはどうなんだろう?楽になるのか?より一層肩身が狭くなるのか? そちらを先ず心配してしまいました。

 以前管理人様の書き込みで皇室典範改正の意向が「『賢き辺り』から」ってありましたね。そういうことを踏まえても、改正論議は停滞するような気がしますが如何でしょう?

 それから、「ヒゲの殿下」の発言を聞いていますと、やはり暴走がちな方なんですね。この方、麻生外相と姻戚関係にあったはずで、今の皇族の中では最も政治的な絡みが深い筈なんですが。。。
思えば、高円宮急逝は、雅子さん擁護という観点からも言われていることですが、兄弟のバランスという意味でも惜しまれるのかもしれません。



#6375 
マナ 2006/02/07 17:45
やっぱり・・・

今のだんかいで男の子か女の子かわからないのに軽々しく言えないけれど、やっぱり皇室は、土壇場に強いと紀子様御懐妊報道で実感。皇室典範改正は、どうなっていくのかな?秋まで持越しかな。




#6374 
徹夜城(ニュース速報に驚いた管理人) 2006/02/07 15:13
紀子さん懐妊だそうで。

速報がかけめぐっておりますが…秋篠宮妃の紀子さんご懐妊だそうで。
歌会始で「コウノトリ」がどうのと歌ったときから「もしや」とは言われていたんだよなぁ…
さて、これで男子だと大騒ぎ。皇室典範改正は今国会ではどうするのか。それとももしかして小泉さんは知っててやっているのか…?一方男子だった場合旧宮家は皇室復帰の目がかなりなくなります。



#6373 
新参右衛門 2006/02/07 12:25
大きな船で来られても

鄭和艦隊のダイナミックさで、よく表現されるのは
同時期の西洋船や中東船と鄭和の船との比較ですが、本当
にこんなんだったのかと思うほど比較して巨大ですね鄭和船。
あれを真に受けると、たぶん日本へ来るのは困難っぽい気が
します、つまり、当時の日本に巨船を受け入れられる港は
無さそうだ、という点で。
沖で停泊させ上陸艇で来れば日本へも寄港できるじゃないか
という話も考えられるけど、危険なのですよ、長い時間を
沖で停泊するというのは今も昔も船が大きかろうが小さか
ろうが。

>台湾系
中華の、大陸系と台湾系の総数は、そりゃ大陸系が数が多い
のでしょうが、中国や台湾いがいに住んでいる世界中に散らばる
華僑の中では、台湾系はマジョリティだとか聞いたことが
あります。マフィアのル−ツはイタリア系だとすれば
中華系秘密結社を最初に作り今は大勢力なのは台湾系だって話を
聞いたことがあります、まぁ、ヤ−さんの話は、ともかく
フィリピンは台湾系華僑が多いっちゅう話ですね。



#6372 
尾鳩 2006/02/07 04:53
寝れん・・・

とにかく寝れん・・・。
スリランカから帰国したばかりなんですが、いろいろと思うことがあり、とにかく寝つけんのです・・・。
で、ここの暖簾をくぐるとは・・・自分もやきがまわったのか・・(笑。管理人さんに、夜中に何をやっとるのか・・・とあきられそうですね。

>阿祥さま
なるほど、それは面白い説ですね。
ビン南人というのは、すなわち福建人と同様・・・と考えていいわけでしょうか。
福建省の海洋側と台湾の交流というのは、従来激しいとききますし、言葉も確か同じだったような・・・。
華僑にも様々ありますが、福建出身ってかなり多いですよね。華僑の進出域を考えると、確かにうなずける説ではなりますね。

但し、華僑の進出というのは、世界中に進出しているようにみえて、特に15,6世紀までの主要進出地域について言えば、実はせいぜいシンガポール辺りまでだと耳にします。現在の中国人の人口から世界を席巻しているような観がありますけどね。
今回訪れたスリランカですけど、実は中国人の数っていうのは、思ったほど多くないんですよ。で、中華料理店の数は、正直増えているらしいんですけど、皆比較的新しい時期に定着している。出身地域も福建ではなく、東北部(大連等)が多い。
そういや、ここって鄭和も訪れてますよね。王権を巡る内戦に巻き込まれたという話。
ビン南人海洋進出ルートをたどったのは、せいぜいシンガポールあたりまでで、そこから先は、やはりイスラム商人の先導によったというのが、実情なのかも。

例の「1421」でしたっけ。かのと学会でも、とんでも本として紹介されていましたが、その本手元にありながら、まだ全て読みきっておりません。で、その本というのは、鄭和の分隊が、オーストラリアやアメリカ大陸まで至っていたと記しているんでしたっけ。
もう一つ鄭和に関する本として「中国が海を支配したとき When China ruled Ocean(Seasだったかな)」というのがありますけど、こちらの本は、さすがに鄭和の艦隊がアメリカ大陸まで至ったとは記してないです。ただ、確か南北朝の梁の時代の坊さんがアメリカ大陸に渡った可能性があるという説を紹介していましたね。名前は、慧深とかいったような。
5世紀以降、虎などの文様の描き方に関して、特に中米においては、大きな変化がみらえると。その文様は、中国のものと比べて、明らかに類似している・・・なんかそんな話だったように記憶しています。今手元に無いんで詳しい話はわかんないんですが。
これって、18世紀のフランス人が唱えた学説らしいのですが、どなたか聞いたことがあります?もしかしたら、すでにどなたかが掲示板で書かれているかもしれませんね。


>ところで・・・
最近、途上国に行く機会が多いんですが、国連やJICAなんかの援助機関の人間と話していると、もう「貧困格差是正」、「低関税」、「市場開放」等の言葉をよう使いよります。あげくの果てには、「近代化達成」・・・。
なんなんでしょうね、よく考えると、ヨーロッパも日本も実はこれらのスローガンとは、逆のアプローチにより「近代化達成」を遂げたんだよなあ、と。あの香港、実はアジアで一番貧困格差が大きい地域・・・でも誰もそこに援助しようなんてしないし、だからこそ、どん底から這い上がってきた香港人のしぶとく強かなことと言ったら。
例の中国だって、富める者から富めのスローガンで経済離陸を達成したわけで。
いや、開発援助っていうのは、こう考えると先進国の陰謀のような気がしてきますねえ。

ほんと、夜中というのは、妙なことを考えさせてくれるものです・・・。
阿刀田高の小説でも読んで、寝るとしようかな。



#6371 
阿祥 2006/02/07 02:20
台湾で見つけた鄭和の資料

鄭和の事についてはあまり詳しくないのですが、明朝を守備範囲として資料を集めていると、鄭和の事も少なからず出てきます。その中からいくつか紹介します。

一つは、鄭和はイスラム教徒で中東から来た色目人の末裔だと言うのが一般的ですが、そうではなくベトナム方面に勢力のあった鄭という豪族の血筋であるという説です。同じ時代に鄭という姓のベトナムからの使節が多く見受けられることなどから、このような説をたてていました。ちょっと資料が見つからないので正確なところを報告できませんが。

もう一つは、鄭和の事跡はそれに先立つビン(門虫)南人の海外進出をベースにしていると言う説です。「ビン(門虫)南人的海上世紀」という書物に述べられています。タイトルから分かるように、ビン(門虫)南人のことを大きくクローズアップして紹介しているので、若干割り引いて読む必要はあると思いますが、鄭和の寄航した各地で、現地の華僑から熱烈な歓迎を受けた事などから考えると、十分頷けます。
そして、鄭和が、ベトナムに移民した華僑の出身だとすると、これらの事は人つながりに理解できるように思います。

ところで、ぼくもNFさんと同じように江戸初期の朱印船交易から鎖国の流れと、明朝の鄭和の大航海から海禁策への移り変わりは良く似ているように思います。そして、その目指しているところが交易管理だということも十分に考えられます。
江戸時代の交易管理は、徳川家に海外貿易の利益を集中させるための手段としての一面を持っていると理解しています。それに対して、明朝の海禁策では、明朝は朝貢という、面子をたてて商売としては赤字になる方策を取ったと一般的には言われています。しかし実のところ、正規の朝貢以外にも、私的にさまざまな貨物を使節は持ち込んでおり、それがかなりの利潤をもたらしたというようなことも、琉球の資料などを読んでいると書かれています。そのような事から、朝貢貿易という名の下に、もしかしたらビン(門虫)南人が交易の独占を図ったというみ方もできるんじゃないかと思っています。そのための巨大なアドバルーンとしての意味が鄭和の大航海にはあったのじゃないかということです。



#6370 
NF 2006/02/07 01:07
鄭和艦隊の歓待は…

>孟きょう様、徹夜城様
鄭和艦隊に関しては、正直不勉強だったので色々教えていただきありがとうございます。確かに、考えてみればわざわざ巨費を投じて大事業を起こすような問題ではないですね、建文帝生存疑惑は。寧ろ即位の状況が正統性を欠くものであったために目に見えるド派手な業績を上げることで権威・支持を勝ち得ようとしたというところでしょうか。モンゴル遠征も国防上の必要性もさることながらそうした線で考えると納得しやすいかな、と今は思ってるわけですが。そう考えると次代で中止されたのも良く分かるわけで。しかしやっぱりそれ以上の理由は思いつかない…。モンゴル支配時代に頂点に達した海上交易の最後最大の余波ということでしょうかね。ただ、鄭和艦隊も海禁政策も国家による交易管理を志向しているという点では共通している気が。日本の朱印船貿易と鎖国みたいに。



#6369 
孟きょう 2006/02/06 23:57
「鄭和特番」結局観れませんでした・・・

 いや〜、見たい番組に限って見るのは時おり困難なもので・・残念。
  >NF様
鄭和の航海に絡んで建文帝探索の話はよく出てくるし、小説のネタにもよくされるほどこの件は明朝でもかなり知名度が高いですよね。ただ私も航海目的としての建文帝消息探しにはややながら疑問気味なんですよ。永楽帝にとっても建文帝の消息は「やや気になる」程度だったかなぁと。甥の消息は「自害した、討ち取られた」等よりも「炎の中に消えてしまった」という曖昧な形の発表の方がソフトな感じで永楽政権にとっても助かる点が大なわけで。当時の永楽帝にはやはり靖難の役後のテーマがあまりにもシャレにならないほど山積み(北京を中心とした北辺防衛ラインの再構築。削藩政策の継続。減少した軍馬の量産。周辺王朝との国交関係の再構築。大運河の改造。役人の南北問題の改善等)すぎて、中々そこまでは気がまわらないというか・・。鄭和の大航海もやはり靖難の役から来る政治的問題あっての事じゃないかなあと私は思いますね。洪武期も当然明朝は各地に多数の使節を派遣して朝貢、正統性の承認を求めてそれなりの体制造りに成功しているわけなんですけどそれが靖難の役で建文朝が崩壊した事により、冊封体制のかなりの部分をやり直さなければいけなくなったんですよ。永楽政権がそういう必要に迫られた時に「モンゴル帝国が拡張した海のイスラムネットワーク。永楽帝周辺の元朝的人脈」に乗っかからせていただいたというか、元朝の遺産を明初の国力のエネルギーで燃焼させたというか・・。
 ただ私も大航海が永楽年間何度も繰り返された理由はわからないんですよねえ・・1つにはひょっとして永楽帝のモンゴル親征よりかなり低予算で済んでいた可能性があるのかな、と。モンゴル遠征はシャレにならないほど経費がかかっておりまして、大臣一人が自殺、もう一人は獄につながれたりしてますので。かなりヘビィな台所事情があったようで。それにくらべれば南海遠征はかなり効率的な「何か」があったのかなあ?(ひょっとしたら船の大きさや構造そのものが弘安の役の江南軍の船が少し丈夫になったマイナーチェンジレベルですんでいた、とか)。安全な海路もかなりあったんでしょうね。ただその南海遠征の経費も明初、永楽期を過ぎれば「シャレにならん」と中央で考えられたり、それが宦官勢力へのけん制と絡んでいったのかなあなんて何の根拠も無く考えてみたりして。



#6368 
NF 2006/02/06 23:41
少し頭を冷やして(苦笑)

風刺画騒動、脳内汚染に共通して言えることは、
絶対悪なるものがあるとは考えるな、そして相手にも言い分があることを考えTPOを弁えろということでしょうね。ついでにこれは日中・日韓の騒動にも言える事ですが。



#6367 
NF 2006/02/06 23:09
ありゃりゃ

下の僕の書き込みですが「兵器で断言」は勿論「平気で断言」の間違いです。やっぱ感情的になってたんかな(苦笑)。



#6366 
民本主義者 2006/02/06 22:58
昔とったワーディーの跳ねつるべ(?)

船頭の孫様、ありがとうございます。
「ターバンに爆弾を仕込んでいる絵」とは、聞いておりましたが、
http://www.uriasposten.net/pics/JP-011005-Muhammed-Westerga.jpg
こちらを見て納得。
このターバンに書かれている文字はアラビア語でして、
laa ilaaha illallaah muhanmad rasuul llaah(私個人の流儀のローマ字化です)
ラー イラーハ イッラッラー ムハンマドゥ ラスール ッラー
(アッラーの他に神は無く、ムハンマドはアッラーの御使いである)
と書かれています。
モロに、イスラム教徒の信仰告白の定型表現そのものです。
いい加減にデタラメな諷刺画を描かれたのならまだしも、
なまじ一部が正確なだけに、余計に怒りを買ったのではないでしょうか。

証拠にこんなサイトを見つけました。
http://www2.dokidoki.ne.jp/racket/urwa2-3.htm
こちらではイスラームの信仰告白がカタカナのアラビア語で解説されており、
http://en.wikipedia.org/wiki/Shahada
こちらの英語の解説にはアラビア文字が載っていますので、上記のターバンの
文字と、視覚的に比認・同定することができます。



#6365 
NF 2006/02/06 22:36
漫画とゲームと(って何か違うなあ)

>ムハンマド風刺画
すでに言いたいことの大半は徹夜城様が述べられた通りなんですが…。
風刺画は毒を持っていて何ぼなので、表現の自由を重視するのは分かるんですが、今回はその毒を向ける方向が拙かったかなと。大半のムスリムがごく普通の人間であり、その信仰の対象をこき下ろしたのだから誹謗中傷といわれても仕方ない。ま、そうでなくとも表現の自由で許される範囲と誹謗中傷との境目は難しいのですが…。
で、ムスリム達も、怒るのは当然ですが、大使館を焼き討ちしたり暴力行為に出るのは肯定できませんな。僕はムスリムではないのでこんなこと言う資格はないのでしょうが、イスラムの教えが正しいのならば最後の審判が来た暁にはアラーが「不届き者」は悉く然るべく処断されるはずなので現世でムスリムが過剰に反応することはないはずなのですが…。「我らの手で制裁を」という考え方が寧ろ「アラーの配剤」を本当には信じていない証拠、という見方もできるわけで。大体、過剰反応で一番困るのは、イスラムのイメージダウンを直接こうむることになる欧州在住のムスリムなんですがねえ…。
ま、この件で双方に言えることは、誰しも信教の自由・思想の自由・信条の自由・表現の自由は有するが公共に対してはTPOを弁えなさい、ということですかね。
それにしても、今回の騒動で西欧とイスラム圏の関係が日本と中国・韓国にダブったのは僕だけではないはず。
>鹿島茂氏
確かに、一読して若者や子供より筆者の脳内汚染の方が心配になる内容ではありました(苦笑)。それにしても、著者も医者のくせして科学的裏づけもないであろうことを兵器で断言してくださること(科学的裏づけがあったらあったで問題、人体実験してることになるでしょうから)。「ずっと飽きが来ないほどに、エキサイティングなものとなったゲーム」って、技術の進歩とエキサイティングさとは別物だし、寧ろ僕は最近のゲームはすぐ飽きてしまいファミコン時代が無性に懐かしくなることもあるのですが…。ま、長時間ゲームをすることが良くないのは同意しますけどね…。「『悪い敵』を攻撃してもいいという考えを強化し、それは、とりもなおさず、思い通りにならない存在は攻撃すべしという態度や考え方を強めてしまうのである」という言葉が御自身に跳ね返ってきていることにお気づきでないのがなんとも。…ちょっと、感情的になってしまいました。ひとまず筆ならぬキーボードをおきます。ネットは麻薬らしいですし(笑)。




#6364 
船頭の孫 2006/02/06 21:06
黄金の日々と倭寇

実は、「黄金の日々」は倭寇も出てきます。

主人公が幼いころ生き別れになって行方不明になっていた船乗りの父親が、
実は倭寇に捕らえられたまま頭目にまで出世していて、
その父親に舟を拿捕された助左衛門が、今井宗久の娘から伝授された銃弾摘出手術法
によって、父を救うという場面です。



#6363 
船頭の孫 2006/02/06 21:01
危ない風刺画

件の風刺漫画ですが、掲載されたユランズ・ポステン紙でぐぐればどうかなと思って、"Jyllands-Posten"でイメージ検索してみたら、見事に引っかかりました。

http://images.google.co.jp/images?q=Jyllands-Posten&hl=ja&lr=lang_ja&ie=utf-8&oe=utf-8&client=firefox&rls=org.mozilla:ja:official&sa=N&tab=wi




#6362 
アール・ケイ 2006/02/06 20:33
ええっ、『黄金の日日』を見てないなんてダメじゃん(笑)

私も鹿島茂氏の評には目を疑いました。
(よくは知りませんが)あんな理知と博識のひとが…。惜しい人を亡くしました(笑)。

タイムスリップものについては語りだすとキリがありませんので、
いまは控えます(笑)。




#6361 
徹夜城(受験シーズンまっただなかの管理人) 2006/02/06 14:22
転載は忘れた頃にやってくる?

 漫画というより戯画といったほうが的確なのかな。まぁもともと「漫画」ってのも本来はひとコマ漫画みたいのを指すわけで。

 ブッチャー3世さんもお書きですが、デンマークの新聞がムハンマドとテロイメージを結びつけるような戯画を載せたということで世界的大騒動になっております。日本国内ではさすがに転載するマスメディアはなさそうな気がしますが、TVではモザイクかけて紹介したところはあったようです。
 まぁ確かに「表現の自由」は大切なのですけど、ある信仰を持つ人の逆鱗に触れるものをお笑い(風刺ということなんでしょうが)として描くというのは不注意というか失礼ではありますよね。この件でむしろバチカンが戯画掲載に対して批判的な声明を出してるところも宗教者同士通じるところがあるんでしょう。ただ、そうした宗教的・政治的な圧力をはねのけて「自由」を獲得してきたという自負があるヨーロッパの知識人たち(風刺漫画家の歴史は迫害の歴史みたいなもんだし)には、カチンと来るであろうことも予想はできます。だからムキになって転載してる新聞があるわけで。
 また、イスラム側の抗議行動も一部単純に過激化してるのも困ったもんです(デマ飛ばして煽ってるのもいる)。戯画の内容に対して「イスラムは平和の宗教だ!」と批判するのは結構だけど、その抗議が暴力行為になっちゃったら戯画の風刺を裏打ちすることになっちゃうわけで。

 ヨーロッパにおけるムハンマドの負のイメージは根が深いですからねぇ。ダンテの「神曲」でもムハンマドを地獄に落としてましたし。
 ただ、ムハンマド自身が言ったとされることを見る限り、この人の肖像を描くなとかいろいろ神格化して扱うのも、あくまで普通の人間であることを強調したという本人の意思に反するのではないかという気もします。もっともこの辺はいろいろややこしく、肖像を描くことそれ自体が彼を偶像化して崇めることになっちゃうから問題、というのが多数派意見のようで。
 「ザ・メッセージ」というムハンマドの伝記映画がありましたが、後姿しか見せてませんでしたね。なお、映画の伝言板にも書かれてますが、この映画の監督もテロ攻撃の犠牲となって亡くなられています(別にその映画のために狙われたわけではなく、単に巻き込まれただけです、念のため)。
 それにしてもイラン政府はこの騒ぎに便乗する形になっちゃってるなぁ…


>脳内汚染
 ほほう、こんなのが出てたんだ。どうも版元の文春には以前から「ゲーム脳」信奉者がかなりいるような気がしてます。
 それにしてもその本自体の主張はとくに目新しくもありませんが、鹿島さんの書評の過激さにむしろ驚かされますね。なんか、一部で自分の思うところにバッチリ合致するところがあって、そのままグイグイと本の主張を鵜呑みにしてしまったような観があります。脳とか精神関係の「専門家」と称する人たちって他者にはわかりにくいのをいいことにいい加減なこと言ってる人がいるから要注意。


>タイムスリップネタ
 ブッチャー3世さんがお書きになっていたのは藤岡弘、が出たアメリカ映画「SFソードキル」ってやつだったかと。僕は未見ですが紹介記事は読んだことがあります。

 いしいひさいちの「バイトくん」に一編でこんなのが。
 駅の窓口に一万円札を出して両替を頼んだら、窓口の駅員が札を手にして「えー!一万円!」とビックリ、そのまま「い〜ちま〜んえ〜ん」とパニック状態に。そこへ他の駅員が来て…
「この人、昭和3年からタイムスリップしてまだ間がないから」
「そんなもん置いておくな!」


>昭和といえば。
 先日、いつの間にか財布の中に昭和二十七年の「ギザ十」が紛れ込んでいることに気づきました(いつ入手したか記憶にない)。昭和二十八年のには割とよくお目にかかっている気がしましたが。
 ふと思いついて探してみたら、やっぱりあるんですね、「ギザ十」専門サイトが(笑)。
「ギザ十倶楽部」
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Icho/7932/


>お金で連想。
 つい先日、大河ドラマ「黄金の日日」の総集編の第一巻を初鑑賞。当時の市川染五郎、現松本幸四郎が主役・呂宋助佐衛門を演じた大河ですね。ええ、専門は割と近いくせに未見でした。いやぁ、噂には聞いていたがなかなか面白い。
 若い頃の助佐衛門と秀吉(緒形拳)が仲良しだったという設定で、両者の交流の小道具として「永楽通宝」が使われています。「明の国から入ってきた銭だ」という台詞もありました。まだ第一巻しか見てないのでそれが描かれるか分からないけど、その後天下をとった秀吉は実に平安時代以来の国産貨幣を作る事になるわけで、なかなか意味深な台詞だなと。
 ちなみに国産貨幣製造は後醍醐天皇の建武政権も画策はしたんですよね。しかも紙幣発行まで視野に入れていたりしたんですが、どうも実行はしなかったようで。



#6360 
ブッチャ−3世 2006/02/06 12:12
ムハマンドの絵

何か風刺画の掲載で、大騒動になってますね、何か
ずいぶん前も小説で描かれて大もめ しましたが。
くだんの画を見てないんで、よほど、ひどい絵なのか
どうか分からないんですが見たかたおられます?

過去から現代へタイムスリップの映画といえば
仮面ライダ−初代の役者がタイムスリップして現代へ来る侍の
役をやったのを思い出しました。



#6359 
ひで 2006/02/05 22:27
焼きが回った?

まさか鹿島茂がねえ・・・。

>タイムスリップもの
現代から過去に行くんじゃなくて過去から現代に来ちゃうと言うパターンですが、たしかジャン・レノ主演の中世フランス貴族が現代アメリカにタイムスリップすると言うコメディ映画があった記憶が。

http://pezetairoi.hp.infoseek.co.jp/


#6358 
貧乏神 2006/02/05 19:18
タイムスリップもの

「タイムスリップもの」ジャンルができたら、当然、「幕末未来人」は入りますよね。(^^)

しかし、タイムスリップものというのは、行った先の時代を舞台にした作品、で片付けて
しまえるものが多いのですよね。時代別の分類でくくれない作品というと、小説ですが、
豊田有恒の「タイムスリップ大戦争」くらいしか思いつかない。

あと、最近みつけたトンデモ。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/news/20060115ddm015070135000c.html

既に各処で話題になってるし、ゲーム脳の焼き直しでしかないんですが、毎日の書評で
堂々と扱ってしまったあたりが新機軸(?)かと。



#6357 
たらちね小僧 2006/02/03 20:11
漫画でタイムスリップものといえば

江戸時代にタイムスリップした現代医師「JIN」が主人公の
「JIN」という漫画がありました。



#6356 
徹夜城(ハイビジョンにはまだ手が届かない管理人) 2006/02/02 23:10
鄭和特番はどうだったのかな。

1日・2日の放送はもう済んだんじゃないかと思いますが、どなたかBSハイビジョン見られた方は感想なり書き込んでくださると嬉しいです。

>ななさん
 鄭和艦隊を語る上で、鄭和がイスラム教徒であったことがかなり重要な意味を持ちます。祖父か父親はメッカ巡礼を済ませていたようで、彼自身も恐らくアラビア語・ペルシャ語が堪能だったのではなかったかという推測もあります。そのことが永楽帝に「西洋下り」の指揮官をおおせつかった大きな理由なんでしょう。
 資料で追える限りの鄭和艦隊の航路は唐代ごろからイスラム商人たちが利用していた航海ルートをほぼそのままなぞったものだと言っていいと思います。鄭和艦隊は当然イスラム系の水先案内人に導かれて航海を行っていたと思われ、決して未知の大海へ乗り出すといったものではなかったのです。実際、マラッカ辺りまでは沿岸航海、インド洋を突っ切る時にイスラム仕込みの北極星観測を利用した航海を行っていることがわかっています。鄭和自身は行けませんでしたが、艦隊の一部は彼の代理としてメッカまで行ってますね。
 鄭和艦隊の一部が東アフリカまで到達していますが、これもイスラムの貿易ネットワークにそのまま乗っかった形です。ですから当時のイスラム商人たちが行った形跡がないらしいアフリカ大陸大西洋側にはとても行けなかったし行く必要も感じなかったであろう、ということなんです。少し後にポルトガル人たちが逆コースからやって来ますが、彼らは「インドに到達する」という明白な意図があり、東アフリカまでくれば後はイスラムの水先案内人をやとってインドまで来ています。コロンブスは相当な賭けをしたとは思えますが、本来はアジアへの航路を発見するという意図があったわけで、彼らに鄭和とは違った目的意識があったことは考慮しなくちゃならないでしょうね。
 もちろん鄭和艦隊の一部が勝手にどんどん行っちゃって、それっきり帰ってこなかった、という事態が起こる可能性自体は否定しませんが、そもそも鄭和艦隊派遣の意図に「未知の世界へ乗り出す」といった冒険心はあまり強くはなかっただろうと僕は思っています。


>NFさん
 と、上の書き込みから続くのですが、鄭和艦隊派遣の目的というのはまだまだ謎が多い…というか、推測はいくつかできるのだけど、結局は永楽帝のみぞ知るというものなので断定的結論が出ないんですね。
 消息不明の建文帝を追って…というのも説の一つとしてはあるんですが、仮に生きていたとしても永楽帝が恐れるほどの影響力があったとも思えない人物を追ってあんな大事業を起こすというのはやはり無理があるというのが大方の意見でしょう。あるいはこの大事業を起こすにあたって反対する「抵抗勢力」(笑)に対する説明としてそんなことを言ってた可能性はあるんですが。あと、父の意思に背いて甥から「簒奪」したという汚名を払拭するための大デモンストレーションという見解もありますね。
 貿易の実利を求めてでは、との意見もあります。でも朝貢貿易って完全に中国側の貿易赤字なんですよね(笑)。まぁ異国の珍品を得られるというメリットはあったでしょうが…アフリカのキリンなんかも連れてきてますし(笑)。赤字黒字よりはまだ新帝国であった明を中心とする、モンゴル帝国に匹敵するような世界秩序を組み立てようとした…という方が説得力があるように思います。この辺は杉山正明氏言うところの「クビライの挑戦(モンゴルの海洋帝国化)」を永楽帝が実行した、と見ることもできるでしょう。
 もっとも結局のところ鄭和のあと明朝はこうした「世界戦略」はすっかり放棄してしまうので意図するところが余計よくわかんなくなっちゃったんですよね。鄭和関係の公文書などがその後「抵抗勢力」によって廃棄されているところを見ると、「気宇壮大ではあるが、金がかかるだけの無駄な事業」とけむたがられていたことが考えられます。
 変な例えですが僕などはアメリカのアポロ計画を連想してしまうのです(笑)。してみるとやはり国家の威信をかけたプロジェクトだったのかな。

 鄭和が日本に来た、ってのは、ややこしいことに文献資料があるんです(汗)。僕が海賊コーナーに挙げている『日本一鑑』にもバッチリ書いてある。しかし日本側にまったく呼応するものがないのです。どうもこれは資料の読み違いに由来するものらしいのです(簡単に例を書くと「鄭和行印度日本来朝」という文は本来「印度」と「日本」の間で二文に切れているが、句読点がないために「印度日本に行った」と読んでしまう…)。また明代中期以降には鄭和艦隊のことも伝説の領域に入ってしまい、どこまで真実だか分からない状況だったことが背景にあるようです。まぁ「アポロは月に行っていなかった」というアポロ陰謀論みたいなもんかと(笑)。
 そもそも鄭和みたいな目立つ人(これは同時代人の証言がある)が来たら義満周辺が絶対記録してると思うんです。それでなくても義満周辺は国際人が多かったですから。



#6355 
NF 2006/02/02 01:23


>鄭和艦隊
確か、周辺諸国に天子の威光を知らしめることが目的で、裏の目的として落ち延びたといわれる建文帝を捜索するというのがあったそうですね。だとすると、比較的近い国々を優先して、確実な情報に基づいて動く気がします…。してみると来日説は根拠がないでもないのかな。ま、来ていたとしても快挙といえることでもないのが残念。



#6354 
なな 2006/02/02 01:13
1421

>鄭和艦隊はアメリカ大陸方面に行く用事も行く手段もないはず
あらまー。そうなんですか?
東南アジアからアフリカ東海岸までは、(沿海)航路も補給基地も確立された、既存のルートを通ったってことでしょうか?
たしかに、未知なる大西洋を横断できる技量があるなら、その前にインド洋の横断を試みていてもよさそうだ。
アフリカの西海岸にも補給や補修のできる港をいくつか確保しておかなくちゃね。

ヴァイキングが北米大陸に残したような、もっと確実性のある痕跡でも見つかったのかと思ったんですけどねぇ。
漢字を刻んだ石碑とか墓石とか。中国製の陶磁器とか。
「世界ふしぎ発見」で取り上げていた、あのニワトリは何だったんだろう?(笑)

「喜望峰を越えて西に向かった中国船」というのは、やってみた人は実在したのかもしれませんね。
んで、あの地図の文言の口振りだと、きっとそれきり戻ってこなかったのよ…。



#6353 
NF 2006/02/01 23:13
補足説明

↓「ジパング」は横山光輝作でなく、かわぐちかいじ作です、念のため。



#6352 
NF 2006/02/01 23:12
映画じゃないですけど

>徹夜城様
>北条政権→建武新政→室町幕府
北条政権は台頭する商業勢力の取込を図ったけれどこれまでの主力であった農耕民・農地経営者(武士)とのしがらみを断ち切れず対応しきれず倒された、つまり抵抗勢力(笑)が強すぎたということになるんでしょうか。そして後を受けついだ後醍醐は既存秩序破壊者・革命的独裁者としての性格が強かった。が、あまりに急進的だったのと、朝廷や頼みにした商工業者の社会的実力が不平分子を押さえつけられるほど強くなかったため失敗。次の足利氏は直義は勿論、尊氏も志向としては寧ろ保守的だったが武力の基盤となっていた新興豪族に引きずられる形で徐々に後醍醐らが目指した方向へと進んでいった、そしてそれが完成しかかった時に義満の出番になったということになるんでしょうね。足利氏は回り道をして進んだので何とか成功したという印象があります。
>タイムスリップもの
映画は余り見ないので漫画や小説で言うと…。横山光輝「時の行者」は確か破滅した未来から過去を変えるためにタイムスリップした相方を探すために主人公が後を追って近世日本にやってくる、そして進歩した科学力を示すこともあるが基本的に時代に介入はせず観察者であるという話だったと記憶しています。他に、現代自衛隊のイージス艦が太平洋戦争にタイムスリップして歴史が展開する「ジパング」というのもありますが、いつの間にか読まなくなったなあ…。
あと、小説では柘植久慶「逆撃」シリーズが確か歴史作家で数ヶ国の軍人の血を引く主人公がタイムスリップして歴史的な会戦の帰趨を変えることで歴史を転換させようと試みるシリーズだったと記憶しています。作者自身の戦闘経験を生かそうとしている(大部分の作家にない貴重な資源といえます)こと・超兵器を持ち込まず同時代に存在する条件の範囲でやり方を変えることで未来を変えようとしていること・「歴史の復元力」を尊重している(主人公が奮闘するも歴史の大筋は結局変わらない)こと・太平洋戦争もののような流行に安易に手を出さないことなどは評価できるのですが、第二次大戦以降の軍隊・社会を前提として作戦を考える傾向がある、対象とする時代や歴史の流れを本質的には理解していない節がある、目の前の戦場に気を取られて大局観を失っている感が無きにしも非ず、といった問題がある気がします。



#6351 
徹夜城(図書館から盛大に本を借りてきた管理人) 2006/02/01 17:06
タイムスリップ映画

>流星くんさん
 実は以前から「歴史映像名画座」に「タイムスリップもの」の分類を立てるかどうか悩んでるんですよね(笑)。広い意味での歴史劇には違いないですし。
 初代の「戦国自衛隊」、昨年改めて鑑賞しましたが、なかなか出来がいいですよね。現代の戦車や戦闘ヘリが意外に戦国の鎧武者軍団と違和感なく同居しているという不思議(笑)。やはりミリタリーファッションは時代を超えた普遍性があるのかとか重いまして。
 昨年作られたリメイク版は合理性を目指しすぎたといいますか、面白みはあまりないんだよなぁ。結局「自衛隊vs自衛隊」という構図になっちゃってましたし。

 アニメ作品ですが、眉村卓の原作を角川アニメで映画化した「時空の旅人」というのもありました。原作とはだいぶ異なるんだけど、これも本能寺の変に介入するストーリー(原作では介入しようとする程度だったような)。

 外国映画では流星くんさんもお書きの「タイムライン」がありましたね。あれはむしろタイムスリップの理屈付けがいかにも「ジュラシックパーク」のマイケル=クライトンだなと思ったものです。歴史学者が自分の専門の時代にタイムスリップして…というシチュエーションは歴史屋としては必ず思い描くものではないかと。

 他にはアメリカ映画で「ファイナル・カウントダウン」が。現代のアメリカ空母が真珠湾攻撃の直前にタイムスリップ。F14と零戦のドッグファイトというとんでもないシーンが見られます(笑)。まぁ結論はミエミエで肩透かしを食うんですが…
 ほかになにがありましたっけね。



#6350 
流星くん 2006/02/01 12:28
日本テレビ・戦国自衛隊

ちょっとだけ見てました、なにか、恒例でやっている
ドラマ「時空警察」と似た感じをもったのでしたが同じテレビ局?
最初の映画「戦国自衛隊」はレンタルビデオで見て、
ほかにタイムスリップものではタイムラインて映画も見ました、
百年戦争の前期でジャンヌ・ダルクに似た少女の例があったのは
意外でしたが、映画じたいは、ラスト、きっちり正史をねじ曲げ
ちゃいます(爆
こういう創作は歴史考証も何なんですが、それ以前にSFである
ことを意識して、もっと、しっかりとしたタイムスリップの造詣も
必要なんじゃないかと思います、あまりに時間移送の効果の場面が
しょぼいので、最初から、がっかりするんですね、それさえ一定の
レベルを達していれば多少、歴史考証が変でも、愛嬌なんですけど。



#6349 
徹夜城(真田太平記DVDをあと3話で見終える管理人) 2006/02/01 01:01
「太平記」あれこれ。

 まず真田の「太平記」ですが(笑)。
 DVDも見続けてとうとう大坂夏の陣。草刈正雄の真田幸村(池波さんの原作でもあれこれ言い訳した上で「幸村」で通してましたね)も家康まで後一歩まで迫りながら死んでしまいました。これが東映の「真田幸村の謀略」になりますと…(以下自粛)
 幸村の子・大助は片岡孝太郎さんだったんですねぇ。そう、のちに後醍醐の子にして尊氏の子を演じてしまいました(笑)。

 不肖デルタさんが書き込まれていた手塚治虫の「太平記」ってのは、アール・ケイさんもお書きのように「スーパー太平記」だと思われます。もっとも「平原太平記」ちゅうのもあるんですな、これが。
 「太平記」自体は、特に戦後は大衆的人気を得ていないのですが、「なんだかんだと大騒ぎ・大混乱が続く話」に「○○太平記」の名がつくということは結構ありますね。「台所太平記」「サラリーマン太平記」なんてのもある(笑)。


>NFさん
 この鼎談でも触れていましたが、戦後一時期あった建武新政=時代錯誤の復古政権という見方を改めていった一人が佐藤進一先生であるようですね。実は北条政権→建武新政→室町幕府というのは連続性があるんだという議論がこの本でも出てきます。そして「後醍醐が挫折した事を義満が達成したのかもしれない」という趣旨の発言も出てくるんです。

>アール・ケイさん
 池波正太郎さんじゃないけど、歴史家も自分が専門にしてる部分で、しかも思い入れのある人物がどう描かれるかはかなり気になるんですよ。特に直義のキャラは史実で浮かびあがるものからはかなりかけ離れていたことは否めません。脚本の池端さんも佐藤さんの著作も読み込んだようですし、ある程度わかっててやったかもなぁ…とも思ってますが。
 そもそも僕なんかにいわせると尊氏のキャラも違うわけです。もっと感情の起伏が激しくてよくわかんない変人ですから(笑)。池端さんも大河ストーリー本の座談会で尊氏のヘンなエピソードに言及してましたから分かってはいたんでしょう。しかしドラマの主役としては視聴者が共感できない変人には出来ず、わりかしまっとうで結構くよくよ悩む人になっちゃった。その結果としてそれとコンビを組む直義が熱血タイプになったのかなあ…と想像しています。
 もっとも直義にも熱血な逸話もあるんですよね。ドラマでカットされた九州・多々良浜合戦の際、敵の大軍を見て戦意を喪失しちゃった兄貴を励まして直義が決死の勇猛ぶりを見せ、弱腰な家臣を笑いものにしたという話が「太平記」に出てきます。

>孟きょうさん
 赤松則佑、いいですよねぇ。僕も「ムロタイ」でかなり出してあげましたが、実に波乱万丈な人だと思います。細川清氏が南朝軍率いて京都に突入したとき、幼い義満を則佑が白旗城に迎え入れて、いろいろとエピソードを残してますね。


>不肖デルタさん
 鄭和かコロンブスか…ではなく、そもそも鄭和艦隊はアメリカ大陸方面に行く用事も行く手段もないはずなんです。鄭和艦隊の実態は詳細不明とは言われますが史料的にそこそこ追えるもので、喜望峰の先まで回っていればそういう痕跡は残すはずなんですね。
 もちろん最初にアメリカ大陸に行ったのはインディオの先祖でありましょうし、ヴァイキングが到達していたという話もあるわけですが(笑)。

 関連することですけど、「間宮海峡」だって間宮林蔵が行く以前に現地の住民達は当然知ってたわけですよ。だいたい間宮林蔵自身海峡渡って清の役所に行ってますし、それより100年近く前の清の地図に海峡自体は載ってましたし。
 ただ面白いもんでその地図に載る「樺太」はあくまで大陸側から見た樺太の北部のみで、逆に日本側からは蝦夷地と南樺太の位置関係、その先がどうなってるかはよくわかってなかった。それが最終的に結びついて地図になったあたりに林蔵の功績があるという具合です。



#6348 
アール・ケイ(手塚番(笑)) 2006/01/31 23:39
逆突っ込みとフォロー(笑)

だいたい『太平記』(それ自体)の映像化なんて空前(そして絶後?)なんだから、
尊氏にしても直義にしてもどういう人物か
よく分からないで書いてるし演じてるわけでね、
その批評はちょいと厳しすぎまさぁ。
そういうひとは『戦国自衛隊〜関ヶ原の戦い』の雑さを見てよ(爆笑)。

手塚さんのそのマンガは『スーパー太平記』ですな。
これまたタイムトラベルが絡んだ時代劇SFであります。





#6347 
NF 2006/01/31 22:41
直義とか義満とか

>徹夜城様
「日本中世史を見直す」、昔読んだ覚えがあるんですけど、内容をかなり忘れてしまってます(苦笑)。もう一度本棚から見つかったら読み返してみたいものです、今もう一度見るとあの頃できなかった新しい発見がありそうな。
「直義は遅く生まれすぎた」は確かに納得した覚えがあります。というより、直義の基本的性質(くそ真面目、無趣味で仕事第一、公正を重んじる、戦向きでない)が尊氏を始めとする他の足利一門とは異なっていて歴代北条氏(高時は別ですが(笑))の方が近いように思うのです。代々、北条氏と婚姻関係だったからそっちの血の方が濃かったのかな、などと思ったりもします。ゲームで「政治」がないのも残念ですが、軍事能力が高めに設定されている辺りも違和感があったりして(笑)。ま、あのゲームの場合はそうでもないと取り得がなくなってしまうので。
>「後醍醐と師直」
共通点は好色に加えると権勢欲が強く秩序破壊者というところでしょうか。個人的には後醍醐と義満の方が似ている気がします。前述の共通点に加えて唯我独尊な面も加わるので。
>プレ戦国
他には、越前の朝倉や安芸の小早川なんかもこの頃に出てきていた記憶が。応仁の乱の後に下克上する面々は主なものは名が見えるわけですね。時代の分岐点という面では戦国より南北朝の方が強い(戦国はその完成)、という自説に我田引水するには都合よいです(笑)。



#6346 
雑賀同人 2006/01/31 21:22
掲示板で書かれた事を

>景虎さん
あなたは、ここの掲示板に書かれたことを細かいところまで
チェックして、少しでも間違いだと思ったら批判して指摘なさる
ところは立派だと思います、わたしの書いたことは、例えが多くて
不明瞭だったと後から思い、あまり真剣に突っ込まれると正確で
ないかもしれません、用語という点で「足軽」という言葉は
誤解が多いので、もしかしたら「鉄砲足軽」なんて言葉は
存在しないかもしれません。で、書き方を替えますと
私が書きたかったことは、鉄砲伝来から数十年は、
鉄砲技術は世間に広まる時間がかかり、そういう準備期間では
最初に伝播し精通した階層が、それを利に活躍し
鉄砲関連技術が世間に広まったら、そういうプロたちも用済同然
鉄砲は普及段階の時代になった、プロでなくても鉄砲を撃てる時代に
なったのではないか、というような事を書きたかったのでして。
ちなみに、あなたが相撲とか体操とか例えて書いて下さいましたが
結局、何をおっしゃりたいのか私にはよく分かりませんで(汗
すいません。
それと過去ロムを読んだら、あなたが火縄銃は、そんなに重くない
普通の火縄銃は重くない、と書いているから軽い銃が一般的
みたいな表現に見えたんでしょう。



#6345 
景虎 2006/01/31 20:58
補足

>船頭の孫さん
よく読んでみると、『狭義の武士身分』と書かれてますね。すると、『広義の武士身分』には、農地経営者を含むという事でしょうか?もしそうだとすると、私の勘違いですね。

狙撃と一斉射撃について補足すると、足軽隊の集団戦法が発達した時代には、やはり一斉射撃で弾幕をはったのではないかと考えています。『薩摩日置流腰矢』などは、前後二段の弓隊が交互に発射しつつ前進し、最後に槍隊と交代するそうですが、このような戦法では弾幕をはることを重視するのでしょう。
また、騎射が減少し、素人の動員が増えたという源平合戦でも、弓矢による弾幕を矢衾と表現しているようですから、素人中心時代には、このような戦法が増加するのではないでしょうか。



#6344 
景虎 2006/01/31 20:32
ドラマ版、戦国自衛隊もうすぐ放送ですね

>不肖デルタさん
???
『銃は軽けりゃベスト』とは書いてませんよ?それに類する事も書かれていないはずです。
M16とAKの重量については
http://ja.wikipedia.org/wiki/M16
http://mgdb.main.jp/pukiwiki/index.php?USSR%20AK47
に書かれています。

>雑賀同人さん
射撃の選手と一般兵では、比較にはならないでしょう。相撲に例えると、分かりやすいのではないかと思われます。
現代の相撲は昔の相撲と違って、危険な技を出来る限り削除してますから(危険がまったくないという事ではありませんが)、経験がなくても相撲は取れます。チビッコ相撲大会を観ればよくわかるでしょう。だからと言って、素人がプロの世界である大相撲に出場できる訳ではありません。相撲とまったく同じではないですが、このような事は射撃にも当てはまるのではないでしょうか。
相撲が分かりにくければ、ボウリングと体操でもいいですね。素人でもボウリングは出来ますが、プロボウラーになれる訳ではありません。宙返りなどを多用する体操は、難易度が高すぎて素人には無理です。どちらも、一流選手になるのは難しいですが、そこそこ使えるというレベルを目指す場合、難易度が高いものと低いものが存在するのは事実です。
ただ、だからといって、私は弓より鉄砲の方が難易度が低いと主張している訳ではありませんよ。射撃の選手は、比較の対象にならないというだけの事ですから。私の意見としては、どちらの難易度が低いのか分からないとしか書けません。現代の銃であれば、銃の方が簡単だと思いますが、火縄銃となると分からないですね。

>鉄砲足軽は射撃の名人の代名詞でした
そういう話は読んだ事も聞いた事もないのですが、もう少し具体的に教えていただけないでしょうか?

>船頭の孫さん
NFさんが答えてくれてますが、集団戦と個人戦を分けて考える必要があるのでしょうね。鉄砲隊、弓隊といった集団では、狙撃の必然性があまりないでしょうが、個人、或いは少人数で射撃するなら、狙撃がある程度は必要になるはずですから。
それからこれは、刀、槍、組討にもいえる事ですが、流儀武術と流儀として成立していない戦闘訓練を、分けて考える必要もあるでしょうね。戦国末期の砲術だと、稲富流などが著名ですが、足軽鉄砲隊の訓練と同じとは、考えがたいものがあります。このような流儀を積極的に学んだのは一部の武士が中心でしょう(江戸時代になると事情が変わりますが)。ただ、刀、槍、組討と違って、少数ですが弓、鉄砲は足軽用の技術が流儀として残っている場合もあるようです。この違いは、騎射が廃れた為に、飛び道具が足軽を中心として使用されたからでしょう。

>当然彼らは日々自ら農作業に追われるわけではないので
このような人達を農民と言ってよいのでしょうか?
この人達は武士なのでは?江戸時代の学者の中には、武士は農村に帰るべきだと主張した人がいたらしいですが、こういう農民のボスが武士だという考え方があったという事になります。戦国時代に近江守、相模守などを名乗った武士の中には、このような農村居住者が多かったことを考えると、彼らを農民とするのは苦しいのでは?と考えてしまいます。
このような農村居住者の中には、城持ちもいました。そのような城持ちでも、一族全体の領地を合計して数千石〜一万数千石、個人だと恐らく数百石から数千石です。その下にさらに何十人かの武士がいる訳ですから、ある程度の規模の農地経営者は、武士と考えた方がよいのではないでしょうか。農地経営と武士が切り離されたのは、安土桃山〜江戸にかけての事ではないかと考えています。

>害獣撃退の道具は弓矢が主体
害獣撃退については詳しくないのでよく分かりませんが、鉄砲以前のマタギの武器は、槍だったという話をどこかで読んだ記憶があります。害獣撃退史に詳しい人がいたら、一度聞いてみたい問題ですね。



#6343 
孟きょう 2006/01/31 15:31
放送観たいなー

 >鄭和特番 
 何だか放送するみたいですね。幼少期より鄭和は大好きだったので関連番組があれば見てみたくはあるのですが、衛星関係かあ。地上波がまちどうしいですね・・。
 「1421」は読んだ事もあるのですが、なんだかなあ・・。まあ、色々出てるんでしょうが、海洋関連を中心としてイギリスの方々って歴史好きですね(他の西洋諸国もそうなのでしょうが)。
 >徹夜城様
 「来日説」ありましたねー、何かの文庫本で紹介されてた記憶がおぼろげに・・。「楊貴妃来日説」とおなじようなものなのでしょうが、いずれにせよ、スケールの大きい1時代だったんですね。こっちはしっかりした記録の方ですが、金春秋が日本に来ていた事を知った時はメチャ嬉しかったですよ。
 ゲーム「太平記」いやあ、システムがおもしろいですね〜。あとは願わくば足利義満も出してくれれば最高ですよ。(「信長の野望」なら徳川家光、「三国志」なら司馬炎、劉淵など、孫の代というか最終世代みたいなのが出るまで楽しみたいとこが昔からあったので・・)
 出てくる人物の中で赤松則祐がかなり好きなんですが、大塔宮と会ったこともある男がはるか後に幼少期の義満と会ってるなんて、よく考えれば凄い事だなぁなんて思ってしまいます。
 



#6342 
不肖デルタ 2006/01/31 07:43
手塚太平記?

>太平記
ロムを読んだら、ここは手塚マンガが常連ネタ
みたいですが、思い出したのは、お宝鑑定団てテレビ番組で
手塚先生のコミックスでハ−ドカバ−で表紙厚硬版の品が
鑑定されてたなかで、「漫画・太平記」なるものが出て
ました、漫画の話の内容は紹介されなかったんで
タイトルだけで時代設定は太平記時代ではないのか
または丸々、太平記を描いた漫画なのかは分からなかった
のですが、手塚先生が太平記・関連の作品を描いた
という話は初耳だったんで意外な気がしました。

>鄭和かコロンブスか
これは、きりが無い話ですね。コロンブスは行って戻って
これたから歴史に名が残ったのだろうかと思います。
戻ってこなくてもいいのだったら、一番最初に新大陸を
発見したのは、ユ−ラシアの東の端から北米へ移動して
きた人類でしょう(笑



#6341 
徹夜城(深夜に書き込みを続ける管理人) 2006/01/31 01:28
鄭和は来日説もありますから(笑)

>ななさん
 長文投稿をしていたら入れ違いになってしまいました。どうやら同じ番宣を目撃されたようで(笑)。
 僕も見てみたいんですけどね〜とりあえずいずれ衛星か地上波でやるでしょうからそれを待ちます。地上波だと一部編集されちゃうかもしれませんが、あんなに大掛かりに作ったら地上波でもやらないと…というか、地上波でバンバン宣伝してるようなもんだし。
 「鄭和艦隊はコロンブスより先にアメリカ大陸まで行っていた」というネタはギャビン=メンジーズの「1421」ですね。なんかあちらでも結構反響はあったようで、後追いネタも続いているみたいですが。まぁ「神々の指紋」級な話に思えました。



#6340 
徹夜城(電車内でお勉強していた管理人) 2006/01/31 01:21
佐藤先生は直義ファン

 ここんとこ南北朝世界にどっぷり浸かってしまっているため、あれこれ関連書籍を買い込んで電車の中で読んでます。本来「趣味」であって専攻ではないため(一応東洋史畑ですんで)南北朝本でも読んでないのが結構あるんです。
 そんな一冊で今日電車内で読んじゃったのが『日本中世史を見直す』(平凡社ライブラリー、1993年)という本。佐藤進一・網野善彦・笠松宏至の中世史ビッグ3氏による鼎談本です。「中世史」といいましても特に実質南北朝専門家というべき佐藤氏・網野氏が入っているため(世代差も面白い)南北朝時代論議の様相が強いです。
 専門家三氏による鼎談だけに専門的な話題も出てきますが、一般向けを強く意識し、かつ明らかに「好きなことをダベっている」という雰囲気(笑)のため、研究者以外にもなかなか楽しく読ませる本になっていました。

 佐藤進一氏といえば南北朝時代通史としてスタンダードともいえる名著『南北朝の動乱』があります(鼎談内でも「あれが凄すぎたから後を追うのが出ない」とか言われている。1960年代の著作なんですが)。僕も愛読していたのでそこはかとなく感じてはいたのですが、この鼎談の中で佐藤氏が「直義ファン」であることをカミングアウトしてい「おお」と喜んじゃったりして(笑)。いや、当サイトのリンク先にも熱烈直義ファンがいるもので…
 で、面白いくだりがあるんで引用させていただきます。

網野「佐藤先生の直義びいきは誰の目にも明らかにわかるのですけれど、この点、最近のお考えのなかではいかがなんですか」
佐藤「それはあまり変わりません。だからあの、NHKのテレビ・ドラマの『太平記』にはね、大変不満でね。直義はあんな男であるわけがないという…」
網野「あれはミス・キャストですね。一所懸命やってはいるけどね」

 この鼎談は1992年に行われており、大河「太平記」放映の翌年ですから、記憶も新しい時期なんでこの話題が出たんでしょうね。ああ、やっぱり南北朝専門家からみると高嶋直義はミスキャストか。僕も実は当時同感でした。網野さんのフォローのように、熱演じたいについては文句なしですけどね。直義ってもっとクソまじめで陰気っぽく、陽性の尊氏といい対照だったという印象があり、熱血漢タイプで演じる高嶋政伸さんには違和感がありました…といっても、それはもちろん脚本段階の問題なんですが。
 大河『太平記』に関する専門家のコメントとしては、確か「日本歴史」誌上だったと思うのですが座談会があり、片岡鶴ちゃんの高時については絶賛されてた覚えがあります。

 ところで佐藤進一氏の足利直義評ですが、「直義は遅く生まれすぎた」という表現をなさってるんですね。北条泰時とか、そういう時代に生まれていれば…という。南北朝動乱のさなか世の中そのものが変わっていく中で、直義の政治姿勢は保守的であり、「時代を変えようという人間にとっては邪魔者でしかない」存在になった。そして師直らに「仕掛けられる」形になった、とそういう見解のようです。ご本人も認めてますが「直義弁護」の見解でもあるんですがね。
 佐藤氏ではなく笠松・網野氏の意見ですが「後醍醐と師直って実は人間のタイプは似てるんじゃないの」という見方も面白い。少なくとも女ったらしという点は良く似てます(笑)。

 関連することですが、この佐藤氏の講義を受け南北朝を専攻していたという中嶋真氏も、自身がデザインしたボードゲーム「太平記」で政治数値を削除したことについて「直義の魅力が出せず残念」といった文章を書いていました。やはりこの辺も佐藤先生じこみなのかな。

>NFさん
 武将データをごらんいただき、どうもです。
 確かに僕も作業していて改めて「南北朝ってプレ戦国だよな」との思いを新たにしていました。伊達、佐竹、武田、長尾、今川、井伊、竜造寺、島津…などなど。


>鄭和特番。
 先日、「ひで」さんがこちらに書き込まれていた、NHKハイビジョンの特番「鄭和」の番宣を先ほど目撃しました。なるほど、陳凱歌監督が撮ったドラマ部分が面白そう。鄭和が少年時代に宦官にされちゃうシーンやってました(男性はちと背筋が寒くなるかな)。
 しかし気になるのが「喜望峰を越えていたんじゃないか?」とにおわせる話を持ち出してるらしいところですね…例のイギリス人のトンデモ本に刺激された企画だったりして…



#6339 
なな 2006/01/31 01:05
鄭和

ちょぃとお久しぶりです。

NHKハイビジョンで2月の1日と2日でしたっけ?
鄭和を取り上げた番組が放送されるんですってね。
鄭和の人生を再現したドラマの部分は、チェン・カイコー監督の担当とか。

激しく見たいんですけど、あたしンちは地上波しか映りません。(涙)

以前「世界ふしぎ発見」でも鄭和の船団のことを取り上げていました。
実はアメリカ大陸、それも西海岸まで到達していたのではないかという内容で、ワクワクしましたよ。
そう検証して仮説を立てた本が近年出たんですよね。

どうも鄭和と聞くと、未だに鄭成功の親戚か何かかと咄嗟に思ってしまうんですが。



#6338 
NF 2006/01/30 00:24
太平記にはツキもなし?

>徹夜城様
>「太平記」武将ファイル
ありがとうございます、そして矢継早の更新、御疲れ様です。御無理なさいませんよう。しかし、本格的にたくさん登場していたんですな。この時期にはマイナーでもその中には子孫が戦国になって活躍する一族も居たりして、それを見るのもこうしたリストを見る楽しみでもあります。
しかし、中国に南北朝ゲームを扱うサイトがあるのも面白いですね。そういえば、尊氏について述べた中国語サイトもあったし、南北朝に関心がある人がそれなりにいるのかな?何故かは分かりませんが。

>871様
はじめまして。太平記と平家物語の差異についてですが…
僕はそれぞれ好きですが、扱った時代の関係でやはり太平記派になるかなあ。
両者の違いは、一言で言えば徹夜城様がまとめてくださったような事になるのですが、もう少し突っ込んで言うなら…。平家物語の時代は政治の中心層がこれまでの貴族から軍事力を持った軍事貴族と地方豪族に移りつつあったとはいえ、文化的な主導権は未だに伝統貴族が握っていました。また、新興勢力である武士たちも貴族の末端であったり地方有力者であり貴族たちと文化を共有していたといえます。そのため、貴族的な美意識で物語を語ることが可能になったわけです。一方、太平記の時代は伝統的な貴族文化が崩壊しようとしていた時代の話。その一方で、これまでは表舞台に出なかった民衆たちが力をつけ、社会的・文化的にも無視しがたい影響力を持つようになり始めた時代。そして現世中心的な考えが広がりつつあった時代。しかも時代を制するほどの力を持った階層はまだなく、新しい時代の姿・価値観が見えず混沌としていた。太平記もその時代を反映して、伝統的な仏教思想・新興の宋学や神道などで世界観を語りつつも主軸が見えなくなっている。また民衆の台頭を背景に民衆伝承などが色濃く見られる。
それぞれ、扱った時代・生まれた時代を反映しているといえます。



#6337 
徹夜城(驚異的なスピードで更新作業をした管理人) 2006/01/29 22:40
書き込み多過ぎ(^^;)

 このサイトはアクセス解析によると土日は来訪者が少ないんですけどねぇ…今日一日でとんでもない投稿数ですな。
 全部にはとてもレスできませんので、絞らせてくださいませ。


>NFさん
濃い反応だなぁ(笑)。というわけで、素早く「武将データ」も公開しましたんで、よろしく。
全235名のうち195名ぐらいしかまだ確認してないんですが、確認するには手間がかかりそうなのでとりあえず暫定版でアップしました。細川頼之や細川清氏、今川了俊ら若手はもうちょっとあとで出てくるようなんですね。


>電気羊さん
 お久しぶりです。そして春節好!
 北京限定の話でしたっけ、今年の春節は17年ぶりに爆竹が許可されたんだとか。ずいぶん長いこと禁じられてたわけですが、ここで許可するのもよくわかりませんね。
 メガドライブ版をプレイされてましたか〜そういやこの作業を通じて、ネット上になぜかメガドライブ版「太平記」の武将データを載せている中国語サイトを発見して今しました。簡体字サイトなんで中国本土なんじゃなかろうかと…あちらにも南北朝SLGマニアがいるのか?


>ジャッカルさん
 中国では大砲は早く導入されたのですが、鉄砲はやや遅れたんですね。鉄砲は倭寇が先に導入しており(もちろんこの時期の倭寇って8割方中国人なんですが)、明軍は倭寇との戦いで鉄砲を知り、使用も始めたようです。当時の倭寇対策書には「鳥銃」として鉄砲の分解図が載っておりました。
 ヌルハチの女真族との戦いでは明軍はイエズス会宣教師が協力のもと大砲を使用したりしておりますね。


>871さん
 どうも、古典としての「太平記」の話ですね。
 「平家」は美学や情緒の世界、「太平記」は泥臭くリアルな権謀術数の世界と簡単に言い切ってしまうとそういうことになるかと。文学性では「平家」の方が評価は高いようですが、「太平記」は講談のルーツとなっているように「面白い」読み物として大衆に受け入れられたんですね。
 まぁ僕は当然ながら「太平記」的世界のほうが好きです。実際、中国の「三国志」に匹敵する汲めども尽きぬ魅力のある世界と思っていますが、現在、世間的にはそれほど受けてないんだよなぁ。


>アール・ケイさん
 ご心配おかけしてるようで。まぁぼちぼち潮時かなと。



#6336 
ブッチャ−3世 2006/01/29 18:49
光秀の例でいえば

弓隊と鉄砲隊を育成して実戦でも使えるようにする手間と効力は
総合的にみて、どっちがお得だったかは、なかなか比較が難しい
ですね。例が適当ではないですが明智十兵衛光秀が
朝倉に召し抱えられたのをみてみると、彼は朝倉の鉄砲隊の
指揮官を頼まれたわけですが、例えばもし弓矢隊の指揮官だった
場合と比較すれば、鉄砲隊の教官なら撃ち方と火薬の配分を
じっくり教えれば弾幕をはれる部隊は作れます、それは
弓矢隊だった場合でも、じっくり教えれば矢を雨のように降らす
部隊は作れます、隊として機能するように教え込むまでには
どちらの場合も、こと命中性に関してはさほど差はないかも
しれません、それに火砲の破壊力に目を向ければ鉄砲隊が有利
かもしれません、しかし外国貿易や経済が盛んでは無い北陸では
鉄砲弾薬の補給維持は金食いなのを考えれば弓矢は有利かも。
ここまでみて総合評価すると鉄砲と弓矢は部隊としては
そんなに差はないかもしれないですが、ここで、朝倉氏が
明智光秀を召し抱えた時期、朝倉氏の敵勢力といえば
越前一向一揆でした、敵が鉄砲を配備しづらかったと
なれば、やはり新兵器を投入したほうが戦線で優位に
立てます、そういう素人考えで、どこの馬の骨とも
分からない光秀を朝倉が召し抱えたのは当時では
最先端兵器の技術、射撃に光秀が精通していたからと
思えますね。



#6335 
NF 2006/01/29 17:44
名人と素人と

>景虎様
割りに御気に召していただけたようで何よりです。友人も喜ぶかと思います。
ゲームやアニメキャラのアイコンを使って歴史を語るのが、どうも一部での最近の流行のようです(笑)。軍事オタクとアニメなどのオタクがダブっているというのはその通りかと思います。というより、オタク一般がどちらといえば右寄りが多い気が。アキバ系は味方によっては自国産の文化への愛着が強く(渋谷系と比較すれば日本独自の文化への執着とはいえそう)ナショナリズムと結びつきやすいのかな、などと思っています。ま、「最近の流行」のサイトを面白がって見ている僕も偉そうなことは言えんのですが(苦笑)。
確かに、現代の感覚をそのまま持ち込むのは危険ですね、注意したいです。「敵の白目が見えてから…」なんて現代人に言おうものなら「それなら槍でぶん殴った方が確実じゃい!」などと突っ込まれそう。
>鉄砲と弓
皆様の仰っていることを総合すれば、鉄砲のアドバンテージは(至近距離での)破壊力と音響ということに落ち着くんでしょうか。これを別の観点から見ればズブの素人に扱わせるなら鉄砲の方が脅威になりうるということになる。一概に農民が弓を扱えないと断言するのは即断でしょうし、名人といえる領域にまで達するのは弓も鉄砲も比較できないくらい難しいのは事実でしょうが。この辺が落としどころでないかな、と思います。命中精度が落ちるというのも、量産されるようになってズブの素人に扱わせていたからということでいかがでしょう。
>船頭の孫様、雑賀同人様
確かに、わが国では鉄砲隊が組織化される前は達人の手による狙撃に専ら使われていたという話は聞いたことがあります。それにしても、元来はヨーロッパ系統だったのが東南アジアを経て、中国人の手を介して…、っていかにも文化のごった煮地域である日本にふさわしいなあとしか言いようがない。中国や朝鮮半島の火器が大型の大砲重視であったのを考えると、日本には日本独自の火器文化ができたといえそう。「どこでもあって、どこでもない」日本的な文化が。



#6334 
871 2006/01/29 15:47
太平記と平家物語について

この二つって反対の要素があると思います。
みなさんはどちらが好きでしょうか。
私は平家物語の方が好きです。無常がありますし。
しかし、まこと作者その心しらざりけりって何なんでしょう。
平家なり太平気には月も見ずの深い意味もわからない、自分の無知さが、嫌になりますが…。
これからこの二つを勉強していきたいなと思っています。



#6333 
ジャッカル 2006/01/29 11:50
飛び道具だし

何か興味ある話題なので横入りさせて下さい。
じつはミサイルやロケットは発射後、飛行部位そのものに推進機能が
あるので、銃砲と弓矢と、どっちに近いか?というと弓矢に近い
気がします、戦術にロケット弾を用いたのは金が宋を攻めた際に
矢を火薬で飛ばし、また矢先に発火物を付け火矢の延長として
戦いにもちいたという説を聞いたことが。
日本の戦場で火矢が猛威を振るったものとして応仁の乱が
あります、東軍、西軍ともに形勢不利とみれば撤退には
必ず放火したので、応仁の乱で最大の被害の要因は放火
だった、という話を聞きます。

形から銃の原案はクロスボウがヒントという説がありますね。
それで興味ふかいのは火薬を弾薬として用いる過程は
日本と中華では違うみたいです、明清では、どっちかというと
大砲が重要と考えられ、安土桃山時代では言わずもがな。
日本は銃器の細かい鉄製部品を作る技術は刀剣を鍛造する技術が
発達していたので鉄砲が素直に地場産業に根付いたという説が
あります。



#6332 
船頭の孫 2006/01/29 09:35
百姓の弓術

農民には弓術なんて無理というのも、ちょっと偏見ではないかというような気がします。江戸時代になって農村に火縄銃が普及する前の、農地をイノシシやサルなどの獣害から防衛するための害獣撃退の道具は弓矢が主体だったはずですし、当時の惣村は近隣の他村と水利や草刈場(化学肥料のない時代、これの確保が農地の地力維持の必須条件)をめぐって、頻繁に軍事衝突を繰り返していました。そのため、当時の百姓身分の者たちが変事に即応できる軍事訓練を自らに課していたことも知られています。また、当時の百姓身分は江戸時代の大開墾で百姓身分のインフレーションが起きる前ですので、ある程度の広さの農地を、下人などを多く抱えて耕作させる、大規模から中規模の農地経営者(昔話に出てくる長者様のクラスですね)と見た方がいいですし、戦国大名の軍役ともなれば、石高をめぐる権利義務の利害に直結する彼らこそが、積極的にそれに応じる層だったはずです。当然彼らは日々自ら農作業に追われるわけではないので、武術の訓練時間も確保できます。日本ではないですが、百年戦争時にイングランドの長弓兵として活躍したのは、実はイングランド人ではなくウェールズ人なのですが、中規模の農地を経営する独立自営農民層だったそうです。ですから、百姓の弓術も、狭義の武士身分の家芸だった騎馬弓射などはとても無理であっても、歩射であればばかにしたものではなかったのではないでしょうか。



#6331 
船頭の孫 2006/01/29 09:18
日本の火縄銃

日本では、火縄銃の運用も、大陸とはかなり異なっていた部分があったようですね。そもそも、銃の点火装置自体が、ユーラシア西部(西アジア・ヨーロッパ)のものとかなり異なっており、東南アジアの森林地帯で狙撃銃として改良された、マラッカ式と呼ばれるものであったようなのです。で、日本に紹介したときに関わっていたのが管理人様のご専門の王直らしかったり、当時日本に来ていたポルトガル人というのがポルトガル本国から直接渡来した人間より、インドや東南アジアの拠点港湾都市で現地の女性との混血を繰り返して何世代にもわたって土着してきた人間が多かったとか、正に海洋アジア世界どっぷりの背景を背負って日本に伝わっているんですね。

ですから、運用形態にしても、ヨーロッパとかで(オスマン帝国のような西方イスラーム世界がどうだったのか、知りたいところ)一般的だった一斉射撃で弾幕を張るような方法ではなくて、狙撃の積み重ねで足軽銃隊ごとの手柄を競うような方法だったようです。

ですから、日本における火縄銃の実態を、安易にヨーロッパでの銃運用形態から外挿して推測するというのは避けたほうがいいように思えます。



#6330 
雑賀同人 2006/01/29 07:04
銃と弓

いぜん、ランボ−2たらいう映画で主人公が矢の先に
焼夷弾を付けて矢を発射して敵を殲滅していた場面が
あり、こんな使い方をした人が歴史上いそうな気がして
ちょっと笑えた。

銃砲は弓矢より習得が簡単だから銃は流行って矢は衰退
したんだよ、という説を支持する人たちに告ぐ、それを
オリンピックの射撃のメダリストと弓矢のメダリストに
話してみて下さい、口論になると思いますよ。

室町時代末期(あえて戦国と書かないのは戦国時代という
時代のくくりは正式なものではないらしいから)
雑賀と根来に鉄砲を撃つことに長けた衆は周辺諸国から
周辺どころか、薩摩にも雑賀の傭兵は出稼ぎに
傭兵として雇われ鉄砲足軽は射撃の名人の代名詞でした、
こういう現象が一時期あったのは、やはり射撃というものが
一定の高度技術で育成がなかなか困難だったからこその
ものではないでしょうか。
鉄砲は簡単で猿でも撃てる、という説は大間違いです。
「猿の惑星」のようなことは有り得ません(笑
冗談はおいて、射撃は暴発の危険が常にあります、
弾先込めで火薬元込めの火縄は暴発の危険が多く
火薬の量加減も慣れ習得が要り、弓矢は、そんな心配は
ないですから。
つまり私が書きたいのは、そういうリスクが弓矢より
あってもなお銃砲は破壊力がメリットだったんで
室町末期の戦術に、うけていったんでしょう。




#6329 
不肖デルタ 2006/01/29 06:08
重いほうが真っ直ぐ飛ぶ

>景虎さん
銃は軽けりゃベスト、という考えは誤りです。
例えば、極端な例ではコルト・パイソンという拳銃は
銃口の下に、わざわざバランスウェイトという部位があって
重りの役をしてます、発射時の銃管の跳ね上がりを重りで
緩和して弾が真っ直ぐ飛ぶための工夫です。
重い銃は自重のお陰で弾の直進性が良いが軽い銃は
銃手がしっかり銃を固定して撃たないと銃口が発射時の
衝動で跳ね上がりやすいので命中性が劣化します。
イスラエルのウ−ジ−・サブマシンガンは世界的な
ヒットとなった銃ですがメ−カ−は調子にのって
ウ−ジ−ピストルというサブマシンガンを無理矢理
ピストル並に小型化したものを売り出しましたが
撃ったら銃がダンスをする代物だったそうです。
AKやM16は3kgよりもっと軽かったんじゃ
なかったかな、というかこの両者は世界的にても
軽量な自動小銃の部類です、自衛隊の自動小銃は
このクラスより重めのほうです。
オ−ストリアのステア自動小銃は強化プラスティック
を多用したりブルバップ式(弾倉が肩ストック部に位置)
にしたりと銃の軽量化がやれそうな構造ですが
それでもM16より重めです、これはしっかりと銃を
握って撃てるようにと銃口の下に独立スティックを
付けたりと発射時の衝動を緩和するための配慮があるからです。
知人でステアをハワイで試射したそうで、異様な形のわりに
構えやすく、また、遮蔽物から身を隠して撃つのには
有効な銃だと言ってました、それでも、この銃は複雑な構造を
してるのでコスト競争ではAKやM16に及ばないようです。




#6328 
景虎 2006/01/29 04:41
鉄砲バンバン

>NFさん
紹介していただいたサイト、中々面白いですね。
ただ、一番下のサイトは、ゲームキャラのアイコン使ってますね。軍事オタクとアニメ、ゲーム系オタクって、層がかぶってる事が多いと言いますが、結構当てはまるものですね。

「敵の白目が見えるまで発砲するな」ですか。興味深い話ですね。
狭い都市に住み、子供の頃から学校で何時間も文字を読まされ、テレビやパソコンで目を酷使する現代人と、当時の一般的な兵士では、おそらく視力が違いますよね。こういう感覚的な話は、時代が変わると通用しない部分が大きいような気がします。

>孟きょうさん
NFさんが大体答えてくれてますが、弓隊の一斉射撃は、規模の変化があったと私も考えています。騎射重視の時代は、歩兵の弓隊の数が少なかったと考えられますから、規模が小さかったのではないかと。また、日本というのはちょっと特殊な国なので、外国との比較が難しい部分があるよに思われます。例えば、普通なら騎兵の弓は短弓ですが、日本では騎兵も歩兵も長弓を使ってます(近藤好和氏の主張が正しければ世界最大級)。刀剣にしても、古い時代は大陸と同じものを使ってますが、日本刀やその原型(毛抜太刀)が登場すると、大陸的な刀剣が消えて行きます。古代の大陸的な武具や戦闘法と、中世のそれとが上手くつながらないんですよね。大陸的な武器の時代の末期と、日本的な武器の時代の初期は、百年くらいしか違わないのに(異説もありますが)、断絶を感じさせるのは不思議な事です。まあ、弓は古くから大きかったようですが。

鳥羽伏見の戦いの装備については、ここ
http://www.geocities.jp/irisio/bakumatu/arms.htm
が詳しいですね。幕末の主力銃の射程距離をみると、500m〜1200mとなってますから、弓矢で戦える時代ではないのでしょう。ミニエーの所を読んでみると、365mでも命中率が50%を超えていますし。実戦での命中率ではないとしても、この命中率は弓矢にとっては、驚異的ではないかと思います。

>不肖デルタさん
火縄銃の重さは3キロ程度とされていますから、そんなに重くはないでしょう。まあ、中には重いものもあったでしょうが、3キロ前後が主流なら、現代の小銃よりも軽いのでは?(現代のAKやM16の方が重いはず)。他に重要な問題としては、戦闘能力と力の強さ(この場合重量物の持ち上げ)は一致するとは限りません。また、現代人と昔の人は生活習慣が違う為に、身体能力にも違いがあります。機械に頼らない農業、林業などは、ウエイトトレーニング的な効果がありますから、現代人を基準にするのは、中々難しい面があるようです。



#6327 
電気羊 2006/01/29 02:30
春節好!

おひさしぶりです。
こちら瀋陽は春節を迎えまして、さっきまで爆竹や花火がバンバン鳴り響いていました。
火薬の煙が街一杯に立ち込め、なんだかもやがかかったようになっています。
富士総合火力演習や「西部警察」もびっくりの大迫力です(笑)

「ゲームで太平記」早速拝見しました。
私はメガドライブ版の「太平記」をプレイしたことがあり、大変懐かしく思いました。レポート楽しみにしております。


http://spaces.msn.com/honin/


#6326 
NF 2006/01/29 02:25


>火縄銃と弓
ちる様が上手く纏めてくださってる様に思います。弓と比べ習熟は銃の方がいくらか優しいと考えられた(西洋における火器普及はこれが一因だったそうです、日本で当てはまるかは分かりませんが)、また音などの衝撃もまた銃の利点であったでしょう。ただし一応使えるというレベルに達するだけなら弓より速いが、その代わり弓と比べ命中精度は大きく劣った(練度の関係もあって)といいます。だから弓のように遠距離射撃をすることはできず、専ら至近距離の敵に使っていた。西洋でも、ナポレオン時代に至ってもなお、「敵の白目が見えるまで発砲するな」といわれていたそうです。第二次産業革命を経て銃の性能も飛躍的に伸びたそうですが。
>徹夜城様
「史点」…。確かに待ち遠しいですが、御無理はなさいませんように。個人的には「太平記」ゲームネタで今は満足ですが(笑)。せっかくなので先ほどの妄想の補足を(笑)。悪党の、日本の変革期における可能性を重視する形にすれば北方謙三的要素も加わる形になります。してみると、南北朝を解析するモデルとしてはそう間違っていないのかな。しかし、やはり南朝方のプレーヤーキャラは義貞より後醍醐の方が良い、ガンダムモデルに当てはめるならば後醍醐=ギレン、義貞=ドズルとなるわけで。
…何だか、今日はハイになっているのかも。一旦失礼します。



#6325 
NF 2006/01/29 01:54
待ってました!で、妄想…(汗)

>徹夜城様
「ゲームで南北朝!」、拝見しました。思ったより良くできてたんですね。当時のレベルを考えると、普通の歴史ゲームとしても、南北朝ものとしてもかなり高い点を付けていいんじゃないでしょうか?割と時代背景を分かった上で作られているように見えますし。まあ、もっとプレイヤーが選択できるキャラを増やすべきだ(後醍醐や正成でプレイしたい)とは思いますが。
今作るとしたら、手本になるのはKOEIの歴史ものよりもむしろ、「ギレンの野望」辺りかも(笑)。第一部と第二部に分け、それぞれ期限となる時期に一定以上の勢力を保持していれば「判定勝利」、いなければ「判定敗北」。勿論期限が来ていなくても全国制圧したりされたりすればその時点で「完全勝利」「完全敗北」。「ギレンの野望」では第一部がファースト、第二部がZの時代だったように記憶しています(やや怪しいですが)が、それに倣い第一部を南北朝初期(南朝がある程度の戦力を持っていた時期、尊氏謀反から四条畷合戦辺りまで)、第二部を観応擾乱以降とする(第一部の結果により第二部の開始時状況が変化する)。それに「第0部」として鎌倉幕府倒幕を付ける(相当するのを探すならファーストで描かれる以前の一年戦争でしょうか?これは「完全勝利」か「完全敗北」のみ)。キャラは戦闘で経験をつむことで成長しうるシステム(悪党系のキャラは特殊能力に目覚めることも)とし、戦闘などでキャラ同士が遭遇した際に会話が可能(この際に説得して寝返らせることや逆に寝返られることも)。この時の会話がトミノ節全開なら言うことなしですが(非農業民=スペースノイド、悪党=ニュータイプのような観点で)(笑)。各地の勢力への調略や勧誘の効きやすさは好感度に左右され、戦況や「演説」で好感度は変化させられる(選挙区モデルでもガンダムモデルでも演説は大事)。
…一応、網野史観やら小選挙区モデルやガンダムモデルのどれも組み込めていると思うのですが、どうでしょう?…って、妄想に突っ走ってしまいました、すみません(汗)。
>「ゲームデザインの中嶋さん」
何と!バリバリの正統派じゃないですか。道理でとしか言いようがないですね。



#6324 
アール・ケイ 2006/01/29 01:41
相手にせんでよろしい(嘲笑)

管理人さまの我慢強さを学ばねばならないでしょうねえ。
俺だったら即削除なんだけどなあ。
あえて晒し者にするほうが効果的なんでしょうけど、俺には出来ない(笑)。

ただ削除されないからといって、別に肯定してるわけじゃないので
そこの×カ、いい気にならないように。
まあ、かの「と学会」も某副島隆彦氏への真っ向からの批判を行っているように
たとえ笑止千万な愚かしく下らない暴論珍論であったとしても
それを信じてしまうような人間が少なからずいるような時代
(昔だっていましたけどね、魔女狩りだとかブラジルの勝ち組だとか)、
放っておかずに論破しておくというのも必要なことなのかもしれませんが、
いうだけ時間の無駄でしょうきっと(笑)。

私は子供向きの読み物や講談ならともかく、(説明無しに)「真田幸村」などと表記している書物は
基本的に信じません(笑)。




#6323 
徹夜城(久々に怒涛の執筆をした管理人) 2006/01/29 00:05
早くも更新

 昨日公開しました「ゲームで南北朝!」、はやくも更新いたしました。
 今回更新分はPCエンジンCD-ROM版「太平記」の「概要(その2)」です。今回の内容はゲームそのものの紹介と評価です。このゲームについてこんなに解説をしちゃったのは、たぶん当サイトだけではないかと(笑)。
 午前中仕事をしていて、午後から一気呵成に書き上げました。う〜ん、我ながらノっている時はスピードが速い。早く「史点」書けよ、という突っ込みも入りそうですが…そういやシャロンさんまだ亡くなってませんよね。


>孟きょうさん
 ああ、なるほど、漫画というのは学研の人物シリーズの「真田幸村」なんでしょうね。猿飛佐助も出てくるんですか。まぁお約束かな。
 「真田太平記」では「向井佐助」というキャラで登場してますね。これが猿飛佐助のモデルだった…というわけなんでしょうが、キャラ創造の過程が逆転状態です(笑)。
 猿飛、というと僕にはどうしても白土三平「サスケ」のイメージが強い。あれでは「猿飛」は一個人ではなく同じ術を使う忍者軍団という設定で、大猿だの石猿だのいろいろ出てきてました。実は「大猿」という忍者は実在していたらしく、これが猿飛の原型、というネタがあり、白土氏もそこから創作したのではないかと思われます。
 「サスケ」の第1巻で大坂夏の陣の模様が描かれてますが、そこに出てきた真田幸村は白髪の老人で…子どもの頃はこのイメージがこびりついていたんですが、そんなに年だったわけではないんですよね。なんでああなったんだろ。

 というわけでゲーム「太平記」のコーナーをさらに強化しておりますが、当時CMもあったとは知りませんでした。歴史雑誌で広告が出ていたのは僕も見てるんですけどね。



#6322 
ちる 2006/01/28 23:33
火縄銃と弓

SLEEPさんと不肖デルタさんは一つの事柄を別の視点で述べているのではないでしょうか。

ドラクエ風に例えて言うと
「ゆみ」を「そうび」したとき、レベル1なら「かわのよろい」の貫徹もおぼつかない。
だが、レベル40なら「てつのよろい」も貫徹する。
ただ、「てっぽう」というアイテムを使うとレベル1でも「てつのよろい」を撃ち抜ける。

このことを、
SLEEPさんはレベル40にするのは大変だ。
不肖デルタさんはレベル1なら「てっぽう」が強い。
と表現しているのではないですか。



#6321 
新参右衛門 2006/01/28 15:56
弾道ミサイル?

>そして弾道ミサイルですが、これがないと拉致被害者の奪還は不可能とは言わないまでもすこぶる難しくなります。金王朝というのは結局武力で従わせないとどうにもならないでしょう。我々は奪還に向けてあらゆる可能性を持つべきではないでしょうか。

ミサイルにもいろいろあるので、細かいところは分かりませんが、
あなたが言うところの弾道ミサイルというのは大陸間弾道ミサイルのことを
言ってるのでしょうか?北の拉致問題解決のために、そんな装備を持つのは
国際社会がまず許容しないでしょう、日本が、あの国みたいに軍事独裁体制に
なったら、そんな事は可能かもしれませんが、そんな事はまずアメリカが
許さないと思いますし。日本の軍拡はアメリカも望んでいないと思います。





#6320 
不肖デルタ 2006/01/28 13:14
火縄まつり

>火縄銃であれば、手入れと装填方法さえ教えれば後は狙いをつけて撃つだけですから、はっきり言って誰でもできるわけで

火縄銃を実射する祭りとか、見ましたが、あの銃は重いですよ、ちょっと腕力がないと
担ぐだけで重労働ですし発射の大きな反動もあるみたいです。
戦乱の世だった頃の日本人がみんな戦闘能力が高かったというのなら話は別ですが
そういう裏付けも無さそうだし火縄を習得する手間と弓を習得する手間は、そんなに
大差がなかったような気もしますね。
火縄が弓を差し置いて広まったのは、発射時の大音響や弾丸の破壊力からな気がします。
鉄砲は当たらなくても撃たれる側にダメ−ジがあります、どんなに度胸のある人でも
銃声を聞いたら一瞬、身動きが止まります、銃声で馬が制御不能に陥ることも
よくあったみたいだし。あと貫通能力じゃないかな、強矢といってもなかなか鎧まで
貫通するのは難しかったが鉄砲だと強薬の弾で射抜かれるので西洋風の金属箇所の多い
具足を付けるようになったんでしょう。



#6319 
SLEEP 2006/01/28 11:51


>弓兵
なぜ弓が廃れ火縄銃になったかについては兵頭二十八さんが考察してます。
それをご紹介しますと、かつての実戦で使われた弓と言いますのは、今のアーチェリーとはまったくの別物であって、幼少時からの鍛錬がないとまともに引くことすらできないほどの強弓なんだそうです。つまり百姓のかたわらにできることでは無く定期的に練習させ、副業なしということは給料も払わねばなりません。
代わりに火縄銃であれば、手入れと装填方法さえ教えれば後は狙いをつけて撃つだけですから、はっきり言って誰でもできるわけで、つまり火縄銃の代金と弓兵に払う人件費の比較問題で火縄銃が主流になったということのようです。
今で言えば産業用ロボットは高価だけど導入すれば人件費が浮く、という類のことのようです。

>新参右衛門さま
同時代マスコミの言うことほどあてにならないものはありません。連中も売るのが仕事ですからおもしろおかしくこき下ろせないと困るんですね。良い例が湾岸戦争の戦車戦で、M1エイプラムズはイラクのソ連製戦車に勝てないまでも苦戦するんじゃないかと思われてました。まあこれは珍しいガスタービンエンジン装備というのもあって根拠が皆無ではなかったのですけど。結果はどうかと言えばM1の圧勝でした。つまり無責任なマスコミはアメリカ軍兵器のほとんどは世界一優秀とかハイテク分野での西側と東側の格差という相場値を無視してスペックだけで語るんですね。そういった点は我々素人がもっと気をつけねばならない点だと思います。
そして弾道ミサイルですが、これがないと拉致被害者の奪還は不可能とは言わないまでもすこぶる難しくなります。金王朝というのは結局武力で従わせないとどうにもならないでしょう。我々は奪還に向けてあらゆる可能性を持つべきではないでしょうか。



#6318 
孟きょう 2006/01/27 21:34
1月ももう終わりですね・・

 
>徹夜城様
 ええ、何か当時伊藤さんが太平記を描いてた歴史漫画の同じシリーズだったと思うんですよ。幸村の顔はカッコ良くて猿飛はチビでギャグ顔だった気が・・。放送と合わせてのタイアップだったのかなあ?・・
「大ボラ時代劇」。映画じゃないんですけど確か12CHの正月ワイド時代劇で「怒涛の将軍徳川家光」や「寛永風雲録」とか昔やってた気がします。コタツで餅食べながらみる分にはかなりの娯楽でたのしかった記憶がありますね。80年代のああいうシリーズだと自分の記憶では何故か柳生十兵衛がかなりサブリミナルに記憶されてるんですよ、強烈に。好きでも嫌いでもないのに(あ、やっぱ大好きかな)。
 うわさの「太平記」ゲーム、ありましたか。当時、CMだけは見た記憶があるんですよ。何かワクワクしますね。
>NF様
 そうなんですよね。長野や関東に高麗氏とかの高句麗、百済系氏族が移り、蝦夷等の勢力に対する前線基地の要素も持ち合わせていったんですが、そこで私が気になっている事に渡来人の近畿一円に残った勢力、東日本に移った勢力双方に対し朝廷が期待していたのは「ここぞという時に投入したい精鋭部隊、主力の部隊」の面もあったのか、という渡来移民に対する期待の内容があるんですよ。律令時代以前の白村江の戦いで有名な渡来系の武人にも田来津が存在するし後には坂上田村麻呂が輩出されていますし。
 「一斉発射〜できなくなった」そうなんですよね、その辺も私自身ずっとわからない疑問だったんですが。日本の弓は戦国期あたりから弓胎弓(ひごゆみ)という素晴らしい威力をほこる弓になってきている(三枚打との併用も考えられますが)んですが一般の戦国関連物では注目が鉄砲のインパクトのせいで寂しい有様で・・文禄慶長の役も関連ものの紹介では鉄砲が目立ちすぎるんですが実際は弓胎弓の一斉射撃と大陸の角弓の一斉射撃の凄まじい応酬があったんじゃないでしょうか(日本の弓も大陸と同じ「合成弓」なんですが、李朝の角弓の職人さんに姜自成という人がいまして、60kgもある張力の弓を作っていたらしいのですよ。コンペみたいのでは弓が強すぎてあまり飛ばせなかったみたいなのですが・・)脈絡のない話からもどりますが戦国時代の弓隊の時代も終わり、それ以降の幕末になると刀、大砲、鉄砲のイメージは強烈にありますが弓隊の集団一斉射撃のイメージってとんとありませんよね。江戸時代だと薩摩の腰矢組弓や紀州藩の弓取りは有名なのですが幕末にはさっぱり・・でも実際には弓隊がかなりつかわれた可能性があるんじゃないのか、それとも弓隊は抜刀隊や鉄砲隊に比べ育成が難かしすぎるのか、薩摩藩は意外と弓隊をつかったんじゃないのか。などといろいろ考えてしまうのですよ。どっかで見たあいまいな記録なんですが、幕末の江戸幕府が鍛錬という形で剣道道場みたいなのを作ると同時に弓矢の部隊編成の道場、機関みたいなものも一応作ったらしいのです。でもすぐ弓矢道場は潰されたらしくて(ひど〜い!)。当時の戦争の内容から考えると、もし家康が生きていた代の弓隊のクオリティほどでなくても鳥羽伏見くらいの段階ならそこそこの数の弓隊を編成していれば矢の雨の如きフライ一斉発射で薩長軍にかなりの打撃を与えられたと素人目にはついかんがえてしまうんですよねえ。
  



#6317 
徹夜城(軽くひと仕事をしてみた管理人) 2006/01/27 14:41
「ゲームで南北朝!」コーナー仮公開!

 というわけで、思い立ったが吉日、とっとと作って仮公開しました。まぁ実は昨年一時期チビチビと組み立ててはいたものなのですが…
 今日の仮公開でアップされているのは「ゲームで南北朝」のトップページ(4つのゲームのトップ画面だけ紹介)、そしてPCエンジンCD-ROM版「太平記」の「概要(その1)」のみです。
 この「概要(その1)」ではこのゲームの最大の(?)売りである豪華なオープニングビジュアルシーンの一部紹介のみです。最近では稼動できるPCエンジンのCD-ROMシステムを持ってる方なんてごくごく少数でしょうし、こういう形でしか見ることはできないかもなぁ…
 現在、ゲーム内容を詳細に論じる「概要(その2)」を執筆中。武将データやリプレイ記事を載せるにはもうちょっと時間がかかりそうです。

 そういやボードゲームの「太平記」ですが、ゲームデザインの中嶋さんの文章をよく読んでたら、「佐藤進一先生の講義を三年間受けた」との記述が。あらら、名著「南北朝の動乱」の著者の直弟子だったんだ、なるほど南北朝時代の理解度が半端じゃないわけです。



#6316 
新参右衛門 2006/01/27 06:04
賛成できかねます

>SLEEPさん
何か誤解されているようなので、書きますが、
私が自衛隊の装備調達について書いた内容は、
元・自衛官のかたが書いた文の受け売りで、私は
軍事に詳しくないので元プロが、そう判断したの
なら、そうかもしれない、と思っただけです、
説明不足でしたね。
それと貴方が「北京とピョンヤンを灰にする」など
という表現を用いられましたが、私は、そんな言葉を
使う神経は理解できません。そういう事を考えるのは
広島・長崎に原爆を落とすような輩と同類で私は
決して賛同しません。だから、例えばの話ですが
貴方のような事を考える指導者がいたら私は絶対に
支持しません。



#6315 
NF 2006/01/27 01:29


>徹夜城様
ちょっと調子に乗りすぎたかな(苦笑)。僕もニュータイプ第一世代(アムロやシャアなど)が活躍している辺りまでですね、F91とかVガンダムとかとなるともうついていけない。あの時代に際立った活躍をし一瞬の閃光を残し消えていった、楠木氏のような「悪党」達は確かにニュータイプと言えるかもしれません。富野監督の定義からずれるでしょうが。それはさておき、宇宙の御中心だからメソポタミアへというならアメリカについてインフラ整備じゃなくて主体的に攻め入るべきじゃ、て凄い話になってきた。女系天皇…。神話にのっとって考えれば先祖をたどれば天照大神になり(父は不在だったはず)そこで女系になるのでOKですが、竹内文書ではどうだったかなあ…。詳細に知りたくもないですが。
>孟きょう様
まあ、大雑把な理念系なので実際にはどうしても区分がはっきりしない面は残るわけで。素人主体時代でも専門家が皆無なわけではないし、専門家の時代でもその中でエリートと非エリートに別れる。因みに渡来系豪族は、古代後期には関東に定着したものも多くそこで対蝦夷戦の専門として期待されたのかな、と思ってます。古代後期の「異民族」には服従した「蝦夷」だけでなく彼らも含んでいいと思います。「異民族傭兵」とは言えませんが。弓隊の一斉射撃が普遍的戦法であったことには同意です。概念が変わったというより、規模が大きくなったことにより効率的な一斉射撃が可能になったと見たほうが良いかと。一斉射撃が廃れた時代は、「やらなかったんじゃなくて、やれなかった」んだと思います。



#6314 
徹夜城(書き込んだら怒涛の書き込みが連続していて驚いた管理人) 2006/01/27 01:07
みなさん、深夜になにやってんの(笑)

他人のことは言えませんが(笑)。文章書いてるうちに3つも書き込みがあるなんて尋常じゃない(汗)。


>孟きょうさん
「真田太平記」のことですが、確かに関ヶ原の戦いでご指摘の場面があります。甲賀忍者の棟梁・山中大和守(佐藤慶)が、同じく甲賀忍者の山中内匠守(戸浦六宏)が真田忍者による家康暗殺を阻止して相打ちで死んでしまうのを見て、いっぺんに白髪になるシーンがあります。ただし兄弟ではなく「またいとこ」の関係でした。強烈なシーンですが、いきなり白髪に原作小説にはなかったような気がする…
 漫画本の存在はまるっきり知りませんでした。



#6313 
徹夜城(実はそのむかし某社のギャグ賞で呼び出しを受けたことがある管理人) 2006/01/27 00:53
魔界笑点

「山田君〜、四郎さんの座布団一枚持っていきなさい」

すいません、galleryさんの方式が伝染してきたようです(汗)。
いきなりこのタイトルを出したのは、1981年版「魔界転生」は「柳生一族の陰謀」の後日談みたいな映画だからです(笑)。監督は同じ深作欣二、主演も千葉真一の十兵衛で、それ以外は配役は違うけど出演者がかなりかぶってます。「柳生〜」を見終えたらまた見たくなってきてしまった(笑)。

>NFさん
 ファーストガンダム至上主義者にはわからんネタが多くなってきました(笑)。以前ロンドンのパブで閉店まで日本人三人組でガンダム談義で盛り上がっていたことがあり、そのときもその手の話で僕だけよくわかんなかったりしました。変な言語で異様に盛り上がっている東洋人三人組の姿はロンドンっ子にも不気味だったんじゃないでしょうか(笑)、一人がビールを買いにカウンターに行ったら「どこから来たの?」と聞かれてました。
 それはさておき、確かに楠木正成とその一党なんてニュータイプみたいなもんかもしれません(笑)。とか言ってると「後醍醐天皇・竹内文書」の世界に突入しそう。
 そうそう、連想ですが、その本を書いた竹田日恵氏のご友人らしき「正気」さんとかいう方が本を出してました。やはり竹内文書は真実と主張する内容で現在も天皇は宇宙の中心的存在であり、四大文明発祥の地であるイラクへの派兵は竹内文書から考えても当然のことなのだそうであります(笑)。こういうご老人は「女系天皇」についてはどう考えるんでしょうかねぇ。


>マナさん
 これはお久しぶりです…書き込み、ありがとうございます。
 足利義教で卒論をお書きでしたか…まぁ僕も倭寇で卒論・修論その他を書いてますが、趣味の世界では南北朝・室町談義のほうが多いですね。なまじ専門にしてる分野は冗談が飛ばしにくい(汗)。
 室町時代の天皇は実は今だってかなりホットなネタなんですね。そう、皇室典範改正問題で浮上してくる「旧宮家」ってのが伏見宮系統であり、この問題の根っこは足利義満〜義教の時期にあったりするわけです。
 まぁお気軽にお書き込みくだされば幸いです。



#6312 
NF 2006/01/27 00:47
とりあえず、これで一通り…

>マナ様
僕の場合は、初めましてになるんでしょうか。宜しくお願いします。
個人的には天皇は、西洋で言うところのローマ教皇に近いと思っています。つまり性格づけるとすれば宗教的権威。ただし奈良・平安までの天皇は国家の政治的トップでもありいわばローマ皇帝に近いでしょうか。その後は平安中期・鎌倉を通じて現世的権威が衰退の一途をたどり、南北朝動乱を境に実質的に政治的権威としての地位を失陥。以降は専ら宗教的権威として(教皇として)生き残ってきたと考えています。
>アール・ケイ様
成る程、そうだったんですね。名古屋山三郎は、ある本には阿国が演じる上でモデルとした伝説の傾き武者とあり、ある本には阿国の相方とあったのでどっちなのかなと思ってたのです。
>徹夜城様
「大ボラ時代劇」…。その響きを聞いてると「花の慶二」実写化しないかなあ、と依然終わった話がまた頭をもたげてくるんです(苦笑)。大ボラ話の実写化といえば、ジャッキー・チェンが昔、「闘将!!拉麺男」(これは流石に時代劇ですらない)連載中に「主人公にそっくりな俳優を個人的に知っているので実写化したい」と申し出たという都市伝説が…。ま、どうでもいい話ですが(笑)。しかし、講談本系のキャラ…。大活躍をして、謎が多くてといった知名度の割りに良く分かっていない人物は軒並みそうな気がします。義経やら我らが正成やら。全く「夢でござーる!」ですね。

…長文を避けたというより長文をぶつ切りにしただけじゃないか、これ(苦笑)。



#6311 
孟きょう 2006/01/27 00:40
やっぱり時代劇はいいですね

 
 >徹夜城様
 『真田太平記』御覧になっていましたか! 私もあの作品はかなり大好きで、当時は大河ドラマと勘違いし見ていた記憶があります。女忍者、お江役を演じていたくららさんが魅力的な存在感があり、幸村とお江のやりとりのシーンが楽しみで目当てで見ていましたね。(広岡ゆうえい氏が画いた漫画本と併用して楽しんでいました)いいなあ、うらやましい。私も買おうかな。確か関が原のあたりで、弟を殺された忍者が怒りのあまり白髪になってしまうというシーンがあった気がするのですがいかがでしたでしょうか?
 >大河ランキング
 ああ、「風と雲と虹と」が無い・・。太平記とあわせてダブルショックです。平将門、平清盛、足利尊氏、と好きなキャラがことごとく入らないというのも悲しいなあ・・
 >景虎様
 はい、平成の御世も18年も経ってしまいました。早すぎる・・。
そうですね、日本の律令時代の軍が素人中心という件ですが、一応府兵制をなぞっていたとしても一応騎兵もあったし要所及び精鋭の兵にはプロの軍人というか、武人をおいていたのではないでしょうか。そういう意味では景虎様のおっしゃられていた素人、専門家混成時代は律令時代にほんのちょっとだけあてはまるのでは・・当時は大陸から渡ってきた一世からそれ以降様々な種類の渡来人がおり、朝鮮半島などから大陸の本場の軍事技術と戦乱の空気を吸ってきている上、かなりの数の渡来人が日本列島に展開した律令政権の軍隊の主体をかなり担っていましたし。それゆえ、むしろ、彼らも「武士の時代」とされる平安末期の有力者達に負けず劣らず騎射という高度な技術を持つ専門家達だったのではと思います。余談なんですが平安後期、大雑把に「武士」とされる人達もやはり「源平藤橘と、以前先祖が官職を頂いていた家」と「列島中、圧倒的多数の土豪」に分ける事ができるのでは無いかと。後世、同じ「弓馬の道、武士」にカウントされる事になる彼らなのですが。源平藤橘の人達は内心「皇族及び朝廷直属の軍隊の子孫は我々だ!弓馬の道も戦争も我々が常に中心でなければいけないし、常に土豪の連中より弓馬、騎射ともに上手でなければならん!我々こそが正式な武人だ!」なんておもっていたのではと根拠もなく思ってしまいます。

 あと弓隊の一斉射術ですが、これは日本も含めて東アジアでは紀元前より戦に勝つためフライ射術と絡め必須で、日常的、当然の戦法だったのではないでしょうか? だから日本史の変革期により弓隊の概念が変わったという通説は私は少し疑問なのですよ。 またもや長文になってしまい失礼しました。興味津々な話題なもんでつい・・



#6310 
アール・ケイ 2006/01/27 00:37
計画的なひとは利用しない(笑)

映画『PROMISE』はお願いですから片仮名表記はしないでください(大笑)。

『出雲の阿国』には名古屋山三郎が(別途)登場するようです。
阿国って歌舞伎の創始者とされていますが、ただ確立された歌舞伎というのはああいうレビュー(笑)ではなくて
(そういう要素は大いにありますけどね)お芝居なわけで、元祖と云われるのはやや疑問に感じないでもないですね。


しかし、一番心痛なのは、皇太子妃ではなくてその実の親御さんなのかもしれませんな。
「雅子バッシング」こそ、天皇制のみならず(さらに未婚女性に結婚忌避を誘発するという意味で)
大袈裟にいえばこの国を滅ぼしかねないのに、愚かなことです。





#6309 
マナ 2006/01/27 00:06
お久しぶりです

伝言板の過去ログを3日かけて読んで挨拶したくなり、ひさしぶりのかきこです。
改めてログを見ると最後にかきこしたのが4年前で、自分の発言が恥ずかしかったり・・・
こちらの掲示板の会話は高度すぎて、ロムするのが精一杯ですが、今年は皆さんの会話に入りたいなと思います。
今歴史関係で興味あるのは皇室関係だったりするのですが、私の天皇のイメージって、古代と平安時代でできているので、皇室典範改正とか愛子様が天皇にっていう話しにはいまいちついていってません。逆に天皇家の系図にはすごい食いつきを見せる私ですが、卒論は足利義教だったりします。
室町時代の天皇にも最近興味があるので、急に変な事を聞きに伺うかもしれませんが、よろしくお願いします。
こちらの掲示板の最近の話題はちんぷんかんぷんなマナでした。話しの流れを止めてすいません。失礼します。




#6308 
NF 2006/01/27 00:06
「人は『悪党』を殺し合いの道具にしか使えん!」

>徹夜城様
ガンダム=南北朝についてもう少し真面目に言うと、このモデルはガンダム世界から主要テーマの一つである「ニュータイプは人類の革新」とか「地球がもう持たんのだよ」とかを考えからはずさざるを得ないものなので。で、シャアやらアムロやらはそういった削除した要素の象徴的存在ということになるんでしょうね。南北朝であえて「世界の革新」といえそうな要素は、非農業民(主に商工業者)の台頭ということでしょうね。彼らがスペースノイドで、その中で特に活躍した(そして時には閃光のように輝いて消えた)連中がニュータイプかな?あえて言えば。しかし、このお遊びをやっていて、もう一度禁闕の変について詳細に知りたくなってきました。今のところ対応できると考えている「0083」には、「多くの英霊が無駄死にでなかった証し」とか「男たちの魂の輝きだ」とか「勝ったぞ……星の屑に栄光あれ!」みたいな己の大儀を信じる残党の意地があふれる台詞、「哀れ…志を持たぬ者を導こうとした我が身の不覚であった…」といった敗者の悲哀溢れる台詞、そして何より「故あればアタシは裏切るのさ!」といういかにも南北朝な台詞といった使えそうないい台詞が多いので。
いかん、また長くなってしまった。



#6307 
NF 2006/01/26 23:32
素人か玄人か

>景虎様
基本的には、その分類でよいかと僕も思います。詳細なことを言い出すとまた長文になってしまうので割愛しますが、日本に限らず基本的に古代(律令時代):一般からの徴兵(素人主体)→古代後期・中世(平安・鎌倉):異民族傭兵・武芸に長けた地方豪族が主体(専門家主体)→近世前期(南北朝・室町):戦闘のプロである傭兵隊長が貧民・流民を雇い傭兵隊として戦う(専門家・素人混合で素人優位)→近世後期(戦国):傭兵隊そのものが国家管理となり訓練を受ける(専門家主体)→近代:国民皆兵(素人主体)→現代:兵器のハイテク化(専門化主体)という流れかと。各地で徴兵制が廃止される方向なのもこの傾向に沿った動きなのでしょうね。因みに以下に僕の友人が各地域の展開をまとめたものをいくつか上げるので良かったら見てやってくだされば幸い。
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2000/001027.html
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/010427.html
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/011019a.html
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/011019b.html
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2004/041203.html
あと、下に上げるリンクもこの問題を扱ってます。思想的には保守的ですが現代の流れについては良くまとまってるのでないかと。大体は景虎様と同様の結論のように感じます。
http://obiekt.hp.infoseek.co.jp/peacemaker/draft_0.html

>gallery様
ご同意いただけて何よりです。市民革命は、一般民衆の成長とそれに伴う勢力拡大に時の政治権力が過去にしがらみから対応しきれなくなった結果なのだろうと思ってます。共産主義革命は…、本来あるべき形での「共産主義革命」なのかとか、そもそも「帝国」という古い酒を「共産主義共和国」という新しい革袋に入れ替えただけじゃないかとか思うわけですが。

いかん、また長くなってしまいました。一旦ここで切ります。



#6306 
孟きょう 2006/01/26 22:14


 >SLEEP様
 勇ましいですね。私ももう何も言うつもりはありません。一生を排外主義者としてエンジョイしてください。ちなみに同類に杉山徹宗等、トンデモ本系列の作者面々がいます。
 石原莞爾や加藤紘一かあ。有名な人を集めましたね。本人達も困惑するだろうに。



#6305 
徹夜城(ぼつぼついろいろ執筆を再開したく思う管理人) 2006/01/26 22:05
夢だ、夢だ、夢でござ〜る!

 「柳生一族の陰謀」といえばラストのこれです(笑)。全体的には「仁義なき戦い」の深作欣二らしい群像アクションになってるんですが(「仁義」で良く使った「止め絵」にナレーションもよく出てくる)、柳生但馬守を演じた萬屋錦之介が一人実に古典歌舞伎調(?)に堅苦しく大仰に演じてるのが、一歩間違うとギャグになる(笑)。
 改めて鑑賞してみると、真田広之さんが初々しい(^^)。でもこの頃から妙に貫禄はありましたね。ところでGyaoは途中でCMが入る仕組みなんですが、真田さんが出ていた場面の直後に、今度公開する中国映画「プロミス」のCMが入り、およそ30年後の真田さんが国籍不明の格好に中国語しゃべって出てきて思わずウケてしまいました(笑)。

>アール・ケイさん
 なるほど、名古屋山三郎は二人の人物が合成された虚実ないまぜの人物、というところなんですかね。「真田十雄姿」もとい(こちらではこの誤変換になりました)十勇士に出てきたというあたり、講談本系のキャラなのかなぁ。だいたい「柳生十兵衛」だって限りなくそういうキャラになっちゃってますしね。
 こういうキャラって結構多いものです。来年の大河の主人公の山本勘助とか、それを言ったらすでに主役になった宮本武蔵とか。



#6304 
SLEEP 2006/01/26 19:56
>新参右上門さま

そういう見方をする論者もたくさんいて事実私もそう思っていましたが、どうも深く知れば知るほどそういう見方は浅はかのように感じます。
まずご指摘のFSX(F―2)ですがどうも主翼の設計に失敗したのが運の尽きだったようです。小型のF16ベースというのが祟ったのでしょうか。それでもラファールやタイフーンの迷走を見ると経験がないわりに良くやった方かも知れません。それと自衛隊の米兵器マンセーは結構以前から批判を浴びていますが、湾岸やユーゴの実情を見るとどうも正しく、トライヤルを十分にやったかどうかはともかくとして関係者の見識の高さ、健全さは評価できます。
あとは北海道にミサイル基地をこしらえて北京やピョンヤンを灰にできるようになれば、と思います。景気対策も兼ねてぜひやって欲しいですけど、横路なんかが当選してるのでは無理でしょうね。



#6303 
アール・ケイ 2006/01/26 15:38
正体不明

名古屋山三郎という名前は『真田重融資』、もとい(楽しい誤変換(笑))『真田十勇士』(NHK人形劇)で
初めて耳にしましたが、いまをもって私の中では謎の人物です。
どうやら似たような名前のひとが二人いて(1人は武将、1人は舞踊家)、こんがらがっちゃってる感じですね。
『真田十勇士』の設定(シバレンさんの原作は未読)では
確か家康のご落胤ということになっていたような記憶があります。
アテレコが名古屋章さんだったかどうかは記憶にありません(笑)。

因みに現在放送中のドラマ『出雲の阿国』では(というか有吉佐和子氏の小説では)
「三九郎」という名前で登場している人物が「名古屋山三郎」にあたるんでしょうかな。





#6302 
徹夜城(大ボラ時代劇も大好きな管理人) 2006/01/26 14:44
ネットで大ボラ時代劇

 先日、ネットTV「Gyao」で「康熙王朝」を途中(10回)まで見てて結局年末で放送が終わっちゃった、と書きましたが、また第一回から放送してますね。「雍正王朝」ともども9月まではやるようで。そうだよなぁ、大河級のものは長いスパンで配信してくれないととても全部見てられない。

 で、タイトルの「大ボラ時代劇」とはその話ではなくて。
Gyaoの映画チャンネルで東映時代劇の名(迷)作「柳生一族の陰謀」と「激突・将軍家光の乱心」の2タイトルを配信中なんですね。さきほど「柳生〜」のほうを半分ぐらいまで見てました。まぁ荒唐無稽というほかない内容なんだけど、えらい面白いんですな、これが。登場人物が多すぎなきらいはありますが、時代劇業界ではおなじみの面々(30年近く前の作品だけどメンツは対して変わってない)がそれぞれ見せ場をもってて飽きさせません。
 この手の映画に時代考証うんぬんを言うのもヤボなんでしょうが、気になったことが一つ。「柳生」のほうに出雲阿国(大原麗子)が登場するんですが、その阿国の踊りにあわせて笛を吹いている男(原田芳雄)が家光と忠長の合戦で一旗挙げようと飛び出していく場面があります。これってTBSドラマ「関ヶ原」でもまったく同じ場面があり(ただしそっちは関ヶ原にかけつけようとするわけですが)、どちらも名前が「さんざ」と呼ばれており「もしや共通の元ネタが?」と気になったわけです。
 それで調べてみたら、やっぱり元ネタがあるんですねぇ。阿国と一緒に歌舞伎踊り創造にかかわった名古屋山三郎というのがいたんですな。慶長8年(1603)に討たれたというから、どのみち話が合わないわけですが。


>アール・ケイさん
 まぁ歴史屋としましては後世の史家のために貴重な資料を残したいという本能もありまして(笑)。

>NFさん
 シャア役を探そうにも南北朝には赤備え軍団がいませんからねぇ…(笑)。
 なお、あの「坊やだからさ」のセリフは義貞だったら口にしたかもしれません(笑)

>景虎さん
 そうなんですよね、平成も18年。大正を軽く越しましたが、どこまで続くのやら。皇室典範改正を妙に急いでるのはもしかして…って気もしますが。それと最近妙に雅子妃バッシングが目に付きますね。
 戦国時代に農民達がさまざまな形で戦争に駆り出され、あるいはかなり自主的に参加(落ち武者狩り含む)というのは資料的にもいろいろあるのですが、南北朝時代ごろだとどうだったかな、というのも気になりますね。もっとも大名になった山名氏だって「若い頃は百姓同然」と回想してましたが…



#6301 
gallery 2006/01/26 13:37
ヒマ人革命

「美人薄命」と引っ掛けて・・・てかなり苦しい

> NFさん 遅レスすみません。

>「ナショナリズムと民主主義は無関係ではないが直接の相関関係があるというよりも民衆の社会的成長という同一の根元から生じた別々の事象である」
>「民主主義・権利意識が育つためには一般民衆の一定以上の経済力・文化力・教育レベルが前提となる」

 ま、良い落としどころではないかと(笑)
 特に後者に関しては同意するところですね。民主主義発祥の地であるギリシャも、権利意識発祥の地であるイギリスでも有産(市民)階級の発言力が強まったことに原因あるわけで。人間、ヒマになると余計なこと考えるだけなのかもしれない(笑)
 あと、別に日本に「革命」が必要だと思っておるわけではなくて、歴史的に権利意識が育まれる上でのあくまで一般論のつもりで書いただけでして。確かに「革命」の場合は、相手が国内勢力である関係上、「絶対悪」とは見做され難いため、フランスなどでも後で王政の揺り返しがきたり、無理やり抑えようと恐怖政治に走ったりと、確かにリスク高い方法ではあります。中ロなどの共産主義革命は、市民革命とはかなり性格を異にするので説明は略。



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