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#6700 
尾鳩 2006/05/13 14:34
腐れ縁ですか^^;

>巫俊さん、管理人どの
確かに(笑。
まあ、15年以上の付き合いですからねぇ(^^;。
学部時代は歴史、中国近現代史を専攻してたんですよ。そういえば、隣にいつも倭寇のことを熱く語っていた変な人がいたような・・・笑)。
その後、政治・経済へと専攻を変えましたけど、歴史を学んでいて良かったなあと思ってます。現代、そして自身を見る視点というものの基礎を学べるだけでなく、様々な国の人と話すときやビジネス上の会話の際など、いろんなネタを捻りだせるという実理性もありますしね(笑。

>海と草原
管理人さんもおっしゃっているように、陸と海の違いはあれ、遊牧民と海洋の歴史を見る視点というのは、相通ずるものがあるように思います。端的に言えば、近現代的な国民国家の枠組みを大きく超えた視点を持たないと、実態が見えづらいところですかね。
モンゴルやチベット高原等に実際に行けば実感できるんですが、空間的な広がりというのは、島国で育った我々の想像を遥かに超えたものがあるんですよ。海と同じで、境界を率直に示しづらいところと言えばいいでしょうか。
匈奴や柔然等、様々な「民族名」が知られていますが、あれは固有の「民族名」というよりは、杉山先生などがおっしゃっているように、意図的に創られた「国家名」と考えた方がいいように思います。「民族」の起源というものに関して、ここで得々と語るつもりは無いんですが、近代の国民国家の場合と違い、古代の遊牧民の場合は、「国家→民族」という図式の方が、実態に近いような気もします。

>史点
スターリンランド!
ディズニーランドに対抗して、「毛主席ランド」をいずれ中国が作るんじゃないかとかつて冗談で話していたことがありましたが、まさか似たようなことを本気でやろうとしている人が・・・。
粛清劇を滔々と聞かされ、嫌な思いでランドをあとにすることになるか、妙に優しい感じのスターリンおじさんに出迎えられ、それはそれで複雑な思いにひたるのか・・・いずれにせよ、あまりお勧めできないテーマパークになるかも。まあ、そこはアイデア次第でしょうが。

>少林ビジネス
河南省のケ封県で、ずばり少林コーラを飲みましたよ。飲んだ後にべっとりとした感触が残り、あまりおいしくなかったです(笑。中国では、そういう独自の「〜可楽(コーラ)」というのが結構多い。「非常可楽」(Feichang Kele)とか。
ちなみに既に良く知られているかもしれませんが、コカ・コーラは、「可口可楽」(一口飲めば楽しくなる。飲めば飲むほど楽しくなる。)、ペプシ・コーラは、「百事可楽」(万事全てが楽しくなる。)てな感じですね。「非常可楽」ならば、「非常に楽しくなる」ってなところですかね。
ということは、「少林コーラ」は、少林寺のコーラではなく、「少林で楽しくなる」という意味でしょうかね。ま、どうでもいい話題ですいません。

>愛国
長くなりそうなので、また今度にしときます。




#6699 
徹夜城(図書館からゴソッと借り出してきた管理人) 2006/05/12 13:15
濫読乱読

 最近合併して同じ市内になってしまった元隣町町立図書館を覗きに行き、割とそろえが良かったのでよろこんでいろいろ借り出してきました。こちらでは余談ながらコミック版「怪盗ルパン」シリーズを全巻そろえていたという変なところで意識の高い図書館であります(笑。それでいて南洋一郎版全集しかないけど)。
 今回借りてきた本についていくつか小話。森茂暁さんの南北朝本も二冊借りてますが、今回はそれについてはパス。

○小林登志子「シュメル・人類最古の文明」(中公新書・2005)
 内容はこれから読むところですが、巻頭の「はしがき」を三笠宮崇仁殿下が書いていてちょっとビックリ(この宮様が古代オリエントの専門家であることはもちろん知ってましたが)。
 それに続けて小林さんが書いている「はじめに」も面白い。本来は「シュメル」の発音が正しいのに日本で長らく「シュメール」と表記してきた原因は、なんと戦中に一部で流行った「高天原はバビロニア」「すめらみこと=シュメルのみこと」などの俗説を避けるために中原与茂九郎先生が「−」を入れるようにしたことにあるんだとか。この話を中原先生から三笠宮ご本人が直接聞いたんだそうです。
 それにしても三笠宮さまは息子さんが「神武以来の2600年」とか平気で口にしている(しかも三笠宮家の総意のように言った)ことをどう考えておられるんだか。

○今谷明「中国の火薬庫・新疆ウイグル自治区の近代史」(集英社・2000)
 「室町の王権」で義満の皇位簒奪計画説を唱えるなど日本中世史の研究者として知られる今谷さんがこんな本を書かれていたとは、不覚にも6年間気付きませんでした。最初見たときは同姓同名かと思った(^^;)。なんでも以前からシルクロードマニアでいらしたそうで、ご自身の関心事を突く新疆近代史のまとまった本がないことからご自分で書いちゃった、ということのようです。畑違いは承知の上で「歴史学徒から見たシルクロード史エッセイ」という位置づけをされていましたが、なかなかどうして、いややはり歴史家だけに面白い本になっています。
 まだまだ斜め読み段階ですが、「新疆」が清朝に征服されてから70年周期ぐらいで起こってきたイスラム・漢民族の抗争というあまり知られていない歴史をうまくまとめておられると思います。それこそお互いに「民族浄化」級の殺戮を繰り返しているという血なまぐさい歴史が浮かび上がってきます。70年周期というサイクルから言うと2003〜2013あたりが再発の頃だそうですが。
 もっとも今谷さんはさすがに歴史家だけに見方は冷静ですね。過去のケース、そして現在の状況からもトルコ系、ウイグル民族はむしろおとなしくて彼らが主体となって大反乱を起こすことには疑問符をつけてます。むしろイスラム化した漢民族「東干(東郷)族」が主体になるのではとその歴史もからめて説明していました。そして現在一番可能性があるのは中央アジアのイスラム諸国からの影響、と書いてるんですが、これはまさに同時多発テロの直前、タリバン政権があったころの執筆であることも目を引きます。
 今でも「東トルキスタン独立運動」があるわけですが、今谷さんの本を読んでるとこの独立運動の歴史ってのも単純に漢民族vsウイグルって構図ではないってことも分かってきますね。

 ちょいと絡んでくる話ですが、しばらく視聴を怠っていたGYAO放映の「康熙王朝」をまた見始めまして…ようやく子役が終わって陳道明の康熙帝になり、「三藩の乱」が迫りつつあるところ。
 ここで「ロシア大使」を引見する場面があり(もっとも計略の一環って感じでもあった)、康熙帝が「ピョートルに伝えよ」とかいう場面があったりして世界史マニアとしては嬉しくなっちゃうのですが(セリフは英語風に「ピーター」だったな)、このロシア大使の服装はいただけません。どう見ても19世紀以降の「燕尾服」着てるんですもん。中国も外国の時代考証はいい加減だな〜。アメリカで作った「ピョートル大帝」はこの点ではかなりマシだったんじゃないかと。


>アール・ケイさん
 「鄭和」なんかはそのうち中国で実際にドラマ化するんじゃないですかねぇ。それこそ「時勢」とマッチする面もあるわけですし。
 チェン=カイコー監督といえば、「PROMISE」のセットやゴミが観光地にそのまま放置され「商業主義の悪弊」と批判を浴びてるそうですな。セット放置は地元政府が観光利用をねらって引き取ったのが原因らしいですがゴミは映画のスタッフの責任でしょう。

>景虎さん
 おお、PCエンジン版「スト2ダッシュ」を持ってらっしゃいましたか、同志よ(笑)。あれ、当時はPCエンジンとしては馬鹿売れしたソフトなんですが、すぐに多機種でも展開されて投売り状態になってしまった哀しいソフトでして…でも当時の機種の中では移植度は抜群と言われる「名作」との評価も高いです。
 「槍」が南北朝時代に始まった、というのは間違いなさそうですが、箱根・竹之下の戦いで菊池勢が初めて使用した、って話は何に出てきたんでしたっけ?

>不肖デルタさん
 ヌンチャクといってもいろいろ種類があるようです。グーグルのイメージ検索で「ヌンチャク」を探してみてはいかがでしょう?ほんとにいろいろ出てきました。

>巫俊さん
 そのうち本人が書き込むとは思いますが、尾鳩氏と僕は同じ大学の東洋史専攻で同じ釜の飯を食った腐れ縁でして(笑)。遊牧民と海賊という、180度違う方向に首を突っ込んでしまってますが、実のところ相通ずる関心対象でもあるんです。



#6698 
巫俊(ふしゅん) 2006/05/11 17:15
尾鳩さん

中国史のご専攻だったんですか?質問は投げかけてみるもので、想定外の回答がかえってきて嬉しいです。

遊牧民の歴史は私も期待してるというか、興奮するというか、匈奴もいいですが、鮮卑も捨てがたく、4世紀から6世紀までの五胡十六国と後魏・北斉・北周のあたりがとくにメッカですね♪
契丹は研究史を紐解くと何十年も前の研究が未だに更新されてなくて、唐代後期の武将たちが契丹出身というのは新説ですが、
女真やモンゴルの成立前夜の研究も期待できるところですね。

女真もモンゴルも固有の民族じゃなくて、政治的な理由から形成されたというところが、とくに古代史専攻の私からすると匈奴や粛慎以来の遊牧民が如何なる経緯でモンゴルや女真に変化したのか、説明がほしいところなので、注目しています。



#6697 
巫俊(ふしゅん) 2006/05/11 16:57
中世後期の傭兵・騎士は

全身鎧の発達から、金属製のハンマーやメイスが利器になったと仄聞するんです。
剣が廃れたわけではないですし、両手剣とか呼ばれる大剣の話もRPGゲームのサイトなんかで皆さん興奮されて話されていたことを記憶してたりします。

中国古代ではハンマーで戦ったという話はちょっと聞いたことがないので、西洋中世のハンマーやメイスは仄聞する限り、時代の要請で大量に普及した「時代の名物」だなと思っています。
あと北アメリカ大陸原住民のハンマー「クラブ」は小振りなのに、鈍痛な一撃を与えたとか。



#6695 
景虎 2006/05/11 15:24
また間違えました

>槍と同じ持ち方をするわけですね
これは、槍と同じではありませんでした。槍に似た持ち方に訂正します。

>金属製の「棒」のこと
金属製の武器と書いたのは、刃物(この場合、刃がなくても切先が尖っている物を含む)の事です。強度の高い金属で武器を製作できるなら、原則としては、刃物が最も合理的ですから。メイスのようなものを差しているというのは、あり得ることかもしれませんね。

>大刀
大刀を金棒と表現するのはあり得ないので、そう表現されると違和感がありますね。他分野の人の表現というのは、新鮮に感じます。
因みに、大型の日本刀を刀剣学的には、大太刀とか野太刀とか言いますが、南北朝時代(といっても主な流行期間は貞和〜貞治頃、大河ドラマ太平記後半〜室町太平記中盤あたりでしょうか)はこれが主流であり、戦国時代では例外的な存在になってますね。

誤解されている事が多いですが、日本刀は厳密に言えば、一種類の刀剣の事ではありません。日本刀は数十年単位で変化していて、変化の速度は、近現代の兵器とそれほど差がないかもしれません。まあ、近現代の兵器はよく知らないので、正確には分かりませんが。
この場合、変化といっても、日本刀としての原則の中での変化ではありますが、変化の速さには驚かされます。日本中世史の専門家などは、この辺りを理解していないので、かなり間違った事を書いたりしていますが、歴史学者は刀剣学の専門家ではありませんから、仕方がない事ではあります。

>業物
業物とは、切れ味鋭い刀の事なので、錫杖を業物というのは間違いです。
厳密には、江戸時代に試し切りを家業にしていた山田浅右衛門の協力により、刀工のランクを発表した事がありましたが、その時の分類の一つですね。
この場合は、美術性や強度ではなく、切れ味のランキングだったわけですが、下から順に、業物、良業物、大業物、最上大業物となっています。

>槍
日本の槍は新しい武器であり、南北朝時代の物が僅かに現存していますね。
それ以前からあったとも言いますが、現存していませんし、後世の槍との共通性もよく分かりません。槍が普及するのは、室町中期以降、戦国時代の主武器ですね。
戦国時代には、刀や薙刀は槍に取って代わられています。例外的に刀を主武器とする人もいたようですが、通常は補助的な武器になってますね。
つまり、槍は大男にとっても小男にとっても主武器であったという事です。
勿論、大きい人が大型武器を好んで使うという事はありましたが、大型武器とか小型武器という物は、時代によってどちらが主流となるかが違いますから、意外と体格に左右されない事も多いですね。

もう少し詳しく説明すると、武器の選択は個人の好みや資質と、時代の流行の二種類に分かれます。多くの場合は個人差よりも、時代の流行に従う傾向の方が強いという事ですね。
その理由も色々あるでしょうが、時代に反する事をやるというのは、大変なのでしょう。武器もオーダーメイドになりますからコストがかかりますし、その武器の使用法に習熟している人も少ないので、技術の習得も困難ですからね。集団戦の場合は、一人だけ規格外の武器、規格外の戦闘法では支障もあるでしょう。

>斬られた場合より十手で撲殺された場合が多かった
捕物というのは、犯罪者を逮捕する事です。
つまり、よほどの事がない限り、捕物で刀を抜いたりはしません。現代でも、警察官はやたらと発砲したりしませんよね?
また、捕物で人が死ぬという事も、稀な事だったでしょう。殺したら捕物(逮捕)にならないですから。

>ヌンチャク
ヌンチャクは専門外なので、よく分からないですね。
ただ、これは推測ですが、鎖の数は決まっていないのではないでしょうか?
ヌンチャクにも色々な長さの物があるようですし、鎖ではなく紐を使っている物もありますから。



#6694 
新参右衛門 2006/05/10 18:42
鬼に金棒

>金属棒
朝倉義景の家臣に姓は真柄、あだ名を鬼の十蔵だか十郎だか
呼ばれて恐れられていた武人で、ものすごい怪力の大男がいた
そうですが、この人が持っていたとされ今に伝わる大刀は
でかいですよ、切れ味、鋭い剣ってより、鬼の金棒って
感じです。蜂須賀小六も大男で業物は普通の剣より
錫杖を愛用していたとか。
なりのでかい人は、ちまちました剣よりも金棒や
槍を振り回したほうが戦場でのインパクトはある
のではないですかね、和洋を問わず。
金属製の棒状武器といえば、時代劇でよく登場する
十手、これも実際は、かなり殺傷力がある武器だった
そうで、捕り物で下手人が死亡する場合の多くが
斬られた場合より十手で撲殺された場合が多かった
らしいとか。



#6693 
巫俊(ふしゅん) 2006/05/09 21:55
景虎 さん

金属製の「棒」のことを指しているんじゃないでしょうか?
金属製のものが棒と書けるかどうか、よく分かりませんけれども、メイスのようなものを指しているのでは?

http://ip.tosp.co.jp/i.asp?I=uruseiyatsura_com


#6692 
不肖デルタ 2006/05/09 17:11
ヌンチャクで

タイミングよく、わたしは最近、3DCG製作のキャラクターの
アイテムの一種にヌンチャクを造っているところなんですが
ここのサイトの人々は詳しそうなので聞きたいのですが
ヌンチャクの鎖は何個つなぐのが標準なのでしょうか?
あまり多いと作るのが大変だし、動画を作る場合
回転ジョイントのインバースキネマティクスが大変に
なりそうなんですが、できるだけリアルに造って
みたいので実際は何個の鎖で繋がれているか
知っておきたいのでして



#6691 
景虎 2006/05/09 16:31
昔、PCエンジン版スト2もってました

>西洋の白兵戦
棒が主流というのはどうでしょうか?
アメリカ大陸はともかく、金属製の武器が普及している地域で、棒が戦いの主流というのは、ちょっと考えにくいですね。個人的に棒を好んで使う人はいたと思いますが、少数派と考えた方が、自然ではないかと思います。
西洋の場合、鎧の隙間が大きかった頃は、盾剣法も珍しくなかったようですが、鎧が完成されると、両手持ちの大剣も結構使われているようです。

西洋の武術は滅んでいますが、中世文化の研究団体が、文献からある程度(完全再現は無理でしょう)復活させています。
それによると、大剣は基本的に片手で柄を、もう片方の手で剣身を握ることが多いとか。ようするに、槍と同じ持ち方をするわけですね。手が切れないのか?という疑問もありますが、あまり鋭い刃がついてない場合が多かったようですし、ミトンのような籠手を付けて挟むようにしていたので、大丈夫だったようです。
この持ち方で、相手の足や鎧に剣を引っ掛けて倒し、倒れたところで鎧の隙間を刺すというのが、当時の基本的な戦法だったらしいです。
考えてみれば、鎧の上から斬ったり打ったりしても、殺傷力は低いですから(殺傷力が高かったとしたら、鎧が存在する必然性がない)、非常に合理的な戦法といえるでしょうね。
勿論、鎧の上からの攻撃がなかったわけではないでしょうが、それだけで致命傷を与えるのは難しかったのでしょう。致命傷を与える必要がない場合は、そのような攻撃も多用されたのかもしれませんね。

その他には、剣以上に戦場で騎士が使う事が多かったというポールアクスという斧系の武器がありますが、斧としての使い方は殆どしなかったようです。ポールアクスも、基本的には大剣と同じような使い方だったとか。

>中国の白兵戦
これについては、中国武術研究家の笠尾氏が、三段階に変化したという説を主張してます。

1 戈と矛の時代(殷、周)
2 剣と戟の時代(春秋戦国〜秦、漢)
3 刀と槍の時代(唐〜)

という事になるようです。
漢〜唐の間が抜けてますが、恐らく、剣戟と刀槍の転換期ということなのでしょう。
ただ、刀術が完成されたのは清であり、明まではあまり発達していなかったという説もあるようです。
多少の違いはありますが、このような変化は、他国にも大体あてはまるのでは?という気がしますね。
日本でも、最終的には刀槍になってますし、西洋でも、サーベルを広い意味での刀と考えれば、最後は刀槍に行き着いてますよね。
まあ、似たような武器でも、実際の使い方は地域によって違うわけですが、最後は同種の武器にたどり着くというのは面白いです。

>刑事物語
武田鉄也がハンガー振り回して戦うという事しか、覚えてないです。
あ、一つ思い出しました。ハンガーで戦う練習をしていたら、失敗してハンガーを飛ばしてしまうというシーンがあったような気がします。

>南少林
崇山少林寺が弾圧された時に、南方に逃れた武僧が創ったとかいう伝説ですよね?
南方に逃れた武僧が武術を伝えるというのはありそうですが、少林寺をつくるというのは、確かに伝説であって史実ではないでしょうね。

>少林寺
ここ
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/axian/sankou/shaolin/wushu_03d.html
の論文を読めば、少林寺と少林拳の歴史と現状は、大体分かると思われます。
少林寺系の抗日組織が複数あったとされていますが、これ
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/axian/sankou/shaolin/qiuguohui_1.html
もその一つのようですね。
少林武術救国会歌の歌詞を読むと、日寇と表現されていますが、徹夜城さんが説明されているように、倭寇ってそういう認識なんですねえ。



#6690 
十一郎 2006/05/09 05:51
鄭和番組

前半の、特に中国側研究者の発言が現代中国賛美と重なっていて、私もかなり引きながら見てました。しかし第2部でそういった歴史利用についても言及されていたので、まあ悪くなかったかな、と。

期待しすぎたのか、ドラマ部分はかなりガッカリで、部分部分に良いところはあったものの、ぶつ切りなので「別に有名な監督に撮らさなくても……」とか思いながら見ていました。
逆に腰をすえて丸ごと再現ドラマにするか、ドラマ無しで人形やCGアニメだけにするかでも良かったような(しかし影絵まで使われるとは、表現方法に節操のない作りだったなあ)。

>NFさん
国会議事堂や城を作った事までは知っていましたが、まさか偽史を元にした看板まで立てているとは(笑)。

城(それも天守閣があるタイプ)というのは小金持の心をくすぐるようで、個人宅を城のように改造している例は時々TVで見かけます。



#6688 
尾鳩 2006/05/09 00:34
結構続くもんですねぇ

>武道、武術
途中でブランクがあったような、無かったような、結果的には、この掲示板にしては続いているなあという感じ。

>少林寺ビジネス
管理人さんから、「鄭和並に海外を・・・」なんて言われたからではないんですが、少林寺、えぇ行ってきましたとも。

もう15年近く前ですが。
80年代に例の「少林寺」がヒットして以来、中国全土、果ては海外からまでも「武術留学生」がどーーっと押し寄せたなんて聞いたことあります。
で、拳法の「け」の字も知らないような地元の農民などが、詐欺同様にそれらの「武術留学生」等から金を巻き上げるなんて事件が多発したそうで、それで急遽、中央政府が少林寺一帯を整理して、幾つもの少林寺武術学校を設立した、という話みたいですね。

私が訪れたときも、少林寺の周りにそれらの学校が、まさに乱立状況でしたよ。
生徒の多くは農民のせがれ。将来のジャッキー・チェン、ジェット・リーを夢見ている連中も少なくないとか。また、ガードマンとしての就職も悪くないようですね。「少林マスター」として、かなり高給で雇われるらしいとのことを、BBCのドキュメンタリーでやってましたね。

いやあ、私もですね武道を長年やっておりまして、中国の少林寺で是非中国武術を学びたいなんてことを切に希望していた時期があったわけですよ。
もう15年以上前ですが、読売新聞に、1年間少林寺武術学校で修行したという方の記事が載ってまして、その方にコンタクトを取ってまで、潜入しようとしたことなんかがあったわけですよ。
その方が言うには、日本少林寺拳法協会を通して紹介してもらったほうがいいなんていうもんですから、私もその協会に連絡を取りました。四国の多度津にあるやつですね。
ちなみに、この日本少林寺拳法、中国武術とは別物と考えた方がいいですね。技は、むしろ日本の古武術の影響が強い気がします。
北京の大学とこの少林寺学校、両方留学申請を出して、結果を待ったわけです。どちらか早い方にしよう、と。結局は、北京の大学からの返事が早く、私は武道家になる夢を諦めたわけです、はい。
80年代に少林寺に殺到したという「武術留学生」を笑えない自分でした。
ブルース・リーの映画を見てヌンチャクに夢中になり、ジャッキー・チェンの「酔拳」を見て、実際に酒を飲んで暴れてしまう人たちと同類ですな(笑。

まあ、北京でも折角なので中国武術を習いました。八極拳と蟷螂拳。前者は、「拳児」なる漫画で有名ですし、後者は「刑事物語」を知っている人ならご存知かな。「たけーーっし、ハンガー!」と武田鉄也が絶叫するシーン。この掲示板で知っている人いたら嬉しいなあ。まあ、かなりミーハーですね、私も(^^;。

>南少林
の話って、耳にしたことあります?現存する河南省の嵩山少林寺に対して、福建省あたりに存在したという伝説の少林寺。「少林寺36房」なる映画の舞台として描かれていたやつです。
嵩山少林寺が唐王朝に擦り寄って特権を得たのとは相反的に、最後まで清朝に抵抗、果てには焼き討ちの憂き目にあい、多くの反清復明の拳士が下野したという。それらの拳士が創立したのが、天地会等の起源になっているとか。

映画「少林寺36房」で出てくる「三徳和尚」、彼こそが門外不出であった南少林寺の拳技を民間に広めたそのお方ということのようなんですが、まあ、もちろん言うまでもないことですが、伝説の類です。
辛亥革命期に創られた伝説ですね。
ただ、かの映画の主役、劉家輝という俳優なんですが、その「三徳和尚」の子孫であると公称している点が面白いなあと。
調べてみると、恐らくこういう伝説上の人物を祖先に置いている家系というのは、多いんじゃないかなあと思うんですよ。そういう方って、周りにいませんか。いないかなあ・・・^^;。

>巫俊様
ずいぶんとご無沙汰しました。
もうお忘れかもしれませんが、とりあえずご質問にはお答えしないといけないかなあと思いまして。
私がはまっている歴史の事柄、でしたっけ。ずばり、遊牧民の歴史ですね。
なんだかんだいいながら、このダイナミズム。圧倒される思いです。
賛否両論も多いようですが、やはり杉山正明先生の視点、鋭いなあと思います。中国史を選考してきた自分からすると、なるほどなあと頷く点が多いんです。
特に、あの「国民国家」に対する冷めすぎとも思える視点、正直ぞくっとしますよ。



#6687 
巫俊(ふしゅん) 2006/05/08 21:16
棒といえば

死刑囚や獣を処断するときに中国古代(殷)では、棒で打ったことは確実なようです。(甲骨文)



#6686 
巫俊(ふしゅん) 2006/05/08 21:14
棒術といえば

餓狼伝説の赤頭巾、、、ではなくて(笑)
宮城谷昌光の介子推の棒術が想起されるのですが、中国古代の棒術というのはそれ以外に今のところ聞き覚えがないのです。
宮城谷の世界は、あくまで小説のなかの春秋時代ですからね。

剣は西周の貴族も帯びています。どれくらい普及していたかは分からないんですけど。
精巧な剣が完全に普及しきっていなかったことは、左伝なんかに剣をねだるエピソードがあって想像もできるんですが、
不出来な剣も考古学の発掘写真によると、いろいろあった様子。

剣ってのは金属製が普通なはずですから、新大陸では量産できなかったのでは?
アメリカ西部のインディアンが、アラスカ経由で交易して手にいれた日本刀を使用していたという人もいます。

http://ip.tosp.co.jp/i.asp?I=uruseiyatsura_com


#6684 
ブッチャ−3世 2006/05/08 18:46
棒のほうが痛い

>棒術
剣が中世の武器では主流みたいな印象があるのは
創作騎士物とかの多くが派手な剣闘を演出する場合が
多いからで、実戦では槍・棒が主流で白兵戦では棍棒が
西洋の戦いの主流だった、と私の武具マニアは言って
おりました、中世で剣がよく使われた地域はインドや
アラビアンの世界、日本と、あまり世界的に広い分布
でもないそうです、西洋や中華も古代では剣が流行った
時期もあったそうですが
(西洋はギリシア時代、中華は春秋時代)
長くは続かなかったとか。
そういえば、三国志演義の格闘描写も槍のものが多い気が
しますね。
新大陸は、特にインカは戦闘に刃物があまり使われず
棍棒で叩き合うのが戦いの主流で、インカ時代に脳外科手術の
技術が発達したのは棍棒戦闘で脳内出血した戦傷者の治療が
頻繁だったから、という説があるとか。
アメリカが今、脳外科医療の最先端をいくのは一説には
アメリカンフットボ−ルであまりに脳負傷が多く
脳外科手術の術例が格段に多い国柄もあるのだとか。
アメリカンフットボ−ルの球団はどこもMRIを完備して
試合に臨んでいるとか。




#6683 
アール・ケイ 2006/05/08 17:20
補遺補遺のホイ

>津川氏の城

リンク先で触れているかもしれませんが(未確認)、テレビ朝日のドラマ『相棒』の「閣下の城」というエピソードで登場してました。津川さんも出演してますが、「城の持ち主」は長門裕之兄さん演じる元大物大使という設定でした。


そうですか、チェン・カイコーがNHKのリクエストに答えて撮ったんですか。
それはそれでなめられたものですね(笑)。
そのうち「月に最初に到着したのは鄭和のロケットだ」とか言い出しますよ、あの国。





#6682 
徹夜城(ハンドルネームには城がついている管理人) 2006/05/08 13:34
しょ〜りんけん!

↑「ストリートファイター」のパロディのつもり(笑)。「スト2」がアメリカで流行った頃、日本人が「昇竜拳」の発音を正確に言うと、えらく受けたんだとか(笑)。

>景虎さん
 倭寇対策に少林寺僧兵が動員されたらしいという話は、確か『江南経略』という資料に逸話として出てきた覚えがあるんです。当時倭寇対策にあたった武官で万表(「海上史人名録」に収録ずみ)という人物がいるんですが、彼が少林僧兵と共に戦ったという話があったはず。いま該当箇所を探してるんだけど見つからないんですが…(^^;)。ただおぼろげな記憶では確かに拳法ではなく「棍」を使っていた気がします。
 手もとにあった『籌海図編』をパラパラと見ましたら、倭寇対策に動員できる「客兵」の候補の中に「僧兵」の項目がありました。その文を書き下して引用しますと、

 今の武芸、天下みな少林を推す。その次は伏牛なり。これを要めるに伏牛の諸僧もまた鉱盗(鉱山から起こった盗賊)を禦せんと欲するによりて少林に学ぶ者のみ。その次は五台なり。五台の伝はこれ楊氏を本とし、世にいわゆる楊家鎗(=槍)これなり。

 と、「少林」「伏牛」「五台」の三つをあげています。武術には詳しくないんですが、検索してみると五台の「楊家槍」ってのはあの「楊家将」の話と絡んでくるみたいですねぇ…
 兪大猷も棍をやってたというのは初めて知りました。資料を見ているとあくまで指揮官であってあんまり自分でチャンバラやる感じではないんですけどね…。まぁ同僚だった劉顕みたいに二刀流で凄かった人もいますから。


>ひでさん、巫俊さん
 僕も言われて気付きましたが、あの女性ジャーナリストが「中国が海を支配した時」の作者なんですね。あの本自体はちゃんと読んだことがないんですが(日本版表紙以外にもあんまりかんばしくない評も聞くので)、なるほどあの番組で言ってたようなことを言うわけだと納得したところも。
 津川さんがヨーロッパの城を移築したって話はありましたねぇ、そういえば。長いこと続報を聞いてなかったんですが、やっちゃってたんですね。

>アール・ケイさん
 鄭和のドラマ部分ですが、事前の宣伝番組を見た限り、NHKのあの番組用にわざわざ陳凱歌監督に演出させて撮ったものらしいですよ。あの監督のことだから実際に「鄭和」をドラマや映画にする場合はCGの船なんかじゃ満足しないでしょう(笑)。一隻ぐらいはセットで作っちゃう気がします。
 あの番組、確かに中国ヨイショ番組と言われる要素は多かったですね。最近中国がアラブ諸国やアフリカ諸国と関係強化をし、企業も進出しているのは確かですが、それと鄭和はまた別の話だろうと。
 そういや「鄭和来日説」にはまるっきり触れてませんでしたね(笑)。けっこう真面目な人が書いた大航海時代本でも「史実」として書かれちゃってたりもするんですが。僕が日ごろ見ている16世紀の倭寇対策書・日本研究書でも「鄭和が日本に行った」としばしば明記されています。あの番組でも説明してましたが鄭和の業績は彼の死後まもなく記録も抹殺されほとんど忘れ去られちゃっていきますからねぇ…前にも書いたけど鄭和遠征は「アポロ計画」であり、鄭和来日説やアメリカ到達説は「アポロ陰謀論」みたいなもんなんじゃないかと(笑)。


>ちょこっと更新作業(史点以外)
 リンク先に一件、歴史サイトというわけではないんですがご縁があったので「華×耕」様方を追加しています。
 また「歴史映像名画座」に「力道山」「遥かなる西部」の2件を追加しました。



#6681 
アール・ケイ 2006/05/08 10:40
鄭和の遺伝子

あの番組のドラマ部分ですが、当然もとのちゃんとしたテレビドラマがあって
そこから部分的に引用しているということなのでしょうね?
(検索すりゃ分かるのかな?)
しかしそうだとしたら天下のチェン・カイコー監督もなめられたものですな(笑)。
新・中華共栄圏の宣伝だとか、その手のサイトだとうるさく批判されてるでしょうね。

やっぱりムロタイで、鄭和と義満の対面って描くべきだったのでは?(笑)
「私と貴方がこうして友誼を結べなければ、“明寇”が起こっていたかもしれません」
なんてセリフを言わせたりして…。
しかし、あんな巨大な船を作る造船技術や莫大な量の木材資源はどうしたんでしょうね。





#6680 
景虎 2006/05/08 07:30
ロックハートって、某ゲームのキャラでいたような

>稲妻雷五郎
確か、辞世の句は『稲妻の 消え行く空や 秋の風』でしたか。
もっとも、亡くなったのは三月らしいですが。俳句はよく分かりませんが、辞世は秋って入れとけ、という決まりでもあるのでしょうか?

>変なお城
真似て造ったのではなく、ヨーロッパからの移築があったとは知りませんでした。

>少林寺ビジネス
あそこも、80年代初期の頃は観光化されてなかったようですね。
興味深いのは、本来の少林拳とは別に、現代になって作った少林拳があるようで、少林寺内部でも、周辺の武術学校でも、少林寺が公式に海外に派遣している武僧団も、やっているのは現代版が大部分だとか。
本来の少林拳を知っている人は少なく、あまり教えたがらないそうですから、日本で言う、現代武道(剣道や柔道など)と古武道(一刀流や楊心流など)の関係とほぼ同じですね。
因みに、徹夜城さんの専門分野である倭寇が暴れていた頃は、少林寺は拳法よりも棍法(棒術)で有名だったとか。原典を読んだ事はないので孫引きですが、戚継光の『紀効新書』によれば、武術名家の一つとして、少林寺之棍が紹介されているようです。
まあ、『紀効新書』は出版年によって内容に違いがあるようなので、すべてに書いてあるのかどうか分かりませんが。

>兪大猷
この人も、武術史的には棍法で有名な人ですね。
やっぱり孫引きですが、何良臣の『陣紀』によれば、「兪大猷の棍。表裏相為して不伝の秘法有り。」だとか。息子さんも、棍法ができたんでしょうかね?



#6679 
ひで 2006/05/07 10:14
残念

555555を逃した(笑)

>ルイス・リヴァシーズ
ここの掲示板の過去ログでも以前紹介されていた「中国が海を支配したとき」(新書館、1998)の著者ですね。
邦訳版では鄭和を扱っているのに表紙がひげを伸ばした武将の画になっている(笑)といったことがそのときには話題になっていましたっけ。

>変なお城
日本式の城ではありませんが、こんなお城も日本に存在しています。
http://www2.wind.ne.jp/lockheart/
http://www.granpapa.com/netshop/lockheart/menu.html

http://pezetairoi.hp.infoseek.co.jp/


#6678 
巫俊(ふしゅん) 2006/05/05 00:44


>番組中でしばしば出てきた鄭和研究のジャーナリスト
すごく大胆なことを流麗に口走っていましたよね。
ジャーナリストというだけあって見かけの説得力は抜群でしたけど。
上田先生は落ち着きを払ってらっしゃるのか、最低限の言及にとどめていたような感じでした。

http://ip.tosp.co.jp/i.asp?I=uruseiyatsura_com


#6677 
徹夜城(昨日はアニメ夜話もチェックして時間をとられた管理人) 2006/05/04 22:22
鄭和番組

 今ごろになって感想など。
 事前に予想した以上に長い番組になってましたね。先日やはりハイビジョン番組として制作された「雪舟」をBS2で見たのですが、作り方はかなり似てました。ハイビジョンでは長時間枠をとれるから、あるいは長時間埋めないといけないからの両方の理由なのかも。昨日の番組なんかは料理のくだりとか明らかに無駄に時間をとってるところがありましたよね。

 最大の見所は鄭和の生涯をドラマで見せる部分があったことでしょうか。番組のスタッフロールに小さくしか出てませんでしたけど、あれ陳凱歌という中国を代表する映画監督による演出なんですよねぇ。「覇王別姫(邦題「さらば、わが愛・覇王別姫」)」「荊軻刺秦王(邦題「始皇帝暗殺」)」などが代表作。最近真田広之・チャン=ドンゴンらを集めて「PROMISE」なる中華ファンタジー映画を作ってましたが、これはボツった感じですが。
 まぁあくまでTV教養番組の挿入場面としてのドラマなので映画並みとはいきませんが、鄭和の少年時代から靖難の変、大航海へとドラマ仕立てで見られたのは貴重でした。去勢シーンは男性としてはまさに本能的恐怖を覚える場面でした…(^^;)
 鄭和を演じてた俳優さんが誰だか分かりませんが、よく銅像なんかで描かれる姿のイメージで選んでますね。永楽帝役の人は「三国演義」の董卓役にも似てましたが確信はありません。

 CGで大艦隊を再現というのも見所でしたが、実のところ鄭和の「宝船」がそんなに巨大だったということには中国国内の一部学者も含めて異論はあるんです(昨日の番組も断定は避けていたと思いますが)。造船・航海史の研究者である山形欣哉氏の「歴史の海を走る―中国造船技術の航跡」という労作がありますが、この本でも前後の造船技術からも鄭和艦隊の船だけがその時代だけ突出して巨大だったということには疑問を投げかけてます。造船所跡から巨大な操舵棒が見つかったことが140mもの巨船の根拠になっているのですが、それより後の中国船の記録でかなり大きい操舵棒でもずっと小さい船が存在している例を挙げて、せいぜい50mクラスの船ではなかったか、と推測しています。もちろんこれでも当時では世界最大級の艦船なんですが。
 まぁこの鄭和艦隊の遠征自体が前後に例がない(規模・目的からいえば世界史上でも類似例が無いような気がする)大事業なので、そのために空前絶後の船を作っちゃった可能性も捨てきれない…とは思えますが。

 気になっていたメンジースの「1421」は言及はしてみた、って程度で軽く扱ってましたね。「こんな話題もあります」って程度で。前述の「歴史の海を走る」でも引き合いに出してますし(牽強付会と断じてますが)、上田信氏の「海と帝国」でも触れられています。
 そういや上田先生ご自身も出演されてましたね。改めて「海と帝国」の鄭和のくだりを読むと、この番組の大まかな元ネタはこの本に拠ったんじゃないかって気もします。

 TV番組というのは特にそうだと思うんですが(他のジャンルでもある程度あるとは思いますけど)、今日的問題と絡めて番組の取り上げた対象を持ち上げる、という傾向がやはり鄭和特番にも見られました。「平和的な外交」「異文化の共存」といった要素を鄭和遠征に見出して賞賛する内容には「ちと持ち上げすぎじゃないかな」と思ったのは事実。
 特にメンジースにしても番組中でしばしば出てきた鄭和研究のジャーナリストにしても「ヨーロッパは侵略的にアジアの海に乗り出したが、鄭和はそうではなかった」という、ヨーロッパ人の原罪意識から欧米における「鄭和ブーム」があるんじゃないかという思いを強くしましたね。
 確かにポルトガルやスペインは同じ海域に来た途端に戦争・占領・収奪を行ってまして、その百年近く前の鄭和艦隊とは大きく異なってはいます。ただこれは文明論的に解釈するよりも、鄭和の場合は「モノを持っている」立場であってもともと利益目的が薄い事業であったこと、対してポルトガルやスペインは「モノを持っていない」立場で利益そのものを求めてやって来た、という違いを説明したほうがよかったんじゃないかと思いましたね。
 まぁ一応鄭和艦隊がかなり高度な武装艦隊であり、時には軍事介入もしていた(マラッカ王国建国のケースはまさにそれ)ことにも言及はしてましたけどね。あと航海術のことも含めてイスラム文明のネットワークと鄭和遠征を結びつけるのも忘れてませんでした。改革開放・海外進出のシンボルとして鄭和がもてはやされるようになったことの紹介は面白いとは思いましたが、作り手の意図はともかく「鄭和も利用されてるなぁ」という印象を受ける部分もありました。

 しかしやはりTV番組の強みは鄭和が行った世界各地を実際に映像で見せてくれることですね。こちとら資料は読んでいてもイメージばかりで現地は見てませんからねぇ尾鳩氏なんかは鄭和なみにあちこち行っておられますが(笑)。
 見ていて思ったのが、「俺もこのノリで王直絶賛番組作れるなぁ」ということ(笑)。昨年の墓碑破壊事件なんかもからめりゃかなり面白いのが作れそうですが、それは「海上史事件簿」でやるべきですな。


>NFさん
 これはどうも。も〜笑い転げておりました(笑)。いろんな意味で凄い人です。

>阿祥さん
 兪大猷の息子というのは「兪咨皐(皋?)」のことですね。検索かけたら台湾史のページにひっかかったりしました。この人について特に言及してるわけではありませんが。
 「明史」列伝の兪大猷伝の文末に「子咨皐、福建総兵官」と官職だけが書かれてました。父の職を継いだというだけで(明の武官は世襲職)特に事跡のある人ではないみたいですね。地方志を当たると何か出てくるかもしれません。




#6676 
孟きょう 2006/05/04 12:46



 >NHK特番「鄭和」。あわてて視聴させていただきました。いやまあ、内容はともかくとして、このての番組もめったにやらないだろうし、鄭和関連の番組見るのは幼き頃からの夢だったので素直に少しうれしかったですね(笑)。



#6675 
阿祥 2006/05/04 10:57
兪大猷の息子

台湾で買った鄭芝龍の伝記「開啓台湾第一人 鄭芝龍」を読み返したところ、面白い人物がいたことに気がつきました。兪シコウ、漢字は“次の下に口”“白の下に本”と書きます。兪大猷の息子にあたるそうです。

鄭芝龍の親分であった李旦は平戸で活躍していましたが、中国本土に商売の代理人を置いていました。許心素といいます。かれは、実際は明軍の軍人でした。厦門で軍務につくかたわら、李旦との連絡を取っていたようです。そして、この許心素の上司である福建副総兵が兪シコウでした。許心素が行っていた貿易は、兪シコウの管理のもとで行われていたと考えられます。この時代は軍人が貿易の事務を行っていたんでしょうか。以前には市舶司という官職がその役割を担っていたように思いますが。ちょっと考えてみると、ショウ州は主にマニラとの交易を行っていたわけで、日本との貿易は依然として禁止されていたから、やはり密貿易の可能性が高いですね。
兪大猷は倭寇討伐でその名を歴史に残したわけですが、その息子は日本との交易に精を出していること、また、兪シコウは父親と同じく泉州晋江の出身ですが、厦門というショウ州勢の勢力範囲で貿易を行っているのが面白いところです。

鄭芝龍は李旦の亡くなった後、その勢力を自分のものとして発展して行くわけですが、その過程で許心素とは敵対関係になります。そして海賊行為を働いて勢力を伸ばしていた時期に厦門を攻撃し許心素を殺害、兪シコウは厦門を捨てて逃げるということになります。そして、芝龍は福建の一大勢力であるショウ州/厦門を勢力下におき、地元の泉州も押さえ東シナ海の軍閥にのし上がります。
福建省付近の港湾都市では泉州、ショウ州、福州、広東省の潮州、浙江省の温州、台州あたりが重要拠点だと考えていますが、他に考えておくべき都市はありますか。

兪大猷の息子の世代で鄭芝龍と関わっているというのが、新しい発見でした、やはり倭寇の時代と鄭家の人たちが活躍する時代は非常に近いんですね。ちょっと気になるのは、兪大猷の活躍する1550年代と、芝龍が厦門を攻撃する1620年代では普通に考えると三世代ぐらい違っているように思います。徹夜城さんの人名録には1573年ごろ死去とあるから、その直前に生まれた息子としても1620年代末には50歳以上になります。まあ、若い奥さんをもらっているか、庶子だとすれば十分考えられますね。



#6674 
NF 2006/05/03 01:19
テーマパークとお城と

各国テーマパークに限らず、遊園地そのものが経営困難のようで、僕の実家周辺でも複数の遊園地が歴史に幕を降ろしております。最初は単に不景気のせいかと思ってたんですけど、戦時中・終戦直後の混乱期も生き延びてきた歴史を持つ遊園地たちですからそれでは説明にならず。考えると、寧ろ不景気とはいえ生活水準が一定以上を維持されたことが原因な気が。生活に余裕のある状態で育った人間が増えた結果、日常にも娯楽・余暇を求めるようになる。そして、通常の町のビルなどにも遊戯機械(コースターや観覧車など)が作られるようになり。それに、かつて遊園地に求めていた仮装世界での遊興はゲームやネットで代替がきく。かくして、わざわざ遊園地に行く必然性が薄れる。わざわざ足を運ばせる為には、訪れる人間の興味を引ける題材で仮装世界を作り上げ(ハリウッド、ディズニー、ウルトラマン、ポケモンetc.)満足するに足る質を備えるしかないわけで。大多数のテーマパークは、普通の人が遊びにいくにはお堅すぎて面白くなさそうで、その筋の人にとっては図書館や博物館に及ばないといったところだったのでしょうね。

ところで、「史実考証なんてお構い無しで作られちゃった『城』」といえば、ここ↓はお約束かと。
http://algolium.farewell.jp/report/odagawa.htm

では、お後がよろしいようで。



#6673 
徹夜城(ようやく連休になる管理人) 2006/05/02 23:41
鄭和特番、明日放送。

 以前話題になったNHKハイビジョン特番の「鄭和」、やはりあれだけ金かけて作っておいて総合地上波で放送しないはずはありませんでしたね。明日7時台から2部構成で放送します。「アニメ夜話」にもひっかかるのでW録しないと(笑)。
 どういう内容なのかちと気になるところもあるのですが、海洋史専攻としてはチェックしておかないと。
 そういや先日の「○○村」を検索していたら、人民日報だったかな、中国の新聞でアフリカにある「中国村」の記事にぶつかってしまいました。「中国村といっても中国人はいない」という見出しで、鄭和がらみの話のようだったんですが、途中部分しか見つからなくって。

>Кискаさん
「ロシア村」はそういうところでしたか〜伝聞とはいえそこそこ真面目に作ってあったのでしょうか。もっともこの手の施設は中途半端に真面目に作るとコケるという傾向もありますね。

>ickeさん
これはこれは、ご紹介どうもです。「ニュージーランド村」は盲点だったなぁ…(笑)。「オーストラリア村」も見つからなかったので(ニセコのはオーストラリア人経営者などが多くいるため)思いが及びませんでした。


>テーマパークじゃないけれど
いわゆる「地域起こし」で地元がらみの妙な建物を作りたがるというのは自治体の長のサガのようなものらしいのですが、以前車で茨城県南西部を走っていて、こんなもんが見えてきてたまげたことがあります。
「豊田城」(正式には「石下町地域交流センター」というそうですが)
http://www4.airnet.ne.jp/kmimu/castle/kanto/toyota.html

 史実考証なんてお構い無しで作られちゃった「城」も全国各地にありますね。墨俣城も話題になりました。
http://www.shirofan.com/shiro/toukai/sunomata/sunomata.html
この城で起こった「金のしゃちほこ盗難事件」は以前「史点」でも書きましたが、その後また再製作したそうで…
http://www.tanteinews.com/scoop/botu03_06_20/12.html



#6672 
icke 2006/05/02 20:21
村ネタ

これもあります・・・。地味に。
http://www.navitown.com/nzv/
確か未出ですよね。



#6669 
Киска 2006/04/30 14:25
突然、『アウステルリッツ』を思い出して

これはW.G.ゼーバルトの遺作なのですが、世界史に疎い私は、「アウステルリッツ」がドイツ語読みで、フランス語だと「オーステルリッツ」になること、この地がモラヴィアにあったことも認識していませんでした(何かナポレオンがらみの地名だったな、程度の知識しかなかった)。小説は私が未だ一度も行ったことのないアントワープ、ロンドン、ウェールズ、プラハ、テレジン、マリアースケー・ラーズニェ(ドイツ名マリーエンバード)、ニュルンベルク、パリといった地を巡り、最後にカウナスの、私が実際訪ねたことのある場所の、10年前確かに目にした文字を示して、唐突に終わりました。

>また、「村」ではありませんがアウシュビッツ平和博物館というのがあります。以前栃木にあったのですが、現在は福島県白河へ移ったようです。

栃木にあったときに教会で訪問したことがあります。不便なところでした。賃貸借契約が更新できずに移転したとのことです。
私はアウシュビッツには行ったことはないですが、リトアニアのカウナス郊外にある元収容所には行ったことがあり、それに比べれば平気だろうとたかをくくっていたのですが、・・・・・・・・。
大人数で行ったからだと思いますが、当時の館長さんが奥から「石鹸」を出して見せてくださいました。人体の油脂からつくられた、世界中でも3つしか現存していないもの(あとの二つはアウシュビッツと、N.Y.の博物館に保存されている)だという。
都内には、チェコのテレジン収容所にいた少女ハナ(ドイツ風に「ハンナ」と表記している方が一般的)の鞄をはじめとした遺品や資料が置かれている小さな資料館(マンションの一室)がある(はず)ですが、一定の広さを確保できる場所というと、東京近郊にはできなかったのでしょうね。

>新潟ロシア村(新潟県阿賀野市)

ロシア村、管理人様もご存じなかった?新潟県出身の友人も殆ど知らなかったしね。開園当初から「今のうちに行かなきゃ。そのうちきっと潰れるから」とクラスメイト同士で言っていたので、結局一度も行かないうち閉園になったけど、よくこんなに長いこともったな、という感が強いです。
知人で行ったことのあるのは二人だけ。仕事上でのご招待だったので、付属のホテルの一番いいお部屋(豪華スイートルーム)に女性二人で無料で宿泊し、ロシア村自体は、絵画はなかなかよいものが展示されており、民族舞踊ショーも悪くはなかったけれど、ロシア文化に興味のない人が行ってもちっともおもしろくはないだろうとのことでした。
もめそうな銅像とかはなかったのではないかと思います。




#6668 
徹夜城(朝から変なリストを作っていた管理人) 2006/04/30 12:32
もし日本が世界の村だらけだったら(笑)。

 トルコ文化村の件で興味を持ったので、ネット検索で似たような「○○村」を探してみました。いや〜あるもんです。

東京ドイツ村(千葉県袖ヶ浦)
http://www.t-doitsumura.co.jp/
ドイツ以前に千葉県にあるのに「東京」と名乗るのが凄い。千葉県浦安にある「東京ディズニーランド」の例もあるとはいえ、千葉県中部でそれは無理。アクアラインで直結してます、と言いたいらしいが。

ブリティッシュ・ヒルズ(福島県岩瀬郡天栄村)
http://www.ten-ei.net/temp/shops/46/46.htm
「イギリス村」だそうです。

安曇野スイス村(長野県)
http://www.dia.janis.or.jp/~swiss-v/
まあ「日本アルプス」がある時点で誰もが考え付くことでした。
しかしなぜか京都の丹後半島にも「スイス村」が。
http://www.meitenkan.com/spots/yasakachou/suisumura/

名古屋港イタリア村
http://www.italiamura.com/
ヴェネチアを再現。

志摩スペイン村(三重県)
http://www.parque-net.com/index.html
ここは有名。

鷹島モンゴル村(長崎県)
http://www.themepark-kyushu.com/page/mon.htm
大昔にモンゴル軍に襲撃されたのが縁なのだが(笑)。
また、岐阜県恵那市には「モンゴル村」なるキャンプ場が。
http://itp.ne.jp/contents/kankonavi/gifu/camp/gif_cam08.html

虹の郷(静岡県修善寺)
http://www.nijinosato.com/
ここに「イギリス村」と「カナダ村」を発見。

ヨロンギリシャ村(鹿児島県与論町)
http://www.clair.or.jp/j/forum/forum/town/183_2/index.html
奄美大島にある。とりあえず同町の国際交流報告のサイトを紹介。

フランス村(福井県)
http://www.space-koubou.com/tateuri/makino-f.html
テーマパークではなく建売住宅です(笑)。
また、青森県三沢には核燃料サイクル施設の技術者のフランス人が多く住む俗に「フランス村」と言われる地域があるそうで。

アメリカ村(大阪心斎橋)
http://www.medic-web.jp/04amemura/index.html
これもテーマパークではありませんが(笑)。
アメリカネタテーマパークとしては栃木県日光に「ウェスタン村」があります。
http://www.western-mura.co.jp/
検索してたら以前ここに「メキシコ村」があったらしいのですが、今は無いような…。

ブラジル村(群馬県大泉町)
http://www.brasilmura.com/
これもテーマパークではなく、交流サイト。大泉町は日系ブラジル人が多数住み「ブラジル村」の異名をとってましたが、そういう名前のサイトまであるとは知らなかった。

長崎オランダ村(長崎県西海市)
http://www.yado.co.jp/kankou/nagasaki/oranda/oranda.htm
これはハウステンボスに取って代わられた形。
で、下がいまなおなんとか経営しているハウステンボス。
http://www.huistenbosch.co.jp/top.html

新潟ロシア村(新潟県阿賀野市)
http://www14.plala.or.jp/kasya/rosiamura.html
こんなのあったのか、と思ったらすでに閉園(^^;)

富士ガリバー王国(旧上九一色村)
http://nobo-y.hp.infoseek.co.jp/nk_kako2.htm
あの上九一色村がオウムイメージを一掃しようと着くったものですが、すでに閉園。ここに「北欧村」がありました。
なおテーマパークではありませんが、阪神淡路大震災のあと淡路島津名町に復興町営住宅「北欧村」が作られていました。

ニセコのスキーリゾートで俗に「オーストラリア村」と呼ばれるものがあるとか。

インド村なるインド料理チェーン店がある模様。
兵庫県加古川市が「インド村」の構想をもっていたが核実験の時に凍結したとの話も見つけました。

また富山県新港市に「中国村」構想もあったようで。下は議会の議事録。
http://homepage2.nifty.com/himono/h0603.htm

「韓国村」は焼肉店の名前(笑)。韓国に限らずこの料理店「○○村」パターンも多かったです。
大阪りんくうタウンに韓国の食と文化のテーマパーク「コリア村」の構想があったようですが、お流れになったようで。

また、「村」ではありませんがアウシュビッツ平和博物館というのがあります。以前栃木にあったのですが、現在は福島県白河へ移ったようです。
http://www.jca.apc.org/~maki_t/sirakawa0429.htm
平和を訴えたい気持ちはわからんではないのですが、これをわざわざ日本の田舎に作るというのは…

 とりあえず今日の朝からササッと見つけたところを並べてみました。黄金週間、海外へ行かなくても「世界旅行」気分は味わえる!?(笑)


>十一郎さん
 ブリティッシュ・ジョークなんでしょうねぇ(笑)。



#6667 
十一郎 2006/04/30 08:01
ミンメイ・コード

某書房ネタで盛り上がっている所、非常に小さなネタですみません(映画公開をひかえているだけにどこで書くべきか迷いましたが・・・)

『ダヴィンチ・コード』が盗作だという裁判で、裁判官が判決文に『ダヴィンチ・コード』に書かれていた方法で暗号を組み込んでいたとの事。内容はドレッドノート(超ド級の語源)提督を誉めたたえる文言とか。
公私混同はなはだしいですが、まあ罪の無いお遊びと言えなくもなし。

※ちなみに判決は原告の訴えをしりぞけ、盗作疑惑は晴れる事となりました。



#6666 
ひで 2006/04/30 01:21
使えそうな物を全部放り込んだような・・・

>柏崎トルコ文化村
なんかやけにギリシア文化っぽい物が多いような気がしますが、現在のトルコ共和国のある地域で古代から現代まで建てに見ていくと古代ギリシアの文化の要素を無視するのは難しいでしょうし致し方ないのかなとも思います。しかしそれならギリシアより前にあの辺りにあったヒッタイトに関しても扱うべきだと思いますがサイトを見る限りではその辺は見あたらないようです。また、ビザンツ帝国なんかもみられないというのはどうかと(ハギア=ソフィア寺院もいまはモスクだし)。もっとも、「トルコ三大文明展」でもヒッタイト帝国に関してはツボとか碑文とかが多くビザンツ時代のネタは少なくてギリシア、ローマ関係の物で埋めているような感じでしたから、難しいと言えばやはり難しいところだとは思いますが。

「アレクサンドロス大王の棺」ですが、イスタンブル考古学博物館に「アレクサンドロス大王の石棺」と呼ばれる物は確かにありますが、あれは単に石棺の浮き彫りにアレクサンドロス大王(とおぼしき人)が彫ってあると言うことから付いた名前ですし(そもそもアレクサンドロスの墓や遺体自体が見つかってないんだし)、そもそもテーマパーク内にぽつんと棺を置いてもあまり意味がないような気もします。

まあ、テーマパークとしてあまり何をしようとしているのかよく分からないかんじですが、その辺もここが閉鎖してしまった理由になると思います。

http://pezetairoi.hp.infoseek.co.jp/


#6665 
NF 2006/04/29 19:26
民明と中国

>gallery様
どうやら、「民明書房大全」によれば民明書房は大河内民明丸氏が大正十五年に創立したもので(作品の多くも彼の手によるものと思われる)宮下氏はその愛読者に過ぎないそうです、真偽のほどはともかくとして(爆)。「大河内文書」の方がふさわしいかも。
>徹夜城様
そうなんですよね、中国っぽく漢字を当てているけどよく見たら訓読みが平気で混じってたりしますし。李登輝元総統のコスプレ…、そんなこともありましたね。硫酸の海に何度か落ちるくらいは屁でもない位の逞しい心身を持ったエリートが育つことでしょう。武闘派(というか肉弾戦派)の総統や体がバラバラになっても平気でカムバックしてくる国防のトップの誕生に期待したいものです(笑)。



#6664 
NF 2006/04/29 19:11
ケマルの銅像

頭の痛い問題ですね。像が然るべき場所に収まればいいんでしょうけど…。というわけで、柏崎市は売却なんてセコいイメージの悪いことはせず、エルトゥールル号の眠る串本町に寄贈してくれれば一番ではないか、と思ったりします。かつて2002年のW杯における日本-トルコ戦でも「私たちは串本町の人間です、だから今日は非難されようととるこの応援をしなくてはならないのです」とトルコを応援していた人たちが何人かいたと聞きますし、ケマル像が安置されるにこれ以上ふさわしい土地は日本にはありますまい。かつて祖国の行方を憂いつつ異郷で落命した兵士たちにとっても、祖国を再建した英雄のそばで眠れることは慰めとなりましょうし。なので、串本町大島の遭難碑の近くにトルコの方角を向いて像を建てるのが最善かと。大島へのアクセスも、伝承では弘法大師でさえ断念したといわれる橋がかけられ、以前よりは便利になっています。「ここは串本、向かいは大島、なかをとりもつ巡航船」と歌われた光景も今は昔。
ただ、問題は串本に像を移しても訪れる人が少ないであろう事。串本(本州側)と大島には橋が架かっても、串本自体へのアクセスが便利とはお世辞にも言えないこともあり、観光客といえば多少、夏のダイバーが珊瑚礁を見に来る程度。ケマルにはさびしい思いをさせてしまうことになるかも。海運が盛んだった頃はそれなりに栄えたらしいんだけど…(大島には遊郭だってあったんだし)。
…えらく情緒的に過ぎる書き込みになってしまいましたが、生まれの地の関係で日本とトルコの関係となると僕にとっても人事じゃないんですよね…。取り留めのない妄想を書き散らしたことをお詫びしつつ一旦失礼します。



#6663 
徹夜城(そのむかし某所でジャンプ編集者が「瑪羅門の家族」連載前に宣伝してるのを目撃したことがある管理人) 2006/04/29 13:00
一応中文版もあるんです(笑)

>galleryさん
「宮下文書」にかなりウケました(笑)。
 「魁!男塾」ですが、他のジャンプ連載コミック同様に台湾や香港で中国語版がちゃんと出ておりまして、あちらでも知ってる人は知っている(そりゃそうか)存在ではあるようです。以前台湾の李登輝前総統が男塾のコスプレをして話題になったこともありますし(笑)。まぁ若い支持者がやらせたんだろうけど。
 さっきいろいろ検索で当たってみたんですが、あちらではタイトルはそのまま「魁!男塾」で、作者は「宮下亞喜羅」と表記されます。で、わずかではありますが香港や台湾のブログで「民明書房」の件に言及しているのがありましたので、これも知る人ぞ知るネタなのでしょう(笑)。
 ただし、「民明書房」ネタの大半はあくまで「日本の漢字読み」による冗談であるため、そのままでは向こうでは通用しないと思われます。この辺は翻訳時に改変してるんじゃないかなぁ。僕が見つけたブログでも「民明書房」の「孫悟空」の件しか触れてませんでしたし。
 「民明書房大全」はさすがに翻訳されてないようですが、あちらのオークションサイトに日本で出たものが出品されていたりしました。



#6662 
gallery 2006/04/28 18:20
「民明書房大全」

その中国起源説が多さから、これを中国に輸出すれば騙される人続出とみた。
日本発の偽書として定着して頂きたい。目指せ、田中上奏文。
おそらく中国では、作者の名をとって「宮下文書」と呼ばれることに(笑)



#6661 
不肖デルタ 2006/04/28 17:28
テーマパークといえば

テーマパークといえば、思い出したんですが
何かの科学誌で書かれてたんですがハウステンボス
ほどの街まるまる作るテーマパークを
実物大で建物を そんぐり作っていくのと
三次元立体体感システムでバーチャルリアリティの
テーマパークを作るのと、どちらが費用が掛かるか?
というと現在の電子技術力のコストダウン具合では未だ
建設工事で街を丸々造るほうが、擬似立体構築データーを
プログラミングのシステムより、安上がりなんだ
そうで。



#6660 
徹夜城(千葉県マザー牧場の「モンゴル村」には行ったことがある管理人) 2006/04/28 11:40
トルコ文化村はこんなところだった

 柏崎の「トルコ文化村」の話ですが、検索するとまだHPが残ってますね。昨年冬にはもう事実上の閉鎖だったそうで、今度のケマル銅像の件以前からトルコ大使館側と柏崎市の間で紛糾していたもののようです。柏崎は別にトルコの都市と姉妹都市だとかがあるわけでもないようで、なぜ「トルコ」を持ってきたのかは謎です。
 で、この施設の詳細を見てみたら、歴史的にツッコミどころが多くて、面白い。
 ↓ここが詳しいです。
http://xxokapi.cool.ne.jp/syoukai/torukomura.htm

「トロイの木馬」…ああ、ここでもこれをやってたのか。まぁ現在のトルコでも観光地になってるから分かるとして。「トロイの迷路」って何?
「ノアの方舟」…「アララト山」がノアの方舟がついたところということで、強引に入れたな。
「アレクサンドロス大王の棺」…うぉい。
「円形劇場」「アルテミス像」…「文化」ということではギリシャ文化村になってる気がするが。

 しかしこの手の変なバブル遺産施設って全国探すとあちこちにあるんだよな〜この施設は96年竣工とあったからバブル後、割と遅く作ったようですが。旧上九一色村のガリバー村とかもありましたっけ。

 ケマル=アタチュルクといえば、こんな話題も。

ガムかみ「トルコの父」碑献花で逮捕、与党支部長
http://www.cnn.co.jp/fringe/CNN200604270022.html
凄いです、トルコではケマルに対する「不敬罪」があるんですな。



#6659 
NF 2006/04/27 23:15
「知っているのか、雷電!?」

>ゴルフの起源
相撲の話題で雷電がどうとか書いた後なので、↑のような台詞も吐きたくなるもんです。しかし、こういう「ウチが起源だ」という話は韓国が時々やるらしいとは聞いたことあるんですが、中国まで…。いいたい事は大体皆様が仰っているのですが、何ともばかばかしいというか。ま、歴史がやたら古いんで色んなものが中国起源とこじつけられそうな気はします(アール・ケイ様の書き込みが冗談に聞こえなかったり(苦笑))。
因みに、民明書房によるとゴルフ以外にも中国拳法に起源を持つスポーツは多いようで。列挙するとフェンシング(辺真愚が完成)、卓球(筒翻具に由来)、アイススケート(趨計斗に由来)、スカッシュ(趨滑襲という武器による)だそうです。しかし残念ながらサッカーは古代ギリシアにおいて基本的技術が完成したとされているようで、唹凜葡繻十六闘神の拳兜稜卒(ケンタウロス)が棘付きサッカーボールを扱っています。
…歴史掲示板へ「民明書房大全」を片手に書き込むというアホをやってしまった。我ながら何やってんだか。



#6658 
ブッチャー3世 2006/04/27 19:17
きりないですな

>中国発祥
な〜んか「阪神優勝」の商標がどうの、のレベルですね。
そんなこといったら野球もといBaseBallだってクリケットが
原型だってことを言う説もあるからアメリカ発祥まで怪しく
なってくるから、やっぱり世界競技として、のしあげせしめた
国が元祖って基準がいいと思いますがね。
そういえば、ラグビーの発祥だって、サッカー試合中に
選手が思わず球を抱えて逃げたのが始まりって逸話は
発祥の秘話ではないらしいですね。



#6657 
アール・ケイ 2006/04/27 15:48
『ハルとナツ 届かなかった手紙』 …は入れないですよね(笑)

『わが町センテニアル』、懐かしいですよね。もう一つの『ルーツ』という感じで。
ぜんぜん違う話ですが、同じUSAのテレフューチャー『警察署長』というのもありましたね(原作は確か有名なミステリー)。3代3人の警察署長がある事件の真相を解明するという数十年に渡るドラマです。



ゴダイゴのメンバーはやはり南朝支持派なんでしょうか(爆)。全員クリスチャンだと思いますが(笑)。対抗してゴトバとかゴシラカワとかゴトウダとか、そういうバンドが出てきませんかね(最後のはちょっと違いますが(笑))。

山咲トオル氏もそのご先祖の横綱も、(男の)フンドシ(姿)が好きなのは同じということでいかがでしょう(爆)。

この際、ペストもHIVも鳥インフルエンザも梅毒も、贈収賄も児童虐待もDVも自爆テロも、ぜーんぶ中国が発祥の地ということでいかがでしょう(焼糞爆)。

以上、品のないネタでまとめてみました。




#6656 
徹夜城(昨日は交通博物館見納めに出かけていた管理人) 2006/04/27 13:02
先を越された(笑)

>ひでさん
 中国ゴルフネタ、書き込むつもりで先を越されました。民明書房の件といい、ほぼ書く予定のことをそのまんま書かれてしまいました(笑)。

 その代わりと言うわけではありませんが。
http://www.cdjournal.com/main/news/news.php?nno=11255
あの「ゴダイゴ」が結成30周年を期して再結成、という話題ですが、その特別コンサートが東大寺大仏殿前というところがミソ。世界遺産シリーズということらしいのですが、南北朝マニアとしては「ああ、ゴダイゴはん、南都の僧兵はアテになりませんえ」とツッコミを入れてしまうところ(笑)。


>NFさん
 稲妻雷五郎の詳しい情報、どうもです。なるほど、ホントに大相撲史の最初期の人と言う事なんですね。それにしても「雷電」といい、カミナリさま系統の名前が当時は強いイメージだったんでしょうね。
 この間大相撲の番付が発表されましたが、上位陣の出身地にカタカナ地名の多いこと、多いこと…みんな旧社会主義圏であるところが時代の流れを感じさせます。


>ickeさん
こちらでは初めまして(^^)。
まだアップはしておりませんが、「遥かなる西部〜我が町センテニアル」は近日中に歴史映像名画座に入れておく予定です。それを言ったら「ルーツ」も入れろということになりそうですが、なにぶん全く見ていないもので…

 ルパンの話はもちろんルパン専用「怪盗紳士淑女掲示板」のほうにお願いしたいところですが、まぁ広い意味での歴史話は全てアリになっておりますので(笑)。
 南洋一郎の別ペンネーム(というか本名)の池田宜政名義版「ルパン全集」は未読なのですが、ご紹介の部分は南版と同じなので、やはり児童向けリライトということなんですね、うーむ。
 気になるのがその「続813」は池田版では「アルセーヌ・ルパンの三つの犯罪」という原題に忠実なタイトルになっていること。レオン=マシェが助かっちゃったことになると「三つの犯罪」が構成されなくなるのですが…それともこれは「南洋一郎版」のお話でしょうか?すいませんが、確認させてくださいませ。

 いまなお一番広く流布している南版はまたあちこち変更されてるようですが、それでも南洋一郎が改変した部分は基本的にそのままみたいです。まだ全部は確認してませんが、「ふしぎな旅行者」「黒真珠」でルパンが最後に盗んだものを持ち主に返してしまう騎士道精神(?)を発揮する改変にはのけぞりました。
 もちろん原作ではルパンは正々堂々「仕事は仕事」「一家の長にふさわしい仕事」「盗むほうがずっと大変なのだ」とのたまって泥棒行為に誇りをもっているわけで、返すなんて野暮なことはしてません。「ルパン=義賊」という誤ったイメージを広めたのは南版によるところが大きいなぁ、と思った部分です。
 あと南洋一郎名義では自分で勝手に作っちゃった話が長編・短編で一本ずつありますね。「全集」に入れてないものも含めるともう一本あるようで。
 さて、ルパンコーナーもぼちぼち書かないと…(^^;)



#6655 
ひで 2006/04/27 11:41
創始者が呉竜府かどうかは知らないけど

中国ゴルフ協会と故宮博物院などの研究チームがゴルフの元祖は中国であるという説を発表し、しかもそれをもとに復元したクラブやボールを公開したとか。彼らの言うところでは球技「捶丸」(球を打つと言う意味)は唐の「打歩球」が起源で、それがゲームとして完成して12世紀の北宋の頃から流行し、元代の1282年に初のルールブック「丸経」もまとめられたそうです。(共同通信、時事通信の記事より)。なお、共同通信のほうの記事を見ると「清朝が国民の体育活動を規制してから衰退したという」といったなんとなく清朝にネガティブな感じを与える終わり方になっています(国民の体育活動という発想でまとめられる物が存在したのかどうかがそもそもよくわからないのですが)。

ここ数年、色々なスポーツの起源に関して中国側から自分たちが元祖であると主張するニュース(山東省臨シが「世界のサッカー発祥の地」に認定されたというニュースもかなり前にありましたが)このニュースを見たときには、それは実は民明書房の本に書いてあったんじゃないかと思ってしまったのは恐らく私だけではないんじゃないかと・・・。棒で球を打つなんてのはそれこそ他の地域でもいろいろあり(確か古代エジプトにもあったような)、どれが現在の競技スポーツの元祖かなんて事を論ずること自体不毛な気がするんですけど、ネタとして味わうには面白いかと。

http://pezetairoi.hp.infoseek.co.jp/


#6654 
NF 2006/04/26 22:37
横綱稲妻雷五郎とは

稲妻は、徳川時代有数の強豪力士であった雷電の次代において土俵の主役であった力士だそうです。歴代横綱は第4代谷風・第5代小野川が実質初代だそうです(それ以前の3人は実在が怪しかったり、後世からこじつけられたと思われる)から、初期の横綱といって差し支えありません。ライバルであった阿武松が先んじて文政11年(1826)に横綱免許を受けたものの、同等の実力を持つにもかかわらず彼は据え置かれました。そのため、京都で相撲家元を名乗っていた五条家から免許をもらい横綱を名乗っています。なお、全国的に相撲家元を名乗っていた吉田司家は文政13年に稲妻に免許を与えており、現在ではこの時点で横綱になったとみなしています。稲妻は、怪力で鳴らしただけでなく、教養も深い力士で書道・俳諧・茶道の心得もあったとされています。
因みに、当時の横綱は現在のようなチャンピオンを意味するというより、将軍上覧など特別なイベントの際にパフォーマンスをする資格を与えられた名誉称号だった(だから、全盛期に上覧相撲のなかった雷電は横綱になっていない)ようです。当時の相撲は、見世物としてのあり方を模索していたといっていい時期で、相撲は取らずその巨体を見世物にするのみの看板力士、各藩お抱え力士といった存在が示すように、文字通りの見世物として、諸侯間の「代理戦争」としてなどの側面がありました。これが近代以降に勝負を見せるプロスポーツとして整備されていくことになります。といっても、現代でも宗教行事としての性格が他のスポーツと比べて色濃いですけど。



#6653 
icke 2006/04/26 22:16
初めまして

(話ブタ切りで申し訳ありません)
管理人さん、突然のメールすみませんでした。快くお返事くださってありがとうございます。
「遥かなる西部 わが町センテニアル」について、ここのおかげで少しだけですが記憶が甦りました。
もう一度見てみたいものです。

それとルパンにも反応してメールに書いてしまいましたが、池田版全20巻を持っております。
南名義のものとどう違うのか興味深いのですが、残念ながら池田版しか持っておりません。
大人になって完訳を読んでも、なぜか池田版のほうが面白いと感じてしまいます。
ダメダメかいな・・・。
「ここは変えたな」とはっきり思ったのは、ルパンが人違いして犯人だと思ってしまったレオン・マシェ。
子供向けでは、車を猛スピードでぶっ飛ばして、処刑直前に救い出していますが、確か元々は、間に合わず冤罪で死なせてしまうんだったと思います。
(うん?この板、ルパンは違いますか?違ったらごめんなさい!)
この辺にて。



#6652 
徹夜城(史点更新に苦戦する管理人) 2006/04/25 23:25
「笑天」その他

>ひでさん
円楽師匠、ついに5月の特番をもって引退ということですね。歌丸さん司会で視聴率は一応上がってるんだとか。こん平師匠もまだリハビリ中…ということだし。
過去の映像なんかみると、当たり前だけどみんな昔は若手だった。それがず〜〜〜っと続いて世代交代の時期に来てしまったということのようですね。

 円楽師匠のご先祖の真偽はわかりませんが、ご先祖といえば。
 先日「旅サラダ」なる番組を見ておりましたところ、旅人役の漫画家・山咲トオルさんが両国の大相撲博物館に行く内容で、「実は父方のひいひいおじいさんが横綱」と明かし、その姿を描いた錦絵(写真ではない!)や手形と対面しておりました。
 その横綱とは七代目横綱「稲妻雷五郎」というなかなかの大物。初土俵は文政4年(1819)という時代です。


>史点ネタはずれ候補?
 今回の史点は濃い目のが連打される可能性が高いので(一部結果まちあり)、これははずれになるかも…と思い、こちらに紹介です。

毎日新聞「柏崎トルコ文化村:建国の父の銅像「売るな」 大使館抗議」
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060425k0000e040071000c.html

詳しくは記事を参照、ですが、要するになぜか柏崎にトルコのテーマパークを作ったら倒産してしまい(メインバンクがつぶれたせいだけではないのでは…)、その跡地処分の一環で、トルコ本国から贈られた5mもあるケマル=アタチュルクの銅像を売却することになったら、トルコ大使から「およそ(友好関係が深い)日本人らしからぬ慎重さに欠ける行為」と抗議の文書が届いた、と言う話題。そりゃまぁいい気はしないでしょうね。
 僕も「しりとり」でケマル=アタチュルクを取り上げた縁はあるんで、あまり他人事じゃない(笑)。

 それにしても日本各地に世界中あちこちの国のテーマパークがあるんですよねぇ。一覧作ると面白そうです。



#6651 
ひで 2006/04/23 23:03
司会23年って長いなあ・・・

そのとき生まれた子供が大学生・社会人になってる年月ですが。
え、いや、三遊亭円楽師匠が「笑点」の司会を引退するらしいということで。
で、円楽師匠は鳥取城で秀吉と戦った吉川経家の末えい(なんでも、円楽師匠のお爺さんの代で吉川を吉河に変えたんだとか)だとのことですが真相はいかに・・・。

http://pezetairoi.hp.infoseek.co.jp/


#6650 
景虎 2006/04/21 20:22
ええっと

>演舞と演武
徹夜城さんがフォローしてくださいましたが、演舞という表現は専門用語として間違っているという事です。私がほぼ毎年参加している演武会でも、演舞という表記はありえません。

因みに、中国武術では演武という表現も本当は正確ではありません。演武は日本武術、または日本武道用語であり、中国武術では表演です。型も日本の用語であり、中国では別の用語を使用します。

>アメリカでの報われなかった時期では護身系の道場を
何だか、金儲けの為だけに護身術を教えて、儲かるようになったら教えなくなったかのような表現ですね。

ところで、護身系の道場ってどんな道場ですか?他の道場との違いは何でしょうか?

>彼が端役で映画に出ている場面で
ジークンドーの話と映画のセリフは関係ないのでは?



#6649 
不肖デルタ 2006/04/21 18:57
あれは3Dではありません

>押井守は映画監督といっても、俳優さんたちを
>沢山雇うだけの資金はないから、アニメ業界の
>知り合いを集めてきて、写真撮影したものを3D
>で奇特な動きをさせています。

よく見れば分かると思いますが、あの映画の映像は
厳密には3Dではありません、写真を動かしている
ので、2Dなのです。奥行きのデ−タ−がない
のですから。
しかし、写真から3Dデ−タ−の構築は可能な
ようですから、そこまで突き詰めて3Dの映画を
完璧にやれたら、なかなかだったでしょう。
動画は結局、コマ撮りですからコマの枚数が
多ければ多いほど動きが滑らかになりますが
そうすると当然、製作コストは大きくなります。
ですが、素材じたいを3Dデ−タ−にすると
多少、コマ数を節約しても2Dよりも動画の
動きがマイルドに見えます、2Dの場合だと
コマを減らすと動きの段差が目立つのですが
3Dは奥行き感が映像を補完してくれて
目の錯覚ではあるのですがコマ段差が目立たない
感じがあります。このことをもっと着眼して
挑戦すれば、今後、3DCG動画の映画は
増える予感はあります。





#6648 
巫俊(ふしゅん) 2006/04/21 10:15
立ち食い

押井守は映画監督といっても、俳優さんたちを沢山雇うだけの資金はないから、アニメ業界の知り合いを集めてきて、写真撮影したものを3Dで奇特な動きをさせています。

ファーストフードが好きで、立ち食いの戦後史も勉強したいという人にお薦めということですか。
おそらくファーストフードで食事の安らぎを得ている人たちには、なんらかの思想背景というか大義名文を与えてくれる映画になると思います(笑)
逆にファーストフードを見たくもないという人が行くと地獄を見る映画。

「速い! 安い! うまい! 牛丼の三大スローガンは今こそ修正されねばならない。私はね、美味だから、おいしいからこそ牛丼に全てを捧げる決心をしたのだ。速くて安いからではない! 君のような速さと安さしか評価しないエセ牛丼ファンは、私の生涯の敵だ!」
(うる星やつらテレビシリーズ79話より)

http://uruseiyatsura.blog62.fc2.com/


#6647 
徹夜城(仕事の最中にこうして書き込みをしちゃう管理人) 2006/04/20 21:17
その時地球が動いた(笑)

 昨日の「その時歴史が動いた」はガリレイの話題だったので、実はひそかに科学史・宇宙開発史マニアでもあったりする僕(「しりとり」でジョルダーノ=ブルーノをやったのもそれが一因)はしっかり録画して今日鑑賞しました。
 「その時」はいつもいろんなところから映像を拝借してきて、日本史ものでは例外なく大河ドラマからの映像拝借が行われているため歴史映像マニアは本題とは別の意味で楽しめるのです(笑)。この「ガリレイ」の回ではどうやらあちらで作ったと思しいガリレイのドラマらしきものからの映像拝借も行われてましたが、「三十年戦争」「異端の火あぶり」「ローマ教皇の策謀」の場面で拝借されていたのはアメリカのTVドラマ「ジャンヌ・ダルク」のものです。三十年戦争の場面に百年戦争の映像を使うというのは「花の乱」の映像を大坂夏の陣の場面で使っちゃうようなもんですが、まぁごまかしちゃえるか。

 この番組で大河ドラマの映像を使う場合は俳優の顔は見えないようにするものですが、昨日の番組ではジャンヌ役のリー・リー・ソビエスキー、コーション枢機卿役のピーター=オトゥール(ローマ教皇に見立てての拝借)など大スターの顔がバッチリ映っちゃっていたのですが…海外ものなら問題ないのか?


>アール・ケイさん
「立喰師列伝」、思いつきはオリジナリティに富んでいて面白そうなんですけどね。
まぁすでに定説となっていることで、「押井監督に好き勝手につくらせてはいけない」(笑)。ほどよく各種制限があって本人が不満を抱くぐらいのほうが商業的に成功するものを作る人だとは言われますね。まぁそう言われるぐらい「大作家監督」でもあるのでしょうが。


>「演舞」と「演武」
景虎さんが言われているのは、「演武」と「演舞」は全くの別物、ということなのでは。単に日本語では発音が同じであるうえ一発変換が「演舞」しかないのでネット上で知って知らずか混同して使っている人が少なくないようには見受けます。「水滸演武」って格闘ゲームを扱うサイトでも「水滸演舞」って堂々と間違えて表示している人も目に付きましたし。


>社会面ネタ。
大阪「新地の怪盗」逮捕、シルクハットで盗み重ねる
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060420i206.htm
おお、ルパンファンとしてはこういうネタは結構嬉しい(^^)



#6646 
流星くん 2006/04/20 12:04
演舞

>演舞
いえ、これは別に蔑称ではないですよ。模範演技で
採点する武道もあるのだし、演舞は低い見方だとみなしたら
演舞関連の人々に対して失礼ですよ。
武道武技は技の映えが観衆を魅了する要素もあるかと。
ひところまえ、スティ−ブン・セガ−ルという格闘系俳優が
いて同じジャンルの俳優ジャン・クロ−ド・バンダムを
「奴は踊りみたいな格闘をする軟弱な格闘俳優だ」と評したら
演舞関係から猛抗議があったそうです。

>護身術
ブル−ス・リ−じしんは、自分が教えていた武道が護身だけの
殺伐とした流派と思われるのは心外だったかもしれませんが
アメリカでの報われなかった時期では護身系の道場を経営して
生活の足しにしていた、という話ですね。
グリ−ン・ホ−ネットいがいで彼が端役で映画に出ている場面で
彼が「白人に拳法を教える東洋人」という役で出ている作品が
あります、彼はその役で
ケンカになったら、真っ先に相手の膝とその皿を蹴りつけろ
どんな図体が逞しい奴でも、ひざをヤラれたら倒れるか、
立っていられなくなる、で、ケリが命中して相手に打撃を
与えたら真っ先に逃げろ、もたもたしてたら慰謝料や
治療代を払わされる羽目になるからな、というセリフ。




#6645 
景虎 2006/04/20 06:02
ジークンドー

>流星くんさん
実在する技を映画で使う、又は大げさにみせるというのは、ブルース・リーに限らずだれでもやってますよ。ジャッキー・チェンの映画でも、中国武術の技である掃腿とかやってましたし、日本の時代劇でもやっている事です。ただ、それは断片に過ぎないという事です。

>映画でジークンドーを見せている、などと書いたつもりはありませんが。
ジークンドーの技を使っていたシーンがあったので、その事かと思ったのですが、勘違いだったようですね。すみません。

>護身術
ジークンドーは護身術的な面はかなり発達していると思いますよ。
ジークンドーの本は一冊もってますが、伝統武術がよくやる、高級技法ではあっても並みの技量では使いこなせないような技ではなく、初心者でもそれなりに使える技法が多いですから。
立ち読みですませましたが、ブルース・リー自信が大量に連続写真を使って、護身術の解説をしている本もあります。

>決して完全無欠の独創・格闘家ではないようです。
そういう人は恐らく存在しないでしょうね。
自分で研究したと言ってる人も、よく調べてみると色々な道場に顔を出してたりします。そういう主張をする人も、特定の流派を専門的にやっていないという程度のことだったりするんですよね。

>演舞
これは演舞ではなく、演武ですね。舞では踊りになってしまいます。
ネットではみんな演舞と書くんですよね。変換してくれないから仕方がないですが、武術、武道というものが、日本では意外と評価されていないという事を、改めて感じてしまいます。

>最初に習った流派
子供の頃に父親から太極拳を習ったことがあるようですから、恐らくそれが最初でしょう。本確定には、その後習った詠春拳でしょうね。その他に、節拳というのもかなりやっていたようですが、こちらは門派というより型の名前の可能性が高そうです(精武会で基本とされていたらしい)。
ジークンドーは漢字で書くと截拳道ですが、截には節という意味が込められていると言われていますから、影響があるのかもしれません。



#6644 
アール・ケイ 2006/04/20 02:10
あくまでも…

歴史映画として取り上げました(笑)。

えー、私は別に押井さんのファンでもなんでもないです
(世代的に『うる星やつら』に引っかかっているだけで)。
しんどい映画でしたが、鑑賞価値は十二分にありますよ。
あの技法だから描けるものがありましたし。





#6643 
徹夜城(Wikipediaで香港映画項目をハシゴしていた管理人) 2006/04/19 20:31
映画のみの話題は映画の伝言板へ行ってくださいな(笑)

 しばらく姿を見せなかったら、時ならぬブルース=リー議論で盛り上がっておりますねぇ。
 ブルース=リーの「ヌンチャク」についてはWikipediaのブルース・リーの項目では一つの説として「フィリピン武術の道具だった」というのが紹介されています。日本人から教わったという話も併記されていますが。
 そのブルース=リーが「燃えよドラゴン」で話に絡めた「少林寺」はいま世界的観光地化が進んで「仏教の聖地としてそれでいいのか」という議論が出ている、という話題が先日産経新聞で見かけました。昨年にも似たような記事を他の新聞で見た気もします。まぁ住職としては悩ましいところでしょうねぇ。
 なお、ここでは何度か書いてる話ですが、明代には少林寺の僧兵が倭寇対策に動員された(といっても大人数ではないような…)という史実もあったりします。一昨年の舞台「倭寇伝」ではこの話を僕が漏らしたため(笑)、劇中のアクセントに少林寺僧兵が登場してダイナミックなアクションを展開してくれてました。

 なお、ブルース=リーは、世界中の人に「知っている日本人の名前は?」と聞くとかなり上位に挙がってしまう人だったりします(笑)。アメリカのTVドラマで日本人カトー役をしていたのが一因ではあるんでしょうが、特に欧米では東アジアなんてみんないっしょくた。あのペリーだって日本への遠征途中、中国にいたアメリカ人宣教師をつかまえて日本人との通訳(漢文ではなく会話のだったらしい)をやらせようとしていたという話があります。
 昨年ボスニアにブルース=リーの銅像が建てられたというのにも驚きましたが…

 ジャッキー=チェンは京劇系の雑戯団で成長したんですよね。まだ見てないけどその時代のサモ=ハン、ユン=ピョウらを描いた「七小福」って映画があったはず。ジョン=ローンはそういうところでの苦労に耐えかねて飛び出した口だとか聞きましたが…
 ジャッキーだって最初の頃はブルース=リー死後に雨後のタケノコのように出た「ブルース・リー・パチもん映画」に出てて、主演映画の看板に「第二のブルース=リー!」とデカデカと書かれてそばに小さく「ジャッキー=チェン」と書かれ、「誰が主役なんだ」と自分で呆れた、という話をしてました。
 この人のアクションってのは限りなく「曲芸」なんだと思うんですよね。相手するほうも相当な技術が必要な曲芸で。僕自身はブルース=リーよりは大のジャッキー=チェンファンであるわけですが、最近はさすがのジャッキーも方向転換を図っているようで少し寂しくもあったりします。

 …いかん、管理人が自分で映画話を延々としとるじゃないか(爆)。


>先日の「伝承者」「秘伝書」の件
 この話題、日曜日午前に「サンデージャポン」でも取り上げてましたが、BGMが「北斗の拳」でして(笑)。もう完全に茶化しております。なんでも名乗り出た「伝承者」が秘伝書を見せなかったためかシンガポールから来た当人たちは納得しておらず、「伝承者は別にいるはず」と帰国ギリギリまで探しているのだそうです。

>歴史映像名画座更新。
 3ヶ月ぶりに追加作業をしました。今回一挙6本追加。
 先日衛星でやっていて今さら初めてみた「アミスタッド」も追加してあります。これでアメリカ歴代大統領の出てる映画をもう一本追加できました。
 大統領を引退したジョン=クインシー=アダムズが出てくるんですが(実質主役)、この人いまのブッシュ父子に先立つ父子大統領の先例なのですよね。
 その直前に「グローリー」も再見してましたから、黒人奴隷問題にどっぷりと浸かってしまった(汗)。「グローリー」も今になって見直してみると、どうも黒人部隊は政治的宣伝と「捨て石」に使われたように見えて、もしかしてかなり辛らつな映画なんじゃなかろうか、って気にもなりました。



#6642 
不肖デルタ 2006/04/19 17:28
立喰師列伝は

なぜ、いまの時代に、こういう映画を作ったのか
理解できないですね。写真を切り抜いて動かすのでしょう
そういう映画をお金払って見たいとは思わないですね。
斬新かもしれないけど、日本テレビのCMは
面白かったけど、映画にするほどの映像感覚のものなのか
ちょっと疑問です。



#6641 
巫俊(ふしゅん) 2006/04/19 14:04
立喰師列伝

○アール・ケイさん

イノセンスやアヴァロンは苦手ですが、
立喰師列伝の監督・押井守の映像作品のうち、普通にレンタルしてるようなDVD・ビデオは見ておくことにしていますよ。
立喰師列伝はかなり期待してるんですが、上映する映画館が都会に限られているので、どうしようか迷っています。

アール・ケイさん自身は押井守作品自体が好きな人に分類されるのでしょうか?

http://uruseiyatsura.blog62.fc2.com/


#6640 
アール・ケイ 2006/04/19 10:36
いまさら笑う4月馬鹿(笑)

お久しぶりでございます。
チンギスハン源頼朝説は小生が唱えたほうが早いですよ。15年ぐらい前ですから(笑)。

さて、『立喰師列伝』なる実写ともアニメとも言いがたい映画を観てきたんですが、
これもまた一種の戦後史ものだったりします。偽史ですけど(笑)。
架空の存在である立喰師(=店主との問答や迫力、策略で食い逃げを図る男女)とB級外食産業の
世界との関わりを通して、日本の戦後史を(文字通り)語ってしまっています。
徹頭徹尾ナレーションが語り続けてるんです(笑)。
誰にでもお勧めはいたしませんが、こちらにおいでの皆さま向きかと。






#6639 
流星くん 2006/04/19 08:17
誤解が

>ブルース・リーはジークンドーの創始者ですが、ジークンドーと
>ブルース・リーの映画は、あまり似ていません。勿論、断片的に
>実際の技が登場することはあるでしょうが、
>あくまでも断片ですから。

私はブルース・リーが映画でジークンドーを見せている、などと
書いたつもりはありませんが。
ブルース・リーじたい、既成流派の道場で拳法を習って格闘家の道を
歩み始めた、オ−ソドックスなタイプの人で、決して完全無欠の
独創・格闘家ではないようです。ブルース・リーが最初に習った
流派は香港の街道場で、どういう派だったかは失念しましたが
結構、大家の派だったようで、彼が映画で見せている技は
その有名流派を大袈裟に見せたような形跡があるそうです。
ジークンドーは彼が独自に編み出したものだという触れ込み
ですが、護身術や演舞的な要素が少なく精神面の説法が多く
禅宗っぽくて、たしかに映像向きでは無さそうです。
おもしろいのはブルース・リーは渡米する前に香港の
ダンス大会で優勝していた、という話。
踊りが上手い人は、たしかに格闘も向くかもしれませんね。







#6638 
景虎 2006/04/19 03:08
リーさんとチェンさん

>ブルース・リー
映画では、実際の武術とはかなり違う事やってますね。
ブルース・リーはジークンドーの創始者ですが、ジークンドーとブルース・リーの映画は、あまり似ていません。勿論、断片的に実際の技が登場することはあるでしょうが、あくまでも断片ですから。
それと、ジークンドーには型がありません。ジークンドーの原型となった中国武術にはありますが。

>ジャッキー・チェン
この人は確か、京劇出身だったはず。京劇の影響があるのかもしれませんね。

>骨法
トラブルが怖いので詳しくは書けません。
ただ、調べれば元ネタは結構分かるでしょう。匿名掲示板は嫌いなので、今は観ていませんが、一時的に観ていた頃も、そのあたりの事情が暴露されて叩かれていましたから・・・。
ただ、誤解しないでいただきたいのは、出自の怪しさと、技術レベルは別だという事です。実際に、歴史を詐称した事がほぼ確定している流派からも、名人は出てますからね。こういう所が、歴史学と武術の違う部分ですね。歴史学では歴史の詐称は致命的ですが、武術はそうでもないですから。

大部分の道場は問題ないと思いますが、普通の人が近づいてはいけない所がこの世界にはあります。
このあたり
http://www.budoshop.co.jp/Yoshimine%20/budo-hodan23.html
http://www.budoshop.co.jp/Yoshimine%20/budo-hodan22.html
を読めば、何となく分かっていただけるのではないでしょうか。

>徹夜城さん
問題がありましたら、お手数ですが削除してください。



#6637 
イレギュラー満タン 2006/04/19 00:45
そういえば昔・・・

お久しぶりです〜。
J・チェンといえば、こんな話を聞きました。
彼と同じ所(やっぱりゴールデンハーベストだったのかな)で働くようになった若い役者さんが、自分の売り込みの為にカンフー仕込みの演舞か何かを披露した所、
J・チェン曰く
「僕は暴力は嫌いだ。」
と一蹴されたそうです。
彼の温厚な性格がよく表れているエピソードで、とても微笑ましいのですが、人から聞いた話っていうのが惜しいなぁ;;ちゃんと資料があれば・・・。




#6636 
流星くん 2006/04/17 21:11


>ブルース・リーでも、自分の武術と映画では相当違う事をやってるくらいですからね。

いや、どっちかというとジャッキ−・チェ−ンが独創の真性エンタ−ティメント
系カンフ−だそうですよ。ブルース・リーのは元々ある型を大袈裟にして映画で
見せていて、案外、既成の技を下地にしている、という評がされてました。
武術は全くのゼロから新しい技を編み出すのは難しいのでは?たいてい前から
あるものを改造したり別の流派を研究して取り入れ進化していくものでしょう。
骨法というのは結構、孤高の流派でしょうかねぇ。





#6635 
景虎 2006/04/17 20:54
ああ、しまった

シェット・リーではなく、ジェット・リーですね。
謎の人物を捏造してしまいました(笑)。



#6634 
景虎 2006/04/17 20:50
意外と盛り上がる中国拳法話

>映画の武術
映画用のアクションと武術は、確かに別物と考えたほうがいいでしょうね。
武術を参考にして映画を作るという場合もあるようですが、個人的にはやらない方がいいのでは?と思う事が多いです。ブルース・リーでも、自分の武術と映画では相当違う事をやってるくらいですからね。

武術の型を参考にしたとしても、あまり面白くはないでしょうし、型は鍛錬としての意味が強いですから、実際に戦う時の動きと型は、結構違う場合も多いという問題もありますし。実戦用の技をほぼそのまま型にしている場合もありますが、その場合でさえ、実際に使用するには、多少の応用が必要になってきます。
ただ、中国武術の場合、本来の武術とは別に体操競技の一種としての武術があり、こちらは派手な動きをしますから(シェット・リーもこちらの出身)、こういうのは例外ですが。

色々と考えてみると、時代劇用に完成された殺陣、映画用のカンフーアクションなどの方が、どう考えても観ていて面白いんですよね。



#6633 
不肖デルタ 2006/04/17 12:07
この掲示板で何でヌンチャクが?(笑

あぁ、武術の歴史で、ってことですか。
奇遇というか、わたし最近の3DCG製作物にヌンチャク
あります(爆
インバ−スキネマティクスの技術を最近わかりかけてきた
ので鎖の一つ一つにボ−ルジョイントを組み込んで
動画にも対応できる立体素材を目指してヌンチャクを
作っております、うまく仕上がって動かしてみて調子が
良いようなら立体デ−タ−をDXFかOBJファイルで
ネットで配布しようかな。




#6632 
原田 実 2006/04/16 21:16
ヌンチャクを・・・

ブルース・リーよりも早く(おそらく世界で最初に)
映画で使ったのは小林旭である。
http://www.8107.net/akira/yakuza_wataridori.html
http://super-guts.m78.com/ya.htm
http://miwako-f.hp.infoseek.co.jp/nikkatsu/nikkatsu69.htm

劇中で渡り鳥、「沖縄の武器だ。便利なもんだぞ」と明言しております。
もともと沖縄空手そのものが中国拳法の影響下にある武術
(だから”唐手”なんですね)、ヌンチャクも少林寺の三節棍を
改良したものですが、だからといって中国人に使ってみせろ、というのは、
日本人に印象派の絵(浮世絵の技法の影響あり)を描いてみせろ、
というようなものでしょう。

http://www8.ocn.ne.jp/~douji/


#6631 
2006/04/16 21:05






#6630 
ひで 2006/04/16 20:58
アニメ版の評判は芳しくなかったなあ・・

>NF様
「ヘルシング」というとネット上でそのパロディが沢山見られた少佐の演説(ネット上で全文紹介しているところが結構ありますね)は強烈でしたが、それもなかなかにすごい台詞回しですね。

で、「ヘルシング」というと吸血鬼ですが、ブラム・ストーカー「ドラキュラ」のモデルにされてしまったワラキア公ブラド・ツェペシュにゆかりのあるブラン城がルーマニアの元王室の子孫に引き渡されることになったとか。それ以上に気になったのが、その子孫の名前がハプスブルグだったということですね。まあ、あそこも傍系が沢山いそうな家ですからルーマニアに関係がある人もいるかもしれないなあとは思いますが。今回の城返還の話の他にもエリザベス・コストヴァ「ヒストリアン」が出版されたことといい何か最近ドラキュラがらみのネタがちらほらと目に付きます。

http://pezetairoi.hp.infoseek.co.jp/


#6629 
ブッチャ−3世 2006/04/16 13:08
ヌンチャクは

中国拳法なるものは、確かに激しく誤解されてますね
世間では。知人の会社に中国人の人が入社して、その
歓迎会の酒宴で酔って悪のりした奴がヌンチャクを出して
君は中華ならこれを使いこなせるだろう、宴会芸に
一発、披露してくれと強要し、その中国の人は非常に
困惑したそうで、中国には、こういう伝統武具は
存在しません、と言ったそうです。
ヌンチャクの喧伝はブル−ス・リィが映画で使った
ことが多分に影響されてますが聞いた話しでは
ヌンチャクは沖縄の武具でブル−ス・リィの
日本の友人が沖縄に面白い武具があると教えたら
彼は非常に気に入って映画で使うまでになった
のだとか。




#6628 
パパゲーノ川崎 2006/04/16 11:17
中国拳法秘伝書

いい話ですね。殺伐としたニュースが多い中心温まるお話です。

ところで、、カンフー映画、武侠映画は、その格闘シーンが
あまりにも誇張されたものが多く、それで実物を語るのは
無理があります。
が、現在公開中の”SPIRIT”はかなりリアルな活劇シーンが
多く、映画としての出来もすばらしいもので、おすすめです。
ただ、つっこみを書きますと、劇中”九鬼神流”の使い手(中村獅童)が
登場しますが、ここで出てくる動きは、現存する九鬼神流とはあまり
関係がないように見えました。日本の武術の動きを考察している余裕がなかったのか、
中国拳法的な動きとかみ合わせるのが、困難だったからかもしれませんが。
(活劇風剣術+伝統空手みたいになってる。。。)

日本の武術では、昨今のNHKの時代劇のほうが、よく考察しているようです。




#6627 
NF 2006/04/16 00:06
「ならばイスカリオテよ汝ら何ぞや」「我ら使徒にして使徒にあらず!!信徒にして信徒にあらず!!教徒にして教徒にあらず!!逆徒にして逆徒にあらず!!我ら死徒なり死徒の群れなり」

>ひで様
「ユダの黙示録」の報道を見たときに最初に頭をよぎったのは上記の台詞。因みに全文はここで。
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=83227&pg=20031020
「ヘルシング」の原作に忠実なOVAが作成されるそうですが…。それはともかく、確かにキリストの教えはその初期には色々な解釈があったようですね。実はゴルゴダの丘で処刑されたキリストは替え玉で、その処刑の様子を見たイエスは笑ったと記す黙示録もあったそうです。勿論、真っ先に異端に指定されたようですが。そういや、聖書の言葉で本当にキリストが言ったであろう言葉は何か文献数理学的に解析したところ「預言者は信じられない」という内容の台詞だけだったという話も聞いたことが(うろ覚えですが)。
>中国拳法
>景虎様、徹夜城様
基本的なイメージは80年代少年ジャンプで形作られたのは多分僕だけじゃないはず。景虎様のお話、大変勉強になりました。そうか、普通極意を記した巻物なんてないんですね。すると、秘伝書に一目目を通しただけでその奥義を盗み取れる悪の拳豪なんてのもいないことになり少し残念(笑)。そういえば、歌の世界なんかでも足利時代以降は奥義伝授を書物でやってましたものね、わが国は。確かにどちらかと言えば日本の文芸での伝統です。

それにしても、最近はなかなか書き込めない上に今回も歴史らしい話ができなかったなあ(泣)。最近、暇を見つけては「ムロタイ」とΖ・ΖΖガンダムの台詞集を睨めっこしてキャラの対応を考えたりする(太平記前半とファーストガンダムでやって味をしめたので)ことだったりと、道を踏み外しつつある気がする(苦笑)。ちゃんと勉強しないといけませんね。それでは。



#6626 
景虎 2006/04/15 21:24
中国拳法

>謎の武道家捜索話
中々、面白い展開になってきましたね。
「中国北拳派中国空拳法道」という名称から考えると、伝統的な中国武術そのものではないでしょうね。中国武術の門派は、『太極門』、『八卦門』、等と言う名称になっていますから。『何とか道』というのは、日本的な名称ですね。恐らく、日本化、又は現代化した中国武術といった所ではないでしょうか?

秘伝書についてですが、本当に本人達が『秘伝書』といっているのか、マスコミが『秘伝書』と言っているのかが気になります。日本の武術の世界では、通常は『伝書』と呼称していて、『秘』をつけたりはしません。まあ、『秘』を付けるのが間違いという訳ではないですが、そうすると素人臭い感じがしますね。外人だからかもしれませんが。

この『伝書』と呼ばれるものは、現代武道にはありませんが、古武道では現在でも当たり前のように発行されています。巻物形式が一般的ですね。まあ、現代では製作が面倒なこともあり、ある程度の段階までは、現代武道のように段位を書いただけの紙を渡し、上の人だけ伝書を渡すというやり方も多いようです。
ただ、これは日本の伝統であり、中国武術にはありません。日本武術以外は、このような文書の発行は一般的ではありません。個人的に日本でいう伝書的なものを発行する事はありえますが、制度としては殆どないでしょう。中国武術の場合、確か『拳譜』とかいう文書があるようですが、日本の『伝書』と違うようですし、日本ほど一般的なものでもなさそうです。

『伝書』にも色々ありますが、その多くは型の目録です。ようするに、具体的な技術は書かれていない場合が多いという事です。書かれていたとしても、門外漢には意味不明の物が大部分です。

問題の『秘伝書』ですが、私は現物を観てませんからよくは分かりませんが、巻物だったという事は、内容はともかく見た目は日本的ですね。流派の名称、巻物などから考えると、最近できた流派ではないでしょうか?技術的には伝統的な部分があるのかもしれませんが、団体としての有り方は、非常に現代的のようですね。



#6625 
民本主義者 2006/04/14 22:12
コソーリと

丸谷才一氏は「やうだったら」と表記しています。私の勘違いでした。スマソ。
グノーシス主義については私に訊いてください。エヴァンゲリオンからみで、
山のように勉強しましたから。メルヴィルの『白鯨』(新潮文庫)の訳者解説が参考になります。
『一神教文明からの問いかけ  東大駒場連続講義』(講談社)には、エヴァンゲリオンを観たことはないと主張する講師が、グノーシス主義について講義していると、学生から新世紀エヴァンゲリオンに関してよく質問される、しかし、このグノーシス主義くらい人間中心主義的(自己中心主義的)な思想もないので十分注意してほしい、と述べています。
オマエ、本当に観てないのか〜?



#6624 
徹夜城(さて出かけてくるかと腰を上げかけた管理人) 2006/04/14 13:34
あった、あった

下で書いた毎日記事、よく探したら見つかりました。

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060414k0000m040078000c.html
この人自身がどうというより、「中国武術界」ってのがどうもどこまで本気にしていいのやらわかんない世界なんだよなぁ。



#6623 
徹夜城(出勤前に慌しく更新作業をした管理人) 2006/04/14 13:24
伝承者がいた?

 先日のシンガポールから青森に空手伝承者の「秘伝書」を探しに来て遭難した人がいた件ですが、今度は「その伝承者は私だ」と名乗り出た人がいるそうで…毎日新聞に記事が出ていた気がするのですが、現時点では見つからないので、抜粋を。

--------------------------------------------------------------
武道家の父親の遺言で、空手家と、空手の秘伝書を探すため青森県を訪れたシンガポール人一行が同県西目屋村の白神山中付近で迷子になった騒ぎで、同県平内町の中国拳法家、福田祥圓さん(61)が「自分かもしれない」と名乗り出た。「秘伝書」も実在するという。
 福田さんは「父親の遺言だけを手がかりに来日したことに感動した。武術が結んだ縁を大切にしたい」として14日、勤務先の青森中央学院大(青森市)の国際交流センターで家族に、亡父への「師範正位8段」認定書を授与する。その際、秘伝書も見てもらうという。
 福田さんによると、自身は「中国北拳派中国空拳法道」最高範士。同県五戸町に道場を開いていた約30年前、「シュイ」と名乗るシンガポール人が空手を教わりに来て、その後も2回ほど会ったという。
 今月5日のシンガポール人迷子のニュースを知り、地元観光協会に連絡。9日、協会の仲介で弘前市で武道家の妻と面会した。この結果、以前会ったシンガポール人と、武道家の名字が一致し、家族が説明する「頑固で寡黙な性格」や身長、年齢などもほぼ一致しているという。一行が道場の場所を「相馬村(現弘前市)」としている点は、「ブラジルに渡った相馬さんという武術家のことを話した。名前を地名と勘違いしたのでは」と言う。
 また、秘伝書には「気功をベースに関節を外す技」が書かれているという。家族が譲渡を求めているのに対し、「中国で修行したときに師匠からもらった大切なもので、残念ながら譲れない」という。

(毎日新聞4月13日付)
-----------------------------------------------------------------

 この人、フジテレビのワイドショーでも取材されていましたが、さて、なんというか、そこはかとなく胡散臭さを感じてしまうんだよなぁ(^^;)。ちょっとこの記事の書き振りにもどこか半信半疑っぽい空気があるし。「秘伝書」という巻物もTVでチラッと映ってましたがイマドキそんなものが、って感じのもので…

>ひでさん
 「ユダ福音書」の話題は「史点」ネタで書き進めてましたので、レスが遅れました。
それにしても面白い発見ですよね。背景にあるとされる「グノーシス主義」については先日ここでも書いた某RPGで引き合いに出されていたのでいいタイミングで調べていました。

>十一郎さん
 アニメ「チャングム」は見ていませんが、ドラマ以上に奔放な話になっちゃってるようですねぇ。日本で言えば「一休さん」クラスでしょうか。しかし「一休さん」もタイヤ中国などアジア各地で放映されていて、一休も将軍さま(義満)も国外的には意外に知れ渡っているかもしれません。
 韓国時代劇と日本の時代劇は「遊び方」が似ているというのは北朝鮮の「怪傑洪吉童」でも感じましたね。もっともこの場合は日本TV時代劇の影響が間接的に向こうに伝わっているととれましたが…「影の軍団」ってセリフまで出てくるもんな(笑)。
 高松塚古墳の件はなまじ超がつくほどの国宝級だったから、いろいろ対応を誤ったという面もあるかなぁ…


>巫俊さん
 まぁ野菜は仕方がないかなぁ…さすがに唐辛子を使ったキムチは出てこないようですが(笑)。料理の考証もどこまで「再現」なのか見ていて疑問を感じなくもない。
 ただ考証といっても限度があるわけで、例えば日本の時代劇の馬なんて全部サラブレッドですよね。むかし黒澤明も「影武者」の時代考証で批判されたときその件を持ち出して反論していたことがありますが。
 そういや「郡上一揆」はしっかり「日本馬」を使っていたのが目を引きました。



#6622 
十一郎 2006/04/13 07:15
軽くニュース

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060412-00000020-maip-soci
高松塚古墳の壁画に機材が倒れて損傷してしまった事件を隠蔽していたという話。
事故そのものは割り合い多い話かもしれませんが、こういった事を公表しないのは他の信頼感にも影響を与えるので絶対にやめてほしいところ。

高松塚古墳といえば数億円かけて保存用に湿度温度を調節する装置を作ったと聞いていたら、実態はたいした意味のない蓋に過ぎなかった事を最近の剥ぎ取り事業に関連して知って、愕然としたおぼえがあります。


>巫俊(ふしゅん)さん
やはりというか、御存知でしたかTO図。
ここの掲示板、やはりこれくらいのネタはやはり周知というのは凄いです。

チャングムに関して、そもそも歴史系グルメマンガでは時代的にずれている料理を主人公が作って、「こんな旨い料理は食べた事がない!」とやらせるのは定石です(笑)。
交易が発展している云々の説明だけでトマトを登場させる古代中華料理マンガなどというものもありました。
もちろん、しっかり考証してくれればそれはそれで嬉しいものですが。



#6621 
巫俊(ふしゅん) 2006/04/12 18:45
チャングム

白菜料理がよく登場しますよね、あのドラマ。
とくに食材の知識はないんですが、あれは明らかに現代の品種改良でつくられた「現代野菜」をつかって朝鮮王宮の料理を再現していますよ(笑)
どこまで再現で創作なのかな。

http://uruseiyatsura.blog62.fc2.com/


#6620 
巫俊(ふしゅん) 2006/04/12 18:42
十一郎さん

TO図は、

現代新書

世界史とヨーロッパ
ヘロドトスからウォーラーステインまで
著者: 岡崎勝世

発行年月日:2003/10/20
http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=1496875

に載っていますね。
イスラムの地図というのも、鄭和の新大陸発見説の某ベストセラーに載っていたはずです。
イスラムの地理・地誌の中のワクワクだけを追っていっても、虚像の中の倭国の歴史という感じで、倭国とアフリカ南辺の区別がついていないというのも、飛びぬけて面白いですよ。
イスラム文献の和訳を探すことから、はじめないといけないんですけど。



#6619 
十一郎 2006/04/12 05:51
TO図からTI図へ

最近しばらく古新聞を整理しつつ読んでいるのですが(読んでいる時間の方が長い)、「チンギス・ハンが勢力を広げられたのは高い製鉄技術によるもので、製鉄所に鉄の残留物が残されてないのは管理が行き届いていたから」といった興味深い記事を目にしました。
それで少し前にここの掲示板でも話題になっていたとも思うのですが、まだ過去ログに載っていないので、重複する話題でしたらすみません。

ここからは長い余談。
『チャングムの夢』いくつかの突っ込み所に笑いながらも感心しました。
コンポジット(撮影)に問題があるのか、画面がぼやけていたり描線がデジタル丸出しといった欠点はありますが、日本のTVアニメと比べて映像も物語も遜色なし。物語も良い意味で古臭い日本アニメの雰囲気があります。
なぜか後半のクライマックスとなる戦闘シーンも下手なTVアニメより動いていました。食べ物にからんだ伏線による戦いの逆転など、最近の日本アニメよりきちんと起承転結が出来ていて感心。

※筋が古典的なので、乗っている馬が暴れている王様を置き去りにしてまで刺客を追う護衛といった突っ込み所も楽しい。

しかしどう考えても朝鮮史の勉強にはなりません。
若い王様が護衛一人でお忍びの旅をしたり、忍者風暗殺者が地中から飛び出てきたり、戦闘では十数メートルもジャンプしたり木から木へ飛び移ったり(笑)、『暴れん坊将軍』や『仮面の忍者赤影』と同程度の時代劇と見るしかなさそうです。
独特の食べ物や服装等の文化には興味を引かれますが、それも時代背景等を無視しているそうで。
http://www3.nhk.or.jp/anime/yume/faq/index.html
また、あくまで安っぽいTVアニメと比べれば悪くないというだけで、必見というほどでは・・・。ドラマ版を先に見ている人の感想を見ると、ドラマの方が良いという意見が目立ちますし。

ちなみに今期のNHK総合では『七人の侍』をSFアニメにリメイクした『SAMURAI7』もやっています。
ノブセリの巨大ロボットが米俵を差し出させたり、キクチヨが等身大ロボット(orサイボーグ)であったり、逆に侍雇用を決意する百姓合議や町の浪人達は原作そのままであったり、なかなか楽しい内容ではありました。時代劇風ファンタジーとしては良い出来なのですが。
『チャングムの夢』よりさらに歴史に関係ない余談です、はい。

>巫俊(ふしゅん)さん
>インド地中海を西回りで航海すると、ソマリアからザンジバルや現在のモザンビークを経過して、東南アジアの南側を経由しながら、ワクワク(倭国)に流れ着くという、西回りルートが理念的に考えられていたんでしょうか。

昔の地図を見てみると面白いものでして、ヨーロッパでもキリスト教が発展した4〜5世紀にはTO図という観念的な世界地図が作られました。
O字の海が取り囲んだ円形の陸地が、T字(横棒がドン川とナイル川、縦棒が地中海)で3つの大陸に分断されているという図です。
ttp://homepage1.nifty.com/ptolemy/history/middle.htm
教会の力が強い時代の例にもれずギリシア時代より後退した考えで、この時代はむしろイスラム世界の方が正確な地図を考えていたようです。



#6618 
ひで 2006/04/12 00:35
妖星は天をも動かす美と知略の星なのだ!

って、それとは違いますが・・・。

最近、「ユダの福音書」という外典が解読されたというニュースがありましたが、キリストが自らユダに裏切れと命令したというなかなか衝撃的な内容になっています。写本については放射性炭素測定やインク分析などの分析によれば一応本物らしいのですが、ユダ=裏切り者という物と全く違う伝承を残そうとした人々がいたというところが興味深いですね。コンスタンティヌス帝がミラノ勅令で公認した時点で色々な教えがあり、その状況を打開するためにニケーア公会議を開いて教理の統一を図らなくてはいけないような状態だった初期キリスト教の世界ですから、ユダを裏切り者としてではないとらえ方をしようと言う考え方が出てきてもまあおかしくはないのかもしれませんが、もしそれがその後も残っていたらキリスト教のあり方はどうなっていたんでしょう。“イエスの肉体からの離脱を手助けすることによって、ユダはイエスの内部にある聖なる「セルフ」の解放を手伝ったと解釈される”と言うことを言っているので、何となくですが苦行を重視するような信者がいて、こんな話を作ったのかなあという気がしてきますが・・・。

http://pezetairoi.hp.infoseek.co.jp/


#6617 
徹夜城(史点を書き進めてはいる管理人) 2006/04/12 00:03
風林火山

>ぬえさん
 ちょうど今日、以前ビデオに録っていた映画「風林火山」(稲垣浩監督・三船敏郎主演)を通して見ておりました。「風林火山」ということでタイトルバックもしっかり「風」「林」「火」「山」の映像が映っていく…って、大河「武田信玄」もおんなじでしたね。さて来年はどうするんでしょうか(笑)。
 映画「風林火山」では石原裕次郎が上杉謙信でして、ノーギャラの特別出演だったとかで、切り込んでくる場面のアップぐらいしか確認できません。そのせいなのか、謙信の影武者が5、6人一斉に現れるという演出になっています。正月に放送されたテレ朝・北大路欣也版「風林火山」では「21世紀の石原裕次郎」が似たような登場(セリフが一つもなくニヤッと笑うだけ)をしていたのは「オマージュ」のつもりなのか。

 実は先日信玄謙信の話を書く際に「太平記」の尊氏義貞戦を書こうかな〜と思いつつ書き忘れてたんですよね(笑)。
 あれも古典「太平記」では義貞の挑戦を尊氏が受けようとするが、家臣に止められたことになっているのですが、ドラマのほうがむしろ遊んでしまったわけです。
 古典「太平記」では他にも大物同士の一騎打ち未遂がありまして…桃井直常VS細川清氏という、まさに強豪同士の対決だったのですが、この時は直常の家臣が主君になりすまして清氏と戦い、討たれてますね。清氏ってホント馬鹿みたいに強いんです(笑)。このエピソード、しっかり「ムロタイ」でも描いております。

>雲南
検索かけて調べて見ると「雲嶺山脈の南だから」というのが通説のようですね。確定的ではないようですが…
考えてみりゃ日本の「雲南」は「中国」にありますね(笑)。



#6616 
巫俊(ふしゅん) 2006/04/11 07:42
雲南

正史『三国志』の蜀の君主・劉禅の列伝に、

三 年 春 三 月 , 丞 相 亮 南 征 四 郡 , 四 郡 皆 平 . 改 益 州 郡 為 建 寧 郡 , 分 建 寧 、 永 昌 郡 為 雲 南 郡 , 又 分 建 寧 、 ショウ カ 為 興 古 郡 . 十 二 月 , 亮 還 成 都 .

とありまして、諸葛亮が南征したとき、新しく雲南郡を設置したことが、後年雲南が雲貴高原の総称のように呼ばれるきっかけのようです。
雲南という地名自体は漢代からあるようですが(漢書)。

でも名前の由来ってのはどうなんでしょう?

http://uruseiyatsura.blog62.fc2.com/


#6615 
巫俊(ふしゅん) 2006/04/11 07:06
尾鳩さま

もったいないお言葉の数々、尾鳩さまのようなお人にお会いできることが、ネットサーフィンをする生きがいというか励みになります。
そしてこんな「場」を用意してくださる管理人さまにも。

>起業・外国・ODA

なんとっ、うわ〜お聴きしたいことも山ほどありそうですが、、おいおいお話をうかがいますね。
ODAの仕組みって気になっていたんですよ。
アフリカ等の途上国と関係をつくれる日本の数少ない得意分野(なのか?)ですし。
何より、そうしたお仕事をなさってるということは、激務だとはお察ししますが、うらやましいです。
私もそんな仕事がしたかったですね〜。

ブログ―巫氏春秋―公式スタートしました。
第一回は「ウガンダの行政制度その1」です。
私は歴史と民族関係の書籍によって、アフリカを勉強しているだけで、何ほどの知識もないのですが、
神の王権と民族の抗争をテーマに、夏殷時代の中国の研究をしてますもので、アフリカの民族と歴史文化には深い関心を向けています。

尾鳩さまの好きな歴史対象って何なのでしょうか?

http://uruseiyatsura.blog62.fc2.com/


#6614 
尾鳩 2006/04/10 15:29
少し自分の身の上のことでもお話しましょうか

>原田様
雲南…出雲の南…ああなるほど。
それにしても、同じ漢字の国ですから、調べてみれば、中国の地名と同地域のところがまだまだ出てきそうですね。そうすると、中国の雲南という地名は、どこから来ているんでしょうか。まあ、インターネットで調べればすぐにでも出てくるんでしょうが、それはここの掲示板のこと、博学の方々の集まりですから、すぐに回答を寄せて下さる方がいるかも(勝手に振ってすいません)。

>巫俊様
なるほど、山東出身というのはそういうことでしたか。ちなみに私の江東在住と申しますのは、東京の江東区のことです。お立ち寄りの際には、ぜひお声をおかけくださいませ。
ところで、アフリカですか。いやあ、実は私、自分でも起業しておりまして、アフリカは大切な取引先でもあるんです。詳しいことは企業秘密なので、ここでは書けないのですが、TCSFなるアフリカ専門家の集まりにも参加し、様々な方から、現地についての情報を頂いたりしています。

管理人さんが時折漏らしていたように、スパイのような活動に従事したのも事実なんですが(ウイグルの反中活動家に接触、なんていうこともしましたね、これはかなりひやひやもんでした^^;)、最近は、ODA活動を中心に従事しております。そういう背景もあり、今でも途上国を中心に往来を繰り返しているのは、そのためでもあるんです。現場に携わった経験上、ODA活動については、反省する点も多いなあと思っています。
実際に行っているODAプロジェクトの評価監督官として従事したこともあり、有体に申せば、金を途上国に流すだけ(もちろんこれは、極論ですが)という側面が強いのです。結局のところは、企業のように、リスクと責任を国家が背負っているわけではないので、途上国の貢献にどこまで役立っているかについては、常に疑問符付で見てまいりました。

これは、国連の活動も同じなんですが、貧困削減が最大の目的である以上、最貧困者、つまり最も資金の流動性が少ないところに集中的に資金を投入せざるを得ないわけです。資金投入後のフォローアップも無いに等しいため、結局「停滞の10年」のようなことが発生してしまう。
先進国や中国が経済離陸に「成功」したのは、逆に最も成功しているフィールドに資金を投入し、まさに市場育成に成功したからなわけです。まあ、中国の場合、経済離陸に成功したフィールドが最終的に貧困層を盛り上げる力になれるかどうかが、今後の注目点ですが。みたところは、貧困格差が大きくなるばかりで、かなり危険水域に近づきつつあるように見受けます。

これまでのODA活動の反省も含めて、現在香港や日本の金融業界、実業者と組んで、途上国を支援先ではなく、あくまでも市場、すなわちビジネスパートナーとして捉えていくという視点をベースに、株式会社とNPOを活動の軸として、事業やプロジェクトを実行しているところです。まあ、最近独立を果たしたばかりですので、どこまで結果を残せるのかは、未知数としか言いようがないんですが(^^;。

ぜひ、またアフリカのことなどをお教え頂ければと存じます。
勝手なお願いではございますが、どうぞよろしくお願いいたします。





#6613 
巫俊(ふしゅん) 2006/04/09 04:58
ワクワクの黄金伝説

イスラム圏の世界地理感覚じゃ、インドから中国までの陸塊を「北の大陸」、
アフリカから日本までの陸塊??を「南の大陸」と見なしていたような節がありまして、

アジアの陸地とアフリカの陸地は、イスラム商業圏の最果ての地の極東(日本)まで張り出していて、
(つまりインド洋はアフロアジア大陸の地中海で、日本はジブラルタル島のように、外洋と地中海を結ぶ水道の海域にあったということです)

それで日本は、イスラム文献ではワクワク(倭国の広東音の転訛とされる)と呼ばれています。
ワクワク島伝説は、アレキサンダー大王が流れ着いたというもの、黄金、女王の国、もの言う木、というような説話群で構成され、
ワクワクは中国の向こうにあるというだけでなく、東南アフリカから運ばれてくる黄金もワクワクから流れてきているということになっていたようです。

インド地中海を西回りで航海すると、ソマリアからザンジバルや現在のモザンビークを経過して、東南アジアの南側を経由しながら、ワクワク(倭国)に流れ着くという、西回りルートが理念的に考えられていたんでしょうか。

>孟きょうさま
いしいひさいち氏のマンガは「ののちゃん」くらいしか講読していないんですが、地底人やゴキブリのハンス曹長など、茶化すのが絶妙ですよね。

http://ip.tosp.co.jp/i.asp?I=uruseiyatsura_com


#6612 
巫俊(ふしゅん) 2006/04/09 04:36
尾鳩さま

ありがとうございます。
一応ながら中国史を研究しているということになっていますが、
いま、ブログのタイトルを「アフリカ歴史民族研究」に変えてしまおうかな、なんて考えているところです(笑)

新石器時代以来、中国史とアフリカ史がそれぞれ範囲とする地域は、分岐した人類史を進展させてきましたが、
ローマ帝国圏(今のヨーロッパ+中東)からすれば、中国とアフリカはともに僻遠の地として、蜃気楼のようなぼやけた対象ながら、水が低いところに流れるように明瞭な交易関係をつくってきました。

中国は絹・陶磁器・茶を、アフリカは黄金と奴隷を、遠距離交易という形で吐き出しており、それは中国やアフリカがアフロユーラシア単位で結合していたことを示唆しています。
自覚症状は全く無かったようですが、ユーラシアサイズの歴史のなかでメロン・スイカ・モロコシ・ヒョウタンといったアフリカ原産の植物が東ユーラシア世界に受容されてきましたし、ローマ帝国圏からの位置からすれば、アフロ世界と東ユーラシア世界は双子的な世界をつくっているようです。

日本人が雲南に民族の近さを感じるように、私は中国(とくに神の王権と民族が抗争する夏殷時代の中国)とアフリカの民族(エスノロジー的な意味で)的な近さを感じています。
夏殷時代の中国って、ウガンダやルワンダやスーダンの現況に近いところがあるんですよね・・

尾鳩さまは外国を廻っておられるというお話ですが、何かまたお話を聴かせてください。
それから、中部地方といいましても私は三重県の出身でして、畿内地方からすると山東(さんとう)というアイデンティティを感じているということなんです。
山東(さんとう)ってのは、地名じゃなくて私の造語なんです^^
関東や関西という言葉は、それぞれ東京圏や大阪圏に取られてしまって使えないんですが、三重県(それも私は伊賀在住)は近畿地方の一角であるとする、ささやかな三重県人のアイデンティティを率直に表現したのが「山東」(この「山」は後醍醐天皇の逃避した笠置や吉野の山中より「東」という意味です)なんです。
江東って、滋賀県の東部・・それは湖東か、、、

http://ip.tosp.co.jp/i.asp?I=uruseiyatsura_com


#6611 
ぬえ 2006/04/09 03:11
あ、地元ネタ。

信玄公祭りやってますね、丁度。信玄役は宇梶剛士さん、山本勘助に伊吹吾郎さんだそうです。あれ尊氏vs義貞の一騎打ちは?と触れておられないと思いましたが、もう過去に何度か語られてるでしょうし、控えておられますね(笑)。「風林火山」は原作購入済みで未読なのですが、どうもキャラクターとしての謙信こと長尾景虎は出てこない様子ですね。ガクトの配役は、ひょっとしてあまり動かさない喋らせない「飾り」なのじゃないかと思いましたが。



#6610 
孟きょう 2006/04/09 00:42
心ゆくまで、英雄三昧。中華三昧(笑)


 >徹夜城様
 東北での遭難の件ですが、私も新聞で見ました。・・・いや、何と申しましょうか・・世の中には色々な人々がおられるのだなと再認識しました。武侠小説や漫画の影響なのかな・・
 >巫俊様
 そうなんです。相手方の名前入力してすぐに下の文章に意識が移ると、名前入力の確認への意識が飛んじゃう時が時としてあるんですよね。藤子Aの事を語っておられた大橋巨泉につながるわけなんですが、「本中華」のCMに出てましたねえ(笑) 今は販売しているのか知りませんが子供の頃は、凄くおいしそうに感じたものです。でも実際食べてみるとどう見ても「中華三昧」の方が美味しく感じた気がするのですが(どうでもいい話か)。いしいひさいち氏の北魏、鮮卑ネタというのは本当に出来が良く、良質なものが多いと思うのですが、いしい氏の他の世界史シリーズでもありましたねえ。鮮卑族のボスが部下達の士気を鼓舞する中、自分が何族何系か分からなくて「う〜ん」と悩むメンバーが出てくる4コマ目のオチとかですが(笑)



#6609 
徹夜城(本物の史点を書かないとと思う管理人) 2006/04/08 23:00
世の中いろんな人がいる

 …先日そういうことを書きましたが、それを改めて思ったニュースがありましたよね。
 シンガポールの武道家(極真空手らしい)が亡父の「以前世話になった日本の一番北の県の“シャンマー”にいる武道家を訪ねて秘伝書を授かって来い」との遺言に従い、青森県相馬村(現在は弘前市に合併)にやって来た。しかもその家族やなぜか近所の人たち10人のツアーで…目当ての武道家は見当たらず、「白神山地」の名前に神秘性を感じてそこにいるものと決めて雪山登山に乗り込むも遭難、幸い救助されたわけですが…
 多くの人が「『北斗の拳』の読みすぎじゃないのか」と言ってる話題ですが、当人たちがマジなのは確からしい。「世界地図で日本を見たら小さかったから歩き回れば見つかるかと思った」というコメントも凄いところです。まぁ僕らもよく知らない外国についてそういう感覚でいることはしばしばありますが…藤子不二雄A氏がバンクーバーからモントリオールまでタクシーで行こうとして運転手とモメたとか言う話を大橋巨泉氏が書いていたことがあります。
 それにしてもこのニュース、先日そっちから帰って来たばかりの尾鳩氏の顔を連想してしまって(笑)。ほら、武道家がどうのというところも絡んでくるし。


>原田さん
 不覚にも今まで知りませんでした。なるほど、出雲の南だから「雲南」なのか。最近の大合併で出現した名前なんですね。
 他にも探すといろいろとありそうだなぁ…「岐阜」なんかもともと中国ネタですけどね。


>ブッチャー3世さん
 信玄と謙信の「一騎打ち」については、そのむかし「武田信玄」の作者・新田次郎と「天と地と」の作者・海音寺潮五郎が激論を戦わせたことがあるそうで。新田氏は「なかった」説、海音寺氏は「あった」説ということだったらしいです。確か小説「武田信玄」では川中島で信玄に撃ちかかってくる敵将は出てくるけど謙信とは判明しない、というような描写だったかと…大河ドラマなど川中島の時代劇では定番でやることになっていて、その新田次郎を原作とする「武田信玄」もしっかりやっちゃってました。来年の「風林火山」でまたも繰り返される事になります。ガクト謙信、エキセントリックなところは通じるかもしれないけど、どうなりますか。

 本物、偽物といえば。
 先日、NHK衛星で以前ハイビジョンで放映した「雪舟」の特番を放映していたので録画して今日見終えました。いろいろと興味深い内容だったのですが、やはり「真贋論争」の問題にも踏み込んでました。明治時代に「雪舟画集」が編まれて千点もの「雪舟作」が載せられたそうなのですが、現在ではその大半が偽物と判定されているそうです。本物と断定できるのは数十点ぐらいなんじゃないかという話で。
 江戸時代の前期に「雪舟」は最高級のブランドになっており、他の画家が描いたものも落款を偽造して「雪舟作」にしてしまうということがずいぶんあったそうなんですね。番組中で挙げられていた実例では、割と最近まで雪舟の作品と信じられていたのに落款周辺が削り取られたような跡があることから赤外線で調べたところ「長谷川等伯」(桃山時代の画家で雪舟の後継者を自認はしていた)の落款がその下にあったことが判明したとか。今となっては長谷川等伯作品だって大変なことなんですが、それを雪舟作に偽造してしまうというのが何ともはや。

 ずいぶん前に旧版集英社「漫画日本の歴史」に出ていた話で、元ネタを確認していないのですが、こんなエピソードがあるようです。
 雪舟が明に描き残してきた山水画が明の画家の作品であるように偽造され、これを大内氏が輸入で手に入れる。帰国してこれを見せられた雪舟が「これは私の作品」と言うと大内氏が「そんなことがあるか」と怒るけど、ふとした弾みで落款の偽造がはげて雪舟の作と分かり平謝り…という話で面白く読んだんですけど、何かに載っている話なのかどうかは確認してません。


>つながるような話。
 日本の漫画の影響が流れ流れてこういう作品を産むのだなぁ…と思いつつ今読んでいるのが中国で出た漫画の「水滸伝」。現在書店で三巻まで(宋江が殺人をするところまで)が同時刊行されています。
 これがなかなかによく出来てまして、「水滸伝」ファンにはお奨めできます。少々話が飛び飛びなところもありますが、原典にかなり忠実。日本とは違い左から右へ読まねばならないのがちと難ですが、こんなのは慣れ。それにしてもコマ割や擬音、各種漫画の「記号」などはまさに日本のそれとおんなじなのでそう違和感なく読めるはず。日本から直接というより台湾や香港の漫画を通した間接的影響かもしれませんが。
 外国の漫画というと日本とやや違う空気を感じることが多いのですが、この「水滸伝」はまるっきりそういう感じがないんですよね。一部の女の子の描き方なんて、かなり「日本の二次元風」に感じるところもありました。

 面白かったのが擬音の「書き文字」ですね。これは絵の一部になっているのであえて書き換えずフリガナ訳をつけるという処理になっています。中国での漫画擬音はこう表現するのか、と実に興味深く呼んでます。
 目に付くのが「口へん」の多用。「口冬・口冬」で「ドンドン」とか、「口支」で「ギーッ」とか。一部には漫画擬音のためにわざわざ合成して作ったとしか思えない擬音文字もあり、漢字文化の面白さを改めて感じましたね。水滴が「ポタッ」とたれる音に「滴ー」なんて書いてあるのもビックリ。

 まだ後続の巻を読まないと断言は出来ませんが、原典で現代人にはついていけなそうな部分はマイルドに変更している(例えば殺人では「やむをえない」設定をわざわざ加える場合がある)のも目に付きます。これ、中国で作ったTVドラマでも見られた傾向で、「水滸伝」ファンとしてはこうした「現代化」はちょっと残念でもあるのです。



#6608 
ブッチャー3世 2006/04/08 20:36
刀傷のある軍配

きょう、なにげに「テレビおたから鑑定団」を見てたら
骨董好きで家中、いわくつきの物だらけのオジサンが出ていて
刀の傷がある軍配を取り出して
「これは上杉謙信が斬りかかってきたのを受け止めた武田信玄の所有物」
といっていました。その品は鑑定依頼品ではなかったので
それっきり登場しませんでしたが、番組ではオジサンの軍配の思い込み
には全然、つっこまず、おぃおぃ、そのままにしといていいのかよ
誰か訂正してあげなさいよ、って思いましたけど(笑
でも未だ多くいそうですよね、世の中に謙信と信玄の
総大将どうしの一騎討ちは史実だと信じてる人は。



#6607 
原田 実 2006/04/07 09:23
孔明南蛮行ではありませんが

尾鳩様

>いや、高速道路を使用していると、必ず「ここに山東が!」なんていつも思ってしまうので。
まあ、私も「江東」在住なんですがね。<

先日、バス旅行で雲南を通過しました。
広島からバスで2時間ほどのところです。

もっとも、その旅行での目的地の一つ・松江は
実際に中国に由来する地名だったわけですが。




http://www8.ocn.ne.jp/~douji/


#6606 
徹夜城(書き込んでから正解を知った管理人) 2006/04/05 23:08
あ、答えが出ていた(^^;)

>民本主義者さん
 おっと、入れ違いになりました。答えがわかってホッとしたりして(笑)。



#6605 
徹夜城(国会図書館なんぞに出かけていた管理人) 2006/04/05 23:07
反響をいただき、ありがとうございます。

>4月バカ
 どうも、どうも、いろいろと反響をいただき、みなさまありがとうございます。とりあえず本気にする人が出ない事を祈っておりますが…いやホント、ワカランのですよ、世の中にはいろんな人がいますから…「てこ歴」をどこをどう読み違えるのかトンデモ信者と思って連絡よこしてくるケースも何回かあったんですから。
 日本国内の新聞のエイプリルフール記事は、東京新聞が毎度恒例でやっておりました。今年の出来はイマイチ。北海道新聞だったかな、「札幌市電がロープウェーに乗り入れ・試乗体験記事」というのがあったそうで、これが国内最高傑作ではないかと。イギリスは本場のようで、首相官邸が真っ赤に塗られたとか、いろんなネタが出ておりました。


>NFさん
 なんせ大急ぎで書いたものでネタを搾り出すのに苦労したんです(笑)。1本目は前にこの掲示板で書いた話題ですから簡単でしたが、3本目は一番考えちゃいまして…当初は「本能寺の変真相」の予定だったのですが、「宮内」があてはまる都合のいい人がいなくって(笑)。そこで龍馬でやってみたわけですがこの福岡宮内が龍馬暗殺の黒幕では?って推理ネタは実際にあるようです。検索したら見つかるかと。

>巫俊さん
 「義経が出っ歯だった」という雑学を知ってないと笑えないかもしれない…と思いつつ書いたネタでした。当初は朝青龍に話を絡めるとか、例の「吉成りて汗を思う」を何とかコジツケられないかと考えたりもしていました(笑)。
 いしいひさいちネタですが、以前「コミカルヒストリーツアー」で、中華料理をすすめられた雍正帝が「わしは中華に毒された北方民族王朝の轍はふまんぞ!満州の朝鮮人参さえあれば十分だ!」と言い放つが、朝鮮人参を使った中華料理を出されると「ほーこりゃうまそうだ」と食べて「轍を踏んじゃうのであった」という4コマがありました。

>電気羊さん
 そうですか、金州でお仕事を。ブログも時々拝見しております。
 「神器好かん」のネタ、実は中学時代に「ジンギスカンはヤクザが嫌いでした…仁義好かん」というギャグを言った教師がおりまして、それを参考に(笑)。
 モンゴル映画「チンギスハーン」の日本公開版のオープニングに「チンギスは義兄弟のジャムカらと仁義なき戦いを勝ち抜き…」というナレーションがありまして、これを聞くたびにそのギャグを思い起こしておりました(笑)。
 なお、最近の中学生は「チンギス・ハン」でしか習わないもんですから、「ジンギスカン」というと料理の名前だと本気で思ってますね。「昔はジンギスカンと言ってたんだよ」っていうと爆笑したりしますから。


>わはははさん
 いや、その…すいません、特に深く考えていたわけではなく、自然にああ書いていたものでして…
 それと失礼ですが、どなた?(^^;)

>尾鳩さん
 こりゃまたお久しぶり。相変わらず世界地図上を飛びまわっておられますな。以前パスポート見せてもらったことがあるけど、あんなにあちこちのスタンプ押してあったら怪しまれますわな、ホント(笑)。
 親父ギャグ…えーと、あなたはそろそろ親父かも知れませんが、わたしゃまだまだ青春まっさかりなので(笑)。



#6604 
民本主義者 2006/04/05 22:46
読み直して愕然!

#6599は私、民本主義者の書き込みです。 



#6603 
尾鳩 2006/04/05 17:21
たまにはのんびりと旅行したい

お久しぶりです。しばらくは日本にいられそうです。
正直、今回の出張は大変でした。詳しくは書けない事情があるんですが、シンガポールを早朝出発、昼に日本帰国、夕方に再びシンガポール経由でジャカルタ・・・。同日の深夜にシンガポールのチャンギ空港に降り立ったときなんざ、一体何をやっているのかと自分でも少々悲しくなってきましたよ・・・。まるで、薬の売買人ですね。入関の人間が、妙な目つきで私を眺めておりました。

>管理人さま
お久しぶりです。
史点、楽しく拝見しました。いや、こういうの大有りです(笑。
私もとある研究会で、「陰謀論を創造する」なんていうのをやっておりまして、今回の記事は大ヒットした次第。「神器好かん」には、さすがにやられたと思いました。親父ギャグ全開ですね(笑。管理人さまの年齢を彷彿とさせる次第(同年齢ですけどね)。

>巫俊様
はじめまして。尾鳩と申します。
ホームページ拝見いたしました。出身地が「山東」とありましたが、もしかして、中部地方に実際に存在する「山東」ご出身とか。
いや、高速道路を使用していると、必ず「ここに山東が!」なんていつも思ってしまうので。
まあ、私も「江東」在住なんですがね。
意味不明の文章で、大変失礼しました。



#6602 
巫俊(ふしゅん) 2006/04/04 22:01
孟きょうさま

私もひとさまのHNをコピペして(笑)タイトルなどに貼り付けるときは、「さん」「さま」という言葉をすかさず付けるように用心しております。
たぶん「巫俊」という文字を書くと、脳内では「巫俊さん」などと書いてあるように見えてしまうんだと思いますよ。
ある意味コンピューターグラフィックスみたいに人間には見たいものを補正して視覚する能力があるようです。

んで、「なんちゅうか、本中華」って四コマの中で、鮮卑王朝に仕えるコックさんがかぶってた帽子に書いてあった言葉ですね。
最初は意味が分からなくてコックの名前だと思ってました(^^;
それにしても、眼鏡の似合うシリーズ。

http://ip.tosp.co.jp/i.asp?I=uruseiyatsura_com


#6601 
孟きょう 2006/04/04 11:24


>巫俊様
 すみません、(様)をつけ忘れました(泣)。しかしまあ、私もぶっちゃけ、小学生の頃は「中華思想」とは、中華料理の事だと思っていまして。あの4コマのオチは身につつまされる思いで本気で笑えました(笑)。



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