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#6600 
孟きょう 2006/04/04 11:18


>巫俊
 「なんちゅうか、本中華」ですね(笑)



#6599 
わははは 2006/04/03 22:19
史点の藝の細かさについて

私は「問題があるようだつたら」にうなりました。
旧かな使いで「あるやうだつたら」と書く人もいますが、この「よう」は漢字「様」の音読みですから、字音旧かな使いは使用していないというわけですね。丸谷才一氏と同じ書き方です。
その他、私が振ったり書いたりしたネタが採用されていてうれしい(笑)。



#6598 
電気羊 2006/04/02 22:50
金州

先月から、大連郊外の金州で仕事を始めました。
金州といえば、日露戦争の金州の戦いが思い出されますが、現在その痕跡はほとんど残ってません。
地元の人も、一部の歴史好きを除いてはほとんど知らないようです。
私が「昔ここで大きな戦いがあったんだよ」というと大体の人が「え、旅順じゃないの?」という反応をします。
旅順の戦いがあまりに有名になりすぎて、金州の戦いがかすんでいるのかもしれません。

今日は金州の八旗の衙門(金州副都統衙門)を見学してきました。
20世紀にロシアが大連を建設するまではここが遼東半島の政治・軍事の中枢でした。
見学記は今日のブログに書いておきました。
(現在、ブログ不具合のため、写真はアップできませんでした。しばらくお待ち下さいな)


いやあ、「史点」のネタ、笑わせていただきました。
特に「神器好かん」は最高!
こういう手間のかかったくだらないネタって大好きです!

http://spaces.msn.com/honin/


#6596 
巫俊(ふしゅん) 2006/04/02 01:16
エイプリルフールって

中華料理のレスは、魏晋南北朝の巻(『05』)のいしいひさいち氏の四コマの受け売りですが、
エイプリルフールを意識した訳では全くなかったりします(^^;
4月1日だったなんて、なんたる偶然。。。

http://ip.tosp.co.jp/i.asp?I=uruseiyatsura_com


#6595 
巫俊(ふしゅん) 2006/04/02 00:38
>そこは兄弟、義経の出っ歯さえ折ってしまえば顔はソックリだったので見破られる心配もなかった。

(大爆笑)

http://ip.tosp.co.jp/i.asp?I=uruseiyatsura_com


#6594 
NF 2006/04/02 00:28
あらら

「挑戦」ではありません、「朝鮮」です。長いと誤変換に気付かずに恥ずかしい限り。



#6593 
NF 2006/04/02 00:27
久々の史点キター、と思ったら…

やられました。まさか、ああ来るとは(苦笑)。一つ目で「ええっ?初耳だぞ、信じられん」、二つ目で「ん?なんか変だぞ…」、三つ目で初めて「そうか、やられた」。何とも鈍い話で。

>日本と「中華」
日本の場合、その歴史が始まった時点で既に中国が高いレベルでの発達を遂げた後でしたからねえ。基本的には中国の背中を追いかける歴史をたどっていた(近代以降にはその相手が欧米に変わる)わけで。例えば思想一つとっても中国から入ってきたもので事足りる、というかそれを吸収するので手一杯な状況が長く続いたわけです(日本に合うように修正・手直しする必要はありましたが)。太宰春台が和語には抽象的な事象を表す単語が殆どないことを指摘していましたが、その辺の事情があるんでしょうね。支配者層のメインカルチャーといえるものは日本の場合、前近代は中国古典で近代は西洋思想という風に外国の借り物だった。という訳で、国学の言う「日本独自のもの」は「中国でないもの」というより私的な性格の強いサブカルチャー、娯楽しかなかったような気がするのです。大分前にこの掲示板で本居宣長はオタクというようなことを吠えた覚えがある(源氏物語を題材に二次創作小説を書いたお人ですし)のですが、オタクだからこそ日本伝統のサブカルチャーの本質を見据えた上で深く洞察することができたのだろうなと思ったりします。これが次の平田篤胤の時代になると「あるべき」論や宇宙論が前面に出てきますが…、って話が逸れましたね。で、外来の思想が日本に入ってきた時点で完成度が高かったため、自分独自の思想・独自のメインカルチャーを作り出す必要はなかった。ただし、自分たちの楽しむための娯楽は自分自身で作り出す必要があった。その結果として、独自のメインカルチャーを持たず(日本独自の文化でメインカルチャーとなりうるものは嘗て娯楽文化だったがその役割を終えた古い文化のみ)、その一方で娯楽文化は栄えるという事態が生じたのではないかと。
因みに、自らは大国に服属しながらも「小中華」として周辺の小国を服属させたのは挑戦や日本の専売特許ではないようで、古代ギリシアも周辺民族を「バルバロイ」と呼び蔑視しましたが自分たちも実態は大国ペルシアに服属していたも同然だったりします。そもそも本家の中国も北方民族相手に旗色が悪い時は彼らに服属しながらも、他国には引き続き中華として振舞うなどなかなかの柔軟さ(というかしたたかさというかいい加減さというか)を見せてましたね。



#6592 
徹夜城(久々にこちらで更新をした管理人) 2006/04/01 20:39
竜々逝く

 松本竜助さん死去…う〜ん、やっぱり僕にとっては「人形劇三国志」の解説者ボケ役であり、人形「竜々(ろんろん)」の声なのでありました。漫才師の「転落」パターンを絵に描いたような感もありましたが…ともあれ、ご冥福をお祈りします。


>民本主義者さん
 朝鮮半島というところはお隣にあんなでっかい「帝国」にして文明の中心があったりするもんだから、日本とはまた違った対応が出てくるということなんでしょうかね。ベトナムなんかにも共通したところは感じますが…
 「小中華」という言葉自体は後世の歴史用語なんですけど、朝鮮半島の国家は高麗といい朝鮮といい、中国の王朝には文化的・政治的に服属はしつつ(といって中国の場合周囲は全て「服属」だともいえるわけですが)しっかり自国の中では自国を中心とする「華夷秩序」を形作ったりするんですね。女真や倭人などがそうした「夷」の役割をさせられるわけで、「朝貢」も行われます。ただ、中世の日本人の場合利益目当てに朝鮮への「朝貢」に殺到する(仮想の国までこさえて「偽使」をつくる場合すらある)という、手段を選ばないというかしたたかというか…な動きを見せてくれて面白い。
 これが江戸時代になると日本も儒教的感覚から「華夷秩序」を日本を中心に形作っていくわけで。その行き着く先が「大日本帝国」だった、と言えるかも。そういや明治から明にならって一世一元制になるしなぁ…なんて(笑)。ま、これもまた欧米には「服属」する「小中華」だったという側面もありますな。


>巫俊さん
 お、その「中華、どこ?」はいしいひさいち氏が「中国の歴史」の冊子に書いていたネタですな。

 ところで僕も調子に乗ってこの日ならではの更新をしてみました。今朝思いついて、どうにか8時過ぎにアップしました(笑)。「史点」史上最速に近いな。



#6591 
巫俊(ふしゅん) 2006/04/01 00:12
中華っていう言葉は

もともと中華料理を指すことばだったのです。
それが証拠に、日本の街なかで「中華どこ?」って聞いたら、
中華料理店の名前を教えてくれるでしょう(笑
以上全部ウソ(笑

http://ip.tosp.co.jp/i.asp?I=uruseiyatsura_com


#6590 
民本主義者 2006/03/30 23:54
訂正

>500だったので

>500円だったので
に訂正します。これは本当は帝政というのが民族自覚的に(以下略 スマソ



#6589 
民本主義者 2006/03/30 23:52
島国根性と半島気質

管理人さまへ
>「もはや本家はウチだ」
そこで出てくるのが山鹿素行の『中朝事実』ですよ。
「中華(日本)の武、四海の広き、宇内の区、終に之を議すべからず。武の徳惟神にして、文の教は惟聖なり。陰陽生殺の機妙を函み、仁義生成の化を致す。」
徳富猪一郎『近世日本國民史 徳川幕府上期 下巻 思想編』(明治書院 昭和11年)255ページより引用。(いや、たまたま近所の古本屋で500だったので買っただけですが)

中国古典にいう「中華」「中国」「中朝」とは、実は日本のことだったのだ、という民族的自覚に目覚めていきます。まあ、目覚めるというか自らを眩ますというか。
このころ朝鮮半島は、清に服属しつつ、儒教の本家はもはや我々しかいない!と思いつめるにいたります。「小中華」という考え方ですよね。この島国根性と半島気質の分かれ目は、けっこう現代にも尾を引いているように思います。



#6588 
徹夜城(連日講習に出かけて疲労している管理人) 2006/03/30 23:19
ゲームの歴史も

 ちょっと間を空けたレスになって申し訳ないですが。

>NFさん
 任天堂の次世代機にセガとハドソンがそれぞれメガドライブ・PCエンジンの旧作を供給する、という話を聞いて、PCエンジニア(笑)である僕などは実に感慨深いものがあったのですねぇ。
 そうですね、魏・呉・蜀の三国鼎立をやっていたんだけどその後の天下は晋(=プレステ)に奪われてしまった過去の歴史を思い返して…っていささか無理のある例えですが、呉と蜀がその人材を魏の後継王朝(?)にような北魏に提供しているといいましょうかねぇ(笑)。
 PCエンジンの方は本来の当主であるNECホームエレクトロニクスが今はなく、宰相兼将軍として仕切っていたハドソンが代表になっているんですな。しかしハドソン発売のソフトはいいとして他のメーカーのPCエンジンソフトはどれほど出るのか…会社自体が消滅しているソフトメーカーも少なくないですし。
 それとメガドライブ・PCエンジンの旧作を旧作のままにレボリューション上で動かすのか、それとも「リメイク」をするのか、判然としない気もします。

 PCエンジンCD-ROM版「太平記」ですが、発売元がインテックって会社で、これ今どうなってるのか分からないんですよねぇ…メガドライブ版太平記は出るかもしれませんけど、大河とのタイアップ商品だけに出すのかどうか。
 あ、そうそう、僕はPCエンジンのコーナーでPCエンジンの全ハード・ソフトをアイウエオ順に語るという無謀な企画をやっておりますが、今度の更新で「NHK大河ドラマ太平記」の項目が出来ます。まぁ「ゲームで南北朝!」とかなり重複する内容になりましたが。ここ2、3日中には更新するはずです。


>民本主義者さん
 なるほど、確かに面白い指摘ですね。文明的エディプス・コンプレックスというのは確かにあるのでしょう。そのコンプレックスは近代以後は欧米に対しても時として発揮されたりもするわけですが。
 江戸時代にそうした思考が醸成されていくキッカケというのはやはり明から清への交代、いわゆる「華夷変態」が大きく影響を与えているかも…という話をずいぶん前に書いたかもしれません。江戸時代日本人の国際情勢への関心は近松の「国性爺合戦」にも感じることができるように、案外敏感に反応してもいると思うんですよね。
 明の滅亡後、朝鮮でも日本でも儒教熱がいっそう盛んとなりますし「もはや本家はウチだ」という気分も出てくる。そして特に日本の場合江戸時代を通してかなり中国的かつ儒教(朱子学)的な発想が知識人の間で強く浸透して、その論法で「日本」を語りだすと水戸学だの国学だのといったものになっていく…ってな感じに眺めることも可能なんじゃないかなと。「日本独自のもの」を追及した本居宣長が結局のところ「中国でないもの」でしかそれを定義できていないと上田秋成(だっけ?)にからかわれていた、なんて話も思い出します。


>実在人物を描いた映画
 これもちょっと間が開きましたが、先日韓国映画「力道山」を見てまいりまして(栄耀映画伝言板には数日前に書いてます)。戦後活躍した人物を主人公として描いた劇映画の一例になりますし、内容的にも僕は「歴史映画」に分類したいと思いましたね。
 韓国のカメレオン俳優・ソル=ギョング(「聖徳太子」「シルミド」)が28キロも太り、激しいプロレスシーン(流血までアリ)を演じ、さらに90%以上のセリフが日本語という難役をこなしています。力道山の試合に熱狂した当時の日本の世相など、なかなかリアルに描けていると思ったんですが、これ、韓国映画ながら日本人でないと楽しめないのではないかな、という感想も持ちましたね。
 なお、力道山本人が出た伝記映画というのもあったはずです。もちろんその出身等については完全に創作されていますが。



#6587 
ブッチャー3世 2006/03/30 21:05
それどころか

>中国征服
それどころか中国人妻にボラれて一服盛られたり
日本が中国にタカられ続け挙句に併合される心配のほうが(笑
何かそういうタイトルの本と中国はいかにして
チベットを侵略したか、という名の対の著作が大々的に
宣伝されてますね、東京都知事、絶賛、とか
ダライラマ14世が序文を執筆とか。



#6586 
民本主義者 2006/03/27 23:48
十一郎様・管理人様へ

どもども。
中国を征服すれば、世界の残りの部分の征服なんて簡単さ!という佐藤信淵の思想は、結局、倒錯した中国崇拝ではないかと思います。
現実に日清戦争で中国に勝利した日本人が、いかに狂喜したかは、福沢諭吉の『福翁自伝』(岩波文庫)の末尾近くを読むとわかります。アメリカの歴史家ウォルター・マクドゥーガルは『太平洋世界』下巻(共同通信社)41ページで日清戦争による日本の勝利を「ひとつのカタルシス、一種のエディプス的行為」と喝破しています。
この部分は著者の創作に成る、「賢人会議」における斉藤博・日米開戦直前期の大日本帝国駐米大使の台詞でして、これに対して「学者」(著者)とスワード(南北戦争時のアメリカ国務長官)が以下のような会話をします。(くどいようですが、著者によるフィクションです。読みやすさの便宜のためカギ括弧を付けました。)
スワード「一種の、なんだって?」
学者「うまい言い方です。」
斉藤「エディプス・コンプレックス。父親を殺そうとする潜在的な欲求です。日本にとって中国を負かすのは、まさに、われわれの古い文化という父親を殺害して、新たな日本をすっかり実現し、……アジアの主導権を受け継ぐことでした。」
学者「斉藤さん、東京大学でソフォクレスを読みましたか。」
斉藤「いや、しかし、ニューヨークのホテル・ピアで傾聴しました。フロイトは一九二〇代当時、大いにもてはやされましたからね。」
スワード「きみは、日本人は中国を『文化の父親』と見なし、そのために戦争で中国人を打ち負かしたかったと言うのか。くだらない考えだね。」
斉藤「そうですか、それじゃ、なぜ、きみたちアメリカ人は一八一二年にイギリスに宣戦布告したのですか。また、勝利を収められないと、なぜ一世紀も恨みをいだきつづけてきたのですね。」
スワード「それから、きみの話によれば、フロイトとかいう人間がこれを思いついた。ウィッテのいとこが考えそうなたわごとだ。あの女の名前はなんといったかな。ブラヴァツキーか?(以下略)」
これはとても面白い歴史書です。面白すぎるのがちょっと問題なくらいです。



#6585 
十一郎 2006/03/27 07:24
前回の書き込み、一部が途切れてました(謝)

たいした内容では無いのですが、「欧米が脱植民地政策に向かっていた時期であれば」の後に文章を繋げるつもりでした。

>『グローリー』

TV放映時に斜めで見た記憶しかないのですが、個人的には、黒人兵士に懲罰の鞭打ちをしようとして服を脱がせたシーンが記憶に残っています。
台詞もほとんどない、わずかな時間でその兵士の過去、ひいては黒人達の状況が浮きぼりにされる良い場面でした。



#6584 
徹夜城(ウカウカしてるとレスをためこむ管理人) 2006/03/27 00:29
少々お留守になっておりました。

他のコーナーの作業で忙しかったりするわけですが(笑)。
明日は「力道山」見てくるぞ〜!モーニングショーしかやってないのが痛いですが(^^;)
ともかくたまったレスをなるべく短くお返しします。

>民本主義者さん
 いやあ〜ネタをいろいろとどうも。いろんな意味で興味深く読ませていただいております。
 幕末に向けてこの手の発想が増えてくるような気がするのは、気のせいなのかな…


>mozawaさん
 川島芳子は生きてるうちから映画の登場人物みたいな扱いでしたからねぇ。それで活動が誇大に喧伝されたことが彼女の命取りになったとも言われてます。
 川島芳子にはちょっとかなわないですが、山本五十六も戦後わりと早く映画に登場してますね。とりあえず「太平洋の鷲」(1953東宝)が最初だったんじゃないかと。その後何回登場しただろうというぐらい多くの俳優に演じられた近代史の有名人。つい先日「連合艦隊司令長官山本五十六」(1968東宝)をDVDで見る機会がありまして、改めてそう思いましたね。三船敏郎主演で、この人たしか3回ぐらい演じてます。

 それにしても松岡洋右…そのコメンテーターも単に「ブチ切れてカッコよく退場する」ってだけの連想で軽く口走ったものだろうとは思いますが、「そうすべきである」という意味で引き合いに出すのは大問題。だいたいあの「連盟よさらば!」だって、決議に反対したのが日本一国だけという体たらくで逆ギレ以外の何者でもなく、長い目でみるとその後の日本の立場を悪くしただけですしね。
 で、怖いのが当時の日本のマスコミ・大衆はこれを絶賛したりしてたわけです。忠臣蔵にも見え隠れすることですが、どうも日本人はキレたとしか思えないムチャな行動で一時でいいからスカーッとするのが好きな傾向が強いんじゃなかろうかという気もしてしまいます。同じ頃の5.15事件だって「討ち入り」みたいにフィーバーしてたそうだし。
 ま、ともかく優勝しちゃったんだからキレて帰らずによかったわけで(笑)。


>十一郎さん
 「チャングム」、どうも東アジア的に当たっちゃってるのは確かなようで…アニメ化までするというのには驚きますが。
 僕は「歴史ドラマ」的に期待するのは途中からやめまして、単純に連載漫画的展開のうまさに感心してましたね。バカにしつつ見始めると結構見てしまう、というのは確かでした。前半はお料理、後半は医術という展開になるんですが、ほんの数行の元ネタから一年分こんなドラマを作っちゃったのは凄いと思う。
 ただ僕はもっと「歴史ドラマ」を見たいのですねぇ。「太祖王建」なんて間違ってもやらないんだよなぁ。ペ=ヨンンジュン主演の広開土王は絶対上陸するんでしょうが(笑)。そういや韓国で大変なブームになったという燕山君宮廷を描いた「王の男」は聞くところによると「やおい」要素があるようで、日本上陸時にも一部でウケる気がします(笑)。


>ひでさん
 「グローリー」は劇場公開時に見たきりで懐かしかったです。ストーリーはだいぶ忘れておりましたが、戦闘シーンで敵が銃で撃ってくるのにズンズンと行進を続けて至近距離に来てから撃ち出すという当時の戦法の再現はよく覚えておりました。
 この映画の主役マシュー=ブロデリックはこのころ若手スターだったんだよなぁ。最近は「GODZILLA」以降見かけませんが。で、この映画で助演男優賞をとっちゃったのがデンゼル=ワシントンでこちらは大出世。監督はその後「ラスト・サムライ」を撮って微妙に話が繋がっていたりする…と(笑)。
 「砲艦サンパブロ」は以前から人に歴史物映画として薦められていた作品で、ようやく見始めております。


>専門的余談
 新聞で報じられておりましたが、蒋介石の日記の原本の一部がアメリカで公開されたそうで。満州事変直後の日記で日本軍のことを「倭寇」と書いているくだりがあると聞いて、「ああ、これが元ネタなのか」と納得。
 なんの話かといえば、映画「宋家の三姉妹」で西安事件直前の段階の蒋介石のセリフに「なぜ明朝が滅んだか、それは国内が混乱して倭寇に対処できなかったからだ」とかいうセリフ(正確なところは忘れた)が出てきてまして、なんか元ネタがあるような気がしていたんです。



#6583 
ひで 2006/03/26 19:12
ま、いろいろありますが。

>WBC
審判も人間なのでミスはするとはいえ、あの人の審判としての技量はちょっとお粗末だったかと。で、その人をずっと使い続けなくてはいけない仕組みもふくめ、組み合わせ等々色々見直さないといけないところは多い大会でした。

>映画
ここのところ大作映画特集と言うことで歴史映画も何本かやっていて、「グローリー」とか「山猫(完全版)」とか、「砲艦サンパブロ」、「エル・シド」なんかが放送されていました。結局「エル・シド」しか見られなかったのですが・・・。「エル・シド」については敬虔で愛国的というキャラクター設定もふくめて当時のエル・シドに関する代表的な著作をのこしたメネンデス・ピタールという研究者が時代考証に関わり、彼の見解がかなり影響を与えていると言うことを最近読んだエル・シドに関する本で見かけました。歴史上の人物をどう書くかと言うことについても研究が進められる過程で随分と変わってくるところもあるので、今「エル・シド」を作ったらどのようになるのかちょっと見てみたい気もしますが、スペインでかなり反発が起きそうな気もします・・・。


http://pezetairoi.hp.infoseek.co.jp/


#6582 
十一郎 2006/03/26 08:03


>松岡洋右
日本のみならず、かつて欧米の植民地であった国も、国際連盟を脱退した時の台詞に爽快感を覚える向きはあるそうですね。
冷静に考えればどっちもどっちであって、欧米が脱植民地政策に向かっていた時期であれば
しかしWBCにおいて日本は(たとえ誤審がなかったとしても)何ら批難される事をやっていないのに対し、それを謀略・侵略による傀儡国家建設と同列に考えてしまうとは、野球選手達を非常にバカにしている話です。
本当に、日本代表がそういう行動を取らなくて良かった。

とはいえ、WBCへの批判は米国内でも多数あるようで、あれを米国人全体の野球意識と考えるネットの一部意見には行き過ぎと思う事もあります。
日本だって1メディア会社の1球団が金と人気と宣伝力に物をいわせ、色々あるわけですが、それを日本の野球界が良しとしているとは言い切れないわけで。・・・いや、良しとしている某球団ファンも多いかな。例外であるという意味では虎を例にするべきだったかも。

>宇内混同秘策
全体をかいつまんで見てみると、改めて凄い策ですね。

特に世界征服の段が凄い。
中国や朝鮮半島やモンゴルはまだしも、征服可能とする論理が短すぎ、具体性なさすぎ(笑)。
欧米列強を全く念頭に置いていない辺り(中国等の段も、欧米列強もアジアを欲しているという視点が欠けている)、現代では(いや当時でも)机上の空論以下ですね。



#6581 
民本主義者 2006/03/24 23:11


佐藤信淵の『宇内混同秘策』には、以下のようなわかりやすいまとめページがありました。
http://rasiel.web.infoseek.co.jp/text/kondou.htm
ここにもマメノミナカヌシがでてきます。

大国隆正のオーストラリア侵略説は見つけることができませんでした。
もしかすると記憶違いかもしれません。
代わりに、といってはなんですが、彼の『新真公法論』に
「しかはあれど、日本にてアメノミナカヌシといひつたへたる神霊は、まさしく、西洋地方にては天主といふもの、支那にて上帝・天帝などいふものにして」
とあることをご報告します。岩波書店『日本思想大系』第50巻498ページです。
この付録『新真万国公法附録』(小川持正著)の冒頭(上掲書512ページ)は以下のごとし。
「 大日本国は地球上万国の総本国にして、わが天皇は地球上万国の総帝にておはしますこと、神代より定まれる、天地間の公論なれども、」
妙に近代的な語彙が興味深いものがあります。



#6580 
NF 2006/03/24 22:55
どうでもいい話ですみません

>mozawa様
昭和史にはよく分からんところがあるので松岡洋右の評価は保留しますが、えらく気の短いコメンテーターがいたもんですね。日本代表が彼の言う事を聞いていなくて本当に良かった(笑)。どうでもいい事ですが、僕があの件で感じたのは「日本野球の審判は、質が悪いと野球関連のサイトでよく叩かれるけど、他と比べて特別非難されなくてはならないわけではないな」ということでした。確かに日本プロ野球の審判の判定にも色々おかしなのがあるけど、メジャーだってサッカーだって国際試合だって同様だということが分かった。そして、WBCやW杯などでは星野・金田監督らのような振る舞いを審判にする人はいない(これは日本野球の悪い点でしょうけど、彼らに共感してしまうこともあるのはわれながら困ったもので)。日本の審判は他と比べて過酷な条件で仕事をしているとも言える訳で(苦笑)胸を張って良さそうだな、と。

えー、えらくどうでもいい話をしてしまったのですが、どうでもいい話をもう一つ。
http://www.mainichi-msn.co.jp/entertainment/game/gamenews/news/20060324org00m300018000c.html
「レボリューション:PCエンジン、メガドライブのゲームが復活」
だそうです。ひょっとしてその中に「太平記」が…。って、無理だろうな多分。



#6579 
mozawa 2006/03/24 09:18
WBC疑惑の判定

 ワイドショーでの発言ですが、「あんな判定されるなら、日程途中でも帰ってこい」と思った、というコメンテーターが、「松岡洋右の気持ちが良く分かった」と言っておりました・・・・。
 理解するまでに少々時間を要し、最初は「テニスでも疑惑の判定ってあったかな?食いしん坊松岡のこと?」と思ってしまいました。
 
 あ、国際連盟脱退の話ね、とちょっとして気付きましたが、イマドキそんなこという人いるんかい、と少々あきれてしまいました。



#6578 
巫俊(ふしゅん) 2006/03/23 22:14
孟きょうさま

朱元璋って『09』読むまで最悪の君主って印象を引きずってましたよ(^^;
明代初期は土木事業が目立って、専制国家の時代って印象が大きかったのが、マイナスに作用したようですね。

明清時代って、近すぎる時代なだけにイメージ的に損してるところあると思います。



#6577 
孟きょう 2006/03/23 19:14



 >徹夜城様
 御返事が遅くなり、大変申し訳ありません。なにやら足が痛くなる風邪にかかってしまいまして、寝込んだ状態の中、気力体力の低下から書き込みの体力も無く閲覧で精一杯という有様でして。興味深い話題が満載の中、少しづつでも御返事をしていきたいと考えております。
 >倭寇と明軍
 はい、そのとうりなんですよね。明代の一面として北虜南倭と言われるように、従来のステレオタイプの倭寇像は修正を迫られているものの、やはり明代における倭寇のポイントは大きいと思いますね。私なんかも幼少期は倭寇が嫌いだったんですが(笑)大人になってからは事の複雑さに少しは気づきまして。前期、後期の倭寇には色々な側面があるとは思いますが、済州島、対馬、南朝鮮、九州の問題は当然としてやはり後期になるともう、「華南のほとばしるエネルギー」「華南のダイナミズム」の感があるのかなと、素人目に感じます。
 私は子供の頃より朱元璋の旗揚げから明とモンゴルの1390年代までの南北大戦(杉山氏が一番嫌がる時代ね)が中国史上でも世界史上でも一番興奮と興味を持って見れたクライマックスな時代(私個人の中だけに限り)に感じていたのでどうしても明軍と明初の黄金世代は贔屓目で見てしまうんですよね。困ったもんだ(苦笑)。でも、明と倭寇がおりなすあのハチャメチャな世界は私は大大好きですね。日中双方の近代、現代人は怒るだろうけど。 あとはまあ、あの倭寇があったからこそ戚家軍という明軍の精鋭が現れ、軍学書が世に出、明軍の戦力の万分の一なりともが強化され、万暦東征の中でプチ戦力になれたと思うとまあいいかなと思う次第です。



#6576 
mozawa 2006/03/23 10:31
レスです。

 川島良子というのは知らなかったですね。というか、ゲームがあること自体知りませんでした。驚きです。

 



#6575 
巫俊(ふしゅん) 2006/03/22 22:31
チャングム

韓国のTVドラマとしては、現代ものばかりが流行する中、朝鮮王朝の宮廷物語「チャングムの誓い」に好感がありますね。

宮廷の女料理人(スラッカン)たちが毎週のように料理対決をする番組なのですが、
白菜って朝鮮王朝時代からあるのかな?
曹操や諸葛亮の逸話が登場するんだけど、そんなに三国志ばかり登場するのかな?
といったツッコミポイントが一杯です。

そういえば、市立の図書館で、『義経から一豊へ』って130ページばかりの本(というよりリブレット風の)借りてきました。
副題に「大河ドラマを海域にひらく」って大書されていて、普通の大河本かと思えばちょっと異色な感じ。
執筆陣も宋代や明代の海域や東アジア史に関心のある研究者たち18人で構成されているようで、
中国から日本まで話を広げながら、宋から明までの海域世界や、それに関係する土佐の歴史を書いたりしてる様子。
とにかく大河ドラマをネタに、一冊書いてみました、という本の様子。
これは見逃せません♪



#6574 
十一郎 2006/03/22 07:31
チャングムの夢、ただしアニメ版

NHKプレマップで予告をしていました。
http://www3.nhk.or.jp/anime/yume/
歴史として語れるような部分はほとんどありませんが、少しばかり目を引いたのが、騎馬で矢を射るカット。モンゴル等で見られるように上体をひねり、後方へ射っていました。アクション全体はアニメ的デフォルメが効いていますが、所々にそれらしさを感じます。
倭冦が出るかどうかは不明ですが、アニメオリジナルの少女時代を書くらしいので、出ない可能性が高いかな?

ほとんどの制作工程を韓国が担当したそう(監修に日本人が少し関わっているようですが)。
作画はけっこう丁寧で、予告で見る限りは破綻がありません。構図や演出に古臭い感じはしますが、一昔前を思えば相当の進歩。

ちなみに、ドラマ版は現在やっている深夜放送を見た事がありますが、色彩や演技が全く受けつけず。まあ、今のところ韓流自体に興味を持てないのですが・・・ついでに書かせてもらいますと、軍事独裁であった時期の親日韓国も、現在の韓国ナショナリズムも好きではないのですが、最近は望まず擁護発言をする機会が多くなって困ったものだと思っています。

>『モローラ 灰』
自分で話を振っておきながら、一週間以上後になってすみません。
結局は飛ばし飛ばしで見たのですが、白人妻が黒人夫の暴力にさらされていた複雑な差別構造、アフリカ民族音楽を取り入れた復讐の誓い等、むしろ後半からの盛り上がりが良かったかな、という印象です。
公演後の作者解説によると、タイトルの「灰」は9.11で降り続けた灰を意図してだそうで。暴力に暴力で対抗して良いのか、それを問う意味でアパルトヘイト後の政策をモチーフに取り入れたという話。ネットで見聞きした『ホテル・ルワンダ』との比較評はそこを意識しての物だったようです。

>『死者の書』
2006年から上映していたのですね。
一年ほど前、ノルシュテイン来日のドキュメンタリーで制作途中の物を少し見た記憶があります。ライフワークとして紹介されていましたが、そう考えると予想外に早く完成しましたね。一方、ノルシュテインの『外套』は完成する可能性すら感じられません(苦笑)。

>民本主義者さん
>http://www2.neweb.ne.jp/wd/akitaplus1/zakki2.htm

何とも郷土愛にあふれた(笑)素晴らしいページですね。
平田篤胤といえばキリスト教からの思想的影響が強いと記憶していますが、思えばキリスト教をユダヤ教の一派(原理主義的な異端)から一宗教として独立させたパウロからして、生前のキリストと会った事もなく、夢(復活したキリスト)を見た時からキリスト崇拝を始めたわけで。・・・まさか平田篤胤がパウロにならったわけではないでしょうが、面白い類似と言えるかもしれません。

>イレギュラー満タンさん
>川島良子
少しばかりgoogle検索した所では、ゲーム関係のページしか出てこないようですね。
インターネットで誰も話題にしてないだけかもしれませんが。



#6573 
まさに"irregular bound"なイレギュラー満タン 2006/03/21 14:40
川島芳子といえば・・・

プレイステーション2の「SHADOW HEARTS 2」で、川島浪速の養女として、彼女が登場します。(まぁ、脇役なんですが・・)
この事は史実だそうなんですが、僕が気になるのは、この前作「SHADOU HEARTS」の方で、川島良子なる人物(ちなみに大日本帝國軍中佐)が登場します。
彼女は川島浪速の実子だそうで・・・実在していた人物なのでしょうか?
ご存知の方がいらっしゃいましたらよろしくお願いします。



#6572 
mozawa 2006/03/21 09:57
川島芳子の映画

 関係ない話で恐縮ですが・・・。
 先日、川島芳子を主人公にした「燃える上海」という映画をほんのちょっとですが、見る機会がありました。
 上海事変の黒幕としての彼女の描写が中心で、上海事変のあとはいきなり銃殺シーンに飛んで終わり、というものです。
 驚いたのが、映画の製作年でして、昭和29年でした。戦後わずか9年。芳子の死後からでは6,7年ほどで作られた、ということに驚いてしまいました。(上海事変からは20年以上経ってますけど)



#6571 
民本主義者 2006/03/20 19:57
佐藤信淵といえば『混同秘策』

『宇内混同秘策』(世界統一秘密計画)より冒頭部分を引用します。
「皇大御国は大地の最初に成れる国にして世界万国の根本なり。故に能く根本を経緯するときは、則ち全世界悉く郡県と為すべく、万国の君長皆臣僕と為すべし。」
(現代語訳「天皇陛下の大日本国は世界で一番初めに出来た国であり、世界中の国々の根本の国である。したがって、この根本の国を上手に経営すれば、全世界をその領土とすることが出来るし、すべての国の君主や指導者をみな家来や奴隷とすることができる。」)
「故に(したがって)」ってなんでやねん。
キテます。こういうオヤジ、けっこうタイプで(以下略)

次の機会には、大国隆正の大和民族によるオーストラリア侵略の勧めを引用しますので、請う御期待。



#6570 
巫俊(ふしゅん) 2006/03/20 05:20
王直処刑後の

国家の管理内における私貿易の許可ってのは、
印象的に盛時の取引額の6割減くらい貿易額が後退してるという、想像をしてしまうのですが、

これは如何なものだったんでしょうか?
なんか国家の「ささやか」な許可だったように見えて仕方がないんで。

>壇上説

『09』の洪武帝〜永楽帝の項は、壇上先生の執筆物と同じ内容の部分が随所に見受けられますよね。
壇上先生の説の再検討のようなものも盛り込まれているのかもしれないですが、
今のところ壇上氏については杉山先生ほど著作物に慣れ親しんでない私としましては、
洪武帝の晩年近くになってやっと平定されたモンゴル側の勢力圏[雲南]について、再評価してるくらいが目に付きます。

>杉山説

杉山先生は、洪武帝の経済政策について「暗黒時代」扱いで、洪武帝の残虐性に言及なさるんですが、
『09』の戸メカニズムの検討によって、明代初期の印象が緩和されたように思います。
先にモンゴル史の方から杉山説だけを読んでる人は、ともすれば明代は“モンゴルによる近代化の可能性”を亡き者にした時代と考えてしまうようで、

その延長上に「モンゴルは民主的」といった価値観まで登場してしまうので、どうかと思うのです。
モンゴルのクリルタイ(集会)を近代的な選挙に近いものと説明されたときは、むしろアフガニスタンのロヤジルガに近い伝統的なものと説明するようにしています。



#6569 
徹夜城(最近PCエンジンFX関係で妙に動いている管理人) 2006/03/19 22:04
WBC〜世界ヘビー級タイトルマッチ

↑どうしても「WBC」と聞くと、こういう風に続いちゃいます(笑)。「ワールドカップ」にする方向なんでしょうが、それならアメリカ大リーグにまず「ワールドシリーズ」と名乗るのをやめてもらわないと(笑)。
 それはそうと、韓国チームの兵役免除プレゼント、ちと早すぎたのではないかな。安心して力が抜けたとか(笑)。僕自身は兵役否定論者ですが(韓国人の留学生の友人から兵役中のイヤな話をいろいろ聞かされたせいもある)、国家が「兵役免除」をプレゼントにするってのは「兵役って嫌なもの」という事実を国家が承認することになるようで、その面から問題視する声はないのかという気もします(笑)。実際軍人なんからは批判もあるらしいですが。
 それはそうと中南米諸国の野球の試合をダイジェストで見ていたらえらい面白そうで…東アジア同士、中南米同士でやるんじゃなくて最初からゴタマゼにしたほうが面白い試合が見れたんじゃないか、って気もします。


>孟きょうさん
 僕などは明軍に鎮圧される側が研究対象ですから、明軍憎しが基本姿勢になりがちです(笑)。
 ま、もちろん明軍と言いましても時代・地域による差異は当然あるでしょう。少なくとも後期倭寇のうち「嘉靖大倭寇」が江南地方を跋扈した一因には明軍の沿海防衛体制の退廃があったことは間違いないでしょう。だいたいそういう状態だから密貿易集団が数多く発生し、その治安をむしろ「倭寇」側である王直たちが官軍から請け負ったりしていたわけで。王直らと戦ったことで有名な兪大猷ですら、「海上史事件簿」で僕が書いたようにある面では王直らを利用してやるつもりだった可能性が高いです。そういやその兪大猷は「倭寇は陸に上がると手がつけられないが海戦がヘタだから海で戦うべし」とか書いてるんですよね。
 また江南地方の倭寇鎮圧のために福建兵を動員すると、これがそのまんま「倭寇」に寝返ったりしますし(「倭寇」の構成員に福建出身者が多いため内通しやすい)、近代的感覚から見るともうメチャクチャで(笑)。もちろんその体制を立て直していったから倭寇じたいも下火になっていくんですが、最終的には私貿易を公認してそれを国家の管理下に置いたことが「倭寇」活動の根絶につながっていたのではないかと。


>民本主義者さん
 出雲井さん、他の本で明確に平田篤胤を絶賛してる記述があるんですよ。ああ、この辺が元ネタかなと思いましたが、ID論にまで親近感を持ってるらしいところからするとそればかりでもなく何かもっと近い時代のものがあるようにも思えます。

 佐藤信淵については僕は全然知らないと言ってもいいぐらいなんですが、「風雲児たち」でチョコチョコ出てきていた人ですよね?「自走火船」なんてシステム不明の無人兵器を提案していたりしたような…


>巫俊さん
 その朱元璋がフビライを「天命をうけたもの」として評価している、というのは檀上寛さんが特に強調された話だったかと。杉山さんがモンゴルを高評価するあまり明朝をけなすので(笑)、それに対するささやかな反論を含んでいたと思います。
 まぁ史料の受け取り方の問題になってくるんですが、朱元璋の論理としては別に民族主義をふりまわしているわけではなく、元の盛世は評価する、しかしその後ダメになったんだから天命は移った、次はオレだということなんでしょうね。


>映画ばなし。
 先週金曜のことになりますが、岩波ホールで上映中の人形アニメ「死者の書」を鑑賞して来ました。チベットのあれではなく、折口信夫の小説が原作で、奈良時代を舞台にしたもの。監督は川本喜八郎…そう、「人形劇・三国志」の人形を作ったあの方です。
 かなり精神世界的な、難解といえば難解、イマジネーションたっぷりな作品なので「歴史もの」とくくるのは気がひけるのですが、大津皇子、大伴家持、藤原仲麻呂(恵美押勝)など歴史上の有名人も出てきます。声の出演も宮沢りえ・榎木高明・江守徹・三谷昇と大河など時代劇の常連組があたっています。「人形劇・三国志」のファンとしては家持が老けた劉備玄徳にしか見えなかったりして(笑)。
 この映画が関係者に初めて公開されたとき、「死者会」ってギャグを言った人が一人や二人ではないはず…とにらんでおります(笑)。


>たまにはゲームの話を。
 いま勢いが出ているもので、PCエンジンのほうで更新作業をしているんですが、こちらでもネタになりそうなゲームについての記事を書いたので紹介しておきますね。
下が直リンク。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/FXHP/pcengine/rpg/xzr.html


#6568 
ひで 2006/03/19 19:02
WBC

といってもボクシングではありませんが(とりあえず紛らわしいんでワールド・ベースボール・クラシックをこう略すのはどうかとおもう・・・)。二度あることは三度あるとならずに三度目の正直と言う結果になったようで。あとは例の迷審判は今回は目立ってなかったなあ・・。

それにしても世界的に広まっていない野球で無理矢理?こういう大会をやろうとするものだから、イタリア系のアメリカ人を多数イタリア代表として登録することになったり、旧オランダ植民地の出身者をオランダ代表に入れたりしないと“世界一決定戦”というて体裁がとれないと言うところが何ともいえませんね。歴史話のネタとして、アメリカの移民の話とかヨーロッパによる植民地化の話とかの入り口には使えそうな気もします。世界史の資料集のなかにはラウルとカーンとモストボイをならべてラテン系・ゲルマン系・スラヴ系の説明をしてるという物もありましたから・・・。

>弁髪
いちおう皆弁髪にしないといけないことになっていたような気がします・・・。
高杉晋作、清、と言った辺りで確かここの過去ログでも出てきていますが、役人と庶民くらいの違いだったんじゃないかなあと思いますがどうなんでしょう。

http://pezetairoi.hp.infoseek.co.jp/


#6567 
ブッチャ−3世 2006/03/17 12:42
弁髪

>明清
高杉晋作の上海日記なるものがあるそうで、私が読んだ
高杉晋作の本には、その上海日記の引用の章があったんですが
晋作の日記では、清人、漢人という記述がよく出てきます、
これは日記の筆者が満州族と漢族の見分けが出来たのか?と
奇妙にも思ったんですが、たぶん、弁髪か長髪かだけでも
見分けがつくかもな、とも。
この日記で印象に残ったのは、晋作は、漢の人々とも
「筆談」(漢文を書きながら会話をする)で何とか会話して
親交を深めていたようです。ある漢人と三国志の話で
盛り上がって晋作は漢人から三国志の中で誰を一番、好むか
と聞かれ晋作は孔明といったそうです。




#6566 
孟きょう 2006/03/16 23:08



 >巫俊様
 あ、いやとんでもない(汗)。恐縮、恐縮です。おでん屋でシクシクと泣きべそをかきながらのつぶやきとでも見ていただければと。まいったなー(汗汗)。



#6565 
NF 2006/03/16 11:17
佐藤信淵って

少し調べてみましたが、弱肉強食の時代を見据えた先見の明のある人ではあったようですが…。やっぱりある意味鋭すぎてぶっ飛んじゃったんでしょうねえ。



#6564 
巫俊(ふしゅん) 2006/03/16 04:44
元朝って

明建国前夜のエピソードなんかを聞きますと、『09』84ページに、1367年に応天(南京)の朱元璋が発した檄文が再録されていますが、そこではかつての元朝が北狄ながら、割りと肯定的に天から天下を授けられたと書いています。

75ページでも漢の高帝、光武、唐の太宗、宋の太祖、元の世祖を天下を統一した君主として、朱元璋は言っています。

これらは意図的な言動なのかもしれませんが、清代に旧明の知識人と清の皇帝が正統性を巡って激論を交わしたのを思うと好対照なような気がします。
(だからといって清朝に正統性がないとか書くつもりはないので)

http://ip.tosp.co.jp/i.asp?I=uruseiyatsura_com


#6563 
巫俊(ふしゅん) 2006/03/16 04:28
#5274番台からの 

講談社『中国の歴史』シリーズ刊行の際のレスから、
王直と鄭芝竜を16世紀と17世紀の差異でみるレスまで閲覧しました。

考えさせられる内容が多く、とくに船頭の孫さんの恐竜温血説に例をとった杉山説評価は、
平勢氏(講談社『中国の歴史02』)と杉山氏(講談社『中国の歴史08』)を以前のように支持しなくなってしまった巫俊に猛省をうながすものです(^^;



#6562 
巫俊(ふしゅん) 2006/03/16 02:53
やっぱり中国って

王朝の歴史だと思うのですよ。

古代をフィールドにして、王朝の興亡と地域史を「変容」というテーマで書いてみようと思ってる私もそう思うのです。
とりあえず大学では“河内(かだい)”って地域の地域史を、夏殷の交替から楚漢の抗争までの一千年の変容として書いてたりしましたので。



#6561 
巫俊(ふしゅん) 2006/03/16 02:44
明朝の年数と「倭」の文化

>こうした組織は指導者が倒れても(中略)動揺せず、不測の事態にも強い。
>明の本当の強さは物量の豊かさでなくこうしたところにあったのではないでしょうか。

明朝の年数を数えてみますと、けっこう長い部類に入るんですよね。
元朝なんてクビライが死んだ時点で賞味期限が半分過ぎてますし。
が、せっかく伸ばした年数を清朝に取られてしまうのは減点対象。
17世紀の明朝は宮廷的には迷走してるし、反乱なんかも絶えないわけですが、李自成の乱に耐えて漢の光武帝のような再興に成功していたら、
余命は倍増したと思うのです。
明朝という看板をあっさり捨てなきゃいけないほどの事態には、なおなってなかったような気がするのです。

明清時代と一口にいいまして、一見平和的に交替してるかのように見える清朝ですが、
やっぱり清朝が統一する過程は、穏やかではないんですよね。
清朝が北京に入城したときって、もとの燕雲十六州に居座ってかつての金国のように振舞うって選択もあったと思うのですよ。
でも清朝は統一政策を進めた。
そうして弁髪令を出して中国人の髪の毛を三つ編みにかえてしまおうとする。

親しんで明清時代と私たちは呼びますが、
ここの変容は見逃せません。
17世紀の明朝の社会は、迷走する宮廷を尻目に空前の繁栄を迎えていたそうです。
空前の繁栄といっても農民反乱あたりは制御できなくなっていて、経済の進展とは裏腹に旧弊の激しい明朝国家は崩れ去っていったようです。
清朝を歓迎した北京の市民は首がすげ変わるだけだと思っていたのかもしれません。
だけど、王朝が滅亡するということは、「前の王朝の常識」みたいなものがもろくも崩れ去るということで、転じて庶民の暮らしにも変容を迫るということに、明朝の人たちはちょっと鈍感だったのではないでしょうか。

三つ編みの上に前髪をそり落として、変な帽子をかぶったとき、中国は一回滅亡して再生したともいえるでしょう。
このとき、日本は満州人の格好を嘲笑し、再生した中国に疑心を抱くようになりました。
中国が韃靼と化してしまったことは、2世紀を経過して清朝の末期になると、
「あの格好の中国」とヨーロッパスタイルの断髪日本という対極をつくってしまったはずです。

私はこういう考え方に賛成してるという訳ではないんですが、
とくに中国を戎狄のように見なすのは、あくまで日本のひとつの見方なので、
あっさり三つ編みを受容した中国では、普段は三つ編みをしてても自分たちは黄帝の子孫で漢の民だと思っていたのですし。
これも「文明の衝突」と同じで、実際に対極の関係にあった“かのように見える”ということに基点を置いています。

そこら辺は中国古代でしたら、戦国期の中原諸国と“戎狄の国”こと秦の関係に近いともいえます。
秦漢と長安に都を置いている内に、“戎狄の文化”が受容されてしまうんですよね。

それと倭寇を“騎馬民族”のように例えるのって素敵な発想ですね。
私は匈奴の成立って、かつて中国から排斥された牧畜民がつくった、という側面があるかとも思っているんです。
何かの理由で中国と線が切れてしまった人たちって、スタイル的に別の民族文化をつくってしまうのかもしれません。
倭寇はそんな側面がありますよね。
倭寇は匈奴のようにはならなかったのでそうではないのですが、海洋商人たちが「倭」という南夷のスタイルを選択した背景として、こういう考え方が可能だと思っています。



#6560 
NF 2006/03/16 00:41
「腹を切って死ぬべきである」と論争相手に本当に言ってそうな…

>民本主義者様
平田篤胤がぶっ飛んでる(夢で弟子入り、一月で世界観完成、日本に宇宙観がないのはよくないからといってキリスト教神学をパクる)のは知ってましたけど、佐藤信淵、お前もか…。ついでに学校の日本史で信淵と並んで教わる安藤昌益は、「万人農耕」つまり農林漁業中心の経済共同体を志し自らを神と名乗るという徳川時代版又吉イエスといった趣がありますし。江戸の思想的偉人ってこんなのばっかりなんでしょうか(苦笑)。
今、「日本電波思想家列伝」という企画を個人的に進めている(ただし色々あって順調に遅れているので完成するか極めて怪しい)のですがリストに乗せるべき人物がまた一人増えたようですね。またどなたかそんな感じの人がいれば教えていただければ幸いです。
って、何か反応が我ながら変だなあ。



#6559 
民本主義者 2006/03/16 00:20
流れを読まないカキコ2題

OSの世代交代も「歴史」ってことで。
私が初めて購入・個人所有したパソコンに搭載されていたOSがWindows MEでして、しかもかなり最近に消去したばかりなのです。アップデートやダウンロードを繰り返し、ボロボロになりながらも(最後には電源を入れることができるのさえまれになり、入れてもすぐに落ちてしまうような体たらく)、まぎれもなく私の最初期からのパソコン歴の個性が刻み込まれていたOSがあっという間に消えうせてしまい、しばし茫然としたものです。何年も毎日のように眺めていた起動画面も今や世界中からほぼ一掃されてしまったわけで、こういう体験をするのは私たちの世代が最初だろうなあ、と。
(いちおう、今年の6月末までWindows 98とMEのサポートは行われる予定ですが)
その後「消えていくOS(たち)」をテーマにしたフラッシュを見て感慨を催し、ついついこの掲示板に書き込んでしまった次第。
さらに長い目で見れば、将来はサイトの管理人の世代交代だってあるわけでして、まだまだウェブ関係の歴史は第一世代において生成中なんですね。
こちらの「メディアと怪談とインターネット(別冊宝島 268「怖い話の本」1996 年 7 月号, pp.162-170, 掲載タイトル「インターネット電脳怪異譚」) 」の最終節「墓としてのWWW」が今読んでも面白いです。
http://cruel.org/takarajima/fear.html

出雲井晶さんの本のページの末尾に出された管理人様の宿題に関係しそうな本をみつけました。『<出雲>という思想 近代日本の抹殺された神々』(原武史 講談社学術文庫)です。99〜100ページを引用します。引用文中の『古史伝』は平田篤胤の著書です。
「佐藤信淵(一七六九・明和六〜一八五〇・嘉永三)と鈴木雅之(一七三七・天保八〜一八七一・明治四)は、この『古史伝』冒頭の説明にヒントを得て、造化三神に着目し、三神とりわけアメノミナカヌシによる神道の一神教化を図ろうとした人物であった。」

でた!佐藤信淵!この人が出たらもうおしまいだな。知らない方は岩波の日本思想大系45巻に収録されているこの人の著書「宇内混同秘策」(忠実に現代語訳すれば「世界統一秘密計画」)の冒頭だけでも読んでみてください。ぶっとんでます。「田中上奏文」の元ネタになった本です。
篤胤と信淵は「秋田県民歌」にも歌われているそうで、こんなサイトがあります。
http://www2.neweb.ne.jp/wd/akitaplus1/zakki2.htm
笑えます。
篤胤の思想にもキリスト教の影響があるそうで、どうも意外に根が深そうであります。



#6558 
NF 2006/03/15 23:09
明の強さ、倭寇の強さ

お久しぶりです。忙しかったのやらレベルの高い話がハイペースで続いていたのやらでなかなか書き込めなかったのですが…。
「明軍の弱さ」について話題になっているようなので孟きょう様に続いて僕も弁護的考察をば。といっても近世中国史は専門じゃないので総論的な話になりますが。
明軍の弱体化は、平穏が続いたことによる制度の弛緩・経験の不足・油断など色々な要素が絡んでの普遍的なものでしょう。ただ、国を守る上で軍の攻撃力が強ければそれに越したことはないのですが、一番大事なのは戦いが収まった時点でともかくもリングに立っている事なわけで…(相手を倒している必要性は必ずしもない)。明はそれに関してはある程度長じていたからこそ、それなりに平和な数百年を享受できた訳でしょう。明に限らず、古今東西を問わず長期間存続することに成功した国家・政権の共通点として「生き残るためのなりふり構わなさ」が挙げられるかと。敵の戦術などを真似る、敵の有力者を味方にたらしこんだり陥れる、といったような。精強さ・カッコよさには欠けていても、老獪さ・しぶとさを持ち顔の見えない組織ならではの強さがある。こうした組織は指導者が倒れても(同様のレベルなら代わりがいくらでもあるので)動揺せず、不測の事態にも強い。明の本当の強さは物量の豊かさでなくこうしたところにあったのではないでしょうか。一方、倭寇は海を舞台に神出鬼没な活動が可能なので、敵が出現したら退きいなくなれば攻撃すると言ったゲリラ的戦い方も、敵主力に距離を置いて集中的に遠隔攻撃し機動力を生かしてさっと引き上げると言った騎馬民族に通じるような戦い方も可能だったんではないでしょうか。つまり、倭寇の強さも軍の精強さとは質の違うものだったのではないかと。あと、倭寇の時代というのは、近代的な「民族」概念に通じる考え方が育ちつつあった事態と言えるのですが、倭寇はそうした概念からはみ出した存在なので何国人という括りに余り意味がないのではないでしょうか。彼らのアイデンティティーはあくまで「東シナ・南シナ海沿岸の民」な気がします。



#6557 
巫俊(ふしゅん) 2006/03/15 19:59
孟きょうさま

そうです、そうなんです。
そこにかえって明朝の軍隊らしいところを見出してあげなくちゃならんのですよね。
いや〜、分かってなかったのは私自身のようです。
それにしても、中国の山海というのは広大ですねー。
しかし活発な山海が王朝政府によってねじ伏せられていく歴史もまたもの悲しい。

サイト開設しました。歴史中心に掲示板の雑談サイトに仕立てていく予定です。
と、さりげなく宣伝。
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?I=uruseiyatsura_com



#6556 
孟きょう 2006/03/15 13:07
明軍が弱いだなんてぇー(泣)


 >徹夜城様。巫俊様。イレギュラー満点様。
 いやまあ、その、う〜ん(苦笑)なんと申しましょうか・・・う〜ん。困惑しててもしょうがないので明軍の心情的弁護人の私としては、はなはだ説得力、納得に欠ける弁護を一応させていただきたいと思います(テンパ泣)。
 まあ、軍の弱体化なんてものはどこの世界でも「断じてあってはならないもの」と建前でされながらも進行してしまう、ごく、ありふれた事ですから強がっても仕方ないとは思うのですが、明軍のケースの場合、専門書を2・3冊ほど読めば、そうなりそうな原因というか、伏線というかが学術的にえがかれており一応の「イメージ作り」にはなること大なんですよ(川越氏や奥崎氏等、比較的若いジャンルではあるんだよなぁー)。で、私がそこに付け加える事としましては、どなたでも思いつくことなのですが、「世代交代」ですね。だいたい兵士とかが有効に活動できたりするのは年齢的に短い期間ですし、歴戦をかいくぐった「優秀な」世代がすぎればその空気も薄れるし、次の世代へのチェンジが難しいんですね。明と梁をたとえで出せば、創成期の梁は520年頃までは優秀な有力者、将軍、軍に恵まれ地の利を生かして北魏に善戦してたのですが40年後はあの有様だったし、明初の明軍もたたきあげの武人である徐達や傳友徳、藍玉が朱元璋のもと、素晴らしい判断力を発揮して落日のモンゴル帝国と戦い抜き、ブイルノールで敵を軍事的に撃滅する事に成功したんですよ。まさに、洪いなる武であったわけで。でも靖難の役前後頃には実はもう、弱体化の萌芽は出てきておりまして、永楽期も洪武期ほどの精鋭ぶりは薄まっておりまして(例の事情とあいまって第一世代の将軍達もほとんど死んでいたし)。戦後、3大営の発足や燕王の護衛軍を各地の営所に編入したりモンゴル遠征がされたりしたのも北京京師体制のねらいと供に、実は軍人皇帝である永楽帝が大元帥を忠実に努めて体現し、弱体化した明軍を自ら「しごいてしごいてしごきあげる」のが目的の一つだったんではなかろうかと思うのですよ(本人ああいうの好きだし)。それでも土木の変をまつまでも無く、洪武期でも明軍が張氏等の残党や海盗に悩まされることは多かったし、倭寇みたいなのに手を焼くのは当初からあったのですよ(地の利や王朝の事情を熟知した反乱軍というのは時として他国の正規軍よりタチが悪く強い。また、茶商軍や義勇軍や反乱軍っぽいのが時として恐ろしく強いのが中国史の特徴なんですな)。王朝時代というのは今の近代軍みたいに「陸海空すべてガチガチに強くなければならん、他国になめられる!」のように認知力が高くございませんので、まあ、適当というか、強い兵科もあれば弱い兵科もあるし地域差もありますのでダメなところはダメダメと、苦手分野はきっちりあると。現在みたいにたいした機器も武器もないし、つまりまあ。「近代以前の王朝軍はかなりちゃちい部分もある」と白状する勇気が我々には必要なのでは、と。近代国家というのはどこか千年王国みたいなものを夢見ているところもあるし、ダメダメなところが許せないんですよね。我々日本に住む者も念頭に「無敵皇軍」や「アメリカ軍」がどっかあるので(私も含めて)軍事的弱体化に対して生理的にどうしても「ふがいない」とか違和感を感じてしまうんですよ。
 「日本人が強い」という問題も。これは倭寇のイメージ論にもかかわってくる事なんですが「我々は大陸に武威をしめしたぞ、やったぜがはは、誇りじゃ」と「中国、朝鮮の連中は我々日本人に倭寇の濡れ衣を着せおって、けしからん、侮日じゃ、教科書が狂っとる」という二つの感情のもと、フクザツな情操をかかえて日本人は生きてきているわけなんですが(ええ〜い、どっちじゃ!と私なんかはは言いたいんですが)、あれもなあ・・。私はべつだん日本人が強いとは思いませんね〜。明軍の方も弱体化しているとはいえ正規軍相手にするとはワケがちがいますから・・日本人、とされる方々がエネルギッシッュな周期もあるかもしれませんが倭寇の実情とはどこまで関係があるか・・。
 ええと、長くなってしまいましたが、明軍が弱いというのはあくまで「イメージ論」「方法論」ではないかと。ですから明軍びいき、明軍ファンの私としては「明軍は強い」という事でまとめたいかなと・・(と、ムチャクチャな理屈を言ってしまいました。やばいなぁ〜)



#6555 
巫俊(ふしゅん) 2006/03/15 05:09
明軍が弱い理由

は『09』の16世紀Uの章にも、しっかり説明されてるような気もするんですが、何か戸メカニズムの衰退というだけでは納得しずらいような・・・
でも何を説明したら納得するのか自分でも分からない・・・



#6554 
巫俊(ふしゅん) 2006/03/15 04:29
王直

の墓のことはショックですよね。
日本での王直人気が災いしたというか・・・

>上田先生
が書いておられるのですから、皇帝の伝記は控えめにして、明清時代の研究成果である交易に全力を注ぐというのも肯けるところですね。
ただ地方官の制度とか、明軍が弱い理由とか、若干説明し足りないので、ほかの本を探して補ったほうがよさそうなんですよね。
前にも挙げた『中国の歴史【下】』の明代の項は、書くことが多すぎたらしく、官制や社会全般の事情について、書ききれてないですし・・・
そういうことでときどき上田先生の『09』は消化不良を起こすのです。
つまりほかにやさしく説明してくれている本を併用できたらカバーできるということですか。
何があるだろうか・・・

>元側史料に出てくる「骨嵬」の酋長に「瓦英(ウァイン?)」「玉善奴(ユイシェンヌ?)」(中略)「〜アイン」なんじゃないかという指摘があるんです。
なるほど、そう読めそうな感じがしますよね。
「がえい」としか読めないのが日本人の悲しいところ・・・それで見逃してました。
安藤氏については、講談社選書メチエで蝦夷の本を書いてる人が、力説していました。
史料的な制約から、安藤氏が蝦夷を従えていたとするとすっきりするそうですが、やはり史料のないものは・・・
それから『新唐書』にサハリンの「流鬼」という勢力が登場するそうですね。
やはりあの辺にはまだ何かいそうです。



#6553 
巫俊(ふしゅん) 2006/03/15 04:11
少々誤字が・・

>風流士大夫から宋の開封の下都の路地の早朝の洗顔水売りまで。

×下都
○都
下町と書いたのが消えずに・・

>殷、周、春秋時代を通して、海に近い淮域の交易の利を握ることが、王朝のや覇者の死活問題になったことなど、

×や覇者
○覇者
こちらは「and」という意味の「や」が消えず。

それから後半、改行して空間を空けることが疎かに・・・

それから全くの空想ですが、殷代にも唯一の王権と称していた殷王朝からすれば「密貿易」と捉えられると思われる諸侯や商人の「私貿易」を制限することが、やはり殷にとっても大変大きな問題だったんじゃないかな〜と思うのです。

やはり殷の爵位をもらった地方の諸侯が、交易や貢納の利をあげて自立と殷の版図からの離反を計ったんじゃないかと思われるのです。
それが最後の君主紂王のときにも問題になって、紂王が甲骨文に書かれているように、山東から淮水にかけてに紂王が親征している理由なんじゃないかと。
離反した諸侯を伐って、再分配の資源も獲得する南征と考えると理解しやすいんです。

だから密貿易、例えば殷を西から攻めた周とかですね。
交易路のバイパスをつくって殷から南方の資源をかすめてたように見えるのです。
南下する草原の北方民族の脅威も重なったでしょうし。
こう考えると、明にとっての密貿易の取り締まりというのもやはり死活問題だったのでしょうか?
中国の交易と海の歴史もなかなか古いような気がしますが、そちらに管理人さまは関心がお持ちになれますでしょうか?

それと海洋商人という言葉の「商人」という言葉の語源は、殷の別名の「商」から来てますね。



#6552 
巫俊(ふしゅん) 2006/03/15 03:36
私も三国志から

中国史に入門したクチですよ〜。

最初はですね、後から考えると三国志しかアタマに入ってないので、変なこと口走ってしまうんですよ。

いわく北魏から以後の中国史は漢民族じゃないからそんな研究するなんて考えられない。

いわく春秋戦国時代ってなんか変な人名ばかりだよね。

そういう感じです。
疑いもなく三国志の英雄たちは漢民族で、そのほかの世界はそうでもないと思っていたりします。
これは中国史全般に言えたことですが、漢民族は20世紀に普及した言葉ですから、それ以前の中国文明を指して漢民族でないものが劣等民族だと勘違いするとトンデモ道に突っ走ることになります。
もうひとつ、現代中国の印象から漢民族アレルギーを起こすと、宋代や明代の歴史がトンデモに見えてしまって、モンゴル道か、中国古代限定礼賛に突っ走るキケンも同じくらいあるようです。

特効薬としては実際に宋代なら宋代の人々の在りようを「実践」してみることで、これ以上の特効薬はないくらいです。
なんせ宋代の人は、清清しくも進歩した中国文明を実感しながら生活していたのですから。
風流士大夫から宋の開封の下都の路地の早朝の洗顔水売りまで。

で私はと言いますと、三国志から楚漢の抗争(項羽と劉邦)へと、群雄割拠の喜びを噛みしめたのが中学生のときで、
水滸伝は群雄割拠じゃなくて、身体の弱い当時の私にはいっしょに感動することはできない武道の世界でした。
なんせ群雄になったり諸葛亮のような知才と神略によって、世の中を動かすことができることに、かねてから体育会系の男子生徒の抑圧を受けて、大変窮していた私ですよ。
水滸伝は目の敵ですよね(^^;(ごめんなさい・・)

そうして私は楚漢の抗争から、中国の戦国期の世界へ。
中国の戦国期ってのはきれいな文章を書く小説家として知られる宮城谷昌光の世界です。
「三国志+叙情的世界」「量産型諸葛亮」「礼儀のある春秋の覇者たちと諸子百家」という感じです。
ついで宮城谷の書く「太公望」や夏殷革命の小説から、神聖王朝である殷の興亡にこそ人類の英知あると呼び覚まされるのです。
殷は巫(みこ)がすべてを支配する神政国家で、単純に腕力だけでなく、計算され尽くした知力によってマトリックスをつくった「未開」の文明だったのです。
インカ文明やアマゾン、イースター島のロンゴロンゴ文字に近い響きを殷からは感じることができます。
私たちの東アジアにそんな交易の世界があったということで、大変オーバーな書き方をしていますが、殷の印象はそんな感じでした。

例えば、殷は内陸の国家ではありますが、海の世界と関わりをもっているのです。
マレーシア産とも呼ばれるものを含む大きな「亀」を、それも何百は下らない数で中国沿海から集めてくるのが、殷という国の財政を物語っています。
それだけのものと交換する力があったということです。青銅器文化と巫による行政システムが殷を広大な王権にしたようです。
それだけでなく、殷が沿海から求めたものが「貝」でした。
貝は、貨幣の大変起源的なものです。
最初から通貨として用意されたということではなく、貝は生命力の象徴とされ、死人の口に貝をふくませてやったりする用途に欠かせないことから、呪飾として山東から江淮にかけての東南方の民族から殷が交易するものとして繁栄を極めます。
貝が神聖なもので、遠方の海の世界から来る貴重品だということが、殷の王権と殷に服属・貢納・抗争する中国各地の地域の勢力に共有されるものになるとおそらく、
貝殻に穴をあけて束にしてもなお重量が軽い貝の性質は、貨幣に限りなく近いものとして流通するようになったと思われるのです。
ただ流通の過程というのは、よく分からないことが多く、墓の中に貝の束が入っているか、殷王の臣下の諸侯への下賜品リストでもある甲骨文に、功績のあったものに貝の束を与えていること、
殷、周、春秋時代を通して、海に近い淮域の交易の利を握ることが、王朝のや覇者の死活問題になったことなど、
断片的なものですが、インフレが進んだことで殷の財政(つまり臣下への貢納の再分配品目)が破綻しかけ、社会不安が起こったことと、西方の牧畜民に出自のある陝西の周に「征服」されて殷は滅亡します。
交易財政と直面する民族問題で殷は滅びたということで、このことは明の滅亡と海の世界・草原の世界にも似ているところがあるような気がするのですが、
私の大学3年生のときに一限目だったことから3回しか出席しなかった(^^;明清時代の海域経済とモンゴルとの互市、銀の流れに迫ったという○○先生の講義のテストで、上に書いたようなこと書いたら何故か点数がよかったという、、、変に罪悪感の感じる授業があったわけですが、
何もかくも今こうして明の話のできるサイトにいて、幸せだと思います。





#6551 
徹夜城(書き込みが長くなったんで、稿を改めた管理人) 2006/03/15 01:36
乱世と平和

下の投稿が長くなりましたんで、さらに長くなる恐れのあるレスのために分割させていただきました。

>イレギュラー満タンさん
 「月日は百代の過客」も「俺たちゃ海賊!」に話がリンクしてますから、ぜひぜひ両方およみくださいませ(^^)。

 では質問(1)から答えさせていただきます。

(1)倭寇はつおかったか?(笑)
 明沿岸部を襲った後期倭寇に話をしぼりますが、その初期には数百人程度の集団が暴れてるんですよね。中には江南地方を百人で大暴走して壊滅した暴走族みたいな連中もいます。確かにやたら強いとは思えるんですが、正規の軍隊とはぶつからないゲリラ的な活動なんですね。しかも構成員の多くは明出身の人間ですから現地の人間の中にあっさり紛れ込んだりしてしまう。
 日本人も何割かは含まれていたとは思うんですが、彼らが倭寇集団の中でどれほどの戦闘力になっていたかは史料からはよくわからないんです。明側でも「やたら強いのは日本人だ」という認識があったようなんですが、実際つかまえてみると明沿岸の海民だったりするわけで…この辺は僕も「海上史事件簿」書きながらこれからも考察してゆきたいと思います。
 で、倭寇とひとくちに言っても最初は数百人程度でまだおとなしい動きをしていたんですが、やがて「数万」のレベルにまで達する大集団も出現してきます。これも明の官軍側では明側の人間が加わって成長したものだと見ていたようなんですけどね。とにかく次第に規模を拡大して、暴れ方も尋常じゃなくなってくるんです。その最たるものが徐海に率いられた集団ですが、これは副将が辛五郎なる日本人だったりしまして南九州の連中がかなり入っていた可能性があります。彼らの強さももしかしたらそこにあったかもしれません。
 あ、あと倭寇の強さの一因に「明軍が弱いから」というのもあります(笑)。とにかく正規の官軍の兵士が全然役に立たない。だから戚継光なんかは精鋭を集めた私兵軍団を作ったりしなくちゃならなかったわけです。この話をしだすと明独特の軍制まで説明しなくちゃいけないんですが…長くなるんで、今はやめておきます。


(2)歴史で興味を持つ時代
 まぁ乱世のほうがドラマがあるし、現在とりあえず平和な時代に生きてる人間には縁遠い戦国ドラマが刺激的なのは確か。NHKの大河ドラマが「戦国」ばっかりやってたまに「源平」「幕末」のローテーション、あとは忠臣蔵って感じになっちゃってるのも一応それが理由ではあるでしょう。でも多くの人が関心を持っているから、ということであって、たとえば乱世でも南北朝なんか一度きりしかやってませんもんね(涙)。
 平安時代に熱烈な関心を持つ…人もいないわけではないとは思いますが、藤原氏マニアというと系図オタクぐらいしか連想しないし(笑)。藤原道長で一年大河ドラマやったらいろんな意味で凄いだろうなぁ(「源氏物語」の実話バージョンになりそうな気がする)。

 中国史研究者でも「三国志から入った」って人は多いんですよ。でも専門に進むと三国時代って難しいんですよ、いろいろと。結局は他の時代に専門を進めていく人が多いと思います。
 僕も「三国志」マニアから中国史に入ったクチなんですが、そこから日本史の乱世である南北朝時代のマニアになり、そこにもともとなぜか外交史・交流史に興味があったこと、怪盗ルパン&水滸伝マニアであったこととが合流して「倭寇」に専門を進めることになっちゃった、という経緯があります。先に研究した人が多くはいないから、その方面ではいきなり「第一人者」になれそうという下心もありましたが(笑)。
 でも気がついたら多くの人が同じ時期にこの分野に関心をもって研究が活発化してたんですよ(笑)。「神の見えざる手」というやつですかね。

 明って平和な時代…といえばいえるかなぁ。そりゃまぁ大規模な農民反乱もあったりしますし、倭寇やモンゴルなど外敵の侵入はありましたが、トータルで見ると国内は割りと平穏だったかもしれませんね。明代を通しての政治闘争史なんかはあまり劇的な面白さはないかもしれません。
 ただ後期倭寇の世界に僕がのめりこんだ理由は、「ここには『三国志』も『水滸伝』も『カリブの海賊』もある!」というものだったんですよ(笑)。史料を読めば読むほど血わき肉踊る権謀術数の群雄割拠、アウトロー満載、しかも地球規模での多国籍ゴチャゴチャ状態(笑)。史料も意外に豊富にありますし、とうぶん遊べる遊園地みたいなもんです。



#6550 
徹夜城(ある原稿の締め切りが明日、いや今日に迫ってしまった管理人) 2006/03/15 01:06
イスラム式断食だと言い訳するか(笑)

 例のブッダの生まれ変わりとやらいう少年は、「日中だけ断食」だったんじゃなかろうか…イスラム教徒もラマダンの時は日中はきついけどそのぶん夜にたらふくお祭り騒ぎで食べちゃうため、ラマダン月のほうが通常の月より摂取カロリーが高いという話も聞きます。


>民本主義者さん
 Me…そんな時代もあったなぁ…もっともMS―DOSのコマンドをキーボードで打ち込む教育を大学院で受けたこともある僕にはWindowsじたいがまだ目新しく思えたりして(笑)。もっともこのとき覚えたおかげでちょっと古いマシンでトラブったときに結構便利だったりするんですよね。我が家ではまだ「Win3.1」「95」「98」のマシンが現役で動いていたりしますから(まぁパソコン以外の使用目的もあったりするからですが)。


>巫俊さん
 「王直の墓騒動」も一年も前のことになりました…このときも「史点」休筆中でこの件をとりあげずに済んだのが幸い(正直書いてて不愉快な話題なので)だったとも思えます。この件は上田さんもぎりぎり間に合ったか、注で触れてましたね。確かにあまり日本人が自分の思い込みから妙なこと(実際僕もそんなもん作ってたとは、と驚いた)をすると、あちらからも変に受け止められることがある、ということで…ま、そもそもあれは本物の王直の墓でもなんでもないんですが。

 上田先生の「海と帝国」ですが、白状すると僕もちゃんと通しては読んでおりません…部分部分だけでして(汗)。ただ、企画段階から直接どのようなスタイルになるかはだいたい聞いておりまして、これまでの明清史概説書には見られなかった斬新な切り口(日本史もそういうところがありましたが、中国史でも「海」への着目は少なかった)だなと興味深く思ったものです。現在の明清史研究者の関心が特にそういう方向に向かっていたということも反映しておりまして、そのぶんこれまでの概説書が説明しているような皇帝代々の政治史についてはあまり触れずに…ということになるのもやむをえなかったかもしれません。

 骨嵬のことですが、明代には「苦夷」の表記もあり、さらに後の時代でもいわゆる広義の「アイヌ民族」をさしてカムチャツカやオホーツク沿海の諸民族が「クーイー」「カイ」と呼ぶ事例はあったようです。そもそも「人」を意味する「アイヌ」という言葉を民族自称のように使い始めた、今で言う「アイヌ民族」が成立したのは13〜14世紀という見解が有力のようで、「クーイー」という他称はそれ以前からあった漠然としたものだと考えると「アイヌ」とむやみに直結させるのは危険かもしれません。
 「〜アイン」のことですが、あくまでこれも一つの説に過ぎませんが、その13世紀の樺太・アムール河口付近の紛争で元側史料に出てくる「骨嵬」の酋長に「瓦英(ウァイン?)」「玉善奴(ユイシェンヌ?)」といった名前がついてまして、これが「〜アイン」なんじゃないかという指摘があるんです。この「骨嵬」と抗争していたはずのギリヤーク人のほうでも「〜アイン」と読めそうな名前が出てくる、という指摘もありまして…これが民族ゴチャゴチャ状態(倭寇とおんなじ)を意味しているのか、それともこの方面ではみんなそんな感じの名前だったのか、という問題もあります。
 この元と樺太方面で戦っていたのは安藤氏?という説も確かにあるんですが、この時期の安藤氏がそこまで北方に影響力があったかなぁ…と思うのが正直なところ。日蓮が手紙で書いてることですが、安藤氏の棟梁が「蝦夷」に首をとられた、なんて風聞もあったようですし、14世紀はじめの「津軽の乱」なんか見ててもちょっと樺太の彼方までは…という気もしてくる。もっとも一方で倭寇における松浦党と比較する意見もありまして、それも面白いかも、とは思ってます。



#6549 
イレギュラー満タン 2006/03/14 19:44
修正

読んだのは「俺たちゃ海賊ー激動の東アジア海上史」の方です。
百代の過客は今読んでます;;
全く、何をどうやったらこんな間違いをするのか・・・;;




#6548 
相変わらずマイペースなイレギュラー満タン 2006/03/14 19:32
「月日は百代の過客」読みましたー

管理人様って、明清史の専門家だったのですね。
そんな方に勘合貿易について質問するなんて、ひえー;;あ、一応つじつまは合ってるのか。
そこで思った感想を2つほど・・・

@日本人って強いねー
そもそも倭寇なんて、たかが2,300人の賊の集団だったそうですが、
これって中国の人口比からすれば、夜盗の集団の規模としては別段珍しくも何ともなかったと思うんですが、これが何で当時の社会問題にまでなったんでしょうか。
やっぱり日本人が特別凶悪だったんでしょうか。
寧波の乱でもえらいことになってますし;;
A「歴史が好き」と言いながら実は・・・;;
中国史の中でどの時代だ人気があるかと言われれば、まず圧倒的に三国志の時代、
日本史の中だったら戦国時代、次いで幕末動乱の時期でしょう。
僕の興味の範疇も、だいたいこの線にもれません。
平安時代に熱烈な関心を持ってる人・・というのはあんまり聞いたことがありません。
っていうことは、人が興味を示すのって、やっぱり血を流す時代なのかなぁ・・;;
比較的平和な時代(清はそうでもないか)をご専門にしてなさる管理人様には、
何故その時代に強い関心を抱かれたのか、是非ともお伺いしたいものです。




#6547 
巫俊(ふしゅん) 2006/03/14 16:50
ブッダ

昨年の報道(私はヤフーニュースで)でも、夜は幕が張られてて、昼は近づけないと報道してたようですよ。
たぶん“ついで”ですが(^^:

んで思いますのは、あの少年は健康的な顔つきをしていたことを思い出すと、さぞ夜にガツガツ食べてガーガー寝てたんだろうと思います。
昼食べてないからきっと夜の食事はさぞやうまかったのではないでしょうか。
さてや仲間内でうまくいかなくなったのかな。
お布施をふんだくったとか。
すごい勘ぐり・・・

>王直
そういえば中国にある王直の墓って昨年ガリガリ削られたばかりでしたっけ。
安徽省まで行って王直の墓を立てた日本人がいたってことも結構新鮮なお話ですが。
「俺たちゃ海賊!」って書いてくれてたら、もっとはやく報告してたかもしれないです(笑)
最初は聞き覚えのあるサイトだなって思って、王直の史料ってそんなにサイト量産されてたっけ?とも思ってそれじゃやっぱり?とここのサイトのぞいてみたらバッチリ「海上史事件簿」というタイトルでした。
それと『09』読んでますと、洪武帝と永楽帝の事績と海の世界との関わりはよく理解できるんです。
正統帝がオイラトの捕虜になったこともでてくるし、まだ帝国の宮廷の様子もよく分かります。
でも正徳帝あたりになると、皇帝がいつの間にか入れ替わってるんですよね。
正徳帝も嘉靖帝も人格的には特徴のある人だから、皇帝の入れ替わりははっきりしっかり書かないと、明清時代というタイトルからして皇帝がいないと成立しない世界なのですから、なんかかえって海の世界が浮いてしまうような気がします。
管理人さま的にはどんなものでしょうか?

>樺太からアムール河口域での元とアイヌ(と思われる民族)の紛争についての
>元側の史料でも「〜アイン」と思しき酋長の名が複数出てくるんですよ。
骨嵬(グウェイ)ですね。
私的にはアイヌと呼ばれない限りはアイヌではないと思っていたのですが、そんな名前があるなら考えなおさなきゃならないですね。
サハリンの骨嵬(グウェイ)とのモンゴル軍の戦闘は、アイヌだけでなくとも説明できるとも思うので。
蝦夷管領安藤氏が北方の諸民族を統率してサハリンでモンゴル軍と戦闘したという解釈もあるようで。
アイヌという言葉は、近世の日本人に一方的に抑圧されたというステレオタイプな印象があって、過去にサハリンにいた人々をすべてアイヌの歴史に入れてしまうというのも、ちょっと間を置いた方がいいと思うのです。

>フリーメーソン
その本、朝日新聞の先週の日曜日の書評で取り上げられてましたよ。
本の著者自身がフリーメーソンに入会してるから、都合の悪いところは書いてないんだろうと勘ぐった書き方してましたが、さて。



#6546 
民本主義者 2006/03/14 02:56
個人的に感慨深いので、つい。

http://www.geocities.jp/aki_yuki_hp/events.htm
「ありがとう Me」
消した後に見て良かった〜。
http://matatabi.matrix.jp/SP/OS.html
今後の覇権は、どちらへ?



#6545 
徹夜城(早く史点を書かないとネタが通り過ぎると恐れる管理人) 2006/03/14 01:11
乳を飲みに行った、ってことにしとけばいいのに(笑)

 例の「断食を続ける仏陀の再来」とかいう少年ですが、トンズラこいたようですね。まぁまだ「ネパールの毛派が連れ去った」とかいう噂が流れたりはしてるようですが、いくら毛派でもそこまでヒマ&物好きじゃないと思うぞ(笑)。
 すでに出ている話ですが、お釈迦さんはすさまじい断食をやったけどそれでは悟りは開けず、スジャータなる少女から乳を飲ませてもらって(その少女の乳ではない、変な想像をしてはいけない、と書いたのは唐沢俊一さん(笑))、穏やかにしたところで悟りをひらくわけですな。あんな断食してると言いつつ全然外見が変わらないって少年よりはずっとフツーなことをしているわけです。
 だいたい今度の失踪報道で初めて明らかになりましたが、ちゃんと取り巻きがいるんじゃないですか。しかも50m以内には近寄らせず、夜は布で目隠ししてた…ってそのことを最初から報じてくれよ、と。


>王直関係
 『海と帝国』で引用されたのはいいんだけど、本音を申せば「俺たちゃ海賊!」のタイトルを出して欲しかった。「海上史事件簿」はその1コーナーに過ぎませんしねぇ。もっともあの硬い本にの文中にいきなり「俺たちゃ海賊!」なんて言葉が出てくるのは想像してみるとオカシイ(笑)のは確か。
 巫俊さんもお書きですが、王直=倭寇の頭領と紹介されるとどうも「海賊の親分」ということで荒々しいイメージがつきまとっちゃうのですよね。「儒生」であったかどうかはともかく、日本側ではかなり学のある明人貿易商ぐらいにとらえられるような風貌・風格だったのではないかと思います。
 王直が日本風にまげを結っていたかも知れない、というのは明側の記録中で明の密使が平戸で王直に対面したくだりで「左衽推髻」と表現されていることから出てきた見方でしょう。ただこの「左衽推髻」というのは異民族の身なりをしている、という定番四字熟語でもありましてそのままに受け止めるのは危険かもしれません。ただ、倭寇たちが明沿岸の住民を強制的に味方に引き込む際に「さかやき」を剃らせていたという事実はありまして、そこからすると王直自身も「倭寇世界」の王として「倭人」な格好をしていたかもしれない、という推測はできるかと思います。
 王直の生涯につきましては「海上史人名録」では概略しか説明できておらず、「海上史事件簿」を参照…と言いたい所なんですが、なかなか執筆が進まなくて申し訳ないです。上田先生の本が出る前に全部あげちゃえと思っていたことも昨年はあったなぁ…(汗)。


>ミロシェビッチ死去。
 かくして「史点」登場人物がまた一人…という感じですね。さっさと史点書かないとなぁ。そういえばシャロン氏はまだ亡くなってない(^^;)。この人のネタを書いたとたんに死んだりしないかと危惧してたりして。


>アインシュタイン
 巫俊さん、ずいぶんと過去ログをお読みのようで…こちらも「ああ、そんなことがあったなぁ」と思い返していたところです。
 「アイン(人)+シュツ+アイン(人)」だと何かコジツケが出来そうな気がしますね(笑)。シュツってアイヌ語があればいいわけで。
 アイヌ人の酋長クラスの名前に「〜アイン」とつくのはずいぶんさかのぼれるようで、先日もちょっと触れました、樺太からアムール河口域での元とアイヌ(と思われる民族)の紛争についての元側の史料でも「〜アイン」と思しき酋長の名が複数出てくるんですよ。


>あやつられていた竜馬
 加治さんのくだんの本、昨日書店で立ち読みしたんですが(笑)、予想と違って歴史オカルトくささは少ないですね。というか、「フリーメーソン」自体についておどろおどろしいことは特に書いておらず、むしろその自由博愛精神を持ち上げ高評価する内容になってます。フリーメーソンの会員の協力も得ているようで、陰謀史観本ではなさそう。むしろ「陽謀史観」と言いましょうか、ちょうど逆のベクトルで、なんでもかんでもフリーメーソンが関わって「いい国」を作るために革命をあちこちで起こしていく…って感じでしょうか。まぁそうなんでもかんでも「メーソン」でくくらんでも、という気がするのは確かですが。
 まぁ中国革命における天地会のような秘密結社(といっても特に秘密というわけでもないネットワーク)ぐらいに考えるなら特に無理はないかも知れません。



#6544 
民本主義者 2006/03/13 22:18
そりゃ、あたしです。

>ひで様。
これですね。
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/nepal/news/20060313dde007030051000c.html
「ネパール:「ブッダの化身」16歳少年失踪 南部バラで捜索騒ぎ
 【イスラマバード西尾英之】ネパールからの報道によると、同国南部のバラで10カ月めい想を続け、「ブッダの化身」と話題になっていた16歳の少年が突然姿を消し、大規模な捜索活動が行われる騒ぎになっている。(以下略)」
だから、言わんこっちゃない。



#6543 
ひで 2006/03/13 20:45
結局消えてしまったか・・。

最近掲示板の流れが通常の3倍くらいになっているのでもうどっかきえてしまってるかもしれませんが、以前ここでちょっとだけ話題になった自称「仏陀の化身」の少年は姿を消してしまったようです。今月10日を最後に姿を消したそうですが、水も食事も取らず(?)瞑想している姿を一目見ようと連日見物客が押し寄せ、それをさけるために消えたと言っていますが、事が大事になってきたのでそろそろ潮時と思って消えたんじゃないのかなあ・・・。でも掲示板でも書かれていましたがブッダって断食は否定してるよなあ・・・

>『モローラ 灰』
やっているのを知っていれば見たのですが、気づかずに「トゥームレイダー2」なんぞをみてしまった・・・。
オレステイア3部作を翻案した(というか結末をネットで見ると随分思い切って替えたなあという感じが)劇のようですが、復讐の連鎖というまさに今考えなくてはいけない問題を描くのであればオレステイア3部策ほどうってつけの劇もないでしょうし。個人的には「ホテル・ルワンダ」とは焦点を当てている問題は違うと思いますが(「ホテル・ルワンダ」については現代史映画というのともまた違うと思います)。

http://pezetairoi.hp.infoseek.co.jp/


#6542 
巫俊(ふしゅん) 2006/03/13 17:52
過去ログ#4073より

>「江戸時代に松前藩に対して蜂起したアイヌの酋長の名前は?」という質問に「アインシュタイン」と書いた者が数名。

・・・
お腹がイタくなるまで笑ってしまいました。
内臓がネジれそうです(笑)
「アイン(アイヌ)」はアイヌ語で人って意味ですよね〜。
(コシャム+アイン→コシャマイン)
アインシュタインが通説のようにユダヤ人ではなくアイヌ人だったとすると(笑)、
「アインシュツの人」って意味になりますね〜。
アインシュツってのはどう訳そうか...



#6541 
巫俊(ふしゅん) 2006/03/13 16:10
アルジェリア→ナイジェリア(笑)

やってしまったー。
「有る」ではなくて「無い」ほうのジェリアだったし。
「無い」ほうのジェリアことナイジェリアは、ニジェール川をギリシア語かラテン語で呼び換えた言葉だったはずです。
『モローラ 灰』も南アフリカのアパルトヘイトを意識した劇ということですが、ヨーロッパの古典劇が原型になってるあたり、
アフリカがヨーロッパ化してるということを、ついつい忘れてる私としては、植民地時代からの系譜を感じてしまいますね。
『モローラ 灰』は10分くらい見ただけで眠ってしまったんですが・・・(^^;

ミロシェビッチといえばユーゴの民族紛争なんですが、あのときは私も若かったことから、ユーゴが戦国時代と化す経緯って直に体験してないんですよね。
なんか新聞の国際欄を毎日見逃さないような少年に私がなる頃には、すでにユーゴ紛争はナトー軍のセルビア介入の時期でしたし。
それでセルビア軍敗北必至というときになって報道されるセルビア関係の報道で、ユーゴ紛争の記憶が出来てしまったんですが、
ごく一部分だけを見て判断してたんだろうと思うことしきりです。
コソボの解放後になって、今度はコソボの武装勢力が暴れだしたときは、迷惑な連中だと思いましたね。

水晶ドクロは、取り上げた日本のドキュメンタリー番組(90年代くらいかな?)が真顔で百年かけてつくったのではないか、とか推測してスタジオのゲストたちが盛り上がっていたりして、今から考えると何じゃそらという感じです。
南米の歴史的経過というと、新大陸の特産品は世界史上欠かせないものになってましたよね。
タバコにトウモロコシに..と中国史でも欠かせないですし、新大陸という栽培試験場は生命史上も重要な位置にあるようです。
そういう意味ではオーストラリアも。



#6540 
十一郎 2006/03/12 07:57
巨人賊→巨人族(前回の変換はわざとではなく、ミスです[苦笑])

訃報:ミロシェビッチ大統領が亡くなられたそうです。
刑務所のベッドに入ったまま亡くなっているのを看守が発見したとか。心臓病を患っていたので、そのためだろうという話でした。
何ともいえない最期ですが、これで様々な虐殺事件の究明が数歩遠のいてしまいました。

また、自分は未見ですが、今晩NHK教育において『モローラ 灰』という南アフリカで創作された演劇が放映されます。
『アガメムノン』をアパルトヘイト後の南アフリカに翻案した内容で、現代を語るために古典の骨格を利用するタイプらしいです。
ネットで感想を検索してみると『ホテル・ルワンダ』と比較する評が目につきました。さて、どのような出来か。

>巫俊(ふしゅん)さん
>水晶ドクロ

これはリアルな物からデフォルメされた物まで複数ありますね。すでに土産物状態な気もします。
ちなみに、ブラジル人家族が作ったと判明している物もあるそうです。・・・ただし制作期間は半年、1995年の事だそうで(苦笑)。
『新・トンデモ超常現象56の真相』より。

>根絶されたか絶滅寸前のように思ってしまいそうですが、そうでもないようで。

一部居留地に押し込められていた北米の印象が強いですが、南米ではかなり同化した状態らしいですね。言語等の文化も相当に残されているようです。



#6539 
巫俊(ふしゅん) 2006/03/12 05:41
マヤ

マヤ文明については、最近概説書に近いものが出版されましたよね。
そこらの書店に置いてあると思います。
それによるとオカルトチックな関心のもたれ方に、随分憂慮し配慮しているようで、
とくに宇宙人説とか水晶ドクロの出所にページを割いてるようです。
あの水晶ドクロはドイツ製だったとの回答で。
オカルトチックなマヤより、古典文明としてのマヤを見てほしい、そんな感じでした。
ついでに新大陸の人口ってのは、私たちが思ってるよりは随分多かったようですね。
今も先住民が国民の過半数を占めてる国家が南米には沢山ありますし。
根絶されたか絶滅寸前のように思ってしまいそうですが、そうでもないようで。

モホス文明の方は著書には百万人単位と書いてあったような気がするんですが、一桁増えてますね〜。
ついでに古代に遡れば遡るほど文明も高度だし人口も多いという考え方をすると、たぶん一千万人説に行き着くんだと思います。
文明停滞説も危険なら、発展段階説も問題がありますからね。



#6538 
巫俊(ふしゅん) 2006/03/12 05:30
管理人さま

王直は新安商人の落ちこぼれで、金庫番としての才能があってかつ人柄が誠実で、日本向けのルートを王直がつくってたことから、金庫番・王直の親分たちが明朝側に追跡されて東南アジアに逃げてしまった際に、王直は日本で自立する。

09はそういう風に王直を書いてるので、王直というと獰猛な海賊という先入観がともすればあったりする私としては(笑)
205ページの王直の直の説明は、とても絶妙な位置に置いてあるような気がするんです。
儒生としての王直という点を気に入ってらっしゃる徹夜城さまからすると、この配置は興味深いんじゃないかと想像したりしてます(笑)
その一方で王直は日本風のマゲを結っていたという記述も用意してあるようですね、09は。

上田先生のトラの本は、立ち読みついでに開いてみてたんですが、
トラの本の出版社のあのシリーズって、
黒人王の本やビアフラ戦争(アルジェリア)など、ともすれば辺境に追いやられがちなテーマを扱ってるので、
それから読もうか迷うくらいなんですよね。
結局ビアフラ戦争から読んでるんですが。
そいで上田先生の環境史の本は、中国南方のトウモロコシ畑が実に魅力的で、先生が苗族の若い女性に求愛されてピンチになったとか、なかなかすごいことが書いてありますよ。

>四大文明
NHKの映像作品「四大文明」もまだまだ影響力がありそうな今、四大文明は既定のものになってるような気がします。
最近はヨーロッパの新石器文化など、新石器文化を大胆に「文明」として提示することが普及してきましたから、
かつてのように大河文明だけがもてはやされるということも沈静化していくのではないかと思いますが、長いスパンがかかりそうですね。



#6537 
巫俊(ふしゅん) 2006/03/12 05:01
09

http://booklog.kinokuniya.co.jp/hayase/archives/2005/10/09.html
(09海と帝国の書評)
『海域イスラーム社会の歴史』という本を書いた研究者の書評のようで、海域世界の研究者が発信するこの書評を読むと「なるほど」思うことしきりです。
09(と略してしまいますが)は交易社会の歴史に特化した内容なのに、それでいて明清時代の概説書であるという、真珠のような一品のようです。
例えば明清時代の研究をすることを畑仕事に例えますと、大変な重労働の成果をフルーツ盛り合わせという形で頂戴することができるという、これ以上の幸福はないのではないかという、一冊のように思っています。
もちろん畑仕事をした人じゃないと、本当のイチゴの味は分からないんですが、それでもこうやって振舞って頂くと感激してしまうわけです。
明清時代史の研究の積み重ねが発揮されるところですよね。

それで書評にも書かれているように、制度史に割くページがなかったようなので、
皇帝の名前やその時代の特徴などをちょっと予習しとくと、格段に分かりやすくなるようです。
私はこれで予習しました。
『中国の歴史【下】−近世・近現代』(愛宕元・森田憲司編、昭和堂、2005)。

14世紀(〜洪武帝)
15世紀(永楽帝〜弘治帝)
16世紀(正徳帝〜万暦帝)
17世紀(万暦帝〜明清交替〜康熙帝)
18世紀(康熙帝〜乾隆帝)
19世紀(嘉慶帝〜光緒帝)

と覚えておくと、世紀別に環球の世界を説明する本書の特徴に対応できると思います。



#6536 
孟きょう 2006/03/11 18:44
中国の歴史09巻


 >徹夜城様。巫俊様
 本当だ! 私も今確認しました。いや〜私もページが多いものなんで184ページまで読んでいたのですよ、あとはつまみつまみで堀を埋める読み方をしようかなんて思っていたのですが・・。9巻は教育テレビに幾度となく出ていらっしゃる有名な先生ですね(私の中では「トラの先生」というイメージが強いんだよなー)。



#6535 
徹夜城(昨日は中華料理を食いすぎた管理人) 2006/03/11 11:41
「海上史事件簿」の変者です(笑)

おっと、誤変換が(わざとらしい(笑))

>巫俊さん
 はい、「海と帝国」の王直のくだりで「『海上史事件簿』の編者」と言及されているのはもちろんこの僕です(笑)。
 実はこの本の執筆の早い段階から上田先生からは「本の中で触れるけど、いい?」という趣旨の連絡を受けておりました。上田先生はもちろんネット上で僕の文章をご覧になったわけですが、僕のほうでは上田先生がしゃべってるところを20mぐらい離れたところから聞いていたことがある、という縁はありました。直接の面識はないといっていいんですが、「知り合いの知り合い」ぐらいではありまして…まぁ中国史、それも明清史なんて限定したらムチャクチャ狭い業界ですから(笑)。
 当初は本名も含めて書いていいだろうか、という問い合わせだったのです。まぁ一応学術的な本でもあるし…と僕も了解していたのですが、最終的にはさらりと言及する程度になってましたね。せっかく言及したんだからサイトのアドレスは載せてほしいなぁと思ったんですけど、個人webサイトは移転することも多いですし、印刷物にそのまま載せるのはどうかという判断もあったかもしれません。
 最近は学術論文でもインターネットのサイトの内容(学術論文も結構多い。そのうち大学で出すような学術論文集は不要になるかもしれない…)を引用するというケースは多くなってきているようです。僕も気がついたら中国の研究者(まだ学生だと思うけど)にこのサイトの内容から引用されていたことがありまして。
 話を戻しまして、「海と帝国」における「海上史事件簿」の引用は、僕にとっては結構意外な箇所でありまして(出版されるまで知らなかった)…「王直」の「直」の意味の考察部分だったわけですが、あれってたぶん僕しか言ってない見解なんですよ。論文ではさすがに書かなかったことで、以前自作の小説では使ったことがあるという程度で…で、一般向けを意識して書いた「海上事件簿」にそれとなく書いておいたら目に留まってしまったということのようで。少々恥ずかしいやらお墨付きを得たような気分やら…(^^;)


>アマゾン古代文明
 実は僕も「与那国海底遺跡」を連想するところもありまして…まぁあれよりは少なくとも何か文化はあったという話になるとは思うんですが。
 この実松さんという方はインカやマヤなど中南米の宗教人類学がご専門のようですね。どこからどういう経緯でこの発掘に関与するようになったのか、興味のあるところです。
 こういう話の持ち出し方をするのは正直気がひけるんですが、マヤ文明研究の歴史って、トンデモ発想にとりつかれる人がかなり多かったという話も読んだことがありまして…


>原田実さん
 歴史とはあんまり関係ないことですが(笑)、日比野氏について僕の趣味の範囲から。
 NECのゲーム機「PCエンジン」がファミコンの次世代を狙って発売開始されたころ、この日比野克彦氏がデザインしたPCエンジン本体というものが参考品として展示会に出品されていたことがあるんです。雑誌の写真でしか見たことが無いですが、グニャグニャと波打つようなボディに色とりどりの前衛的なデザインで…まぁ結局実際に発売されることは無かったんですが(大量生産は無理そうだ、あれは)、話題性狙いであろうとはいえゲーム機のデザインに引っ張り出されたというのは面白いところです。
 

>十一郎さん
 「ホテル・ルワンダ」、僕も現代史映画として興味のあるところではあるんです。見に行く機会が作れるかどうか…これ、そもそも日本公開に持ちこむまでもいろいろ大変で有志の働きかけで実現したんだそうですね。
 ご紹介の町山さんのブログは読みました。だいたいどういう騒ぎ(ってほどでもないか…)があったかは察せられますね。内容は実に重く受け止めました。



#6534 
十一郎 2006/03/11 05:44
『ミュンヘン』と『ホテル・ルワンダ』と

タイトルですが、どちらも映画を見たわけではないのです。
2月末からネットの一部界隈で起きていた議論、『ホテル・ルワンダ』パンフレットの町山智浩による批評にまつわるあれこれを眼にしてまして。その議論が歴史的事実に片足を突っ込んだ物になっていたので。
現在はほぼ収束していますが、議論の末に登場した町山智浩氏の映画評を見て、心が震えたのでついタイトルに使ってしまいました。
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20060304
このページが書かれるにいたった経緯を多少は知らないと文脈が読みとれない所があるでしょうから、このブログでホテル・ルワンダに関するページを検索して見た方が良いかもしれません。

なんだか『ミュンヘン』も見なきゃいけない気にさせられてしまいました(時間がないのに。劇場で見たい映画が今年は多すぎる)。
「でも、やるんだよ」
・・・今はちょっとムリ。

>徹夜城さん
>そのログもちゃんと保存してあったかどうかという状態で(前に使っていたPCのHDDが吹っ飛んだりしましたし…)、申し訳ないですが現時点ではその内容を復活させることにはあまり気乗りがしていません。

事情はわかりました。お手数かけてすみません。

>モホスあれこれ(返信対象が特定できないので一くくり)
>自然遺産

“沖縄海底遺跡”のように、自然物を超古代文明遺跡と持ち上げる人々もいますね。
モホスに関しては、一定規模で複数の研究者チームが人工物と推定したのを見た限りでは、ある程度の文明の痕跡である事は間違いないでしょう。土器なども発見されていますし。
もっとも、番組内で多少なりとも検証していたのは四角い湖と小さな丘だけ。模様や直線は手をつけてないので、まだまだ仮説段階なのでしょう。
あれが自然の産物だとしても、それはそれで信じられないほどの奇景と思いますが・・・

※他には、番組で語られた推定人口についても、まだはっきりしない数字ですとか小さく補足されていたくらいで。

>巨人賊

マゼランの伝記は読んでいたはずなのに、全く知りませんでした。
ダイジェスト的な伝記を読んだだけで満足していてはいけませんね。

>四大文明

十年以上前のベストセラー漫画『MASTERキートン』ですでに、考古学者の主人公が四大文明を取りあげた教科書を見て「古い教科書を使ってますね」といったような台詞で批判したエピソードもありましたっけ。
一応、現在でも四大文明という言葉に全く意味がないというわけでもないそうですが。



#6533 
巫俊(ふしゅん) 2006/03/11 01:52
いけない

20005年になってる・・・
ちなみに安氏の乱って書いたことありましたよね、私・・・

それからグーグルの検索で、過去ログをヒットさせようとするのは失敗だったみたいです。
やっぱり話題になってたみたいですね。上田先生の。



#6532 
巫俊(ふしゅん) 2006/03/11 01:23
アマゾン

なんか最初はクオリティの高いドキュメンタリーだったのに、演出上のことでトンデモドキュメンタリーに分類してしまうのはどうかな〜、
ということからレスしてみたんですが、、、
実松氏の著書を読むにつけ、ますますトンデモ感がしてきたので取り下げますね(^^;
あの人口湖やテラプレンの類を「人工物」としてるのはまだ「推定」段階のようですね。
「2005年「モホス・プロジェクト」調査日誌」(川床邦夫、『たばこ史研究』、2005年11月)
を読んでみました。
「推定」とはっきり書いてあります。
自然遺産として受け取った方が無難かもしれないですね。
神秘的なことには違いないので。



#6531 
巫俊(ふしゅん) 2006/03/11 01:15
管理人さま

おそらくご存知なんじゃないかと推察するのですが、
『中国の歴史09 海と帝国 明清時代』(上田信、講談社、20005年8月)
を最近読んでまして、
本日ようやく208ページ(まだ総ページ数526ページの半分も読めてない・・)、
16世紀の倭寇のところまで読み進めました。
そうしたら、その205ページに、

「海上史事件簿」の編者は(中略)と推定している。

という一文があって、徹夜城さんのことを指していると思われるのですが如何でしょうか?
(いや一目瞭然ですが(^^;)
グーグルで検索してみたところ、このサイトじゃまだ話題になってなかったっぽいので、蛇足中の蛇足と思いつつ、聞いてみました。
ついでにこの上田信って人は、『森と緑の中国史』を書いてる人で、環境史のほうからも好感がもてるというか、ひそかに好きだな〜って思ってた著者だったことから、なんか気になっちゃいまして。
余計なこと聞いちゃってすいません。



#6530 
原田 実 2006/03/11 00:59
巨人族は永遠に不滅・・・ではなかった?

9日の自分の投稿を見て、日本語の破壊ぶりに唖然としております。
それはさておき、南米大陸にモンゴロイドとしては大柄で「巨人族」と
いわれてもおかしくはない人々がいたという話は初期の新大陸探検者に
よっても伝えられていたようです。いわゆるパタゴニアの巨人族。
そもそも南米大陸南端をパタゴニアと呼ぶのは大足の人の地
(つまり巨人の地)という意味だそうですね。
http://www.mitsubishi-fuso.com/jp/prfuso/2005/0502/sekaiisan/index.html
http://www.fitweb.or.jp/~entity/uma/ruizin.html

というわけで、大柄な人骨が南米の遺跡から出ること自体はおかしくはない。
もっともそれなら、パタゴニアのネイティブ・アメリカンは現在でも180センチ前後の身長の人が多い、ということをデータとしていれればいいだけで、謎の巨人族を
でっちあげるようなテレビ番組の方針にはやはり疑問を呈せざるをえないわけですが。

レポーターの日比野氏は、モダンアートの方で実績がある方ですね。
もっとも私のイメージは、20年ほど前に最盛期があった人物というもので
糸井重里氏あたりと同じくくりになってしまうのですが。


douji@joy.ocn.ne.jp


#6529 
徹夜城(時間があると映画を見てしまう管理人) 2006/03/09 23:42
本日のアクセス急増ページは

 つい先日、当伝言板で言及したばかりの東映映画「紅顔の密使」がいきなり今日の昼間、NHK衛星映画劇場の「懐かし映画劇場」で放送しておりました。おかげさまでこの映画のレビューページの本日のアクセスが急増。先日の「TRY」もそうですが、放送すると如実にアクセスが増えるんですよね。「太平記大全」なんておかげで連日凄いことになってますが。
 録画して久しぶりに見ましたが、ユーラシア全土から来たような多国籍軍状態の蝦夷軍団は良くも悪くも見ものではありました(笑)。主人公だけが時代考証的にまともな甲冑をつけてましたね。

 もう一昨日のことになりますが、「ミュンヘン」と「PROMISE」を見てきました。
 「ミュンヘン」ももはや「歴史映画」の範疇ではありますね(作り手としては現在直面するテーマとして扱っているのは明らかですが)。東アジアにおいても「あさま山荘事件」や「金大中事件」、「シルミド事件」なんかが最近映画化されていますが、30年ぐらい経つと映画としての賞味時期なのかもしれません。
 「PROMISE」は時代劇でもなく東洋ファンタジーといった性格の映画ですが(どうも「指輪物語」「ナルニア」的な東洋映画を作ろうとした気がする)、真田広之、チャン=ドンゴンといったそれぞれ歴史劇・時代劇でも活躍する俳優が競演しているあたりで歴史ものっぽくもあると。他所でも書いたんですが、構造が韓国映画「MUSA」によく似ていて気になりました。


>巫俊さん
 まずその「モホス文明」の番組のことからですが、直接は番組は見ていない僕としてはその内容については何も言えません。ただ、本にしてもウェブサイトにしてもいささか「衝撃的」「人類史を塗り替える大発見」といったセンセーショナルなノリが強くて、こちらとしては話半分に聞いたほうがいいかな、と感じちゃうのですよね。
 その実松氏にインタビューした記事もネット上で見かけましたが、「第五の古代・巨大文明」「人口は最盛期で一千万人」「開始は3000年以上さかのぼる?」「南米各地のオーパーツからすると他文明との交流も盛んだったはず」といった発言はロマンあふれすぎる飛躍を感じてしまうのです。とりあえず年代測定はしっかり進めてほしいとは思うんですが。あと原田さんも書かれてますが、「他とはまったく異なる知られざる文明」と持ち上げる割には既知の文明の価値観からその「凄さ」を持ち上げる傾向も目に付くような。
 「巨人人骨」の話も出てきたようですが、マゼランの航海の途中で南米で「巨人」と出くわしたという話が、海外翻訳ものの絵本で読んだ記憶が…

 「あやつられていた竜馬」の方ですが、番組の後半を見る限りはそうヘンな領域には入っていなかったとは思うんです。幕末史においてついつい日本人である我々は外国の動向を見落としがちなところはありまして、大胆に言ってしまうと幕末騒乱は英仏の代理戦争というとらえ方も出来なくはないとは思ってます。
 ただ、原案になった加治氏の本のタイトルはかなり気になる。すでに民本主義者さんが触れておられましたが、僕が「ヘンテコ歴史本」コーナーでとりあげた馬野周二『村山政権と日本の命運』でも「竜馬にはフリーメーソンの手が」ってな話が出てきまして(まぁこの馬野さんは外国と関係のある人は全てフリーメーソンの手先にしちゃうんですが)、確かにある方面では以前からある「見解」だったりするんです。

 安田喜憲氏については環境考古学というアプローチ、現在の環境問題、これからの文明の有り方などについての御意見については耳を傾ける価値があるとは思うのですが、それがかなりいい加減で牽強付会の歴史論証にもとづいて説明されてしまうと「キケン」なものを感じてしまうのです。それが結局のところ日本文明万歳論みたいになってきてる傾向もあって、それがまた一部で受けてしまうという展開も気になります。

 「文明の衝突」の件については、僕も巫俊さんのお思いになっておられることと似たようなことは考えちゃいますね。ハンチントン氏本人がどう考えてるかは別にして(当人も自分の言説が一人歩きして使われるのを嫌がってはいるらしい)、現実に「衝突」はさまざまに起きており、それはともすると「文明」間の衝突であると人々が単純化してとらえやすく、人間のやることだけに多くの人がそう認識してしまうとそれは「事実」になっていってしまう…と悲観的な思いにとらわれることもあります。その意味でも言説というのは怖いんですよ。


>十一郎さん
 「てこ歴」には以前ツリー型の専門掲示板があったんですよ。まぁ書き込みがあまりなかったし、むしろトンデモ信者と思える人の書き込みがあったり、僕自身があまりネタを投下しなくなったりで、結局閉鎖してしまいました。
 そのログもちゃんと保存してあったかどうかという状態で(前に使っていたPCのHDDが吹っ飛んだりしましたし…)、申し訳ないですが現時点ではその内容を復活させることにはあまり気乗りがしていません。



#6528 
原田 実 2006/03/09 17:29
モホス文明のテレビ番組は・・・

旅先にて見ましたが、せっかくの素晴らしい素材が
シナリオのひどさに台無しにされたように思われました。

ナレーターが「いにしえのむかしより・・・」とやりだした時には、
テレビの前で思わず「武士の侍は・・・」と言い継ぎたくなった。

まあ、そんなささい(?)なことはともかく、シナリオ上の謎解きにかかったところで
広大な遺跡がコンビナートをなしているといって結論にしたのは面食らった。
それは、謎解きどころか新しい謎の提示でしょうが!!

しかも、モホス文明の面白いところは、外の多くの巨大文明が土木技術を巨大建造物のために発達させたのに対し、現代人の目から見て地味なインフラ整備(居住地としての人工島、食料生産のための人工湖、そしてそれらを結ぶ道路網)など。

そうして特色をクローズアップせずに、回転印象だのといった既知の古代文明(今時「四大文明」というのもどうかと思いますが)との類似にばかり注目する。

もっとも、私がこんな印象を持つのは、もともと古代文明への興味が強いからで、そうでない人にはそれなりに感動的な番組なのかも知れませんが、それにしても口惜しく思われる次第です。

http://www8.ocn.ne.jp/~douji/


#6527 
巫俊(ふしゅん) 2006/03/08 19:32
十一郎さん

>モンゴロイド
最初から南北アメリカの原住民が広義のモンゴロイドだってことは分かってることなんで、ちょっとアレですよね。

>それぞれの場所で無批判に同祖論を支持する主張を行ったり
私もアマゾンの発掘現場で取れたばかりという新鮮な野菜・・・ではなくて土器を見せられたら、
しかも専門家集団が互いに好きなことを飛語してる中にいたら、
あれくらいのことはしてしまうと思いますよ。
同祖論というネガティブな言葉だけで呼ばずに、不思議な体験を素直に表現してみたらあのようになったと思っては如何でしょうか?

あのアーティストさんは有名な人で、この番組のメインゲストだったのですから、
あの人の行動力(という番組演出)だから、長崎県壱岐の弥生期の原の辻遺跡を訪ねたり、九州の博物館を訪れて、弥生時代の土器にまで想いをはせたのでしょう。
あくまでひとつの説と断っていますし(明瞭ではないけれども)、ほかの説を紹介するナレーションも入れてましたから、

結局のところ「遠く不思議な関係」が日本とアマゾンにあったとしても、それはニホンオオカミとタスマニアフクロオオカミの関係なようなものとして理解できると思います。
全く不十分な説明でしたけどね。
番組制作の過程に問題があったとしても、そんなことは承知の上で私は感動しましたよ。
アマゾン源流ボリビア北部の平原に歴史があることを実感できたのですから。



#6526 
巫俊(ふしゅん) 2006/03/08 19:13
アマゾンの広さ

ロマと呼ばれる丘陵住居
テラプレンと呼ぶ直線ネットワーク
ひとしく北東を向く四角い人口湖
耕作地あとと思われる地上絵
TBSの番組サイトによると、それらは随分離れたところにあるんですね。
http://maps.google.co.jp/
グーグルローカルのサテライト(衛星地図)で確認できるかな?と見てみたんですが、見当たらないんですよね。
考えてみると状況証拠を集めた推測のようなものが多く、

>番組が唐突に断定をしてしまう流れが複数見られました。
>番組全体の構成や時間配分に疑問を持っています。
というのはその通りなんですが、
私は映像とは、そういう類似品を集めて視覚的に見せたり、
番組側のつくりたいものを恣意的に集めてくるものだと思ってますので、
(そうじゃないとつくれない)
映像は映像と受け止めて、関心があったら発掘報告や書籍を取りよせてみると、映像では限界のあったものを見ることができると思います。
また映像のおかげで「私」とモホス大平原に接点や結びつきが生まれて、好きな感情が生まれるようでしたら、
少々無骨なつくりになっている発掘報告の類も楽しく読めることでしょう。

>農耕文明
ひとつ思うことがあります。
『アマゾン源流生活』(高野潤、平凡社、2006年1月)。
という新刊の本があるのですが、この本がボリビアのアマゾン源流地帯を扱っていたような気がします。
この本は考古学の本ではなくて、アマゾン環境に関心のある探検家のような人が、アマゾン源流をカヌーで行き来して蚊・ヘビ・ヒル・寄生虫・洪水といったパニックの連続を書いた読みやすい本なんですが、
これを読んでいると、アマゾンの環境というものは過酷で、そして河川の流れや地形といったものは変化が激しいんじゃないだろうかと思ったりします。
遺跡も変化に晒されて原型を留めてないモノの方が数が多いんじゃないかと思うんですよね。
そうすると水を引いた平野の広域農耕地帯というものも、にわかには想像しにくいですね。
ただそれは私の東アジア的な感覚で物を言ってるのかもしれないので、アマゾンに何があるのか全く分からないというのが感想です。
何があってもおかしくはないというか。
おそらく自然破壊の跡というのも探すのは簡単じゃないんでしょう。




#6525 
巫俊(ふしゅん) 2006/03/08 16:25
あれ?

http://www.rikkyo.ne.jp/grp/arawak/book4.htm
番組を監修・出演した立教大学教授実松克義氏のサイト。

http://www.athome.co.jp/academy/world_history/wrh10.html
実は書店で見かける『衝撃の古代アマゾン文明』の著者が実松氏でした...
番組のなかにも登場するアマゾン=第五文明という言葉は実松氏が意図的に使っている言葉だったようです。

http://www.tbs.co.jp/amazon2006/about/
TBSの番組の紹介サイト。
画像にマップにと随分こだわったつくりのサイトなので、とくに番組を見逃した方にお薦めです。

○感想
第五文明って言葉の候補は、長江、縄文、メコン等ある上に、仮にアマゾンを第五と呼ぶとしても中米マヤの方はカウントされないことがあるから、
第五という言葉は、五大文明という意味ではなく5つ目の候補も沢山あるという方向で説明した方がいいような気がします。



#6524 
巫俊(ふしゅん) 2006/03/08 15:58
十一郎さん

てこ歴掲示板って??



#6523 
十一郎 2006/03/08 07:42
ア〜マ〜ゾ〜ン!

先に余談を。
日曜日にNHK総合で放映していたカラーによる戦前日本を扱ったドキュメンタリーを見ました。BS番組を地上波で流した物です。
現存する日本最古のカラー劇映画が軍事プロパガンダであり、ロシアに保管されていたという歴史に数奇な物を感じつつ、意外なほど演出の完成度が高い事に驚いたり。橋に立つ母子をロングでとらえたカットなど、なかなか。

ちなみに本日の『トリビアの泉』に命日記念でハチ公が取り上げられるそうで。ハチ公の銅像は生前に立てられたという話と予想。

>徹夜城さん
>その記事だと「自然と調和する文明」みたいに持ち上げているところがあるようで、

その点は、農耕文明と推測される事から最初と最後にほんの少し触れられただけだったので、さほど問題に感じませんでした。
巫俊(ふしゅん)さんが指摘されるように、調和してるようで自然を破壊しているという可能性も語られるべきだったと思いますが。

>巫俊(ふしゅん)さん
>スポンサーがいて、映像作品にしてくれて、しかもゲストとして招かれるのですから、先生たちにとってこの上幸せなことはないくらいですよ。

先日書き込みをした後に録画を見返したのですが、似た事を感じました。
一昔前、吉村作治教授がエジプト発掘のために資金や知名度を獲得しようとして、怪しげなバラエティにも迷わず出演していましたが、それを思い出して。
新聞の番組情報で知ったのですが、このモホス大平原取材はNHKと競争してTBSが獲得したとの事。そして一社が2時間ドキュメンタリーのスポンサーとなっている事も、その傍証となるでしょう。
発掘や研究が明らかに終わっていない所からも、そういう傾向があると思います。

しかし、まだ研究や発掘が続くからこそ、一般の視聴者に予断を持たせる番組構成は避けるべきではないかと。もし興味を持たせるためであっても、ドキュメンタリーで乱暴な仮説を押し出すのは感心できません。ともすれば真面目な研究部分にすら懐疑的な印象を持ってしまう恐れもあります。

正直な感想を書くと、ある程度の番組演出はあって良いという意見も判らなくはないのですが、超常現象系バラエティ風のつたない演出なので、個人的には拒否感をおぼえずにいられませんでした。
例えば、人骨の歯がモンゴロイド系に多く見られる事から、学者がモンゴロイドのキャラクターと思われると発言し、「人骨はモンゴロイドか・・・」とテロップを流し、そこに「人骨はモンゴロイドだった」と断定するナレーションをかぶせる。研究者は慎重に言葉を選んでいるのに、番組が唐突に断定をしてしまう流れが複数見られました。
1つの説をいきなり断言口調で語るので不自然さが際立ち、MMRよりも演出的に説得力が薄く感じたくらいです(笑)。

>アーティストを一般の視聴者の代表とすれば、意見交換ができて、行き過ぎを止めたりするのは変なことではないでしょう。

スタジオで質問したり、思いついた説を披露するくらいなら問題は感じなかったと思います。
しかし、ほぼ単独で南米や日本の土器を比較に向かったり、遺跡に行ったり地上模様を確かめたり、それぞれの場所で無批判に同祖論を支持する主張を行ったり・・・あまつさえ、それが番組後半を占めてしまったりして、一般代表というには番組内での比重が高すぎたのでは。
それに比べると、行き過ぎを止める意見は時間的にも弱く感じました。

正直な話、目玉となるような新発見を序盤に見せすぎて、後半は時間潰しでしかなかったような(地表に土器が散乱し、最初に数cm削っただけで12体もの人骨が発見されて整理に困るなんて状況ではしかたがない面もあり、ある意味で贅沢な悩みでしょうが[苦笑])。

また、初心者向け番組と思われるのにインカ帝国の解説が少なかったり、精密な石組みを妙に持ち上げたり。特に石組みについては、石同士を現場で削って合わせる事で緊密に組めたという事情を語らず、古代技術を過度に持ち上げているきらいがありました。
他にも、結論となる文明の全体像を一番最初に模型で見せてしまったり、研究者同士の議論があっさり流されたり、その割りに人骨の映像が何度も挿入されたり、番組全体の構成や時間配分に疑問を持っています。もっと上手く面白く作れたのでは、と。

>あの土器を見れば誰だって縄文土器を思い浮かべるものです。

自分も似ているとは感じましたが、あくまで複数の説の1つに収めるべきだったと思います。ある文明と別の文明が酷似しているよう見える事は考古学ではよくあるそうですが、だからこそ慎重であるべきと素人なり(素人ゆえ)に聞きます。
たとえば土偶に似た土人形らしき土器ですが、発掘現場から出土したのは半身にすぎず、人形と明確に判る土器は発掘現場「近く」の物です。どの程度の空間的時間的近さかは明らかにされず、番組演出が入っていると考えるべきでしょう。
プロジェクトリーダーのスタジオにおけるコメントでも、日本の土弾に似た土器は錘の可能性を残していると指摘されています。

>てこ歴

歴史ページのコンテンツにある、ヘンテコ歴史本のコーナーですね。

ええと、ついでですが、てこ歴掲示板の過去ログを見られるようお願いできませんでしょうか。ここの掲示板過去ログを読むと、くわしくはてこ歴掲示板で、という箇所がよくあるので・・・



#6522 
巫俊(ふしゅん) 2006/03/08 04:28
安田氏って―文明の衝突―

http://eco.goo.ne.jp/business/csr/lesson/feb02.html

こんなのがあるようですね。
言葉巧みという印象は受けます。
それと安田氏って『文明の衝突』(ハンチントン)と近いところがあるような気がします。
ハンチントンって学問的には変なレッテル使いなんだけど、アメリカ合衆国の冷戦後の戦略研究を文明論にすり変えたのが『文明の衝突』のようですね。
学問的には納得いくようなものじゃないけど、見かけの上は文明が衝突してるってのが9・11を説明する最も分かりやすいものになってるという。
分かりやすいことには落とし穴があるというか、ハンチントンの文明論は「文明」と彼が呼んでるものの歴史的経緯を明らかにすれば克服できますからね。

だけど、幾ら歴史的経緯(たぶん私たちの好きな歴史ってもの)を説明したところで、「文明の対立」と呼ばれる「うねり」のようなものを止められないということもあるような気がします。
悲観しすぎでしょうか?
つまり学問的でない思考の上に立脚した「現実」の方が先に行動してることから、対立が生まれる。
私的には墨子の「兼愛」が理想なのですが、そうはいかない現実があるという..
「学問的でない思考」と呼んでるものは本当に一段劣ったものなのか?
これが世界を動かしてしまうんじゃないか?そう思うことからアマゾンから『文明の衝突』まで詮索してしまいます。
管理人さまは安田氏について考えがお有りのようですね。
過去ログの5300番台ぐらいのところで読みました。
ログに出てくる「てこ歴」って何の略なのでしょう?



#6521 
巫俊(ふしゅん) 2006/03/07 04:00
それとそれと

>「自然と調和する文明」

現代に訴えかけるには自然との共生というテーマは適切なものと思います。
調和してるようで自然を破壊しているというテーマが裏に隠れているのですが。
中国の殷の河南省鄭州の城壁跡のすぐ近くの地層をボーリングすると湖沼や沼地の痕跡が発見されたとか、中国の中原に野生の像がいたとか、そういうことは大事です。
明清時代でも山林を乱開発して使い捨てのトウモロコシ畑をつくった結果、地滑りが起こったり生態系を破壊したとか、そういうことに関心があります。

>二台の(駝鳥)自動車を一緒にしてそのへんに生えている、丈なす雑草を自動車の四方に巻きつけた、珍妙な戦車です。

ダチョウ自動車って想像にしくいんですが、どんなものを想像したらいいんでしょう?

>景虎さま、新参右衛門さま

失礼しました。翼まで生やしたような蛇足をしてしまったようで...
言いにくい事を書いて頂いてすいません。
よかったら、そこのサイトの歴史掲示板や誤植掲示板にご指摘の分書き添えられますと、大変関心を寄せてもらえると思うのですが、しかしあの文章を書いた人は今忙しいんじゃなかったかな?とお薦めするには心配です(^^;
中世ヨーロッパの剣、とくに中世後期の剣はフルアーマーの騎士を相手に設計していることから、道理だと思いますよ。
剣は両刃で、刀は片刃。
そう理解すると殷周時代的には理解しやすいのですが、例外は多そうですよね...

>孟きょうさま

A子いわく:荘園制ってよく分からないですよね。在地領主のこととか。誰が荘園を支配してるんですか?
B先輩いわく:地域によって荘園って違うから..
地域史に丸投げ(笑)
でも地域によって違ってくるらしいですよ。

范陽節度使から河朔の鎮を追いかけることで、それからの五代や遼、金、元へと続くペキン地域の歴史過程が地域史的に理解しやすくなります。
そのことは日本の戦国期を理解しようとしたら、きっと鎌倉・室町まで遡っていくここと同じなんでしょうか。
前の時代の例を追いかけてみるってことは私も好きですね。
周代のことは、やっぱり映像で紹介してくれる機会が少ないこともあって、理解しやすい分野とはいえないのかもしれませんが(弱気)、
そう言っていただけるとうれしいです。
似ているといえば似ていますし、異なっているといえば異なってますから、何かのついでに足を伸ばしていただければ幸いです。




#6520 
巫俊(ふしゅん) 2006/03/07 03:28
それから

>一部の「長江文明本」

番組にも少し登場した安田喜憲氏のことですね。
『蛇と十字架』という本を書いてる人でもありますから、蛇が登場するこの番組では順当な出演でしょう。
長江文明を礼賛する分には何も悪いことはないのですが、ヨーロッパ文明や牧畜世界を抑圧された文明世界のように主張し、
長江や縄文、南北アメリカ、アフリカ南部を一括して礼賛するものですから、
彼の言うことに惑わされると、シルクロードや砂漠の世界を否定的に捉えてしまう陥穽に落ちかねないですね。
長江や縄文、南北アメリカ、アフリカ南部を一括する価値観ってのは変なものでもないと思うのです。
そりゃ安田氏のようになっては不味いですが、説得力があるのも事実です。
モチーフ的には殷とアフリカに近い世界を感じ取って正解だと思いますし。
それを同祖起源のように捉えるのではなくて、
現代中国が捨て去ってしまった殷の文化の類型をアフリカに求めてみる、といった感覚は捨てない方がいいでしょうね。
さっきの番組じゃ、縄文の文化の類型を南米に求めるということになるでしょうか。
異なる文化が取捨選択されている世界が見えるようになって、大変結構なことだと思います。

>グラバー

フリーメーソンのことはともかく、グラバーというと年配の人という印象があったのですが、実は竜馬と触れ合った時代のグラバーは若かったらしく、かなり有益な映像作品と見ました。
グラバーに操られたと見るか、グラバーは資金を出すだけ出して利用された人と見るか、見方の違いだと思いますよ。
あくまで一面の考え方だと思えば大丈夫です。
グラバーが維新志士に魅かれて、長崎グラバー邸の屋根裏部屋(普段は公開していない)で匿っている維新志士と語り合うという、いい演出でした。



#6519 
巫俊(ふしゅん) 2006/03/07 02:58
アマゾン巨大文明

ボリビア北部のアマゾン源流モホス大平原に取材したキャノンの高画質映像番組とあって、
番組があるというだけで無条件に歓迎すべき映像作品だと思いますよ。
モホス大平原の数々の自然遺産なんて、ほかに見る機会はないのですし、機会がなかったら南米の古典時代の発掘に全力を注ぐあの先生たちも、陽の目を見ることはないのです。
私は陽の目を見ることはない分野なばかりに、苦心する人の気持ちが分かります。
ともすれば私たちはこの手のドキュメンタリーに疑いの目を向けてしまうことがありますが、
私はこの番組を高く評価したいです。

>危うい雰囲気
そうでしょうか?
第一線の先生たちにとって、後方で支援してくれる人たちこそが必要で、大体海外遠征の研究費すらこと欠く考古学の世界にあって、
スポンサーがいて、映像作品にしてくれて、しかもゲストとして招かれるのですから、先生たちにとってこの上幸せなことはないくらいですよ。
アーティストを一般の視聴者の代表とすれば、意見交換ができて、行き過ぎを止めたりするのは変なことではないでしょう。
あの土器を見れば誰だって縄文土器を思い浮かべるものです。
縄文土器に似てると説明することが、何より関心を喚起するテーマだと思いますよ。
私のやってる殷だって未開的な感性で知る世界ですから、それこそ中国文人にしか興味がないとか言ってる人に説明するのは至難の業です。
未開の世界に文明も何もないだろうと思ってる人や、人類学的な世界に関心がない人に、どうにかして南米の古典世界を知ってほしい..
そう思うと最適な番組だったと思います。



#6518 
民本主義者 2006/03/07 02:48
あやすい…

http://www.hbc.jp/tv/info/ryoma/
こちらの公式サイトのよると、「龍馬の黒幕」の原案は「加治将一『石の扉 フリーメーソンで読み解く歴史』(新潮社刊)」だそうです。こんな企画がよく通ったな。
まあ、龍馬がフリーメーソンとグルだったというのは「その筋」では昔からよく語られる(騙られる?)話ではありますな。船中八策が極端に開明的なのもそのせいだ、とかなんとか。グラバーに操られていたというのは、副島隆彦教授の『属国日本論 幕末編』にも出てくるネタです。




#6517 
徹夜城(明日はようやく映画を劇場に見に行く予定の管理人) 2006/03/07 01:19
歴史番組

>十一郎さん
 書き込みしているうちに入れ違いになってしまいました。
 さて、そのアマゾンの「古代文明」の番組ですが、僕も気になってたんですよ…仕事に出かけていた上に録画しそこねましたが。どうもうっかり乗るのは怖い話だなぁ…と番組紹介記事を読んでて思っていた所です。その記事だと「自然と調和する文明」みたいに持ち上げているところがあるようで、「縄文文明論」と似たものを感じて警戒しちゃうんですよね。以前から書いてることですが一部の「長江文明本」にも似たニオイを感じています。

 怪しげな歴史番組と言えば、先日日中にTBS系で「操られていた竜馬」とかいう番組をやってましたよね(製作は北海道放送)。番組自体は最後の方しか見なかったのですが、要するに武器商人グラバーを「幕末維新の黒幕」とする内容で、及川光博演じる竜馬はそのグラバーに操られた(あるいは支援・指示を受けていた)という説のようで。番組の最後はグラバーのその後とその息子の生涯でキレイにまとめていたのですが…番組前半で何をやっていたかは知らないんで、見ていた方は教えてください。

 そもそもこの番組については書店で「原作」が売られていたのを見て知っておりまして…どうもいかがわしさを感じちゃうタイトルなんですよ、これが。

加治将一著「あやつられた龍馬―明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン」

まぁ中身まではしっかり読んではいないんですけどね。



#6516 
徹夜城(今さらだがアシモフの科学啓蒙書を読んでる管理人) 2006/03/07 00:54
チンギスハーン即位800年

 まぁ映画の企画者は歴史年表を眺めて「○○の何周年」を見つけて企画立ててるそうですから(笑)。堺屋さんが日経で書いてるチンギスハーン小説も角川春樹Pの反町チンギス映画もそういう「連動」でありましょう。
 それにしても堺屋さんの「現代見立て」のパターンは相変わらずですな〜「峠の群像」では元禄=昭和をやり、「秀吉」(といっても秀長主役の小説も使ったけど)も「現代日本と奇妙に重なり合う」とやってましたし。そんなこと言ったらなんでも言えるって(笑)。堺屋さんってホントに「歴史ビジネス本」大好きオジサン層を絵に書いたような作家ですな。
 モンゴル帝国、チンギスハーン再評価なんてのはとっくの昔に行われていることで何を今さらな企画であるのは当人たちも分かっちゃいるからさらに一歩進めた「大絶賛」になっちゃうようで。ここまで来ると杉山正明さんでも引くんじゃないかなぁ(笑)。

 ところでアール・ケイさんがリンクしてくださった堺屋さんの「作意」ページを読んでいて「そりゃ違うだろ」という点が。「社会主義を困らせたチンギスハン」というくだりです。
 確かに社会主義の掲げる唯物史観は個人の英雄行為や偶然の価値をあまり認めず歴史の大きな流れを語ろうとする傾向はあります。しかし実際にはソ連をはじめとして実際にできちゃった「社会主義国」は一様に「英雄史観」バリバリなんですな、これが(笑)。スターリン・毛沢東・金日成を初めとする個人崇拝がまさにそれですし、過去の歴史人物についてもやたらに英雄史観を打ち出したのが実態。
 その文でも触れていますが1960年代にモンゴルがチンギスハーン生誕800周年を祝おうとしてソ連の圧力でつぶされたのは事実。しかしご存知のようにそのときのモンゴルは当然社会主義政権であったわけで、その政権自体が率先してチンギスハーン英雄イベントを国家として企画していたわけです。
 この一件は社会主義ウンヌンというよりソ連=ロシアにおいて中世のモンゴル支配時代が「屈辱の暗黒時代」ととらえられていたこと、そして実質衛星国であるモンゴルにおいて「民族英雄」が持ち上げられる事態はソ連からの自立を図る意図ともとれた(この時期の中国との微妙な関係が底流にある可能性も)、といったことが弾圧の最大の理由です。だからむしろソ連・ロシア側の「民族主義」がチンギス礼賛をおさえこんだと見るのが正しいでしょうね。

 そのソ連がペレストロイカに入ってから、ようやくモンゴルでチンギスハーン復権の動きが出始める。もちろんまだ社会主義国だった段階の話です。僕にとっては「青春の一本」である歴史大作映画「マンドハイ」がその第一歩で、冒頭のほうでチラリとチンギスハーンの肖像画をハーンが半分隠すようにして拝む場面があり、モンゴルがちらちらとソ連の顔色をうかがう状態を象徴しておりました。
 そしていよいよソ連崩壊後に自国でチンギスハーン映画をつくることになったわけですが、やはり「後遺症」をなんとなく感じる内容だったんですよね。

 今度は実質日本映画として製作される「蒼き狼」ですが、どうも「これが本場で撮る初めてのチンギス映画」みたいな報道がちらちらあるのが気になります。


>ハッサン
 小説のほうは読んでないのですが、恐らくイスラム圏へのモンゴルの拡大を説明するための架空キャラでしょう。
 「船場ことば」については実例を良く知らんのですが(笑)、なんとなく「ハッサン」というネーミングが関西風だからでは(爆)。
 イスラム圏ではありふれた名前のようですが、映画「月はどっちに出ている」で無免許営業するタクシー会社社員のイラン人がこの名前でした。会社の人に「ハッサン→八っつぁん→ハチ」という連想で「ハチ、ハチ」と呼ばれておりました(笑)。



#6515 
十一郎 2006/03/07 00:36
アマゾンの古代文明

TBSでやっていました。広義の歴史という事で。
しかし素材だけで充分に面白い題材なのに、何もアーティストを呼んでコメントを求めんでも・・・一応真面目なドキュメンタリーなのに、アーティストの発言が相当に暴走していて、スタジオで隣にいた学者に考え方が「短絡的」と注意されたり、苦笑されたりと危うい雰囲気でした。
番組後半ではアーティストもこういう考えは学問的にまずかろうと学者にうかがいを立てたりしていて。

もっとも番組自体が中盤で日本・太古アマゾン同祖説を煽っている面もあり、そういう見せ方がやはり一般人には好まれるのかな。
巨躯のモンゴロイドや超巨大遺跡だけで充分に映像的にも楽しめたのですがね。

>徹夜城さん、galleryさん
混同されるようになった原因までは不明ですが、昭和初期から似たような戦術が一般にも見られるという事でしょうか。

>なお、小学館版「日本の歴史」は現在のバージョンでは現代史(戦後史)が長くなったため以前1冊だった部分が2冊に増加しています。

ちょうど書店に立ち寄る機会があったので確認してみました。表紙絵から変わっているんですね。
旧版の方が描線に力があったというか、書き足し部分は手癖で描いている感じがするのがどうも・・・何にしても15年以上の時を経て、かなり絵柄が変わっていますね。

そして見つかったのは21巻だけですが、1998年初版という事で、阪神大震災や地下鉄サリン事件も深くは踏み込んでいませんが網羅していますね。阪神大震災はしっかり描きつつ、地下鉄サリン事件は「裁判が今も続いている」で判断を留保する辺りの誠実さは変わってない。歴史として語れるようになるにはまだまだ時間が必要なのでしょう。

※しかし小学館から出ているとはいえ、ドラえもんブームが歴史の一コマに記述されるのか(笑)。個人的に『ドラえもん』は大好きですし、手塚治虫に相当のページ数をさいているのは理解できますが。

ついでに、新規エピローグは蛇足というか、旧版の多くを語らずコロニー1つで未来の理想を描く演出の方が好みですね。
冷戦による苛烈な宇宙開発競争もすでに終わり、単純に未来開発万歳という時代でないのはわかっていますが・・・
なんだか映画版に文句をつける原作ファンみたいな、旧作好きゆえの素直に見れない感想になってしまいました(苦笑)。

>アール・ケイさん
ハルキ社長の次回作、チンギス・ハン関係だったのですか。アンテナ低いので知りませんでした。
出所しても芸風が変わらない人ですね。

ついでにリンク先を見ましたが、「4 社会主義を困らせた男──チンギス・ハン」・・・社会主義国家がチンギス・ハンを軽視しているように見えたのがそんな理由からなのですね>堺屋先生(苦笑)。
アメリカとモンゴルの重ねあわせといい、なんだかテーマが読む前から分かってしまいそうで、困ったなあという印象です。



#6514 
アール・ケイ 2006/03/06 17:01
企画意図自体も腑に落ちない(結果的にハルキ映画次回作協賛小説になってしまった(笑))

先日から書きたくて勝手にうずうずしていたネタです(笑)。

その『平成三十年』の作者・堺屋太一氏の新作『世界を創った男 チンジス・ハン』が日経朝刊に連載され
始めていますが、この中に登場する「(モンゴルから見て)ホラズムなどの西方の商人や芸人」が
話す言葉がなんと「船場ことば」なのです(ワタシ的には大笑)。

まあ、翻訳ものでアメリカ南部訛りを大阪弁や東北弁で表現するようなことはあったとしても
今回のこれは物凄く違和感を感じています。
テムジン少年の前に現れたその船場ことばを喋るハッサン(阿三)少年は
「これ以後四十五年間テムジンと親交を持ち、人類の歴史に大きな影響を与えることになる」、
そうなのですが実在の人物なんでしたっけ?
要は『徳川家康』の際の竹之内波太郎=納屋蕉庵(=創作)か、今井宗薫(実在)のような
役割をする人物ということなんでしょうかねえ。

↓なおこのアドレスは日経の小説連動サイトにリンクしてます。


http://www.nikkei.co.jp/novel/intension.html


#6513 
gallery 2006/03/06 14:44
「矢」ではなく「槍」ですが

漫画ならば、古くは島田啓三先生の『冒険ダン吉』に記述あります。

投げ槍で名高いブラック蛮と、草原の所有権をめぐっての戦い。

―――以下一部引用―――

できあがったのをみれば、二台の(駝鳥)自動車を一緒にして
そのへんに生えている、丈なす雑草を自動車の四方に巻きつけた、珍妙な戦車です。
 〔中略〕
いよいよ開戦は迫りました。手に手に、ドキドキするもの凄い槍を構えたブラック蛮は
足なみ揃えて進軍です。まっ先に立った酋長が、ひょいと見るとむこうから、
ダン吉君が首だけ出した、変なカタマリがやってきます。

『オヤーッ、変な物に乗ってきたぞッ、そーれものども、あいつをやっつけろッ。』

酋長の号令一下、蛮公の手からは一斉に槍がくり出されました。
蛮公仲間でも、ブラック蛮の投げ槍といえば名高いものです。
てんでに投げる槍に一本の失敗もなく、見事に命中するんです。
が、ふしぎなことには、ダン吉軍は、すこしも相手になりません。
大胆にも無茶苦茶に突進してくるばかりです。

『酋長!もう槍がなくなっちゃいました』
『変だな。みんな槍は命中しているんだが、死なないとみえるな?……』

こちらはダン吉君の戦車です。敵がやりを投げ終わったとみるや、
急に中からカリ公(黒鼠)と三人が首を出しました。(敵軍「アリャリャ」)
初め見えてたのはダンちゃんの人形でした。

『さあ、この槍を抜き取って、あべこべに攻めてやりましょう』
『あははは、これだけ槍があれば、もう大丈夫。わが軍の大勝利疑いなしです。』

   〔少年倶楽部、昭和9年7月号〕



#6512 
徹夜城(勤め先にも漫画日本の歴史が置いてあることが多い管理人) 2006/03/06 00:38
漫画で学んだ日本史

>十一郎さん
 そうでしたか、その漫画には実際に「敵の矢を奪う」という形でのわら人形の計が描かれていたんですね。失礼いたしました。
 となると、あんがい講談的俗説の世界の一部では正成の計略もそういうことになっちゃっていた可能性もありますね。「楠流兵法」とかいう怪しげなものも実際ありますし(笑)、「千早城大要塞説」というのを唱えた軍人もいたようですし。

 小学館版「学習漫画・日本の歴史」についてはここでは何度か話題にのぼせましたが、20年以上経った今もなおスタンダードとされる名作ですね。なんつっても漫画家一人で全編を描いているのが凄い。
 また各巻のシナリオもよく練られています。これはスタッフが相当数ついていたようですね。歴史事実を追うだけではなく、その時代時代を生きた庶民たち(ある一家を描くケースが多かった)の生活・声がしっかりと入っていて、子どもの視点も描かれ感情移入しやすい。大人になってから読み返しても感心させられることしきりでした。
 これさえ読めば歴史博士…!と塾の生徒なんかにも薦めることは多いのですが、読んだ子どもが全てそうとはいかないのが実態でして、歴史が生理的に嫌いなタイプには漫画でもダメなんですよね。僕なんかは科学知識の大半は小学校時代に学研漫画「ひみつシリーズ」で仕入れていたようなもんでしたが…(笑)。

 なお、小学館版「日本の歴史」は現在のバージョンでは現代史(戦後史)が長くなったため以前1冊だった部分が2冊に増加しています。太平洋戦争の部分もかなりシーンが付け加えられていました。あと旧石器〜弥生時代も研究成果も反映してかずいぶん書き直されてますね。


>さっき知った映画情報
 「シルミド」の韓国映画動員記録を破った「ブラザーフッド」、それをさらに高速で動員記録を抜いた映画が出たようです。それがまた歴史ものなんですね。
 タイトルは「王の男」で、朝鮮王朝の燕山君と大道芸人を主人公とする宮廷ものだとか…「燕山君」と聞いてしまっては、一日も早い日本上陸が待たれます。
 そういや「力道山」がもう日本公開してましたね。大山倍達がモデルの映画も近々公開だったかな。



#6511 
十一郎 2006/03/05 23:52
すみません、補足します

再放送されている『まんが日本昔ばなし』ですが、漁師と愛犬にまつわる説話で「アオイノシシ」が出てきて、それがまんま青い毛の大猪で映像化されていたのには笑いました。青猪は、たしかカモシカの事だったと思いますが。
一応弁護すると、アニメーションとしてはかなり良い出来でした。

>藁人形
今朝方に書いた出版社不詳の学習漫画では、はっきり矢を藁人形で受けてそれを補充に利用するという描写があったのです。
三国志に先行する逸話があったというのは後で知ったくらいでして、少なくとも楠木公の逸話として知ったのが先ですね。
少し別の話かもしれませんが、古事記の国譲り前後で、射られた矢を天上の神が返して大国主側に裏切った神に命中した話もあり、似た逸話は日本でも相応の歴史があるのだろうなとも推測しますが(返し矢という言葉もありましたっけ)・・・

話を戻して、その学習漫画、記憶では各章ごとに補足するコラムがついてまして、漫画の描写を実は不正確と指摘していたりしました(それならば考証する時に漫画家へ注意すれば良いのに[笑])。ひょっとしたら、藁人形で受けた矢を利用した話も、同様にコラムで否定していたかもしれません。
漫画の方は源義経を肖像画に合わせてわざわざ不細工気味に書いていたりと、それはそれで面白い部分もありました。

小学館の方に史実にそって藁人形が出ているのは憶えてます。
親戚から色んな歴史本を譲り受けた時、初版の物が混じってまして今も手元にありますから(笑)。
カバーが消失して痛みが激しく、中には火で焼けて一部が炭になっている巻まであり、読むには苦労しますが、けっこう現在の目で見ても史実に正確で、なおかつ漫画としても良く出来ていると思います。
歴史として語るには面倒な近現代史も突っ込み所が少なく、判断が難しい場面を上手に回避しているのも、架空戦記を巡ってそこ周辺の議論を楽しんでいる者として感心させられました(「ぎょうせい」の学習漫画なんて・・・)。

※たとえば明治から昭和にかけて、世代を重ねる市井の家族視点で激動の時代を見せる辺りも、髪型や年齢が変わっても体型骨格レベルで人を書き分けられる漫画家の技量も合わせ、大河ドラマのような趣もありました。

全体的に力や名のはかなさ、歴史と心のうつれゆく様を娯楽的に描いていて、ドラマチックな場面を選んでいた前出の漫画よりも好みです。

>TRY
推理・サスペンスのページに入っていたのですね。すみません、見落としていました。
史実そのものは映画だから、相当許容できますが、詐欺の方法が映像的には大量の人員で騙すというパターンしかないのが・・・



#6510 
徹夜城(ぼちぼちいろいろ書いてる管理人) 2006/03/05 22:30
新田義貞もあった(笑)

 先日書いたGyao放送の「まんが日本絵巻」ですが、ラインナップをよく見たら「新田義貞」もありました。こちらは11分程度のもので、正成は2回分の特別扱いだったんですね。
 「新田義貞」のアニメは徴税使を斬殺してから幕府を倒すまでのストーリーで、やはり「稲村ガ崎」がクライマックス。海に投げ込む太刀は後醍醐天皇から授かったことになってました。
 その前夜に義貞が義助に「このあたりの漁師を連れて来い」という場面があったので事前に引き潮の時間を知っていて…という描き方になると思って見ていたら、太刀を投げ込んだとたんに海中から太刀をくわえた巨大な竜神が出現(!)。ゴジラのごとく「ギャオー」と吠えてから竜巻を巻き起こし、海上に並んでいた幕府の兵船が全て飲み込まれていくという「十戒」も真っ青の大スペクタクルシーンに!。たちまち広大に開けた浜辺を鎌倉目指して突進していくことになるわけですが…
 このシーンを唖然と見ていたら、フランキー堺のナレーション。「義貞はあらかじめ漁師から引き潮の時間を聞いていて、その時刻にあわせてひと芝居打ったんですねぇ」…っておい、さっきのゴジラみたいな竜神はなんだったんだよっ!?(笑)。
 アニメ表現とはいえやりすぎというものでは(汗)。

 なお、この義貞の話とペアで放送されていたのが「渡辺綱」。そう、僕の母方の先祖ということになってるあの人です(笑)。鬼の片腕を斬っちゃう話をやってたんですが、「ピンクの鬼はサウスポー」というサブタイトルには時代を感じるばかりであります(笑)。


>十一郎さん
 正成の「わら人形」の件、もそっと補足を。
 古典『太平記』で描かれる「わら人形の奇計」というのは千早城合戦の記述に出てくるもので、千早城を攻めあぐねて持久戦に持ち込もうとした幕府軍をおびきよせるため霧がかかった時に甲冑をつけたわら人形を並べてときの声を挙げ、「すわ、楠木が出撃した」と幕府勢が駆け寄ってきたところに上から大岩を落として大勢の敵を死なせた…という展開なのです。
 この「わら人形」の話は大河ドラマ「太平記」でもほとんどそのまま描かれましたが、正成ではなく弟の正季(演・赤井英和)が勝手にやった計略ということになってました。

 つまり、「太平記」における「わら人形」というのはあくまで敵をおびき寄せるための道具でありまして、そのアニメのように「敵の矢を奪う」ためのものではないんです。これはこのアニメの製作者(たぶんシナリオライター)が話を映像的に面白くするために『三国演義』の諸葛孔明の「十万本の矢」のアイデアをもちこんだ、というあたりが真相ではないかと思われます。
 十一郎さんがお書きの日本史漫画で描かれていたというのも恐らくは「矢を奪う」話ではなく「太平記」に描かれた「おびき寄せる」話だったんだと思いますよ。小学館版でも絵のみではありますが「わら人形」はちゃんと描かれていました。


>TRY
 なぜか映画コーナーにレビュー入れてあるんですよね。昨夜からそこそこのアクセスが。
 原作は面白かったのかもしれないなぁ、と僕も思った映画でしたね。渡辺謙さんがちょっと珍しい役どころをやってました。



#6509 
十一郎 2006/03/05 07:58
織田のTRY、

実際の歴史と辻褄を合わせるためでもオチに爽快感が無さすぎるような。作品全体は別に史実にそおうとしているわけでもないのだし。原作未見ゆえ、なぜああいう出来になったのかは判りませんが。

>人形を使って敵の矢を集めそれを使って相手に射返すという展開

これの元ネタは知っていたのですが、それが楠木正成の逸話に組み込まれた経緯はどのようなものがあったのでしょうか? 海外の逸話が日本の出来事とされるのは珍しい話ではありませんが。

歴史学習漫画で取り上げられているのを見た事があるのです。小学館『日本の歴史』とほぼ同じ作りで、巻数は6巻前後。出版社は学研だったかな。
南北朝の部分、特に後醍醐天皇の挙兵辺りの紙数ほとんどを赤穂城や千早城の攻防戦についやしていました。学習漫画としてはバランスが悪すぎるような(それ以前の問題
?)。
記憶では、小学館より数年後に出版された物だったと思うんですが。



#6508 
徹夜城(最近はネットで映像を見ている管理人) 2006/03/04 17:06
まんが日本絵巻

 今日、インターネットTV・Gyaoのアニメコーナーなぞ珍しく眺めておりましたら、「まんが日本絵巻」なる歴史アニメ番組を放送してました。1977年にTBS系で放送された30分アニメで、時代順ではなく歴史上の有名人や有名な事件を毎回一つずつとりあげるというものだったようですね。こんなのがあったとは全然知らんかった(^^;)。
 各タイトルを眺め渡すと歴史教養ものというより講談的な歴史英雄ばなしといったノリが多く、「この調子だとアレがあるのでは…」と探してみたらやっぱりあった、「敵が幾万たらんとも〜楠木正成」の回が。南北朝代表ではやはり彼なんですかね。

 笠置山に駆けつけ後醍醐天皇に面会するところから始まり、菊水の旗を後醍醐からさずけられて大感激の場面で「そりゃ〜そうでしょう、なんせ河内のおっさんですから」とちょっととぼけたナレーションが(笑)。「でもこれが悲劇の始まりだったかもしれません」とも付け加えてましたね。
 そのあとは赤坂城、千早城の奇略を駆使した攻防戦を、ほぼ「太平記」そのまんまにアニメ化しておりました。ただ「わら人形の奇計」の話を、人形を使って敵の矢を集めそれを使って相手に射返すという展開に改造していて、「それって三国演義の孔明の話では?」などとツッコミも入れてみたりして(笑)。
 建武の新政以後はかなり簡単に済ませていて、自身の作戦が入れられず湊川の悲劇の最期にいたるまでがサラッと描かれていました。弟の正季も登場していて、かなりの美形(笑)。

 気になったのが「河内のおっさん」という表現ですね。これ、司馬遼太郎が「楠木は気のいい河内のおっさんだったに違いない」という文を書いていて、武田鉄矢さんも大河で演じる際に念頭に置いていたといいます。このアニメの「おっさん」表現はそれを受けたものなのか、それとも…?と時間関係が気になるところです。

 なお、軽妙なナレーション役は長崎円喜ことフランキー堺でした(笑)。



#6507 
イレギュラー満タン 2006/03/03 21:11
失礼しましたぁ〜!!

>民本主義者様
なんという事・・人様の名前を読み間違えるとは・・・!
思えばワタクシ、金大中氏を「きんだいちゅうし」と読むくらいの、
服部半蔵を「ふくべはんぞう」と読むくらいの無礼を働いてしまいました!
失礼しましたーーっ!!



#6506 
徹夜城(今日はPCエンジン某ページのアクセス急増で驚いた管理人) 2006/03/01 23:14
漫画で南北朝…は企画段階

 ま、抱えている企画が多すぎるんで、実現は当分先のこととして(笑)。

>NFさん
 集英社旧版「漫画日本の歴史」の南北朝の巻は読んだことがあります。そこそこカッコ良かった尊氏が円心の建策で光厳院の院宣をもらおうと決意する辺りから急速に悪相になる。また、観応の擾乱のくだりでもなぜか尊氏と直義があっさり和睦したとか完全な事実誤認を書いた上に南朝が京都に攻め込んだ事を知った尊氏が「せっかく頭を下げてやったのに」とかなんとか言って怒ったりとヘンな描写が多かったです。あと義満は南北朝統一までは割と美形で出てくるけど、続く巻で描かれた後半生ではタヌキ親父風味に変身してしまっていたり(笑)。
 この集英社旧版は全体的に戦前なみに古い姿勢が目立ち、今日からすると問題のある描き方も多い漫画だった…というのが率直な評価。もっとも僕が小学校時代に歴史にハマったきっかけの一つがこのシリーズの安土桃山時代の巻だったというのも事実なんであります。
 集英社がその後1980年代初めに出した新版はアニメ風塗りの絵であった上に、内容のほうも大雑把かつドラマチックに描きすぎ、巻ごとに漫画家さんが違うという問題がありました。結局同時期に出たものでは小学館版が圧倒的で、今も決定版扱いになってる観があります。


>民本主義者さん
 「昭和百年」のネタは、VOW!のどれだかで投稿があったんですよ。確か何かの土地の権利関係を示した標柱か何かで「昭和百ウン十年まで」とか書いてあるのを写した写真でした。それにつけられた編集者のコメントが「書いたやつは人間宣言を知らなかったと見た」でした(笑)。まぁ実際のところ元号を使ってるとそういう風に書かざるを得ないわけで…「平成三十年」ってヘンな小説もありましたねぇ。



#6505 
新参右衛門 2006/03/01 17:59
専門家に任せましょう

>巫俊(ふしゅん)さん
過去ロムを読んでわかったんですが景虎さん は
武器の専門家のようなので武器関係で助言は余計な
お世話みたいですね(笑
わたしの知人にも武器の自称・専門家がいて長い
うんちく をよくたれてくれて私は理解は出来
ませんけどね(笑
わたしは武器の素人っぽい質問を自称武器専門家に
したのは、よく「刀剣」といいますが、剣と刀は
どう違うのだ?と聞いたところ刀とは日本刀や
青龍刀などアジア系の戦術用の刃物を指し
「剣」となると亜洋を問わず戦うための刃物を指す
とかいってました。で、さらに彼は長くうんちく
たれてきたことには、西洋では、よく中世の騎士
創作ものでは華麗な剣劇ものが出てくるが
実際には重いぶっとい剣で、ぶったたいて敵を倒す
感じの闘いが主で西洋の剣は、刀というより棍棒か
金棒に近い使い方が主流だった、斬る感じの剣闘は
西洋ではギリシアやマケドニア時代では流行った
こともあったが
中世西洋では、そうではなかった、といってました。
むしろ斬る剣劇は中世の中東やインドでは斬る剣が
よく使われていたとか。
まぁ私は素人なんで、そんなもんかなと聞き流して
ましたが、そういえば西洋の剣は反りがない直っすぐの
ものですけど日本刀や青龍刀やアラビアソ−ドや
ヒンドゥサ−ベルは反ってて直刀は少ないですね。



#6504 
景虎 2006/03/01 06:49
う〜ん、これは・・・。

>巫俊(ふしゅん)さん
刀剣学というものは、専門家が書いた本以外は、いい加減なものが多いという特徴があります(他分野も似たようなものかもしれませんが)。当然、ネットも例外ではない訳でして。
言いにくい事ですが、ご紹介していただいたサイトも、日本刀に関する説明はかなり間違ってます。専門サイトじゃないですから仕方がない事ですし、本当に問題なのは、日本刀部分の説明の為に参考にされた本の著者でしょうね(どんな本を参考にされたかまでは、分かりませんが)。
まあ、専門家が必ずしも正しいことを書くとは限りませんし、専門家の本を読んでいても、専門的すぎて誤解する場合もありますが。



#6503 
民本主義者 2006/03/01 04:36
キリ番に間違いを発見

「オルデガ・イ・ガゼット」

「オルテガ・イ・ガゼット」
に訂正。
「大衆の反逆」で有名な御仁です。



#6502 
若水 2006/03/01 01:03
北方といえばアイヌといえば松前といえば若狭武田

まあ、信憑性はかなり怪しいんですが(武田信広=若狭武田氏)
若狭出身者が和人地に多くいたのは確かなようで、その支持を得るためにどっからか系図を引っ張ってきたんだろうなあと思っております。
(信広は若狭武田氏二代目守護、信賢の子とされてていますが、
 信賢の後を信賢の弟、国信が継いでいる以上、多分ありえないかと。)

>「蝦夷に生まれたばかりに」
わたしゃその後に続いた「かわいそうなアテルイ」
って台詞がどうにもうそ臭くて気持ち悪かったです。(いやな子供だなあ)


>世界史フラッシュ
早速新作が公開されてましたね。
あそこも活気付いてきて嬉しいです。

>NFさん
こちらこそ。
他の方はいざ知らず、私のような素人には色々アドバイスを頂けるとありがたいです。



http://zyakusui.web.infoseek.co.jp/


#6501 
NF 2006/03/01 00:36
蝦夷が騎馬民族かは知りませんけど…

>蝦夷
蝦夷=騎馬民族は置いておくとしても、古代日本政府の蝦夷への意識は中国やローマの騎馬民族へのそれとかなり似ているんじゃないでしょうか。対応の仕方も似てますし…。騎馬戦闘などに長じた異民族(渡来系)や帰順した蝦夷、現地の有力豪族を防衛の要にしているところとか、彼らの有力者と中央貴族が通婚して貴族社会に入り込んだりしているところとか。孟きょう様や巫俊様のお話にもつながりますが、そうした中で彼らの半独立的な勢力(奥州藤原氏など)や急進的貴種が生まれたのは自然ですし、先進国中国での類例が「グローバル・スタンダード」として用語もろとも模倣されたのというのも納得がいきます。そういや、蝦夷は都の貴族から「匈奴」と言われたりもしてましたね。遊牧騎馬民族を直接知らないだけに、それに相当するものとして刷り込まれていたんでしょうね。
>蝦夷のイメージin「日本の歴史」
まあ、集英社旧版は南北朝などもかなり疑問な出来ではありましたし…。小学館版はアテルイ達は都の貴族たちと同じような格好をして、「自由の民」として描かれていた記憶が。アテルイ処刑を知った田村麻呂の台詞も「むごい…。あれほどの勇者たちを…」という当たり障りのないものになっていました。で、アテルイのイメージも時代によって変わり、現在では「龍」を守り人類を守る守護神・英雄に…(違)。
お約束のボケをかましたところで、一旦失礼します。



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