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#7800 
徹夜城(都内に出かけるとなぜか政変がよく起こる管理人) 2007/09/12 19:49
SAYONARA ABE

 さっきNHKニュースを見ていたらアメリカのABCニュースでは上記のような見出しを出してました。アメリカ人に良く知られた日本語なのは確かで、「野球用語」としても知名度が高いということなんでしょうね。
 秋のうちに辞めるかな…とは思ってたんですよね。早ければ9月とも思いました。「史点」も実はそれを待っていた…というのも半分ぐらい本当(笑)。塾での時事問題対策でも「下手すると定期テストまでに政権変わってるかもしれないしねぇ」と口走ったのが一昨日の話。しかし所信表明演説までしておいて、論戦もやらないうちに辞めるとは思わなかった。たった8日で辞めた遠藤前農相が気の毒な(笑)。
 
>ENさん
 うーん…負け戦で武士が自決するのはどうせ助からないから敵の手にかかるよりは、ということであって、現代政治家との比較で持ってくるのはどうかなぁ、と。
 また近代史に入ってからも敗戦時なんかに自決した人々もおりますが、責任とるってよりも「あの世へ逃亡」という面も強いので、僕は自決という選択をした人たちをひとからげに賞賛する気にはなりません。また、自決したりBC戦犯で処刑されたりした人ってのはある意味世渡りの下手な人でもあり、もっと悪いやつ、責任のある連中がえてしてしっかり生き残ってるモンです。と、瀬島龍三関係の資料を「史点」向けに読んでて改めて思っていたところでした。

 ところで「次は麻生」と見たのか、漫画・アニメ関連の株が上がったそうな(苦笑)



#7799 
EN 2007/09/12 14:17
辞任

本当に久しぶりですが、安部首相が辞任するというニュースが入って来ました。ただ今官邸で記者会見をやっています。早く辞めればよかったと思います。責任をとるという例では、昔の日本人がよほど偉かったと思いますね。武士は負けたら自決しましたし。とりとめのない文失礼しました。



#7798 
徹夜城(そろそろ史点を書く余裕も出てきた管理人) 2007/09/09 22:41
別の「龍三」さんにかまけてました。

 どうも、しばしこちらをお留守にしてしまいました。十周年祝いのコメントをいただいた皆様、少々遅れましたがありがとうございます。更新に関しましては、近いうちに「史点」でも。

 で、mozawaさんも書かれておりましたように、その史点ネタとしか思えないのが瀬島龍三氏の訃報でした。いろんな意味で日本における「歴史上の人物」の生き残りだったなぁ…と思っていたところでした。彼が「参謀」になった中曽根元首相なんかよりもずっと「歴史的」存在だったと思ってます。
 ついでながら僕の祖母と同じ年に生まれ、同じ年に死にました(「銀英伝」みたいですな)。

 このところは別の「龍三」さんの「告白」のほうに神経を回しておりまして…(^^;)今日そっちはようやく完成・UPした次第です。別の龍三さんというのはフランスのお方なんですが、日本に初登場した時のお名前は「有田龍三」さんといったのですね。そういえばどこか両者に共通点を感じなくもないです。ま、その辺の話は「史点」のほうでいずれ。

>elevaterさん
 ちょうどアルジェリア独立がらみの話をルパンコーナーで書き終えたところでしたので、その「ジャッカル」の話はタイムリーではありました。もっとも実在のモデルのほうは刑務所に入っていたような。

 そうそう、話題が遅れましたが、「チンギスハン国際空港」という名前はやはりモンゴルが社会主義時代にソ連によってその名が抑圧されていたという事情も大きくあると思います。
 日本だと人の名前をつけたのはとりあえず「高知龍馬空港」ぐらいですか。



#7797 
elevater 2007/09/09 17:36
民主主義

民主主義といってもかなり広い意味がありますね、たぶん政権に関する
意味のことだと思いますが。
逆に民主主義でない政権体制は?というと短絡的に、権力を集中して掌握する
一人の首領による政治体制となるのでしょうが。俗に言う独裁者の国。
が、思うのですが、逆に独裁国家というのは独裁者である元首が亡き者になるか
政務不能になったら結構、たやすく体制が倒れるものではないでしょうか。
いま、アメリカは押し付け民主主義の世界帝国とかいわれていて
現大統領は強硬な権力者といわれてはいますが
彼が任期途中で亡くなっても代わりの大統領が選挙
かなんかで容易に出て、そう体制が、がらっと変わることはありません。
ケネディ大統領が暗殺されてもアメリカに政権転覆ほどのインパクトのある
政情不安は起きませんでした。
それは日本でもそうでしょう、総理大臣が任期途中で亡くなったり
野党が選挙で勝って政権をとっても
例え日本共産党が政権をとっても憲法が一新されるほどに革命的に国の体制は
変わらないと思います。その変わらなさこそが民主主義なのかは
わかりませんけど。
今のフランスにしても大統領が暗殺されたり病死しても内戦になったり
せず臨時に大統領が選出されるでしょう。
もっともフランスもドゴール大統領の時代は、そうでもなかったみたいですね
第五共和政の独裁者は何回も暗殺されかかったそうですが、もしヤラれていたら
フランスは今のような成り立ちでいたかどうか。
アルジェリア独立の際のフランスの、ごたごたは、小説ジャッカルの日を読んで
はじめて知りました、ノンフィクションではないスリラー小説なのですが
その時期にフランス駐在の記者をやっていたという作者ならではの話



#7796 
小覇王 2007/09/09 01:56
天国と地獄

>自分とこの国王の首をはねたことがあるかどうかでその国の民度が分かる
 確か立川談志師匠の発言だったと記憶しています。誤解のないように言っておくとこの発言に一面の真理はあると思うものの絶対的に賛成というわけではありません。日本が民度が低いとも必ずしも思いません。日本で市民革命が起きてないというのはよく言われていることですが、明治維新を市民革命とみなさなくてもそれに近いことはあったのと思います。制度は決して民度が低いとは思いません。普通選挙がきちんと実施されているし、もっとひどい国はいっぱいあります(市民革命を経た国を入れてたとしても)。世襲が多いのは確かに民度が低いかな、と思わないでもないですが・・・

 世襲に関連して少し。最近医者の息子が起こす事件が少しばかり起きてますね。いずれも親の過剰な期待が原因のようですが。政治の世界ならば、世襲じゃなかった時代のほうが短いわけですし、今みたいな太平の時代なら多少政治の才能がなくても世襲の政治家でやっていけるとも思いますが医者はたとえ戦乱だろうと太平だろうと確実に才能が必要なのだから医者の息子が医者に向いているとは限らないと思うのですが。やはり親は自分の子供にも継いでもらいたいものなんですかね。



#7795 
景虎 2007/09/05 10:39
民衆と王侯貴族

>巫俊(ふしゅん)さん
なるほど、そういうシステムだったのですか。
ありがとうございます。

>小覇王さん
>自分とこの国王の首をはねたことがあるかどうかでその国の民度が分かる
こういう話を聞くと、民衆って野蛮なのでは?と考えてしまいます。
まあ、王族、貴族も殺し合いしてますから、人間全体が野蛮なのかもしれませんが。
ただ、現代は民主主義の時代なので、どうも実態以上に民衆が善とされ、上流階級が悪とされやすいような気がしますね。

さすがに歴史家はそこまで単純ではないにしろ、歴史家もそのような価値観から影響を受ける場合が多いようにも思えます。
誰かが、「新撰組は戦前の評価が低く、戦後になって評価が高くなった。実態は戦前の評価と戦後の評価の中間くらいだろう」と主張していました。新撰組に限らず、大部分の事にこの考え方は当てはまるのでしょうね。



#7794 
小覇王 2007/09/04 23:40
十周年!

 徹夜城さん、HP開設、十周年おめでとうございます。私などまだまだ新参者ですが今後もよろしくお願いします。いずれ自分のHPなどもてたらいいな。その際はいろいろご教授お願いできれば幸いです。

>巫俊さん
>中国では市民社会が成熟しているにも関わらずフランス革命のような民主主義的な革命が何故起きないのか
 最初の農民反乱といわれる陳勝・呉公の乱にしても結局陳勝は王位についてしまいましたし、その後劉邦が皇帝になるに到って共和政にするよりも天命を得た人物が皇位に就くという方向で固まっていったのではないでしょうか。農民出身の皇帝は結構いますしね。
 昔誰かが「自分とこの国王の首をはねたことがあるかどうかでその国の民度が分かる(当然はねたことがある=市民革命経験済み、民度が高い)」ということを言ってました。それは暗に日本は民度が低いという事を言っていたのですが・・・



#7793 
巫俊(ふしゅん) 2007/09/04 13:07
近世史

今、中央公論社の『世界の歴史17 ヨーロッパ近世の開花』(1997年)を読んでいるところです。
最近、ヨーロッパ近世史に関心を持っています。
といっても専門外なので、中国史との比較にヨーロッパ近世の価値観を軽く知っておこうという程度なんですが、
何冊か西洋史の概説書に触れた印象としては、近世というのはすがすがしい時代ですね。

ヨーロッパは中世史の史料が少ないということもあるそうですが、近世になってくると西欧国家の活力、国力が急速に整っていって、それまでのヨーロッパ史には無い活気を感じます。

共和政ローマの栄光、フランク王国の興隆とも違う新時代、近世史という枠組みで書かれた『世界の歴史17』からはそうした宣伝意図を感じ取れるのですが、
私はこれまで漢代以前の時代の中国史を研究してきて、我々が西欧化した歴史観をもってアジアの歴史を見据えているというギャップ、或いは価値については考えさせられることが多かったです。


西欧化した歴史観というのは、これまで批判されてきた「西欧中心主義の歴史観」とは同じではありません。
何故なら、「西欧中心主義の歴史観」を批判してきた歴史家にしても、学術的な場では西欧的な価値観によって教育を受けているのですから。

今、儒学者の伝統である東亜的な歴史は姿を隠し、西欧的な市民主義(もしくは民主主義)の価値観によってアジアの歴史は見据えられています。
このことはそれほど悪いことでは無いと思っています。
我々は自身の市民主義が西欧的な価値観であることも特段には意識して生活していませんし、この価値観によって社会を成り立たせているのですから。


ところで、漢代の歴史を見ていると、中国では市民社会が成熟しているにも関わらずフランス革命のような民主主義的な革命が何故起きないのか、等ということは一度は考えてしまうのですが、
漢語では市民とは市井の民のことなので、西欧もしくはローマ的な市民の価値観がアプリオリに無ければ、そのような革命は仮想することすら無理なのかな、と考えているところです。

民衆が政権を取って国家を支配するという概念は、諸子百家の学問の中にはあったと思うので、もともと考えて無かった訳では無いと思うんですよね。
戦国時代の故事を読んでいると、支配者と民衆の対立といった問題はよく出てきます。
西欧でも専制的な支配階層が国家を支配していたことがあった訳で、むしろ支配階層側が徴兵制などで国民を総動員したりしたことが、かえって市民革命を生んだような気がします。

そういう意味では、南北朝から織豊政権にかけての日本も、支配層が命令するかたわらで地下人などと呼ばれる低層の人たちが実力を増していったように、何か機会があれば市民革命が起きてもおかしくなかったと思うのですが、
そのきっかけというのはさしあたり西欧=ローマ文化の他には無く、社会の隅々にまでそうした市民主義の価値観が広がっていくということは、理念的には有り得るとはいえ、現実には価値観が抑圧される機会が巡っていったのだと思います。

中国史研究においては、近現代以前における「市民」という価値観についての基礎研究があるのですが、日本史研究においては近世までの時代の「市民」の研究は成り立たないのでしょうか?

http://uruseiyatsura.blog62.fc2.com/


#7792 
mozawa 2007/09/04 10:02
おめでとうございます

サイト10周年おめでとうございます。 いつ掲示板に来ても、荒れることなく、皆様の興味深いお話を聞けて楽しめるのも管理人様の努力とお人柄の賜物でしょう。これからもよろしくお願いいたします。

さて、瀬島龍三氏が亡くなったそうで・・・。昭和の大物逝く、という感じですかね。ニュースのネタになりますね。

私事ですが、管理人様と同業(塾講)になりました。私は、授業を進める方式ではなく単なる補習塾ですが。いやあ、中学生って難しいですね。特に男子。やる気無いように見えるんだけどそう言っちゃおしまいだし、どうすれば言い方向に持っていけるのか現在摸索中です。



#7791 
NF 2007/09/04 00:20
祝・十周年

今日で、ちょうど十周年(のはず)。徹夜城様、おめでとうございます。今後とも、これまで同様に(ご無理のない範囲で)サイトの充実をお祈りいたします。
 僕は最近増えてきていると言う「納豆を食べられる関西人」な訳ですが、食事は忙しかったり面倒くさかったりで不規則になることがままあったりします。…やっぱりできるだけ規則正しくしないといかんですね。あと、(失礼ですが)「変に更新を意識しすぎず、かといって見棄てず忘れず」というのが息を長くやれる秘訣なんでしょうか。最近になってサイトで色々書き出した身としては参考にさせていただきたいものです。

ところで
>tomohiro様
時代区分に賛同いただき、ありがとうございます。実を言うと、元を辿れば友人の受け売りだったんですが自己流で文化史を追ってみてこれは的を得ているんじゃないかと思うようになった次第。
>巫俊様
「南北朝=近世」というのは、必ずしも確定したものではないと思うのです。実際、あまり言っている人を見かけない(苦笑)。中村直勝氏が「吉野朝史」「南朝の研究」辺りで鎌倉と室町を中世と近世、米の時代と銭の時代、神仏の時代と人間の時代というように区分していた位のもので。あとは松本新八郎氏が「南北朝内乱の諸前提」で平安と鎌倉よりも鎌倉と室町の方が断絶が大きいとか、南北朝は後醍醐が新興商業勢力と結んだ事で起こったとかいっている程度でしょうか。ただ、文化史の観点から見ると、南北朝を境にして以降は都市民衆が文化において無視できない役割を果たすようになるんですよね。まあ、内藤湖南氏の「応仁の乱以前と以後」という区分を南北朝まで遡らせただけではあるんですけど。まあ、南北朝というのはそうした視点から見ると「過渡期」なんですよね。だから「中世」という区分をするのも十分分かる気はするのです。ただ、軍事史好きの友人に言わせると軍の編成が豪族連合軍の単位から(野伏などを含む)傭兵・歩兵の割合が増えるという大きな変化の時期に当たるためここで区分を起きたいと言う事のようです。



#7790 
elevater 2007/09/03 19:53
チンギスハン国際空港

テレビの報道は朝青龍の話ばかりで日本のマスコミの趣味の程度には少々うんざりですが、ちょっと、びっくりなのは、モンゴルの空の玄関の名前。
シャルル・ドゴールとかジョンFケネディとか空港の名前になった権力者は
ないでもないですが、たいていは近代から現代で、こういう中世の権力者の名前が
ずっしりと第一空港の名前になるところが、かの国の、この歴史人物に対する
思い入れが、うかがえますね。中国でも、さすがに始皇帝空港や諸葛孔明空港とか
ロシアにイワン雷帝空港はないでしょうね(笑



#7789 
巫俊(ふしゅん) 2007/09/03 06:27


聞いたところ、落札してもその後でキャンセルすれば、お金はかからないそうです。

http://uruseiyatsura.blog62.fc2.com/


#7788 
景虎 2007/09/03 04:52
大金

10周年おめでとうございます。
最初は、FXサイトとして始まったんですね。知りませんでした。

さてさて、話は変わりますが、今観てきたところエヴァンゲリオンのロンギヌスの槍に、9,999,999,999 円という凄まじい値がついていました。
http://page14.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/s66809229

私はオークションやらないので詳しくは分かりませんが、これって本気なんでしょうかね?等身大ガンダムとか作っても、買う人がいそうで怖いです。
まあ、外国の金持ちの中には、数百億の買い物をする人がいますから、まだカワイイものかもしれませんが。



#7787 
孟きょう 2007/09/02 20:54
ありがとうございます


 >徹夜城様
 ありがとうございます。一覧も提示していただきながら、ずうずうしく虫の良い要望をしてしまい、頭が下がる思いです、どうかお許しを(謝)。この中から読んでみようかと思います。しかし初心者から見るとほんとにおびただしい量が出版されているものですねぇ(当たり前か)。もう、「少年探偵団」とかを少しかじった程度の人間なもので目が回ります。

 おお、やはり納豆パワーですか。私は根気と集中力の無い人間なものでうらやましい限りです。子供の頃は納豆食べていたのですがもう何年も納豆が嫌いなままでして、食べなければいけない事は分かっているのですが残念な限りです(泣)。「あるある」を擁護するわけでは無いのですが周囲の知り合いで納豆食べている人に結構頭脳が明晰で利発な人が多く感じているので、いや、参った・・・

 



#7786 
小覇王 2007/09/02 01:56
1992〜96 優性戦争(だったはず)

 僕はずーっと「旧世紀」だと思って生きてきたのですが、どうも「中世期」のようですね。まあ、公式設定は それでいいとしても、ファースト当時宇宙世紀0001は西暦2045年ぐらいに設定されてた(当時の宇宙開発スピードだとそのくらいでいけると思ってたんですね)と記憶するのですが、そうすると宇宙世紀0079から西暦1945年は200年ないぐらいです。それを中世にしてしまうのはどうなのか。今から200年前というとナポレオンとか江戸時代後期、ばりばり近世、近代でしょう。それとも暗黒時代という意味で中世なのか。

 宇宙世紀のガンダム、銀河英雄伝説、スタートレックの三つは架空の歴史でありながら僕の中では本物と変わらないぐらい血肉になってます。優性戦争起きなかったなあとか残念がってる自分は1999年に世界の滅亡を望んでいた人たちやハルマゲドンを待ち望んでいるキリスト教原理主義者を笑えません。



#7785 
民本主義者 2007/09/02 00:01
加上で尻尾

モーグリ様。
テレビ版ファースト・ガンダムの後半に、ジオン公国元首のデギンと、その息子でジオンの実質的指導者ギレンの以下のような会話があります。
「貴公はヒトラーを知っているか?」
「ヒトラー?中世期の人物ですな」
「貴公はヒトラーの尻尾だな」
(記憶から引用)

巫俊さま
「加上」が正しゅうございます。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000284/files/1735_21416.html
詳しくは上記の内藤湖南の講演「大阪の町人學者富永仲基」をお読みください。
中央公論社「日本の名著」の内藤湖南の巻にも収録されています。



#7784 
徹夜城(夏期講習が明日でやっと終わる管理人) 2007/08/31 22:50
十年一昔

 十年と申しますれば、本日はダイアナ元英国皇太子妃がパリで事故死してから十周年でありました。そのわずか二日後に徹夜城がHPを立ち上げていたとは…って何の関係もないですね(笑)。
 しかしまぁそういう風に聞くと時間がたったもんだなぁ、とは思います。当時はまだPC−FXも一応現役で、その時点ではFX関係の新参者のHPとしてオープンしたのでありました。今やその当時あったHPの多くが消滅しております…まぁ僕のところも開店休業に近いといえば近いのですが、PCエンジンネタがあるおかげと、FX関連のデータベースということでそれなりにアクセスがあります。

>孟きょうさん
 恐縮です(^^;)
 え〜、まぁ長続きのコツは「バカは休み休みやる」ってことでしょう(笑)。コンテンツがやたら多いと言われはしますが、中途半端に放り出してるコーナーが多すぎますし(笑)。時々気が向くと集中的に更新するんで、油断できないサイトと思われてもいるようです。
 食い物?いたってフツーです(笑)。三度三度ちゃんと食べてます、と言うしか…茨城人ということで納豆パワーかもしれません、なんてことを書いても納豆売り切れ騒動にはならんでしょう(笑)。

 アルセーヌ・ルパン世界にまだ未侵入(笑)という初心者の方向けには、「怪盗ルパンの館」内に「どれを読んだらいいの?ルパンシリーズ読書入門編」というコーナーが作ってありますので、それをご参考ください…というだけなのもナンですので、軽く。

>とっかかりにふさわしく、導入が良く、内容も豊かで、訳も良い
 …凄いご注文で(汗)。
 現時点で読みやすさ、入手しやすさ、訳もいい、ということでは最新の訳であるハヤカワ・ミステリ文庫版(平岡敦訳)をオススメします。「怪盗紳士ルパン」「カリオストロ伯爵夫人」「奇岩城」「水晶の栓」が刊行済み。たった一人の訳者により十年計画で全シリーズの完訳に挑むプロジェクトで、ルパンマニアの熱い支持を受けつつもなかなか刊行ペースが上がらずマニアをやきもきさせております(笑)。
 シリーズ全部が読めるのは偕成社刊の「アルセーヌ=ルパン全集」で、もともと児童書だけに大人の鑑賞に堪える完訳ながら子どもにも読みやすいのでオススメ。ただしこれ、児童向けでは南洋一郎のポプラ社版に圧倒されているため、書店や図書館でも不遇な存在で、自前で買わないとなかなか読めないのが実情。全冊買うとさすがにバカになりません。僕の母校の大学の図書館ではフランス文学コーナーに全冊揃えるという粋なことをしておりましたが…
 文庫本では新潮文庫の堀口大學訳「ルパン傑作集」がたいていの書店にどれか置いてあるほどの安定感がありますが、10冊しかない上に訳が古すぎます。
 創元推理文庫には新潮とかぶらないシリーズ作品が多く入っており、入手難度はそこそこ。ただ、これも最近読み返してみるとやや文章が古いかもしれません。
 先日「水晶の栓」のコーナーで書いたことなんですが、この作品でルパンが口にする「De profundis(主のお恵みを)」という哀悼のセリフを、この新潮版と創元版は「南無阿弥陀仏」と訳しています(笑)。いくら「仏語」だからって。

 ついでに言えば、ルブランの著作権が多くの国で切れており(没後70年の国ではまだですが)、ネット上でシリーズの原文が全部入手できます。フランス語に自信のある方は以下のサイトでどうぞ。
http://www.ebooksgratuits.com/ebooks.php?auteur=Leblanc_Maurice
 フランス語がダメ、って方でも英訳がネット上で結構転がっております(さすがに全作品は英訳されてないようですが)。

 シリーズの読む順番もよく聞かれるのですが、基本的には「発表順」がセオリー。偕成社版はその意味でも親切なんですよね。なぜ発表順かと言いますと、後で出た作品の中には前の作品のネタバレが含まれちゃうからなのですよ。
 …あ、軽くのつもりがやっぱり長く書いちゃった。


>宇宙世紀のこと
 自分でこの話題をふっておいて、あとは傍観状態になってしまいましたが…
 手元にあった「機動戦士ガンダム大辞典<一年戦争編>(復刻版)」によりますと、西暦と宇宙世紀の換算ははじめから厳密には決めておらず、宇宙世紀開始は宇宙開発が進んで人類の宇宙移民が始まったころ、と漠然としたものだったようです。だからもともと可変的なものだと。
 その記述の中でちょっと面白かったのが、「この作品が製作されたころはスペースシャトルブームで、すぐにも宇宙コロニーが建設できそうな空気だった。その後宇宙開発がこんなに停滞するとは…」という話が出てきたことです。
 この手の話は「2001年宇宙の旅」でも出てきますよね。あの映画じゃ2001年に国際宇宙ステーションがあり(これは規模こそ違えそこそこ実現してます)、月面基地があり、定期的な連絡船があり…という描写をしてました。そもそもソ連がまだ存在しており東西冷戦が熾烈に展開している(続編「2010」で全面戦争になりかかる)というところが、科学技術予測よりも歴史予測の方が難しいと思ってしまうところです。
 日本のSF映画ですと、「妖星ゴラス」(1962公開)で、1980年代には人類が太陽系中に広がっていて、「火星の土地売買」なんかが行われておりました。それでいて町の様子は1960年代そのまんまなのが面白い(笑)。これ、「アルマゲドン」の元祖ともいえる映画でして、地球に巨大天体が衝突しそうだというんで「地球のほうを動かす」という物凄い映画なんですが、志村喬が「地球も動き出したし、いい正月だな」とノンキに言うセリフにはディープインパクトがありました(笑)。



#7783 
孟きょう 2007/08/31 09:54
おめでとうございます


 >徹夜城様
 ここ二日ほどは雨の為幾分か涼しく、やや薄寒い気候が続いておりますが、御仕事の多忙さお察し致します。そして10周年、おめでとうございます。
 継続は力なりとはいうものの(管理人様からいわせれば「これっぽちの力も使ってはおらんわい」とおっしゃられるかもしれませんが)多忙な中、凡人には真似のできない更新力、構成力、そして想像を超える知識量とバランス感覚、ととても私などでは気力体力の及ぶところではございません。

 そこで失礼ながらご質問なのですが、徹夜城様は普段何を食生活で食しておられるのでしょうか? いや、その気力体力のエネルギー源が気になりまして・・差し支えなければ教えていただきたいのですが・・

 それと徹夜城様に紹介していただきましたルパン関連の話題ですが、ルパン知識0の状態でたじろいでいる私にとり最も読み始め、とっかかりにふさわしく、導入が良く、内容も豊かで、訳も良いルパン書籍はどれなのでしょうか・・ これまた差し支え無ければご紹介いただきたいのですが・・



#7782 
巫俊(ふしゅん) 2007/08/30 05:39


私がこの掲示板では少数派に属する「南北朝知らず」だからだと思いますけど、南北朝近世説は初めて接しました。
戦国近世説は違和感を感じないところから察すると、私の理解が追い付いていないだけだと判断するところですけど。

>宇宙世紀、時代区分

そういえば、10年くらい前に私も「中世」説を支持していたことを指摘されて思い出しました。
その頃は小説版を読みこんでいたので、「中世後期」の記述も当時は知っていたのではないかなという気も...
その後「旧世紀」説に転向してしまったんですよね。

なるほど、ガンダム「神話」は架上説によって形成されたと。
加上?架上?どっちの語彙が正しいんだったか..

近藤和久『ジオンの再興』『新MS戦記』の解釈は支持しています。
この二作品に限れば、異説として大変面白いと思いますし、整合性は付かないくらいが正史に対するアンチテーゼとして適切な位置であるかなと。
新訳Zの登場で正史からZZが半分消えたところで、思いきって師団規模の兵力が登場しないガンダム正史を疑ってみるのも、乙なものですよ。

http://uruseiyatsura.blog62.fc2.com/


#7781 
tomohiro 2007/08/29 19:52
NFさんの意見に肯定です。

>NFさん
遅ればせながら、貴殿が考えた
本の場合、古代前期=弥生時代・大和時代初期(〜4世紀)、古代中期=大和時代中期から奈良時代(5世紀〜8世紀)、古代後期=平安前期(9世紀〜10世紀ごろ)、中世前期=摂関期か院政期〜源平合戦(11世紀〜12世紀)、中世後期=源平合戦期・鎌倉時代(12世紀後半〜14世紀前半)、近世前期=南北朝〜応仁の乱(14世紀〜15世紀後半)、近世中期=戦国期・織豊期・徳川初期(15世紀後半〜17世紀前半)、近世後期=徳川期(17世紀後半〜19世紀半ば)、近代=幕末〜第二次大戦(19世紀後半〜20世紀前半)、現代=戦後
という考え方にはほぼ肯定します。
私自身、平安時代が古代、戦国時代が中世という考え方には疑問を
挟んで来たので、私に近い考え方をするのかと思うと、嬉しいですね。



#7780 
徹夜城(夏期講習終盤追い込みで疲労困憊の管理人) 2007/08/28 11:37
もう十年かぁ

 朝起きたらアクセスが10年間で60になってました(笑)。
 これまでも時々あったリセット現象、CGIをもっと堅牢なのに変えりゃいいんでしょうけど(スポーツコーナーはとっくにそうしてあります)、もう10年もつきあった準自作CGIなんで愛着もありまして…というわけで、また推測値で修正してあります。

 それにしても言われて気づきましたが、ぼちぼちサイト開設10周年だったんですね。もともとFX(近ごろハヤリのアレじゃありません)の情報交換サイトとして出発して「ついでに」歴史コーナーもオープンしておいた、という歴史がありました。少しは十周年記念企画のひとつもやるべきでしょうか(^^)。

 また他コーナーの宣伝で恐縮ですが(どうしてもこちらのコーナーの訪問者が多いですからねぇ)最近いろいろ手を加えている「怪盗ルパンの館」でまた更新をしました。旧ポプラ社版の南洋一郎「怪盗ルパン全集」の表紙絵勢ぞろえコーナーですとか、大昔に好美のぼるによって書かれた漫画版「怪盗ルパン」の紹介なぞしております。



#7779 
巫俊(ふしゅん) 2007/08/28 04:22
私の見る画面には

1997年9月4日から
000023
回目のアクセスです

とか出てます(笑)
10年で23人って寂しすぎますね

http://uruseiyatsura.blog62.fc2.com/


#7778 
たなか 2007/08/28 03:46
これから宇宙世紀?

なぜか「史劇的な物見櫓」カウンタがリセットされていて,10番台となっていました.

旧世紀が終わって宇宙世紀に入ったのでしょうか(違)



#7777 
孟きょう 2007/08/26 20:10



 >巫俊様
 TV版のZの最終話ではその台詞のシーンは無いようですね。恐らく途中の回(ダカール演説後から再度宇宙に上がる際にシャトルの中で主人公にシャアが訓示を垂れる箇所あたり)とノベル版の各箇所の似たような話をつぎはぎ、合成してPSゲーム版の時で製作したものかと。



#7776 
モーグリ 2007/08/26 20:02
話題に加わります

ひさしぶりに覗いたらガンダムの話題をしているので加わります。

>ところでガンダム世界でいう「宇宙世紀」って時代区分(?)は何をもって元年としてるんでしたっけ。スペースコロニー建設から?
ガンダムサイト「ZAKU Page」では宇宙移民が開始され人類総人口が90億人に達した時点で宇宙世紀に移行したことになってます。特に西暦との関連は明記してませんね。
http://members.jcom.home.ne.jp/zakupage/nenpyo/nenpyo01.html

>近藤和久は漫画家で80年代、90年代のガンダムマンガ市場の中心になった作品を多く描いています。
>この人の特徴は「戦史」を重視すること。
近藤和久氏については以前「ZAKU Page」の過去ログで指摘されていたのですが、去年管理人のnutsさんが急死したため過去ログ集が閉鎖されてます。HPは弟さんが引き継いでいますが、サイトや掲示板は半閉鎖状態なので過去ログの要約を書いておきます。幸い該当する過去ログをプリントして持ってますので。

<以下要約>
ガンダムの考察から原作なしの近藤作品は基本的に除外してます。
近藤和久氏がかなりのミリタリーマニアなのは事実ですが、近藤氏の悪癖として「ガンダム世界にミリタリーを持ち込む」のではなく「ミリタリーにガンダムを近づける」んです。また「俺節」「俺設定」が非常に多く、公式設定との矛盾がはなはだしいため参考文献にはしてないそうです。例えばドムの発展系に勝手にドイツのBf109戦闘機を当てはめ「F型」「K型」とか作ってます。
「ガンダム0079」も他の近藤作品のキャラが登場するため、近藤氏が公式設定を元に自分の架空戦記を描いている可能性が強く、別説程度にしているそうです。
<要約終わり>
近藤作品については「異説」程度にとどめておくべきかと。


ガンダムで後になってから追加されて一般化した設定も多いです。
ガンダムファンの人も知らない人が多いと思いますが、現在常識となっている「宇宙世紀に入ってから人類110億人のうち90億人が宇宙で生活するようになった」「一年戦争初期にサイド1、2、4、5が全滅した」という設定が登場するのは意外に遅く「Zガンダム」制作時に登場した設定です。
それまでは総人口の半分が宇宙に住み、一年戦争初期のコロニー落しで地球人口の半分が死亡したという設定だったそうです。また、他のサイドも全滅する事はなくジオンが占領していたという設定だったとか。

>ウィキペディア
>宇宙世紀では西暦の二十世紀半ばは中世になっている
Wikipediaの記述の根拠は富野氏が書いた小説版「機動戦士ガンダム」だと思われます。3巻にはっきりと20世紀中期を「中世後期」と呼んでる部分があります。
ただ一般的な呼称ではないように思えます。ガンダムでは一般的には「旧世紀」の方が使用頻度が多い気がするのですが。(詳しくは分かりません)



#7775 
巫俊(ふしゅん) 2007/08/26 00:27
小覇王さん

そのネタはここで書いた記憶があります(笑)
が、何の反応も無かったので覚えてらっしゃらないのだと思います(笑)
それでもウィキペディアに書いてあるとは初耳です。
それで私の見解は、「旧世紀」です。
確かに「中世紀」「中世期」と聞こえますが、空耳だと思います。
小覇王さんが歴史に興味を持っているので、私と同じく「ちゅうせいき」と聞こえたのではないですか(笑)?

20世紀が中世だったら、近世・近代はどこだ?という問題も。
あと機動戦士ZガンダムのTV版最終話で、シャアが「旧世紀の人類は地球の重力に耐えて宇宙に上がった・・・(中略)それでも連邦政府を恨むよりはその方が建設的だと思ったからだ」と言っていませんでしたっけ?
私はPS版の機動戦士ZガンダムがZガンダムの初見でして、そちらの方の記憶しか残っていないのですが、PS版の新作カット(新しい作画のアニメーションとCG背景の合成)では五体不満足になって宇宙を漂う百式のカットで、シャアがこの台詞をしゃべります。

シャアのこの台詞は同じく「中世紀」と聴こえるのですが、これは宇宙移民を指しているので宇宙世紀の初年に移民した「旧世紀の人類」である可能性が高くなっています。
それからこの台詞は小説版のどこかにもあったと思うので(ダカール演説後に地球を離れる際か?)、紙面で確認できるのではないかと思います。

http://uruseiyatsura.blog62.fc2.com/


#7774 
小覇王 2007/08/25 23:04
旧世紀?中世期?

 ファーストガンダムの劇場場「めぐりあい宇宙」の中で(TVでもあったかな)、デギンがギレンに「ヒトラーの尻尾だな」といい、それに対するギレンが答えるシーンが、
「旧世紀の人物ですな」
 といっていると思っていて、宇宙世紀に対して西暦のことを旧世紀といっているのだなと思っていたのですがウィキペディアで調べたら、
「中世期の人物ですな」
 といっていることになり宇宙世紀では西暦の二十世紀半ばは中世になっている、と書かれていました。いくらなんでも中世扱いはないと思うのですが・・・誰か分かる方いらっしゃいますか。教えて下さい。



#7773 
巫俊(ふしゅん) 2007/08/24 10:28


1999 地球連邦政府樹立。人類宇宙移民計画発表
2009 地球連邦軍設立
2045 第1号コロニーの建造開始

     U・C0001宇宙移民開始をもって宇宙世紀に移行。地球総人口90億突破

0027 初の月面恒久都市、フォン・ブラウン市完成
0040 総人口の40%(約50億人)宇宙への移民を完了
0058 ジオン・ズム・ダイクン、サイド3の独立宣言。ジオン共和国樹立。国防隊発足。サイド3に対して連邦政府による経済圧力



#7772 
巫俊(ふしゅん) 2007/08/24 10:26
近藤和久『機動戦士ガンダム0079』付属「宇宙世紀公式年表」によると

1999 地球連邦政府樹立。人類宇宙移民計画発表
2009 地球連邦軍設立
2045 第1号コロニーの建造開始

     U・C0001宇宙移民開始をもって宇宙世紀に移行。地球総人口90億突破
0027 初の月面恒久都市、フォン・ブラウン市完成
0040 総人口の40%(約50億人)宇宙への移民を完了
0058 ジオン・ズム・ダイクン、サイド3の独立宣言。ジオン共和国樹立。国防隊発足。サイド3に対して連邦政府による経済圧力


とあります。
近藤和久は漫画家で80年代、90年代のガンダムマンガ市場の中心になった作品を多く描いています。
この人の特徴は「戦史」を重視すること。
第二次世界大戦などの戦史、ミリタリズムの熱烈なファンであると想像され、最初に描いたガンダムマンガ『MS戦記』では主人公をジオン公国の少年パイロットとしているのですが、掲載誌がコミックボンボンであり、そこで平然とジオン公国側の戦争を肯定した描き方をしていたので衝撃が走りました。

『機動戦士ガンダム0079』1巻は1994年の出版ですが、付属の年表はサンライズの公式設定とされるもので、近藤氏のオリジナル部分は反映されていないとされます。
「2045 第1号コロニーの建造開始」とあり、「U・C0001宇宙移民開始をもって宇宙世紀に移行。地球総人口90億突破」「0027 初の月面恒久都市、フォン・ブラウン市完成」と続くのですが、、「U・C0001宇宙移民開始をもって宇宙世紀に移行。地球総人口90億突破」の部分の西暦年代は秘されていて正確な時代区分年次は不明です。

一般的には、多くのガンダム系の書籍において、宇宙世紀元年は21世紀半ばと明示されることも多く、2050年=0001年と仮定すると、一年戦争は2128年。
ドラえもんが製造されたのは2112年。アムロ・レイの出生は2114年となります。
2050年は平均値ですから、実際の年数は変動すると思われます。

http://uruseiyatsura.blog62.fc2.com/


#7771 
巫俊(ふしゅん) 2007/08/24 03:23


すいません、投稿行為を二重にやってしまいました。



#7770 
巫俊(ふしゅん) 2007/08/24 03:20
恐らくほとんどの英国人が自分はヨーロッパ人であるなどという意識は持っていないでしょう

タイトルは以下のページからの引用です。
http://www.yomiuri.co.jp/nie/note/chu/10/kiji04.htm

欧州人は近代に至るまでの間に、欧州に対立する概念としてアジアを形成してきましたが、
アジア・アフリカ史に興味を置いている私でありましても、イスラム圏のエジプトやサウジアラビアといった国は、地理的範囲としては西ユーラシア世界という異なる世界に帰属しているということを最初に話します。
欧州、西アジア、北アフリカとカフカス以北は問題無く西ユーラシアに区分されると考えられ、対峙する概念としては東ユーラシアです。
対峙している場所はヒマラヤ山脈及び崑崙山脈などの中央アジアの山塊であって、新生代の途中まではヨーロッパ陸塊、インド陸塊、東アジア陸塊などに別れていてひとつの陸地ではなかったのですから、アジアという概念の前提条件にも共通の価値観という点で問題があるのですね。

http://uruseiyatsura.blog62.fc2.com/


#7769 
巫俊(ふしゅん) 2007/08/24 02:57
恐らくほとんどの英国人が自分はヨーロッパ人であるなどという意識は持っていないでしょう

タイトルは以下のページからの引用です。
http://www.yomiuri.co.jp/nie/note/chu/10/kiji04.htm

欧州人は近代に至るまでの間に、欧州に対立する概念としてアジアを形成してきましたが、
アジア・アフリカ史に興味を置いている私でありましても、イスラム圏のエジプトやサウジアラビアといった国は、地理的範囲としては西ユーラシア世界という異なる世界に帰属しているということを最初に話します。
欧州、西アジア、北アフリカとカフカス以北は問題無く西ユーラシアに区分されると考えられ、対峙する概念としては東ユーラシアです。
対峙している場所はヒマラヤ山脈及び崑崙山脈などの中央アジアの山塊であって、新生代の途中まではヨーロッパ陸塊、インド陸塊、東アジア陸塊などに別れていてひとつの陸地ではなかったのですから、アジアという概念の前提条件にも共通の価値観という点で問題があるのですね。

http://uruseiyatsura.blog62.fc2.com/


#7768 
阿祥 2007/08/24 01:20
日本<アジア、日本≠アジア

先日知り合いのニュージーランド人と話をしていて、英語に翻訳するときに困る事として、日本とアジアのことについて言っていました。
日本人はとかく、日本をとりあげてアジアとは別個の歴史と文化を持った国家だという意識があり、アジアはどうだ、それに対して日本はこうだという議論をするのですが、英語話者の認識では日本はアジアの中の一国で、アジアに対立する概念として日本という風にはならないというのです。それで、日本人がいう文脈でいうアジアというのを、Asia except Japan とでも言いようがなく、通訳する際には常にひっかかっているとうのです。

以前、アジア史といえば中国史といったような時代もあったことを考えれば、アジアも東南アジア、東アジア、中央アジアと細分化されてきて、研究も進んでいると思いますが、日本史はアジア史の中に含まれているという感覚は、今でもかなり薄いような気がします。



#7767 
徹夜城(ルパンコーナーなんぞ更新していた管理人) 2007/08/23 23:27
時代屋の女房

 という映画がありましたが、僕は未見です(笑)。
 さて、「時代」というだけでずいぶんいろいろな議論ができるものだなぁと改めて思います。とくに歴史専攻、あるいは趣味でも深く歴史に首を突っ込んだ方は一度は思考訓練としてやってみるものでしょう。
 カーも言いましたように、歴史が過去と現在の対話である以上、現在からどのような価値観を持って過去を計るかで「時代区分」も変わっていっちゃうのも確かでしょう。といいつつ、現在歴史を見る者はいかなる形であれそれをやらずにはいられないとも思えます。

 中国史ですと王朝とは別に、社会の変化による時代区分、「古代」「中世」「近世」をどこに配置すべきかという大論争が昔ありました。それは当時において中国という一つの世界の歴史をどう把握すべきなのかという課題があったわけですね。で、激しい論戦の末、結局のところヨーロッパ的な時代区分は難しい、というところに落ち着いてしまったような。僕の恩師(故人)の初期の論文なんか明代を奴隷制社会と規定するものだったりしましたけどねー。
 ただ、もちろんそれらは決して無駄だったというわけではないんです。そうした世界史あるいは人類史全体の共通項をとらえようという実証研究のおかげで膨大な蓄積ができたわけですから。まぁ僕みたいに海賊だの民族雑多状態だのを相手にしているとこういう蓄積すらあまりなかったりしますけどね。どうもこうした時代論争は陸の上の生産関係・経済状態の研究に偏重した嫌いはありましたから(まぁ海の上の話は史料がない、って問題もあります)。

 ところでガンダム世界でいう「宇宙世紀」って時代区分(?)は何をもって元年としてるんでしたっけ。スペースコロニー建設から?


>で、ルパン更新。
 もちろんアルセーヌさんの方の話(笑)。いえね、最近僕自身が「三世」のほうにもハマったりしてるもんですから一応(笑)。
 今回はようやく昨年になって初邦訳された一幕もの戯曲と、傑作長編「水晶の栓」の雑談解説を書きました。「水晶の栓」にも意外に歴史ばなしを書いちゃってますので、ご興味がおありの方は覗いてみてください。
 あ、この作品はとくにネタバレ厳重注意なので、既読の方のみでお願いしたいですね。なお、南洋一郎が書いたポプラ社版「怪盗ルパン全集」では「古塔の地下牢」というタイトルになっていた作品です。



#7766 
巫俊(ふしゅん) 2007/08/23 17:03
孟きょうさん

>もちろんこの私の暴言は非学問的だし、破廉恥で言語道断である恥ずべき事であることはわかっているんです。

孟きょうさんにとっての歴史が、「学問」に包摂される概念であるかどうかは分かりません。
私にとって歴史は「学問」でありますが、孟きょうさんは自身の価値観において「学問」の定義を下記のように設定されているのかもしれません。

学問
|
自分
|
非学問

学問と非学問の中間に漂っている自分を感じてらっしゃるのではないでしょうか。
それに比べまして私は、

学問―自分―学問

価値観の異なる学問が並列していて、その中に自分の学問が並んでいる、という感じです。
でも、

学問―巫俊ー学問
|
孟きょうさん
|
非学問

という図式は成り立たないのですよ。

http://uruseiyatsura.blog62.fc2.com/


#7765 
巫俊(ふしゅん) 2007/08/23 14:01
ドラえもんの道具で

「時代区分サインペン」とかあったら面白いかもしれません。
超空間に線を書くだけで、時代を強制的に区分してしまうという、怖ろしいサインペンです。
例えば1868年のところに線をひいて、「江戸時代は暗黒時代」とメモ書きしたら、本当に暗黒時代になってしまうとか(笑)

http://uruseiyatsura.blog62.fc2.com/


#7764 
孟きょう 2007/08/23 12:04



 >NF様、巫俊様
 とりとめのない駄文をお許し下さい。

 う〜む、色々と勉強になります。 3時代区分方の類はだいぶ昔にはやりましたが、たしかに歴史は学術の世界や一般の世界では一定の数の中に割り振った時代区分方が結構されてはいるんですよね。なんとかどちらかの時代に押し込め、公式的にやや近いほどの体裁を為さねば学問的では無い。多分それはそうなんでしょう。歴代の碩学の方々がその論争に火花を散らした時代が長いわけですし。もちろんこれに東西の世界観、価値観の違いが微妙に影響を与え、どちらかがどちらかの目をうかがいながら引きずられて来た感もありますし。

 ただつくづく残念なのは、素人の私なんかはなかなか学術的な話の飲み込みが悪いので、ついつい各王朝と王朝の年号、後は西暦等を使って安易に考えてしまい、古代、中世とかの区分、概念にあまり興味を持てないし、必要性を感じられないんですよね。これらの区分をイデオロギーをまじえて学会が論争すれば他のジャンルの学問と同じグレード、格式を歴史学が獲得できるのでは、という思いが昔は研究熱の中に欧州発であったのかなぁと何となく思ってしまうんですよ。

 さらに各世界、各地域の歴史研究が進み様々な主張をしてきた今となっては、ますます時代区分に私は熱をあげられない、というか興味をもてないんですよね(汗)。もちろんこの私の暴言は非学問的だし、破廉恥で言語道断である恥ずべき事であることはわかっているんです。唐宋変革に血道をあげてる専門家からも怒られてしまいます。
 ただ、圧倒的な量の事件、人物の登場、多様な地域が海のようになっている歴史を前にして呆然とたちすくんでいる私としては、「はたしてそんな単純な事なのだろうかか?」という疑問があるんですよ。もちろん、小さな事や厳密さにこだわらず、多少のパスミスは恐れず、切れ味鋭いキラーパスを提供し続けていくのが歴史学だ、と指摘されればそこまでなんですが・・・  しかし膨大な時間と時代をかけて、もっと深く、もっとミクロに、もっとマニアックに研究していけば、いつか精錬された厳密な研究や答えの一つが時代区分や国の概念に頼らない形で発表されるんじゃないか、そううあってほしいなあという願望を私なんかは素人ゆえに抱いてしまうんですよ。 大陸と島の歴史の展開の違いにしても、地理的、地形的制約によってそれぞれの展開が微妙に違い、メンタル、発想にも影響を与えて行くのは世の常ですし。  というより日本や中国の双方でも、「昔は半径10キロ、20キロの世界で川や山一つ越えたら、そこには別の人種の集団が住んでいた」時代があったんだろうな〜(大陸なんかは露骨にそうだけど)なんて妄想してる私としては、もう少しマニアックにミクロに東アジアを見ていって、自分がおじいちゃんになった頃に自分なりの仮説を構築しようかな〜なんて考えてます。

 日本史と中国史ですが、私は中国史を娯楽で楽しませていただいている人間ですが、ここ1世紀の日本人や中国人が何を言おうと、日本の歴代の実力者達に文化、制度、メンタル的に強烈な影響を与えてきたのは大陸の歴史ですから双方のすり合わせが肝要かと。日本史から見た中国史、中国史から見た日本史。とても興味がありますし、この視点から私も日本史を見て、色々と発見をしていきたいんですよね・・・

長々と失礼致しました。
 




#7763 
NF 2007/08/23 01:01
なかなかに難しいです(苦笑)

>巫俊様
早速のレス、ありがとうございます。要は、誰かがいつの間にか作った「囲い」を否定する事もないが拘りすぎるな、という事でしょうか。まあ、「国家」とか「文明圏」とか(ひょっとすると「人類世界」も)は理念系なので固執しすぎるべきでない、というのは頭では分かっていますしそうしたものを越えた普遍的なものを掴みたいものだとは思っているのですが…。余り視野が広いほうじゃないので、一生かけても出来るかどうかわかりませんが、何とかやってみたい目標ではあります。



#7762 
巫俊(ふしゅん) 2007/08/23 00:20
NFさん

どうか思考の訓練だと思って聞いてください。
NFさんが宗旨変えをされる必要は無いのです。

日本の歴史と中国の歴史の間には縄張りというものがあります。
地理、文化、統治範囲、民族と称される感覚、内容はそれぞれ分類されますが、
日本の歴史として、或いは中国の歴史として、地理や統治範囲を引き合いにして誰かが「組み上げて」出来たものだと思います。

創られたものだということですが、岩石やヘリウム、鉄といった物質が宇宙の最初に創られたものであるのと同じで、自然的に創られたものだと呼ぶことができます。

ただし、自然というのは「自然体」というような表現で使う「当然の成り行き」という意味で考えて正しいかというと、疑問に思うところがあります。
自然、自然というけれど、最初に宇宙を創った際の原理がその後の世界の成り行きを決めているとすれば、
(鉄が溶ける温度は何度であるとか、こういう設定は誰が決めた?)
それはやっぱり宇宙の最初の段階での恣意的な決定であるとしか表現できません。

簡単に言うと、宇宙の最初の段階で次々と理科の教科書に出てくる物質が生成されたと考えられている訳ですが、私はそのとき新しく生まれ出た存在である物質どうしが葛藤したり談合したりして、宇宙の原理を自分たちだけで決めてしまったのだと擬人的に表現できると思っています。

つまり、その場所、その時代にあって、実際に参画した人が物事を決定してきたのであって、時間軸という形で後々に至るまで仔細にこまごまと影響を受け続けるのが歴史というものです。
何が言いたいかというと、例えば私は不眠症に悩まされている訳ですが、それは人間とショウジョウバエに共通する太陽時計というものが現代人の合理的な生活に支障を与えていることです。

総括すると、「最初の段階でその時の事情で決めた約束事が長く支配する」という原理が歴史にあって、それは深刻なことだと思うのですが、それを抜けて考えない限り歴史の原理に支配されてしまうと思うのです。

(理系の知識は適当に書きました)

http://uruseiyatsura.blog62.fc2.com/


#7761 
NF 2007/08/22 23:05
高校野球も終わって

高校野球も今日で終了。なかなか劇的な決まり方だったようで。広陵も力強さ・巧さともに印象的でしたが、野球って怖いものですね。

新潟明訓と甲府商の対戦があったときには、大河ドラマもあって随分タイムリーなカードだと思ったものですが、案の定アナウンサーも信玄と謙信を引き合いに出していて、人間の考える事は同じだと苦笑しました。

個人的には、新潟明訓と前橋商の対戦が見てみたかったです。かたや「ドガベン」のモデルで、こなたはあだち充の母校。漫画家代理戦争みたいで興味があったのですが。日本史という視点から見ると、新潟と群馬は「南北朝期には新田氏の勢力拠点」「足利政権下では上杉氏が勢力を張る」という共通点が。…「タッチ」で主人公とライバルの苗字がそれぞれ「上杉」と「新田」だったのはそのせいかな、やっぱり。



#7760 
NF 2007/08/22 22:58
それを言っちゃあ、おしまいよ(笑)

>巫俊様
それを言い出したら、人類自体が地球の歴史の中で一瞬だから新生代の第何期でいい、とかになりそうな。
日本史専門の僕としては少し残念です(苦笑)。
>不自然に成立している国家日本
うーむ、中国やインドと同等程度には自然だと思っているのですが…。一つの国家かどうかは別にして、外洋を境界線として島々が一つの世界を形成しているのは割りと自然だと思ったのですが。まあ、日本の歴史が世界に冠たるものとかは別に思いませんが、それほどおかしいものでもないと思うんですがねえ…。

個人的には、日本史に思い入れがあるのは「自分が生まれた国だから」という事になりそうな。あと、好きなものを列挙すると「日本のもの」という共通点があるのです、僕には。で、中国文化圏に分類される事が多いけど、中国が理解できれば日本も理解できるかといえば、そういうものでもないようで…。だから、その「日本」に拘って細部を分類する。何らかの理由で「日本」という枠組みが解消された後の時代区分に関しては、その時代の人たちに任せます。まあ、少なくとも僕にとっては「自分探し」の一種なのかもしれませんな(苦笑)。

ちなみに、以前述べた古代・中世云々の区分について。この島々に人々が暮らし、社会が運営され変動するという点さえ変わらなければ十分適用可能だと自分では思っています。政体が変わるとか、民族が変わるとかもその視点では二次的な問題に過ぎない。…そうでないと、地中海周辺地域なんて時代区分ができやしません(笑)。

自分語り&愚痴になって申し訳ないですが、「日本時代」という時代区分には個人的にはそぐわないものを感じます。あ、でも国家権力を距離を置いてという意味ならまだ分かるかも。



#7759 
巫俊(ふしゅん) 2007/08/22 01:54
日本時代

という時代区分一つだけで基本的には事足りるというのが私の歴史観です。(笑)

建国期と称される幾つかの年代を上限として、下限は革命で天皇が退位するとか、日本が植民地になるとか、地球連邦軍が創設されるとか、何でもいいです。
たぶん日本という国が永久に続くと考えているから、時代区分に真剣に悩んでしまうんであって、政府、民族観、日本文化と称される概念が滅びてしまえば日本時代と呼ばれて回顧される日が来ると思います。

つまり、私にとっては室町時代、戦国時代といった歴史名称にツッコミを入れる前に、歴史名称全体を正当化している概念とは何か、歴史を支配的に構成しているのは誰かと考えてみれば、「不自然に成立している国家日本」というあたりに落ち着くので、日本時代という下限を仮定した時代区分を用意して日本の歴史を考え直してみたいと思っているのですが。

日本の歴史と世界の歴史を見比べる、相対化する、なんて言説もありますけど、日本の歴史という存在を世界の歴史と比肩できる存在だと自負している限り、まだまだ甘いんじゃないですかね。



#7758 
ひで 2007/08/19 18:50
南北朝の動乱

以前こちらの掲示板でも紹介されていた「南北朝の動乱」(森茂暁、吉川弘文館)が発売されていた(しかも、既に古本屋で見かけた)ので、早速購入してきました。

本当はまだ序盤しか読んでいないのですが、ちょっとインチキして最後の方を見ると政治体制の話は義教辺りまで扱っていますし、対外関係についてもちょこちょことか行ってありました(詳しくは読んでませんが)。

内乱の持つ歴史の推進力としての側面に着目して書いていこうとする本書は、普通の通史だと思って読むと全然違うということには留意しておいた方がよいでしょう(実際第1章の始めは正中の変です)。実際、後書きを見ると、出版社の方からこのシリーズは必ずしも通史の形をとるものではないとのアドバイスを受けたという話が書いてあったりします。

http://pezetairoi.hp.infoseek.co.jp/


#7757 
小覇王 2007/08/19 01:28
 帝国の興亡

 日本の時代区分が話題になっていますが、NFさんと違って僕は権力の所在地で表す今の呼び方は嫌いではないです。慣れ親しんでいるということもありますが、とても日本的だと思うから。それと古代とかはともかくわれわれが生きている現代は後50年もすれば近代とでも呼ばれてしまうでしょうし、そうすると今我々が近代と呼んでいる時代はなんと呼べばいいのかなどと考えてしまうので。
 で、なぜ日本的だと思うのかというと中国やヨーロッパのように王朝名で呼ぶと形式的にはずっと大和時代ということになってしまうし、実質的権力者の名前で「源時代」「北条時代」、と呼ぶのも違和感があります。やはり行政所在地で呼ぶのがしっくりくるのではないでしょうか。「戦国時代」とか「南北朝時代」とかも権力が分散していた時代を表す呼称としては最適でしょう。ちなみにこの二つは室町時代に内包されているのが一般的ですが個人的には

 南北朝時代・・・後醍醐天皇が吉野に移ってから義満の南北朝統一まで
 室町時代・・・・義満〜応仁の乱、北条早雲の小田原入り
 戦国時代・・・・豊臣秀吉の惣無事令まで

 と区別しています。異論はおありでしょうがあくまで個人的に。
 ところで徹夜城さんもいっていましたが「明治」大正」昭和」「平成」は「東京時代」と呼ばれてもいいはずなのですが、やはり違和感はぬぐえません。ただ年号で呼ぶと特に昭和が前半と後半でガラッと変わってしまうのでひとくくりには出来ません。「戦前」「戦後」と呼ぶのも今だけです。やはり「1867〜1945」を「(大日本)帝国時代」「1945〜?」を「日本国時代」と呼ぶのがいいかなと思っています。というのも通常新しく出来た政権は前の政権を貶めるのが一般的です。実際明治政府も江戸幕府を必要以上に悪く言いました。それは自分達の正当性を証明することになるのですからかまいません。ところが戦後の日本国は自分たちで前政権(大日本帝国)を倒したわけではないせいか悪口どころか戦前回帰願望を口にする政治家が堂々と存在するふしぎな状況になっています。ここは時代区分の呼び方ひとつで戦前の政府は滅び、民主主義の政府が出来たんだということを認識すべきではないかな、と思いました。「昭和」だとひとつながりで戦前から政治の断絶がない感じがして政治家の意識改革がなされなかったのだな、と思ってしまいます。ぼくがびっくりしたのは離婚三百日問題で話題になった民法や「旧土人保護法(すげえ名前だ…)」など大日本帝国憲法下で制定された法律が戦後のかなりの時期、あるいは今も有効である、という事実です。日本国憲法の発布とともに無効になってしまったと思っていたからです。戦後レジームとやらからの脱却を表明伊する前に帝国からの脱却をするべきではないでしょうかね。

 話がとちゅうからずれてしまって申し訳ありません。



#7756 
NF 2007/08/18 23:46
時代区分法について

お久しぶりです。
時代区分の話が出ているので少しだけ。個人的な話で恐縮ですが、僕自身は今の政治拠点所在地によって時代名を決める方式は余り好きではないのです。理由としては@日本史でしか通用しない区分方法である。世界史レベルで他地域の歴史と対照・比較する上では役に立たない。A必ずしも社会的な性質に合致した区分ではない。例えば、「平安時代」の前期と中期以降では社会・政治構造が大きく異なりますし、「室町時代」も応仁の乱前後を境にして地方の発展具合などが大きく異なっています。
と言う訳で、各地域の歴史も見て考えるとこうした分け方が出来るかもしれません。
・古代前期(農業の発達に伴い都市国家が成立、次第に都市国家連合へと発展)
・古代中期(各地域で集権的な領域国家が成立し、統一的な古代帝国へと発展)
・古代後期(生産力向上を反映して地方の独立性が強まり、中央政府の支配力は弱体化。有力豪族と妥協しながら帝国再建を目指す時期)
・中世前期(集権的な帝国の維持が困難となり、地方豪族による分裂傾向が強まる。)
・中世後期(分裂傾向は持続しているが、その時代なりの秩序は形成される。)
・近世前期(商業発達により民衆の実力向上、集権的政権への志向が強まるが未だ不安定ではある)
・近世中期(商業発達が更に進んで貨幣経済が広く浸透、地域ごとに安定した政権が樹立されていく)
・近世後期(安定した集権体制が成立する)
・近代(国民軍が形成され庶民の政治発言力向上、産業革命)
・現代(第二次大戦後、基本的に近代の延長だが世界規模での産業活動が見られる)
こんなところでしょうか。日本・西欧以外の地域は近世集権体制が比較的早期に安定して成立したので近世の分類はもう少し単純でよいのでしょうが。まあ、日本・西欧がユーラシアの辺境に位置する後進地域であったため不安定な時代が長かったのだと思います。
日本の場合、古代前期=弥生時代・大和時代初期(〜4世紀)、古代中期=大和時代中期から奈良時代(5世紀〜8世紀)、古代後期=平安前期(9世紀〜10世紀ごろ)、中世前期=摂関期か院政期〜源平合戦(11世紀〜12世紀)、中世後期=源平合戦期・鎌倉時代(12世紀後半〜14世紀前半)、近世前期=南北朝〜応仁の乱(14世紀〜15世紀後半)、近世中期=戦国期・織豊期・徳川初期(15世紀後半〜17世紀前半)、近世後期=徳川期(17世紀後半〜19世紀半ば)、近代=幕末〜第二次大戦(19世紀後半〜20世紀前半)、現代=戦後という事になると考えていただければ。まあ、この分類は一般的なものとは言いがたいので、「徳川期」「戦国期」といった風に、大体どの辺りか判るけど時代名じゃない曖昧な言い方をしたり「14世紀ごろ」という言い方をしたりでお茶を濁す事が最近は多いです、僕の場合。



#7755 
景虎 2007/08/18 02:43
時代の定義

>時代話
歴史学(政治史)における時代の話は、徹夜城さんが解説してくださったので、別のお話でも書いて見ます。

あまり詳しくないのですが、美術史の場合は、安土桃山時代を寛永までとするらしいです。三代将軍家光の時代までですね。
これが刀剣学の場合になると、安土桃山時代そのものがないです。刀の変化に合わせて時代を設定する為に、そうなってしまうんですね。

刀剣学的には、鎌倉時代を1184年からとする場合が多いです。美術史の安土桃山程ではないですが、歴史学の1192年とは少しずれてますね。

吉野時代は、刀剣学の世界で健在だったりします。
歴史学の影響か、南北朝時代と書いてある専門書も増えたようですが、今でも吉野朝時代で通している本もありますね。南北朝派の本でも、「南北朝時代(吉野朝時代)」となっている場合もあります。



#7754 
徹夜城(昭和時代生まれの管理人) 2007/08/17 22:31
こんな時代と人の言う

 ガンダム世界には「寒い時代」という名台詞もあったりするわけですが(笑)。

>戦国時代
 そもそも「時代」なんてのは後世の人間が勝手に便宜上設定するものであって、「正式な時代」なんてものは存在しません。いま僕らは「戦後」だとか「明治・大正・昭和・平成」などといった時代区分を使ってますが、百年もたったらいっしょくたに「東京時代」とかされているかもしれません。
 いちおう現在使われている「飛鳥・奈良・平安・鎌倉・室町・安土桃山・江戸」といった時代区分は「政権所在地がどこか」という基準で決めているにすぎません。これだって実はかなりあいまいな部分を含んでおり、1192年になって突然新時代になったとは当時の人も思わなかったでしょうし(鎌倉幕府体制自体はとっくに出来てた)、「室町幕府」だって厳密には三代将軍義満が移転しないと「室町」ではないですし。はたまた政治的時代区分はかつて「吉野時代」という区分があったようにそのときの歴史観で左右されちまうものです。
 …で、ありますから「戦国時代」が正式か正式じゃないかなんてのはあまり意味がないと思うのですよ。何となくあの辺が「戦国時代」と認識されているというだけで。あ、あと一つ付け加えますと他の時代と違って戦国時代は同時代人自身が「今は戦国」と認識していた時代という側面もあります。中国の戦国時代という前例があっただけにそれになぞらえたわけですよね。そういえば今の日本人だって「戦国時代」というとだいたい安土桃山まで含んで言っちゃってますね。
 中国史や韓国史だと王朝交代があるので時代区分がやりやすいという面もあります。


>上杉と佐竹
 う〜〜ん、これはどっちが格上になるんだろう?というレベルのような。佐竹氏はもとをたどると足利と同レベルと名乗れなくもない清和源氏一門で、足利の姻族の上杉よりは格上と見ることも出来るような。ま、そんなのは当事者がどう思ってるかだけの問題ですけどね。

>貧乏神さん
 そうか、天皇家が養子をとれないのは、同格の家がないからだ、と説明することはできますね。ヨーロッパの王室のケースも考え合わせればやはりアジアの他国の王室と婚姻関係を結んでおいて、ときどき養子をもらえるぐらいにしておくべきだったかなぁ…と。李王家や愛新覚羅家なんかはそれをあるいは想定していたかなぁ…???
 政治家で正確な意味で「婿養子」の後継者をとったケースは田中角栄ですか。もっとも田中家は明らかに真紀子さんのほうが目立ってしまい、気がつかないわけですが(笑)。僕の地元の選挙区も妻の姓に夫があわせた婿養子が後継者となってますよ。


>tomohiroさん
 イベリア半島のゴチャゴチャの歴史は映画「エル・シド」で描かれてました(まぁどこまで正確かは知りませんが)。主人公エル・シドは映画中ではキリスト教徒ですが、イベリア半島のイスラム諸侯と仲が良く、「エル・シド」という名称自体がそれでついてます。もっとも史実じゃあ彼もムスリムだったんじゃないかって説も聞いたような。



#7753 
tomohiro 2007/08/17 21:19
バルカンとイベリア

アジアカップ、オシムjapan無念でした。
さて、オシム監督の出身地であるバルカン半島はヨーロッパの火薬庫として
悲劇を味わってきた場所ですが、意外や意外バルカン半島なみに
多民族国家なのが、イベリア半島なのです。
もともと西ゴート王国が支配したようなのですが、その後イスラムが進入し、
レコンキスタにおいてカソリックのスペインと葡萄牙が支配するという
格好ですが、そのProcessにおいて、色々な国を飲み込み飲み込みしてきたので、
他民族・多言語の場所に成ったようです。
いわゆるスペイン語は、標準中国語を北京語というように、カスティリャーノと呼称します。
他に、カタルーニャ語、ガリシア語、全く系統不明なバスク語が存在します。
どの言語もフランコ将軍の時代には禁止されていました。
え、なんでこんな記事を書こうと思ったか。
エヴィアやカルロス・ヌニェスといったスペインのフラメンコなどと違った音楽を
聞いていて、イベリア半島もバルカン半島のような他民族・多言語国家なのだなと
感じたのです。




#7752 
elevater 2007/08/17 18:21
遠くの親戚より近くの他家

上杉憲政が養子を取ろうとしたとき、まず地理的に近い佐竹氏に打診したようですが
佐竹側で断られたそうです。佐竹も上杉と比べたら臣下なんじゃないですか。
これを見ても、よほど上杉が弱っていたことがみえますね。
上杉はもとは藤原系の家だったようですが、長尾氏は桓武平氏らしく
そういうのにウルサイ武家としては、よほどのことだったんでしょう。
憲政は景虎に養子を断られた場合、憲政が景虎の養子となる案まで考えていた
そうで、管領上杉の守護者となった謙信は勢いとしては
憲政の養父みたいな存在だったんでしょうが



#7751 
貧乏神 2007/08/16 12:00
聖徳太子は飛鳥時代の人と書いて×をもらったことがありますが

こないだ、ナーランダに行ってきたと書いたわけなのですが、ナーランダを
目的地として行ったというよりは、日本からビハール州を巡るツアーに入ると、
ほぼ必然的にナーランダは通ることになる、という事実があったりします。

>養子
女系天皇の是非がやかましかったときに、友人と「大名家も養子入れまくってる
よなあ」なんて話をしてたのですが、「でも臣下から養子を入れた例はない」
と切り返されたことがあります。上杉謙信なんかは臣下から養子みたいなもの
かとは思いますが、そういうのって、やはり戦国〜安土桃山期までしかなかった
のではないでしょうか。そういう意味でも戦国大名と江戸大名とは違うのかも。

あと、細かい話ですが、安倍晋太郎は一般的な意味では岸信介の養子(というか
後継者)なんだと思いますが、法的には「養子」ではないですよね。養子になって
いれば名字が岸になるはずですし。
ちなみに、妻の家の名字を名乗ることと、婿養子に入ることとはまた別な話
だったりもするわけですが。
(婿養子→妻の名字ではあるが、妻の名字→婿養子とは限らない)




#7750 
パパゲーノ川崎 2007/08/15 20:06
さらに”あべし”

ネタは漫画でなくて、現代史であります。

”あべし 支持率急落”

と検索してみましょう。
”あの”セリフが出てくるのは、予定調和というやつですか。






#7749 
elevater 2007/08/15 13:10
世界史トリビア?

おもしろいサイトみつけたので紹介します
http://www.geocities.jp/asamayamanobore/index111.html
歴史かんけいで、こんなにたくさんトリビアあるのは驚きだったんで
徹夜城さんのようなかたは詳しいから、訂正を発見したら同サイトで
指摘してあげてください、そこのサイトはこまめに修正されるみたい
ですから

>戦国
まえから思っていることですが、戦国時代という言葉は正式なものでは
ないのではないか、と。同時代の大部分は室町時代後期にあたるし
織田信長が足利義昭を将軍職から追い出したあとは「安土桃山時代」になるし
だいいち中国の戦国時代とまぎらわしいし
日本史の教科書に「戦国時代」と書いてあるのは何か俗っぽい印象が
今の日本史教科書も「戦国時代」と紹介しているんですか



#7748 
徹夜城(お盆休みもあと一日の管理人) 2007/08/14 21:00
休みはダラダラと

 一週間書き込みをしませんでしたが、お盆休みを満喫(?)しております。HP更新は遅々として進まず、ダラダラと無為に日々を過ごしてしまっているような…

>歴史映画ばなし
 その休み中にGyaoで放送していた「ワン・マンズ・ヒーロー」という日本未公開のアメリカ映画を鑑賞しました。トム=べレンジャー主演で、あの「米墨戦争」がテーマと紹介されていたので、見たかったんですよね。8月中は放送してくれているようです。
 この映画見るまで僕は知らなかったんですが、米墨戦争(1840年代のアメリカとメキシコの戦争)の中でアメリカ軍を脱走しメキシコ軍に味方した「聖パトリック隊」というものがあったんですね。この映画はこの部隊を率いたアイルランド系軍人を主人公としています。本国で食い詰めた多くのアイルランド人がアメリカにわたり、市民権を得るために兵士となり、戦いの中で同じカトリックであるメキシコ側に親近感を抱いて「寝返り」を打つ…という展開がなかなか興味深いです。なお、主人公はベテラン軍人の設定のため、イギリス軍でナポレオン戦争にも従軍したという過去まであります。

 米墨戦争がらみの映画ですと、アメリカ人の愛国心を喚起する素材として「アラモ」がありますが、本作は完全に逆側から、つまりメキシコ側からの視点で描かれており、この戦争は徹頭徹尾「アメリカの侵略」という観点で描かれてます。これをアメリカ映画が作ってるところがアメリカの懐の広さともいえましょうが、1999年製作で日本に今頃になって紹介されてる(日本ではソフト化もまだみたい)ところからするとあまり興行成績はよくなかったんじゃないかと…まぁ内容的にもB級低予算歴史映画と言わざるを得ず、脚本ももうちょっとひねりがほしいところではありました。
 ジョン=ウェインが監督した「アラモ」ではアメリカ側が「独裁政権のメキシコに対する自由の戦い」みたいなことをほざいておりましたが、この映画ではそれを180度ひっくり返し、メキシコ側につく主人公達が「自由のための戦い」を口にしたりするわけで(ジョン=ウェインのあれほどイヤミにはなってないけど)…この戦争がアメリカ側の「侵略」という性格を強く持つことは僕も認めますけど、アメリカ映画としてはそういう単純構造にせざるをえんのかなぁ…と思うところもありました。まぁこの戦争はアメリカの一方的な勝利に終わるため、主人公達は連戦連敗のうえかなり悲惨な末路に向かうため、アメリカ映画的カタルシスはほとんどありませんけどね。
 なお、米墨戦争を戦った二人の将軍、テイラーとスコットも登場し、前者が良心的、後者が悪役まわりで描かれ、その後の大統領選への伏線ともなっています。


>巫俊さん
 レスが一週間も遅れてしまい、すいません。かなり貴重な情報をいただきましてありがとうございます。それにしても谷川さんのご兄弟とは知らなかった(汗)。
 実はご紹介の本、その「倭寇が琉球の王に?」というアオリ文句につられて刊行直後に購入しておりました。ただざっと読んでみて「肩透かし」という感想でしたけど。過去に折口信夫が唱えていた説を紹介してるだけですよね、ほとんど。南朝支持勢力と倭寇的な海賊集団がつながっているのは確かなんですけど、それを琉球建国話まで持っていくのには無理があるんじゃないかなぁ、と。しかも16世紀倭寇の件まで無差別に「倭寇」でくるんじゃってるところも気になります。

 安倍氏がらみですが、ウィキペディアに紹介されていた話によると岸家の先祖は厳島の戦いで功のあった「ガン」と呼ばれる朝鮮系帰化人との説があるらしいですね(佐藤栄作を扱った評伝に紹介されているらしいけど元ネタ不明)。室町時代に応永の外寇問題の処理のため来日した宋希景の紀行文中に瀬戸内海で朝鮮語ペラペラの海賊がいたことが書かれてますが、そのことと思い合わせてありえない話ではないな〜と思いまして。そもそも大内氏が自ら百済渡来系を称してました。

 「あべし」といえば「北斗の拳」(笑)。「あべし」で検索かけてみると「北斗の拳」ネタばっかりですよね。某ゲームに「あべし」というそのまんまのコーナーもあったとかで。
 ただ漫画中で「あべし」って断末魔がそんなに出てきたわけではないようですが…(全断末魔を調査したHPもありますね(笑))。
 ジャンプつながりですと、先日冗談半分でこの掲示板に書かれていた「魁!男塾」の実写映画化、ホントにやっちゃうそうで(汗)。


>景虎さん
 そうですね。選挙もあって一定の緊張感があることからすれば戦国大名のほうがより近いのは確かです。たまにお家騒動や下克上もありますし(笑)。
 どこでもそうだと思うのですが、僕の地元の選挙区では有力な二つの家がかつての中選挙区では議席を分けて競合関係にあり、小選挙区制になってから一方の家は生き残れず三代目の当主(?)は非自民に走ったりあれこれやっております。で、この二つの家それぞれの配下に県会議員、市長・町長、市町議会議員が系列をなしており、各所で静かな抗争を繰り広げています。こういうあたりも戦国時代的、というべきでしょうか。



#7747 
景虎 2007/08/14 14:40
政治家と文化人と

世襲議員は現代の大名家のようなもの・・・と言われると、確かにそういう部分がありますね。ただ、世襲議員の場合、江戸大名(ここでは明治以降の華族も含む)よりも、江戸以前の大名に近いような気がします。

江戸大名は、例外もいたでしょうが、あまり政治権力に執着しないというか、文化人的な生き方をした人が多いような印象があります。それに対して、江戸以前の大名は、権力闘争やってたイメージが強いんですよね。
公家の場合は、平安くらい?から文人的要素が強いですが、武家も公家に遅れる事数百年、太平の世を迎えて、大名レベルは文化人になっていったのでしょうか。

そう考えてみると、殿様の子孫である細川元首相が、簡単に政権を捨てたのも納得できてしまいます。最後は、自分が議員を辞職して各派を結集させたりするのも、殿様っぽい気がしますね。ようするに、『やる事はやった。後はよきにはからえ。』という事なのでしょう。

今では完全に政界から足を洗い、陶芸家をやっていたりするのも、華族的というか江戸大名的というべきか・・・。

現代的世襲議員であれば、江戸以前の大名のように、政界に執着しそうな気がします。
個人的には、文化人タイプ(江戸大名タイプ)が、政権を維持できる世の中の方がいいと思うのですが、実際には、権力闘争タイプ(江戸以前の大名タイプ)でないと、政界では生き残れないという事なのでしょうね。



#7746 
巫俊(ふしゅん) 2007/08/07 01:50
安倍氏と言えば

孝元天皇の皇子とされる安倍氏の始祖の大彦命が、古墳時代の中期に大和国宇陀郡、伊賀、近江国甲賀、蒲生郡を経て、若狭や越の国などの北陸に遠征して北陸をヤマト政権の征服地としたという伝説があり、

大彦命に従軍もしくは降伏した諸郡において、大彦命との類縁、血縁を宣伝する安倍氏という勢力集団が地域社会に根付き、そうして律令時代に至って安倍氏の系譜が史書に記録された、ということと関係オオアリみたいです。

この説を主張されている人に、民俗学者の谷川健一氏(谷川道雄はその弟)がいるのですが、
谷川健一氏は蝦夷の民族的系統と関わる安倍氏(畿内の安倍氏とて、もとは蝦夷だろうとする)のほかに、
「九州の倭寇が、沖縄の王に? 日本と琉球に展開する壮大な海の叙事詩」というキャッチフレーズが帯に書かれる、『甦る海上の道・日本と琉球』(文春新書、2007年)を書かれています。

奄美や琉球の民族性(同母異父の日本と沖縄と称する)や民俗文化の経験を、自著の日本民俗学の研究に費やしてきた氏が、沖縄の王権に影響を与えたモデルとして、倭寇の介入を想定しているようです。

実弟が中国史の権威でありながら、中国史にはお詳しくないらしい不思議なお人が書いた後期倭寇に言及する新書です。
一読どうぞ。

http://uruseiyatsura.blog62.fc2.com/


#7745 
徹夜城(生命発生以来のご先祖様から万世一系血統の管理人) 2007/08/06 23:28
「安倍一族」

 養子の話が続いておりますが、中世から江戸期までの武士の「家」観念では、血統でつながらない養子であろうと、さらには男系だろうと女系だろうと「家」としての連続性のほうが重視されてるように思います。血統がうるさいのはそれこそ天皇家か将軍家ぐらいじゃないかと。その将軍家だって一時は宮様を呼ぶかって話があったぐらいで。
 「後北条氏」のケースは鎌倉北条とのつながりを雰囲気としてにおわせつつも、徳川が新田系、みたいな偽装まではしなかったところを見ると、これは当事者も周囲も連続性については割り切ってたんじゃないかなぁ、って気もします。

 戦国〜江戸時代の大名家の場合はとくに「家」といっても一家系のみの問題ではありません。そこには多くの家臣をはじめとする周囲の集団がセットでついているわけで、血縁の薄い、はたまた全く縁のない養子だろうと「家」を絶対に存続させなきゃならないわけです。そしてこの論理は大名でなくとも下級武士のレベルまで浸透しちゃってくわけですね。そこにはどこか儒教(朱子学)論理の浸透も影響してるようにも感じますけど、やっぱり日本的な「翻訳」がされてるようにも思います。

 現在全国は300の衆議院小選挙区にわけられていて、くしくも藩の数とほぼ同じ。で、そうした選挙区の多くで見られる世襲議員はまさに現代の大名家とみなしていいでしょう。で、ここでも息子がいないで娘がいた場合は「婿養子」というパターンが多々あるのですな。僕の地元の選挙区がまさにそれで。

 さて、今のところ首相(笑)の安倍晋三さんですが、この家系も「現代大名家」の養子縁組という観点から見ると実に面白いんです。
 安倍首相の祖父・岸信介元首相はもともと佐藤家から岸家に養子に入った人物です。だから佐藤栄作元首相が実弟であるわけですな。しかし岸信介は婿養子の安倍晋太郎を後継者としており、この系統は男系で見ると「安倍家」に移ったことになります。ところが今度は安倍家から晋太郎の三男・信夫氏が岸信介の長男の養子となり「岸信夫」として参院議員(改選は次の参院選)やってるんだから…まさに現代の大名家だ、ってのがわかるでしょ。



#7744 
小覇王 2007/08/06 21:14
家名か血統か

 上杉家は謙信の前から結構養子は積極的に行っていて、伊達政宗の大叔父に当たる伊達実元なんかも養子候補者でした。単に血統という面から言えば全然違ってしまっていると思いますが、家名を残すということのほうが重要視されていたのではないでしょうか。
 江戸時代に入っても改易を避けるために養子を取っていたわけですし(むしろ家臣の就職を考えると戦国時代より深刻かも)、吉良義央の息子とか、上杉鷹山も養子ですよね、確か。もちろんその際、本家に近い血筋を優先はしていたようですが。
 そういう意味では、上杉家は北条氏と後北条氏とは違い鎌倉、室町以来ずっと続いているといっていいと思います。・・とここまで書いてて思ったのですがこれって別に上杉家に限ったことではないですよね。戦国、江戸期の大名は大小あれどこんな感じだったのでは?



#7743 
Q世代 2007/08/05 01:45
前後なんてなくて

ご無沙汰してます。

上杉氏は家督が連続しているので、前も後もないんじゃないでしょうか。本質が違うといっても、もしも足利幕府が続いていたら、景勝以降の代になっても関東管領を名のっていたはずですよね。また、長尾景虎が相続してその本質が変ったからこそ、上杉家として生き延びる目が出たとも考えられ、現実に山内上杉の家系は江戸時代以降も生き延びることに成功しました。そういう点で、鎌倉時代に一度滅んだ北条氏と区別するために、その百年以上後になってから登場した小田原北条氏を後北条氏と呼ぶのとは全く様相が違うと思います。

後に吉良家から養子を入れてるところなんか、「上杉」の名を結構大事にしてると思いますよ。もっとも、大事にしていたのは幕閣の教養人たちだったかも知れませんが。



#7742 
elevater 2007/08/03 06:07
後上杉家と表記したらまぎらわしくないかも

徹夜城さんのような書き方をすれば誤解がなかったですね
わたしが特に書きたかったことは、鎌倉時代の北条と
伊勢新九郎が受け継いだ北条が体面は同じでも本質は別物で
あるように、関東管領から発した上杉と
謙信が受け継いでいった上杉は違うものだと書きたかったので
ちなみに関東管領の上杉も室町時代の長い期間、継承あらそいで
山内上杉と扇谷上杉に別れ戦争にあけくれていて、それが関東の
長い内乱停滞期の大きな要因だったから、上杉という家じたい
ややこしい一族ではあります。
室町時代は関東へ足利の親族が出向し「関東公方」として君臨
これが副将軍みたいな権力をもっていたらしいので、それを補佐
した管領・上杉の権勢も大きなもので将軍・義教のとき関東公方が
反乱し討たれて以降は管領・上杉が関東公方にとってかわった
というのを聞いています
謙信が上杉家を支えた目的は明確です、遠い京を目指すのは
現実的でなく、それよりは距離が少し近い関東管領についたほうが
自分の利になると判断したからだろうし
そのことからも長尾景虎という人が単に正義で動いたのではなく
高度な政治計算ができる人物だったと思っています。



#7741 
徹夜城(夏期講習に日々追われる管理人) 2007/08/02 23:49
上杉家の歴史

 elevaterさんの書き込みで気になったので補足・確認として書かせていただきますが。
 まず上杉謙信がもともと「長尾景虎」なのは確かですが、彼は正式に上杉の家を相続しているのであって、血縁とは関係なく最終的には上杉家の人間なのであり、後の上杉・米沢藩のれっきとした藩祖なのです。NFさんが上杉神社を「れっきとしたもの」と書いたのもそういうことであり、そこに謙信の生前の遺品が納められること自体は別に不自然ではありません(「毘」の旗が本当に謙信使用かどうかは別として)。
 確かに長尾家は上杉家の家臣筋であって、上杉家を「乗っ取った」、いわば下克上だとはいえるのですが、有名無実化していた関東管領・上杉家のほうから円満に相続させた形であり、「上杉家」としての連続性は保たれてるわけなんですよね。まぁ名門上杉家をあっさり長尾さんに譲っちゃっているため「謙信は実は上杉家の血が入っていたのでは…」ってな説もあるにはあるようですが。

 謙信は独身を貫いたので(だから「女性説」まであったりしますが)当然実子はなく、甥の景勝が跡を継いでます。この景勝も長尾家の人なので、このあとの上杉家は血筋としてみれば長尾家の後継と言えます。
 謙信というとどうしても越後=新潟の英雄、というイメージがありますが、彼の後継者である景勝は会津、そして米沢へと移ってしまったため、謙信はむしろ米沢で長いこと地元のヒーロー化していた、とか聞いてます。これが変化したのが大河で「独眼竜政宗」をやった(前半は米沢が舞台だった)時だったとか。伊達政宗も移転先の仙台の英雄になってるんで、米沢ではすっかり忘れちゃってたらしいんですな。
 その後の上杉家は吉良家から養子が入り(「忠臣蔵」で必ず登場するからおなじみですね)、系図を見るとその後もゴチャゴチャと養子が入ってます(一応女系や遠縁という血縁はあるようですが)。あの鷹山もそうですし。江戸時代の有名大名の多くがこのパターンになってますね。

 上杉家を逆にさかのぼりますと、もともとは京にいた藤原系中級お公家さんの一族。これが足利家と婚姻を結んだからその後の関東管領・上杉家があるわけです。尊氏の母・清子が上杉家の人で、大河「太平記」でも青年尊氏が京にのぼって上杉家に厄介になってる描写がありました。そこで正中の変に巻き込まれて…というのは完全な創作ですけどね。
 思えば上杉家も「家」としてみればずいぶん息が長いですよねぇ。最終的な立場では足利家よりもいいご身分のような気もしますし。足利は喜連川公方の系統が生き残っていただけでしたから。



#7740 
景虎 2007/08/02 04:03
民明書房は永久に不滅です

>NFさん
男塾を実写化するとしたら、世界のビックリ武術大集合にすると、B級的な面白さを持った名作(迷作?)になるかもしれませんね。

>elevaterさん
いえいえ、子孫ではありませんよ。
私は、名前を考えるのが苦手でして、そのとき頭に浮かんだ人物の名前を取ったら、こうなりました。当時上杉関係の本でも読んでいたのかもしれませんが、よく覚えてないですね。



#7739 
ぬえ 2007/08/01 21:46
ひさびさの通史

今月は吉川弘文館「戦争の日本史」シリーズで新刊、森茂暁「南北朝の動乱」が出ますね。

中公文庫と同じタイトルですが、「戦争」のみで通史が書けるんでしょうかね。通史ですと、普通は元寇から鎌倉幕府滅亡までで一巻、建武新政から義満時代までで一巻という具合でまとめてる傾向にあると思いますが、構成をみますと前巻の「蒙古襲来」では倒幕までを扱っていないようですし、次巻が「応仁の乱」ですから、けっこう長い期間が扱われるのでしょうかね。最近ですと講談社日本の歴史「太平記の時代」は、他の巻に比べて若干薄めであったと思います。



#7738 
elevater 2007/08/01 18:31
上杉と長尾

>上杉神社は、徳川期に米沢藩(上杉家)が藩祖・謙信を祀る霊廟を建立した(城内にある>寺院の僧が祭祀をしていたようです)のが起源で明治の神仏分離の際に神社とされたも>のです。で、摂社として上杉鷹山を祀る神社が併設されました。いわば上杉家の祖先>神を祀った、れっきとした上杉家関連の神社ですよ。

上杉謙信という名前は当人が自分で改名したもので本名は長尾景虎という人です
長尾家は関東管領・上杉家の家臣ではありましたが直系の親族ではありません。
とくに景虎さんの数代前の長尾家は上杉に対して反抗したとかで
景虎さんの時代の初期は長尾家と上杉家の関係は良好だったとはいいがたいとか
景虎さんが上杉姓を名乗ったのは北条に脅かされ逃げてきた上杉の首領を支持するため
の緊急措置で彼は上杉の血は流れていないわけです。
だから、長尾景虎を祀った上杉の名の神社は成立が当人の生前より後世のもの
なのはたしかでしょう。
ところで、ここの板の常連さんの景虎さんという人は子孫のかたですか(笑




#7737 
tomohiro 2007/07/30 05:42
私も台湾にはそうであってほしい。

>NF様
私も台湾と日本は文化的親近感というところで付き合って欲しいと
考えて欲しいです。
私自身、台湾の行動が鼻についたのが、台湾映画界の伝統的な思想の元、
中国大陸や香港に受け居られそうなドラマや映画ばかり作り、
日本の嗜好を無視した行為がおかしいと思ったのです、
パクリ魔韓国の方が日本をあるいみ台湾よりも日本を気にしすぎなのに対して、
台湾は流行という面では日本を気にしなさすぎな部分があります。
文化・流行の面で韓国以上に日本を気にして欲しいと台湾には考えている訳です。



#7736 
NF 2007/07/30 02:09
参院選おまけ

因みに、唯一神又吉イエス氏は初の最下位脱出を果たす可能性がでてきました(2時現在)。…どうでも良いですね、すみません。あと、フジモリ氏は日本政界進出はならずのようです。今回、国民新党も妙な人選が目立ちましたな。



#7735 
NF 2007/07/30 01:56
補足

拳法名が文字化けしてる(泣)。「ゴショウスイケン」と読むそうです。って歴史の話題ですらない(号泣)。



#7734 
NF 2007/07/30 01:54
「とらっしゅばすけっと」ブログ始めました

原稿アップだけじゃなくて、ちょっとした歴史関連の小ネタを書き記していきたいと思っています。よろしくお願いします。

>参院選
自民惨敗は望むところなんですが、民主も大概評価できない点が多いですからねえ…。衆院選の反動やら自民の自滅やらで勝ちが転がって来たに過ぎないのを考えると、もう少しお灸をすえた方が良かった気もする。自民・民主共に議席大幅減少、その他が大躍進というのを希望していたのですが小選挙区の状況を考えると仕方ありませんな。
>「国体護持」
個人的には、あれは(外相ともども)摂関家だと思うようにしています(苦笑)。

>西遊記
そうでしたか、妊娠までだったんですね。いい加減な記憶でものを言うもんじゃありませんな(汗)。貧乏神様・徹夜城様、御指摘ありがとうございます。

>景虎様
>木の上で待ち伏せして、旅人が通りかかると襲う等と言う特殊な武術
それはもしや、&#40751;樵&#27236;拳…!民明書房「奇蹟の烏慶漢」によれば、中国屈指の大樹海地帯・烏慶漢で発祥し、少数民族で樹上生活者であった烏慶族が他民族や外敵から身を守る手段として発達させたムササビの動きを模した形象拳だそうです(笑)。
…って、アホな反応すみません(汗)。

>tomohiro様
まあ、日本が海洋国家である以上、海上で弧を描くようにして中国軍事力の外洋進出を防いで日本の国防を有利にするという意味では台湾は重要な訳です。だからこそ、中国は台湾に対して必死で干渉している訳で。どこまでも相互に「利用価値」という位の気持ちが必要でしょうね、外交である以上は。ただ、国防上は「利用価値」が非常に高いのも事実。まあ、大っぴらに仲良くはできないので今のように「文化的親近感」を最大限に利用する(勿論、中国にも同様の事を行い二段構え)のが最善でしょうね。



#7733 
徹夜城(転居した新居から謙虚に選挙に出かけた管理人) 2007/07/29 22:39
「国体護持」か。

 予想はしてましたが、自民惨敗でも大敗でも首相退陣はなしの構え(とりあえず現時点で)。あくまで「国体護持」ということかな、と。松岡前農相の遺書を見たときにやっぱり安倍一族って皇室みたいなもんなんじゃなかろうかと思いましたし(笑)。

>西遊記といえば
 ジャッキー=チェン&ジェット=リー初競演のアクション映画も「西遊記」がモチーフとか聞いたのですが、どういう話になってるんだか皆目わからず(笑)。

>tomohiroさん
 日本の一部の方々の台湾への妙な片思い現象があるのは確かですが、どうも僕が見るところまた空気が変わってきてる気もしますね。だいたい陳水偏さんが総統に当選するなんて予想した人はほとんどいませんでしたし、そのとき彼らはもっぱら国民党を応援していたモンです。また情勢をうかがっている、ってところでしょうか。アメリカも台湾独立に向けての国民投票には露骨に反対してますしね。あの李登輝さんだって来年には何をしてるか分かったもんじゃありません(そういやこの人も元共産党員だ(笑))。

>mozawaさん
 「倭寇」とくれば当サイト、というぐらいにしたいものです。更新が全然進んでませんが(汗)。
 種子島の件、王直の号が「五峯」であることと、『鉄砲記』に出てくる明人が「五峯」であることとが結びついた意見であるわけですが、それだけで短絡に断定するのはいかがなものか、ということなんですよね。どうも日本史研究者のほうが安易にとびついちゃってるように僕は思うんです。
 前にも書いたことですが僕自身もその可能性は高いと思いつつ、あえて疑問符もつけておく必要を感じてます。まず王直の号「五峯」は本拠地とした五島列島に由来すると考えられますが種子島の鉄砲伝来の段階ではまだ五島に拠点を置いてなかった可能性が高いと僕は考えます。また『鉄砲記』自体が伝来から何十年も後に書かれているため一次資料とするには薄弱。たぶんに文学的な記述も見られますし、そこに有名人の「五峯」を登場させちゃった、という可能性もあるわけで(平戸でも彼は「五峯」としか呼ばれてません)。
 もっとも逆に『鉄砲記』はこの「五峯」を登場させつつも特に大物のようには描いておらず、そこがかえって創作ではない可能性も感じさせるわけですね。まだ「五峯」とは名乗ってなかった時代の王直がその場に立ち会ったんじゃなかろうか…などと僕は想像して楽しんでます(笑)。メンデス=ピントも自著ではその場に立ち会ってたことになってますし(笑)。

 「ヤジロー」についても「アンジロー」説もありますね。確かもともとは「アンジロー」と書かれていたけど「ヤジローの誤り」とイエズス会のほかの誰かが直しちゃったんだったかな?
 ヤジローも実は立派な倭寇の一員(笑)でありまして、「海上史人名録」に入れておかないとなぁ…と前々から思いつつまだ実行しておりません。



#7732 
景虎 2007/07/29 12:25
がんだ〜ら

>西遊記
どこで読んだか忘れましたが、中国辺りの少数民族の調査をした武術研究家が、面白い事を書いていました。
それによると、木の上で待ち伏せして、旅人が通りかかると襲う等と言う特殊な武術があったそうです。
西遊記の妖怪は、このような人々に脚色を加えて作ったのでは?と推測していました。

>elevaterさん
現存する甲冑の中には、意外と江戸時代に作られた物がありますよ・・・という事ですね。なるほど、そういう意味なら納得です。



#7731 
mozawa 2007/07/29 07:26
石見銀山特番

「倭寇」と聞いた瞬間、こちらのサイトのことを考えました。もう条件反射みたい(笑)。私は、ヨーロッパに石見の銀が流通していて、それで「世界遺産」なのか、と単純に思っていたので、勉強になった番組ではありました。

私も王直=五峰を言い切っちゃうのはいかがなものかと思いました。NHKの歴史番組って、「その時歴史が動いた」もそうですが、尤もらしくまとめてしまう傾向が気になります。NHKでやってるんだしこれが真実、って思ってしまう人もいるだろうなあと。その点では某民放の「あるある」問題と大同小異ではないかと。

小学館版「マンガ日本の歴史」既読者には、五峰、ヤジロー、と刷り込まれた名前が出てくる懐かしさもありました



#7730 
tomohiro 2007/07/28 20:16
聖なる国に対する考え

最近、反韓・反中派の人間が台湾を聖地とあがめる
行動が広がっておりますが、私は疑問に思っております。
「もしかしたら、台湾は日本のことを考えていないのでは。」
と考えるのです。
なんとも、昔存在した反米という考えのもと、北朝鮮を擁護した人間に
近い物を感じてしまいます。
なんとも、しっぺ返しを喰らいそうで、台湾を擁護する人間の行動が
不安なのです。
ある一定の国を必要以上に、擁護するような考えではないように
したいものです。
私にとって臺灣は
「hong kongとつるんでしょうもない映画を作っている國」
というのが小学校時代の私のイメージでした。
とても、親日国のイメージではありませんでした。
(私にとって親日国といえばトルコ、ポーランド、
vietnam、mexicoといった國々です。)
だから、昨今の反韓・反中主義者の臺灣擁護は
眉唾くさいと思っているのです。
いわゆるその昔反韓・反中主義者と正反対の過激派が
北朝鮮を擁護した発言を繰り返してきましたが、
なんともそれに近い感じがして、台湾を擁護する気持ちには
なりません。
 しかし、親日的な臺灣の空気は評価できます。
でも、評価できない部分もあるから、必要以上に
臺灣を擁護できません。





#7729 
徹夜城(ルパン三世は見なかった管理人) 2007/07/27 23:52
「石見銀山」番組で王直さん登場

 先ほど帰宅してTVをつけたら世界遺産決定記念ということで石見銀山の番組をNHKでやってるのに気がつきました。途中からしか見られなかったんですが、ちょうどうまいぐあいに話が銀生産方法から平戸に飛んだところ。「おお、こりゃ絶対に王直登場だ!」とワクワクしながら見ておりますと、平戸市内のザビエル像の後ろに王直像が出てくるという、「俺たちゃ海賊!」コーナーの「海上史事件簿」に載せたあのまんまの構図が登場。スタッフが見てないか、ここ(笑)。まぁ平戸に取材に行ったら誰でも目をつける場所でしょうけどね。建てといた価値はありましたな(建てるとき超間接的に関わってまして…)。
 王直と鉄砲伝来、倭寇やポルトガル、と石見銀がもたらした世界史的影響をそつなくまとめていた、という感じでした。ただ話として面白いんだけど、個人的には種子島に来た「五峯」がホントに王直その人なのかどうかは、研究姿勢としては断定は避けたいと思ってます。番組中で戦国期研究者が断言しちゃってたからなぁ…

>発行情報
 コミック乱TWIN連載の岡村賢二画「私本太平記」、早くも単行本1巻が出ました。リイド社は月刊のせいかも知れませんが連載から単行本化がやたらに早いような。
 連載のほうはいよいよ元弘の変開始。日野俊基刑死と入れ替わりに護良親王も登場、盛り上がってまいりました(笑)。


>ひでさん
 アレクサンドリアの図書館はナーランダ学院の比じゃなく古いですよねぇ…「復活」ってな話は僕も耳にしたような気がしましたが、どうなったんでしょう。
 図書館といえばイギリス訪問時にあの大英博物館の円形図書館も覗いてきましたが、ああいう風に本が置かれると「知の集積」って感じで圧倒されましたねぇ。今はインターネットでさまざまな「知」がデジタル化して集積されていく時代になったわけですが、「図書館」って存在そのものが不要になる(古い本の保存は別として)日も遠くないのかもしれん…と思うところもあります。

>NFさん
 ミヤケンさんが網走刑務所に入ったのは終戦の歳の5月から8月まで、つまり夏場でありまして、そのため「避暑に行ってたようなもんだ」というツッコミもあったようです(笑)。

>貧乏神さん
 そうですか、ナーランダにそんなに訪れていらしたとはオドロキです!
 牧瀬里穂…ああ、そういえばそんな三蔵さんもいましたっけ。「史点」書くときに「あともう一人ぐらいいたような?」とは思ったんですが、あとで調べようと思ってすっかり忘れたままアップしてました(笑)。
 「西遊記」で三蔵が妊娠しちゃう話は女人国でなんかを飲んじゃうんだか食べちゃうんだかした結果だったような…たしか八戒もつきあって妊娠しちゃった記憶があります。
 なお、ここを時々見ている人なんですけど(笑)、僕のさる友人の体験談によれば、「女性三蔵」になれちゃってる日本人は、中国の『西遊記』ものでむさいオッサンが三蔵として出てくると「うげ〜」と拒否反応をおこしちゃったりするんだそうな(笑)。



#7728 
貧乏神 2007/07/27 16:45
ゾウがインド人を踏んでもびっくり

久々の書き込みになります。
この2年ほどのうちになぜか三度ほどナーランダに行ってきた貧乏神です。
「なーらんだ、なーらんだ」の他に「沙羅林で皿回し」とかいうネタを披露
してきたのは秘密です。

ちなみに、ナーランダには既に仏教学の研究機関が存在していて、日本人の
研究者でそこに滞在したという人も結構いるようです。こんど作られる大学が
そこと関係するのかどうかは知りませんが。

>三蔵法師
牧瀬里穂版のことも思い出してあげてください。

あと、西遊記の玄奘は妊娠はしてるのですが、出産はしてないですね。
「パタリロ」のマライヒもそんなエピソードがありましたが。




#7727 
NF 2007/07/26 01:39
お久しぶりです。

「史点」、拝見しました。
>なーらんだ、なーらんだ♪
やっぱり口ずさみますよねえ、あの響きを聞いたら。
>「三蔵法師」女性化
そういや、向こうの原作に(改作を繰り返しているので色んなバージョンがあるようですが)三蔵法師が出産とかいう話があったりするようですね。
日本に関して言えば、三蔵法師だけじゃなくて劉備もスーパー歌舞伎で「実は女性」設定されていたことがあったような。あと、北畠顕家は…あれは女優が男性を演じているだけでしたね(汗)。
>宮本顕治の獄中生活
戦後に回想して「食べるものはジャガイモで、体重は60キロだった」と言った所、戦地に行っていた人に「夢のような生活じゃねーか!」とキレられたという話を聞いた事がありますが、真偽の程は不明です(笑)。
>一番「国粋的」な政党
まあ、日本だけじゃなくてロシアにせよ中国にせよベトナムにせよ共産党って「世界革命」を理想にしている割に民族主義的な気がするのですが。政権とったら国家主義的になるし(苦笑)。まあ、共産党から転向した人は大概極右になる気がするのもそのせいなんでしょうかね。…過激派は左右の端っこで繋がっているというだけの話な気もしますが。

因みに、
>elevater様
上杉神社は、徳川期に米沢藩(上杉家)が藩祖・謙信を祀る霊廟を建立した(城内にある寺院の僧が祭祀をしていたようです)のが起源で明治の神仏分離の際に神社とされたものです。で、摂社として上杉鷹山を祀る神社が併設されました。いわば上杉家の祖先神を祀った、れっきとした上杉家関連の神社ですよ。…まあ、そこにある「毘」の旗の時代については僕も良く知りませんが。因みに、こういった祖先を祭る霊廟(どちらかと言えば仏教寺院の性格が強い)が近代になって神社になった例は談山神社(藤原鎌足)・多田神社(源満仲)などが他には有名です。


ところで。
ttp://fukushimak.iza.ne.jp/blog/entry/47963/
現代日本人が紅楼夢を見ると、やっぱりこうなるんですね(苦笑)。



#7726 
ひで 2007/07/25 01:02
そういえば新アレクサンドリア図書館はどうなったのだろう

「史点」のナーランダー学院復興計画を見て、そう言えば昔ユネスコとエジプト政府が中心になって新アレクサンドリア図書館という物を作っていた話があったなと、ついつい思い出してしまいました。ちょっと調べてみると、地道に活動中のようですが、考古学博物館とかプラネタリウム、会議センターまで併設されているところをみると、図書館と無声音を一緒にしたような感じですが。

http://pezetairoi.hp.infoseek.co.jp/


#7725 
徹夜城(明日から夏期講習に追われる管理人) 2007/07/24 23:03
ルパンではなく銭形

>明彦さん
 そうでしたか、声優さん的に見ればタイトルのようなことだったわけですな(笑)。
 なお、納谷悟朗さんはフランスのTVシリーズ版「アルセーヌ・ルパン」の吹き替え版、およびタツノコプロ製作のアニメ「8・1・3の謎」で元祖ルパンの声を演じてます。もっとも後者の場合正確にはルパンの変装人物の一人でありまして、同時に富山敬さん、中村嘉葎雄さんまでがルパンを演じるという豪華なことになっちゃってます。
 余談を続ければ映画「ルパン」のDVDの吹き替えは次元と不二子とクラリスが出ており、三世ファンに買わせようという意図が見え見えでございました(笑)。


>tomohiroさん
 ここ一年ばかりのニュースを注意してみていればタリバンがむしろ復活傾向で、地域によってはまだまだ意気盛んに活動していることがわかりますよ。なにせアフガンの国土面積は日本の倍近くはあるんですからその気になれば十分潜伏できるんじゃないかと。国外から、とくにパキスタン側からの支援もあるようですし。
 アフガニスタンといえば帰国は果たしたものの国王復位は果たせなかったザヒル=シャー元国王が亡くなりました。2回連続で訃報を扱った「史点」ではもう取り上げないと思いますけど。



#7724 
明彦 2007/07/24 08:32
大変失礼しました

『道元の冒険』初演の道元役は、山田康雄氏でなく納谷悟朗氏でした・・・。
取り急ぎ訂正させて頂きます。



#7723 
tomohiro 2007/07/24 08:13
生きていたタリバン

今、テレビを見ているのですが、韓国人拉致の
話題を報道していますが、
私が驚愕したのがタリバンという団体が生きていたことです。
どこで如何隠れていたのか。
北部同盟・米軍の構成でちりぢりになったようでいて、
地下化で生き延びていた。と私の足りない頭は
考えます。




#7722 
徹夜城(史点が順調に遅れている管理人) 2007/07/23 22:57
坊さん役者!?

>明彦さん
 情報どうもです〜井上ひさし氏の戯曲で「道元」があったとは知りませんでした。そしてその舞台の主役を山田康雄さんがやっていたとはちょっとビックリ。ネットで調べたら演出は熊倉一雄さんだったそうで。
 再演時の奥田瑛二さんは大河ドラマで一休、日蓮と有名僧侶役ばかりで出演しておりますが(そういや映画「千利休」でも本覚坊だった)、舞台で道元まで演っていたとは。「坊さん」が似合う役者さんなんでしょうねぇ。



#7721 
明彦 2007/07/22 21:48
道元の伝記と言えば

大変御無沙汰しています。
井上ひさしの岸田戯曲賞受賞作『道元の冒険』(まだ新潮文庫に入っていると思います)がありますよ・・・。
井上戯曲の中では「上演が絶えている方の作品」ですが。
ちなみに初演での道元役は山田康雄、再演では奥田瑛二だったそうです。



#7720 
徹夜城(人形劇三国志はいつも心のふるさとの管理人) 2007/07/22 21:38
飯田市金無い

 …という変換ミスがその昔のワープロであり、どなたか作家の方だったかがネタにしていたことがありました。「言い出しかねない」と打とうとしたらこれが出て、「一地方自治体を苦境に陥れてしまう」とかいう文章で(笑)。

>Кискаさん
 情報ありがとうございます。一度、飯田へは行ってみたいな〜という話は友人ともしていたんですが、8月は僕が夏期講習の仕事の真っ最中で(涙)。
 川本もすごいですねぇ…「項羽と劉邦」「源氏物語」、いずれも形となったものを見てみたいものです。


>孟きょうさん
 道元の映画「ZEN」の話ですが、スポーツ紙の芸能記事で見たんです。以下のところに残ってました。
http://movie.goo.ne.jp/contents/news/NFPkfuln20070623006001/index.html

 ただ読めばおわかりのように、この記事のメインは「国民的美少女」の林丹丹ちゃんんの「銀幕デビュー」でありまして(笑)。「乱世に生きる可憐な少女役」だそうですが、それが道元とどう絡んでくるのか、ちと心配でもあります(^^;)

 検索かけてたら見つけたんですが、曹洞宗の布教用OVAとして「道元さま」というアニメは製作されたことがあるようですね。
 坊さん主役の映画としては古いところで空海、鎌倉期の日蓮や親鸞、アニメ映画なら室町期の蓮如がありますが、「ひたすら座禅」という一見地味な宗派の坊さんをどう描くのか興味のわくところです。


>ゲームネタ
 ここを読んでる方のどれほどが知ってるか分かりませんが、「ゲームサイド」という少々濃い目かつマニアックな隔月刊ゲーム雑誌があります。以前「ユーズドゲームズ(ユーゲー)」というなつかしの中古ゲーム専門誌だった、といえばご存知の方もいるかもしれない。僕は毎号買うほどなんですが(笑)。
 その最新号の特集が「ゲーム日本史」だったんですよ。ゲーム史ではありません。「歴史を素材にしたゲーム」を並べて日本史をふりかえろうという無茶といえば無茶な企画。「オレに書かせろ!」と吼えたくなる企画でもありました(笑)。
 かなりムリヤリなゲーム選択もしてますが、飛鳥時代をまともに取り扱ったゲームとして「艶談歴史絵巻ぬかたのおおきみ」を挙げていたりして(笑)。タイトルで察せられるようにいわゆるPC向けエロゲーです。しかし蘇我氏打倒の陰謀をめぐらす序盤から壬申の乱までシナリオがかなり凝っており、政略結婚等この時代の歴史に精通していないとクリア不能な高難度ゲームであったとか(笑)。そういや道鏡のゲームもあったんだよなぁ…
 奈良時代ではやっぱりそれか、というファミコン「火の鳥・我王の冒険」。というか奈良時代ネタってこれしかないんじゃないか!?
 注目の南北朝時代はメガドライブ版「NHK大河ドラマ太平記」。う〜ん、やはりここはPCエンジンCD-ROM版をぜひとりあげてほしかったものです。室町時代はどうするんだと思ったら映画とタイアップだったらしい「新・里見八犬伝」なるRPGが取り上げられてました。



#7719 
Киска 2007/07/21 08:55
三国志関連イヴェント

飯田市に「川本喜八郎人形美術館」が開館したことは以前お伝えしましたが(未だ行けていないけど)、来たる8月11日(土)に『人形劇「三国志」を語ろう〜操演名人によって、いま孔明、曹操に命が吹き込まれる』というイヴェントが美術館隣の飯田信金大会議室(う〜む、ちょっとローカルな印象)で行われるそうです。
館長の川本喜八郎さんと、NHK人形劇「三国志」で人形を動かしていた操演者数名とのトークショー、劇中のシーンの再現(孔明・曹操・周愈などの人形を使う予定)があります。チケットの発売は飯田市内で行われていますが、遠方の場合は美術館宛に往復はがきで申し込めます(詳細は飯田市川本喜八郎人形美術館のサイトをご覧ください)。
飯田市は東京方面からはちょっと大変そうなところにあり(上田市の友人に「近くなのか」と聞いたら、「上田とか長野とか松本とか県下のどの市からもすごく不便なところにある」という答えだった)、おまけにお盆直前の土曜なので下りの道路は大渋滞する可能性もあり、バスにしても電車にしても新宿7:00発でいらっしゃいと言われました。バスは始発ですね。きついなあ。
しかし、これは貴重なイヴェントです。これを逃すと、当時の出演者による生の操演を観る機会はもう二度とないかもしれません。
川本さんは精力的にお仕事をなさっていて、非常に若々しい印象を受けるのですが、実は傘寿を迎えていらっしゃるのです。アニメーション「死者の書」の時には「これが人生の集大成だ」みたいなことをおっしゃっていたようですが、それが完成すると次のアニメーションの企画もあるようですし(「李白」だったか)、人形劇も中国との合作で「項羽と劉邦」をやるとか、あるいは「源氏物語」の人形はすでに作っているのだとか・・・そういうお話を聞くと、欲張りな私は「先生、全部観たいです。早く作って見せてください」と言いたくなります。




#7718 
孟きょう 2007/07/20 21:48



 >徹夜城様
 確かにそれはありますね(笑)源道義の知名度が禅の世界では有名という事と、室町期の禅文化のイメージと五山文学、文化パトロン、後は当時の上流階級や足利一門の唐物趣味とかのイメージがもうゴチャゴチャになっているんでしょうね。
 しかしつくづくライトな映像の世界とは縁の無い御方でございます(泣)。

 えええっ!「道元」ホントですか!?  いや、寧波や呉越エリアの現地ロケは行われるのかなぁ、とか、「椎茸の説話」のシーンは映像化されるのかなぁ、とか、とにかく宋代の官服を映像で見たいぜとか色々興奮してしまいました。



#7717 
elevater 2007/07/20 12:57
べつにむきになるきはないですが

景虎さんのように専門家マニアではないので私の書いたことは
正確ではないかもしれません

>大名、豪商などがインテリア、美術品として甲冑を欲したとしても、大した需要にはならない>のではないかと。

それで十分、需要になると思いますが。江戸の文化といわれる美術工芸品は
一般庶民には無縁の贅沢品が多いではないですか
むしろ贅沢で豪奢なものだからこそ後世にまで残っていくものでしょう
わたしが誤解のある書き方をしたから突っ込まれてもしかたないですが
いま残っている戦国時代の甲冑や関係品といわれているものは
だいたい江戸時代に作られたものが多く、額面とおりに
信用しないほうがいいというのは甲冑マニアのひとから
聞いた話で自分もいちいち確認まではしてませんが
戦国の甲冑や物品が残らないのは戦闘で使うものだから損傷
したりすることが多いからで、それはもっともなことだと
思いますが。献上品とか褒美で得た品とかは所有者も使わずに
大事に保管するから残りやすいんじゃないですか
上杉神社というのは、どういう神社か分からないですが
ほんとうに越後長尾氏かんけいの神社なら本物かもしれません。
といっても鑑定ってなかなか困難なんじゃないですか



#7716 
景虎 2007/07/20 08:28
謙さん

>elevaterさん
>旗とかが残ってないそうです。
という事は、上杉神社にあるという毘の旗は後世に作られた物なのでしょうか?

>甲冑を作ったら一番、売れて甲冑づくりが産業になった時代は江戸が一番だった
う〜ん、どう何でしょうか?
私は甲冑は詳しくないので、正確には分かりませんが、江戸時代にそれほど需要があったとも思えないんですよねえ。
甲冑より需要が高かったと思われる刀でさえ、江戸初期と末期を除いては、刀工が失業したといいますからね。

美術品としての刀が江戸中期には作られていますが、刀工達の生活を支えきれるものではなく、野鍛冶(鎌などの道具を製作する鍛冶)に転向した人が結構いたそうです。
大名、豪商などがインテリア、美術品として甲冑を欲したとしても、大した需要にはならないのではないかと。

江戸時代の有名な刀工である虎鉄は、甲冑師出身なんですよね。
刀鍛冶になったのは、恐らく甲冑の需要が刀よりも低かったからでは?という気がします。

意外と江戸時代にも甲冑が作られていたのは間違いないと思いますが、それほど多くはなかったように思えます。



#7715 
徹夜城(史点ネタを急遽変更して書いている管理人) 2007/07/19 21:05
謙信といえば

上杉謙信と毘沙門天の話題が出ておりますが、このたびの中越沖地震で空き家を狙った火事場ドロボウの跳梁(残念ながらこの手の災害では必ずこういう輩が出現します)を防ぐため、新潟県警と埼玉県警が協力してパトロールしていることが報じられてます。その名前が「毘沙門隊」なんですよ(笑)。もちろん謙信にちなんだものです。
新潟県が生んだもう一人のスター(?)である田中角栄の墓も倒れちゃったそうですな。

>孟きょうさん
 僕もその「義満没後600周年」のポスター見ました。しかしそれで五台や禅というのもコジツケっぽいですなぁ。
 こういう「○○周年」という節目を狙って関連する歴史モノ映画やドラマがよく作られるもんなんですが、義満がらみではまるっきりありませんねぇ…(涙)。
 禅といえば、先日日中共同制作であの「道元」の映画が製作されるという報道がありました。



#7714 
孟きょう 2007/07/19 13:33



 >上杉謙信・・懐かしいなぁ・・。私も幼少の頃はメチャ大好きでしたよ。手取川の戦いの虚実は詳しい方々が沢山いらっしゃると思うのですが、とにかく、洋の東西を問わず、勝ち逃げ気味でいい感じのタイミングで天に召される、というのは結構良い事なのではと思うのですよ。気まぐれすぎる動乱の世界において英雄になれるし、後世の名声を得られるし、兵法まで後世つくられるし、幸せな事かと。なかなか自分で選べるものじゃないけど、人生でタイミングって大事なんだなぁと思いました。



#7713 
elevater 2007/07/19 13:31
蛇足

長尾景虎公が毘沙門天を旗印に掲げているのが時代劇では定番になっていますが
ほんとうなのかどうかは不明なようですね、旗とかが残ってないそうです。
戦国時代の甲冑とかは、ほとんど現存してないそうで、たまに「〜公所用・鎧」と銘
うってあるものは大体、江戸時代に復元したもの、現存する甲冑の大部分は
江戸時代製で甲冑を作ったら一番、売れて甲冑づくりが産業になった時代は
江戸が一番だった、ということです、江戸時代は合戦がなかったのに甲冑が
売れた、というのも妙ですが、インテリア、美術工芸品として甲冑が
同時代、高評価されていた、ということでしょうか。
蛇足が過ぎましたが、上杉謙信、史実もかなりナルシストな人物で自分を
飾る甲冑も凝ったものがあったようですが殆ど現存してないみたいですね
言い伝えでは当人は飯綱権現を崇拝していて兜にも、その象徴をあしらった
ものを所用していた、とか



#7712 
elevater 2007/07/19 13:15
手取川の名は

くだんのNHKの番組は見てませんが
加賀金沢に手取川という川があります、ちょっと意味ありげな名前ですが
ようするに、織田の北陸遠征隊が加賀で越後勢に負けて逃げてきて
橋のない川を密集して手を取り合いながら渡河するも大勢、溺死したことが
相当な印象を残し、川の名前となったと地元ではいわれています。
川の名前にまでなっているようだし織田が上杉に1回、大敗したのは
本当だったみたいですね



#7711 
孟きょう 2007/07/19 13:07
そう言えば・・


 広告で「足利義満六百年御忌記念、京都五山、禅の文化展」東京国立博物館・平成館  と宣伝していましたが、そう言えば来年は源義満公没後6百周年になるんですねえ・・・合掌・・



#7710 
パパゲーノ川崎 2007/07/19 11:31
その時歴史は動いた

上杉謙信のお話でした、、、おおかっこいいではないですか。
信長軍にも勝っていたとは知りませんでした。
戦国ドラマで主役になることは少ないように思いますが、
なぜなのでしょう?
これを見てしまうと、ドラマ”武田信玄”のガクトは。。。汗)
顔も似ていないし。。。

ところで、謙信軍の旗”毘”という字、
確かイラク派遣の陸上自衛隊の装甲車に書かれていませんでしたか?
”義により活動します”と主張していたのでしょうか?
作戦における安全祈願という意味合いもありそうでしたが。





#7709 
徹夜城(史点と海上史事件簿執筆が遅々として進まない管理人) 2007/07/15 21:39
「婆娑羅太平記」読了

 先日来図書館から借りて読んでいた黒須紀一郎「婆娑羅太平記」全6巻をようやく読み終えました。南北朝マニアの僕として「よく書いたなぁ、これ」と感心しちゃう出来でした。少なくとも森村誠一氏の「太平記」よりは面白く読みました。
 先日も書きましたように、主役はあの真言立川流の文観。序盤は文観の少年時代から真言立川流および中世日本の「闇」部分に深く関わっていく展開がほとんどフィクションで描かれているんですが、これが読み応え十分。とくに性的パワーを呪詛に使う「邪教」とされる立川流をむしろ人間肯定、中世的自由の宗教ととらえて文観らの活動を正当化してみせたところは作者の力量を感じさせます。この文観の人脈に後醍醐天皇、楠木正成、佐々木道誉らを絡ませ、文観らの「闇社会」的集団(的確な表現が思いつかんなぁ)が鎌倉幕府体制を揺るがし、さらには建武政権をも揺るがし、そして室町幕府も揺るがしていく…といった構想なんですね。文観らが建武政権すらも否定する動きを見せる、というところもポイントだと思います。

 あと…ネタバレごめん、なのですが、「正成は湊川で死ななかった!?」説が採用されています。いや、正確にはボカしてあるんですけど、それをにおわせる記述になってるんですね。死なないでどうしたのかというと、表向きの世を捨ててその「闇社会」に入って暗躍をするわけなんですよ…古典「太平記」で大森彦七のところに正成の亡霊が現れたり、怨霊たちが観応の擾乱の原因をつくったりする展開を覚えている人には「ニヤリ」としてしまう隠し味があります。
 これ、実はヒントになった本があるんですよね。僕も先日立ち読みしてまして、ここにもチラッと報告を書いたような。読み進むうちに「これはあの本の説では…」と思っていたら、巻末参考文献にちゃんと載ってました。
 まぁ正成が湊川で死ななかったとは僕は思いませんが、あの正成がなぜ湊川でほとんど無駄死にの散華するのか、説明しきることは難しいのですよね。その意味ではこの本はウルトラCでそれをクリアしてしまった形です。

 著者は相当に南北朝関連本を読み漁ったと見えて、歴史考証は精密を極めてます。その一方で遊ぶところは遊んでいるので小説としても面白い。後醍醐はけっこうワル、尊氏はソーウツ質、義貞はやっぱり低評価、というところでした。
 ただ難を言えば文観がしだいに地位を高め、後醍醐の腹心となるあたりまで、つまりフィクション部分がやたらに面白い割に、元弘の変以降は史実を追いかけるのに精一杯になってきて、建武政権崩壊以後は歴史概説本を読まされてるような内容になってしまうところでしょうか。南北朝マニアとしてはそういうところも面白く読めるんですけど…どうも吉川英治以来、湊川以降を描くのは作家にとって鬼門のような。


>景虎さん
 どうも〜告知もせずにこっそり更新するスタイルを最近はとってます(笑)。今も次の「史点」を書いてるんですが、順調に遅れています(笑)。
 宮沢元首相といえば、いしいひさいち氏のニュース漫画「PNN」(朝日新聞有料サイトのクラブA&Aで連載、一部単行本化)でゲスト解説者としてしばしば登場しています。亡くなってどうするのかな〜と思ったら、

「宮沢さん、宮沢さんがお亡くなりですが」「まぁ私には関係ないことですなぁ」
「宮沢さん、お亡くなりになったばかりですいません」「まぁたいした予定はございませんから」

 といったやりとりをしつつ「出演」を続けています(笑)。台詞だけじゃニュアンスが伝わりづらいですが。


>阿祥さん
 いえいえ、これは全く知りませんでした。ご紹介ありがとうございます。
 論文いっぱい載せてますなぁ…こっちも載せようと思えばいくつかストックがありますが、いまは「海上史事件簿」を早く完成させようと思っております。何年かぶりで書く気がわいてきた今を逃さないようにしないと(笑)



#7708 
阿祥 2007/07/15 03:42
海上交易の世界と歴史

徹夜城さんもカバーされているかもしれませんが、面白いHPでしたので、報告しておきます。かなり専門の研究者のもののようです。

http://www31.ocn.ne.jp/~ysino/index.html



#7707 
elevater 2007/07/12 18:39
あたま撃たれたらおしまい

>防弾
拳銃弾でも防弾衣を貫通する場合が、西側の拳銃弾は38口径か45口径が
主流なのですが共産同盟諸国で使われていた7.62ミリ拳銃弾は貫通性が
強く、日本で多く流れているトカレフピストルが同弾を発射するもので
防弾衣を着用していた警官が同拳銃弾を防弾面に撃たれて殉職した例が何件かあります
それでもいまなお鎧を警官が付けるのは防刃のためというのもあるかも
や−さん、はドスを使うとき肋骨の隙間を狙って突いて内蔵をえぐってくる
そうですから、そのような攻撃は従来の防弾衣でも防げるかも
といっても国際的には刃物は、まず首を狙って頸動脈を断つのが初動といいますから
この物騒な世の中もはや警官は非常に危険な仕事ですね




#7706 
景虎 2007/07/12 08:27
ヨーダのよーだ

いつの間にか史点が更新されていますね。頻繁にチェックせねば。

今回の史点では、やっぱり宮沢さんが印象的ですね。
宮沢さんは、ヨーダのコスプレしてアメリカを訪問すれば受けるのでは?等と考えていましたが、ついに亡くなられてしまいましたか。

>天軍さん
私が知る限りでは、七ツ胴ですね。
まあ、この場合は試斬専用の柄や鍔をつけて斬ったようですが。

>モーグリさん
あ、それは大丈夫です。
防弾チョッキの話ではないので、詳しい書き込みは必要なかろうと判断し、ああいう書き方をしました。
そういう訳ですから、特殊な物を除いて小銃には対応していないし、弾が当たれば劣化することも、私自身は理解しています。

ただ、ああいう書き方だと、確かに誤解する人がいるかもしれませんね。
まあ、そこはモーグリさんが補足してくださったので、大丈夫でしょう。



#7705 
徹夜城(このところよくDVDを借りてくる管理人) 2007/07/10 22:34
三巨頭鼎談

 先日もここで書いた中国ドラマ「孫子(原題「孫武」)」をラストまで見終えました。つくりは全体的に安っぽいのですが、よく知られたエピソードが多いので知ってる人はそこそこ楽しめるかと。それにしてもこの日本版DVDは各巻のサブタイトルに「統率の全貌」とか内容とはまるで無関係なものをつけたのはビジネスマンに買わせようという腹だったのか?
 これ、どうやら「三国演義」の出演者・演出家が製作プロダクションを作って広東電視台との共同制作という形でやったものみたいですね。以前書いたように「三国演義」で劉備役だった孫彦軍が主役・孫武を演じて演出・製作も担当しています。関羽役も張飛役もメインキャストで出てくる。そして諸葛孔明を演じた唐国強も…と思っていたら、こちらはあくまでスタッフとしての参加だったようです。
 中国歴史ドラマではありがちな創作部分もかなりありましたが、ビックリしたのが「老子・孔子・孫子」の「三巨頭鼎談」が実現するシーンがあったこと。孔子と孫武の生きた時代がかぶるのは確からしいのですし、孔子が老子に教えを求めたという道家側の「伝説」もあるので、まぁ…なんとかありえなくもない…かなぁ?(笑)

 引っ越したことでBSデジタルが見られるようになったんですが、時間埋めにちょうどいいのか、中国・韓国の歴史ドラマをずいぶんやってますねぇ。中国ものでは「大漢風」(項羽と劉邦の話)「末代皇帝」(もちろん溥儀)、韓国ものでは「朱蒙」など、一応録画してチビチビ見てますが、なかなか追いつかない(汗)。



#7704 
elevater 2007/07/09 20:57
発明者いまだ健在

読売新聞だったかでのっていましたがAK47自動小銃が世に出て
今年で60周年なんだそうで、その記念?式典なるものがロシアで
おこなわれ露・現大統領が「ロシアの偉大なる発明」とブラックな
賛辞をいったとか(笑
で、なんと発明者カラシニコフ氏も式に出席してたそうで
(まだ生存してるとは!)
氏のいいぶんでは、自分は世界一の死の商人になるためにああゆう
ものを発明したわけではなくドイツとの戦争で必要にかられて
作ったのだと。それがいまや世界で一番、普及した凶器の
ひとつとなってしまったのには我ながら困惑していると




#7703 
モーグリ 2007/07/09 20:18
ボディーアーマー

>そういえば防弾チョッキの場合でも、銃弾は防げても衝撃で骨折する事があると言いますね。
それは「防弾チョッキ」という訳語から来る誤解だと思います。英語では「ボディーアーマー」です。

最近の兵隊が防弾チョッキを着用するのは主に砲弾や爆弾の破片から胴体を守るためです。現代戦では砲撃や爆撃の死傷率が高いため、今後こうした装備は必需品になると思われます。
ちなみに防弾チョッキで防げるのは拳銃弾までで、小銃弾を食らったら貫通します。拳銃弾もあくまで「貫通しない」だけで、運動エネルギーは襲ってきますから骨折や最悪の場合内臓破裂に陥る危険性があります。

映画みたいに拳銃の銃弾を何発浴びても大丈夫なわけではないので誤解しないで下さい。

漫画「寄生獣」では寄生獣VS自衛隊の戦闘で自衛隊員が防弾チョッキを着用して寄生獣を次々と倒していく場面がありました。防弾チョッキのおかげで敵の散弾攻撃を受けても即死せずに重傷で助かっていました。



#7702 
天軍 2007/07/08 21:37
間違えました…

>景虎さん

う…間違えました。はい、東北ですね。南部藩は。

ちなみに「分厚くて柔らかい衝撃を吸収する構造」の防具?としてキックミット(厚さ20センチ強)などがありますが… 昔の試し切りの記録によれば最高で四つ胴までいったそうですからね。しかも良い刀だと生鉄なんかもザクザク切れたとか。フォームの違いを考慮しても持ちませんね。訓練を積んだ人間の斬撃に対しては。下手するとキックミットごと真っ二つにされそうです…



#7701 
景虎 2007/07/08 07:35
気が付いたら七夕終わってた・・・

>徹夜城さん
刀鍛冶の地位も時代によって変わっていますから一概にはいえませんが、基本的には外国よりも高かったのでしょう。刀鍛冶が「河内守」等と名乗ってますから。

土佐山内家では、幕府からの名刀提出命令に対して「そんな刀はありません」と嘘をついたとか。その後、名刀を守るためだけに新たな建物を建設して、常に兵士に警護させたそうです。
その名刀は「一国兼光」と呼ばれていますが、土佐一国に匹敵する名刀という意味だそうです。

まあ、土佐一国は大げさかもしれませんが、そう呼ばれるという事は、それだけ刀の価値が高かったのでしょうね。

>天軍さん
そういえば防弾チョッキの場合でも、銃弾は防げても衝撃で骨折する事があると言いますね。万能の武器がないように、万能の防具もまた存在しないという事なのでしょう。

ところで、私の記憶が確かなら、南部藩は九州ではなく東北ではないですか?



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