李光頭(りこうとう)
嘉靖期の海商。福建の出身。「光頭」は「はげ頭」を意味するあだ名で、「李七」の名も残されている。嘉靖10年代から南海方面への密貿易に従事していたと思われ、やがて徽州人の許棟と結びついた。一時許棟とともに福州の獄に捕らわれたが嘉靖18年(1539)に脱獄している。
その直後に同じ福建人の金子老の部下となり、浙江海上の密貿易基地・双嶼港に入った。嘉靖21年(1542)に金子老が引退して福建に帰ると、その船団を引き継ぎ、翌22年には許棟の船団と合流した。この間に双嶼港では権力闘争があったことがうかがわれるが、その中で李光頭は許棟とともに闘争に勝ち抜き、双嶼港の支配者となった。
その後の彼の行動は定かではない。双嶼港の代表者としては許棟の名が挙がるばかりである。嘉靖27年(1548)の朱ガン[糸丸]による官軍の双嶼港攻撃の際に李光頭は逮捕され、やがて処刑された。
主な資料
鄭若曽「籌海図編」
鄭舜功「日本一鑑」
「明史」朱ガン伝、日本伝
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