助才門(すけざいもん)
博多の商人。鄭舜功の「日本一鑑」の記すところによると、嘉靖24年(1545)に王直が日本に渡航して明に戻る際、同行して双嶼港に入った。彼との結びつきによって王直は五島・平戸・博多・大内という交易ルートと深い関係を持つことになったと思われる。しかし実のところこれ以上のことは何も分からない。

 このとき双嶼に来た博多商人について「日本一鑑」は「博多津倭助才門等三人」と記しており、日本の研究者が「倭助」「才門」、中国の研究者が「博多津」「倭助」「才門」の三人と解釈したこともあるが、ストレートに「博多の港の倭の助才門」と読むべきだろう。「助才門」は「助左衛門(すけざえもん)」のことだと思われるが、鄭舜功がわざわざこう表記していることから本人も自分の名を「助才門」と書いていたのかもしれない。また「日本一鑑」には「種子島の助才門こと助五郎」という人物も登場しており、「助才門」というのは屋号か商人グループ名の様なものであったのかもしれない(実際秀吉時代の伝説的豪商「呂宋助左衛門」との関係を疑った人もいる)。

なお、香港映画の名匠キン・フー監督の倭寇映画「忠烈図」(主役は兪大猷許棟も登場!)にはサモハン=キンポー演じる「博多津」とユン=ピョウ演じる「倭助」が登場しており必見である(笑)。

主な資料
鄭舜功「日本一鑑」

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