蕭顕(しょうけん)
いわゆる「嘉靖大倭寇」の先陣を切った賊首。出身地その他詳しいことは一切不明であるが、その印象的な活動で各資料に名をとどめている。

彼の名が初めて登場するのは嘉靖32年のことである。この年、王直兪大猷ら率いる官軍に本拠地・烈港を攻撃され日本へと逃亡している。蕭顕はこれと入れ替わるように出現し、長江南岸の各地を襲っている。このため王直と何らかの関わりを持つ人間だったことは予想される。史料「籌海図編」には「善戦多謀で、王直もまたはばかって彼に譲るところがあった」と記されており、王直にとって”危険な配下”とも言える存在だったと考えられる。

嘉靖32年に江南各地を数十人程度の人数で暴れ回った蕭顕らは、その年の夏には長江河口の「南沙(現在の崇明島の一部。当時はまだ浅瀬に近い陸地であった)」に上陸、ここで官軍の包囲を受けながら抵抗を続けた。翌33年正月に正月気分で気の抜けた官軍の隙をついて脱出、今度は地元の無頼・山賊とも合流して江南各地を荒らし回った。三月に海塩で廬ドウ・任環らに敗北し、最終的に杭州湾を越えて慈谿まで移動し、ここで官軍に滅ぼされた。

主な資料
「嘉靖東南平倭通録」
采九徳「倭変事略」
鄭若曽「籌海図編」
鄭舜功「日本一鑑」

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