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◆今週の記事

◆ロマンシング佐賀

 佐賀県にある「吉野ヶ里遺跡」は、弥生時代後期の大規模な環濠集落遺跡として有名だ。だがあれが大騒ぎされ、教科書にも定番で載るようになったのは1990年代以降のことで、それまでは弥生時代というと静岡県の登呂遺跡が教科書の定番だったものだ。
 登呂遺跡が注目を集めたのは敗戦から間もなくのことで、「平和的な農村」イメージは人々に受け入れられたところもあったんじゃないか、という意見を恩師から聞いたことがある。それに比べて吉野ヶ里遺跡は環濠とか物見やぐらとか、明らかに防衛用の構造物があり、戦争による傷を負った埋葬者が見つかるなど、「戦争の時代」を強くうかがわせる発見があり、これが冷戦終結後の先行きの見えない世界情勢とリンクして関心を呼んだ部分もあったのかもしれない。

 吉野ヶ里遺跡が特に注目を詰めたのは、これが例の「邪馬台国論争」と関わるとみられたからだ。
 邪馬台国の時代は西暦の三世紀。当時の日本、すなわち「倭国」は多くの小国に分かれて「大乱」の状態にあって、巫女である卑弥呼を女王に立てることで平和になった、と「魏志」東夷伝に記されている。吉野ヶ里はその「倭国大乱」の時代にピッタリな設備をもち、なおかつ発見時において最大規模の集落であったことから、こここそが「邪馬台国」なのではないか、と騒がれたのだ。
 ご存じのように邪馬台国の位置については古くから論争があり、アカデミズムj界隈では主に「北九州説」と「畿内説」の二つが議論されてきた。吉野ヶ里の発見は「北九州説」に大きく傾く形勢をもたらしたが、その後奈良県の纏向遺跡の発見により、また「畿内説」が盛り返し、現在まで「畿内説」にかなり傾いているかなぁ、という印象だ。両者をミックスした「東遷説」というのもあって、「神武東征」の建国神話はそれを背景にしているのでは、とする意見もあるが、まぁ要するに決定的証拠はない。


 さて吉野ヶ里遺跡がこの6月にわかに注目を集めることになった。未発見・未盗掘の「石棺墓」の発掘調査が行われたからだ。
 吉野ヶ里でまだ未発掘の墓なんてあったのか、と思ったら、これまで神社があるために発掘調査ができなかったエリアがあり、その神社が移転してくれたためにようやく掘り返すことができたのだという。この場所は周囲より高くて見晴らしもよく、ここに大きめの石で覆われた石棺墓が見つかったため、「もしかすると有力者の墓では」とのっ期待がわきおこったわけだ。有力者となると、やっぱり「もしかして卑弥呼の…」という声が出てしまうのは、まぁ無理もないところ。

 見つかった石棺墓の大きさは縦1.7m、横3.2m。それは上にかぶせてある石の蓋の大きさで、その石の蓋を取り除いてみると、180cm×36cmの石棺が姿を現した。死者を収めるサイズとしては小ぶりで、特に男性では肩幅が入らないので、被葬者は女性では?…と、何やら卑弥呼に引っ張れそうな話も出た。石棺の内側は赤い顔料が確認され、これもまた「シャーマニズムと関係するか」と卑弥呼へ卑弥呼へと引っ張る話になった。
 しかし石棺の中は土砂で完全に埋まっていた。大きな石の蓋でおおっていても隙間というのはどうしてもあるし、1800年もの年月をかけて内部は土砂で埋め尽くされてしまったわけだ。あとからどこかの記事で専門家が言ってたのを見つけたのだが、予想以上に土砂に埋もれているために人骨はおそらく溶けてしまっているだろう(日本の土壌は酸性が強いとかで、条件がよくないと人骨は溶けてしまう。旧石器時代の人骨が見つからないのもこのせい)との予測はあった。あとは副葬品に注目、というわけだ。それこそ「親魏倭王」の金印が出たりしないか…なんて。
 
 それから数日、続報のないままじわじわと石棺内の発掘が進められたが、結局人骨はおろか副葬品も見つからないまま、石棺の底まで到達、騒がれた割に拍子抜けな感の発掘終了となった。
 人骨の件は予想されてはいたが、何やら有力者の墓っぽい規模にして副葬品ゼロというのは…。またどなたか専門家は被葬者が女性のシャーマンか何かなので衣服類など残らないものだけが墓に収められていたんじゃないか、とまた卑弥呼に話を持っていこうとするコメントをしていたが、一方で別の専門家からは「そもそもこの規模の石棺墓は周辺でよくあって、有力者といっても現在の地方議員レベルかも」なんて発言もあった。もちろん石棺墓自体の考古学的価値はそれなりにあるんだけど、邪馬台国だ卑弥呼だといった話に直接的には結びつかなそうだ。一部に「青銅製の複製品も土に埋まって溶けたのでは」とコメントした人がいたようだが、それはさすがにどうなのかな。



◆お墓の事情jいまむかし

 続いても日本のお墓の話。

 日本で一番デカい墓といえば、大阪府堺市にある「大山(だいせん)古墳」(大仙とも)。宮内庁が仁徳天皇の陵墓に指定しているため「仁徳陵古墳」という呼称が長らく使われ、そっちのほうになじみのある人も多いが、ここ20年ばかり教科書では「大山古墳」と呼ぶのが定着している。まぁ誰の墓だか実のところはっきりしないわけで。仁徳天皇というのは古事記・日本書紀に伝わるところによると民の苦しみを思って税を一時停止したとの逸話があるため「仁徳」と後世贈り名されたんもだが、大山古墳が彼の墓だとするとかなり民に迷惑かけたんじゃないかという気もする。まぁ仁徳天皇って女性がらみでいろいろひどいというか、面白逸話もいろいろある人でもあるし。

 ちょうど現在「インディ・ジョーンズ」の最新作でたぶん最終作が公開されてるが、あのシリーズ二作目って企画段階では日本が舞台になる予定もあって、大山古墳でロケしようとまでしていたが宮内庁の許可が下りず断念した…という、「噂」が存在する。それが事実かどうかはともかく、日本の宮内庁が天皇陵のロケなんて認めるはずはないだろう。なんせ考古学的な調査すらほとんど行わせてないのだから。

 そんな宮内庁だが、実は最近、彼らが「仁徳天皇陵」として管理する大山古墳の新たな測量作業を行い、建造当時の大きさを推定していたことが先月末に明らかになった。実におよそ100年ぶりの測量だったというから、大正時代に一度やったことがあるということだ。
 大山古墳も長い年月のうちにあちこち崩壊が起きているし、豊臣秀吉が狩猟を行っていたり、江戸時代に外堀部分が埋め立てられ農地にされもいる。だいたい江戸中期に後円部の石室が露出していてとくに盗掘済みだったとの記録もあり、国家による管理保護が始まった明治初期にも前方部で崩落が起きて石室がむき出しになっている。教科書に載ってる航空写真だと綺麗な前方後方の形になっているが、実のところあっちゃこっちゃガタガタなのだ。

 宮内庁は2021年度に地上レーザー測量を行って古墳全体の高精度なデータを収集し新たな測量図を作成した。それをもとに建造当時の各部のサイズを推定するという作業をしたそうなのだが、そこで考慮されたのが当時の「ものさし」である、「南朝尺」であった、というのが興味深い。
 南朝といってももちろん日本の南朝ではなく、中国の南朝である。当時の中国は漢族中心の南朝と、北方民族の国家が興亡した北朝とに分かれていて、当時の「倭国
」の王たちは南朝を正統と考えたのか、こちらと交渉した。いわゆる「倭の五王」のうち「倭王・讃」は仁徳天皇とする説が有力で(彼の名が「オオササギ」であることも根拠とされる)、そりゃ大王様のお墓の建造に当時の国際基準である「南朝尺」を用いるのが当然なのだ。

 南朝尺における一尺はおよそ24.5cm。測量データをもとにこの南朝尺を考慮して建造当時のサイズを推定計算したところ、大山古墳の墳丘部の縦の長さは従来言われていた486mより少し長い、513.3mという結果が出たという。27mほど大きかった、というか建造当時から27mほど縮んでいる、というわけだ。当時古墳に並べられていて、これまでに見つかっている埴輪の位置情報も参考にした、という話も面白い。
 ただし、宮内庁はこの結果について「あくまで推定」であって、発掘などで確認したものではないという姿勢で、これまでの公式サイズを変える気はないんだそうな・


 前方後円墳つながりでは、こんな話題も。
 福岡県新宮町に「新宮霊園」なるところがあり、これが「前方後円墳型墓地」であることが少し前から話題になっていた。全長53mと大山古墳のおよそ10分の1だが、デカいといえばデカい。写真で見ると前方部がかなり長いスタイルで、これは最大3100人を納骨できる「集合墓地」であるためだ。最初にこの話を聞いた時は、どっちかというと「殉葬墓」のイメージをもってしまったものだ(笑)。前方部と後円部とで値段が違うとかそういうことはあるんだろうか。
 昨年から受付を開始、第一期の1200人分に対し、すでに900人ほどの申し込みがあり、なかなかの人気とか。もっとも「前方後円墳」という形にひかれただけでなく、最初に管理費用を払えばあとは子孫が管理する必要のない「永久墓」であるところが今どきのお墓事情から人気の理由になってるようである。21世の巨大墓は今後もこの調子で作られて「古墳時代」になったりするんだろうか。

 そこまで書いてふと思った。先日の吉野ヶ里遺跡の「カラの石棺墓」、もしかして買い手がつかなかった分譲墓地だったりして…待てよ、あの石棺の蓋になっていた岩には「×」の線刻があって、「死者のよみがえりを恐れてでは」なんて意見が出てたけど、あれは「売れなかった」というバツ印だったりして。



◆底に船があるから

 1912年に沈没し、1997年公開の映画の世界的大ヒットでも知られる客船「タイタニック」。海底に眠るその残骸を見に行くツアー(一人3000万円とか)に利用された潜水艇「タイタン」が通信途絶、消息不明になるという事故が6月18日に起こった。搭載されている酸素が96時間ぶんだとかで懸命の捜索が行われ、一時は水中から何か叩くような音がするという話が出て、もしやと希望的観測も出たのだけど、結局は海底で残骸が発見され、通信途絶とほぼ同時に潜水艇の圧壊音と思われる音もキャッチされていたことが分かり、乗員五人全員の死亡が断定された。「タイタニック」のジェームズ=キャメロン監督もこの潜水艇のことは知っていて、その構造に疑問を持っていたこと、ツアーに誘われたけど「アバター2」で忙しかったので断ったこと、今度の事故について自身で集めた情報から早くに「圧壊」と考えていて、マスコミが酸素だ音だと騒いでいたのを批判的に見ていたことなどを語っていた。事前に警告があったのに、商売優先で惨事になったという点でタイタニック号と通じると、なんか因果めいたことも言っていた。
 因果といえば、このツアーをやってる会社のCEOで、潜水艇を操縦していた人物の妻がタイタニック事故犠牲者の子孫だった、なんて話もあった。また日本限定の話だが、事故が全員死亡と確定した直後に映画「タイタニック」が放映される(一応TV局ではいくらか検討もしたようだが予定通り放映と発表した)という凄い偶然もあった。

 タイタニックの沈没は111年前のことで、さすがに当時の乗客は全員故人となっている。調べてみたら2009年に最期の生存者が亡くなっていて、この人は事故当時まだ生後9週間だったとのこと。映画「タイタニック」が公開された当時はまだそこそこ生存者がいて、ヒロインが101歳で登場するのはなんとか押し切れる設定ではあったのだ。あの映画からすでに四半世紀が過ぎているというのも驚くが(思えばこのサイトを始めた年でもあるな)、あの映画でその101歳のローズを演じたグロリア=スチュアートさんも100歳まで生きて2010年に亡くなっている。この方、1910年生まれだから、タイタニック沈没時にはもう生まれていたんだよね。


 映画「タイタニック」は、とレジャーハンターたちによるタイタニック残骸探索から話が始まり、沈没のドラマを聞くうちにとレジャーハンターたちも自分たちの行動が犠牲者たちへの冒涜ではないか、と反省する流れになっている。これは実際に潜水艇でタイタニック残骸を見に行ったキャメロン監督の体験も反映されているという。タイタニックに限らず、世界中の沈没船についてはこの手の話がつきまとっていて、実際、太平洋戦争時に撃沈されたイギリス軍艦の残骸から「資源」を採掘してる連中がいる、という話は前にも取り上げたことがある。その続報のようなものが、ちょっと前の話だが、5月中に流れていた。

 5月末に、マレーシア当局は同国の経済水域内を違法に航行していた中国船籍の貨物船を拿捕、船内から古い鋼鉄や砲弾が発見されたため、中国人・バングラディシュ人の乗組員らを拘束した。その近くの海域は太平洋戦争勃発直後、1941年12月10日の「マレー沖海戦」で日本軍に撃沈された戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」などの残骸が沈んでいて、かねてより「鋼鉄泥棒」が活動していると言われてきた。
 イギリスでは撃沈された戦艦をそのまま戦死者たちの集団墓地として扱うことになっていて、今回の報道を受けてイギリス国防省は「戦死者に対する冒涜行為」と避難する声明を出している。

 まぁ墓荒らしは確かによくないのだが、巨大な鉄クズを「人工資源」とみなして利益を得ようとする輩は出てくるだものだろう(連想だが「風の谷のナウシカ」漫画版でもかつての宇宙船が鉱山化してる描写があった)。戦艦に使ってるくらいだからすでに上等加工済みの鋼鉄がとれる、というだけでなく、核実験が行われる以前の鋼鉄は放射性物質に汚染されていないため科学機器に需要がある、という報道も見かけた(ビンテージもののワインも放射性物質の有無で核実験以前のものかどうか判定するんだそうな)。今回拿捕された船には鋼鉄だけでなく不発弾も積まれていて、こちらは実用方面ではなく「戦争遺物」として転売する気だったんじゃないかとのこと。
 2017年にもインドネシアの海に沈んでいたオランダやイギリスの軍艦の残骸が「消失」するなんてこともあったそうで、まぁとにかく、人間の欲望も底が知れない、ということで。なんか今回は「墓」の話ばっかりだな。



◆おそろしや国酔夢譚

 ロシアのウクライナ侵攻開始からすでに500日が過ぎた。当初のロシア軍によるウクライナ全土一挙制圧な勢いはさすがになく、ロシアが一方的に自国領に編入した東部・南部をめぐってウクライナ側が「反転攻勢」に出つつもロシア側も「守り」に徹して頑強に抵抗、一進一退の激戦が続いている、というのが現状。またそれだけになかなか終結の兆しは見えてこない。
 それでもロシアではいろいろうまくいってないような…と思わせるニュースがここ最近いくつかあった。それも21世紀の現代で聞く話とは思えないようなもので。

  
 5月半ばに、ロシア正教会のトップであるモスクワ大主教が、モスクワ市内のトレチャコフ美術館に保管されている15世紀の傑作イコン「聖三位一体」を、ロシア正教会総本山でありクレムリンの近くにある「救世主ハリストス大聖堂」に移転させる、と発表した。この突然の決定はプーチン大統領によるもので、保管・保存上問題があるとして反対する一部美術専門家や正教会関係者の強い反対も押し切って移転は強行され、6月4日から同寺院内で一般公開が始まっている。直後に反対した司祭だったかが突然倒れたりしたので、また一服盛られたかとか言われていたな(後で出てくるベラルーシ大統領も同時期に突然倒れて同様の噂がたった)

 いちいち説明するのも…と思いつつ書くが、「イコン」というのは東方正教会で発達した、主にマリアイエスを描いた「聖人肖像画」のことで、英語読みは「アイコン」。なぜかパソコン等おなじみの小さな画像の意味で使われている。
 今回移転が強行された「聖三位一体」(「至尊三者」とも)は、旧約聖書でアブラハムのもとを訪れたとされる三人の天使を描いたもので、作者はアンドレイ=ルブリョフ。14世紀から15世紀、日本でいえば室町時代を生きた修道士で、ロシア史上最重要な画家の一人だ。僕はこの人の名前を、アンドレイ=タルコフスキー監督のソ連映画『アンドレイ・ルブリョフ』で初めて知ったが、。その映画を見たのは黒澤明監督が選んだ世界の100本の中にこれが入っていたから。タルコフスキーといえば『惑星ソラリス』はかなり面白く見たのだが、『ルブリョフ』の方は…ロシア人にはなじみの人なのかもしれないが、こっちは全然知らない上に抽象的な描写が多くて、しかも長く、白状すると途中で意識混濁に陥り(笑)、いまだにどういう映画だったかよく覚えていない。そのため今のところ「歴史映像名画座」から外したまんまなのだ。

 ま、とにかくそのルブリョフの手になるとされる、まさにロシアにとって国宝ともいえる名イコンであり、その歴史を調べてみるとイワン雷帝やらボリス=ゴドゥノフといったロシア史上の有名人たちがこのイコンに豪華な装飾をあしらってきた。長らく至尊三者聖セルギイ大修道院で保管されてきたが、ソ連成立後の1929年からトレチャコフ美術館で保管されるようになった(レプリカが作られ、そっちが元の修道院にある)。それから94年目になって突然の強制移転が実行されたわけだ。
 突然の移転、それも大統領命令による強行までやった理由は判然としていない。ロシア国宝級の名品をロシア正教総本山におさめることで国民に民族意識を刺激しようとか、それとつなげて戦意高揚を狙ってるとか言われているが、戦争の成り行きがうまくいってないので「神頼み」に走ったのでは、との見方まで出ている。「聖三位一体」については補修作業などをしたうえで修道院のほうに戻すという話も出ているが、話が錯綜してもいるようで、イコンが今後どう保管されるのか懸念もある。それこそ遺恨にならなきゃいいんだが。


 ロシア関係では、先月の「ワグネルの乱」あるいは「ブリコジンの乱」が全世界の注目を浴びた。そしてなんだか釈然としないあっけない終わり方をしている。なんというか、これもロシア的と言っていいのか…今度のロシアによるウクライナ侵攻を日中戦争と似てると僕も含めて多くの人が言ってるのだが、今度の事件についてはどう見ても当時の日本では似たものがない。しいて言えば二・二六事件が連想はされるけど、あれは日中戦争前だし「傭兵反乱」ってわけでもないからなぁ。

 ロシアの民間軍事会社のひとつ「ワグネル」の名前は、ここ半年くらいだろうか、たびたび聞いてはいた。「民間軍事会社」と呼ばれる現代版傭兵の存在はイラク戦争でも取りざたされていたが、「ワグネル」は今回のウクライナ侵攻だけでなくシリアやアフリカ諸国でも活動、創設者で今回の騒動の主役であるプリコジン氏はこのワグネルだけでなく様々な事業を手がけるやり手の事業家という面もある。今度の「反乱」の際に彼の自宅が捜索され財産が一時没収されたが、その金額は約100億ルーブル(約160億円)にものぼったとか。「反乱」収束後にそれは全額返還されたそうだけど。

 この「ワグネル」、ウクライナ東部の戦場でロシア正規軍を上回る「活躍」を見せていたが、ロシア軍の侵攻後は刑務所にいた囚人を大量に編入し、武器が少ないせいもあるのか、二人に一つの銃を持たせるような犠牲者続出の人海戦術で押し通すような戦いぶりとも報じられている。これ、第二次大戦期のソ連軍もやってたことで、ロシアの伝統だったりするんだろうか。ワグネルだけでなく多くの「民間軍事会社」が戦場で活動することで、正規軍の負担を軽くすると同時に国民の動員も減らして不満をそらす、という役割を担っているとも聞く。言ってみればブラック企業国家の非正規雇用軍隊,、使用者側にとっては便利な使い捨て装置でもあるのだろう。
 で、非正規であるだけに扱いもよくはない。少し前からこのワグネルがロシア正規軍と何かとモメている、という報道はよく流れていた。反乱後に聞いた話だが先述のような戦い方のせいで犠牲者も二万人以上とかなりのものだったらしい。正規軍より戦果をあげているのに手柄を正規軍に横取りされてるとか、武器・弾薬が十分い供給されていないとかいった不満が蓄積していたようだ。「反乱」の話が出てくる前からロシア正規軍から攻撃されてるとか同士討ちになってるといった話はチラホラあって、実際に「武装蜂起宣言」をして反乱を起こしたとき、驚きはもちろんあったけど、「あ、やっぱり」という受け止めもあった。

 プリコジン氏が「武装蜂起」を宣言してロシア南部の軍事拠点をあっさり占領、なんと「モスクワへの進軍」を開始したとき、世界が固唾をのんだ。この手の反乱かクーデターが起きてプーチン政権が倒れればそれが一番、という期待は以前からあり(そうでもないと停戦しそうにないもんね)、一時はこのままロシアは内戦突入か、それならそのドサクサに北方領土をなんていささか気の早い声をネット上で見かけもした。僕はといえばワグネル(ワグナー)だけに「ワルキューレの騎行」のBGMと共に戦闘ヘリ部隊がモスクワへ突入なんてイメージもわいたものだが、一晩明けたらワグネル部隊はモスクワへの進撃を中止、ベラルーシのルカシェンコ大統領の仲介で「反乱」は一日もしないうちにあっけなく終了していて拍子抜けもした。
 まぁそこまでの経緯を考えてみるとワグネルの連中もプーチン政権に反旗を翻すとか政権を奪取するまでの気もなかったろうし、そもそもさすがに不可能だった。結局のところ自分たちの不満をぶちまけてロシア軍と国防省に条件改善の闘争を仕掛けていた、とぴう話だったみたい。非正規雇用労働者が組合作って労働運動始めたようなものだったのかも。

 現時点でもあれこれ情報が錯綜しているが、ともかくプリコジン氏やワグネルメンバーたちに特におとがめなし、ワグネル自体は解散されて正規軍に編入されることになったみたい。この「反乱」に軍上層部の一部が関与していた疑いはあって、拘束されてる軍人などもいるようだが、今のところことが大きくなる様子はない。プリコジン氏はベラルーシにいったん「亡命」したらしいが、その後またロシア国内にいるという情報もあって、ほんとよくわからない。条件闘争だろうと一度は「武装蜂起」「モスクワ進撃」とまで言っちゃって少しは実行した人間や組織がそのまま無事でいるとは思ないんだけどな、普通。特に敵対勢力に不審死や急病が相次ぐプーチン政権下では。

 この「反乱」が尻すぼみになったころ、日本のツイッターのトレンドワードに「御所巻き」という言葉が出現して驚かされた。「御所巻き」とは、主に日本の南北朝から室町時代に出てくる歴史用語で、将軍の住む御所を不満を抱く諸大名が軍勢で包囲し、自分たちの要求を将軍に飲ませる圧力行為のこと。有名なところでは高師直らが足利尊氏直義兄弟を将軍邸に包囲して直義失脚となった例、足利義満を補佐する細川頼之の罷免を求めて反頼之派が将軍邸を包囲した例が知られる。こんなマニアックな用語がトレンドにのぼったのはワグネルの「反乱」が実質「御所巻き」くらいのものだったんじゃないの、とつぶやく声と賛同者が多かったからなのだろうが、えらく知的なトレンドワードであるな、と感心もした。
 もっとも結果からみると「御所巻き」ですらなかった感じで、僕などは「ワグネる」という固有動詞で表現するしかない行動だったんじゃないかと提唱してみた(笑)。

 今度の反乱自体は尻すぼみに終わったけれど、ロシア側の軍事事情がいろいろ変なことになってるんでは、とは思う。イコンの移転の件も含め、えらく前近代的なことをやってるような気もしちゃうのだが、まぁ人間何千年たってもやってることはあまり変わらない、ということなのか。


2023/7/7の記事

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