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2007年5月30日

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◆今週の記事

◆人魚姫の受難

 デンマークはコペンハーゲンの名物といえば「人魚姫像」。そのモデルとなったのは製作した彫刻家の妻エリーネ=エリクソンで、この人、実は昨年亡くなったスターリンそっくりさん俳優・岡田真澄の母親の姉妹、つまり「おばさん」であった、というのはとりあえず日本人だけに通用するトリビアだ。
 「人魚姫」はデンマークの作家アンデルセンが書いたあまりにも有名な童話だ。細かいところはともかくたいていの人が筋を知ってるんじゃないかと思われ、近代に書かれたにも関わらず、まるで大昔からある「おとぎ話」のように親しまれている。あまりにも悲劇的で救いのないお話なのであるが、これをアニメ映画化したディズニーはあっさりハッピーエンドに変更していた。アメリカ人は「フランダースの犬」さえもハッピーエンドに改竄するぐらいだからなぁ。近々「ハチ公物語」を「Hachiko A DogStory」のタイトルでハリウッド版リメイクが作られるそうだが、これもハッピーエンドに改竄されたりしないだろうか(笑)。

 話がそれた。
 さてこの有名な「人魚姫像」であるが、どういうわけか原作の話以上に悲劇に見舞われ続けた歴史がある。1960年代には頭部が切断されて持ち去られ、頭部だけ新たに作り直すはめになった。さらに1980年代には右腕が切断されて持ち去られたが、返却された。1990年にはまた頭部が切断されかけ、1998年にはまたまだ頭部が切断されて持ち去られ、およそ一ヵ月後に返却された(なんだか横溝正史とか、最近日本で起こった事件を連想させるなぁ)。2003年の9月11日(この日付に意味があるんだろうか…)には台座の岩がダイナマイトで爆破されるというとんでもないことも起こっている。人魚姫がどういう恨みを受けてこんな目にあい続けるのか分からないが、この人魚姫像が世界的に有名でありながら実際に訪れた人が拍子抜けする「世界三大がっかり」に数えられていることも一因だろうか。

 その人魚姫像がまたもや災難に見舞われた。去る5月20日、人魚姫像に全身を覆う黒い服がかけられ、頭部にスカーフが巻かれれいるのが発見されたのだ。この格好は明らかにイスラム教徒の女性の服装を揶揄したものと考えられる。もっとも現在のすべてのイスラム教徒女性がそうだというわけではなく、イランみたいに戒律の厳しい国の格好なのではあるが…
 実は同様のイタズラが2004年にもあり、その時にはトルコのEU加盟に反対する落書きもついていたという。今回も恐らくは同様の意図をもったイタズラと考えられ、先週話題にしたトルコにおけるイスラム政党と軍など世俗派のせめぎあいに刺激された可能性もある。

 いちおうEUというのは「ヨーロッパ連合」であって、キリスト教国の同盟ってわけでもない。しかしイスラム教国であるトルコが自らはヨーロッパであると主張し(確かに領土の10%はヨーロッパ)EU入りを熱望することに対しては、EU諸国からは表には出さないが本音のところ煙たがる空気があるのは否めない。元フランス大統領のジスカールデスタン氏が「トルコはヨーロッパじゃない」って言っちゃったこともあったしな。ともあれ、声が出せない人魚姫としてはいい迷惑である。

 一方の日本では鬼太郎や子泣きじじいの像が破壊される事件が起こっているが…



◆棺桶はとっくに閉じてるが

 その人物の評価は棺桶を閉じたときに決まる、と誰かが言ったらしいが、こと歴史上の有名人となるとアテにならない。
 つい先日、NHK衛星でフランスのTV局が製作した毛沢東の生涯を描くドキュメンタリー番組を放送していた。その誕生から革命運動、国民党の弾圧に対する抵抗と長征、そして中華人民共和国の成立。ここまでは大筋で下克上的英雄物語。しかしその後の大躍進運動の大失敗、文化大革命という被害甚大な過ち、と天下をとっちゃったあとの迷走&害毒っぷりも強烈に描かれていた。その最終回はほとんど毛沢東の死後に時間が割かれていたのだが、資本主義そのものともいえる状態で経済発展をする現代中国において毛沢東はその過ちは過ちとして確認しつつも中国共産党は今なお毛沢東を建国の父とあがめ、中国国民も「大国中国」のシンボルとしてマスコットとして毛沢東という存在を「再利用」」しているという複雑な状況が描かれた。資本主義化による格差と搾取が広がったとき、また「毛沢東」の名が革命のシンボルとして叫ばれるようになるかもしれない…そんな終わり方だった。
 
 さてそんなわけで今も毛沢東の顔は中国の顔として何かと目にする機会が多い。中国国民は紙幣で身近にお目にかかるのだろうが、外国人にとって一番目にする毛沢東像といえばやはり首都・北京の天安門広場に掲げられている大肖像画だ。北京からの報道、ことに権力と政治がらみの報道ではだいたいシンボリックに天安門広場が背景に使われるため、そこにデカデカと掲げられたあの肖像画をイヤでも目にすることになる。
 その毛沢東の大肖像画に火がつけられた―という穏やかならぬニュースが先ごろ流れた。その手のニュースにしてはちゃんと国営新華社通信が報じたのだが、5月12日の夕方に一人の男が発火物を毛沢東の大肖像画に投げつけて、その左下の一部を焦がした。現場は一時閉鎖され男も即座に逮捕されたが、新華社の報道によればこの放火犯はウルムチ出身の35歳の無職男性だという。当局の発表によればこの男性は去年ウルムチの精神科の病院で治療を受けたことがあったといい、今度の火付けも精神異常のなせる業と片付けているようだ。

 しかし…やはり「ウルムチ」ってところがひっかかる。ウルムチとは中国の西方・新彊ウイグル自治区の中心都市。ウイグル自治区といえばイスラム教徒のウイグル民族が多数派で1000万人の人口を抱え、清朝時代に中国に征服されて以来、何度となく反乱が起こり、今でも中国からの分離独立の動きがくすぶり続ける地域だ。もっとも清の時代以来、生粋のウイグル人よりもイスラム化した漢族住民のほうが分離独立に熱心という傾向もあるんだそうだが。
 中国政府もこの地域にはかなり警戒感を持っている。世界的には欧米がもてはやすこともあってチベットがクローズアップされやすいが、政治的・宗教的にもっと深刻な火種を抱えているのがこのウイグル地域だ。特にイスラム圏である中央アジアと隣接しているためイスラム原理主義の影響が及ぶ可能性もあるし、一方でエネルギー資源を中央アジアから獲得しようとしている中国にとっては絶対に手放せない地域でもある。そういうところの住人が毛沢東の肖像画に火を放った、というだけでかなり穏やかでないのは確かだ。中国当局としては政治的背景が実際にあったとしても無かったものとして発表するだろうけどね。
 毛沢東肖像画は過去にも何度か「受難」を経験しており、1989年、あの天安門事件の直前にペキンもといペンキを投げつけられたことある。これなどは明らかに政治的意図があった。1993年にもペンキを投げられているそうで…なんだか上の人魚姫の話題みたいになってきたな(笑)


 毛沢東の宿敵であったのが国民党政府の主席・蒋介石。彼についての評価も評する側の立場、そして時代とともに変化している。
 かつて冷戦華やかかりし頃は蒋介石は共産党に敗れて台湾に逃れたとはいえ「反共の闘志」として日本の保守系・右派系にはもてはやされていたものだ。僕の知る限り最大の蒋介石絶賛本は産経新聞に連載された「蒋介石秘録」だろう。まだ存命中に書かれたこともあり最終巻が「大陸反抗への道」だったりするし、南京事件の犠牲者数を世界最大規模で書いているのもこの本。産経新聞はその後も現代史人物の「秘録」シリーズを続けているが(現在は「トウ小平秘録」を連載中)、今となっては忘れたい過去だろう。もっとも台湾独立支持かと思うと妙に国民党寄りとしか思えない記事があるところは過去の関係がそうさせているのかもしれない。
 共産党が天下をとった現在の中国においては蒋介石は当然批判の対象ではある。ただしこれも時代とともに変化しており、毛沢東の絶賛度が下がるにつれ「中華民国」の代表、抗日戦争の指導者として再評価する動きもある。またその動きというのは台湾独立阻止の観点とも連動している。こういう話を書いていると、鄭成功の評価が中国では「台湾解放の英雄」であり台湾では「大陸反抗の英雄」と180度違ってたことを連想しちゃうな。

 ただもともと台湾に住んでいた人々にとっては、蒋介石とはいきなり大陸からやって来た独裁者であり弾圧者だった。これは台湾においてはほぼ確定した評価だと思う。ことに近年台頭してきた台湾独立論者の間ではすこぶるつきで評判が悪く、蒋介石は「中国」「大陸」と結び付けられ、ある意味共産党以上に嫌われている。
 その台湾・台北では蒋介石の巨大な像やゆかりの品々を収める「中正記念堂」(「中正」は名。「介石」のほうが「字(あざな)」である)が、5月19日に「台湾民主記念館」と改称され、付近一帯も「台湾民主公園」に改められた。これは台湾独立を主張する陳水偏総統の民進党政権が推し進める「正名運動」の一環で、昨年にも台湾最大の空港である「中正国際空港」が「台湾桃園国際空港」に改められている。
 陳総統は改名式典(そんなのもわざわざやったんだ)「蒋介石は2・28事件の元凶で、人権を侵害した独裁者をしのぶのは明らかに不適当だ」と改称理由を明言したと言う。まぁ御説ごもっともで次は記念館の中にある巨大な蒋介石像の撤去を目指すつもりのようだが、これには蒋介石が率いていた政党であり現在野党になった国民党が猛反発。実際この改称も台湾独立の姿勢を見せることもあるが、来る総統選挙に向けての国民党に対する攻撃的牽制パフォーマンスという性格も強い。
 
 なお、日本は箱根の「箱根彫刻の森美術館」にも「中正堂」という建物がある。これもやはり蒋介石を記念したもので、この美術館を経営し、蒋介石と縁が深かったフジサンケイグループが「蒋介石のご恩を日本の青年が未来永劫忘れない」ことを目的に建てたものだったりする。「未来永劫」と言っちゃっただけに、ひょっとすると蒋介石の実名を冠した最後の建物になっちゃうのかもしれない(笑)。



◆「一人っ子政策」で大暴動

 つい先日「新忠烈図」という中国映画を見る機会があった。これはそのむかし香港で製作されたアクション映画の古典「忠烈図」のリメイクで、16世紀半ばの明代に倭寇と戦う英雄達を描いた作品だ。そこに描かれる倭寇の姿は純日本人集団であり、日本人から見るとついつい笑っちゃうような考証なのだが、まぁ「倭寇」という字面からそういうイメージが一般には流布しているのだろう。
 この映画、そしてリメイク元である「忠烈図」のどちらにも少数民族の衣装をつけた女性武将が登場し大活躍する。これはまるきりフィクションというわけでもなく、実際に倭寇鎮圧に広西から動員された「狼兵」という少数民族部隊があり、その指揮官は「瓦氏」など族長の妻である女性が務めていた史実を元ネタにしている。で、この「狼兵」は現在広西に自治区を構えている少数民族「チワン(壮)族」の部隊なのだ。
 チワン族は少数民族とはいっても現在1800万人を超え、人口としては漢族に次ぐ(その漢族は10億人からいるわけだけど)。古代から中国南部にいた民族「百越」の流れを汲むとされ、中華圏の拡大にともなって「漢」化する者もいた一方で、そうしなかった人々が「少数民族」化していったものと思われる。実際「少数民族」「自治区」といってもあまり漢族と変わりないところも多いようだ。「チワン」という名前にしたってそれまで「僮」という名称で呼ばれていたのを、それが「しもべ」という意味になるということで「壮」という景気のいい字に1967年になって変えたという経緯がある。

 さてそのチワン族自治区で大規模な暴動が起きたことが報じられた。中国国内の暴動自体はいまさら珍しいニュースではないが(ついでに言えば大昔からそうなので、僕などはそれで特にこの国が危ないとも感じない)、これは官憲の横暴振りがとくに際立ち、かつそれに対する群衆の怒りが激しかったことで大きく報じられた。またそのきっかけが中国が続けている「一人っ子政策」に絡んでいたことも目を引いた。
 「一人っ子政策」は中学校の地理でも定番で習う政策なのでたいがいの人は知ってるだろう。世界最大の人口を抱える中国で人民共和国成立以来進められている人口抑制政策で、基本的には夫婦に子ども一人までしか認めない。それ以上生まれた場合は子ども一人に税金をとることで抑制している。ただし少数民族や農村部に関しては二人まで認めるなど若干甘くもしてある。そうでもしないと戸籍に載らない子どもが増えたり(それだけでも1億人いるとの説も…)男女比が著しく偏る(農村ではやはり男子が望まれる)など弊害が出るからだ。
 確かに人口問題は世界的にも重大な問題なのだが、人の生む生まないに政治権力が強制的に介入するのには無理もある。以前中国から香港、日本への「偽装難民」がやたらに来たことがあったが、こうした人たちが「政治難民」になるために「一人っ子政策に反対だった」と決まり文句のように言っていたこともある(裏返すとそれ以外は特になかったわけで、実質経済難民だったのだ)。また最近では経済成長により中国でも富裕層が出現しつつあるが、金持ちは金を持ってることを全面的に見せびらかすという中国の文化を反映して、こうした富裕層が税金を払っておおっぴらに「多産」するという現象も現れてきている。

 さて、今度の暴動が起きたのは広西チワン族自治区の博白県だ。この地域はとくに「一人っ子政策」が不徹底とされ、今年1月に一人っ子政策担当の地元共産党幹部が免職されている。その後任が決まった2月から特別チームが編成され、激しい「政策の徹底」が始まったという。
 県内の村々を摘発チームが巡回し、3人以上の子どもがいる家庭には年収を超える罰金を課すのだが、即座に払えないとなると役人達が家を襲撃して家財を全て没収、持っていけない家具や家畜、さらには家そのものまで全て破壊という、凄まじい収奪をおこなったという。しかもドサクサにまぎれて、すでに違反金を払っていた者にもさらなる違反金を要求して私腹を肥やす役人もいたとか。さらに酷いと思うのが、39歳以下の女性達を調べ、2人子どもを生んでいた者には不妊手術を強制するケースまであったという話だ。まさに人間が動物なみの扱いをされたといっていい。
 5月18日から19日にかけ、博白県内の6町村で暴動が発生、それぞれ数百から数千の群衆が役所に押しかけ、放火・破壊を行った。この事態に当局は武装警官を大量投入して鎮圧を実行、破壊活動に関わった者たちを逮捕したが、一方で違反金徴収の停止を発表して人心の沈静化を図った。その後も一部地域で暴動再発やくすぶりが起きたようだが、とりあえず25日までには騒ぎはおさまったようだ。この暴動は例によって香港メディアがまず報じたが、その後中国でも電子メディアによる報道があり、一応「当局のやり方がまずかった」という当事者のコメントが出る形になった。しかし「民衆を扇動した者、破壊活動を行った者は厳しく罰する」との姿勢も明らかになっている。

 この報道を読んでいて、僕がどうしても連想してしまったのが日本の戦国〜江戸時代における百姓一揆のお話。白土三平の一連の漫画でこういうのがよく出てきたなぁ、などと思ったものだ。一人っ子政策の話でこそないものの、やってることはいつの時代も同じか、などと思ってしまう。そういえば最近の中国では地方役人の腐敗を直接中央に訴えようと北京に「直訴」にやって来る人が集まり、「直訴村」ができちゃってるという話があるが、それも日本の江戸時代を連想させなくもない。
 いま話に出した白土三平はバリバリのマルクス主義、唯物史観&階級闘争史観を導入した時代劇画(忍者劇画)で1960年代に一世を風靡した漫画家だ。僕自身最も影響を受けた漫画家の一人であり、受賞作に当人からコメントをいただいたことは一生の栄誉であったりするわけだが、その白土作品には社会主義国・中国が理想的に言及されるくだりがある(あくまでごくごく部分的だが)。情報も少なく、時代性もあるから仕方のないことなのだけど、その「社会主義国」中国で白土作品世界並みの収奪模様を見るとはなんとも皮肉。そしてまた逆に白土作品的世界は時代を超えた普遍性がある、とも言えてしまうのだ。
 この暴動については東京新聞に現地取材の記事が載っていたが、現地の農民の「今の共産党は昔の国民党よりひどい」との発言でしめくくられていた。まぁ国民党か共産党かということよりも絶対的権力は絶対的に腐敗する、ということなんだけど。



◆王様のイージス

 5月25日、韓国初のイージス駆逐艦「世宗大王(セジョンデワン)」の進水式が蔚山(ウルサン)で行われた。イージス艦とは高性能レーダーと情報処理能力を持った現代海軍における最新鋭の軍艦で、近ごろ日本でも『亡国のイージス』なんて小説&映画もあったし、つい先ごろイージス艦の情報漏洩問題(結局これ中国スパイ説はアッサリ消えてたみたいね)などがあったからすでに耳慣れた存在だろう。韓国海軍によると「1000余りの標的を同時に探知、うち20余りを同時に攻撃できる」ほどの能力を持つそうだ。これによりイージス艦を保有する国はアメリカ、日本、スペイン、ノルウェー(ちょっと意外)、そして韓国の5カ国となった。ところで韓国は日本同様にアメリカと同盟関係にあって米軍が国内に駐留する国であるが、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の進める独自防衛の観点からか、アメリカのミサイル防衛システム(MD)はこの大王さまには導入されていないという。

 さてこの新艦の名前となった「世宗大王」って?と思う人も多いだろう。日本での知名度はイマイチだが、韓国ではお札の顔にもなり、歴代最高の名君、民族英雄として持ち上げられる王様だ。「大王」なんて呼び方が一般化してるぐらいで。
 この世宗はどういう王様なのかと言えば、在位1418〜1450、つまり15世紀の前半の朝鮮を治めた人物だ。日本では室町幕府4代将軍・足利義持、中国では明の永楽帝が同時代の君主となる。世宗ははじめ父である太宗(この人もかなりの傑物で、唐の太宗とよく似てる)の「院政」下にあったが、太宗が亡くなって親政を始めると儒者を重視した文治政治体制を整備し、文化・科学の発展を進め、その長期にわたった治世で後に「東海の尭舜」と称えられた。この人が名君であることに僕も特に異存はない。

 ただこの王様がやたらに「民族英雄」としてもてはやされるようになるのは近代、それもつい最近からのことだ。最大の功績とされるのは1443年に朝鮮語を表記する民族文字である「訓民正音」、つまりハングルを制定したことだが、その当時あくまで漢文を文明と考える役人達は「そんなものが出来ては野蛮人(=非中華文明)に成り下がってしまう」と反対したぐらいで、このハングル制定が偉業と称えられるのは近代以後の民族主義台頭と連動してのことだ(ま、日本でも江戸以前は漢文が正統文であり「かな」は世俗のものとされてたけどね)
 またこの王様の時代に数々の「科学的発明」があったとされ、これまた近代以後「科学重視」の風潮が広まると世宗時代をこの面からやたらに高く評価するようにもなる。ま、発明といっても調べた限りでは天文台で観測したとか雨量計とか、水時計・日時計といったもののようなんだけど。
 これに関連して、「世宗大王」進水式で盧武鉉大統領が「世宗大王時代の15世紀前半、世界で約50の科学発明があった。韓国が22、中国が3、日本が1〜2だった」と発言してその時代を称えている(朝日新聞記事。他では確認してないんだが…)。この発言、「そりゃすげぇ」と思う前に「はて?その時代の日本の1〜2の科学発明って何?」と首をかしげてしまった。当時朝鮮にはなかった「水車」という線があるにはあるが…何か元ネタがあると思われるが、普通に考えて疑問大の数字であり、ことさらに自国の発明数を増やしてるとしか思えない。また中国、日本をなんとか見下そうとするはなもちならない自尊意識丸出しという気がするんだが。それって単にコンプレックスの裏返しでしょ、日本でも似たようなことを言ってる人がいるからよく分かるけどさ(笑)。

 盧武鉉大統領はさらに「国力がどの時代よりも強く、北東アジアの平和が維持できた」とも発言している。世宗がもてはやされるもう一つの理由がこの軍事面で、世宗時代には南は倭寇拠点の対馬への侵攻(己亥東征=応永の外寇)、北は女真族地域へ進出して領土拡張を実現している。ただし1419年の対馬侵攻は「院政」をしいて軍事面を統括していた父・太宗とその取り巻きが強引に実施したもので、およそ体育会系でなかった世宗自身は乗り気ではなく、事件直後すぐに日本の室町幕府と和平交渉をして事態を収拾している。だいたい世宗は儒教的文治政策をとったんだからおよそ軍事的なことが好みだったとは思えず、軍艦の名前に自分の名がついちゃったことには陵墓の中で苦笑してるのではなかろうか。
 
 ところで艦船の名前に歴史上の人名をつけるのは欧米ではよくあること。アメリカの空母が大統領や将軍の名前になってるのはよく耳にするだろう。ロナルド=レーガンだのジョージ=ブッシュ(ブッシュ父ね)といった最近の大統領の名前がついた空母もすでに就役しているが、現在のブッシュ大統領の名前がついた軍艦がそのうち登場するのかどうか。あまり縁起がよくない気もするのだが、大統領の特権でパパの名前をつけるという例を作ったから、今後ブッシュ家からもう一人大統領が出た場合もしかして…いや、ホントありうるんですよ、弟さんが…って話が。
 一方日本ではおよそこういった習慣がない。欧米がそうなんだから日本も倣おうとしなかったのかな?という疑問を某所でぶつけてみたところ、実は明治はじめにそうしようかという話だけはあったという事実を教えてもらった。僕ももしかしてそうかもと思っていたのだが、日本人の場合「偉人の名をつけた船が沈没したりしたらその人に失礼」という発想が強く、それが明治天皇の口から出たために人名艦船は避けられることになったのだそうだ。それで日本の軍艦の名前はたいてい山岳や河川、国名(大和とか武蔵とか)になっている、というわけ。
 これが人名艦船ありになっていたら太平洋戦争では「楠木正成」だの「後醍醐天皇」だのといった軍艦が太平洋を進撃していたんじゃなかろうか、などと想像するとちょっと楽しかったりして(笑)。


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