ニュースな
2008年3月14日

<<<前回の記事
次回の記事>>>


◆今週の記事
※仕事の都合と執筆者の気まぐれ(笑)により、執筆が遅れに遅れました。ネタが古いのはそのせいです。幸か不幸かとくに新ネタがなかったですが。


◆金の為の名乗りか

 吉田松陰高杉晋作桂小五郎…といえば、歴史教科書のみならず幕末維新をテーマにした小説・ドラマ・映画で何度となく登場してきた、いわば「おなじみ」の長州ヒーローたちである。

 吉田松陰は幕末長州藩活躍のルーツを作ったともいえる思想家で、高杉や桂に多大な影響を与え、彼の「松下村塾」からは幕末・明治にかけて活躍した多くの教え子が巣立っていった。同名の家電メーカーの社名変更に合わせて今後は「パナソニック村塾」になるそうです、ってギャグを僕も含めて多くの人が口にしていたものだ(そういや「パナソニック政経塾」への変更はあるんでしょうかね)。松陰はペリーの黒船に乗り込んでアメリカへの密航を企てるというムチャもやっているが、その後は松下村塾で教える中で次第に尊王攘夷思想を純化させてゆき、開国した幕府を批判し老中暗殺計画まで企てたために29歳で刑死した。教え子たちが革命を起こして明治になってから松陰神社に祭られ神様の列に加えられている。

 高杉晋作は経歴が一口にまとめにくい。長州藩のいい家に生まれるがかなりの過激派で、イギリス公使館焼き打ちのような攘夷行動も実行に移したこともある。下関戦争の折に英仏米蘭4か国連合軍との和平交渉に登場し、「彦島租借」の要求を日本神話を延々と大演説してしりぞける(もちろん相手はまるっきり理解不能だったが、狂気の勢いに恐れをなしたらしい)など、人を食った逸話には事欠かない。身分を問わない軍隊「奇兵隊」を創設して藩内クーデターを起こし、長州藩を倒幕に回転させたことが維新史のうえではもっとも重要だろう。その後幕府軍との戦いでも活躍したが、肺結核を病んで新時代を見ることなく27歳で世を去っている。

 桂小五郎はいろんなメディアでよく登場はするけど不思議と主役にならない人物。長州藩の代表者として大活躍しており、彼と顔を合わせた幕末有名人は数知れずであるが、歴史人物人気の重要要素である「悲劇的死に方」をすることなく、明治以後は「木戸孝允」の名前でいま一つパッとしないまま病死してることも一因かもしれない。

 さて、この歴史上の有名人3人のお名前が商標登録されていたことが判明、3人の出身地である市が特許庁に異議申し立てをしたことが報じられている。「商標登録」について説明の必要はないかもしれないが、要するにある商品名について、その独占使用権を特許庁が認めるもの。同じ名前の偽物商品を他社から出させないための方策である。つまりこの商標登録が認められると、「吉田松陰」「高杉晋作」「桂小五郎」という名前の商品は、それを申請して認められた人(会社)が権利を独占、他の人(会社)はこれらの名前を使った商品を勝手に売ることはできず、使う場合は権利者に使用料を払わないといけない、というわけである。

 そもそもこの問題は2005年6月に宮城県の食品会社が「吉田松陰」「桂小五郎」の名前で食用油脂,乳製品,食肉,卵,食用魚介類(生きているものを除く。),冷凍野菜,冷凍果実,肉製品,加工水産物,加工野菜及び加工果実,油揚げ,凍り豆腐,こんにゃく,豆乳,豆腐,納豆,加工卵,カレー・シチュー又はスープのもと,お茶漬けのり,ふりかけ,なめ物,豆,食用たんぱく の24種類の食品について、「高杉晋作」の名前で上記24種に加えてビール,清涼飲料,果実飲料,ビール製造用ホップエキス,乳清飲料,飲料用野菜ジュース日本酒,洋酒,果実酒,中国酒,薬味酒の計35品目について商標登録を申請したことに始まる。
 この宮城の食品会社、長州とは何の縁もなかったようで特許庁も「遺族の承諾もなく本願商標を指定商品について登録することは、著名な死者の名声に便乗し、指定商品についての使用の独占をもたらすことになり、故人の名声・名誉を傷つけるおそれがあるばかりでなく、公正な取引秩序を乱し、公の秩序又は善良の風俗を害するおそれがあるものと認める」と至極もっともな理由により最初はこれを却下した。しかし食品会社は不服審判を要求し、ドタバタやってるうちにこの食品会社は破産してしまう。それで話が立ち消えかと思ったらさにあらず、この食品会社に金を貸していたと思しき株式会社「東広」(不動産、流通コンサルタント、貸金業者etcという会社らしい)が権利を譲り受けていたのだ。
 そして審判の結論は9月に下った。審判は「松陰」「小五郎」「高杉」について歴史上の著名人であることは認めた上で(その理由にウィキペディアの本文や「NHK大河ドラマにも出てくる」という文言が出てくるのにはビックリした)「しかしながら、本願商標は、その構成自体が矯激、卑猥、差別的又は他人に不快な印象を与えるような文字からなるものではなく、また、本願商標をその指定商品について使用することが社会公共の利益に反し、又は社会の一般的道徳観念に反するものでもない」として商標登録を認める「逆転判決」を下したのだ(詳しくは特許庁HPの特許電子図書館サービスを利用して本文を読まれたい)。かくして昨年11月に松下村塾の先生と生徒はめでたく貸金業者の手により商標登録されちまったわけである。

 萩市が怒るのも無理はない。この商標登録が認められると、上記の品目に全てについてこの名前を冠したお土産品も自由に出せなくなっちゃうんだから。萩市や長州の人たちに限らず、「歴史上の有名人の商品登録ってアリなのか?」と思っちゃう歴史ファンも多いことだろう。
 しかし実例は結構多い。たとえばNHK(正確には子会社であるNHKエンタープライズ)は毎年放送する大河ドラマのタイトルを必ず商標登録しており、必然的に主人公となる歴史人物の名前の登録が多くなる。今年の「篤姫」だって発表直前に素早く商標登録されていて、「キーホルダー,貴金属,貴金属製食器類,貴金属製のくるみ割り器・こしょう入れ・砂糖入れ・塩振出し容器・卵立て・ナプキンホルダー・ナプキンリング・盆及びようじ入れ,貴金属製針箱,貴金属製のろうそく消し及びろうそく立て,貴金属製宝石箱,貴金属製の花瓶及び水盤,記念カップ,記念たて,身飾品,貴金属製のがま口及び財布,宝玉及びその原石並びに宝玉の模造品,貴金属製コンパクト,貴金属製靴飾り,時計,貴金属製喫煙用具」についてはNHKに無断で「篤姫」という商品を出してはいけないのだ。NHK側の言い分としては「タイトルが無秩序、不適切に使われ、大河ドラマ自体のイメージが損なわれることを防ぎたい」新聞記事に載っていたコメント)ということなのだが、ドラマの「御当地」となった鹿児島では当然不満の声も上がっている。なお、調べたところ来年の大河ドラマの主人公・直江兼続についてはタイトルが「天地人」のためかNHKは商標登録しておらず、新潟県内の業者が衣服・織物関係で商標登録を去年のうちに済ませていた。
 ゲーム業界だと人名ではないが「三国志」でコーエーが商標登録しているというのが有名。特許電子図書館で調べるとバンダイもゲームの名前として「三国志」を登録していることが分かる(両者の区分けがよくわからん)。バンダイは「徳川家康」もゲーム関係およびなぜかスポーツ用品各種について商標登録している。はっきり言っちゃうと「早いもん勝ち」の世界であって、上記のケースを見ても分かるようによくよくの理由がなければ歴史人物の名前だって商標登録が認められちゃうというのが実情なのだ。人気のある歴史人物についてはほぼ確実に何らかの商品で商標登録されてると思っていい(ついでに不人気の南北朝時代で調べたが「足利尊氏」単独の登録は発見できなかったなぁ…)。「吉田松陰」もすでに広島の業者が酒類について登録を済ませており、今度の問題で登場した「東広」は「上杉謙信」「黒田官兵衛」(「黒田如水」は福岡県の酒造業者が登録)「真田幸村」などについても食品関係で商標登録しているという。

 釈然としない話ではあるが、「歴史上の著名人の名をつけた商品を売ってはならない」という法律がない以上、とくに「公序良俗」に反しなければ特許庁としては認めざるを得ません、ということらしい。一度は却下したもののこれ以前にいくらでも認めた例がある以上、認めるしかないということもあるだろう。また特定の種類の商品に限定した話だから…と大目にみる考え方もあるだろう。しかしその名前の本来の「所有者」がとっくの昔にいなくなっちゃってる時代に早いもん勝ちで独占権を決めちゃうというのもいかがなものか。萩市からの提案を受けて山口県市長会は特許庁に対して「歴史人物の商標登録制度の見直し」を要請することを決定、今年の全国市長会中国支部総会でも提案する予定だという。もしかするとこれを機に全国的な広がりを見せるかもしれない。
 なお、特許電子図書館で調べてみたがさすがに歴史上の人物でも天皇の名前での商標登録はないようだ。ただ福岡県の業者が「天皇真珠茶」で商標登録してるのが分かったりして(笑)。他にもいろいろと面白い発見があるので、興味のある方は遊んでみてくださいな(笑)。



◆セント円との金稼ぎ

 去る2月24日、東京の銀座で財務省主催による「近代金貨オークション」なるものが開かれた。同省が日本銀行地下金庫内に保管していた明治時代を中心とする金貨3万枚以上を出品するオークションで、2005年から始まって今回が12回目。財務省主催のものとしては最後になる今回は1420枚が競売に出された。
 このうち事前に大きな注目を集めていたのが「明治13年(1880)発行旧2円金貨」だ。発行枚数が87枚という少なさで、財務省も1枚しか所有していないという超の上に超がつく貴重品。この近代金貨オークションでは「明治10年発行旧2円金貨」1700万円で落札されたのが最高記録ということもあり、事前の鑑定ではそれを上回る2000万円は堅い、とみられていた。結局フタを開けてみれば、予想をはるかに上回る3210万円での落札。誰が買うんだろうかねぇ…。

 2円が3200万円に化けたわけだから、単純計算では1600万倍にふくれあがったわけだ。時間差は128年。ところで明治13年当時の「2円」って今で言うとどのくらいの価値だったのだろう?「近現代・日本のお金」というサイトに出ていた消費者物価のデータを参考に考察してみたが…統一した物差しがないためなかなか難しいのだが、当時の金額をだいたい4000〜5000倍すれば現在の金額になるんじゃないか?と。だとすると現在なら1万円金貨ぐらいかなぁ…とも思うのだが、120年間延々と続いたインフレの上に戦後の高度経済成長もあるから単純な比較が難しい。そのサイトに出ている情報だと明治13年当時の白米10kgがおよそ60〜70銭、そば一杯が1銭弱ぐらいで、現在の白米10kgが3500円、かけそば一杯が200円と仮にするとそれぞれ5000倍、20000倍ぐらいとなってしまう。なかなか難しいものだが、だいたい平均して1万倍ぐらいかな?というところだ。この金貨が出た10年後に第1回衆議院選挙が行われているが、その時の選挙権は歴史の教科書でもおなじみ「直接国税15円以上を納める25歳以上の男子」で、該当する人が全国民の1%ぐらいだったというのも一つの目安になるだろう。

 当時の価値はどうあれ、まぎれもない金貨であるし、そこに凄まじい希少価値が加わるわけだから物価倍率の1000倍は堅かったのだろう。このオークションでは明治9年発行の旧20年金貨も1700万円で落札されたそうで…。全12回のオークションでの売上総額は60億円にもなり、税外収入として一般会計に繰り入れられ、財政赤字の解消の足しにされるとのこと。まぁ累積で1100兆円ともいわれる日本の財政赤字ですから、火事にションベンひっかけるようなもんかもしれないけど。


 ところで財務省には金貨ばかりでなく他にも「埋蔵金」がある――との話題が、産経新聞ウェブ版に載っていた。
 ときどき自販機で認識されないような、「すり減り」の硬貨が財布の中に紛れ込んでいた経験はよくあると思う。特に昭和20年代クラスの10円玉は意外によくお目にかかり、たいてい自販機ではスルーされてしまう。こうした古いすり減り硬貨は財務省が回収して地金にしており、最近は電子マネーの発達もあって硬貨の流通量自体が減少していることもあって、約1万4000トンもの貨幣用の地金が在庫になっているのだそうだ。近年金属資源の価格が上昇してきたため、財務省はこうした地金を定期的に売却しており、平成19年度は約2800トンを売って約27億円の売却益を挙げているという。在庫を一掃すれば単純計算で1300億円となり、まさに「埋蔵金」だという話なのだ。
 日頃使ってる硬貨の材料を確認してみると、1円玉はアルミニウム。5円玉は黄銅。10円玉は青銅。50円・100円・旧500円玉が白銅、新500円玉はニッケル黄銅となっている。このうちとくにアルミの価格が急上昇で、平成16年度に最初に売り出したとき1トンあたり32万円だったものが平成19年度には96万円とおよそ3倍にはねあがったという。
 よーし、じゃあドンドン売っちゃえ!と言いたいところなのだが、財務省はまだまだ慎重。なぜかといえば、近々1円玉・5円玉の流通量を増やさなければならない可能性が高いと予測されるからだ。なぜって?一時ほとんど不要になっていた1円・5円玉が急に必要になったことがあったじゃありませんか、って言い方も平成生まれには通用しなくなってきたな。そう、消費税税率アップの可能性があるからだ。というか、財務省はほぼ既定路線にしてるとしか思えない。いっそのこと10%にすれば1円玉需要は高まらないのだが、いきなり倍増すると国民の反発を買うからと政治的判断で7〜8%にする可能性も噂されている。

 海の向こうのアメリカでも似たような話があった。ポールソン財務長官が2月29日のラジオのインタビューの中で「個人的には1セント硬貨の流通の停止を希望している」と発言したのだ。
 1セントは100分の1ドルだから、現在1ドルおよそ100円(本文を書いてる最中に久々に100円を突破したりしてた)という相場からするとちょうど1円玉に相当する。イギリス由来の通称で「ペニー」と呼ばれ、リンカーンの肖像が刻まれている。計算上や細かい釣り銭に使われるだけの邪魔なコイン、ということではひところの日本の1円玉と似た立場といえ、廃止を求める声も高まっており、実際に連邦議会に廃止の法案が提出されたこともある。
 1セント硬貨の素材はほとんどが亜鉛でちょっぴりの銅。近年金属資源価格が上昇したため、1セント硬貨1枚を作るのに1セントより高いコストがかかってしまう(これは1円玉も同じ)。だから廃止案が出るのも無理からぬところではある。また1982年以前の1セント硬貨は95%が銅でできており、現在の銅相場だと1枚で2セント以上の価値があるため集めて溶かして売却してもうけようとする者が出る恐れもあるという。もちろん法で規制されてて実行すると犯罪になるそうですがね。
 


◆となりのコソボ

 2月17日、セルビアコソボ自治州議会が「独立宣言」を採択した。ハシム=サチ首相(暫定)は独立宣言をアルバニア語、セルビア語、英語で読みあげ、「コソボ共和国」が独立した民主国家であると明言した。ただちに議会で新国旗と新国歌が承認され、自治州の州都であったプリシュティナは新国家の「首都」となった。プリシュティナ市内には人々が繰り出し、祝賀ムード1色になったという―もちろんアルバニア系住民ばっかりだ。独立に当たってコソボ政府は新国家が「多民族国家」「世俗国家」であることをうたってセルビア系住民に一定の配慮はしているが…
 この「独立宣言」はコソボ側から一方的になされたものなので、セルビア側がスンナリ認めるはずもなかった。セルビアのコシュトニツァ首相は「セルビア市民は一致団結し、われわれが領土内に生まれた偽の国家を承認しないことを国際社会に示すべきだ」と述べ、セルビア系住民がいる限りあくまでコソボはセルビアの一部であると主張し、「独立」を非難した。セルビア首都のベオグラード市内では独立に反対する民族派の若者たちが繰り出して気勢をあげ、コソボ独立の後ろ盾であるアメリカの大使館に押し寄せて死者まで出る騒ぎになった(死者はセルビアの若者だったが)

 コソボの歴史をひもといてみると、そもそもセルビアという国家の実質的建国者であるステファン=ネマニャ(1113-1200)がこのコソボの地で国を起こしている。そして1389年にはバルカン半島に進出してきたオスマン帝国軍とセルビア軍の激戦がこのコソボの地で行われており、セルビアにとって「コソボ」とは「セルビアのふるさと」みたいな土地であるようなのだ(日本で言うと奈良盆地だろうか)
 だがオスマン帝国がバルカン半島を支配していた時期にこの地からセルビア人たちは追い出され、入れ替わりに大半がイスラム教徒のアルバニア人たちが入ってきた。現在でもコソボ人口の88%をアルバニア人たちが占めるのはこのためだ。1912年にアルバニアが独立した際にはコソボもその領土内に組み込まれていたほどだが、列強の介入によってセルビア領に組み込まれた。その後ユーゴスラヴィア王国、第二次大戦中のブルガリアによる併合、戦後のユーゴスラヴィア連邦と所属を変え、ユーゴ連邦時代にも独立運動がくすぶり続けてセルビア内の「自治区」から「自治州」へ昇格、という歴史をたどっている。
 1989年以降の冷戦構造終結の波はユーゴスラヴィア連邦の崩壊、バルカンの火薬庫の悪夢再燃という結果を招いた。あくまでコソボの話なのでその過程への深入りは避けるが、今回の「史点」のタイトルぞろえの元ネタである宮崎駿監督(そろそろ気づきました?(^^; )が、ちょうどこの時期に製作していたのが「紅の豚」。本来宮崎監督大好きのヒコーキ野郎映画として企画され、本来アドリア海の平和でのどかな娯楽アニメ…と思っていたところへユーゴ紛争が起こったため、「もう火薬庫ではないと思っていたのに民族主義の亡霊が出たのでそうはいかなくなった」という趣旨の発言を当時宮崎監督がしている。映画自体は当初の企画どおり基本的にはヒコーキ娯楽映画だが、よく見れば随所にそうした意識が反映されているのが分かるはずだ。僕も歴史を学ぶ一学生として、この「バルカンの悪夢再来」には人間の進歩の無さに幻滅も感じていたものだ。

 ユーゴ紛争はクロアチア・スロベニア・ボスニア=ヘルツェゴビナの独立という形で1995年に一応の収束を見たのだが、これらの国々を追われてきたセルビア難民たちがコソボに移住してきたため(当時のミロシェビッチ政権の意図でもあった)コソボの民族バランスが崩れ、これが「コソボ紛争」の発火点となったと言われている。コソボ独立派の武装勢力とユーゴスラヴィア軍が衝突、これにNATOが介入してユーゴ側(実質セルビア)の撤退を求め、1999年3月にNATOによるセルビア空爆が開始される。このときすでに「史点」の連載も始まっているので、当時僕が何を書いていたか読んでいただくのも一興。当時は文が短かったんですよ(笑)。このコソボ紛争はユーゴ軍のコソボ撤退、コソボを国連による暫定統治下に置く、という形で一応決着して現在に至っている。
 その後2003年に「ユーゴスラヴィア」は正式に解体され「セルビア・モンテネグロ」となり、さらに2006年にモンテネグロが分離独立した。コソボを独立国とするのかどうかをめぐっては長年協議が続いたが結局昨年末に物別れに終わり、それを受けてコソボ側の一方的な「独立宣言」に至る。この「独立」がユーゴスラヴィア崩壊の「最終章」なんて声もある。かつてのようにコソボがアルバニアに統合されるという可能性もあるが、それこそ大問題になるから憲法に「他のいかなる国家とも統合しない」旨が明記されるらしい。

 コソボが一方的独立に踏み切れるのもアメリカやEU諸国の後押しがあるからだ。とくにヨーロッパ諸国にしてみればこれで19世紀末以来の「バルカンの火薬庫」が完全に「消火」されるならありがたい、という心理もある。
 だがEU内部でも姿勢は一様ではない。EU加盟国の中でもスペイン・ポルトガル・ギリシャ・ルーマニア・スロバキア・キプロスなどは反対もしくは慎重な姿勢を示している。なぜかといえば以上の国はすべて国内に少数民族の分離独立問題を抱えているからだ。とくにバスク人の独立運動に長年悩まされているスペインは早くからコソボ独立に反対姿勢を示し、騒いだセルビアの若者たちがスペイン国旗を振り回したりしていたものだ(笑)。
 一方、伝統的にセルビアの後ろ盾となってきた歴史もあるロシアが強くコソボ独立に反対。ロシアだって国内にチェチェンなどいくつかの独立問題を抱えている。同じく中国も反対を表明。そういえば台湾は速攻で独立支持を表明していた。
 日本政府はといえば、アメリカや西側諸国が賛成するものに反対する理由もないので、基本的には独立支持の方針を固めている。ただ国連としての手続きではロシア・中国が賛成しない限り国連暫定統治を引き上げることはできないはずなので、しばらく様子を見て、ということになるようだ。
 


◆フィデル引退カストロの城

 ああ、ここから思いついたんだな、とお気づきの方も多いかと(笑)。キューバのカストロ(Castro)は祖先はスペイン・ガリシア地方の出だが、スペインだけでなくイタリアにも同地名があるようで、イタリア人ジョゼッペ=バルサモが称したカリオストロ(Cagliostro)伯爵とはどっかでつながる…かもしれない(汗)。

 史劇的伝言板にも記録されているが、ちょうど秋葉原で「チェ=ゲバラ&カストロ」というDVDを購入、鑑賞した直後にフィデル=カストロ議長、引退表明」のニュースが飛び込んできた。この「チェ=ゲバラ&カストロ」は2003年にアメリカで製作されたTV用映画で、チェ=ゲバラ「モーターサイクルダイアリーズ」と同じガエル=ガルシア=ベルナルが演じている。日本版パッケージもそれを前面に出して宣伝しているのだが、実は中身はほとんど「カストロ伝」である。ビクトル=ユーゴ=マルティンという、ああ無情な小説でも書きそうな名前の俳優さんがフィデル=カストロの若き日を熱演していた。
 この映画、大筋ではカストロの革命物語を肯定的に描いている。もちろん政権をとってから独裁的になることや亡命キューバ人が続出する状況なども描いてバランスをとろうとはしているが、それらはほとんどラスト10分ぐらいで片付けられており、全体としてはカストロはヒーロー扱いだ。こういうドラマも作れちゃうところがアメリカの懐の深さでもあるかなぁ。日本でいえば金日成の伝記ドラマを作るようなもんだろうし…むかし山本薩夫監督の大作「戦争と人間」でチラッとそのレジスタンス模様が出てきたことはあったけど。
 ただ、カストロという革命家についてはキューバ革命の当時からアメリカ国内でも一定の人気があるのも確かだ。だいたいハリウッド映画史を振り返ればメキシコ革命の英雄たちを描いた「革命児サパタ」「戦うパンチョ・ビリャ」、そして当人の死後わずか3年で製作された「ゲバラ!」など、「中米革命野郎映画」の伝統がある。考えてみりゃアメリカという国家自体が「革命」によって誕生した国であり、「革命野郎」が本来好きな気質があるのかもしれない。
 
 だいたいキューバ革命の経緯自体がアメリカ人好み、ハリウッド映画風味の「大逆転劇」だ。その「ゲバラ&カストロ」のドラマでもその経過は詳細に描かれている。
 当時バティスタ将軍の支配下にあったキューバの民主化運動に参加していた26歳の青年弁護士フィデル=カストロが、ついに武装蜂起による政権打倒をはかったのは1953年のことだ。この武装蜂起(モンカダ兵営攻撃)はものの見事に失敗して決起した130名の同志のうち80名が死亡、フィデルと弟のラウルは捕らえられ、死刑は免れたが獄中でおよそ2年を過ごしている。1955年に恩赦によって出獄後、ラウルと共にメキシコへ亡命、ここでアルゼンチン出身の革命野郎ゲバラと運命的な出会いをすることになる。
 1956年12月にカストロ兄弟やゲバラを含む82名の同志が1隻のヨットに乗り込んでキューバに上陸する。しかしこれも上陸直後の戦闘で大半が戦死、わずか12名の生き残りであるカストロ兄弟やゲバラも一度は散り散りになった。そのドラマでは彼らがようやく合流を果たし、人数と武器を数えてガックリしているとフィデルが「俺たちゃ勝ったも同然だ!」とヤケクソのような気勢を上げる場面がある。このシーンが実話かどうかは知らないが、毛沢東にも似たような逸話があったなぁ、と思ったものだ。
 ところが山中に逃げ込んだカストロたちは地元住民の支持を得てゲリラ戦を展開、じわじわとその仲間を増やしていく。そしてあれよあれよといううちにバティスタ政権が送った鎮圧軍を連破、支配地域を広げてゆき、1959年元旦にカストロ軍が首都ハバナに迫り、バティスタは国外へ亡命する(映画「ゴッドファーザーPART2」でこの場面がありますね)。ここにキューバ革命は劇的な大逆転で達成されたのだ。このときフィデル=カストロ、まだ32歳である。

 今でこそ「社会主義国独裁者の最後の生き残り」みたいに言われるカストロだが、もともと彼自身は社会主義者ではなかった。弟のラウルは共産党に共鳴するところもあったようだがフィデルのほうはそうでもなく、ドラマ中にも協力関係にある共産党を危険視したりバカにしたりする発言をするシーンがあった。革命の進行中、そして政権奪取の直後にも企業の国営化といった社会主義的政策は明確には示しておらず、それもあってアメリカ政府も革命直後にその政権を承認したし、アメリカ訪問時にはアメリカ国民からも「若き革命の英雄」として大人気だった。確かにあれだけ映画みたいな大逆転をやってしまったんだから、人気が出ない方がおかしい。またカストロは大学在学中にメジャーリーグのプロ野球選手相手に3安打無得点におさえた剛腕投手という一面もあり(実際、一時メジャーに誘われたという話も聞く)、それも人気の一因だったようだ。今もキューバが野球強国であるのはこの「剛腕党首」がいたからにほかならない(笑)。
 だがカストロ政権とアメリカの蜜月は長く続かなかった。バティスタ政権以前のキューバが事実上アメリカの植民地である以上、そこで革命政権を持続するにはアメリカの権益(「ゴッドファーザー」でも描かれるようにそこにはマフィア権益も含まれた)と衝突するのは必然ともいえた。カストロ政権との対立を深めたアメリカ政府、とくにCIAはカストロ政権転覆・カストロ本人の暗殺計画を何度となく実行する。アメリカに対抗するためカストロは必然的にソ連に接近、社会主義国化を鮮明にしていくことになる。このキューバにソ連が核ミサイルを配置しようとしたことから米ソが核戦争一歩手前までいく緊迫の事態、いわゆる「キューバ危機」が起こるのは1962年のことだ。
 キューバ危機のあと、米ソはひとまず緊張を緩和し、キューバは今度は事実上ソ連の衛星国としてサトウキビ生産に特化した国家とされてしまう。こうしたソ連の姿勢を批判する発言をゲバラが公式の場で行ったため、ソ連についていくしかないカストロは彼を国外に追い出さざるをえなくなったと言われている。このときゲバラとカストロの間で何が話し合われたのかは当人のみが知る現代史謎の名場面の一つなので、カストロさんにはぜひ回想録の一つも書いておいてほしいところだが…ゲバラは1967年にボリビアで殺され、30年後の1997年にその遺骨がキューバに「帰国」している。

 東西冷戦の時代は1989年に終わり、1990年代にはソ連も崩壊、世界の社会主義国も大半が消滅した。いまなお共産党系の政権が維持されているのは中国・ベトナム・北朝鮮そしてキューバぐらいという状況だが、中国とベトナムでは市場経済が導入され「社会主義国」とは言い難くなってきている。北朝鮮は相変わらずよく分からない国であるが…少なくともあの国に比べるとキューバのカストロは過剰な個人崇拝を進めなかったことだけは評価できるだろう(社会主義国独裁者お約束の自身の銅像も一切作らせてない)。しかしソ連の崩壊とアメリカの経済封鎖で経済的に苦しく、亡命者がゾロゾロ出ているという点では共通するところもある。すぐにも政権崩壊かと言われつつ21世紀まできっちり持ちこたえてるあたりも似てる。
 21世紀に入ってから中南米では左派系・反米姿勢の政権成立があいつぎ、中でもベネズエラチャベス大統領が過激とも思える反米姿勢で「21世紀の社会主義国」化を進めていることは「史点」でも何度か取り上げてきた。そのパターンはかつてのキューバ革命におけるカストロをまねているようにも見え、実際にチャベス大統領は「先輩」カストロ議長のもとを何度も訪問、個人的にもすこぶる親密なつきあいであることをアピールしている。
 政権の晩期に思わぬところで熱烈ラブコールを受けたことはカストロ本人にとっては多少幸福なしめくくりと思えたかもしれない。2006年ごろからカストロ議長の健康問題が表面化し、政権崩壊よりも本人が生きてるうちに退陣するのかそれとも「終身在位」なのかが注目されるようになっていた。入院してからは権力を弟のラウル=カストロ第1副議長に移譲、これが事実上彼を後継者に指名したことになり、結局そのまま今回の引退表明になったわけだ。

 後継者としてキューバを率いることになったラウル新議長、上記のように1953年の武装蜂起以来兄につきあった革命の闘士で、くだんのドラマでもほとんど全編出ずっぱり。こういう人だけに後継者指名でもめることもなかろう、という判断もあるんだろうけど、実の弟への「世襲」、それもこちらもすでに76歳の高齢と聞いては、「次の世代の後継者を育てられなかったんだなぁ〜」と思うしかない。どのみちこのラウル政権だって長くは続かないことは当人もよく分かっているはずで、キューバもこれからいろいろと変わっていかざるをえないだろう。実際、ラウル新議長最初の外交活動はバチカンの国務長官(枢機卿)との会見だったし、直後に長年批准を拒否し続けていた「国際人権規約」に署名して年内に国連人権理事会の調査を受け入れる姿勢を示すなど、かすかに「変化」のサインを見せ始めてもいる。
 革命直後以来国交断絶と経済封鎖を続けるアメリカのブッシュ大統領はフィデル=カストロ退任のニュースを受けて「問題はキューバの人々に何を意味するかだ。フィデル=カストロ体制で受難を強いられた人々がいる」と発言、これを機に自由な選挙による民主化への期待を表明したが、「カストロ兄弟が実施し、ごまかしたような選挙であってはならない」とも釘をさしていた。父親からの世襲大統領、しかも弟さんが知事やってる州でのウサンクサイ選挙結果で勝利を得たアンタが言いますか、とツッコミたくもなるところだが、そういえばこの人も今年で退任だったな。

 退任後、キューバ共産党機関紙に寄せたコラム「同志フィデルの意見」(「軍最高司令官の意見」から改題)の中で、カストロ前議長は弟さんが新議長に選ばれることが確実だったはずの24日の国会について「24日を待つ間は緊張で疲れ果ててしまった」と記していた。そして退任表明発表直前の心境について「前夜はこれまでになく、よく眠れた。穏やかな気持ちで、しばらく休暇を取ろうと思った」と語っている。
 ゆっくりお休みください、ってなんだか追悼文みたいになっちゃったな。


2008/3/14の記事

<<<前回の記事
次回の記事>>>

史激的な物見櫓のトップに戻る