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2008年9月22日

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◆今週の記事

◆贋作サミット「私はこれで…」

 急逝された市川準監督のCM代表作にからめて。

福「福田でございます。また贋作サミットの司会を務めることになってしまいました」
ム「どうも、元パキスタン大統領です。北京五輪開会式はドタキャンしましたが、こっちには出れました」
サ「元タイ首相です」
北「元国技協会理事長です」
ム「で、これはどういう趣旨のサミットなんだ」
サ「もちろん辞めた人サミットですよ」
福「あ、私はね、この文章公開時点ではまだ辞めたわけじゃないんですけどね、まー最後の花道ということで」
北「花道…ああ、懐かしい言葉だ…」
福「ではそれぞれ辞めることになった事情の反省会とまいりましょうか」
ム「私は弾劾されたので、大統領を辞めました」
福「あなたはクーデターで政権とったぐらいの人なのにアッサリですねぇ」
ム「ムシャラフしてやった。今は反省している」
サ「私はTVの料理番組に出演したことで、首相を辞めました」
福「番組出演が憲法が禁止する“兼業”にあたるんですってねぇ。厳しいなぁ」
サ「首相府占拠や暴動のせいじゃなく趣味の料理が命取りになるとは…シクシク」
北「私は弟子に大麻陽性反応が出たことで理事長を辞めました」
福「なんかオセチア・グルジア問題に飛び火したりしませんかね、“民族浄化”だ!とか」
北「後任者には『ウミを出す』とか、さりげなくダジャレを言われちゃうし(涙)」
ム「で、あんたは暴動も弾劾も陽性反応も起きてないのになんで政権投げ出したんだ?」
福「投げるのは我が国技伝統の技ですから(笑)…というのは冗談で、もうにっちもさっちもいかなくなっちゃって」
サ「連立与党で議会の片方の3分の2以上握ってるのはおんなじじゃないですか」
福「…その連立相手が問題なんだよなぁ。それでヤになっちゃって」
サ「あー、わかるわかる。ウチの連立与党もゴタゴタしてて圧倒的多数もってるくせに私を再指名しないんだもん」
福「で、誰が指名されたんです?」
サ「前の首相の義弟」
ム「おやおや、こちらも元大統領の夫ですよ」
福「ウチはどうやら元首相の孫がなるらしく…」
北「麻が生え…って、名前が不吉な…」
太「どーもー、途中から参加します。元農水相です」
福「フフン、結局キミのほうが先に辞めることになったな」
太「あんたがあと5日って時点でクビにしたんだろうが!」
ム「で、あなたは何が原因で?」
太「私はコメで、大臣を辞めました」
福「国民もやかましいしねぇ。ホント農水相は鬼門ポストになったな」
サ「ジタバタしないでタイ米でも買ってください。タイ料理、美味しいですよ〜」
ムベ「どうも、さらに途中参加の元南ア大統領です。私は与党の決定で、大統領を辞めました」
オ「どうも、遅れてやって来たイスラエル暫定首相です。私はカネで、首相を辞めました」
姫「私も入れてくださーい、元改革クラブ党員予定者です。私はよくワカンなくて、入党を辞めました」
北「ヒメイが消えてヒメイが上がってましたな」
福「あんな連中に分断工作を頼んだのが失敗だった。あのアホらしさに投げる決意ができました」
サ「顔ぶれもにぎやかになってきたし、このメンツで組閣でもしますか」
ム「それなら私は防衛大臣ってことで」
北「スポーツ興振・麻薬撲滅担当大臣を希望」
太「農水相以外ならなんでもいいです」
福「私はもう議員も辞めますから、そっとしておいてください」
姫「頑張んなさいよ、私なんかあれだけのことしてもあと5年はやるのよ」
福「あなたとは違うんですっ!」



◆近所づきあいはいろいろと

 9月6日に、トルコの大統領が隣国を訪問した。
 これだけなら特に大した話とは思わないが、何しろその隣国とはアルメニアだ。歴史的事情を知っていれば日中・日韓関係以上に深刻な事情がある話だとわかるはず。両国の間にはいまだに国交がなく、トルコの大統領がこの隣国を訪問するのは実はこれが初めてなのだ。まぁアルメニアが独立国になったのは1991年のソ連崩壊以後のことなのでそれほど長い期間付き合いがなかったというわけでもないのだが(日本と北朝鮮に比べれば)

 隣国同士は何かとケンカの火種が多いものだが、この両国の場合はかなり根が深い。現在のトルコ共和国の前身であるオスマン・トルコ帝国は中東・北アフリカから東欧にかけて領土を広げた多民族大帝国だったが、19世紀以後次第にヨーロッパ列強に圧迫されて領土を縮小、20世紀初頭の第一次大戦で同盟国側についたことで実質崩壊してしまった。この第一次大戦中に当時はオスマン帝国領内にいたアルメニア人が大量に虐殺されたとされ、アルメニア側の主張では犠牲者の数150万人にものぼるとされる。しかしトルコ政府はこの件についてはあくまで「政策的虐殺」を否定し、死亡者数はもっと少ないとした上で多くは混乱状態での戦闘や病気等によるものと主張し続けている。この件については前にも何度か書いたと思うから詳細はカット。
 この「アルメニア人虐殺」については、アルメニア人が同じキリスト教徒であることも手伝って当時からヨーロッパでは広く喧伝され、現在でもヨーロッパ各国の議会がこの件を歴史的事実として認める決議を行ってトルコの激しい反発を招くことがある。絶対に虐殺とは認めない方針のトルコだが、EU加盟が国是となっていることもあってこの件は頭の痛い問題でもあるのだ。
 
 これに加えて、アルメニアとアゼルバイジャンの紛争がある。アルメニア人がキリスト教徒であるのに対してアゼルバイジャン人はイスラム教徒で、以前から入り組んで居住していた。それまでこの地方を支配し民族主義を押さえ込んでいたソ連が弱体化すると1988年から深刻な民族紛争が勃発した。特にアゼルバイジャン領内にあってアルメニア人住民が多数派の「ナゴルノ・カラバフ自治州」では本格的な戦争となってしまい、事実上の独立国状態となっている。アルメニアはこれを独立国とは承認していないものの支援は行っており、アゼルバイジャンとの間では延々と対立が続いている。で、このアゼルバイジャンがイスラム教徒、それも民族的にはトルコと同じテュルク系であることからトルコとは友好関係にあり、トルコとアルメニアが余計に対立する一因となっていた。1993年以来トルコ・アルメニア国境は完全に封鎖状態にあるという。

 そんなわけで国交が存在しなかった両国だが、このたびトルコのギュル大統領が初のアルメニア訪問を敢行した。国交がないので公式訪問ではなく、あくまでサッカーW杯予選のトルコVSアルメニアの試合を観戦しにいく、という形。紛争を抱える隣国同士がスポーツ観戦にかこつけて訪問するというのは以前パキスタンとインドの「クリケット観戦訪問」の例もあった。
 トルコは現在イスラム系政党が政権を取っているが「政教分離」の基本方針は変えず、あくまでEU入りを目指して「民主化」「民族融和」の方針を進めている。アルメニアとの関係改善もそうした方針の一環で、たぶんに西欧諸国を意識したものと思われる。また4月にアルメニアで政権をとったサルキシャン大統領も対外融和の方針を進めているとされ、両者の思惑が一致してこの訪問・会談が実現したということらしい。さらに言えば最近のグルジアやらチェチェンやら何かと「火薬庫」的状況になってるカフカス地方の安定を狙うという国際的な圧力もあると思う。
 
 9月6日にギュル大統領がアルメニアの首都エレバンに入った。するとその車の沿道に数千人のデモ隊が押しかけ「トルコは虐殺の罪を認めろ」とプラカードや横断幕を掲げて抗議行動を行った。中には第一次大戦中にオスマン帝国によって立ち退きを強制された土地の名前を掲げる者もいたという。
 両大統領の首脳会談ではトルコ側から「アルメニア人虐殺問題」についての歴史検証を行う合同委員会、および国境開放に向けての関係正常化委員会の設置や、アルメニア・アゼルバイジャン・グルジアそれにトルコ・ロシアを加えた南カフカス安定のための五カ国協議の必要性などが提案されたと一部で報じられている。会談の後は二人そろってサッカーを観戦し、終了後ただちにギュル大統領は帰国した。なにせ今度の訪問自体、トルコ国内では批判の突き上げがあるからだ。

 ちなみにサッカーの試合の方は、2−0でトルコの勝ちだった。



◆日本史上一の有名人

 日本史の人物で、一番の有名人は誰か?
 こんな質問に答えが出るのかとも思うが、先日どこぞの調査によると知名度ナンバー1は「卑弥呼」さんであった。どこの誰だかも分かんないのにねぇ(笑)。でも社会科講師としてはこの結果はある程度予想できました。なぜって「歴史の授業で一番最初に習う人名」だから。みんな飽きたり投げ出したりしないうちにこのお名前を教わるので、忘れようとしても覚えられちゃうんですな。

 近々「まぼろしの邪馬台国」なんて映画が公開されるように、卑弥呼と邪馬台国は謎だらけだから人気もある。決定打がないので何を言っても大丈夫というところがあるんでアマチュア研究者が多く、毎年のように「邪馬台国の位置」の新説本が出ている。だが結局のところ学術レベルでは畿内説か北九州説に集約されており、延々と相容れない論争を続けている。吉野ヶ里遺跡が佐賀県で発見された時にはグッと北九州優勢になった気もしたが、最近は畿内・大和説のほうが勢いがあるみたい。九州説の方の近著を読んだら畿内説をボロクソに叩いていて(いささか感情的表現すら見える気がしたが…)かえって「焦り」のようなものすら感じなくもなかったものだ。

 さて邪馬台国の位置確定の重要要素となるのが「卑弥呼の墓」の発見。「魏志」東夷伝によると卑弥呼が亡くなると「百歩」の大きさの墓が造られ、多くの奴隷たちが一緒に埋められたという。その墓さえ見つかれば邪馬台国はそこにあったとほぼ特定できる。このため各種の邪馬台国位置説にはほぼ必ず「卑弥呼の墓」候補地もセットになっている。
 畿内・大和説において「卑弥呼の墓」の最有力候補とされるのが箸墓古墳(奈良県桜井市)だ。日本にある古墳、それも独特の形態である前方後円墳の中でも最古級とされ、卑弥呼の死去した三世紀半ばごろの建造ではないかと推測されている。そして早い段階から誰の墓だか分からなくなっており、『日本書紀』では孝霊天皇(『日本書紀』によると前342-前215に生きた人)の皇女・倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)という早口言葉みたいな女性の墓としている。この皇女は巫女的な存在として伝えられており、三輪山の大物主神(おおものぬしのかみ)の妻となったが、「真の姿が見たい」とねだられた大物主神が蛇の正体を現すとビックリし(そりゃビックリするだろう)、恥じ入った大物主神が三輪山に去ってしまうと後悔の余り座り込み、そのとき「箸で陰(ほと)を憧(つ)いて薨(こう)じた」つまり箸で女性器を貫いて死んでしまった、それで彼女の墓は「箸墓」になったという何とも凄い話なのだ。古代人流のおおらかさなのか「古事記」「日本書紀」ではこのように女性器がらみの話はあちこちで目にする(「三国史記」にもあったと思うので国を問わないみたいだ)
 それはともかく恐らくは誰の墓だかもう分からなくなった段階で「箸墓」という名前から逆に説話が発生したパターンではなかったかと思われる。この伝説の真偽はさておいて被葬者が女性、しかも巫女となっていることも「箸墓=卑弥呼の墓」説の根拠の一つだ。なお『日本書紀』じたいは卑弥呼を神功皇后のことと考えており、わざわざ「魏志」の記事をひいてつじつまあわせまでやっている。

 その「箸墓」に外濠(そとぼり)があったらしい…という話が先月27日に報じられた(すいません、かなり前のニュースで)。これまでにも箸墓古墳の前方部側面二か所で外濠の痕跡が確認されていたが、今回は前方部の正面部分に幅60〜70mに及ぶかなり大規模な外濠の跡が見つかったというのだ。この発見により箸墓は内濠・外濠の二重構造、しかもかなり大規模なもの、それも恐らくそうした巨大古墳の最古の形態ではないかという見方が強まってくる。桜井市教育委員会では「古墳は箸墓の時代から、急に周囲と隔絶され近寄りがたい存在になった。被葬者の力が他を圧倒していたことを示すのではないか」としているそうだ。
 「卑弥呼の墓」証明のまさに外濠が埋まった格好だが(笑)、例によって例の如く、この古墳も皇室の墓ということで宮内庁が管理しており立ち入りは禁止されていて、自由な発掘調査は行えない。


 古いニュースだけというのも何なので、弥生時代関係の話題をいくつか追加。
 福岡県春日市は邪馬台国以前の1世紀に存在したと考えられる「奴国」の中心地のあったところとされる。後漢に使者を送って金印をもらってきたというあの国だ。これも卑弥呼より前に習うもんで、中学生の正解率は結構高い。社会科の教師によっては金印を見つけた人は江戸時代の甚兵衛さんだと雑学をしゃべってしまうため、卑弥呼より先に覚える日本史人物が「甚兵衛さん」という人も少なくない(笑)。
 9月3日の報道によると、その春日市の御陵遺跡の1世紀ごろと思われる竪穴住居跡から、1世紀のものと思われる「戦国式系銅剣」の鋳型が発見されたとのこと。「戦国式」といってももちろん日本の戦国時代の話ではなく、それより1800年ほど前の中国の戦国時代の話。日本の弥生時代の遺跡からも発見されるため、中国で製造されたものが日本に輸入されたのではないかと考えられてきた。ところがこれを製造する鋳型が国内で初めて発見されたことにより、日本で見つかる戦国式系銅剣も実は「メイド・イン・ジャパン」だったのではないか?という可能性が出てきたのだ。なんだか逆の形での「産地偽装」みたいな話ではある(笑)。
 最近弥生時代の開始をかなり早くする見解が出てきて、中国の春秋・戦国時代とのからみが議論となっているのだが、この鋳型もそれに一石を投じる形になるのかもしれない。「弥生人」自体が中国大陸から来たんじゃないかという説もあるし、あるいは思いのほか大陸との交渉が多かったということになるのかも知れない。

 同じ福岡県には「魏志」に載る「伊都国」もあったとされる。9月13日の報道によると、その伊都国の祭祀場があったとされる福岡市西区の元岡遺跡から木製の翳(さしば)と思われるものや鳥型の木製品も見つかったという。翳とは円形のうちわのようなもので、中央に開いた穴に杖などをさして(なんだか「レイダース」を思い出すな)王など貴人の顔を隠すために使われたと考えられるそうな。

 9月18日には愛知県の弥生時代の集落跡「朝日遺跡」で「弥生人が鯉を養殖していた痕跡が見つかった」との報道があった(遺跡は朝日だが報じたのは「毎日」)。遺跡から、自然状態ではまずありえないほどの鯉の幼魚の歯が多数見つかったためで、灌漑技術を利用して鯉を養殖していたのではないかと推測されたのだ。これもまた面白い話であるが、ふと思ったのはアイガモ農法と同様に無農薬農法として利用されている「鯉農法」ってのが今日実際に存在すること。もしや鯉を水田で買って虫を捕りフンを肥料にし、収穫後は鯉も食べちゃう、というものだったのでは…



◆かーみさま、ほとけさま

 お隣韓国は李明博(イ・ミョンバク)政権になってから、なんだかんだと大規模デモの話題が多い気がするのだが、8月27日に行われたそれは東アジア史に首を突っ込んだ人間としては「ほう」と興味深く感じるものがあった。それは仏教徒6万人による、キリスト教徒である李大統領に対する抗議デモだったのだ。

 韓国というか朝鮮半島の国家における宗教事情を整理しておくと。
 まず古代にあってはどこもおんなじようにシャーマニズムが重きをなしていた。日本の神社もそうだが、韓国では今もこの伝統はなかなかしぶとく残っている。時代考証に関してはてんでアテにならないが、日本でも放送されてる「朱蒙(チュモン)」だの「太王四神記」だのといった古代高句麗ドラマにやたらに巫女さんが出てきて政治に介入するのもそうした歴史を背景にしている。まぁ上記のネタの卑弥呼さんみたいなもんだと思えばいい。
 三国時代には中国から仏教が伝来した。高句麗・百済・新羅いずれも熱烈な仏教国となり、百済から日本に仏教が伝えられたのも教科書で習う通り。やがて半島を統一する高麗の時代までこの国は熱心な仏教国となっていた。
 それが変化するのは14世紀末に成立した朝鮮(李氏朝鮮)から。朝鮮では儒教、とくに朱子学が事実上の国教とされ、仏教は非科学的なものとして排斥された。むろん寺院も多く残ったし信者もいたのは確かなのだが、少なくとも王朝政府・知識人層からは仏教はほとんど排除された。おかげで朝鮮王朝時代を経過するうち仏教徒は被差別的な位置に置かれ、宗教としても活力を失った。
 西洋列強と接触し近代に突入すると、今度は開明派を中心にキリスト教徒が多くなる。伊藤博文を暗殺した安重根(アン=ジュングン)もクリスチャンだったし、海外で活動した独立運動家にはクリスチャンが少なくない。植民地時代から戦後にかけて富裕層はキリスト教系の学校に進むことも多かった(これだって日本にも例は多い)。大韓民国初代大統領となった李承晩(イ=スンマン)もアメリカ在住のクリスチャンだったことがアメリカの後押しを受ける理由の一つとなっている。
 朴正煕(パク=チョンヒ)金泳三(キム=ヨンサン)金大中(キム=デジュン)などなど、歴代大統領の多くがクリスチャンだ。とくに上流階級を中心にプロテスタント系が多いが、一般ではカトリックもかなりの数を誇り、アジアにおいてフィリピンに次ぐカトリック国という一面もある。また一方でキリスト教系の独自の新興宗教も多いのが特徴で、しばしば問題になる「統一教会」のような存在もある。以前僕の大学時代に同じゼミにいた韓国人留学生もやっぱりクリスチャンで、みんなで一緒に食事って時もまず最初に「お祈り」が入るんでワンテンポずれるところもあったが、統一教会については「あれは異端だ」と明言してたっけ。
 僕自身は韓国に行った経験はないのだが、しょっちゅうあちらに行く知人に聞くと、「行くたびにキリスト教会が増えてる気がする」とのこと。飛行機でソウルに降りる時には教会がやたらに見えて驚くのだそうだ。2005年の調査によると韓国国民およそ4700万人のうち、プロテスタントが861万人、カトリックが514万人で、合計すると1370万人を超え全国民のおよそ30%がキリスト教徒になり、仏教徒1072万人を上回る。統計を見る限り仏教徒が依然多数派だとわかるが、日本と同様韓国の仏教徒というのも大半は「何となくそうしてる」って感じだと推測され(僕もイギリスの教会で宗派を聞かれた時は「仏教徒」で通したし)、韓国のキリスト教徒の熱心さからするとかなり押され気味で、いずれ圧倒されてしまうのではないかと思う。ニュースにされたこともあるが韓国のプロテスタント教会の一部にはイスラム圏までいって熱心に宣教して回る方々もいるくらいで(アメリカの原理主義的プロテスタントの影響が強いかららしい)

 で、李明博大統領もプロテスタント系のクリスチャンなのだ。ソウル市長時代に「ソウルを神に捧げる」と発言したことがあるそうだし、大統領になってからも所属教会の信者を政府要人に起用したり、やはりクリスチャンと思われる閣僚から「信仰心が不足して社会福祉政策が失敗した」との発言が問題になったりしている。毎日新聞の記事によると、李大統領と直接かかわるわけではないが最近さる大規模教会の幹部が「仏教国はみな貧しい」「坊さんたちは無駄なことはやめて早くイエスを信じなければ」などと発言して物議を醸しており、「こんな発言の背景には大統領のキリスト教偏重・仏教差別がある!」と仏教界は危機感を抱いて今度の大規模デモにつながった、ということのようだ。

 このニュースを見ていて思い出したのが、上記のその韓国によく行く知人(実は韓国人と結婚までしちゃった)の言っていた、「そりゃ、韓国は国歌にも“神様”が出てくるから」という言葉。その時は、へーそんなものか、と驚いていただけなのだが、今回ちゃんと歌詞を調べてみた。韓国の国歌は「愛国歌(エグッカ)」というのだが、その冒頭は、

 東海の水が干上がり,白頭山がすり減るほどに神様が護持してくださる我が国万歳

 となっていて、なるほど「神様」が出てくる(「さざれ石の巌となりて苔のむすまで」と発想がおんなじだな。こっちのほうがスケールがデカいけど)。この「神様」の部分は「하 느 님 (ハヌニン)」となっている。さてこれはキリスト教的な「神」の意味なのか?と調べてみると、実はそうでもない。この言葉は「하 늘 (ハヌル)=空」と「님 (ニン)=様」の合成語で、直訳すると「空様」。日本語で言うところの「お天道様」に相当する。中国の「天」やモンゴルの「テングリ」の概念とつながると考えられ、空から人間を見守る絶対的な存在をこの言葉で表す。一方で日本の神社や中国の土地神に相当する「신 (シン)=神」という多神教的な概念も同時にあった。
 韓国版ウィキペディアで調べてみると韓国でもキリスト教受容の過程で「唯一絶対の神」をどう翻訳するかは議論があり、最初のうちは中国から入って来た「天主」をそのまま使っていたが、1882年に最初のハングル版聖書が外国人宣教師によって作られた時にいろいろ考えた末に「"空(heaven)"と "様"(prince)の合成語である "ハヌニン"が一番ふさわしい」として「ハヌニン」をキリスト教的な意味での「神」として扱った。現在でも宗派により「ハヌニン」だったり「天主」だったりしてあまり統一性はないようだ。そんなわけで国歌に出てくる「神様」もキリスト教的な神様を指すとは限らない、ということみたい。まぁ隣の国も「神の国」とか何百年も前から言ってましたし(笑)。


 もひとつ宗教ネタを。こちらはスイスから。
 韓国で仏教徒デモが行われたのと同じ8月27日、スイス東部のグラルス州の州議会は「ヨーロッパ最後の魔女」として公開処刑にされた女性について「死刑判決は不当」とし、名誉回復を行う決議を全会一致で採決した。その女性とはこの地に住んでいたアンナ=ゲルディさんといい、処刑されたのはフランス革命よりちょっと前の1782年のことだったそうだ。
 現在でも「魔女狩り」なんて言葉が日本語でも使われるように、中世ヨーロッパにおいて迷信にかられた人々により「魔女」が摘発され裁判にかけられて「魔女」と断定され処刑されることが多かった。有名どころでジャンヌ=ダルクもその一例。18世紀になるとさすがに見られなくなったが、この1782年の例が確認される限りヨーロッパにおける魔女裁判の最後らしい(石ノ森章太郎「サイボーグ009」で20世紀まで行われたとするエピソードがあったな)。このアンナさんは名家の使用人として働いていたが、「魔法」を使ってこの家の娘の食事に針を入れるなどしたとされ、拷問を受けた末に裁判で魔女と断定されて、町の広場で公開処刑されたという。「魔女」にしちゃずいぶんセコい魔法を使ったもんだが。
 最近、当時の裁判記録を調べたジャーナリストが「真相」を突き止めた本を出版した。それによればアンナさんはこの家の主人と性的関係を持っており、その発覚を恐れた主人が彼女を魔女呼ばわりして抹殺したというのが真相らしい。この出版をきっかけにアンナさんの名誉回復の運動がおこり、このたびの決議につながったという。まぁひどい話で。


2008/9/22の記事

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