ニュースな史点2009年4月1日
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◆かんじははいしされました
へいせい21ねんどから、にっぽんではかんじのしようがいっさいはいしされることになった。くにのさいこうけんりょくしゃである、そうりだいじんですらよみまちがえるようなむずかしいもじをつかうべきではないということで、「かんじしようはいしほうあん」がこっかいにていしゅつされ、あっとうてきなさんせいたすうで、かけつ・せいりつした。
にっぽんのみんぞくしゅぎをとなえるぎいんからは、「そもそもちゅうごくでつくられたもじを、ずっとつかいつづけていたのがまちがい」とのいけんもあったし、「おとなりのかんこくでも、いぜんからかんじをなるべくつかわず、はんぐるでひょうきするようになっている」として、これをもはんとしようというこえもあり、ほしゅけいぎいんもとくにはんたいはしなかった。かくしんけいのぎいんからも「だいたいにほんではうよくほどむずかしいかんじをつかいたがる」というこえがあって、とくにはんたいはでなかった。
せいじかだけできめたことではない。きょういくかんけいしゃからも「かんじをなんぜんこもおぼえるのにぼうだいなじかんがついやされていたが、これでほかのべんきょうにじかんをまわすことができる」としてさんせいのこえがおおかった。
またえいがぎょうかいでは、ことしのべいアカデミーしょうで「おくりびと」「つみきのいえ」といった、ひらがなタイトルがじゅしょうしたこともあって、「これからはえいがのだいめいはすべてひらがなにしよう!」とげんかつぎをしていたところでもあった。
また、まいとしこうれいの「ことしのかんじ」をきめている「かんじけんてい」のざいだんほうじんも、なにやらけいりにあやしいところがあるとされたため「ことしのかんじも、もうきめなくていいだろう」といういけんもあったようだ。
またウィンドウズのおばかなにほんごへんかんシステムにくるしめられてきたひとびとからも、かんじはいしにさんせいのこえがおおい。そもそもにほんごへんかんソフトはつくるほうでもてまがかかるし、つかうほうでもどうやってもつかいにくいばかりだから、なにごともでんしかしていくじだいのなかにあっては、いっそのことかんじなんてないほうがよかったのだ。かんじをつかわず、ぜんぶひらがな・カタカナにしてしまえば、データりょうもおおはばにへらすことができるし、なにかとこうつごうだというのである。
かんがえてみれば、いまにほんしゃかいのけんいんやくになっているせだいは、ファミコンとうじょうのせんれいをうけたせだいである。「かいしんのいちげき!」だとか「しんでしまうとはなにごとだ!」だとか「じゅもんがちがいます」といった、ひらがなだらけのにほんごにもじゅうぶんなれていて、うえのせだいほどていこうはないとかんがえられる。データりょうのしゅくしょうをさらにおしすすめるなら、ゲームのみならずすべてのほぞんデータひきだしに「ふっかつのじゅもん」をつかうべきだとのこえもある。ふりこめさぎたいさくのひとつとして、ぎんこうのATMでのあんしょうばんごうを「とえいうあ おひめてらきち わをてるは べらみ」なんてしてしまうのもりょうあんではないかというアイデアもでている。
なお、おさけのだいすきなざいむだいじんが、せかいてきなわだいとなるしったいをしでかしてじにんしてしまったので、そのようなことがにどとおきないようにと、おなじ4がつ1にちから、いっさいのさけるいのはんばいとごっくんをきんしする「きんしゅほう」もしこうされる。かつてアメリカでもおこなわれたことがあるほうりつだが、あれははんばいのみをきんじてごっくんのほうはきんじてないちゅうとはんぱなもので、にほんのきんしゅほうはさらにてっていしたものとしてちゅうもくされている。さっそくやけざけ、もといやみざけがぼうりょくだんのしきんげんとなるかのうせいもしてきされているが…
◆邪馬台国、ついに判明
このところ邪馬台国と卑弥呼がらみの新たな発見の報道があいついでいた。この話は何度も書いているが、ちょっと前までは佐賀県で吉野ヶ里遺跡が発見されたこともあり「九州説」に大きく傾いたのだが、ここ10年ばかりは奈良県内、とくに纏向遺跡で重大な発見が相次いでおり、「畿内説」にどんどん傾いて来ている観がある。もちろん九州説側も必死に批判をしているし、観光資源の価値がさがってはかなわない吉野ヶ里遺跡周辺の自治体も盛り上げにやっきになっているようだ。
しかし、ここにきて決定的な発見があり、長く続いた邪馬台国論争にもついに終止符が打たれることになった。この4月1日に福岡県と奈良県の研究チームによる合同発表があり、「邪馬台国の位置と卑弥呼の墓がついに確認された」と公表された。さて、九州だったのか畿内だったのか。答えは何とも意外なことに「その両方」ということになってしまったのだ。
まず最大の決定打、卑弥呼の墓も確認されたには確認されたのだが、これまた福岡県と奈良県の両方で同時に発見されてしまったのだ。これまで宮内庁が管理しているため発掘できなかった福岡・奈良の古墳二つについて、どうやら皇室とは無関係らしいとして許可が下りたのでそれぞれ発掘してみたところ、その両方が「卑弥呼の墓」であることが確認されてしまった。どうやって確認したかというと、掘ってみたら玄室の入口に「卑弥呼之墓」とちゃんと漢字で書いてあったのだそうだ。
どちらの玄室内にも石棺が安置されており、その中からはそれぞれ女性と思われる遺骨が発見された。年齢も体格もどちらもほとんど同じで、古墳の年代推定などからどちらも三世紀前半であると断定された。このことから「卑弥呼」なる女性は二人いた、しかもどうやら双子の巫女だったのではないかとの推理がなされている。
そして邪馬台国の位置確定の手がかりになるとして昔から探し求められていた、魏の皇帝から卑弥呼に贈られた「親魏倭王」の金印も石棺の中から発見された。ところが金印は真っ二つに割られていて、「親魏」が彫られた部分が福岡県内の古墳の石棺から、「倭王」と彫られた部分が奈良県内の古墳の石棺からそれぞれ発見されたのだ。どうやらこの二人の「卑弥呼」は魏から贈られた金印を仲良く二人で半分こして分けていたようなのだ。
思いもよらぬ結果であったが、これまで延々と決着がつかなかった議論の争点を一気に解決できる答えでもあった。「卑弥呼は二人いて、九州と畿内に二つの邪馬台国があった」と考えれば、九州説・畿内説それぞれの有利・不利をおぎないあって矛盾を解消した合理的な説明が可能となる。論争を繰り広げた研究者たちにとっても「痛み分け」の結果であり、これまで長く続いた対立の平和的な終焉に両派の人々もほっと胸をなでおろしているという。
しかし対立の再燃が懸念される問題もある。二人見つかってしまった「卑弥呼」の呼称について、「卑弥呼A」「卑弥呼B」あるいは「卑弥呼1号」「卑弥呼2号」、はたまた「卑弥呼・姉」「卑弥呼・妹」などの意見まで上がっているが、「どっちをA、あるいは1号、もしくは姉にするんだ!」と両派の研究者たちがそれぞれ「卑弥呼さま」を掲げて争いを始めそうな気配だというのだ。それを回避するために「福岡卑弥呼」「奈良卑弥呼」、「東卑弥呼」「西卑弥呼」、「スゴカ卑弥呼」「イコカ卑弥呼」などといったアイデアまであがっているのだそうな。
◆水の底をさらってみたら
さきごろ大坂道頓堀の水底をさらってみたら、1985年の阪神優勝時に投げ込まれた「ケンタッキーおじさん」ことカーネル=サンダースの人形が発見されて話題を呼んだ。前回の記事でも書いたように、とっくに海に流れて行ってしまってるんじゃないかとあきらめられていたのだが、よく探せば見つかるものなのだ。そこで自分もやってみようと、あちこちで水の底をさらってみて、驚くべき再発見が相次いでいる。
今年4月1日に、山口県と福岡県が合同で関門海峡の海底をさらってみたところ、一本の剣が発見された。すっかり錆びつき、ボロボロになっていたが、よく洗ってみたところ古墳時代に作られた刀剣とおぼしく、専門家の間では壇ノ浦の戦いの時に平家一門や安徳天皇と一緒に海に沈み、そのまま行方不明になっていた「三種の神器」のひとつ、「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」ではないかとみられているという。
「三種の神器」とは古墳時代以来、天皇家が代々伝えてきた皇位の象徴となる宝物だ。鏡・剣・勾玉の三つで、このうち「草薙剣」は古事記・日本書紀の伝える神話の中ではスサノオがヤマタノオロチを退治した時にその尻尾の中から発見されたものとされ、その後ヤマトタケルが遠征中に使用したことになっている。鏡・勾玉ともども平安時代まで代々の天皇に受け継がれてきたが、源平合戦のおりに平家が擁した安徳天皇と共に西海へ持ち運ばれ(このため次の後鳥羽天皇は神器なしで即位した。だから後年「ジンギなき戦い」をやることになったかどうかは知らんが)、平家が滅亡した壇ノ浦のときに安徳天皇と共に海に沈んだ。源氏軍は必死になって神器を探し、鏡と勾玉は運よく発見できたが、剣だけはどうしても発見できなかったのだ。やむをえず新たに「新品の古代剣」を作って代用とし、その後の南北朝動乱での神器争奪戦で扱われたのもその代用品だ。もっとも、「三種の神器」の「本物」はそれぞれ熱田神宮や伊勢神宮などに非公開で祭られているという見解もあり、それによると草薙剣の「本物」は熱田神宮にあって、別に新品だろうが中古だろうが代用品が変わっても問題はないってことになってるそうだ。
今も皇居内に「剣」は保管されており、皇位継承の儀式などで使用されている(今の天皇の即位のおりに映像が出たことがある。袋と箱に入ってたけど)。ここで「以前の代用品」が発見されたことで、どっちが本物の「神器」になるのか注目されるところである。一部に後南朝勢力が「奪還」を狙っているとの噂もあり、現在壇ノ浦から発見された「剣」は厳重な警戒のもとに置かれているという。
いっぽう、鎌倉市の稲村ケ崎の海底をさらってみたところ、こちらでも一本の刀剣が発見された。明らかに鎌倉時代の刀と思われ、どうやら1333年に新田義貞が鎌倉攻めに際して海に投げ込んだ、あの刀なのではないかと推測されている。実際に刀には義貞の名前と住所が書かれていたという。
軍記物語「太平記」が伝えるところによると、北条一族がたてこもる鎌倉をせめあぐねた義貞は、海岸から鎌倉を攻撃しようと考えた。しかし海上には北条側の船団が控え、稲村ケ崎の岬を超えるのは容易なことではない。そこで義貞が竜神に「ここを通らせてくれ」と祈って、ひとふりの太刀を海中に投げ込んだところ、たちまち潮が引いて干潟が現れ、そこを渡ることができた…という話になっているのだ。それこそ四月バカみたいな話であるが、「太平記」とは立場がことなる同時代の軍記物「梅松論」も突然干潟が出現したように記述しており、あながち嘘とも言い切れない。
その海中に投げられた太刀そのものが発見されたことで、あの話も事実だったことが確認できたことになる。それはよかったのだが、太刀を拾い上げた途端、太刀を奪われた竜神のたたりなのか、いきなり海面が上昇して大騒ぎになってもいる。これが地球温暖化の影響なのか、はたまたいわゆる「稲村ジェーン」と呼ばれる大波なのかは確認されていない。
◆めざせ、野球大国!
野球のワールドカップにあたる、WBC=ワールド・ベースボール・クラシックは、ご存じのように日本の二連覇という形で多くの日本人には万々歳という形で幕を閉じた。韓国との決勝戦も血沸き肉踊るなかなか面白い試合となり、最後にはしっかりイチローが決勝打を打ってしまうなど、なんだか漫画みたいな展開であった。まぁ国別対抗世界一決定戦と言ったって、5回も日韓戦が行われるのには首をかしげるし、肝心のアメリカがオールスター体制というわけでもなく、恐らくアメリカ国民の大半は日本が世界一なんてこれっぽっちも思っちゃいないだろうが。だいたい野球どころかサッカーのアメリカ一決定戦を「ワールドシリーズ」と言っちゃうようなお国柄だし。東アジアとアメリカ大陸、そしてヨーロッパのチームが出ていたが、躍進で驚かせたオランダだってほとんど中米出身者で固められてたし、イタリアだってアメリカ帰りの人たちが多く、どうしてもサッカーに比べると野球は「世界的」とは言い難いようではある。
野球といえば、水島新司の超大河プロ野球漫画「あぶさん」の主人公・景浦安武もついに今年で引退表明をした。何年か前から噂されていた引退ではあったが、この漫画は現実のプロ野球とちゃんとリンクしてリアルタイムに進行しているため、景浦はすでに62歳という現役選手としてはSF的な年齢に達してしまっている。もっとも水島ワールドでは「野球狂の詩」の岩田鉄五郎みたいに70代で現役なんてのもいるから、驚くことはないかもしれんが。
さてもともと野球大国の一つで、世界ランキングも一位、今度のWBCではそれほどぱっとしなかったがそれなりの強さはあったのがキューバ。かつて「アメリカの植民地」だった点で日本や韓国とおんなじでアメリカ文化である野球をモロに受け入れた国であり、社会主義国になっても野球熱は相変わらず高かった。その原因はなんといっても「建国の父」であり昨年までずっと最高指導者の地位にあったフィデル=カストロ当人の大の野球好きにある。カストロ前議長は革命家になる以前の若い頃には凄腕のピッチャーで鳴らしており、大リーグからスカウトの話もあったというぐらいで、単に野球好きの国家指導者というレベルではなく、「元党首」ならぬ「元投手」として野球をこよなく愛しているのだ。以前から党の機関紙に連載しているコラムに野球がらみの話を書くことが多く、今度のWBCもしっかりTV観戦していたようで日本チームの原辰則監督の采配を当初批判していたとか伝えられている。もっとも日本が優勝したらイチローへの絶賛のみならず原監督の采配も絶賛していたそうだが(なお、そのコラム掲載前に2ちゃんねるを発信源として「カストロの日本絶賛文」なるものが出回ったが、気の早い4月1日であった)。
カストロ前議長もすでに82歳。しかしWBCを見ているうちに血が騒いだのか、この4月1日からいきなり「現役復帰宣言」を発表して世界中をアッと言わせた。禅譲した弟のラウル=カストロ議長とうまくいってないんじゃないかとの憶測も流れていたから「すわ、政変か」とマスコミが騒いだが、よくよく内容を見たら政界復帰ではなかった。党首ならぬ投手への現役復帰宣言だったのである!
WBCでの自国チームのふがいなさに発奮したようで、自らエースピッチャーを務めることが発表された。公表された映像を見る限りでは確かに十分トップレベルで通用しそうな剛球であり、岩田鉄五郎もビックリの老現役投手の誕生となるようだ。なにやら文革のときに毛沢東が長江を泳いで見せたパフォーマンスも思い起こされるが、「建国の父」のまさかの現役復帰に同国の野球選手たちも発奮、次回のWBCでの世界一奪取に向けて猛特訓を開始しているとのことだ。
そのカストロ前議長を「反米の星・ラテン社会主義の先駆」として敬愛して交流し、ちょっと前にはキャッチャーとしてカストロ前議長の球を受けたこともあるベネズエラのチャベス大統領も「カストロ現役復帰」に大感激し、自国の社会主義国家建設もほったらかしてキューバチームに合流してしまい、カストロ前議長とバッテリーを組むことになるそうだ。
そんな情報を聞いて黙っていられなくなったのか、ボリビアの山奥で死んだと見せかけてひそかに隠れ住んでいたチェ=ゲバラまでが姿を現し、老骨に鞭うってキューバチームに合流するとの報道が流れて、これまた世界をアッと言わせた。アルゼンチン出身のゲバラはサッカーならともかく野球なんて興味もないそうだが、「カストロ同志の新たなる革命運動に協力したい」と語り、例の「ゲバラTシャツ」を着て打撃練習に余念がないとのことである。
2009/4/1の記事
(間違っても本気にしないように!)
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