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2009年9月10日

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◆偽札大作戦?

 言わずと知れた名作「ルパン三世・カリオストロの城」の舞台はヨーロッパの架空の小国「カリオストロ公国」。この日本人の耳にもおどろおどろしげに聞こえる「カリオストロ」なる名前の元ネタは、映画中でも伯爵がちゃんと言及している「三世」の祖父・アルセーヌ=ルパンの最初の大冒険『カリオストロ伯爵夫人』に由来する。この小説のヒロインが映画と同じクラリスであり、悪役がカリオストロ伯爵夫人ことジョゼフィーヌ=バルサモなのだ。
 そしてこれまた結構知られていることだが、ルブランのこの「カリオストロ伯爵夫人」にはさらに元ネタとなった自称「カリオストロ伯爵」ことジェゼッペ=バルサモ(1743-1795)なる実在人物がいる。イタリアはシチリアの出身で、18世紀後半のヨーロッパをまたにかけて各地でオカルトネタ満載の詐欺行為を繰り返した怪人物で、ゲーテカサノヴァエカテリーナ2世といった世界史上の有名人とも接触している(最もエカテリーナなんかは完全に詐欺師と見破っていたが)。そしてフランス革命直前の1785年にパリに入り、王妃マリ=アントワネットの首飾り詐欺事件に関与が疑われ国外追放となった(デュマの小説などで主犯とされることもあるが無関係の可能性も指摘されている)。イタリアに帰国後異端審問を受けて死刑判決となるが、終身刑に減刑されて獄中でハチャメチャな生涯を閉じている。
 アルセーヌ=ルパンは6歳の時にこのカリオストロにゆかりのある「王妃の首飾り」を盗んだことで「初犯」を飾り、20歳の時に「カリオストロの娘」を自称する女盗賊「カリオストロ伯爵夫人」と出会って泥棒修行をし、その泥棒生涯のほぼ最後の冒険も「カリオストロの復讐」。そしてお孫さんまでカリオストロと関わっちゃっているのである。

 ところでアニメ映画のほうでは「カリオストロ公国」は実は偽札製造を大昔からの国家事業としていたという設定になっている。恐らくモナコやリヒテンシュタインといった小国がマネーロンダリング疑惑を常に持たれていることにヒントを得たと思われるが、ルパン三世の説明によるとこの国の偽札はナポレオンを失脚に追い込み、世界恐慌の原因にもなったとされ、陰謀史観的ではあるがそれなりのリアリティをもたされている。
 国家を上げて偽札造り…という疑惑をもたれているといえば、おとなりの北朝鮮だが、実はその北朝鮮に混乱を引き起こさせるべく、アメリカが「偽ウォン札」をばらまくことを計画していた…という、スパイ小説みたいな話が8月20日付の東京新聞で報じられた。
 といっても最近の話ではない。すでに半世紀も前、1950年に勃発した朝鮮戦争当時のことだ。1950年6月に始まった戦争は序盤は北朝鮮軍の圧倒的優勢、それから9月のアメリカ軍(国連軍)による仁川上陸作戦での韓国側の巻き返し、そして10月の中国軍参戦による北朝鮮側の反撃とめまぐるしい展開を続けた。1951年1月には北側がソウルを再奪回し、戦争は半島中央の38度線をはさんで行ったり来たりの膠着状態になっている。
 GHQの下部組織「キャノン機関」が「偽ウォン札計画」である暗号名「アイスボックス作戦」を極秘裏に進めたのはその膠着状態の時期だったという。キャノン機関は在日韓国人ら数名に計画を実行させ、大阪で偽札製造容疑で公判中だった男を連れ出して韓国人たちの監視のもとで偽札原版を作らせた。製造したのは朝鮮中央銀行が発行している最高額紙幣100ウォン札で、これを大量に印刷して北朝鮮にばらまき、経済を混乱させる予定であったという。
 この計画が進められている3月半ばに国連軍はソウルをまたもや奪回、国連軍を率いるマッカーサーはこれを機に一気に反転攻勢に出ようとした。このときマッカーサーは中国東北部への核攻撃も計画していたとされ、ソ連も含めた全面戦争、すなわち第三次世界大戦に拡大することを恐れたトルーマン大統領は4月11日にマッカーサーを解任した。偽札作戦もその直後に中止命令が出て、結局原版も未完成で偽札印刷にもとりかかれないまま、偽札作りのプロが外出している間に監視役の韓国人たちは原版と道具を持ち出して撤収し、全ては「なかったこと」にされてしまったのだという。
 一応この史実はすでに当事者の証言により明らかにされていた。監視役をつとめた在日韓国人の一人・延禎(ヨン=ジョン)氏(2002年死去)が1973年に「キャノン機関からの証言」という本を書いてこの作戦を明かしていいるのだ。ただ「某国の経済攪乱をおこなおうというプラン」としてあくまで対象の国名は伏せていたという(どこだかすぐに分かってしまうが)。今回記事になったのは、その延禎氏の弟でやはり作戦に参加していた当年81歳になる延祥(ヨン=サン)氏の証言で、この人がひそかに保管していた実際に使われた偽100ウォン紙幣用の原版という物的証拠も示されている。どういうつもりで保管していたのかは分からないが、貴重な歴史の裏舞台の一資料が後世に残されたわけだ。
 
 ところで、この作戦にスカウトまでされた「プロの偽札作り」の男性のその後がすっごく気になるのだが…



◆黒い水は甘くない

 イラク戦争が始まったのは2003年のこと。あれから1年と少しぐらいは連日のように次々と新情報が大きく報じられたものだが、今じゃ爆弾テロのニュースが年中行事のように報じられ、報じる方も受け取る方もすっかり麻痺して扱いが小さくなってしまっている。
 イラク戦争の中でその存在を広く知られたのが「民間軍事会社」というやつだ。正規の軍隊ではなく、元軍人などによって組織される民間の軍事ビジネス組織で正規軍の行動をサポートする。要するに現代における「傭兵」というわけである。日本人がイギリスの民間軍事会社の「傭兵」として現地に赴き「戦死」していたことを記憶している人も多いだろう。

 そんな「民間軍事会社」の中でも「悪名高い」と軍事雑誌にまで言われているのが旧「ブラックウォーター」、今年なぜか「Xe(ジー)サービス」と改名した会社だ。アメリカの海軍特殊部隊「ネイビーシールズ」の元隊員が中心になって1997年に作った会社で、2003年に始まった「対テロ戦争」やら「イラク戦争」において急成長した。
 8月の末にこの「ブラックウォーター」とアメリカ軍・CIAが「ズブズブの関係」にある実態がアメリカ有力紙で相次いで報じられた。19日にはCIAが2004年以降にアルカイダなど国際テロ組織幹部を暗殺するための秘密作戦の計画立案や訓練をブラックウォーターに委託する契約をしていたことが報じられている。CIAがそんな作戦を民間会社に委託するとは、と思っちゃうところだが、「何か問題が起きた時、外部委託の方がCIAを守れるから」という証言にもまた納得させられてしまうところ。証言によるとこの暗殺委託作戦は今年6月に終了していて、結局実際に暗殺作戦が遂行されることもなかったというのだが、訓練費用としてブラックウォーターには数億円もの金が支払われたという。
 暗殺作戦だけではない。「対テロ戦争」の情報収集、情報分析、さらにはアフガニスタンで進められる作戦の中で、CIAがパキスタンやアフガニスタンに置いている秘密基地で空対地ミサイルやレーザー誘導爆弾を無人偵察機「プレデター」に搭載する作業も「ブラックウォーター」が請け負っていたことも24日に報じられた。ブラックウォーターかどうかは確認してないが、CIAによるテロ容疑者に対する尋問活動も民間会社に委託されていたことが報じられており、すでにあまりに手段を選ばぬ尋問方法が人権問題であるとしてオバマ政権の調査を受けているCIA以上にえげつない尋問をしてるんじゃないかと推測されている。
 まぁアメリカは徴兵制ではないから人手不足だし、最新鋭兵器がますます発達して「素人」には手の出せない戦争形態になってきてる昨今では「民間のプロ」の力を借りるという発想自体は自然に出てくるものだろう。だがことは国家の軍事行動であるだけに利益優先の一私企業にあまりに頼るのはどうかとも思うところで、国防関係者からも「当局本来の活動を民間人にやらせるべきではなく、人手が足りなければ新たに雇用する必要がある」との声が上がっているそうだ。
 
 暴力組織であるだけに古今東西、軍隊の蛮行の例は山ほどあるが、雇われて純粋に商売として戦う「戦闘屋」である傭兵のほうがやや悪質な例が多いといわれる(むろんこれだって例外はあるんだろうが)。歴史上の有名どころでは日本の応仁の乱における足軽集団や、ヨーロッパの三十年戦争における傭兵たちが有名だが、現代の傭兵である民間軍事会社の連中にもいろいろと聞こえの悪い話はある。
 最近ではブラックウォーター社の「警備員」が2007年9月にイラクの民間人17人を射殺した事件が大きく報じられた。この事件ではブラックウォーター側は攻撃を受けたから反撃したとして「正統防衛」を主張したが、被害者のうち少なくとも14人については正当防衛とは認めがたいとしてアメリカ連邦大陪審がブラックウォーター社の社員5人を昨年末に殺人罪で起訴している。
  この事件については被害者遺族の代理としてアメリカ憲法権利センターが損害賠償をもとめる民事訴訟も起こしているが、この裁判の中でブラックウォーターの元社員が驚くべき宣誓証言をしたという話が報じられている(僕が見たのは毎日新聞記事)。何を言ったかと言うと、「ブラックウォーターの社長は自らをイスラム教徒の排除を任務とする十字軍とみなして、同じ考えの人間をイラクに送り込み、彼らがあらゆる機会をとらえてイラク人を殺害すると予測・期待していた」と証言したというのだ。うわぁ、これが事実だとすると「ジハード」を唱えて自爆テロをする連中とどこが違うんだという話になってしまう(自爆はしないんだろうけどね)
 あまりといえば余りの発言なのだが、裁判を起こしているアメリカ憲法権利センターがそういう証言があったと公表しており、アラブ圏・イスラム圏では当然大きく取り上げられ、騒ぎになっているという。当のブラックウォーター改めジー・サービス側は「根拠のない攻撃的な主張」として否定しているそうだが。ちなみにブラックウォーターの創設者にして現社長のエリック=プリンス氏は「ネイビー・シールズ」出身でまだ40歳の「青年実業家」である。
 本音を言えばこの証言、さすがに僕もにわかには信じがたいところなのだが(イスラム教徒保守派がアメリカに抱くイメージにあまりに近すぎるというせいもある)、アメリカというのもあれでかなりの宗教右派が幅を利かしているところなので、もしかして…と思わなくもない。
 一応ブラックウォーター改めジー・サービスはあまりの評判の悪さにイラク政府は今年から社員全員の国外退去を決めている。



◆星を継ぐもの

 いきなり物凄い昔話。人間なんて影も形もない遠い話なので「歴史」ネタといえるかどうか。まぁ地球生命の歴史話と思っていただきたい。

 地球上の生命はどうやって発生したのか?という大きな謎がある。地球の太古の海の中で無機物が偶然化学変化を起こして有機物になり、それが長い長い時間をかけて高分子の構造になってゆき、生命の源になったと考えるのが今のところ「当たり障りのない説」と見られている。
 「ユーリー=ミラーの実験」という有名なものがある。シカゴ大学の大学院生スタンリー=ミラーが1953年に師匠のハロルド=ユーリー(マンハッタン計画にも参加した化学者)の研究室で行った実験で、太古の地球の大気を再現したメタン・アンモニア・水素、および水だけを入れた装置を作り、そこに雷を模した放電を行って一週間放置した。これだけの材料から一週間後にはタンパク質の素材であるアミノ酸が合成されたことを確認、原始地球における生命発生(正確にはその基本素材の非生物的合成)の再現に成功したとして大きな注目を集めた実験だ。ただし、その後地球科学の進歩により太古の地球の大気はユーリーやミラーの想定したようなメタンやアンモニアではなく二酸化炭素や窒素酸化物が多かったと考えられるようになっていて、今となってはこの実験は「正確な生命発生モデル」とは言えないとされている。ただ無機物から条件によって有機物が合成される可能性を示したことだけは間違いなく、他の実験でも無機物からアミノ酸が合成されることがあるのは確認されている。ただそうしたアミノ酸から、「生命」なるものへどうやってジャンプしたのかについては説明が難しい。
 またその当のアミノ酸が問題なのだ。文系の僕には今回初耳な話でもあり、正確な記述が期せないのだが、なんでもアミノ酸の分子構造には言ってみれば「左型」「右型」の区別があり、両者ができる確率は五分五分であるはずなのに、なぜか生物が作り出すアミノ酸はほぼすべてが「左型」なのだそうである。これは偶然発生したにしては異常な偏りであり、生命発生を考える上で解決しなければならない謎とされているという。

 そんな謎を一発解決してしまう仮説がある。そもそも生命は地球上で発生したのではなく、地球外で発生して地球に落っこちてきたのでは…という一見SFみたいな仮説だ。だが、これ大真面目に唱えられている仮説であり、それが事実である可能性が近年ますます高く見られるようになっているのだ。
 そもそもこの説なら地球というごく限られた環境で偶然生命が発生するよりは、舞台が宇宙スケールに拡大することでよっぽど発生確率が高くなる。実際、宇宙空間に多くのアミノ酸分子が存在していることは確認されているのだ。そして地球生物のアミノ酸が「左型」に極端にかたよっている謎も、宇宙空間で放射線を浴びると「右型」のアミノ酸が破壊される事実から説明できるという。

 この仮説をさらに裏付けそうな発見が先日報じられた。NASAが10年前の1999年に打ち上げた無人彗星探査機「スターダスト」(「星屑」というなかなか渋い名前。アシモフのSF「STARS,Like Dust(邦題「暗黒星雲のかなたに)」を連想する)が2004年1月に彗星「ビルト2」の尾に突入し、彗星の「ちり(ダスト)」を採取した。これらの試料を納めたカプセルは2006年1月にアメリカはユタ州に落下、回収され、それからさらに長い期間をかけて調査分析が進められていたのだ。
 その回収された試料の中からずばり「アミノ酸」、それも生命に欠かせないグリシンが発見された、とNASAジェット推進研究所が17日に発表した。彗星のちりを調べて何になるんだと思いがちだが、彗星は太陽系草創期の物質をそのまま保存していると考えられ、太陽系誕生、ひいては生命誕生のカギを握っているとされるのだ。今回の発見は宇宙にはわりとありふれてアミノ酸が存在することを物的に裏付け、「地球生命の素は宇宙から落ちてきた」という説の現実味をさらにましたことになる。研究チームの誰だかは「生命は、地球のみで生まれた特殊なものではなく、宇宙に広く存在するありふれたものかもしれない」と話しているという。
 この話題、SF的には「全然違う星で発生した異星人がなんで地球人と同じカッコなんだ?」というツッコミに対する言い訳として使えるんだよな。「先祖が同じなんだから」という「一応科学的な説明」ができるからだ。



◆祖父の陰画が孫に報い

 さて、「宇宙人」の話が出たところで。わが国では宇宙人のあだ名がある人が首相になることが確定した。かつて初めて自民党が下野した時の自民党総裁兼総理大臣もヨーダとかETとか言われてましたっけ(笑)。

 唐突だが、アメリカ大統領となったジョン=F=ケネディ、および先日亡くなったエドワード=ケネディ上院議員の父ジョゼフ=P=ケネディは実業家として成功を収めた人物だが、世界恐慌を事前に察知して株の売り抜けに成功した有名な逸話がある。ウォール街で靴磨きの少年が「株って儲かるんだな」といった会話をしているのを耳にして、「靴磨きの子供までが株を扱うようになっちゃ危ない」と市場崩壊を予見したという逸話だ。
 全然関係ないような話だが、僕は今度の選挙の直前に「予見」を感じる場面があって、この逸話をふと思い浮かべていた。その場面とは、衆議院選挙公示の当日、夏期講習の仕事先からの帰りに乗った電車の中で、向かいの席にいるおばさん二人が民主党のマニフェストを開いて熱心に話しこんでいる光景を目撃した、というものだ。この時点で民主党の優勢はある程度予想はされていたが、この光景を見た僕は「こりゃ大変なことになるんじゃなかろうか」と思っちゃったのだ。そもそも電車の中で政党マニフェストを読んでいること自体が珍しい光景だし、それもこう言っては何だが、一般にあまり政治に関心がなさそうな普通のおばさんたちがそれを熱心に読んで議論しているという状況がなんとも新鮮だったのだ。はたしてその数日後に出た世論調査で民主党300議席越えの圧勝予測が出て、それは結局最後まで変わることはなかった。まぁ僕が目撃したその光景はその一度きりのたまたまのものの可能性も高いんだが(そういう光景が各地で見られたとすれば立証できるんだけど)
 各社の世論調査がそろって民主党の300議席、それどころか320議席の圧勝、自民・公明の大物続々落選との予想にはさすがに「ホントかよ」と思ったものだが、結果はだいたい予想通りだった。前回の郵政選挙あたりから世論調査による事前予測はおおむね外さないな、と思わされる。強いて言えば320越えかとの予測よりはさすがに控えめになり、落選が噂された首相経験者クラスもなんだかんだ言って踏みとどまった。これはもしかするとささやかに「アナウンス効果」だったのかもしれない。 
 
 いきなり歴史を振り返る。
 敗戦直後の占領下、戦前の政友会の流れをくむ有力政治家・鳩山一郎は保守政党「日本自由党」を結成した。戦後最初の総選挙で自由党は第一党の座を獲得、鳩山一郎はさっそく組閣に取り掛かったが、突然GHQが鳩山に「公職追放」の処分を行い待ったをかけた。理由は鳩山が戦前の二大政党下において政敵の浜口雄幸首相を統帥権干犯問題(軍縮に踏みきった浜口内閣に対し天皇のもつ軍事指揮権「統帥権」を犯すものと追及した)で攻撃したことなど、政党政治家のなかで軍部と結びついて軍国主義を許したことなどが挙げられているが、このタイミングでの公職追放にはGHQの占領政策上の深い思惑があったとみられる。やむなく鳩山は公職追放が解除されるまで吉田茂に自由党総裁の地位を託すことにした。こうして戦後政治に決定的な影響を残す吉田茂内閣の歴史が始まることになった。
 ほんらい吉田の地位は鳩山から緊急措置として一時的に譲られたもので、鳩山の公職追放が解除されれば「すぐに返す」と吉田は約束していた。しかし鳩山の追放解除が近付いても吉田は一向にその気配を見せず、むしろ池田勇人佐藤栄作ら官僚出身の「吉田学校」の生徒たちを率いて自身の基盤を固めていった。これに自由党内の鳩山一派(非官僚系の俗に言う「党人派」)は反発、1951年の鳩山の公職追放解除を待って猛反撃に出ようとするが、肝心の鳩山が解除直前に脳出血で倒れ、半身不随になるという不運に見舞われた。

 1953年に吉田が国会でつい「ばかやろう」と口走ったことから、野党・社会党と自由党内の鳩山一派が手を組んで吉田内閣不信任決議を通し、いわゆる「バカヤロー解散」となった。これが決定的な亀裂となって鳩山一派は自由党から離脱して新党「日本民主党」を立ち上げ、1954年には長く続いた吉田時代を終焉に追い込んで民主党政権・鳩山内閣を成立させた。この一連の政争の陰で暗躍したのが鳩山の参謀格で寝業師・勝負師の異名をとった三木武吉で、実態としては吉田VS鳩山というより吉田VS三木だったんじゃないか、と言われるほどで、このあたりの戦国ドラマ並みに面白い展開は「小説吉田学校」(さいとう・たかをの劇画版・森谷司郎監督の映画版あり)でじっくり描かれているので興味のある方はぜひ一読を。
 国民は長期政権の吉田のワンマンキャラぶりに飽き飽きしていたし、不運続きで同情されていた鳩山の悲願の登板に「奪回」の快感を覚えたようで、当時はちょっとした「鳩山ブーム」になっていたという。ただ鳩山一郎は「ハト」という名前のイメージと、ソ連と国交を回復した「日ソ共同宣言」(1956)などで「左より」なイメージをもたれがちだが、実際には戦前のこともあって吉田からは「右翼」よばわりされ警戒されていたぐらいだし、実際民主党は「自主憲法制定」「再軍備」を党是に掲げていた。憲法改正を実現するために1955年には自由党と合流して「自由民主党」を結成し、憲法改正発議に必要な3分の2以上の議席獲得を可能にする小選挙区制の導入も試みている(結局参院で廃案になった)。当時、鳩山一郎首相は国会答弁で小選挙区制導入について「二大政党という態勢が育成され、一つが4年間やって、不評判になって他に代わる」という趣旨の発言もしていることが、半世紀以上もたった今になるとなかなか意味深だ。もっともこの時の小選挙区制は与党内にも反対があって参議院で否決され、自民党がその党是に掲げていた憲法改正発議は結局半世紀以上も実現しないことになる。

 保守勢力を糾合した「自由民主党」と、やや社会主義よりの集団である左派・右派社会党が合流した「社会党」とが対抗する構造、いわゆる「55年体制」がその後およそ40年にわたって続く。一見二大政党制なのだが「一・五大政党制」と揶揄されたように自民党が常に圧倒的な多数を占め、自由民主党は高度経済成長を主導して民主主義国家としては異例の「事実上の一党独裁」を続けてきた。自民党のみが政権を握り、これを経済的に支えて恩恵を受ける財界、安定した政権のもとで忠実に働く官僚機構とがうまいこと噛み合って来たとも言え、「成功した社会主義国」などという異名も日本にはつくことになった。まぁ「絶対的権力は絶対的に腐敗する」という格言そのままに、しっかり腐敗して自滅していくことになるのだが。
 もちろん自民党も一枚岩というわけではなかった。自民党結成の立役者である三木武吉も「十年もてばいいほうだ」と言ったと伝わるように、旧民主党と旧自由党、大まかに言って党人派と官僚出身派の対立があり、さらに政治的志向と利害関係やら人間関係やらで党内にさまざまなグループ、いわゆる「派閥」を構成していた。とくに1970年代から80年代にかけて首相候補となる「派閥の領袖」の大物たちがせめぎあい、「仁義なき戦い」も真っ青の凄まじい抗争を繰り広げたことが、かえって「自民党」という政党の活性化につながったとの見方もある。要するに自民党という巨大な枠の中で与党・野党があり、政権交代を繰り返してきたわけなのだ。冗談みたいな話だが、最近中国共産党が一党支配維持の秘訣を自民党に学ぼうと派閥構造について研究を進めている、なんて報道もあったっけ。

 典型的な「自民党政治」はやはり80年代の中曽根康弘内閣あたりで終わっていた、と見てよさそう。それを引き継いだ竹下登内閣は消費税導入とリクルート疑惑で支持率が一ケタ台まで落ちてしまい(だから最近の方々は決して低いほうじゃないんだよな)、結果的に自民党政権失陥の一因を作っている。くしくもこの内閣のときに「昭和」が終わり、世界では社会主義陣営が崩壊して冷戦は終わっている。この時点で保守政党としての自民党の役目はとっくに終わっていた、との見方もある。
 1993年の総選挙で、自民党から離脱した議員たちによる「日本新党」「新党さきがけ」「新生党」といった新政党が躍進、社会党と組んでついに自民党を野党に転落させた。現在の民主党の中核はおおむねこのとき自民党から離脱した面々だが、小沢一郎もこのとき旧田中派・旧竹下派の主導権争いに敗れて自民党を離れたクチで、田中角栄仕込みの策謀能力をフル稼働して新党勢力を糾合、非自民政権を実現することになるのだが、これだって実質は自民党派閥抗争の延長戦みたいなものだ。
 細川政権樹立の実質的立役者で角栄の遺伝子をそのまま引き継いだ「闇将軍」である小沢一郎は二大政党体制を目指してことを急ぎすぎ、社会党を敵に回してそれと組んだ自民党に政権を奪還され、二大政党の一角をなすべく「新進党」を結成するが自分が党首になった途端に内部分裂でつぶしてしまう。「非自民・非小沢(笑)」という考えてみれば凄い取り合わせで非自民勢力を糾合したのが鳩山一郎の孫である鳩山由紀夫を中心とする「民主党」だった、というわけだ。それまで「鳩山新党」とか言われていた政党の正式名が「民主党」と聞いて、「祖父の幻影から抜けられてないなぁ」とズッコけた人は僕だけではあるまい。彼にしてみれば「自分こそが本家本元の自民党」と思ってるんじゃないかって気もするし、今回の政権交代劇はいわば「本家と元祖の争い」という老舗和菓子屋の内紛みたいなもんなんじゃないかと。
 で、小沢一郎のほうは「自由党」を率いて自民とくっついてみたが、公明党が自民とくっついたことで切り捨てられ、結局民主党に合流するハメとなった。以前この「史点」で「小沢一郎衰亡史」なるタイトルで一文を書いたことがあるのだが、気が付いたら民主党党首となり、一見コケたかに見せてしっかり闇将軍ぶりを発揮して民主党政権樹立にもっていってしまったんだから、なんだかんだ言われつつこの人は凄い、と今回は素直に頭が下がった。まぁ、この人みたいなタイプって日本史では結構いるかな。トップに立っちゃだめなんですね、こういう人は。陰で動き回ると物凄いパワーを発揮しちゃう。鳩山一郎の参謀格だった三木武吉の系譜につらなるものだろう。
 それもあって、僕なんかは春の「小沢党首辞任」はむしろ自民党の首を絞める結果になったんじゃないかと思っている。これからどうなるにせよ、平成の20年間の日本政治史は後世「小沢時代」とか言われていそうな気がする(笑)。この人がまた暴走してぶち壊してしまうかどうかが見ものというところだろう。

 なんだかダラダラと書いてしまっているが。
 まぁ要するに、今回の「政権交代」ってのも歴史を振り返れば自民党派閥抗争史の延長戦みたいなもんですよ、ということ。「本体」の自民党は冷戦構造崩壊時に存在意義をかなり失い、その後に公明党と連立を組んでその援助におんぶにだっこの形になった時点でほとんどゾンビも同様だったと思っている。小泉純一郎という「変人」が登場して、劇薬を用いて自民党の圧勝に導いたが、あれだって投票してるほうはむしろ「古い自民党をぶっ壊す」という純ちゃんのフレーズに乗ったわけで、結果的にこの圧勝の劇薬が毒薬も同様に自民党支持母体を本当に崩壊させ、今回の事態に陥ったとみることもできそうだ。
 末期症状を呈して政権を失陥することになった総理総裁が吉田茂の孫であり、政権を奪取したほうが元祖・自民党党首の孫であるというのは、まさに因果はめぐるというやつ。老舗和菓子屋の内紛だか永田町の自治会選挙だかという話なんだが、それを革命と呼ぶなら確かに革命なのかもしれないけどさ。一見大変化なのに国民レベルではいまひとつ冷めているのもそんなところに原因がある気もする。
 海外の報道では「明治維新、戦後改革に次ぐ第三の変革」(サードインパクト?)などと大きく報じるものもあったそうだが、それほどのものなのかいな、と。もっとも前の二つの大改革も、当時を生きてた人にとっては実はそれほど大変化とは思ってなかったのかもしれない。所詮は「体制内変革」というものなのは確かなので。むしろ海外報道の中にあった「冷戦構造崩壊の波がようやく日本に及んだ」という声が僕にはしっくりくるものがあった。台湾や韓国のほうにその波が先に来てた気もするけど。あとはやっぱり宗主国の政権交代も大きかったろうな。

 僕の地元の話になるが、茨城県はいろいろと象徴的なことがあった。
 全国ニュースでも大きく報じられたが、長年自民党を支えてきた茨城県医師会連盟は選挙に先立って民主党支援を決定、3000名以上が自民党を離党していた。直接的な理由は後期高齢者医療制度だったのだが、僕の行きつけの医院の、いつも選挙になると自民党の候補者のポスターが貼ってあった所に春過ぎごろからいきなり民主党候補のポスターが貼られたのには、その変わり身の早さに呆れつつも、政策で政党を選んでいるという点では実に素直だなとも思った。だいたいこれまで医者がみんなで自民党党員になってるってこと自体が変だったわけだが、みんなでそろって鞍替えというのも実に日本的な光景。まぁ少なくとも自民か民主かという選択がイデオロギー的なものでは全然ないということだ。
 僕のいる選挙区では官僚出身の婿養子世襲(義父が元大臣)
自民党候補、それと争う二大政治一家(中選挙区時代はもう一つ世襲家系があり、今も復活を狙っている)の狭間で自民党に入るどころじゃなかった民主党候補、そして今回ささやかに話題になった(?)幸福実現党候補、入れ替わるようにいつも候補者を出してる共産党は出馬しなかったので、実に今回の選挙を象徴するような状況となっていた。そしてふたを開ければやっぱり民主候補が圧勝し、自民候補は比例復活当選もできず無職に転落した(ポスターのキャッチフレーズ「働きます!」だったのが別の意味で予見的だった)。茨城県の小選挙区は自民党総裁選にも出たことのある梶山静六の息子さん以外の自民党候補は全滅し、その中にはあの「バンソーコー王子」こと赤城徳彦元農水相もいた(ヤケクソになったか本人も運動員もみんなバンソーコー貼って選挙運動してたそうな)。茨城県では同時に県知事選も行われ(4年前の郵政選挙でもそうだった)、結果的に前職がそのまま知事に再選されたのだが、多選を嫌った自民党県連が別の候補を立てたため保守分裂選挙となり、連合も非自民ということで前職を支持し、民主党もあえて候補を出さないことで実質これを支援していた。この二つの「大敗」により、長年「茨城政界のドン」と呼ばれ続けた県議会議員で自民党茨城県連会長・山口武平(なぜか知らんが昔から国会議員以上の影響力を県内で保持していた)も渋々県連会長を辞任している(しかしもう88歳だぞ!)
 滋賀県では自民党衆院議員をすべて失ったことをきっかけに、県議会の自民党が分裂、若手を中心に民主党に接近する動きを見せている。イデオロギー的なことじゃなくて「与党」に常にくっついてなきゃいけない政治屋さんというのもいるから、おそらくこれからそういう動きが各地であるんじゃないかと。全国の医師会連盟もさっそく自民党との関係を見直すとか言い出してるし、財界などその他の各種団体も与党にすりよろうとするだろう。で、結局歴史は繰り返すのではないかなぁ。

 むしろ心配になってくるのが野党に転落した自民党のほうだ。今度の選挙で「日の丸がどーの」と騒ぎまくってる時点でピントのずれが明らかだったし(どうも本気でこれが敵の大ダメージになると思ってたみたい)、ネガティブキャンペーンというやつはやはり日本の風土にはあわないんじゃなかろうか、と「文化的保守」である僕などは思ったものだ(笑)。あのズレっぷりを見ていると、なるほどそのまんま東知事を引っ張り出すという作戦はまだ現実的だったわけだな、と。
 挙句の果てに来たる特別国会の首班指名選挙で「麻生と書きたくない」などと言い出す連中が出てくる始末。選挙直前の麻生おろし騒動もみっともなかったが、「白票」案が一時本決まりになった時はさらに呆れた。結局、自殺した農水相、バンソーコーで辞めた農水相、さらに補助金不正受給問題で辞めた農水相のピンチヒッターに三度も立つという異例の経歴をもつ若林正俊参院議員が「両院議員総会議長」だからということで、なんと自民党の首班指名のピンチヒッターとされてしまうことになった。それって「仮総裁」ってことなんだよなぁ。自民党総裁でありながら総理大臣になれなかったのは今回引退する河野洋平前衆院議長だが、どうも自民党は総裁すら選べなくなっちまっているらしい。比例復活当選で国会に生還してきたのもベテラン勢が多く、相変わらず派閥抗争論理で話を進めようとしてるみたいだから、いよいよ救いがない。かつて仇敵の社会党とまで組んで政権奪回をした自民党だが、この情勢では組んでも奪回できるほどの勢力はどこにもなく、ましてそこまでの剛腕を発揮できる策士が見当たらない。
 僕はどうもこの自民党の野党暮らしは長くなりそうだとみている。その代わり、民主党がじわじわと自民党化していって、また政権交代ってなことになるのかもしれない。まぁそれはそれで健全というものだ。「ドジったら落ちるかもしれない」という危機感のない状態で政治家やってもらっちゃ困りますから。


 


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