2004年8月に僕は九州旅行を敢行、その目的地の一つとしてこれまで足を踏みいれたことがなかった鹿児島を訪れた。鹿児島と言えばやはり西郷どん、ということで鹿児島市内史跡観光はそのまま西郷どんゆかりの地めぐりになってしまった。あれだけ日本中駆けずり回った人であるが、誕生地も終焉地も鹿児島市内にある。
明治10年(1877)、明治政府に対する最大の士族反乱「西南戦争」を起こした西郷は、九州各地で激戦を展開したが結局敗退し、9月に故郷鹿児島に帰って市内の城山(鹿児島城裏手の山)にたてこもった。城山はまもなく政府軍によって完全包囲され、9月24日に総攻撃を開始される。西郷らは立てこもっていた洞穴から決死の出撃をし、そこから100mほど走ったところで西郷が二発被弾、覚悟した西郷はここで別府晋介に「晋どん、ここらでよか」と声をかけ、皇居を遥拝したのち別府に介錯された。この西郷終焉の地には記念塔が建ち、説明板には西郷最期の言葉が「Shin, my friend, as far as we go」と思いっきり意訳された英訳が掲載されている。僕も旅行の時にこの英訳を読んだが「“どん”って“My friend”でいいんだろうか…」とちと疑問も感じちゃったのであった。といってもとくに代案は思いつかないのだが。
「どん」は本来「殿(どの)」のなまったものだろうから、イタリア語やスペイン語みたいに「ドン」ってそのまんまやってもいいんじゃなかろうか、ってことは「ゴッドファーザー」の主人公も今後は「コルレオーネどん」と薩摩弁訳すればいいんじゃないか、とかバカなか連想をしてしまった(笑)。