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2010年5月26日

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◆ダウニング街の10番地

 「網走番外地」なんて映画を思い出したりして(笑)。少々間を置いた話題になっちゃいますが、イギリスの政権交代について。
 ロンドンはダウニング街の10番地といえば、イギリスの首相官邸の住所。TVなどで見たことがある人も多いだろうが、玄関を見る限りフツーの一般家庭の住宅みたいな外観である。あんな不用心なところでいいんだろうか、と思ってしまうが、2002年に現地に行ってみて現場の実態をようやく知った(下写真。いずれも2002年に筆者が撮影したもの)。あの首相官邸が面している「ダウニング街(通り)」自体は一般人は立ち入り禁止で(調べてみたら昔は入れたそうで)、入口には騎馬警官も待機しており、通りのほぼ真ん中にある首相官邸も通りの入口から柵越しに眺めることしかできない。ただ首相官邸の前には報道陣がゴソッと待機しているので、首相官邸の位置は一目瞭然だった。


 
 そのダウニング街10番地の住人が変わった。5月6日に行われたイギリス下院総選挙で政権交代が実現、労働党のブラウン首相が退陣して、第一党となった保守党のキャメロン党首が新首相に就任したのだ。1997年のブレア労働党政権成立以来、13年ぶりの保守党による政権奪回だった。
 労働党と保守党の二大政党による政権交代じたいはイギリス史上珍しくもなんともない。保守党が第一党になることは事前に確実視されていたが、1974年以来の保守党・労働党ともに過半数をとれない「ハング・パーラメント(宙ぶらりん議会)」になるとの予想もあったのだ。前回の「史点」でとりあげたように第三政党・自由民主党の存在が大きくなる、との予想もあった。直前のTV討論で自民党のクレッグ党首が大いに株を上げ、「100年ぶりの歴史的勝利」なんて報じられたりもしたものだ。
 だがフタを開けてみれば前評判に反して自民党は思いのほか票を伸ばせず(常勝の選挙区でも負けたとか)、結果的に議席数はむしろ減ってしまった。得票率は決して悪くもなかったのだが、そこは完全小選挙区制における第三政党の悲しさである。選挙前は意気軒昂だったクレッグ党首もやはり顔色が悪かった。

 それでも保守党が単独過半数をとれなかったのも事実。さっそく自民党との連立交渉に乗り出したが、自民党側は当然のごとく「比例代表選挙制度の導入」を条件としてつきつけた。なにせ今回の総選挙で得票率36%の保守党が306議席をとったのに対し、得票率23%の自民党は57議席しかとっていない。これを得票率で議席を配分する比例代表制でやった場合、保守党が234議席、自由民主党が150を獲得できる計算になるそうだ。そりゃ自民党としては躍起になろうというもの。
 ただ長らく二大政党制にあぐらをかいてきた保守党がそれをスンナリ受け入れるはずはあるまい、という見方も強かった。実際開票直後には両党の連立話はこじれて破綻するのではないかとの観測もあり、ブラウン首相の労働党が自民党との連立交渉の用意があるとして政権維持に意欲をちらつかせた段階もあった。1974年の「ハング・パーラメント」の時にも保守党と自民党が連立に失敗して労働党政権になった過去もある。次期政権をめぐる3党の駆け引きは5日間にわたって続いた。
 だがどうもキャメロン、クレッグ両党首の間では早い段階で話がついていたものらしく、保守党は「比例代表制導入」については一応前向きな姿勢を示し、選挙制度改正を国民に問う国民投票の実施を約束した。これで連立への大きな障害はなくなり、労働党は政権の目が消えたとして5月11日にブラウン首相がバッキンガム宮殿に赴いて女王エリザベス2世に辞表を提出、その1時間後に宮殿に入ったキャメロン氏が女王から新首相に任命された。連立相手のクレッグ氏は副首相となって政権中枢に参画、ここに保守党は13年ぶりに政権を奪回し、自民党はついに初めて政権党となる悲願を達成したわけだ。

 ただし、聞くところによると連立を組んじゃったとは言え、保守党および自民党双方の支持者の間で連立に不満な層も多いらしい。そもそも元をたどればイギリス議会政治の歴史の中で保守党と自民党は「トーリー党」「ホイッグ党」以来の宿敵で、実は労働党なんかよりも対立の歴史の根が古い。バリバリの保守党支持層は自民党との連立で政権がリベラル傾向になるのを恐れるし、自民党支持層はむしろ労働党との連立を望む声が6割を占めるとの調査もある。そんな関係なので連立政権も長く持たないんじゃない?なんて声まであり、この国の名物ブックメーカーによる「連立政権は一年もたない」のオッズは2倍を切ってるそうで。

 二大政党政治の典型とされるイギリス政界において「連立政権」が誕生するのは、あのチャーチル内閣以来のこと。それは第二次世界大戦という非常事態の中での「挙国一致内閣」としてのことだから、今回の事態はイギリス議会政治史上ほとんど初めての体験とも言える。イギリスと言えば野党が「影の内閣」を作って本物の内閣と対抗し、政権交代するとそのまま「影」が「本物」にシフトすることで知られるが、今回は連立内閣となったためこの慣習も破られることになってしまった。新内閣にはイスラム教徒の女性が初めて加わったことも注目される。
 ここ20年ばかり連立政権ばかりの日本では特に民主党系統の政治家が小選挙区制による政権交代可能な二大政党政治を志向し、そのモデルとしてイギリス政界を挙げていたものだが、その本家本元でもこのように揺らぎはある。選挙後の世論調査でも比例代表制の導入に6割が賛成ということなのだが、これからどうなるか見ものではある。



◆困った時の何とやら

 近ごろヨーロッパが大変なことになっている。ギリシャの財政危機に端を発し、各国に飛び火する情勢になって世界的に影響を与える経済危機の恐れが出てきているのだ。欧州中央銀行総裁が「欧州は第二次世界大戦以来、最大の危機に直面している」との認識を示しているほど。一昨年のリーマン・ショック、昨年のドバイ・ショックに続く「ショック」というわけで、なんだかこちらも慣らされてきてしまっているというか…まぁ経済なんてものはどこでも危うい基礎の上になんとなく安定を保っている「砂上の楼閣」にすぎないんだな、とも思わされる。

 今回の経済危機の発端となったのがギリシャ。もともとユーロ圏では豊かとは言い難い国だったのだが、昨年の政権交代で祖父以来三代連続首相となったパパンドレウ首相のもとで前政権が巨額の財政赤字を隠蔽していた事実が明るみとなった。それまで表向き国内総生産の4%程度の財政赤字と発表していたのだが実はその4倍近くにも及ぶことが暴露されたのだ。ユーロ加盟国は財政赤字を一定の枠内に収めることが義務付けられているのだが、一つの国家がそれを盛大にゴマカシていたわけ。これはユーロそのものの信用不安を引き起こし、さらにスペインやポルトガルの財政危機にも飛び火しかねないということでEU全体でギリシャを支援するということになったのだが、当然ギリシャに対しては超緊縮財政による財政再建を要求することになる(支援する側だって他人の借金の肩代わりはアホらしい)。これに反発してギリシャ国内で激しいデモ・暴動が起こっているのはニュースで報じられているとおり。

 ただ悪い話ばかりでもないよ、というところに当欄では注目。
 5月14日にトルコのエルドアン首相が10閣僚および100人もの財界人を引き連れるという大団体でギリシャを訪問した。そしてパパンドレウ首相との首脳会談で、「トルコ・ギリシャ共同で国防費を削減する」ことで合意したのだ。
 この話を理解するにはギリシャとトルコの長年の確執の歴史を頭に入れておかねばならない。「隣国同士仲が良かったためしはない」というのは繰り返し書いている僕の恩師の名言だが、かつてトルコはオスマン帝国時代にギリシャを含むバルカン半島全域を支配していた。しかし19世紀にギリシャが西欧諸国の支援を受ける形で独立、第一次大戦でオスマン帝国が敗北・崩壊すると今度はギリシャがトルコへ攻め込んで激戦の末に撃退されている。キプロスみたいにギリシャ系住民とトルコ系住民がそれぞれギリシャ・トルコの後押しを受けて分裂してしまった国もあるし、「EU入り」を国家的悲願とするトルコをギリシャが何かと言うと妨害してきた過去もある。またお互いの間に広がるエーゲ海の島々についてもお約束のように領土問題やら大陸棚の利権問題を抱えている。
 ただここ最近はかつてほど深刻な対立関係でもなく、例えば1999年にまずトルコ、その一カ月後にギリシャで大地震が発生したときにはお互いに相手に援助を送りあって友好ムードを作ったこともあった(1999年9月13日「史点」)。現在の首相であるパパンドレウさんはその時に外相を務めており、基本的には親トルコ姿勢の政治家と見られている。

 そろってNATO加盟国、つまり同盟関係にあるはずの両国だが、お互いに相手を警戒してギリシャとトルコは軍拡を続けて来た。2007年のギリシャの国防予算は国家予算全体の5%・国内総生産の2%程度を占めるまでになっていたという。財政再建にあたってはまず削れるところから削らないと、ということで国防予算にもメスが入ることのなり(要するに「仕分け」ですな)、そのためには「仮想敵国」である相手国ともども「せーの」で削減しましょうということになったってわけだ。
 首脳会談後、パパンドレウ首相は「トルコがいつかギリシャの島々を奪うのではないかと恐れてきた。トルコもギリシャの攻撃を警戒してきたはずだ」と述べ、お互いに相手を信頼して軍備を削減する必要を強調した。これに対してエルドアン首相のほうは「エーゲ海を平和の海に」となかなか文学的なセリフで応じていた。
 


◆人類創世

 「人類創世」という邦題のフランス映画がある(1981年公開)。「薔薇の名前」「愛人・ラマン」「セブン・イヤーズ・イン・チベット」「スターリングラード」など話題作を製作し続けているジャン=ジャック=アノー監督の出世作で、原題を「La Guerre duFeu(火の戦争)」という。時は8万年前、ネアンデルタール人の襲撃を受けて命の綱の「火」を失ったとあるクロマニヨン人の群れの3人の若者たちが、「火」を求めて冒険の旅に出る。そしてさまざまな種族と遭遇し、新たな文化・技術を得て帰って来る――というのが大雑把なストーリー。原作小説があるそうなのだが、この映画が凄いのは専門家により「原始語」をまるまる創作、登場人物たちはその原始語とジェスチャーだけでコミュニケーションをとり、字幕など説明は一切出ない。僕は先日DVDで購入して初めて鑑賞できたのだが、パッケージ裏の言語表示にはちゃんと「原始語」と明記されていた(笑)。
 観客はイマジネーションをはたらかせてストーリーを追うしかないのだが、これがなかなかに面白い。サスペンスあり、ユーモアあり、ラブロマンス(というには直接的すぎるが)ありで、ラストでは不覚にも感動させられた。なんでも欧米では大ヒットしたが、日本ではイマジネーションをはたらかす余裕がなかったのか、入りはイマイチだったそうで。

 この映画では先述のように冒頭でネアンデルタール人が登場するのだが、ほとんどゴリラ同然の現生人類との区別が一目でつく外見で、かなり凶暴な連中に描かれている。1980年ごろというとネアンデルタール人とクロマニヨン人が共存していた時期があるとの学説もすでにあったようでそれに基づいたのだと思われるが、それにしてもゴリラ同然の外見と言うのはどうかと。まぁ僕だってネアンデルタール人に会ったことがあるわけではないが、少し大柄なくらいでそう現生人類と変わらなかったんじゃないの?という印象を持っている。
 日本では「大地の子エイラ」の邦題で訳されていたジーン=アウルのベストセラー小説がある(日本では現在は集英社から新たな全訳が出ている)。実は僕は読んだことはなく、母親がこのシリーズの旧訳の大ファンであったため内容を聞きかじっているだけなのだが、この小説のヒロイン・エイラはクロマニヨン人の孤児だがネアンデルタール人の群れの中で育つ設定なのだ。調べてみると第一巻が出たのが1980年と「人類創世」とほぼ同時期。ここではネアンデルタール人とクロマニヨン人は共存している(といっても互いに異質な存在とは意識している)上に両者の混血も可能な存在として描かれた。
 ネアンデルタール人とクロマニヨン人の関係についてはその化石発見以来議論の歴史があり、近年ではミトコンドリアDNAの解析から「ネアンデルタール人が現生人類の祖先であることはない」とほぼ断定されたこともある。混血についても否定的な意見の方が強かったようだが、20世紀末から21世紀初頭にかけてネアンデルタール人と現生人類の両方の特質をもつ化石が見つかったこともあり「混血はしてたんじゃないか?」との意見も強くなってきた。

 そしてようやくニュースの話になるが(執筆時点ではすでに旧聞ですが)、5月7日発行の科学誌「サイエンス」誌上において「ネアンデルタール人と現生人類が混血していた可能性がある」というDNA解析による研究結果が発表され、注目を集めている。ドイツのマックス・プランク進化人類学研究所とアメリカ企業などで組まれた研究チームによる調査で、クロアチアで発見されたネアンデルタール人の骨からDNAを抽出、そのゲノムを解析して現在の人類のうち「アフリカ南部」「アフリカ西部」「パプアニューギニア」「中国」「フランス」の出身の五人からとったゲノムと比較したのだ。その結果、アフリカ南部・西部の2人より他の地域の3人のほうがネアンデルタール人とのゲノムが一致する率がわずかではあるが高かった、というのだ。
 これだけ聞くと何がどう重要なのか分かりにくいが、まず現生人類も含めた全ての人類は順番にアフリカから発生して世界に拡散していることを頭に入れておく必要がある。現生人類がアフリカで発生し拡散を始めたころには「先輩」であるネアンデルタール人はすでに「出アフリカ」していて各地に広がっていた。このため現生人類のうちアフリカに残ったものはネアンデルタール人と接触する機会がなかったが、アフリカから出た者は「先住民」であるネアンデルタール人と接触しており、その時に一部混血した結果ゲノムに一致部分がやや高くなっている、という推理ができるわけだ。この推理によると現生人類のゲノムの1〜4%程度がネアンデルタール人から引き継いだものと考えられるという。だとすると「エイラ」の話も絵空事とは言い切れなくなってくるわけで。東アジア人の我々だって当然ネアンデルタール人の血を引いていることになってくる。
 もちろんこれが決定打というわけでもなく、まだまだ議論が続くだろう。いずれにしても地球の歴史、生命の歴史からみればほんのついこの前の話なんだよな。



◆アジアの風雲あれやこれや

 「風雲」などというと、世の中いつでも風雲状態のようなものだ(特にマスコミ的には常に「風雲」がないと飯の食い上げである)。というわけで、一つのネタにまとめきれないうちにいろんなことが起きちゃったので、ここ5月中の「アジアネタ」ということで乱雑に並べてみた。

 5月中にあった大きな選挙と言えば、イギリス以外にフィリピンの大統領選もあった。フィリピンでは6年に一度の大統領選で、おまけに同時に上下両院議員や地方首長・議員の選挙まで行うというまさに文字通りの「総選挙」だ。どーもフィリピンと言うと「ピープルパワー革命」以来「不正選挙」のイメージがつきまとってしまうのだが、今回の大統領選では初めてマークシート方式で機械で読み取り集計を行う「電子投票」が導入され、不正の可能性をかなり減らしたと言われている。
 大統領選は結局下馬評通りにベニグノ=アキノ氏があっさり勝利して次期大統領に選出された(正式になるのは7月から)。この人の母親が昨年亡くなったコラソン=アキノ元大統領であり、まさしく「二世大統領」というわけなのだが本人の正式な名前は「ベニグノ=アキノ3世」だったりするからややこしい。マルコス元大統領のライバルとして1983年に帰国した空港で暗殺されてしまった彼の父はベニグノ=アキノ2世(ジュニア)で、そのまた父、つまり祖父の代から三代続けての「ベニグノ=アキノ」さんなのであった(上の記事で出てくるギリシャの首相も祖父と同名だ)。どこも政治家というは「家業」になりやすいようであるし、国のトップにいきなりなるケースも一概に「アジア的光景」と言えなくなってきた昨今である。
 そのアキノ家にとっては「宿敵」といえるマルコス元大統領の妻、イメルダ夫人も今年で80歳だというのにまだまだお元気のようで今回の選挙で下院議員に立候補して見事に当選を決めている。なんだかんだ言われつつマルコス一家の人気も健在だそうで、イメルダさんの娘さんは州知事に、これまた父親と同名の息子さん、フェルディナンド=マルコス2世は上院議員に当選している。
 ところで今回の選挙では実は現大統領であるアロヨ大統領も下院議員選挙に立候補し当選している。フィリピンでは大統領の再選は認められていないので、自派で下院の多数を占めて下院議長の座を狙い一定の影響力を保持しようとしているらしい。次期大統領に決まったアキノ3世は「アロヨ時代の腐敗を暴く」と表明しており、これに対抗するためアロヨ大統領は腹心を最高裁長官に据えて抵抗しているとのこと。そういえばアロヨさんも父親が大統領の「二世大統領」なんだよな。
 そういえばかつて前の大統領だったが「ピープル・パワー第二弾」でその座を追われた元映画スター・ジョゼフ=エストラーダ氏も今回の大統領選に出馬していたのだが、さすがにこれはお話にならなかったみたい。また出てる、っていうのがある意味凄いが。


 同じく東南アジアのタイでは3月以来続いている混乱が一応の決着……なのかなぁ?
 これまで大きな騒ぎは何度となく起こって来たがお国柄なのかこれだけの騒ぎで人死にが出ない…と言われていたタイでも4月からの衝突でかなりの死者が出るようになってきた。つい先日などはタクシン派の軍人がマスコミとのインタビューの最中に狙撃を受けて暗殺されるなんて「ゴルゴ13」みたいな場面まで見られた。政府は強硬姿勢と「総選挙を11月にやる」という甘い誘いの両方でタクシン派を追いつめてゆき、結局は実力による強制排除でケリをつけた形。タクシン派もそこまでされては徹底抗戦するわけにもいかないと見たようで比較的穏便にデモを解散し(一部過激派の行動はあったが)、多くはバンコクを離れて農村へと帰って行った。だが農村貧困層のタクシン派、都市部の中流以上層の反タクシン派という対立構図はそのままなので、今後もいろいろとくすぶりそうだ。
 アピシット首相は5月21日にテレビ演説を行って「事態は正常化しつつある」と勝利宣言、今後は騒乱の原因となる社会の不公平の是正などにつとめるとしたが、一度はタクシン派と合意した「11月総選挙」の話はタクシン派が結局抵抗を続けたことを理由に白紙に戻している。そして5月25日にはタイの刑事裁判所は海外亡命中のタクシン氏について、今回の騒動でタクシン派に指示や資金を送ったとして「テロ容疑」で逮捕状を発付している。タクシン氏側は「暴力やテロを支援したことは一度もない。容疑は政治的なものだ」との声明を即座に出しているが…
 5月24日付の毎日新聞のコラム「発信源」に出ていた話だが、反タクシン派の政府はタクシン派に「不敬罪」を乱発し、「国王に逆らう不忠者」というレッテルを貼ることでそれへの攻撃を正当化する傾向が最近目立つという。日本でも天皇がらみで覚えのある話だが、このことがかえって国王の権威を低下させているのではないかとそのコラムで指摘されていた。タイにおける国王の権威・国民の国王への尊崇というとは大変なもので、以前は外国メディアもタイ情勢について国王がらみの記事を書くとタイ政府から「国外退去処分」をくらうなどするためなるべく避ける傾向があったそうだが、最近では欧米メディアが今度の騒乱について「国王不在」を盛んに書きたてるというちょっと前なら考えられない事態になってるそうで。確かに過去の政治的混乱の折にプミポン国王自身が調停に乗り出してその存在感を見せつけたこともあるが、今回の騒動の中では確かに不在。そもそもすでに82歳の高齢で健康不安もささやかれており、そのことがまた国民の動揺を呼んでいるとの見方もある。
 

 韓国の哨戒艦「天安」が謎の「沈没」をしたのは3月26日のこと。当初から北朝鮮側の攻撃によるものではないかとの見方はあったが、4月中ぐらいまでは「何かの事故じゃないのか」との声が多かったように思う。僕もそうだったのだが、まず「なんで今そんなことを?」というのが普通の感覚で思うところ。直後に金正日総書記自身の久々の訪中が行われていたせいもある。だがこれまでもそうだが「常識」が通用しないというのもあの国の特徴なので。
 5月20日に韓国とその他の国も含めた合同調査団の調査報告が出され、物的証拠も提出して「北朝鮮の魚雷攻撃によるもの」との結論を明確に打ち出した。直前まである程度ぼかすんじゃないかとの観測もあったが結局は物的にかなり明確な証拠ありということで断定する形になった。まぁ魚雷攻撃となれば他にやる勢力はないだろう。ただ「なんで?」という気はしてしまうのだが、昨年あった銃撃戦の「報復」なんじゃないかとの見方もあるし、「忘れられそうになると事件を起こす」というこの国の軍部の思考パターンの一つなんじゃないかとも思えてくる。またささやかれる「代替わり」に備えてか?なんて憶測もあるが、とかくこの国については専門家の分析もまるっきりアテにならない(その意味では手ごわい国だな)
 ただ今回は核実験やミサイルぶっ放すのとは違い大勢の死者が出ているだけにただではすまない。韓国政府は当然北朝鮮を非難し、経済協力の中断や船舶航行の制限、両国間非武装地帯でのスピーカー宣伝の再開などを打ち出した。これに対して北朝鮮側は「戦争とみなすぞ!」とやたらと「戦争」の二字でわめき散らしているが、客観的に見てると弱い犬ほど何とやら、という言葉を思い起こしてしまうところ。だいたい経済協力を切られて困るのは明らかに北朝鮮側だし(先頃のデノミ大失敗も相当こたえているとも聞くし)。ただ窮鼠のなんとやらいうこともあるからなぁ。一応後ろ盾の立場にある中国も先の首脳会談ではさすがに冷淡だったらしく金正日総書記も一日繰り上げて帰国したなんて話もある。各国みんな「かまってちゃん」をどう扱ったものか困っているというのが正直なところじゃないだろうか。もしも何か起こるとすると、中朝国境じゃないかなぁ、などと前から思っているんだが。

 ところでこの間、北朝鮮は4月15日の金日成誕生日に核融合反応の技術に成功」したと5月12日付の労働新聞で発表している。核融合を「人工太陽の技術」と形容、「人類が望んでいた新たなエネルギーの開発」とも表現しているそうで。事実なら凄いことだが、これを真に受けている科学者はまずいない。だって核融合は現在世界中で21世紀後半以降の実用化を目指して研究中の最先端技術なんである。水爆を作ろうとしてるんだぞ、とアピールする狙いでもあるのか、国内向けの士気高揚なのか…
 その一方で、今回の魚雷と同型のものとして調査団が公表した北朝鮮製魚雷の設計図に「1345(シュエエアィサィ)」「270(ターアィーサィ)」といった謎のカタカナが書かれていた、という報道もあった。ある軍事専門家の一つの推理として「外国へ売る時に『日本製品使用』と見せかけるためにカタカナを書いておいたんじゃないの?」というのが紹介されていた。どうもこういう笑っちゃうような話と笑えない話とが同居してるのもこの国関連話の特徴である。

 
 最後に中国。大事件ってわけでもないのだが、個人的には気になったもの。
 中国で「最高の歴史教師」と評され、国営中央電視台の教養番組の講師までしているカリスマ人気教師・袁騰飛氏(38)が、勤務先の北京の高校での「文化大革命」の講義の中で「文革時代は五千年の歴史上、最悪の十年」「ヒトラーは外国人を殺したのに、毛沢東スターリンは自国民を殺した」「日本の教科書も歴史の歪曲はあるが、中国の教科書は真実がたった5%」「ダライ=ラマがノーベル平和賞を受賞したのは共産党の武力侵略に抵抗したため」「毛沢東の息子が朝鮮戦争で戦死してなかったら今ごろ北朝鮮みたいになってる」などなど、なかなか刺激的な発言を連発、学校側から授業を中止して調査に応じるよう指導された、というニュースだ。一時「当局に拘束された」との噂も飛び交ったが、それは当人が否定して「処分待ち」と言ってる状態らしい(その後の続報はまだ聞いてない)
 ただ一応、文化大革命については現在の中国共産党の「公式見解」でも明白に「大きな過ち」として否定されているし、毛沢東についても巷ではそこそこに批判も文句も言える(逆に民間レベルで現在の「格差社会」への反発として毛崇拝が盛り上がったりもしてるみたいだが)。教科書の話についても知識人や一般レベルでは割と同じことを考えているものではあるらしい(だいたい「上に政策あれば下に対策あり」のお国柄である)。ただダライ=ラマの件は当局に睨まれそうではあるな。ともあれ、これをテレビでも大人気のカリスマ教師の口から堂々と出たところが注目点で、ネット上でも批判はあるがそこそこの支持も集めているという。なんだかんだで言論統制のひきしめもする中国政府だが、ここ数年なしくずしな感もあり、これがどうなるのか注目してしまうところだ。


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