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2010年6月18日

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◆これでもかなり減ったんです

 5月3日にアメリカ国防省は自国が保有する核弾頭の数を初めて正確に公表した。これはオバマ大統領が掲げた将来的な核廃絶を目指す方針に基づくもので、昨年9月の時点で5113発保有しているとのことである。まだそんなに持ってるんかい、と最初にその数字をみると驚いてしまうのだが、実はこれでも最盛期の8割減だと聞くともっと驚く。冷戦の頂点ともいえる1967年には31255発も保有していたっていうんだから。対するソ連の方は最盛期(80年代)にはアメリカをさらに上回る40000発以上も保有していたとみられるそうで、なるほどひところ「世界には人類を7回(回数諸説あり)滅亡させられるだけの核兵器がある」と言われたことが実感できる。

 このアメリカの公表を受けて、5月26日にイギリスも初めて核弾頭の保有数を公表した。イギリス新政権のヘイグ外相は議会下院で「イギリス軍が保有する核弾頭は将来的に225発を超えない」という言い回しで現在の保有数を225発と認めた。ただこれまでも40発の核ミサイルが搭載できる原子力潜水艦を4隻保有していることは公表していて、「使用可能の実戦配備」の核弾頭が160発であることは確認されていた。ヘイグ外相は今後も実戦配備の核弾頭はこの160発にとどめると「口約」している。
 各国の核保有数というのはおおよそのところは推測されているのだが、最高の軍事機密ということもあり、きちんと公表した例は今回が事実上初めてということになる。現在は冷戦期に不安視された米ソ超大国による核戦争というシナリオよりも「核拡散」の方が懸念を呼んでいることもあり、すでに保有している国がきっちりと手の内をさらしておこう、ということだと思われる。他の国も足並みをそろえてくれないとあまり意味がないのだが、ささやかに一歩前進、とは評価していいと思う。

 それとタイミングを合わせたかのように…イギリスの新聞「ガーディアン」で「イスラエルが南アフリカに核兵器を売却した証拠文書」なるものがスッパ抜かれた。
 ガーディアンに載ったその文書は、当時の南アフリカのボタ国防相のサインと、イスラエルのペレス国防相(現大統領)のサインとがある。ボタ国防相のサインには「1975年4月3日」の日付が付され、ペレス国防相のサインには日付なし。そして「最高機密」の印が押され、「2006年5月30日機密解除」とスタンプもされてるという。その内容はというと、一部黒塗りで公表されているのだが、「すべての情報、ノウハウ、原材料」という箇所と「交渉の過程あるいは前述の合意に従い、概略図、設計図および図面が提供、送信される」という箇所があるという(CNN日本語版報道より)。また別の文書ではボタ国防相がペレス国防相に「適切な弾頭」を求め、イスラエル側から「三種類のサイズが用意できる」との回答を引き出したことが確認できるという。文書は南アとイスラエルの親密な関係を調べた著作のあるサーシャ=ポラコウ=スランスキー氏が入手したものだということだ。
 イスラエルが相当数の核兵器を保有しているというのはほぼ常識となっているが、イスラエルはこれまで肯定も否定もしないという態度をとっている(今回の報道については全面否定だが)。核保有には核実験が不可欠だが、イスラエルが南アフリカと共同で極秘のうちに南極に近いインド洋上で核実験を行ったという疑惑はかねてささやかれている。なお、南アフリカ自体は一時核兵器を保有したが90年代初頭までに全て廃棄したとされ、旧ソ連加盟国を除けば「かつて核を保有したが放棄した」唯一の国となっている。

 イスラエルの話題が出たから書いてしまうが、去る5月31日、イスラエルに封鎖されているガザ地区への救援物資を輸送しようとした民間船団を公海上でイスラエル軍が急襲、多数の死者を出してしまうという事件が起こった。この船は多国籍混在の人々が乗っていたがとくにトルコ人が多く、イスラム圏の国の中では比較的親イスラエルなトルコ政府もこれには激怒、外相がイスラエルの行為を「海賊」と表現するなど強く非難した。EU諸国も基本的に批判的で、常にイスラエルをかばう姿勢を見せるアメリカもさすがにちょいと微妙に「引いた」姿勢を見せている。国連安保理でやや間接的表現とはいえイスラエルを「非難」する議長声明が全会一致で採択されたことにイスラエルは「アメリカの裏切り」とまで感じている、との報道もある(もちろんそれでもアメリカは相当にイスラエルに配慮してトルコと激しくやりあっていた)
 イスラエル側の言い分は「ガザ地区はテロ組織のハマスの支配下にあるから封鎖しているのであって、そこへ武器を運び込もうとしたものは攻撃されても仕方がない」というもので、右派系のネタニヤフ首相ということもあって例によって例のごとく強気である。どっかの報道で見たが「今回ほどイスラエル国内とそれ以外の見方が異なった事件もない」との評もあった。それでもこれ以上孤立は避けたい気はあるようで国連安保理のせいめいをうけて 自国の独立調査チームを作ったり、国際調査チームの受け入れ表明なんかもしてはいる。もちろんトルコなどは「それで公正な調査ができるものか」と懐疑的なのだが。こういう手段を選ばぬ横暴なことをやるから、周辺の国からますます嫌われて「ユダヤ陰謀論」的な言説が広がってしまうように思うのだがなぁ。

 この事件が起こる直前の5月27日、ホワイトハウスに半世紀も詰め続けた最長老の名物記者ヘレン=トーマスさん(89)が、ホワイトハウスのイベントでユダヤ系の映画製作者からイスラエルについてのコメントを求められ、「パレスチナから出て行くべきだ。パレスチナはパレスチナ人の土地だ」と述べ、さらに「ではユダヤ人はどこへ行けばいいんです?」と聞かれて、「ポーランドでもドイツでもアメリカでも、どこへでも」と答えた。この発言シーンの動画がネット上に流れると非難ゴウゴウのありさまで、6月4日になってから当人が「深く反省している」と謝罪コメントを出したが、結局7日になって長い記者生活を引退する旨が公表された。
 とくに「ポーランドやドイツ」のくだりがナチスの虐殺を連想させるために余計に非難ゴウゴウとなったのだろうが、もともとこの人はレバノン系移民の出で、親イスラエル的な歴代アメリカ政権を鋭く批判し続けてきたお方なのであり、この発言は「失言」ではなく「本音」であったのだろう。そしてこの発言の直後に起こった例の事件を見ていると「一定の同感」を抱いてしまう人も多いはずだ。むろん、今さらイスラエルにあそこから出ていけというわけにはいかないのが現実なのだが、そもそもその建国自体にボタンの掛け違えがあったということを認識しておかなきゃならないのだ。



◆これぞハンガリー精神?

 そのむかし、「VOW!」に載った新聞誤植で「ハンガリー精神で頑張る」というのがあり、「大和魂みたいなもんでしょうか」とのコメントがついていて爆笑したことがある。まぁこのネタは結構広く使われるようで、以前一部にマニアなファンがいた教養深夜番組「よい国」でもハンガリー人が出てくると「ああ、腹減った」とやっていたものだ(見てない人のために細くしておくと、この番組は戯画化された各国人がそれぞれの国の習慣・制度を説明する形式で、いつも同じ映像にセリフだけ差し替えるという演出がなされていた。ちなみに韓国・朝鮮人はいつもキムチを食って登場、日本人は眼鏡に出っ歯、カメラをつけて「どーも、すいませーん」とやっていた)。そんな「ハンガリー精神」を思い出させるニュースがあった。
 
 5月26日、ハンガリー国会は「周辺国に住むハンガリー系住民に、一定の条件を満たせば国外にいながらハンガリー国籍を付与する」という国籍法改正案を圧倒的多数で可決した。これは4月の総選挙で圧勝した中道右派政党「フィデス・ハンガリー市民同盟」の公約だったそうで、第一次世界大戦以前のハンガリー国民の子孫で、ハンガリー語を話せるなどの一定の条件を満たせばハンガリー国籍を取得できるという仕組みだそうだ。ただ選挙権などはないそうで、「実質的な権利は限られる」とハンガリー外交筋はコメントしているというから、これまた良く分からない。
 さてハンガリー国外にいるハンガリー系住民(マジャール人)とはどのくらいいるのだろうか。なんと合計250万人以上もいるんだそうである(広義のマジャール系だと500万なんて話もある。ちなみにハンガリー国民の総数は1000万人)。世界史を学んだ人はその理由にすぐ気づくだろう。かつてハンガリーはハプスブルグ家の統治のもと「オーストリア=ハンガリー二重帝国」を形成しており、その領内であった東欧のかなりの範囲にハンガリー系住民が住んでいた。しかし第一次世界大戦の敗北でオーストリア=ハンガリー帝国は崩壊、現在の東欧諸国の国境線の原型が作られるのだが、この際に「ハンガリー」国家の枠外に取り残されるハンガリー系住民が多数生まれることになった。現在ではルーマニアに140万人(総人口の約6%)、スロバキアに50万人(総人口の約9.7%)、セルビアに30万人(総人口の約4%)と、この隣国三国が特に多い。
 さて今回のハンガリーの決定に、ハンガリー系住民を多く抱える周辺国は警戒感を示している。とくに東欧ではかつてナチス・ドイツが「ドイツ系住民がいればそこはドイツ」という理屈で「自国民保護」を口実に侵略をしていった過去もあるから、なおさら警戒してしまう。とくに総人口の1割近くがハンガリー系であるスロバキアでは総選挙を6月に控えていることもあって強く反発、ハンガリーでの国籍法改正と同時にこちらも国籍法を改正し、「結婚や出生などの場合を除き、自発的に他国の国籍をとった場合はスロバキア国籍を剥奪する」という規定を盛りこんでハンガリーを牽制している。

 
 国境なんてものはもともと人為的に作られるものではあるが、政治的都合で変に入り組んだ国境を引いて民族を入り乱れさせると余計にややこしいことになりやすい。6月10日からキルギスタン南部で起きているキルギス系とウズベク系の衝突も、今まさに現在進行形の一例だ。
 中央アジア諸国はかつてソ連邦の一部であり、その時に各民族の自治共和国の国境線が設定されて今日につながっているのだが、そのとき今回衝突が発生したオシやジャララバードといったウズベク系住民が多数派を占める地域がキルギス領内に編入されたため、両民族間では根深い対立があったという。ソ連時代はこうした民族感情は抑圧されていたのだが、ペレストロイカからソ連が崩壊していく過程であっちゃこっちゃでこうした民族対立が勃発し、キルギスタンでも1990年にオシを中心に大規模な衝突が発生、600人以上の死者・行方不明者を出したことがある。今回はその火種の20年経ってからの再燃ともいえ、こういうのは表面的には見えてなくてもブスブスとくすぶり続けているものなんだなと改めて思わされる。
 ただ今回の騒乱はキルギスタンそのものの政治的混乱にも原因があると言われる。4月21日の「史点」でも書いたように、キルギスでは4月に「革命」が起こってバキエフ前大統領が亡命し、ローザ=オトゥンバエヴァを暫定大統領とする臨時政府が成立、6月27日の国民投票により新憲法と暫定大統領の正式承認が行われる予定になっていた。ところが、あくまで一部独立系メディアの報道によるとなのだが、当初若者同士のケンカに端を発して一気に拡大したとされていた今回の騒乱は、実はバキエフ前政権と結びついて南部の経済権益を握っていた犯罪組織が臨時政府が正式に承認されると利権を失うと考えて意図的に民族衝突をけしかけ、国民投票どころではないことにしようと画策したフシがある、というのだ。確かにキルギスタンも加盟する「上海協力機構」の首脳会議の前日というタイミングで衝突は発生しており、また一部に民族などお構いなしに殺戮を行う輩がいたという話もあり、前政権関係者の扇動があった可能性はあながちありえないとは言えないらしい(バキエフ前大統領とその周辺は当然無関係を表明したが)。もちろんもともと火種があるから煽ることもできるわけで、すでにウズベキスタンへ逃れたウズベク系難民が10万人にも上る、という深刻な事態になりつつある。
 もう一つ、この国の騒乱には「新冷戦」とも呼ばれる米露の駆け引きも陰を落とす。臨時政府は親ロシア的とされ、今回の騒乱に対してロシアに治安回復のための軍隊の出動を要請した。だがロシアとしても下手に手を出すとこれまでさんざん頭を痛めて来た「民族紛争」の泥沼に首を突っ込むことになりはしないかと懸念しているようで、とりあえずは「そちらの国内問題」という姿勢で軍の出動はしていない。この文章を書いている6月15日の時点でどうにか両民族の代表同士の話し合いで事態は収束の方向と報じられているが、それまでに分かっているだけで170人以上、一部未確認情報では700人以上の死者が出ている。


 こうした民族やら国家やらの枠組みを取っ払って地域統合してやっていこう、という動きの代表がEU(ヨーロッパ連合)なのであるが、その本部があるベルギーでは分裂の危機が半ば真剣に叫ばれ続けている。以前にも書いているが、この国ではオランダ語圏(フラマン地域)とフランス語圏(ワロン地域)の対立が近年激しく、「分離独立」という冗談ニュースをTVで流したら本気にする人続出でパニックになりかけた、なんて話題もある。
 6月13日のベルギー総選挙で、穏健ながらオランダ語圏の分離独立までも主張する「新フランドル同盟(新フラームス同盟)」が下院での議席を改選前の7から27へと大躍進させ、第1党となった。もっとも下院の定数150の過半数には遠く及ばず、第2党のワロン系左派の「社会党」が26議席、第3党のワロン系右派「改革運動」が18議席、第4党のフラマン系「キリスト教民主フランドル党」が17議席と、両言語圏政党が左右入り乱れての少数政党乱立状態で(これは比例代表選挙だから)、「新フランドル同盟」のデウェーフェル党首(39)は「ワロン系とも手を結ぶ」と宣言、自身は首相になるつもりはないとして連立政権への参加を模索している。
 まぁ第1党になって政権参画したとしてもいきなり分離独立はしないだろうが、フラマン地域の自治権拡大を要求するのは確実とみられている。EUの本部のある国でもこんなもんなんだなぁ、と思わされるが、一方で今度の選挙では極右政党が大幅に議席を減らしたというから多少の救いはある。なお、極右政党にもオランダ語圏の「フラームス・ベランフ」と、フランス語圏の「国民戦線」があって、当然ながらお互い極右同士でも方向性はまったく逆だ。



◆2010年宇宙の旅

 重苦しい話題が続いた後なので、ここで一気にスケールを拡大しまして、ひねりもなくそのまんまのタイトルの話題を。このところ宇宙関連の話題が続いているのでまとめてみた。

 6月2日、国際宇宙ステーションに長期滞在を続けていた宇宙飛行士・野口聡一さんが、ソユーズ宇宙船に乗りこんでカザフスタンに無事着陸、地球に帰還した。去年の12月20日にソユーズで宇宙に飛び立ち、国際宇宙ステーションの日本実験棟「きぼう」で実験、途中で山崎直子さんが合流して日本人宇宙飛行士が二人同時に宇宙にいるという初めての出来事もあり、それまで若田光一さんが持っていた日本人の長期宇宙滞在記録を半月ほど上回る記録も立てた。それだけのことをしたのだが、その帰還の日、たまたま鳩山由紀夫首相が退陣表明をしたため日本中はそちらで大騒ぎで、野口さん帰還の印象がすっかり薄くなってしまった。ソユーズを使ったということもあり、なんだか「宇宙にいるうちに国が変わってしまった」元ソ連宇宙飛行士の逸話を思い出した。
 この間、5月14日から26日にかけて国際宇宙ステーションへの補給ミッションを行っていたスペースシャトル「アトランティス」はこれをもって退役となった。1985年以来およそ四半世紀使われたわけである。残りのスペースシャトル「エンデバー」「ディスカバリー」も今年中の退役が確定しており、長いような短いようなスペースシャトルの歴史も幕を下ろす。アメリカでは財政難もあって宇宙開発への金も出しにくくなり、次期宇宙船が登場するまではしばらく国際宇宙ステーションとの連絡はソユーズの独壇場となる模様だ。

 金がかかるといえば、ブッシュ前大統領がブチあげた「再び月へ人間を送りこむ」という計画はオバマ大統領によって明確に取り消しとなった。ただオバマ大統領は「すでにやったことのあるミッションに金をつぎ込むことはない」という論法で「2030年代に火星に人間を送りこむ」という計画をブチ上げている。まぁこちらのほうが現実味はあるとは思うが、火星への人類到達もどんどん先送りになっていく感は否めないなぁ。僕が子どものころなどは「1980年代に実現」と書いてる本もあったぐらいなのだが。東宝のSF映画「妖星ゴラス」(1962年)なんかじゃ1970年代に火星の土地売買をやってる描写があったもんだ(一時ジョークとして月や火星の土地売買の動きがあったらしいが、この映画では70年代に土星軌道まで人間が出かけてるのであくまで「現実」である)。そういえば火星への有人探査を「でっちあげる」テーマの映画「カプリコン・1」が公開されたのは1977年だ(念のため書くとゼロからのでっちあげではなく「有人」部分に問題があっただけで無人の宇宙船はちゃんと往復している設定である)
 さてその火星への旅だが、カネと手間さえかければ技術的には十分実現可能。問題は火星への旅は月へ行って帰って来るどころではない長時間が必要だということ。最短でも往復に1年以上、長いと3年以上はかかってしまうとされ、生命維持のための物資の補給もさることながらそんな長期間宇宙船に閉じ込められる乗組員の精神的苦痛のほうが問題視されている。かつての大航海だってそのぐらい船に乗ってたじゃないかという声もあるが、なにせ宇宙には途中で寄れる港もない。
 将来的な有人火星探査を計画しているロシアで、去る6月3日から「マーズ500」と名付けられた「長期閉鎖実験」が開始された。ロシア・イタリア・フランス・中国の計6名の「乗組員」が520日間(行きに250日、火星滞在30日、帰りに240日という計算だそうな)も180平米の閉鎖空間で生活、実際の宇宙の旅同様に外部との連絡もタイムラグをつけるなど無重力でないこと以外は極力宇宙旅行と同じ環境を作るという。確かこの手の実験は前にもどこかで行っており、深刻な人間関係が最大のネックになったと聞いたことがあるのだが、まぁともあれ「無事の帰還」を祈りたいものである(終了予定は2011年11月ってことになるのかな)

 520日どころか7年もかかって地球に帰って来たのが、日本の探査機「はやぶさ」だ。2003年5月に打ち上げられ、2005年秋に小惑星「イトカワ」に到達、そして2010年6月13日に地球の大気圏に突入して燃え尽きたが、「イトカワ」の岩石の一部が入っているかもしれないカプセルは無事オーストラリアに着陸、回収された。と、こんな風にまとめてしまうとえらく簡単になってしまうが、その過程はトラブル盛りだくさんの山あり谷あり波乱万丈の人生で、一時は絶望視される事態に陥りながらもなんとか復帰、イトカワに着陸するもトラブルから弾丸を撃ち込んでの岩石採取作戦には失敗、それでも予定より大幅に遅れたとはいえしっかり地球まで帰って来たことで日本では珍しい宇宙ネタフィーバーとなった(なんだか「手のかかる子ほどかわいい」という心境のような…あるいは「必ずここへ帰って来ると」というヤマト的心理を刺激されたか)。月以外の天体、しかもずっと遠くの遥かに小さい天体への着陸に成功したうえしっかりと帰って来たのはもちろん史上初のことであり、将来的には有人宇宙旅行にも応用できる大きな一歩となった。注目は無事帰還したカプセルにイトカワの砂つぶぐらい入っているんじゃないかと期待されることだが(この文章を書いてる段階では判明してない)
 ついでながら、「イトカワ」の名前は「日本ロケットの父」と呼ばれる糸川英夫に由来する。ペンシルロケットやカッパーロケットなど日本の初期宇宙開発の牽引役であり、確かに「父」と呼ばれるにふさわしい科学者なのだが、同時に科学的知識を根本的に疑われるようなトンデモ発言、疑似科学や陰謀論にハマってしまっていたことでも知られるいろんな意味で興味深い人だったりする。

 「はやぶさ」だけではない。日本の宇宙開発はほぼ同時にもう一つ大きな成果をあげている。世界初の「宇宙ヨット」、「イカロス」がその「帆」を張って宇宙を航行することに成功したのだ!
 「イカロス」は太陽の光をその髪の毛10分の1程度の厚さの「帆」に受けて、その圧力により推進力を得るという、まさに「ヨット」と呼ぶにふさわしい推進メカニズムを持っている。こうした構想は宇宙開発初期からあり、SFでもかなり現実的に描かれてきたものだが、こうしたことが本当に実現しちゃったとは感無量である(個人的には「はやぶさ」より感激した)。「帆」の一部に電気を通すと透明になって光の圧力を受けなくなり、それによって方向転換ができるなんて聞くと、ますますワクワクしちゃうではないか。14日は機体から発射した使い捨てカメラによって「帆を張った自分自身の撮影」にも成功しており、正方形の帆をきっちり張って宇宙を進む姿には胸がときめく。こういうさりげないが細かい芸当をするあたり、「はやぶさ」も「イカロス」も日本チックだなぁと思ってしまうところである。イカロスくんはただいま1000万キロ彼方の金星目指して文字通りの「宇宙帆船航海」を展開中、これも将来的には惑星間旅行に応用可能な技術である。
 こちらでも由来話をしておくと、「イカロス」はギリシャ神話に出てくる「ロウで固めた鳥の羽♪」で空を飛んだが、太陽に接近し過ぎてロウの羽が溶けてしまい、「落ちて命を失った♪」少年の名前。僕もついついその歌詞を引用してしまったが、日本ではこの伝説をモチーフにした「勇気一つをともにして」という歌が音楽の教科書に載っていたことで良く知られている。開発側もどちらかというとこの歌を元ネタに命名したらしいのだが、考えようによっては縁起でもない(太陽目指して飛ばなきゃいいわけだけどね)。まぁ「はやぶさ」同様、「だけど僕らはイカロスの 鉄の勇気を受け継いで♪」ってわけで前向きに考えたものだろうけど。



◆ここであんたが8人目

 三週間「史点」更新が遅れているあいだに、日本では菅直人に総理大臣が代わってしまった。1999年2月に「史点」がスタートして以来、小渕恵三森喜朗小泉純一郎安部晋三福田康夫麻生太郎鳩山由紀夫に続く、8人目の総理大臣となる。「史点」が“長期政権”というよりは、日本の総理大臣の“平均寿命”が短命すぎるんだよな(中には本当に死んじゃった人もいたし)
 「菅直人」という名前が「史点」で最初に出て来たのはいつだろうと確認してみると、1999年10月3日付「史点」の「またまた『影の内閣』」という記事で最古の登場をしていた。民主党がいわゆる「影の内閣」を作ったという話題で、このときは鳩山由紀夫氏のほうが選挙で新代表となったばかりだった。ついでに民主党誕生史もそこでまとめていて「いつまで持ちこたえられるか」みたいなことを僕も書いているのだが、10年過ぎたら政権党になってるんだから、まぁ歴史の進行というのはなかなか読めないもんである。

 さて鳩山由紀夫内閣だが、昨年9月の政権交代を受けて発足してから結局一年もたずに8ヶ月での退陣となった。「史点」史上では最短記録、恒例の「贋作サミット」にも登場できないという初の事態になり(笑)、かつて非自民政権を作った細川護煕内閣と一見パターン的にはよく似た幕引きとなった。あの当時も小沢一郎がその仕掛け人であり参謀役であったという点まで共通している。
 細川内閣は263日間。鳩山内閣は6月3日に総辞職し、その日のうちに菅新首相の国会指名が行われたので、当初「細川内閣にわずかに足りなかった」と報じられたが、天皇の静養日程の都合もあって菅首相の任命は6月8日にずれこんだため、結局鳩山由紀夫内閣の存続期間は「266日」となった。この事態は社会科講師には実に美味しいネタである(笑)。中学校の公民でも習うとおり、日本の総理大臣は国会の指名に基づいて天皇が任命する。国会で指名を受けた時点でその人がやることは確定であり、天皇に拒否権などありはせず任命は「単なる儀式」に過ぎないのだが、今回のように任命までの間が空いていると厳密にはその間は菅さんはまだ「首相確定者」に過ぎない。ではその間は誰が首相なのかというと、日本国憲法第71条に「前二条の場合(内閣総辞職の場合)には、内閣は、新たに内閣総理大臣が任命されるまで引き続きその職務を行ふ。」とあり、次の内閣が正式にできあがるまで職務は総辞職したはずの前内閣が行うことになっている。だから鳩山内閣は6月8日まで実質存在していたわけで、このことはその空白期間中に鳩山前首相自身が大学での講演で「内閣総理大臣」と呼ばれて、苦笑しながら自ら詳しく説明していた。
 この件は憲法学者の間でも議論があるそうで…今回結局何事もなかったのだが、この「空白の数日」の間に一国の指導者が決断を迫られるような非常事態が発生した場合、すでに辞めることになっている「総理大臣」が職務、すなわちその決断を下すことはできるのか、それは「新総理大臣」が決断を下すべきと思われるが、まだ正式には任命されていないではないか……という議論だ。学説的には憲法71条のいう「職務」はそんな大事態ではなく日常的な職務遂行と考えるのが主流だそうだが、書いてないのも確かなんだよね。マスコミの報道を見ていてもこの「空白の数日」の間、どちらを「首相」と呼ぶべきか困っていた気配がある。朝日新聞の「首相動静」欄をみた限りでは「鳩山首相」「菅新首相」としてそれぞれその動静を併記する形にしていた。

 面白いもので、同様の現象が細川護煕内閣から羽田孜内閣に引き継ぐ時にも起こっている。ほんと細川さんと鳩山さん、良く似た展開になったものである。そういえば「首相の孫」「政治とカネ問題」「突然の辞任」といちいち共通点が思い浮かぶ。もちろん「自民党から政権奪取」という点がそもそも共通するし、登板時、それまでにないタイプとして新鮮さがあったのも確かだ。
 細川政権は短命・地味という印象が確かにあるが、あれで案外その後に残した影響は大きい。いいか悪いかは別にしてそれまでの政権が掲げつつも手をつけられなかった選挙制度改革、コメ市場の部分開放、戦争での加害責任の明言など、政権交代という勢いにのってやってのけてしまったものは少なくない。鳩山内閣も(当人も辞任演説で言っていたが)あれで案外、あとから振り返ると実は重大な一歩だったということはあるように思える(正直なところここ一年ばかり、報道関係で政治記者ほどバカな連中はいないんじゃないかしら、などという感慨を抱いてる)。退陣後はさっさと政界引退して悠々自適に暮らしそうな空気があるところも共通かも。

 では菅新内閣は「羽田内閣」になるのか…?という話になるのだが。
 確かに「選挙対策内閣」という性格は否めない(久々に口数が多くなった田中真紀子さんも断言してましたな)。鳩山内閣の支持率も落ちてきて、民主党が参院選で負けそうだから「顔」を変えちゃえ、という動きには、一昨年「選挙で勝てる顔を」と公明党が火付け役で福田さんをひきずりおろして麻生さんを立てて大失敗した前例や、昨年の衆院解散直前の「麻生おろし」のドタバタを思い出して、なんてまぁアサハカな、と思っていたのだが、「顔」を変えたら内閣支持率はまぁ「よくあるご祝儀」として(菅さん自身の国民人気度は以前から高いので予想はしたが)、党の支持率までビックリするほどV字回復しちゃったんだから、正直呆れた。ま、国民が「気分屋」なのは今に始まったことでもないし、別に日本だけの現象ではないと思ってはいる。それにしても極端すぎる気はするので、実は鳩山さんも民主党もそう言われているほど嫌われてなかったんじゃないの?という感もある。(今さらだが、僕はあのまま参院選になっても案外民主党は言われてるほど負けない気がしていた)
 で、どうもそのV字回復の一因?と見られているのが、菅内閣が「脱小沢」のフレーズで語られてしまっていること。別に当人も周囲もそんなことは明言してないのだが(まぁあっても明言はせんだろうが)、世間的には鳩山政権は「小沢支配」とイメージがつけられてしまっており、何かというと「小沢」を対立軸に政治の「見立て」をしたがるマスコミからは菅体制は「脱小沢」ということになって、「鳩山の小沢との刺し違え」だの「小沢グループの反乱離脱」だの面白おかしく騒いじゃう結果になり、それがまた「打倒小沢」をキャッチフレーズに民主党を攻撃していた側を当惑させることにもなった。ただ以前から「小沢一郎」という政治家についてはマスコミを中心に良くも悪くもイメージが肥大化して実態から離れてしまっている気がしてるんだよな(流布する「小沢イメージ」の現実とのギャップがいかに大きいかは元小沢側近の平野貞夫も書いていた)。正直そんな超大物なら、これまでの経緯のようなことにはならないよ、と思うのだが…まぁ、小沢さんは率直に言って顔で損してるな。大衆が思い描く時代劇の悪代官イメージそのまんまだから。
 ただ今回の「退陣劇」が昨年のパターンの繰り返しであり、「みんなわかってて一芝居うっている」という見方もなくはない。その真相が明らかになるかはアテにしてないが。

昨年9月のものと合わせてお楽しみください さて菅直人首相であるが、まず「市民運動出」というのが異例。父親や祖父に首相がいない首相は小泉純一郎以来であるし、二世議員ですらないという点では村山富市以来となる。また出身大学が東京工業大学というのも初(なお鳩山前首相はそこの助手をつとめていたことがある)、専攻が理学部応用物理学科というのも、政治・経済・法学部出身者が大半の首相の中では異例の理系だ。なんでも東京工業大学在学中にマージャン点数計算機を発明して特許をとったりもしているそうで。
 初物尽くしのようにも見えるが、山口県出身ということでは明治以来伝統の「長州閥」でもある(笑)。会見において内閣のニックネームを聞かれて高杉晋作の名を挙げ、彼が結成した「奇兵隊」にちなみ「奇兵隊内閣」と称していたのは長州つながりを当人もそれなりに意識しているということだろう。「奇兵隊」はその名に「奇」があるように武士による正規軍ではなく、庶民階層の参加も含めた不正規軍隊で、それにからめて自身が「庶民出」ということをアピールしているわけだ。そして「奇兵隊」は長州藩内の政権奪取、長州防衛戦、戊辰戦争と一連の「革命」に大きな力を果たしているため、「改革」イメージのアピールにもなる。ただ高杉は「短命」に終わったし、奇兵隊は明治になってから解散させられ、その一部過激派は反乱を起こし、鎮圧されて大量の処刑者を出すという結末になるのだが…
 菅首相が政治の道に入ったきっかけが戦前戦後にわたる女性運動家・市川房枝の選挙事務所の手伝いだったというから、そこにもすでに「歴史」を感じてしまう。そこから社会民主連合→新党さきがけ→民主党という流れをたどっている。菅さんといえば橋本龍太郎内閣での厚生大臣時代が有名だが、それ以前から後藤田正晴が「仕事のできるやつ」と目をつけていたとの逸話も聞く(出典未確認なのだが、今回菅首相が就任会見で後藤田の名を出したのもそのつながりと思われる)。そして流れ流れてとうとう総理、というわけであるが、とりあえず参院選がどうなるか。
 そろそろ1年以上やる首相が出てきてもいいんじゃないですかねぇ。何かというと「何もしてない」と騒がれる歴代首相だが、そもそも1年もしないうちに何かやれというほうに無理があるんじゃないかと。ま、とりあえず間もなくやってくる「贋作サミット」への参加をよろしく(笑)。


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