ニュースな
2011年1月25日

<<<前回の記事
次回の記事>>>


◆今週の記事

◆「革命」は飛び火するか

 チュニジアという国名を聞いて、何を連想するだろうか。以前サッカーのW杯で日本とこの国のチームが対戦することになったとき、TV番組でこの国の紹介にあれこれ頭を使っていたものだが、正直なじみが薄い国だと思う。
 その番組でも紹介していたことだが、実は映画「スターウォーズ」に出てくる砂漠の惑星「タトゥーイン」のロケはほとんどこの国で行われている。監督のジョージ=ルーカスはそれで気に入ったようで、「レイダース」もこの国でロケしているという。
 歴史話にもっていくと、この国にはかつてカルタゴという有名な国家があった。のちに帝国となるローマと地中海をはさんで対決したライバルとして名高く、実際このカルタゴの遺跡はチュニジアでもっとも世界的に有名な観光地となっている。
 北西アフリカの一角を占めるこの国は、かつてフランスの植民地だったことがあり、フランス国内にもチュニジア系が若干いる。実はフランス国内で最後にギロチン処刑されたのがチュニジア人だ。フランスでの死刑はその廃止まで一貫してギロチンによるもので、このチュニジア人の処刑については冤罪の可能性も指摘されており、それが死刑制度廃止の一つのきっかけとなったともいう。

 そんなチュニジアで「革命」が勃発し、にわかに世界的な注目を集めている。昨年末から始まっていた反政府暴動が1月に入って一気に全国に飛び火、とうとう1月14日にベンアリ大統領はサウジアラビアへの亡命を余儀なくされ(当初旧宗主国のフランスに行こうとしたがフランス政府から断られたという)、23年に及んだ長期政権に終止符がうたれた。というか、この国の政権がそんなに続いていたものだったということを、僕はその崩壊のニュースに接してようやく知った程度なのだが。
 ベンアリ政権が誕生したのは1987年。ということはまだ日本は昭和の御代、ベルリンの壁の崩壊もバブル崩壊もまだの段階で、そう思えば確かにずいぶん長期政権。もっともその前任者でチュニジア初代大統領のブルギーバは1957年から30年も政権を保っていた。

 こういう「革命」という形で打倒されたために(この国のシンボル的花にちなんで「ジャスミン革命」などと呼ばれている)、にわかに「独裁者」呼ばわりされてる観もあるのだが、ちょっと調べてみると彼の政権じたいは民主化傾向、世俗主義、多元主義を進め、イスラム過激派の押さえこみ、経済もそこそこ好調で欧米諸国からウケが良かったことが分かる。昔の話とはいえフランス社会政治研究センターがベンアリに「民主主義・人権」国際賞を与えたこともあるそうで。
 長期独裁政権といっても一応大統領選挙は行われており、おととしでベンアリは大統領に5選された。ただその得票率が89.62%と聞いてしまうと、不正とは言わないが、政治風土としてあまり民主的とは思えない、というのが率直なところ。これだけの支持を集めていたはずなのに今回あっけなく政権崩壊してしまったところを見ると(軍部が見限ったという事情もあるとはいえ)、国民の間ではブスブスと不満がくすぶっていたということだろう。

 この不満の爆発のきっかけとなったのが、ある若者の「焼身自殺」だったというのが、この「革命」で目をひいた(以下は毎日新聞の家族取材記事より)。彼はムハンマド=ブアジジという26歳の若者で、同国首都チュニスから南に260キロほどのシディブジドの住民だ。すでに父親を亡くして家族9人の生計を支えるべく、野菜や果物を道端で売っていた。しかし昨年の12月17日、これが「無許可販売」であるとして市職員に摘発され、この際に女性職員から平手打ちをされるなど屈辱的な扱いを受けたという(イスラム圏ではとくにこの「公衆の面前の平手打ち」はかなり屈辱的という話をどっかで聞いたような)。市当局に苦情を訴えようとしたが相手にされなかったため、とうとう市役所前で抗議の焼身自殺を行い、これをきっかけに失業している若者を中心に政府への不満が爆発して暴動に発展、国内メディアは無視したが今年の1月4日に彼が死亡したあたりからネットを中心に抗議行動が全国に拡大、その十日後には政権を打倒することになっちゃったわけだ。
 シディブジドの中央広場はそれまでベンアリの就任演説の日付である「11月7日広場」と呼ばれていたが、今や市民は「ムハンマド=ブアジジ広場」と呼んでいるそうである。早くも「歴史的存在」となりつつある彼だが、なんとなく日本の樺美智子のことを思い出さなくもない。

 驚いたのは、チュニジア同様に「選挙はあるんだけど長期独裁政権」である周辺アラブ諸国でも、彼に触発されたと思われる焼身自殺が相次いだことだ。すでにエジプト、アルジェリア、モーリタニア、ベンアリ前大統領の亡命先であるサウジアラビアでまで焼身自殺が怒ったというからさらに驚いた。まさに「飛び火」である。
 まず素朴に思ったのが「イスラム教徒で焼身自殺って教義的にアリなのか?」ということ。抗議の焼身自殺と言えば、かつて南ベトナムで僧侶が実行し、大統領の弟の妻が「坊主のバーベキュー」と揶揄したことから政権崩壊につながった、なんてな例も思い起こされ、またかつて韓国の学生運動の末期にもよく見られたもので、なんとなく東アジアから東南アジアに多いもの、という印象があるのだが、イスラム圏でもあるものなのか。そもそも過去に日本で病死したイスラム教徒を火葬にして問題になったことがあって、その理由が「遺体が残ってないと最後の審判のときに困る」というものだったと記憶していた。もっとも火葬と違って焼身自殺は遺体もある程度残るだろうし、そもそもイスラム原理主義がよくやる「自爆テロ」のほうが焼身自殺より跡かたもなくなるじゃないか、とも思ったが。
 なんてことを考えていたら、1月18日にエジプトのイスラム教スンナ派の最高権威アズハル大学が「イスラム教はいかなる理由での自殺も禁じている」との声明を出し「焼身自殺はスンナ」と表明していた。たしかキリスト教も自殺禁止ということになっていたはずだから、理由はおそらく同じだろう。ただエジプトのムバラク大統領の政権自体がベンアリ政権と良く似た構造を持っており、まさに「飛び火」を恐れて政治的に大学にこの声明を出させたとの見方も出ている。

 親欧米的でイスラム団体を非合法化し、欧米型の国家づくりを進めた長期独裁体制が打倒されるというパターンはイランのイスラム革命を連想させるところがあり、実際イランのアフマディネジャド大統領はチュニジアがイラン同様の国になることを期待する発言をしており、他のアラブ諸国や欧米諸国が一番恐れているのもそれ。しかもそれがアラブ諸国全体に飛び火したらどういうことになるだろうかと戦々恐々と言うところだろう。今のところヨルダンやアルジェリア、さらにはイエメンやアルバニアでチュニジアに触発されたらしき反政府デモや暴動が実際に発生している。
 今回の「革命」を受けて、ベンアリ政権下で非合法化されていたチュニジアのイスラム組織「ナハダ」は晴れて合法組織になることとなり、亡命していた幹部たちも帰国して、今後のチュニジアにおける有力政党になる可能性が高いとされている。朝日新聞でその「ナハダ」の幹部にインタビューをしていたが、そこではその幹部は「神権政治は目指さない。現在イスラム政党が与党となっているトルコをモデルに世俗主義と宗教価値観の両立を目指す」と発言していた。だとすればいきなりイランのようなことにはならないんだろうが、これを書いている時点でもまだ情勢は混沌としていて、次の政権の形が見えてこない。



◆ルペン二世?

 以前「ルペン賛成!?」なんてギャグをかましたことがある当欄でであるが、まさか本当に「ルペン二世」が出てくるとは思わなかった。
 ルペンとは、もちろんルパンの母国であるフランスの極右政党「国民戦線」の党首ジャン=マリー=ルペンのこと。これまでも「史点」に何度もご登場してしまっている有名人だ。最近では昨年の靖国神社参拝なんて意外なところで名前を見せた。

 そのルペン氏も御年82歳。寄る年並みには勝てない上に、2002年の大統領選挙決選進出の勢いは2007年の大統領選ではみせなかった(そのぶんサルコジが極右支持層をとりこんだとも言える)。また国民戦線じたいも資金難が報じられるなど、フランスを含めたヨーロッパ諸国の保守化・外国人排斥傾向のなかであまり景気のよい話は聞かない。そして昨年春にはルペン氏自身がついに引退を表明、国民戦線を次世代に託すことを明らかにしていた。
 その時点で、ルペン氏の最有力後継者が、ほかならぬ彼の三女、マリーヌ=ルペン副党首であった。日本では父親ばかりで娘の方はほとんど報じられていないが、フランスではすっかり父娘そろって国民戦線の二枚看板となっており、かなり早い段階から後継者と目されていたようだ。なにせ2007年の段階で父親自身の口から「(もう一人の有力候補の)ゴルニッシュ幹事長よりもマリーヌのほうがたぐいまれな才能を持っている」とハタ目には親バカな発言が飛び出していて、「世襲」は実質既定路線だったようだ。

 1月16日に国民戦線の党大会で、新党首選挙の開票結果が発表され、マリーヌ=ルペンがライバルのゴルニッシュに対して得票率67%の圧勝で選出された。父親のほうは「名誉党首」となるそうだが、それってもしかして「院政」じゃあるまいな。
 マリーヌ新党首は弁護士出身で十代から父の「国民戦線」に参加、プライベートでは離婚歴2回のシングルマザーと、保守系にはちと嫌われそうな感もあるが、そこが逆にソフトイメージの効果を出して、コワモテ右翼の父親よりは国民に受け入れられやすいところがあるらしい。このところの欧州経済危機と連動したイスラム系排斥の流れにも乗っているが、イスラムそのものを排斥するのではなく「フランス社会にふさわしいイスラム系になれ」といった移民政策を主張し、これがまた受け入れられやすいらしい。世論調査によると国民の3割以上が彼女を「好感のもてる政治家」に挙げ、来年行われる大統領選で彼女に投票すると回答した人も17〜18%いたというから、ある意味父親以上にあなどれない政治家になる可能性もある。

 それにしても欧米でもやっぱり世襲政治家っているんだな、と。党首クラスでの世襲というと南アジアや東南アジアでよく見かける気はするが。そういえばイタリアではムッソリーニの孫娘が極右政党を率いてましたっけ。



◆伝統の中継が

 子どもの頃にイギリスのヒュー=ロフティングが書いた「ドリトル先生」シリーズを夢中で読んだ時期がある。知ってる人には説明不要だが、動物と会話ができるようになったドリトル先生とその愉快な仲間たち(大半が動物)が繰り広げる冒険ばなしだ。過去に映画化されたこともあるし、最近でもエディ=マーフィー主演で「ドクター・ドリトル」として映画化された。ただしこの「ドリトル先生」、書かれた時代背景もあって一部に黒人差別的ととれる表現があるためにアメリカでは批判対象にされたこともある(ただ当時の基準でみればこれでもかなり人道重視姿勢の話だとは思う)。エディ=マーフィー主演版の映画は「動物と話せる」という以外に原作とはほとんど関係ないのだが、主役を黒人俳優が演じているのはそうした批判をかわすためであったと思われる。
 さてこのドリトル先生のなかで、主人公たちがスペインの闘牛を見て「なんと野蛮な」と怒る逸話がある。動物と話せるだけにドリトル先生は動物も人間も同じだから当然怒るわけで、闘牛に出る牛に話しかけて暴れさせ、競技をぶち壊しにしてしまう、という展開になる。ロフティングは当時としてはかなり急進的な動物愛護観の持ち主だったと思われるのだが(イギリスの伝統文化であるキツネ狩りも批判している)、恐らくイギリス人一般にスペイン文化圏の闘牛を「野蛮」とみなす意見が広くあったのだろう。
 ついでながらこれだけ動物を愛護しているドリトル先生だが、どう見てもソーセージやベーコンなど肉類を食ってるとしか思えない描写もある。菜食主義に走るという手もあるが、シリーズ後半になるとなんと植物とも会話するようになってしまうので、それも無理。まぁ作者としてはそこは深く考えないようにしていたのだろうけど。

 さて、スペインでは長らく「国技」として絶大な人気を誇る、とされていた闘牛も近ごろ落ち目な話ばかりを聞く。さしものスペインにも動物愛護の声が高くなり闘牛も残酷なショーとして批判を浴びるようになり、昨年にはバルセロナを含むカタルーニャ州では2012年以後州内の闘牛が禁じられてしまった。これはカタルーニャ地方がスペインからの独立志向を持つ異文化圏であることも一因らしいが、すでにスペイン国民の4分の3は「闘牛に無関心」と答えたという調査もあり、国民全体で「闘牛離れ」が進んでいるのもまた事実のようだ。
 そうした「闘牛離れ」を象徴するように、スペイン国営テレビ「RTVE」が闘牛の生中継を2007年以降は中止していた。あくまで理由は「視聴率がとれないから」であり、サッカーなどCMのとれるコンテンツを優先して一時的に中止、ということになっていた。だが今年1月になって「RTVE」は闘牛生中継の中止を公式に表明し、その理由として「子供に動物虐待を見せてはならない」とする新たな放送倫理規定に基づいて「子どもは闘牛を見て『動物を虐待している』と悲しみを覚えるだろう」と明言したのだ。
 これには闘牛関係者やファン、保守派などが「国営放送は伝統文化を断罪するのか」と猛反発。もっとも民放のケーブルテレビでは人気闘牛士の試合を近頃流行の3Dで放送するサービスもあるそうで、濃いファン向けに見せるものはある模様。でも確かにスペインといえば闘牛と連想するぐらいだったので、少々さびしい話ではある。

異種格闘技戦
 日本の「国技」といえば一応「相撲」ということになっていて、昨年の賭博騒動を受けてNHKが一時的に生中継を中止したこともあった。その後生中継は復活したが、これまで衛生放送で行っていた幕下力士の取組を3月の春場所を最後に中止することが発表された。これは相撲人気ウンヌンの話ではなく、あくまでそれまで3チャンネルあったNHKの衛星放送が2チャンネルに再編されるため優先順位の低いコンテンツとして外されたもの。まぁ優先順位が低いと判断されるのは人気低下ということなんだろうけど。
 もともと幕下の取組中継なんてマニアしかチェックしてない番組ではあったのだが、我が家では弟が熱心に見ていたし(当サイトの彼のコーナーを見れば分かるが、高校野球も甲子園ではなく地方大会に注目する人なので)、若手力士の成長をみる楽しさも確かにあった。また力士や行司の間でも駆けだしのころは「まずはBSに映るようになろう」と目標にしていたともいい、その意味でもNHKが幕下取組に取り組まなくなるのを残念がる声もある。



◆ナスカ地上絵に…

 「ナスカ地上絵に人の頭部か」という読売新聞ウェブ版の見出しを見た時には、あんなところでバラバラ殺人かよ、と思っちゃったものだ(笑)。そのちょっと前には携帯電話で見たニュース記事の見出しで「ピーター・フォンダ死後三日の自殺死体を発見!」ってのがあってのけぞったこともあったっけ(もちろんピーター=フォンダが自殺死体を発見した、という記事)

 さて「ナスカの地上絵」といえば説明の必要もあるまい。ペルーのナスカ高原の表面を削ることで「描かれた」大小様々な「絵」の総称で、文化区分で「ナスカ期」と呼ばれる時期(紀元前2世紀〜紀元後7世紀ころ)に作られたものとみられている。地上ではまったく「絵」は見えず、上空から見下ろして初めてその全体像が見渡せるため、1930年代に飛行機がこの地方を飛ぶまで誰も存在に気付かなかった。現在はグーグルマップやグーグルアースで自宅のパソコンから地上絵を見下ろせるんだから、大変な時代になったもんである。
 古代人がこんなデカいもの、しかも全体像を見渡すこともできないのにどうして描けたのだろうと誰もが不思議に思うところで、「宇宙人の着陸基地説」なんてものまである。古典的シューティングゲーム「ゼビウス」で背景にナスカの地上絵が出てくるのもそれをふまえてのことだし、日本の政治家・町村信孝が官房長官をつとめている時に「個人的にはUFOは絶対いると思う。そうじゃないとナスカのああいうのは説明できない」と発言したこともあった。
 ただ巨大な地上絵の「描き方」についてはおおむね定説とされる推理がある。まず適当な大きさの小さな絵を地上に描き、それを基準にロープと杭を使って元絵の巨大な拡大相似形を描いたとする説だ。これなら全体像が見えなくても巨大な絵が描けるわけで、実際にそれに使われたと思われる小さな絵や杭の跡が見つかっており、ほぼ間違いなかろうと見られている。現地の土器には地上絵に描かれたものと共通するデザインも見つかっているそうで、それのデッカイやつを描いてみた、ということのようだ。
 それでも「やっぱり上から見たんじゃないか」との見解はある。飛行機もない時代にそれは無理だろと思うところだが、「熱気球説」があったのではないか、との説は昔からささやかれている。確認される限り熱気球の発明は18世紀初頭のヨーロッパと見られるが、中国で「天灯」と呼ばれる紙製の簡易な熱気球がかなり早くに発明されていたとの見方もある(もちろん人が乗るものではないのだが、映画「墨攻」で人が乗れるようにしたものが出て来たりしたな)。だから気球の原理の発見自体はありうる話で、ナスカで見つかった土器に気球のようなものが描かれているとか、気球に仕えそうな丈夫な布が見つかっているといった傍証も挙がっているが、決定打にはなっていない。
 あとはこの地上絵を描いた目的が謎だ。これもいろいろと説が出ているが、空にいる何者か、つまり神様に見せるために描いたのだろうというのが良く言われる説だ。また一筆書きの絵が多いことからその上を歩いたという説とか、地下水のありかを示そうとしたのだとか、まぁ議論百出なのだが、結局のところ描いた当人に聞いてみないと分からない感じだ。

 地上絵というと「コンドル」や「ハチドリ」「サル」「宇宙飛行士?」といった動物を描いたらしきものが有名だが、そういったテーマのわかりやすいものは30個程度で、あとは幾何学模様が300、直線が700で合計1000個ちょっとあるという状態だ。最近では日本の山形大学が衛星写真をもとに新たな地上絵を探していて、2006年にはなんと100個も新たに発見したそうである(さすがにグーグルマップやアースよりも解像度が高いんだろうな)
 そして去る1月18日、山形大学の研究グループは「人の頭部」「動物らしきもの」の2点の地上絵を発見したと発表した。「人の頭部」はそれほど大きなものではなく、縦4.2mに横3.1というしろもので、「顔」の中に目、口、耳とおぼしきものが描かれている。確かに人間の顔に見えないこともないが、写真で見ると幾何学模様という気もしなくはなかったなぁ…なんだかむかし騒がれた火星の「人面岩」みたい(笑)。近くに祭祀場であったと思われる「カワチ神殿」という遺跡があり、そこから人の頭部のミイラが見つかっていることもあって、それとの関わりも考えられるとのこと。また「人の頭部」の絵には後から重なるように直線が描かれていることから、「ナスカ期」初期かそれ以前の時代のものという可能性もあり、なぜ地上絵が描かれたのかを解くカギになるかも、との話。


2011/1/25の記事

<<<<前回の記事
次回の記事>>>

史激的な物見櫓のトップに戻る