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2011年4月1日

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◆今週の記事

◆あの対決の真相は?

 誰だって自分が後世歴史的有名人になると分かっているわけではないから、日常の中でごくごくプライベートな、えてして他人に読まれては恥ずかしい内容の手紙等を書くことはある。それが何かの間違いで後世に残っちゃったりすると、とっても恥ずかしい歴史的物件となってしまう。
 日本史におけるその代表とも言えるのが、戦国時代の名将・武田信玄の「浮気なんてしてないよ」と恋人に弁解する誓いの手紙だろう。手紙の宛先は春日源助、浮気の相手との疑惑があったのは弥七郎なる人物。そう、男ばっかりの三角関係というシチュエーションなんですな。その内容を現代語にに訳せば「弥七郎にはしきりに声をかけたんだけど、いつも腹が痛いからと断られていて、実行したことはないんだ。ウソじゃないって。弥七郎に夜の相手をさせてはいないんだってば。これまでだってないよ。もちろん昼も夜もしてないし、今夜だってする気だってない。このところ君に声をかけなかったのはいろいろ忙しくってさぁ、疑われちゃこっちも困っちゃうよ。もしウソついてたら、神様の罰が当たるからね」という、なかなかアケスケな内容である(浮気はしてないと言いつつ、浮気する気があったことは認めてるんだよな)
 こんな手紙が東大史料編纂所の蔵出し企画展で、国立博物館なんて場所で堂々と人前に展示されたのを僕は目撃しているが、信玄もそんなことになるとは思わずに書いた手紙だろう。現代人ならさしずめ日常携帯で打っているメールといったところで、はるか後世には「歴史人物の恥ずかしいメール」なんてデジタル史料が人前にさらされることになるのかもしれない。みなさん、気をつけましょうね(笑)。

 さて、その武田信玄。この4月1日にまた新たなる「プライベートメール」が発見され、話題を呼んでいる。今度はある人物との複数回のやりとりで、相手はなんと上杉謙信。おっ、ということは、今度は女性説もある謙信との絡みか、と歴女にして腐女子の皆さまが喜んじゃいそうだが、残念でした。内容はさすが戦国武将どうし、川中島の合戦に関するもの。このたび発見された謙信から信玄にあてた手紙を、時系列順に並べて現代語に訳すとこんなものである。

謙信「次の合戦のことなんですが、もらえるならくれませんか?」
信玄「了解です!お願いされたから、とりあえずコケます」
謙信「今日はまっすぐ思いっきり当たっていきます。よろしくお願いします」
信玄「斬りつけるだけ斬りつけて、軍配で受け止めて、馬をはたかれて逃げるのがベストだと思いますよ〜」
謙信「立ち会いは強く当たって、流れでお願いします」
信玄「了解いたしました!では流れで少しは踏ん張るよ」
謙信「ありがとう、助かりました!じゃ直接返しでいいかな?」
信玄「約束さえ守っていただけるなら、直接でお願いします」

 読み取りにくい会話だが、日付によるとこの手紙のやりとりは第四回川中島合戦(1561)の直前。ということはこの内容にある「合戦」とはその戦いのことで、どうやら二人はその戦いで行われたと伝えられる「一騎打ち」に関する話を、なぜかその合戦の前にしているようなのだ。
 戦国合戦に詳しい山本菅助・甲陽軍事大学教授(69)の分析によると、当時の戦国武将が合戦を繰り返したのは収入を確保するための「出稼ぎ」という側面があり、正直なところお互いはっきり勝ち負けをつけるよりはナァナァで「星のやりくり」をした方がいい、という実態があり、これは信玄と謙信が大激戦をしたかのように装うための「八百長」の相談をしたものだと見られるという。
 最後に出てくる「直接返し」がなんのことか分からないが、山本教授によれば、その後に信玄が今川氏から塩の輸出を止められた際に謙信が越後から「敵に塩を送る」行動に出た一件を指す可能性があるという。そういえば信玄も死ぬ間際に「謙信は義理がたい武将だから、自分の死後は彼を頼れ」と息子に遺言したと伝えられており、信憑性は高そうだ。
 後年、大相撲で取り組みの前に塩をまくのがこれに由来するのかどうかは定かではない。



◆学問の神様の大作戦!

 「学問の神様」「受験生の神様」といえば現代日本では菅原道真と決まっている。彼を祭った「天神様」が合格祈願の絵馬でいっぱいになるのは見慣れた光景だが、史実を追えば分かるように、別に彼は勉強ができたから神様に祭られたわけではない。左遷先で病死したあとで彼を追い落としたとされる藤原時平とその関係者がバタバタと死んだこと、そして清涼殿に落雷があって死傷者が出たことで「これは道真の怨霊に違いない」ということになり、彼を雷神と結び付けてその怨霊を鎮めるために「天神様」として祭ることになった、というだけのことだ。本来はかなりおっかない神様なのである。

 道真が「学問の神様」にされたのは彼が生前「文章博士」になるなど勉強ができたから…と思われがちだが、実は彼の祖父も彼の父も「文章博士」になっており、日本の歴史ではありがちな「役職の世襲」の一例であり、代々受け継いでいく「家業」みたいなものでもあった。そりゃもちろん仕事はしなくちゃいけないから勉強はしたのだろうが、そういう祖父・父がいる環境で幼いころから叩きこまれるんだから、今の歌舞伎や能・狂言の家の教育みたいなものだろう。道真が格別に学問が出来たという証拠はない。

 道真と言えば894年に、「白紙(894)に戻す遣唐使」というやつで、260年も続いた遣唐使を中止させたことでも知られる。これを評価するような声も一部にあるが、この前の遣唐使は838年、つまり半世紀以上も前の話だったことを忘れてはいけない。そのときも副使に任命されていた小野篁が渡航を拒否する騒ぎが起きているのだが、894年の場合も道真自身が遣唐大使に任命されており、ぶっちゃけた言い方をすると「自分が行きたくないから派遣中止にした」という見方もできる。もちろん唐が間もなく滅亡するという情報を得ていたからとも言われるが、そんな情報が入って来るだけ人の行き来はあったわけ。
 こうも考えられないだろうか。彼が大使に任命されたのは「文章博士」だけに語学力、漢文力を買われたためだ。ところが道真には「本場」に行って通用するだけの自信がなかった。だから唐の情勢を口実にして派遣自体をナシにしてしまったのではないかと。実際、「道真の作」とされる文集や歌集には後世の偽作・偽書も多いとされていて、道真の語学力・文章力には疑いも生じてくる。

 道真が勉強ができなかったという証拠はまだある。彼が左遷され大宰府へ流される際に、淀川を下って河口付近の中州についたとき、そこを「淡路島」と勘違いしてしまったという伝説があるのだ。この中州は現在の大阪市東淀川区にあたり、その伝説に由来する「淡路」「菅原」という地名も残っている。してみると、道真は語学力・文章力のみならず、地理にも暗かったということにもなろう。
 一方で弓が百発百中だったという、むしろ体育会系ではなかったかと思われる伝承もあるし、あの女たらしの在原業平と長岡京の跡地・大山崎の地(遊女が多かった)にしばしば遊んで詩歌・管弦を楽しんだという伝承には、かなりの遊び人だった可能性すら感じさせる。

 そうなってくると道真がなぜ学者・政治家として出世し、結局左遷されるハメになったのかが分からなくなってくる。ところが今年の4月1日になって菅原家に伝わっていた文書の中から、そのカギとなる史料が発見されたのである。
 実は道真には元力士で「梅乃花」と呼ばれる忠実な召使がおり、これが素晴らしく学問に通じしていて、数多くの証言を残していたのだ。梅乃花は実は無学だった道真の「知恵袋」として働いていて、学問の講習や政治の現場で道真の影で付き従い、道真が困った時にこっそり影から答えを教える役割をしていたらしい。といって、人前で大きな紙に答えを書いて見せるとバレバレなので、体に隠した様々な香(こう)をたいて事前に取り決めた匂いによる信号を送っていたとのこと。しかしさすがにいつも変な匂いがするということで疑惑が広がり、なぜか都内の二学生による犯行とのデマが報じられる一幕もあったらしいが、結局匂いのもとをたどられて不正行為が発覚、道真は左遷されることになっちゃったという。
 道真が大宰府に旅立つにあたって詠んだという「東風(こち)吹かば匂いおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな」の歌は、その梅乃花との別れを惜しんだ歌だったのである。そういえばこの歌の末尾も後に他人によって「春な忘れそ」と添削されてしまっている。

 なお、このときの香(こう)による信号は、菅公が忍んで使った道具ということで「菅忍具」と呼ばれるようになり、これが後世「カンニング」という言葉の由来になったとの話が『そうだったのか!あの言葉の由来』(民明書房刊)という本に載っていた。



◆ハリウッドが目を付けた!

 ハリウッドが日本の漫画や特撮を実写映画化してヒンシュクを買うのはもう珍しい現象ではなくなってしまったが、その魔の手が時代劇にも伸びて来たようで、先ごろキアヌ=リーブス主演の「47RONIN」なる忠臣蔵映画の製作も発表されている。キアヌは「日英混血」のくせに四十七士に加わるという謎のキャラ(まぁ中国系のはいたけどね)真田広之大石内蔵助なのはまぁいいとして、浅野忠信がなぜか若い吉良上野介を演じ、柴崎コウがキアヌと恋に落ちる浅野内匠頭の娘ミカを演じるとのこと。なおオーディション資料によると吉良の右腕となる「忍者の棟梁」だとか、吉良の策略に加わって魔術で浅野を陥れる「魔女」だとか、四十七士の中に「バショウ」という名の「相撲とり」がいるとか、お前ら日本人をおちょっくんとるんか、とツッコミたくなるキャラが並んでいる。監督は「本作は忠臣蔵をモチーフにしたオリジナルストーリー」と言い訳めいたことを言っているが、これならいっそファンタジーかSF映画にでもしてくれた方がよかった気がする。
 思えば最近「ハチ公物語」だとか「南極物語」とか、日本で興行記録を出している作品のハリウッドリメイクが最近目立つ。ハリウッドのネタ切れもここまで来たかという感じだが、日本で興行成績をあげたもののハリウッド版を作ればありがたがられる上になんだかんだで一定数が見に来るというヨミもあるのだろう。

 するとこれに続けということなのか、アメリカ芸能情報紙「USO」4月1日号が報じたところによると、日本人なら誰でも知ってる人気作の実写映画企画が次々と製作に動きだしているという。

 「Peach Boy」なる作品は、川を流れて来た桃から生まれた少年が魔法の玉「キビ・ボール」を餌にしてドッグ・モンキー・フェザントの「三つのしもべ」を従えて悪魔たちが住む島へ乱入、そこにあった宝物を略奪してくるというファンタジー仕立てのピカレスク映画とのこと。外国から桃に乗ってやってきた設定のため、白人若手スターが演じる予定だそうである。

 「One inchMonk」なる作品は、1インチの法師が椀の船に箸の櫂で河を下り、針の刀を武器に様々な策略をめぐらして出世を重ねるサクセス・ストーリーで、ラストに「ヒット・ハンマー」で大きくなるまでの間の、お姫様との身長を超えたラブコメが見どころになる予定。「インチ」という日本にはない単位を使っていることから英米系の設定となり、英米系の俳優が演じることになりそうだ。

 「Bey Ilandboy」という企画もあり、湾内の島に住む漁師の若者が助けた海ガメに乗って海底の宮殿に行き、そこでプリンセスから大歓迎を受けるが、戻ってみると長い年月が過ぎていたという物語を、アインシュタインの相対性理論に基づいたハードSF調に仕上げるとのこと。玉手箱を開けたら老人になるラストについては「悲劇では客が来ない」というハリウッドの法則に基づき、そのあとで老人が地球を逆回転させて時間を巻き戻して元に戻るオリジナルストーリーを付け加えるそうである。そのラストがあるためにスーパーマン役者にやらせようかという話もあるそうな。

 「Golden Boy」は動物たちを相手に遊ぶ、マサカリかついだ怪力幼児を主人公にした子供向けの明るく楽しい3DCGアニメ作品になるそうで、クライマックスの熊とのレスリング、大木を引っこ抜いて橋をかける場面などが3Dで飛び出す見どころになるとのこと。そんな怪力の幼児が日本人のはずはないということで外見も欧米系風に描かれるそうだが、あの下半身が露出しそうなコスチュームについては教育上よくないということでパンツをはかせる予定。好評であれば日本の怪獣映画の例にならって「GoldenBoy vs Peach Boy」といった「対決シリーズ」も製作したい意向だそうだ。

 また、日本では広く知られた話だということで某映画会社が映画化権を取得した原題「Kobutori jisan」は「Little Fat Old Man」という英題にされたが、ちょっと太めの老人二人が出てくるだけの話ということで、どう映像化したもんだか困って製作が難航しているそうである。



◆あの文字をついに解読!?

 世界には歴史上さまざまな文字が発明、使用されてきたが、長い年月のうちに使用法が忘れ去られ、読めなくなってしまった文字も多い。
 エジプトのヒエログリフだって相当昔に読み方が忘れ去られ、近代になってロゼッタ・ストーンのおかげで解読できたものだ。メソポタミア由来の「楔形文字」も長いこと使われずに読めなくなっていたが、ペルシャ帝国時代の碑文に三言語で同一テキストが刻まれていたことが手がかりになって解読に成功している。中国の甲骨文字や金文は今も使用されている漢字のルーツということでかなり読めるわけだが、そうした手がかりがない文字の解読はかなり困難だ。

 よく知られている古代の文字で、僕が子供の時分に未解読と教わったのは「マヤ文字」「インダス文字」だった。おお、じゃあそれが読めたら歴史的な大手柄だなぁ、などと子供心にワクワクしたものだが、大人になってみたらマヤ文字はとうにあらかた解読されてしまったことを知って、ちょっとガッカリしたものである。
 そうなると注目はインダス文明のインダス文字だ。これが依然として未解読である理由はいくつかあり、まず「ロゼッタストーン」のように他の文字と対照できる手がかりがない、印章(ハンコ)に使われた短文ばかりでサンプルが絶対的に少ない、さらにインダス文明自体が謎の消滅を遂げており、その後に継承されていない、という三重苦が重なっている。

 これまでインダス文字解読には世界中の学者たちがアタックしており、コンピュータによる解析も行われて、解読とまではいかないまでも手がかりぐらいはつかんでいる。その文法的特徴から現在南インドで使用されるドラヴィダ系言語ではないかとするのが有力な説だ。インダス文明の衰亡の原因については諸説あるが、中央アジアから北インドに入ってきたアーリア系民族に滅ぼされたとの見方もあり、インダス文明の担い手であったドラヴィダ系の人々が南インドに移住した可能性は高いとみられている。

 さてそこで。南インドのドラヴィダ系言語といえば「タミル語」が有名である。「タミル」という呼称自体が「ドラヴィダ」に由来するとの説もあり、もしかするとこれは「インダス語」の直系子孫であるかもしれないのだ。タミル語と聞けば「日本語のルーツ説」を思い出す人もいるだろう。『日本語練習帳』などのベストセラーでも知られる大国語学者・大野晋(1919-2008)はタミル語に日本語との共通点が多いことに着目し、タミル語が日本語のルーツであるとの学説を主張していた。この説は大野以外の学者からは猛批判をくらっているのだが、助動詞+助詞といった使い方が似てるとか、係り結びや五七調の歌があるといった話を聞くと、なかなか無視できないものがある。
 十年以上前に「ムトゥ踊るマハラジャ」というインド映画が日本で大ヒットして話題になったことがある。実はこれもタミル語の映画で、主人公が日本にもいそうな「ムトウさん」であったこともヒットの要因との見方があった。もしかすると映画の中で聞こえる言語に無意識にシンパシーを感じてしまったのかもしれない。

 そういえばインダス文明の遺跡の名前、「モヘンジョ・ダロ」にしても「ハラッパ」にしても、何やら日本語みたいだ、と思った経験はないだろうか。これはもしかすると、インダス文字の解読は日本人が日本語でアタックしてみた方がいいのかもしれない!そこでさっそくやってみた。

 例えば、都市遺跡の門の上にこんな文字が大きく彫られていた。

 この中でしょっちゅう出てくる魚みたいな文字がある。魚といえば川に住む。川と言えばインダス人にとってはインダス川しかあるまい。そこでこの「魚」文字を「インダス」と読み替えると、「インダス○インダス○○○○○インダス」となる。次に、人に見えるのはそのまま「人」と考えて、「インダス○インダス 人 ○○ 人 ○ インダス」と埋まって来る。2番目のは屋根の下に人がいるように見えるから「住む」、5番目の文字は輪だから「わ」と考えてみると、「インダス 住む インダス 人 わ ○ 人 ○ インダス」と読めてくる。
 おっ、なんだか日本語っぽくなってきたではないか!あとは意味がつながるように間の文字を推測すると、

 インダス 住む インダス 人 わ みんな 人 が インダス

 おおっ!解読できたではないか!つまり「インダスに住んでいるインダス人はみんないい人だ」と書かれていたのだ!恐らく「あいさつのある町に非行なし」みたいな町の標語か何かだったのだろう。読みようによっては「人がいい」と自嘲しているようにも見えるが。
 
 さあ、この調子でドンドン行こう。今度は神殿の壁に彫られていたもの。

 5・6文字目と8・9文字目が同じ並びだ。さっきの例で解読できた部分を置き換えると「○○ わ ○ が インダス ○ がインダス」となる。お日様マークは太陽そのものか天候を表すと推測され、7文字目は何か穀物を表してるように見える。そして神殿といえば昔はその年の天候を占い、収穫を予想するのが重要な仕事だ。そこで「○○ わ 天候 が インダス 収穫 が インダス」と読む。となれば、最初の二文字は「今年」としか思えないから、

 今 年 わ 天候 が インダス 収穫 が インダス

 つまり「今年は天候がいいから収穫がいいだろう」と解読出来ちゃったのだ!いわば太古の気象長期予報である。

 さらにさらに。インダス文明の都市遺跡にはみんなで水浴をしたと思われる大きな共同浴場の跡が見つかっているが、これなども日本人の風呂好きとつながるものを感じる。その共同浴場の入口の看板にはこのような文字列があった。

   先ほどの例から「今 天候 わ ○ が インダス」とかなり読めてくるのだが、4文字目は見るからに「風呂」「お湯」であろう。共同浴場の看板だけに、これは「お湯の状態」ではあるまいか。太陽マークは「天候」以外に「日」とも考えられるので、

 今 日 わ 湯かげん が インダス

 つまり、共同浴場に客を誘う呼び込み看板であったわけだ。
 
 さらに次はハラッパ遺跡の建物の中の、学校と思われる建物の壁にあった文章。

 最初の文字はこの遺跡からやたらと出てくるのでこれを「ハラッパ」のことだと考えて、これまで出た例と合わせて読んでみると、「ハラッパ ○ みんな ○○ が インダス」となる。2文字目と4文字目が同じでこれは助詞と考え、5文字目は見るからに人が仲良く遊んでいる様子から「遊ぶ」と考えて、意味が通るようにしてみると、

 原っぱ で みんな で 遊ぶ が インダス
 
 となり、「みんな外に出て遊べ」と教師が子供たちに諭す標語だったと推定できる。インダスでは都市化の進行にともない、早くも子供の「引きこもり」が多かったということか。

 インダス文字は印章、つまりハンコに書かれた短い文字が多い。上記の文字があった学校の跡からも大量にハンコが見つかっており、学校内の業務で使用されるものだったとみられる。現代日本の学校でもよく生徒の提出した課題に成績を示すハンコを押すので、その解読は容易だ。例えば以下のような感じ。

たいへんインダス

とてもインダス

もうすこしがんばるとインダス

 とまぁ、こんな調子。
 さっそく世界インダス文字解読学界に報告するとインダス。 


2011/4/1の記事
間違っても本気にしないように!

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