ニュースな
2011年4月13日

<<<前回の記事
次回の記事>>>


◆今週の記事

◆「宇宙世紀」の半世紀

 不遜にも「いつか壮大な世界史の通史本を書いてやろう」などと妄想することがある僕だが、その妄想の構想の一つに、人類が最初に宇宙に出た年を歴史の大きな区切りとして現代史を叙述する、というのがある。
 人類が初めて自らが生活する惑星を飛び出し、宇宙空間から地球を見下ろした。それは1961年4月12日のことで、ソ連のボストーク1号に乗りこんだ軍人・ユーリ=ガガーリンが宇宙に飛び出した最初の人類になった。もちろん彼の意志で行ったと言うよりソ連の国威発揚・社会主義賛美のための大計画のなかでたまたま諸条件がそろって第一号宇宙飛行士に選ばれた、ということなのだが、彼が人類で最初に宇宙から地球を見下ろし、「地球は青かった」に類する発言をしたことは全人類的に大きな影響があったと思う。地球が宇宙の中に浮かぶちっぽけな惑星であることは頭では分かっていても(宗教的に分かってない人はいたけど)、誰かが実際に行って見て来たことでイメージを明確に持つことができるようになった。やがて宇宙から撮った地球の写真も出回るようになると、視覚的に「宇宙船地球号」イメージが広まって、それまでの時代に比べれば「全人類」だの「地球全体」だのといった一体感が強く抱かれるようになる。
 だからなんだかんだ言って、あとから振り返ってみると宇宙飛行だのアポロ月面着陸だのといったことは人類史上大きな意味があったと思うのだ。だから僕はガガーリンが宇宙に出た年を元年とする「宇宙世紀」という時代区分を勝手に唱えている。あ、ガンダムに出てくる「宇宙世紀」は人類の宇宙への移民が始まった年が元年だそうで。

 その「宇宙世紀」もこの「史点」更新日でちょうど半世紀となる。今やソ連も消滅し、国際宇宙ステーションが宇宙に浮かび、スペースシャトルは間もなく引退、SFですら想像もしなかったネット社会の到来、とこの半世紀でずいぶん世の中変わったもんだと思うが、逆に考えてみるとまだ半世紀しか経っていないのだ。ガガーリンだって生きていれば今年で77歳、まだまだ元気だったぐらいの年なのだ。
 ガガーリンが死んだのは1968年3月27日。モスクワ東部のウラジーミル州キルジャチ付近でミグ戦闘機に搭乗して訓練飛行中、墜落して同乗していた教官ともども事故死した。ガガーリンの事故死はソ連のみならず世界に衝撃を与えたが、その原因についてはなにぶんソ連のことなので当時からあまりはっきりとされてこなかった。そのため「謀殺説」まであったほどなのだが、ガガーリンを謀殺しなきゃいけない人が誰かいたとも考えにくい。悪天候が原因だとか、近距離を飛んだ他機の衝撃波に巻き込まれたとか、コクピットの気密が不十分のために低酸素状態になったとか、これまで諸説が出ていた。

 ガガーリンの宇宙飛行から半世紀となるのを機に、ロシア宇宙庁・大統領文書館はこれまで秘密指定されていた宇宙開発関連の資料200点以上を公開した。このなかにガガーリンの事故死についての当時のソ連国家委員会の報告書があり、そこでは「気象観測用の気球との衝突を避けようとして急旋回したことが事故原因である可能性がもっとも高い」とする結論が出ていたと言う。急旋回によって飛行困難になっただけでなく天候も悪かったため操縦不能になった、との推測だそうだ。
 もちろんこれが確定した説になるわけではないのだが(そもそもなんでそんなに秘密にしてたんだか)、ロシア大統領文書館幹部は「これで憶測や推量は吹き飛ぶはず」と息まいているとのこと。逆にいえばロシアでも陰謀論的な声が結構あるってことみたい。



◆運命のお買いもの

 今年の「エイプリルフール史点」で武田信玄の話題を書いたが、あの記事の前半「男だらけの三角関係」の話は「史実」である。ほんとにああいう弁明を信玄が書いた手紙がちゃんと現存し、国立博物館で堂々と展示されたのだ(数年前にフジテレビの歴史特番でも紹介されたが、初めは男宛ての手紙であることを伏せて読み、実は…とやる展開だった)。歴史上の有名人がうっかり恥ずかしい証拠を後世に残してしまった日本史上における代表例と言える。

 ま、それほど恥ずかしいものではないのだが、このたびあの大作曲家ベートーベン直筆の「買い物メモ」が競売にかけられ、7万4000ユーロ(約860万円)でフランス人収集家に落札された、というニュースがあった。我が家でも日常よく目にする買い物メモであるが、そりゃベートーベンだって日常生活はしているわけで、買い物メモぐらいあっただろう。それがちゃんと残っていたのも驚きだが、競売にかけられちゃうあたりが大作曲家の「運命」的なものを感じさせる。
 くだんの買い物メモは22.5センチ× 24.5センチほどの大きさの紙にたった9行で書かれたもので、1817年(ベートーベン47歳で難聴がいっそう進みだしたころと思われる)に、ベートーベンが家政婦に買い物に行かせる際に「買ってくるもの」を書いて渡したものとみられる。注目されているのはこの「買い物メモ」の1つ目に「Metronom(メトロノーム)」を注文先の時計職人から受け取って来い、とあったこと。音楽のリズムをとるのに使うメトロノームは前年に発明家ヨハン=メルツェルによって発明特許がとられていて、ベートーベンはメトロノームを最初に利用した作曲家とされている(このメモが証拠なのかもしれないが)。なお、このメルツェルは「パンハルモニコン」なる自動演奏機械も発明していて、そのための曲をベートーベンが書くという共同作業をしたこともあるそうで(あとで著作権をめぐりケンカになったらしいが)
 
 メトロノームも大事な話だが、このメモにはそれ以外の「買ってくるもの」もリストアップされており、そちらも別の意味で注目されている。2つ目には「Mä useFallネズミ捕り)」とあり、3つ目には「Zü ndMaschine(“起爆装置”と訳されるようだがライターみたいなものか?)」、4つ目は「BarbierMeß er3(カミソリ3)」、5つ目は「Waschseife an der Bognergaß e(ボグナーガッセの石鹸)」と、それぞれまさにベートーベンじゃなくても使う日用品。そして最後に「Bü cherMaschin」、直訳すると「本の機械」と訳せるものがあり、これは調べてみてもよく分からなかったのだがどうやら読書を補助する何らかの機械らしく、当時ベートーベンが預かって育てていた甥のカールのための教育用器具ではなかったか、と見られているらしい。このカールって後にこの偏屈なオジさんから熱烈すぎる愛情を注がれたため神経衰弱気味になりピストル自殺未遂を起こしたってのを昔伝記本で読んだような。

 なお、このメモを落札した収集家は「新たな愛、新たな生活」と題された楽譜草稿も11万ユーロ(約1300万円)で獲得したとか。まぁ金はあるところにはあるもんだ。



◆リビア情勢いったりきたり

 3月末の「史点」で続報は次々回かな、などと書いているのだが、現時点でもリビア情勢は混沌としたままだ。
 前回も書いたように、一時チュニジアやエジプトのようになるかと思われたカダフィ政権だが、雇われ兵も含めた国軍による大攻勢で反政府勢力を東へ追いつめ、いつの間にやら反政府側が「もうダメだ」と音を上げる事態になった。するとカダフィ軍側による市民への無差別攻撃の恐れがあるとして国連安保理に拠り「飛行禁止空域」が設定され、反政府側を「政府」として承認したフランスをはじめとするNATO軍が国連決議に基づき空爆を開始した。これにより一時形勢は逆転、カダフィ側が追いつめられる事態になった(「戦略的後退」ってな表現をしていた気はする)…と報じられていたのだが、それから1週間ほどでまた形勢は混沌としてきた。

 まず聞こえて来たのが世界中の空軍のお家芸?の「誤爆」である。今日でも某巨大掲示板などで「誤爆」というネットスラングが使われているが、ルーツはコソボ紛争時にNATOがセルビアへの空爆を行った際に軍関係以外のものへの「誤爆」が頻発したことにあったはず。その後9.11以後のアフガニスタンやイラクにおける戦闘でもしょっちゅうこの「誤爆」が聞こえてきて、すっかり定着してしまった。
 今度の「誤爆」は本来NATOが支援しているはずの反政府勢力側に向けられてしまった。現時点で少なくとも2度はあって、とくに7日午前のブレガ近郊の戦闘では戦車20台がミサイルで空爆され、死者・行方不明者10名を出し、おまけにこの「アシスト」のおかげでカダフィ側の軍が侵攻、反政府側は先月末に奪回したばかりの東部要衝アジュダビヤからの退却を余儀なくされるという「大戦果」まで挙げてしまった。ミサイルを発射したのがNATO軍だという確認はその場ではとれなかったが、「飛行禁止空域」で飛べるのはNATO軍だけだからすぐ判明した。
 NATO側は「都市に向かって走る戦車」を見たので「反政府側は戦車を使ってない、カダフィ軍だ!」と思い攻撃しちゃったみたい、と弁解し「現場では多数の車が行き来してるから誰が運転してるかわかるものか」と当初謝罪もしなかったが、反政府側が「戦車の動きはちゃんとNATOに伝えてあった!」と怒ってしまい、結局「非常に不幸な事故だった」と遺憾の意を表明している。まぁNATOとしては形式上は反政府側でもカダフィ側でもなく「国連の決議に従い、民間人に危害を加える可能性のある部隊を攻撃する」ということになっているので、お空から見てたら区別なんてつかないんだろうが。実際「反政府側」だって民間人に危害を加えないという保証はないし。反政府側は今後は見分けがつくように戦車をピンク色で染めるそうだが、想像してみるとクスッとくる。以前「坂の上の雲」を読んだ時にも感じたんだが、戦争って悲惨なものなんだけど時々コントのような事態が起こるものだ。

 それでも反政府側はNATOに「作戦が遅い、もっと本格的に介入しろ!」と要求している。だがそこまでの本格介入はしたくないというのがNATO諸国の本音。支援はしてやるからお前たちで頑張れ、ということなんだが、やはり反政府側は一般市民、素人ばかりの民兵であることがプロの傭兵を含む政府軍にかなわない要因ではあるらしい。少し前の話だが、反政府側は政府軍から離反してきた兵士のほうがプロだっていうんで彼らを最前線に立て、民兵は後方に下がってるとかいう話もある。うーん、それだとまた離反されちゃうような気もするんだが…。
 なお以前書き忘れたネタなのだが、この反政府勢力の指導層の方々、現在のような状況になる直前までカダフィ政権打倒のために連絡をとる方法として「出会い系サイト」を使っていた、との報道があった。つまり参加者は男ばかりなんだが女のふり(いわゆるネカマですな)をして暗号でやりとりしていたって話で…まぁそれはそれで面白い話題だったのだが、恐らく多くの日本人は「リビアに出会い系サイトがある」という事実の方に驚くのではないかと。

 4月7日の段階で、アメリカ軍のアフリカ軍司令官は「NATOに指揮権を移譲してから手詰まり状態になっている」と認め、「反体制派がカダフィ政権を退陣に追い込む可能性は低い」と議会で発言している。といってカダフィ側も楽ではないのは事実のようで、4月6日にカダフィ大佐自身がオバマ大統領に書簡を贈り、「親愛なる息子よ、不当な戦争を即時に停止するため影響力を行使してくれ」と尊大のようで妙に卑屈な懇願をしている。さらに「あなたは間違った行動を取り消す勇気を持っている」と持ち上げつつも、「あなたが引き続き米国の大統領でいることを祈っている」とエールのようなイヤミのようなことまで書いてあったとか。その後AUが仲介して停戦案を提示するとカダフィ側がアッサリ乗り、反政府側が拒絶するという一見不思議な状況になっているのだが、こういうところ、カダフィって人はやっぱりシタタカなのかもしれない(そういえば震災前にどっかの週刊誌がどちらもすぐダメだと見て「菅=カダフィ」な見出しをつけてたなぁ…)

 シタタカといえばこのカダフィさん、2006年から2008年にかけてアメリカのコンサルティング企業に年間300万ドル以上も払って「イメージアップキャンペーン」をしていた、という話が反政府団体により暴露されている。同社はリビア政府にコンサルティングや分析・説明などをするほか、月一回はメディア関係者や大学教授などをリビアに訪問させてリビアのイメージアップをさせるといった業務をしていたらしい。そのおかげで実際「リビアについて前向きな報道が増えた。キャンペーンの成果はあった」、と記した同社のメモも暴露されている。同社側は「あくまでカダフィの為じゃなくてリビアの為にやったんだ」と苦しい弁解をしてるけどね。同社だけでなく他にもロビー活動のための資金が出ていた企業があるそうで、そう言われてみるとこのところ欧米でリビアの受けがよくなっていたのはこういう側面もあったのかもしれない。

 4月6日、イタリア最南端の島・ランペドゥーサ島の沖合で約300人が乗った船が転覆、およそ250人が死亡・行方不明となった。乗っていたのはバングラディシュ、チャド、コートジボワール、ナイジェリアなどいろんな国の人がいたが、いずれもリビアで働いていたもので、リビア内戦を避けて船で脱出したものだった。最近外国資本導入が盛んだったリビアでは中国・韓国の人達も多く、これも自国政府が派遣した飛行機などで脱出したと聞いているが、自国政府がそこまで面倒みてくれない人たちがこういうことになったものと見える。こういうのも一種の難民といっていいだろう。
 実際、このランペドゥーサ島には1月のチュニジア政変以来多数の難民が押し寄せ、問題となっているという。リビア情勢が混沌とする中その数はとうとう二万人に達するとか。イタリアのみならずEU全体でもこの点を警戒しているようだ。

 リビアがらみではこんな話題も。
 3月21日、スイス政府はリビア空爆を支援するイギリス軍の車両20台の領土内通過を認め、イタリア国境まで警護したことを発表した。また同時に戦闘機の領空通過も認める方針を示している。「それは伝統の国是である“永世中立”に反するではないか!」との批判の声があがっているそうで(どちらかというと保守・右派系から)、連立与党の一角を占める右派・国民党からは「憲法にちゃんと中立のあり方を記すべき」として国民投票を求める提案もあったという。
 これに対してカルミレイ大統領はスイスが2002年にやっと国連に加盟したことも挙げて「これは戦争ではない。国連決議に基づく国際社会の行動である」と主張、「中立とは無関心のことではない」とこの決断を正統化しているという。確かに国連決議は市民の保護のため、って論法で空爆を認めたものなんだけど、「戦争ではない」と言い切るのはちょっと…。この国では国連に加盟するのも「一方の側につくことになる」との批判が根強くあったぐらいだから、伝統保守の方が国連を嫌うんだろうけどね。
 ところでこのスイスは「赤十字」発祥の地。良く知られているように赤十字の旗はスイス国旗の赤と白の色を逆転させたものだ。赤十字国際委員会は今回の内戦でもしっかり政府軍・反政府軍双方の負傷者の医療支援をしているそうだ。



◆まだまだ余震は続く

 余震に関しては長丁場は覚悟してはいたが…こうも大きいのが立てつづけに来るとさすがに神経が疲れてくる。自分で言うのもなんだが神経が図太いというか鈍感な方だと自覚してるので、それでも「疲れ」を感じてくるというのは…。何度も書いてるが茨城県南西部というのは日ごろから地震多発地帯で、震度2や3ではビクともせず、4で気合いが入ってるなと感じるぐらい。さすがに震度5以上はこれまで3度ぐらいしか経験がなかったが、3.11以来一ヶ月中にこれまで経験した地震ぶんを全部まとめて経験してるんじゃないかと思うぐらいだ。しばらくおとなしくなったかな…と思ったのだが、この記事を書いてる4月11日から12日はやたらに地震が多く、なんだか復活傾向だ。
 震災関連の話題はいやってほどニュースで流れているだろうし、ここではあくまで「史点」的視点で。

 発生以来マスコミによって呼称が分かれていたこの震災だが、公式に「東日本大震災」と決定された。被災地域が東北のみならず関東の一部、連動したものとして長野北部もあるため「東日本」なんだろうけど、あまりに広大な範囲でアバウトすぎる気もしなくはない。東北地方でも日本海側は大きな被害はなかったわけだし…といって他に代替案も思いつかない。
 ところで「東日本」というのはどこから東を指すのか。これは僕の商売でもある中学の地理の授業でもとりあげられるテーマなのだが、地質学的に言うと「フォッサマグナ」の東側、ということになっている。このフォッサマグナというのも幅があるのだが、一応糸魚川―静岡構造線を西端とする。先日も話題にした映画「日本沈没」だとこの構造線の崩壊が日本沈没の最終段階となって国際的救助活動も打ち切られ、皇室もスイスに脱出するという展開になっていた。
 この糸魚川―静岡ライン、地質学的なものだけでなくなぜか文化面の境界線ともほぼ重なっているとされ、言語の関西系方言と東日本系方言(古代以来との話もある)、そばつゆの濃さ(タモリ倶楽部で新幹線各駅で調査したことがあったな)、そばとうどんの注文比率(これ、正確に覚えていないのだが北陸では富山県の真ん中で劇的に変わると聞いた)などなど、このラインで東西が分かれるものは多い。そして今度の震災による電力不足問題でクローズアップされた「交流電源の周波数」も、東西日本の違いの代表的例として教科書に載っている(理科の教科書でも物理実験に使う記録タイマーの動作が東西で違ってしまうため説明がある)。その境界線がどういうわけか、見事なまでに糸魚川―静岡構造線とダブるのである。

 東日本が50ヘルツ、西日本が60ヘルツという国内真っ二つの周波数の違いは世界的にも珍しいらしい。なんでそんなことになったのかという説明が先日の毎日新聞に載ってて初めて知った。
 それによると明治時代に東電の前身にあたる「東京電燈」がそれまでの直流から交流に切り替える際、ドイツから50ヘルツの発電機を購入した。ところが西日本の「大阪電燈」は最初から交流を採用、そのときアメリカ製の60ヘルツの発電機を購入していた。当初はそれぞれ東京と大阪周辺だけだったからよかったが、それを中心にそれぞれ東日本・西日本に電流網が張り巡らされてゆき、いつしかちょうど糸魚川―静岡構造線を境に周波数が違うという形になってしまったそうで。ジャイアンツとタイガースの試合が「電燈の一戦」などと言われるのもこれに由来するという(四月バカは過ぎてましたね、すいません)
 第二次大戦後に統一しようという話もあったそうだが、復興のために各電力会社が発電設備増強に忙殺されている間に話が流れてしまい、結局今日にいたるまでそのまんまに。今回の電力不足でまたクローズアップされ、中部電力から東京電力へ電気を送るための周波数変換設備では100万キロワットしか送電できず、来年までに変換設備を増強・増設するなんて話にもなっている。これを機に周波数統一、って話が出るのかもしれないが現実的には難しいかも。

 電気と言えばこの震災で福島第一原発の事故が「レベル7」(深刻な事故)に位置づけられた。初めのうちは楽観ムードも流れていてスリーマイル事故の「5」にするのすらためらいがあったようにも感じたし、そもそもチェルノブイリの「7」なんて…ってな雰囲気もあったが(どうもそこにソ連、ロシアよりはマシのはず、みたいな空気を感じたのは僕だけだろうか。宇宙ステーションが落ちてくる時もねぇ…)、結局はこういう位置づけに。まぁ決めたら決めたで「それほどでも」みたいな声がまた海外から上がったりもしてるんだが(ロシアの国営原子力企業の広報までが言ってたな)、5以上に関してはランキングをつけるのもどうなのか、つまるところ気分的なことなら高い方がいいんじゃないの、ってな無責任なことを言ってみたりする。

 この話題で僕の趣味の範囲から連想したのは、SF作家アイザック=アシモフの未来史シリーズだ。詳しくはこのサイト内の国内唯一(?)のアシモフファンサイトを見ていただくとして、アシモフの未来世界では地球は放射能に汚染された惑星として描かれるという「お約束」がある。これは執筆されたのが冷戦真っ盛り、核実験も地上でバンバンやって放射性物質をまき散らしていた1950年代であったため、未来を描くと「核戦争後の地球」という設定になりがちだったためだろう。「銀河帝国」なんてものまでできてしまう遥かな未来でも、地球は放射能汚染がますます進み、人類発生地であることも忘れ去られて、地球人たちは「被差別民族」にされてるぐらいだ(この設定はアシモフ自身がユダヤ人であったことと無縁ではないと思われる)
 ところでアシモフは一時未来史シリーズを打ち切り、30年後の1980年代に再開する。このころには核戦争による放射能汚染という設定に無理があると感じたようで(本文中に核戦争によるとの明記はなかったかも)、シリーズのある一作で地球が放射能にまみれる原因を「原子力発電所」に変更して描いた。知ってる人には説明不要なのだがアシモフ作品はSFであると同時に推理小説の要素が強いので核心的ネタばれを避けつつ書くが、謎のキーワードとして「マイル」という距離単位が使われ、ラストでそれが「スリーマイル」のことだったと分かる展開になる。スリーマイル事故は1979年のことで、科学者でもあるアシモフとしてもかなり衝撃だったのではなかろうか。
 後年の歴史を知ってる未来史シリーズマニアにあると「なんで未来の話なのに、スリーマイルが出てきてチェルノブイリは出てこないんだ?」などとヤボと承知でツッコミをしてしまうのだが、今度のことで「なんでフクシマが出てこないんだ?」というツッコミを入れられることになるだろう。
 

2011/4/13の記事

<<<<前回の記事
次回の記事>>>

史激的な物見櫓のトップに戻る