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2011年5月5日

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◆今週の記事

◆王様の話。

 いきなりミーハーな話題から入るが、4月29日にイギリスのウィリアム王子とキャサリン妃の結婚式が挙行され、世界中の注目の的となった。あれを見てると「大英帝国」こそ往年の姿ではないものの、イギリス王室というのは今なお世界で一番注目の王族なんだなと思い知らされる。
 昨年の「史点」にも書いたことだが、僕はちょうど9年前の同時期にイギリスを旅していて、今回の結婚式が行われたウェストミンスター寺院やバッキンガム宮殿にも足を運んでいる。バッキンガム宮殿前には今回のような特別イベントがない時でもまさに世界中からの「おのぼりさん」が大集結しており、名物の衛兵行進なんかが始まると、それこそキャーキャー、パシャパシャと大騒ぎになってたものだ。「騎馬警官」なんてものが巡回しているため広場のあちこちに馬糞が転がっているのが玉にキズだったが…

 さて今さら説明の必要もあるまいが、現在のイギリス国王はエリザベス2世。その長男が太子のチャールズで、順番通り即位すれば「チャールズ3世」になる予定。そしてそのチャールズと故ダイアナ妃の間に産まれた長男が今回結婚したウィリアム。こちらも順当に即位すれば「ウィリアム5世」になる予定だ。キャサリン妃(それまで愛称「ケイト」で報じるのが通例だったが今後は正式にこう呼ぶことになる)はそのままいけば将来の王妃の座が約束されていることになる。
 なんでもキャサリンさんは350年ぶりにイギリス国王予定者と結婚した「平民出身者」となるという。前例は誰なのかというと、ジェームズ2世(在位1685-1688)の最初の妻アン=ハイドがその人。ジェームズ2世が王位につかない段階で亡くなったので王妃にはならなかったが、彼女は二人の女王メアリ2世アンの母親である。彼女の死後に夫は王位についたわけだが、名誉革命により追放されているので、先例としてはあまり吉例とは言えない気もする。

 さて今度の王子結婚を受けて、同国のグレッグ副首相が「仮にウィリアム王子とキャサリン妃の第一子が女の子だとして、ほとんどの人はその女の子が女王になるのは全く公平で当然と考えるだろうと思う」と発言、1701年以来続いている王位継承法の見直しの可能性に言及した。何の話かと言えば、日本の皇室でも数年前に議論になった「女子継承」に関することだ。
 イギリスの現在の国王がそうであるように、女王自体は史上しばしば出現している。ただし一応「男子優先」の原則はあり、女王が即位するのは男子の兄弟がいないケースに限られている。他のヨーロッパ王室では時代の流れに応じて「男女関係なく第一子優先」に改められているが、保守的なイギリスは男子優先を守り続けて来た。だがこちらも時代の趨勢には勝てず、これを機に見直しを、という話になって来たというわけだ。
 見直しの対象は男子女子の問題だけではない。「王位継承はイギリス国教会教徒に限る」という項目もあるのだ。イギリス国教会と言えばヘンリー8世が離婚をするためにカトリック教会から分離して作った宗派だが、その後17世紀末にジェームズ2世(今回二度目の登場です)がカトリック教徒であったためにカトリック教徒を要職につけて問題となり、それで名誉革命で追放されることにつながる。「国王はイギリス国教会信徒のみ」という規定はその反省に立ってのことなのだが、今さら国王の信仰の自由ぐらい認めてもいいだろう、という声もあるわけだ。

 報道によると、王位継承法改正についての非公開の内部検討はすでに進められているという。ただしグレッグ副首相も「法改正は複雑で連合王国内で慎重な議論が必要であり、一夜では決着しない」と発言したように、そうことは簡単でもない。イギリスは正式名称を「グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国」というように、共通の国王を戴く連合王国で、構成するスコットランドやウェールズ、北アイルランドも当然話し合いに参加する。それだけでなくカナダ、オーストラリア、ニュージーランドといったイギリス国王を君主とする英連邦国家も参加するそうで、かなりの大所帯の会合となる。大所帯もさることながらイギリスってのはなんだかんだ言って保守的要素が強い国だから、そう簡単に変えられるかな?という気もしている。
 


◆盗ったり貸したり渡したり

 去る4月14日、韓国の仁川国際空港にフランスからの飛行機が降り立った。この機で運ばれたのはフランス国立図書館が所蔵し、かつては朝鮮王朝の「外奎章閣」に収められていた王室図書75冊だ。なんでフランス国立図書館がそんなものを持っていたのかと言えば、そもそも1866年にフランス艦隊がソウル近郊の江華島を占領した際(「丙寅洋擾」と呼ばれる)、「戦利品」として奪い去っていったものなのだ。全部で296冊もあるそうで、今回145年ぶりに韓国に「帰国」したのはその第一弾に過ぎない。5月27日にかけて4回に分けて送り届けられる予定だという。
 
 これに関する話題は昨年9月20日の「史点」でも取り上げている。欧米諸国がかつて持ち去ってしまった文化財を、母国が「返せ」と叫ぶ動きは近年ますます盛んになっていて、韓国においてはこの王室図書の問題が懸案だった。フランス政府との交渉は1990年代以来すったもんだの経緯があり(一時韓国の文化財と交換、という話になったがつぶれた)、昨年11月にようやく李明博サルコジ両大統領の間で合意がなり、今回の「帰国」にこぎつけたのだ。
 ところがこれ、実は「返還」ではない。フランス国立図書館はあくまで「正当な権利により、うちが所有しているもの」との態度を崩しておらず、他国にそれを引き渡すのは法律的に問題が生じる。またこれを「返還」するとなるとそもそも「略奪」したことを認めることになり、それこそルーブル美術館に所蔵されている「略奪品」の数々への返還要求が激しくなるとフランス国内では警戒もしているようだ。
 そこで韓国としては「名を捨てて実を取る」作戦に出た。「返還」ではなく、フランス側が韓国に「貸与」する、という形をとったのだ。「貸与」じゃ返さなきゃいけないじゃないかと思うところだがさにあらず。フランスの国内法の手続きに従い、5年ごとに貸与期間を延長することで事実上韓国側が所有し続けるというわけだ。なんだか帝国主義時代の「租借」の逆バージョンに見えなくもないが。
 
 さて昨年も話題にしたように、日本では韓国を植民地にしていた時代に持って来ちゃった「朝鮮王朝儀軌」を韓国側に返すという話がようやく現実のものとなってきた。昨年、菅直人首相が「韓国併合100周年談話」でこれの「お渡し」に言及していたが、こんな表現を使うのもフランスと事情は一緒。形式はともかくとして日本政府としては韓国側に「儀軌」を引き渡す方針を決定していたが、それには国会の承認を得なければならない。
 ここで最大野党の自民党がどうするのかが注目だったが、もともと韓国と関係が深い党(冷戦以来の事情を思えばわかる)なので基本的に渡すこと自体にそれほど抵抗する空気はなかった。ただ一部右寄りな連中が面白くないと騒いで、「韓国にも日本由来の図書が所有されている。不公平だ!」という論法をひねりだした。自民党がこの件についての外務省に調査を要求したところ、合計100万点を超える日本由来の図書類が韓国の国史編纂委員会や国家記録院などの機関に所蔵されていることが明らかにされた。
 そんなにあったの!と驚く向きもあろうが、これらの多くは日朝・日韓関係史に関わる図書類で、かつて植民地朝鮮を統治していた日本の朝鮮総督府が入手したもの。それを独立後に韓国政府がそのまま引き継いでいた、という話であって、占領して持ってっちゃった、というのとはだいぶ事情は異なる。

 僕などは専門的興味から注目したのは、それらの韓国所有図書類のなかに国史編纂委員会が保管する「対馬宗家文書」約2万8000点が含まれていることだ。対馬の宗家といえば、中世以来江戸時代まで日朝外交・貿易に深く関わり、「国書偽造」をお家芸にしてきた(笑)由緒ある大名だ。当然その文書類は日朝外交関係のものを多く含む貴重なもので、朝鮮総督府がごっそり持って行ってしまったのもそのため。その一部には日本で重要文化財指定を受けている文書の清書版、原本も含まれているという。
 自民党外交部会ではこれらの文書類の引き渡しを韓国に求める意見も出たが、外務省としては「確かに一部歴史的に貴重な資料が含まれるが、儀軌とは全く別の話」との態度で、それらの史料については閲覧・複写を容易にできないか韓国側と協議する、と説明しているという。

 結局、日本から韓国側へ1205冊にのぼる図書類を引き渡す「日韓図書協定」の国会承認で、自民党は党として「反対」の態度をとることに決めた。もっとも与党以外に公明党・共産党・社民党が賛成する意向を示してして衆参ともに通過するのは確実な情勢だったため、自民党の決定がとくに状況を左右するわけでもなかった。だから「反対」できたという見方もできなくはない。
 4月28日の衆議院本会議で「日韓図書協定」承認の採決が行われ、予定通り賛成多数で可決された。自民党は反対に投じたのだが、額賀福志郎河村建夫ら一部自民議員が「棄権」した。棄権といっても当人たちのコメントをみると事実上協定への「賛成表明」で、党の方針に対する“造反”である。

 ついでながら、それに先立つ4月22日に日本とドイツの国交150周年を記念した「日独友好決議」でも自民党ではひと悶着があった。この決議はそもそも民主党だけでなく自民党も一緒に提出したもので、自民党執行部としては当然賛成する予定だった。ところが決議文のなかに「先の大戦においては、1940年に日独伊三国同盟を結び、同盟国となった。その後、各国と戦争状態に入り、多大な迷惑をかけるに至り、両国も多くの犠牲を払った」というくだりに右寄り議員が反発、採決直前になって党議拘束を解くことになり、安倍晋三麻生太郎元首相ら約30人が退場、森喜朗元首相ら数名が議場で起立せず反対する事態になった。
 「三国同盟のあとで戦争状態に入ったという表現は史実にもとる」との細かい意見もあったそうだが、要するに「迷惑をかけた」というくだりが特に気に入らないというわけ。「日本の自虐史観にドイツを巻き込むな」という声まであったそうだが、当のドイツ政府や議会は公式に「迷惑をかけた」という立場のはず。迷惑どころか「侵略」と明確に規定してるはずなんだよな。なお、この決議も原案では「侵略行為」という文言があったが反対意見を受けてマイルドに変えられており、これに反発して共産党と社民党も反対している。右と左が綺麗に抜けた採決となったわけだが、数の上では圧倒的賛成多数で採択されている。



◆まだ6回目の党大会

 どこの党大会の話かと言えば、実はキューバ共産党の党大会。キューバ革命からもう半世紀も経つはずだが、今年でまだ第6回とは、と驚いて調べてみたら、そもそも第1回党大会がようやく1975年。以後1980、1986、1991、1997と5〜6年に一度のペースで開催されていた。しかし今回の党大会は前回開催から実に14年も間をおいたものだ。
 今度の党大会は革命以来キューバの指導者だったフィデル=カストロ元議長の正式引退が最大の「目玉」だった。「あれ、まだ引退してなかったっけ?」と思っちゃうぐらいだが、彼が引退を表明したのは2008年3月のこと。当時の「史点」でもとりあげていて、なんだか追悼文みたいと自分で書いているように、失礼ながらすぐにもお亡くなりになるのではとの観測もあった。ところが思いのほか回復したらしく、一年後の4月1日には「投手復帰」なんてエイプリルフールネタにもなっている(笑)。
 それでも御年84歳。体調が万全ではないことは確かなようで、この14年ぶりの党大会にも欠席している。この党大会でフィデル=カストロが党の第一書記の座を降りることが正式に確認された。なんでも2006年に病気入院のために弟のラウル=カストロに権力移譲をした際に第一書記の座も降りていた、ということになってるらしい。

 4月16日から始まったこの党大会の冒頭、ラウル議長は「党と政府の要職を最長10年の任期制とする」と表明、世代交代を進める意向を示した。ラウルさんだって御年79歳、そりゃ世代交代を急がなければならないだろう。お兄さんが引退して弟に禅譲、と聞いた時にも思ったことだが下の世代がよくよく人材不足なのか、お兄さんに権力が集中し過ぎていたのか…
 また、ラウル体制になってから少しずつ見えてきていた社会主義政策の路線変更もこの党大会で示された。ラウル議長は「平等主義からの脱却」を唱えて、それまでキューバで維持されてきた食糧配給制度の廃止や、働きに応じて収入も増える「成果主義」の導入、国営企業のリストラ、市場経済の導入と民間企業の育成などなど、中国やベトナムなどの「一党独裁社会主義国」同様の路線をとろうとしている。さすがにキューバもその道を歩きだしたわけだ。

 そうした時代の趨勢を象徴するこんなニュースもあった。元ネタはCNN。
 キューバと言えばオールドカーマニアの間では「クラシックカー天国」として知られているそうで、全土で1950年代の車が現役でバリバリ走っている。なぜかといえばキューバ革命後、社会主義体制となってからは自動車の自由売買が禁じられ、自由に買えるのが1959年の革命以前のものに限られていたからだ。最近ではロシア、フランス、韓国車の新車も見かけるそうだがそれは国有車で、個人の所有ではなかった。
 ところが党大会でラウル議長が自動車の自由売買を認める法改正の手続きが最終段階に来ている、と発表。このクラシックカー天国もいよいよ様変わりするのでは…という記事だったのだが、なんとなく「寂しさ」を感じさせる筆致でもあった。なおラウル議長は自動車と同時に不動産売買の自由化にも言及していて、これも大きな変化を招きそうだ。

 キューバと言えば、カストロやゲバラのトレードマークがそうだったように「葉巻タバコ」の大産地として知られる。そのキューバで葉巻職人のクエトさんという人が、81.8mもの長さの葉巻を完成させ、ギネス新記録を打ち立てた。4月25日から5月3日まで、毎日8時間ひたすら葉巻を巻いて完成させたという。なお、今回破られたこれまでの記録は43.38mで、これもクエトさん自身の記録。その前も、そのさらに前の記録もクエトさんが作った記録で、実は今度がクエトさん五度目の新記録なのであった。要するに他にこんなことしてる人がいないわけで(笑)。「わたしがいる限りはキューバは世界最長の葉巻の国だ」と豪語なさっていると言い、今後は100mを越える葉巻作りに挑戦するつもりだそうだ。
 そういやつい先日、あの喫煙大国の中国で「公共施設の室内全面禁煙」が実施されたと聞いた。これもまた時代の流れか…



◆オサマの話。

 三週間、なかなか四つ目のネタが決まらないでいたら、連休に合わせてアメリカがネタを放りこんでくれたような…

 冗談はさておき、オサマ=ビンラディンが死んだ。「史点」における多数回登場人物には病死はもちろん処刑、暗殺、自殺といろんな死に方をした人がいるが、「奇襲攻撃による殺害」という予想外に派手な死に方をすることになった。まぁ「彼らしい」と言えるかもしれないが。
 パキスタンの首都近郊の軍事施設も多い地区にある鉄条網つき豪邸という、見るからに怪しいところに住んでいた彼を、ホワイトハウスからオバマ大統領らが中継映像で見守るなかアメリカの特殊部隊が急襲、ほとんど問答無用で丸腰の彼を撃ち殺して遺体を回収、すぐさまインド洋に水葬、という、映画みたい…というより映画より露骨な作戦により文字通りこの世から消し、海の藻屑にしてしまった形だ。
 2001年9月11日の同時多発テロから今年でちょうど10年となる。僕は塾講師をしているのだが、教え子がすでにこの事件を自身の記憶としては知らず、本や教科書で読んで知ったという世代になってきてしまっている。911テロの直後にアメリカ軍がアフガニスタンを攻撃、一時すぐにもオサマ=ビンランディン当人が捕まるかと報道陣が手ぐすねひいてたこともあったが、結局空振りに終わり、死亡説も流れるなかパキスタン領内の山間部にいるんじゃないかとの見方があった。ときどき存在を忘れられまいと肉声や文字による声明を出したりもしていたけど、その存在自体が希薄になって来ていたところへ、皮肉にもその突然の劇的な死により、世界中が彼を思い出したような感じになってしまった。

 オサマ=ビンラディンといえば「911テロ首謀者」という肩書で語られるが、もちろんそれ以前から有名な存在だった。この「史点」で彼の名がいつ最初に出たのか調べてみたら(こういうことができるのも十年以上の長期連載だからですな)、911テロ発生の1年9ヶ月も前、2000年1月8日付の「史点」の「インディアン航空機ハイジャック」という記事に初登場していた。名前のみの言及ではあるが、すでにアフガニスタンのタリバンにかくまわれている有名人と紹介している。その後も911テロ発生までに2度名前が言及され、2000年8月6日付では「アフガンから追放された」との噂が、2000年10月15日付ではチラッとではあるがこの時期起きていたアメリカの駆逐艦へのテロ攻撃が彼の指示によるものとの噂が書かれている。
 2001年9月11日以後はそれこそ何度となく登場しており、2001年「史点登場人物総まくり」で小泉純一郎ジョージ=W=ブッシュに次いで登場回数第三位に輝いて(?)いる。だが2003年以後はその名が出ることもまばらになり、2003年12月3日付で「ビンラディンもオマルも見つかってない」と書き、2006年5月15日付でカダフィ大佐に触れて「かつてはビンラディンなみの扱いで…」と書いたのが最後となった。それから実に5年も彼の名を「史点」で書いてなかったということに、書いてる当人も驚いている。
 
 オサマ=ビンラディンのプロフィールはいろんなメディアでさんざんやってるから、ここで詳しく書く気はない。ただ彼がかつてソ連のアフガニスタン侵攻に対するイスラム義勇軍に参加し、そのときにアメリカの支援を受けてのちのアルカイダの母体を作ったこと、その後湾岸戦争で彼の祖国にしてイスラム聖地を抱えるサウジアラビアに米軍が常駐するようになったことに怒って反米テロ活動に積極的になったこと、などを振り返るにとどめよう。
 ビンラディン殺害の報を受けて、アメリカではホワイトハウスやニューヨークのテロ現場に集まった人々が「USA!USA!」なんて戦勝気分に浸っているのをみると「やっぱり単純な国民性だなぁ」とどうしてもつぶやいてしまう。もちろんアメリカ人の中の単純な人々があそこに集まったってことなんだろうけど。確かにテロ攻撃を受けた国の人間としては「敵の親玉」をやっつけた、仇を討った、と喜ぶんだろうけど、彼一人殺したところで根本的には何も解決してないし、そもそも「どうしてテロ攻撃を受けたのか」という歴史を振り返ってほしいもんだと思う。さもないと結局は同じことの繰り返した。

 それにしても今度の奇襲作戦は思いきったことをしたもんだというか、どっちがテロリストだか分からないというか…。
 当初「生け捕りにしようとしたが抵抗され、やむなく銃撃戦の末に射殺」と報じられたが、実際にはビンラディンは丸腰であり、どうもいったん捕まえたうえで「処刑」したというのが真相らしい。ハナから殺害目的の作戦だったということだ。彼の妻とみられる女性が「人間の盾になった(された)」という報道もあったが、これも単に近寄って来たところを足を撃たれたという話に修正されている。どうもこの辺もうさんくささがつきまとってしまうところで…もっとも虚報をアメリカ政府が流したにしては疑われるのも承知でさっさと修正されたのでマスコミが勝手に報じた可能性も感じなくはない。
 生け捕りにできるんだったら生かして裁判にかけるべきだったのでは、との声もあり、即座に殺害というやり方に疑問の声も上がっている。また彼の遺体についてもさっさと水葬にしてしまうなど、「証拠隠滅」と疑われかねないやり方をしてるところもひっかかる。確かにイスラム教徒は24時間以内に埋葬しないといけないという話はあって、中途半端に気を使った結果なのかもしれないが…なんか万事においてわざわざ陰謀論が出やすい行動をとったようにも見えちゃうんだよな(実際、「陰謀論」はすでに広がっている)。どうしてそういう選択をしたのか気になるところだ。ハデなことをやったほうが(先述の単純な国民性だけに)支持率が上がる、とふんだのか…?

 そして一方の当事者と言えるパキスタンにも疑惑の目は向けられる。あんな場所に、あからさまに怪しい豪邸に住んでいて軍関係者が「知らなかった」というのも考えにくい。以前からパキスタン軍部はタリバンとの関係は深いし、ビンラディンのシンパもいるとは噂されていて、そうした勢力がクーデターを起こして政権を握る可能性が恐怖をもってささやかれていたものだ。今度の奇襲攻撃もパキスタン側に直前まで知らせずにやったのもビンラディンにそれを察知されないためだったとされるが、一方であれだけ派手な攻撃をパキスタン政府や軍関係者が全く事前に知らなかったとも思えず(少なくとも特にリアクションはなかった)、そろそろ扱いに困ってアメリカに「売り飛ばした」奴もいるんじゃないかという気もしてくる。パキスタン政府としては事前に知ってて協力したことになると、それこそ大統領の首がテロで飛びかねないから「知らなかった」ことにしてるんじゃないかなぁ。
 2月にパキスタン東部ラホールで、襲ってきた二人組をまさにプロ並みの腕前で返り討ちに射殺して拘束され、アメリカに引き渡される、という事件があった。アメリカは表向き「大使館職員」としているが、彼が武装勢力の調査にあたるCIAの「請負業者」であることが報道により暴露されている。「007」な人ってホントにいるんだなぁ、などと思っちゃったものだが、今にして思うとあれも今回の作戦につながる動きだったのかもしれない。

 ところでこの奇襲作戦の名前が「ジェロニモ」であったことが軽く波紋を呼んでいる。ジェロニモとは西部開拓時代のアメリカ先住民アパッチ族の英雄で、合衆国の支配に激しく抵抗した末に降伏し、西部劇で何かと出てきて世界的に有名になった(「サイボーグ009」の005がこの名前を拝借している)。今回どうして彼の名前が作戦名に使われたかは不明だが、オクラホマ州のアパッチ族会長から「ビンラディン殺害の報にアメリカ国民として歓喜したが、作戦名にジェロニモの名前が使われたことに苦痛と不快の念を抱いた」として、オバマ大統領に謝罪と是正を求める書簡が送られている。国防総省は「先住民族を侮辱する意図はなかった」と釈明していて、まぁそうだとは思うのだが、なんとなくビンラディンとジェロニモを重ね合わせたイメージを持っていたのではないか、と疑われてもしょうがない。ま、ビンラディンは降伏すら許されなかったわけだが。

 アメリカに敵対する者であれば、他国にいようと問答無用でアメリカ軍が襲って殺害しちゃっていい、ってことかい?と国際法上の問題を指摘する声も当然ある。イスラエルのモサドがこの手の攻撃で有名だけど、あれだって一応は各国から非難はされている。さっきも書いたように恐らくはパキスタン政府の暗黙の了解ぐらいは受けていたと思われるのできわどいところで「合法」というのがアメリカ政府の立場なんだろうけど、これを拡大解釈されてはたまらんな、とは思う。
 おりしも、アメリカそのものを象徴するヒーローとされてきたスーパーマンが、最新のコミックスで「アメリカ国籍を捨てる」という挙に出たことが報じられている。それだけ聞くと、「ようやくスーパーマンもグローバル化か」などと思ってしまうが、報じられる内容をよく読むと、現在スーパーマンはイランの反政府運動に味方してイラン政府を敵にしているそうで、その行動には彼がアメリカ国籍であることが足かせとなる(つまりアメリカの政治的介入になってしまう)、それなら「世界市民」になって堂々と戦ってしまえ、という論法であるらしい(コミックス自体を読んでみないと正確なところはわからんが)。僕も今のイラン政府をいいとは思わないが、その思いっきりアメリカ的価値観で「世界市民」になって暴れる方がもっと危険なんじゃないのかい、とツッコミたくなる。書いてる側も無意識のうちにばっちり「アメリカ=正義」の構図になっちゃってるようで、見事に今度の「ジェロニモ作戦」と重なって見えてしまうのだ。


2011/5/5の記事

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