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2011年6月1日

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◆訪れて愛蘭土

 前回に続いてイギリス王室ネタ。「愛蘭土」とはアイルランドのことで、そこをこのたび訪れたのはそのすぐ隣の国イギリスの国王だ。すぐ隣の国だというのに前回の訪問は1911年で、きっかり百年ぶりの訪問となったのだ。
 もっともその百年前の訪問をした国王は、現在のエリザベス2世の祖父ジョージ5世で、当時はアイルランドは「隣国」ではなくイギリス領土だった。ジョージ5世はこの年に戴冠式をとりおこなったばかりで、その「披露」でもあったのだろう。同じ年の末にはインドを訪問して「インド皇帝」の即位式もやっている。
 アイルランドがイギリス、正確を期すならイングランドの間接・直接の支配を受けるようになったのは実に12世紀以来という長い歴史がある。17世紀に清教徒革命を起こしたクロムウェルによる侵略があり、1801年には「併合」という名の実質的植民地化が行われている。どっかの国で似たようなことをやってたな、と思い当たる人もいるだろうが、実際明治時代の「韓国併合」がイギリスのアイルランド支配を参考にした可能性は高い。当時朝鮮半島をエジプトのように「保護国化」するか、アイルランドのように「併合」するかという議論が実際に行われていたのを大学のゼミで使った雑誌資料で見たことがある。

 日本と韓国がヨーロッパから見ればおんなじにしか見えないのと同じように、こちらから見るとイギリスとアイルランドなんておんなじにしか見えないのだが、まずイギリスは国教会、アイルランドはカトリックという宗教の違いが決定的にある。また12世紀以来の侵略と支配を受けても「同化」しなかったのは宗教的な要素のみならず、西ヨーロッパの「先住民」であるケルト系民族の空気が濃厚な国であったというのも原因と思える。
 その一方で長いイギリス支配の結果英語が事実上の標準語となってしまい、ジェームズ=ジョイスなどアイルランド出身の英語文学作家も多く輩出している。もっともアイルランドで英語が標準語化してしまった原因の一つに19世紀なかばにアイルランドで発生した「ジャガイモ飢饉」のために人口がほぼ半減(約2割が死亡、約2割が国外へ脱出したとされる)、アイルランド語を話す人口が激減してしまったことが挙げられていて、その飢饉を政策的に助長してしまったイギリスの支配も当然誉められたものではない。この件についてはようやく1997年になってイギリス首相トニー=ブレアが謝罪を表明している。

 こうした歴史を背景に19世紀後半から20世紀にかけてアイルランド独立運動が展開され、第一次大戦中の1916年の「イースター蜂起」、1919年からのアイルランド独立戦争におけるIRAの暗殺作戦とその報復にイギリス軍がサッカー場で市民を殺害する「血の日曜日事件」など、血なまぐさい歴史の末にアイルランドは独立を達成する。だが独立の条件をめぐりアイルランドでは深刻な内戦が勃発、そして北部アイルランドがイギリスに残ったことでのちのちまで紛争が続き、血ぬられた歴史はつい最近まで続いていた。この辺の事情を僕は独立運動の指導者でIRA創設者であるマイケル=コリンズの伝記映画「マイケル・コリンズ」(1996年公開)を見てさわりを知った程度なのだが、そのなかで独立の式典に7分遅れて来たことをイギリス軍人にとがめられたコリンズが「お前らは700年待たせておいて何を言う」と言い返すシーンが(史実かどうかは知らんが)強く印象に残ったものだ。
 
 その映画「マイケル・コリンズ」が製作され、ブレア首相が歴史的な謝罪をし、今度のエリザベス女王の訪問実現までこぎつけたのは北アイルランド問題が一応和解へ向かってきた流れがあったからだ。1998年に和平合意が成立してから実に13年も経ってるわけだが、昨年に北アイルランドの司法・警察権がイギリスから北アイルランド自治政府に移譲されて友好ムードを作る条件がととのったということらしい。その意味では確かにイギリス女王のアイルランド訪問は一世紀にわたる歴史の大きな節目になるわけだ(…そう考えると天皇の韓国訪問というのも実現するとやはりそれなりに大きな意味は持つわけだな)
 エリザベス女王は「イースター蜂起」の記念公園や、「血の日曜日事件」の現場となったスタジアムを訪問し、「過去の負の歴史」と向き合う「儀式」を行った。そして18日にキャメロン首相と共に出席したマカリース・アイルランド大統領主催の歓迎晩餐会での挨拶で「両国が歴史を通じて不必要な悲嘆や動乱、犠牲を経験したことは悲しく、残念な事実だ」「後知恵からすれば、違ったやり方があったと思う」などの発言を行った。予想通り直接的な「謝罪」コメントは出さなかったが、まぁ国王レベルの発言とはそういったもので、それでも比較的突っ込んだ発言になったとは言えるだろう。つい先日、ダイアナ元妃事故死直後のイギリス王室の内幕を描いた映画「クイーン」を見たが(エリザベス2世役をヘレン=ミレンがなりきり名演した)、あれを見ると女王の公式の場での発言は事前に政府関係者の入念な作文とチェックと推敲が入っていることが良く分かる。
 今回の訪問にアイルランド国民の反応はおおむね好意的と伝えられているが、一部に訪問への反対デモや、バスの中から爆弾が発見されるなど物騒な話もあった。

 ところで先述の「ジャガイモ飢饉」により、多くの難民がアメリカへと移住した。アメリカのアイルランド系住民の多くがこのときの移民の子孫とされ、アメリカの映画でもこの件はところどころで顔を出す。「バック・トゥ・ザ・フューチャー3」で登場する主人公マーティの西部劇時代の先祖はアイルランド訛りの英語を話していることからこの時の難民であることが示唆されているし、日本では公開されなかった米墨戦争映画「ワン・マンズ・ヒーロー」ではカトリックであったためにメキシコ軍に共感して寝返ってしまったアイルランド人部隊「聖パトリック連隊」が描かれていた。歴史ものではないが消防士を描いて話題になった映画「バックドラフト」の消防士たちもアイルランド系という設定で、実際この職業についているアイルランド系は多いらしい。といって社会的地位が低い人ばかりでもなく、ケネディのようにアイルランド系カトリックで大統領までのぼりつめた人もいる。カトリックではないがレーガンクリントンもアイルランド系だった。
 ケネディの先祖もジャガイモ飢饉のために1850年にアイルランドからアメリカに渡っている。そしてその二日前に同じ港から19歳の靴職人の息子からアメリカへと旅立っているのだが、実はこれがオバマ現米大統領の母方のご先祖様だったのだ。

 5月23日、フランスで開かれるサミットに向かう途中でオバマ大統領はアイルランドを訪問、祖先の出身地であるアイルランド中東部のマネゴール村を訪ねてパブでビールを一杯飲んだ。レーガンやクリントンもやった恒例行事ではあるそうだが、一部で「アフリカ出身」とネタにされるオバマさんが母方のルーツである「アイルランド」を強調してみせたフシも感じなくはない。
 


◆最後の戦犯?

 「戦犯」という言葉は近ごろでは「問題を起こした張本人・責任者」という意味合いで使われることが多い。「A級戦犯」と言ったら「最大の犯人、原因となった責任者」ぐらいの意味で使うのがほとんど。だが本来「戦犯」とは「戦争犯罪人」、つまり戦争中に違法行為を犯した者を指す言葉であり、「A級戦犯」はそのうち国家指導者レベルのものを指しているのであって、近ごろ使っている用法ははっきり言って誤用なのだ。占領時代に連発されたために「戦犯」という言葉がそういう意味合いで使われるようになったのかもしれないが、「A級戦犯」が今のような使い方になったのは靖国神社の件が政治問題化してからではないかな、という気がしている。

 さて、去る5月12日にドイツのミュンヘン地方裁判所で、ナチスの強制収容所で看守をつとめた過去があったために「ユダヤ人大量虐殺」への関与が問われたウクライナ人ジョン=デムヤンユク(デミャニュークとも)に対する有罪判決が下っている。判決は彼が「少なくとも2万8060人の虐殺に加担した」と認定して「禁固5年(求刑6年)」を言い渡したが、すでに未決拘束期間が2年を超えていること、弁護側が控訴するため判決確定までは収監できないこと、そして被告当人がすでに91歳の高齢で逃亡の恐れもないことから即日釈放となった。
 このデムヤンユクはウクライナ出身で、1943年にポーランドのゾビブル強制収容所で看守をつとめていたとされる。戦後のイスラエルのナチス関係者の追及のなかで逮捕され、別の強制収容所で「イワン雷帝」のあだ名で恐れられた看守当人とみなされて1988年にイスラエルの裁判所で死刑判決を下されたが、あとで彼が「イワン雷帝」とは別人であることが明らかとなったため無罪放免となりアメリカで暮らしていた。ところが2009年になってやはり強制収容所の看守をつとめていたことが判明したとしてドイツで逮捕状が出され、アメリカからドイツに身柄が引き渡されて戦犯裁判にかけられていたのだった。

 裁判では検察側が強制収容所の資料をもとに彼がユダヤ人をガス室送りにするのに協力したと主張した。弁護側は当時の目撃証言などが曖昧で証拠も捏造と主張、また「仮に彼が看守だったとしても大量虐殺をしたのはナチス・ドイツであって、ウクライナ人戦争捕虜だった彼は拒否できなかった」という主張もしている。車いすで出廷した被告当人は裁判ではほとんど沈黙を守り、書面で「私は見せしめ裁判の被害者。誇りも人生も奪われた」と述べるにとどまったという。
 デムヤンユクもすでに91歳、ドイツではこの裁判が事実上「ドイツ最後の戦犯裁判」になるのではないかと報じられているという。ドイツなどヨーロッパ諸国ではナチス戦犯については時効がないが、容疑者および関係者の高齢化および死去により戦犯追及はそろそろタイムリミットと見られている。それもあって「歴史の精査」を進めるためにそれまで対象だったナチス幹部クラスやドイツ出身者以外にも捜査の手が及んでここ数年かえって捜査対象は数倍もの多さになっているという。デムヤンユクもその例になるわけだが、彼の場合ウクライナ人捕虜だったということを考えるとどこまで責任を問えるのかは確かに難しいところだろう。それでも禁固5年だから軽い方ではあるのだろうが。

 5月5日、ハンガリーの首都ブダペストではケビロ=シャーンドルという元ハンガリー憲兵隊将校の裁判が始まっている(雑学的余談ながら、ハンガリーは「姓・名」の順で、「シャーンドル」はハンガリーの「アレクサンダー」)。彼の容疑は1942年にセルビアのノビザドで、当時ドイツ同盟国だったハンガリー部隊を率いてユダヤ人を急襲、30人以上を殺害したというものだ。彼は戦後はアルゼンチンに逃亡していたが1996年になってハンガリーに帰国。ところがナチス戦犯を追跡するユダヤ人団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」が彼を指名手配リスト最上位に上げて追い続け、2006年に彼の居場所を突き止めて今回の裁判へと持ち込んだわけだ。
 このケビロ被告もすでに97歳。「サイモン・ウィーゼンタール・センター」も「彼の裁判はナチス戦犯裁判の最後のひとつ」と言っているという。当人はあくまで「無実」と主張しているそうであるが…
 

 戦犯はもちろん第二次大戦時の話だけではない。5月26日にセルビア国内で、旧ユーゴスラヴィア国際戦犯法廷で起訴されていた「戦犯」の一人が身柄を拘束されている。その名はラトコ=ムラディッチ(69)といい、ボスニア内戦時にセルビア人武装勢力を率い、ボスニア東部スレブレニツァでイスラム系住民8000人あまりを虐殺するなど「民族浄化」を指揮した大物戦犯としてその行方が追われていた人物だ。1995年に起訴されてから行方をくらましていたが、この日早朝に首都ベオグラードの北60kmばかりのところにあるラザレボ村で情報当局および戦犯摘発チームにより身柄を拘束された。彼は「ミロラド=コマディッチ」という偽名を使っていて、逃亡生活の苦労をしのばせるかのように16年の歳月の間にその容貌はすっかり変わり果てていたという(僕も比較写真を見たが、どうして同一人物と分かったのか戸惑うほどの変わりようだった)
 セルビアのタディッチ大統領は緊急記者会見を開いて彼の逮捕を大々的に発表した。この日にはEUの外相にあたるアシュトン外務安全保障政策上級代表がセルビアを訪問していて、あまりのタイミングの良さからセルビア政権がEU入りを促進するために(EU側もムラディッチ引き渡しを加盟交渉の条件にしていた)この日にぶつけて身柄を拘束したのではないかとの疑惑もささやかれている。そもそも急に捕まるのも妙な話で、もともと政府は彼の居場所を知っていたのではないか(下手すると保護していた?)との疑惑まである。このあたり、先日パキスタンで殺害されたオサマ=ビンラディンと事情が似てるかもしれない。

 ムラディッチ拘束の直後、彼を英雄視する右翼系・民族系団体を中心にベオグラードで数千人の抗議集会が開かれ、警官隊と衝突する騒ぎも起きたと報じられている。旧ユーゴスラヴィアといえばかつての「ヨーロッパの火薬庫」であり、第一次、第二次の大戦、そして冷戦終結後のユーゴ崩壊過程で何度となく血みどろの民族紛争を繰り返していて、とくにボスニア内戦やコソボ紛争でセルビアが一方的に悪者にされた観があり、それへの反発もあるのだろう。
 ナチス戦犯を執拗に追及するイスラエルの姿勢も分からないではないが、イスラエル自身がパレスチナ紛争で生み出しているはずの多くの「戦犯」が追及されている様子はない。オサマ=ビンラディンの殺害にしても法的な疑問の声はあがっているし、アフガニスタンでは相変わらずNATO軍の誤爆による無関係の市民殺害が続いていて、さすがにカルザイ大統領が「最後の警告」と非難声明を出したのもつい昨日のニュースだ。「最後の戦犯」どころか新たな「戦犯」が日々生まれているわけである。



◆今度は首が「帰国」

 前回とりあげた日本が韓国に「朝鮮王朝儀軌」などを返還する話は、その後ようやく国会の承認を受けた。今回の韓国大統領の訪問には間に合わなかったが秋の首脳会談のときにでも引き渡すことになるようだ。
 今年の七月から上野の国立西洋美術館で「大英博物館の古代ギリシャ展」なるものが開かれるというポスターを昨日見かけたのだが、僕は9年前に大英博物館でその一部を見物している。あれもギリシャから返せ返せと言われてるんだよなぁ。

 そんなわけでこのところ文化財の返還実現のニュースが相次いでいる。5月9日には今度はフランスはルーアン(ルパンの父、モーリス=ルブランの故郷ですな)の自然史博物館からニュージーランドに先住民マオリの「トイ・モコ」なるものが返還された。これ、実はマオリの「干し首」なのである。
 マオリの戦士は顔も含めた全身に刺青をしていて、戦闘で討ちとった敵の兵士の首を干し首にして保存する習慣があった(勝利の記念品というよりも敵戦士を称える、あるいはその霊的エネルギーを期待したと思われる)。刺青をされた顔の干し首「トイ・モコ」は18世紀以降にニュージーランドにやってきた欧米人には格好の「オミヤゲ」となり、多くが持ち出されていった。そこそこの額で買い取られることも少なくなかったようで、マオリ側でもそれを目当てに戦死者ではなく奴隷の顔に刺青をして干し首にして売り飛ばすというひどい例も結構あったらしい。

 「トイ・モコ」の返還運動が本格的に始まったのは1985年代からという。やはりマオリ族を中心とした運動で、「トイ・モコ」を博物館に飾る美術品としてではなく、「先祖の遺体」として敬意をもって扱うべき、との趣旨で文化財返還運動とはまた違った側面もある。これまでに欧米やオーストラリアなどから200人分の「トイ・モコ」がニュージーランドに返還されているが、まだ数百体分が世界に散らばっているとされる。
 ルーアン自然史博物館にあった「トイ・モコ」は1875年に「ドルーエ」なる人物から寄贈されたもので、1996年まで一般公開されていた。その後10年間の改築期間を経て再オープンする2007年を機に、ルーアン市は「トイ・モコ」のニュージーランドへの返還を決定する。ところがフランス政府の文化当局がこれに「待った」をかけた。朝鮮王朝の文化財の返還問題でも出て来た話だが、そういうのを一つ認めるとフランスが世界中から集めて来た多くの文化財に対する返還要求に拍車がかかることを恐れたためと見られている。

 それでも昨年2010年にようやくフランス国会が「トイ・モコ」の返還を承認する決議を行い、このたびの引き渡しに至った次第。ルーアン市庁舎で行われた返還式典ではマオリ族の宗教指導者が祈りの歌を捧げ、自然史博物館の職員達と友好を示す鼻をこすりつけあうジェスチャーを行ったという。
 このあとこの「トイ・モコ」は本当に戦士の首であるかどうか調査を受け(まさしく「首実検」)、刺青からその出自を調査して可能ならば子孫に引き渡すなどしたうえで、マオリの伝統的儀式にのっとって埋葬される予定という。「奪還した文化財」として展示する気はさすがにないようだ。



◆恒例:贋作サミット・ドーヴィル編

 フランスは大西洋に臨む港町に、世界各国の首脳が集まりましたとさ。

仏:今年はいつもより少々早くなりましたが、みなさんようこそいらっしゃいました。
日:どーも。早くなったおかげで日本代表としては実に久々に二年連続出席になります。
露:おおっ!そういえば2年連続でG8が全員同じ顔ぶれだ!贋作サミット始まって以来じゃないか?
日:前任者が出られなかったぶん、って話もありますけどね。
独:久々の二年連続だけど、もう引きずりおろされそうになってるんでしょ。
日:来る前にも出席を阻止しようとする参院議長がいたぐらいで…本気で連続出席をさせまいとしたのかな。
伊:まぁどこでも政権与党は叩かれるもんだから、辛いよねぇ。ワシも良く分かる。
英:あんたの場合はあんた自身の下半身にダンコン、もとい根源があるような…。
伊:フン、それでも毎年コロコロ変わってた我が国にあっては長期政権なんだぞ。
独:下半身と言えば、仏さんとこはオメデタだそうで。
仏:えー、まだ公式には…(照笑)。次期大統領選に出そうな奴が下半身ネタで勝手にコケてくれましたけど。
米:支持率が低迷したときはね、どっかと戦争するか、特殊部隊送って目障りな奴をブチ殺しちゃうといいんですよ。
英:さすがは時々大統領も撃ち殺される西部劇な国だことで。
日:我が国は伝統的ムラ社会、話し合いをすると話が進まず、独断でやると根回しがないとうるさくって。
加:そして寝返り、様子見、下剋上に合従連衡の戦国時代そのまんまですねぇ。
露:もう政争やれる余裕が出るぐらい復興しちゃったってことで、めでたいことなんじゃないの。
英:むしろメルトダウンというやつかも。
日:我が政界には地震並みに破壊の時だけ元気になってここ二十年ひっかきまわしてる人がいるもんでねぇ。
米:おお、それなら「トモダチ作戦」で特殊部隊送りこんで始末してあげましょうか。
伊:うちのウルサい裁判官どもも始末しちゃくれませんか。
露:うちの前大統領にして次期大統領候補もついでに…(ボソッ)
加:そういえば来年は米・仏・露さんとこがそろって大統領選挙なんですね。
米:来年の贋作サミットは我が国での開催ですが、下手するとそれを最後に顔ぶれがかなり変わるかも…
伊:それ以前に次回すでに顔が変わってる国も出てそうですな。
日:その可能性もゼロではない。
露:それはもしかして「事実上ゼロ」とイコールってつもりじゃ?
日:そういう不思議な公式を言った学者さんが近くにいたもんで。
米:ま、どんな顔ぶれになるかはともかく、来年をよろしく〜〜


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