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2011年6月23日

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◆政変せーへん?

 伝言板の方では早いうちに書きたい、と書いてたくせに内閣不信任決議否決のあの大騒ぎの日から三週間が過ぎてしまった。不信任が否決されたはずなのに、なぜか「すぐに辞めろ」という声がむしろ身内の方から甲高くあがっているという不思議な状態の菅直人首相であるが、結局この「史点」更新までもちこたえてくれている(笑)。
 菅首相の在任は6月22日現在で380日。ここ最近では久々に一年を超える在任期間となり、歴代の総理大臣中では安倍晋三の366日を越えて第39位(全61人中)になる。あと一週間もがんばれば森喜朗の387日を抜いて38位に躍り出る(笑)。
 こうして名前を挙げていても、このところの総理大臣は短いなぁ、と再確認できるが、歴代首相の在任期間の平均値を計算してみると、およそ745日という数字が出る(これも22日現在)。これは丸2年と15日、ということになる。ちなみに制度が異なるからと戦前と戦後で分けてみても戦前の平均が「約748日」、戦後の平均が「約742日」なので、実のところほとんど変わらない。なお在任日数での最高記録は明治から大正にかけての桂太郎の2886日(合計で8年近く)、最短記録が敗戦直後の東久邇宮稔彦の54日だ。

 平均して2年ちょっと、ということは一年を超えるとまぁまぁ「中期政権」の部類に入るということになる(笑)。竹下登「歌手一年、総理二年の使い捨て」と揶揄したそうだが、その竹下も在任576日で2年に及ばなかったように、2年もつのも難しいのが現実。その原因としては日本は衆院選、参院選、統一地方選と大きな選挙が2年に一度はあってその結果の責任を問われやすいこと、そして党内の派閥構造が強いため順番待ちしてる連中が何かというと引きずり降ろそうと足を引っ張る、といったことが挙げられる。
 野党が対立している与党の党首、すなわち首相の引きずりおろしを画策するのは当然と言えば当然なのだが、日本政治史をみると身内の与党内での運動が首相退陣の要因になりやすい。かつての吉田茂「バカヤロー解散」、70年代の「三角大福」(三木、角栄、大平、福田)の凄まじい合従連衡の派閥抗争は「三木おろし」「四十日抗争」「ハプニング解散」といったヤクザ映画顔負けの名場面を繰り広げた(というか日本のヤクザ抗争自体が政治抗争とよく似ている)

 今回の「菅おろし」騒動は、三木武夫首相の引きずりおろしを次期首相候補だった福田赳夫大平正芳および前首相で金権疑惑を三木に追及されて恨みのあった田中角栄が画策した「三木おろし」に構造がよく似ているとの指摘もある。この場合、小沢一郎がその時の闇将軍・角栄の役回りということになるからかもしれない。実際小沢一郎は角栄から「自分の息子のよう」と可愛がられ、その政治家遺伝子を引き継いでるキャラだし(今回本物の遺伝子を引き継いでる娘の田中真紀子が小沢と共闘していたのも興味深い)
 小沢グループを中心に内閣不信任案に賛成もしくは欠席して一時不信任可決か、という場面もあったが、このとき多くの人の脳裏に浮かんだのは大平正芳内閣に対する不信任決議に三木・福田派が欠席して可決させてしまい、そのまま解散という展開になった「ハプニング解散」の例だろう。このとき自民党は事実上の分裂状態になったのだが、大平が選挙中に急死し同情票で自民党が圧勝しちゃったためウヤムヤになってしまった経緯がある。もはや分裂か、と思わせて結局分裂しなかったところなどは今回のケースと似ているといえば似ている。
  ただ今回の場合、小沢一郎としては不信任決議可決の可能性をちらつかせて菅首相の自発的退陣をうながす「チキンレース作戦」をしていたのであって、周囲が騒ぐほどには分裂だの新党結成だのといった方向は考えていないように見えた。自民・公明との連立をチラつかせ、一時自民がその気になってたフシもあるが、これもあくまで「チキンレース」の一環だったと思う。ただ思いのほかに菅首相が強硬態度を見せたので引っ込みがつかなくなりかけた、というあたりではなかろうか。

 当初不信任案が出されても反対多数で否決されるとの見方が圧倒的だった。ところが採決前日の6月1日夜に小沢グループの集会に予想以上の議員が集まり、可決の可能性が一気に高まった。おやおや、これでは解散か、否決されても分裂必至だぞと大騒ぎになったらその翌日、採決の直前に鳩山由紀夫前首相が菅首相と会談、ここで菅首相が「早期の退陣」を約束する形で鳩山グループが不信任の否決に回ることになり、一気に流れは否決へ向かってしまう。結局のところ党が分裂して得をする人は誰もいない、ということだ。
 小沢氏はこの会談の一方を聞いて激怒したとも伝えられるが、その真偽はともかくこれで一気に小沢グループは腰砕けとなり、採決になったら一部の棄権を除いてほとんど反対に回り、結局不信任案は大差で否決される結果となった。それまで不信任賛成の署名集めに奔走して小沢さんへの忠義立てをしていた松木謙公議員は完全にハシゴを外された形になって議場で周囲の説得を拒絶しつつ賛成票を投じていたっけ(その後党を除名)。で、台風の目であったはずの小沢さんは議場に姿を見せず「欠席」した。都合が悪い展開になるとすぐ姿をくらまして沈黙してしまう、この人の悪いクセがまた出た形だ。それでも「小沢神話」がまだ続いてる様子なのがまた不思議。
 さらに不思議なのは不信任案を否決しておいて、「首相が今月中にもすぐ辞める」と当然視している人が与党内にかなりいるという事実だ。鳩山前首相がまさにそのクチで、菅首相が早期退陣しないと知ると「ペテン師!」などと騒いでいた。もともと合意文書も話を通すために辞任時期を曖昧にぼかしており、素直にだまされた鳩山さんが悪いのだが、この件でかつて吉田茂から「いずれ禅譲する」と約束をとりながら反故にされた鳩山一郎(もちろん由紀夫氏の祖父)の前例が引き合いに出されていたものだ。しか鳩山さんも「引退」表明をくつがえしたばかりのような気がするが。どうもこの人も分かっててやってるのかどうか、理解しにくい政治家ではある。

 大騒ぎの末に結局もとの状態に戻っただけという(もともと震災後一ヶ月段階で「めどがつくまで」という発言はあった)、何が何やらな二日間の急展開だったが、「菅おろし」をする側も「震災・原発処理が不手際」と責めつつも特に代案がある様子もなく(小沢さんなんか「決死隊作戦」なんて口にしてた始末で)、ましてや誰に替えるかという候補の名前すら出ず、結局のところ震災を口実にした個人的憎悪からの「引きずりおろし政争」でしかない。西岡武夫参院議長が繰り返し執拗に菅首相退陣を叫ぶ異例の事態になっているが(新聞三社に寄稿するなど明らかに尋常な勢いではない)、あれも諫早湾問題をめぐって長崎県政治家の立場からの個人的憎悪がきっかけだし。
 もっとも近代の政治史を振り返っただけでも「政争」とは多くの場合政策的な動機より個人的感情の対立が原動力になってるケースが大半だから、「今に始まったこっちゃない」などと僕は面白がっていた。「国民不在の政争」ともっともらしく叩いてる声をマスコミでよく見かけるが、悲しいかな政争ってのはもともとそういうものだ。その政争をネタにして騒いで稼いでおいて、天に唾するようなことを、とツッコミたくもなる。

 その後「菅抜きで大連立」なんて話もあったが、どうも首をすげ替えても大連立はなさそうな気配(そもそも菅さん一人が辞めて何か事態が改善するわけでもない)。自民党の多くも乗り気じゃないし、そもそも公明党にとっちゃ民自大連立なんて悪夢でしかないから必死になって阻止するはず。ここ数年の公明党は自民党最有力派閥のようにも見えるほどで、震災後どんどん強くなる自民党の強硬姿勢も公明党に引っ張られてるような気もする(「福田おろし」あたりから感じていたことだが)。当初会期延長を要求していたのは自公だったはずだが、菅内閣が会期延長を決めると「延命策だ」と反対に回っているのも、やはり政争とはそもそも「国民不在」なんだと良く分からせてくれる。会期延長反対で造反者が数名出たのも無理はなく、そのうち今度はこっちで「谷垣おろし」でも始まるんじゃないかと…

 面白がってもいられないのが、こういう政治情勢が続くと国民の政治不信が高まってしまい、一歩間違うと危険という点。実際指摘している人が何人かいたが、昭和初期において二大政党が党利党略でお互いの足を引っ張り合い、結果的に軍人の政治進出を招いた苦い歴史もある。当時と今とでは「軍部」の存在感自体がずいぶん違うから…とも思いたいところだが、ついこの間まで空自のトップに変な人がいたのを思い起こすと(そういえばその人、先日は放射能安全をアピールするため福島かいわいに浴びに行ってたな)、絶対にないとは言い切れない。ささいなニュースではあったが、「政権の震災対応への不満」を天皇に直訴しようと皇居の堀を泳いだやつがいたのには、ややドキリとさせられた。こういう奴がまだいるんだから。

 今こうして書いてる間も政界は「菅おろし」とそれに抵抗する首相、という構図が続いている。実際過去の例でも本人が粘ると首相ってなかなか辞めさせられない存在なのである(それでも日本の首相は世界的に見ればずいぶん短命な存在だが)。とりあえず今の様子だと菅さんは8月中までは首相をやってるようではあるが…そこまでやった場合、加藤友三郎の439日を抜いて37位になるのだが。引きずり降ろそうとする人は多いけど、恐らく今一番引き受けたくない職業が「内閣総理大臣」ではないかとも思えるので(笑)、なんだかんだで延長していったりして。加藤友三郎の次は黒田清隆で544日だから、さすがにこれは破れないと思うけど…ま、頑張ってもらいたいものである。



◆猿の惑星

 こんなタイトルをつけてみてから思い出したが、こんど「猿の惑星・創世紀」という映画が製作されるそうである。無理やり続編を作り続けた旧シリーズ5作、そして一作目のリメイクとなる一本が作られているが、さらに近ごろ流行りの「エピソード1もの」としてまた性懲りもなく作るというから、このシリーズの人気も大したもんである。逆にいえばハリウッドのネタ枯れも激しすぎるということなのだろうな。
 ところで映画の原作となった小説「猿の惑星」を書いたのはフランス人のピエール=ブールだ。彼は第二次大戦中、自由フランス軍に属して東南アジアで枢軸側と戦い、日本の捕虜収容所で過ごした経験があり、戦後その経験をもとに「戦場にかける橋」と「猿の惑星」を書いている。両者ともに映画化されそれぞれ違ったジャンルの名作となってしまったわけだが、前者はずばり捕虜収容所が舞台となっているが、後者の人間が猿に狩られ、支配されるSF仕立ての世界設定は白人が「猿」だと思っていた黄色人種の支配を受けた捕虜収容所での体験を暗喩したものだと言われている。映画の方は脚本に赤狩り被害者マイケル=ウィルソン(「戦場にかける橋」にも参加)が関与したためこれまた一つひねりの入った暗喩が入っちゃってるけど。

 なんてな雑学話を枕にしつつ、あんまり関係のない本題へ。
 6月2日発売の科学誌「ネイチャー」に英米南アなど6カ国の研究チームが発表したところによると、南アフリカで発見される180万年以上前の初期人類、アウストラロピテクスやパラントロプスは「男(オス?)は生まれた場所にとどまり、女(メス?)は群れを離れて旅をしていた」らしい、という。
 なんでそんなことが分かるのかというと、歯に含まれるストロンチウムは歯が出来あがる子供のころに育った土地の食べ物の影響を受けるのだそうで、それに目を付けた研究チームはアウストラロピテクスやパラントロプスの化石の歯のストロンチウムをを調査してみた。すると男と見られる歯の9割には発掘されたその場所の地域の特徴があり、女と見られる歯の半数には離れた地域の特徴があったのだという。
 類人猿のケースを調べてみると、ゴリラではオスが群れを離れる傾向があり、チンパンジーはメスが群れを離れる傾向があるといい、今度の調査に基づく推理が正しければ初期人類はチンパンジーに近い性別行動をとっていたということになりそうだ。もっともこの調査に用いたアウストラロピテクスやパラントロプスの化石サンプルはたかだか19体分だと聞くと、信用度はもう一つ、という気もする。

 ただ人類に「男は群れにとどまり女は群れを離れる」という傾向があった、という別の研究もある。ただし時代はぐっと下って現生人類の話だ。
 あくまでヨーロッパに限った話なのだが、男女の遺骨から採取したDNAの分析で、女系先祖をたどれるミトコンドリアDNA、男系先祖をたどれるY染色体DNAを調べたところ、女性は地域的にばらつきが出たのに対し、男性は比較的ではあるが地域的な特色が現れ、それで「原始時代において、女性が育った地域・集団を出て他地域・他集団に“嫁ぐ”ことが多かったのでは?」との推論があるのだ。
 
 ついでに我が国に関しての連想話をすると、数年前に日本人のミトコンドリアDNA調査で「母方先祖が縄文系か弥生系か」という調査をした人がいて、それだと日本人の平均値を示すとされる首都圏では母方先祖が弥生系という人が70%程度を占める一方、東北や沖縄で母方先祖が縄文系という人が圧倒的に多いという結果が出た。そして弥生系が大陸から上陸したと見られる北九州で意外に「母方が縄文系」がおよそ半数との結果が出たが、これは大陸からやって来た男性中心の弥生系が縄文系女性に子孫を産ませたものでは、との推理がなされていた。それって要するに征服なんじゃないでしょうか、と何やら「火の鳥黎明編」を連想しちゃったりもしたのだが。チンギス=ハーンのY染色体を受け継いだ男性子孫が世界にやたらいるなんて話もあったしなぁ(2004年7月13日「史点」でとりあげてます)
 


◆2011年宇宙の旅

 去る6月8日に日本人宇宙飛行士・古川聡さん(47)が、ロシアのソユーズ宇宙船で宇宙に旅立ち、無事に国際宇宙ステーションに入った。これから半年近くにも及ぶ長期の宇宙生活を送ることになる。
 思えばいささか成り行き上のこととはいえ、日本人初の宇宙飛行士もロシアのソユーズで宇宙に出ている。その後はアメリカのスペースシャトルで出かけたのが大半だが、そのスペースシャトルもチャレンジャー、コロンビアが事故によって失われ、とうとう来る今年7月の打ち上げでスペースシャトル全部が「退役」となり、しばらくはソユーズの独壇場だ。ソユーズ宇宙船はスペースシャトルより古いぐらいの設計で繰り返し使用もできない使い捨てだが、そこは宇宙開発の伝統ではソ連以来地道な高技術を誇るロシア、安定感ということでは抜群である。

 そのロシアの宇宙飛行士たちが、ソ連以来の「伝統」でなかなか面白い「ゲン担ぎ」をしている、と言う話題が毎日新聞に載っていた(古川さんは毎日の臨時宇宙支局長となっている)
 飛行士たちは打ち上げ台に向かう日の朝にシャンパンを飲む習慣がある。そして打ち上げ台のそばまでバスに揺られ、到着してバスを降りて尿意を催したところで、バスの車輪に向けて宇宙服姿のまま立ち小便をする。実はこれも「伝統の習慣」だというのだ。それも人類宇宙飛行士第一号、ユーリー=ガガーリン以来の伝統だというから面白い。もちろん「第一号」であるガガーリンは打ち上げ前に用を足さないといけないという現実の「緊急事態」に迫られてしちゃったのだと思われるが(打ち上げ前で緊張もしてたんだろうし、宇宙船に乗りこんでからではトイレにもいけないしな)、それでガガーリンが無事生還したことで「演義が良い」ということになり、変な伝統行事として残っちゃったわけだ。
 なお、さすがに女性宇宙飛行士は「免除」されているそうだが、ゲンを担いでわざわざコップにとってひっかけていく人もいるそうで(笑)。

 ガガーリンについては逆の「ゲン担ぎ」もある。ガガーリンは宇宙から帰還して世界的スターとなった後に飛行機訓練の事故で死亡してしまっているが、その日の朝、忘れ物をしたためにいったん自宅に戻っている。ロシアではもともと「忘れ物を取りに戻ると悪いことがある」という迷信があるんだそうで、ガガーリンの「先例」も手伝って、宇宙飛行士たちは仮に忘れ物をしても取りに帰らない習慣になっているという。

 また打ち上げ前夜にソユーズの乗組員たちは1969年の映画「砂漠の白い太陽」を必ず鑑賞するという伝統もあるという。ロシア革命直後のソ連兵士の冒険を描いた映画だそうだが、宇宙旅行とは何の関係もない。ただ1971年にソユーズ11号の乗組員三人が帰還時に窒息により死亡した後、1973年のソユーズ12号打ち上げ前に乗組員たちがこの「砂漠の白い太陽」を鑑賞し、無事に帰還したことから「ゲン担ぎ」の伝統行事となった。毎日の記事によると古川さんも予備乗組員として打ち上げに二度立ち会ったため、この映画をすでに二度見てるんだとか。古川さんによると他にもあれこれとゲン担ぎの行事があるんだそうで、「なんだかいろいろ決まりがある歌舞伎みたいだった」とのこと。

 みなもと太郎の歴史漫画「風雲児たち」で、大黒屋光太夫を日本へ連れてゆく船のロシア人船長が、最初用意された船を「形がよくない(以前乗って遭難した船に似ている)」という理由でキャンセルし、別の船に変更する場面がある。原資料を見てないのだが恐らく実話で、「板子一枚下は地獄」の船乗りたちは今も昔も、海でも宇宙でも縁起を担ぎたがるのだろう。そしてそれはたぶんロシアだけではなく、NASAでもやってるんじゃないか、って気もする。「アポロ13号」が事故った、なんて例もあるし。



◆「緑の島」にも歴史あり

 「グリーンランド」といえば、「世界最大の島」として地理の授業で覚えさせられる。メルカトル図法の世界地図だとオーストラリアよりも大きく、南米大陸といい勝負の大きさに見えてしまう、という例でもよく紹介される。実際にはオーストラリアの方が3倍も大きいのだが、それでも「島」としてみればかなりの大きさ。ここは現在北欧のデンマークの領土となっているが当然デンマーク本土よりずっと広い。

 そもそもこの島に「グリーンランド」なんて名前を付けた張本人は赤毛のエイリークなる人物。10世紀後半に生きた人物で、ノルウェー出身のいわゆる「ヴァイキング」だ。10歳の時に父親と共にアイスランドに移住、西暦982年ごろ、32歳のときに殺人を犯したためにアイスランドを追われ、存在が伝えられていたさらに北西の彼方の陸地を目指して一族や仲間と共に船出した。そしてそこに放牧に適した草原や魚に満ちた川を発見、ここに複数の居留地を作り、2年後にアイスランドに戻って自分が見つけた土地への移民を募った。このときエイリークが「いい名前の方が移民が来る」との宣伝戦略から「グリーンランド(緑の島)」という名前を考案した、との逸話がよく知られている。

 その逸話は『赤毛のエイリークのサガ』という古記録に載るものだが、その中に「草原」の話が出てくるように、「グリーンランド」という名は必ずしも誇大宣伝のイメージ優先の名前だったわけではなく、当時は実際に緑が多かったから、との説も以前からある。
 研究者の間で「中世の温暖期」と呼ばれる、各地で現在よりやや気温が高めだったとされる時期があり、地域で幅はあるがおおむね10世紀から13世紀初頭ぐらいまでがそれにあたるとされている。そのころのグリーンランドは氷河も今より少なくて海水温も高く、牧畜をするぐらいの草原はあったらしいのだ。実際最盛期にはグリーンランドの東部と西部の植民地に数千人の人口があり、複数の教会も建設され、アイスランド、ノルウェーとの貿易も定期的に行われていた(グリーンランドからの主な輸出品はセイウチの牙だったという)。またエイリークの息子レイフは1000年ごろにさらに西へ航海してブドウが生い茂る「ヴィンランド(ブドウの地)」に到達し、やがてここにも植民が行われたと伝えられるが、その入植地の遺跡と思われるものがカナダ東部のニューファンドランド島で発見されていて、当時はここも温暖でブドウが実際に生えていたのではないかとの推測もある。

 ところがヴァイキングによるグリーンランド植民地は13世紀ごろから明らかに衰退する。グリーンランド西部の植民地は14世紀初頭に放棄された。遺跡調査で生まれて間もない家畜の骨が見つかっていることから、ある年の5月ごろに急に放棄されたと見られるが、直接的理由は分かっていない。
 東部の植民地はその後もノルウェーと断続的に貿易を行って、少なくとも1410年ごろに教会で結婚式が挙げられていることが確認されているが、その後ノルウェーからの交易船も途絶え、1400年代の末になって数十年ぶりにノルウェーから船がやって来たところ、すでに植民地は無人の荒野と化していた。1400年代の半ばごろに消滅したと見られるが、住人達がどうなったのかについては寒さと飢えで全滅したとか、あとからやってきたイヌイット系民族(現在のグリーンランド人の祖先)に滅ぼされたか混血したのではとも言われ、はっきりしていない。

 どちらにしてもグリーンランド植民地の消滅は気候変動の影響が大きかったのではないかとは言われていた(イヌイット系民族の進出も気候変化のせいだから)。「中世の温暖期」のあと、14世紀に入ってから「小氷期」と呼ばれる寒冷化が起こっていて、それでグリーンランド植民地が消滅した、との見解は以前からある。話が飛ぶようだが鎌倉幕府の衰退と南北朝動乱の原因をこの「小氷期」に求める意見も最近見かけるようになった。『太平記』の中で、北陸落ちする新田義貞軍が極寒の峠越えをするくだりが木の年輪調査から科学的に裏付けられているが、どうも鎌倉時代末期にはすでに寒冷化が進行していたらしいのだ。そういえば鎌倉幕府の動揺は13世紀末から14世紀初頭の津軽や出羽方面での「蝦夷大乱」から始まるともされていて、これもその気候寒冷化と結びつけることができるかもしれない。

 それでようやくニュースネタになるのだが、去る5月30日に「米国科学アカデミー紀要」にアメリカのブラウン大学のウィリアム=ダンドレア氏らの研究チームが「グリーンランドで12世紀に急激な寒冷化が起き、これがヴァイキング集落の消滅につながった」との見解を発表している。研究チームはグリーンランド西部の湖沼の堆積物の中核部を調査した結果、これまでは知られていなかった「12世紀の寒冷化」の痕跡を発見したというのだ。それによると1100年ごろからおよそ80年の間に平均気温が4度も低下しているといい、これが穀物栽培や家畜の飼育に重大な影響を与えたはず、というわけだ。
 確かに注目すべき研究成果ではあるのだが、これまでも有力視されていた説を「前倒し」して裏づけた形。12世紀の寒冷化を受けて13世紀初頭に西部植民地が放棄されたことは分からないではないのだが、15世紀までもちこたえる東部植民地については説得力が今一つ、という気もする。

 現在のグリーンランドはデンマーク領となっているが、約5万6千人いる住民のうちおよそ9割が「カラーリット」と呼ばれるイヌイット系だ。2008年には国民投票により自治権を拡大、将来的には独立国となる見通しもある。近ごろの「地球温暖化」は、この地にとっては氷河の後退と地下資源開発といった恩恵となる可能性があり、それも独立傾向を後押ししているとか。


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