ニュースな
2011年9月12日

<<<<前回の記事
次回の記事>>>


◆今週の記事

◆これであんたが9人目なのだ

 毎年の事ではあるが、仕事柄夏場は多忙。とくに今年はこれまでになくハードなスケジュールが組まれてしまい、「史点」その他一切のHP更新作業がほぼひと月ストップしてしまった。このため今回の「史点」は事実上8月ネタ総まとめです。

 で、その更新ストップの間に日本では内閣総理大臣がまた変わってしまった。菅直人内閣は8月いっぱいで総辞職し、代わって野田佳彦内閣が発足したのだ。小渕恵三内閣の時に始まった当「史点」ではついに9人目の総理大臣が登場したわけである。
 菅直人内閣の在職日数は452日。6月にここで書いた予想通り、加藤友三郎の439日を抜き、黒田清隆の544日に次ぐ記録で、全総理大臣62人中では37位の記録。現憲法下では大平正芳の554日(これは現職で死亡した例だが)に次いで30人中19位の記録になる。短期政権と言えばその通りだが、もともと「平均寿命」が短い日本の内閣の中では中位置につけたといっていいだろう。
 なんだか終盤やたら「延命工作」だの「脱原発解散」だのと勝手に周囲で騒がれていたが、結局は当初予想されていた通りの8月末での退陣(これだから政治報道ってのは憶測ばかりでアテにならない)。「退陣条件」として三つの法案を掲げ、それらを通過させたというのも前代未聞ではないかと思うが、とりあえず要求を通しての退陣なんだからまずまず当人は満足してるようにも見える。

 およそ1年と3ヶ月続いた菅政権だが、発足直後の参院選敗北、小沢一郎との代表選、尖閣諸島騒動、そして3月11日の東日本大震災と原発事故…と自分から何かする前に緊急事態が次から次へと襲いかかって来て、その処理に追われるだけで終わってしまったという感もある。だが大震災という歴史的事態に直面してその処理にあたったというだけでも歴史的意義はあったと思うし、あの状況の中では頑張った方だと思う。とくに東電、経済産業省と原子力安全保安院の一連の体たらくを見ていると、菅さんの市民運動出身で役人不信から来るいささか暴走気味なところはむしろプラスに働いた部分も多いと思うし、浜岡原発の停止やストレステストの導入など安全を優先した思いきった施策(それはムラ社会型日本人に必須の「根回し」をしないということでもあり、そういうことをすると深く恨まれるということが改めて良く分かる)、これからどうなるかまだまだ不透明だが原子力安全保安院を経済産業省から切り離し、長期的な「脱原発依存」という方向性を打ち出したことについては(事故があっての成り行きとはいえ)間違ってはいないと思う。

 むしろ気になったのは「脱原発」に過敏に反応し、反発する声の方で…とくに菅首相を激しく罵倒していた日本経団連の米倉弘昌会長なんか、「1000年に一度の津波に耐えた」と東電を絶賛し、浜岡停止について「87%(の地震発生確率)という確率だけで論じていいのか」とわめくなど、むしろこっちの神経を疑いたくなる発言が多かった。この人に罵倒されるようだと菅さんの方がよっぽどまともだったんじゃないかと思えて来たほど(野田さんに変わった途端に愛想がよくなったのにも苦笑した)。楽天の三木谷浩史社長が呆れて日本経団連を脱退したのは全くの正解だったと言っていい。
 「電気が足りなくなる」という理由なら、まだわかる。近ごろ原発推進論のなかに、それまで噂やほのめかす程度にささやかれていた理屈、「原発を持つことで核兵器がいつでも持てるという抑止力になる」という論法が、保守系論者を中心に公然と出て来たのがかなり気になる。読売新聞が社説にチラッとではあるがハッキリと書いてしまったし、自民党の中では良識的と思う石破茂政調会長までが「どこの国でも核政策では原発と核兵器は一体のもの」と明言し、個人的には核兵器開発には否定的としながら「抑止力効果」を肯定してみせた。そう聞くと、なるほどイランの原発開発(ちょうどつい先日稼働開始した)に欧米諸国が神経質になるわけだとも思う一方で、これまで「核の平和利用」という建前で「核と言っても核兵器の核じゃありません」と切り離してきたのはゴマカシだったのか、という思いもある。
 菅さんが広島の平和記念式典で「脱原発」を述べたことに関係ないだろとイチャモンをつけてる連中がいたが、やっぱり無関係じゃないじゃないか。しかしこの「原発抑止力」論って、周辺みんな原発保有国であるからどこまで効果があるかわからんし、そもそも原発を直接攻撃された場合どうする気なんだか。なんかこの「抑止力論」がにわかに表面化してきたのって、裏返すと「電気が足りなくなる」という主張にイマイチ説得力がないからなんじゃないかという気もする。

 日本の原発開発が実は日本人の「核アレルギー」を取り除くためのアメリカの作戦だった…という、この時期になかなかタイムリーかつ興味深い史実も明らかになった。日米史研究家の新原昭治氏がアメリカの国立公文書館で関連文書を入手して明らかとなってもので、1950年代の半ばにアメリカのアイゼンハワー政権が日本への原子力技術強力に乗りだすにあたって、「核の平和利用」を強調することで日本の核アレルギー(この直前にビキニ水爆実験で被爆した第五福竜丸の事件があり反核運動が盛り上がっていた)をやわらげようと画策していたことが文書に明記されていたのだ。そしてその上で「最終的に日本に核兵器を配備をする」ことを目的としていたことも明らかとなった。なるほど、確かに「原発」と「核兵器」はここでも表裏一体というわけだ。
 そうやって始まった日本の原子力発電だが、当初の思惑とは異なってアメリカによる日本への核配備は行われなかった(まぁ少なくとも表面的には)。むしろアメリカはその後の日本の経済大国化で日本の核保有に警戒感を抱いたのかもしれない。佐藤栄作政権において核保有を検討し、アメリカに打診をしていたという事実もある。その佐藤栄作は「非核三原則」を掲げてノーベル平和賞をもらっちゃうことになるんだから皮肉だが、その後も中曽根康弘政権でも核保有検討がなされ結局「割に合わない」という結論で放棄したとの話もあって(核保有に必須の実験をする場がない、という意見もある)、日本はずっと「核疑惑国」であり続けたのは確かなのだ。
 これまでにも原発で何か事故るとすぐ隠蔽工作をしていたし(それは今回でもなかったわけではない)、今度あちこちで発覚した「賛成やらせ騒動」や「原子力ムラ」のブラックボックスぶりを見ていると、原発推進には単に電力確保だけではない裏の理由があるんじゃあるまいか…と陰謀論的なことも考えたくなってしまう。
 石原慎太郎都知事みたいに「プルトニウムはいっぱいあるんだ、いつでも作れる」などと露骨なこと言っちゃうと、やっぱり高速増殖炉に日本が異様に固執するのはもしかして…と以前からささやかれていた噂が裏付けられてしまうようでもある。  高速増殖炉「もんじゅ」といえば菅さんはこれについても将来的な廃止の方向を示しもしたが、日経新聞はその記事中で「これまで多額の投資をしてきたのに軽々しく論じるな」という趣旨のことを書いていた。「これまでの投資が無駄になる」という論法で誤りをどんどん続けて傷口を広げちゃうのって、かつての泥沼戦争の時の理由づけを連想してしまうな。


 さてポスト菅を決定する民主党の代表選挙は、不思議と世論調査では支持率の高かった前原誠司元外相が本命視されたが三位どまり。党内や財界ではバランス感覚から期待の高かった野田さんが二位につけ、一位が小沢グループの支援を受けた海江田万里元経済産業相。そこで二位三位連合が出来て結局は野田さんに決定したわけだが、まだなんだかんだで「親小沢か脱小沢か」が争点みたいに報じられ、小沢さんもよく考えると連戦連敗のはずなのに存在感だけは相変わらずあった。
 見た目も地味で自ら「どじょう」と称した奥ゆかしさと日本的な派閥バランス感覚が受けたのか、事前の予想よりも内閣支持率はおおむね60%と高く、意外に受け止めたマスコミも多かった。だけどここんとこ歴代の内閣を並べてみると発足時はそこそこ高いのが通例で、しかも安倍→福田→麻生の自民リレーと鳩山→菅→野田の民主リレーは発足時支持率が段階的に下がって行くところが瓜二つだ。民主党の支持率も自民を再逆転してしまったが、代表選をやることが党の注目度を高めるのは今までもあったこと。してみると党の支持率なんてのは多分に気分的なもんなんだとも思う。

第95代首相なのだ 第95代首相となった野田佳彦は千葉県出身。千葉県出身の総理としては敗戦処理にあたった鈴木貫太郎以来ということになるのだが、その鈴木貫太郎の故郷・千葉県野田市関宿にある彼の記念館(彼の旧宅の隣にある)に9月2日、泥棒が入り、展示されていた彼の生前の愛用品など数点が盗まれるという事件が起こっている。千葉県出身総理が出たので誰か思いついた奴でもいたのだろうか…
 野田新首相は父親が自衛官で、菅前首相と同様に日本の歴代総理には珍しい(とくにここ近年)「非世襲政治家」でもある。また松下電器(現パナソニック)創業者の松下幸之助が創設した「松下政経塾」出身で、同塾初の総理大臣輩出ともなった。今回代表の座を争った前原誠司、今回の代表選で一時出馬を噂された樽床伸二も同塾出身で、しかも日本新党立ち上げに参加したという共通点もある。まぁ彼らのように世襲でもなく官僚出身でもない政治家志望者は自民党以外から出るしかなかったということが良く分かるのだが、どうも個人的には松下政経塾出身者というのは歴史観・政治思想においてひどく右寄りな連中が多いのであまり好きになれない。野田さん自身「東京裁判のA級戦犯は講和条約が発効したらもう戦犯ではない」という摩訶不思議な論を唱えたことがあるし、彼らと同様松下政経塾出身で先の総選挙では日本創新党を作って惨敗した山田宏中田宏らはもっと露骨な右寄り姿勢を見せている(中田氏は先日の例のフジテレビ韓流批判ツイートに賛同するというバカをやって海外メディアにも取材されていたな)

 というわけで、個人的にはどうも好きになれない野田新内閣なのであるが、順調に滑り出したと思ったらいきなり10日もしないうちに大きくコケた。いや、コケさせられたというべきか。鉢路吉雄経済産業大臣の「失言辞任」騒動が起こったのだ。
 それにしてもこの騒動には首をかしげることばかり。まず彼が9日に福島原発周辺の無人の街を「まさに死の町という光景だった」と話したことが「問題発言」とマスコミがやり玉にあげたのだが、直接的に破壊されたわけでもなく人っ子一人いない町の光景に同様のイメージを持った人は少なくないはず。またその発言のあとにはその街を再生しなければならないという趣旨の言葉が続くわけで、「死」という否定的表現で一刀両断にしたわけでもなんでもない。それが「死の町」という部分だけを切り取って「問題だ!」と騒ぎたて、住民の批判的声を集めて言語道断とばかりに批判する(TVでは「信じがたい発言」とまで言ってるのがあった)のは明らかに一方的だろう。4月ごろに騒がれた「十年、二十年は住めない」発言もなんで問題にされたのかいまだに分からない。そういう最悪のケースや厳しい現実を直視すること自体が批判されるのって、原発で電源完全喪失なんて起きないと言ってたのと同じ姿勢だと思うんだが。実際現地住民や首長でもこの手の表現に同意する声だってなくはないはずだ。

 そしてこの「死の町」について謝罪・撤回をして話がまとまりかけたと思った途端、今度は「放射能こすりつけ」発言とやらが飛び出してきた。これがより重大、かつ「連続発言で致命傷」ととられて辞任に追い込まれることになったのだが、まずこの「放射能」の発言は8日夜のこととされていて「死の町」発言よりも先の話。「死の町」発言が終息しかかるまで問題発言と誰も騒がなかったのはどういうわけか(オフレコ発言を報じるかどうか判断に迷った、との言い訳も聞こえて来たが)。しかも当人も記憶がはっきりしないと言ってるが、マスコミにより「ほら、放射能」「放射能をつけてやるぞ」「放射能をつけたぞ」「放射能をつけちゃうぞ」と表現がマチマチになっており、どういうニュアンスで言ったものなのか判然としない。それこそ録音もないオフレコの場で言ったからだが、この件で一番騒いだ毎日新聞の再現でも「こすりつけるようなしぐさ」のあとに現地の早急な除染の必要性を説く発言が続いており、実際にふざけたような表現だったのかかなり疑問だ。その後の報道によると民主党としてもオフレコ発言を本人の意図と異なる内容で報じた可能性を調査する意向とのことである。
 しかし野田首相もねじれ国会で面倒なことになるのを恐れて事実確認はウヤムヤにさっさと首を斬ってしまった。そしてマスコミは「幼稚な発言」「政治不信」とお決まりの言葉でエラそうにワーワー騒ぐことになるが、そのまるで準備稿があったかのように連打された各方面の批判の声の記事を見ていると(とくに毎日)、初めからこいつを辞めさせてやれと意図的に用意して報じたのではないかと疑惑もわいてくる。もう辞任してしまうと問題発言は「既成事実」となってしまっているが、僕はむしろ一連の動きに幼稚な政治記者たちに対する不信を強めた。また多少の表現の違いがあるだけで深く追及はせず大手新聞・テレビが横並びで「辞任当然」という論を張っているのが正直不気味だ。「貧乏人は麦を食え」の昔からあるマスコミ常套のテクニックではあるが、難癖をつけて首相や大臣を引きずりおろすのが政治記者の手柄、と本気で考えてる連中が多い、しかもその程度がどんどん低くなってる(官房機密費で小遣いがもらえないからか?)のが怖い。政治権力をマスコミがチェックしても、第四の権力である大手マスコミをチェックする機能はほとんどないに等しいし。

 これで意外に高いと言われた支持率も下がってやいのやいのと騒ぐことになるのだろうが、僕はむしろ面倒を避けて確認も取らずに辞任させた野田首相や民主党中枢に対する支持率を下げてしまった。どうせ辞めさせても任命責任で追及されるっておなじみのパターンなんだし。自民党も政権時代に自分がやられた覚えがあるだろうに、結局野党になるとマスコミに乗っかっておんなじことをしてるというのも情けないというかもう野党慣れしたというか。国会ってのはスキャンダル探しと揚げ足取りばっかりやってるところになってる、ってことを言ってもそれも昔からかな。



◆月と地球と宇宙と

 9月6日にNASAが月を周回する探査機から撮影した「アポロ月面着陸の跡」の鮮明な写真を公開した。アポロ12号、14号、17号が着陸した地点を21〜24キロ上空から撮影したもので、宇宙飛行士の足跡や探査に使った自動車のタイヤの跡、着陸船の発射台などがはっきりと写っていた。まぁこれだけのものを示されても、いわゆる「アポロ陰謀論」の信者たちはかえってかたくなになるだけだろうなぁ…

 かれこれ40年も前の話になるが、人類は月まで足を延ばしていた。地球で生まれた人類が初めてその足で降り立った地球以外の天体が月であり、日ごろから目にしていてもっとも身近な天体と言っていい月だが、実はまだまだ分かっていない謎がたくさんある。そもそも太陽系内の他の惑星が従えている衛星と比較すると、月は地球に対して異様に大きい(およそ6分の1)、ということ自体も謎なのだ。地球上からの見た目で太陽と月が同じ大きさになり、それによって日食が起こったりしているわけだが、それ自体奇跡みたいなもんである。
 こんなデカい衛星がなぜ生まれたのか、いろいろと説があるのだが、地球の誕生直後に火星サイズの天体が地球に衝突し、そのときえぐりとられた地球の破片が地球の周囲を回り、やがて集まって月となった、という仮説が有力視されているという。

 さて8月のはじめに科学雑誌「ネイチャー」誌上で、「月はかつて二つあり、衝突して一つになった」という驚きの説が発表されている。
 月はもちろんほぼ球体をしているのだが、地球に対しては常にその片側しか見せていない。日本で言う「ウサギが餅つきしている」様子が見えるのが月の「表」の顔だ。月の裏側がどうなっているか人類が知ったのは探査機を飛ばしてからのことなのだが、興味深いことに月はその「表」と「裏」とで大きく異なることが分かって来た。「表」の側は比較的高度が低く平坦であるのだが、「裏」の側は高度が高くて山がちであり、地殻も厚めになっているというのだ。
 月の「表」と「裏」でなぜこれほどの差があるのか謎とされているのだが、それを説明する仮説としてこのたび出て来たのが「二つの月が一つになった」という説というわけ。カリフォルニア大学サンタクルーズ校のエリック=アスフォーグマーティン=ジャッツィらがコンピュータによるシミュレーションを行ったところでは、まず地球誕生直後の時点では現在の月のもととなった「大きな月」に対して「小さな月」が存在し、これが時速7100キロほどの「遅い速度」で衝突、小さな月は破壊されてその破片となる硬い岩石が月の裏側にまき散らされて、現在の月の裏側の「高地」を形成した――というシナリオが描けるという。この二つの月の激突により地球にもその破片が大量に降り、それはなんとおよそ100万年(まぁ46億年からすれば短いもんだが)続いたと考えられるとのこと。最大で直径100キロぐらいの巨大隕石も落ちた可能性があるそうだが、この時点では地球上にまだ生命はいなかったはずで、この空前の天体ショーを目撃できた者もいないし、それによって滅んだ者もいなようだ。


 では地球に生命が生まれたのはいつなのか、というと、一応地球誕生から10億年以上が過ぎた30数億年前ぐらいではなかったか、とされている。それで生命はどうやって出現したのかというと、あれこれ仮説が立てられているが決定打は出ていない。地球上の物質の化学反応から偶然「生命」のもとになるものが出来た、という説明もあるのだが、それよりは「もともと宇宙空間にあった生命の素が地球に飛来した」と考えた方が楽、という意見もある。実際これは近年かなり有力視されていて、それをさらに裏付けそうな発見が報道された。
 NASAの研究チームが地球に飛来した隕石のうち炭素を多く含むもの12種類について調査を行ったところ、生命の設計図(本体とも言える)であるDNAの構成要素であるアデニン、グアニン、および筋肉組織に含まれるヒポキサンチンとキサンチンが見つかったというのだ。さらにはDNAの核酸塩基に関連する3種類の分子も微量に見つかり、そのうち2つは生物にはほとんど見られないものであるため、これが地球上ではなく宇宙で生成されたものである可能性が高いという。
 隕石からDNA成分が発見されたケースは1960年代以来いくつかあるのだそうだが、これまではそれが地球上の生命によるものが付着した可能性が捨てきれなかった。しかし今回NASAが調査した12種類の隕石のうち9種類は南極で採取されたもので地球上の生命が付着した可能性は極めて少なく、やはり宇宙空間で「生命の素」が生まれたと考えた方が自然というわけだ。だとすると「生命」というのは宇宙にかなりありふれて存在するもの、ということにもなりそうなのだが…

 そんな話が報じられた直後に、西オーストラリアの約34億年前の岩石から「世界最古の微生物」の化石が発見された、なんて話題も出て来た。同様の発見はこれまでにも報告されてはいるが本当にそんな古い時代のものなのか、実際に微生物なのかといった異論もあったが、今回は電子顕微鏡などの最新の手法により微生物に間違いない証拠があるとしている。
 その微生物はチューブ状で、直径約10マイクロメートル。どういう証拠かはわからないが研究チームは「硫黄化合物をえさにしていた証拠を見つけた」としており(そういう生物は現在も深海に生息することが確認されている)、この生物はまだ酸素もほとんどなく40〜50度の水温の海に覆われていた地球上でグループを作って生息していたらしいと推測している。

 それから30ウン億年が過ぎ、我々現生人類が登場してほんの10万年かそこらで地球上に文明を築き、地球から外にも出るようになってるわけだが…しかしそのせまい地球上でゴチャゴチャとバカバカしいことをやっとるな、という気もしてきますな。
 

◆カダフィさんも付き合うように

 2月ごろ、アラブ諸国の「ドミノ革命」の波がリビアに及び、長く続いたカダフィ大佐の独裁政権が危機と報じられた。ちょうど日本では政権が支持率低下にあえいでいたため、どこぞの週刊誌が菅前首相をカダフィ大佐になぞらえる見出しをつけていたものだが、その後東日本大震災が起こったために菅内閣は延命し、それと付き合うかのようにカダフィ政権もなかなかしぶとく続き、情勢は一進一退になってしまった。そして8月末に菅内閣が退陣をすると、まるでそれと歩調を合わせるかのようにリビア情勢は一挙に均衡が崩れ、カダフィ政権崩壊に至ってしまった。単なる偶然ではあるがちょっと面白い。

 カダフィ派と反カダフィ派「国民評議会」の内戦は延々一進一退の感があったが、何がキッカケかは知らないが8月後半になって急に首都トリポリが陥落、あっという間にカダフィ政権の崩壊に至った。どんな強固な政権でも崩れてしまう時はあっけないというのは歴史上よくある光景だが、結局カダフィ政権もこのところのチュニジア、エジプトと同様の展開になったわけだ。
 まだカダフィ大佐本人が捕まったわけではないし、彼の故郷などいくつかの地点ではまだ抵抗も続いている。しかしそれまで「反政府側」とされていた「国民評議会」勢力が首都に乗り込み、世界中の大半の国がそっちを「正統政府」と認めている現状だから、これからひっくり返ると言うことはなかなかないと思う。日本の東京にあるリビア大使館も8月22日にカダフィ時代の国旗(あの緑一色のやつね)を国民評議会側の三色旗に変えている。
 その反カダフィ派を正統政府に認めた順から石油利権にありつける、という生臭い話もあって、イタリアやフランスが完全にそれで先乗りに成功したと伝えられている。失脚したら残虐な独裁者として「人道に対する罪」とやらで国際指名手配までされてしまったカダフィ大佐だが、2月にも書いたようにここ十年ぐらいはむしろ欧米寄りに舵を切った「優等生」扱いで、石油利権目当てに進出する欧米企業も少なくなかったんだけど。日本でもつい最近まで小池百合子議員とカダフィが一緒に表紙に写っているリビア投資呼びかけ本が書店に並んでいたものだ(小池議員とカダフィのツーショットというわけではなく別のリビア要人との対談本で、カダフィが「リビア」の象徴として写っているだけではあるが。なお小池議員は政権崩壊後速攻でリビアに行き反カダフィ派に接触している。さすがは政界渡り鳥)

 そしたら実際にアメリカのCIAやイギリスのMI6がカダフィ政権と密接な関係があった証拠が発見されている。国際人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」が陥落直後のトリポリの情報当局事務所跡で発見した資料がそれで、報道によるとリビアと米英諜報機関の間で交わされた数百通の書簡だという。CIA作戦担当副長官が当時のリビア情報当局局長ムーサ=クーサ(のちに外相となり3月に亡命)に対して「親愛なるムーサ」と呼びかける、なかなかの親密ぶりを示す書簡もあるそうで。
 とくに国際人権団体は、アメリカが捕えた「テロ容疑者」とされる人物たちが少なくとも8回リビア側に引き渡され、「尋問の代行」を依頼していたという事実に目を付けている。その中には現在反カダフィ派の軍で司令官をつとめる人物も含まれていた。人権団体としては「過酷な拷問される可能性のあるリビア当局に引き渡すとは!」というのが怒りどころらしいが、CIAが過酷な拷問をしないって保証も全然ないだろうに、とも思う。CIAが尋問の代行(下請け)を頼むと同時に、カダフィ側でも反政府勢力を弾圧できるという持ちつ持たれつなところがあったのは間違いない。
 この件についてCIAの報道官は「わが国をテロから守るため、外国との協力は驚くに値しない」とヌケヌケと述べている。MI6は今のところダンマリを決め込んでるそうだ。ホント、アフガンのタリバンといい、イラクのサダム=フセインといい、都合のいい時は徹底して手を組んでるんだよねぇ。まぁそういう無節操マキャベリズムもそれなりに効果を上げているんだろうけどさ。
 
 カダフィ政権が民衆に武器を使った、ということで2月に国連決議でカダフィ政権側への武器供与は禁じられていた。ところがまだ内戦の帰趨がはっきりしなかった7月中に中国の軍事関連企業3社がカダフィ政権側に武器を売却する意向を伝えていた――という話が、先ごろカナダの新聞で報じられた。確かに中国は石油利権狙いでカダフィ寄りで、カダフィ政権崩壊後はかなり貧乏くじを引いているのでありそうな話だなとは思うが、9月6日になって「国民評議会」の軍事部門が公表したところによると中国のみならず東欧諸国や西側諸国の企業までがカダフィ側に武器や情報部員を提供していたことを示す「証拠」を得ているので法的措置を検討しているとのこと。ぜひ証拠をはっきり見せてもらいたいものである。

 さて暫定的にリビアの政権を担うことになった「国民評議会」だが、この手の勢力の王道パターンで、「反カダフィ」の旗印のもとに集まっているだけの烏合の衆といってよく、早くもその内紛の危険性が叫ばれている。9月8日にマフムード=ジブリル暫定首相は記者会見し、「解放の戦いはまだ終わっていない」としてカダフィ確保までは勝利は決まらないと気分の引き締めを求めつつ、民主化プロセスについて「合意に達する前に政治的ゲームを始めようとした者がいる」と述べ、すでに激しい権力闘争が始まっていることを暗に示した。とにかく全土制圧前に内紛開始なんてことになってはかなわん、というわけだが、さて。

 ところでこのところ続いた「アラブの春」は、シリアがどうなるか注目の情勢になっている。ここはこれまで倒れた政権以上に強硬手段に出て「西側諸国」を中心に非難を浴びているが、倒れる時はこれもアッサリかもしれない。
 「アラブの春」の影響が、ここにきてイスラエルにも出て来た、というのが面白い。9月3日、なんと全国で総計45万人(当然イスラエル史上最大)もが参加するデモが発生、エルサレムではおよそ5万人が首相公邸近くの広場まで行進し、「公平な社会を」と社会改革を訴えたという。このデモの動きは「アラブの春」に触発されたテルアビブの若者たちが住宅費の高騰への抗議集会を始めたことがきっかけで全国に広がり、各都市にデモ隊のテント村が設置されて毎週土曜夜(ユダヤ教の安息日明け)に集会が開かれて拡大したものだとのこと。こちらは物価など生活面での改善を訴えるのが主らしいのだが、最終的には社会改革を求めるものになってきており、転びようによってはどうなるかわかったものではない。

 そのイスラエルに対してこれまで融和政策をとってきたムバラク政権が倒れたエジプトでは反イスラエルのムードがかなり高まっているらしく、エジプトのイスラエル大使館に群衆が乱入する騒ぎも起きている。折しもパレスチナが国連加盟申請をしようとし、アメリカが例によって拒否権発動をちらつかせていて、またキナくさい空気も流れて…「911」から10年、状況はまるっきり改善されてない気もしちゃう。



◆8月の話題総まくり

 8月は「史点」更新がほとんどできなかったのだが、取り上げてみたい話題は結構あった。それらを中心にまとめてみた。


 8月8日、台湾の澎湖諸島の西嶼にある旧日本海軍の要塞跡が、台湾当局によって「歴史遺産」として保存されることが決定したとかで、管理する国防部が外国メディアとしては初めて日本の共同通信に内部を公開した。歴史で習う通り、台湾および澎湖諸島は日清戦争の結果日本領となったのだが、およそ100年前にこの島に日本海軍の要塞が建設されていたのだ。とくに島の山腹に横穴を掘って作られた弾薬庫跡はほぼ完璧な保存状態だという。
 またこの要塞には太平洋戦争末期の一連の「特攻兵器」の一つである特攻艇「震洋」の格納倉庫もあり、これも史跡として保存されるという。「震洋」は「特攻艇」とカッコよく言っても見た目には単なるモーターボートに爆弾を積んだだけとも言える、恐らく一番安上がりな特攻兵器で、要員として集められたのも各特攻部隊で乗る機がなかった余剰人員だったと言われている。先日NHKの戦争記録番組に出ていた元特攻兵士は「震洋」の姿を見て、さすがにこれで死ぬのはかなわんなと思ったと話していたっけ。


 もと日本の植民地であった台湾では旧台湾総督府がそのまま総統府に使われている一方で、同じく日本の植民地であった韓国ではソウルにあった旧朝鮮総督府の建物が撤去されたことが何かと比較される。確かにそれぞれ日本統治時代に対する感情は結構違うし、朝鮮総督府の場合は王宮の前にドンと邪魔するように建っていたのが目障りだ、という意見もあった。建物自体の価値はあるんだから移設はできないものかなぁ、と僕は思ったものだが。
 ただ韓国で日本統治時代の建物が全て破壊されるのかというとそうでもない。近ごろはむしろ再利用して文化施設や観光資源にしようとする動きも多いそうだ。なかでも1925年に建設され、KTX開業の2004年まで現役でソウルの玄関口として使用されていた、赤レンガ造りの外観が東京駅丸の内側をほうふつとさせる旧ソウル駅舎(もっとも両者の共通のモデルがアムステルダム駅だから、というのが真相らしい)の方は保存改修工事を受けて、イベントを行う多目的ホールなどの文化施設「文化駅ソウル284」(国指定史跡284号であることにちなむ)として8月9日に再スタートしている。オープンの式典で鄭柄国(チョン=ビョングク)文化体育観光相は「植民地時代から哀歓のこもった歴史を刻んできたソウル駅が新しい文化の駅として再生した」と挨拶したそうである。


 韓国と文化といえば、日本ではこの8月、俳優のツイートをきっかけになぜかフジテレビが「韓流偏重」としてネトウヨどもから攻撃され、デモまで行われるという騒ぎがあった。一部の海外メディアやネット報道が報じただけだが、傍目には意味不明の騒動である。
 発端は韓国ドラマをやってるから日本のドラマが放送されない、ってな趣旨のツイートから始まってるのだが(その当人は謝罪・沈黙しちゃった)、別に韓国ドラマを放送しているのはフジだけではないし、一日中やってるなんてとんでもない間違いで、もともと視聴率がとりにくい日中のヒマ時間や放送権確保のためのBS枠埋め合わせに使っているだけで別にゴールデンの日本製ドラマ枠を浸食してるわけではない(ル・モンドは「水戸黄門」終了を引き合いにしたらしいがまるっきり無関係。時代劇存続に関わる大問題ではあるが)。フジテレビに関してはBS枠やDVDのために韓国歴史ドラマをよく購入してきて日本語吹き替え付きにするなど熱心なのは事実で歴史映像マニアとしてはありがたいのだが、歴史ドラマ放送・販売自体は他局もいっぱいやっている(フジが買って来るのは時代考証無視の面白さ優先ばかり、ってあたりがそれらしくはあるが)。まぁ強いて言えばフジサンケイグループはもともと「反共右派メディア」ということで韓国とはつながりが以前からあり、ソフト購入などで若干有利かつ商売熱心になる動機はあるとは思うのだけど。
 それにしても日本における右派メディアの大本の資金源ともいえるところに攻撃に行くとは、右も左もどころか敵も味方も分からん連中なんだなぁと苦笑はする(産経新聞あたりは必死に無視して苦悩してるようだし)。こんな騒ぎをしている一方で韓流スターやK−POPのイベントは相変わらず大盛況だし、僕の教えてる中学生の女の子たちもK−POPハマりが目につく状況なので、一部のヒマ人達の盛り上がりなんだろうけど、そもそも見当違いもいいところの話なので落とし所が見つかるとも思えず、変な方向に暴走してバカやる奴がでないでほしいものだ。


 一番上の記事で核兵器の話題に触れたが、それに関してアメリカから興味深い報道もあった。アメリカ空軍では過去20年にわたり、有事の際に核ミサイル発射を担当する将校たちの訓練の一環として、聖書からの引用を多く含んで「聖戦」論理で核使用を正当化する「核の倫理」なる講義が課せられていたというのだ。講義は従軍牧師が行い、使用された資料には聖書からの引用だけでなく、いわゆる「ヒロシマの論理」(原爆投下により多数の人命が救われたというやつ)も記されていたという。
 この記事で興味深かったのが、なぜこの宗教的講義が20年前からなのか、という点。つまり20年前に冷戦も終わり、ソ連もなくなって核戦争の危機が一気に遠のいてしまった、そこで核ミサイル発射担当に「核を撃つ根拠」に宗教的な理由づけが持ち込まれたらしい、というのだ。
 しかしさすがに軍人の中からもこれを問題視する声があったようで、そうした軍人たちから通報を受けたNPO「軍における信仰の自由財団」が情報公開制度を利用して資料を入手、「憲法の定める政教分離の原則に反する」と指摘した。これを受けてこの倫理講義は7月末に突然中止になったそうである。しかしまぁ、核使用に「聖戦」論理を持ち込むようじゃ、911テロの犯人達と変わりがないわなぁ。


 8月8日、東京穀物商品取引所と関西商品取引所で「コメの先物取引」の試験上場が開始された。戦時下の1939年に食糧統制政策により中止となって以来、実に72年ぶりの復活、とそれだけでも歴史的事件なのであるが、実は日本における「コメの先物取引」は1730年(享保15)に大阪堂島米会所で開始されたもので、これが「世界史上初の先物取引」と認定されており、それを踏まえれば「世界史的大事件」といってもいいのである。
 同じく戦時中の統制経済で始まった米の国家による買い上げ、管理流通の制度もとうになくなっているのだが、先物取引については自民党政権はコメ価格維持のために解禁してこなかった。政権交代した民主党では米の価格ではなく戸別補償制度に力点を置いて市場価格確定の必要から先物取引の解禁の流れができ、今年三月に東京穀物商品取引所・関西商品取引所から二年間の試験上場の申請が出されて7月に認可、8月8日にいよいよスタートとなったわけだ。
 「世界初の先物取引」を誇る大阪の関西商品取引所では、取引開始初日には証券取引所がコンピュータ化されてしまって以来ほとんど見ることのなかった伝統の「手ぶり」の売り買い表示が行われるなど、歴史的再開の雰囲気は高まった。しかし初日は原発事故の影響で米不足になる不安から買い注文が殺到、来年1月物のコシヒカリの値段がストップ高となり、サーキットブレーカーが発動して取引中断、初値が付かない事態となった。
 なにせ72年ぶりということもあり、これから適正価格をつかんでいくのだろうという楽観的見方もあるが、米の投機的取引による価格乱高下の危険性を唱えて全国のJA(農協)組織は参加を見送っている。試験上場を二年続けてから正式開始になるかどうかを判断することになっているが、また政権交代になったら元の木阿弥になる可能性も高く、先行き不透明な情勢だそうだ。


 日本最大の古墳、どころか面積的には世界最大級の古墳と言えば大坂・堺にある「大山(仙)古墳」、と最近の中学生はばっちり習う。僕の中学時代は「仁徳陵古墳」と習ったものだが、そもそも仁徳天皇が本当にそこに葬られているか怪しいもので、学術的に問題ありということで「大山(仙)古墳」とする教科書が多くなったのだ。ちなみに仁徳天皇というのは実在の可能性自体は高く、民のかまどの煙の数を見てその貧しさを知り税を免じたという逸話から「仁徳」の謚号を後年贈られたものだが、あのデッカい古墳を作るのには仁徳ではなく相当な民の負担を強いなければならなかったはずで、その意味でもマッチしないとも言える(笑)。あ、それとは別に仁徳天皇にはお出かけのさいに見かけた美少女に「妃に迎えるよ」と声をかけておいてすっかり忘れ、その娘を行かず後家のまま何十年もほったらかし、老婆になってから抗議されたというおよそ仁徳の君主らしからぬ逸話も伝えられているんだよな。
 さてその大山古墳であるが、古くは例によって盗掘されており、しっかり管理されるようになったのは江戸時代に尊王思想が高まってから。現在も宮内庁が管理して発掘調査などもさせていないが、明治初期に発掘調査を行って前方部石室から副葬品を発見したりはしている。だがこれとは別に欧米人による個人的発掘が行われた可能性も指摘されていた。なぜならアメリカのボストン美術館に「伝・仁徳陵出土」とする銅鏡や太刀が明治末年にはすでに保管・展示されていたからだ。
 このボストン美術館所蔵の「伝・仁徳陵出土品」5点について宮内庁書陵部が今ごろになって調査をしたのだが、その結果、これらの品が全て同一の古墳から出土したと仮定した場合、他の古墳の事例と年代考証から考えると「「6世紀の第1四半期を中心とした時期であるとすることが最も妥当」との結論が出たという。大山古墳は5世紀前半から半ばの築造と推定されるため、大山古墳から出た物とは考えにくい、というわけだ。これでこのボストン美術館の品々の出所はいっぺんに不明になってしまった。
 面白いのが今度の調査で、これらの「伝・仁徳陵出土品」を1906年6月に京都で買い集めたのが当時ボストン美術館の日本・中国美術部に勤務していた岡倉天心その人である可能性が高いと判明したことだ。岡倉天心といえばフェノロサと共に当時日本では軽視されがちだった伝統的日本美術品を再評価、海外に日本美術を紹介した功績で知られるが、これら古墳出土品をどういうつもりで購入したものだか、面白いところ。「仁徳陵出土」というのが彼が判断したものだったのか、それとも単にだまされたのか、はたまた彼の死後に誰かが勝手にそう決めたのか…
 なお、岡倉天心は茨城県北茨城市の五浦海岸に日本美術院を構え、杜甫の草堂にならった「六角堂」を築いており、これがこの地の観光名所となっていたのだが、今年3月11日の東日本大震災の津波により消失してしまっている。


2011/9/12の記事

<<<<前回の記事
次回の記事>>>

史激的な物見櫓のトップに戻る