ニュースな
2011年12月27日

<<<<前回の記事
次回の記事>>>


◆今週の記事
 ☆また1ヶ月も間をおいた更新となってしまいました。ネタも多いので、年内中に2回に分けて更新させていただきます。


◆北の国から来た訃報

 12月19日。まだ仕事に出かける前で自宅にいた僕に、家族が「北朝鮮が正午から重大放送をするそうだ」との情報をもたらした。予告する重大放送と言えば、日本人にはどうしても「玉音放送」が思い浮かぶ。あのときは午前7時に「正午に重大放送があるから全国民がラジオで聞くように」と予告したうえで放送があったのだ(それでも列車で移動中など、聞き逃した国民も少なくないらしい)。そんなわけで「重大放送」と聞いて、何か大事らしいとは思ったものの、「金正日が“耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び”とかやるんじゃないの(笑)」と冗談を叩いた程度で、「訃報」という線は正直なところ強くは予想していなかった。候補の中にあったことはあったが、それならもう少し兆候というか、重々しい前振りがあるんじゃないかと思ったのだ。
 正午になりNHKのニュースが始まった。最初のニュースは別の話題だったが、一分ほど経ってから急遽「朝鮮中央テレビが金正日総書記死去を発表」とのニュースに変わり、画面上にも速報テロップが出た。近い将来にこういうことが起こるんじゃないかとは思っていたけど、こう意表を突いて唐突に来られるとやはり驚くもの。それも思いのほか「軽く、アッサリ」と発表されてしまったのが意外でもあった。あっけないなぁ、というのが正直な感想だ。

 金正日総書記がかなり重い病状であろうという話は数年前からあった。そして一昨年ぐらいから三男の金正恩(キム・ジョンウン)の名前が「若大将」なんて加山雄三もビックリな呼称で「三代目」として登場し(なお金日成・金正日父子は「若大将」シリーズではなく「寅さん」シリーズのファンとの噂がある。そういえば先日北朝鮮で「釣りバカ日誌」のDVDを所有していたため収容所送りになった人がいた、なんて報道もあったっけ)、その神格化が進められていたことから、「代替わり」が近いうちにあろうとは予想されていた。それでもつい最近金総書記の中国訪問があったばかりだったし、病状は回復傾向かと大方は見ていた。あの韓国の情報機関がその死の情報をテレビで発表されるまで二日間もまったく察知できてなかったことでずいぶん叩かれているようだが、「その筋」の人たちでも意表を突かれたというのが実際のところだったのだろう。その死の場所についてはあれこれ推測があるが、「急死」であったことは間違いなさそうだ。

 思い起こせば、金正日という人物は謎だらけだった。父・金日成が後継者に指名して父以上にその神格化がすすめられたが、その姿が公の場に出てくることはほとんどなかった。その肉声だって20世紀のうちはたった一回しか公表されてなかったのだ。姿を直接見せたわけではないが、映画ファンということは知られていて、特撮怪獣映画「プルガサリ」製作のために国交のない日本からわざわざ「ゴジラ」の特撮チームを招聘したなんてこともあった。「史点」初期に書いた話題だが、2代目引田天功(プリンセス・テンコー)のファンでえらくご執心だった、という話もあって、どうしても「変人」のイメージがつきまとった。
 金日成が死去した時にも姿は見せつつもその声は聞こえず、後継者にいつ公式に登板するのかと世界が見守っていたら何もしないまま三年経ってから(儒教的服喪期間らしい)登板したものの、やはり実態はよく分からないままだった。この間、北朝鮮で混乱が起こるのではないかとの予測もあったが、結局は何事も起こらず権力の世襲継承はスムーズに行われてしまった。
 そんな彼が急に露出を増したのが2000年から。6月に韓国の金大中大統領と歴史的な南北首脳会談を行い、金大統領が空港で専用機から下りてくるのを金総書記が下で立って待っている映像には僕も驚かされた。これと前後してその肉声や動く映像が一気に露出され、思いのほか早口でジョークも飛ばし、頭の回転も早そうな、これまで持たれていたイメージを大きく変えることにもなった。2002年には日本の小泉純一郎首相とこれまた歴史的な日朝首脳会談を行い、日本人拉致を認めるなど思いきった動きもみせたが、愛想がよかったのもここまで。日本との交渉がこじれ出し、中国にならった改革開放の失敗も重なって、ミサイルをぶっ放すわ、核実験はするわ、忘れたころに「俺を忘れるな」と騒ぎ出す「瀬戸際外交」のパターンが繰り返されて、金総書記本人も露出が一気に減ることになってしまった。

 そしてこのたび金正日が死去、予定通り三男の金正恩が「三代目」を継ぐことになる。外見的に祖父の金日成に似せようとしている感じがあるが、その能力はそれこそ未知数。この人だって名前が世界に知られたのはつい2年前のことで、父同様に謎に包まれた成長期を送っている。「売り家と 唐様で書く 三代目」ということわざが江戸時代にあって、商家は三代目のボンボンが遊び過ぎて身代つぶしをすることが多いらしく、どっかのティッシュメーカーの三代目の例もあるから、「三代目」というとどうしても心配になっちゃうのだけど。北朝鮮は軍人を中心に集団指導体制で金一族は象徴的存在にすぎない(大胆に言えば戦前の日本に近いかも)との見方もあるので、代替わりしてもあまり変わりはないんじゃないか、という予測もある。社会主義国(自称ながら)で世襲三代目というのは異様だが、世襲国家指導者は世界で探せば結構いるし(国が倒産しかけたギリシャもそうだな)いしいひさいちが漫画で書いてたように「日本の田舎の選挙区」だと思えばいい、という考え方もある。
 ただこの三代目、スイスに留学しているなど兄たち同様に海外経験は豊富にあるようで、世界の情勢見極めぐらいはできるのだと思いたい。といっても、その海外経験のうち何度かは偽造パスポートを使った日本への不法入国で、東京ディズニーランドに行ったらしい、なんて兄の金正男さんみたいな話もあって…どうも北朝鮮がらみの話って、どこか笑ってしまうような、みみっちいネタが多いんだよな。

 ところでやはりやるのか、と思ったのが金正日の遺体の永久保存。すでにロシアのレーニン遺体保存チームが北朝鮮入りしたとの報道もある。父・金日成も永久保存されてるので、初の父子2代続けての「ミイラ化」(?)になるわけだ。ま、わが国には奥州藤原氏四代のミイラの前例がありますが(笑)。あちらが四代目まで続くのかどうか。



◆あれからすでに七十年

 単なる偶然だが、今年は「○○からウン十周年」という節目が多い。先日「辛亥革命百周年」があったばかりだが、それに先立つ9月には「満州事変八十周年」があった。そして12月8日には「太平洋戦争開戦七十周年」が来る。毎年この季節になると真珠湾がらみの話題が出るものだが、今年は七十年目の節目ということもあって、いつもとちょっと重みが違う。日本では「連合艦隊司令長官山本五十六〜太平洋戦争開戦七十年目の真実〜」なんて異様に長いタイトルの映画が公開されるし、NHKも真珠湾に潜航艇で攻撃をかけたが失敗、戦死者が軍神に祭り上げられる一方で「捕虜第一号」になった人物をめぐる、あまり知られていなかった史実をもとにしたドラマを放送している。

 七十年も経ってしまうと、戦争に兵士として参加した人たちも物故者が圧倒的に多くなってしまう。だからNHKも懸命に元兵士たちの証言記録を集めていて、これがまた大変貴重な「後世への遺産」となっているのだが、残すなら今しかない、という状況ということでもある。
 ハワイでは12月7日朝(現地時間)に真珠湾70周年の記念式典が盛大に開かれたが、真珠湾攻撃の際に真珠湾にいた元軍人たちでつくる「真珠湾生存者協会」の参加者は約100人しかいなかったという。無理もない、当時20歳代としても90歳代になってしまうのだから。これは5年前の人数の4分の1だといい、さすがにこの「生存者協会」も今年いっぱいでの解散を決定したという。

 真珠湾、というと、ルーズベルト大統領は日本軍の真珠湾奇襲を事前に知っていながらやらせた、とする「真珠湾謀略説」とでも呼ぶべき話がちらちら出てくる。その説の信奉者が喜びそうなネタの報道もあった。
 ルーズベルトが真珠湾攻撃を事前に知るためには日本軍の暗号を解読している必要がある。開戦前にアメリカ側が日本の外交文書の暗号を解読していて相手の手の内を知りつつ交渉を進めたことは史実として確認されているが(実は日本側もアメリカの外交暗号は解読していたのでお互いさまだったが)、より難しい軍事用の暗号の解読はミッドウェー海戦の前まで済んでいなかった、という説が有力だった。ところがどうも開戦前に暗号解読にある程度成功していたのではないか、と示唆する新史料が見つかったという話が東京新聞で掲載された。
 発見者は戦史研究家の原勝洋氏で、三年前にアメリカの公文書館で「日本から奪った文書が暗号解読にどう役立ったか」と題する海軍通信機密保全課内で戦後の1947年に作成された報告書を見つけたという。報告書は107ページ、全7章にわたって太平洋戦争中の日本海軍の暗号の傍受・解読に関する経緯が詳しく書かれているそうなのだが、その第1章の冒頭2ページで「暗号方式を真珠湾攻撃の前に解読できていた」とハッキリ明記してあったそうなのだ。だが報告書では「真珠湾に十分な人員さえあれば奇襲にはならなかっただろう」と注をつけていて、要するに備えが不十分だったから奇襲を防げなかったということになってるらしい。
 その記事ではアメリカでは日本海軍の暗号の解読に1939年からとりかかっていて、ずっと前の1920年代に入手していた海軍の古い暗号を手掛かりに解読を進めていたというが、乱数表の解読まではできても解読で浮かび上がる数字の羅列が海軍専門用語の何を指しているのかまでは読めなかった可能性も指摘していた。それでも「開戦前に解読」と明記した史料が出たのは初めてなのでどこまで解読していたか検証する必要あり、と発見者の原氏のコメントがあった。

 この記事でも「謀略説」に触れているので、原氏も記事を書いた記者もこの発見をそれと関連付けてにおわせたいところなのだろうが、事前に暗号解読してようがしてまいが日本軍が積極的に先制攻撃しちゃった事実は動かせないし、あの時点の状況では戦争に突入することはアメリカだって当然想定できたわけで、アメリカが日本を開戦に誘いこんだ、というのは無理のあるところ。アメリカ側も日本軍の実力を甘く見ていたところがあるようだし、奇襲を受けるにしても真珠湾にああいう風に来るとは思っていなかった、というあたりが真相なんだろう。その上で起こってしまった事態を有効に活用したところがルーズベルトの凄さといってもいい。

 謀略説がらみでは、こんなのも。産経新聞が12月7日付で載せたものだが、ルーズベルトの前に大統領をしていたフーバーが、1946年に来日してマッカーサーと対談した際、日米開戦は「対独戦に参戦する口実を欲しがっていた『狂気の男』の願望だった」と語り、開戦への引き金となった対日経済制裁についても「対独戦に参戦するため、日本を破滅的な戦争に引きずり込もうとしたものだ」としてルーズベルトを批判したというのだ。これはアメリカの歴史家ジョージ=ナッシュ氏がフーバーの未発表のメモなどをもとにした著書で明らかにしたものだそうで、ナッシュ氏は「英雄視されるルーズベルトへの評価見直しのきっかけとなってほしい」と話しているという。
 産経の記事も謀略説に触れているのでそれとこれとを結び付けたがっているのは明らかだが、ここでは真珠湾攻撃を事前に知っていたウンヌンのレベルの話はなく、単にルーズベルトが対独戦のために日本を戦争に引きずり込みたがっていた、という話であって、それ自体は客観的に事実とみなしていいだろう。ただ願望と謀略とは異なるし、再選をめざす大統領選で打ち負かされたルーズベルトに対して常々批判的言動を繰り返していたフーバーの発言ということも考慮した方がいい。そもそも産経的には太平洋戦争、「大東亜戦争」はアジア解放のためとかいう話だったはずで、それが「謀略に乗せられて開戦しちゃいました」ということになっては困るんじゃないかと思うのだが…



◆昔だったら僧兵デモ?

 今年は節目、ということでは、今年は浄土宗の開祖・法然の800回忌にあたる。法然は西暦で言うと1212年に亡くなっているので今年は「没後799年」になるが、「回忌」というやつは二年目で「三回忌」、六年目で「七回忌」と一年ずれて数える(「ゼロ」を考えない数え年の考え方)ので、今年が「800回忌」にあたるわけ。法然の弟子で浄土真宗の祖である親鸞は法然の死からちょうど半世紀後の1262年に亡くなっているので、今年は親鸞の「750回忌」でもある。この二人の区切りの回忌がかち合うので、浄土宗・浄土真宗では半世紀ごとに大イベントを行っている。
 これに合わせて東京国立博物館でも「法然と親鸞 ゆかりの名宝」という特別展を開催しているが、そのポスターに「法然と親鸞800年ぶりの再会」なんてキャッチフレーズがあってついつい笑ってしまった。こういうのを「再会」って言うんかいな。ちなみに筆者はついつい行きそびれた。国立博物館の仏教関連展示会は「参拝」がてらの客が多いんで混むんだよな…

 さて法然800回忌に合わせて、浄土宗信者の作曲家・船岡徹氏の発案により、新本創子作詞・鳥羽一郎歌で「月の黒谷」と題する演歌が制作され、10月に発売された。「黒谷」というのは法然が少年時代に修行した比叡山の黒谷別所のことを指し、「月」は法然の作った和歌で仏法の教えが「月の光」に例えられることに由来する。高校野球の甲子園大会で大坂の上宮高校の校歌が「作詞 法然上人」となっていて、「月影のいたらぬ里はなけれども…」という歌詞になっているのを見た人も多いだろう。
 「月の黒谷」は、武士であった法然の父が夜襲で殺され、その遺言により仇討ちはせずに出家して修行に励む少年期から、「専修念仏」の確信を抱いて比叡山を出て教えを広め、やがて四国に流刑になり母親のことを想う、といったぐあいに法然の生涯をダイジェストにまとめた内容となっている。そして各節の最後に必ず「月」が歌いこまれているのだ。

 ところが歌詞の一部が問題となった。法然が「専修念仏」の悟りを得て比叡山を出るくだりで「熊谷直実 胸の劫火も 青つゆ草も 五逆の罪も・・・あるがままにて 救われるべし 比叡山(やま)は崩れて 天は堕(お)ちても 月は冴えゆくわが仏法(のり)に」という文言があったのだ。源平合戦の武将・熊谷直実がここで出てくるのは、熊谷直実が出家して建立した寺で法然が生まれたことになっているため。そのまま読めば比叡山が崩れるとか天が落っこちるとかこの世の終わりのような事態が起ころうと、阿弥陀仏の慈悲によってあらゆる罪も救われる、という趣旨だろう。しかしここで「比叡山が崩れて」のくだりが「比叡山=天台宗を中傷することにならないか」との指摘が浄土宗信徒の中からあがり、浄土宗としても宗派として制作したわけではないが全く無関係というわけでもないので(CDジャケットに本山の知恩院の写真がある)、「誤解を招く表現があった」として天台宗側に謝罪、天台宗も抗議をして歌詞の変更を申し入れ、「比叡山」のところを単に「山」にすることになった。歌ってみればおんなじなんだけどね。
 「誤解」ということで落ち着いたようだが、作詞でわざわざ「比叡山」が入ったのは天台宗を積極的に攻撃する意図はなかったかもしれないが多少意味するところはあったように思う。法然は当時の仏教総合大学といっていい比叡山で修行して「専修念仏」の確信を抱くことになったのだが、中世の比叡山が何かというと僧兵を出動させて神輿をかついで京都に繰り出し朝廷を脅迫したり、他の寺との抗争(僧兵がいるのでまさに戦争になる)に明けくれたりと、かなり世俗的な権力組織、暴力機関を抱えた支配機構でもあった。法然はそれに嫌気がさして比叡山を出たようだし、法然の念仏教団が勢力を増してくると比叡山がその弾圧を朝廷に要請して法然を流刑に追いこんだ事実もある。浄土宗門徒にしてみれば比叡山には含む所があるわけで、歌詞で単に「山」ではなく「比叡山」としたことに意図があるのではないかと見られても仕方がないと思う。

 当時のことだったらそれこそ比叡山の僧兵が神輿をかついで抗議デモに押し掛けたところ。幸い現代は僧兵なんて暴力機関もなく寺はいたっておとなしいものになっている。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、有難い、有難い。



◆ まだまだ現役だぜ!
 
 ようやく放送が終わったNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の最終回は「日本海海戦」だったが、前々回書いたように連合艦隊の旗艦「三笠」はこのドラマでは石川県のテーマパークにある原寸大セットが撮影に使われていて、横須賀に保存されている本物の方は利用されなかった(「日本海大海戦」など過去の映画で使用例あり)。仕上がった映像は最新のCG技術を駆使して実にリアルに、過去にないほど凄惨な画面の連続となっていたが、三笠本体も被弾したり血みどろになったりするので、これでは「本物」を撮影に使えなかったろうな、と納得できる。それとは別に、船内シーンも全てスタジオでのセット撮影だそうだが、こちらも「本物」が残っているのが幸いし、大いに参考にしてリアルに仕上げたそうである。
 それにしても百年も前の海戦の軍艦が動かぬとはいえ今もちゃんと保存されていることに驚くのだが、もっと驚く話があった。あの「トラファルガー海戦」の旗艦がまだ現役で、このたび大改修を受けることになった、というニュースがあったのだ。

 その軍艦の名は「ヴィクトリー号」。進水したのが1765年というから、もう作られてから250年ぐらい経ってるわけだが、実は実は建造開始は1759年。その「勝利」を意味する名前もちょうどその最中だった七年戦争(1756-1763)での勝利にちなんでいる。
 ところが建造中に七年戦争が終わってしまったために三年ほど骨組状態でほったらかしにされていた。1765年に進水、1778年にようやくイギリス海軍に就役し、折からのアメリカ独立戦争(1775-1783)に参加しフランス海軍と最初の戦闘を行っている。そして1805年にはナポレオン時代のフランス海軍相手にネルソン提督がこの「ヴィクトリー号」を旗艦としてトラファルガーで戦い、ネルソンは戦死したものの大勝利を得た。司令官が戦死してしまうぐらいだから「ヴィクトリー号」も当然かなりの損害をこうむり、直後に大改修を受けている。今回の大改修はその戦いの直後の大改修以来の規模だと言うからまたオドロキ。もちろん200年以上も経ってるからその間に細かい修理は何度も受けていて、建造当初の部分は船体の2割程度だとのことだが、それでも驚異の持続力である。
 もちろん実質的には1812年に「退役」となっていて、練習艦として利用されたのちに歴史的記念物としてポーツマス軍港に保存された状態で、航海は残念ながら不可能みたい。それでもいまだに提督旗を掲げて「ポーツマス軍港の司令官旗艦」という扱いで「現役」ということになっている。

 今回の改修では外部を全面的に張り替え、マストの補修や内装の手直しも行われるとのこと。請け負ったのはイギリスの軍事産業「BAEシステムズ」だそうで…って、これ、こないだ「ユーロファイター」売り込みのために「東洋のネルソン」こと東郷平八郎から送られた軍刀を日本に里帰りさせた、って話題でここで書いた会社じゃないか。あらら、見事に話が冒頭につながってしまった(笑)。


2011/12/27の記事

<<<<前回の記事
次回の記事>>>

史激的な物見櫓のトップに戻る