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2011年12月31日

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◆今週の記事
 ☆なんとか12月31日午後10時までにアップしましたが、読む人の大半は年明けでしょうね。文中の「今年」はもちろん2011年のことですので、ご承知置きを。


◆世界はすっかりスマートフォン!

  今年亡くなった人物のなかでひときわ多く語られたのがスティーブ=ジョブズ(金正日は年末ということもあるし意外と話題がないからなぁ)。そのジョブズも普及に一役買ったのが今おお流行りのスマートフォンだが、インドで「イスラム教徒向けスマートフォン」が発売され、大ヒットになっているとのこと。ネタ元はCNN電子版。

 「あれ?インドはヒンドゥー教徒じゃなかったっけ?」と思う方もいるだろうが、実はインドには1億8000万人ものイスラム教徒がいる(世界第三位のイスラム教徒人口)。確かにインドは独立時に宗教ごとに別れてインド・パキスタンに分裂した経緯があるが、全部が全部きっちり分けられるわけもない。それでもインド全体の人口は11億を超えているから、イスラム教徒は「少数派」ではあるのだ。
 そのイスラム教徒向けスマートフォン、コーランの29ヶ国語訳を装備(コーランって原則アラビア語のみが「本物」だが、内容の解説用ということで翻訳もある)、そのうえ有名な朗唱者によるコーランの詠唱音声がつき、さらには礼拝用に聖地のメッカの方向を示すコンパス機能載、イスラム暦カレンダー(太陰暦のため太陽暦とずれがある)、喜捨(ザカート)の金額を計算するための電卓(普通の電卓とどう違うのか不明)、さらにさらにお祈りの最中に呼び出し音が鳴っちゃいけないってんで「祈りの時間になると起動する自動マナーモード」もついているという、まさにいたれり尽くせりな性能だとのこと。

 製造元はマレーシアのイスラム教徒向け機器メーカー「ENMAC」。機種の名前もずばり「ENMAC Quran(コーラン)MQ3500」だそうである。すでにパキスタンでは発売されてるそうだが、経済発展中で人口も多く、携帯電話も急速に普及しているインドではさらに売れるとふんでいるそうで…実際大ヒットして品薄状態だという話もある。
 その調子だとインドでヒンドゥー教徒向けケータイってのもそのうちどっかが出しそうだな。ヴェーダ聖典やら「ラーマヤーナ」やらが全部入ってて(当然朗読つき)、牛の位置を知るセンサーとかガンジス川水位情報とか(笑)。東アジアから東南アジアにいる仏教徒向けには仏教経典を全部搭載、坊さんの読経つき、待ち受け画面は仏像写真と(笑)。日本国内限定なら、忌日がすぐわかるカレンダーとか、待ち受け画面に遺影や位牌が映る即席仏壇とか(笑)。



◆年末年始も中東情勢

 12月24日、アメリカのオバマ大統領はノースカロライナ州の陸軍基地内で行われた帰還兵歓迎式典の中で「イラク戦争終結」の宣言を行った。「へー、まだやってたんだ」という思いと「どこが終結やねん」という原発事故みたいな思いとが両方交錯するような感想を持ってしまう。とりあえずアメリカとしては軍隊をイラクから引き上げて「終結」したことにはなるんだろうけど。2003年の開戦以来8年と9ヶ月。当「史点」の連載期間の大半を占める戦争でもあった。
 大統領選挙においてはブッシュ前大統領が始めたイラク戦争を批判したオバマ大統領だが、帰還兵の歓迎式典ということもあるし、一応アメリカ大統領としては国家がやったことを全否定するわけにもいかないので「我々は、独立し、安定し、自立した国家をイラクに残した。多大な成果だ」と、この戦争に一定の評価を与える発言をしている。そもそも大量破壊兵器がどうたらこうたらと始めた戦争だったんだが、その大量破壊兵器も見つからず、連日のテロでアメリカ兵のみならずイラク国民にも多大な犠牲者を出し、復興事業でちゃっかり儲けてるやつがいるなど、戦争ってのがロクでもないものだということを改めて見せつけてくれたわけだが、始めた当事者たち、特に張本人であるブッシュ前大統領は「評価は歴史に任せる」と言ってるらしい。もっとも「歴史的評価がされるころには我々はもうこの世にいない」とものたまってるそうだが。
 世論調査によるとアメリカ国民の80%が今年以内の米軍撤収を支持、96%が駐留米軍の任務を誇りに思うと回答してるそうだが、派兵したこと自体は誤りとする人が53%、間違ってはいないとした人が45%と意見は分かれる。「イラク戦争に勝った」と思っている人が3分の1はいるそうで、これが少ないのか多いのか判断に迷う。そしてこの戦争の戦費がアメリカ経済に悪影響を及ぼしたと思っている人は70%にのぼるという。


 前大統領が始めた戦争の後始末をさせられるオバマさんもいい迷惑だが、来年は大統領選の年。支持率も厳しく再選を危ぶむ声もあるが、対抗馬の共和党候補の方が今一つパッとしないのも確かなようだ。これを書いてる時点でも大混戦の様相で、週替わりで最有力候補が変わってしまうような情勢。
 そんななか、保守強硬派として有力候補になっているのが元下院議長のニュート=ギングリッチ氏(68)。このお方、ユダヤ系の票と支持がほしいのか、単にオバマ政権が弱腰だと言いたいためなのか、パレスチナがらみで物議を醸す発言を繰り返している。12月9日にはユダヤ系テレビ局のインタビューに「パレスチナという国家が存在したことはなく、虚構だ。パレスチナ人はあくまでアラブ人」という趣旨の発言をして、当然ながらパレスチナ自治政府から抗議を受けた。
 ギングリッチ氏の言う「虚構」とは、歴史的に「パレスチナ」という国家が存在したことはない、という意味だ。確かにあそこは現在の状況になる前はオスマン帝国の一部であり、それ以前にもどこかのイスラム王朝の支配下にあり、さらにさかのぼればローマ帝国の支配下にあって、ともかく「国民国家」「民族国家」としての「パレスチナ国家」が存在したことはない。しかしそれは近代的な意味での国家・民族の話であって、そこに住むパレスチナ人(アラブ系)は確かに存在し、むしろイスラエルというユダヤ人国家が突然出現したことで「パレスチナ国家」が意識されたということでもある。それを言い出すとイスラエルだって2000年以上も存在しなかったわけだし、アメリカ合衆国じたい壮大な「虚構」と言えなくもない。
 ギングリッチ氏、さらに翌10日には候補者討論会で「誰かが勇気を持って『彼ら(パレスチナ人)はテロリストだ』と言う必要がある。我々の援助資金が使われている教科書に『13人のユダヤ人のうち9人が殺されたら残りは何人』という(算数の)問題が載っている」と発言してまた騒がれた。教科書の話はあながちでたらめでもないようで、僕もパレスチナの子供向けテレビ番組でそれに近い表現をしているのを見たことがあるが、パレスチナ人全員をテロリスト呼ばわりするのは言語道断だし(それこそナチスのユダヤ人攻撃並みだ)、テロ的な表現にしてもどうしてそういうことになったのか想像力に欠けている。選挙のために「飛ばし」をしている感もなくはないが、こういうのが有力候補になったりするからなぁ…


 そのパレスチナだが、今年はじめて国連加盟を申請している。もちろんアメリカが拒否権でつぶすのが分かった上で国際世論へのアピールを狙ったものだろうが、国連の機関であるユネスコ(国連教育科学文化機関)への加盟は今年の10月31日に達成している。パレスチナがともかくも国連機関で正式に「加盟国」として認められたのはこれが初めて。ユネスコへの加盟は加盟国の投票で3分の2以上を獲得すればよく、194か国のうち107か国が賛成して加盟が決定した。しかしイスラエルやアメリカ、ドイツなど14か国が反対、こういう時いつも態度がハッキリしない日本など52か国が棄権している。
 これでパレスチナは195か国めのユネスコ加盟国になったそうで…って、あれ?国連加盟国は南スーダンが入って193か国じゃなかったっけ?と思い、調べてみたらニュージーランドと自由連合を組む太平洋の島国、クック諸島ニウエは国連未加盟ながらユネスコには加盟しているのだった。その二つを合わせると全部で196か国になってしまうが、国連加盟国のうちリヒテンシュタインがユネスコ非加盟国なのだった。
 ユネスコが「国家」としてパレスチナ加盟を承認したことにアメリカは「時期尚早」と不快感を示し、アメリカが一番多く負担しているユネスコへの拠出金(全体の22%)を凍結すると表明している。アメリカは以前ユネスコを脱退して2003年に復帰した過去もあるし、一番多く負担している国連分担金もしばしば滞納してる国でもある。


 そのアメリカやイスラエルにケンカを売る真似をしているのがイラン。核開発疑惑に対してアメリカはイランの原油輸出への制裁をかけようとし(日本はイランから多くの石油を輸入しているので困ってるところ)、これに対抗してイランがペルシャ湾封鎖をほのめかすなど、最近何やらかなりキナくさい。来年の世界の注目点の一つとなることは確実だ。
 そのイランで、「テルアビブへの攻撃」なるビデオゲームが制作される、とのニュースがあった。制作するのはイランの「国立コンピュータ財団」で、アメリカで今年10月に出たゲームソフト「バトルフィールド3」への“報復”を意図したものだという。なんでも「バトルフィールド3」には首都テヘランそっくりなステージを舞台に、アメリカ軍兵士がイラン人テロリストと戦うというシナリオがあるそうで、イラン政府がこれに激怒して国内での販売を禁じ、販売していた業者を営業停止にする騒ぎがあったのだという(しかし裏返せばアメリカの戦争アクションゲームを普通に輸入販売してもいるんだな)
 “報復”ならアメリカを舞台にイラン人が暴れるゲームを作ればよさそうだが、わざわざイスラエルの「テルアビブ」を舞台にしたことについて、「国立コンピュータ財団」の会長は「アメリカはシオニストに牛耳られているから、テルアビブを舞台にした方がよりアメリカ人を刺激できる」と言ってるそうで。
 ゲーム戦争やってるうちはまだいいんだけど、先日もアメリカの無人偵察機がイランで「撃墜」された一件もあった。当初認めなかったアメリカも数日後に認めて「返せ」と要求していたが、そもそもひとの国に無人偵察機を飛ばしておいて「返せ」というのも。



◆冷戦時代のいまむかし

 今年の12月25日は「ソビエト連邦」の解体からちょうど20周年になる。1991年8月に保守派のクーデターが起きて当時のゴルバチョフ大統領を監禁、結局それは三日天下に終わってソ連の復活どころかその消滅を決定的なものにした。20年も経ってしまうと「ソ連も遠くなりにけり」という感想を持つが、ロシアの世論調査によると「ソ連解体を残念に思う」と答えた人は53%で年々低落傾向、「ソ連復活を望む」と答えた人も14%にとどまったという。ソ連解体後の生まれが成人に達してしまうのだ、そりゃ無理もないだろう。
 ソ連崩壊後、どん底に落ちたかに見えたロシアだが、このところ経済的には好調で、プーチンメドベージェフ体制のもとかつての大国ぶりを取り戻し、ソ連的な非民主傾向が強まっている――といった見方も少なくなかったが、先日の議会選挙で不正が明るみになり、人気があるとされていたプーチン首相への猛反発が起こり、それこそソ連解体以来となる大規模なデモが行われ、プーチンの大統領復帰に微妙な影がさして来ている。ソ連最後の大統領であるゴルバチョフ氏はプーチンに「引退しろ」と勧告しているそうだが…「例の法則」からするとプーチンの代わりの「ハゲ」後継者を探して来なきゃ(爆)。


 つい先日、「続・黄金の七人」というイタリアの泥棒映画を見ていたら、どう見てもフィデル=カストロがモデルとしか思えない中米某国の指導者が出て来て笑ってしまった。この映画の製作年を確認してみると60年代末で、確かに当時世界でもっとも注目を浴びる人物だったころだ。今やそのフィデル=カストロも引退して弟のラウル=カストロがキューバ指導者となっているが、相変わらず社会主義体制を維持しつつも自動車の売買自由化や海外渡航の自由化など少しずつではあるが思いきった変化も進められているようだ。
 さて、このたびフィデル=カストロのほうが、あの「ギネスブック」に載ることになってしまった。はて独裁の長期記録とか、あるいは元首になった人の野球記録か、などと思っていたら、なんと「暗殺されかかった回数世界一」に認定されちゃったのだった。そんな回数なんてどうやって数えるんだ、と思ってしまうが、キューバ側の話によると暗殺を図り続けたアメリカのCIAの記録に基づくという。ギネスブックは申請がなければ載らないものだし、載った所をみると一応それなりの根拠があるとみなされたのだろう。

 その回数、なんと638回!!2006年までの通算回数だそうだが、本当なのか。確かに1960年代から70年代にはずいぶん試みられたと思うのだが、21世紀になってからもやってたとは正直信じがたい。それだけ元首クラスを暗殺するのは難しいということなのかもしれないが…その暗殺方法たるや、定番の狙撃・爆殺からカストロが大好きな葉巻への毒物混入、これまたカストロが大好きな野球のボールへの爆薬混入、さらにはこれももしかしてカストロの好物なのか、ミルクセーキに毒入りカプセルを仕込んだ例まであるという。しかしそのいずれもが事前の情報キャッチにより阻止されたといい、だから今日まで無事で生きてるわけだ。ミルクセーキの毒入りカプセルについてはキューバ情報機関トップが昨年出版した本によると「幸運にも飲みこまなかった」だけだそうであるが。同書によれば一番危なかったのは1961年にカストロがニューヨーク訪問時に企てられた爆殺計画だったそうだが、「フィデルは待ち伏せを直観する能力がある」とのこと。ここまで来ると超能力クラスだよなぁ。


 ひとくちに「冷戦構造」と言ったって、「社会主義陣営VS資本主義陣営」と単純だったわけではない。資本主義陣営内でも社会主義陣営内でも立場の違いや対立があった。とくに社会主義国同士のソ連と中国が激しく対立し、そこへつけこむ形でアメリカが中国に接近した歴史なぞは外交関係の奇々怪々さを見せつけてくれて面白い。そのむかし独ソ不可侵条約が結ばれた時、日本では「欧州情勢は複雑怪奇」とか言って時の内閣が総辞職したりしたものだが、この「米中接近」も全く察知できず、1971年7月にニクソン大統領が「中国訪問」を発表する数分前という段階で当時の佐藤栄作内閣にアメリカ政府から通告されたため、佐藤が驚くと同時に激怒したという逸話もある。
 実はそれ以前に中国が日本に対してシグナルを送っていた――という事実が、外務省が公開した記録により明らかになった。シグナルを出したのは当時の中国首相・周恩来。1971年3月に元外相の立場で訪中した藤山愛一郎に対し、周恩来が「アメリカは変わり身が早い。台湾に深入りしているのは、アメリカよりもむしろ日本だ。日本が取り残されるのではないか」と述べたと言うのだ。この時期、ニクソンの密使となったキッシンジャーを通して米中は接近交渉を進めており、日本との国交回復も企図していた周恩来はさりげなくそのことを日本の耳に入れた、ということのようだ。しかしキッシンジャー密使外交はアメリカ国務省も知らない極秘事項であったため、そこから情報を仕入れていた日本外務省はまるっきり察知できなかった。
 だけど米中交渉の手掛かりとなった「ピンポン外交」は名古屋で行われた大会がきっかけだったし、このときの周恩来の「ささやき」から分かる人には分かったんじゃないか、とは思う。外交官の中には気づいていた人もいそうだが、当時の日本政界では佐藤栄作はじめ台湾の蒋介石に肩入れする右派が多かったのも確かで(その蒋介石だってかつて日本と戦った人なわけだが)、それで結局「不意打ち」を食らう結果になったんだと思う。もっともこのとき周恩来は「(右翼強硬派とされる)佐藤ではだめだ」とも言い、次の政権への期待を示したという(その佐藤がノーベル平和賞もらうなんてねぇ(笑))。実際、日中国交正常化は佐藤の次の田中角栄によって行われることになり、今回公表された資料によって角栄が「政治主導」でかなり強行した側面も明らかになっている。


 ソ連も崩壊して20年になるわけだが、「衛星国」である東欧諸国が少しでも独自行動しようとすると即座にそれを実力でつぶしたものだ。とくに1956年ハンガリー動乱と、1968年にチェコスロバキアの「プラハの春」をつぶした軍事行動が悪名高い。その「プラハの春」がつぶされた後の時代に民主化運動を続け、逮捕・投獄を何度も経験、そして1989年秋の一連の東欧革命のなか、平和裏に社会主義政権を倒した「ビロード革命」を主導してチェコスロバキア最後の大統領となり、チェコとスロバキア分離後にチェコ初代大統領となったのが、ヴァーツラフ=ハヴェルだ。そのハヴェル元大統領が12月18日に75歳で亡くなっている。その葬儀は国葬として営まれた。
 ハヴェルさんはもともと劇作家として世界的な名声を得ており、革命を成功させ「自由」を手に入れた1990年の演説でも「あり余る自由を前に今何をなすべきか、正直定かではありません。韻文の世界が終わり、散文の世界が始まるのです。祝祭が終わり、日常が始まるのです」と、なかなかに文学的で意味深い発言をしている。「人間とは、死を自覚する唯一の動物」という名言もあるそうだ。今年いろいろな「歴史的人物」が亡くなっているが、彼もまた世界史的な大物の一人と言っていいだろう。


 ソ連崩壊から20年も経とうという時代に「社会主義国」にまい進しているのがご存じ「ベネズエラの大将」ことチャベス大統領(当サイトで勝手に命名。元ネタはお分かりですね?)。何かとおもしろ発言を繰り返していた彼もガンにかかってキューバで治療してからはさすがに元気をなくしたか…とも思ったのだが、どうやら成功裏にガンを克服したらしい。そしてそのとたんに彼らしい「問題発言」を飛ばしてくれた。なんと、自身も含めて最近南米首脳が次々とガンを患っていることについて「アメリカがガンを誘発する新技術を開発したんじゃないか?」との“疑惑”を口にしたのだ。
 いちおう当人も「向う見ずな非難はしたくないが」と前置きし、「〜としたらおかしいだろうか?」と疑問符つきな言い方をしているそうだが、第二次大戦直後にアメリカがグアテマラで性病に関する人体実験をしていたという話にも触れ、「50年前のことだが、今後50年内に米国が南米の指導者にがんをもたらしていたことも発見されるのだろうか」と言ったというから、結構本気なのではないかと。
 実はチャベス大統領のこの発言の直前に、アルゼンチンのクリスティナ=フェルナンデス大統領が甲状腺ガンを発症したことが公表されている。パラグアイのルゴ大統領も昨年からガンを患っているし、ブラジルのルラ前大統領もガン治療中だ。チャベス大統領はこれを「きわめて不思議な現象」ととらえており、ちょうど今年「中南米カリブ海共同体」が成立して中南米で「アメリカ離れ」が進んでいる情勢と重ね合わせての「疑惑」を抱いているようだ。仲のいいボリビアの大統領にも「気をつけろ」と忠告もしているそうだ。しかしガンを誘発するって放射線でもあてるのか?「新技術」なんてものが開発されているなら戦争なんて面倒なことをしなくてもよさそうだし。
 なんでもチャベス大統領、キューバでフィデル=カストロさんから「病気の原因になるから」という理由で「食べ物に気をつけろ」と再三警告された、という話も披露したそうで。これも直接的には言ってないけど「毒殺」の危険性を意識してるのだろうなぁ。言ってるのが600回も殺されかけた人だけに。



◆ 今年一年をふりかえって
 
 久々に年末に「史点」を書いているので、今年を振り返る話を書いてみたい。初期のころは年内記事リストとか登場人物一覧とかやってたんだけど、さすがにそこまでの気力はない。でも過去の「史点」でも激動度がかなり高い一年だったので、自分で書いた記事を振り返りつつ、今年をまとめてみた。白状すると今回四つ目のネタにしたくなるような話がなかったから、ってのも理由ではある(笑)。

 今年はまず「アラブの春」で幕を開けた。この一連の「革命」はチュニジアから始まったが、その発端となる抗議の焼身自殺をしたムハンマド=ブアジジという26歳の若者はイギリスの「タイムズ」の「今年の人」に選ばれている(彼が亡くなったのは今年の1月4日である)。チュニジアから始まった波はエジプトに飛び火し、長期独裁を続けたムバラク政権を退陣に追い込んだ。さらに波はチュニジアとエジプトにはさまれたリビアにも及び、紆余曲折があった末に10月にカダフィ大佐の非業の死という結末に至った。今年の「史点」は平均月1ペースなもので、とくにリビア情勢は二転三転、カダフィが今年のうちにああいう最期を遂げることになろうとは予想もしえなかったことが読み返してみると分かる。
 ともあれ、この2011年という年は世界史的にはこの「アラブの春」で記憶されることは間違いないだろう。

 2011年という年は2001年の「アメリカ同時多発テロ」から十周年にあたった。そんな年の5月1日に、アルカイダの指導者、オサマ=ビンラディンがパキスタン国内でアメリカ軍の急襲を受けて殺害されたのにはいろんな意味で驚いた。この10年よく捕まらなかったものだとも思うし、またあんなお屋敷で結構平穏に暮らしていたらしいことにも驚かされた。その直後に書いた「史点」では過去にビンラディンが登場した「史点」を総ざらいして振り返っているが、彼もまた今年死んだ世界史的大物の一人には違いあるまい。
 
 日本にとって今年は問答無用で3月11日の「東日本大震災」の年としてずっと記憶される。僕自身も水道が止まるとかガソリンや物資がないといった、大したことではないがプチ被災者のような体験もしたし、福島第一原発だってそう遠いところではなく(もっと近い東海原発だってきわどかったそうだし)、首都圏の中では放射能レベルが高い地域をウロウロしている。身近に使っているJR常磐線も「完全復旧」するのは当分先のことだ。
 今だって大地震が起こる可能性は十分あり、警戒自体は怠っていないつもりが、4月ごろの大きな余震の連発、ちと遠い仕事先へ行く時の「帰宅難民化するかも」という覚悟を毎日していた時から比べると、ずいぶん気分がだらけた気はする。正直な話、年末年始にいつものように冬期講習にいそしんでいるのが不思議なくらい。あのころからするとずいぶん「日常」を取り戻したことは間違いない。当時の「史点」で「早寝早起きになった」と書いているが、これもすっかり元に戻ってしまっている(笑)。

 その震災の年の割には政界が何かと騒がしい年でもあった。6月に菅直人内閣に対する不信任騒動があり、これに民主党内の小沢一郎グループなどが同調の動きを見せて「菅おろし」攻勢をかけ、結局チキンレースは土壇場で菅首相が「めどが付いたら退陣」と発言したことで腰砕けな終わり方をした。その後菅首相が在任継続の姿勢を見せたのでドタバタしたが、結局のところ当初言ってた辺りの8月末に退陣、野田佳彦内閣にバトンタッチすることとなった。このときの総裁選でも小沢さんは闇将軍ぶり、というよりプチ角栄ぶりを発揮していたがまたも敗北。それでもいまだに「小沢神話」が政界のみならず一部世間でも抱かれていることに正直驚く。
 野田内閣の支持率が下がって来て消費税増税ばなしなんかが出てくると、年末恒例の脱党、新党結成の動きが出てきた。僕ももともと松下政経塾出身者を信用していないこともあるし、八ツ場ダムの件では批判的なのだが、こう選挙を意識してアタフタと動く人たちにも感心せんな。どうもこれにも小沢さんの影がチラついているのがなんとも…さて、来年は総選挙がホントにあるのかどうか。公明党あたりは再来年に都議選があるので来年中にやってくれないと困る、ってのが本音のようだが。

 いつもの年もそうなんだろうが、今年も多くの有名人が亡くなった。特に今年は「ひとつの時代が終わった」と感慨にふけってしまう死が多かったような気がする。「史点」で言及した訃報としては、連合赤軍で死刑囚となっていた永田洋子、「刑事コロンボ」で知られたピーター=フォーク(彼のものまねで史点を書いてしまった…)、日本SFの巨匠・小松左京、アップル創業者のスティーブ=ジョブズ、先述のカダフィ、そして年末になって金正日、と例年に比べると多い方ではなかったかな、と思う。史点ネタにはしなかったが個人的に好きな俳優や映画人が多く亡くなった年としても記憶されそうだ。
 
 当たり前だが去年の大みそかに、「来年はこんな年になる」と予想してはいなかった。今年の大みそかは特に「今年は大変な年だった、来年はどうなるんだろう」と多くの人が思ってしまう。いまこれを書いてる時点であと2時間ちょっとで2012年になってしまうのだが(読む人の多くは年明けでしょうね)、「いい年であってほしい」と切実に思う。では、良いお年を。


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