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2012年1月23日

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◆今週の記事

◆そして2012年の幕が開け

 すでに1月も下旬に入ってしまいましたが、旧正月も兼ねて(笑)あけましておめでとうございます。今年も「史点」をよろしくお願いいたします。

 さて前回の更新は昨年の大晦日という慌ただしい時だったが、その大晦日、それもあと2時間もしないうちに新年という時間にある大物が警察に自首してきてみんなビックリしてしまった。1995年に起こった一連の「オウム真理教事件」の容疑者の一人として指名手配を受けながら、もう16年にわたってその行方がまったく分からなくなっていた平田信容疑者がいきなり出頭してきたのだ。彼を含む三人の逃亡犯はその手配書や等身大ポスターですっかり全国民的に「おなじみ」になっていたが、長い年月の間まったく消息が知れなかった(あとで知った話だが一部情報はあったし、家族にも連絡をとってはいた)ため、「もう生きてはいないんじゃないか」という声も多かった。

 もうオウム事件も同年の阪神淡路大震災同様に「歴史」の彼方に入って来てる感もあったが、彼の出現はあの事件を急に生々しく思い出させた。つい先日オウム事件の裁判がすべて結審したばかりで、「いつ麻原彰晃は死刑になるのか」なんて話題が出ていただけに、その出頭を「死刑先送りのためでは」と見る声が直後から出回ったが(特にマスコミ的にはそう持ってきたがってる感じがあった)、だったらもう少し早く出て来そうな気もするし(執行が12月中にもあるか、と一時言われてたし)、オウム事件に深くかかわった滝本太郎弁護士が接見してすでに信仰を捨てていると断言しているのでその線はやはり無いように感じている。もっとも結果的に「先送り」になっちゃう可能性自体はあるんだけど。

 それにしても話題を呼んでしまったのは、彼の出頭に至る珍妙な経緯だ。彼は出頭を決めるとまず仮谷さん拉致事件の捜査本部がある大崎署に出向いたが入口が分からずあきらめた。そして警視庁のオウム事件相談窓口のフリーダイヤルに電話してみたが10回やってもつながらず、仕方なく110番に電話して「平田信の担当はどこですか?」と聞いて「警視庁本部」と回答された。そこで意を決して桜田門の警視庁へ直々に押し掛け、警備にあたっていた機動隊員に「平田です」と名乗り出てみたが、いきなりのことに機動隊員はイタズラとしか思わず(まぁ、そうだろうな)「警視庁ではそういうのは受け付けないから」と最寄りの交番か警察署へ行くよう勧めた(確かに警視庁というのは「本社」であって「お客」の相手をするところではない)。そこで彼は改めて警察署に行き、本当に出頭することになったわけだが、なんだかよく途中であきらめなかったものだ、とヘンな感心をしてしまう(笑)。


 さてそんなことがあってから日本では新年が明けたわけだが、世界で一番最初に「新年明けましておめでとう」ができるのは当然日付変更線の西側ギリギリに位置してる国だ。もっとも世界地図を見ればお分かりのようにその日付変更線自体が一部ニョキッと東に突き出していて、キリバスの東端にいたっては標準時が「+14」(本初子午線が通るロンドンより14時間も先を進む)なんてものになっていて、当然ここが世界で一番早く「その日」が始まる。これも西暦2000年や2001年に「世界で一番早い新年」を迎えられるという観光客誘致目当てでやったものと言われている。
 逆に世界で一番遅くなるのが日付変更線の東側ギリギリ。去年までサモアがこれに該当したのだが、サモアは今年から標準時を日付変更線の西側に移し、「その日が来るのが早い国」にいきなり変わった。そもそもサモアは1892年まで日付変更線の西側に標準時を置いていたが、東側のアメリカやヨーロッパとの結びつきが強かったため「同じ日」の方が都合がいいと日付変更線の東側に移動した経緯がある。今度の決定はその逆で、最近ではオーストラリアやニュージーランドが主要貿易相手国となり、そっちと日付が丸一日違うと何かと不都合、という理由によるという。
 しかし国がまるごと日付変更線を東から西へ飛び越えるということだから、その瞬間に丸一日時間を進めなくてはいけなくなる。サモアは去年の12月29日終了をもって標準時を移動させることとし、12月29日の翌日を12月31日にすることとした。サモアでは2011年12月30日は存在せずに飛ばされることとなったのである。なんだか日本で太陰暦から太陽暦に変えた際、「明治5年12月2日」の翌日が「明治6年1月1日」になっちゃった歴史を思い起こさせる。こっちの場合は一日どころかほぼ一ヶ月が飛ばされちゃったのだが。


 とくに大きなニュースというわけではないが、1月4日に大石尚子参議院議員(民主党)が75歳で亡くなっていた。神奈川県県議会議員を経て2000年に衆議院議員当選、2005年落選、2007年には参院選比例で出て当選はしなかったが、その年の暮れに名簿順位で上の当選者が死去したために繰り上げで議員になっていた、という政治経歴だ。
 なんでこの人を「史点」で採り上げちゃったかというと、この人、実は日本海海戦の参謀・秋山真之のお孫さん(娘の娘)なのである。昨年末にドラマ「坂の上の雲」の日本海海戦が放送された直後だっただけに印象に残ってしまった。


 昨年も「○○から百周年」というネタが多かったが、今年2012年には「タイタニック沈没から百周年」というのがあった。なんてことを言ってたら、1月13日の金曜日にイタリアで豪華客船コスタ・コンコルディアが座礁、横転してしまうという大事故が起こってしまった。とくに客より先に逃げちゃった船長の行動が注目と非難を浴びてしまっているが、船の業界では船長は乗客乗員を逃がしてから最後に出る、という不文律はあるらしい。
 変な話になるが、僕が車の運転免許をとるために通った教習所の学習映画では「何事にもルールはある」と交通ルールを説明する入口になぜかアニメでこの「船長は最後に逃げる」を使っていた(交通ルールとあまり関係がない気がしたが)。そのアニメでは結局船長が間一髪で助かるオチがついていたが、タイタニックも船長は船と運命を共にしたし、昔の海軍では軍艦が沈むと艦長や司令官も一緒に沈んだものだ。日本の戦争映画だと沈む船と運命を共にするべく艦長らが自身を操舵輪に縛り付ける描写がよく出てくるのだが、あれは他の国でもあるんだろうか。
 百年目の因縁というのはあるもののようで、事故のとき、コスタ・コンコルディアの一部レストランでは「タイタニック」の主題歌が流れていたとか、今回の事故の生存者の大伯父がタイタニックにウェイターとして乗り込んでいて遭難死した、といった逸話が報じられている。



◆ヒトラーだって観光資源

 ポーランドといえばナチス・ドイツに攻め込まれて第二次世界大戦の直接的発火点となった国で、第二次大戦中はドイツとソ連に占領され何かとひどい目に遭っていた。ナチスドイツの蛮行といえばユダヤ人の大量虐殺だが、ポーランド国内のユダヤ人も多くがその犠牲となったし、ホロコーストの象徴的存在となったアウシュビッツ強制収容所もポーランド国内に存在する。
 このアウシュビッツ強制収容所はいわゆる「負の遺産」として世界遺産に登録されているのだが、当初「ポーランドのアウシュビッツ収容所」という名前にされていたのをポーランド側が「それじゃポーランド人がホロコーストをやったみたいに聞こえるからイヤ」と改名を要求、「ナチス・ドイツのアウシュビッツ」と入れることになったという経緯がある。

 そのポーランドで、ヒトラーゆかりの地の「観光地化計画」が持ち上がってる、というニュースがロイター発で流れて「へぇ」と思った。もちろんヒトラーを顕彰するような「ゆかり」ではなく、彼が暗殺されかかった場所の話だ。
 近年トム=クルーズ主演でハリウッド映画化もされた「ワルキューレ作戦」というのがある(ドイツではあまり評判がよくなかったみたいだが)クラウス=フォン=シュタウフェンベルク大佐が首謀者となり、ヒトラーを爆弾で暗殺したうえで一挙にクーデターを起こしてナチス政権打倒を図ったもので、本来は国内で非常事態が発生した際の軍事行動を決めた「ワルキューレ作戦」がこの計画に利用されたために暗殺計画自体が「ワルキューレ作戦」として有名になった。
 1944年7月20日、東プロイセン・ラステンブルク近郊の森の中にある「狼の巣」でシュタウンフェンベルクは会議室に時限爆弾をしかけてヒトラー暗殺を狙い、爆弾はヒトラーの近くで炸裂したものの、ヒトラーは奇跡的に軽傷で済んだ。ヒトラーが死んだと確信したシュタウフェンベルクたちは「ワルキューレ作戦」発動によるクーデターを実行したが、間もなくヒトラーの無事が確認されて陰謀が露見、クーデターは失敗してシュタウフェンベルクら首謀者はその日の深夜(正確には翌21日未明)に処刑されてしまった。

 戦後この東プロイセンの地はポーランド領となり、ラステンブルクも「ケントシン」と改名された。ヒトラー暗殺未遂事件の現場となった「狼の巣」には記念碑も建てられて一般公開もされてるらしいが、「狼の巣」は爆破のあともほぼほったらかしで荒れ果てた状態とのこと。重大な戦況会議が行われたことからも分かるようにそう簡単には行けない深い森の中にあり、おまけに道路整備もされていないので観光客が気軽に訪れられるところではなくなっているのだそうだ。
 そこで地元の森林管理局が「狼の巣」観光地化を計画、「一年を通して営業できる博物館の整備」を条件に投資を募っている、というのがロイター報道。しかし残念ながらこの記事が出た時点で投資の申し出は一件もないんだとか(汗)。ポーランド国内では暗殺計画の話とはいえヒトラーがらみの施設の観光地化に乗り気な人はあまりいないんじゃないかなぁ、とも思う。



◆老舗カメラメーカーの破綻

 「コダックが経営破綻」というニュースを聞いて、僕がまず連想したのは「ルパン逮捕される」だった。なんのこっちゃ、とお思いだろうが、アルセーヌ・ルパンシリーズの記念すべき第一作「ルパン逮捕される」(1905年発表、短編集「怪盗紳士ルパン」収録)の中で「コダックカメラ(仏語で「le kodak」 )」が登場するのだ。知ってる人には説明不要だが、この物語は大西洋を横断中の豪華客船のなかにルパンが紛れこんでいて「誰がルパンなのか?」と登場人物たちが右往左往する、といった内容で、登場人物の一人がコダックカメラで恋人のスナップをパシャパシャ撮っている描写があるのだ。そして実はこれ、重大な伏線になっているのだが、未読の方のためにこの辺で止めておこう。
 
 写真が発明されたのは19世紀前半のこと。初期の写真は薬品を塗った銀板やガラス板に像を映し、それを現像するという大掛かりで手間のかかるものだった。その後ロール式のフィルムの発明によりカメラの小型化が可能になり、さらにフィルムを受け取って写真を現像するサービスが行われるようになって「誰でも写真が撮れる時代」がやってくる。その立役者がまさに「コダック」の創業者、ジョージ=イーストマンであったわけだ。
 イーストマンがロール式フィルムによるカメラの特許を取り、「あなたはボタンを押すだけ。あとは我々にお任せ」というキャッチフレーズで「コダック」の商標と共に売り出したのが1888年。「ルパン逮捕される」は1905年の発表だが、作品内での年代は1899年のことと推測され、コダック・カメラ登場から10年が経った段階だ。調べてみるとまだその後のカメラに比べると少し大きくて(だから…(ネタばれ防止)…に使えたんだな)値も張るものだったようだ。「ルパン逮捕される」の舞台は豪華客船の一等船室、上流階級ぞろいの場所だったからちょうどいい小道具だったのかもしれない。ただ1900年には1ドルの廉価カメラが出て一気に普及したそうだが、もしかするとルブランはそっちのつもりで書いちゃってるかもしれない。
 フィルムの発明は写真だけにとどまらず、映画の発明・発達にも多大な貢献をした。またコダックが1952年に発売した「イーストマン・カラー」は世界初のカラー映画フィルムで、現在に至るまで映画フィルムのスタンダードの地位を占めている。米アカデミー賞授賞式が「コダック・シアター」(別にコダックが作ったわけではなく命名権を買ったもの)であるのも象徴的だ。

 しかし近年カメラをフィルムで撮った経験が全くない、という人も多いはず。僕だってフィルム装填をしてたのは1990年代半ばぐらいまでだった気がする。もっともいきなりデジカメに行ったのではなく旅先などでは「写ルンです」など「カメラ付きフィルム」を使うようにしていたからだが。あれも世界中で売られていたから、装てん式フィルムの売り上げに少なからぬ影響を与えたんじゃなかろうか。
 今度のコダック破綻について「デジカメ時代に乗り遅れた」という解説が多く見られるが、実は世界初のデジカメを開発したのもこのコダック。ただフィルムが大きな収益源となっていただけに乗り移りが難しかったのではないか、との説明がなされている。90年代にこのコダックが「閉鎖的市場を作っている」として攻撃したライバル企業の富士フイルムやコニカがフィルム以外の事業(健康食品や化粧品まである)に手を広げて生き残りを図ったことと何かと比較もされている。またデジカメの普及も予想を超えるスピード(「カメラつき携帯電話」も一役買った気がする)であったのも事実だろう。

 映画の方は予算的・設備的理由からまだまだフィルムが使われているが、「スターウォーズ・エピソード2」が「フィルムを全く使わないデジタル撮影映画」の第一号となって、製作側ではデジタル化がドンドン進んでいる。いずれ近いうちに上映側もフィルムがまったく存在しない、という状態になるだろう。コダックも破綻してしまった以上「コダック・シアター」の命名権を手放すことになるんだろうが、それもまた「フィルムの時代の終わり」を象徴するものとなりそうだ。



◆ ホルムズ海峡冬景色
 
 抒情的な見出しをつけてしまったが(ホルムズ海峡に雪はめったにふらないんじゃないかな…)、年明け早々からイラン関係がキナくさい。イランに核開発疑惑があり(少なくともウラン濃縮は続行している模様)、それに対する経済制裁をアメリカが課そうとし、各国に同調を呼び掛けているのは報じられているとおり。日本もイランからかなりの石油を買っているため、ある程度それを縮小することで「お目こぼし」をしてもらおうと画策しているところなのだが、中国やインドみたいに経済制裁自体に同調しない国もあるので経済制裁にあまり効力がないとの見方もある。もっともそれらの国はイランの足元をみて「値切り」をしてるなんて報道も出ていたが。

 イランが核兵器はもちろんのこと、原子力発電所を作ってもイスラエルが直接攻撃を実行するんじゃないか、との観測は多い。実際イラクでそれを実行した例があるからだ。そして1月11日にイランの首都テヘランで、核科学者ムスタファ=アハマディロウシャン氏が爆弾テロで殺害されるという事件が発生、これにもイスラエルの情報機関「モサド」が関与しているのではないかと見る人がかなり多い。数年前にスティーブン=スピルバーグ監督が映画化していたが、過去にモサドはミュンヘンオリンピック事件の報復として各国で主権無視の暗殺作戦を実行しているし、最近でもパレスチナ人組織幹部の暗殺計画をやっているせいでもある。

 この2年間でイランの核科学者が殺害されたのはすでに3人目。今回は被害者の車にオートバイが近づいてきてドアに爆弾をとりつけ、直後の爆発により科学者当人と運転手も即死するという荒っぽい手口だった。イラン政府はただちにこれをアメリカかイスラエルの機関の仕業として非難し、アメリカ政府は即座に否定声明をしたが、イスラエルのほうは無反応ののち一週間ぐらい遅れて否定した。イスラエルって核疑惑でもそうだが微妙に「におわせる」ことで牽制に使うという作戦をとるのが基本らしい。もちろん今度の事件がモサドの仕業だという証拠はないのだが、イランが自分でやるとも思えず、他にやるやつはいないだろう、と多くの人が思うところ。イラク軍のスポークスマンはフェイスブック上で「誰がイランの科学者を殺害したのか分からないが、その件で涙を流すことはない」と投稿していたそうだし。
 イランのアフマディネジャド大統領は何かというとユダヤ陰謀論じみた発言をする困った人なのだが、こういうことがあると一定の説得力を持ってしまう、というマッチポンプみたいな関係でもある。

 欧米の経済制裁に対してイランは「ホルムズ海峡の封鎖」という脅しをかけ、これを牽制するためにアメリカはペルシャ湾内に空母を展開する一方、「海峡封鎖は一線を超える」と警告する書簡をイランに送っている。
 「ホルムズ海峡」は石油大産地のペルシャ湾の出入口にあたり、その一番狭いところは33キロしかなく、軍事地理的に重要な地形だ。イラン・イラク戦争の時にもイランが封鎖してアメリカとドンパチやりあったことがあるし(イランの民間機まで撃墜してしまった)、そういう事態が起これば日本をはじめとしてペルシャ湾岸から石油を輸入している世界中の国に多大な影響が出てしまう。そうなると石油価格が高騰して結果的にイランをはじめ産油国が得することも…なんて、あれ?な話もあったりするが、イランにしても欧米にしてもホルムズ海峡で本当に軍事衝突が起こることは避けたいというのが本音だとは思う。ただ何でも思惑通りにはいかないのが歴史というものなので、今年いっぱいここがどうなるのか注目点。
 今年はアメリカ大統領選があるからなぁ…ふと「戦争をすると支持率が上がる」というイヤな法則を思い出したりして。
 

2012/1/23の記事

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