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2012年2月6日

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◆今週の記事

◆E.U.、ホーム、フォーン

 昨年はギリシャ、イタリアその他といろいろ大変なことになっちゃったEU。気の早い人の中にはもうEU崩壊だとまで言ってるのもいるようだが、今さら後戻りできないところまできちゃってるというのもまた事実。今後は財政上問題があれば制裁を科すという条約も決まり、なんだかんだでドイツとフランスが牽引役となってEUは維持されてゆく。ただし、これまで「EUに入っちゃえば万事解決」みたいなノリで加盟を目指してきた国々には多少鼻白むものはあったみたいだ。

 旧ユーゴスラヴィアのクロアチアではEU加盟の是非を問う国民投票が行われた。賛成66%ということでEUの28番目の加盟国となることは決まったのだが(実際の加盟は5月)、反対が33%と思いのほか高かった上に投票率は44%と半分を切っていた。ヨシポビッチ大統領は「クロアチアは欧州の一員となることを選んだ」と高らかに宣言したが、実のところ国民の過半数が賛成したか怪しい状況だ。
 クロアチアと言えばかつて第二次世界大戦時やユーゴスラヴィア崩壊時にセルビアと激しくやりあった歴史がある。そのセルビアも2009年末にEU加盟を申請していて、いずれ条件が整えば加盟することになると思うのだが、そのときユーゴ連邦すら維持できなかったクロアチアとセルビアがEU内でどう「同居」するのか、注目してしまうところだ。敵対していた隣国どうしもみんな同じ「EU」でまとまって仲良くなるならそれに越したことはないのだけど。


 そんなEUにずっと前から加盟を熱望しているのがトルコ。ヨーロッパの東のはずれというよりアジアの西のはずれといっていい位置にあり、実質的にイスラム教国ということもあって、ヨーロッパ諸国からは「お前は違うだろ」と冷たい扱いをされつつも、涙ぐましいまでの片思いでEU加盟を熱望し続けてきたこの国だが、またもその冷たい扱いを受けてしまったようだ。以前にも何度か書いてる「アルメニア人虐殺問題」の件である。
 第一次世界大戦中に、当時オスマン=トルコ帝国領内にいたアルメニア人が大量虐殺された、という問題だが、トルコ政府は大勢のアルメニア人が混乱の中で殺されたり死んだことは認めつつも、アルメニア側の主張する「政策的・計画的な大量虐殺」には断固として否定の態度をとっている。死亡者数についてもアルメニア側は150万人、トルコ側は50万人と大きな開きがある。どちらが正しいといった議論はとりあえず置いといて、その後アルメニア人が欧米諸国に多数移民し、「虐殺問題」を強く主張して広い支持を受けているのは確か。あとアルメニア人がキリスト教徒であることも少なからず欧米で同情を呼ぶ理由になっていると思える。

 この話がまた再燃したのは、1月23日にフランス上院が「アルメニア人虐殺を否定することを禁じる法律」を127対86の賛成多数で可決、成立させてしまったため(すでに下院は通過していた)。アルメニア人虐殺を公の場で否定すると一年の禁錮と罰金4万5000ユーロ(約450万円)を科す内容だといい、これはフランスではナチス・ドイツのユダヤ人虐殺を否定した場合について同様に罰する法律がある前例にのっとったものだ。
 アルメニアでは「さすが人権の国フランス!」と絶賛していたが、当然トルコは大激怒。トルコのエルドアン首相は「法律は差別的で、思想の自由に対する虐殺だ」と述べ、フランスに対して段階的に対抗措置をとると声明した。トルコではメディアを中心にフランスにアルメニア系住民が60万人もいることを挙げ(確かにそれは多い。フランスって全人口6000万だったはず…)、「今年の大統領選対策に違いない!」と吼えているそうである。

 この件では国際アムネスティも可決に反対していたそうなので、いわゆる「欧米的価値観」ばかりで説明するのはやめたほうがよさそうだが、歴史研究的にも議論のあること、しかもよその国の話をわざわざ法律で「発言禁止」という「問答無用で元から断つ」的なことをしちゃうのはいかがなものかとは思う。ナチスのことではより直接的な懸念がフランスにはあるんだろうとは思うが、一方の意見をそれこそ一方的に「ダメ」と罰する姿勢はナチスにも通じるものだし、「歴史修正主義」の根絶を狙っておいて結局のさばらせてしまう結果を招くものだろう。

 
 ナチスと言えば、このところナチスがらみのニュースも多かった。
 イギリスの出版社が歴史週刊誌の付録にヒトラー「わが闘争」の抜粋を載せてドイツ国内で発行しようとしたところ、ドイツ国内では「わが闘争」自体の出版が禁じられているため非難の声があがったほか(「抜粋」ならいいという判断だったのかな)、「わが闘争」の著作権をもつ南部バイエルン州(以前書いたがヒトラー資産は彼の本籍地であるこの州が持っている)が出版差し止めを申し立てるという騒ぎになった。結局出版社は1月26日、敗戦直後の日本の教科書みたいな「黒塗り」で発行、という措置をとったそうだが、ドイツ国内でもネット経由で読めるいま、あんまり意味がないようにも思う(日本では普通に出版され漫画版まであったりするんだよな)。2015年にヒトラーの著作権が切れるとまたひと悶着ありそうな。

 1月27日、ウィーンで右派学生主催の「舞踏会」が開かれ、フランスのルペンはじめヨーロッパ各国の右翼政治家が出席した。どういう舞踏会なのかは知らないが、今年で59回目にもなる恒例行事だという。ただし今年注目されてしまったのはこの1月27日がナチス・ドイツのユダヤ人虐殺で名高いアウシュビッツ強制収容所の「解放記念日」であったためだ。主催者側は「偶然の一致」としているそうだが、集まってる人が人だけに「意図的では」と見る声も多く、会場周辺では約3000人が参加する抗議デモも開かれていた。

 そのアウシュビッツ解放記念日に合わせて「アウシュビッツ強制収容所で何があったか知っているか」というアンケートがドイツで行われた。約1000人に調査してさすがに回答者の90%が「知っている」と回答したそうだが、18歳〜29歳の若者に限定すると21%が「知らない」と答えたという。まぁ数字的にはそんなものかなぁ、とも思うのだが(この手の調査は「若者は知らない」という結果を出すためにやってるというところもあるし)、どうもその「問答無用で元から断つ」的な姿勢が結局議論を深めていないってことじゃなかろうか、とも感じた。



◆バチが当たるか当たらぬか

 まだ見に行ってない、というより「歴史映画」の一種として一応チェックしておこうかな、と思っていたら、その評判をネット上で見て観に行く気をなくしてしまった、現在公開中の某源氏物語映画がある。源氏物語そのものではなく作者の紫式部藤原道長の関係をフィクションの登場人物たちと交錯させるという、これまでにもよくあったコンセプトの映画だそうなのだが、そこにどういうわけか安倍晴明が乱入してくるのだそうな。確かに安倍晴明は実在した人物であり、紫式部とも同時代人だから出てくること自体にそう無理はないはずなのだが、その当時実在した老人の陰陽師ではなく、どうみても夢枕獏が創作したカッコイイ陰陽師として乱入して怨霊退治をするのだそうで、映画の作り手が「つまんない話を盛り上げてみよう」と投げ込んでしまったものらしい。一応「協力」として夢枕獏の名前がクレジットされているんだそうだが…

 さてその安倍晴明だが。伝説的陰陽師として割と近い時代から信仰の対象とされ、京都市上京区には彼を神として祭る「晴明(せいめい)神社」なんてものもある。近年はそれこそ「陰陽師」ブームで不思議大好きな若い女性などを中心とする「ファン参拝」が多くなってるそうなのだが、まさにその「ズレ」が問題となったひと悶着が起こっているという。
 陰陽師ファンの参拝客をあてこんで、十年ほど前から神社前の土産物店「田島織物」が「陰陽師グッズ」を販売していた。どんなものかといえば「五芒星ブレスレット」「五芒星Tシャツ」だとか「60式神くんあぶらとり紙」「厄除けネクタイ」といったもので、今やなんと2000種類にも上っているという。「織物」という名前の企業がなんでこんなものを?と思ってその田島織物のHPにあった沿革を読んでみると、もともと織物会社で昭和44年(1969)から「般若心経ネクタイ」なるものの製造販売を寺社相手に行うようになり、その流れでもともと隣接していた晴明神社の「陰陽師ブーム」にあやかる形で平成14年(2002)から「陰陽師グッズ」を販売するようになったようだ。HPでの通販ページを見てもずいぶんバラエティ豊富な商品ラインナップで、売り上げもかなりのものがあったと思える。

 しかし…正直なところ晴明神社の方はこの事態が面白くなかったようだ。客が大勢来ること自体はありがたかっただろうが、神社が祭神としている晴明と「陰陽師」のカッコいいヒーローとは本来別物。売られてる陰陽師グッズだって本来は晴明神社とは無関係なのだが、事実上一体のものと見られても仕方あるまい。しかもそのグッズが運気を呼びこむといったオカルト要素を売りにしており、一歩間違えれば(間違えなくても?)霊感商法のたぐいと変わりがなくなってしまう。
 そんなわけで昨年11月、晴明神社は「神を著しく冒涜するもの」として、「陰陽師グッズ」の境内持ち込むを禁止するとの立て看板を立てた。この神社側の措置はある程度霊力(?)があったようで、田島織物の陰陽師グッズは売上を3割減らしてしまったという。すると田島織物側は「営業権の妨害だ」として、昨年12月に妨害排除を求める仮処分申請を京都地裁に行うという「反撃」に出た。田島織物の社長は「神社に寄付もしてきたのに、こんな形で返されるとは思わなかった」と、「裏切られた」と言わんばかりだが、神社の方は「店側が晴明公の御神徳を冒涜し参拝者へ誤解を与えたという主張は変わらない」とのコメントをマスコミの取材に応えているそうで。

 本家の神社の霊力と陰陽師グッズの霊力とどっちが勝つか、部外者には高みの見物で面白いところである(笑)。



◆遠くなる金さん

 こんなタイトルだが、別に故・金正日の想い出話をするわけではない。もちろん遠山の金さんの話をしようというわけでもない(そういえば実在人物とフィクションとのギャップということではこの人も安倍晴明と似たようなもんだな)。主人公は「二宮金次郎」だ。毎日新聞で「二宮金次郎像:勤勉精神いまは昔、各地で撤去相次ぐ」という記事が元ネタ。

 知らない人も多そうなので「二宮金次郎像」について説明しておく。「二宮金次郎尊徳」なる人物は江戸時代後期に実在した農政家で、荒廃した農村の復興や天保の飢饉の際に農業指導をして多くの人を救ったことで知られる。といっても後世もっぱら有名になったのはその子供時代の「苦学」ぶりで、アルバイトでたきぎを背負って運びながら本を読んで勉学に励んだ、という逸話が明治以降に子供たちに勉強の理想像として喧伝され(そんな史実があるかどうかも怪しいそうだが)、全国の小学校にもれなくたきぎを背負って本を読む姿の「金次郎像」が建てられた。
 敗戦直後、占領軍が指示して全国の小学校の奉安殿(天皇・皇后の「御真影」と教育勅語を収めた)が取り壊されたが、このとき「どこの小学校にも変な少年の像がある」ことに気づき、「何者だ、これは。軍国主義教育と関係があるのか」とGHQで経歴を調べてみたら、なかなか立派な人物じゃないか、と感心した、という話を聞いたことがある(出典は未確認)。GHQにより金次郎像が「撤去された」というのは俗説なんだそうだが、戦前教育の象徴という側面も確かにあったので、各地で自主的に金次郎像の撤去が相次いだということはあるらしい。もっとも銅像タイプのものは戦時中に「軍事供出」で溶かされちゃったのも多いそうだが。

 で、戦後は一掃されたかに見えた金次郎像だが、毎日の記事によると案外そうでもなく、戦後にまた改めて「再建」される例も多かった。何を隠そう、僕が卒業した小学校がそうだった。僕の母校では校門からすぐのところにある池のほとりに昭和30年代に再建された金次郎像が立っていたのだ。今も立ってるはずだが、小学校本体の方が近々廃校になる予定(なにせ一学年が十名前後という状態なので…)で、金次郎君の運命もどうなることやら分かったものではない。
 僕の母校と同様学校そのものがなくなってしまうというケースは多いようだし、小学校そのものが存続しても古い金次郎像が壊れてしまい、修復する手間と金がかかるためやむなく撤去、ということも多いという。その毎日の記事では撤去してやむなく頭部だけ職員室前の戸棚に置いている、想像してみるとかなりホラーな話も紹介されていた(笑)。

 またやはり「戦前教育のイメージが強い」という声もあるそうだし、「児童労働」の姿ということも批判のタネになる。そして誰もが薄々思っていた『歩きながら本を読むのは危険』という保護者の声もあるとかで(効率が悪いとされる「ながら勉強」のルーツなんだよな)学校に置くにはふさわしくない、ってなことになるという。僕の母校の金次郎像も本を読んだままの姿勢で前に進むと前方にある池にボッチャン、という態勢になっていて小学校時代はよくネタにされていたものだ。
 携帯電話やスマートフォン、タブレットPCやらの普及で町中の大人や子供がみんな「金次郎状態」になってるのを見ると、案外日本人のDNAにしっかり刻みこまれてるのかもしれないな(笑)。



◆ こんなのが見つかることもある
 
 「発見」のニュースは史点ネタの一つの柱だが、さすがに「声」の発見というのはこれが初めてだと思う。しかも「鉄血宰相」ことビスマルクという世界史上の大物の「声」だ。ビスマルクと言えば19世紀の人間、そんな人物の声の録音が存在すること自体にも驚いたが、蝋管に記録するタイプの再生可能な蓄音機はエジソンによってすでに1877年に発明されていたのだった。
 1889年のパリ万博に蓄音機の宣伝に出かけたエジソンの助手が、ついでにドイツまで足を延ばし、ビスマルクの自宅で当時すでに歴史的人物になっていた彼の声を録音をしたとの記録は確認されていた。だが声を記録した蝋管(後年のディスク状のものではなく円筒に蝋を塗ったものに音を記録した)の所在が不明になっていたという。ところがこのたび、アメリカ・ニュージャージー州のエジソンの実験棟の中からその蝋管が発見され、ちゃんと再生された声もビスマルク本人のものと確認されたのだそうだ。

 残されていた音声は75秒という短いもの。当時ビスマルクは74歳で(1898年に死去する)、さすがにしわがれた声であったが、ドイツ語の歌と、なぜかフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」を歌っていたそうである。ビスマルクといえばフランス皇帝ナポレオン3世を謀略にひっかけて普仏戦争に持ち込んでこれを破り、パリを占領してベルサイユ宮殿でウィルヘルム1世の皇帝戴冠式を挙行して「ドイツ帝国」を作った張本人、フランスにしてみれば憎んでも余りある人物といっていいのだが、そんな彼が自身の声をよりによって「ラ・マルセイエーズ」(我が国への侵略者をぶち殺せ!といった趣旨の歌詞がある)で後世に伝えてしまうとは…ビスマルクもなんでまたこれを歌ったんだか。
 なお、現存する「日本人の最古の声」は1900年のパリ万博で蝋管蓄音機により録音された日本人たちのおしゃべりだそうである。確か乃木希典の声というのも残っていたはず。


 レオナルド=ダ・ヴィンチの名作「モナリザ」の最初期の、それもダ・ヴィンチ当人が生きているうちに彼のアトリエでオリジナル製作とほぼ同時に作られた「模写」が確認された、というニュースにも驚いた。
 この絵はスペイン・マドリードのプラド美術館が所蔵していたもので、「モナリザ」の模写・複製のたぐいは結構多いのでそれほど注目はされておらず、ずっと後の作であろうと見られていた(それでも1666年にはスペイン王室の所蔵品リストに入っていたという)。理由は不明だが18世紀に背景の部分が黒く塗りつぶされてしまっており、それを修復作業で取り除いてみたところ、オリジナルとよく似た山や川の風景が現れた。女性の肖像部分も汚れを落としてみたら、オリジナルより血色のいい若い美女が顔を見せてくれた。「もしや」と思い模写とオリジナルを詳細に比較し、描かれた板の素材やサイズがオリジナルとほぼ同じであることなどから、「レオナルド存命中に弟子が作ったもの」と断定されたという。描いた弟子はサライメルツィではないかと推測されている。
 ルーブル美術館にあるオリジナルの「モナリザ」はだいぶ傷んでいて、全体的に暗く、モナリザのお肌もひび割れて「不気味さ」を漂わせるほどになっている。ま、それが神秘性を増していい、ということになってもいるのでそのままになっている(「最後の晩餐」も修復したらずいぶんカラッと明るくなって印象が変わったもんな)。今度確認された模写がオリジナルとほぼ同時期に並んで製作されたものだとすると、ダ・ヴィンチが描いたものもこういう血色のいい女性だったことになり、オリジナルにある様々な謎にいろいろと検証が出来そうで楽しみだ。ひょっとしてこっちが実は「本物」で…なんてことはあるまいな(笑)。


 一方で「発見」とは逆に「間違いだった」と判明してしまったものもある。
 1月27日付の読売新聞記事によると、堺市教育委員会は「百舌鳥・古市古墳群」に含まれる堺市内の古墳「聖塚古墳」「舞台塚古墳」について、「中世以降に作られた塚であり古墳ではない」と結論を下したという。「百舌鳥・古市古墳群」は最大級の前方後円墳として知られる大仙(大山)古墳(宮内庁が「仁徳陵」と言い張っているもの)をはじめとする、4〜6世紀にかけて作られた大小47個の古墳を抱えるもので、現在「世界文化遺産」への登録を目指している最中だった。当然この二つの古墳は「遺産」候補から外されることになる。
 大阪府などは2007年に文化庁に世界遺産登録への提案を行い、2008年9月に世界遺産の国内暫定リストに追加された。ところが2009年度に堺市教育委員会が聖塚古墳を発掘してみたら「墳丘」の最下層から江戸時代の磁器が出土してしまい、古墳どころか「18世紀以降の築造の塚」と判明してしまっていた。舞台塚古墳のほうからも13世紀の土器が見つかってしまい、これまた鎌倉時代以降の築造と判断され、今回の結論に至ったそうである。
 百舌鳥古墳群はもともと100個あまりの古墳から構成されていたが戦後に開発が進んで半分以下に減ってしまっている。しかもそのうち二つが「古墳ではない」ことになっちゃったので、他のものについても改めて調査を進め、ユネスコへの世界遺産正式推薦までに絞り込む予定だとのこと。
 このニュースを見ていて思い出したのが、いしいひさいちの漫画で…。鎌倉時代に古墳に盗掘に入った貧乏男がミスして石棺の中に閉じ込められてしまう。そして現代に至って石棺の中から彼の骨が発見され、学者たちの手で「いかにも上級貴族か王族にふさわしい姿」に「再現」されてしまう、というオチのものだ。


 ところで前回も話題にした、座礁横転してしまったイタリアの豪華客船「コスタ・コンコルディア」だが、行方不明者15名ほどを残して捜索活動が打ち切られた。これからどうやって解体、回収するかということになるわけだが、少なくとも一年以上がかりの大作業になりそうだ。
 そのコスタ・コンコルディアの内部には絵画や骨董品が約6000点もあり、絵画の中には日本の浮世絵も含まれていたことが判明した。葛飾北斎が12点、喜多川歌麿が3点、東洲斎写楽が1点という内訳だそうである。これは浮世絵だけに水に浸かってたらアウトだろうなぁ…。他にも着のみ着のままで逃げた乗客が置いて行った貴重品や売店の貴金属品なども船の中に残されたままになっていて、これらを狙う「現代の盗掘者」たちの出現に警戒しているところだとのこと。これまた映画「タイタニック」みたいな話になってきたな。
 

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