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2012年4月16日

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◆今週の記事

◆ニンニンニン!

 四月バカ以来、いささか間を置いてしまったので鮮度が薄い話題になってしまったが、4月2日にイラン政府がCNNの「イランの暗殺者養成で女性数千人が忍者修行」を問題視して取材許可を停止した、との報道があった。一日ずれていたらそれこそ四月バカとしか思われなかったかもしれない。

 騒ぎのもととなったCNNの報道を僕は間接的ではあるが2月に見ていた。日本のテレビでも映像でその模様がチラッと紹介されていたはず。要するにイランの首都テヘランにどういうわけか「忍者道場」があり、日本帰りのイラン人が教官となっていて、女性たちがそこで訓練に励んでいる、という内容。もちろん暗殺者養成でもなんでもなく、中身は柔道や空手に武器使用がくっついたような、「ちょっと変わった武道」程度のものにしか見えず、参加している女性たちも単にスポーツとして(せいぜい護身術か)楽しんでいる、というものだ。
 これにCNNは「暗殺者養成」という見出しを打ってしまった。もちろん本気でそう思ったわけではなく、一種のジョークのつもりだったのだろう(欧米メディアでは割とまじめな媒体でも見出しや内容がジョークになってるケースは結構見かける)。イランと言えば近ごろ欧米から危険視されてる存在ではあるし、またかつてイランの方面に存在したとされる「暗殺教団」(「アサシン」の由来)のイメージを重ねたと思われる。それと記事中で「忍術」を習う女性が「何かあったら国を守るために習った術を使う」といった趣旨の言葉を発したこともこの見出しがついた一因のようだ。

 しかしイランにしてみればジョークにしてもそういう目で見られていること自体が頭に来たのだろう。だいたい最近のイランではむしろ敵対するイスラエルの方が「忍者部隊」を送りこんで暗殺作戦をホントにやってる気配だし。取材を受けた女性たちも名誉毀損としてCNNを提訴し、イラン文化省も「スポーツとして忍術を愛好する大学生や主婦をテロリスト呼ばわりした」と抗議、CNNも非を認めて「暗殺者」の文言をはずして「イランで3000人の女性が忍者修行」に修正したとのことだが、結局取材許可を一時停止にされた。

 それにしてもこの騒動、日本人にはそもそも「忍者道場」なるものが海外に存在し、スポーツとして親しまれている、ということの方にむしろ驚いてしまう。日本国内でそんなことやってる道場は見ないもんなぁ(どっかでやってるのはいるだろうけど)
 2年ほど前だと思うのだが、オーストラリアのシドニーで路上強盗があり、たまたま現場を通りかかった「忍者学校」に通う生徒たちが黒装束姿で(!)被害者のドイツ人留学生を救出した、という報道があった(探してみたらここにまだ残ってた)。これも見る限り忍者といってもやはり柔道や空手の延長上でやってるスポーツという感じなのだが、その記事では「忍者学校」の存在そのものには特に注目せず、さらっと流しているところをみると別に変なものとは思ってないらしい。どうも日本人が思っている以上に「忍者」は海外で独り歩きしてスポーツ的に実体化していってしまっているらしい。

 そういうスポーツ的なものとは別に、アメリカの小学校で「忍者がいる!」との目撃情報で学校がパニックになり、一時学校閉鎖になるという騒ぎが2008年に起こっている(これも記事が残っていた)。アメリカの子供たちの間では忍者は昔の日本どころか現代アメリカにも存在すると思われてるらしい。日本ではあまり公開されないが、あちらではショー=コスギやらニンジャ・タートルズやらで「ニンジャ映画」は一つのジャンルを形成していて、だいたい現代が舞台。
 そもそもさかのぼれば「007は二度死ぬ」では日本の特殊部隊は忍者軍団で姫路城で訓練に励んでいたし、バイオレンスの巨匠サム=ペキンパー監督までが「キラー・エリート」というアクション映画で現代に忍者軍団を登場させている(どんな映画かはこちらを参照)。現代が舞台ではないが「ラスト・サムライ」でも忍者が登場してしまい、日本人出演者たちがやめろと言っても聞いてもらえなかったそうだし。ニンジャはもはや世界の共有財産、日本人が逆においてけぼりをくってるんじゃなかろうか、という気もしてくる。

 こういう状況を知ってると、町おこしイベントで三重県伊賀市と滋賀県甲賀市が市長同士の手裏剣勝負したり、市議会に議員たちがカラフル忍者服姿で集まっている映像なんか、世界に配信されるとどう受け止められてるか怖いくらい(笑)。 
 その伊賀と甲賀だが、このたび忍者をモチーフにした原付バイク用「ご当地ナンバー」なんてものを共同製作したそうで。かつての忍者の里どうしが長年の敵対(?)と県境を越えて手を組んで製作したご当地ナンバーは端に手裏剣があしらわれ、左右を巻きもの風にしている。伊賀と甲賀の頭文字「い」「こ」がどこかに隠れてる、なんて遊びもあるそうで。



◆100万年前のバーベキュー

 「歴史映像名画座」にも入れているフランス映画「人類創世」(1981)は、まだ火の起こし方を知らない現生人類のある部族が後生大事に守っていた「火種」(恐らく山火事などの際に採ったのだろう)を失い、新たな火種を求めて若者たちが冒険をする物語。映画全編を創作された「原始語」とジェスチャーで展開する異例の映画で(もちろん字幕なんて出ない)、ネタばれになるが主人公たちは最後に文化の進んだ部族と出会い、彼らから自分で摩擦により火を起こす方法を教わることになる。

 道具の製作・使用と共に「人間らしさ」の例とされる「火の使用」。これがいつから始まったのかについては諸説あり、明確ではない。なにしろ相手が「火」だけに痕跡が残りにくい。また、残ったところでそれが自然発火による痕跡である可能性が捨てきれず人間の利用と断定できない場合が多い。
 これまでのところ火の利用は数十万年前の「原人」、ホモ・エレクトゥスの段階までさかのぼれるとみるのが通説だ。有名な北京原人の遺跡には火の利用の痕跡があり、これがおよそ40万年〜70万年前ぐらいの幅で見積もられている。もっとも古いと見られているのがイスラエルのゲシャ―遺跡で、一番古く見ておよそ79万年前とされる火による調理の跡とされるものが発見されている。しかもこのケースでは火打石とみられるものまで見つかっていて、自然発火のものを取って来るのではなく自身で火を起こしていた可能性もあるという。しかしこの手の話はなかなか断定できず、否定的意見もあるようだ。

 4月3日に火の利用最古記録をさらにさかのぼらせる発見が報じられた。南アフリカのカラハリ砂漠南端に近いワンダーワーク洞窟の中のおよそ100万年前の地層から炭化した植物や焦げた痕跡のある動物の骨などが出土したというのだ。同じ地層からは石器も発見されていて、洞窟の中に自然発火の火や外部で燃えたもの自然に入って来るのは難しいとみられることから「人間による火の利用」の可能性が高い、と判断されたわけだ。
 これまでにも同じくらい古い地層から焼けた魚などの骨が見つかったケースはあって人間によるものとの見方もあったが、自然の火による説明もできるため断定はされていなかった。今回は当時人間が住みかにしていた洞窟内で見つかったこともあり、より確実性が高いと見ているようだ。これが実際に原人によるものとすると、彼らがこの世に現れた190万年前まで火の利用はさかのぼれるかもしれない、とのこと。
 火で動植物を調理することで食べられるものが増えた上に高い栄養が取りやすくなり、それが結果的に人間の脳の発達をうながしたかも、という仮説もあるそうで。せいぜいまめに焼き肉を食べに行くことにしよう(笑)。


 100万年から一気に1万年前と「つい最近」の話に飛んでしまうが、4月6日にイギリスのBBCが「シベリアで見つかったマンモスの遺体に人間が解体作業した痕跡が見つかった」というニュースを報じている。僕はそれをCNN日本語版サイトの記事で見た。
 見つかったのは2〜3歳と推定されるマンモス。シベリアではマンモスの氷漬け遺体がよく発見されるが、シベリアの凍土という天然冷蔵庫のおかげで保存状態はかなりいいという。マンモスの牙をご禁制の象牙の代わりに掘る、なんて話もあったっけ。そのマンモスには肉食動物に襲われたと見られる傷があるそうだが、体内の臓器や脊椎骨、肋骨と周辺の筋肉、そして足の上部の肉がなくなっていて、それは人間の手によるものと考えられるという。
 マンモス絶滅の原因に「人間による乱獲」が挙げられているのだが(否定的意見もある)、今度の発見をした研究者は「クローン作製によるマンモス復活」を目指してもいるのだそうで。あの「ジュラシック・パーク」と同じ発想で、恐竜よりは実現度が高いと見られてはいるのだが、それは人間の罪滅ぼしと言えるのかどうか。「ジュラシック・パーク」では生物としての天寿を全うした恐竜を復活させるのは生命に対する冒涜だ、みたいなセリフがあったものだが。



◆オチオチ永眠できない?

 タイタニック沈没百周年だそうである。そのタイタニックと同じ航路を行くツアーなんてものまで企画され、当然沈没現場で氷山に激突する演出がつくものだと思ったらさすがにそれはないそうで。しかしそこへ行く途中で急病人が出ていったんUターンするアクシデントも起きている。
 ジェームズ=キャメロンの大ヒット映画に限らず(そういや3D版が公開されてますな)、沈没以来タイタニックは延々と根強い人気がある。巨大客船が処女航海でいきなり事故で沈没、とあっさりまとめてしまうとブザマな話でもあるのだが、その劇的な展開と自己犠牲をまじえた悲劇、第一次大戦前の「古き良き時代」へのノスタルジーとがあいまって関心を呼んでしまうのだろう。
 そのキャメロンの映画では冒頭でタイタニックの残骸を水中探査し、お宝を掘りあてようとする人々が描かれる。公開時に劇場で立ち見しながら(とにかくすごい観客数で席がなく、立ち見も大勢いたのだ)「それって盗掘じゃないでしょうか」と思ったものだ。もちろん映画としてはそういう行為を批判する方向に持って行くんだけど。こういう沈没船のお宝をめぐってはその所有権をめぐって紛争になることもあり、2008年に大西洋の公海に沈んでいた19世紀の沈没船から引き上げられた金貨銀貨などの財宝をめぐって発見したアメリカの探査会社と船の母国のスペイン、銀貨の鋳造元のペルーとで争いになった例がある。

 タイタニックも沈没地点は公海なので実際にお宝の引き上げをした場合はいろいろと問題が起こる可能性もある。余談ながらフランス・カナダ合作のTVアニメシリーズ「アルセーヌ・ルパン」ではルパンが少年時代にタイタニックに乗り合わせた設定になっていて(ルブラン原作はほとんど使わず、時代設定も30年ほどずらしたアニメなのだ)、大人になったルパンがタイタニックから思い出の品を水中探査で引き上げようとする話がある。
 まぁそんなわけで、沈没百周年を機にユネスコはタイタニックの残骸について「水中文化遺産の保護に関する条約」の対象とする、と発表した。要するに世界遺産条約の水中版で、今後はタイタニックはこの条約によって人類の遺産として保護され、その残骸に対する略奪や破壊・売却について条約加盟国が非合法とすることができるようになる。これでタイタニックとその犠牲者たちも安らかに永眠できる…のかな?


 ガンディーといえば説明不要、「非暴力不服従」のインド独立の指導者。非暴力を貫いた彼だったが彼自身は狂信的なヒンドゥー教徒の暴力により暗殺された。アカデミー賞もとった映画「ガンジー」では映画の冒頭とラストでそのシーンが再現されている。
 そのガンディー暗殺現場から採取されたという「血のついた土や草」なるものがイギリスで競売にかけられる、とのニュースがあった。ホントかよ、と思っちゃう話で、実際疑念の声もあるそうだが、予想ではその土や草だけでも1万〜1万5000ポンド(約130万〜197万円)で落札されそうだ、とのこと。他にガンディーの眼鏡や手紙もついて、合計すると10万ポンド(1300万円)になる可能性もあるという。
 当然ながらガンディーの遺族は不快感を示していて、お孫さんが「祖父は限らないものしか持たない主義だった。競売にかけられるのは皮肉だ」とインタビューに答えたという。ガンディーの遺品が競売にかけられた例は2009年にもあり、このときもインドで反発があって結局インド人実業家が落札してインドに取り戻したのだが、今度はどうなりますか。マハトマの霊もおちおち永眠できません。


 先ごろナチス幹部ルドルフ=ヘスの墓がネオナチの「聖地」になってるっていうんで撤去された、という話があった。そして今度はヒトラーの両親の墓が撤去された、という報道があった。
 ヒトラーと言えばドイツの総統だが、もともと出身はオーストリア。彼の両親は税関吏をしていたアロイスクララだ。ヒトラーが独裁者としてドイツとヨーロッパをひっかきまわしたのは両親も死んだ後のことだし、息子のしたことに両親が責任を問われる必要もあるまいとは思うのだが、現実問題として両親の墓がネオナチの「聖地」となり、巡礼者が出てしまっているらしいのだ。ヒトラーの墓もないからその代わりに、ということなんだろうけど。戦後60年以上も経って何を今さら、と思うのだが、昨年には彼らの墓にナチス親衛隊のマークの入った花瓶が供えられたという事件があり、反ファシズム団体が墓の撤去を求めるようになったという。ヘスのことも含めて最近になってそういう動きが出ているというのは気になるところではある。
 それにしてもヒトラーの両親もオチオチ永眠できない。本当に人間なんて「はかない」ね、なんてオチで。


 先の大戦関係者ということでは、マッカーサーもオチオチ安眠できない。このたび東京都教育委員会が日本史必修を定め、その副読本として「江戸から東京へ」と題するものを作ったのだが(全文PDFはこちらで読めます)、この副読本について産経新聞が【「日本は自衛戦争」マッカーサー証言 都立高教材に掲載 贖罪史観に一石】と見出しのついた記事を3月30日付で掲載、同社で出してる右翼雑誌「正論」でもこの件を「衝撃」とまで題して座談会記事を載せ、えらくはしゃいでいたりする。
 これ、もうかれこれ5年くらい前からこの方面の人たちが「発見」して勝手にはしゃいでいるもので、マッカーサーが1951年にアメリカ議会で「日本は経済封鎖で追いつめられ“自衛”のために戦争をした」という趣旨の証言をした、というお話。常識的に考えて太平洋戦争の対日総司令官の立場であったマッカーサーが日本を弁護する証言をアメリカ議会でするわけはなく、仮にしたとしたらあちらでもヤリ玉に挙げられるはず。この「証言」、実際には朝鮮戦争末期に中国を経済封鎖しようという話の流れの中でちょこっと出てくるものでマッカーサーが「日本は自衛のため開戦」と主張してるようには素直に読む限りとても読みとれない(この件については原文を検証したこちらのブログが参考になるかと)。なぜか「敵の大将」の発言をありがたがる、という日本右翼連中の卑屈さが改めてうかがえる事例ではある。

 で、くだんの副読本ではどうなっているのかPDFで読んでみると、問題の部分は125ページの「ハル=ノートとマッカーサー証言」と題する短いコラムの後半にある。

 「また、連合国軍最高司令官であったマッカーサーは、戦後のアメリカ議会において、日本が開戦したことについて「in going to war was largely dictated bysecurty.」と証言しており、この戦争を日本が安全上の必要に迫られて起こしたととらえる意見もある」
 
 あれだけはしゃいでいたのは、たったこれだけの文章である。肝心の部分を唐突に英語原文のままにしたのは明らかに「逃げ」。そしてその解釈について「意見もある」とまとめることでさらに逃げている。この論法なら「アポロ11号月面着陸はトリック撮影による捏造との意見もある」「竹内文書により天皇家は太古地球全体を支配していたという意見もある」という記述も教材に載せられますわな(笑)。実のところ載せたがってる連中が強引に割り込ませたんだろうけど、ツッコミを恐れて(あるいはアメリカで騒がれるのを恐れて)逃げを打たざるを得なかった、ということであろう。こんなのを「一石」などと大喧伝しているんだからおめでたい人たちではある。
 
 それとこのコラムの前半には、「ハル=ノートの原案を作成した財務省特別補佐官のハリー=ホワイトはソ連のスパイの疑いがあるとして非米活動委員会に出席しており、作成に関してソ連が関わっていたとする意見もある」との記述がある。これまたそちら方面では人気のある説だが(アメリカには卑屈なので「アメリカと戦争させられた」と考えると好都合なのである)、これとてなんでもかんでもソ連のせいにすりゃいいという「コミンテルン陰謀論」の一環で、先年の田母神俊雄氏の論文でも「張作霖爆殺はコミンテルン説」として見られた。「日本はそれらの陰謀により戦争に巻き込まれた」と言いたいのだが、同時に「聖戦を戦ってアジアを解放した」とか言うからワケが分からない。このコミンテルン陰謀論を全部信じるとそれに乗せられた当時の日本政府や軍部、アメリカ政府がただのバカにしか見えず、もしかして彼らのよくいう「自虐史観」ってそのことか、とツッコんでしまうのだが、彼らの中では一貫性があるらしいのだ。それでいてこれまた「意見もある」と逃げを打ってるところに彼らの小心さと卑屈さが垣間見える、という意見もある(爆)。
 まぁ副読本なり教科書なりにちょこっと書いた程度で生徒を洗脳できるぐらいなら、そもそも戦後教育のもとでこんな脳味噌の人たち出てこないよな、という話ではある。



◆587年目で初上演
 
 自サイト宣伝になってしまうが、当サイトには「室町太平記」という「仮想大河ドラマ」のコーナーがある。細川頼之足利義満を主人公に南北朝時代後半戦を描いたもので、その「解説役」を同時代人の世阿弥が担当する形になっている。お察しの方もおられるだろうが、これは本物の大河の「八代将軍吉宗」近松門左衛門(演:江守徹)が解説役を務めた例にならったものだ。彼にウルトラマンや仮面ライダー、はてはシャア少佐やらダースベーダーまで、いろんなお面をつけさせて遊んでしまいましたが(笑)。

 世阿弥という人物について説明の要はないかもしれないが、軽く。彼の父親観阿弥は「大和猿楽」を芸術に高めたとされる人物で、その息子である世阿弥は十二、三歳のころから舞台に上がり、その美少年ぶりが大評判となった。ときの将軍足利義満は世阿弥を寵愛して彼ら父子のパトロンとなり、その庇護のもとで上流階級や知識人層にも受け入れられる高尚芸術としての「能楽」を世阿弥は完成させてゆく。彼は多くの能楽脚本を著したほか、『風姿花伝』などの芸道書、息子の聞き書きとして能楽誕生の秘史を語った『申楽談義』など多くの著作も残している。

 その世阿弥の書いた能楽脚本(謡曲)に「阿古屋松(あこやのまつ)」というのがあるそうで。ときは平安時代、歌人として名高い藤原実方(清少納言とつきあってたとか、光源氏のモデル説があると聞けば時代がつかめよう)が陸奥国に左遷される。ここで陸奥国の歌枕と聞いていた「阿古屋の松」を訪ねようと実方は考えたが、それがどこにあるのか見つからない。すると一人の老人が「阿古屋の松は今の出羽国にあります。かつては陸奥国の一部だったもんで」と説明する(陸奥から出羽が分離されたのは712年とえらい古い話である)、とまぁそういう話であるらしく、「平家物語」にも引用されるなど鎌倉時代にはよく知られたらしいお話を素材にしている。世阿弥の能のオリジナリティはこの説明・案内役の老人が実は塩竃明神の化身であった、とするところであるらしい。

 ところがこの能、あの世阿弥の作品でありながらこれが初上演らしいというから驚き。観阿弥・世阿弥の流れをくむ観世宗家には応永32年(1425年。なお「応永」は一世一元制以前では最長の年号で35年まである)の世阿弥自筆本が伝わっているというからこれまた凄いことだが、どういうわけかこの世阿弥直筆の作品は上演された記録が全くないという。何か支障があったものと見られるが報道ではよく分からない。とにかく京都観世会によりその「復活」が計画されたのは来年が世阿弥生誕650年に当たるのでその記念に、というきっかけだったそうで、2年がかりで研究したそうだから、自筆本だけでは能としてどう演じるべきなのか不明なところがあったのかもしれない。

 それにしても1425年に完成していたとして、実に587年目にしての初上演とは…晩年にかけて不運が多かった世阿弥だが、ボツ脚本がこうして陽の目を見たことに草葉の陰で喜んでるかもしれない。喜びのあまり幽霊役で舞台上に化けて出るかもしれませんな(笑)。


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