ニュースな
2012年6月25日

<<<<前回の記事
次回の記事>>>


◆今週の記事

◆余の辞書に不可能という文字はない

 「そりゃ、フランス語辞書に漢字は載ってないって」というツッコミが古来からある。もっともナポレオンが発したことになっているこの有名なセリフも、本来は「不可能という言葉はフランス的でない("Impossible, n'est pas franç ais.")」でないというもので、そのセリフだって実際に発したかはかなり怪しい。ちなみに冒頭のツッコミをフランス語訳すると「不可能はフランス語ではない("Fukanou,n'est pas franç ais.")」となるんじゃないかな(笑)。
 ところでナポレオンは地中海のコルシカ島の生まれで、この島がフランス領となったのもナポレオンが生まれたころの話。それもあってナポレオンは陸軍幼年学校での少年時代、そのコルシカなまりをからかわれていて、大人になってからもなかなかぬけなかったと言われている。フランスの皇帝となり世界史的にももっとも有名なフランス人といえる彼だが、実はフランス語が苦手だった、ということにもなる。

 さて、一時はヨーロッパを制覇したナポレオンもワーテルローの戦いに敗れ、1815年10月に大西洋の孤島セント・ヘレナに島流しとなり、そこで1821年5月に一生を終えている。そのナポレオンがセントヘレナで書いた英語の手紙がこのたび競売にかけられ、パリの博物館により32万5000ユーロ(およそ3200万円…最近ユーロ安だからなぁ)で落札されている。
 なんでナポレオンが英語の手紙を?と思っちゃうところだが、この手紙はセントヘレナに流されてから間もない1816年3月9日付で、一緒に島流しになったラス=カーズ伯爵にあてたもの。この当時ナポレオンはヒマつぶしもかねてなのか、自分を幽閉したイギリスに対するあてつけなのか、はたまた奇跡の復活を期していたのか、英語の勉強に取り組んでおり、ラス=カーズ伯爵がその教師役をつとめていたのだった。今度競売にかけられた手紙もラス=カーズ伯爵の添削がくわえられているという。

 手紙の内容については公表されていないが、「now(今)」のつづりがなぜか「enow」になっているとか、二重の意味をもつ単語の使い方を数カ所間違っているといったミスはあるという。しかし競売会社では「現代フランス人で英語を学ぶ人の方がより多くの間違いをするだろう」とコメントしており、まずまず優秀な学習ぶりであるようだ。それにしても晩年のナポレオンが一生懸命英語の勉強をしている姿を想像すると、なんだか親近感がわいてしまうではないか。

 ところでナポレオンとは同時代人である、アメリカ初代大統領ジョージ=ワシントンのほうも、ゆかりの品物が競売にかけられていた。それはワシントン自身が所有していた、1789年の第1回連邦議会の記録をまとめた本で、アメリカ合衆国憲法の条文や憲法修正案などが含まれている。彼自身が大統領に就任した年に製本されたものでもあり、それだけでも歴史的価値が十分にあるが、余白にワシントン自身の署名など走り書きがあるのが注目点。なんでもワシントンが蔵書に走り書きをするのは珍しいことなんだそうな。大統領になったんだし、ちゃんと法令の勉強をしておかないと、とこちらも思っていたのかもしれない。
 6月22日にニューヨークで行われた競売の結果、この本は982万6500ドル(約7億9000万円)で落札された。落札したのはワシントン旧宅を記念館にして運営している非営利団体だそうで、アメリカ国内の文書・書籍類の落札額としては史上最高額だとのこと。



◆「彼ら」も絵を描いた?

 これまでにも何度か書いてることだが、「絵」というものが描けるのは現生人類だけだと言われている。我々現生人類は2、3歳ぐらいから何か書く物を与えると初歩的な絵を描き始める。幼児の場合その技術こそつたないが、目で見たものを二次元的かつ抽象的に変換・再現するという作業は大人の画家と基本的に変わらず、相当に特殊な能力なのだ。
 アフリカから出て世界中に広がった現生人類は行き先々で洞窟や断崖などに「絵」を残しており、ほとんど彼らの本能なんじゃないかと思えるほどだ。現代でも世界の町中で壁や塀に落書きが目につくのももしかするとそういう「本能」の発露なのかもしれない。じゃあなんでそんな能力を持つようになったのか、という話は大問題になるのだが、ともかく現生人類以前にさまざまな人類がいたけれども「絵」を描いたものは一つもなく、現生人類の特殊能力と見るのが通説だった。現生人類以前に世界に広がり、かなり抽象的・宗教的な思考が出来たのではないかと言われていたネアンデルタール人も絵は残しておらず、一つの仮説として、現生人類はネアンデルタール人よりも体格的に「ひよわ」だったが、洞窟に動物の絵を描いてそれに槍を投げて自らを鼓舞するなど精神的なフォローをすることでネアンデルタール人に「勝った」のではないか、という話も興味深く聞いたことがある。

 それだけに、「ネアンデルタール人も絵を描いた?」という報道にはひっくり返った。
 なんでもイギリスのブリストル大学などヨーロッパ各国の研究者グループが、スペインの洞窟壁画11カ所合計50点について、壁画を覆う炭酸カルシウムの堆積物を「ウラン・トリウム年代測定」なる新手法を使って年代測定をし直したのだそうだ。するとこれまで予想されていたよりも数千〜一万年ほど「古い」という結果が出たのだそうだ。
 もっとも古いものでエルカスティーヨ洞窟にある赤い円盤状の壁画は4万800年前、同じ洞窟にある手に塗料を吹き付けた「手形」の壁画は3万7300年前といった結果が出たという。4万年を超す壁画はヨーロッパ最古で、ここで問題になるのが現生人類のヨーロッパへの到達時期だ。今のところ古く見積もって4万2000〜4万1000年ぐらいに初めて到達したと見られている。エルカスティーヨの壁画は一応それ以後ということになるがかなりギリギリでもあり、現在のスペインあたりまで現生人類が来ていたかは微妙。そのため研究グループは「この壁画はネアンデルタール人の手による可能性あり」と指摘するのだ。

 まぁどうもこの研究グループはもともと「ネアンデルタール人も絵を描いた」という説を唱えており、今回の結果はそれを裏付けるものだと説明しているそうだから、もともとそういう結果を導き出そうとして調査しているようなのでいきなりうのみにしない方がよさそうではある。ただ、近年ネアンデルタール人と現生人類が「混血」していたという説も出てきており、能力についてもそう差はなかったのではないか、と考えることはできる。埋葬など宗教的観念もあったという説もあるネアンデルタール人だけに、初歩的な絵ぐらい描いちゃったのかもしれない。
 どっかにネアンデルタール人と現生人類の「出会い」の場面でも壁画に描いてあったりするといいんだけどねぇ。



◆陸軍忍者学校

 「陸軍中野学校」という名前を聞いたことがあるだろうか。知る人ぞ知る、実在した日本におけるスパイ活動養成学校で、かつて大映で市川雷蔵主演で同名の映画も制作されている。僕もこの映画で存在を知ったクチなのだが、この大映「陸軍中野学校」シリーズは1作目はスパイに養成されてゆく主人公が人間性を喪失してゆく過程がかなり怖い、なかなか硬派な反戦テーマもこめた作品だったのだが、一発当たるととことんシリーズ化しちゃう映画会社の本能から2作目以降は「007」を思わせるスパイ大作戦ものに模様替えしてしまった。なお、安永航一郎の漫画「陸軍中野予備校」はもちろんこの映画のタイトルをパロったものであり、こちらを先に読んで元ネタをあとから知った人も多いと思う。

 この「陸軍中野学校」、すでに日中戦争が泥沼化していた1938年に「防諜研究所」の名前で開校しており、意外と遅い観がある(正式に「中野学校」になったのは1940年)。日本軍が体質的に諜報活動だの謀略だのを異端視あるいは軽視したのも確かだが、日清・日露の昔からその手の事をやってなかったわけではない。ただ専門の「養成機関」を作るのにはいささか躊躇があったのかもしれない。太平洋戦争が始まると純粋なスパイ養成に加えてゲリラ戦の教育も行われ、戦後もフィリピンの山中にこもって「抵抗」を続け、1974年にようやく投降・帰国した小野田寛郎氏もここで養成されている。

 さてこの中野学校、スパイ養成学校だけに入校者も周囲にその事実を明かせず、授業内容も極秘とされ、敗戦間際には証拠隠滅のため関係資料も焼却された。戦後になっていくらか関係者の証言も出て明らかになった部分もあるが(前述の映画もそういったノンフィクションを下敷きにしている)、やはり謎の部分は多い。
 6月18日付の読売新聞記事によると、このたび山本武利・早稲田大名誉教授(情報史)がアジア歴史資料センターが公開した防衛省防衛研究所の資料の中から、陸軍中野学校第1期生に関する陸軍大臣への「卒業報告書」を発見したという。この報告書により、この学校の第1期生がどのような教育を受けていたかが初めて判明した。「爆破実習」なんてまさに007みたいに派手なのがあるかと思えば「写真技術」なんて地味ながらも実用的なものもあったという。
 そして注目は、それらにまぎれて「忍術」というカリキュラムがあったという事実だ。記事からはどういう忍術なのか分からなかったし、恐らく報告書にも詳しくは書いてはいないのだろう。忍術といってもまさか手裏剣を飛ばしたり水蜘蛛で水面を渡ったりなんてマンガみたいなことをしていたとは思えず、恐らく実際の忍者に近いスパイ活動、変装術や情報伝達技術などが教えられたのではあるまいか。

 しかしまぁ、こんな話が出てくると、「007は二度死ぬ」に出てくる日本の特殊部隊=忍者軍団というのも、あながち妄想ではなかったな、という気もしてくる(海外報道されたら確実にそうとられるな)。なお、市川雷蔵はリアル系忍者のはしりというべき「忍びの者」シリーズでヒットを飛ばし、その勢いで「現代の忍者もの」ということで「陸軍中野学校」が製作されたという話なので、実はしっかりつながりがあったということになりそう。



◆とかく宗教はややこしい。
 
 昨年の大晦日に平田信が出頭し、世間を驚かせたが、今年6月に入ってからまず菊池直子、さらに高橋克也も逮捕されて17年間ずっと指名手配の顔写真でおなじみになっていた3人が全員つかまることになった。それにしても予想似顔絵の似てなかったこと…。その直前の5月にはNHKで「未解決事件」シリーズ第2弾として「オウム真理教事件」がドラマこみでとりあげられていたし、なんだか今年前半はオウムイヤーの様相を呈してしまった。
 それにしても17年である。僕が日ごろ相手にしている中学生たちがまだ生まれる前の話だ。生徒たちもこのところのにわかな動きにこの事件について関心も持った様子だし、どこぞの中学校では定期テストの時事問題でこの話題をとりあげ、選択肢に他の実在する宗教団体の名前を挙げてしまったため抗議を受けるなんて事件もあった(時事問題予想は僕も塾でやるんだけど、オウムネタは出ないとふんでいた)。また一方でオウム事件の風化も進み、事件当時を知らない若者でオウム後継団体に入信する者が増加傾向にあるといった報道もある。
 てな枕から、洋の東西の宗教関連ニュースをまとめてみた。

  
 やや前の話になるのだが、京都伏見区の西岸寺(浄土真宗本願寺派)玉日姫のものと伝わる墓の発掘調査を4月に行ったところ、人骨と骨壺が見つかったと同寺が6月8日に発表している。「玉日姫」って誰だっけ?というと、浄土真宗の開祖・親鸞の妻と伝わる女性なのだ。
 親鸞は僧侶ながら正式に結婚し、その子孫が浄土真宗教団の指導者となったことはよく知られる。しかし実は親鸞の妻になった女性がどういう人だったのかははっきりしていない。本人が晩年に娘にあてた書状が残っていることから恵信尼という尼さんが妻になっていたことは確実なのだが、一方で公家・九条兼実の娘とされる玉日姫が親鸞と結婚した、とする伝承もあった。そこで2度結婚したという説や、玉日姫が出家して恵信尼になったという説など、あれこれ出ているのだが決定打はない。で、今回の調査はその玉日姫の墓と伝わるものを調べたわけで、とりあえず実際に骨は出た、ということ。もちろんその骨が玉日姫のものだという証拠はないが。
 
 次も仏教の話題。
 お隣韓国は新羅・高麗時代は仏教国だったが、朝鮮王朝時代になってから朱子学が重んじられ、仏教は弾圧されてマイノリティーに追い込まれた歴史がある(最近の韓国大河ドラマ「大王世宗」でもちょこっとそんな事情が描かれた)。そのため朝鮮王朝時代には仏教徒はいわば被差別民みたいになり、寺も坊主もかなりガラの悪いところになっていたらしい、という話を大学時代に朝鮮近代史ゼミで聞いていた。近代以後の韓国はカトリックが多数派になってしまい、仏教というと元大統領が謹慎して山寺にこもったりするのをニュース映像で見るぐらいで、今はガラについてはどうなのかな、と思ってはいた。そしたらやっぱりガラが悪いらしい、というニュースが報じられた。
 韓国の仏教界で最大の宗派は曹渓宗なのだが、その曹渓宗の僧侶たちが喫煙・飲酒・賭博に興じている様子を隠し撮りしたものが先月暴露されて騒ぎになっていたという。曹渓宗トップは公式声明を出して僧侶たちに今後は禁欲と精進に励むようにと戒め、同時に寺の組織的な管理が欠如していてそのために派閥抗争もおさえられないとして(そういえば坊さん同士の乱闘映像を以前TVで見たことがあったような)、寺などの財務管理業務を外部の専門家に任せると発表している。
 最大宗派って、どのくらい信徒がいるんだと思ったら、曹渓宗の発表によると韓国全人口の2割を占めるという。うーん、ちと感覚的には信じられない数字だが…。それにしてもこの御乱行ぶりは、なんだか中世の比叡山の実態を連想してしまうな。

 お次は遺骨の話題。ただしキリスト教の話である。ニュース元はナショナル・ジオグラフィック・ニュースの6月20日付。
 東欧はブルガリアの黒海沿岸に浮かぶ島「スベティ・イヴァン」(ブルガリア語で「聖ヨハネ」)にある教会の遺跡の祭壇の下から小さな大理石の石棺が掘り出されたのは2010年のこと。その中には右手の指関節、歯、頭蓋骨の一部、肋骨、前腕の尺骨といった人骨が納められていた。その指関節の骨に含まれるコラーゲンのDNA鑑定および放射性炭素測定から、この人骨の主は「紀元1世紀に中東で生きていた人物」の可能性が高いと分かったという。するともしかして、その島の名前の通り、「聖ヨハネ」の骨なのでは?という話題だ。
 ヨハネという名前は当時のユダヤ人の間ではありふれた名前だったようで新約聖書に同名の人が何人も出てくるが、ここでいう「聖ヨハネ」とはイエスの親戚でイエスより先に宗教活動を始めた「バプテスマのヨハネ」、イエスに洗礼をしてやったことで「洗礼者ヨハネ」と呼ばれる人のことだ。ユダヤ属州の領主ヘロデによって処刑されたが、ヘロデの娘(妻の連れ後)サロメがヨハネの首を所望したから、というのも有名な話。ヨハネの名前はジョン、ジャン、ヨハン、ヤンとヨーロッパ中でありふれた名前になってしまったが、ブルガリアやロシアではこれが「イヴァン」となる。だからもしかしてもしかすると、という話にはなる。
 当たり前だがヨハネ個人の骨を特定できるはずはない。この教会は5世紀に建てられたと見られるそうで、それに先立つ3〜4世紀に「ヨハネの遺骨」なるものが聖遺物として各地の教会に納められたという記録はあり、これもその一例ではないかと見られる。骨が実際に「1世紀の中東人」ということになると、パレスチナ地方で「ヨハネの墓」と称するものを掘りだして聖遺物にしたという想像もできる。お釈迦様の骨「仏舎利」なんかと同じ話で、出所が少々怪しい骨を分配するブローカーみたいのがいたんじゃないかと。実際、その骨が入っていた棺には羊・牛・馬の骨まで混じっていて、骨の「水増し」をしていた形跡があるそうだ。
 なお、この骨が発見されて話題となってから、肋骨が何者かによって盗まれてしまったという。地元の教会の主教は「これを盗んだ者ばかりでなく、その家族、これについて知っている者、さらにはそれが持ち込まれた村にも、神から地獄と呪いが降り注ぐであろう」などという恐ろしげな布告を出したそうだが、キリスト教ってそういう宗教だったっけ?

 さてお次はヨハネとイエスの故郷、イスラエルとユダヤ教の話題。
 イスラエルのエルサレムにある「ホロコースト記念館」に、「ホロコーストを引き起こしたヒトラーに感謝する」「ヒトラーがいたからこそ、 国連によってイスラエルがつくられた」などというヘブライ語の落書きが見つかった。反ユダヤ団体か、イスラム系の人が書いたのかな、と思うところだが、「世界超正統派ユダヤ教徒」という「署名」が記されていたことが注目を集めた。
 僕もこのニュースで初めて知ったのだが、ユダヤ教徒の中の極端な原理主義者、「超正統派」と呼ばれる人々はイスラエルの建国を人為的なものとして批判し、イスラエルの正統性を認めないのだそうだ。古代イスラエル王国が滅亡したのは紀元前8世紀、そこから分裂したユダ王国が滅亡したのは紀元前6世紀のことで、バビロン捕囚など苦難の歴史のなかでイスラエルの人々は「いずれ救世主(メシア)が現れてイスラエルを復活させる」という思想が生まれた。これが今日にいたる「ユダヤ教」のルーツとなり、イエスをメシアとみなすのがキリスト教ということになるのだが、ユダヤ教ではまだメシアは現れていないことになる。
 近代以後の歴史的経緯の中で、パレスチナにユダヤ人国家を作ろうという「シオニズム運動」が起こり、第二次大戦後にそれがイスラエル建国として実現するのだが、ユダヤ教超正統派の中には「メシアも現れてないし、神の意志に背く人為的なものだ」とシオニズムとイスラエル建国を強烈に批判する人もいた。決して多数派ではないがイスラエル内外に存在するのも確かで、今回の落書きの犯人も彼らのような人の可能性があるとされたのだ。もっともそんな彼らでもヒトラーやホロコーストを賞賛するのはヘン、との指摘もあり(超正統派の中にはホロコーストはシオニズムが仕掛けたものという陰謀論主張まであるらしい)、全く無関係の犯人によるイタズラの可能性もあると言われている。


2012/6/25の記事

<<<<前回の記事
次回の記事>>>

史激的な物見櫓のトップに戻る