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2012年7月22日

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◆今週の記事

◆土器ッとする話

 世界で一番古い土器は日本で見つかっている――という話はずいぶん前から聞いていた。青森県の大平山元1遺跡で見つかった土器片でおよそ1万6000年前と鑑定されたものがあったのだ。発見当時、世界で見つかった土器の中でもずば抜けて古かったため、当時の日本で独自に土器が発明されたのではないかとの推測もあった。さらに一歩進むとこの話と三内丸山遺跡などを組み合わせて「世界最古の縄文文明」という妄想をブチあげるような人たちまで出て来たのだが、実のところ「よそでも探せばもっと古いのが出るだろう」という予測も多かった。日本の東北や北海道で見つかる土器や石器にはシベリア方面で見つかるものとの共通性があることも指摘されていたし、そもそも日本は狭い国土でやたらに開発が進んでいるために遺跡の発掘調査が他国に比べて非常に濃い密度で行われていて発見例がずば抜けて多いという事情もある。

 そんなわけでこのたび中国の江西省の仙人洞遺跡から、およそ2万年前のものと推定される、現時点で世界最古のものとなりそうな土器が発見された、というニュースそのものにはそれほど意外性はなかった。ただこれまでの最古記録を一気に数千年さかのぼらせてしまうことにはちょっと驚いたけど。またこのニュースに関連して、すでに「世界最古の土器」記録はとうの昔に同じく中国の玉蟾岩遺跡で発見された推定1万8000年前の土器によって塗り替えられていたことも知った。

 今回「サイエンス」誌に発表された仙人洞遺跡の調査は2009年から中国・アメリカの研究チームによって進められていたもの。この洞窟に旧石器時代の遺跡があること、また土器が出土することは1960年代以来知られていたそうだが、今回本格的な調査をして280点以上の土器片を発見、それらの土器片について同じ地層から出た動物の骨や炭などの放射性炭素年代測定などにより一部のものが1.9万〜2万年ほど前のものと推定されたという。
 2万年前、ということになると、まだ最後の氷河期は終わっていない。このころ現生人類はすでにアフリカから世界中に広がっていたが、文明段階にはまだまだ。この氷河期が約1万年前に終わってからようやく農耕・牧畜が開始され、文明発生への準備が始まるのだ。今回発表された土器が本当に2万年前のものだとすると、中国での農耕開始より1万年も早い話ということになる。

 注目されるのは、この土器に焦げ跡がついていたことで、研究チームはこの土器が料理に使われた証拠とみなしている。この土器が作られたのが2万年前の氷河期だったとすれば食糧確保はかなり困難であったと予想されるが、「土器で料理を作れば、デンプンから豊富なエネルギーが得られるし、食糧も保存できる。気候変動が東アジアでの土器の発明につながったのでは」と研究チームでは推測しているとのこと。土器の発明のきっかけについては諸説あるのだが(粘土を焼いて固めること自体は発見しやすいと見られ、チェコで2万7000年前の土偶の発見例が最古と言う)、「氷河期だったから」と、寒い気候自体から土器の必要性が出た、という説となるわけで、推測に推測を重ねたものではあるが面白い話ではある。

 ただし、この記事のために参考に読んだある考古学研究者の方のブログに出てた意見では、この土器の「2万年」という鑑定は間接的証拠に基づく推測のためやや弱いのだとか。土器についていたという「お焦げ」の分析が出来れば(炭素年代測定はとにかく炭素がないことにはどうにもならない)…ということだが、確かに料理に使ったというのなら食べ物の焦げ付きが残っている可能性もある。
 そういえばこれって、「元祖中国料理」ってことになっちゃったりしないか。中国2万年のマボロシの麺、なんて懐かしいフレーズを思い出してしまったり(笑)。



◆あちこちのロイヤルばなし

 まもなくオリンピックが開催されるイギリスの女王エリザベス2世は、今年が即位60周年ということで記念行事で国内各地を飛び回っている。その一環として6月27日に北アイルランドを訪問した。イギリスの正式名称が「グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国」であることは地理の小ネタとして広く知られているが、この北アイルランドが一応「イギリス領」として落ち着き、女王も訪問できるぐらいになったのはここ10年ぐらいの話である。
 カトリック国であるアイルランドはその島全体が長い間イングランドの支配下にあり、ようやく独立したのは20世紀になってからのこと。それでもイギリス系のプロテスタントの多い北アイルランドはイギリス領として残されたため、アイルランド全体の統一をめざすIRA(アイルランド共和国軍)の対英武装闘争が継続され、長い間テロと弾圧の応酬が続いていた。いろいろあって1990年代に和解の動きが進み、1998年に「ベルファスト合意」が成立して一応武力闘争には終止符が打たれ、アイルランド側は北アイルランドの領有主張を放棄、北アイルランドは対立を続けていた双方の勢力が共に政治参加して折り合う形となった。この展開と言うのは日本人に分かりやすく言えば戦後も日本が済州島あたりを領有し続けていたようなもので、イギリスとアイルランドにくすぶる対立感情はかなり薄まってはいるものの根深いところもある。昨年エリザベス女王がアイルランドを訪問して歴史的経緯を謝罪する姿勢を示したのもそういう事情に配慮したものだ。

 今回の北アイルランド訪問でもその手の「和解」演出が見られた。かつてIRAの司令官で、現在は北アイルランド自治政府の第一副首相をつとめるマーティン=マクギネスとエリザベス女王が「歴史的握手」をする、という場面があったのだ。調べてみるとマーティン=マクギネスはその生涯が北アイルランド紛争そのものといっていいぐらいで、有名な1972年の「血の日曜日事件」の現場にもいた(彼が現場で銃を手にしていたとの説があるが彼自身は否定している)。IRA幹部として紛争を引っ張りつつ、1990年代には和解の交渉役もつとめて紛争の締めくくりをした人物でもある。そんな彼がイギリス女王と非公式ながら会談を行い、別れ際に「さようなら、道中の安全を祈ります」と握手しながら女王に挨拶した(まずアイルランド語で、それから英語で話したという)、というのは確かに歴史的瞬間ではあったろう。エリザベス女王もアイルランドを象徴する緑色の服装で会談に臨むという目に見えた演出をしている。
 もちろんそれでもベルファストでは女王の訪問反対のデモもあって、警察やプロテスタント系グループとケンカになったりしているそうだが。


 リヒテンシュタイン公国と言えばスイスとオーストリアにはさまれた山奥の小国。面積160平方キロ、人口3万4000人という、国と言うよりは「市」と呼びたくなるレベルの国で、あのカリオストロ公国のモデルとも噂され、マネーロンダリング疑惑が常にささやかれている――と言った話は以前にも書いた。
 この国はリヒテンシュタイン家の当主(公爵とも侯爵とも訳される微妙なランク)が元首となり、大きな政治的権限を有していることから「ヨーロッパ最後の専制君主国」などと言われることがある。どういう権限かと言うと首相任命権・議会解散権・法律拒否権といったもの。そのお国で7月1日、君主の権限を制限するか否かを問う住民投票、もとい国民投票が行われている。
 今回の国民投票で問われたのは、重要政策を決定する際に行われる国民投票の結果に対し、リヒテンシュタイン家当主が拒否権を行使できないようにするかどうか、ということ。つまり国民投票に関する国民投票というややこしいことをやったわけである。結果は反対71.6%、賛成23.9%で、君主の拒否権は維持されることになった。国民の多くもまだ君主に大きな権限を認めておく方が得策と考えているようで。

 
 スペインはブルボン家の王様がまだいる国だ。現在の国王はフアン=カルロス1世で、独裁者フランコの死後にその遺言によって国王に即位して王制を復活させたが、国王を象徴的存在にとどめて民主化を進めた人物でもある。1981年に国王親政を求める日本の二・二六事件みたいな軍部クーデターが起きた時もこれをつぶし、国民の絶大な人気を得ていた。しかしここに来て国民の評判を損ねる事態が相次いで起こっている。
 まず昨年来のギリシャから始まった欧州信用不安の流れの中で、スペインの経済危機の深刻さも明らかとなり、税金で食わせてもらっている王室への国民の視線が厳しくなった。以前から贅沢好きと批判されるフアン=カルロス国王は不安になったのか(笑)、初めて自身の年収が30万ユーロ(このところレート変動が激しいが、だいたい3000万円程度とみておく)であることも公表している。王室全体の関連予算は年間800万ユーロ(同じく8億円程度)にのぼるとのこと。
 そして4月、13歳になる国王の孫(長女の息子)のフェリーペ=フアン=フロイランが散弾銃で自分の足を誤って撃ってしまう事故が起こった。これだけでも国民から「何やってんだ」という声があがっていたが、その直後に今度は国王自身がボツワナに象狩りに出かけて腰の骨を折る大怪我をして急遽帰国するという大失態を演じてしまったのだ。この非常時に外国にお忍びでハンティング、というだけでも問題視されるが(一応密猟など違法行為ではない)、アフリカゾウのハンティングというのがさらにまずかった。国王自身がWWF(世界自然保護基金)のスペイン名誉総裁だったりするのだ。退院した国王は国民に謝罪を表明したが、評判をかなり落としたことは間違いない。
 そんなこんなで非難ゴーゴーのなか、7月17日にスペイン王室は国王が年収の7%にあたる2万ユーロを自主的にカット、王太子らへの支給も同様にカットすると発表した。王室予算全体で10万ユーロ(だいたい1000万円)の削減になり、これで国民の批判をいくらかでもやわらげようということらしいが、焼け石に水という気もする。


 ちなみに我が国日本の皇室関連予算がどのくらいなのか、宮内庁のHPで平成24年度予算について調べてみると、皇族の日常費用にあてる「内廷費」に3億2400万円、儀式や外国訪問など公的活動の費用「宮廷費」が55億7996万円、皇族の品位維持のために各皇族に支給される「皇族費」が合計2億9128万円、これら三つが「皇室費」と呼ばれ、今年度は合計およそ61億9500万円ということになる。スペイン王室と単純な比較はできないが、結構使ってるもんだ。
 その皇室では、この7月にちょっとした区切りのイベントがある。7月30日は今上天皇の曾祖父・明治天皇の命日なのだが、実は今年が没後ちょうど100年になるのだ。つまり明治が終わって大正になってからちょうど1世紀、もう明治生まれは全員100歳以上という時代になったわけで、ますます明治は遠くなりにけり、ということである。その明治天皇を祭る明治神宮に天皇・皇后はじめ皇太子など皇室が続々と参拝している。
 皇室と言えば、先ごろ「ヒゲの殿下」こと三笠宮寛仁親王が長い闘病生活の果てにとうとう亡くなった。そのすぐ下の弟の桂宮宜仁親王もずっと闘病状態で、10年前には末の弟の高円宮憲仁親王が急逝している。その3人の父親で昭和天皇の弟・三笠宮崇仁親王は96歳の長寿でまだ健在だが、つい先日心臓手術を行ったばかり。この三笠宮の系統は孫世代が女性ばかりで、現在議論されている「女性宮家」の対象となっているが、男系のみでいけばもう確実に断絶することになる。かつてこの系統については皇室予算が増大すると懸念され皇室範囲を狭めようかという話もあったそうだが(そういえば寛仁親王は皇室離脱騒動を起こしたりしてたな)、今じゃ逆に範囲が狭くなりすぎると心配されてる状況だ。
 皇室ではないのだが、天皇の姉の夫、つまり義兄であり、岡山藩池田家第16代当主の池田隆政さんが7月21日に85歳で亡くなるというニュースもあった。知ってる人は知ってるだろうが、この池田家の初代は戦国武将では有名な方の池田輝政である。まだ「政」の字を代々引き継いでたんですねぇ。



◆あの人に毒殺説浮上

 歴史上の有名人で「毒殺説」がささやかれる例は多い。世界史ならナポレオン、日本史なら足利義満とか孝明天皇とかが挙げられるが、いずれも自然死と見てもとくに疑問はない。毒殺ということが実際に起こったケースもあるんだろうけど、有名人で疑惑がささやかれる場合、おおむね深読みのしすぎといる気がする。一口に毒殺といっても実行するのはそう簡単ではないのだろう。

 さて、このたび毒殺説が浮上した歴史上の有名人は、かつてPLOを率い、パレスチナ自治政府議長となったヤセル=アラファト。2004年11月に75歳で亡くなり、この「史点」でもイラストつきで追悼した、まさについ最近の人物である。アラファトの死については当時から「毒殺説」がささやかれていたのだそうだが、このたび中東の衛星TVアルジャジーラが「物的証拠」も交えて報じたために注目を集めている。
 「毒殺」をかねて疑っていたのはアラファトの妻スーハさんだった。スーハさんはアラファトが死去したパリ郊外の病院から夫が生前に使っていた歯ブラシや衣類を引き渡されたが、それらをスイスの研究所に持ち込んで鑑定を依頼した。するとアラファトの血液や汗・尿のついた衣類から高い濃度の放射性物質「ポロニウム210」が検出されたというのだ。

 「ポロニウム210」といえば、2006年にイギリスで元ロシア情報部員アレクサンドル=リトビネンコが不審死を遂げた際に検出され、ロシア情報機関による「毒殺」ではないかと騒がれたことがある。「ポロニウム」はあのキュリー夫妻が発見し、マリー=キュリーの故国ポーランドにちなんで命名された物質だが、強い放射能を持っていて内部被曝すると死亡率が非常に高い。リトビネンコ「暗殺」はもはやウヤムヤにされた観があるが、ポロニウムの検出自体が確かならば、そうそう存在する物質ではないだけに毒殺に利用された可能性は高い。

 だとすればアラファトもやはり…ということで騒がれているのだが、ポロニウムという素材はそうそう入手できるものではなく、核保有国でそういった物質を管理している国が当然怪しまれる。アラファトとくれば誰もが「イスラエル?」と疑うところで、実際パレスチナ自治政府幹部などはこの報道を受けて「イスラエルの関与は間違いない」と断言している。イスラエルといえば過去にも手段を選ばぬ暗殺作戦を実行した「実績」があるし、最近でもイランの核技術者を暗殺した疑惑がある。まぁ疑われてもしょうがないだろう。
 ただ…あの当時のアラファトはイスラエルによって事実上の軟禁状態にあり、手も足も出なかった。またアラファトのイスラエルとの共存姿勢にはパレスチナ側でも批判があり、あの頃も身内からの突き上げが強く、影響力をかなり低下させていた覚えがある。だからあの時点でアラファトをわざわざ毒殺しなくちゃならない理由が見当たらない。実際彼が死んだあとも状況は何も変わってないんだし。少なくともイスラエル側に積極的に毒殺作戦(それも物質から足がつきやすい)を実行するというのは考えにくいんじゃないか、という声は実際にあがっていた。むしろ身内のパレスチナ側の一部に動機を持つ人がいたように思え、スーハさんも自治政府と確執が伝えられていることから彼女自身どちらかというとそっちを疑って調査を頼んだようにもみえる。

 「毒殺説」の浮上を受けて、パレスチナ自治政府報道官も「アラファトの墓を掘り返して遺体を検査するかも」と示唆している。ホント、棺桶のフタが閉じられても安眠させてもらえそうにない。



◆そしてまた党つくり。
 
 かつて「新党さきがけ」「太陽党」なんて政党が出てきた時にもビックリしたものだが、「みんなの党」やら「たちあがれ日本」やらが出てきた昨今ではもはや政党の名前も奇をてらうようになってしまったかと思ったものだ。そして今度の「国民の生活が第一」にはもはや標語をそのまま政党名にできるとこまで来てしまったかと笑ってしまった。そのうち「進め一億火の玉だ」とか「ほしがりません勝つまでは」なんて政党も出てきそうな気がする。まぁこういう「キラキラネーム政党」はイタリアの「がんばれイタリア」「虹の左翼」「三色の炎」とかギリシャの「黄金の夜明け」とかロシアの「偉大なるロシア」とか、探せば外国にもあるものだ。
 ただ党名が一つの文になってるという例はあるのかどうか…ちなみに「国民の生活が第一」の英名は「People's Life First」だとのこと。「PLF」と略しちゃうとなんだか上記の記事とつながるパレスチナ武装勢力みたいになるためか(笑)、「LF」ということになるらしい。

 さて、この変な政党を作ってしまったのが例によって小沢一郎である。なんだかんだでここ四半世紀の日本政界はこの人に振り回されてるわけだが(思い返せば四十代の若さですでに自民党の「実力者」だった)、よく考えてみるとこれといった実績がある人でもない。しばしば台風の目になって、こと「党内抗争」になるとそのコワモテの顔ともども異様な力を発揮し、その抗争の果てに政党もぶっ壊してしまうため「壊し屋」の異名をとる政治家で、彼を中心に見ると話が面白くなるもんだからマスコミでも重宝されてるけど(マスコミってのは基本的に騒ぎが起きるのが好きなので)、「敵を作る天才的才能があるらしい」と評した人もいたように、かつての腹心や仲間に見限られる歴史を繰り返してる人でもある。それでも不思議とまた新たに腹心になる人が出てくるのも事実で、以前僕はここで「小沢一郎衰亡史」なんて記事を書いてもう終わりだろうと見切りをつけたつもりだったが、その後民主党に合流して党首となり幹事長となって政権奪取もするという復活ぶりをみせるという意外な展開もあった。
 そういう経緯もあるせいか、「選挙の神様」と呼ばれたり、妙に大政治家のように期待されたりする人でもあるのだが、自民党幹事長時代の東京都知事選で元NHKニュースキャスターを引っぱり出して銭湯に行かせたり、新進党時代に野球監督夫人の毒舌タレントを引っぱり出したりして、いずれも敗北するなどセンスがズレてるとしか僕には思えない(いわゆる「ヤワラちゃん」もその系譜上にあるのは明白)。二度の政権交代に関わったから神様扱いされたのかもしれないが、どちらも「時の勢い」に乗っかっちゃっただけで、いずれも小沢さんの暴走で分裂騒動になってるというのが実態と言う気がする。今度の新党立ち上げにしても昨年と同じでチキンレースやってるうちに引っ込みがつかなくなった(野田首相を甘く見てたところもあると思う)結果、やむをえずそうなった、としか見えない。名前で奇をてらうしかなかった、ってことかもしれないな。みんな一発で覚えたのは確かだし(笑)。

 ちゃんと確かめたわけではないが…もしかして小沢一郎という政治家は、日本史上最多の政党づくりに関わったということになりはしないか。1993年に自民党を離党して「新生党」をつくり(これも当時「新政党」と呼ばれていたのをそのまんま使ったもの)、1994年に「新進党」をつくり(これも「新・新党」と当時言われていたのをそのまんま使った)、その新進党が崩壊すると「自由党」をつくり(この時のパターンは今回とかなり良く似ている)、その後民主党に合流して結局今度の「国民の生活が第一」をつくる、という目まぐるしい歴史は面白いと言えば面白いが不毛と言えば不毛。さすがに70歳を過ぎたからもうこれ以上は…とささやかれているのだが、ここまで来るともう一個ぐらい政党を作ってみるのも面白いかもしれない。あ、結局僕も面白がってるんだなぁ(笑)。

 まぁ結党の日にパンダの赤ちゃんが死んじゃって、そちらの方が国民の生活に第一なニュースになってたあたり、先行きを象徴してるような気もする。


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