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2012年8月31日

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◆今週の記事

◆人類にとっての偉大な一歩が

 「世間が休みの時に忙しい職業」ということもあり、毎年のことながら夏休みは更新が滞りがち。今年は特に気力がわかず、気が付いたら8月も末になってしまった。それでもなんとか8月中に「史点」更新をしておこうとこの40日ばかりの間に起きたネタをひとまとめに書くことにした。

 …というオープニングで今回の記事を書き始め、一番手に取り上げることにしたのは7月31日に報じられた「アポロ計画で月面に立てられた星条旗がまだ立っていることが確認された」という話題だった。もう40年も前のものが今も立ってるの!?と最初は驚いてしまったのだが、考えてみれば月の上は風もないし(そもそも空気がない)、引っこ抜くイタズラ者もいないんだから、そのまま立っている方が自然と言えば自然なのだった。
 月面に降り立ったアポロ宇宙船は11号、12号、14号、15号、16号、17号の合計6機。13号は行く途中で事故を起こし、奇跡的に生還したものの月面上陸を果たせなかった。この6回の月面着陸ではいずれもアメリカの国旗「星条旗」を月面に立てて来たのだが、その星条旗のうち11号のものをのぞく5本が今なお月面に立っていることがNASAの月周回探査機「ルナ・リコネサンス・オービター」の撮影した写真の分析で「影」が映っていたことから明らかになったという。
 11号の星条旗はどうしたのか?といえば、着陸船からわずか8mという近さに立ててしまったため、月面から着陸船を発車させる際にロケットの噴射で吹き飛ばしてしまったのを目撃したと乗組員のバズ=オルドリンが証言している。今回その影が確認できなかったことでその証言が裏付けられた形だが、「アポロ月面着陸はトリック撮影による捏造」と主張するトンデモさんたちは「やっぱりなかった!」とか騒ぎそうだ(他の6本は…というツッコミにも恐らく適当に説明しちゃうだろう)。アポロ11号の星条旗といえば「はためいているように見える」ことが捏造の証拠と言われちゃったりしてるしなぁ。

 で、上記の話題だけで一本書いちゃおうと思いつつズルズルと書くのが遅れていたら、8月25日に衝撃的なニュースが流れた。アポロ11号の船長ニール=アームストロングが82歳でこの世を去ったのである。
 ニール=アームストロングは1930年生まれ。第二次世界大戦が終わった後の1949年に海軍に召集され、直後の1950年に勃発した朝鮮戦争にパイロットとして参加、膨大な飛行時間と優秀な戦果を収めて1952年に退役。その後空軍の新型機のテストパイロットを務めるようになり、これがその後宇宙飛行士への道を歩むきっかけとなる。
 1966年3月にジェミニ8号の船長として周回軌道でのドッキングを成功させたが、姿勢制御システムの不良から船体がスピンしてしまうトラブルが発生、アームストロングはこのピンチに冷静機敏に対応して予定は変更になったが無事に生還している。こうした実績が初の月面着陸を試みるアポロ11号の船長に抜擢された一因であるらしい。

 1969年7月16日にアポロ11号は月へと打ち上げられ、同7月20日に無事月面に降り立った。「無事」といっても、着陸船は当初の着陸予定地点からズレた上に搭載されたコンピューターがオーバーフローを起こしたため、アームストロングは操縦を半手動に切り替え自身で安全な着陸地点を探して着陸する(予定以上に燃料を消費してしまう)という、結構きわどいこともしている。
 そしていよいよ月面への上陸。当初の計画では操縦士のオルドリンが先に降りるという話もあって当人もそれを望んでいたが、アームストロングが船長であること、着陸船の構造上操縦士が先に降りにくいという事情もあって、アームストロングが「人類初の月面上陸」の栄誉を担うことに決まっていた。そして月面に降りたアームストロングは事前に考えておいた有名なセリフを地球に向けて放つ。

「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」
  "That'sone small step for  man, one giant leap formankind."(「man」の前の「a」をアームストロングはうっかり抜いていた)

 アポロ計画はソ連と競争するアメリカの威信をかけた政治的な国家プロジェクトであったし、その象徴として星条旗を立てたりしているわけだが、アームストロングが人類で初めて月面に、というより「地球で生まれた生命が地球以外の天体に初めて足を下ろした」ことは紛れもない事実であり、アームストロングのこの一言は人類史上の名セリフであることは間違いない。
 月面に残された記念プレートには「西暦1969年7月、惑星地球から来た人間が月面に初めて足を踏み降ろしたことをここに記念する。我々はすべての人類の平和のために来た」と記されていたし、アームストロングとオルドリンは事故死したアポロ1号のクルーのほか、人類初の宇宙飛行をしてテスト飛行で事故死したガガーリンや、地球帰還時に事故死したコマロフなどソ連の宇宙飛行士たちも記念する品物を月面に残して来ている。アポロ11号は「アメリカの勝利」を印象付けるイベントでもあったが、一方で確かに人類にとって国家の枠を超えて普遍的な、「大きな一歩」出会ったことも確かなのだ。まぁ冷戦構造での国家間のあの熾烈な競争でもないと実現しなかったであろうこともまた事実なんだけど。

月面の半旗 アポロ11号で地球に帰還後、間もなくアームストロングは宇宙飛行士を引退。その後は大学で航空宇宙学の講義をしたり、アポロ13号やスペースシャトル「チャレンジャー」爆発事故の調査委員会に名を連ねたりはしているが、名士には違いないもののいたって控えめで地味な後半生を送った印象がある。先日訃報を聞いた時、かつて宇宙開発ばなしが大好きだった僕などは「人類史上の大ニュース」レベルでとらえてしまったものだが、彼の死はオバマ大統領も声明を出すなどそれなりに大きなニュースとして扱われていたものの、華やかな話が40年前までにとどまるせいか今一つ地味な扱いを受けていた気がする(日本では他のことで騒がしかったのでなおさら)。アポロ計画自体が大昔の話になってしまい、風化が進んでるってことかもしれないが…

   僕が子どもの時に読んだ宇宙開発本では2012年ならとうの昔に人類は火星に降り立っているころだったのだが、予算その他の事情で当分先送りになっている。つい先日の8月6日にNASAの無人探査機「キュリオシティ」が火星に着陸(着陸地点の名前はブラッドベリにちなむそうで)、27日に地球と音声通信(地球から送った音声を折り返すだけだけど)に成功した、なんて結構ワクワクするニュースも入って来ている。だって、これが史上初の「惑星間通信」なのだ。
 NASA幹部はこの成功についての声明で、亡くなったばかりのアームストロングについても触れ、「この声に感銘を受けた誰かが、今度は人類初の火星着陸を果たすことを願っている」と述べたという。
 


◆人類は太古の昔から

 43年前に「大きな跳躍」をした人類が「文明」なるものを最初に作りだしたのはメソポタミアからエジプトにかけての、まとめて「オリエント」と呼ばれる地域だった。現在すっかり泥沼の内戦状態に陥っている「シリア」はそのど真ん中に位置していて、ダマスカスやアレッポなど、ニュースで頻出する地名も世界史の教科書でおなじみのものが多い。古代にあってはエジプトとヒッタイトの攻防からはじまってアッシリア帝国(この名前が「シリア」の由来、というダジャレみたいな説もある)、ペルシャ帝国、アレクサンドロス大王、ローマ帝国の争奪の場となり、中世のイスラム勢力の拡大と十字軍の攻防戦、近代以降のオスマン帝国解体過程から原題に至る複雑な中東情勢、そして現在の「アラブの春」の流れの末に政府軍と反政府軍の激しい攻防が繰り広げられる…とまとめてしまうとなんだか紛争ばっかりやってる人類史の縮図にも見えて来てしまうが、年表に載るような事件もない平和な日々の方が時間的には長いはず。
 シリアの騒乱状態はずいぶん続いていて注目もしているのだが、どこで書こうかめどが立たないままズルズルと来てしまった。そうこうしているうちに先日日本人女性ジャーナリストが取材中に殺害されるという事件まで起こってしまった。それを機に、というわけでもないのだが、この紛争で見えてくるいろんなものをまとめておきたい。

 現在の「シリア」、すなわち「シリア・アラブ共和国」はオスマン帝国が第一次世界大戦で敗北してアラブ地域をイギリス・フランスに奪われた際にフランスが占領した地域をもとにしている。第二次大戦後にエジプトと「アラブ連合」を形成していた時期もあったが分離、1970年にハーフィズ=アル=アサドがクーデターで政権を掌握してからは彼を大統領とする独裁体制が30年にわたって続き、2000年に彼が死んだ後はその次男であるバッシャール=アル=アサド現大統領が世襲して北朝鮮同様に実質的な「王政」になっている。
 現在大統領の地位にあるバッシャールはもともとイギリスに留学して眼科医になっていたが、当初後継者と決まっていた兄のバースィル=アル=アサドが1994年に交通事故死したため代打で後継者になったという経緯がある。またハーフィズの弟にリファアト=アル=アサドというのがいて1984年にクーデター未遂により追放になるという(現在はそのリファアトの息子が国外からシリア政権批判をやっている)、なんだか「ゴッドファーザー」みたいな一家なのであった。いま確認してみたら2000年6月にハーフィズ=アル=アサドが亡くなった際の「史点」でこの辺の事情をすでに書いている。

 この王政状態の独裁体制を続けるアサド家だが、シリア国内では少数派の「アラウィー派」という宗派に属している。イスラム教の多数派である「スンナ派」に対して「シーア派」があるのはよく知られているが、「アラウィー派」というのはそのシーア派からさらに分離した宗派と言われ(4代カリフ・アリ―のみを正統と認めるという点は共通)、教義にインド的な「輪廻転生」チックな神秘主義的要素が紛れこむ宗派だというのは今回調べて初めて知った。
 シリア国内でも少数派のこのアラウィー派をアサド家は自身の基盤として優遇し、多数派のスンナ派国民から反感をかってきた経緯もあり、今回のシリア内戦で政府軍に加えアサド大統領側を支持する民兵組織が出て来て反政府勢力に激しい攻勢をかけるのも、ひとつには宗派対立・部族対立という構造があるためのようだ。「アラブの春」以降、シリアのケースはリビアのカダフィ政権崩壊の過程と似ているのだが、あれ以上に激しい殺し合いが行われているあたり、宗派問題がかなり絡んでいるせいでもあるみたい。アサド政権が長くはもつまいと見られつつもその崩壊後アラウィー派が強烈な報復を受ける可能性も懸念されている。

 シリアが内戦状態に突入したことで国連も動こうとはしたが、ロシアと中国が介入に反対して拒否権を行使したため、実質ほとんど何も出来ていない。中東のアラブVSイスラエルの対立構図は冷戦の代理戦争という面もあって、それ以来ソ連はシリア政権側と深い関係にあったことがそういう態度につながっている。中国の方はあまり関係なさそうなんだけど国内の紛争に外国が首を突っ込むことに反対する点はロシアと共通(自国に適用されてはかなわないし)。そしてアメリカやEU諸国といったいまだに死語にならない「西側諸国」がアサド政権側を批判して反政府側を実質支援するという構図は、やっぱり冷戦構造そのまんまなのであった。

 そしてもう一つ、この紛争で注目される点がある。シリアの少数勢力の中にあの「クルド人」が含まれているのだ。
 クルド人についてはこれまでもさんざん話題にしているが、現在のトルコ・シリア・イラク・イランにまたがって住み、それぞれの国では少数民族だがまとめればかなりの数になる「国家なき最大民族」として名高く、自身の民族国家「クルディスタン」を建国しようという志向を強く抱いている。最近ではイラク戦争のなかでイラク北部に事実上の自治地域を作ってしまったことが記憶に新しいが、今回のシリア内戦でも同国北部に多いクルド人勢力がアサド政権に反旗を翻し、支配地域を作りつつあるとの報道も流れている。
 これに神経をとがらせているのが隣国トルコ。トルコは国内のクルド独立運動との長い闘争の歴史があり、イラクに続いてシリアでもクルド勢力が拡大することで自国内のクルド人が勢いづくことを警戒している。7月中にシリア国内のクルド人勢力が一部の町を掌握したとの情報が流れるとトルコ政府は「テロ組織が拠点を構築してトルコを脅かす事態は許さない」とし、「必要であれば行動を起こす」と、場合によっては越境の軍事行動すらちらつかせる発言をしている。トルコ国内でテロ闘争も含めた独立運動を展開している「クルド労働者党(PKK)」がシリア側のクルド勢力と連絡を取っている可能性が高いとされ、これにさらにイラクのクルド自治政府も支援をしているとの情報もあって(イラクのクルド自治政府は否定声明を出してるが)、シリア内戦のちょっとした「影の主役」的存在にもなりつつあるみたい。
 
 そもそも現在各勢力の激しい争奪の場となり、日本人ジャーナリストの犠牲者も出たアレッポだが、ニュースで聞いていると「サラディン(サラーフッディーン)地区」という名前が出てくるように、イスラムの英雄サラディンゆかりの地でもある。で、このサラディンがほかならぬクルド人であったりするのだった。



◆さらに昭和は遠くなり

 もう平成も24年だ。塾講師の商売をやっていて、とうとう「平成生まれ」が生徒になった時には時の流れに驚いたりしたものだが、ぼちぼち20世紀生まれの生徒が末期になりつつあり、2001年の「911テロ」も記憶になくもはや「歴史」の範疇に入っている世代を相手にしている。実際最近の歴史の教科書は昭和も過ぎて911テロなど21世紀まで記述が及んでるからなぁ。

 毎年8月は先の戦争がらみの話題が多く、それもまた「昭和」が次第に遠くなっていることを実感させる。8月15日の戦没者追悼式典に最高齢で参加したのが夫が戦死した98歳の女性で、最低年齢が曾祖父が戦死している4歳の兄弟だった、というのも「戦後」が実に67年も過ぎていることを思い知らされた。戦争の時代を現実に体験している世代も残念ながらあとそう長くはこの世にいない。

 終戦の日の8月15日に、その終戦の一場面に関わった人物の死が報じられた。元NHKの録音技師で「玉音放送」の録音にたずさわった玉虫和雄さんが90歳で亡くなっていたのだ。実は一か月前の7月16日に亡くなっていたのだそうだが、まさに「玉音放送」放送日にあたる8月15日にその死が報道されたのだった。それも本人の意向なのかどうかは知らないが…結果的にちょっとした「シャレ」になってしまった(「玉虫放送」?)
 橋本忍脚本、岡本喜八監督の「日本のいちばん長い日」は、ポツダム宣言受諾決定から玉音放送までの24時間を描いた傑作で僕も大好きな映画なのだが、その中でも加東大介らが演じるNHK技術職員が急に宮中に呼び出されて終戦の詔勅の録音を命じられる場面がある。配役の中に玉虫さんの名前はないようだが、当時玉虫さんはまだ23歳、映画の中でも大勢の中の一人、という扱いなのだろう。この録音に関係した技術職員たちはその直後に録音盤奪取を狙って起こった陸軍の一部のクーデターで軟禁されるのだが、玉虫氏もそれに巻き込まれたと思われる。
 昭和天皇自身の声でラジオ放送をしてポツダム宣言受諾を国民に伝えることになったのだが、さすがに生放送はまずいだろうということで録音になったのだが、昭和天皇の独特の日本語と詔勅事態の難解な文言、そしてスタジオではなく宮中で録音したせいか雑音も多く(当時の録音の技術レベル自体にも問題があったみたい)、「玉音放送」は今聞いても何を言ってるのかよく分からないシロモノとなっている。ちなみに録音は2テイク行われ、放送されたのは1テイク目の方だそうである。
 詳しい事情が分からないのだが、この玉虫氏が持っていた(?)録音盤をアメリカ軍が接収、この際にアメリカ軍側で勝手に音声をコピーしていたために現在もおなじみのあの昭和天皇の甲高い声が聞けるということらしい。見逃したのだが、去年のテレ朝の終戦番組で玉虫氏のインタビューが放送されていたそうで、去年までは元気だったんだな。

 それから数日後の19日には、太平洋戦争の激戦地・硫黄島の地下壕跡での遺骨収集作業の最中に、日本軍が大本営に向けて電報を打った発信所と無線機が発見された、との報道があった。硫黄島と言えば最近でもアメリカ映画「硫黄島からの手紙」渡辺謙が硫黄島の指揮官・栗林忠道中将を演じて話題になったが、その栗林が発した「国の為重き努を果し得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき」の和歌を含めた有名な決別電文もここから打ったのだろうと推測されている。そばには日本兵一人の遺骨が残っており、実際に打電した無線班員ではないか、とのこと。
 今ごろになったそんなものが見つかるのか、と驚いちゃうが、硫黄島は有毒な火山性ガスがわく場所が多く、日本軍が張り巡らした地下壕の遺骨収集もなかなかままならないところなのだそうだ。この無線班員と思われる方の遺骨も67年も経ってようやく見つけてもらったわけで、まだまだ戦後は終わっていない、と思わされる。

 
 さて戦争話から打って変わって、これもまた「昭和」は遠くなったな、と思わされたのが浜田幸一元衆院議員の訃報だった。そう、あの「ハマコー」である。最近の記憶だとテレビによく出ている毒舌元政治家タレントという印象が強いだろうが、この人の政治人生はある意味戦後日本を象徴している気がする。どっちかというと「裏街道」方面だが。
 この人、顔がコワモテなのは誰もが認めるところだが、なにせ出自はホンモノのヤクザである。24歳の時にケンカで相手を刺して一年服役している。出所後に稲川会初代会長・稲川聖城を頼り、その紹介で戦後のヤクザ・右翼・政界フィクサーとして名高い児玉誉士夫に弟子入り、その後小佐野賢治やら笹川良一やら、日本戦後史の暗部を彩るような人たちとつながりをもち、県会議員から国会議員となり、当選回数からいえばかなり有力な政治家となるが、下記のような数々の「武勇伝」が災いして結局大臣になることはなかった。

 1979年に自民党は「四十日抗争」と呼ばれる凄まじい「内戦」状態になっていた。当時自民党の主流派は大平正芳首相とその盟友田中角栄で、これに対し福田赳夫三木武夫ら反主流派が大平退陣を要求して激しく対立、ほとんど党の分裂状態にまでなっていた。反主流派は両院議員総会を実力で阻止してやろうと会場を椅子バリケードで封鎖したが、そこへ乱入したのが大平の意向を受けたハマコーで、バリケードを実力で突破、猛演説をぶった。これが最大の「武勇伝」として何かというとその時の映像が流される。このあとの首相指名では自民党は大平と福田の二人が出て決戦投票まで行ってしまうという事態になり、さらにこのあとの「ハプニング解散」で完全分裂状態になる。もっとも大平がその直後に急死したため分裂は回避されちゃうのだが。ともあれ、ハマコーはそんな歴史の現場にいたわけだ。
 自民党内では中華民国(台湾)とのつながりを重視して中華人民共和国との国交に反対する「青嵐会」の最強硬派でもあった。もっともこの青嵐会も結局は腰砕けになってしまい、ハマコーはどっかの都知事もふくめて当時の他のメンバーのことをボロクソに言ってたものだ。

 失敗系武勇談ではなんといっても1973年にラスベガスで150万ドル(当時のレートで4億6000万円)スってしまい、小佐野賢治に立て替えてもらったという事件が有名。「ロッキード事件」との絡みでも注目され、結局は無関係だったのだが、ハマコーの周辺人物に関係者が多いこともまた事実。
 また1988年には自身が委員長をつとめる衆院予算委員会で共産党の宮本顕治議長を「殺人者」と呼んで(1933年に起きた「スパイ査問事件」に言及)大騒ぎになったこともある。興奮のあまり「ミヤザワケンジ君が人を殺したと言ってるんだ!」とわめいているのを僕もよく覚えている(笑)。これで大臣の目は消えて1993年に政界引退。あのムチャクチャな父親からすると息子さんは防衛大臣にもなり、あのタモガミさんのトンデモ論文事件でさっさと首を切るなど、なかなか常識的に育ったものだとは思う(笑)。
 それにしても2年前に背任容疑で逮捕された時には、「その年でまだそんなに生臭いことを」と驚かされたものだ。結局最後の最後まで裏社会的なところは消えなかったなぁ。コワモテだがどこか愛嬌があったこともまた事実で、ついつい僕もこうして追悼記事めいたものを書いちゃったりした。



◆夏休み中ネタ総まくり
 
 さて、毎年夏休みは恒例でこれになってしまう。上記の昭和ネタも限りなく「総まくり」なのだが、ここではそれ以外のものをざっくりまとめまして。

◇ノアの箱舟、実物大レプリカ
 7月31日にCNNで報じていたもの。オランダの実業家が聖書に記述されているとおりに全長300キュービット(約137m)、幅50キュービット(約21m)、高さ30キュービット(約14m)の大きさにノアの箱舟の「実物大モデル」を作っちゃったという話題。2004年に2分の1のモデルを作って遊覧船とし、それから今回の「実物大」にこぎつけたというから大したもの。中身は動物のつがいでいっぱい…ではなく劇場やレストランまである「聖書博物館」になってるそうで。
 この実業家氏、どうしてこんなことをしようと思ったのかというと、20年前の1992年にオランダが洪水になる夢を見て、その翌日にノアの箱舟の本を買い、その夜に子どもたちとその本を見ているうちに「レプリカを作ろう」と思い立ったのだという。決意から20年がかりの執念には恐れ入る。思えばオランダは地球温暖化による海面上昇で「沈没」するんじゃないかと真面目に心配されており、その夢も神の啓示というよりそういう危機感が反映したものなんじゃないかなぁ。


◇篳篥の材料の地、ピンチ!
 「篳篥」と書いて「ひちりき」と読む。宮中の雅楽で使われる縦笛で、大河ドラマ「太平記」のオープニングテーマ曲(三枝成彰作曲)でも使われている。その「ひちりき」の吹き口「蘆舌(ろぜつ)」には河原などに生える「ヨシ」の茎が使われるのだが(僕は関東人なので「アシ」になじみがあるのだが、関西の話なので)、その材料となる最良のヨシの産地が存続の危機に陥っているという話題が、8月5日付の東京新聞に載った。
 その裁量のアシの産地とは大阪府高槻市の淀川河川敷にある「鵜殿(うどの)のヨシ原」。ここのヨシは大きさ・太さ・堅さ・繊維の質ともに篳篥の蘆舌には最良と昔からされていて、戦前までは毎年100本が宮中に献上され、今でも宮内庁の雅楽の篳篥にはここのヨシが使われている。しかしこの鵜殿のヨシ原も淀川の河川改修で干潟部分が縮小したため小さくなってしまい、1996年からはポンプによる揚水でまたその面積を広げているという。ヨシ原を守るために毎年春に害虫駆除の野焼きも行われている。
 ところが今年4月に国土交通省が、一度は凍結されていた「新名神高速」の着工が決定してしまった(最近この手の「凍結」が次々復活しちゃってるような)。この新名神高速が鵜殿のヨシ原をまたいで建設される予定になっていて、これでは篳篥の材料となるヨシ原が守れないと宮内庁楽部が声明を出し、保存にあたっている地元の人たちや雅楽団体なども環境の保全を求める運動を起こしている、という話題だった。
 記事によると国交省側もこれら保存を求める声に耳を貸してはいるようだが、「雅楽がユネスコの無形文化遺産だと知らなかった。専門家と意見交換したい」(高速道路課)というコメントには…無形文化遺産になってるかどうかはこの際あまり関係ないと思うんだけど。


◇マリ北部、イスラム法厳格化?
 前にもちょっと書いたが、現在マリ北部は反政府勢力が支配して「独立」状態になっている。その反政府勢力もいろいろあって手を組んだり戦ったりとややこしいのだが、このうち「アンサル・ディーン」というイスラム原理主義系の武装組織が有力で、支配地域のトンブクトゥで世界遺産にも指定されている有名な霊廟を「偶像崇拝」として実際に破壊したりして問題になっている。
 そして7月末に今度は不倫の関係にあったという男女をイスラム法の「姦淫の罪」に対する刑罰に従い、地面に掘った穴に入れて石を投げつけて殺す「石打ち刑」にしたとの発表があった。確かにイスラム法にはそういう制度があり(元はと言えば旧約聖書でも出てくるもの)、イスラム国家の中には実行している国もあって、それはそれで一つの文化だとは言えるのだろうけど(「不倫は文化」なんて言った人もいたっけ)、支配地域にしたことをアピールするためにわざわざやってる感じもあって、いささか不愉快。


◇オバマ大統領は奴隷の子孫だった!?
 今年はアメリカ大統領選挙の年で、これから本番突入で大騒ぎになる。4年前にオバマさんがアメリカ初の黒人大統領となった時には大変な新鮮さがあったものだが、すっかり慣らされてしまった感もある。さて再選はどうなりますか。
 そのオバマさんだが初の黒人大統領とはいえ、父親はケニア出身、母親はアメリカの白人で、アメリカ生まれの黒人の多くがそうであるようにかつてアフリカから連れてこられた奴隷の子孫というわけではない。だからオバマさんを一般的なアメリカ黒人の枠で語るべきではないとの声もあった。ところがどっこい、アメリカの家系図調査会社がオバマさんの母方のルーツを調査したところ、実はこちらのご先祖に黒人奴隷がいたことが判明したというから驚いた。
 白人の先祖に黒人?と思う方もいるだろうが、何世代も前の混血だとそういうことは結構ある。なんでもオバマさんの母親の12代前の先祖に17世紀のバージニアに生きたジョン=パンチなる黒人がおり、年季契約召使の身分から脱走しようとして失敗、1640年に罰として終身奴隷にされたという記録があるという。これがまた実はアメリカにおける最古の黒人奴隷の記録になるのだそうで、思わぬところでオバマさんは歴史的な先祖をお持ちだったのだ。このジョン=バンチは白人女性との間に子を持ち、その子孫は地主となって成功、遥かのちの子孫が黒人と結婚して大統領を産んでしまうという…ホントかいな、と思っちゃう話だが、ホントだとすればまさに「歴史のいたずら」である。


◇ナスカの地上絵、ブタに荒らされる!
 ペルーの「ナスカの地上絵」は謎の遺跡として有名だが、乾燥した大地を20cmほど掘ってその下の明るい土を露出させることで「描いた」絵で、そのあまりの大きさから地面にいる限りその「絵」を見ることは全くできない。吹きっさらしにされているけど浸食などもないので千数百年も前のものながら実によく保存されているのだが、最近ナスカの保護区に無断で居住し始める貧困層がいて、彼らが飼うブタによって地上絵が荒らされる恐れが出てきた、と8月15日にロイターが報じた。
 なんでもペルーでは貧困層保護のために「土地を1日以上占拠した人には、立ち退きの前に訴訟手続きの権利が与えられる」という法律があるそうで、勝手に保護区に入って来た住人たちにも一定の権利があることになってしまう。立ち退かせるには裁判をしなくてはならないが、それも数年はかかってしまう。その間にもブタが地上絵を掘り返して荒らしてしまう恐れがあるとペルー文化省では懸念しているそうだ。無断居住者のリーダーは「保護区の境界線を明確に書け」と言ってるそうだが、それも「地上絵」になっちゃう可能性が…


◇「人類誕生」はもっと古かった?
 「人類」といっても今の人類ではなく、そのご先祖が近い親戚であるチンパンジーの先祖とどこで分岐したのか、という話。僕も社会科の講師をしてるからなじみがあるが、「最初の人類」とされるアウストラロピテクスら「猿人」グループがこの世に現れたのは400万年前ぐらい、ちょっとさかのぼって600万年ぐらいかと長らく考えられてきた。それは化石が見つかった地層と、チンパンジーと現生人類のDNA分析による推測だったのだが、アフリカで700万年前の猿人の化石が見つかったこともあり、正確さに疑問もあがっていた。
 8月13日付のアメリカ科学アカデミー紀要に日米独英の共同研究チームが発表したところによると、チンパンジーの世代交代をより精密に考慮してDNAの変異確率と照らし合わせて分析しなおした結果、やはり人類とチンパンジーが分岐したのは700万年〜800万年前とよりさかのぼることになり、化石との矛盾は解決したという。地球の歴史、生命の歴史のウン十億年からいえばほんのわずかな誤差ではあるが。
 いちばんさかのぼって800万年、その人類が他の天体に降り立つまでにそれだけしか時間がかからなかった、とも言える。まさに人類は「大きな跳躍」をしたわけだが…しかし、相変わらずつまらんことでゴタゴタやっとるなぁ、というのが下の話題である。


◇騒々しい8月でした
 この8月、東アジアは「領土問題」で騒々しかった。この手の話はどの国も我こそ正義と一歩も引かず論争にすらならない上に、現実にはそれこそ戦争レベルのことでもないと状況は変化しやしない。そして話が単純なだけにそれぞれの国民を刺激しやすく、中には過激な行動に走るバカも出る。そしてその一部の跳ねっ返りの過激な行動を各国とも建前上全面否定はしにくく、おまけにネット上ではなおさら過激な言動が幅を利かすため(それが実態を反映しているかは別にして)、簡単に収束しにくい傾向も出てきている。
 倭寇を素材に民族・国境をまたいだ東アジア世界を研究テーマにしている僕(そうなんですよ、一応。なんか他のこといろいろやってますけど)にはホントに鬱陶しい限りなのだが、尖閣に上陸した香港の団体が「倭寇を退け」なんて文言を横断幕に書いてるのを見てよけいに頭に来てしまった。後期倭寇の構成員の現実からいうと彼らの方がよっぽど倭寇っぽいんだけどなぁ(笑)。

 ま、とにかくどれが正しいとかいう議論をしてもほとんど無駄。それぞれにそういう考えがある、と認識することで結局は問題は棚上げにしてナァナァでやってくしかなかろう、という話であり(結局そこに落ち着くほかないし)、過激な連中のあおりにみんなで乗せられていつまでも騒ぐのは愚の骨頂。どうせ鎮静化するしかないんだし。とにかく人が住めそうにもない島にドカドカ上陸して騒ぎを起こす奴はみんなバカ、と僕ははっきり明言しちゃう(そのバカの中に同じ市内のかなり近所の住人がいたんで参っちゃった)
 お隣の場合、大統領当人がそれをやっちゃったのはやっぱり問題なんだが…あれも韓国独自の歴史的事情もあるのだが普通実効支配している方は「領土問題は存在せず」で自分から注目を集めるようなマネはしない方がいいはずで。その後の天皇訪韓に関する発言にしても、何もそっちから言わなきゃ日本側が自然にやっただろうし(つい先ごろイギリス女王がアイルランドを訪問し、独立運動弾圧を謝罪するようなイベントはあった。たぶんあれが念頭にある)、あれを言っちゃったおかげで訪韓が遠のいてむしろ日本の右翼業界が大喜びしたりしているわけで、どういう計算でやったのか理解しにくい。ただあの直後にアメリカの「知日派」アーミテージ氏らが明らかに日本向けに「歴史に向き合え」と声明を出したあたり、案外歴史方面ではむしろ親分アメリカの方から圧力が強くなりそうな気配もあって、案外そこまで計算があるのかもしれない。意外とアキンドの町・大阪生まれはあなどれないかも(笑)。
 以前から半ば真面目に提案しているのだが、そういう具合に島に上陸して領有主張をしたがる連中を島に集めて「バトルロワイヤル」方式で存分に戦わせ、生き残りが出た方にその一年は領有させて、次の年はまたやる、ということをしたらどうかと。愛国バカの人口も減るし、ストレスが一定の解消はされるし一挙両得じゃないか(笑)。もっともそれを実際にやると人口比で中国にかなわなくなっちゃうけど。

 いしいひさいちがかつて漫画で「愛国うざい」というギャグを書いていて、僕も大変お気に入りの言葉なのだが、やっぱり日本の場合はその愛国をやたらに叫んで大挫折した過去があるのは大きいなぁ、とは思う。日本はどこか一定の引け目を覚え冷静さを保とうとする傾向があると思うのだが(一部のバカは別にして)、中国・韓国はやはりそれはまだ経験してないから「愛国無罪」の傾向がより強くなっちゃうのだろうと。この点については僕は日本の雰囲気の方が好みではあるが、大津の教育長襲撃事件なんか見ているとネット上で内向きに暴走するところがあるなぁ、と実はこっちの事件の方に不安を抱いてしまった8月だ。


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