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2012年12月6日

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◆カタルーニャ落ちる?

 去る11月25日にスペインはカタルーニャ州の州議会選挙が行われた。カタルーニャ州とはスペインの北東部を占め、オリンピックも開かれたバルセロナを中心とした地域として有名だが、そんな一地方の州議会選挙が今年はにわかに世界の注目の的となった。なぜかといえば「カタルーニャ独立」を掲げる勢力の優勢が予想されていたからだ。そしてその予想通り、独立志向の政党の獲得議席の合計が全135議席中の87議席にもおよび、大きく過半数を超える結果となった。
 もっとも、「独立を問う住民投票の実施」を公約に掲げたアルトゥール=マス州首相率いる政党「集中と統一」は第一党の座は維持したものの62議席→50議席と大きく後退、逆に急進独立派とされる「カタルーニャ左翼共和党」が10議席→21議席と躍進、独立に反対する中央政府のラホイ首相率いる「国民党」は18議席→19議席と上乗せ、といった具合で個々の政党についてみるといろいろと複雑な結果。マス州首相は自身の政党が単独過半数に遠く及ばなかったことから独立を問う住民投票の実施についても明言は避ける微妙な態度を見せているという。

 仮に住民投票で独立が支持されたとしても、スペイン政府はそれを認めない方針なのでことはそう簡単にはいくまい。さらに独立が実現したところでEUにはそのまま加盟する意向だというから、日本人からすると「じゃああんまり意味ないんじゃ?」という気もしちゃうのだが、カタルーニャ人の多くにとってはそうでもないらしい。それにはこの地方が長く独自の文化をもち国家を持っていた歴史が背景にある。
 この地方独自の歴史はあのカール大帝のフランク王国がイベリア半島のイスラム勢力を押し返して「バルセロナ伯」を置いたことに始まる。その後のイスラム圏との抗争・交流のなかでバルセロナ伯領はフランク王国から事実上独立し、一時はピレネーを越えた南フランス側に領土を持っていたし(このためその地方の住民も「カタルーニャ人」志向を強く持つという)、婚姻により隣国のアラゴンと連合王国を作ってイスラム圏に対する「再征服運動(レコンキスタ)」で勢力を広げ、最盛期にはシチリア島をも支配下に収め、て地中海西側を制圧する強国となった。
 その後15世紀にカタルーニャ・アラゴンの国王フェルディナンド2世が隣国カスティリアのイザベル女王と結婚し、共同統治する形で両国を統合し、のちのイスパニア(スペイン)王国の原型を作った。しかしあくまで基本はカタルーニャ、アラゴン、カスティリアといった諸国の連合体が共同君主を仰ぐという形をとっており、各地方の独自性は強く残った。18世紀に「スペイン継承戦争」が起こるとカタルーニャはフランスのブルボン家から入ったスペイン国王に反発して全面戦争を挑んだが敗北、ここにスペインは完全に一つの王国として統合されカタルーニャは独立の機会を失った。さらに20世紀のフランコ独裁時代にもカタルーニャ語の使用禁止など独自文化の弾圧政策を受け、その後に民主化が進んでもカタルーニャの独立志向は根強く残った。スペインで「独立運動」と聞くと、バスク人のことをすぐ思い出すのだが、カタルーニャもテロ活動こそしないけど独立志向は強く、2006年には大規模なデモも起きてスペイン政府はこの地方に大幅な自治権を認めさせられている。

 EUでヨーロッパを統合しようって時代に何もわざわざ独立せんでも…とも思っちゃうのだが、カタルーニャがスペインから独立したがるのには経済的な事情もある。実はスペイン国内においてカタルーニャは同国のGDPの5分の1を占める経済的に豊かな地方で、その経済力はポルトガル(ここも一時スペイン領で独立した経緯がある)にも匹敵し、十分独立してやっていけるレベル。それなのにその富をスペイン中央政府に吸い上げられているとの不満がもともとあったところへ、近年の財政危機による緊縮財政があったもんだからますます不満が高まってしまった。似たような話は同じく財政危機のイタリアでもあって、経済的先進地域の北部イタリアの独立運動というのが実際にある。日本なら大阪を中心とした関西文化圏が江戸時代並みに「天下の台所」で経済的に関東を圧倒していたら似たようなことになったかもしれない(税金分配については中央と地方の対立は実際に起きてるけど)

 ところでサッカーのスペイン・リーグといえば、世界の名選手が集う世界最高のプロリーグと言われる。その中で首都マドリードに拠点を置く「レアル・マドリード」は世界最高のクラブチームと呼ばれるほど有名だが、その最大のライバルと言われるのがバルセロナに拠点を置く「FCバルセロナ」。マドリードとバルセロナの試合は「伝統の一戦」であると同時に歴史的経緯から「因縁の一戦」となっていて、バルセロナサポーターはレアル・マドリードを「政府のチーム」と目の敵にして試合ではカタルーニャ・ナショナリズムを燃え上がらせるという。これも日本で言えば阪神巨人戦におけるタイガース=関西ナショナリズムに相当するのだろうが、あちらの方が歴史的重みを持つだけにより激しいものがあるみたい。
 で、今度の独立騒ぎの中で「カタルーニャが独立した場合、FCバルセロナはスペインリーグを離脱するのか?」との声があがっているそうで。実際11月あたまにあった対レアル・マドリード戦では地元サポーターたちが「独立」を連呼して騒いだという。もっともFCバルセロナの会長は否定したと言うし、独立志向のマス州首相も「バルセロナがいなくなれば、影響力のあるクラブはライバル不在のレアル・マドリードだけになってしまう」と言ったという(阪神のいないセ・リーグ…という例えはイマイチかな)。もっともマス州首相の発言には「バルセロナがいなくなったら困るだろ?だからもっと自治権よこせ」というニュアンスを感じるが。


 「独立」ばなしは他にもある。イギリス、すなわち「グレートブリテン北部アイルランド連合王国」を形成しているスコットランドも歴史的経緯がカタルーニャと似ていて、やはり独立運動がくすぶり続けている。女王からナイトに叙されてもいる元007のショーン=コネリーも熱心な独立支持者として知られている。
 今年5月にスコットランド独立を目指す「イエス、スコットランド」という運動が開始され、やっぱりショーン=コネリーが支持表明をしていた。現在のスコットランド首相であるサモンド首相が率いる「スコットランド民族党」は独立の是非を問う住民投票の実施を目指し、10月15日にイギリスのキャメロン首相との間で住民投票実施に向けた合意文書を作っている。もっとも投票自体は再来年の2014年実施の予定だそうだし、世論調査ではスコットランド住民でも独立賛成派は28%にとどまったというから独立実現は難しいところだろう。だいいちカタルーニャと違ってこちらは経済的にはイングランドにおくれをとってしまっており、独立派が「独立した方が民間企業が成長する」と主張してもいま一つ説得力がない(僕もスコットランドと聞くとスコッチウイスキーとネッシーくらいしか思いつかない)。なお、こちらも独立してもEUにはとどまる意向だそうで。

 少々古い話題になるのだが、9月4日にカナダのケベック州の州議会選挙がおこなわれ、同州の分離独立を主張する「ケベック党」が9年ぶりに第一党(125議席中の54議席)に返り咲いた。党首のポーリン=マロワが州首相となり、やはり独立の是非を問う住民投票の実施を目指すと公約している。もっとも第一党とはいえ少数与党なので、こちらもそう簡単ではないと見られる。
 ケベック州はカナダ国内のフランス語圏。むかしフランス人がこの地に植民し、フレンチ=インディアン戦争でイギリスに敗れた結果イギリス領となり現在のカナダの一部になった経緯があって、ここの住民はしぶとくフランス語を話して英語を排除し、「いずれイギリスを破ってフレンチ・インディアン戦争の恨みをいずれ晴らす」と公言して一部テロにまで走る人もいるほど(「ダイ・ハード」1作目で列挙されるテロ組織の中にもケベック独立組織がある)。カナダでは英語と仏語を公用語として併用するのもケベックに配慮してのことだが、ケベック州内では実質英語禁止状態になっていて警官が監視して回っているのをTV番組で見たことがある。
 マロワ党首の勝利演説の最中に銃を発砲した男があり、一人死亡一人負傷という事態になったのだが、犯人は独立反対派かと思ったらさにあらず、「イギリス人は目を覚ますだろう」とフランス語で言ったというから、むしろ過激な独立派であったみたい。何にしても人を殺しちゃいかんだろ。お前が目を覚ませ、と。



◆安らかに死んでられません

 かつてパレスチナ解放機構(PLO)議長としてイスラエルと戦い、イスラエルとの共存を認めたうえでパレスチナ国家樹立を目指してパレスチナ自治政府議長となったヤセル=アラファトがパリの病院で死去したのは2004年11月11日のこと。だからもう8年も前のことになる。本人はパレスチナの「首都」としていたエルサレムへの埋葬を希望していたがイスラエル側がそれを許さず、議長府のあったヨルダン川西岸のラマラの地にほうむられた。当時僕は追悼の意もこめてエルサレムの土でアラファトを葬るイラストを描いたりしたのだが(2004年11月17日付「史点」)、そのイラストでわめている当時のイスラエル首相のシャロン氏は2006年に脳卒中で倒れ、今なお意識不明のまま存命している。まぁ人生いろいろだ。

 さて以前「史点」でもとりあげたように、遺品からポロニウムが検出されたことからアラファトの死が実は「毒殺」だったのではないかと未亡人らが疑念を抱き、アラファトの墓を掘り返して遺体を直接調べることになった。ホントにやるのかと言ってるうちに11月27日にホントにやっちゃったので、そういうのはイスラム的に死者の冒涜にはならないのかなぁ、などとも思ったのだが「事実の究明」の方が優先されたということだろう。さすがに8年もたつと遺体も骨ばかりになっていたようで、厳戒態勢の中でスイス、フランス、ロシアなどの研究機関が遺骨からそれぞれ検体を採取、持ちかえって半年かけて調査するという。
 全ては結果待ちだが、アラファト死去の状況を考えるとわざわざそんな手の込んだ(しかも物質から犯人はかなり限られる)方法で暗殺しなきゃいけない必然性がないような気はしている。それにしてもアラファトさんもなかなか安らかに眠らせてもらえない。

 墓の下の眠りをさまされたアラファト氏をわずかになぐさめるものがあるとすれば、それは国連においてパレスチナが「国家」の地位を得たことだろう。偶然なのか、アラファトの墓が掘り返されたその日にパレスチナ自治政府の国連代表部は現在の「国連のオブザーバー組織」から「オブザーバー国家」への昇格を求める決議案を国連総会に提出した。29日午後(現地時間)に国連総会で採決が行われ、加盟国193カ国のうち138カ国の圧倒的多数が賛成票を投じ、パレスチナを「オブザーバー国家」に昇格させることが決定した。反対したのはイスラエルはもちろん、常にそれにつきあうアメリカ、それからカナダなど9カ国だけだった。イギリスなど41か国が棄権している。我らが日本はというとここでは親分アメリカにつきあうことなく賛成票を投じ、中東外交での独自性を見せることになった。

 「組織」から「国家」への昇格はあくまで呼称だけのものであり、実質的にパレスチナは国家扱いされているのだからそれほど意味がないようにも思えるが、やっぱりイスラエルとしては我慢のならないことであるようで、さっそく「報復」としてイスラエルのネタニヤフ首相は占領地である東エルサレムやヨルダン川西岸に入植住宅を300戸建設すると発表した。これはもう嫌がらせとしか言いようがなく、さすがにアメリカもこれには苦言を呈しているがイスラエルがすることを止められないのも事実。どうにか停戦になったとはいえイスラエルはつい先日までガザ地区空爆をやっていたが、それも総選挙が近いから(来年1月下旬予定)なんて「銀英伝」を地で行くような話も実際にささやかれているのだ。毒殺ウンヌンはともかく、アラファトもこれではいつまでたっても安らかに永眠させてもらえそうにない。

 本題とはあまり関係ないが、国連総会での決議つながりでついでに書いておくと、日本が毎年提案している「核兵器の廃絶に向け加盟国が一致して取り組む決意を示す決議案」が今年も賛成多数で採択された。19年連続のことで、しかもアメリカやロシアなど核保有大国も賛成に回って史上最多の174カ国の賛成での採択だ。もちろん賛成多数で採択したからといって即座に廃絶に動き出すようなものではなく象徴的な決意を示すにとどまるものだが、もう少し注目されてもいいのではなかろうか。ちなみに中国・インド・パキスタンなど13か国が棄権、決議文の中で核開発疑惑やミサイル実験を批判された北朝鮮一国だけが反対に回っている。近々また打ち上げ花火をやる気だそうだし、ここも態度の進歩がないよなぁ…。
 


◆もっと早くできてたの仮名?

 つい先日、韓国KBS製作の大河ドラマ「近肖古王(クンチョゴワン)」を見終えた。4世紀に百済を強国にした国王を主人公にした作品で、韓国歴史劇によくある人物が入り乱れたドロドロ愛憎劇がひたすら展開される全60回だったが、なにぶん主人公の歴史上の事績はほとんどわからないため(同時期の高句麗王を戦死に追い込んだことくらい)、ストーリーはほとんどフィクションで占められた。日本の石上神宮に保管されている七支刀を日本に贈ったのがこの国王と推定されているためオープニングでもこの七支刀が映り、ラストで結構意味をもつことになるのだが、意外にも日本に贈った話は出てこなかった。その代わり、「ヤマタイ国」のお姫様が終盤重要な人物として登場するほか、レギュラーキャラの一人が後半から「アジッキ」と名前を変え、これが日本の記録に出てくる渡来人・阿直岐であることがラストで分かる。そして最後の数回程度しか出てこないが子供時代の王仁(わに)も登場、そこはかとなく百済が日本に文化を伝えたことをアピールする形になっていた。もっとも思いのほかアッサリで特に強調した感じでもなかったが。

 ところでこの王仁とは何者かと言えば、『日本書紀』によると前述の阿直岐の紹介で日本に招かれた学者で、さまざまな漢籍を日本に伝えたことになっている。『古事記』では「和邇吉師」と表現され、『論語』や『千字文』を日本に持ちこんだ、つまり日本に儒教と漢字を持ちこんだ張本人ということになっている。もっとも『千字文』は王仁=和邇の生きたとされる時代よりあとに成立しているため、半ば伝説的存在なのではないかと言われている。朝鮮半島側の記録に彼に相当する人物は見当たらないそうだが、日本に文化を伝えたということが韓国人のプライドをくすぐるようで、近年ではすっかり有名人でドラマにも出てくるというわけ。
 その王仁が作ったとされる和歌が905年に完成した『古今和歌集』仮名序の中に挙げらられていて、現在でも「競技かるた」公式ルールでは王仁の歌を第一首に読み上げる。だから漢字を持ちこんだ張本人であると同時に和歌のルーツのひとつにもされちゃってるわけだ。

 で、その『古今和歌集』の編纂者としてその仮名序を書いているのが紀貫之。紀貫之と言えば、「男もすなる日記というものを、女もしてみんとてすなり」で有名な『土佐日記』(935年ころ)の作者。「ひらがな」を使って紀行文を書くためにわざわざ女性のふりをして書いたという事実が、当時は「ひらがな」が主に女性が使う文字であったことを示している。もちろん日本語表現には圧倒的に便利なので和歌についてはそれ以前から男でも「ひらがな」を使っていた形跡があるのだが、日記や公式文書はガチガチの漢文で書くのが当たり前だった。別にそれは古代に限ったことではなく、明治以前の日本の知識人にとっては漢文こそが正統な「文章」でありつづけた。当サイトの「しりとり人物」コーナーにもあるが、中江兆民ルソーの『社会契約論』を漢訳しているように、明治期までその伝統は残っていたのだ。
 えーと、少々話が脱線したが、「ひらがな」はご存じのようにもともと漢字の音を借りて日本語を表現しているうちに草書体で略して書くようになり、自然発生していったもの。「比→ひ」「良→ら」「加→か」「奈→な」といった調子で、言われてみれば面影が残っている。「仮名」という言葉だって漢字を「真名」と呼んだのに対して「仮の文字」ということであり、もともと日本語表現のための便宜的記号で正統な文字とはみなされなかった名残りである。また脱線するが、ネット時代になってから氾濫した(^^;)だの(T_T)だのといった顔文字やらアスキーアートなんかもちゃんと広く認められた「文字」になる可能性は十分ある。漢字の国中国でだって「囧 」というかなり特殊な漢字がネット上では困った表情で利用されている。

 さて前フリが雑談だらけでえらく長かったが(笑)、本題は「日本最古のひらがな」かもしれないものが発見された、というニュースである。9世紀に生きた貴族・藤原良相(よしみ、813-867、摂政になったことで知られる藤原良房の弟)の邸宅跡(京都市中京区)の発掘調査により発見された土器片群に多くの「ひらがな」が書かれていたと11月28日に京都市埋蔵文化財研究所が発表したのだ。注目されるのはそこに書かれた「ひらがな」が、これまで「ひらがな」成立を知る最古で重要な例とされてきた「藤原有年申文」(867年)のものよりも洗練・完成されたものだということ。「申文」は漢字の草書体を崩した「草仮名(そうがな)」と呼ばれるものだったのだが、同時期かそれ以前と思われる今回発見された土器片に書かれた文字は報道の写真からその一部が僕にも読みとれたほど「ひらがな」の完成形態に近い。これが本当に良相の時代に書かれたものだとすれば(一応古い土器に後年の人が書いた可能性も考慮はしなくてはいけない)、「ひらがな」の成立はこれまで考えられていたよりも早かった可能性が出てくる。

 気になるのが、この土器片に書かれた「ひらがな」は、何の目的で書かれたものかということだ。文字が墨で書かれた土器片は20点に及び、一枚の皿に40文字もびっしり書かれていた例もあったという。断片的だったり文字がかすれて読みにくかったりしたため解読は専門家でも容易でないようだが、「かつらきへ」「ひとにくしとおもはれ」といった文言が解読でき、歌の一部ではないかと推定される。良相は当時一流の文化人として知られた上流貴族だから、その邸宅は文化サロンの様相を呈し、宴会などで歌会なども開かれ、土器片に書かれた文字はそのためのメモ、あるいはカンニングペーパー(ご存じのように当時紙は大変な貴重品)ではないかとの推理もある。
 ただ、新聞に掲載された「ひとにくしとおもはれ」を含む土器片の解説画像を見たのだが、カンペにしても意味がわからなすぎでは…という気もした。朝日新聞に載っていた解読図から、その土器片に書かれた「ひらがな」をそのまま並べてみると「けの もたい かをひ あまりて いくよし みすらキ(ここだけカタカナ)れ ちすきな ひとにくしとおもはれ えすれも えら」となり、割れた土器の一部だからとぎれとぎれになってるのはしょうがないとはいえ、「ひとにくしとおもはれ」以外は日本語とは思えないほど。逆に「ひとにくし…」の部分はたまたま日本語に合致しただけじゃないのか、という気もしてくる。もしかして暗号だったりして(笑)。
 暗号…と思いついてからこの文字列を眺めていると、なんだか懐かしい気分がしてきた。なぜだろう、と考えて気がついた。そう、データセーブ機能がなかったファミコンなど初期TVゲームのRPGで使われた「パスワード」(ドラクエの「ふっかつのじゅもん」ね)にソックリなのだ(爆)。だとするとこれはオーパーツか!?



◆半世紀前の宇宙戦争!
 
 オランダのベンチャー企業が「マーズ・ワン」という火星移住事業を本格的に初めて話題になっている。来年から希望者を40名まで募集し、砂漠で生存訓練などをおこなったのち2023年までに10人に絞り込み、その後2年おきに4名ずつ火星に送り込む、という計画だそうだ。ポイントは「探検」ではなく「移住」であることで、基本的には行ったっきり。どうしても帰りたくなったら帰れるようにはするというんだけど、ちと現段階では冒険的に過ぎる気がする。
 地球の近場の天体で人類がまず移住するのは火星であろうという話は昔からある。先日の探査機「キュリオシティ」が送って来た写真でも分かるように火星の大地はパッと見では地球の砂漠によく似ている。極冠には水もあると予想されているし、二酸化炭素が大半の大気だって将来人工的になんとかできる可能性はある。SF作品でも火星への移住は古くから扱われていて、東宝特撮SFの一本「妖星ゴラス」(1962公開)では1980年代の日本で「80年代は火星開発の時代だ!」と街頭でその企業の株を買えともちかけてくる場面があったりする。それからするとずいぶん遅れたもんだという気もするが、1957年にソ連が最初の人工衛星「スプートニク1号」を軌道に乗せたのを皮切りに犬、サルに続いて1961年にキジではなくガガーリンを打ち上げて人類初の宇宙飛行に成功しており、アメリカも必死になって追い上げをかまそうとしていた宇宙開発華々しい時期の映画だから、20年後の1980年代には火星くらい行ってるだろう、という気分になるのも無理はなかった。実際、1969年には月面に人間が降り立っちゃったわけだが、今からすると信じられないスピードでもある(だから「アポロ陰謀論」を信じる人が少なからずいるわkだが)

 そんなスピードになったのも、ひとえにこの時期の宇宙開発競争はソ連とアメリカの「冷戦」を背景とした国家の威信の競い合いであり、直接的には軍事的優位をめぐる争いであったからだ。スプートニクにアメリカが衝撃を受けたのも「初の人工衛星」であることもさることながら「宇宙から核攻撃される」という恐怖におびえたためだ。スプートニクに対抗すべくアメリカが進めた「ヴァンガード計画」は打ち上げ失敗を連発し、アメリカはすっかりヒステリー状態になってしまった。
 そんなころ、ソ連に対する劣勢をくつがえすべく、ハデな打ち上げ花火をやろうという計画があった――という話がCNNで報じられていた。なんと「ミサイルを月面にぶちこんで核爆発を起こさせる」という、SFみたいな計画が実際にあったというのだ。

 CNNの記事によると、その計画は「月面調査計画」(別名:プロジェクトA−119)と呼ばれ、まさにスプートニクの成功とヴァンガードの失敗が重なっていた1958年にスタートしたという。計画では大陸間弾道ミサイルに広島レベルの核爆弾を積み、月面に激突した衝撃で核爆発を起こさせる。それによって「宇宙戦争における核能力」の情報を得ようというものだった。計画参加者の中ではさらに話が進んで、月面上に軍事基地を建設して核ミサイル発射場を設け、もしソ連がアメリカに核戦争をしかけてアメリカ本土で反撃の機会を失ったら月面からソ連に核ミサイルを発車するという構想まであったという。要は人工衛星ではなく月そのものを天然の軍事衛星として利用しようというわけですな。しかしさすがに実行自体が難しかったろうし(その後のアポロ計画ですら月面着陸が精一杯なんだから)、1959年には計画そのものへの懸念も出てきたため計画中止となったのだそうだ。
 CNNはこの計画に主導的に参加していた物理学者のレナード=ライフェル氏(85)にインタビューしており、ライフェル氏は「恐ろしい構想だ。永久にSFの域にとどまることを願う」と語ったという。月面で核爆発を起こせば当然月面の放射能汚染の問題も懸念されたわけだが、「我々は地球からさらに放射能を送り込んで月の自然放射能を増やすことは望まなかった」というライフェル氏の言い方はいかにも物理学者らしい。学者と言えば、有名な天文学者カール=セーガンもこの計画に参加しており、規定を破って計画の情報を外部に漏らしたりしていたという。その割には初めて聞く話だが…


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