ニュースな
2013年6月30日

<<<<前回の記事
次回の記事>>>


◆今週の記事

◆二ヶ月サボったその間に

 気が付いたら前回の「史点」更新から二ヶ月も過ぎてしまった。塾の仕事もあるし、飛び込みでイラスト描きのバイトもしたので忙しかったと言えば忙しい時期もあったのだが、書くヒマもないほどヒマがなかったわけでもない。結構映画もドラマも見たし、当サイトのあちこちの記事を書きためたりしていたのだが、なんとなく「史点」に手がつかなかった。もともと気分屋なので、何か書く意欲が起きないとなかなか書けないものなのだ。
 そのサボっている二ヶ月のあいだ、世間的に大きな話題になっていたのは「歴史認識なんちゃら」というやつだったと思う。まぁ相変わらず良く繰り返すなぁ、という印象なのであるが、結局は騒がれたあげく元の木阿弥になるといういつものパターンに終わった気がする。そして数年もすればまた性懲りもなく繰り返すのだろう。

 発端をたどって行くと、四月の靖国神社の例大祭に行きあたる。あそこはもともとは春と秋の例大祭がメインイベントだった場所で、その日に静かに戦没者を慰霊するならそう問題にならなかったのだが、A級戦犯を合祀して8月15日に何かと大騒ぎする場所になってしまったことでもはや政治外交でホットになる面倒くさい場所になってしまった。以前から安倍晋三首相は例大祭なら参拝可能と踏んでいて今もそれを狙っているとしか思えないのだが、正直なところもう手遅れだと思う(何してもこじれて逆効果というべきか)。安倍さん本人こそ参拝はしなかったが真榊の奉納はしたし、「副総理」という対外的にはかなり大きいポジションの麻生太郎元首相が参拝したもんだから、予想通り騒がれることになってしまった。
 昨年12月に安倍さんが「返り咲き」で就任して以来、「ひとまず参院選までは安全運転」ということで、もともとこの人とその周辺が強く持っているタカ派色は出さないようにつとめていた。だがそろそろ我慢できなくなっちゃった(というか、バックボーンにいる人たちがせっつくんだろう)ようで、この例大祭のあとからチラチラとその「色」を出し始めた。かねてより主張している「村山談話」「河野談話」への疑念を示唆し、「侵略戦争の定義は学術的には定まっていない」といったその方面では定番で使われる表現を口にしたのだ(「侵略」と称して始めた戦争は皆無、ってのもよく言うけどね)。 直後に韓国中国はもちろん親分アメリカからも不快感が表明され(アメリカ議会の報告書で「超国家主義」への懸念という、結構露骨な表現もあった)、あわててひっこめることになったのもいつものパターン。いつも思うんだが、日本がアメリカ と戦争したうえ降参して占領された上で今日があるって歴史を忘れてるんじゃなかろうか、と思える政治家の発言って多いような。

 その占領が終わって主権回復をした日を政府式典として祝うなんてイベントもやっていた。これはもともと「主権回復したら押しつけ憲法は問答無用で破棄できたん だ!」というかなり無茶ながらそちら方面では常識のようになっちゃってる主張と密接にリンクしている。もともと公約にしていたから実行したわけだけど、天皇・皇后を招いた上に最後にみんなで「天皇陛下万歳!」を 唱えたのには…僕の周囲でも「なんだ、ありゃ」とつぶやいている人がいたっけ。
  ただ、今年のこの日は実はそれほど盛り上がっていたわけでもない。なぜかといえば宿願の「憲法改正」は例の「96条改正」という奇策によって一気に現実味を帯びていて、主権回復の日の方はその意味では少々色あせてしまっていたのだ。説明するまでもなく「96条」とは日本国憲法の中で憲法の改正手続きを定めた条文で、衆参両院の総議員の3分の2以上の賛成を得て憲法改正を「発議」し、さらに国民投票で過半数の賛成を得ることと定めているのだが、この発議のハードルを「過半数」に下げて改正しやすくしちゃおうというわけである。もちろんその96条を改正するためにも「衆参総議員の3分の2以上」の賛成が必要になるのだが、憲法改正に乗り気の「日本維新の会」や「みんなの党」さらには民主党内にもいる改憲積極派も加えれば3分の2以上達成は不可能ではない状況 ができつつあり、とくに勢いのある維新が参議院選挙で勢力を伸ばせば現実味はグッと高まる状況になっていた。このため5月の前半まではこの「96条改正」をめぐる議論が一部で盛り上がっていた記憶がある。

 ところが5月の半ばで状況が一転する。そう、維新の共同代表、橋下徹大阪市長が例の発言をやらかしたのだ。
 あとから本人が「大誤報」などとわめいていたが、その発言の全文は当初からネットに公開されていたし、そのいわんとする趣旨はおおむねその通り表現されていたと僕は思った。本人が外されたと騒いだ「当時」という部分だって僕は最初から目にしている。むしろ最初に思ったのは「ほう、じゃあ当時の政府や軍が積極的に関与していたと認めちゃうわけか」というものだった。実際橋下市長は必要なら元慰安婦への補償まで口にしていて、この点ではむしろ保守系メディアから「勝手なことを言うな」とばかりツッコミを入れられていた。
 本人は文脈をウンヌンとわめいたけど、従軍慰安婦の話から沖縄の米軍司令官に性風俗(本人はあとから「合法のもの」に限ると主張したけど、流れからいってそうは聞こえないだろ)の利用を勧めた話につなげれば、聞いた人からどう思われるか普通は想像がつくだろう。以前米軍司令官が兵士の暴行事件に関して「女を買えばよかったのに」とオフレコ発言して解任された事件もあったんだから。そんなに昔のことじゃないんだし、知らなかったとは思えないんだけどな。

 この発言、安倍首相の「侵略の定義」発言の火が消えかかかったと思ったら、安倍さんの「忠臣」を自任しているらしい高市早苗政調会長の「村山談話に違和感」発言がその火をまた燃やしてしまった直後のことで、そういう一連のことについての意見を求められて出て来たものだった。当人 はそこまでのつもりはなかったんだろうけど、結果的にこれが世界的大炎上になってしまい、前の二人がかすんでしまった(笑)。面白かったのは「政府の見解 とは異なる」と断言した安倍首相も含めて、自民党やその他の保守系政治家で橋下市長を擁護する声が全く出ず、それどころか防衛大臣のように「あんなのと一 緒にしないでくれ」と対外的にアピールする動きまであったことだ。いやぁ、実のところ橋下さんよりもっとおかしな歴史観の人たちが大勢いるはずなのだが(つい先日も自民党の部会で「高校歴史教科書に自虐的なものあり」としてより政府の圧力を強める意見がまとめられていた)、不思議なくらいの総スカンぶりであった。橋下さんが「自民党は二枚舌」と言っていたのも無理はない。

 ひとつにはアメリカ政府高官がかなり露骨に不快感を示したのでビビってしまった、ということもあるだろう(維新内の元石原グループの国会議員たちもアメリカの機嫌 を損ねた部分だけ批判し、撤回させていた)。ただそれよりも大きいんじゃないかなぁ、と僕が思ったのは、結局この騒ぎで「河野談話」にしても「村山談話」にしても、もはや見直しなんて口にもできないということを改めて思い知らされたからじゃないかな、ということだった。騒ぎの火が消えかかっていたところへ一気に油を注いで炎上させる形になってしまっ たので、「余計なことを」と思った政治家は多そうだ。
 あと、石原慎太郎共同代表が「ツイッターを慎め」と忠告していたが、橋下市長が多くのフォロワーがいるツイッター上で、自身のフォローをするためなんだろうけどジャワ島におけるオランダ人慰安婦の問題とか、敗戦直後の占領軍兵士向けの慰安所設置の話とか、世間的にはあまり知られていない(後者については先ごろのNHKの吉田茂ドラマで珍しく描かれていた)、 なおかつ右派系にとってはあまり触れられたくないであろう史実に次々と言及してばらまいたのも大きかったような。また橋下市長が「侵略戦争」と明確に認めている ことについても、石原さんとその取り巻きはかなり気に食わなかったようで、「マッカーサーだって侵略じゃないと言っている」と、例のトンデモ史観を持ち出して批判していた。もともと橋下さんって外国人参政権前向き、竹島共同統治、原発全廃とおよそ保守系連中とは合わないことを主張してるんだよな。なんか結果だけ見るとその手の人たちからすれば橋下さんって「トロイの木馬」みたいなもんだったのかも。

 まぁとにかくそんなこんなで、すでにほころびが見え始めていた維新の支持率は急降下、みんなの党は協力を断ち切って逃げちゃうし(都議選の結果からすると正解だったようだ)、 自民党もさすがに連立は組めない。もともと仲が良かった公明党も大阪市議会の問責決議で「市長選」をタネに脅された(選挙が重なるのを本当に嫌うんだよねぇ、ここは)こ とでかなり根に持つことになった様子だ。96条改正ばなしが5月後半にはすっかり下火になってしまったのもこの「維新低下」によるところが大きい。石原サンはそれでよけいに頭に来ているようで、96条改正にこだわる橋下サンを「寝ボケ」と批判して、「首相が破棄を宣言すればいいのだ!」と自分がボケをかましてしまっていた。
 もともと個人人気頼みが大きかった支持率も急落し、都議選も惨敗といっていい結果になったが、一時断定的に報じられていた責任をとって代表辞任という流れにはならなかったところをみると、維新としては橋下さんを斬り捨てた方が傷がデカいと考えているんだろう。石原さんも一時は橋下さんのことを「終わった人」とか言ってたのにねぇ。僕の地元の選挙区でも民主党から維新へ乗り換えた候補者がいるのだが、橋下さんの顔入りポスターをあち こちに貼った直後に例の発言があり、間の悪いことを思ってるんだろうな。

 ふと思ったのだが、橋下発言の直後の「暴言」により維新を追放された西村眞悟議員、見事なまでの政界渡り鳥の経歴の持ち主なのだが、彼が去った政党ってその直後にみんな沈没していくんだよね。もしかすると意図的に逃げ出したんじゃな かろうか。



◆トルコでもブラジルでもエジプトでも

 この文章を書いている時点 ではひとまずの「沈静化」に至っているみたいだが、オリンピック開催国に名乗りを挙げているトルコで大規模な反政府デモが起こり、かなりの盛り上がりを見せていた。あれを見ていると猪瀬直樹都知事がポロッと言ってしまった、「イスラム圏はケンカばかり」という発言を表面的には肯定してしまうことになってしまうのだが…
  日本ではどうしても「イスタンブールオリンピックはこれで不利になったな」といった関心の持ち方が多いのだけど、僕としてはこのトルコというイスラム多数派国の近現代史が抱え続けている問題が複雑に絡み合ってああいう現象として現れているのだなぁ、という感慨がある。一応当サイトの「しりとり人物館」でケマル=アタチュルクを採り上げたことがありますしね。あれを書く時にケマルの日本語伝記本は実質一冊しかなかったもんで、日本人のトルコへの関心なんてそんなもんなんだろうなぁ、と思ったものだ。

  ケマル=アタチュルクは第一次世界大戦の敗北でオスマン帝国が滅亡、領土分割の危機にあった時に登場し、侵攻してきた外国軍を退け、強力なリーダーシップで「近代民族国家」としてのトルコを建設した、文字どおりの「建国の父」だ。ケマルは文字をアルファベットにしたり、女性参政権をいち早く認めるなどトルコの「ヨーロッパ化」を推進し、同時にトルコ国民の圧倒的多数がイスラム教徒であるにも関わらず「政教分離」を徹底した。イスラム教はもともとその教義に文化習慣や政治経済に関する規定を含んでいるため政治と宗教が分離することは本来ありえないのだが、ケマルはほとんど一人でそれをやってしまった。ケマルは明らかな働き過ぎで早死にしてしまったが、トルコは今もなお国家の宿願として強烈にEU入りを志向し、政教分離も国是として維持するなど、あたかもケマルがそのまま統治を続けているかのようにその遺志を引き継いだ姿勢を保っている。
  ただこれまでにも何度か「イスラム伝統への回帰」の動きはあった。イスラム系の政権ができるたびに「政教分離の守護者」を任じる軍部がクーデターを起こしてそれをつぶし、イスラム政党を非合法化してきた歴史もある。しかしEU入りするためにも時代の流れで「民主主義」的な傾向が強まって来ると、イスラム政党「公正発展党(AKP)」が 選挙で勝利を収めて政権を握り、「政教分離」の原則は保ちつつも、少しずつ、少しずつではあるが、それまで厳禁されていたイスラム的な要素を法律により 「公認」させつつある。

 例えばイスラム諸国では女性がスカーフをかぶることが多いが(女性の肌や髪はなるべく出すな、という戒律があるため)トルコではこれまで公の場でのスカーフ着用を逆に禁じて来た。だが現在の政権で法改正が行われ、「スカーフ着用の自由」が認められた。まぁつけたい女性はつけていい、ということなのであって「強制」ではなく「自由化」ではあるのだが、政教分離派からは「イスラム戒律の強制につながるのではないか」との懸念も出ていた。
 そして先5月末にトルコ国会は酒類の販売等についてかなり制限する法律を成立させた。今後トルコではモスクや学校の近くでの酒類の販売が禁じられ、飲食店などでの酒類販売についても午後10時から午前6時まで、つまり深夜帯には禁止されることになる。さらには酒類企業のイベント後援は 原則禁止、映画などでも飲酒を奨励するような場面は禁止するという。現在世界的にタバコが受けている規制に近いという気もするのだが、映画などにまで規制 をかけるのは「表現の自由」の観点から言ってあまり感心しない。エルドアン首相は「アルコールの有害な影響から若者を守るため」と主張しているそうだが、これなんかも近ごろ話題の「児童ポルノ禁止法案」における漫画・アニメ・ゲーム等をターゲットにした規制の動きと通じたものを感じ る。

  確かにイスラム諸国では酒類がかなり規制されるケースは多い。厳しいところだと完全にアウトになる。根拠はもちろん「コーラン」にあるのだが、厳密にいえば「コーラン」でも「酒を飲むな」とは言っていない。ムハンマドも酒を飲んで失態を犯した逸話があるように、神様も「飲むな」とは言っていないのだ。あく まで「酒にはいいところもあるが、飲みすぎるとその害は利点より大きい」という、素直に読めば至極当たり前のことを言ってるにすぎない。イスラム文化の代表の一つである 「千夜一夜物語」でも飲酒場面はしょっちゅう出てくるし(まぁ酔っぱらうとろくなことにならないけど)、所詮は「程度の問題」という話でもある。こうした考え方がイスラム固有のものでない ことは、仏教でも寺院内では禁酒とされていることや、20世紀初頭のアメリカにおいて悪名高い「禁酒法」の例を見てもわかる。
  ちなみにトルコ建国の父ケマル=アタチュルクは大の酒豪であった(笑)。トルコにはアルコール度がかなり高い「ラク」という酒があり、ケマルはこれを愛飲 していて、死の床にあった時も医者に「ラクのせいじゃないと診断しろ」と減らず口を叩いている(笑)。こういう建国の父であるからトルコはこれまで飲酒にはかなり寛大なイスラム国となっていたのだが、イスラム系の現政権としては「禁酒」とまではいかなくても規制はかけたかった、ということなのだろう。

  そんなわけで、6月に入ってからイスタンブールでオリンピックに向けての再開発問題をきっかけに大規模な反政府デモ活動が起こった時、僕なんかは「酒が規制された腹いせもあるんじゃないか?」などと言っていた。もちろんそれは冗談だけど、いささか強引な再開発計画を発端にしながらあれだけ大きな動きにつながった背景には政権の進める「イスラム色政策」に対する世俗派の反発、という面もあると思う。そのちょっと前にもトルコではブログでイスラム教の預言者ムハンマドを皮肉る書き込みをした人が「有罪」とされたケースもあって、それこそ表現の自由に関わる問題として議論を呼んでいた。ただ、エルドアン政権がかなり強気な のは、結局のところ選挙をやれば勝つし議会でも多数派、つまりは大衆の大きな支持を受けているという自身があるということだ。
 こうなってくると、これまでも繰り返されたパターン、「世俗派の守護者」を自任しているという軍部の動きが気になってくる。実際エルドアン政権になってからも軍首脳がチ ラチラとキナくさい発言を牽制球のようにしてきたことはあり、まかり間違うとまたクーデター、政権打倒という可能性が出てくる。そんなことになったらそれ こそオリンピックどころではないので、そうならないことを祈るが。

 次のオリンピック開催地はリオデジャネイロ。そのリオがあるブラジルで も大規模な反政府デモが発生したから驚いた。現在ブラジルはサッカーのコンフィデレーション杯の最中なのだが、あのサッカー熱狂国が、「ワールドカップもオリンピックもいらん」と、現在やってるサッカーもそっちのけ(ってわけでもないのかもしれないが)でデモに大騒ぎになっているというのは実際驚き。国民的英雄であるペレが「サッカーに集中すべき」とたしなめる発言をしたら(一応前段ではデモそのものには賛同していたらしいけど)、デモに参加する多くの国民から凄いブーイングを浴びたというから、やはりただごとではない。
  大規模な反政府デモの背景についてはいろいろ言われている。きっかけとなったのは公共交通の運賃値上げだが、ブラジルといえばいろいろ聞こえてくる貧困と格差の問題や放漫な行政、汚職などなどいろんなことへの不満がこれを機に爆発してしまったとみられている。オリンピックの前にそもそもワールドカップは開けるのか、という声まであるが、今のところFIFAはそのまま開催すると表明している。大規模デモに直面したルセフ大統領は政治改革について国民の意思を問う国民投票を実施すると表明して事態の鎮静化をはかっているが…

 トルコやブラジルの騒ぎを見ていて思ったのだが、1964年に東京オリンピックをやる前の日本はどうだっただろう?東京開催が決まった翌年の1960年と言えば、「60年安保闘争」。 現首相の祖父である岸信介が安保条約の国会承認を野党議員を締め出すという無茶な強硬手段をとったため、それでなくても騒ぎになっていた学生運動に火をつけてしまい、国会議事堂を群衆が取り巻いて機動隊と衝突、一人とはいえ死者も出た。その後所得倍増計画やらオリンピック景気やらの「高度経済成長」の波に乗ってこうした反政府運動は沈静化していってしまうのだが、僕の世代から見ても1970年前後までの日本ってやたらに騒々しい国に見えてしまう。
 だからもしかするとトルコやブラジルみたいにオリンピックでも初めてやりましょうか、という経済・社会レベルに来ている国は同時にそういった矛盾が山積していて、ともすれば噴き出しやすい、ということなのかもしれない。思い返すとソウル五輪以前の韓国とか、北京五輪前の中国にだって似たような現象がみられたような気もする。そして 今の東京は…何やら世界に恥をさらすヘンなデモをやってる集団はいるようだが。あれだって東京のマイナス材料にする動きもあるんだぞ。ま、僕はもともと東京誘致には反対こそしないが消極派なので落選してもかまやしないが。
 
 などと書いているうちに、オリンピックとは何の関係もないが、エジプトでも反政府デモが激化してきた。例の「アラブの春」の結果、長らく独裁してきたムバラク政権が倒れ、初めての民主的選挙によってイスラム同胞団をバックにするムルシ大統領が昨年の6月30日に就任したのだが、就任一年を前にこの大騒ぎに。エジプトもトルコと似たような事情を抱えていて、これまで戒律的には比較的ルーズだったこの国でムルシ政権はやはりイスラム色を強める傾向を見せているようだし、大統領権限の強化を定めた憲法を制定しようとして反対派から「ファラオ」 呼ばわりされてもいる。
 つい先日の6月16日にも観光地ルクソールの知事に、イスラム原理主義団体「イスラム集団」のメンバーを任命して物議をかもしていた。「イスラム集団」は1997年のルクソールで外国人観光客を襲撃したテロ事件を起こした集団で、その後テロについては反省し武装闘争路線を 放棄した穏健派は政党「建設発展党」を作って議会にも議席を得ているが、そのメンバーがルクソールの知事になっちゃったことにはルクソール住民の猛反発があった。知事になった当人はもうテロを肯定してはいないのだろうが、現地の観光業にとっては「勘弁してくれ」という話であろう。結局一週間ほどで「流血は避けたい」として辞任することになったのだが、そもそも任命した大統領の責任はどうなるんだ、という話である。
 そういうこともあって、この記事をアップした30日当日に何が起こるか分からない情勢だ。
 


◆サボった間のネタあれこれ

 二ヶ月もサボっていたので、さぞネタがたまってしまっただろう…とお思いかもしれないが、実のところそれほどでもない。だいたい気分屋の僕が書 く気を起こすだけのネタがなかったということでもあるんだから。まぁ、それでもそこそこ目をひく話題はあったので、短くまとめまして。


◆勲章ロシアンルーレット
 ワレンチナ=テレシコワさ んといえば、初の女性宇宙飛行士。ソ連時代の1963年6月16日に女性として初めて宇宙空間に出て、「私はカモメ」という名セリフを残した。その後どう しているのか知らなかったのだが、現在は国会議員なんかになっていたのであった。僕なんかはむかし宇宙開発史にハマっていた頃にその名を覚えたもので、失礼ながらとっくに故人かと思っていたのだが、現在76歳でお元気だそうで。つまり宇宙に行った時は26歳だったわけですな。
 そのテレシコワさんが宇宙に出かけてちょうど半世紀となるのを記念して、プーチン大 統領が彼女に「アレクサンドル・ネフスキー勲章」を 授与した。ロシア史に詳しい方はご存じだろうが、アレクサンドル=ネフスキーとは13世紀に生きたロシアの民族英雄で、エイゼンシュテイン監 督の映画でも有名。彼の名を冠した勲章は帝政ロシア時代にすでにあり、ロシア革命後一時消えたがソ連においても形を変えて復活、第二次大戦中に戦功のあった軍人に多く授与されている(調べたところでは映画でネフスキーを演じた俳優の顔がそのまんま刻まれていたそうで)。ソ連解体後また消滅していたが、どういうわけか2011年に復活、今回のように大きな業績を上げた人物に授与されることになってるらしい。
 プーチンさん、実はこれ以外にもソ連時代のものを復活させている。勲章ではなく様々な分野の功労者に贈られる「称号」なのだが、その名も「労働英雄」という、いかにもソ連的なもの。 もともとスターリン時代の1927年に制定され、1938年以降は「社会主義労働英雄」というもっと重々しい名前だった。さすがにソ連解体後は消滅していたが、今年5月に「復活」し、世界的指揮者のヴァ レリー=ゲルギエフ氏ら5人が「復活第一号」の「労働英雄」の称号を贈られている。例によって「ソ連への回帰か」と批判もされ ているようだが…

◆メキシコに日本人奴隷!
 もちろん昔の話。16世紀の末のメキシコに少なくとも三人の日本人が奴隷として住んでいたことが判明したのだ。
 ポルトガルと日本の研究者がメキシコの異端審問の記録を調べていて発見したもので、ガスパール=フェルナンデスミゲルベントゥーラの 男三人。いずれもスペイン風の名前になってしまっているが、記録には明白に「日本(ハポン)」出身と書かれていたという。彼らは当時スペイン領であった フィリピンのマニラに住むポルトガル商人ペレスに 買われた奴隷で、三人のうちガスパールは豊後生まれで1585年に8歳で日本商人からペレスに売られ、長崎からマニラに来たという、なかなか興味深い来歴 である。豊臣秀吉が九州平定の際に「南蛮人」によって日本人が奴隷として海外に売られていることを知って警戒感を抱いたという話がある し、後期倭寇や文禄・慶長の役においても例がみられ、とくに九州では奴隷売買がかなり一般的に行われていたもののようだ。
 ところでこの三人がどうして異端審問の記録に載っているのかというと、彼らの主人であるペレスが隠れユダヤ教徒であったらしいのだ。1596年にペレスは 隠れユダヤ教徒として逮捕され、異端審問を受けるために家族ともどもメキシコまで運ばれた。このとき日本人奴隷三人もメキシコに連れて行かれ、ペレスの信 仰について証言などを行ったらしい。その後詳しい経緯は分からないが1599年にガスパールとベントゥーラは「自分たちは奴隷ではない」と主張し、結局 1604年に晴れて自由の身となったのだそうだ。その後の彼らがどうなったかは分からないけど、奴隷の身分から解放されたことについてはちょっとホッとす る。
 彼らがたまたま記録に残っただけなのかもしれないが、現時点ではこの三人は「初めて太平洋をわたった日本人」になりそう。伊達政宗派遣した支倉常長の一行が最初とされてきたのだが、それよりこの三人組の方が早い。そういえば支倉常長が日本に持ち帰った肖像画その他が「世界記憶遺産」に登録されてたっけ。

◆富士山だけではありません
 その「世界遺産」に、富士山が登録された。もともとは「自然遺産」を目指したのだが、人の手が入り過ぎていることがネックになり断念。「文化遺産」での登録を目指してついに実現したわ けだ。当初外されるところだった「三保の松原」もセット登録されてめでたし、めでたしなんだけど、一方でやはり文化遺産登録を目指していた「武家の都・鎌倉」は完全に落選。理由はいろいろ考えられるけど、一つには鎌倉時代のものが大仏以外ほとんど残ってないからかも。「新田義貞のせいだ!」というギャグを見つけて南北朝マニアの僕などは大受けしてしまっていたが。
 さて、日本では富士山の話ばっかりで盛り上がっていたが、プノンペンで開かれたユネスコ世界遺産委員会ではお隣北朝鮮の遺跡が世界文化遺産登録を果たし ている。それは北朝鮮のどこかといえば、開城(ケソン)である。「えっ、もうあの工業団地が遺跡扱いかよ」と思ってはいけない(笑。そういやこの二ヶ月の間にすっかりおとなしくなりま したな)。開城はもともと高麗王朝時代の首都であり、当時の王宮跡や王の陵墓などが残っていて、その遺跡地区が世界文化遺産に登録されたのである。北朝鮮ではこれまでに「高句麗時代の古墳群」が登録されていて、これが二つ目である。
 最近韓国の時代劇が日本にバンバン輸入されているが、その中にもいくつか高麗時代を扱ったものがある。韓国では時代劇といえばたいてい朝鮮王朝時代で高麗時代はほとんど扱われなかったらしく、日本における室町時代みたいなポジションだったみたいだが、高麗建国を描いた超大作「太祖王建」のヒットを受けて 「帝国の朝」「武人時代」「千秋太后」といった高麗時代ドラマが続々と作られていて、僕もチェックしているところ。それらのドラマでも当然開城が出てくるのだが、実は同じ王宮セットを使い回して撮影している(そりゃまぁ当然ですよね)。だが「本物」は北朝鮮にあるんだよなぁ、と当たり前のことに今さら気付かされたのだった。

◆幽霊なんて知らん!
 5月末、安倍晋三首相がなぜか就任から五ヶ月経っても首相公邸に引っ越さない事に関して、民主党の国会議員が「首相公邸に幽霊が出るという噂があるが事実か」という質問書を出し、これに対して政府が「承知してい ない」と公式に答弁したという話題があった。「くだらんことを」と批判の声も上がっていたが、これに限らず国会のやりとりって結構くだらない話をやってるものだし、そもそもヤジも含めて発言之自由は基本的に保証されてるんだから問題はない。まぁこんなのは一種の潤滑油的ジョーク としてあってもいいと思うんだよね。
 現在の首相公邸はかつての首相官邸を移動させたもので、以前は旧公邸とそのままつながっていた。犬養毅首相が暗殺された「五・一五事件」はその旧公邸で起こったものだし、首相本人は無事だったがその義弟が殺された「二・ 二六事件」など、血なまぐさい事件の現場となったので、かねてより特に旧公邸を中心に「幽霊が出る」との噂があったのは事実。羽田孜首相の時には奥さんが女行者にお祓いをしてもらったり塩を盛ったりしたホントにやっていたという。読んだ話では、旧公邸は昔の建物のせいか薄暗く夜にはかなり不気味な雰囲気になるところだったらしく、それが幽霊話の発生源となったらしい。

◆お父さんのアウンさん
 近ごろ急激に「物分かりのいい国」化した感のあるミャンマー。 このミャンマーの建国の父がアウンサン=スー チーさんのお父さんのアウンサン将軍さんなのだが、その彼を祭る「殉難者廟」が6月から一般公開されることとなった。「え?それまでは一般公開されなかったの?」と思っちゃうところだが、 実はそのきっかけは北朝鮮にあった。1983年に韓国の全斗煥(チョン=ドゥファン)大統領が この殉難者廟で北朝鮮によって爆弾テロをしかけられ、全大統領自身は難を逃れたものの両国政府で21名の使者が出た(ラングーン事件)。これをきっ かけにミャンマー政府は北朝鮮と断交(今は国交は復活している)、アウンサン将軍の命日である7月19日の式典以外はこの殉難者廟を原則閉鎖して厳戒態勢を取り続けて いたのだった。もっともその事件はあくまできっかけであって、アウンサン将軍廟が娘のスーチーさんの支持者の「よりどころ」とされるのを警戒したというのが実態みたい。
 しかしこのところの民政移行で流れが変わり、2011年7月の殉難者廟での式典ではスーチーさんも招待された。2012年5月には事件以来30年ぶりに 韓国の李明博(イ・ミョ ンバク)大統領がこの廟を訪問したし、今年5月には日本の安倍首相も訪問している。これからは「公園化してアウンサン将軍に親しみを持ってもらい、外国人にも開放して新たな観光名所にする」との計画だそうで。改革開放路線の今のミャンマーらしい話ではあるが、一気に「軽い」存在にされたような気もしなくは ない。

◆アメリカ軍機の爆音レコー ド!
 毎日新聞が6月2日に奉じていた話題。今年2月に京都の視覚障害者支援施設「京都ライフハウス」で「敵機爆音集」と題された古いSPレコードがみつかったという。これは太平洋戦争中に陸軍の監修により製作され、1943年5月にニッチク(現・日本コロンビア)から発売されたもので、「ボーイング B17D重爆機」「ロッキード・ハドソン重爆機」「カーチスP40戦闘機」「バッファロー戦闘機」の4枚組構成、その片面にはそれぞれの「敵機」の1000m、3000m、5000mの飛行音が収録され、裏面には音の特徴や判別のポイント等に関する解説音声が入っていたという。そんな音声をどうやって録音したんだと思っちゃうが、戦地で鹵獲したアメリカ軍機を実際に飛ばして録音したんだそうな。
 記事によると、このレコードはアメリカ軍による空襲から身を守るために一般向けに市販され、国民学校(当時の小学校)でも生徒たちに聞かせたり、各家庭で常備させようとしていたとのこと。また視覚障害者は常人より聴覚にすぐれると考えられたため、これを聞かされて防音監視員になった視覚障害者も実際にいたという。今回視覚障害者支援施設でこれが見つかったのもそうした事情があったからと見られる。京都ライフハウスでは音源をデジタル化して今の世代にも聞いてもらう意向という。
 しかしこのレコード、その後のことを思うとそれほど役に立ったようには思えないんだよな…音が聴き分けられたところでどれほど身を守れるか怪しいし、精神論的な要素が大きかった気もする。戦闘機マニアは喜びそうだが。

◆イギリス王子にインド人の先祖が!
 前にも書いたけど、全人類はかなり少数の先祖から今の数まで増えたと考えられているので、まさしく「世界は一家、人類みな兄弟」である。だから遠い先祖に何人の血が入っていようと特に不思議なことではない。それでも間もなくお子さんが生まれるイギリスのウィリアム王子にそう遠くない先祖のインド人がいた、とDNA鑑定で出されると「ほう」と興味のわくところではある。
 これは女系を通して伝わるミトコンドリアDNAの鑑定で判明したもので、ウィリアム王子の母ダイアナ元 妃の女系先祖にインド人がいたということ。なんでもダイアナさんの第四曾祖母の父親がスコットランドの商人でインドに赴いており、そこでインド人女性との 間にダイアナさんの第四曾祖母が生まれた。そこからウィリアム王子までミトコンドリアDNAが受け継がれていた、というわけなのだ。ウィリアム王子は男性なので生まれてくるお子さんにそのミトコンドリアDNAは引き継がれないことになるけど。
 ただしウィリアム王子のいとこたちのDNAも調べてみたらやはりインド人由来のDNAをわずかずつ持っていることが分かったといい、ウィリアム王子も他の先祖ルートでインド人の血を引いている可能性はあるのだそうだ。将来イギリス国王になる人物に、今もイギリス連邦には属している(ただしイギリス国王を元首にはしてない)インドの血が入っているとなると、ひと昔前だったら結構騒がれたかもしれない。



◆恒例:贋作サミットロック・アーン編

英:皆様、ようこそいらっしゃいました。今年は北アイルランドでの開催です。
米:去年の選挙で再選されてまた来れまし た。チェンジされずに済んだ(笑)。
日:我が国としては珍しく、返り咲きの二度目登場デース!
露:ハッハッハ、私も同じく。
伊:するとまったくの初参加は私だけですか。
独:どっかとどっかの国はほとんど毎年顔が変わりますからねぇ。
加:そこいくとお宅とウチは安定しまくってますな。
伊:ウチでもカムバック込みでよく顔を出してたのがいるんですが、つい先日未成年者買春で有罪に…
独:まったく男ってやつは。
露:すいません、つい先日離婚しました。
仏:そこいくと、私なんか事実婚だから離婚もできない(笑)。
日:我が家のカミさんは原発問題で現在最強の野党勢力になってたりして (汗)。
仏:えーと、死者は一人も出ていない、って言ったんだっけ?
日:人違いです!あんた、先日ウチの国会での演説でも日本と中国を間違えてただろ!
仏:えー、だって今でも世界中で「知ってる日本人」のいつもブルース=リーが挙がるんだよ。
独:ま、似たようなもんじゃないの、よそから見れば。
日:そんなことはありません、我が国は世界で最も人権を守っている国で…こら、なんで笑うんだ、シャラップ!シャラップ!
米:黙れと言えば…そーそー、例の元CIAのあいつ、さっさと引き渡して下さいよ。
露:知りませんなぁ、わが国にはまだ入国 してないみたいですし。とロシアより愛をこめてお答えします。
英:確かになんだか007映画みたいな展開だよね。
米:さすがは元KGB。引き渡さんと入手しているあんたの離婚の内幕情報を暴露するぞ。
独:あー、やっぱり自国や他国の情報を盗み取りまくってるのね。
伊:ヘンだヘンだとは前から思ってたんだよ なぁ。やっぱりか。
米:くそっ、IT企業の方にも口止めしといたのに…
露:なんで黙って勝手にやってるんだよ。
米:知らせては混乱すると思ったが、知らせないで混乱を招いた。
仏:どっかのプロ球技の事務局長みたいなコメントだな。
米:私は知らなかった。不祥事とは思っていない。
加:今度はどっかの元外交官のコミッショナーのような。
日:まぁ何をもってスパイ活動とするか、学術的には定義がありませんし。
露:来年のサミットはソチでやりますから ね。間違えてオリンピックの方に来ないでくださいね〜


2013/6/30の 記事

<<<前回の記事
次回の記事>>>

史激的な物見櫓のトップに戻る