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2013年11月17日

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◆今週の記事

◆殺しても死ななかった男

 死刑が執行されても受刑者が死ななかった場合、死刑は二度は執行されずに命を助けられる――という「俗説」というか「都市伝説」のようなものがある。直接見はしなかったが二十年くらい前だろうか、実際そういう設定のサスペンスドラマをTVでやっていた覚えがある(と書いてから検索して調べてみたら太田蘭三著「白の処刑」が原作とわかった)。この俗説に最後の希望を託している死刑囚が実際にいるという話も何かで読んだのだが、しかし実際のところ日本では死刑の失敗がまずありえない(絞首刑で30分はつるしたままにしておく)

 ただ調べてみたところ、絞首刑を行って「処刑」しながら、その後に息を吹き返してしまった失敗例が明治初期に実際にあった。明治5年(1871)に現在の愛媛県・松山で暴動が発生(そのきっかけが「廃仏毀釈」や「藩知事罷免反対」であったところに時代を感じる)、その参加者のうち放火犯には死刑が執行されたのだが、現在の「吊るす」形式の絞首刑ではなく石による重しを使った器具による絞首刑で、うち一人がこの方法による処刑でいったん死んだと判断されたが、運ばれる途中で棺桶の中で息を吹き返してしまった。結局問い合わせを受けた政府では、革命前のフランスで死刑に失敗して生き延びた死刑囚を放免した例があるとして(明治初期の日本は法制度は主にフランスに学んでいた)、再執行はせず戸籍上も復活させる措置をとったという。ただ命を拾った当人も後遺症のため生ける屍に近く、数年後には死んでしまったらしい。

 さてつい先ごろ、イランでこの話にそっくりな事件が起こって世界的に注目された。違法薬物所持の罪(イスラム圏では概して死刑レベルの重い罪になる)により死刑と決まった男が10月9日に絞首刑に処され、12分間吊るされた後に医師が死亡と判断、そのまま安置所に運ばれたのだが、なんと翌日後に息を吹き返してしまった。この男の死刑を再執行すべきかどうか、かなりもめたらしいのだが、聖職者から「生き返ったのも神のご意思かも」との意見も多くあり、やがて司法のトップも「刑が執行され死を体験した男に慈悲を見せるのも一つの考え」と述べて、結局24日になって法務大臣が再執行はしないことを明言した。ちょっとホッとする話ではある。
 イランは死刑執行数が中国に次いで多く、伝統的なイスラム法に基づいて盗みをした者の手首を切ったり、姦通罪には石打ち刑をやったりすることから欧米の人権団体などから批判されてる国でもあるのだが、その石打ち刑でも死ななかった場合は再執行はしないことになっているのだそうだ。

 このニュースと前後して、東南アジアの産油国ブルネイで、ボルキア国王がいきなり「厳格なイスラム刑法を導入する」と言い出したのにも驚いた。つまり、たった今書いた、「窃盗をしたら手首切断、姦通したら石打ち」というやつだ。もともと国民の3分の2はイスラム教徒という国で、あくまでイスラム教徒のみが対象なのだそうだが、これまでやってなかったことをわざわざ今になってやるというのも動機がよく分からない。昨今のシリアとか、マリとか、オマーンなんかでイスラム原理主義勢力の支配地域で同様のことが行われるとは良く聞くのだが、なぜ今ブルネイで?

 イスラム刑法とは直接は関係しないが、聖地メッカを抱え、原理主義運動の発信地でもあるサウジアラビアでは女性の権利がいろいろと抑圧されている。さすがに批判も多いので最近少しずつではあるが改善もしているんだけど、頑迷な保守派が相変わらずいるのはどこの国も一緒。この国では女性の自動車運転が事実上禁じられており(法律の規定はないが女性に免許は交付されない)、その解禁を求めて10月26日に全国各地で女性たちによる「一斉運転」の抗議活動が計画された。
 しかしその日が迫ると保守系宗教指導者たちがこの運動に猛反発。「女性が車を運転すると卵巣に影響を与え、骨盤を押し上げる」と“根拠”を述べた宗教指導者もいたという。内務省も「断固として法を執行する」と強く警告したため、さすがに一斉運転運動はとりやめになり、別の形での運動に切り替えを余儀なくされた。それでも一部でゲリラ的に運転をした女性活動家たちもいたらしい。

 さて、そのサウジアラビアと言えば、10月17日に国連安保理の非常任理事国に選出されていた。ところが翌日、非常任理事国への就任を拒絶する、と発表したのだ。当然、選出されながら拒否したのは国連史上これが初めてである。
 拒絶の理由として、「パレスチナ問題の未解決」を一つ挙げている。イスラエルの建国以来60年以上にもわたって続くパレスチナ紛争を国連は解決もできないまま放置してるじゃないか、安保理は無能だ、と。まぁそれはご説の通りなのだが、今さら言い出さんでも、と思うところでもある。
 そしてもう一つ、中東地域における核兵器を含む大量破壊兵器の拡散を安保理が阻止できてない、ということも理由に挙げている。サウジアラビアはシリアのアサド政権を敵視しており、その化学兵器使用疑惑がいつの間にやら雲散霧消して結果的に政権を存続させてしまったことにおかんむり、ということのようだ。さらにはサウジはイランの核開発にも神経をとがらせていて、近ごろなんだかアメリカとイランが「接近」の気配を見せていることにも強い警戒感を抱いている。今回拒絶という異例の行動に出たのは、特にアメリカに対する不満を示したものなのだろう。いささか子供っぽい行動とも思うが。
 サウジと言えば、その後国連の人権理事会の理事国に選ばれたが、これについては拒否する気はないらしい。この人権理事国に、人権団体などからは目の敵にされているサウジのほか中国、ベトナム、キューバなども選ばれたことで、ちょっと論議も呼んでるようだが。


 イスラム法がらみの話を続けると、スーダンでは法律で女性は髪を隠すスカーフ「ヒジャブ」の着用が義務付けられているが、その着用を拒否した女性が訴追され、むち打ち刑にされる可能性があると報じられた。その一方で、トルコでは建国以来の「政教分離」の徹底のために公的な場で女性がスカーフをつけることを禁じていたが、イスラム政党である現政権がこれを緩和する措置を取り、初めて女性国会議員がスカーフをつけて嬉しそうに議場に入る場面も報じられている。世の中、なかなか単純ではない。



◆「民族」ってなんなのさ

 ボスニア・ヘルツェゴビナという、早口言葉にしたくなるような国がある。僕でも「かつてのユーゴスラヴィアの一部」と言った方がイメージしやすい。1990年代のユーゴスラヴィア崩壊過程で、各民族が混在する地域ということもあって、凄惨な民族紛争が起こった。紛争自体は1995年にどうにかおさまって多民族構成の独立国家として今も歩んでいるわけだが、このたび建国以来の国勢調査が行われることになった。元ネタは毎日新聞の記事。

 ボスニア・ヘルツェゴビナでは紛争終結以来、憲法によって政治権力を民族構成比に合わせて分割する、というやり方が定められてきた。紛争直前、まだユーゴスラヴィア連邦が存在した1991年に行われた国勢調査では、イスラム教徒の「ボスニア人」が43.5%、正教徒の「セルビア人」が31.2%、カトリック教徒のクロアチア人が17.4%で、この三民族で90%以上を占め、この三つが現憲法で「構成民族」と規定されている。このほかそのどれでもない「ユーゴスラヴィア人」というアイデンティティーを答えた人も5.6%はいたというが、とりあえずこの民族構成比を元に権力に関わる地位も三民族で分け合うことになった。
 それ以来国勢調査は20年近くも行われていない、なぜかといえば民族構成比が変化すればそれはそのまま権力構造の変化に結びつくため、お互いに自民族に有利になるよう牽制し合って国勢調査を先延ばしにしてきたのだそうで。ようやく今年の10月1日から国勢調査が開始されたが、この国の場合、民族は即信仰する宗教に直結するため、各宗教指導者がモスクや教会を通して人々に所属民族の明確化を求めているのだそうだ。

 だがこうした民族の「仕分け」に疑問をもつ人も当然いる。かつての調査で「ユーゴスラヴィア人」と答える人がいたように、今回も「ボスニア・ヘルツェゴビナ人」と名乗ろう、と草の根運動をしている人たちもいるという。信仰にしても所属民族なんてのは個々人が勝手に決めればいいだけの話なんだし、それを半ば強制的に分類しちゃうというのには僕も疑問を感じる。
 さらには三民族以外の少数派はそもそも権力のある地位、高級官僚や上院議員にはなれない決まりになっていて、これは明らかな民族差別だ。この少数派に該当するのが、ユダヤ人やロマ人など。まさしくかつてナチスが徹底的に「民族浄化」をしようとした対象であり、その「民族浄化」が紛争のキーワードのように注目されたこの地でそれが出て来てはシャレにもならない。


 さて先ごろ、その「ロマ」がにわかに世界の注目を集めた。ギリシャで起こった「ロマによる少女誘拐疑惑事件」だ。
 説明不要かもしれないけど、一応説明。「ロマ」とは英語で「ジプシー」と呼ばれた人々で、ヨーロッパでは少なくとも中世以来各地で見られた「放浪の民」だ。東欧諸国にルーツをもつともされるが、エジプト辺りから来たんじゃないかということで「ジプシー」の名がついたとも言われる。だが国によって呼び方はいろいろで、フランス語では「ジタン」という。
 彼らは定住せず各地を放浪し、祭の場にいろいろ出し物をして盛り上げ役をし、占いや千里眼などの「魔力」も秘めたイメージを持たれている。一方でどこへ行ってもよそ者だから警戒もされるし、実際スリや窃盗などに関わるケースも多いとされている。僕の趣味の話になってしまうが、アルセーヌ=ルパンの生みの親・モーリス=ルブランの傑作の一つに「綱渡りの踊り子ドロテ」という作品があり、この物語の主人公の少女ドロテは戦災孤児四人を率いて小さなサーカス一座を作り、芸を見せながら各地を旅しているのだが、彼らはまさに「ジタン」と表現されている。占いや千里眼の話も、スリの話も出てくるので、フランスにおける「ジタン」のイメージの一端を知ることはできる。シャーロック=ホームズでも「まだらのひも」の一編で直接的ではないけどジプシーの存在がややうさんくさく描かれていた。

 ドロテの例がすでにそうだけど、「ジタン」や「ジプシー」がそのまま「ロマ民族」とイコールというわけでもない。ただヨーロッパ各地で「あれは一つの民族」と見なされるような「ロマ」は、どうも外見的にも典型的なヨーロッパ白人とは異なると思われているものらしい。今回の騒動だってロマの居住地に警察が入り(麻薬捜査だったという)、そこに明らかな「金髪碧眼の少女」がいたために不審に思った、というのが発端なのだ。
 実際その少女の「両親」はまるっきり外見が「白人的」ではなかった。アラブ系と言われればそうもとれるような、という外見で、まただからこそ不審に思われたのだろう。そしてDNA鑑定で実の親ではないと断定されると、ヨーロッパ各国だけでなく海の向こうのアメリカでまで「うちの娘では」と名乗りでる人が続出した。ヨーロッパでは子どもに「ジプシーに連れ去られるよ」と脅す定番フレーズまであるそうで、「さては児童誘拐か」と思いこまれてしまったのだ。さらには「人身売買疑惑」まで取りざたされてしまい、アイルランドでも同様にロマ居住地で「白人少女」が「保護」される事態が起こったほか、各地で右翼勢力によるロマ居住地立ち入りもあったという。

 しかし。ギリシャのその子について育ての両親は「よそでもらった」と証言しており、間もなくブルガリアで本当の母親が名乗り出てDNA鑑定の結果実際の母親であることが明らかとなった。そして――恐らく騒いでいたヨーロッパの多くの人が困惑したに違いない。その実の母親もまた「ロマ」であり、外見的にもおよそ典型的白人とは見えない女性だったのだ!
 アイルランドの少女のついても、DNA鑑定の結果、育てていた両親が実の親であったことが判明し、「保護」してしまった警察は大恥をかいた。一連の騒動、結局は「ヨーロッパ白人」たちの思いこみと偏見を改めて見せつけただけに過ぎなかったということになる。

 この騒ぎの直前、フランスでもロマの女子学生が政府により国外退去させられそうになり、学校でいきなり捕まえられるという強引さもあって、「人権の国フランス」らしからぬこととして学生らを中心に反対運動が広がっている。一方でこの国も移民敵視をする右翼勢力の拡大があり、「不法在住」しているロマを追い出せと声高に叫ぶ連中もいる。日本でも近ごろヘンなのが出てきているが、こういう連中に民族だの愛国だの言われるとホントに腹がたつんだよな。
 


◆盗聴特許許可局

 つくづく思うのだが、元CIA職員エドワード=スノーデン氏はノーベル平和賞をあげてもいいのではなかろうか。ま、もちろん冗談のつもりなのだが、これだけのことを暴き立てたスパイはなかなかいないと思うぞ(敵の情報ではなく身内の情報を暴いたんだけど)。平和に貢献したかどうか議論もあるだろうが、だいたい平和賞なんて毎年議論の種になるし、過去には「なんでこの人が?」と思う人選も多い。このスノーデン氏を、他国の飛行機を強制着陸させてまで強硬に追いかけてみせたオバマ大統領だって平和賞受賞者なんだから。

 しかしまぁ、ゾロゾロと出て来る話を見ていると、アメリカが躍起になってスノーデン氏を追いまわしたのもよく分かる。世界中のあらゆる国、ことに「同盟国」であるはずのドイツやフランスでも首脳から一般市民まで幅広く盗聴活動をやっていた。ヤフーやグーグルといったインターネット企業の通信も傍受していたし、バチカンの教皇庁、世界銀行など国連機関まで盗聴の対象にしていた。政治・軍事の情報だけでなく「アメリカが経済的に優位を保つため」の経済情報も収集していた。はっきり言ってやりたい放題だったわけだ。
 アメリカ側は報道された一連の疑惑について公式に認めてはいないが、一応「ちとやり過ぎた」「もうしません」という形で遠回しに認めている。「ドイツやフランスだってやってる」と子どもの言い訳みたいなことまで口にしてた人もいたが。
 アメリカの方も一国だけでやってたわけではない。それこそ「007」シリーズでも描かれるようにイギリスとも連携していた。カナダやオーストラリア、ニュージーランドも情報収集に参加していて、ブラジルやインドネシアなどが抗議をしている。

 ただ、実のところそう大きな驚きはない、という人も多いはず。10年くらい前にEUを中心に「エシュロン疑惑」が持ち上がり、アメリカやイギリスがそういう情報収集をやってることはほぼ確実視されていた。経済情報をスパイしているという疑惑もすでに1990年代からささやかれていて、日米の貿易交渉でアメリカ側が事前に日本側の情報を得ていたとしか思えないケースが実際にあった。
 ドイツやフランスの盗聴をしていて日本にやってなかったら大笑いだな、と思っていたら、日本もやはり情報収集の対象リストに入っていたことでちょっと安心もした(笑)。なんでも2010年ごろに日本を通る情報通信網を利用した情報収集(主に中国が対象だったと見られる)への協力を日本政府に呼びかけたが、当時の日本政府は憲法上の問題や法律の不備を理由に断ったとの話もあった。今の政権はどうなんだろう、と思ってしまうのだが、例の「特定秘密保護法」なんて明らかにアメリカからの要請なんだよなぁ(まさしく第二のスノーデンを出さないための法律に読める)。法律が成立するのはほぼ確実の情勢だが、アメリカの組織が日本の「特定秘密」を「悪意を持って入手」したりしたらどうするんだろうか、と興味津々。たぶん「それなら『特定秘密』にあたらない」と言い出すんだろうな。

 そりゃまぁ、国家権力というものの性格上、可能な限りありとあらゆる情報を入手して、自身を有利な立場に置こうとはするだろう。太平洋戦争開戦前の交渉段階でもアメリカ側は日本の大使館の電話の盗聴はやっていた。日本側だってそれは承知の上で、大使館と本国との間の電話では隠語を使ったやりとりが行われていた。最近になって太平洋戦争を扱った大河ドラマ「山河燃ゆ」(先日亡くなった山崎豊子原作の作品でもある)でその場面を再現するシーンがあり、「結婚話(日米交渉)はまとまりそうですか?」などと傍から見ると滑稽なやりとりが見られたのだが、あの程度の隠語じゃ全部内容がわかっちゃうような。

 ドイツやフランスだって、恐らくは日本だって、あの手この手、ともすれば非合法スレスレの情報収集はしてるだろう。ただアメリカの場合、現在のネット社会がアメリカを中心に発達し、8割以上がアメリカを経由する作りになっていることもあって、圧倒的に有利な立場にある。それを利用しない手はない、と考える連中も当然出てくるだろう。それをテロ対策などを理由に正当化する声も出てくるけど、基本的にはアメリカという国家の利益、さらにいえば国家権力側の利益が優先されるのであって、それが「世界の利益」とイコールである保証はまったくない。
 そしてえてして、この手の情報収集というやつはその活動自体が目的化して暴走しやすく(オバマさんが知らない情報収集活動もあったというのはあながち全部ウソでもなさそうに思う)、実際に役に立ってるかどうかすら不明のまま対象の拡大と情報収集のテクニックばかりが発達することになりかねない。日本の公安出身者でおもいっきりオカルト陰謀論に浸かった発言をしてる人物が数人いるが、同じことはアメリカでも言えるんじゃないかと。

 テロを起こす連中だって、電話やメールでそのことを「○○でテロ」などとストレートに言ってるとは思えず、かつてのイラクの「大量破壊兵器」、最近のシリアの「化学兵器使用」もこの手の情報収集で集めた「証拠」がてんで曖昧なものだった。収集技術ばかり発達して分析能力が劣化してるんじゃないかと思えるところもある。
 こんなこと書いてると、僕もどこぞにマークされるかもしれんなぁ(笑)。ここはひとつ、皆さんも電話やメールでは隠語を使いましょう。日本には「ブラックタイガー」を「車海老」、「バナエイエビ」を「芝海老」、「ロブスター」を「伊勢海老」、外国産をたくさんまぜても「国産」と言うなど、偽装、もとい隠語の文化が発達してますから(笑)。なお、最近出た『昔はよかったというけれど 戦前のマナー・モラルから考える』(大倉幸宏著)という本によりますと、同様のことは戦前にもやってますので、実は「伝統文化」だったりしますのでご安心を(笑)。



◆死んでも安眠させてもらえず

 更新をサボっているうちに、やや旧聞になってしまったのだが、イタリアで10月11日に死去した人物の葬儀をめぐり、ひと騒動が起こっていた。その人物とはエーリッヒ=プリーブケといい、元ナチス戦犯でイタリアでもユダヤ人虐殺に手を染めたとされる。第二次大戦が終わってからすでに70年近くになろうとしている昨今である、この手のナチス戦犯もあらかた世を去ってしまっているのだが、この人は実に100歳まで生きながらえていた。
 良くあるパターンで、ナチスドイツの崩壊後、彼も南米へ逃れていて、半世紀にわたってアルゼンチンで暮らしていた。しかし逮捕されてイタリアへ連行され、1998年に終身刑の判決を受けている。ただし高齢ということもあって弁護士宅での軟禁状態に置かれていたという。

 かくしてとうとう一世紀にわたる人生に終止符を打ったわけだが、ナチス戦犯ということでバチカンがカトリック教会における葬儀を禁じてしまった。ローマ市長も葬儀・埋葬を拒絶し、逃亡先であったアルゼンチンも受け取りを拒否、出身地ドイツのヘニングスドルフも埋葬許可を出さないと言明していた。まさにどこからも葬式も出してもらえず、墓に入れることすら拒否されてしまったわけである。
 正直なところ日本人の感覚だとそこまでせんでも、と感じちゃうのだが、つい先日にも元ナチス幹部の墓がネオナチの聖地になってはいけないってんで墓自体が撤去されてしまった例もある。元ナチス戦犯というのはそれだけヨーロッパではデリケートに扱われるものであるわけだが、その心理の裏には、実はユダヤ人迫害がナチスの専売特許ではなく、カトリック教会を始めナチスに協力した人は少なくなかったし、ともすれば同様の空気が今も相変わらず存在することに対する後ろめたさのようなものもあるんじゃないか、と思うことがある。

 さて結局この人物の葬儀は、10月15日に「聖ピオ10世会」なるキリスト教団体が引き受けた。この団体、どういう人たちかと言えば、カトリックの超保守派とされる団体の一つで、1960年代の「第二バチカン公会議」で定められたカトリックの改革に反発して結成され、バチカンからは完全に破門扱いされている。カトリック超保守系に見られる傾向だが、ユダヤ人との融和姿勢にも反対しており、おおむね「極右」と見なされているらしい。今度の件でこの団体がプリーブケの葬儀をとり行ったのも、そうした思想背景があると見られる。
 そのため葬儀当日にはこれに反発するデモ隊が繰り出し、一部が「聖ピオ10世会」などの極右連中と衝突、結局葬儀が中断されることになった。続報は確かめていないだが、どっかに埋葬するなり海にまくなりはしなくちゃいけないんじゃないかねぇ。


 さて10月31日になって、ドイツの大衆紙「ビルト」がちょっとしたスクープを載せた。ナチスの最高幹部の一人で、秘密警察「ゲシュタポ」の幹部でユダヤ人虐殺にも当然深くかかわったハインリッヒ=ミュラーが、こともあろうにユダヤ人墓地に埋葬されていることが判明した、というのである。
 ミュラーは1945年5月1日、つまりヒトラーが自殺した翌日を最後に消息を絶っている。当人はこのとき「ロシア人の捕虜になる気はない」と言っていたという。そのままとればソ連軍の捕虜になるくらいなら自殺する、という意味だと思われる。しかしその後ミュラーの消息がまったく分からなかったことから、アイヒマンのように南米に逃亡したとか、ソ連かアメリカの情報部に雇われたとか、いろんな憶測が流れ続けた。少なくともイスラエル政府はミュラー生存の可能性が高いとみて、1967年にミュラーの妻のアパートにスパイを潜入させたりしていた。

 だがその一方で、やはりナチス崩壊直後に自殺していて、ソ連軍により遺体が確認され、ユダヤ人の共同墓地に埋葬されていた、という情報もあったのだ。ただ埋葬場所が東ドイツ側であったため、長らく確認できていなかった。今回の「ビルト」の記事によると、ベルリンにある「ドイツ抵抗運動記念館」の所長が複数の公文書を調べて、1945年の8月にはミュラーの遺体が確認され、やはりユダヤ人墓地に埋葬されていた事実を確認したのだという。戦後長らく謎だった話もようやくケリがついたわけだが、それこそ墓地から追い出されたりするのではなかろうか。


 さて、墓に入った人の話と言えば、2004年に死去した元PLO議長にしてパレスチナ自治政府議長であった故アラファトについて、直後からささやかれてはいた「毒殺説」が再燃してきている。
 未亡人らが毒殺を疑って研究機関に調査を依頼し、実際に遺品から放射性物質「ポロニウム210」が検出され、にわかに「毒殺説」に信憑性が出て来たのが昨年7月のこと。そして遺体が墓から掘り出され、さらなる調査が複数の研究機関によって行われ、やはり遺骨からもポロニウム210が検出されて「毒殺説」はいっそう強まることになった。
 パレスチナの「死因調査委員会」は「アラファト暗殺の唯一の犯人はイスラエルだ」と名指しまでしているのだが、当然イスラエル側は完全に否定している。僕も思うのだが、あの当時、アラファトは実質監禁状態で政治的影響力はかなり低下していたし、むしろイスラエルとの共存姿勢が全面対決を望む勢力からの突き上げを食っており、少なくともあの時点でイスラエルがアラファトを殺害する動機が見当たらない。今回のことでイスラエル側からはむしろアラファトの身柄の安全を守っていたくらいだとの発言があったが、そっちの方が十分ありめる。もし「毒殺」が事実だとすると、むしろ身内の側と思うのが自然のように感じるのだが…


 逆に「毒殺説」が否定される例もあった。舞台は南米のチリ。「毒殺疑惑」が持ち上がっていたのは、1973年にピノチェト将軍がクーデターを起こしアジェンデ政権を打倒した直後に死去した、ノーベル賞受賞の国民的詩人パブロ=ネルーダだ。僕は未見なのだが、「イル・ポスティーノ」というイタリア映画の題材にもなっている有名人だ。

 ネルーダは1904年の生まれで、外交官を経て議員ともなったが、1948年に入党していた共産党が非合法化されたためにイタリアに亡命。その後共産党が合法化されて帰国し、1970年にアジェンデ社会主義政権が誕生すると駐仏大使に任命され、翌年にノーベル文学賞を受賞した。ところが1973年9月11日にCIAの後押しを受けたピノチェト将軍のクーデターが起きてアジェンデ政権は崩壊、ピノチェト政権はネルーダを目の敵にしてその自宅へ乱入して家具や蔵書を破壊し、すでにガンに侵されていたネルーダはクーデター発生から12日後の9月23日に病院に搬送される途中で死去した。搬送の途中も軍の検問により救急車から引きずり出されもしたそうである。

 そんな経歴の彼なので、公式見解では「前立腺ガンによる病死」であったが「実際はピノチェト政権による毒殺だったのでは」との疑惑がささやかれていたようだ。そしてようやく2011年5月になってチリ共産党が毒殺容疑での告訴を裁判所に起こしている。その根拠となったのはネルーダの運転手だった人物の証言で、「軍の指示を受けた医師がネルーダに注射をしたところ、直後に容体が急変して死亡した」という内容だった。
 また、ネルーダは死亡直前にメキシコへの亡命をはかってメキシコの駐チリ大使と面会しており、その元駐チリ大使がネルーダが落ち着いた様子で病室内を歩き回り、すぐにも死ぬような病状ではなかったと証言したことも根拠の一つになっていて、チリ共産党では「ネルーダが海外で反政府活動をすることを阻止するために暗殺した」という筋書きを示してもいた。

 そんなわけで、ネルーダの遺体が墓から掘り出され、毒殺の可能性についての調査が行われたわけだが、11月8日にチリの蹇市当局はネルーダの死体から毒物は検出されなかったと発表。検出されたのはガンの治療薬くらいであったという。これで「病死」が裏付けられた形だが、遺族は納得せずさらなる鑑定を求めるとのこと。なお、アジェンデも自殺説と他殺説があり、こちらも遺体を掘り出して検証した結果、「自殺」と断定されている。
 

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