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2014年2月23日

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◆今週の記事

◆まぎらわしいのは嫌なんだ

 塾の社会科講師ともなれば、好きな歴史専業というわけにもいかない。中学校では「地理」と「公民」もある。中でも「地理」は世界と日本とでかなりの情報量、データ量があり、個人的には少々敬遠気味なジャンルでもある。ましてひところの「ゆとり教育」とやらが終わって特に地理ではかつてと同じくらい覚える事柄が急増しているし、各種データも数年のうちに変化してしまったりもするから教える側としても大変なのだ。

 さて、そんな「地理」、日本の全47都道府県をマスターするのは当然として、世界の国々も可能な限り覚えなくてはならない。世界にいくつ国があるかというと、まず国連加盟国が193か国。大半の国から「国家」と認められながら国連未加盟のバチカン市国、それから「主権国家」なのか微妙で「地域」呼ばわりされるところがいくつかあるので、ざっと200ぐらいはあることになる。全部覚えるのは容易なことではないが、中でも難関なのが中央アジアとその周辺の国々。なぜかといえば…そう、みんな「スタン」つきで紛らわしいことこの上ないからだ。
 「中央アジア」に分類される国名を挙げると、「カザフスタン」「ウズベキスタン」「タジキスタン」「トルクメニスタン」といった国々で、みんな「スタン」つきである(ついでに言えばみんな旧ソ連構成国)。さらに「西アジア」に分類されるが中央アジアといってもいい「アフガニスタン」があり、その隣の「南アジア」には「パキスタン」がある。またロシア連邦を構成する共和国にも「タタールスタン」「ダゲスタン」なんてのがある。
 「スタン」というのはペルシャ語由来だそうで、もちろん「国」を意味する。民族名に「スタン」をつけることで「○○人の国」というわけ。基本的にイスラム国家をそう呼ぶことになってるらしく、現時点で国家は構成してないけどクルド人たちが目指す民族国家も「クルディスタン」と呼ばれているし、インドのことを「ヒンドゥスタン」と呼ぶ場合もある。僕の地元ならさしずめ「イバラキスタン」、お隣が「トチギスタン」「チバスタン」といったところだろう、って冗談で書いたらなんだか妙に本物っぽい響きがあるぞ(笑)。

 さて、そんな「スタンシリーズ」の国家の中で最大の面積をほこるのが「カザフスタン」。かつてソ連の構成国で、ソ連崩壊で独立、以後20年以上にわたって同国に君臨しているナザルバエフ大統領が「国名を変える」と言い出した。その理由がまさに「ほかの『スタン』とゴッチャにされてヤダ」(大意)というものだったからついつい笑ってしまった。ああ、当事者もそう思っていたんだなぁ。
 カザフ人というのはトルコ(チュルク)系なんだそうだが、外見的には東アジア人に良く似てる人も多く、「モンゴル人?」と思われることも多いらしい。そのせいか、ナザルバエフ大統領もこの発言の中で「『スタン』のついていないモンゴルは諸外国の関心を集めている」と自国とモンゴルを比較していた。モンゴルはイスラム国家ではないしソ連構成国でもなかったが、ソ連の「衛星国」ではあったし、民族衣装もどこか似てるので「あそこに比べてウチは…」という気分がカザフ人にはあるのかもしれない。
 で、国名をどう変更するのかというと、「カザフエリ」を大統領は候補に挙げたという。カザフ語で「カザフ人の土地」を意味するそうだ。20年も君臨する大統領閣下の意向だけにほぼそのまんま通るんじゃないかとみられているようだが、「カザフ」だけじゃダメなんですかね。


 国名を変えようとする国があれば、国旗を変えようとしている国もある。それは南太平洋に浮かぶ島国、ニュージーランドだ。
 国旗に詳しい人ならご存じだろう。ニュージーランドの国旗はオーストラリアの国旗に非常によく似ている。両国とも元イギリス植民地のイギリス連邦加盟国で、形式上はイギリス国王を「君主」に戴いている(現地には国王の代理人「総督」が赴任し形式上の元首となる)。そのためどちらの国旗にもイギリスの国旗「ユニオンジャック」が4分の1だけ入っているのだ。おまけに南半球にある国だからとそろって南十字星をあしらってしまった。目立つ違いはオーストラリアの方には左下に大きな星(構成する州の数に合わせて7つの角がある)がつけられていることくらいだ。
 そんなわけで国旗が紛らわしいとはニュージーランド人も思っていたようで、これまでにも何度か国旗変更案が出されている。そしてとうとう同国のキー首相が1月29日に、「年内の総選挙に会わせて国旗変更の賛否を問う国民投票を行う」という意向を表明した。国民の多数の賛成があれば国旗を変えるということだが、どういう国旗に変えるのかについては具体的には決まっていない。ただ、キー首相自身は「個人的には、シルバーファーンがふさわしいと思う」と発言している。「シルバーファーン」とはニュージーランドに生えるシダの一種で、同国名物のラグビーチーム「オールブラックス」のユニフォームにもあしらわれるほどシンボル的な存在だからだ。以前やはりイギリス連邦国でユニオンジャック入りだったカナダが、カエデの葉マークの国旗に変えた前例も念頭にあるみたい。
 なお、混同されやすいオーストラリアの国旗の方でも変更を求める声が上がっている。これは混同問題よりも「イギリス離れ」を反映した動きのようで、何年か前に公募された新国旗案は疾走するカンガルーをあしらったなかなかカッコいいものだった。

 ところでニュージーランドのみなさん、この際、旗のついでに国歌も変えて、「ガンバッテ、ガンバッテ〜」のオールブラックスの「ハカ」を国歌にしてみたら、日本人には大受けと思うんですが、いかがでしょ(笑)。



◆信じる者は救われぬ

 「ノアの箱舟」について、僕が最初に知ったのは小学生低学年時に読んだ絵本だった。確かイギリスの絵本作家によるもので、ストーリー自体は聖書の内容に沿っているものの、衣服や建物などはほとんど現代と同じようにデザインされていて、一見聖書の話とは思えないものだった。もっとも当時の僕は聖書など知るはずもなく、この話が「大昔の話」であることを知ったのはだいぶ後になってからだ。
 そして「ドラえもん」の「世界沈没」。世界が大洪水に襲われる光景を、これから見ることを先に見られる「イマニ目玉」でのび太が見てしまい、ドラえもんともども大騒ぎ(首相官邸はおろか、国連事務総長にまで電話をかけようとする)、ついには巨大な船を作って…という話で、ここでドラえもんが「ノアだって笑われたんだ」と言うセリフがあり、確か欄外にノアについての説明があったのだと思う。それとほぼ同時期に児童向けの「聖書物語」(山室静著)を読んだので、ノアの洪水の話と言うのが聖書の1エピソードなのだという知識をようやく得た。
 その後、近所にいた「ものみの塔」の信者が半ば強引にプレゼントしてきた聖書の絵本を読むことになった。聖書の内容を児童向けに分かりやすく書いたダイジェスト絵本ながら、かなり詳しい内容と独特の濃いイラストのせいもあってそこそこ面白く読んでしまったのだが、そこに描かれた「箱舟」の絵が気になった。多くの場合、ノアの箱舟(方船)は竜骨つきの典型的な「船」の上に大型の建物を乗っけたようなデザインで描かれるのだが、この絵本では完全に角ばった「直方体」に描かれていたのだ。旧約聖書『創世記』ではノアの箱舟のサイズについて「長さ300キュビト・幅50キュビト・高さ30キュビト」という記述があるのだが、それをそのまままっすぐの長さと解釈して「直方体」だったとみなしているらしい。だが他にそういう描かれ方をしているものは見かけないので(といっても映画「天地創造」とか映像作品くらいしか見てないのだが)、これはあくまで「ものみの塔」独特の解釈なのかもしれない。

 さて、そんなノアの箱舟、「実は丸かった」という話がCNNに映像入りで出ていたもので、その「直方体箱舟」を思い出してついつい笑ってしまった。
 聖書に名高い「ノアの洪水」だが、聖書のオリジナルではなく、それ以前にメソポタミアにあった伝説が下敷きとなっている、というのが現在の通説だ。CNNの記事によると、メソポタミアの楔形文字の石板を解読したところ、やはり同様の洪水伝説が書かれていたというのだが、解読したイギリスの学者の話(映像で出てたけど、この方、なんだか「ノア」っぽいお爺さんなんだよな(笑))によるとそこでの「箱舟」は縄で作られた「円形」で、防水塗装をほどこしたものであったという。当時のメソポタミアには、もちろん多くの生物を載せられるほど巨大なものではないものの、河川で利用される円形の船が実際にあったらしく、それが「箱舟伝説」のモデルになった可能性があるというのだ。ただし海洋航海用の船はさすがに円形などではないため、この箱舟円形説には批判も出ているらしい。くだんの学者先生は実際にその円形船を作って実用できるかどうか試すつもりなんだそうだが、そもそもノアの洪水自体が伝説なんだから、本当にあったかどうかを検証する必要があるのかどうか。


 続いてもキリスト教の話題。
 昨年は史上にもまれな「生前譲位」があったローマ法王(教皇)だが、それを実行した先代のベネディクト16世はえらく影が薄い。その理由の一つが先々代の法王ヨハネ=パウロ2世の圧倒的な存在感だろう。在位期間が長かったこともあるが、「空飛ぶ法王」と呼ばれるほどに世界中を飛び回り、宗教間の融和やカトリック教会の過去の問題への反省表明といった行動力も大きかった。2005年に亡くなった直後から「聖人」に列せられるが確実視されていたが、ついに今年4月に列聖が実現するのだそうで。
 このヨハネ=パウロ2世は狙撃されたことでも有名。1981年にバチカンのサン=ピエトロ広場で銃で撃たれ、幸いにして命は拾った。このとき流れた血がこびりついた遺品が世界に三つだけあるのだそうだが、そのうちの一つ、血痕のついた衣服の2センチほどの切れ端を納めた容器が、イタリア中部アブルッツォ州ラクイラ近郊の教会から盗み出される、という騒ぎが1月末にあった。金目の物が盗まれた様子はなく、間もなく聖人に列せられようという法王の血のついた物が盗み出されたということで、イタリアのマスコミでは「法王の血のついた布を黒魔術に使用する狙いでは」などという説まで飛び出したが、結局数日後に犯人とされる薬物常習者の若者三人組が逮捕され、服の切れ端入りの容器も無事回収された。当人たちの口から単に金目の物っぽかったので盗んだという動機が語られて、事件はあっけなく片付いてしまったのだった。


 さらに続いてアメリカのとあるキリスト教牧師の話題。
 ケンタッキー州で、伝統的な毒ヘビを使った儀式を行い、テレビにも出演して有名になっていたジェイミー=クーツという牧師が、飼いヘビに噛まれて死ぬ、という、不謹慎ながらついつい笑ってしまう事件が2月15日にあった(CNNより)。なんでもこの牧師さん、聖書の一節(どの部分なのかまだ確認できてない)を根拠に「神に選ばれた者は毒ヘビに噛まれても害はない」と確信しており、実際に毒ヘビに噛まれても治療を拒否して結局死んじゃったのだそうな(じゃあ神に選ばれてなかったんですかね)
 記事によるとどうもこの手の毒ヘビ使いの儀式は昔からあるものらしく、テネシー州ではかつて2年間に5人がこの儀式で死ぬ事態となり、1947年に儀式自体を禁じていたという。このクーツ牧師も祖父の代から毒ヘビ儀式を行っていて、2008年には自宅に毒ヘビ74匹を飼っていたために逮捕され(罪状は不明)、昨年にそのテネシー州へ毒ヘビを持ちこんだ容疑で逮捕され執行猶予の判決を受けていたという。
 クーツ牧師は息子に教会を継いでこの儀式も引き継いでほしいという意向だったそうだが、こんな事態になってもやるのかなぁ。「神に選ばれていたからこそ早く神に召されたんだ」とか都合のいい解釈をしちゃうような気もする。



◆何人寄ってももんじゅの知恵

 また一ヶ月ばかり更新できなかったのだが、その間に安倍首相の「お友達」たちの「お言葉」が続々と出ること、出ること。NHKの会長にしても経営委員にしても、やっぱりそういう意図でそういう頭の人を持って来たということなのだな、と改めて思い知らされた。もちろん世の中にはアポロ陰謀論とか911陰謀論とか竹内文書とか、神に選ばれれば毒ヘビに噛まれても平気とか信じてる人はいるわけで、信じるのは個々人の勝手ではある。そういう発言を堂々としちゃうと、「ああ、その程度の脳味噌の人なんですね」と傍からは笑ってみていられるのだが、それが一国の中枢レベルに近い人たちの「お友達」だと、こちらも巻き込まれてしまうだけに不安にもなる。前々から言ってることだが、僕は安倍さん個人はともかくとして、その周辺に群がっている人たちがトンデモさんぞろいでアブないと思っており、それをまたイヤいうほど見せつけられることになってしまった。

 それぞれの「お言葉」は昔から言い古されている言説で目新しさはない。そして日本から一歩出ればほぼ通用しない言説でもある。ところが困ったことに日本における「保守」とされる人たちの一部にはこうした言説を頭から信奉してる人が少なくないのだ。今度の件でフィナンシャル・タイムスだったか他の新聞だったか忘れたが、どこかの記事で「日本の保守は徹底してアメリカにすり寄りつつ、戦後民主主義についてはアメリカから押し付けられたとして敵視する歪んだ実態がある」といったことが書かれていて、ああ、向こうの人もちゃんと分かってるな、と思わされたものだ。

 こういう人たちにとっては靖国参拝にアメリカが「失望」と表明したことはえらくご不満であったようで、首相側近の衛藤晟一補佐官はわざわざyoutubeにアップして「こっちが失望した」と言っちゃってたが、そもそも太平洋戦争で日本を負かした相手であり、東京裁判を主導してA級戦犯を断罪したのはどこの国なのか考えればどう思われるか察しはつくはず。この辺の感覚がおもいっきりねじれているのも昔からだが、一つには冷戦構造がもたらしたものなんだろうな。
 「不戦の誓いのため」という言い訳を事前に用意して盛んにそれを吹聴していたけど、これだって安倍さんに近い人物が自民党の運動方針案の会議で全面的に否定しちゃってるし、靖国の遊就館でどういう主張がなされているのかは英米の新聞でも取り上げられててしっかりバレている。あの手の発言をする人たちはどうもそれがバレないと思ってるフシすらあって…こういう、それぞれの国の立場を無視して自国に都合よく解釈し、都合の悪い情報は無視して甘い観測にズルズルと引っ張られ、それがひとたび破綻すると逆ギレして暴走、というパターンは戦前戦中の日本の軍事外交によく見られるだけに正直アブなさを感じる。去年騒がれた「シャラップ!」の外交官を思い起こすと、その傾向は外交現場にまであるとしたらかなり怖い。

 さらに、これも日本に良く見られる悪い癖だと思うのだが、「問題発言」と言われるとすぐ「撤回」「取り消し」「個人的意見」「オフレコ」「誤解」と言ってひっこめる。それでいて自分は間違ってないと思ってるから「うるさく言われるのでとりあえず黙る」というその場しのぎのポーズに過ぎない(それでいて後から「何が問題なんだ」とか言うんだよな)。そこまで信念があるんならひっこめるなよ、と言いたいし、結局その発言内容について政権としてどう思ってるのかについて首相をはじめ一切明言がなく、結局みんなそのままその地位にい続けている。これはよそから見たら発言内容を肯定していると思われても仕方がない。
 こうした歴史関連の発言はさすがに安倍首相本人は抑制してるけど(だからお友達たちが本音を言っちゃうんだろうが)、憲法がらみの話になるとかなり言いたい放題。自民党の憲法改正案にも明らかだが、この人たち、「立憲主義」をまるで理解していない(というか、たぶん「憲法」そのものが良く分かってない)。立憲主義とは「権力者が暴走して国民の人権を侵害しないように権力者を縛るもの」というのが中学生の公民教科書にすら載ってる常識なのだが、安倍さん、「それは国王権力があった昔のこと」と言い放った。権力持てば王様だろーが総理大臣だろーがおんなじことである。まして安倍さん自身が世襲政治家であり、周囲も限りなく「国王」視してる存在だ。第1次安倍政権の時に自殺した大臣が「安倍総理万歳」と遺言したのも思い起こされたい
 解釈改憲についても自分が最高責任者だから自分が決める、とまさに「俺が憲法だ」と言わんばかりの発言をしていて、さすがに与党側からも三権分立の軽視と批判が出ている(NYタイムスまで社説で指摘してたな)。こういう首相が出て来ると、中学生に公民教える社会科の先生が困っちゃうじゃないか(笑)。

 漫画「風雲児たち」でも最近描かれたが、アメリカを見て来た勝海舟が帰国後に幕府幹部から「日米の違いは何か」と聞かれ、「あちらの要人は身分相応に頭がいい(上の地位にいる者ほど頭がいい)」と答えたという話がある。ま、世襲でなったブッシュ前大統領なんか見てるとあちらも日本風になりつつあるのかな、と思っちゃったが、昨今の首相やらNHK会長やら、航空幕僚長にまでなって都知事選で意外に票を集めた候補者なんかを見てると、日本社会はバカほど上に行けるようになってるのかも、と心配になる。この「バカ」というのは決して学歴的なことではなく、旧参謀本部の連中みたいに「やたら優秀で世渡りがうまいけど視野の狭いバカ」というくらいに思ってほしい。そういうバカが何人集まっても相乗効果でいっそうバカになるわけで…


 ところで今の政権が原発の再稼働、あわよくば新規建設と、すっかり事故前の状態に戻しちゃおうと考えているのは明らかなのだが、その中でチラチラと気になる話も流れた。日経新聞が「自民党がエネルギー基本計画の中で『もんじゅ』を中心とする核燃料サイクル政策の白紙化を検討」と報じ、官房長官がそれを否定する一幕があったのだ。結局のところ曖昧なままになっているのだけど、安倍さんの「お友達」の自民党幹部の口からも「『もんじゅ』を使用済み核燃料の毒性排除、減容目的に転換する(いわゆる「核のゴミ焼却場)」」といった案も検討と発言されていて、ともかく何らかの見直しを迫られているのは間違いない。
 原子力発電はウランを核燃料として利用するが、その過程でプルトニウムが生成される。このプルトニウムを燃料に使って、さらにプルトニウム燃料を増殖させちゃおうという、聞くだけだとえらく美味しい話の施設が「高速増殖炉」というやつだ。確かに実現できれば世界的にも多くはない核燃料を効率よくリサイクルでき、特に資源に恵まれない日本にとっては好都合、というわけで「高速増殖炉もんじゅ」というアナウンサー泣かせの名前の実験施設を作り、将来的に実用の増殖炉を建設しようという「核燃料サイクル政策」は日本の基本方針となってきた。ところが世の中そう美味い話はないもので、この高速増殖炉というのは扱いが厄介な代物だったから他国では多くがあきらめてしまい、日本の「もんじゅ」もナトリウム漏れ事故を起こしてストップ、また動かしたら部品が炉内に落ちる、さらには点検漏れを繰り返すという信じがたいミスが起こってストップしたまま(気のせいだといいんだが、どうも日本の原発関連は信じがたいような凡ミス、および隠蔽話が多い)。それでも高速増殖炉をあきらめない姿勢に、一部には「日本は核武装の余地を残そうとしてるんじゃないのか」という疑惑の声もあがっていた。

 そして、その日経の記事のちょっと前の1月末、こんな報道もあった。アメリカ政府が日本に研究用として提供しているプルトニウム300kgを「返せ」と要求していて、日本はしぶしぶそれに応じる意向を決めた、というのだ。これは「もんじゅ」ではなく、茨城県東海村にある高速炉臨界実験装置で使っているもので、まさしく核兵器に転用可能な高濃度の「兵器級プルトニウム」が大半を占めるという。単純計算では核兵器40〜50個分に相当するのだそうだ。
 この実験施設は1967年に臨界に達し、高速炉研究のデータ取りに利用されていた。アメリカがそんな高濃度のプルトニウムを提供したのはもちろん実験用に限ってのことだったからだが、冷戦時代であったことも無縁ではない。冷戦時代に米ソ両国はそれぞれの陣営の「子分」たちに高濃縮ウランなど核物質を提供していて、日本の原発も「原子力の平和利用」ということとはいえ、あくまでアメリカのコントロール下にあった。日本はアメリカと結んだ原子力協定で、アメリカの了承のもとに日本の使用済み核燃料の再処理する「特例」を認められていて、日本国内の原発でも使用済み核燃料からプルトニウムが生成されていた。その量は実に44トンにも上るそうだが、こちらは不純物も混じった「原子炉級プルトニウム」というやつで、「兵器級」のようには役に立たないというのだ。

 アメリカがこのプルトニウムの返還を要求し始めたのは2010年、つまり現在のオバマ政権になってから。オバマ政権は(最近忘れられかけてる気もするが)「将来的な核廃絶」の志向を示し、現実的レベルでは核兵器がテロリスト集団の手に渡らないようにする「核セキュリティ」を重視し、その中で日本国内にある兵器級プルトニウム300kgを問題視するようになったのだという。日本側は管轄する文部科学省(「もんじゅ」もここが管轄)が「研究に有益」として返還を渋ったが、その翌年の2011年に福島第一原発事故が発生、以後原発を止めたためにプルトニウム消費も不透明な状態になって、「なら持ってても仕方ないだろ。研究データならくれてやるから」ということでますます返還圧力が高まったらしい。それでしぶっていた日本側も昨年くらいから返還に前向きとなり、今年三月にオランダで開かれる「核安全保障サミット」で合意しようという方向になってるとのこと。
 もちろん、あくまで「テロリストなどに渡ったらまずい」という趣旨なんだけど、深読みすると、ついでに日本に核武装の可能性を持たせまいとしてるようにも見える。そして研究目的の理由を挙げているとはいえ、しぶった日本側にもどこかそのケがなかったのかな、とも思えてしまう。「核保有の検討くらいしても」と言った政治家もいたし、保険をかけておこうという態度はチラチラと見えてはいた。ここにきて返還要求が強まったというのも、もしかするとアメリカはささやかに日本を警戒したということかもしれない。先ほど兵器級ではないと書いた原子炉級プルトニウム44トンだって、その気になって濃縮にとりかかれば核兵器に転用できないわけではない。44トンだと、単純計算で実に核兵器4000発が作れるというから恐ろしい。

 「保険」といえば、日本はトルコに原発輸出をしようとしてるのだが、両国で結んだ原子力協定の中に「日本政府が同意すればトルコが国内でウラン濃縮や再処理ができる」という条項があったことが、不思議とあまり騒がれずサラリと報じられていた。トルコ側からの要求であったといい、これってトルコも保険として核武装の可能性を残しておきたいと考えてるようにしか見えない(UAEとの原子力協定ではこの件は禁じられているという)。日本政府は「日本の同意がないと出来ないんだから、事実上できないのと同じ」と言い訳してたが、そんなもん絶対じゃなかろうに。日本がアメリカと結んでいる原子力協定の条項をトルコにもあてはめただけ、というつもりなんだろうけど、のちのち思わぬ事態になりはしないか?との声は実際に出ている。
 NATO加盟国でもあるトルコは実はミサイル防衛システムを中国から購入しようとしていてアメリカににらまれており、最近はイスラム系政権ということもあって微妙にアメリカ離れをしようとしてるんじゃないか、との憶測もある。まさか、と思うかもしれないが、日本だってアメリカの世界支配力が落ちてくればアメリカ離れを選択肢に入れて来る可能性は十分ある。実際、アメリカの新聞の社説でもそんなことが書かれていて、こっちが思っている以上に向こうからは実際そう見えるということはあるのだろう。ちょっと前に話題になったハンチントンの「文明の衝突」でも、将来日本は欧米文明を離れて中国文明側につく、と予想されてたりしていたし。

 もっとも、これもまたアメリカのどっかの新聞社説に書かれていたが、じゃあ日本が戦前みたいに孤立して暴走し始めるかというと、それも難しい。なぜなら戦前と決定的に違って、日本本土にはアメリカ軍そのものが最初からどっかと居座っているんだから(笑)。暴走以前に叩き潰されちゃうでしょうな。



◆人類の足あと

 去る2月7日、イギリスの大英博物館(名前からしてイギリスに決まってるけど)が、イギリス南東部ノーフォーク州の海岸で、「80万年以上前の人類の足跡」を発見した、と発表した。アフリカ以外で見つかったものとしては人類最古の足跡だとのこと。なお、どうやって「80万年」という数字を出したか気になるが、これは周辺の地質や、近くで発見された絶滅動物の化石などからの推定だそうだ。
 もっとも、人類といっても80万年前ともなれば現在世界中にいる「現生人類」であるはずがない。そのころだといわゆる「原人」段階で、ゴリラと人間の中間ぐらいだったんじゃなかろうか。初歩的なものとはいえ石器など道具を作成・使用していたし、確定的ではないが火や言語も使用したのかもしれない、といわれる段階だ。

 子供の時に読んだ人類史本では、「現生人類最古の足跡」としてフランスの洞窟で見つかった1万5000年前の足跡の写真が載っていた。そのすぐ隣にアポロ11号の乗員が月面に残した足跡(もちろん現時点で地球から最も遠い所にある足跡だ)を並べ、「この二つの足跡の間には1万5000年の時間しかない」と説明がついていたのが何とも印象的だった。その本も出版からそこそこ年月が経っているのでもっと古い時代の現生人類の足跡が見つかっているのかもしれないが、確認はとってない。
 足跡といえば、何せ恐竜の足跡だって見つかってるくらいだから、それよりずっと「最近」の存在であるヒト種の足跡も結構古いのがいくつか見つかっている。ネットで探してみたところ、アフリカではアウストラロピテクスのものと思われる375万年前の足跡が見つかってるそうで、これが一応の「最古の足跡」ということになるらしい。続いて2009年にはケニアで150万年前と見られる足跡も見つかっているそうだ。

 全ての人類はアフリカで「発生」し、次々と「出アフリカ」をしていったというのはほぼ定説となっているが、かつてはイギリスで「ピルトダウン人」なる「現生人類の祖先の化石」が“発見”されて、現生人類はイギリスから発生したとかなりのあいだ信じられていたこともある。1950年になってオランウータンと現生人類の骨を組み合わせた捏造化石であったことが判明したわけだけど、日本の旧石器捏造事件だってほとんどそれと同レベルの「誤った定説」を生むところだった(余談ながら、先日来の「佐村河内」氏の騒動を最初に聞いた時、僕がまず連想したのが旧石器捏造騒動だった)
 ともあれ、今回イギリスの海岸で80万年前の足跡が見つかったということは、その時点でヨーロッパ北部まで原人が来ていた、という確実な証拠でもある。化石そのものでないところがやや弱いところだが、ヨーロッパ北部に「人間」の最古の、文字どおりの「足跡(そくせき)」というわけで、貴重な発見には違いない。
 なんでも発見された地点は80万年に河口の泥地であったようで、そこに残した足跡が何らかの理由で固まって保存され、その上に砂などが堆積したためらしい。その砂が浸食により削られて昨年5月に姿を現すことになったのだが、発見からほどなくさらなる浸食で消えてしまったとのこと。80万年も残された足跡もあっさりと消えちゃったことはもったいないが、ともかく現生の人類どもに発見されたのだから奇跡的な幸運と言うべきかもしれない。
 大英博物館やイギリス自然史博物館などの研究チームが測量をもとに立体映像を作成してみたところ、足跡は子供を含む5人程度、身長は90〜170cmほどと分かったという。一家で潮干狩りにでも来ていたとか?(笑)。


 さて、その「原人」のあと、20万年前ほどからネアンデルタール人と総称される人類が世界に散らばった。そのあとに我々「現生人類」が出アフリカして世界に広がり、今日に至ったわけだけれど、ネアンデルタール人の方は絶滅している。で、この両者がある期間併存していたのではないか、さらには混血していたのではないか、との推測があり、ジーン=アウルの小説「エイラ」シリーズでもその説がとられていた。以前「史点」でも触れたはずだが、数年前の調査で現生人類の中にネアンデルタール人からDNAを一部引き継いでいる者がいるとの有力な研究結果も発表された(否定的な研究もあったけど)。そうした流れを反映してか、フランスで製作された「最後のネアンデルタール」という映画(「歴史映像名画座」の「先史時代」参照)でも、最後の一人となったネアンデルタール人の男が現生人類の女の子と夫婦になってめでたし、めでたしな終わり方になっていた(もっともストーリー自体はありがちな「ボーイ・ミーツ・ガール」との批判もあったみたい)

 1月末、アメリカのハーバード大、ワシントン大の二つの研究チームがほぼ同時に、それぞれ違ったアプローチながら、「現生人類はネアンデルタール人と混血して皮膚・毛髪・一部の病気の遺伝子を受け継いでいる」というほぼ重なる研究結果を発表、「混血説」をさらに補強することとなった。
 以前の研究でも言われていたことが、ネアンデルタール人のDNAを受け継いでいるのはヨーロッパやアジアの人間で、アフリカ人には受け継がれていない。これは現生人類とネアンデルタール人の混血が、後発の現生人類の「出アフリカ」後、中東あたりで起こったためと推測される。今度の研究結果もそれを裏付けていたが、東アジア人の方がより受け継いでいる率が高いようだ、と聞くと東アジア人としては興味がいっそうわく。その原因として、混血した時期に東アジア人の先祖の数がずっと少なかった、あるいは東アジア人の先祖とネアンデルタール人との混血は何度も繰り返された、の二つが推測されるという。

 専門的な話をなるべく抜きにして書くと、ネアンデルタール人のDNAが特に受け継がれているのが「ケラチン」を生むDNA情報で、このケラチンは毛髪や皮膚・爪の主成分となっている。一つの仮説として、ネアンデルタール人から引き継いだこれらの遺伝が、現生人類がより寒い地域に進出する手助けになったのでは、というものが挙がっている。ネアンデルタール人は出アフリカしてユーラシア各地に広がったものの、シベリア方面、さらにはアメリカ大陸までは進出できなかった。現生人類はもしかするとネアンデルタール人と混血することによって、より厳しい環境に耐えられる体を手に入れたのかもしれない、というわけだ。
 その一方で糖尿病や肝硬変など、現生人類が抱えている病気にかかりやすい遺伝子も引き継いでしまっているらしい。ふと思ったのだが、東アジア人って、世界的にみるとアルコール分解能力が低い、要するに「酒に弱い」ことがDNA的にも確認されていると聞いている。もしかするとそんなのもネアンデルタール人由来なのかな?(オーストラリアのアボリジニも酒に弱いそうなので自信はないが)


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