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2014年3月21日

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◆ソチ過ぎてロシアクリミアウクライナ

 「平和の祭典」であるオリンピックが終わった直後にこの騒動である。逆に言えばオリンピック中でなければ戦争やってもいいんだ、って論法も出てきそうだけど。
 騒動の直接の発端はソチ五輪以前から始まっていた。ウクライナヤヌコビッチ政権がEU加盟交渉を打ち切ったことに西部を中心とするEU加盟希望派が猛反発し、政府庁舎を占拠するなど反政府活動を展開していた。ついには衝突で死者も出る事態になって、オリンピックに出場していたウクライナの選手が抗議の出場辞退をするなど波紋が広がったが、その後いったんは双方が事態を鎮静化することで合意した。と、報じられたと思った直後にヤヌコビッチ大統領が首都を脱出、いきなり「革命」が達成されてしまったから驚いた。

 欧米寄りの暫定議会はヤヌコビッチの解任を決議して暫定政府を樹立。ヤヌコビッチの豪華な別荘を内外メディアに公開してその贅沢ぶりを見せつけるという、なんだか過去に何度か見た気がする演出も即座に行った。ヤヌコビッチはロシアにかくまわれて今も自らが正統な大統領であり「革命」は違法だと主張していたが、それを言い出すと歴史上の全ての革命は倒された側にとって「違法」ではあるんだよな。ただあまりにも事態が急転直下で内情がよくつかめず、「自由を求める民衆が圧制を打倒しました」という綺麗事では説明がつかない気配を感じる。こちらも「西側」にいるもんだから、報道はおおむねロシア側を非難する論調になりがちなのだが、一部で反ヤヌコビッチで暫定政権にも参加している勢力の中にはネオナチまがいの排他的極右過激派もいて、いろいろと策動していたということもチラチラと報じられていて気になっている。

 ウクライナはロシアにとって、現在の東京中心の日本で言えば「関西」みたいなもの、という例えを何かで読んだか聞いたかしたことがある(出典は記憶が曖昧)。ソチ五輪の開会式で建国以来のロシア史が映像やらダンスやらでざっくりと語られていたが、そもそも「ロシア」なる国家のルーツは現在のウクライナ地域にあるといっていい。9世紀にスラブ人の「ルーシ族」がヴァイキングのリューリクを首長に戴いて(あるいは征服されて)作った「ノブゴロド公国」がロシアのルーツとされるが、その後このリューリクの息子が現在のウクライナ首都キエフに移って「キエフ大公国」(国号はあくまで「ルーシ」だった)を建設、この国家はやがてキリスト教を受け入れて東欧の強国として栄える。だが12世紀に入って分裂と衰退を引き起こし、13世紀にはモンゴル帝国に征服されることになる。
 このモンゴル支配時代に、旧キエフ大公国の「北の辺境」にいたモスクワ大公国がゆっくりと勢力を拡大していったものが後のロシア帝国につながっていくわけで、ウクライナを「ロシアの関西」とする例えは、こういう歴史的背景をふまえたものだと思う。ウクライナ人はともかく、ロシア人の多くには「ウクライナが別の国だというのは頭では分かっていても感覚的に納得できない」(というロシア人の発言が新聞で紹介されていた)というのも、今の日本で関西地域が独立国になってたら、それも近隣諸国に結びつきが強い形で、と想像すると、その心理自体は分からないではない。
 
 さて、モンゴル支配時代にクリミア半島を含むウクライナ南部の草原地帯には各種の遊牧民が入りこみ、モンゴル支配の衰退に従ってどこの支配にも属さない自由地帯(無法地帯?)となって、各種の武装遊牧集団が出来あがっていった。こうした集団こそが、いわゆる「コサック」のルーツであったという説明がある。コサックのイメージというのは他国者にはいささか理解しにくいのだが、僕なんかはコサック発生由来の説明を読んでいると自分が専門にしている「倭寇」とどっか似ているな、と感じた。あるいは日本の平安時代中ごろの東国武士の発生の状況なんかも似ているかもしれない。ともあれ、コサックの「本場」は本来はウクライナなのだ。
 ウクライナ・コサックといえば、「隊長ブーリバ」(タラス・ブーリバ)である。ウクライナの小説家ゴーゴリがロシア語で書いた小説で、何度か映画化されており、ユル=ブリンナー主演(厳密にはトニー=カーティスがトップタイトルだが)のハリウッド版がよく知られ、僕もそれだけは見ている。16世紀のウクライナ平原を舞台に、遊牧民的野蛮さを炸裂させたコサックたちが、トルコ相手にポーランド相手に大暴れするお話で、あの時点ではポーランドの方が支配国でキエフがその影響下の「文明都市」という描写が現在からすると新鮮だった。
 で、この小説の作者ゴーゴリはコサックの末裔たるウクライナ民族意識からこの小説を書いたわけだが、小説自体はロシア語で書いた。もちろんロシア帝国支配下だったからでもあるが、彼にしてもまだウクライナ語(ロシア語とは6割方同じと聞くので、やはり関西弁みたいなもんと思えばいいのか)で小説を書く気にはなれなかったらしい。そのためロシア人にとっても「隊長ブーリバ」は「自国民の物語」となっており、最近もロシアでまたまた映画化されたが、コサックたちを「ロシア人」扱いで描いたためにウクライナ側から反発があったとの話もある。

 コサックと聞くと、僕の世代は「バトル・コサック」をまず連想しちゃうのではなかろうか(笑)。そう、東映変身戦隊ヒーローものの初期作のひとつ「バトルフィーバーJ」に出て来るキャラだ。知ってる人には説明不要だろうが、この番組は戦隊メンバーが「各国代表」みたいになっていて「バトル・ジャパン」「バトル・ケニア」「バトル・フランス」「ミス・アメリカ」そして「バトル・コサック」の5人で構成されていた。そもそもが東映がマーヴェルコミックと契約して「スパイダーマン」と「ミス・アメリカ」を借りたことから企画された番組なのだが(東映スパイダーマンの方もいろんな意味で語り草)、「ジャパン」「ケニア」「フランス」「アメリカ」と国名が続いて、「コサック」が混じっているのが子供心に不思議だった。あとから分かったことだが、これは当時の「ソ連」の代わりだったわけですな。それだけ「ソ連=ロシア=コサック」という連想があったわけだ。
 ウクライナ平原で発生した武装集団コサックはやがて各地に広がり、ウクライナを征服したロシア帝国の尖兵として利用される。ロシアがシベリアに領土を拡大するきっかけを作ったイェルマークもコサックだったし、ずっと後の日露戦争でもコサック部隊が日本軍を恐れさせた。だからロシアでバトルとくれば「コサック」になったんだろう。一方でステンカ=ラージンだのプガチョフだのといったロシア史上有名な反乱者たちもまた「コサック」だった。

 ロシアがポーランドからウクライナ東部を奪い取ったのは17世紀のこと。続く18世紀にはトルコとの戦争を経てモンゴル時代以来残っていたクリミア汗国をロシアに併合して「小ロシア」とし、「ポーランド分割」でウクライナ西部もロシア領となる。19世紀には「クリミア戦争」があり、クリミア半島の重要拠点であるセバストポリ要塞をめぐる攻防戦が起こっているし、映画で有名な「戦艦ポチョムキンの反乱」(1905)が起こったのはウクライナの都市オデッサ。映画でも出てくるがあの水兵の反乱の原因はボルシチが腐っていたことにあり、そのボルシチだってロシア料理の印象が強いがそもそもはウクライナ料理だという。
 長らくロシア帝国内にあってもウクライナ民族主義というのも強くなっていて、ロシア革命が起こった際にはウクライナとクリミアはそれぞれ一時的に独立したが結局ソ連に編入され、第二次世界大戦でも独ソ戦の激しい戦場となり、その末期には戦後の世界を決定した「ヤルタ会談」が開かれたのもクリミアだ。
 とりとめもなくウクライナとクリミアの歴史について書いてきたが、こうして並べてみてもこの地域の歴史が「ロシア史の一部」と認識されてしまう のも無理はないと思えてくる。僕が中学時代に地理で覚えたソ連の重要な農業地域・工業地域も実はウクライナ領内が多かったし、あの「ソ連の」と冠せられるチェルノブイリ原発もウクライナにある(ウクライナは事故後「脱原発」したけど再開してるんだってね)

 ソ連時代にクリミア半島はロシア共和国の一部とされたが、1954年のフルシチョフ時代にウクライナ共和国に編入された。フルシチョフはウクライナ東部のドネツク育ちだそうで、故郷へのプレゼントのつもりだった?との話もある。どちらも「ソ連」領内であるうちは特に問題にならなかったのだが、1991年にソ連が崩壊するとウクライナは分離独立した。その時からクリミア半島の帰属をめぐる問題は生じていて、とりあえずロシアは黒海艦隊の基地使用権をウクライナから借り、代わりに格安で天然ガスを供給する、という関係を結んだ。
 だがソ連崩壊後、ウクライナは新たな「東西冷戦」の場となってしまった。ソ連崩壊後、東欧諸国はロシアの影響力を脱して「西側」寄りになり、それは東欧に隣接するウクライナ西部にも及んで、かつての「鉄のカーテン」の最前線がウクライナの真ん中に移動してきた観がある。プーチン政権下でまた強大国化してきたロシアとしても「兄弟国」と思っているウクライナは絶対に引けないラインで、ここ10年くらいウクライナは東西双方の謀略うずまく激しい駆け引きが展開されてきた。今回の「革命」はかなりウクライナ民族主義的側面を持つだけに同国内のロシア系住民が恐怖心を抱いたことも無理はないし(前政権では公用語と認められていたロシア語が速攻で公用語から外されてるし)、ロシアとしてもそれを後押ししてこれ以上は「前線」ラインを下げたくはない。ここ一ヶ月間のクリミア「独立」とロシア編入への急激な動きはこうやって過去の歴史的背景を振り返ってみると必然的とも思えてくる。
 アメリカやEU諸国は当然のように暫定政権を支持し、ロシアのクリミア編入への強硬姿勢を非難している。それでも当初は「威嚇だけでそこまではやるまい」と思っていたようにも感じる。だけどつい先頃のグルジアの南オセチアにおけるロシアの行動は今回のクリミアとほぼ同じで、その後南オセチアの独立は「既成事実」となっているんだから、クリミアでの動きもその延長上だ。思い返せばセルビアにおけるコソボも同様の状態のまま今日に至っている(この時はロシアが反対する側だったが)

 ところでクリミアに展開しているロシアの言うところの「自衛組織」の武装集団、装備などから明らかにロシア軍そのものだろうと言われているけど、どうもこれにも例の「コサック」がかなり入っているらしいのだ(毎日新聞記事より)。いまどきコサック?と驚いてしまうが、ソ連時代に徹底的に解体されたと思われていた各種コサック組織はソ連崩壊後に息を吹き返し、いわば義勇軍のようにロシアの軍事を支え(ソチ五輪でも警備にあたっていたという)、特に領土問題ではどこでも最前線に飛び出してきて一歩も引かない姿勢を見せるという(参考文献:植田樹『コサックのロシア・戦う民族主義の先兵』2000年、中央公論新社)。ロシアの先兵には違いないが、プーチン大統領があくまで「自衛組織」としてロシア軍ではないと主張するのも一応の理屈はあるらしい。かつてのコサック発祥の地と言ってもいいウクライナ、それもクリミアにコサックがロシアの先兵として現れる、というのも歴史の因縁を感じてしまう。
 因縁と言えば、クリミアの住民には約60%のロシア系、25%のウクライナ系のほかに、12%程度の「クリミア・タタール人」がいる。これはかの「クリミア汗国」の末裔のイスラム教徒。スターリン時代に警戒されて他の地域に強制移住させられていたが、ソ連崩壊後にこの地に戻って来た。当然ウクライナ系同様にロシアへの帰属に反対しているが、これもまた過去の歴史の因縁を感じさせる。ウクライナの中では少数派になり抑圧される恐れを感じているロシア系住民だが、クリミアでは彼らが多数派になり一方的な住民投票で独立・ロシア編入を決めてしまうことで、クリミア内の少数派であるウクライナ・タタール住民を抑圧する結果になりそうで怖い。一番怖いのはボスニア並みの凄惨な民族紛争になることで…

 3月16日に実施されたクリミアの住民投票は事前の予想通り99%という圧倒的支持でウクライナからの独立とロシアへの編入を決定した。もちろん投票したのはほとんどロシア系住民で反対派はハナから投票していない。ただ「西側」ではロシア軍の実質占領下、威嚇のもとでの実施だからまっとうな結果が出るはずがないと主張するものの、現地のロシア系住民の熱狂的なまでのロシア帰属志向自体は本物ではあるだろう。あそこまで一気にやって盛り上がってしまっては、ロシア側としても編入しないわけにはいくまい。もちろんそうなることをプーチンさんは百も承知でことを進めたのだろうけど。
 ソ連崩壊後、独立国が出現したケースは別にして、これほど広い領土が別の国に実力で吸収されてしまった例はない。ロシア系住民がいて、彼らが望んでいるんだからそこはロシアだ、という論法は、かつてナチス・ドイツがチェコスロバキアのズデーテン地方を併合する際に使った理屈を連想させる。実際このパターンは歴史上探せば結構あって、アメリカがテキサスを米墨戦争でメキシコから分捕った歴史なんかも今回のケースに良く似ている。もちろんだからこそ、これを許すとまた繰り返される可能性があるから危険だ、ってことになるんだろうが。
 ただ当事者であるウクライナ政府自体もその正統性にいささか弱みがあるせいもあってか、わざわざ「ロシアは重要な隣国」とアピールするなど傍から見た限りでは腰が引けてる気はする。それよりも今はウクライナ東部をロシアが併合する可能性すらあり(上記のように17世紀の歴史の繰り返しになる)、まずはそっちを回避しなくては、という気分なのかもしれない。EUだって表向きはともかくアメリカほど乗り気ではない気配を感じるし(そういえばアメリカの誰かさんが電話で「EUのくそったれ」と言う録音が流出したりしてたな)、冷戦真っ盛りの時期だったらキューバ危機並みの大変な事態のはずなのだが、オバマ大統領もあれこれ経済制裁はしつつも軍事介入はしないと明言してるし、株式市場とか為替相場を見ていると国際社会は言われているほど緊張感を抱いてない観もある。なんとなくこのままウヤムヤになっていきそうな気がするのもそのせいだ。

 ともあれ、今年ソチで開かれるはずだったG8サミットはもう開催不能だろう。ロシアを除いた7カ国でどっかでやることになると思われるが、プーチンさんもそれも覚悟で腹をくくっているのだろう。そして実際の話、7だろうと8だろうと「サミット」そのものの存在意義がすっかり低下してしまっているとはだいぶ前から言われていることだから、別にかまやしない、ということかもしれない。
 さて、本欄毎年恒例の「贋作サミット」は今年どうなりますことやら。「露」の一人芝居が延々と続いたりして。



◆むざんなやアンネの日記破られて

 僕は年がら年中図書館を利用して本を借りまくっている人間なのだが、図書館の本の本文中に傍線を引いたり書き込みをしているのを見つけることも時々ある。僕自身は自分が所有する本にすら書き込みをしないので(論文のコピーなんかにはすることもある)、こういうことする人の心理が本当に理解できない。かなり専門的な本でもそのケースはあり、こういうことをする人はそうしないと本が読めないのか、あるいは本とはそうやって読むものだと本気で思っているのかもしれない。ある本を借りて読んでたらいきなりある箇所に傍線を引いて「それは論理的におかしい」とか個人的ツッコミを書きこまれても、他人は困っちゃうだけではないか。
 破損してしまった本にめぐりあうこともたまにはある。さすがにその大半は「事故」としか思えないものだったが。思い返せばざっくりと十数ページくらい消えているような本にもめぐりあったこともある。僕自身は経験がないが、図書館の本や雑誌の写真なんかも切り取っちゃう輩までいるんだってねぇ。

 さて、東京都や神奈川県の図書館や書店で『アンネの日記』やその関連本が次々と破られるという事件が2月末に発覚した。被害は三百冊にものぼり、日本国内のみならず海外にも大きなニュースとして報じられた。反ユダヤ的となれば黙っていないサイモン・ヴィーダル・センター(昨年は麻生さんの「ナチスの手口」発言でも反応してた)も日本官憲に速やかな犯人逮捕を要望し、イスラエル大使もアンネ本の寄贈を行い事件への強い関心を示していた。日本国内でも「杉原千畝」名義で「アンネの日記」が図書館に寄贈されるなど、この件に反応したいくつかの動きがあった。僕が日ごろ利用している近くの市立図書館では「話題の本」コーナーで「アンネ・フランク観連本」の棚が作られていた。ま、あれは万一を考えてカウンターから見やすい所に置くという狙いもあった気がするが。

 説明不要だろうがこの日記はユダヤ人の少女アンネ=フランクが、ナチス占領下のオランダで迫害を逃れて屋根裏部屋に隠れて生活している間に記した日記で、彼女が強制収容所で病死したのち、戦後にひとり生還した父親のオットー=フランクが彼女の日記を編集(母親の悪口や性に関する記述などが省かれた)の上で刊行して世界的なベストセラーとなったもの。ユダヤ人迫害の生々しい証言であると同時に、そんな生活の中でも発揮された多感な少女のみずみずしい感性(もともと彼女は作家志望だった)も魅力であり、また当然日記には書かれていないもののその後の彼女の悲劇的な最期が読む者の心を痛めてやまない。
 …などと書きつつ僕自身は全部を読んだことがなく、日記を原作とした舞台劇を見たことがあるだけで、あとは熱心な愛読者である母親からの受け売りだ。僕の母は少女時代から現在までウン十年にわたって日記を書き続けているのだが、それも実は『アンネの日記』を読んだことがきっかけで、架空の友達に語りかけるスタイルまで真似している。

 今度の事件の犯人像についてはいろいろな憶測が出ていた。サイモン・ヴィーダル・センターなんかは「規模からいってグループ行動」と主張していたが、僕もふくめて大方の人は「妄想にかられた個人の犯行」という線で考えていたと思う。で、幸いにして容疑者は意外に早く逮捕され、やっぱりというべきか責任能力が問えるかどうか微妙な人物であるらしい。これが何らかの反ユダヤ的集団による犯行だったりすると大問題だったところだが、それでも気になったところはあった。犯人は書店で「アシスタントとゴーストは違う」という趣旨のビラを貼ろうとして捕まったそうで、「『アンネの日記』はアンネの書いたものではない」と主張する意図があったと供述しているというのだ。
 犯人逮捕前に、作家の山本弘さんのブログで読んだのだが、「『アンネの日記』偽書説」というのは古くからあり、ホロコースト否定論と結びついて今なお一部で根強く主張されているという。大昔に主張されてとっくに学問的に退けられている説だが、ウィキペディアでも数年前に偽書説信者が書きこんで編集合戦になったとのこと。一般に出回っている本ではまず出てこないこの説、本破りの犯人も当然ネット上のどこかでその主張を読み、信じてしまったのだろう。この件に限らず、ネット上のどこかで見たことをあっさりと信じちゃう人って結構多いのだ(もちろん書籍や新聞記事になってたからといってうのみにしちゃいけないが)

 この事件が騒がれ出した時、どっかのニュース番組でコメンテーターが、この事件が中国や韓国さらには欧米で「日本の右傾化」と結び付けられることを警戒し(確かに一部そういう論評はあったようだ)、「日本は戦時中でもユダヤ人を助けるなど、反ユダヤ的な考えは本来あまりない」という趣旨の発言をしていた。確かに欧米における反ユダヤ思考は日本にはあまりないとは思うが、それはそもそも身近にほとんどいないからでもある。だがそれだけに日本におけるユダヤ観はともすれば誤解と偏見に満ちていることがしばしばだから甘く見られない。
 「戦時中」の話は杉原千畝の話や、軍人の一部にユダヤ人を満州に呼び寄せようとする動きがあったことを指していると思われるが、千畝の件は確かに称賛に値するもののかなり例外的行動と思った方がいい。満州にユダヤ人を、という計画もユダヤ人の財産や技術、そして対アメリカ世論工作という狙いがあったのが実態で、太平洋戦争に突入するとナチス政権下のような迫害こそしなかったものの同盟国の手前反ユダヤ的な動きはそれなりにあった。1942年の衆議院選挙では反ユダヤを政策に掲げる人物がトップ当選しちゃってるし、戦前戦中の少年向け冒険小説に「ユダヤ陰謀論」がそのまんま出ていた例もある。
 歴史トンデモ系に詳しい方は日ユ同祖論と同時に主張された反ユダヤ思想の系譜が、決してメジャーではないものの日本の戦前から現在に至るまで脈々と続いていることをご存じだろう。もともとは親ユダヤであったが反ユダヤに転じた宣教師・宇野正美の「ユダヤが見えると世界が見えてくる」がベストセラーとなり国際問題になってしまった例もあるし(この時期は反ユダヤなら何でも売れるという状況だったらしい)、やはりベストセラーである「ノストラダムスの大予言」シリーズにも反ユダヤ思想が紛れこんでいたほか、一部のエンターテイメント作品にも隠し味のようにユダヤ陰謀史観が使われていることがある。反ユダヤというわけではないが、ユダヤ人のふりをして日本人が書いた「日本人とユダヤ人」というベストセラーもあった。この辺の事情を詳しく書いた松浦寛さんの『ユダヤ陰謀論の正体』(ちくま新書)でも、「『アンネの日記』と反ユダヤ本が同じ出版社から出る日本」という鋭い指摘がある。

 そんなわけで、僕は今度の一件は単純に妄想に駆られた一個人の話で、日本の現状とは無関係と片付けるのは気が引ける。むしろこれまでそんな事件は起きなかったのに、ここで起こってしまったのはこの妄想犯個人の問題よりも何か社会的背景もあるんじゃないか、と感じてしまう。事件を受けて本の寄贈をした匿名の人たちの多くは善意からなんだろうとは思うんだけど、へそ曲がりな僕には一部には「ユダヤ人を敵に回しちゃまずい!」と逆方向の妄想にかられた人もいたように思えてしまう。実際この事件の犯人をめぐってネット上であらぬ妄想を煽っている人たちの意見を見ていると余計にそんな気がしたのだ。
 たまたま核サミットのためにオランダに行くからということなんだろうけど、安倍首相がついでに同国のアンネ博物館を訪問するとの報道があった。ただこれも今度の一件で世界じゅうのユダヤ人の目を意識して、あるいは何かにつけ「日本の右傾化」と結び付けられる(なんせその震源地は安部さん当人とその周辺だ)のを警戒しての政治的な動きという観もたぶんにある。

 さて、今度の件でオランダでアンネ・フランク財団の会長をしてるのが88歳のアンネの「いとこ」であることを初めて知ったのだが、第二次大戦時に少年少女だった世代はまだそこそこ存命だ。
 この事件が騒がれ出した2月18日、「サウンド・オブ・ミュージック」のモデルとなったことで有名なトラップ一家の次女マリア=フランツィスカ=フォン=トラップさんが99歳で亡くなっている。この一家はユダヤ人ではなかったがオーストリアがナチス・ドイツに併合された際にオーストリアから亡命した。戦後にその劇的な展開が評判となって映画やミュージカルになって世界的に有名になっちゃった一家だが、よくあるパターンでそれら創作作品は現実とはだいぶかけ離れており、一家は不満を持っていたようだ。
 2月23日にはナチスの強制収容所から生還したユダヤ人のうち最高齢の生存者とされていた、プラハ出身の女性アリス=ヘルツゾマーさんが110歳で亡くなったという報道もあった。今年で110歳ということは、収容所から解放された1945年段階でもう40歳を過ぎていたという計算になる。やはりプラハ生まれで『変身』『審判』で知られるユダヤ人作家フランツ=カフカとは幼少期の知人だったとか。彼女を取材したドキュメンタリー映画は亡くなった直後の米アカデミー賞短編ドキュメンタリー賞の受賞作となった。


 ついでなんで、大戦後にユダヤ人たちがパレスチナに建国したイスラエルからの話題も。
 3月12日にイスラエル国会は「2017年から超正統派ユダヤ教徒の男性も徴兵対象とする」法案を可決した。ユダヤ教徒にもいろいろいるわけだが、その中でもユダヤ教信者の最右派で宗教活動を主とし、若者はユダヤ教の学院で教義を学ぶためにイスラエル建国以来徴兵が免除されている。しかし建国以来周囲に「敵」を抱えるイスラエルでは18歳以上男女に兵役が義務付けられており、いわば「聖職者」だけが徴兵免除の特権を得ていたわけで批判の声もあったようだ。戦前日本だったら神主さんだけは「勝利を祈るのが仕事だから」と徴兵免除になった、というようなものか。実際、元寇の時は実際に寺社が「祈ったおかげで神風が吹いた」と「戦功」を主張して恩賞を要求したりしてたような。
 今ごろになってこの法案が通った背景には、人口の10%以上を占めるこの「超正統派」の人口がますます増え、徴兵不足と不平等感の広がりを懸念したためという。超正統派はそれこそ聖書の言うように「生めよ増やせよ」という多産を実行しているため、人口に占める割合がドンドン増えてしまっているそうで。しかもイスラエル国民はユダヤ人だけではない。もともといたイスラム教徒、パレスチナ人だってそこそこいて彼らには兵役の義務はないのだ。
 超正統派の人々は猛反発し、大規模な反対デモも行われたそうだが結局法律は成立。それでも「男性のみ」なのはなぜなんだろう?



◆明治から平成までの警視庁

 「警視庁」といえば東京都の警察。調べてみると一応「都警察の本部」と定義され、法的に「警視庁」という中央省庁めいた呼称を認められている。石原慎太郎都知事時代に「首都警察東京」に改称するんじゃないか、というジョークもあった(笑)。
 警視庁の発足は1874年(明治7)1月15日。当時は内務省に属する「東京警視庁」として発足、初代長官はフランスに留学して警察制度を学んできた薩摩藩出身の川路利良だった。このため初期の警察官には薩摩人が多く、江戸っ子がからかって「薩摩っぽ」と呼んだことから警察官の隠語である「マッポ」が生まれたとされる(もう死語になってるような)。戦前は内務省に属する重要な中央官庁の一つだったが、戦後は警察組織が地方自治体に属する形になっためあくまで「都警察」。ただそのトップが警察の最高位「警視総監」であるなど特別扱いは続いている。

 さてその警視庁も発足から140周年。ということでこのたび警視庁が職員全員にアンケートをとり、「警視庁10大事件」を選出した。どうせやるなら150周年のきりがいい時にやれば、とも思ったが、10年待つのももったいない(10年後にまたやるかもしれんが)。なんでもまず明治以来警視庁が関わった100の事件・災害をリストアップし、職員たちに3つを選んでもらうという形で集計したとのこと。
 以下、その10大事件ランキングと共に、コメントをつけて歴史を振り返ってみよう。

1位 オウム真理教事件(1995年3月)

 これは当然でしょう。今なお現在進行形でもあるし、日本のみならず世界の犯罪史上でも異例の大事件。「地下鉄サリン事件」もとうとう来年で20周年だ。

2位 東日本大震災(2011年3月)

 もちろん大事件には違いないのだが、やはり「記憶に新しい」からではないかと思う。10年後にアンケートとったら順位が変わってるような気もする。

3位 あさま山荘事件(1972年2月)

 これも歴史的事件に違いない(僕も「歴史映像名画座」にこの事件関係の映画を2本入れてる)。管轄こそ長野県警だが、警察庁・警視庁から応援が送りこまれ(だから現場ではいろいろと軋轢もあったらしいが)、警視庁の機動隊で殉職者が出ている。なおこのとき警視庁から現場に派遣された広報課長が、地下鉄サリン事件の直後に狙撃された國松孝次警察庁長官(当時)。そっちも未解決のままである。

4位 3億円事件(1968年12月)

 「グリコ・森永」と並んで未解決大事件の代名詞的存在。僕はろくに見てないんだが、これを扱った映像作品もかなり多い。

5位 大喪の礼・即位の礼・大嘗祭(1989〜1991年)

 これは「歴史の節目」を意識しての選出だろう。昭和天皇の大喪の礼の時は世界中からVIP弔問客が来たからそれこそ警備も大変だったろうし。

6位 オウム真理教事件特別手配3人の逮捕(2012年1月)

 これが6位ってあたりが警察組織。1位とは別扱いなんですな。

7位 世田谷一家殺害事件(2000年12月)

 これも未解決事件の代表的存在。年末恒例で思い出される謎だらけの事件となった。

8位 秋葉原無差別殺傷事件(2008年6月)

 災害と逮捕話を除けばこれが一番近い年代の「大事件」。いろんな意味でその時の「時代」の空気を象徴する事件として語られ続けていくかもしれない。

9位 西南の役(1877年2〜9月)

 そしてお次は一番古い「事件」。なんで西南の役が?と思う人も多かったろうが、西郷隆盛らの鹿児島士族反乱が起こると、警視庁では軍隊を支援するため「警視隊」を組織して鎮圧に向かっているのだ。昨年の大河ドラマ「八重の桜」でも元会津藩士の佐川官兵衛がその警視隊の「抜刀隊」に参加して戦死した場面が描かれたが、警視庁ではこの戦争で実に900名以上もの戦死・戦病死者を出している。
 以前京橋の「警察博物館」を見物したことがあるのだが(近くの映画館に映画を見に行ったのだが、待ち時間中に見つけたのだ)、その3階に殉職警察官に関する展示がある。そこで明治時代の殉職者数が「1071名」と書かれているのを見て初めはビックリしたものだ。よくよく見ればそのうち900名ほどが西南の役での死者。確かに警察官としての職務中の死には違いないが、これは軍隊の戦死と同じだよなぁ。西南の役が警視庁の10大事件にランクインしたのは、歴史的事件ということもさることながら殉職者数の多さによるのではないかと。

10位 八王子スーパー強盗殺人事件(1995年7月)

 これも未解決事件の代表的存在。ヤクザの抗争を除けば拳銃による犯罪の画期をなしてしまった事件。昨年有力情報を知ってる可能性が高いとしてカナダから連れてきた人の話は続報がないような…。ふと気付くとこれも地下鉄サリンと同じ1995年の事件だったんだな。

 以上の10大事件に関する展示が、文中にも紹介した京橋の「警察博物館」で19日より行われているとのこと。期間中にまたのぞいてみようかな。



◆仮想でもカネは天下のまわりもの

 このコーナーではめったにない、僕自身も苦手なITと経済の組み合わせネタ、近ごろ話題の「ビットコイン」に関する話題である。「仮想通貨」などと言われるものだが、ここではその詳細なんぞ解説する気はさらさらない。というか、僕自身も理解しかねるところが多いもので(笑)。
 ただこの「ビットコイン」なるものが世界的に騒がれ出した去年、どこかのパソコン雑誌の記事で「考案者は日本人サトシ・ナカモトと言われる」という話を読んで「へぇ」と関心を抱いていた。その記事でも書かれていたが、あくまで「言われる」であってネット上の噂の両域を出ず、そんな人物の実在自体疑われているというのが実態らしい。今度ビットコインを「盗まれ」て破綻してしまった最大の取引企所「マウントゴックス」も日本に拠点を置いていたし(経営者も生粋の日本アニメオタクだそうだし)、利用者が少ない割に日本との結びつきは案外深いような。マウントゴックス破綻の直後に、アメリカ在住の日系人でその名も「サトシ・ナカモト」氏が一部マスコミによって伝説のビットコイン創業者本人として追いかけ回されていたが、当人は完全に否定していて相変わらず真相は不明のままだ。

 騒ぎの直後、日本政府はビットコインを「通貨ではない」との見解を示した。「モノ」として扱うというわけだが、例えば貴金属の金のように投資の対象になるような価値を持つ、通貨の補助的な役割はあるというような話らしい。ただこの決定の前に楽天の三木谷浩史社長が「日本だけで規制しても意味がない」として拙速と異論を出していた。確かこの時だったと思うのだが、「将来的に通貨のあり方自体が変わる可能性もある」といった発言もしていたのが印象に残った(確認しようとググりまくったのだが記事が見つからない)。確かに人類の歴史を振り返ってみれば、通貨、すなわち「お金」というもののあり方は時代と共に変遷を繰り返してきていて、今の常識が将来の非常識、ということは十分ありうるのだ。

 社会や国語の授業でよくやるネタだが、「買」「賣(売の本来の字)」「購」「賠」「貯」「財」「貨」「販」「費」「貿」「資」「賃」「賂」「賄」「質」「賭」などなどなど、金銭の関わる漢字には「貝」の字がつく。これは漢字のルーツが作られた古代中国においては貝殻が物品交換の仲立ち、つまり今でいう「カネ」の役割を果たしていたからだ。おお、じゃあ海辺に行って拾いまくれば大金持ちじゃないか!と誰もが思うものだが、実際に取引に使われたのは「タカラガイ」というやつで、それなりに希少価値があったからこそ交換の仲介品に使われたのだ。面白いことに調べてみるとタカラガイを交換手段に使ったのは中国だけではなく、世界各地で例があるのだそうだ。ともかく、こうした貝の「貨幣」も、多くの人々がそれが一定の価値をもつ物品と交換できるという「共同幻想」を抱いているからこそ成立する。当然、政府や中央銀行が「発行」したものではなかったわけだ。

 古代中国の話を続けると、春秋戦国時代には鉄や銅を素材とした金属の貨幣が使われ始める。日本の九州の弥生時代の遺跡から中国銭が見つかった例もあるそうだから、いわば「国際取引」にも使われていた可能性もある。発見数からいって当時の日本で流通していたとはあまり思えないのだが、一応何らかの価値を認められてはいたのかもしれない。
 日本では奈良時代から平安初期にかけて自国の銅銭が発行されたものの結局使われなくなり、平安末になって中国から銅銭そのものを輸入し、貨幣経済を発達させるようになる。現代からすると非常に奇妙に思えるが、当時の日本人にとっては自国発行の貨幣より中国の貨幣のほうがありがたみがあり、価値の「共同幻想」を抱けたということでもある。こうした輸入銭の利用は鎌倉、室町、戦国時代まで延々と続き(織田信長もなぜか明の貨幣「永楽通宝」を旗印にしてる)、全国を統一した豊臣秀吉によって久々の国産貨幣が発行され、それは江戸時代以降に受け継がれる。面白いもので江戸時代に日本で発行された貨幣が清代中国の一部で流通していたという事実もあり(長崎貿易を介して入ったのだろうか)、これなんかも貨幣というものの「共同幻想」を考える上で面白い。

 紙の貨幣、「紙幣」となればなおさら「共同幻想」の上に成り立っている。紙幣が最初に生まれたのも中国で、もともとは遠方まで大量の現金を運ぶのが困難なため、実際に運ぶ代わりに紙で書かれた「現金引き渡し証」を持って行って現地で現金と交換する仕組みから始まったと言われている。つまりは現金と交換できるという約束のうえで紙幣が成り立ったわけだ。宋代には実際に紙幣が政府から発行されるようになり、元の時代には財政難からそれを大量発行しちゃって混乱を引き起こしてもいる。
 日本では後醍醐天皇が建武の新政の際に「楮幣(ちょへい)」という紙幣の発行をしようと計画したことがある。財政上の要因もあったのだろうが、中国かぶれで宋や元の皇帝独裁体制を真似しようとした後醍醐の新し物好きの表れだったと見ることもできる。しかし現物が見つからないため(もちろん「紙だから」とも考えられるが)発行は実際には行われなかったとする説が有力だし、実行する以前に建武政権そのものが早期に信用を失ってしまっていたから発行したところで「共同幻想」どころではなくすぐ無意味化しただろう。日本における紙幣の発行は江戸時代の「藩札」から、というのが定説だ。

 さて紙幣というものは元々「そこに書いてあるだけの現金(金・銀など貴金属含む)と交換できる手形」というところから始まったので、本来は発行されている紙幣と交換できるだけの現物のカネを準備しておく必要がある。近代になると、人類が有史以来安定して高い価値のあるものと認識している金(きん)と交換することを保証する形で紙幣が発行されるようになる。これがいわゆる「金本位制」(もちろん「金に高い価値がある」という考えだって、つきつめれば共同幻想なんだが)
 だが20世紀に入って第一次大戦だの世界恐慌だのがあってこれも崩されてゆき、第二次大戦後にはアメリカドルが資本主義世界の基軸通貨とされて、ドルが一定の金(きん)と交換できることを保証したうえで各国の通貨がドルと固定相場で交換できるようにするという仕組みになった。しかし1971年の「ニクソン・ショック」でドルと金の交換は停止されており、以後今日にいたるまで、世界各国の通貨は「管理通貨制度」、つまり通貨発行元が通貨の流通量を調整することで経済をコントロールし、国際間の通貨交換もその時その時の経済状況に合わせて売買する中で相場が変わる変動相場制をとるようになった。だからギリシャ財政危機だのドバイショックだの近ごろのウクライナ情勢だの、あるいはアメリカのFRB議長が何かポロッと口にした途端に円やドルなどの相場が乱高下し、国によってはその経済に多大な影響を受けてしまったりするわけだ。

 こうして考えてみると、実は今の世界の通貨システムだって、けっこう危なっかしい「共同幻想」に立脚している。しかもグローバル化の進行で影響は瞬時に世界全体に広がるし、それでいて実際にモノが動くわけではなく記録されている数字が上がったり下がったりしているだけでもあるわけで、それで世界中が右往左往するというのも不思議といえば不思議。為替相場だの国際的な資金の数字上の変動で大騒ぎになる世界を眺めていると、いっそ世界共通通貨を作っちゃった方がいいんじゃないの、とは思う。ビットコインみたいないかなる国家権力の裏付けもない「国際通貨」の構想が出て来るのは必然的だとも思うのだ。「仮想通貨」というけど、いま世界で動き回ってる「カネ」だってたぶんに「仮想」のものなんだし、犯罪やマネーロンダリングに使われたり、投機的に使われて価値が変動するというのも従来の通貨でも起こっている話だ。
 権力・権威による裏付けがなく、利用者みんなでその保証をするというシステムは、あえて例えるならネット百科事典の「ウィキペディア」と似てるかもしれない。もちろんウィキペディアは適当な記述や誤りも多々あってそのまま鵜呑みにするのは危険だが(僕自身、自分がよく知っている分野についての項目記事で結構いい加減な記述があるのは見つけている。まぁ、だったらお前が直せ、という話なんだよね)、実は刊行されている百科事典でも記述が全部本当だとは限らないわけで。「ネイチャー」に載ったってねぇ…というのは脱線(笑)。
 実際、はじめは「通貨ではない」と断言した日本政府も、その後野党側から、「ビットコインは通貨の一般的な三機能、『価値尺度』『価値保存』『交換手段』を利用者に提供しているのではないか」との質問に対して、「ビットコインの現在の発行残高や経済価値が明確でないため見解を示すのは困難」とややトーンダウンした答弁書を出している。今度のビットコイン騒動は「通貨とは何か」という根源的な問題を含んでいて、なかなか面白いものがあるのだ。

 近ごろでは僕自身JR東日本のICカード「スイカ」でかなりの買い物を済ませてしまっており、現金で支払う機会がグンと減った。特に小銭を使うことが少なくなったのだが、4月1日から消費税が8%に上がるため財務省はしばらく発行してなかった1円玉、5円玉の増産を始めてるのだそうだ。電車賃についてはこれまでの増税時は10円単位に切り上げをしていたが、今回は「スイカ」などのICカードでは小銭の面倒を気にすることなく消費税分の値上げを「1円単位」で行えるようになった。その他の家計のもろもろの支払いだって銀行口座からの引き落としが電子的処理で済まされてるわけで、細かい小銭がどれほど要るのか疑問もある。一方で「カネ」そのものに対する現実感が薄れて来るような気もするなぁ…。

 そんな話を書いてたら、イギリスが2017年から「十二角形の1ポンド硬貨」を発行するとのニュースが流れてきた。従来の1ポンド硬貨は30年前に始まったものだが、流通しているうちの実に3%が偽造硬貨なのだそうで(!)、今回の新硬貨発行は偽造防止が最大の眼目であるらしい。その記事を読んでいたら2016年からは偽造防止を徹底した「プラスチック紙幣」(それは「紙幣」なのか?)なんてものも2016年から発行するのだそうだ。通貨の歴史は偽ガネとの戦いの歴史でもあるのだが、こういうのにもいずれはニセモノが出現するんだろうか。


2014/3/21の記事

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