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2014年4月21日

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◆今週の記事

◆アドルフに告ぐ!

 このタイトル、もちろん手塚治虫の晩年の大作をタイトルをそのまんま拝借したものである。手塚治虫が亡くなったのは平成元年だから、はや四半世紀が経ったわけである。しかしその作品が全く古びることなく、あたか現役の漫画家であるかのように関連作品が次々作られているというのは凄いことだ。
 さて漫画「アドルフに告ぐ」は、手塚が偶然目にした雑誌記事にヒトラーはユダヤ人の血を引いていた可能性がある」との説が紹介されていたことが発想の原点になっている。漫画ではそのことを示すヒトラーの出生関連文書をめぐり、ドイツと日本をまたにかけたスパイ映画のような争奪戦が軸になっていて、実在のスパイであるゾルゲまでが物語に絡んでくる。ユダヤ人を憎悪しその抹殺を図ったヒトラーが実はユダヤ人の血を引いていたというパラドックスが味付けとなって、民族や国家、そして戦争や正義といったものの虚構性や矛盾を突いていく、重いテーマを抱えたエンターテイメントとして、手塚作品群の最後の巨峰と評価していい。

 ただ、そこはエンターテイメント作品なのであって、細かくつっつけば穴や問題点もなくはない。戦前戦中の日本描写はさすがに当人が体験しているだけに正確を期しているが、日本におけるユダヤ人社会の描写にはいくつか難点が指摘されているし、ドイツ部分もよく調べたんだろうとは思うけど、やっぱり間違いはいくつかあるようだ。さらに言えば、一部で相変わらず人気のある、いわゆる「真珠湾はルーズベルトの陰謀」説もちょこっとながら取りこまれているが、これも学術的にはほぼ否定されている。もちろんそういったことは他の「名作」でも見受けられるものであり、それで価値がどん底に落ちるということはないんだけど。
 そもそものアイデアの原点である「ヒトラーはユダヤ人の血を…」の話も、そういう説自体は確かに出たらしいのだが、学術的にはほぼ完全に否定されている。もちろん一口にユダヤ人と言ったってヨーロッパには古くからいっぱいいるわけだし、血がどうのこうのと言っても単にユダヤ教徒であればユダヤ人であるわけで、長い歴史のなかではキリスト教徒と血はずいぶん混ざったはず。だから広い意味ではヒトラーにユダヤ人の血が入っていても別に不思議ではないんだろうが、漫画にあったように「少なくとも4分の1」ということではないということだ。


 とまぁ、長い前ふりを書いたしまったが、ニュース記事を読んでた人は何の話の前ふりかお気づきだろう。
 ヒトラーの方ではなく、彼の秘書であり愛人であったエヴァ=ブラウンの方がユダヤ人の血を引いていた可能性がある、との報道があったのだ。
 エヴァ=ブラウンは、「アドルフに告ぐ」はもちろんのこと、ヒトラー関連の作品ならまず間違いなく登場しているのでほぼ説明不要だろう。と言いつつ書いちゃうが、女性有権者の人気を得る目的もあってその死の直前まで独身を貫いていたヒトラーの生涯においてはっきりと特別な関係を持っていたことが分かる女性であり(姪と禁断の関係だったとか、女優とつきあっていたとかいう話もあるんだけど)、ソ連軍によるベルリン陥落時に地下防空壕のヒトラーと結婚式を挙げて正式に妻となり、その直後にヒトラーと共に自決した、とまとめてしまうと、それなりに悲劇的純愛と言うか、ナチスドイツ滅亡に彩りを添える泣かせる一幕として有名になっている。結構年の差のあるカップルだったのだが、エヴァがヒトラーを熱愛していたことは嫉妬にかられて二度も自殺未遂をしたことでも明らかだし(三度目は心中という形で成功した)、ヒトラーも最期の土壇場になってからとはいえ、彼女への「義理」を果たしたことにもなる。
 そんなヒトラーと相思相愛だった女性が「実はユダヤ人の血を引いていた」となると、それこそ「アドルフに告ぐ」並みのスキャンダラスなネタということにはなる。エヴァ=ブラウンの出生証明書をめぐる三人のエヴァをめぐる物語「エヴァに告ぐ」とかパロディが出たりするかも(笑)。

 なんでもイギリスのテレビ局がこの件を取材して「Dead Famous DNA」という番組にしたのだそうで(4月9日に放送済み)。どうやってそんなことが分かったのかと言うと、ポール=ベアというアメリカの情報将校がドイツ敗戦後にヒトラーの山荘に入り、エヴァの私室から多くの品物を持ち出しており、その品物の中にエヴァ=ブラウンが使用したと見られるヘアブラシがあった。そのヘアブラシにエヴァのものとみられる毛髪がついており、そこから採取した細胞のミトコンドリアDNAを検査したのだとのこと。ミトコンドリアDNAはその特徴が母系で伝えられていくものなので、調べれば彼女の母系の共通先祖の人を探せる、と言うわけだ。
 そもそもそういう調査をすること自体、「エヴァの先祖にユダヤ人がいるんじゃないか」と期待したのだと思われる。そしてその期待通り、彼女の髪の毛からとったミトコンドリアDNAの配列に「アシュケナージ系ユダヤ人」(東欧に多いあとからユダヤ教に改宗したものではなく、実際にパレスチナから散らばったユダヤ人)に特徴的な「ハプログループN1b1」なるものが見られた、とのこと。これでエヴァ=ブラウンの母系の先祖にユダヤ系の女性がいたとほぼ断定していいことになる。
 ただ、上にも書いたように、たぶん現在のヨーロッパ人も徹底的に調査すれば同じようにユダヤ系を先祖にもつ人は結構多いのだと思う。先祖なんて3代、4代くらいならともかく、それ以上のことになるとよほどの名家でもない限り分かんなくなっちゃうものだし、ユダヤ人がある程度特殊なコミュニティーを作っているところがあったとしても、どこかの先祖でユダヤ系と血縁が出来てること自体は特に珍しいことではないのかも。ま、そういう発想を拒絶して「純粋アーリア人」みたいな虚妄をブチあげたのがナチスなわけで、ヒトラーの妻の先祖に何世代前であろうとユダヤ人がいたなんてのはナチス的には認めがたいだろうが。

 まあ、人間もとをたどっていけば世界中みんなアフリカ出身のホモ・サピエンス、何人の血が入ってようが生物学的に見れば実に些細な話である。そういや世界中の女系先祖をたどっていくと一人の女性に行きあたって、彼女を「ミトコンドリア・イブ」と呼ぶ、なんて話もある。エヴァ=イブさんの話をそんなオチでまとめてみた。



◆逝く前の竜馬

 NHKの紀行バラエティ番組で、タレントが「あなたの家のお宝を見せて」と訪ねる企画の中で、「我が家には坂本龍馬の手紙がある」と言われ、まぁまずニセモノだろうと思いつつ訪問し、その現物を専門家にちゃんと調べてもらったところ、なんと本物だった(日付がないため草稿と見られるが当人の直筆には違いない)、という「開運!なんでも鑑定団」のスタッフが悔しがりそうな話題があった。専門家にもし値段をつけるとしたら、と聞いたところ、1500万から2500万といった数字が挙がっていたな。所有者当人は1000円で買ったそうだけど(笑)。
 
 坂本龍馬と言えば日本の歴史人物で人気投票をするとベスト5には入りそうな人気者だが、僕が塾で教えている中学レベルの歴史の授業で彼の名前が出て来るのは「薩長同盟の仲介者」としてだけだ。もちろんそれ自体は重要なことなんだけど、「仲介者」というだけでえらく大物扱いされて教科書に太字で載ってることを不思議に感じる中学生も少なくないはず。そのため僕はついでに「大政奉還や、五箇条の御誓文に関わったという話もある」と付け加えている。はっきりしたことではないし、彼自身はあくまで裏方であって彼一人が大活躍ってわけでもないので、あくまで「そういう見方もある」という程度にだが。
 明治新政府の理想方針を掲げた「五箇条の御誓文」に龍馬が直接関わったわけではないが、その原案を起草した福井藩士由利公正は龍馬とは大いに意気投合した人物であり、龍馬の理念を「御誓文」の原案に反映させた可能性は高いとみられている。そして今回確認された龍馬の手紙は、土佐藩の後藤象二郎に宛てたものだが、その内容は当時「三岡八郎」と呼ばれていた由利公正についてのものだった。慶応三年(1867)10月28日(同月14日に「大政奉還」があった)に龍馬は福井に入って「三八」こと三岡八郎に会い、来るべき新政府の構想について語り合った。そして手紙の中でこの「三八」にこそ新政府の財務を任せるべきだと後藤に説いているとのこと。そして11月3日に福井を発ち、5日に帰京したことまでを書いているというから、早くても11月5日以降にこの手紙を書いたことになる。龍馬が近江屋で襲撃を受けて暗殺されたのは11月15日のことだ。
 暗殺の直前に龍馬が自分に会いに来たことを由利自身が後年述懐しているので、この手紙で新事実が明らかになったというわけでもないのだが、暗殺の直前まで(もちろん当人が予期していたとは思えないが)龍馬が来るべき新政府のために忙しく歩きまわっていたことがリアルに実感できる内容ではある。龍馬が暗殺されたその日その時、由利は土手の上で風に吹かれ、懐に入れた龍馬からの手紙を飛ばされて落としてしまった、との因縁話めいた逸話もあるそうで(『竜馬がゆく』だと龍馬の写真をなくす描写になっている)
 

 さて龍馬の暗殺後、薩長を中心とした勢力は武力による旧幕府勢力の一掃に向かい「戊辰戦争」となるわけだが、共同通信記事によると、その戊辰戦争がらみの古文書が東北地方で発見された。戊辰戦争当時は仙台藩領であった宮城県石巻市長面地区の旧家から見つかったのだそうだが、この旧家も三年前の東日本大震災で津波の被害に遭い、一階が浸水したもののこの古文書は神棚に保管されていたため無事だった、とのこと。それを機にということだったのだろうか、昨年9月に専門家に知らせて確認してもらっていたようだ。
 この文書は表紙に「徳川様御人数旅宿御賄諸事入料並金代請払手控帳」と記されていた。戊辰戦争のさなか、明治元年(1868)にこの旧家の住人のご先祖である仙台藩尾崎浜の代表者(と記事にあったのだが、「名主(なぬし)」かな?)が記録したもの。表題の字面を見ればなんとなく察せられるが、「徳川様御人数」とある人たちがこの村に泊まり、その接待その他の費用がどれだけかかったのか記録し、あとで藩に請求しようとしたものらしい。この「徳川様御人数」というのは、当時戊辰戦争で北への敗走を続けていた旧幕府勢力で、一時はその味方になっていた仙台藩もついに新政府への降伏を決めたため、旧幕府側の誰かが交渉するために尾崎浜に来たということらしい。村人たちは彼らに米や酒、サケや豆腐など食糧を提供したと記録されているそうだが、さて藩の方はその代金は払ってくれたんだろうか。
 記録した当人もまさか後世の歴史家のために史料提供するつもりなんてなかったろうし、わざわざ神棚に保管してたところをみると、代金を払ってもらえなかったんじゃないのかなぁ。それで証拠品をしっかり保管しておいたらそのうち忘れちゃった、ってことかも。保管されていた文書はこれだけではなく約100点はあるというから、単にいろんなのをまとめてとっておいたということかもしれないが。


 さてさて、その戊辰戦争で最後まで幕府側で戦ったのが、かの新選組。龍馬暗殺も彼らの仕業ではないかと当時疑われたそうだが、今のところ新選組ではなく、やはり幕府側の集団であった「見廻組」が実行犯であろうと見られている。
 その新選組メンバーのなかで、明治まで生き抜いた剣豪として有名なのが斎藤一。大河ドラマ「新選組!」ではオダギリジョーがなかなかカッコよく演じていたが、そのオダギリジョーが新島ジョーになった大河ドラマ「八重の桜」でも斎藤一が登場し、新島襄と話したりしていた。歴史映画・ドラマのマニアをやってるとよくお目にかかることなんだけど、ついついニヤニヤしてしまった。

 その「八重の桜」でも描かれたが、斎藤一は戊辰戦争ののち明治7年に警察官に転身、警視庁に勤めている。そして同じ元会津藩士である佐川官兵衛らと共に西南戦争にも出かけて戦ってもいる。前に「警視庁十大事件」に西南戦争が挙がっていた件に触れたが、斎藤も警視庁OBだったわけですな。
 その斎藤一の名前が明記された警視庁の名簿が確認された、とのニュースが4月20日に流れされた。明治初期の警視庁第六方面第二署(現在の江戸川区小松川署)の名簿で、同署に配属された174名の名が載っていて、その中の「書記兼戸口取調掛」に「斎藤一」の名前がちゃんとあった、というのである。
 面白いニュースと思いつつ、ちょっとひっかかりもある。調べてみると斎藤一が「斎藤一」と名乗っていたのは京都で新選組がバリバリに活動していた時期だけで、本来の名前は「山口一」。江戸で刃傷沙汰を起こしたために「斎藤」と変名にしたとの話もあるみたい。そして新選組が京から追われると「山口二郎」に改名、さらに戊辰戦争中も改名していて、戊辰戦争後に会津藩の人々と共に下北半島の斗南に移り、ここで結婚すると、妻の母方の姓をとって「藤田五郎」にまたまた改名。明治5年にも「藤田五郎」で戸籍に載ってるそうだし、その2年後に警視庁に入って「斎藤一」に名前が戻るというのはちとひっかかるのだ。何度も改名したのも「斎藤一」ではまずかったからじゃないかとも思えるのだが…?


 古文書と言えば、かの「教育勅語」の原本が今ごろになって再発見された、という話題もあった。文部科学大臣がこの「勅語」に肯定的な発言をしていたのは、やっぱりそういう人なんだよなぁ、と思うしかなかったが。
 だがもっと不気味だったのは、この報道の勅語、もとい直後に、青森高校で何者かが新入一年生全員の机の上に教育勅語のプリントを並べていた、という事件。外部の人間の侵入も考えられるようだが、学校関係者の線の方がありうるような気がするんだよなぁ…ハタ目にはかえって「勅語」信奉者の不気味さを印象付けたようにも思うんだが。



◆分離と独立と和平と

 さて、前回の「四月バカ」をはさんで、まともな「史点」の更新はまたまた一ヶ月ぶりになってしまう。このところすっかり月刊状態が定着してしまっている観があるのだが、その一ヶ月の間にウクライナ情勢はどうなってるかというと…相変わらず混沌としている。
 クリミア半島についてはロシア軍の支援を大なり小なり受けた「武装組織」(前にも書いたがいわゆる「コサック」が多い気がする)により一気呵成に占領が進み、住民投票による「クリミア共和国」の独立、そしてロシアへの併合と既成事実がドンドン積み重ねられていった。ウクライナ側はもちろんクリミアを取られたことに悲憤慷慨だが(ロシアに亡命状態のヤヌコヴィッチ大統領もそんなコメントをしていた)、実のところウクライナ東部の情勢が一気に怪しくなって来て、もうクリミアは仕方ない(?)、これ以上領土を取られないようにしようといいう方向に動いている観もある。クリミアにいるイスラム系の「タタール人」たちも事態がこうなってしまっては、とロシア支配下で自治をどれだけ守れるかという現実路線に動いているみたいだし。その一方でかなりのタタール人がウクライナ側に「亡命」してるとの報道も流れてはいる。
 
 クリミアをウクライナ領にしちゃったのはフルシチョフなのだが、そのフルシチョフが育ったのが東部の工業都市ドネツクだ。そのドネツクを初めとして、もともとロシア系住民の多いウクライナ東部の各都市で、ロシア編入を求める武装勢力が警察署や市役所などを占拠したり道路を封鎖したりといった実力行使をしている。ウクライナ暫定政府側も当然そのままにしておくわけにはいかないから実力を持って彼らを排除するとしていたけど、どうも報道によるとその鎮圧部隊も今一つ戦意にかけるようで、住民と話し合って撤退してしまったり、下手をすると武器も引き渡し、あるいは部隊自体がロシア系住民側に寝返ったりといった話も聞こえてくる。
 とりあえずアメリカやロシアも加わった「四者合意」なるものがあって、双方の暴力行為の停止と親ロシア派の占拠解除が呼びかけられた。ロシアにしてもアメリカにしてもこれ以上事態がややこしくなるのは避けたいようで、ホントに冷戦時代だったらキューバ危機並みにも思えるウクライナ情勢なのだが、どこかまだまだ牧歌的な観がある。あくまで報道を見ていると、なんだけど、ロシア寄り、ウクライナ寄り、で過激に騒いでいる人はどちらの側でも多数派ではなさそうで、それほど加熱せず「早く落ち着いてくれないか」と思ってる一般市民が多いという印象もある。

 ただ状況が好転したわけではまったくないし、そうした少数の過激派の暴走が最悪の事態を招いた例もある。親ロシア派の武装勢力とネオナチ並みのウクライナ極右が直接ドンパチやり始めたという話もある(こういう過激な連中同士をぶつけて双方壊滅、っていう「用心棒」的シナリオも考えちゃったりするが)。今日なんかはドネツクで「16歳以上のユダヤ人は『ドネツク共和国』に登録を行え」と指示する、それこそナチスを思わせる怪文書が出回っているとの報道があり、一見親ロシア派の行動に見せて反ユダヤ傾向のあるウクライナ極右がしかけてるんじゃないかとの見方も出ている。ウクライナもやはりユダヤ人迫害の歴史を持っており、こういうところにも不気味な匂いを感じてしまう。

 一方で、ちょっとホッとした(?)話題としては。ドネツクでは親ロシア派とウクライナ暫定政府側とでテレビ局の占拠合戦が繰り返され、主が変わるたびにロシアのテレビ放送を流してウクライナのテレビ放送を止めたり、その逆もあり、という状況なのだそうだが、どこかの新聞記事で見たら20代の女性が「楽しみにしていたウクライナのテレビドラマが見られないわ」とボヤいていたのが妙に印象に残った。こういう騒ぎのなかでもテレビドラマは放送してるんだなぁ、と。
 またCNNに出ていた記事によると、クリミア半島の軍事拠点セバストポリには軍事用に訓練されたイルカの施設があり、それがロシア海軍に接収された、なんて話題もあった(ロシアのメディアが報じたとのこと)。イルカの軍事利用という話自体はずいぶん前から聞くんだけど、実際にあったとは、とちょっと驚き。ウクライナ国防相はイルカ施設があることは認めたものの、「軍事機密」を理由に詳細を話さなかったというから、結構マジだったのか。そのCNN記事では最後に「クリミア半島の施設ではイルカのほかに、軍用アシカも飼育されていた。アシカがロシアとウクライナのどちらの帰属になるのかは分かっていない」との一文があって、CNN記事らしい「オチ」がついてるなぁ、と笑ってしまった。念のため、3月28日付の記事であって、エイプリルフールではない。


 さて、ウクライナの騒ぎのなか、イタリアから小ネタながら驚かされるニュースがあった。クリミア「独立」騒動に刺激されたベネチアの分離独立派が武装蜂起を画策、4月3日までに元国会議員をふくむ24人が逮捕されたというのだ。
 なんでも3月中、クリミアで「住民投票」が行われて「独立」が決定された直後、ベネチア独立を目指す政治団体が州知事の支持も得たうえでインターネット上で「ベネチア独立を問う住民投票」を行ったという。その結果、およそ240万人の投票があって、なんと89%が「独立を支持」したというのだ。もっともあくまでネット投票だし、主催者側の発表だし、ということで信頼性は高くないと見られているそうだが。
 武装蜂起を企てた連中がその住民投票の関係者なのかどうかは記事からは読み取れなかったのだが、とにかく一部の独立派が本気で武装蜂起を計画したのは事実のようで、ブルドーザーを改造した「戦車」の写真も公開されていた。彼らはこれを利用したベネチアの観光名所サンマルコ広場の占拠を画策していたという。しかしそのあとどうする気だったんだか。クリミアにおけるロシアみたいに後押ししてくれる勢力がいるとも思えないし。だが記事によると1997年にも同様の騒ぎがあったというから、独立志向は根っこの深いところでブスブスとくすぶっているのだろう。

 だいたい世界史をひもとけばすぐ分かるが、ベネチアがイタリアの領土に組み込まれたのは19世紀半ばの「イタリア統一戦争」の中でのことで、それまではオーストリアのハプスブルグ家の領土だった。ルキノ=ヴィスコンティ監督の映画「夏の嵐」がまさにベネチアのイタリア編入直前の時期を背景にしたドロドロ悲劇となっていて、この地域の複雑な歴史の一端がうかがい知れる。もちろんオーストリア領とされている時期にも独立運動はあったし、さらにさかのぼれば「ベネチア共和国」として強力な独立国家だった時期もある。「イタリア」とひとくくりにされてしまった時期よりも独立していた時期の方がずっと長いのだ。
 最近のヨーロッパはEUによる統合の流れを加速させつつも、それまでの民族国家の枠組みがさらに細かい地域に細分化されてそれぞれにナショナリズムが盛り上げられ、各地で「独立運動」が起こるという流れも同時に見せている。イタリアでは経済的に裕福な北部で独立運動が盛んで、独立志向の地域政党「北部同盟」が一定の支持を集める政治勢力となってもいる。今度のベネチア武装蜂起計画の関係者はかなり過激な連中なんだろうが、EU各国にとっても「クリミア」みたいなことは十分ありえるということでもある。


 一方、東南アジアに目を向けると、40年以上も続いていた独立闘争がひとまずの「休戦」となった話題もある。フィリピン南部のミンダナオ島のイスラム系武装勢力「モロ・イスラム解放戦線(MILF)」が、3月27日にマニラのマラカニアン宮殿(大統領官邸)でフィリピン政府との包括的和平合意書に調印、武装闘争に終止符を打った。実に40年も続いていた独立運動が自治権拡大を条件としてきっちり和平に持ち込めたのだから、ちょっと驚きではある。個人的にはウクライナ情勢より目を引いてしまった。
 フィリピンはかつてスペイン植民地だったためカトリック信者が多数を占める国だ。だが南部のミンダナオ島はマレーシアやインドネシアなどイスラム圏に近く、伝統的にイスラム教徒が多い。こうしたフィリピン国内のイスラム教徒は「モロ人」と呼ばれ(いま「もろびと、こぞりて〜♪」のフレーズが頭をよぎった)、1970年代から独立あるいは自治を求める武装闘争が続けられている。調べてみるともともとは「モロ民族解放戦線」がこの武装闘争を続けていたが、1977年に一度和平合意がなされた時に内紛が起こって強硬派が分離独立、これが「モロ・イスラム解放戦線」なのだそうだ。しかし今回の和平合意にこぎつけたのはそのもともと強硬派だった彼らの方で、本来穏健派だった「民族解放戦線」の方が反発して昨年秋にテロ活動を行ったりしていて、話は結構ややこしい。
 ともあれ、今度の合意により再来年の2016年から、従来の「ミンダナオ・イスラム自治区」を廃止して、自治権をより拡大した議院内閣制に基づくイスラム教徒らの新自治政府が発足することになったという。「モロ・イスラム解放戦線」には現時点で2万人もの兵士がいるが、彼らは新自治政府の警察活動や農業に従事するためこれから訓練を受けることとなるのだそうだ。

 日本人としてやはり面白く感じたのが、この和平の仲介に大きな役割を果たしていたのが実は日本であるという事実だ。2011年8月にフィリピンのアキノ大統領とモロ・イスラム解放戦線のムラド=エブラヒム議長が成田空港近くのホテルで初のトップ会談を極秘で行ったが、もちろんこれは日本政府が仲介していた。和平交渉にもオブザーバーとして関与していて、昨年3月にもモロ・イスラム解放戦線の和平交渉団を日本に招聘しているし、フィリピン政府側にもモロ・イスラム解放戦線側にも信用を得ているらしい。今度の調印式でもJICAの理事長が列席している。
 僕が参考に読んだのは日経新聞の記事なので、ミンダナオ島の豊富な資源の話やら、日系企業はじめ各国の企業の進出による開発話の観点からの話が多かったが、和平を進めること自体は大いに結構ではあろう。ただまだまだ不安定要素も多く、日本企業もまだ様子見、という感じの記事ではあったが。



◆元はと言えば旧約聖書

 大喧嘩してるようにも見えるイスラム・キリスト・ユダヤの三宗教だが、もとはといえば根っこは同じ一神教。イスラム教もキリスト教もユダヤ教にルーツをもっていて、ユダヤ教の聖典である『旧約聖書』の伝える物語はキリスト教では完全にそのまま、イスラム教では若干の相違はあるが大筋は同様の形で受け継いでいる。ぜんぜん違ってるように見えて、実のところ「似た者同士」であり、それだけに近親憎悪的な感情を抱いている気配さえある。それぞれの宗教の中でも、たとえばキリスト教のカトリックとプロテスタント、イスラム教のスンナ派とシーア派の宗派対立なんか、下手すると異教徒との戦いよりも激しい時があるが、これなんかまさに近親憎悪と説明できる。日本の仏教会だってその手の話がないわけではなく、日蓮正宗というかなり狭い宗派の業界で激しい闘争があったりする。

 さて、まずはイスラム教がらみの話題。
 AFP通信が報じたところによると、3月20日のケニアの国会で、結婚に関する現行の法律を「男性は希望するだけ多くの女性と結婚できる」と改定する案が、賛成多数で可決された。イスラム教徒の多いケニアではもともと一夫多妻制が慣習としてあってもともと複数の妻を持つことは禁じられていないのだが、今回の改定のポイントは「夫は妻の同意を得ることなく第二、第三の妻を迎えられる」という伝統的慣習をはっきりと法律で明記したところだ。要するに「妻は文句を言うな」というわけであるが、当初この改定案には「妻は夫の選択を拒否できる」ことも明記されていたのに男性議員らが超党派でその箇所を削除したというからすごい。当然ながら、女性議員たちは憤激して議場から出て行ったそうで。

 イスラム教は確かに一夫多妻を認めているが、推進派の議員が「アフリカ女性と結婚するとき、その女性は第2、第3の妻がやって来るつもりでいなければならない。それが、アフリカだ」と発言したと伝えられるように、このケニアのケースはむしろ「アフリカの伝統」が根拠にされたと思われる。ケニアは一夫多妻人口が全体の五分の一を占めるほどだそうで、調べてみたら生涯で120人もの女性と結婚し210人もの子供をもうけた一夫多妻の世界記録保持者アクク=デンジャー(1918-2010)がこの国の人で、しかもカトリック教徒出身だった。彼の場合は極端としても、南部アフリカの部族社会では一夫多妻は当たり前に認められていて、南アフリカのズマ大統領が部族の慣習により実践しているのは有名だ。
 キリスト教では一夫一婦制が厳格にされていて、むかし豊臣秀吉がそれを聞いてキリスト教徒にはなれないなと言ったとかいう逸話も伝わるほどだが、良く考えてみるとなんでキリスト教では一夫多妻が禁じられたのか良く分からない。教会が神の前で夫婦を結婚させるからかな、とも思ったのだが、旧約でも新約でも聖書の中にそれをズバリ書いた部分があるのかどうか。このケニアの話題の記事でイスラム教徒の議員が「キリスト教徒の兄弟たちにも旧約聖書を見て欲しい。ダビデ王やソロモン王は、第2の妻と結婚するのに誰にも相談などしていない」と発言していたのも面白かった。そう、特に旧約聖書の中では敬虔に神を信じる族長や国王が一夫多妻を普通に実践しているのだ。その辺、ユダヤ教徒やキリスト教徒はどう解釈していたものか長年疑問にも感じている。

 なお、今度の改定された法律は大統領が署名しないと成立はしないそうだが、署名したのかどうかは未確認。ただもともとある慣習を成文化しただけ、とも言えるので特にどうという変化はないのかもしれない。ただ最初の妻の同意がいるにせよ不要にせよ、妻同士の仲が悪い場合は結局夫が苦労のだけは間違いないんじゃないかなぁ。


 打って変わってキリスト教派カトリックの総本山、バチカンからの話題。
 昨年就任したばかりのフランシスコ法王だが、さっそくバチカンのある部門の改革に乗り出す姿勢を示した。それバチカンの財政管理部門「宗教事業協会」、俗に言う「バチカン銀行」だ。かねてマフィアやらマネーロンダリングやらとの関わりが取りざたされるところで、法王はその健全化を狙っているらしいのだ。
 3月21日にフランシスコ法王はマフィアの犯罪の犠牲者の遺族約700人と面会している。その中で法王はマフィアにむけて「あなた方の金や力は血塗られている。地獄に落ちぬよう悔い改め、悪行をやめなさい」と述べたという。「地獄に落ちるぞ」とはまぁずいぶんストレートな言い方だが、これがマフィアに向けての宣戦布告のようにとった人もいるようだ。そして昨年来「バチカン銀行」の調査委員会を作り、不透明な運営状態の改革案を作成させていて、これが先ほどの発言とつながって「バチカン銀行の解体を考えているのか?」との一部の憶測を呼ぶことにもなった。
 知ってる人はここまでの話で映画「ゴッドファーザーPART3」が思い浮かぶはず。あれはあくまでフィクションだが、主人公のマフィア組織が事業の合法化をはかってバチカンに接近、それが複雑な抗争を招くことになって、実在の法王ヨハネ=パウロ1世が「急死」したり、バチカン銀行の関係者が暗殺されたりといった展開は一応モデルとなった史実がある。あくまで全ては疑惑にすぎないのだけど、今度のフランシスコ法王の言動にマフィアによる暗殺の危険を唱える報道は実際にあった。
 そのせいかどうか知らないが、4月7日にバチカン法王庁は「バチカン銀行の慎重に運営を続け、世界のカトリック教会に金融サービスを提供する」と声明、結局バチカン銀行は存続することとなった。その背後で何かがあったかは神のみぞ知るだが。


 そのローマ法王は4月20日の復活祭に、ウクライナ国民へ平和の呼びかけを行ったりしているのだが、同じ復活祭の日にロシアとウクライナの正教会指導者どうしが非難の応酬をしている、と言う話題を朝日新聞が報じていた。
 ロシアもウクライナもキリスト教の「正教会」であることは同じなのだが、正教会は国ごとに「○○正教会」という形で別々の組織になっている。ソ連崩壊によりウクライナが独立すると正教会もウクライナ独自の組織として「独立」したのだが、従来のロシア正教会のウクライナ支部の形の組織も存続していてこちらはロシア系住民が信者となっている。国同士の対立は正教会組織同士の対立に直結するわけだ。
 ウクライナ正教会のフィラレート総主教は「自発的に核兵器を放棄した平和を愛する人々が、侵略と不正に見舞われている」と述べ(ソ連時代にウクライナにも核兵器が配備されていたが、ソ連崩壊後ロシアに平和的に引き渡されている)「神が偽りの側につくことはありえない。ウクライナの敵は敗北する運命にある」とまで言ったという。一方のロシア正教会のキリル総主教は「ウクライナの政権が合法的に選ばれるように」と祈ったそうで、「ウクライナは政治的には外国だが、精神的、歴史的にはそうではない。我々は神の前で一つの民だ」と実にロシア的な考えを述べたという。神様はお一人なのだそうだが、双方で勝手に「神はこっちの味方」とアテにされてはさぞ困惑してるだろうなぁ。


2014/4/21の記事

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