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2014年5月12日

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◆今週の記事

◆モナコ大公激怒?

 ただいま大リニューアル作業中の「歴史映像名画座」だが、あそこで取り上げた作品のうち、もっとも現在に近い時期を扱っているのは1997年のダイアナ元英国王妃の事故死の時の英王室を扱った「クイーン」だ。次が1995年の南アのラグビーワールドカップを描いた「インビクタス」になる。21世紀以降を扱った作品もすでに登場しているが、僕自身が「歴史物」と認識するかどうかが基準であって、今のところはその基準にかなう作品は見ていない、という状況。

 なお日本史部分では今のところ1973年の金大中事件を描いた「KT」がしんがりを務めているが(これ、韓国史に入れてもいいくらいなんだよね)、そのあとの時期を扱ったものでも候補がないというわけでもない。1985年の日航機墜落事故をモデルにした「沈まぬ太陽」なんかもその一つだが、あくまで「モデル小説」であるため入れたものかどうか悩ましい(山崎豊子作品は同様の悩みを覚える作品が多い)。同様に「仁義なき戦い」も前から悩んでいるのだが、それでいて「ゴッドファーザー」はあっさり入れちゃってるからなぁ(笑)。ま、その辺の判断は結構アバウトなのだ。
 実在の有名人物が登場する作品、ことに歴史的事件や政治ネタを扱っていると迷いがないのだが、そういったテーマを扱う映像作品は実のところかなり作りにくい。理由は簡単、登場人物本人または近い関係者が存命であるからだ。戦後日本政治史ではいろんな意味で人気のある田中角栄なんて何度となくドラマ化・映画化の企画が持ち上がっているらしいのだが、特に田中家側が断固拒否の構えをとっているため実現できないとの噂がある(あくまで噂だが、状況からいって可能性は高い)。そこいくとイギリスの「クイーン」なんて、よくまぁやっちゃったもんだ、とは思うのだが…もっとも同じイギリスでもサッチャー元首相の映画は遺族の批判を受けてたみたいだけどね。

 ま、とにかく映画・ドラマは、素材が実録であろうと多々の脚色はまぬがれない。登場人物や扱われる事件を直接知る人たちからすれば「なんだそりゃ」という描写がなされてしまうは無理もないとは言えるのだ。だが一方でそうした関係者が口を出し過ぎると作品としては出来が悪くなっちゃうのもまた事実。
 そして今度はモナコ公国の大公家にそうした問題が起こってしまった。そう、元ハリウッド女優でモナコ大公妃となったグレース=ケリーを主人公とした映画が製作され、その内容に大公家が難色を示しているという報道があったのだ。
 グレース=ケリーといえば、1950年代に「クール・ビューティー」と称賛された人気女優。西部劇の名作「真昼の決闘」や、「泥棒成金」「裏窓」といったヒッチコック作品で有名だが、モナコ大公レーニエ3世に見初められてハリウッド女優から大公妃へと華麗に転身。現在のモナコ大公アルベール2世など子供たちを産んだが、1982年に自動車事故(運転中の脳梗塞ともいわれる)で不慮の死を遂げた。確かに劇的な人生で、映画化の企画が出て来るのも無理からぬところだ。

 映画はニコール=キッドマンが主人公グレース妃を演じ、その生涯ではなく、すでにモナコ公妃となっていた1960年代前半に絞って描かれるという。特にモナコの保護国的立場であるフランスのド・ゴール大統領との間で税金関係の法律でモメた際、グレース妃が何か重要な役割を演じる、という筋書きらしい。さすがに事故死のくだりまでやるのはいろいろと問題があると避けたんだろうなぁ。
 この映画、モナコのすぐそばで開かれるカンヌ映画祭でプレミア上映されるのだが、モナコ大公アルベール2世はじめ大公一家はこのプレミア上映への不参加を表明した。その理由について詳しい公式な表明は出ていないようだが、映画情報サイトに出ていた「情報筋」の話によると、やはり映画の内容に大いにご不満の様子なのだ。とくに主人公であるグレース妃が極度に美化される一方で、夫のレーニエ3世が「指導者として弱く、妻を束縛する男性」として、つまりは妻の引き立て役のような役回りをさせられる点にカチンと来たものらしい。大公家としても映画の脚本段階から口を出して修正要求をしたらしいのだが、結局無視されたとのこと。
 その後「公式コメント」らしきものを読んだが、そこでは「モナコ公国の歴史の1ページを書き直し、不必要に美化した完全なフィクションであり、決して伝記映画とは呼べない」として、映画自体の公開中止なんかは求めないけどウチとは無関係だぞ、という態度を示したようだ。「この物語はフィクションであり、実在の人物団体とは一切関係ありません」といったお断りでもつくのだろうか。

 ただこの件、もう一つ深読みしちゃうと、モナコならではの政治的背景もあるような気もする。映画を見てみないと分からないのだが、そもそもカジノで食ってるモナコは以前からマネーロンダリング疑惑があり、フランス当局がそこに手を突っ込もうとした際にレーニエ大公が激怒、「男子継承者がいなくなったらフランスに編入」という条約を破棄するぞと大騒ぎして結局その条約が改められた、なんてこともあった。そのことを知っていると、もしかしてこの映画はその「モナコのアンタッチャブル」部分にチラッと触れてしまうところがあったんじゃなかろうか、などと思ってもしまうのだ。

 もっとも一部報道では、モナコ大公家にとって最大の不満は「グレース妃を演じる女優さん」のほうだ、なんて話も流れている(笑)。確かに自分たちの母親なんだしなぁ。



◆「ドンキ」の作者の墓探し

 僕自身そうなのだが、読んだこともないくせに「風車に挑むドン・キホーテ」みたいな例えを使ってしまうことがあるくらい、「ドン・キホーテ」は世界的によく知られた古典の一つだ。日本じゃどういうわけか量販店の名前にまでなっちゃってるけど、それもまた「何か聞いたことのある名前」であるからこそだろう。名前だけですでに「知名度」があるわけで。

 その「ドン・キホーテ」の作者がミゲル=デ=セルバンテス(1547-1616)。「ドン・キホーテ」を産みだしたことでスペイン最大の小説家となってしまったこの人だけど、その人生を眺めてみるとまさに波乱万丈である。
 セルバンテスが生きた時代のスペインはフェリペ2世の治下で、まさに「太陽の沈まぬ国」と呼ばれた最盛期にあたる。セルバンテスはそんなスペインの海軍に入り、かのレパントの海戦(1571)に参加、銃弾で負傷して左腕を不自由にしている。その後も各地に転戦し、やっと帰国できると思ったらその途中でイスラムのバルバリア海賊につかまり、捕虜とされてしまう。たまたま士官のための推薦状を持っていたため大物と勘違いされて巨額の身代金をかけられしまい、おかげで5年間も捕虜生活をおくるはめになってしまった(もっともその勘違いのおかげで殺されたり売り飛ばされたりされなかったわけだけど)

 やっと慈善団体に身代金を用立ててもらって解放されたセルバンテスだったが、肝心の士官は失敗。その後「無敵艦隊」の食糧調達係に採用されたが、教会から強引に食糧の取り立てをしたために逮捕・投獄の憂き目を見た。さらにその「無敵艦隊」がアルマダの海戦(1588)でイギリスに撃滅されてしまったために、セルバンテスはまたも失職してしまう。
 その後徴税吏の職にありつくが、集めた税金を預けておいた銀行が倒産してしまい、なんと30倍もの追徴金を課されて、それが払えなかったため1597年にまたまた投獄の憂き目をみる。ホントにツイてない人だな、と思うばかりだが、このとき獄中で「ドン・キホーテ」の構想を得たというから、人生と言うのは分からない。
 出獄後の1605年に「ドン・キホーテ」前編を出版、これが大評判となるわけだが、セルバンテスはこれがそんなに売れると思ってなかったのか、版権を安く決めていたため大した収入は得られず死ぬまで貧乏のままだったらしい。また後編を執筆中に別人が勝手に「ドン・キホーテ」続編(つまり海賊版)を出版しちゃう騒ぎも起きている。
 1615年に「本物」の「ドン・キホーテ」後編を出版し、その他いくつも小説を執筆したのち、1616年にセルバンテスは69歳で生涯を閉じている。それにしても波乱万丈、というか笑っちゃうほど不運続きのドタバタ人生。ドン・キホーテのモデルはセルバンテス自身、との説が一部にあるのもこういうドタバタ人生を眺めると、なるほどと思わされる。

 そのセルバンテスの遺体をレーダーを使って探している、なんて話題をAFP/時事が配信していて、「へぇ」と驚いた。この人、遺体のありか、つまり埋葬場所も分かってなかったのか!
 もっとも、もともと大方の予想はついていた。記事によると、セルバンテスは1616年の4月22日に死去し、翌日にマドリードにある三位一体女子修道院に埋葬されたことは記録に残っていたが、正確な埋葬場所は特定されていなかったという話なのだ。この女子修道院の床下のどっかだろうと見当はつけていたのだが、現役で使用されている修道院だけにそう簡単に調査をするわけにもいかなかったとか。で、このたびレーダー探知機を使って床下に何か埋まってないかを探すという。もちろんレーダーに誰かの遺骨が映ったとしてもそれがセルバンテスであるとは断定できず、見つけたところで掘り起こして確認調査をする予定とのこと。やれやれ、セルバンテスさんも安眠させてもらえませんな。

 ところでこの記事を書くために調べてて初めて知ったが、欧州宇宙機関が近々打ち上げを予定している宇宙探査機に「ドン・キホーテ」というのがあるんだそうで。なんでも地球に接近する小惑星に人工物をぶつけて軌道を変更させられるかどうかを研究する目的で打ち上げられるもので、自身よりずっと大きな小惑星に突進していく探査機本体を、風車に突進するドン・キホーテになぞらえての命名とのこと。
 なお、この探査機には「サンチョ」と名付けられた「子機」があり、これはまず衝突対象の小惑星に先に接近してその観測を行い、「ヒダルゴ(郷士)」と名付けられた本体が小惑星に激突する際は後方の安全地帯に下がって観測に徹するのだそうで(笑)。このネーミングには頭をドンキで殴られたようなショックをうけたものだ。



◆記事も鳴かずば釣られまい

 4月29日付で、時事通信がこんな見出しの記事を発信していた。

「倭冦学べ」とテロ対策指示=尖閣めぐり日本も意識か−中国主席
(原文そのままコピペ。なお「寇」とウカンムリにするのが一般的だが、「冦」とワカンムリにする例がないわけではない)


 ↑こんな見出しを見てしまっては、倭寇研究やってる僕としては反応せざるをえない。え?習近平国家主席が「倭寇に学べ」って言ったの?と一瞬思ってしまう見出しだが、そのあとに「テロ対策指示」とあるので、さすがに倭寇に学ぶのではなく倭寇対策に学べという趣旨かな、と考え直す。さらにあとを読むと「日本も意識か」とあり、倭寇に重ねて日本批判なのか?と思わせる見出しになっている。
 で、実際記事の中身もまずまず見出し通りの内容。中国国営新華社通信の報道による、として、4月27〜28日に習近平主席は近ごろまた暴力事件の応酬が報じられている新疆ウイグル自治区を訪問しており、そこでテロ対策にあたる軍部や警察を視察し、ここで問題の発言が出た、という内容だ。時事通信記事では、「13〜16世紀にかけて中国などで略奪を繰り返した日本人らの海賊集団「倭冦」と戦った歴史に学び、テロ対策を徹底するよう指示した」(これも原文コピペ)と、こういう書き方をしている。その上で習近平主席がウイグル問題と尖閣問題を「領土問題」として結びつけたものとの推測を書いた上で、「「倭冦」発言も、尖閣諸島をめぐる日本との対立も意識した可能性が高く、日本を「主要敵(国)」と位置付ける習主席の反日感情の強さを表した」とまとめていた。

 この記事を読んで、実際に「ああ、そうなのか」と思った人はどれだけいるんだろう。実のところこの記事、一部のポータルサイトでは載ってたが(僕もプロバイダのトップページだったのでたまたま見た)、大手新聞サイトで同様の記事は見当たらず、ほぼ時事通信しか流さなかった話題のように感じた。時事通信記事がどれだけ採用されるものかは知らないのだが、他ではあまり見かけなかったのは確か。それでもネット上の知人で反応して僕のサイトの倭寇コーナーの中国からの来客が増えるんじゃないの?とつぶやいた人もいるにはいた。だけど幸か不幸か全然アクセスは増えませんで(汗)。倭寇ネタのニュースがあるとたいてい多少のアクセス増があるんだけど、どうもこの記事、ほとんど反応がなかったっぽい。

 それもそのはずで…僕自身、この見出しを見てひっかかり、内容に目を通してから、興味深くは思いつつもどこか「違和感」を感じていた。よく読むと、この記事、肝心の習主席の発言が具体的にどういうものなのか一言も書いてないのだ。上記の引用部分、「13〜16世紀〜徹底するよう」までが発言内容なのだと前後関係から判断されるが、果たしてホントにこんな風に具体的に言ったのか?と疑問を感じた。「倭寇学べ」のミスリードくさい見出しも含めて、いろいろと「らしくない」匂いが鼻を突いたのだ。そもそも見出しも最後に「か」と疑問終助詞があり、本文も「可能性が高い」と微妙に逃げを打っている。

 この記事は「新華社通信」記事をもとにした、と情報源が書いてあるのだから、さっそく新華社のサイトを当たってみた。日本語版もあるが原文通りではない可能性もあるので、あくまで中国語オリジナルを当たってみる。するとさすがについ最近のことなので割とすぐに元記事が見つかった。写真入りで、なるほど習主席がテロ対策部隊とおぼしき日本の機動隊みたいな盾と棒を持った制服の一団や、「さすまた」など日本でもおなじみの逮捕用具を見学している写真が並べられ、そこにくだんの「発言」が出てくる。以下のようなものだ。

「看到你们的长警棍,我不由想起明代时戚继光训练怎么打倭寇,他就地取材,把毛竹削尖,很长,5人或7人一组,先用毛竹竿挡住倭寇,使他们近不了身,盾牌兵再上去击杀,非常有效。我们也要有好的兵法和有效的武器。」(新華社記事よりコピペ)

 確かに「倭寇」に言及がある。だが写真と合わせて読む限り、日本批判ウンヌンのニュアンスは僕には感じられなかった。分かりやすく訳せば、「君たちの警棒を見ていて、明の時代に戚継光が倭寇と戦うのにどんな訓練をしたか思い出したよ。竹の先を細く削って、五人あるいは七人ひと組になり、ますその竹で倭寇を押しとどめて近づけさせず、そこへ盾を持った兵士たちが突撃して、非常に効果があったんだ。我々も優れた兵法と有効な武器を使わないとね」、くらいの感じだ。

 戚継光というのは倭寇対策にあたった有名な武将で、中国人ならたいていの人は知っている。とくに彼は武将ながらも著作を多くものしていて、その倭寇対策の兵法書は図像入りのかなり実用的な内容だ。確かに僕もこうした盾と警棒を持っている部隊の画像や動画を見ていて、なんだか戚家軍(戚継光の私設部隊)みたいだな、とは思った。習主席も「不由想起」と表現しているように、「なんとなく連想した」のだろう。もちろん歴史に学べ、的な表現は中国ではよくあるもので、戚継光の名前が出て来るとナショナリズム的なにおいがないわけではないのだが、ここから時事通信記事のあの見出しと内容まで持っていくのはかなり無理があると思う。この件で後追いを見かけなかったのも元ネタあたってそれに気付いた人が多かった、ってことじゃなかろうか。
 この記事書いた記者も「倭寇」が出て来たんでついつい反応しちゃったんじゃないかなぁ。戚継光の件に一言も触れてないところを見てもこの辺の事情にかなり疎いのではあるまいか。倭寇の説明部分「13〜16世紀にかけて中国などで略奪を繰り返した日本人らの海賊集団」というくだりも、なんだか倭寇についての簡易歴史用語集の説明そのまんま、という気もするし。以前読んだ中国政治の研究者の本で書かれていたが、日本の記者でも中国の歴史に疎い人はいるようで、政治家の故事引用を理解できず勘違いしてしまうことはままあるようだ。外国関係の記事は日本のマスコミに限らずえてしてこうした「誤解」「歪曲」が起こりやすく、また読者もそれを簡単にはチェックできないから怖い。

 また一方で、記者が「読んでもらおう」と意図的に話を日本と結びつけ、記事と見出しに「盛った」可能性も高い。もともと記事の見出しってのはそんなもんだが、ネット報道の時代になって「見出しで釣る」傾向がより強くなってきたな、とかねがね思っていて、この記事でもそれを思い知らされた形(この記事の場合は中身も問題だが)。確かに日本や倭寇がからんでなかったら僕もこの記事をクリックしなかっただろう。中国関係に限らず、この手の「釣り見出し」は結構多く、おかげで見出しだけ見て中身も読まずに勘違いした書き込みやつぶやきをしている人もかなり目につく。書き手も読み手も気をつけたいものだ。

 それはそれとして、ウイグルがまたキナくさい状況になってるのは事実。この習近平主席の訪問の直後にウルムチ駅で自爆テロが起きている。先ごろには昆明でも無差別殺傷事件があったし、ベトナムに密入国したウイグル系の人々が強制送還を恐れて暴れるという事件も起きている。こと宗教政策では中国当局は確実に政府のコントロール下に置こうとするし、結局は人口圧力で漢族が優位に立ってしまうという現実もあってウイグル人の中に不満が鬱積しているのは間違いなく、中には国外のイスラム原理主義的な集団と結びつく行動を起こす人も出てくる。それでも大半はおとなしい、という話を聞いてるんだけどねぇ(むしろ漢族系でイスラム化した人たちの方が過激、とも聞く)。無差別テロはもちろんよくないが、宗教政策にもそっと余裕が出てこないものか。悪循環になっちゃってるよな。
 ウイグル問題に限らず天安門事件25周年を前に民主運動家への有象無象の圧力はかかっているそうだし、共産党政権が全体的に強圧的なのは間違いない。それは外国に対してもそうなんだよな、というのを南シナ海での騒ぎを見ていても思う(あれ、それこそ「倭寇的」だよな)
日本在住のベトナム人たちのデモの映像をニュースで見てたら、横断幕に「中国は大国らしく振る舞え!」とあったが、どっちかというと「大国」の方が強圧的な振る舞いをするもんなんだよなぁ。



◆「法王」四人が勢ぞろい?

 何の話かと言えば、バチカンでヨハネ23世(1881-1863)とヨハネ=パウロ2世(1920-2005)の過去の法王二人が、「聖人」に列せられ、その列聖式にフランシスコ現法王とベネディクト16世名誉法王が当然出席した、という話題。歴代法王が二人同時に列聖されるのは初めてだし、つい9年前に亡くなったばかりの人物の列聖も異例だし、「生前譲位」があったために列聖式に先代法王も列席できたというのも初めて、と異例づくしなのだった。
 人気法王であったヨハネ=パウロ2世のスピード列聖自体もバチカンの人気取りと思えるが、実際その狙いは大いに当たってあの狭いバチカンとその周辺になんと80万人が見物に押しかけたとか。ローマ市内各地には巨大スクリーンが設置され、それで式典を見た人も50万人に及ぶという。

 ヨハネ=パウロ2世は「史点」連載中存命の人物だし、今さら書くこともない。一方のヨハネ23世は何者なのかと調べてみると、在位したのは1958年10月〜1963年6月と意外に短い。だがこの5年足らずの在位期間中に16世紀以来断絶していたイギリス国教会(例のヘンリー8世の離婚の件ですな)の大主教をバチカンに招き、東方正教会にもメッセージを送るなど「キリスト教の統一」への意欲を示した。また東西冷戦まっさかりの情勢の中で起こったキューバ危機(1962年)でも仲介役をつとめようとしたという。またカトリック教会としては19世紀以来となる公会議、「第二次バチカン公会議」を開催し、カトリック教会の近代化と他宗教との共存の姿勢を打ち出すことにもなった。だがこの公会議中にガンで死去している。
 なるほど、こうしてプロフィールを書いてみると、わずかな在位期間とはいえ重要なことをやっている。ヨハネ=パウロ2世も「空飛ぶ法王」と言われたくらい世界中を飛び回って他宗派・他宗教との対話姿勢を示したが、そこにつながることをやったのがヨハネ23世だった、ということのようだ。

 列聖式でフランシスコ現法王は「20世紀の法王として、悲劇的な出来事の中でも打ちひしがれることなく生き抜いた。この2人のために神の力は強まり、信仰の力も強まった」と二人の先達を称えていた。「神の力」って法王のはたらきで強まったり弱まったりするんかいな、などとツッコミを入れちゃ神罰が当たるかな(汗)。
 なお、カトリックの聖人には本人の体の一部が「聖遺物」として扱われることが多い(ザビエルは片腕が残ってたな)。このたびヨハネ23世は「皮膚の一部」、ヨハネ=パウロ2世は血液の入った小瓶(あ、こないだ盗まれたとかニュースになったやつか)が聖遺物として式典中に祭壇にささげられたそうで。


 つながりは薄い話だが、一応宗教がらみと言うことで触れておきたかった話題をついでに。
 4月23日、トルコのエルドアン首相が第一次世界大戦中に起こった「アルメニア人虐殺」について「大戦中の出来事はわれわれが共有する痛みだ」と哀悼の声明を出した。これ、結構大変なことなのである。
 第一次世界大戦でオスマン=トルコ帝国は同盟国側についたが、国内にいるキリスト教徒(正教徒)であるアルメニア人が敵国ロシアと結びつくことを警戒し、その弾圧に踏み切った。その過程については論争があるのだが、とにかく多数のアルメニア人が命を落としたことについてはほぼ見解は一致していて、その犠牲者数と計画性について論争がある。南京虐殺と似たところがあるわけだが、アルメニア人がキリスト教徒であるために欧米諸国の同情を得たという一面も否定できない(弾圧を逃れたアルメニア人が欧米に亡命して運動した、という面もある)
 オスマン帝国を民族国家として引き継いだトルコは、基本的に「アルメニア人の計画的虐殺」は認めない立場を貫いていて、アルメニアがソ連解体で独立したあともかなりの間国交がなかった。ただこのところ徐々にではあるが態度軟化は進んでいて、2009年には国交を結んだし、今回のエルドアン首相の発言もその流れの中ではかなり大きく踏み込んだものだと言える。発表したのがアルメニア側が虐殺の発端となったとする1915年4月24日にちなんだ追悼の日4月24日を前にして、というのも結構インパクトがあった。

 エルドアン首相と言えば、ご存じ穏健イスラム政党を率いて政権を担っており、公の場での女性のスカーフ着用の公認や飲酒への規制など、イスラム的な政策が世俗派の一部から批判されている。東京にオリンピックが決まる直前にも大規模な反政府デモがあったことも記憶に新しいし、つい先ごろには首相と息子の汚職に関する会話とされるものがネット上に出回り、その拡散を阻止するためにツイッターやフェイスブックを根っこから「遮断」するという強硬策も話題となった。地方選挙の直前だったからとも言われたが、結局選挙自体は事前の予想通り与党が勝っちゃってるんだよね。しかしネット規制の方針は相変わらず持ってるようで、「www」ではなく「ttt」というトルコ独自のドメインを作ろうか、などという案も出ているとかで、欧米諸国、ことに規制を嫌うネット業界ではかなり批判も受けている。
 それでもEU加盟を悲願とするのは相変わらずのようで、今度の哀悼コメントももしかするとこうした批判に対する対応策として出てきたものなのかなぁ…とも思ってしまう。


 さらに宗教つながりで話をつなぐと、ナイジェリアでは欧米風の女子教育の反対を唱えるイスラム原理主義武装集団「ボコ・ハラム」が女子中学生たち200人以上を誘拐、一部はすでに他国に二束三文で売り飛ばされた、なんてひどいニュースも報じられている。イスラム教全部がそうだというわけではもちろんないが、イスラム原理主義のなかに女性教育をひどく敵視する思考があるのは事実。パキスタンで女性教育を唱えたために銃撃された少女マララさんの事件も記憶に新しいし、アフガニスタンやマリ、シリアの一部などイスラム原理主義勢力の支配地域ではまっさきにとりかかるものの一つが女性教育の禁止だ。コーランにそういうことが書いてあるわけではないはずだが(イスラム諸国で女性教育をしてるところはゴマンとある)、宗教的確信というやつは問答無用だけに余計に困る。また弱いものからまっさきに手をつける、という側面も感じられて余計にイヤだ。上の話題にかいたトルコの建国者ケマル=アタチュルクなんかは「イスラム諸国が遅れをとったのは女性が活躍しないからだ」と当時の欧米よりも先んじて男女同権を推し進めたりしたもんだが…


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