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2014年6月14日

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◆今週の記事

◆アメリカ大陸の人々

 またまた一ヶ月更新ペースになってしまった。気が付いたらサッカーW杯ブラジル大会が始まってしまう時期に。
 そのブラジルでは大会直前になっても開催反対デモやストが相次いでいる。期待していたW杯による経済効果が貧困層にはいきわたらないことなどが不満要因となっているらしいが、このあとオリンピックもあるのに、無事に開催できるんだろうか。
 そんなデモの中で目を引いたのが、アマゾンのジャングルに住む先住民たちだった。広大なアマゾンのジャングルには近代文明と全く接触していない旧石器時代そのまんまの部族がまだ発見されることがある、なんて話を20年くらい前にTVで見た記憶があるが、さすがに今日では未接触の部族はいないのかもしれない。そんなジャングルの先住民たちが、まさにそのまんまのかっこうで弓矢を手にW杯反対デモをやってる光景というのは、僕にはひどく歴史的な感慨をおぼえさせるものがあった。

 説明不要だろうが「アメリカ」という大陸の名前は、ここが「新大陸」だと確認した探検家アメリゴ=ヴェスプッチからとられている。彼より先にこの地域にやってきたクリストファー=コロンブスはここがインドなどアジア地域だと信じ込んでいて、そのために「西インド諸島」だとか「インディアン」「インディオ」といった呼び名が生まれることになった、というのもよく知られた話(そういやコロンブスのサンタ・マリア号発見?なんてニュースも流れてる)。「インディアン」はもともと誤解から来た言葉だからということで最近のアメリカ合衆国では「ネイティブ・アメリカン」という呼び方がされるようになった、なんて話も聞くのだが、当事者自身がインディアンと名乗ってるケースもあるとかで、そう単純ではないらしい。
 ただ本来あまり縁がないはずの日本ではこの話が「インディアン=差別用語・放送禁止用語」といつの間にやら認識されてしまったらしく、社会の教科書では「先住民」「先住の人々」と表記され(最近アイヌについても「人々」表現が見られるのだが、「民族」って何か悪い言葉なのか?)、過去の西部劇映画でも字幕が「先住民」と表記されるようになってしまった。正月にNHKのBSで放送していた「バック・トゥ・ザ・フューチャー」までそれが徹底されちゃってたし(「リビア人」も「テロリスト」に変えられてた)、聞くところでは出版業界でも、過去の時代のセリフでもあろうとも「インディアン」は差別用語だと編集者がチェックし変更させようとする動きがあるそうだ。日本はすぐこういうふうに過剰自粛に走るんだよなぁ。

 それはさておき、アメリカ大陸にもともといた先住民たちだって、当然アメリカ大陸で「発生」したわけはなく、アフリカから出てユーラシア大陸に広がった人類の一部が、シベリアから氷河時代には陸続きになっていたベーリング海峡を渡って移住してきたものとするのが定説だ。その時期については1万数千年くらい前ではないかと見られている。
 この1万数千年前に北アメリカに入った人々を「パレオ・インディアン」と呼ぶ(これも「パレオ先住民」とか言い変えさせられそうな)。普通に考えれば彼らが南北アメリカの先住民たちの共通の先祖だと考えられるのだが、見つかっている頭骨から推定される顔立ちが、現在の南北アメリカ先住民たち(インディアン、インディオ)の特徴とあまり合致していないとの指摘もあり(現在のインディアン・インディオはやや「ふっくら」気味の顔立ちなのだそうな)、もしかするとパレオ・インディアンの「入アメリカ」の後から現在の先住民たちの先祖が入って来て入れ替わった、つまり「2段階」の入アメリカ・拡散があったのではないかとする見方もあったのだ。


 さて、例によって更新が遅れているうちにいささか旧聞に属するニュースとなってしまったが、5月16日にメキシコ・アメリカの研究チームが科学誌「サイエンス」に、ユカタン半島の洞窟から発見されたパレオ・インディアンとみられる少女の骨(頭骨を含む)をDNA鑑定したところ、やはり現在のアメリカ先住民と共通する特徴を持っていたことが判明した、との論文を発表した。要するにこれが間違いないとなると、やはりパレオ・インディアンは現在のアメリカ先住民の祖先であるということになるわけだ。

 ユカタン半島といえば恐竜を絶滅に追い込んだ巨大隕石が落下した地であり、マヤ文明の地でもあるが、その東部に水中に沈んだカルスト洞窟がある。その洞窟の800mほど奥の水中から、その10代の少女のものと思われる頭骨が発見された。洞窟を進んでいるうちに「落とし穴」状の部分に30mほど落っこちて事故死してしまったものと推定されるそうで、その後洞窟が水に浸かったために遺骨がかなり良い保存状態で残される結果となった。うっかり不慮の死を遂げてしまった少女が10000年以上もの時間を越えて歴史の貴重な証人となっちゃったわけである。

 発見地にちなみ、この少女を仮に「ユカたん(仮)」と呼ぶことにしよう(研究チームは「ナイア」と名付けたそうだが)。ユカたん(仮)は推定身長150cm程度、年齢は15〜16歳くらいであったと思われるが、骨からは虫歯や骨粗鬆症の兆候が見られたといい、研究チームでは彼女が未熟な体で妊娠していたためではないかとの推測をしているという(今だって地域によっては十代前半での妊娠・出産はまま見られる)。放射性年代測定に必要な骨コラーゲンを得られなかったので骨にできるカルサイト結晶や歯のエナメル質の年代を測定し、さらに近くにあったコウモリのフンの化石や洞窟の浸水年代の推定などから、彼女は1万3000年近く前の女性で、その顔つきの特徴からも、この地域に来た最初の人類「パレオ・インディアン」の一人であろうと推定されたという。
 
 ところがユカたん(仮)のミトコンドリアDNAを解析したところ、現在の南北アメリカの先住民たちとの共通点が多かった。つまりはやはりパレオ・インディアンは現在のアメリカ先住民たちの直接の先祖だった、ということになる。この研究チームはこれと前後してアメリカのモンタナ州で発見された1万2600年前のものと推定される幼児の骨のDNA解析からも同様の結果を得たことも補強材料としている。パレオ・イオンディアン顔つきの特徴が現在の先住民たちのように変化したのは生活様式の変化による「進化」ではないか、との推測が出ているようだが、まだ確たることは何も言えない段階。


 ついでに同じ「サイエンス」誌(上記記事と前の号)に出た話題についても。
 アメリカのバージニア大のトマス=タルヘルム氏らの研究チームが、中国の小麦地帯と稲作地帯の住人について意識調査を行ったという。中国は大雑把に南部が米、北部が小麦を主要穀物としているわけだが、かねてタルヘルム氏らは世界的に稲作地帯と小麦地帯とでは集団への依存意識に差があるのでは?との仮説を立てていて、それが同じ国の中に混在している中国でその仮説を実証しようとしたのだ。
 日本人の集団依存意識の強さはよく指摘されるところだが、欧米ではステレオタイプ的に「東アジア人は集団依存意識が強く、個人主義が育ってない」とのイメージを抱かれているらしい。この調査をした人たちもそれが「ステレオタイプ」であるとは認識してるようだが、そうした意識の違いは農業のあり方の違いに由来するのではないかと考えたらしいのだ。そしてこのサイエンス誌に発表した論文でも、同じ中国の中で稲作地帯の人々は集団依存型、小麦地帯の人々は欧米と同じような個人主義的傾向が出た、ということなんだそうだ。欧米では東アジア人といっしょくたにするけど、実際は多様なものだよという注意を促す内容ともなってるらしい(詳しくはナショナルジオグラフィックの記事参照)

 僕自身はこの話に面白いと共感する部分と、先入観入り過ぎの危なっかしさの両方を感じた。確かに稲作地帯は農作業で集団で行わねばならないことが多く、日本人がイメージする「ムラ社会」が形成され、ともすれば排他的な集団依存真理ができやすい、ということは以前から言われていた。そこいくと中国はどうなんだ?という話も以前からあって、僕も戦前に日本の研究者たちが中国の農村を調査し、日本的な意味での「ムラ社会」がないと結論づけたという話も見たことがあり、実際僕の知る範囲でも中国人は日本人に比べると個人主義的で(僕の恩師の一人などは春秋戦国期にもうそうだった、と断言していたっけ)、実のところ欧米人と中国人は意識や感覚が似てるんじゃあるまいかと以前から思っている(言葉の構造も似てるしね)。近年いろいろ言いあってる観のある日本人と韓国人なんてハタから見ればほとんどおんなじようなものだ(こちらも言語的に瓜二つだしね)。ただ、同じ中国の中でも北部と南部で差異が、って話もそれなりにうなずけるところはある。
 ただ、日本国内ですら関東人と関西人の意識の違いが大きいと言われるくらいで、多様性を言い出したら際限なく地域差は出てくるだろうし、そもそも個々人のレベルでも差があるから、この手の調査はその立証がかなりあぶなっかしい。調べる側にまず「そうなるはずだ」という先入観があるので結果を都合のいいように持って行ってしまう可能性も高い。
 記事によると「列車」「バス」線路」からつながりを持つ二つを選らべ、と言われると、稲作地域の人は「列車」と「線路」というように直接的・具体的なつながりを選び、小麦地域の人は「列車」と「バス」というように抽象的なつながりを選ぶ傾向があった、というのだけど、これも意地悪く見ると「欧米人は抽象的思考に強い」という自身の思い込みに引っ張られてる可能性も感じてしまう。
 研究チームでは中国で見られた意識の差について「農業以外に理由が思い当たらない」としてるんだけど、これももっと複合的に考えた方が安全だとは思う。ま、こういう研究ってのはある程度決めつけた面白みがないと注目もされにくいんだろうけど。



◆タイがまたまたタイ変に

 もう20年くらい前の映画だが、「僕らはみんな生きている」という日本映画があった。タイトルはもちろん、先ごろ亡くなった漫画家にして詩人のやなせたかし作詞の「手のひらを太陽に」からとったものだが、内容は「美人とクーデターが多い国」(同時並行で連載された漫画版の宣伝文句)とされる架空の東南アジア国家「タルキスタン」を舞台に、日本人商社マンたちが悪戦苦闘するといったもの。もちろん作中で明言はないが、モデルにタイを想定していることは一目瞭然。実際にロケもタイで行われていて、クーデターの市街戦など日本では撮影できないような大規模なシーンもある。もっともタイらしくない部分もあって、元フランス植民地ではないかと思われる描写や山岳ゲリラがいるあたりなど、カンボジアに近い描写もある。

 それはともかく、またまたタイでは軍部のクーデターが起こって政権が転覆された。2006年に当時のタクシン首相の政権を倒したクーデター以来だから、8年ぶりとなる。よくあることとはいえ、結局またクーデターかよ、と思ってしまった人は多いはず。
 この国では過去にも政治闘争の騒動が繰り返されているけど、タクシン政権成立以来、「タクシン派」「反タクシン派」とまさに国家二分状態で対立の激しさが増していた。それでもお国柄というやつなのか、内戦とまではいかずに双方で大集団のデモをやってあちこち占拠して…というパターンの繰り返しで、よその国のケースに比べればまだ人死には多くはない。それでもここまで来るとそろそろヤバいことになるんじゃないか、という感じはあった。
 とにかく選挙をやれば北部の農村部や貧困層に支持の多いタクシン派が勝ってしまう。そこで反タクシン派は選挙ならぬ占拠を行って実力でタクシン元首相の妹インラック首相の退陣と、選挙を行わずに事実上タクシン派を排した暫定政府の樹立を要求していた。ハタから見るとかなり無茶な主張に見えるのだが、TV番組などで見る限り反タクシン派にとってはまったく問答無用のことであるらしい。そこまで何に怒っているのかよく分からないというのが率直なところで、反タクシン派が都市部の上中流層と聞くと、既得権者の彼らにとっては許し難い「再分配」をタクシン派がやっているということなんだろうか。
 緊張状態が続くなか、五月に入って最高裁判所がインラック首相の人事権乱用を認定して退任に追い込んだ。これについても最高裁の判事たちがどこまで政治的に中立であったかは怪しいところ。インラック首相が退任するとタクシン派の暫定政権が続けられたが、軍部が「クーデターではない」と言いつつ戒厳令を出し、結局は混乱を収拾するためだということでクーデターを起こし軍政を敷いた。前述のようにもう繰り返されてきたことなのでする方もされる方も慣れている(?)のか、よその国のケースに比べると割合おだやかに事態が進行しているようではある。

 ただ、これまでと違う動きも見られる。軍部が反タクシン派側なのはほぼ間違いなく、二度もクーデターで政権を倒されたタクシン派としては泣き寝入りするわけにはいかないと、「民主主義」を求めるデモ活動がゲリラ的に展開されているという。なぜか映画「ハンガーゲーム」に出てきた三本指を立てるサインが「民主主義のサイン」となったらしく、この三本指を立てるポーズがタクシン派の象徴とされているとのこと。なんとなくフィリピンでマルコス政権を打倒した革命で使われた「Lサイン」が思い起され、実際軍部もこうした動きを警戒しているらしく、タクシン派が連絡に使うLINEの規制を検討し始めたりもしているという。そもそも選挙では勝っちゃうんだから、人数的はタクシン派が多いはずなんだよな。

 タイと言えば国王の権威が戦前の日本並みに強く、過去の騒ぎでも事態収拾に大きな役割を果たしてきたが、さすがにプミポン国王も高齢である(現在在位君主で最長寿)。前回もそうだったが今回のクーデターでもこれといった動きは見せず、軍部も国王を事態に巻き込まないよう配慮している気配がある。もしかすると、情勢次第ではそれこそ「革命」になりかねない危険性を感じてるんじゃなかろうか…タクシン派だって基本的には国王支持を自任していると思うのだが、つい先日反タクシン派のミスユニバースタイ代表の女優がツイッターでタクシン派のことを「反王室」と呼び、「全員処刑されるべき」とまで書いて代表辞任と謝罪に追い込まれる騒ぎがあったが、これも何やら昔の日本の「国賊」「非国民」みたいな言い草で…
 このクーデターの動きと関係があるのかどうか今のところ分からないが、以前から隣国カンボジアと国境紛争でモメている地域でタイ軍側が鉄条網を張ってカンボジアに挑発行為をしているとの報道もある。軍って組織は、本質的に「武装戦闘集団」なので、変な方向に突っ走ることもままあるからなぁ。
 
 そうそう、この騒ぎのなか、世界中で亡命旅生活を続けているタクシン元首相がひょっこり東京に現れていた。とくに何か日本政府と接触したわけでもなさそうだけど。ただインラック前首相は日本の新幹線技術を導入した高速鉄道計画に前向きで日本側を喜ばせていたが、今度のクーデターで出来た軍政ではそれも含めてインラック政権時代の政策の再検討を表明していて、日本の国土交通省のお役人がガックリきてる、なんて報道もあったっけ。そもそも民主党政権時代に亡命中のタクシン元首相の日本入国を認めたのもそういう狙いがあるからと言われていたものだ。
 その後聞こえてきたニュースによると、軍事政権はW杯ブラジル大会が無料で見られるようにするという、ずいぶん露骨な人気取り策に乗り出したとのこと。なんだか「パンとサーカス」という言葉を思い出すな。



◆愛新覚羅のお名前が

 5月26日未明、北京市内の病院で愛新覚羅顕g(あいしんかくら・けんき、中国名:金黙玉)さんという女性が95歳で亡くなった。「愛新覚羅」といえば、もちろんヌルハチ以来の清朝の皇室。顕gさんはその清朝皇室最後の「王女」だった女性なのだ。
 彼女の家系は2代皇帝ホンタイジの長男の子孫である「粛親王家」で、彼女の父親は粛親王善耆という。この人は正室一人に四人の側室がいたとはいえ、38人というかなりの子だくさんで、顕gさんは一番年下の第四側室を母に1918年に生まれている。1918年といえばすでに辛亥革命が起こった後だから皇帝である溥儀とその近親は紫禁城内に残っていたものの皇帝の位は降りて清帝国自体は消滅していた。粛親王善耆は皇帝体位の詔勅にサインすることを拒絶し、日本人・川島浪速との親交もあったことから日本統治下の旅順に移り住んでいて、顕gさんが生まれたのもこの旅順だった。
 川島浪速とくれば、ピンとくる人も多いはず。かの「男装の麗人」「東洋のマタハリ」などと呼ばれる有名な女性スパイ川島芳子(1906-1948)はこの善耆の娘の一人で川島浪速の養女とされたもので、本来の名前は愛新覚羅顕玗という。輩行というやつで善耆の娘たち17人には全て「顕」の字が入るのだが、この川島芳子こと顕玗とこのたび亡くなった顕gさんは12歳と年は離れているが完全に同母の姉妹だ。

 川島芳子の方は生きてるうちから映画化されちゃったぐらいで(顕gさんも当時の映画に出てきた初代水谷八重子演じる芳子について「お姉さまに似ている」と思ったそうな)、その死もふくめて劇的な人生を送っているが、妹の顕gさんの人生も、戦後の中国の激動を反映してかなりの波乱万丈ぶりだ。
 13歳で日本に留学して女子学習院高等科・日本女子大で学び、日中戦争時に北京の日本企業に勤めているうちに日本の敗戦を迎える。その後の国共内戦を経て共産党政権が成立する過程で同母・異母も含めた兄たちは香港に亡命してしまい、その息子たち6人や使用人たちの面倒まで引き受けることになり、生活のために家財を売ったり、洗濯屋からレストランまでさまざまな店を経営するなど苦労する。その後、日本語の力を生かして政府の翻訳の仕事につくことになり、1954年には画家の馬万里と結婚もした。

 しかし1958年、いきなり顕gさんは逮捕される。文化大革命の前触れと言える「反右派闘争」の中で反国家的勢力、スパイの疑いをかけられたのだが、はっきり言えば彼女個人が何かをしたとかは関係なく、彼女が清朝皇室の出身であること、有名な川島芳子の妹であることが決定的な「罪状」になったのだ。ひどい話だが、この頃から文革終了までの中国はそんなもので、溥儀もこの時期同様の目に遭っている。顕gさんは夫をまきこむまいと獄中で離婚までしたという。
  彼女は刑務所で実に15年もの歳月を送り、刑期を終えてからも天津の農場で「改造労働」をさらに7年課せられた。ここでも大変な苦労をするが、ここで出会った男性と再婚。農場を出てから1979年に、当時実力者となりつつあったケ小平に手紙を送り、「もう肉体労働はできないが頭脳労働ならできる」と求職運動をした。おかげで北京の文史研究館に職を得ることになったというのだが、ケ小平にいきなり手紙を出せたというあたり、文革が終わって「改革・開放」へ向かうための政治的な動きの一環であったようにも思う。

 それから歳月が流れて、1992年に顕gさんは夫と共に私財を投げうち、かねて念願だった日本語学校を設立する。その名も「愛心児童日語班」といい、「愛心」は彼女の姓「愛真覚羅」にひっかけたものだった。この学校は1996年に「愛心日語培訓学校」としてより大きな規模で河北省廊坊市に正式に開校され、顕gさんは80歳の高齢になっても校長としてだけでなく自ら教壇に立って指導にあたった。その後も日本語をはじめとする教育活動や日中友好活動に活躍、実に一世紀に近い波乱の生涯を2014年についに終えたわけだ。訃報を報じる記事では「川島芳子の妹」という見出しが目についたが、こうして人生をまとめてみると地味ながらも姉以上に波乱万丈だったことが実感できた。
 毎日新聞によると1998年のインタビューで「戦時中、日本軍が中国に入り込み、いばりちらして殴るけるだった。随分多くの中国人が死んだ。普通の日本人はよい人が多かったのにね。本当の友人になるには、やはり言葉が必要だ。だから私は日本語を教えることにした」と語っていたとのこと。実に重い言葉だ。


 ついでなんで他にも第二次大戦がらみの話を。これも更新をサボったためにネタをためこんじゃったということなんだけど(汗)。
 去る5月23日にアメリカのオバマ大統領が、アメリカ議会の最高の勲章「議会金メダル」を「ドーリットル爆撃隊」に授与するという法案に署名をした。その法案ではドーリットル爆撃隊の行動を「傑出した勇気と武勇、技量およびアメリカ合衆国への献身」と称えているそうである。
 「ドーリットル(Doolittle)」の名前は指揮官のジミー=ドーリットル中佐の名にちなんでいる(なお、童話の「ドリトル先生」はDolittle)。1941年12月8日(日本時間)の真珠湾攻撃以後日本軍が連戦連勝で占領地を広げるなかで、アメリカ側が戦意高揚と日本への心理的打撃を狙って計画したのがこのドーリットル隊による日本本土空襲で、1942年4月18日に実行された。B−25爆撃機16機が空母から飛び立ち、東京・横須賀・川崎・名古屋・四日市・神戸などを空襲した。僕はいまだに見てないのだが、2001年のハリウッド映画「パールハーバー」のラストでもこの空襲が描かれ、そこでは「軍事施設以外は狙わなかった」とか言っていたそうだが全くの大嘘で、実際には明らかに非戦闘員を狙った機銃掃射を行っていて小学生の犠牲者が出たりもしている。そのためドーリットル隊のうち捕虜となった3名が死刑になっているのだが、これがまたアメリカ国民を激昂させた。そして日本側も大いに心理的ショックを受け、これがあの「ミッドウェー海戦」につながる作戦行動となるわけで、ドーリットル爆撃隊が太平洋戦争のその後の展開に決定的な影響を与えたことにはなる。
 ドーリットル空襲も72年前の話。当時20歳だとしても現在90歳を過ぎちゃってるわけで(隊長のドーリットル本人は1993年に96歳の長命で没した)、関係者が存命のうちに何か表彰を、という話でもあるのだろう。ドーリットル爆撃隊の参加者80名のうち現在存命なのは4名のみで、そのうち隊長機に副操縦士として搭乗していたリチャード=コールさん(なんと今年で99歳!)はホワイトハウスに呼ばれてオバマ大統領と面会している。
 一般市民も攻撃する空襲の実行者に勲章、っていう話には空襲を受けた側の国民としてはやはり気分の良くない話ではあるのだが、東京大空襲など徹底的な「焼き尽くし」作戦を実行したカーティス=ルメイに日本が勲章をあげちゃってる例(航空自衛隊に貢献したという理由)もあるしなぁ。なんにせよこういうのは「戦勝国」だからこそですな。

 
 6月4日には太平洋戦争で米軍の暗号通信に従事したチェスター=ネズさんという人が93歳で亡くなっている。インディアンのナバホ族出身、と聞けば「ははあ」と思い当たる人も多いだろう。太平洋戦争中、話者も少なく難解な言語であるナバホ語が軍の暗号に採用され、ネズさんのような話者ら29人が暗号通信にあたる「コードトーカー」に任じられた史実があるのだ(最終的に300人ほどに増えた)。一方の日本軍も難解な薩摩弁を暗号に使っていた時期があり、太平洋戦争は実は「ナバホ語VS薩摩弁」という冗談を以前書いたことがある。
 ナバホ族の「コードトーカー」たちは、戦後も機密保持のために従事した仕事の内容を近親者にも話すことを禁じられ、機密が解かれたのは1968年。それでも彼らの活動が広く知られるにはさらに時間がかかり、2001年にネズさんら最初のコードトーカーたち29人が大統領から表彰されたことでやっと有名になり、ジョン=ウー監督の「ウインドトーカーズ」という映画にもなった(テーマはともかく、監督の人選を間違った気がする映画だったが…)
 ネズさんの死去により、最初のコードトーカー29名はこれで全員他界した。第二次世界大戦も確実に遠い昔話になりつつある。


 今年は第一次世界大戦勃発百周年という節目だが、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線の流れを決めた「ノルマンディー上陸作戦」から70周年という節目でもある。サミットの直後ということもあり関係各国の首脳がその足で記念式典に参列したが、その中にロシアのプーチン大統領の姿までがあった。一番下の記事にあるように、今年のサミットは当初ロシアの司会でソチで開かれるはずが、ウクライナ問題でロシアを外してブリュッセルで開催される異例の展開となった。しかしその直後に個別とはいえロシア大統領が各国の首脳と会談を行っていて、実質「サミット番外編」になっちゃったのが面白い。というか、本来のサミットよりもこっちの方がよっぽど印象的だったし、実質的な効果もあったような。



◆それは介錯の問題で

 「介錯」というのは本来「お手伝い」のこと。武士の切腹の時に後ろから首を斬るのを「介錯」というのも、腹を斬っただけじゃ人間なかなか死なず、長く苦しい思いをするだけなので早く楽にしてやるために首を斬って「お手伝い」してあげるから。切腹して介錯された人の遺体は、柄杓の柄で首と胴をつなぐ作法だったそうだが、「斬首」の場合はそれが許されなかったという話を漫画「風雲児たち」吉田松陰処刑のくだりで知った。首を斬るんだからどっちもおんなじじゃねえか、と思っちゃうところだが、切腹で首を斬るのはあくまで「アフターサービス」(笑)であり、斬首の場合は首を斬ることそのものが主眼なのだ、という説明には一応納得。まぁ介錯、もとい解釈の問題でありますね。
 ただ、実際のところ、刑罰として行われる切腹では本当に腹を斬るところまではやらせずに、目の前の短刀に手を伸ばした瞬間に後ろからバッサリ、というのが実態だったという。腹を斬る方も大変だし、万一武器を手にして最後の抵抗を試みられては斬る方も大変だし、というわけで、「切腹」も実質形だけだったとされる。幕末になると当人の意志で本当に腹を斬ってから介錯、というケースが多くなったそうだけど。介錯する方だってよほどの達人でないと一撃で決めることはできないそうで、三島由紀夫なんかも介錯役の森田必勝が何度も失敗してかなり苦痛な死に方をしている。ともかく、江戸時代の武士たちだってそうそう作法通りの切腹をしていたわけではなく、形だけ自殺の一種である「切腹」とみなす事実上の斬首刑だったわけである。所詮はこれも介錯、もとい解釈の問題なのであった。


 さてこのところ日本政界は憲法の解釈だか、バッサリ切っちゃう方の介錯だかの議論が騒がしい。というか、実質的には安倍晋三首相は憲法解釈の変更を閣議決定して集団的自衛権を認める形にしちゃおうと一気に突進している。急ぐ理由はアメリカとの防衛ガイドラインの改定に間に合わせたいからで、アメリカ様から「こっちは金がねえんだからお前も片棒担げ」と言われてホイホイと尻尾を振ろうとしてるわけだ。それこそ靖国の英霊が化けて出そうな気がするのだが…
 憲法自体、その解釈の変更がこれまでなかったわけではない。つい最近の非嫡出子問題での最高裁判断なんかも憲法解釈の変更の一例と言っていいし、衆議院解散を「伝家の宝刀」として内閣が決めちゃう「七条解散」というのも今じゃ常識化しちゃってるが本来は憲法条文の解釈からひねり出されたものだ。そもそも第9条の条文はどう読んでも戦争と武力行使・威嚇を禁じており、「その目的を達するため」として戦力の不保持を定めている。そこから「戦争や武力行使はしないけど自衛権はある」という解釈がひねり出されて自衛隊が存在しアメリカ軍が同盟国軍として日本に駐留している。他にも結構あぶなっかしい条文解釈に乗っかっている例はあり、実は第一条の「天皇は象徴」という話だって「主権の存する日本国民の総意に基づく」とあるのに一度も「総意」なんて問うた事はないから無効だという解釈だって不可能ではない(脚本家の笠原和夫がそんなことを言ってたような)
 そんなわけで解釈変更自体はありえないことではないのだが、時の内閣の一存、閣議決定一発で解釈を大幅に変えちゃうってのをやるというのは、もう日本は法治じゃなくて中国みたいな人治国家になるんだなぁ、とも思えてくる(中国だって憲法で「主権は人民にある」とか自由権利を認めてるが、実態がそうじゃないでしょ)

 この憲法解釈もからめて、政界は近ごろいろいろとざわついている。「みんなの党」から「結いの党」が分裂、春には父親以上に空気が読めない渡辺喜美が8億円問題で「みんなの党」代表を辞任してすっかり姿を見せなくなり、日本維新の会も石原慎太郎グループと橋下徹グループに「結いの党」との合流をめぐる方向性の違いから結局分党(だいたい最初から肝心な部分で意見が違う連中だったんだよな)、石原グループに先の読めない右寄り連中が思いのほか集まって(両「田宏」などアブない系の人があらかた行った)橋下グループ側にも誤算と言われたりしている。一方民主党も、勝負所をよく間違える前原誠司らのグループが集団的自衛権をめぐって離党もちらつかせつつ海江田万里代表おろしにかかっているし、不動の少数勢力である社民・共産を除けばどこの党もフラフラ、ドタバタと再編を狙って動き出している。思うんだが、そんなに意見が違うのなら最初から意見の同じ者同士で政党作れよ、と。

 さて自民党にしつこくくらいついている公明党にも注目が集まる。一応「平和の党」と称している上に、まだ大作さんのノーベル平和賞をあきらめていないのか、集団的自衛権の容認についてはまだまだ慎重姿勢を示している。自民党と連立解消まではする気はないからどっかで妥協するんだろうとは見られていて自民党側もその足元を見透かしてる感じだが、ハタから見ていると双方で解釈をいじくりまわして結局どんどん骨抜きになってるような観もある。結局はどうとでも解釈できるよ、という話になっていくような…太平洋戦争だって「自存自衛」を理由に始めた過去もあるし、何でも「ものは言いよう」になりそうだ。
 それにしても安倍さんの側近とも言われる飯島勲補佐官の「政教分離に関する法制局の解釈変更もありうる」という発言は露骨だった。公明党と創価学会の関係は「政教分離」をめぐって過去にもあれこれ言われたものだが、自民党とくっついて以来は自民党は蒸し返さないでいた(まぁ自民党自体も神道系から日蓮宗系まで支持してる宗教団体はある)。それをあからさまなまでにブチ上げて公明党に「脅し」をかけたわけで、公明党という政党の性格からして実際ビビりはしただろうが、かなり根に持つことにはなるだろう。飯島さんも上手い作戦のつもりかもしれないが、あとでしっぺ返しを受けそうな…。

 安倍さん周辺としては、集団的自衛権が祖父の代以来の悲願でもあるし、朝鮮半島でなんかあった場合とか、中国に対抗する意味からもアメリカとより密着しておかないと、という考えから、実態はどうあれ「集団的自衛権」という名前だけでも実現しようと躍起になっているんだろう。その心理自体は分からないではないのだけど、それこそ石破茂幹事長が一時言ってたみたいに「地球の裏側までも」アメリカ様に御奉公するつもりなんだろうか。
 集団的自衛権論議をしたがる理由の一つに、湾岸戦争やイラク戦争でアメリカ様への御奉公に憲法解釈の問題がつきまとったのでそれをとっぱらいたい、というのもあるようなのだが、例えばイラク戦争のどこに「日本国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される恐れ」があったのやら。そのイラクではすっかり内戦状態になり、もしかするとまたアメリカ軍出動かも、という事態になってるのだが、さっそくそこに「介錯」すなわち「お手伝い」として自衛隊が駆けつけることになるんだろうか。



◆恒例・贋作サミット・ブリュッセル編

:露が落ち 露が消えにし G7
日:おっ、さすがは俳句愛好家のEU大統領!
英:季語がないんじゃない?
E:露と梅雨をひっかてるんですね、これは。
加:ダジャレかよ。
日:そういうのは「掛詞(かけことば)」というんです。
米:ロシアがあんなことするから、ソッチじゃやらない、ってことにしたんだよね。
加:それこそダジャレだろ。
日:アメリカ様がおっしゃるなら、掛詞と解釈します。
伊:ソチも悪よのう。
仏:ともあれ、緊急ソチでこっちでやることにしたんですが。
日:おや、そちらの大統領、事実婚の奥さまがオランド。
独:女優さんと不倫して捨てられたなんて、ミッテランない。
仏:その名前はかなり古いぞ。
米:さて、いい加減、重要議題に入りましょう。ウクライナの件ですが…
E:ウクライナ 東部情勢が、う、暗いな。
加:「う」ってなんだよ、「う」って。
E:調子を整える枕詞みたいなもんですよ、あなおそロシア、とかみたいな。
加:ロシアの前には必ずそれをつけるんかい!
日:ともかく憲法の解釈変更はいいけど実力での現状変更はダメですよねぇ、アジアの海でも…
米:そもそも東シナ海とか、南シナ海って名前が「全部うちの」って気分にさせるんじゃないか。
英:じゃあ海の名前を変えチャイナ、と。
加:そうなるとメキシコ湾はメキシコのもので、ペルシャ湾はイランのものになるんじゃないか?
日:日本海もインド洋もそうなりますねぇ。
独:話がそれて来たから議題を変えましょ。サッカーW杯の話でも。
E:いいですね 我がベルギーも 出てますし。
仏:うちも出てるし、伊さんも独さんも英さんも日さんも、お、米さんも出てるんだ。
英:こらこら、そういう話になると仲間外れがでるじゃないか。
加:ああ、お気になさらず。うちもちゃんと出てますから。
日:え?加さん、カメルーンとお間違えでは?
加:ああ、この「加(カ)」はカーゲーベー(KGB)の頭文字で…
米:ああっ!さっきから妙につっかかると思ったら!こらっ、お前、正体を見せろ!
加→露:はっはっは(マスクをはがす)、このくらいの変装、元KGBの私には朝飯前さ!
英:なんであんたがここに紛れこんでるんだ!
露:いや、このあとノルマンディー上陸作戦70周年式典に出るんで、そのついでに。
独:まぁどうせそっちでの顔合わせの方がホントのサミットみたいなもんだしね。
日:あ、じゃあ私もついでに参加させて。
伊:私も、私も。
独:あんたたちは関係ない上に元枢軸側でしょ。
仏:あんたもそうだろ!
米:ややこしくなったから、河岸を変えましょ。参加者の方はノルマンディーへ移動!
日:親分、地球の裏までもついていきまっせー!
伊:こら、あんたはバチカン詣でをする予定だろうが!バカチン!

ドタドタドタ…(各国、それぞれの方向へ退場)

加;こら〜〜〜いつも話題がないからって、この扱いはひどいぞ〜〜俺を置いていくな〜〜〜〜
(→ドタドタとノルマンディーへ)

 かくして、このあとノルマンディーで米英仏独露加の「G6」(?)会談が行われたりするのだった。


2014/6/14の記事

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