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2014年10月30日

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◆今週の記事

◆いろいろあった一ヶ月

 また一ヶ月更新をサボってしまった。この一ヶ月はとくに大きなニュースが多かったような…
 特に日本でこの一ヶ月最大の事件と言えば、多くの犠牲者を出してしまった木曽の御嶽山の噴火だ。若い時から登山を趣味にしていた父と違って、その父に受験期の夏休みに谷川岳に引っ張り出されて以来登山らしい登山はしていない僕などは、御嶽山と聞いても「木曽のどっか」という程度でどこにあるのかすら良く分かっていなかったし、まして火山であることすら知らなかった。火山であること自体は昔から知られていたが、かつては「死火山」とする見方が強く、1979年に有史以来の噴火(水蒸気噴火)をしたことがきっかけで「休火山」「死火山」といった概念が見直されることになった、なんていうことも今度の件をきっかけに初めて知った。
 噴火とその被害自体が「歴史的」な事件ではあるのだが、同時に噴火の状況が直後にネット上にアップされたのも「歴史的」に思えた。今はみんなスマホやケータイ持ちだから、身近に何かあると誰もが報道カメラマン状態。助かった人だけでなく被害者の多くに撮影をしていた形跡ありとのことで、そのために助からなかったという方もいるような…もっとも、あの状況では全ては「運」だったかも。
 それにしても紅葉シーズンで登山客も多い土曜日、山頂で昼食を取る人が多い正午まぢかという時間に、狙い澄ましたように噴火が起こるとは…日本列島自体がもともと地震と火山の巣と言っていいほどなんだけど、改めて火山国なんだなと思い知らされたし、その前の広島の土砂災害、その後の二週連続の台風と合わせて、日本の自然災害のバリエーションの多さも実感した。


 世界に目を向けると、このところ世界を騒がせている二大巨頭が「イスラム国」「エボラ出血熱」。どちらも非常に厄介なことになっていて、いろいろ対策は進められてるけど根絶どころか世界に広がる気配というところも共通。いっそのこと毒を以て毒を制すで双方をぶつけてみちゃどうだ、なんてバカなことも考えてしまうが、それじゃ生物テロか。
 「イスラム国」に参加する欧米出身者がかなりいる、との報道はすでにあったが、日本人の若者でそれをやろうとした例が出てきたのには驚いた。報道で聞く限りはもともとイスラム教徒だったわけでも関心があった様子でもなく、「就職活動に失敗したから」と動機を語っているらしいところは、なんとなく「日本風」という気もしなくはないが…もっとも、僕の父も学生時代には「ゲバラ日記」を耽読して「俺はゲバラになる」と世界へ飛び出しそうな気配があったとは聞いているので(もちろん実行しなかったから今日の僕がいる)、わけもわからず何か危険に身を投じたいと思う人ってはどの時代でも一定数はいるのだろう。
 この大学生の件で、刑法の「私戦予備・陰謀」の容疑が持ち出されたのは目を引いた。「私戦」と聞くと以前取り上げた「決闘罪」の話も思い起すが、ここでいう「私戦」とは字の如く「個人的にやる戦闘行為」の意味。新聞に法学者の人たちの解説が載っていたが、この規定のルーツはフランス革命後のナポレオン法典にあるそうで、「国民国家」の誕生と共に「戦争は国家がするものであって個人がするものではない」との考えが常識化し、日本でも1880年に制定された旧刑法で「私戦」を禁じ、その準備にとどまった場合は減刑するとの規定が設けられた。その後1907年に現行刑法が制定された際、「個人が国内で外国相手に戦争をするとは考えにくい」との意見により私戦禁止条項自体は削除されたが、その「予備」をすると罰せられるという規定はそのまま残された。それが一世紀も過ぎた今ごろになって「適用」されることとなった、ということなんだそうな。
 一大学生が手ぶらの状態で、外国で活動している団体に戦闘目的で参加しようとしている、という状態が「私戦予備」に該当するのか、法学的には議論を呼びそうな気がするのだが、近ごろの世界的な「イスラム国」封じ込めの動きに対応するために公安がこの条項の利用を思いついた、ってことなんだろうな。

 「イスラム国」の「欧米人を殺せ」指令にに呼応したのではないかとも見られる事件もカナダやアメリカで起こった(オーストラリアでは未遂が報じられた)。どちらもビックリはさせられたが、いずれも単独犯行のようだし、最近になってイスラム教に改宗した、いわば「にわかイスラム教徒」であったところも共通している。なので、どこまで「本気」だったのか疑問もある。カナダの事件の犯人も「シリア渡航を希望していた」と報じられたが、その後実際にはサウジへの渡航を希望していたことがわかるなど、捜査機関やマスコミの先入観や先走りの気配もあるので、慎重にとらえた方がよさそう。もちろんそのサウジからも多くの若者が「イスラム国」に参加しちゃってるらしいのだが…
 ともかく、大半のイスラム教徒にとっちゃ「イスラム国」なんて迷惑でしかないと思うのだけど、その「イスラム国」もカリフ制度どころか、とうとう捕虜とした女性や子供を「戦利品」として奴隷にしちゃうことまで堂々と肯定し始めた。逆にそれは追いつめられたから、との見方もあるようだけど、今のところ空爆でもさしたる影響はなく彼らの攻勢は続いているし、豊富な資金を持つ上に、戦闘機から化学兵器まで持ってるなんて話も出て来て、かなり物騒になってきている。
 ただアメリカも空爆はするけど地上軍派遣には乗り気ではなく、トルコなど周辺国を動かそうとしたり、クルド人勢力に武器を投下したりと、なんとか自分の血は流すまいとしている。トルコは一応「イスラム国」を深刻な脅威と受け止めているが、アメリカがクルド人に武器を投下したことには、自国内のクルド人問題も絡んでくるので反発してるし、やはり「イスラム国」を敵視するイランについてはサウジなどスンニ派諸国が反発する、といった具合で、それぞれの思惑が絡み合って「対イスラム国」も今一つまとまりは欠いている。


 さて、今年のノーベル平和賞は、パキスタンで女性教育の必要性を訴えて過激な保守派から銃撃される目にあったマララ=ユサフザイさんと、インドで児童労働問題にたずさわってきたカイラシュ=サティーアーティさんの二人に贈られた。ひところ「有力候補」説も流れた「日本国憲法第9条を守ってきた日本国民」はとりあえず今年は落選。ノーベル賞の賞金はおよそ1億2000万円だから、日本国民は一人1円弱ずつもらえる機会を逸したわけだ(笑)。村上春樹の文学賞受賞ともども、これから毎年恒例の話題になるのかもしれない。
 安倍首相なんか明らかに「9条受賞」を警戒していて、「ノーベル平和賞は政治的」と発言していたけど、そんなことはもう長年言われていること。過去に安倍さんの大叔父である佐藤栄作から、キッシンジャーハルセオドア=ルーズベルトなどなど、クエスチョンマークがいくつも頭上に浮かぶような「政治的」人選は数多い。このところの傾向としては西欧リベラリズムの価値観にのっとった選考が目につき、今年もその流れの一環と言えるのは確か。マララさんについては昨年も有力視されていて、今年はとくに「イスラム国」などイスラム過激派の活動が目立つので、それに対するアンチテーゼな性格も強かったように思う。もちろん過激派系は別にして母国パキスタンでも首相が祝福コメントを出すなど、多くのイスラム教徒には共感を得るものだろうし、今のところ比較的反発が出ない人選ではあっただろう(年齢の若さだけは議論になったが)
 で、一緒に受賞となったサティーアーティさんの方はほぼノーマークだったみたい。経済成長が進むインドだが、安い労働力である児童や女性が長時間こき使われやすい、という資本主義初期段階を絵に書いたような状況が横行しているとのことで、サティーアーティさんの受賞も確かに意義のあることだ。ただ、これもまた長年対立を続けているパキスタンとインド(その事情は北朝鮮と韓国の関係をもっと悪くしたようなもの)それぞれに平和賞受賞者を出すことで両国の和解をうながす狙いがあったとしか思えず、それ自体は悪いことはないにしても本来の受賞理由とは別の政治的思惑があったことにはなるわけで、やはり複雑な気分にはなる。


 ノーベル平和賞がその時その時の事件を反映しやすい傾向から、もしかして香港の学生デモにあげたりはしないかな、と思ったりもしたのだが、こちらはさすがにタイミング的に無理だったみたい。あれが来年まで続いていたりすると、例の17歳のリーダー黄之鋒が平和賞受賞、なんてこともあるかもしれない。過去にも平和賞はダライ=ラマ劉暁波に贈られて中国政府を激怒させてるし。
 さてその香港の民主派学生の占拠デモ、いわゆる「雨傘革命」について、僕も強い関心を持って横目に眺めていたのだが、とうとう1ヶ月が過ぎてしまった。一時は四半世紀前の天安門事件前夜を思わせる光景が流れていたが、なんとなく長期化が進むうちにダレてきてしまった感もある。香港の行政側もそれを狙ってやってるんだろうけど。
 そもそも「一国二制度」をとる香港において、2017年から行政長官の直接選挙を行えるようにすることになったのだが、その候補者について「国を愛し、香港を愛する者」といった条件を中国政府がつけてきたため、「それでは民主派の候補者は出せないではないか」と反発が起こったのがきっかけ。そもそもこの運動の中心グループは中国が香港で進めようとしている「徳育教育(道徳教育)」という名の愛国教育に反発した学生たちで、「愛国者」という表現にピンと来るものがあったのだろう。日本でも愛国心だの道徳教育だのをやたら進めたがってる政治家たちがいるが、為政者というのはどこも同じだな、と思わされる。この点において、僕はこの学生たちの運動を大いに支持するものだ。
 その一方で、これは「歴史」をやってる者のサガなのかもしれないが、こうした学生運動がどこまで実を結べるかについては正直悲観的な見方をしている。どんなにデモ行進したりあちこち占拠したって政府側が要求を飲むとはとても思えないのだ。学生運動の指導部はそこまで分かっててやってるのかどうか。それに「占拠作戦」はタイの例を参考にしてるのかもしれないけど、長引くと当然市民に影響が出て来るし、実際学生デモに反対する勢力の妨害も起こってきている。一時の親中派とみられる者たちの襲撃なんかは、かつての60年、70年安保のころに右翼勢力グループが同様のことをしていた例を思い起こすし(岸信介は自衛隊の治安出動まで踏み切ろうとしたがさすがに止められた)、実際の話、日本でまるで革命前夜のように盛り上がっていた学生運動は国民の支持をどこまで受けていたかは怪しく、ウソみたいに雲散霧消してしまった例もある。
 
 あんまり強硬にやってるとそれこそ「天安門」になりかねないな、と心配してるのだが、さすがに中国政府もそこまではできないだろうというのが大方の見方。香港で騒乱が起こればそれは中国経済にも当然影響を与えてしまう。香港返還決定時には「社会主義国家の中での資本主義地域」という位置づけになった香港だけど、今や中国本土が経済的にはかなり露骨な資本主義状態になっちゃっているため、経済活動を阻害するようなことは中国もしたくないし、中国で何かあると経済的影響が避けられない全世界もそれは望んでいない。そんなわけで、結局ナァナァでほったらかしにしているうちにグダグダになっていくんじゃないかな…という見方が多めという気がする(実際学生側も強硬派と穏健派で分裂気味とも報じられている)。ただし、「天安門」の時だって、直前まではなんとか平和的におさまりそう、って空気が流れていたのを覚えているだけに心配ではある。


 ひるがえって日本は自由に選挙ができる民主主義国家でよかったですね、とまとめてしまう人たちも結構いるけど、都市部はともかく地方の政治風土なんて民主主義どころか江戸時代の幕藩体制だよ、と言いたくなることもある。先日大臣辞任に追い込まれた小渕優子議員の資金問題を見ていて改めてそう思った。すでに三代目の、選挙なんて実質無風の安定状態である「藩主」がいて、地元の町長がその藩主家に忠節を尽くして財政を担当する「城代家老」という構図。小選挙区の数が江戸時代の藩の数とほぼ同じ、という不気味な符合もあるし、そうした世襲議員たちが永田町に集まって、ほとんど村社会状態ともいえる家柄勝負の幕府政治をやってるように見えなくもない。ま、年貢をとるんじゃなくて観劇会やらワインやらサービスしてくれるだけ江戸時代よりは進歩(?)してるのかもしれないけどさ。ともあれ、僕の地元にも似たような幕藩体制構図はあって、候補者だって選択肢がそれほどあるわけでもなく、「民主主義国家」などとイバる気にはなれない。

 またその一方で、小渕さんスキャンダルの出所となったオジサン週刊誌はどの筋からささやかれたのかな、というのも気になった。ウルトラ保守姿勢のこうした週刊誌が安倍政権の足を引っ張りかねないことをわざわざやってるのが気になるのだ。そもそも右寄り保守業界の星である安倍さんだが、不思議と「女性活用」ということを盛んにブチあげていて、これははっきり言って右寄り保守業界が一番嫌っていることでもある。今度の一件はまさにそこを突っついた形で、オジサン週刊誌の女性政治家や女性管理職嫌いを改めて見せつけてくれた(エゲツない隣国の大統領叩きにも半分くらいその気配あり)。大臣ポスト待ちの男性議員連中がバックにいるのかもなぁ…とも思うのだが。
 そんなことを言っていたら、10月28日に世界経済フォーラムが、世界各国の男女格差の小ささを調べたランキングの2014年版を発表した。このランキングの対象とされた142カ国中、日本は実に104位。去年が105位だから1つランクが上がったわけだけど、「教育」「健康」といった分野では男女差があまりないものの、女性の「政治参加」と「職場進出」が際立った低さで、これが足を引っ張るという、実に分かりやすい結果となっていた。



◆いろいろ政治家の訃報

 この一ヶ月の間にもいろんな人の訃報が流れた。その中で内外の政治家の訃報を並べてみよう。

 公表されるまで間があったが、9月20日に元社会党委員長で、女性初の衆議院議長となった土井たか子が亡くなっている。有力政党の女性党首というのも日本初だったはずで、1980年代後半に自民党のリクルート疑惑や消費税導入に対して「マドンナ旋風」を吹き起こし、ひところは日本初の女性首相かとまで騒がれ「日本のサッチャー」的な呼ばれ方をしたこともある(政治的立場はサッチャーとは真逆だったと思うが)。現実に参議院で首班指名を受けたこともあるが、中学校の公民で習う通り「衆議院の優越」というやつで実際に首相になることなく、結局現時点まで女性首相は誕生していない(その候補の一人とささやかれてた人が最近スキャンダルで大臣辞任してましたな)
 結局社会党から実際に首相を出すのは彼女の次の委員長の村山富市の時のことになるのだけど、非自民連立政権を経て何と長年の宿敵・自民党との連立という形で社会党首相を出し、結果的にそれが命取りにもなって社会党から弱小政党・社民党への道を落っこちて行くことにもなった。ただ土井さんはその間に女性初の衆議院議長を務めることにもなり、「○○君」という呼び出しが通例であった衆議院で「○○さん」という声を院内に響かせたことでも憲政史上に名を残すだろう。
 個人的にはこの人に関してはついつい、むかしVOW!の新聞ネタにあった「土井委員長 少年襲う」という見出し(見出しのマジックというやつで、もちろん少年が襲撃したのである)を思い出してしまうのだが…(笑)。


 10月4日には、元ハイチ大統領のジャン=クロード=デュバリエが心臓発作のために64歳で死去している。
 ハイチはカリブ海に浮かぶ島国で、フランス革命の影響を受けて初めて黒人大統領が率いる国家となった歴史があるのだが、その後の歴史は混沌の連続。アメリカに占領されたこともあったし、何かというとクーデターで政権が倒されてきた。そして1957年にフランソワ=デュバリエが大統領となると、長期にわたり軍事独裁政権を維持するようになる。このフランソワが1971年に死去すると、その跡を継いで大統領となったのが当時弱冠19歳だった息子のジャン=クロード。つまり北朝鮮と似たようなもので、父子世襲の二代にわたり独裁体制を続けて秘密警察による恐怖政治を敷き、アメリカの人権団体によれば父子二代のあいだに3万人が虐殺されたとも言われている。
 そのジャン=クロードも国家財政を破綻させたあげく、1986年に反乱が起こって国を追われ、父子二代およそ30年にわたる独裁体制は終わった。ジャン=クロードはフランスに亡命してその後の人生を送っていたが、在任中に公金をスイスの銀行にまわして私腹を肥やした容疑もかけられている。また当然のように在任中の人権侵害についても追及されてもいたのだが、ハイチで大地震が起きた翌年の2011年1月に四半世紀ぶりに三日間だけ帰国した際、人権侵害容疑については「時効」とされている。ただ今年の2月に控訴裁判所が時効を認めない決定も下していて、結局それらの責任はとらずにあの世に「亡命」することとなってしまった。


 10月21日には元オーストラリア首相のゴフ=ウィットラム(ホイットラム)が死去している。御年実に98歳で、まだ第一次世界大戦をやっていた1916年の生まれ。第二次世界大戦では従軍経験もある。弁護士を経て政界入りし、労働党に入党して1967年にはその党首となり、1972年の総選挙でついに政権を握ってオーストラリア第21代目の首相に就任した。
 僕もこの訃報で初めて知った次第だが、ウィットラム政権はオーストラリア史上実に多くの改革を実行している。久々の革新系政権だったということもあってか、ベトナム戦争からの撤収、中華人民共和国の承認、徴兵制の廃止などを実現している(もっともアメリカも同時並行的にやっていたが)。中でも重要なのが、「人種差別禁止法」を制定して、それまでアジア系などの移民を規制してヨーロッパ系のみのオーストラリアにしようとしていた「白豪主義」を撤廃、オーストラリアを今日のような「多文化主義」へと導いたことだ。また人種差別ということでは、先住民アボリジニに対する差別を改めて土地所有権を承認するといった改革も行っており、こうして並べてみるとなかなかに「歴史的」な政権だったと実感する。実際訃報記事によると「戦後の豪州を変えた巨人政治家」との声はあるそうだ。

 しかしこのウィットラムは、オーストラリア政治史上、別の意味でも特筆される。イギリス国王の代理人であるオーストラリア総督によって「罷免」された首相でもあるのだ。なんでそんなことになったかといえば、野党・自由党の激しい攻撃にあって予算が義会を通過せず、政治が停滞してしまったため。そうした場合、憲法に総督が事態収拾のため首相を罷免できる規定があるのだそうで、1975年にウィットラムは首相職を解かれてしまう。その後の二度の総選挙に労働党は敗北し、ウイットラムも1978年に政界を引退した。その後80年代にユネスコ大使をつとめ、その後は長い晩年を送ることになったが、つい最近まで週に三日は老人ホームから自身のオフィスに出かけて精力的に活動、政治的コメントも積極的に出していたとのこと。
 オーストラリア歴代首相の中で最長寿記録を打ち立てたわけだが、調べてみたら奥さんも2012年の92歳まで存命だったそうで、現在ひ孫も9人いるとか。


 以上の話でアップしようかと思っていたら、ザンビアのマイケル=サタ大統領が療養先のロンドンの病院で死去したとの報道が流れてきた。この人については良く知らず、特に書けることもないのだが、彼の死により副大統領のガイ=スコット氏が暫定大統領となったことにちょっと注目。なんでかといえばこのスコット氏は白人で、南アフリカでアパルトヘイトが配されて以後、サハラ以南で白人が元首となる初めてのケースになるからだ。あくまで「暫定」ではあるが、来る大統領選挙でもスコット氏は副大統領まで務めただけに有力候補とみられているとのこと。もちろん白人だから黒人だからどうだということではなく、むしろそうした人種の違いが特に問題にならずに選ばれる社会になってればいい、ってことなんだけどね。
 


◆いろいろなお国の話

 1996年にアトランタオリンピックが開かれた時、開会式の入場行進で「グルジア」の選手団が現れたら、会場の観客から大きな歓声があがったのを覚えている。アトランタはジョージア州にあり、、グルジアも英語表記では「ジョージア(Georgia)」だったからだ。これは偶然の産物ではなく、「グルジア」の由来となった同国の守護聖人の名前が「ゲオルギオス」、英語で「ジョージ」になるわけで、グルジアとジョージアはもともと語源が一緒、ということなのだ。
 その「グルジア」について、日本政府がついに「ジョージア」呼称に「改名」することを決定した。2008年にグルジアがロシアと対立してロシア風の呼び名を嫌い、世界中に「ジョージアにしてくれ」と要請するようになっていて、現時点で世界の約170カ国がすでに「ジョージア」に英語表記を変える、あるいは「ジョージア」の各国語風の読み方に変えているのだそうで、今でも「グルジア」と呼ぶのは旧ソ連や東欧諸国くらいとか。試しに「ウィキペディア」であたってみたら韓国ではすでに「ジョージア」になっていて、中国では「グルジア」のままになっていた。

 いわゆる「西側」に属する日本が「グルジア」呼称に5年ばかり固執していたことになるのだが、一度決めるとなかなか変えたがらないお役所体質もあったんだろうけど、単純に「ジョージア州と区別がつきにくい」という理由もあったみたい。しかし世界的な「少数派」にされても困るとも考えたんだろう、このたびグルジアだかジョージアだかのマルグベラシビリ大統領が来日するのを機に正式に「ジョージア」呼称に変更すると決め、関連法律の改正に着手することにしたわけだ。
 もっとも当のグルジアでは自国のことを「サカルトベロ」と呼ぶそうで、じゃあ世界でそっちに統一すればいいんじゃないかとも思うのだが。日本だって「クールジャパン」なんぞとカッコつけてないで、自称の「ニッポン」なり「ニホン」をもっとアピールすべきだと思うんだけどな。


 今年は第一次世界大戦勃発から百周年、その発火点となったバルカン半島にまた注目が集まったのだが、相変わらずこの地域がややこしいままだということが、サッカーの国際試合で改めて印象付けられる事件があった。
 10月14日にセルビアの首都ベオグラードで欧州選手権予選のセルビア-アルバニア戦が行われた。この試合の前半41分ごろ、客席からリモコン操縦の無人機がスタジアム内を飛び、それには地図をあしらった旗がぶら下げられていた。その旗に描かれた地図はアルバニアの「領土」を示すものだったのだが、現在のアルバニア本国だけでなく、アルバニア系住民が多数派でセルビアから事実上独立しているコソボ自治州、さらにはマケドニア領内のアルバニア系住民の多い地域まで「アルバニア領土」として同じ色に塗られているという、露骨に拡大した民族主義、いわゆる「大アルバニア主義」を体現したものだった。要するに「アルバニア人のいるところは全てアルバニア」という、ナチスドイツもやっていた論法である。
 そんなのが試合の最中に、しかも選手たちの真上に飛んで来たんだから、当然セルビア選手は怒った。セルビアの選手がこの旗をつかみとると、アルバニアの選手たちがその旗を取り返そうとし(ここがかなり問題だと思う)、とうとう観客の一部までがなだれこんで大乱闘に発展、試合は0−0のまま中止となった。

 サッカーというのはどうも血の気が多くなるスポーツではあるようで、仲の悪い国同士の試合だとこの手のことが起こりやすい。だからFIFAでも試合中に観客が政治的なメッセージを出すことをどんな内容であれ禁じているのだが、領土問題や歴史問題を持ち出す例が後を絶たないのも事実。この試合について、FIFAは先に仕掛けたアルバニア側の責任を重く見て試合は3−0でセルビアの勝ちとしたが、双方ともに勝ち点はつかず、無観客試合を課すとの「ケンカ両成敗」な処分を決定した。それでもアルバニア側は「処分が重すぎる」と抗議してるそうなのだが…
 さらに問題が深刻なのは、この旗つきの無人機を飛ばしたのが、アルバニアのエディ=ラマ首相の兄弟でアメリカ国籍をもつオルシ=ラマ氏であったという事実。ラマ首相当人もこの日この試合会場の貴賓席で観戦していたそうで、セルビア側が「アルバニアの現政権の意向を受けているのでは?」と疑ってしまうのも無理はない。ユーゴ内戦やコソボ紛争では何かと「悪役」にされがちだったセルビアだが、アルバニアでナチスばりの領土拡張論が露骨に出てくるのでは警戒したくもなるだろう。セルビアだけでなくマケドニアだって警戒するはずだ。


 そのマケドニアについてだが、「マケドニア」と聞けばアレクサンドロス大王を連想する人も多いはず。しかし現在のマケドニアは地域がかぶるだけで民族的にはあとから移住してきたスラブ系の住民が大半を占め、古代マケドニアとはほぼ無関係。だが隣国ギリシャでは自国の北部にマケドニア地方を含むことから、この国家の名前を「マケドニア」とは絶対に認めようとしない。認めるとそれこそ「大マケドニア主義」が台頭して自国北部まで領土主張がなされる恐れがあるからだ。
 で、そのギリシャ北部のマケドニア地方にある大規模な墓地遺跡から、古代の二輪戦車に乗る男性を描いたモザイク画が発見されたと、10月12日に発表があった。この墓地、紀元前4世紀までさかのぼるものと見られるそうで、それこそアレクサンドロス大王の時代にかぶってくる。このモザイク画の二輪戦車の男性の前方にはヘルメス神も描かれているといい、もしかしてアレクサンドロスの姿…?なんてな憶測もしてしまう。
 ただし、伝承によればアレクサンドロス大王の遺体は部下のプトレマイオスがエジプトに持って行ったとされ、その墓は未発見。だからこの墓がアレクサンドロスの、という可能性は薄いはずだが、それでも報道によるとこの墓に葬られている人物については、アレクサンドロスの妻ロクサーヌや、母のオリンピアスの名前も取り沙汰されているそうで、それはそれでビッグネームである。ただ、どちらも暗殺されたことになってるはずで、立派なお墓を作ってもらえたかどうか。


 最後にまた国旗の話に戻す。以前にも書いたニュージーランドの国旗変更問題、いよいよ正式に国民投票で是非を問うことが10月29日に閣議決定された。来年1月にも投票が実施されるそうだが、そのニュージーランドと紛らわしい国旗だったオーストラリアの方はどうするんだろう?



◆いろいろな発見ばなし

 ここでも、この一ヶ月のあいだの歴史関係の「発見」ばなしを列挙してみる。


☆奈良時代の伎楽面が海外流出!
 すでに一か月前の9月29日に報じられたもの。ドイツの博物館に日本の奈良時代の、それも法隆寺や東大寺といったビッグネームなお寺で伎楽に使われたお面がいくつも収蔵されていることが確認された、という話題だ。法政大学の小口雅史教授がすでに2012年にミュンヘンの博物館で飛鳥〜奈良時代の日本の伎楽面を三面確認しており、そのうち一つは、なんと東大寺大仏開眼会(752年)のために製作されたものだった。もっとあるはず、ということでヨーロッパの博物館を回って調査したところ、ベルリンの博物館でも見つかった、という記事だった。
 そんな貴重なものがなんでドイツに、と不思議に思うところだが、どうやら明治時代初期の仏教弾圧「廃仏毀釈」が原因であるらしい。江戸時代までの日本では神道と仏教はゴチャゴチャの同居状態であることが当たり前だったのだが、江戸時代後期に台頭した国学、尊王論的な神道は仏教を異国宗教として排除、果ては弾圧までした。そうした志向の影響を少なからず受けた連中が明治政府を作っちゃったため、明治初期には一部で露骨な「廃仏毀釈」が進行、ひどいところでは寺院そのものが破壊されたケースもあるし、そこまでいかなくても幕府や朝廷の保護を得られなくなった有力寺院も窮乏・荒廃を余儀なくされた。さすがに明治も中ごろになると「やりすぎ」との批判が出て仏教弾圧は下火になるのだけど、こういう歴史を知っていると現在の「日本神道」とやらが実は日本史上ごく一時期の「伝統」しか持っていないと分かるはずだ。
 そんなわけで、この時期に窮乏した仏教寺院から貴重な品物が二束三文で海外に売られた、というケースがままあり、こうした伎楽面もその一例だろうと見られているわけ。もっともこうしたことは寺院関係に限らず、「文明開化」に浮かれる時機には古いものを全否定な風潮のせいで多くの美術品が海外流出しているので、それも考慮した方がいいかもしれない。


☆北の果てから日本兵の遺骨!
 これも9月末に報じられたもの。千島列島の最北端・占守(シュムシュ)島で、ロシア国防省の戦史調査隊が同島で初めてとなる現地調査を行い、日本兵のみられる遺骨5人分、ソ連兵とみられる遺骨10人分、日本軍の水陸両用戦車、機関車、なぜかアメリカ軍の戦闘機、などなどと発見したという。日本兵の遺骨については近く日本側に引き渡す予定とのこと。
 第二次世界大戦の敗北まで、この占守島を含む千島列島全体が日本領だった。1945年8月14日に日本はポツダム宣言を受諾して連合国に降伏したが、18日になってソ連軍が千島列島全域の占領をはかって占守島に上陸、日本軍は武装解除を中止してこれと交戦した。結局21日になって日本側が投降して戦闘は終わるのだが、双方で2500名以上の死傷者を出し、被害はソ連側の方が多かった。ソ連軍は9月までに千島列島全域を占領下に置くが戦闘となったのはこの占守島だけ。今度見つかった遺骨はその戦闘の際の犠牲者と思われ、埋葬もされずにほったらかしになっていたということだ。他でも例はあるようだが、一応の「終戦」後の戦死者ということで、実にやりきれない。


☆信長上洛計画の証拠?
 現在。高校生が戦国時代にタイムスリップして信長と入れ替わるというドラマが放送されてるように、織田信長はやっぱり日本史上の人気者なもだから、日本のタイムスリップものは何かと信長時代に集中しやすい(さもなきゃ坂本龍馬と遭遇)
 そんな人気者・信長が出て来る作品でたいてい悪く描かれるのが、室町幕府最後の将軍・足利義昭だ。義昭は兄の十三代将軍・足利義輝が暗殺されたのち、還俗して将軍になろうとあちこち庇護者を求めて放浪していたが、ようやく織田信長という強力な庇護者を得て永禄11年(1568)に信長に奉じられて上洛を果たし、将軍になることができた。しかしやがて信長と対立して各地の勢力に信長打倒を呼びかけ、結局いずれも失敗して信長に追放され、それが教科書的には「室町幕府の滅亡」と位置付けられている。まぁ確かに恩をあだで返すような真似をしてるし、自分では何もしないで他人の力ばかり借りる陰謀体質、結局は先祖伝来の地位も失ってしまうはめになったということでどうしても評価が低くなる人物だが、彼の立場なりに必死に努力したと見ることもできるし、信長人気のとばっちりと食ってる面もかなりあると思う。

 そんな足利義昭だが、実は実際の入洛の2年前、永禄9年(1566)の段階で信長に奉じられて上洛を実行する計画があった。それ自体は以前から確実視されていたらしいが、10月3日に熊本県立美術館がその「幻の上洛計画」の証拠となる文書が発見されたと発表している。
 発見されたのは義昭本人やその側近の署名がある永禄9年8月28日付の合計14通の書状。このころ義昭は近江国の矢島(滋賀県守山市)に身を寄せていて、書状は各地の武士に支援を要請する内容という。そしてその中に「信長がお供として参陣する」と明記されているのだそうだ。
 しかしこの書状を出した直後にそれまで味方だった六角氏が寝返る気配を見せたため義昭は上洛計画を放棄して若狭へ逃亡、さらに越前の朝倉義景を頼る。よくある信長ものでは、このあとに明智光秀が仲介して義昭と信長を引き合わせる展開になるのだが、実際にはそれ以前から連絡を取っていたということなのだ。
 それにしても、なんで熊本美術館?と思っちゃったが、この書状自体が熊本市内の民家から発見されたとのこと。そこにはどういう経緯があったのか、そっちの方が気になるのだが…


☆コロンブスの船…じゃなかった!?
 5月に流れた報道で、「コロンブスの船ついに発見か」というのがあり、「史点」ネタ候補にメモはしていた。しかし結局とりあげなかったのは更新のタイミングのせいもあったけど、どこかウサン臭さがつきまとったからかもしれない。そしたらこの10月になって「やっぱり違う」という報道が流れてきた。
 5月に流れた報道では、ハイチ沖合の海底でコロンブスの旗艦「サンタ・マリア」と見られる残骸が見つかった、という話だった。見つけたのは海底探検家のバリー=クリフォード氏を中心とする研究チームで、実は11年も前の2003年にコロンブスの日誌などを元にこの残骸を見つけ、大砲も引き上げていたのだが、考古学者らから「コロンブス時代のものではない」とすでに批判されていたらしい。だがその後もクリフォード氏はコロンブス時代の大砲の形式を研究する一方で執念深く証拠集めをし、今年の5月14日に「間違いなし」と大々的な発表を行った。そして同時に船の残骸から数カ月前、もしくは数年前に文化財の略奪が行われた可能性が高いと述べて、保存のためにも早く引き上げを、と訴えていた。
 しかし。ハイチ政府の要請を受けたユネスコの調査チームが9月に現地調査を行った結果、「この船はコロンブス時代のものではない」との結論を出してしまった。決定的なのは、残骸の留め具が銅製であったこと。コロンブス時代の船の留め具はすべて木製か鉄製で、銅製の留め具は17〜18世紀の造船技術だというのだ。また文献面でも、コロンブスの日誌などの記録から見てこの残骸は実際にサンタ・マリア号が座礁した場所にしては岸から遠すぎる、とも指摘している。
 さて、クリフォード氏はどう反撃するかなぁ…。以前の発表の様子からすると、なかなか執念深い人らしいのだが。


☆人類最古の壁画か?
 イギリスの科学雑誌「ネイチャー」に載った、と聞くとついつい身構えてしまうという悲しい昨今であるが、ともかくその「ネイチャー」に、「インドネシア・スラウェシ島の洞窟壁画が約四万年前のものと判明」とする論文が掲載された。
 最近も「チンパンジーは想像で絵がかけない」とする実験結果が出ていたが、「絵を描く」という行為は現生人類特有の能力だ。その歴史的証拠が旧石器時代の洞窟壁画であるわけだが、これまで「最古の壁画」と認められていたのはスペインのエル・カスティーヨ洞窟の「手形」の絵とされていて、およそ3万7000年前のものと測定されている。この論文を出したインドネシアとオーストラリアの研究チームは、スラウェシ島の7か所の洞窟に残されていた手形や動物の壁画を調査、そのうちスラウェシ島にいるイノシシの仲間「バビルサ」を描いた絵が少なくとも3万5000年前のものと測定したというのだ。
 実はこれらの壁画は50年も前に発見されていたが、熱帯地域では1万年をさかのぼるような壁画は消滅してしまうと考えられていたためちゃんとした測定は行われてこなかった。今回はそれらの壁画の上に「ケーブポップコーン」と呼ばれる方解石成長が1センチ足らずの層をなしていることに注目、その層に含まれる微量のウランの放射性崩壊を測定したのだという。「3万5000年」という数値もあくまで最も新しい年代のものでしかなく、実際にはもっと古いものがあるはず、これこそ人類最古の壁画かも、というわけだ。
 記事によると、この研究チームに入っているオーストラリアの学者たちは「欧州の人々はもはや、抽象的思考を発達させた最初の人類は自分たちだと主張することはできない。少なくともインドネシアの初期人類と分かち合わなければならない」(CNN日本語版より)と強調しているそうで、実はこの手の話にはどこか「芸術の始まりはヨーロッパ」というヨーロッパ=白人優越意識が隠されていた、ということもあるのかもしれない。少なくともこの学者さんたちはそれを意識し、それを否定しようという意図のもとにこの研究をやってたことが読み取れる。ま、所詮はたまたま残っていて確認されたものがそこにある、というだけのことで、同じ種である現生人類はもっと早くから世界各地で絵を描いていた、と考えればいいと思うのだけど。


☆CIAがナチスと結託!?
 これはつい先日、10月28日に「ニューヨーク・タイムス」が報じた話題。冷戦まっさかりの1950〜1960年代に、アメリカのCIA、あるいはFBIといった機関が、ソ連に対抗するため元ナチスの関係者ら少なくとも千人をスパイとして採用していた事実が、公開された機密文書により明らかになった、というのだ。正直なところ驚きはなく、「やっぱりね」という話なんだけど。積極的に推進したのがCIA長官ダレスやFBI長官フーバーだと聞けば、ますますさもありなん、と。
 そりゃまぁ、そういう機関の当事者とすればまさに「黒いネコでも白いネコでもネズミをとるのが良いネコ」なわけで、使えそうなら戦犯だろうがなんだろうが率先して使うだろう。日本でも辻政信ら旧日本軍参謀や、児玉誉士夫のような戦前以来の右翼など、ほとんど戦犯といっていいほどの連中がCIAのエージェントとして使われていた事実が最近確認されている。もっともCIAでは彼らを「危険人物」とか「役立たず」と冷徹に批判もしていたらしいが。


2014/10/30の記事

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